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8月30日( 金)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(74)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(25)ひと恋しかり(2007)(4)記憶力判断力を少しづつ神に返して晴ればれと秋すんすんんと稚わかき桜が伸びてゆく成長痛なきかと瘤をさすりぬゆふさればわれは野の草穂の先にきのふとちがふ風とらへたり二十代に読みし『魔の山』の主人公ハンスの思想いまに新し度の強き老眼鏡に掛け替へて『魔の山』七章読み了せたり (つづく)
2024.08.30
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8月30日(金)短歌集(383)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版柴生田 稔(5)限りなき水のたぎちの音きけばただたのめなき思ひなるかな水のごと沁むか なしみに堪へぬれば桜散る園にまた出でて来ぬ春あらし吹きさわだてるあしたより蕾つぼみほぐるる木蓮もくれんの花一人ひとりこそ安らかなれとわが言ひしこと夜中となりて妻は言ひ出づ いたく静かに兵へい載せし汽車は過ぎ行けりこの思ひわが何と言はむかも (つづく)
2024.08.30
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8月30日(金)昭和萬葉集(巻十三)(245)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(83)仕事の歌(45)闘争(1)加藤信夫抽象画に似しデモの渦たまたまに屋上にゐて見下ろししかば大川益良抗議スト支援の列のなかにゐて吾が呼び声はすこし震へぬ島 ふさ子切手売の手のろき局員が闘争の鉢巻しめて悠悠とゐる篠崎茂雄我等みな小使室に待機して闘争指令の電話をば待つ (つづく)
2024.08.30
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8月29日(木)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(14)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(12)発見の条件…常識を捨てよ(3)佐佐木幸綱の言葉:詩の基本は発見です。短歌はもちろん、発見が大切な勝負どころなのです。その、大切な発見の第一歩は、まず常識を疑ってみるところからはじまるようです。常識を捨てて、発見せよ。『短歌に親しむ』(NHK出版) わたしが、つけ加えるならば、発見は、目にした発見ではないのです。常識を離れてものを見ることのできる「自分の発見」「私の再発見」なのです。これが作歌において発見のもっとも大切なところだと思っています。これまで気づくことのできなかった新しい<私>に出会える。表現を志すものにとって、これほどの喜びがあるでしょうか。 (つづく)
2024.08.29
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8月29日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(17)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(8)僕の結論を早く言えば、かうした永い作歌生活に疲れきった既成歌人はそっとそのままにしておいて、新人よ出よと言う、又之も言い古るされた結論になってしまいます。茂吉、白秋、啄木等の輩出したころの歌壇には一種新鮮な魅力がありました。しかし今日の澱んだ歌壇に石を投じたところで、其の場かぎりの波紋以外には何も期し得ません。もっととらはれないフランクな立場から歌を考えましょう。さうして少なくとも歌壇以外に愛好される、もっと問題を把えた歌を作りましょう。いかにも今日生きて居る人間らしく、今日の現実に身をもって対し、思考し、生活し、其のぎりぎりのものを端的に把握しましょう。出来た歌はもっと生々しく肉体の声である事にしましょう。対象の核心に入り大胆に虎児をとらえましょう。とらえた対象を、新鮮に驚き、詠嘆し愛惜しましょう。 (つづく)
2024.08.29
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8月29日(木)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(72)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(23)ひと恋しかり(2007)(2)野は五月讃岐国分寺金堂の礎石を吹ける天平の風息を止め渡る吊り橋かづら橋涅槃西風吹き上げてくる開き直り生きるほかなしからからと空を仰ぎて喉をすすぎぬ散りそびれたる一輪の紅梅に陽は照り無性にひと恋しかり (つづく)
2024.08.29
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8月29日(木)短歌集(363)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版柴生田 稔(4)国こぞり力のもとに靡なびくとは過ぎし歴史のことにはあらず時すぎて人は説かむか昭和の代よのインテリゲンチャといふ問題もかにかくに楽しかりけりあかあかと瓦斯がす燃もえて君も友も集つどひぬ帯の高さ気にして兄に問ふ汝なれは恋ふべき母の記憶を持たずしらじらと峡はざまは咲けるさびしきに昨日きのふも今日けふもわれは向ひぬ (つづく)
2024.08.29
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8月29日(木)昭和萬葉集(巻十三)(245)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(82)はたらく人々(6)団交・組合(3)飯田久夫共通の場を得られざる苦しみを各自に抱き職場会は果つ同僚ともの語る組合理論に懐疑持ち幾たびもくぐる夜に屋台を北田寛二代議員めらまた裏切ると声荒く立ちゆく三井美唄びばいの君ら雨つのる夜の部屋に電話ベルひびき拒否派代議員のくずれゆく数 (つづく)
2024.08.29
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8月28日(水)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(13)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(11)発見の条件…常識を捨てよ(2)秋深し菊人形の若武者の横笛いずれも唇に届かぬ菊人形はよく詠われる素材です。「菊人魚の若武者の横笛」を見たら、誰でも若武者は笛を吹いていると見るでしょう。たとえ唇から離れていても、笛を吹いているという<型>として、吹いていると見るでしょう。歌を作るのに大事なことは、ものごとを<型>として見ないことです。つまり、常識でものを見ないことにあるのです。 (つづく)
2024.08.28
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8月28日(水)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(16)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(7)では何故面白くないのでしょうか。僕は前記の歌が代表する現歌壇の大多数の歌を常に予想して論を進めます。第一に歌よみのいかにも稀薄な精神性の故です。吾々は歌人を隣組の常会の席上に見出して何等奇異を感じません。この市井の匂いこそ如何に短歌を毒してきたか(吾々は市井と民衆との語は峻別しなかればなりません)この事は前に論じた事のくりかえしです。第二に一列づらりと並んだ中途半端な写実主義です。たれか「アララギ」に異を立てなさい。こんな半端な写実主義より其の方がどれだけ清々しいかわかりません。所々焼焦げのあとを残したと言うのは吾々の云う写実では無いのです。「東京に焼け残るビル」があまたある事と吾々との目標は少し異います。第三に把握の弱さです。僕は之を写生として教えられて来ました。しかし今写生などと言い出すのは場違いかもしれません。だが、少くとももっと端的に対象のふところに飛び込めないものかと思います。以上の三つをつづめて言えば、今日の歌人は少し疲れて居るのではなかろうか、長い間の作歌生活に少し疲れて居るのではなかろうかと思います。表面如何に波立つたように見えようとも、底にある歌壇其のものは相変わらず戦前からの疲れ澱んだ歌人の世界ではないでしょうか。歌誌を発行し善男善女たる会員をあつめ、いつか小宗匠たるに諦めようとする人々の世界でなければ幸いです。もしそうであれば尾山篤二郎が如何に「歌壇民主主義建設論」などと音頭を取って見たところで、そんな疲れた歌人の間からあまり景気のよい反響も無いでしょう。 (つづく)
2024.08.28
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8月28日(水)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(71)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅳ 2007年~2009年(22)ひと恋しかり(2007)(1)かつを節削りか鰹削りかは知らねど芋はうまく煮えたりでんぐり返し見たいばかりに二時間余並んで「放浪記」のチケットを買ふ「莫大小メリヤス」の看板どこにも見当たらず東京両国ありふれた街生きてわれは長き戦後を歩むかな『幸福論』の行方知れず (つづく)
2024.08.28
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8月28日(水)短歌集(381)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版柴生田 稔(3)かくのごとく過ぎつつ人もすきまむはあひ抱いだくよりいやしかるべしひたすらに寄より来こし心たのしみて事なかりしと言へばたやすし何もかも受身うけみなりしと思ふとき机つくゑのまへに立ちあがりたりカーテンを引かざる窓のただ暗く寒さむ潮じほの音も今夜こよひきこえよ言挙ことあげをいやしとせりき尊とふときを言こと挙あげて今ぞほしいままなる (つづく)
2024.08.28
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8月28日(水) 昭和萬葉集(巻十三)(246)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(85) はたらく人々(5)団交・組合(2)松薗吉二分裂組合の幹部等が団交してゐる側を靴音鳴らし吾が通りゆく岩間三夫職階を下げられ働けり病みて骨を除りたる同僚は肩落ちて久保節男一主義なさむと思ひゐし時に議論は外それて会議終れり (つづく)
2024.08.28
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8月27日(火)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(12)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(10)発見の条件…常識を捨てよ(1) 短歌は、俳句に劣らず発見の詩型だと思います。ああ、こんな感じ方もあったのかと、ものの新しい見方、感じ方に驚くという場合に、強いインパクトがあるのではないでしょうか。茂吉像は眼鏡も青銅プロンズこめかみに溶接されて日溜まりのなか 吉川宏志『青蝉』 斎藤茂吉記念館(山形県)の木蔭に立つ青銅の茂吉像です。わたしも、茂吉の像が「眼鏡」をかけていたのは見て知っていました。しかしその眼鏡が「こめかみに溶接されて」いたことには、まったく気づきませんでした。眼鏡はかけるもの、耳にかけるものと思い込んでいましたので、眼鏡のつるがどうなっているのかなどと観察していませんでした。 (つづく)
2024.08.27
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8月27日(火)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(15)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(6)小説を作り、外国文学も少しは読んだような若い友人が、短歌を少しもおもしろがらない(そのくせ油絵を理解し音楽を理解して居ると言った)。こうした例をよく見ます。之は嘘です。読ませるだけの魅力の無い短歌は幾百作られようと、それだけの事で意味をもたないのです。この反対の例が斎藤茂吉の歌です。如何なる茂吉嫌いであろうと、非常に広い範囲に、歌壇とか文壇とか言ったまがきとは関係なく茂吉の愛好者が居ることはかくれも無い事実として認めなければなりません。本当の芸術とはかかるものです。之だけの魅力の無い歌が何になりましょう。この魅力と関係なく如何に音韻をととのえ字くばりを考えても何にもなりません。歌は読者を予想するものであり、従って読むに耐えるだけの面白さを考えて居なければなりません。僕がこんなわかりきったことを言い出したのはそれほど今日の歌が面白くもおかしくも無く、生活に疲れはてた中年男の表情のように、まるで魅力が無いからなのです。 (つづく)
2024.08.27
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8月27日(火)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(70)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(21)真つ赤なカンナ(2006)(4)ああ嫌だ言はねばよかつた段階の己の影をふみつつ下る拾はれていまは家猫十匹の食餌はわれのおかずよりよき擦り減つてしまつた大和魂をブッシュに売りて微笑んでゐるごめんねと青年医師はわが膝に注射を打ちぬそれでも痛い七十四年使ひ古した膝だからちつとやそつとで治りませんよ (つづく)
2024.08.27
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8月27日(火)短歌集(124)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版柴生田 稔(2)雲ひくき夜空よぞらあふぎて帰り来ぬ明日あすをし頼たのむ心湧わくかなコルセットしてをりと思ふおのづから舗道ほだうの角を今まがりつつこの夕べ二人ふたりあゆめば言ふことのただ素直なるをとめなりけり逢あひたくて出でて来つるをいつしかもはかなくなりてひとり歩めり身に沁しみてさびしき午後は川こえて煤すす降ふる街まちをおもひうかべつ (つづく)
2024.08.27
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8月27日(火) 昭和萬葉集(巻十三)(245)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(84) はたらく人々(4)団交・組合(1)野崎啓一つきあげられ時にたたかれて此の組織に支部長として一年過ぎたり木幡修造闘わんためにオルグに集いつつ悲しきまでに黙す仲間ら後藤左右吉剥がれかけし掲示の下をうつむきて来る友に会ふ彼は非組合員角田典子組合の議論分れつあいまいに起立せし悔ひよ同点となりて (つづく)
2024.08.27
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8月26日(月)短歌集(392)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版柴生田稔(1)おほかたのわが事こと過ぐと思はねどこころしづかに夜半よはありにけりあわただしく過ぎつつ楽しあかつきを覚さめてはかなきことありぬともわがいのちつひにつたなしと思ふにも今夜は何にやすらかならむ学生の時は過ぎつつわが知りし幾人いくたりの友も歌やめゆきぬ寂しづかなる光のくににわが母を想おもひしこともかつて無かりき (つづく)
2024.08.26
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8月26日(月)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(11)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(9)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(8)マンションの屋上にして金網のなかなる下着がおりおり光る 大島史洋『幽明ゆうめい』ポリ袋を両手にさげて来し人はごみ箱の錠をあけて収めぬ 同 いかにも貧しげに光る下着、それが屋上の金網の中に干されているという着眼がこの歌のポイントです。さえない光景ですが、わたしはこの歌に惹かれます。こんななんでもないところに着眼できる歌人の目に、親しみを感じます。誰もが目にしていて、誰もが歌うことすら気づかなかった素材こそが、歌のなかに座を占めた時、却って大きなインパクトを持ちます。 二首目も同じです。「ごみ箱の錠をあけて収めぬ」が唯一のリアリティーです。 小池光『日々の思い出』あとがき:より 「日々の思い出」で意識していたのは、たぶん、この「日付の写る写真」である。(中略)高級一眼レフで撮った芸術写真でない。この間<芸術写真>のはったりくさい感じがだんだんいやみに思われて来た。 小池が言う、芸術写真ではなく、普通のカメラで撮ったような事物・光景。人が気づかないような、なんでもない、どうでもよいモノに、もっと注意深い日をそそいでみたいものです。 (つづく)
2024.08.26
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8月26日(月)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(14)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(5)前大戦後敗戦の苦しみ、戦禍の悲惨を体験した欧州諸国から多くの芸術運動が起り、思想が生まれました。今にしてわれわれはその意味を理解します。吾々日本の現実はそれ以上のものでしょう。そして今後この現実の底から生まれて来る運動なり思潮なりは、前大戦の後に生まれたものよりもっと重々しい精神の重量を予想し得ます。しかも、今度は現実からは再び足をふみ外さないものでは無いかとも感じられるのです。いづれにしても、吾々の短歌形式ははたして此の重量に耐え得るでしょうか。幾度も引用して例にひいた人々には気の毒ですが、前述の例示の短歌の如きが、かかる精神重量にどうして耐え得ましょうか。三合配給すれば、さしあたり歌の材料も種切れになりそうな人の好い詠嘆が、斯うした現実と生活と思想とを如何に受け入れようとするのでしょうか。否、受け入れるのではないのです。作歌することこそ、今日の現実と其の奥のものに挑んで行く精神活動であり、短歌作品そのものこそ血にまみれた精神活動の記録であるべきなのです。僕の文章は美文調に流れかけようとします。しかし之だけの事を言はないと何も言わない事になってしまいます。更に元に帰りましょう。一体之等の歌が面白いでしょうか。お互い顔を知り合って居る同志、或いはエピゴーネンの盲目的感動以外に、何らかの感動を人々に与えるでしょうか。僕は手取りばやく之等の作品を名を伏せたまま、文壇、画壇、楽壇その他知識人百名ばかりに見せて、面白いか面白く無いかの返事をもらって統計をとって見るがいいと思います。否、もっと広い民衆の間に答えを求めるべきかも知れません。 (つづく)
2024.08.26
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8月26日(月)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(69)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(20)真つ赤なカンナ(2006)(3)八月の記憶の中に咲くカンナ赫赫として色衰へず勤労動員解かれたる日の女学生われら笑ひはじけて真夏「海行かば」覚えてゐるよとラバウルの老いは歌へり声はりあげてしやくりあげ泣いてばかりのあの頃は髪も心も真つすぐなりきさういへば結晶作用とふ語あり恋愛論を熱く語りき (つづく)
2024.08.26
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8月26日(月) 昭和萬葉集(巻十三)(241)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(79) はたらく人々(3)職場で(3)石田比呂志ゆるびたる椅子に背中を曲げて坐る馴らされてわが働く具体顔くらく伏せているなりいさぎよく卓打ちて立つ一人を待ちて働きて銭得ることに直接にて働きつつかつて思想に拠らず就労拒否の理由説明してゆくに次第にまずき云い方になる吉田正俊自由化に堪へ得るやなどと言ふ声も温室までは追ひて来らず (つづく)
2024.08.26
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8月25日(日)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(10)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(8)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(7)いつよりかあかりともざる冷蔵庫に指はさぐりぬ干いちじくを 花山多佳子『春はる疾風はやち』流しの下の扉あければゆつくりとずり落ちてくる夜の鍋 同一首目:冷蔵庫の電球が切れた、その暗い中に手を入れて、なにやら触れたものが「干しいちじく」であった。二首目:よく分かる、身におぼえのある光景、よく分るんですが、この歌のモチーフが何かと言われると、答えられない。滑り落ちてきたのが、鍋だった。歌は大事なことを歌にするという態度からは、百八十度切れた歌の作り方と言わざるを得ません。 (つづく)
2024.08.25
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8月25日(日)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(13)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(4)長々と引用しました。いづれも吾々の周囲の世界であり、とにかく身につまされる事ばかりです。そうして以上の人々が今日の歌壇において、まづ一通り名の通った作家であって見れば、かかる歌を代表的な例として今日短歌の敗戦一年後の展望を試みてもよいでしょう。だが一言にして言えば、どの歌も体に力がないような気がしないでしょうか。せい一杯の詠嘆がどうも飲食から来て居そうに思われるが如何でしょうか。之はあながちに食糧関係の歌を多く引用したからではなさそうです。東京の焼け残るビルを詠嘆した歌も、大賭博に驚いた歌も、更には省線に乗って足を踏まれる歌も、其の由って来たる所の詠嘆が、現実の肉体に力が乏しいことで体験する程度に終っていはしないでしょうか。省線に乗っていると時どきサラリーマンと人の好さそうな老紳士とが、「いや戦争はもうしたくないものですなあ。」と詠嘆し合って居ます。あの程度の詠嘆では無いでしょうか。生活を歌うのもよいでしょう。吾々の周囲より歌因を見出して来るのもよいでしょう。闇大根の買出しに出掛けることにしても無論一首のうちに充分に生き得ましょう。しかし歌人が市井に生きて居る事と、作品が市井の詠嘆を出ないこととは別です。前述の作品に一貫するものは何でしょうか。それはどれも之もあまりにもお人好しな歌よみの表情です。にくめない市井の人々の心情です。全体主義から民主主義の時代に変わっても、そのまま順応しつつ生きて行こうと言う、宿命的な歌よみの人の好さ、気の弱さ、更に言えば精神の希薄さです。思想とか精神とか言う言葉はあまり用いたくありません。しかしそれにしても彼等の思想のようなものを之等一連に見出し得ましょうか。生活の現実のぎりぎりの所から発光する精神の微光のようなものをこれらの作品に見出し得ましょうか。食を求め右往左往し、或いは敗戦の現実にめんくらって居る善人の心情以上に、何か一ヵ所でも精神の重量を感じとるでしょうか。(つづく)
2024.08.25
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8月25日(日)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(68)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(19)真つ赤なカンナ(2006)(2)動員の初日は毛織工場の余燼の中の焼け跡整理モノゲンを泡立てごしごし洗へども焼け焦げし羊毛の臭ひは消えず内幸町ビル一室にドラム缶風呂据ゑてあり交替で浴む三千円借りて立ち去る教へ子が角を曲がりてギブスをはづす半世紀まなこに焼き付き剥がれない終戦の日の真つ赤なカンナ (つづく)
2024.08.25
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8月25日(日)短歌集(378)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(20)暗黒に橫たはるとき音しぬれかくしあれども身に重さある不運なりし父の一生(ひとよ)をふと思ひ杉葉散りこむ厠(かはや)にて泣く夕焼のにじむ白壁に声絶えてほろびうせたるものの爪(つめ)あと生きてゐる証(あかし)にか不意にわが身体(からだ)割(さ)きて飛び出で暗く鳴きけり (以上『捜神』より) (つづく)
2024.08.25
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8月25日(日)昭和萬葉集(巻十三)(240)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(78)仕事の歌(40)仕事の歌(9)井深孝司事務的になりゆくことを恐れつつ滞納処分の書類綴りゆく武田弘之背後より常に見らるるわれを識り笑みたたへゐつ職場といふもの鶴谷豊次郎学歴なき者のゆきつく限界と言はれゐるらし今の吾が地位安藤泰子うどんかけ食べをり役付椅子の男たべ終るまでわれを待たせてリカ・キヨシ四〇時間制決まるというに九〇時間働きつづけ酒のみて終る関 正男夜業多き師走の月をよろこべる低所得者の楽しみ小さし (つづく)
2024.08.25
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8月24日(土)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(9)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(7)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(6)小池氏の『日々の思い出』あとがき:思い出に値するようなことは、なにもおこらなかった。なんの事件もなかった。というより、なにもおこらない、おこさないというところから作歌したともいえる。 「なにもおこらない」、しかも「(なにも)おこさない」ところから作歌したという、この部分がたいせつなところです。自分の擦過態度を振り返ってみれば、なにもないところに素材をもとめたり、感動を見いだしたりするなどということがいかにむずかしいか、ということは容易に理解できます。 なにか重大なことがあって作歌をする、たとえば身近な人が亡くなって、その悲しみを歌う。それはコトの大きさが歌を引き寄せてくれます。しかし、日常そんな大変な出来事がしょっちゅうあるわけではありません。それでも歌を作りたいと思うから、感動を探しに行く、劇的な場面を想像し、そして創造する…、そんな作歌の誘惑に、断然ノウを突きつけたのが小池光氏だったのです。 (つづく)
2024.08.24
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8月24日(土)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(12)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(3)ここに再発足の「覇王樹」があります。揉みぬかれ踏みたくられて乗る電車やるせなければある日はゆかず 臼井大翼味噌無し十日余りもあはれつけき汁を吸ひゐる家族らあはれ 松井如流立腐れの樹木の如く無感覚に若き者らの在るは許さじ 金子信三郎僕はことさらに一つの傾向の歌を抄出して居ます。何らかで今日の現実に触れたものを。更に新しく発足した雑誌の中で手もとにある「都麻手」七月号を見れば、馬鈴薯の花咲く丘を朝行きてわれの心に濁りあらすな 大橋松平蛙鳴くしづけき村に住みこらへ生き堪へゆかむいのちを思ふ 神原克重後者の歌は遺骨帰還の連作の一首である。更に視野を広くするために「短歌研究」七、八号の作品のはじめの方から読んで行こう。屋上の高きゆ見れば東京に焼け残るビルのなほあまた在り 岡野直七郎蓋あけて見れば驚く大賭博無知といはんかわれら国民 村野次郎何処よりか来り身にしむ豆を炒るにほひの中に心恥ずをり 中島哀浪疎開先における御生活の有様を細々と順氏が吾に聞かする 山下陸奥たたかひに敗れしもののみじめさをわれ今更に嘆きいはめや 片山広子うづたかく書はも積みて其がなかに念ひ足りゐし時早や過ぎつ 中村正爾一番終りに佐々木信綱の作もある。からうじて乗り得し貨車の一隅に身をよせてあふぐ春の夕雲之はさすが夕雲などを仰いで悠々とあせらない。 (つづく)
2024.08.24
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8月24日(土)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(67)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(18)真つ赤なカンナ(2006)(1)いつよりか守りにつきてゐることを不思議と思はずすごしてゐたり一生の今は尻尾のあたりにてせめて尻尾を立てて歩かう捨て難くゐしオルゴール鳴りながら持ち去られたり手負ひのやうに先代の遺影外せば支へゐし鴨居がほうと力を抜きぬはなつから解るはずなき唯物論背伸びしてゐたなああの頃は (つづく)
2024.08.24
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8月24日(土)短歌集(358)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(14)をりをりは首かしげ羽毛はねもつくろへり飛びて越えねばならぬ屋根あるうつけつつありしか秋の風寒く立ちあがるとき着物落ちたり浅き水にすすき風さとはしるさへ驚きやすく鹿しかの子のゐるこの真昼神われに助力するらしく庭の上の萩はぎひとりゆれうごく (つづく)
2024.08.24
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8月24日(土)昭和萬葉集(巻十三)(240)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(77)はたらく人々(1)職場で(1)鈴木増弘栄達の術のさまざま身近くに競ふを見つつ黙し来にける逸見喜久雄もの言はず仕事処理して昼となり許可ありて吾等は上着を脱ぐ人見 忠眩しさをすでに失くせし日輪を事務所の窓に我一人見る鈴井武治欠務者を出せば朝より滞貨してとげとげと皆ものを言ひあふ (つづく)
2024.08.24
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8月23日(金)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(8)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(6)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(5)午後二時となりしばかりに鹿の湯のえんとつよりはや煙はのぼる 小池 光『日々の思い出』ホームには大おほ燻いぶりせる灰皿のひとつがありてその風の下 同一首目、あれこれ深く探ろうとせず、ふと銭湯の煙突から煙が立ち上がるのが見えた。馴染みの「鹿の湯」がこんなに早くから湯を沸かしはじめるのがわかった。そんなくらいに受け止めるほうが、歌が自由にのびのびしているように思われます。 二首目も公害問題だとか、マナーの問題とか言わずに、ホームに「大燻りせる灰皿」があった、<ただそれだけのこと>として味わいたい歌です。そんな光景に出会った、そのことだけで一首を受け止めたいものです。小池氏の『日々の思い出』あとがき:思い出に値するようなことは、なにもおこらなかった。なんの事件もなかった。というより、なにもおこらない、おこさないというところから作歌したともいえる。 (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(11)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(2)例えば今手もとに「国民文学」の八月号があります。村松英一氏からはじまって菊池庫郎氏、谷鼑氏等々と、吾々が十年二十年なじんで来た人々の名前が並び作歌が並んで居ます。あらかじめ今日に備へて賢しきが米を食ふとよ世になき米を 村松英一所所焼焦のあとを残しつつここの生活もいたづらに過ぐ 菊池庫郎年ふけて耕すわれを去年まではゑがき見ざりきゆうべは思ふ 谷 鼑 なるほど之等は今日の時代の歌です。二合一勺で皆が生きて居る訳を考えれば、共産党ならずとも吾々はこのくらいの憤慨には共感するでしょう(それにしても賢しきとはいささか古風で困るけど)。又畳の焦げあとも之は一つの現実に相違ないでしょう。更に谷鼑氏の生活詠も、一応は万人に通ずる生活詠であろう。 次に同様に「水甕」八月号を見ましょう。財産の申告調べ細々と書きたる妻の吾にしも見よとしいだす説明を妻に聞きつつ思ひみる年のはるけさ…之は長歌で更に続くのですが煩を省くため途中で切りました。つまり財産申告の歌で、省略したところをつづめれば歌よみの常の貧を愧ずるところがあろうかと言えば妻もうなずくと言った一つの感慨です。又次に牧暁村氏の歌があります。老いづける気力悔しめかにかくに唐藷腹は減りの早きを臭みもつ代用食は団栗の粉ならむといふに話おちつく之もわかります。いや吾々歌人ならずとも唐藷腹の減りの早いのには同感しましょう。歴史の古いものばかりではありません。 (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(66)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(17)けふがはじまる(2005)(2)通過する皇后様を撮らむとし結局なにも見てゐなかつた夫婦喧嘩したことないと夫は言ふしたくも出来ぬ環境でした「おはやう」と夫の遺影に声かけてウインク送りけふがはじまる歯を削り脚には湿布し注射して薬貰つて半日が過ぐ槙、楓抜くやたちまち椋鳥の群れ重機避けつつ虫漁りゐる (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金)短歌集(376)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(18)桃もも咲きて屋根の反そり緩ゆるくなりぬれば鬼瓦おにがはらのなかもちちと鳴きつつこの朝け井戸の中より白きもの羽ばたきて飛び梅雨つゆも晴れたり鳥ふいに道の彼方かなたに飛び立てばそのところまで急ぎて来つるまぼろしはすみれいろにて夜を走る鼠ねずみの如く暗くなりたりわが内のまぼろしいまだ消けず死なず空をおりくる剽盗ひはぎの如き (つづく)
2024.08.23
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8月23日(金) 昭和萬葉集(巻十三)(241)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(80) 仕事の歌(42)仕事の歌(4)木下章雄パンのための労働と誰かいふ顔も言葉も職により変るゴーガンは中年より画家になりたりとわれは知りたし銀行員の頃のゴーガン銀行員になりきれぬ少しの部分ありてスペシャリストと今呼ばれゐる瀬下義友みるみるに株価下押す場内は潮のごとく静まりゆきぬ杉井武治一等米と決めし紙袋したいの一列に印押しゆく視線浴びつつ熊沢正一転職のきかぬ齢のポリスにて眼の鋭きを酔へば言はるる (つづく)
2024.08.23
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短歌鑑賞(石川啄木)歌集「悲しき玩具」(百三十五)下書き 後藤瑞義 (注)歌の順序は歌集の順序によります。 起きてみて、 また直ぐ寝たくなる時の 力なき眼に愛めでしチュリップ! 病弱な時期の啄木の作でしょう。「起きてみて」は、いろいろ考えられます。病気で横になっていて、目覚めたことかもしれません。または横になっていた体を起こすことかもしれません。それによって二行目からの意味もかわってくるでしょう。 わたしは、後者の身を起こすように解釈しました。病弱の体を起こしてみたが、ふらふらする感じなのでしょう、「また直ぐ寝たくなる(横になりたくなる)」ということでしょう。 そんなふらふらした感じで少し歩いてみたのかもしれません。そんな、「力なき眼」でチューリップの花が咲いているのを発見し、「きれいだなあ」と見とれたのでしょう。ここで注意するのは、「愛でし」と過去形になっているところです。ですから、今見て感嘆をしているのではなく、あの、ふらふらした体調の時見たチューリップ、何と美しかったことだろうと過去を振り返っているのだと思います。 啄木は今病床で臥せっているのかもしれません。そして、過去のやはり体調のすぐれない時に見たチューリップのことを思いだしているのではないでしょうか。そのチューリップを見た時よりも現在の方がよほど弱っている啄木なのではないでしょうか。そして、無性に過去に見たチューリップの花が思い出されてならないのではないでしょうか。あるいは、もう一度あのチューリップを見たいものだと思っているのかも知れません。それほど現在の啄木は衰弱しているのかもしれません。
2024.08.22
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8月22日(木)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(7)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(5)歌の素材…どうでもことの大切さ(5) 歌は感動を歌うものであるということは、歌の大切な真理でしょう。しかし、大事なことだけを歌うのが、必ずしも歌ではないでしょう。「どうでもいいこと」が、人の生死や、命をかけた恋を歌うような劇的な場面と同じように、あるいはそれ以上に、強いインパクトをもたらす場合もあるということは、もう一度ふりかえってもよいかもしれません。 (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(10)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「新しき歌壇の生成」(1946・9)(1)終戦以後の一年、はたして短歌の世界に何らかの新しい動きがあったでしょうか。吾々はとかく早急に問題を見つけ出し、結論をさがし出そうとします。民族の文学である短歌は、民族の悲劇の今の現実を如何に把握し如何に表現し得たでしょうか。この盛んな短歌雑誌の新発足乃至復刊はそれ自身内に已むに已まれない何らかの意味を持ったものでしょうか。更に、過去一年に提出されたおびただしい歌論等は如何。「歌壇民主主義建設論」(尾山篤二郎、「短歌研究」四月号)等ととなえられながら果たして歌壇の所謂元老制度が崩れ新人が進出してきたでしょうか。「人々よ本音で歌はう」(坪野哲久、同上)とさけばれながら、一体俺の歌はあれは本音ではなかったのかしらと気がついた歌人があったのでしょうか。或いは「封建制打破」と云い(敗戦と短歌、同上座談会)或いは何々と言う、はては斉藤瀏の如きが民主主義を一席やり出す時代であって見れば、一体この騒然たる歌壇の声をどのように考えればよいのでしょうか。かうした言はば旧き衣を脱がそうとするが如き歌論の裏に、一体短歌は、一体短歌は如何に変貌しつつあるのでしょうか。 (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(65)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(168)けふがはじまる(2005)(1)パソコンの机に下に居場所得て柱時計が十二時を打つ狩野川の橋渡りゐて雨に遭ふどつちの岸に近いだらうかふあふあふあたんぽぽの絮漂へり幼きわれにまつはりながら一日は捨てむと決めてひろげたる母の単衣に薫る「誰が袖」 (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木)短歌集(119)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(17)散り来つる畳のうへの枯葉にて或る時は火箸ひばしもてはさみけりみづからの意志にあらぬを爪つめのびて汚きたなしと歎き憤いきどほりゐぬ隕石ゐんせきの飛ぶ夜もわれに夢あらず窓の扉とおろすガラスはうすきふるさとに産失さんうしなへる父を迎へ不忍池しのばずの蓮はちす見みをりし昔両りやうの手をひろげて何をかわが求む両の手の間あひの空むなしきふかさ (つづく)
2024.08.22
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8月22日(木) 昭和萬葉集(巻十三)(240)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発行(昭和55年) Ⅲ(79) 仕事の歌(41)仕事の歌(2)在賀彦一二十年石を切りきて鎚握る形に曲りし指に箸持つ千頭 泰蒲公英たんぽぽの穂絮ほわた飛び来て仕事場にかそかな種子の重みにて立つ人見 忠開かれしハッチにあふれんばかりなる粗糖一万瓲の荷揚始まる次々と粗糖を積みしトラックが這入り来るなり響きを伝ふ梅雨どきの倉庫は蜜のにほひして溶けし粗糖に靴をばとらる (つづく)
2024.08.22
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後藤瑞義 入選歌(よみうり文芸) 低空に獲物しとめて翻りつばめは急ぎ巣へと戻るや 下田市 後藤瑞義(読売新聞静岡版 八月二十一日 入選 花山多佳子 選)
2024.08.21
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8月21日(水)「作歌のヒント」(抜粋:後藤)(6)著者:永田和宏(日本放送出版協会)発行:平成十九年十二月二十日第一章作歌の基本――ものの見方(4)歌の素材…どうでもいいことの大切さ(4)らーめんに矩形くけいの海苔が一つ載りて関東平野冬に入りたり 高野公彦『天泣てんきふ』 格調の高い歌を作る高野公彦氏のこの一首に、私はとてもうれしかった。ラーメンの上の「矩形の海苔」、詩にならないようなものが歌われている驚き、その小さな矩形から、「関東平野冬に入りたり」という大きな景への連想、詩人の感性のメカニズムがおもしろいと思った。 逆説的に言えば、歌は人が気が付かないような「どうでもいい」ことに気付くかどうか、これが大切だと思うのです。 (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水)近藤芳美著「新しき短歌の規定」より(9)岩波書店近藤芳美集第六巻「新しい短歌の規定」よりの転載です。(注)表現を少し変えたり、省略したりしています。新しき短歌の規定「福田みゑの歌」(3)(1946・7)やせ細る体真直に芝生よぎり歩み来し姿まなかひに見ゆ細々と稲葉のつゆは早くおき竹の葉の露は昏れてよりおく夕ぐれと蒼みくる時に羽ばたきぬ山鳩はなほ棟に籠りてこうした歌に、僕はもはや清さだとか慎ましさだとは言い切れない一種のくぐもりを内に孕んで居るのを感じます。之は漠然と吾々のきめてかかった福田みゑの世界ではありません。淡々しさだとか清しさだとか、少なくとも今迄彼女が信じて歩いて居た道とは見当ちがいな草深い路なのです。だが福田みゑの生涯は之で終って居ます。この事は彼女の早い死と其の生涯の意味ではありません。たとえあと幾十年生きたにしろこの人は多くの作歌者がそうであったような安全な完成への道を結局においてつつましく内股に歩きつづけて行った人でしょう。こうして僕は又いつものようないら立たしい疑問の網目に脚をとられようとします。つまり何が本当の文学であり短歌でしょうか。しかも僕の覚悟は何故例えば福田みゑ等の歩いた道を一断にして斯くかくと言い切り得ないのでしょうか。僕の批評はだんだん関係の無い事に外れて行くのです。(1946・7) (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水)歌集「未知の時間」(前田鐵江第一歌集)(64)2014年5月25日発行:角川学芸出版*:駿東7郡清水町在住の歌人。元静岡県歌人協会常任委員(同じ時期わたしも常任委員でお世話になりました)(注)若い頃父上に反抗した頃を思いだした歌の後に、次の歌があります。 台風の夜更けの駅にずぶ濡れの父が立ちをりきわが傘を手にこの歌を読んでわたしは、これが短歌だと叫んだのでした…Ⅲ 1999年~2006年(167)肩から肩へ(2004)(4)ジャンプ傘ばしつと開き土砂降りを出で来ぬうしろはもう振り向かぬ「湖にぽつかり月が出ましたら……」あなたに会へる必ず会へる初恋のひとも夫も逝きし世に宙ぶらりんの私である隠しごと打ちあけられて気の重し闇の中より柊匂ふ (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水)短歌集(387)中公文庫:日本の詩歌29より昭和五十一年十一月十日初版前川佐美雄(16)われ千秋楽の舞台にあれど心には今年ことしをはりの紅葉こうえふが散る琅玕らうかんのみちに霰あられのたばしればわれ途とまどひて拾はむとせり鴉からすらのわたりゆくとき青きかな水の上四五寸のびし蒲かまの芽この秋は藍あゐに身の細る思ひしてむかしびとをば仰ぎてゐたり切り炭の切りぐちきよく美しく火となりし時に恍惚くわうこつとせり (つづく)
2024.08.21
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8月21日(水) 昭和萬葉集(巻十三)(236)(昭和三十五年~三十八年の作品)講談社発20行(昭和55年)Ⅲ(74) 仕事の歌(36)仕事の歌(2)田所妙子氷片のふれあふグラス運び来て客らの愛語聞かぬ振りせり竹内銈三ほそぼそと父より継ぎし呉服屋にすがる思ひは老いづきて強し今井嘉明四十時間を越えむとしつつ真空の如き感じに服縫いつづく寺井民子ひとの服を縫ひて過ぎゆく日々の日記縫ひたる服の型を描き置く吉積多美十二色の杼ひを使ひ織るバラの図柄花三つ織りて夕べとなりぬ(つづく)
2024.08.21
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