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「倒産」(旧作より) ないものは払えぬと電話切りしこと食卓にいて思い出したり資金繰り深夜となるも埒(らち)あかずただエンピツを真二つにするアパートへ来たる業者に払えぬと声高に言う子らの前にて差し押さえ赤紙を貼る青年の青ざめる顔細長き指倒産と言い得ず三日子を寝かす妻の背中は怒り肩なり倒産の工場(こうば)の中で広々と幼子(おさなご)はしゃぎ遊ぶ声する補足(集金)集金に手土産つねに持ち行くも経費節減今日は持たざり遥ばると集金に来ぬ受付の女子事務員の言葉なまれり倒産の恐れいだけば集金のわれの眼(まなこ)は鋭くあらん正確に資金繰り表作れども未払業者の数増えてゆく連絡をせず支払いを延ばしたる業者の主人の訃報届きぬ業者への支払い伸ばし今月も給与資金の捻出をする参考:歌集「わが家の天使」
2010.01.31
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1月31日今日の気持ちを短歌に一言もことば話さず生きてきたわが子は二十七歳となる満開の紅梅のそば白梅が静かに二分の花咲かせおり満開の紅梅の花その蜜をヒヨドリひとつ独り占めするわが里は湖面のごとき空なれば西も東もなくて朝焼け鉢植えの木瓜(ぼけ)紅梅に負けまいと血を吐くごとく花開きたり苔むしてただ静かなる忠魂碑露に濡れつつ朝の日を浴ぶ根方にはいまだ枯葉を積みており一月晦日(みそか)いちょう真裸(まはだか)こんなにも細かき枝をしていたか銀杏(いちょう)の裸木(らぼく)見上げていたり参考:歌集「わが家の天使」後藤瑞義
2010.01.31
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宮 柊二の師が北原白秋、その白秋の師であります与謝野鉄幹の歌の鑑賞をしたいと思います。 短歌鑑賞与謝野鉄幹あたたかき飯(いひ)に目刺の魚(うを)添へし親子六人(むたり)の夕(ゆふ)がれひかな (注)夕がれひ:夕食この歌は、「あたたかいご飯に目刺が添えてある。これがわが家の親子六人の夕食(ありがたい夕食)であるなあ」といったそのままの歌であろうと思います。アララギ派が好きで、明星派は敬遠するわたしですが、こういう歌は無条件に受け入れたいと思います。与謝野鉄幹晶子夫婦は子沢山で有名でした。また生活もやはり大変だったのだろうと推察されます。次のような歌もあります。 子の四人(よたり)そのなかに寝る我妻の細れる姿あはれとぞ思ふ 五人(いつたり)の子等が冬着に縫ひ直しさもあらばあれ親は着ずとも万葉の昔から子供を歌ったうたにはやはり親の真実のこころがこもり良い歌が多いような気がします。さて掲示した歌にもどりますが、いいんですが、ちょっと物足りなさも感じます。「夕がれひ」という名詞止になっており、それに感嘆の「かな」が付いて終わっています。これは夕食を感嘆しています。どういう夕食かというとまず親子六人がいっしょに食事する夕食だというのです。そしてさらにそれは目刺が添えてあるだけの夕食なんだということです。余韻としてそういうそまつな夕食であっても、「夕がれひかな」と感嘆する夕食なんだということだと思います。 わたしがちょっと物足りないのは、鉄幹自身のおもいは非情にあふれていていいのですが、その感嘆する思いがどこからきたかそれが出てないわけです。多分子供たちが笑い声を立てたり、子供がおいしいおいしいと言ったりしたんでしょうか。それに鉄幹が感動したんでしょうか。ここで、茂吉の師である伊藤左千夫の歌を参考に書いておきます。 よきも着ずうまきも食はず然れども児等と楽しみこころ足(た)らへり 暫(しばら)くを三間(みま)うち抜きて夜ごと夜ごと児等が遊ぶに家湧(わ)きかへる わくらはに寂しき心湧くといへど児等がさやけき声に消(け)につつ(注)わくらはに:たまたまに。偶然に。たまさかに。白秋と茂吉の違いを考え、その師である鉄幹と左千夫をくらべてみるのも一興だとおもいます。 参考:与謝野鉄幹参考:伊藤左千夫
2010.01.31
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啄木のこと(六)…(1) 再び頬につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人をわすれず啄木の歌集を読んでいます。読み進み行くうちに色々な疑問が湧いてきて、何故なのだろうかと考えているところです。そのひとつは(これが最大の問題だとは思いますが)、別ち書きと一行書きの問題です。ここに私が書き進めている文章は、遡って修正とかしておりません。これは短歌についても言えます。その場その場で思いついた考えなどを知りうる知識を動員して書いております。その場で文献や書籍を丹念に調べるなどといったことはほとんどしておりません。書いた後から調べることはあります。たとえば、「啄木を別ち書きの唯一の歌人(私はそう思うのだが)…」などと書いております。しかし、これは明らかに間違いでした。啄木に別ち書きの影響を与えたのは、土岐哀果(善麿)でした。与謝野鉄幹も分かち(このほうが正しいのでしょうか)書きをしていたようですから、あるいは鉄幹も影響を与えたかもしれません。どういう流れからでしょうか、啄木とはおよそ接点のないと思われる釈迢空が分かち書きをしています。おまけに、後年の啄木と同様に句読点を付けております。釈迢空の流れは、岡野弘彦氏にしっかりと受け継がれております。分かち書きの研究はこの方面を研究するほうが近道かも知れません。また、五行詩のこと、結社「新日本歌人」の三行分かち書きなど、いろいろ研究する材料は沢山ありました。この問題は、ひとまず今日のところはおいておきます。また、啄木の「はたらけど…」の歌にしましても今日的な視点から見れば、働けばなんとか生活できる社会になったのではないでしょうか。問題になっております多重債務者などの例外はありますが…。あるいは、零細企業の現状など改善されなければならに問題もあるかもしれません。しかし、一般的にはむしろ仕事がない、働く仕事がないということではないでしょうか。働けばなんとかやっていける社会にはなっているのではないかという感想をもっていますが、はたして正しいか検証の余地がまだまだあるとは考えています…。明治時代のカルチャーショックというのでしょうか。そんなことも時々考えることがあります。江戸より明治のあの変革です。機械文明を中心にした西洋文明を受け入れ自分のものとしていった明治の人々に対し畏敬の念を禁じ得ません。ところで、啄木です。一握の砂です。この砂です。ここになにか秘密というか、啄木を解く一つのカギのあることは間違いなさそうです。一握の土ではないのです。「頬につたふ なみだのごはず 一握の土を示しし人を忘れず」としても、これはこれでまたなかなか深刻な歌になると思います。啄木は砂について、次のようにも歌っています。「いのちなき砂のかなしさよ さらさらと 握れば指のあひだより落つ」砂と土の違いは色々あろうかと思うのですが、わたしは啄木ではないですが、砂には命がなく土には命があるのではないかと思うのです。いのちなきもの、機械なども当然そのなかに入るでしょう。啄木はいのちのないものをかなしんでいます、つまり、それらにこころを寄せているとも言えるのではないでしょうか。個人主義などというのも砂のようなものかもしれない、などとふいに思ったりします。わたしの、この行き当たりばったりというか、文献などで学者などの説を調べず話す癖は、実は遠く学生時代に遡ります。この間違いを指摘してくれた会計学のゼミの先生、山桝忠恕先生を思い出します。((六)の(2)につづく)参考:石川啄木
2010.01.31
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短歌鑑賞斎藤茂吉くれなゐの鉛筆きりてたまゆらは慎(つつま)しきかなわれのこころの前日、北原白秋の下記の歌の鑑賞をしました。やはり赤鉛筆(色鉛筆)が出てきます。その比較において上記の歌をあげました。 草わかば色鉛筆の赤き粉(こ)のちるがいとしく寝(ね)て削るなりまず、斎藤茂吉がアララギ派の若手のホープで、北原白秋が明星派の若手のホープであった時代の、ほぼ同時代の作品のようです。茂吉は「たまゆら(一瞬)」「慎ましき」「われのこころ」といった言葉を使っています。それに対し、白秋は「わかば」「色」「寝て」ということばを使っています。わたしは、この言葉使いでまず二人の違いを思うのです。さて、茂吉の歌です。歌の意味はそのままだと思うのです。つまり、「赤鉛筆をナイフであるいは小刀で切っていると(削っていると)一瞬わたしのこころがつつましくなったことだ」。言葉の順序からすると、「…たまゆらはわれのこころの慎ましきかな」です。「こころの」の「の」は、もちろん「が」の意味です。倒置法です。この「慎ましい」という言葉の解釈が難しいと思います。文字通り「つつましやか」な感じとするか、「気恥ずかしいさ」と解釈するかでかなり変わってくると思いますが。どちらにしても、赤鉛筆を削っているとそういうおもい、「つつましい」おもいがこころを一瞬よぎった。そこを逃さず切り取っているのです。ほぼ、100年前の作品であること、鉛筆がめずらしいということはあったのだと思います。それも赤鉛筆です。そして削ると赤い芯が出てくるのですが、それを尖らしてゆくわけです。そして赤い粉が生れてきます。その行為をしているとき茂吉はなにかを感じたのでしょう。それは何かは正確には分かりませんが、たとえば赤鉛筆に人間をイメージすることも可能ではないでしょうか。身を切れば赤い血が出てきます。なんかそんなことを一瞬思ったのではないでしょうか。茂吉自身文字通り身を切るような生き方、努力をして医学を学んでいるかも知れないのです。あるいはもっと「気はずかしい」空想だったかもしれません…。茂吉はその一瞬に心に浮かんだものを歌にしています。 それに対して白秋のほうは、心というより感覚、感じを歌っているのだと思うのです。参考:斎藤茂吉
2010.01.31
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今日の気持ちを短歌に(1月30日)満月が障子を透かしこうこうと夜半(よわ)の畳の上を照らせり満月の月の光の明るさにわが家の鶏(にわとり)時を告げ出す朝焼けの雲を彼方(あなた)に紅梅が競(きそ)うがごとく満開となる蜜をみな吸い尽くせしや紅梅に待てども今日は目白来たらずたちまちに荒地となりし畑には雉(きじ)が棲(す)みつき奇声を上げる花付ける枝ありつけぬものもあり白梅やっと咲き始めたり春に向き大地たしかに歩みだす犬のふぐりを道に咲かせて庭に立つ紅梅一本眺めつつ今日も一日暮れなんとする参考:寺山修司歌集参考:歌集「わが家の天使」
2010.01.30
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宮 柊二の師であります北原白秋の歌をみてみます。短歌鑑賞北原白秋 草わかば色鉛筆の赤き粉(こ)のちるがいとしく寝(ね)て削るなり正直、北原白秋はいまひとつ好きになれない歌人です。それは、多分彼の歌があまりよく鑑賞出来ないからでしょう。彼の感覚的な把握、繊細なところにわたしの感覚が追いつかない。自分が鈍いのだと思っています。 上記のような歌を読んでも、それがどうなんだといった感じしか受けないのです。 まず、「草わかば」ですが、「草の若葉」というのが普通だと思うのですが、「の」を取っています。こういう表現は洒落ているとは思います、とくに「わかば」と平がなにして柔らかさも出ていると思います。 草原に芽を出したばかりの草の若葉が生えているのでしょうか。「若草に」ではいけないのでしょうか。 「赤鉛筆の赤き粉」ではなく「色鉛筆の赤き粉」です。24色とか色々あると思うのですが、風景かなにかを描こうとしているのでしょうか。赤は花か何かを描こうとしたのでしょうか。分かりません…。ただ、時代を考えなければいけないでしょう。これは100年も前の作品です。鉛筆もあるいは、ハイカラなものだった。まして色鉛筆です。今のように沢山の色はなかったかもしれません。赤と青とか、あるいは赤鉛筆を色鉛筆といったのかもしれません。 問題は「赤き粉のちるがいとしく寝て削るなり」です。「赤き削り粉が散るのがいとしい」とはどういうことでしょうか。というよりこの感じ方です。そして「寝て削るなり」という展開の仕方があります。 赤は強烈な色です。危険な色ともなっています。血の色でもあります。「赤き粉」…。「火の粉」という言い方もありますが、関連があるかどうかわかりません。「寝て」という言葉にわたしは、なにかこだわるというか、もっとほかにいい言葉があるのではないかと思ったりします。 正直に言えば、「君は、ビョーキじゃないのか。ちょっと感じ方が異常だよ」といった感じでしょうか。ただ、これが白秋なのでしょう。この感覚が白秋なのでしょう。このあやうい感覚が白秋なのでしょう。そう言うより仕方がありません。もっともこの歌は第一歌集の『桐の花』の一首です。若い白秋の歌なのです。この歌集には他に次のような歌があります。 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕(ゆうべ) 手にとれば桐の反射の薄青き新聞紙こそ泣かまほしけれ技巧的であったり、感覚的であったり、やはり詩人北原白秋の面目躍如としているところでしょう。参考:北原白秋歌集
2010.01.30
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啄木のこと(五) はたらけど はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり ぢっと手を見るNHKのアナウンサーが「はたらけど、はたらけど」と続けて朗読したことは前回話しました。啄木の意図とは別に、そのように読むこと自体わたしはむしろ賛成したいと思います。畳みかけることによって、生活苦が一層強調されると思います。そして、間をおいて「ぢっと手を見る」となるわけです。その手を見る行為が、生活苦と直接的に関係するのか、あるいは人間のある理由の無いように見える行動として「手を見る」のかは作者に聞かなければ、真実ははっきりしません。解釈はかなり読者にゆだねられるように思います。そして、何故そこで行を変えたのかにもかかわってくるように思えます。 しかし、「はたらけど、はたらけど…」とつづけて読むのであれば、二行書きでよいではないか、なにも三行書きにする必要はないだろう、という批判がおこるでしょう。 ここで、いっそのこと一行書きにしたらという意見もあるかもしれません。「はたらけどはたらけど猶わが生活楽にならざりぢっと手を見る」ただ、一行にするとやはり歌のニュアンスがまた若干異なるでしょう。「ぢっと手を見る」にしても、前述のような生活苦との関係というより、手そのものに視点が移るような感じがします。「荒れ果てた手」、「あかぎれの手」、そういった、いたいたしい手への直接的な思いを感じます。間をおかず、一気に詠みきった作者のせっぱ詰まったような、一直線の思いが強調されるのではないでしょうか。一行書きにすることによって、芸術だとか、文学だとかいうことではなく、泥まみれに働いても、働いても、手から血を出して働いても、例えば一向に借金が返せない、そういった実際の作者自身の絶望感が伝わるように思うのです。ただそれを啄木は避けた。なぜか避けているのです。東北出身の、明治生まれの啄木がかたくなに、茂吉がしたように直接的な思いを表現することを避けた。ここにわたしの啄木にたいする謎を感じるとともに魅力も感じるわけです。 最後に、三行書きの場合の、「はたらけど」についてちょっとふれましょう。啄木は初句の「はたらけど」で切っています。「はたらけど」は独立の一行です。「働いたけれども」とまずは、言っているのです。遊んでいたわけではない、実際に働いたけれどもと言ったことでしょうか。誰かにぶらぶらしていないで、働きなさいと忠告されたのかもしれません。そして、二行目の「はたらけど…」になります。この「はたらけど」の繰り返しは、三行書きの場合は、強調というよりは、一行目の働きかたが不十分と思い、あるいは誰かからそう言われ、いっそう熱心に働いたけれども一向に生活は楽にならない、というようなふうに思われます...。 問題は、三行目の「ぢっと手を見る」でしょう。この歌は、一行書きにした場合は、前にも少し触れましたように、貧困に喘ぐ労働者の切実の歌になるでしょう。泥だらけの手、油まみれの手、皹やアカギレで赤くあるいは血のにじむような手をじっと見ている作者が浮かびます。 啄木の歌の手は、どうなんでしょうか。もちろん前に書いた手の連想も当然あるでしょう。一方啄木自体の手は青白い手だったのではなかったでしょうか。手、手、手…色んな手がこの世にあります。人類は手で道具を発明し、それによって今日の文明を築きました。四十八手、手段の手であります、色んな手があります、千手観音の救いの手もあります。 「はたらけど/はたらけど猶わが生活楽にならざり」これに対し啄木は、これはおかしいのではないか、これが文明の生活であろうか、何かが狂っているんじゃないのか…。この状態を打破する根本的な変革なりなにかがあるのではないだろうか。そういう、「ぢっと手をみる」ではなかったろうか。 短歌に思想をもとめるのは難しいといわれています。ただ、この啄木の歌を、三行書きの歌を読むとき私はなにか思想的なものの滲み出ているのを感じるのです…。 この問題は、もっとよく考えたいと思います。参考:石川啄木歌文集
2010.01.30
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啄木のこと(四) はたらけどはたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざりぢっと手を見る さて、啄木の歌集を読んでいるのですが、啄木の三行の別ち書きのことが大変気になりました。それと同時に短歌を始めたとき教えられた一行書きについても同様で、なぜ一行書きなのだろうかとの疑問が非常に湧きました。 短歌革新は明治に始まり、戦後にあっても前衛短歌が一時期風靡しました。しかし、考えて見るといままでこんな肝心なこと、別けて書くのか一行に書くのか、なぜそうなのか、啄木の別ち書きを一般の結社なり、歌人はどうみているのか、などについて明確な見解を残念ながら知りませんし、入門書にもあるいは雑誌等でも読んだことがありません。 あるいは短歌以前の問題かもしれない別ち書きや一行書きの問題を考えることは、案外短歌の核心に迫ることであり、短歌の本質に迫ることであり、実はいま一番必要なことのように感じる次第です。 そうした問題をはっきりさせるためには、別ち書きをしている歌人(意識してそうしていると思うのですが…)、啄木を避けては通れないように思います。 いま少し啄木と関わってみたいとそんな風に思う今日このごろです。 ところでこの歌を、NHKのアナウンサーが朗読するのを聞いた記憶があります。そして、いま思い出してみると「はたらけど、はたらけどなおわがくらしらくにならざり」「じっとてをみる」と読んでいたように思います。 しかし、啄木は初句の「はたらけど」で行を変えています。つまり、初句の「はたらけど」と二句の「はたらけど」とのあいだに間(ま)を置くことに、あるいは啄木の思いがあるかもしれないのです。 NHKといえば、投稿歌を五行書きにしています。またはがきなどで書く場合そのように指示してあったように記憶しています。これなども、それでいいのであればそのように、いけないのであればいけないとはっきり権威ある歌人なりが言うべきと思います。NHK歌壇を支えているのは、そうそうたるメンバーですので…。 わたしは、NHKを非難しているのではありません。一行書きと多行書きの問題をはっきりしてもらいたいと思うだけです。 一行書き、多行書きについては、そのうち自分自身の考えを述べたいと思っております。(つづく)参考:石川啄木歌文集
2010.01.30
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1月29日(金) 今日の短歌ヒヨドリの来ぬ間がありて早朝の紅梅の木に目白来ているいかほどの蜜があるのか紅梅の枝をはげしく目白は渡る紅梅は花梅なれば白梅は大いに咲けよ実を付けるため新潟の友に見せたし福寿草伊豆のわが家に数を増やせり雲のない空より注ぐ日を受けて紅梅の花いま盛りなり大量のトヨタのリコール今日はまた新幹線が停電起こす参考:大野誠夫 「短歌入門」参考:歌集「わが家の天使」
2010.01.29
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短歌鑑賞宮 柊二七階に空ゆく雁のこゑきこえこころしづまる吾が生あはれ「雁」、伊豆の生まれのわたしは、雁についての感慨があまりありません。あるいは、私の個人的な問題かもしれませんが…。「雁」、子供の時、村芝居で見た国定忠治に出てくる雁の声が記憶にあるくらいです。宮柊二は、新潟の生まれですから特に帰雁の声などには身にしみた感慨があるんではないかと推察します。山口青邨の「みちのくはわがふるさとよ帰る雁」こんな感じをもっているんではないでしょうか。 北へ向って(多分)雁が鳴きながら飛んでいます。その姿なり鳴き声を哀れに感じるのは古来からの伝統的な感慨です。それに対し、「雁の声」に心が鎮まる、自分の生きていることが哀れだと感じる、これは新しい感覚であると思うのです。七階は、今でいえばマンションなど、ひと昔前であれば高層アパートでしょうか。そういうコンクリートの中の生活環境にあると思います。そこに作者はある不満を持っていたかもしれません。またはある諦観のようなものでしょうか、ここで、このままで自分は死んでゆくのかといった諦め。そうした生活のある日のこと、雁の声が聞えたのでしょう。それは、7階ですから少なくとも地上より大きな声で聞こえたのではないでしょうか。また、その姿もよく見えたのでしょう。コンクリートの高層ビルのなかの生活。少年の頃のこと、故里の新潟のことなどを考えていたのでしょうか、そうしたなかで雁の声を聞いたのです。自然に触れた感慨といいますか、ああこんな高層の場所にも自然に触れるものがあったかという感慨でしょうか。無事に帰れよといった祈りのような思いもあるでしょう。雁のように故郷に帰れず一生コンクリートの高層ビルで生活する自分、その七階の部屋で雁の声をきき心が鎮まる自分、これが自分の生であるのだ…。 宮 柊二氏についてくわしい知識はありません。ただ、ときどき目にする氏の歌に沁み入るような孤独性を感じます。上掲の歌もたまたま目にした歌です。それにしても、自分の感じを文字で表す難しさを痛感します。 宮 柊二氏が人生で感じるもの、その精神性のようなものと自分の心のありようを比べるとき自分の幼さを強く感じます。ですから、この歌の鑑賞にしましても深く入り込めないのだと反省しています。 失礼しました。参考:「ふるさとを愛した歌人宮 柊二」
2010.01.29
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啄木のこと(三) ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく もう二十年ほど前になりますか、短歌を初めて作り、五首原昇先生に送りました。いま思うとなんとなく啄木のように、いわゆる別ち書きをして送りました。そこで初めて短歌は一行に書くこと、文字を離さず書くことを教えられたのでした。 啄木の歌集を読んでいて、そんなことを思い出しました。啄木の歌集の特色はまずこの三行の別ち書きでありましょう。 あらためて、一行目の「ふるさとの訛なつかし」を読むと、これだけでいろいろの思いが浮んできます。「ふるさと」それも「訛」がなつかしい。なにか机に頬杖をしていろいろ思いを巡らしている啄木の姿が浮んできます。そして、やおら腰をあげて、以前聞いてなつかしかった思い出のある駅の、しかも雑踏の中にわざわざ出掛けて行くのです。訛を聴くために…。 別ち書きをすると、間(ま)が生じ、一行一行に独自の意味合いが自ずと生じるように思われます。逆に一行書きにすると全体がひとつの塊(かたまり)となり、ことばの意味も当然のことに互いに緊密になるように思えます。ですから、一行の方が感情が直接表れるようにも思えます。 「ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく」と一行書きで読んだ時、まず停車場(駅)の雑踏を思い浮かべました。まさに駅の雑踏のなかで、「ふるさとの訛なつかし」の思いが浮んだように思われました。実際は机に向っていたとしましても…。 原 昇先生もよく内部衝迫を歌にしなさいと教えられました。この内部衝迫を表すのには一行書きが適しているように思うのです。「歌」の語源が「訴ふ」にあるとすれば、なおさらのこと、一行書きのほうが別ち書きよりも叶っているように思えます。 別ち書きをすると一行一行のあいだに、いわゆる詩的ふくらみが増すように思います。ですから、より詩的であり、文学的あるいは芸術的になるのかもしれません。しかしながら、一行書きにみられる直線的な力強さ、ストレートに感情表現が出来る利点が失われようにも思います。そして、これこそが日本古来から連綿と続いているこの短詩型を他のものと区別するものかも知れません。 短歌には文学以前の要素がかなり色濃く反映しており、またそれが第二芸術などと呼ばれた所以かもしれないと思います。 啄木は、短歌を文学に、より詩的にしたかったのかもしれません。しかし、短歌の不思議な魔力のようなものには勝てなかったのか、別ち書きを継承しているグループなり結社なりを今のところわたしは知りません。 啄木の歌集を読みながら、別ち書きと一行書きをいまさらのように考えさせられました。(つづく)参考:石川啄木「一握の砂」(CD)
2010.01.29
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1月28日 今日の短歌 紅梅の花木の枝に小爆発が起こりたるごとくに見える紅梅の花久々の雨に打たれて揺れている八分咲きたる紅梅の花雨の日のわが家の庭を照らしたり八分咲きたる紅梅の花わが庭を縄張りとしてヒヨドリが濡れる紅梅の蜜を吸いおり紅梅に五日遅れて白梅の花三つ四つ咲き始めたり雨の止む紅梅の枝濡れながら二羽の目白に蜜を与えるその細き嘴(くちばし)をもて目白二羽雨に濡れたる紅梅つつく参考:歌集「わが家の天使」
2010.01.28
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短歌鑑賞(石川啄木) 東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる 啄木は一晩に百首、百五十首と多作したことで知られています。この作品もそういった折の一首と聞いています。ですから多分に空想で作っているきらいがあると思われます。あるいは過去の記憶と空想で作ったと言ったほうが良いかもしれません。 その確証として「磯の白砂」をあげましょう。磯というとわたしにはどうしても岩場、石の多いところというイメージが浮びます。「磯の白砂」という表現がどうしてもぴんとこないのです。しかし、ここで大事なのはやはり白のイメージでしょう。小島の小も必要な要素と思います。つつましい感じを出したかったかもしれません。しかし何と言いいましても、海水にぬれるのではなく泣きぬれるという表現、若い女性や友人ではなく身を硬い殻に閉ざした蟹とたわむれると結んだところに天才の面目躍如たるものを感じます。 失恋をした青年でしょうか。あるいはなにかに挫折をしたのでしょうか。そんな孤独な青年を彷彿とさせ、切ない気持ちになります。啄木のこと(二) たはむれに母を背負ひてそのあまり軽きに泣きて三歩あゆまず わたしはこの歌をずっと、 「三歩あゆめず」と覚えていました。 母というものは子供にとっては、常に大きい存在(重い存在といったほうがよいかもしれませんが…)です、またそうあってほしい存在です。その母を背負えるほど大きくなった、大人になったということを見せたかったのかも知れません。もうお母さんを背負うことができるよと気負っていたのかも知れません。 子供の頭の中では母の存在は知ず知らずのうちにに現実以上に大きくなるようです。それで、甘えすぎるようにもなるのかも知れません…。 頭の中で作り上げていた母親像と現実との格差が余りにも大きかったのでしょう。「泣きて」は非常に複雑な心理のように思えます。親不孝を詫びる涙もあったのではないでしょうか。こんな軽い母にいままで自分はなんと大きな、重い荷を負わせてきたのだろうかというような悔いる気持ちがあったと思います。 「あゆめず」あまりにも哀しくてとても三歩も歩くことが出来なかった。というように私は理解していたのですが、実際は「あゆまず」でした。ここでわたしは啄木に冷水を浴びせられたような心持になりました。自分の幼い心を見透かされたような感じに打たれました。 「あゆめず」とするとただ感傷に浸っている、まだ甘い、精神的に幼い啄木像となるでしょう。 「あゆまず」は違います。自分の意志で歩まないのです。もはや単なる感傷家の啄木ではなく、一人の人間としてありのままの母親を見つめる、真の意味で大人となった啄木、一人の精神的にも独立した人間啄木が誕生したと思えるのです。ですからこの歌は啄木にとっても重要な、一人の人間として目ざめた画期的な歌だとわたしには思えるのです。参考:石川啄木歌集(CD)
2010.01.28
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啄木のこと(一) 頬(ほ)につたふなみだのごはず一握の砂を示しし人をわすれず 石川啄木 わたしは、啄木が好きでなかった。小学生の時学校で連れられて行って見た啄木の映画は、ただ暗い記憶しか残らなかった...。中学となって、短歌を、啄木を口にする同級生がなくはなかったが、彼らは自分とは世界を異にしている人種のように思えた。そのようなことで、いまだに啄木の歌集は持っておらず、四十過ぎから短歌を始めた自分にとっていまさら啄木もないだろうと深く接触せずに今日に至ってしまった。しかし、蟹の歌を作ったことによって、俄然啄木が先輩としてわたしの前に立ち現れた。「蟹とたはむる」。蟹は、身を硬い殻でおおい、そして大きな鋏を誇示する。われわれから見れば滑稽にさえ思えるその仕草に自分を重ねたとき、いままで見えなかったものが、蟹をとおして見えてきた思いがした。「身を硬い殻でおおっている蟹と、何らかの挫折を味わった青年が戯れる。その孤独感のようなものが、ひしひしと感じられるのだ。決定的だったのは「一握の砂」だった。啄木は、あるいは、いや多分一握千金の志を持って東京に来たのであろう。しかし、思いに反して、挫折を味わったのだ。ぎりぎりの生活苦から得たもの、悟りに近い心境(とわたしは思うのだが…)。生活苦で得たものは、一握りの、何の価値も無い砂ではなかったのか。そんな、一握りの砂に価値観を持った…。恥も外聞も無く、頬に伝わる涙もぬぐおうともせず…、わたしの持てるすべてと言っているように、わたしのこれがすべてと言っているように、わたしの短歌はこれだと言っているように、わたしの人生はこれだと言っているように…。金ではなく、とるに足らない一握りの砂に価値観を見出した。そして歌にした。「一握の砂をしめしし人を忘れず」と。啄木の、あの若さでそこまでたどり着いた心境に、わたしは脱帽せざるをえません。この一握りの砂を示している人こそ啄木自身とわたしは思う。これこそ啄木が挫折の後にたどりついた短歌観であり、人生観であると思う。啄木はこれで永久(とわ)の眠りにつく準備ができたのであろうか…。参考:石川啄木歌集
2010.01.27
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今日の気持ちを短歌にわが庭の紅梅の花きらきらと目覚めしごとく咲き始めたりうす雲がところどころに浮いていて陽はしつかりとわれをつつめり風のない冬日は神のみ手のごとやさしくわれをつつんでくれる神神と言うわたしよりもの言えぬこの子に宿り給わんことを赤き実を食べつくしたるヒヨドリが紅梅待ちて今蜜を吸う紅梅を湖面に映すごとくして西空がいま夕焼ており 参考:歌集「わが家の天使」
2010.01.27
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短歌鑑賞上田三四二 たましひのよろこびのごと宵闇の庭にくちなしの花暮れのこる 短歌を鑑賞するとき、下の句や結句に注目します。やはりそこに作者の思いが込められると思うからです。自然に余韻も下の句や結句から生れます。 この場合、「庭にくちなしの花暮れのこる」です。むしろ、平凡なような下の句、結句です。 まずくちなしの花ですが、純白な花です。よい香りもします。そのくちなしの花が宵闇の庭にぼんやり暮れ残っておる光景です。透明とは違うでしょうが、なにか不思議な光景、この世のものでないような光景を想像するのは無理でしょうか。 作者はどんな状態で、どんな精神状態でこの光景を眺めていたのでしょうか。そのヒントはやはり上の句に求めるしかないでしょう。 「たましひのよろこびのごと宵闇の」というのが上の句です。「たましひのよろこび」とは何でしょう。「肉体のよろこび」に対して「たましひのよろこび」なのでしょう。ただ「精神のよろこび」「こころのよろこび」より「たましひのよろこび」というのは、なにか人間性を超越した感じといいましょうか、宗教的といいましょうか、作者が非常にこの世から昇華したような感じをわたしは受けるのです。 これから夜(深読みすれば、死とも読めないことはないでしょう)になっていきます、その直前の宵闇のなかに純白のかおりゆかしいくちなしの花がぼんやり暮れ残っています。ああこれこそ作者が到着したたましいのよろこびなのでしょうか。あるいは作者がいま求めているある状態なのでしょうか…。 たましひのよろこびのごと宵闇の庭にくちなしの花暮れのこる「よろこび」の「よ」、「よいやみ」の「よ」、「くちなし」の「く」、「くれのこる」の「く」というリズム感、音感のある作者であると申し添えしておきます。蛇足ですが、くちなしの花、くちなし、口なし…死人に口なしなどと、死をわたくしはこの歌のバックにぼんやり感じるものです。参考:上田三四二の歌
2010.01.27
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寒の字を冠する桜一月の梅より早くはや盛りなりわが一世(ひとよ)長しといえどグリーン車など縁はなく終るなるべし飛行機も思えばいまだ乗らざりしひと度(たび)くらいは乗ることあるや風強き川口駅に降りたちぬ雲なき空の光まぶしき川口の神社に参り初孫の百日となる御祓いをする未来へと羽ばたく未羽(みう)は百日のお宮参りに大声で泣く意志強き人間となり生きゆくか百日となる孫の大泣き生きゆくは苦しきこともあるならん大声で泣け百日の孫中国と日本の国の架け橋となれと祈りぬ初孫の未羽(みう)短歌鑑賞上田三四二ちる花はかずかぎりなしことごとく光りをひきて谷にゆくかも桜の花の時期にはまだ早いんですが、「たましひのよろこびのごと宵闇の庭にくちなしの花暮れのこる」の鑑賞をしているときに、この有名な歌が浮かびました。叙景歌のようです。多分花の散るのを実際に見ての作でしょう。「たくさんの桜の花がことごとく光りを引いて谷に散ってゆくなあ」といった感慨でしょうか。 さて、「ちる花は」の「は」が気になります。たんなる叙景歌なら「の(意味はが)」を使いたいところだと思うのです。なんで「は」と強調したのでしょうか。「咲いている花は違うけれども」「ちる花は」といった区別でしょうか。 「かずかぎりなし」で「かずかぎりなく」でなく、ここで終止しています。「ちる花はかずかぎりなし」とまず言っています。ここに実景を見ている感じがします。 「ことごとく」と、「例外なくことごとく」と強調しています。何を強調しているかというと「光をひきて谷にゆくかも」を強調しています。ここに作者の発見があり作者の思いがこもっているところだと思います。 「光りをひきて」とはどういうことでしょうか。流星のように光の尾を引くようなイメージでしょうか。うす暗い谷のイメージもあわせて感じます。「谷に」と「谷へ」の違いも感じます。「谷へ」は散る時間を感じますが、「谷に」は「谷底に」といった感じ、到着点をより強く感じます。 「谷にゆく」、「天に舞い上がる」花もあってもいいかも知れませんが、作者は「谷に」です、もっといえば「谷底にゆく、散ってゆく」のです。「ゆく」に「逝く」の思いまでは、無理に重ねなくてもいいようにも思いますが、そんな雰囲気も感じないわけではありません。 問題は「かな」です。初心のころ、安易に「かな」を使って注意されました。では、ここではどうでしょうか。「谷にゆくなり」等、たんなる叙景歌なら「かな」は適当ではないと思います。 最初に触れましたように、この歌の初句が「ちる花の」であれば、「ことごとく光りをひきて谷にゆくなり」となろうかと思います。 「いま目の前にさくらの花がかずかぎりなく散っている」「薄暗い谷底をのぞいていると散る花はことごとく光を引いてゆくように見える」「なんとすばらしい光景だろうか、なんとすばらしい散りざまだろうか」「ちる花は」このようにすばらしいのだが、「自分は」どうなんだろう、こんなすばらしい死に方ができるのであろうか。 桜の花の散るのを見ている作者はもう眼前の景色というより、まぼろしのようなこころのなかの景色を見て感動しているのではないでしょうか。それが、「ちる花は」の「は」であり、「谷にゆくかも」の「かも」ではないでしょうか。 最後に、蛇足ですが、前作でもふれましたようにこの作者の音感のよさにも注意したいと思います。「かずかぎりなし」「ことごとく」「ひかりをひきて」といった箇所です。もう一度、 ちる花はかずかぎりなしことごとく光りをひきて谷にゆくかも参考:上田三四二の歌
2010.01.26
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