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今回の夫の手首骨折で、保険金が降りるというのも、保険金の約款の小さな文字を読んでようやく判明したのだが、その時に保険証券を入れてるファイルを中を探してたら、母が私と、私の長男にかけてた保険の証券も出てきた。それで、一昨日の実家に行った時に、既に、満期日は過ぎてたので、「これって、もうもらってるんだよね?証券も捨てても良いよね?」と確認した時に、本人は、前夜が寝不足ということもあったからか?「え?忘れた。そうじゃないの?よく覚えてない」と心元ない事をいった。なので、ちょうど、今日、書いてあった郵便局の前を通るため、自転車で、乳がん検診にいき、帰りに、寄ってみた。 最近は個人情報保護がうるさいので、家族証明があっても、本人確認、本人からの委任状などがないと、まだ有効なのか?それとも、既に解約済みなのか?満期でもらったのか?さえ、教えてもらえない。自分のマイナンバーと、母の他の保険の証券用の家族登録証を持って行ったので、一応、私にかけてあった保険については照会ができた。既に母は満期をまたずに、解約済みだった。しかし、長男にかけてた方については、委任状がいるといって、照会してもらえず。 母のゆうちょの通帳は私が預かってるため、そちらの満期日あたりの、送金がないかは私が確認してみたら、ちゃんと、満期日づけで送金がしてあった。もう、ちゃんともらってるんじゃないの!私も報告うけてたのかもしれないけど、忘れてしまったのか?それとも、母が私に報告してなかったのか?とにかく、母も調子の波が凄く激しく、調子が良い時は頭の回りも良いのだが、不調の時は回転が悪くて、次男のように、聞いても「わからない。頭が痛くなる」というから、今後は、細かく、確認が取れた時点でちゃんと、メモなどを残しておかないといけないと痛感。 年取るって大変。明日は、次男の方の市役所での確認事項があるので、市役所。我が家は自立してない人、更にそのくせ、マイペースの人達が多すぎるので、それが私のストレス
2024年02月26日
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前回に実家に行ったのは、母の退院時の付き添いで、1月27日。それ以来の実家でした。 特に母から来て欲しいというお願いがきたわけでなかったのですが、母に渡す郵便物とかあったので行ってきました。 夫もようやく一人で出かけられるようになったので、今日は次男と一緒にお昼を食べに近所に行ってもらいました。 お昼ごろに実家に着くと着くなり、「めまいがした」と不調を訴えて、「大変だったのよ」と、またはじまりました。先週は、絶好調みたいな話だったのに、やっぱり、情緒が不安定なんだな~。 聞けば、最近寝ても夜中に目が覚めてそれから眠れないと、元々、老人性鬱にかかったときが、「眠れない」ってことから始まったので、これは、注意しなくてはの事ではあるけれど、眠れない→不安→眠れないの悪循環に陥るので、眠れなくても、そんな日もあるよねと思えばいいのになと思うけど・・・ 今回持って行った書類の中に、確認事項があり、母が私にかけていた保険が、昨年満期になってたのに、その満期金をちゃんと受け取ったのか?というのがあり、母に確認しても、全く、記憶が定かでなく、全く覚えがないというのです。 これは、近々私が郵便局に確認しなければ。他にも私の長男にかけてたのもとっくに満期になってるけど、それも覚えがないというし・・・ 共済組合の方に、請求する病院代のも、もう何年も、ためたまま。書類を読んだり書いたりが面倒だそうで、前回の時は、その書類をだしたら、怒りだした。(いいの。後でやるから」と言いながら、全く手もつけてない)それは、たまたま掛かりつけの一つの病院が実家から駅に向かう途中にあるので、帰りがてら、書類を書いて病院に持っていったけど、これも確認事項がでできたので、来週早々、共済組会に電話しないと。母に聞いても、もうやりかたや、細かな事は不明。忘れてる。あ~、こうやって、人間老いていくのか。一人暮らしで、こうやって、娘とか息子とか見てくれる人がいない場合、もしかしたら、もらえるお金をもらいそびれてる老人も多いかもしれないな~と思ったり。そこをつけこむ詐欺にもあうのかもな~って、思った一日でした。帰りに、農家をやってる家の軒先に、無人販売のブロッコリー100円というのを荷物になるのに、ついつい立派で安いので、お買い上げ。 本当は、逆方向のバス停の方にいって、梅見をしたかったのに、できなくなりました。もう、母には、色んな書類の処理は無理だな。今日は本人も、それを認めて任せるといってくれたので、逆に良かったです。今まではそうやって、自分でやるから、置いておいて、放っておいてで、きてしまったので。
2024年02月24日
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今日は父の誕生日。私の誕生日の一日違い。なので、自分の誕生日が来ると必然的?父の事もセットで思い出す。とはいえ、既に亡くなってもうすぐ丸40年。父と過ごした年月よりか、それ以降の方が断然長くなってしまった。父の声もなんとなく、記憶の奥に残ってたのが、不確かになってるこの頃。 父は、大正7年生まれ。母とは、20歳も違ってた。今時なら、年の差婚とか言われるだろうが、割合に多いけど、当時は珍しかったので、友人達に言うのは嫌だった。 父は、私の行事は必ずやってきて、ビデオまで撮ってくれたので、中学の体育祭、文化祭のも残っていて、同窓会の時は、みんなに見せたら、自分たちの事なのに、ええ~?私達ってブルマ履いてたの?とか、結構盛り上がった。私が産まれた頃から沢山残してくれた写真は、まだ残ってるが、父との写真は、父が撮る人だったからあまり残ってない。
2024年01月29日
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とにかく、このところ、忙しい。今日は、2011年の暮れに亡くなった義父の13回忌。2011年、誰もが忘れもしない大震災のあった年。その大震災の時には、舅はまだ元気で、電話をくれて、「みんな大丈夫か?」って聞いてくれた。 なにせ、舅は、関東大震災も経験済みだった。だけど、その6月に、急に、微熱を出して、更に飲食ができなくなり、入院したのだっが。その時が91歳の直前。 その後、結局退院できなくて、暮れに亡くなったのだった。夫の弟たちは、その頃は、二人とも、海外赴任中で結構大変だったんだけど・・ 夫は弟には良い顔をするので、色々とモヤモヤがあったんだけどね。夫はもう年とってきたので、弟たちとは、仲良くしたいと常々言う良い兄です。苦笑舅たちは、戦前は、立会川のそばに一族で住んでたので、このお寺には、親戚の何人かのお墓があります。 しかし、ここは、個人的には、儲け主義を感じてあまり好きではないです。コロナの前に既に新しい社務所を作ってあるのに、そこを一度も使わせてくれたことないんですよ。そのくせ、今回の法事のお布施は10年前の倍の料金をあらかじめ言われてました。更に、驚くのは「会食費として別途1万円を」と言われたのだそうで。夫談確かに23区内のお寺は、そうでもしないと、やっていけないのか?もしれないけど、でも、お寺で税制上に、優遇されてるのにな~と 住職は元々よぼよぼしてたけど、今日は、台座に乗るのも、よろよろしていて、心配なほどでした。読経の中心は、同じ宗派の近くのお寺から副住職がして、住職は途中から参加みたいな感じでした。私の実家が曹洞宗なので、真言宗は密教だからか、面白い仕草?だな~といつも思いながら、読経を聞きます。 終わった後、お墓にお参りして、続いては会食。今回は、舅の10歳以上離れた妹、夫の叔母が参列してくれたのですが、もう90歳なのだそう。驚くほど顔が舅に似てます。 以前は、もう弾丸のように話していた叔母ですが、少しは、大人しくなってたけれど、それでも、私達と、ほぼ同じ量を食べてました。最後の肝心の新そば10割そばは食べられないと言ってけどね。 今日の法事の会食は、まめな夫の弟2がセッティングをもう半年前位からしてくれました。 一度、何かの法事で使ったお寺の割合に近い、歴史は古いお蕎麦屋さん。このお店位しか、お寺のそばにはなくて 10年ぶり位にいくと、離れができてて、更に、最近スノーマンのロケがあったらしく貼り紙がお料理はそば懐石私は、個人的には田舎そばみたいなもっと、太くて、黒いそば粉のが好きなんですけどね。 別腹ということで、最後にわらび餅を頼んで終わりました。そういえば、長男は更に痩せて(ダイエット中)三ヶ月で10キロ落としたそうですが、後10キロ痩せないと標準体重にならないのだそうです。いったい、何キロあったんでしょうね
2023年11月19日
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今日も母の病院と実家。やはり、一週間に一度は行く必要が出てくる。来週は、母が借りたものの一度も使ったことのない歩行器?シルバーカー?みたいなのを返すために、実家に行かなくちゃひと月のレンタル料が300円超える程度で、安いから、このまま借り続けていたいのですが、介護保険上、今、母が入院中のため、借りっぱなしにできないらしいです。 よく仕組みがわかりません。それに、今回の入院で、8月の下旬と遅くなってしまったけど、これは、退院後、一人暮らしが今までの介護度(要支援1)では無理だろうと、区分変更申請をしたんです。しかし、これがケアマネさんに言ってから、そこで市役所に届けを出してくれたのが、1週間かかり、更に、なんと、未だに、区分変更の為の調査訪問もないんです。昨日、そのお知らせが来て、「今区分変更の為の手続き中でありますが、30日たっても、新しい区分調査などが行われてない人には、自動的に、お知らせが行くことになってます」という遅延のお知らせのみでした。それで、市役所の介護課に連絡したら、今月の末にようやく調査の人が病院に行ってくれるそうですが。これって、申請してから2か月以上もかかるわけで、その間、入院とかできてない人はどうするの?って思ってしまうほど、動きが遅いです。他の自治体はどうなんでしょうか? 私の市では、数か月前から、独自の総合福祉窓口、福祉相談システムが機能しますって、広報に大々的にお知らせされてたけど、全く機能してないよね?これって。市役所に聞きに行った時も、なんだか、担当者、介護保険の事わかってない様子だったし。 総合福祉窓口ができたせいで、県の委託で365日24時間で相談を何でも受け付けますって言う中核支援の窓口が隣のU市に移ってしまい、なんだか、障害者も家族にいて、何かの時に、心配ですよ。
2023年10月04日
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一昨日、実家に行って、母の靴などを探してきたので、それらを持って母の入院してるリハビリ病院へ。 リハビリ病院入院後初めての面会。入院時には、2時から4時までの15分間。と言われてたけど、今日行ったら、「30分に伸びました」とのこと。 事務の人に、コロナの最終の接種日がわかったからとその報告や介護保険証を差し出した後、病棟へ。母の病棟は、3階。結構他の面会者たちも来ていて、ナースステーション周りは、にぎやかだった。母の元に行くと、久々、明るい顔の母がいた。あんなに我が家にいた時、どんよりと暗くて鬱の真っただ中で何もかもが出来ないできないと言ってたのに。こんなに早く変わるもの?というほどに、変わってた。もしかして、母って不死身?って思うほど。これは、体調が戻ってきたから、気分も上向きなのか? 「嬉しいよ」と素直な表現。靴持ってきたよと言うと、「え?どうして?」と自分が「この靴はボロボロだ」って言ってたのを忘れたのか?今まで履いてたのと、全く同じものが母の家に新しいままで置いてあったので、それを差し出したら、履き替えてた。病院内では、みんな同じ入院服を着てるのだが、それが母には下半身が寒いのだそう。売店で厚手のタイツとかあったら、買ってきてと言われて、見に行ったけど、普通のストッキングしかなかった。昨日、メールで、今日行くことを言ってあったし、今朝も、時間は2時半から3時の間に行くよと書いておいたのに、必要なものをその時に言ってよ~って思ったが。 8月にお腹が痛くなったころからメールさえ、まともに打てなくなってたので、仕方ない。昨日のメールの返信は珍しくすぐで返信あって、「ありがとう。待ってるよ」ってあったから、少し安心したが、やっぱり、長文だと、打つのに、長い時間が掛かってしまうらしい。 私は面会時間が3時10分までと言う名札をつけていたので、10分からリハビリが始まるというので、リハの担当者に会えるか?と思ったが、先生遅れてるらしく、会えずじまいだった。 この病院は、畑のど真ん中みたいな、何にもない所なので、帰りのバスも、ぐるぐる近隣を走るコミュニティバス程度しかなく。それで帰るしかないかな?と思ったが、(細かく回るので、時間がとてもかかる)ちょうど、タイミングよく、タクシーがお客さんをおろしてた。ラッキーとそれにのって、帰宅。 「バスの方が安いのに、もったいなくないですか?」笑 ってタクシーの運転手さん、商売気ないね。 コミュニティバスは、あと5,6分で来るけど、我が家方面にいくには一時間弱もかかってしまうから・・って言うと、「なるほど、時間が早く帰りたいんですね」と。 タクシーだと、いくら渋滞していても、20分程度で自宅まで帰れるし、込まないし。ようやく帰宅して、ほっと一息中。 雲行きが怪しくなってきたけど、今のところ、雨は降ってないのは良かった
2023年09月26日
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今日はこちらは、物凄い風でした。 次男は、昨日はヘルパーさんと、良く行く千葉ポートタワーと県立美術館に行き、今日は夫と、清澄白河の、現代美術館に出かけてました。その間、昨日は、私は、次男のグループホームに、衣替えに。そして、今日は実家に久々行きました。 実は、先週の、この前の定期通話の時に、喧嘩みたいになり、母が、天袋のふすま紙がはがれてた気になるから、貼りなおしてほしいといったのを、「そんなの高い所にあるし、無理よ」といったら、機嫌が悪くなり、ネズミ捕りシートを買って持っていくからねといったのも、「貼りなおしてくれないなら、来てくれなくても良いよ。来ても意味がないじゃないの」t怒ったんです。 が、今日みたら、まるっきり、貼りなおせるレベルでなかった。今朝、確認の電話で、今日お昼ごろ行くからねといったら、「え?来るの?」ってすっかり忘れて風な返事だった。 最近の母は、かなり、次男のように気分にむらがある。今週の月曜日に市役所の相談室に電話したら、職員がネズミ取りようのホウ酸団子を持ってきたそうで、ちょっと、気持ちが楽になったのか?電話の時も割合と、機嫌良かったので、少しほっとしてたんだけど。実家近辺の畑がなんと、菖蒲畑?になってたので、驚き。 そして、実家のすぐそばの家が少々荒れてて、玄関先に、段ボール一杯、ごみ屋敷化しつつあるようで、ねずみはその家からやってきたような気がする。 大丈夫かな?でも、母に聞くと、その家は、若い孫も同居して空き家になってるわけでないそうです。元々、常識ない人達なので、嫌だな。 お昼は、デリバリーで、釜めしを頼んだ。 なかなか良いお値段、二人分で5千円超え。配達料があるから仕方ないか?とも思った。その後、写真は撮ってないけど、モロゾフで買っていったゼリーを食べて、珈琲飲んで。 部屋は、片付いてはいたのだが、台所に、サランラップが、前回も多いなと思ったけど、更に増えてて10個ぐらい並べてあった。母は、昨日美容院に数ヵ月ぶりに行かれたとかで、美容師さんも昨日話して気が少し晴れてたのか?今日は愚痴はそんなにでなかったのが、良かった。 三時間半以上いたから、話疲れたか? 少しボケてきてるか?話の途中、眠くなってるのか?話を聞いてるのか?聞いてないのか?と思うところがあったりした。前回、実家に行ったのは、お盆の時だったので、久々だったので、その間に、手すりを数か所作成してもらってあったので、階段は、危険度は減ってたのは良かったけど、相当家も老朽化が激しいのは気になった。連休明けに、なじみの大工さんが来ることになってて、とりあえず、台所の、勝手口を直してもらうことにはなってるらしいけどね。 母は、私にあれこれ言われるのを嫌がって、あまり、実家には来て欲しくないらしいのだけれど、(苦笑)たまには、チェックが必要だと今回思いました。
2023年05月06日
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今日は、夫の弟の家でもう一人の弟家族も兄弟家族全員集合の日でした。 夫は、三兄弟の長男で、全く長男の甚六なんです。二番目の弟は、しっかりしていて、真ん中だから気配りできる人。お嫁さんは、お酒大好き、調子よい人。 三男が先月還暦になり、ようやく、30年以上暮らしたアメリカきら帰国したので、次男宅で、お祝いの会をしたいから、是非一家でいらして と初のお招きを受けました 昨年、一時帰国の時も集まってたけど、その時は、夫が足の血管炎で欠席。我が家の長男だけが出席でした。 たいてい集まりは、土日にあるので、そうすると、次男がいる日なので、なかなか私は、出席できない。次男は、食べる事は好きだけど、初めての所は苦手というのがあるし、早食いなので、長時間呑み助(義弟嫁)たちの長い食事会は飽きちゃうのです。 舅が存命だった、特に晩年は、舅をどうするか?の会議に我が家で集まることが多く。当時は、大体が、三男は、在米中で、全く役に立たず。電話で愚痴を聞いてもらうこと位だったんだけど。二番目弟も、舅が亡くなった後には、中国赴任してしまったので、色んな手続きは我が家がしたりして、私達は、(私が特に)面倒でした。 そういうのがあるからか、義弟たちは、夫には、一応、一目置いてるようで、結構兄貴兄貴とたててくれるので、夫は、義弟たちの事は、舅存命中はなんで俺だけが貧乏くじなんだ~と私に愚痴を言ってたけど、今は、わだかまりは全くないらしい。逆に私は血のつながりがないから、なんか、ちょっとモヤモヤって気持ちは無きにしも非ず。 夫は、退職後、特にコロナの世の中を経て、更に、昨年の血管炎の事があったからか、今は会いたい人に会っておきたいという気持ちが大きいようです。特にやっぱり、肉親とは、仲良くしていたいらしい。 我が家の次男は、やっぱり、先週は作業所で、「戸塚(義弟宅)でパーティなんてしたくない」と2日間久々の大パニックを起こしたようで、担当のスタッフが驚いてました。 金曜日に、報告の電話をもらいました。でも、すぐに落ち着いたらしく、その後は、普通に過ごしてましたよとのこと。 義弟宅の戸塚へは、我が家から、ちょうど、2時間掛かりました。戸塚駅からタクシーでワンメーターと聞いてたけど、肝心のタクシーが一台もおらず、結局バスでバス停3つ分のり、そこから、説明文の通りに、行ってるつもりが、最初から、つまづき、バス停のところを渡ってというのが、信号が二つあって、違う信号を渡ったので、違う場所に出てしまい、あれ?先に着いてた長男に電話してるうちに、信号を間違えたことに気が付いた。坂道を登っての指示に、久々歩いて上る坂道。以前長男の住んでた上大岡のアパートも急な坂道の真ん中だったな~。横浜も、坂道多いよね。 私達の引っ越し前の家も、物凄い坂の上、崖っぷちの上に建ったマンションだったけど、年寄りには向かない家だな~ さて、着いたのは、指定の12時半よりも30分近く遅れてしまったので、我が家の次男は、お腹もすかせてて、ちょっぴり、不機嫌になりかけてた。 席に着くなり、パーティなんて嫌といってた次男が乾杯は大好きなので、音頭をとり、乾杯。物凄いお料理の品数と、量だったのに、さて、写真を撮ろうという時には、ほとんど、空のお皿の前でしたやっぱり、早食いの次男は、1時間過ぎた頃には、既に飽きてしまって、「ね~何時に帰るの?」って始まったので、それから30分後には、私が次男を連れて先においとましました。夫は、それから遅れること、3時間してから帰宅。聞けば、その後も、お料理が出てきて、更にワインに酔っぱらった義弟が、「兄貴はオヤジと仲が悪くて」と5回位繰り返して言われたとか。笑 夫は、満足したようだし、私も無事に家族行事が終わってほっとしました下は、20年以上前のものです 亡き義父母の何かのお祝いの時です
2023年04月23日
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ほとんど、旅の間中、乗り物に乗っているという、毎度の長男の旅スタイルは、健在 今日は鹿児島中央から指宿までの観光列車 指宿たまて箱というディーゼルにのって、指宿までいき、そのまま折り返すのだそう。 バスがくるまで、一時間も待っていたり、 観光地が目的ではなく、そこまでのルートや電車にこだわるのは、次男と一緒。 私たち夫婦は、そういうところないのに、息子はふたりとも、鉄ヲタって面白い。 そして、長男から、事前に送られてきた 旅の日程表は、何時何分にどこになんと言う電車、バス、または、フェリーにのり、それは、何時何分に着くという細かなタイムスケジュール表なのだが、ぴったり、その通りにこうどうするところが、鉄だなーとおもいます。 料金試算もちゃんと書かれてました。 唯一、事前スケジュールと違ったのは高千穂峡での観光が、廃線跡地を自転車みたいな乗り物で行くというのが、天岩戸にいったぐらい。 日本神話をたどる、旅みたい
2021年11月28日
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さ長男、めでたく金属10年を迎えました。 で、会社から褒賞休暇と、報奨金も出たそうです。 褒賞休暇は、前後の土日を合わせると、2週間らしい。 コロナ禍でなければ、海外にも行かれる日数ではあるが、元々長男はあまり海外には、関心がないようで、前から、もっぱら、鉄の旅ばかりしてた。 が、今回は、初めて船でどこかに行きたいと思ったらしいのだが・・・新しく横須賀にフェリー乗り場が出来たそうで、そこから新門司までフェリーで行くんだと、彼自作の日程表がLINEで送られてきた。 相変わらずの強行軍 毎日移動ばかり。 フェリーは、のんびりなんとほぼ丸一日もかかるらしいが。 そのあとは、小倉一泊からはじまり、宮崎の方を通って、高千穂峡とか見て、最終的には鹿児島霧島、指宿のほうに下っていくらしい 最後は鹿児島から飛行機で帰宅らしいが。 観光よりか乗り物に重点がおかれてるところが彼らしい。 夫は「よく一人でそんなに長く旅できるなー」と感心してるが、彼はひとり旅、まったく問題ないようだ。もう何度も行ってるしね。 今日は二回も珍しくLINEに朝食、昼食の写真が送られてきた。 ハードな旅も、まだ、30代ならば楽しめるんだろうねー。 良いねー若さが羨ましいよ フェリーからの夕日送ってくれました
2021年11月25日
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