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8月24日(土)短歌集(358)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(14)をりをりは首かしげ羽毛はねもつくろへり飛びて越えねばならぬ屋根あるうつけつつありしか秋の風寒く立ちあがるとき着物落ちたり浅き水にすすき風さとはしるさへ驚きやすく鹿しかの子のゐるこの真昼神われに助力するらしく庭の上の萩はぎひとりゆれうごく (つづく)
2024.08.24
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8月24日(土)昭和萬葉集(巻十三)(240)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(77)はたらく人々(1)職場で(1)鈴木増弘栄達の術のさまざま身近くに競ふを見つつ黙し来にける逸見喜久雄もの言はず仕事処理して昼となり許可ありて吾等は上着を脱ぐ人見 忠眩しさをすでに失くせし日輪を事務所の窓に我一人見る鈴井武治欠務者を出せば朝より滞貨してとげとげと皆ものを言ひあふ (つづく)
2024.08.24
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8月23日(金)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(8)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(6)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(5)午後二時となりしばかりに鹿の湯のえんとつよりはや煙はのぼる 小池 光『日々の思い出』ホームには大おほ燻いぶりせる灰皿のひとつがありてその風の下 同一首目、あれこれ深く探ろうとせず、ふと銭湯の煙突から煙が立ち上がるのが見えた。馴染みの「鹿の湯」がこんなに早くから湯を沸かしはじめるのがわかった。そんなくらいに受け止めるほうが、歌が自由にのびのびしているように思われます。 二首目も公害問題だとか、マナーの問題とか言わずに、ホームに「大燻りせる灰皿」があった、<ただそれだけのこと>として味わいたい歌です。そんな光景に出会った、そのことだけで一首を受け止めたいものです。小池氏の『日々の思い出』あとがき:思い出に値するようなことは、なにもおこらなかった。なんの事件もなかった。というより、なにもおこらない、おこさないというところから作歌したともいえる。 (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(11)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(2)例えば今手もとに「国民文学」の八月号があります。村松英一氏からはじまって菊池庫郎氏、谷鼑氏等々と、吾々が十年二十年なじんで来た人々の名前が並び作歌が並んで居ます。あらかじめ今日に備へて賢しきが米を食ふとよ世になき米を 村松英一所所焼焦のあとを残しつつここの生活もいたづらに過ぐ 菊池庫郎年ふけて耕すわれを去年まではゑがき見ざりきゆうべは思ふ 谷 鼑 なるほど之等は今日の時代の歌です。二合一勺で皆が生きて居る訳を考えれば、共産党ならずとも吾々はこのくらいの憤慨には共感するでしょう(それにしても賢しきとはいささか古風で困るけど)。又畳の焦げあとも之は一つの現実に相違ないでしょう。更に谷鼑氏の生活詠も、一応は万人に通ずる生活詠であろう。 次に同様に「水甕」八月号を見ましょう。財産の申告調べ細々と書きたる妻の吾にしも見よとしいだす説明を妻に聞きつつ思ひみる年のはるけさ…之は長歌で更に続くのですが煩を省くため途中で切りました。つまり財産申告の歌で、省略したところをつづめれば歌よみの常の貧を愧ずるところがあろうかと言えば妻もうなずくと言った一つの感慨です。又次に牧暁村氏の歌があります。老いづける気力悔しめかにかくに唐藷腹は減りの早きを臭みもつ代用食は団栗の粉ならむといふに話おちつく之もわかります。いや吾々歌人ならずとも唐藷腹の減りの早いのには同感しましょう。歴史の古いものばかりではありません。 (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(66)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(17)けふがはじまる(2005)(2)通過する皇后様を撮らむとし結局なにも見てゐなかつた夫婦喧嘩したことないと夫は言ふしたくも出来ぬ環境でした「おはやう」と夫の遺影に声かけてウインク送りけふがはじまる歯を削り脚には湿布し注射して薬貰つて半日が過ぐ槙、楓抜くやたちまち椋鳥の群れ重機避けつつ虫漁りゐる (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金)短歌集(376)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(18)桃もも咲きて屋根の反そり緩ゆるくなりぬれば鬼瓦おにがはらのなかもちちと鳴きつつこの朝け井戸の中より白きもの羽ばたきて飛び梅雨つゆも晴れたり鳥ふいに道の彼方かなたに飛び立てばそのところまで急ぎて来つるまぼろしはすみれいろにて夜を走る鼠ねずみの如く暗くなりたりわが内のまぼろしいまだ消けず死なず空をおりくる剽盗ひはぎの如き (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金) 昭和萬葉集(巻十三)(241)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(80) 仕事の歌(42)仕事の歌(4)木下章雄パンのための労働と誰かいふ顔も言葉も職により変るゴーガンは中年より画家になりたりとわれは知りたし銀行員の頃のゴーガン銀行員になりきれぬ少しの部分ありてスペシャリストと今呼ばれゐる瀬下義友みるみるに株価下押す場内は潮のごとく静まりゆきぬ杉井武治一等米と決めし紙袋したいの一列に印押しゆく視線浴びつつ熊沢正一転職のきかぬ齢のポリスにて眼の鋭きを酔へば言はるる (つづく)
2024.08.23
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短歌鑑賞(石川啄木)歌集「悲しき玩具」(百三十五)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 起きてみて、 また直ぐ寝たくなる時の 力なき眼に愛めでしチュリップ! 病弱な時期の啄木の作でしょう。「起きてみて」は、いろいろ考えられます。病気で横になっていて、目覚めたことかもしれません。または横になっていた体を起こすことかもしれません。それによって二行目からの意味もかわってくるでしょう。 わたしは、後者の身を起こすように解釈しました。病弱の体を起こしてみたが、ふらふらする感じなのでしょう、「また直ぐ寝たくなる(横になりたくなる)」ということでしょう。 そんなふらふらした感じで少し歩いてみたのかもしれません。そんな、「力なき眼」でチューリップの花が咲いているのを発見し、「きれいだなあ」と見とれたのでしょう。ここで注意するのは、「愛でし」と過去形になっているところです。ですから、今見て感嘆をしているのではなく、あの、ふらふらした体調の時見たチューリップ、何と美しかったことだろうと過去を振り返っているのだと思います。 啄木は今病床で臥せっているのかもしれません。そして、過去のやはり体調のすぐれない時に見たチューリップのことを思いだしているのではないでしょうか。そのチューリップを見た時よりも現在の方がよほど弱っている啄木なのではないでしょうか。そして、無性に過去に見たチューリップの花が思い出されてならないのではないでしょうか。あるいは、もう一度あのチューリップを見たいものだと思っているのかも知れません。それほど現在の啄木は衰弱しているのかもしれません。
2024.08.22
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8月22日(木)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(7)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(5)歌の素材…どうでもことの大切さ(5) 歌は感動を歌うものであるということは、歌の大切な真理でしょう。しかし、大事なことだけを歌うのが、必ずしも歌ではないでしょう。「どうでもいいこと」が、人の生死や、命をかけた恋を歌うような劇的な場面と同じように、あるいはそれ以上に、強いインパクトをもたらす場合もあるということは、もう一度ふりかえってもよいかもしれません。 (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(10)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(1)終戦以後の一年、はたして短歌の世界に何らかの新しい動きがあったでしょうか。吾々はとかく早急に問題を見つけ出し、結論をさがし出そうとします。民族の文学である短歌は、民族の悲劇の今の現実を如何に把握し如何に表現し得たでしょうか。この盛んな短歌雑誌の新発足乃至復刊はそれ自身内に已むに已まれない何らかの意味を持ったものでしょうか。更に、過去一年に提出されたおびただしい歌論等は如何。「歌壇民主主義建設論」(尾山篤二郎、「短歌研究」四月号)等ととなえられながら果たして歌壇の所謂元老制度が崩れ新人が進出してきたでしょうか。「人々よ本音で歌はう」(坪野哲久、同上)とさけばれながら、一体俺の歌はあれは本音ではなかったのかしらと気がついた歌人があったのでしょうか。或いは「封建制打破」と云い(敗戦と短歌、同上座談会)或いは何々と言う、はては斉藤瀏の如きが民主主義を一席やり出す時代であって見れば、一体この騒然たる歌壇の声をどのように考えればよいのでしょうか。かうした言はば旧き衣を脱がそうとするが如き歌論の裏に、一体短歌は、一体短歌は如何に変貌しつつあるのでしょうか。 (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(65)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(168)けふがはじまる(2005)(1)パソコンの机に下に居場所得て柱時計が十二時を打つ狩野川の橋渡りゐて雨に遭ふどつちの岸に近いだらうかふあふあふあたんぽぽの絮漂へり幼きわれにまつはりながら一日は捨てむと決めてひろげたる母の単衣に薫る「誰が袖」 (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木)短歌集(119)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(17)散り来つる畳のうへの枯葉にて或る時は火箸ひばしもてはさみけりみづからの意志にあらぬを爪つめのびて汚きたなしと歎き憤いきどほりゐぬ隕石ゐんせきの飛ぶ夜もわれに夢あらず窓の扉とおろすガラスはうすきふるさとに産失さんうしなへる父を迎へ不忍池しのばずの蓮はちす見みをりし昔両りやうの手をひろげて何をかわが求む両の手の間あひの空むなしきふかさ (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木) 昭和萬葉集(巻十三)(240)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(79) 仕事の歌(41)仕事の歌(2)在賀彦一二十年石を切りきて鎚握る形に曲りし指に箸持つ千頭 泰蒲公英たんぽぽの穂絮ほわた飛び来て仕事場にかそかな種子の重みにて立つ人見 忠開かれしハッチにあふれんばかりなる粗糖一万瓲の荷揚始まる次々と粗糖を積みしトラックが這入り来るなり響きを伝ふ梅雨どきの倉庫は蜜のにほひして溶けし粗糖に靴をばとらる (つづく)
2024.08.22
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後藤瑞義 入選歌(よみうり文芸) 低空に獲物しとめて翻りつばめは急ぎ巣へと戻るや 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 八月二十一日 入選 花山多佳子 選)
2024.08.21
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8月21日(水)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(6)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(4)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(4)らーめんに矩形くけいの海苔が一つ載りて関東平野冬に入りたり 高野公彦『天泣てんきふ』 格調の高い歌を作る高野公彦氏のこの一首に、私はとてもうれしかった。ラーメンの上の「矩形の海苔」、詩にならないようなものが歌われている驚き、その小さな矩形から、「関東平野冬に入りたり」という大きな景への連想、詩人の感性のメカニズムがおもしろいと思った。 逆説的に言えば、歌は人が気が付かないような「どうでもいい」ことに気付くかどうか、これが大切だと思うのです。 (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(9)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「福田みゑの歌」(3)(1946・7)やせ細る体真直に芝生よぎり歩み来し姿まなかひに見ゆ細々と稲葉のつゆは早くおき竹の葉の露は昏れてよりおく夕ぐれと蒼みくる時に羽ばたきぬ山鳩はなほ棟に籠りてこうした歌に、僕はもはや清さだとか慎ましさだとは言い切れない一種のくぐもりを内に孕んで居るのを感じます。之は漠然と吾々のきめてかかった福田みゑの世界ではありません。淡々しさだとか清しさだとか、少なくとも今迄彼女が信じて歩いて居た道とは見当ちがいな草深い路なのです。だが福田みゑの生涯は之で終って居ます。この事は彼女の早い死と其の生涯の意味ではありません。たとえあと幾十年生きたにしろこの人は多くの作歌者がそうであったような安全な完成への道を結局においてつつましく内股に歩きつづけて行った人でしょう。こうして僕は又いつものようないら立たしい疑問の網目に脚をとられようとします。つまり何が本当の文学であり短歌でしょうか。しかも僕の覚悟は何故例えば福田みゑ等の歩いた道を一断にして斯くかくと言い切り得ないのでしょうか。僕の批評はだんだん関係の無い事に外れて行くのです。(1946・7) (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(64)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(167)肩から肩へ(2004)(4)ジャンプ傘ばしつと開き土砂降りを出で来ぬうしろはもう振り向かぬ「湖にぽつかり月が出ましたら……」あなたに会へる必ず会へる初恋のひとも夫も逝きし世に宙ぶらりんの私である隠しごと打ちあけられて気の重し闇の中より柊匂ふ (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水)短歌集(387)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(16)われ千秋楽の舞台にあれど心には今年ことしをはりの紅葉こうえふが散る琅玕らうかんのみちに霰あられのたばしればわれ途とまどひて拾はむとせり鴉からすらのわたりゆくとき青きかな水の上四五寸のびし蒲かまの芽この秋は藍あゐに身の細る思ひしてむかしびとをば仰ぎてゐたり切り炭の切りぐちきよく美しく火となりし時に恍惚くわうこつとせり (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水) 昭和萬葉集(巻十三)(236)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(74) 仕事の歌(36)仕事の歌(2)田所妙子氷片のふれあふグラス運び来て客らの愛語聞かぬ振りせり竹内銈三ほそぼそと父より継ぎし呉服屋にすがる思ひは老いづきて強し今井嘉明四十時間を越えむとしつつ真空の如き感じに服縫いつづく寺井民子ひとの服を縫ひて過ぎゆく日々の日記縫ひたる服の型を描き置く吉積多美十二色の杼ひを使ひ織るバラの図柄花三つ織りて夕べとなりぬ(つづく)
2024.08.21
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8月20日(火)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(5)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(3)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(3)当たり前のことを、ことさらまじめに表現することによって出て来るおかしさに意識的に取り組んでいる歌人がいます。ラッシュアワー終りし駅のホームにて黄なる丸薬踏まれずにある 奥村晃作『三さん齢れい幼虫ようちゅう』ラッシュアワーがようやく終り、静かさをとりもどしたホームに、黄色い小さな丸薬が落ちています。凄まじい雑踏の、何万もの足に踏まれることなく残ったもの、作者はいたくまじめに感心しています。そこはかとなくおかしく、少し悲しい大都会の生理をかすかに感じさせます。 (つづく)
2024.08.20
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8月20日(火)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(8)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「福田みゑの歌」(2)(1946・7)夕餉の膳に向へるわれに妹はから元気出してゐるのかと問へり夕ぐるる野路の枯芝赤ければ去年のおもひのよみがへりくもきりぎしに淡々として咲き垂るる白き花を何かと思ひき昭和十四年の歌です。発想の手法に四囲の影響があるにしろ、何かをさらけ出そうとした作者の覚悟があり、つづまりは深く根ざした自己の「慎ましさ」への、思えば之は弱々しい一つの抗議であったかも知れません。かく考えつつ歌集を繰って行けば昭和十五年十六年に次の如き作を見出します。やせ細る体真直に芝生よぎり歩み来し姿まなかひに見ゆ細々と稲葉のつゆは早くおき竹の葉の露は昏れてよりおく夕ぐれと蒼みくる時に羽ばたきぬ山鳩はなほ棟に籠りて (つづく)
2024.08.20
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8月20日(火)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(63)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(16)肩から肩へ(2004)(3)はみ出してはみ出したくてひらく百合こらへきれずに花瓶倒しぬ咲きさかるグラジオラスの反るみればむかしタンゴに夢中でありきそこに本があるから読めるといふわけにはゆかず緑雨に思案してをり廃品といづれはならむ全集のトーマス・マンから読み始めたり (つづく)
2024.08.20
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8月20日(火)短歌集(373)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(15)死にぎははかくあるべしと氷ひ雲ぐも照る冬空の虹にじに眼めを細めたりいねながらわが悲しけれわがからだかかる形のほかに眠らじさまざまのよき死にをして終りたる昔びと思へみな凄すさまじきもみぢ散る苑そのの芝生しばふにわが舞へば緋ひ衣ごろもの今は紅葉もみぢより苦し (つづく)
2024.08.20
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8月20日(火)昭和萬葉集(巻十三)(235)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(73)仕事の歌(35)仕事の歌(4)牧野末蔵わが床屋みせの鏡に冬海映りいて海に向く家貧しく並ぶ長田あいゆ幾人かの髪を洗ひてほとびたる吾が指にいたくパーマネント液沁む渡辺れつ国栖くずに生おひ紙すきて果てし親のごと簀子すのこゆりをり腕あらはに桜庭誠四郎池田ケネディ会ふとふ今日を空梅雨からつゆの熱気ほてりに汗し下駄緒すげをり奥田茉莉黒いストール巻きて墓場をよぎり来ぬ薄明の階に燈す酒場バアまで (つづく)
2024.08.20
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8月19日(月)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(4)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(2)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(2)連結れんけつをはなれし貨車くわしやがやすやすと走りつつ行く線路の上を 佐藤佐太郎『歩道』どこか夕刻の雰囲気が感じられる歌です。そのしずかに走っていく貨車を焦点とした夕景の寂しさが感じられます。結句「走りつつ行く線路の上を」の「線路の上を」をわざわざ言っていますが、それによって時間を感じさせ、しみじみとした寂寥感をもたらしていることは確かです。まさに、「言っても言わなくてもいいようなことを言うのも詩の表現」の実例です。また、もっといえば、寂寥感だけでなく、ふっと笑ってしまう微妙なおかしさがあると思います。 (つづく)いい
2024.08.19
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8月19日(月)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(8)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「福田みゑの歌」(2)(1946・7)僕の漠然と抱いて居た福田みゑへの概念も此の種類に他ならず、改めて数回歌集を読み返した後の感想も結局根本的にこの先入観を覆す程のものではありませんでした。所詮は茂吉氏とか文明氏とかの巨大な文学の波にかそかな共振を受けた、才乏しいつつましい一女性の魂の一つの場合に過ぎないのでしょう。そうして其の限りに於いて清し慎ましと言い独自の境地に達したと言う土屋先生の序文中の評言は深くいたわった最終の言葉ででもありましょう。唯、言わば受動的に作歌への方向を与えられ、言われたままの写生道を歩いた一茎の雑草の開花の如く慎ましい地味な福田みゑの歌の或る時期に、何か内に耐えがたいものを持てあます如く、自らの力で何かを開放しようとした一つの季節があった事を興味深く感じます。官能の開放と言えばこの人にあまりにそぐわないでしょう。僕は感性の開放と言うことばを此処で用いましょう。夕餉の膳に向へるわれに妹はから元気出してゐるのかと問へり夕ぐるる野路の枯芝赤ければ去年のおもひのよみがへりくもきりぎしに淡々として咲き垂るる白き花を何かと思ひき (つづく)
2024.08.19
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8月19日(月)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(62)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(15)肩から肩へ(2004)(2)「暗い日曜日」うたふダミアの低きこゑ隣の席に君は来ざりき中辛の鮭の切り身をつつきつつもう引き算は考へまいぞ満員の電車の中で堪へゐる笑ひは隣の肩から肩へマンネリズムを脱けねばふやけてしまひさう一駅手前で降りて歩かう
2024.08.19
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8月19日(月)短歌集(353)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(14)澄みわたる天(そら)のかなたに遠のけばなみだ垂(た)りつつきかむそのこゑ川かみを遠見さけたりたかだかと水は天よりおし来るごとくとぶ鳥もけもののごとく草潜(くぐ)りはしるときあり春のをはりはいつしかに天(あま)のはら冷えてをりをりはわれにかなしき鳥かげわわたる (以上『積日』より) (つづく)
2024.08.19
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8月19日(月)昭和萬葉集(巻十三)(235)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(72)仕事の歌(34)商いの歌(4)田中辰郎見切らねばならぬ子供服など積みあげて思う今年の税金の額足袋一足盗まれし油断を悔いとして乱れし売台の肌着積み替う鈴木貫一少人数の店にてあれば昇給の話も出でず使はれてをり山路竹生店しめて小銭数へしあとにして今日のおごりと梨一つ剥(む)く野口作弥流通革命はすでに現実のすがたにて小さき店守る吾は病みつつ (つづく)
2024.08.19
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8月18日(日)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(3)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(1)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(1)深い感動を呼ぶことを短歌にすることは当然のことです。しかし、それだけが歌でしょうか。深い感動を呼ぶ短歌はやはりパターン化しがちです。歌らしい歌になりがちです。悪く言えば浪花節的な場面、歌になりやすいのです。 もっと日常のなんでもない事物、なんでもない風景をおもしろがる、人が気がつかないようなさりげないモノをおもしろがってみるのです。 佐藤佐太郎の言葉:詩の表現は大切なものだけをいうのだが、言ってもいわなくてもいいようなことを言うのも詩のひょうげんである。 佐藤佐太郎『作歌の足跡』 (つづく)
2024.08.18
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8月18日(日)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(7)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「福田みゑの歌」(1)(1946・7)忍耐強く見て行けば無論夫々の性格なり心情なりに由来する無限の様相と色彩とが有り得るにしろ、大雑把に言って飛びぬけた才能がなく歌の世界に這入って来た人々の作品と言うものは大概似たような世界を似たような技巧で出入りしています。言わば誰かが何処かで作ったような、「歌らしい」世界を、其の人は其の人なりの貧しい精一杯の力量で自分の詩帳に写し取って居る、と言えましょう。彼等は既製の蒼白の世界を唯一の歌の世界と思い込み、教えられた見方を唯一の手がかりとして、其の世界に参入し此所に法悦を見出すことを一生の念願として疑わない、幸せとも言えよう、貧しい一作歌者としての生涯を送るのです。(つづく)
2024.08.18
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8月18日(日)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(61)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(14)肩から肩へ(2004)(1)平均寿命延びたからとてよろこべず消費エネルギーに換算されてたぶの樹に朽ちてかかれる木の梯子還り来ぬひと待ち続けをり真昼間のローカル電車快眠を載せてふはふは雲の上までハヒフヘホと笑つてごらん膝小僧すりむいたぐらゐに思へてくるから (つづく)
2024.08.18
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8月18日(日)短歌集(371)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(13)とどろきて汽車鉄橋を過ぎゐればその深き谿たにに咲く花も見ぬわが汽車に添そひて久しき但馬たじまなる朝来あさごの川に降る春の雨北ぐにの海に入らむとする川のたゆたふ水に雨さむく降るやまがはの崖がけのこの面もに咲きなびき幾いくくだりなる藤ふぢのむらさきかりがねのこゑきくときぞ白菜の玉むすぶ畑はたになみだ落としつ (つづく)
2024.08.18
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8月18日(日) 昭和萬葉集(巻十三)(237)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(75) 仕事の歌(37)商いの歌(3)桜庭誠四郎すすめらるるままに仕入れし<性生活の智恵>我が店のベストセラーズ思わざるテレビ普及に暇多き貸本屋我テレビ見ており長山不美男闘争の激しき街の片隅にわれら暮せり絵本を売りて安原三恵子症状をきくに癌らし乞はるれば癌には効かねどその薬売る南村弥平薬草屋われは悲しもひからびし草の根商ひてその花知らず (つづく)
2024.08.18
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8月17日(土)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(2)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日はじめに(2) 本書は、実際に歌を作る時の手法や技法にこだわります。そこから短歌の本質も見えて来ます。そのようなことを、一緒に考えて見たいのです。ですから、本書は何年か実際に短歌を作ったことのある人に本当に実感として分かっていただけることと思います。初心者の人は、実際に短歌を作って、何年か経って読んでいただけたら、色々お気づきのこと、納得いただけることがあるでしょう。 最後に、もっとも大切なことは、ただ読むだけではなく、短歌を作り続けることだということです。そんな作歌の継続に本書が少しでも役に立てばこんなにうれしいことはありません。 (つづく)
2024.08.17
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8月17日(土)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(7)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「幇間の如く成る場合」(3)(1946・4)賀茂真淵の歌に、下野や神の鎮めし二荒山二度とだに御世は動かじ… …土屋先生の作に次のような歌があります。 歌よみが幇間の如く成る場合場合を思ひみながらしばらく休む 之を先生には失礼して都合よく私流に解釈しながら、取って以って題目としました。歌よみは素朴であり善意であったかも知れません。しかし其の限り於いて歌人群の過去の態度が無知にも時代の幇間でなかったとどうして言えましょう。善意と言えば幇間でさえ自分の生き方には善意であり、其の故に幇間性の卑小さは少しも減じません。吾々は今日民主主義の日本に生き残りました。吾々歌よみも一応の言論の自由を得て、幾分まぶしそうにこの明るさの中に出ました。短歌雑誌の氾濫と共に、少したより無いながら再び文運は栄えようとします。歌よみがよほど頑迷でないかぎり、ようやく来た時代の明るさに救いを感じたでしょう。或る者は過去を忘れたように、在る者は過去をとりもどしたように自由の世をたたえます。こうして歌壇は再び善意に満ちた肯定にあふれます。しかし、この善意が、過去十年の彼等の生き方の裏返しの善意でなければ幸いです。朗らかにたたいている太鼓が、やはり昔と同じ太鼓であるとしたら吾々は歴史に対して限り無く同じ悔いを繰り返す事になるでしょう。歌人らは今日の自由を、再び市民の卑小さをもって、あけっぱなしに受け入れようとして居るのではないでしょうか。歌よみは安直に再び時代の幇間となろうとして居るのではないでしょうか。結論へ私の文章は飛躍する。何故なら之はささやかな歌論であるからです。歌人は卑小な身辺の智慧より、智慧の世界性へと出でなければならない。之迄吾々はあまりにも世界の田舎者に安んじて居ました。たが、あゝ吾々は皆なんとのどかな顔つきをして居るのでしょうか。(1946・4)
2024.08.17
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8月17日(土)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(60)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(13)蒲公英の綿毛(2002~2003)(3)わが眠りを誘ふわれの子守歌遠き海鳴り片耳に響るけふ初めてパパと言ひたり繰り返し言はせて息子は上機嫌なり月面の兎老いたり餅を搗く姿さだかに見えなくなりぬ父の呉れし大輪の菊歳月は小菊に戻し庭に植えゆく夫が逝き庭の欅を伐りたれば仰ぎ見るもの我にはあらず(つづく)
2024.08.17
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8月17日(土)短歌集(114)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(12)春はる鳥とりはまばゆきばかり鳴きをれどわれの悲しみは混沌こんとんとして梁はりはしる親子ねずみを見たりけり鼠ねずみといへど親子づれはよき六十八歳にならし給へるわが母は何を思ひてか眉まゆも落おとしぬあかときと早や鴉からす鳴なくこゑすれど同じ方向むき行くものにもあらず (以上『紅梅』より) (つづく)
2024.08.17
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8月17日(土) 昭和萬葉集(巻十三)(235)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(74) 仕事の歌(36)商いの歌(2)江波戸醇一駅前の暑き舗道の戸板の上這ひいだす蝦蛄しゃこをよせながら売る赤根谷善治闇屋のときは警察丸太担ぎのとき搾取いま行商のとき物価値上憎しむ馘首され苦しみし十一年いま首に手拭ボロの身につく肴さかな行商小林としゑ京染の見本背負ひて日ざかりの蝉しぐれする街の裏ゆく大野一郎一日の売上げ数へかなしみて飲み喜びて飲み十五年経ぬ (つづく)
2024.08.17
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8月16日(金)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(1)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日はじめに(1)わたしがこだわったのは、あくまで作歌という(現場)の実感でした。過去をふりかえって、ちょっとしたヒントによって、作歌はぐんと上達することを感じました。つまり、長いこと歌をやってきた先輩のちょっとしたヒントが、気づかずに陥ったスランプから引き上げてくれる力になるのです。 この本は、短歌のハウツーものではなく、あくまでも作歌のヒントです。ちょっとしたことで足踏みをしている人の背中をそっと押してみたい、そんな本です。 (つづく)
2024.08.16
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8月15日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(5)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「幇間の如く成る場合」(2)(1946・4)賀茂真淵の歌に、下野や神の鎮めし二荒山二度とだに御世は動かじ… …この数年の作を抹殺したいと思う。歌よみにかぎらずこの悔いはたれしも大なり小なりいだくでしょう。だが其れが、若し敗戦の現実だからと言う理由のみなら、唯己れより他への理由であって、己れへの内への深い反省ではないでしょう。問題は左様に簡単ではないのです。何か。それは彼の「御世は動かじ」の是非ない卑小さ、市民的善意の卑小さであり、早くも時代の往き過ぎに批判されようとする吾々歌人群の知性の卑小さなのです。軍の暴政を怒り、故無き戦いを憂い、しかもつづまりは日々の小生活に安堵し、其の限りでの智慧を出づる事なく、一喜一憂、智慧の世界性に出でようとした事のなかった、歌人群の救いがたい市民根性の故であるのです。代用品の鉄兜をかぶり、バケツリレーの尻に加わり、しかも結局己れを大してみじめと感じなかった歌人らの、彼の生活日常吟をも一度見るがよいでしょう。私は印刷所の活字のなくなる迄卑小さという文字をくりかえしてもあき足りません。だがもう過ぎた事を言うのは止めましょう。私は過去の反省を其の儘将来へ反転させようとするあり来りの論法を綴るために、少しくどくどと書き過ぎました。 (つづく)
2024.08.16
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8月16日(金)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(59)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(12)蒲公英の綿毛(2002~2003)(2)クレンジングクリーム、はみがき、マヨネーズ絞れるものは何でも絞る現在をうつすデジタル時計の仄明かり目をこらしても未来が見えぬときを打つ前にかすかにきゆるきゆると軋めり時計も苦しみゐむか三椏の花褪せてをりオールナイトのパーティ果てて帰る道の辺ひと月を通ひつづけし歯科医師の顔を見ぬまま治療終はりぬ (つづく)
2024.08.16
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8月16日(金)短歌集(382)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(11)白砂にまぎれもあらぬ露つゆ霜じものあなしげきよと言ひて膝ひざつく用のなき歌をつくりて男をざかりもいつか過ぎむと歎きはふかしひとむらの雲夕やけて流らへるましたにありとわれも歩けり大海の波を思へやその浪の一つ大きさもはかり知られず高山たかやまの岩間いはまにありし真ま清水しみづのいかが照るやと月の夜ごろは (以上「寒夢抄」より) (つづく)
2024.08.16
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8月16日(金) 昭和萬葉集(巻十三)(231)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(69) 仕事の歌(31)商いの歌(1)阿井芳子わが店の水菜の山に水注ぐ明るき日射しのせて風軽し寒き日は売れぬ菠薐草ほうれんそう萎びつつ水打ちては幾日ただ並べ替う淡き思いに伴われし日を夢として雪降る夕を野菜運びゆく溝上桓子店の棚にひと日をありて早や饐すえし苺を月の夜捨てに行く横田専一燈を消して店をしまえり磐台に一やまの貝が息をするおと(つづく)
2024.08.16
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8月15日(水)島木赤彦「歌道小見」(抜粋:後藤)(49)島木赤彦著 岩波文庫よりの抜粋(後藤)(な)連作(5)子規氏の連作の一例を掲げますので参考にしてください。これは、明治三十四年、子規病臥晩年の作です。しひて筆を取りて佐保(さほ)姫(ひめ)の別れかなしも来(こ)む春にふたたび逢(あ)はむ我ならなくにいちはつの花咲き出でて我が目には今年ばかりの春ゆかむとす病む我を慰めがほにひらきたる牡丹(ぼたん)の花を見れば悲しも世の中は常なきものとわが愛(め)づる山吹(やまぶき)の花ちりにけるかもわかれゆく春のかたみと藤波のはなの長房絵にかけるかも夕顔(ゆうがほ)の棚(たな)つくらむとおもへども秋まちがてぬわがいのちかもくれなゐの薔薇(うばら)ふふみぬわが病(やまひ)いやまさるべき時のしるしに薩摩(さつま)下駄(げた)足にとりはき杖(つゑ)つきて萩(はぎ)の芽つみしむかしおもほゆ若松の芽だちのみどり長き日を夕かたまけて熱いでにけりいたづきの癒(い)ゆる日知らにさ庭べに秋草花の種子(たね)を蒔(ま)かしむ 心弱くとこそ人の見るらめ。 (大正十三年三月) (完結とさせていただきます)
2024.08.15
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8月15日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(5)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「幇間の如く成る場合」(2)(1946・4)賀茂真淵の歌に、下野や神の鎮めし二荒山二度とだに御世は動かじ… …この数年の作を抹殺したいと思う。歌よみにかぎらずこの悔いはたれしも大なり小なりいだくでしょう。だが其れが、若し敗戦の現実だからと言う理由のみなら、唯己れより他への理由であって、己れへの内への深い反省ではないでしょう。問題は左様に簡単ではないのです。何か。それは彼の「御世は動かじ」の是非ない卑小さ、市民的善意の卑小さであり、早くも時代の往き過ぎに批判されようとする吾々歌人群の知性の卑小さなのです。軍の暴政を怒り、故無き戦いを憂い、しかもつづまりは日々の小生活に安堵し、其の限りでの智慧を出づる事なく、一喜一憂、智慧の世界性に出でようとした事のなかった、歌人群の救いがたい市民根性の故であるのです。代用品の鉄兜をかぶり、バケツリレーの尻に加わり、しかも結局己れを大してみじめと感じなかった歌人らの、彼の生活日常吟をも一度見るがよいでしょう。私は印刷所の活字のなくなる迄卑小さという文字をくりかえしてもあき足りません。だがもう過ぎた事を言うのは止めましょう。私は過去の反省を其の儘将来へ反転させようとするあり来りの論法を綴るために、少しくどくどと書き過ぎました。 (つづく)
2024.08.15
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8月15日(木)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(58)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(11)蒲公英の綿毛(2002~2003)(1)しばしばも夢にあらはるる人のゐてやむにやまれぬ事情あるべし気が付けば追はれる夢を見てゐないそれもなんだかすこしさびしい散るもよし惚けるもよし つはぶきの花はいつまで咲いてゐるのか蒲公英の綿毛のやうにふはふはと夢見る老女となるもよきかな忘れ物してきたやうに不安なりさくらさくらに浮かれてゐても (つづく)
2024.08.15
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8月15日(木)短歌集(368)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(10)草なかを分けゆきにけり草中の昼ひるの月ばかり白きものはなきこころざし低からねども或る日には雲の下ゆく雲が苦しもわれは明治jの少年なりし枕まくらべの豆ランプの燈ひひとつ恋しも年越えてのこる薄すすきのかたはらにただ在りぬ白き石とわれと (以上『天平雲』より) (つづく)
2024.08.15
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8月15日(木)昭和萬葉集(巻十三)(230)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(68)仕事の歌(30)記者(1)河村盛明地方よりの小さき記事のみ扱ひて過ぎてゆくいま十九日午前零時藤田義海新聞が殺したと叱責しっせきの電話きびし編集者我にも言ひたきことあれど事件に麻痺しゆく感覚おぼめきて大刷おおずりを手に睡りゐしはや加藤信夫襖越し「われわれ」連発われわれも何とかせねばならぬ時来し狭山 麓二十五年地方記者にて吾はありしペンだこに思ふあはれ過ぎし日 (つづく)
2024.08.15
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後藤瑞義入選歌(よみうり文芸) トンネルの多い伊豆急電鉄の窓より凪の海が広がる 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 よみうり文芸 八月十四日 入選 花山多佳子 選)
2024.08.14
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