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我が国では「雪山讃歌」の原曲として知られていますが、元来はスペインのバラード詩に曲を付けたものが、1946年のジョン・フォード監督のアメリカ映画「荒野の決闘“My Darling Clementine”」の主題歌となり、なお広く知られる様になりました。「荒野の決闘」の撮影現場となったモニュメントバレー、家族旅行で行ったのは1982年8月、27年も前のこととなりました。映画ではワープ保安官とクレメンタインが親密な関係になりますので、ハッピーエンドと考えられそうですが、詩の内容は、1848年から1855年の間に起きたカリフォルニア・ゴールドラッシュの金鉱掘り49er(フォーティナイナー)の娘が水死、後に残された恋人が愛しむ内容、娘を葬った親も後に同じ墓に埋葬される歌詞もある様です。My Darling Clementine - 愛しのクレメンタインIn a cavern, in a canyon,Excavating for a mineDwelt a miner forty-niner,And his daughter ClementineOh my darling, oh my darling,Oh my darling, Clementine!You are lost and gone foreverDreadful sorry, ClementineLight she was and like a fairy,And her shoes were number nine,Herring boxes, without topses,Sandals were for Clementine.洞窟に、渓谷にと鉱脈を掘りながら金鉱探し鉱夫49erとその娘クレメンタインが住んでいた。ぼくの愛しい、愛しいクレメンタイン、お前は、永遠に逝ってしまったのだ恐ろしく悲しいよ、クレメンタイン。彼女は身軽で妖精の様、靴のサイズは9で少し大きく、蓋無しのニシン箱が、クレメンタインのサンダルだった。ぼくの愛しい、愛しいクレメンタイン、お前は、永遠に逝ってしまったのだ恐ろしく悲しいよ、クレメンタイン。
2009.12.27
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先日の北京風中華料理店「Mandarin Palace」の近く、やはりウェストハイマー(Westheimer)通りにイタリア料理の店「ミケランジェロ(Michelangelo’s)」がありました。イタリア人家族による経営の家庭的雰囲気の店で、価格の手ごろさと味の良さで、アメリカ人も来て混んでいたものです。スパゲティ料理は、アメリカ人達は茹で過ぎたパスタをフォークで丸めるのでなく、ナイフで短く切って食べる人達も多く、奇妙にも思えました。食の習慣上、啜るのが下品と言う観念が強くそうなったのだと思われます。それでも、我々が「アル・デンテ」と注文すると、丁度良い具合に茹であがったスパゲティを出してくれるのでした。スパゲティ・ボンゴレはトマトベースの紅いものと、バター・ホワイトソースベースの白があり、美味しいものでした。ピザもトッピングのアンチョビの混ぜ方も絶妙で、ピザ・ハット等では味わえない、何とも言えないものでした。イタリア人は、やはり海産物の料理の仕方が、アメリカ人よりも格段優れているのでしょう。未だ、この店は繁盛している様で、インターネットでも検索することが出来ました。Michelangelo’s Houston店の入り口で車を預ける、Valet Parkingの様子も窺われ、懐かしくなりました。テラス席の中から、地植えの木が伸びて、屋根から突き出している様子も変わりません。土曜日に家族を何回か連れて行った覚えもあるのですが、土曜日は子供達には補習学校があるので、家内だけだったかも知れません。
2009.11.29
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今朝のニュースを見ていましたら、「アメリカでは感謝祭(Thanksgiving)でお休み、お店の多くも閉まります」と放映されていましたので、30年前のヒューストン駐在時代をふと思い出しました。感謝祭では、詰め物をした七面鳥の丸焼き、切り分けてグレービーソースを添えて供されるのですが、日本人の口には一寸合わなかったのです。尤も、今では日本人の食事趣向も違って来ているので、様子は違うかも知れませんが・・其処で、ヒューストン事務所で同僚の松崎さんと相談し、「中華料理店は休まないし、北京ダックを家族に楽しんで貰おう」として、街中Westheimer Road通り沿いにある「Mandarin Palace」と言う北京風中華料理店に予約を取りました。この店の北京ダックは絶品で予約制、飴色にカリカリとなった皮は食感も良く、ニューヨークの有名な中華料理店よりも美味しい料理でした。同僚の松崎さんと私は、営業接待の役割もあり、北京ダックは良く食べていたのですが、高価なメニューでもあり、家族は未だ食したことが無かったのです。感謝祭当日は案の定、店はガラガラ、客は私達2家族だけでした。家内は美味しいと言って喜んでくれましたが、やはり「大人向けの料理」、子供達はそれ程のことは無かった様な記憶がありますが、果たしてどうだったのでしょう。遠き思い出となりました!感謝祭では、親族や友人が集まる大規模な食事会であり、大切な家族行事のひとつと位置づけられている。特に感謝祭前日と感謝祭の後の最初の日曜日は、空港、高速道路、鉄道などの交通機関が大混雑・大渋滞となる。感謝祭の翌日の金曜日もBlack Fridayとして祝日扱いとなっており、感謝祭が4連休の祝日となる場合が多い, 感謝祭の前の水曜日から、5 連休の祝日の州もある。正餐のメインディッシュは、詰め物(「スタッフィング(stuffing)」)をした大きな七面鳥の丸焼き、切り分けた七面鳥にグレービーソースとクランベリーソースを添えて供する。
2009.11.27
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昨日は、長男夫婦が家内の見舞いに来てくれ、シーフード・ガンボを作ったので「御すそ分け」とタッパーに入れて持ってくれました。日本では馴染みの少ないケイジャン料理、その故郷はアメリカ南部ルイジアナ州のニューオリンズですが、テキサス州ヒューストン市ビジネス街のカフェテリアでも、肉を食べない金曜日となるとシーフード・ガンボがメニューに出ましたので、私自身は良く食したものでした。長男は、家族旅行でのニューオリンズ訪問時、バーボンストリートのレストランで数回食べたことはあった筈ですが、それ程馴染みは無かったと思われますのに、良くレシピを見つけたものと感心しました。ガンボ(Gumbo)は、アメリカ合衆国ルイジアナ州を起源とするシチューあるいはスープ料理であり、アメリカ合衆国南部メキシコ湾岸一帯に浸透している。ガンボは基本的には濃いスープストック、肉または甲殻類、とろみ成分、および「聖なる三位一体」と呼ばれる野菜(セロリ、ピーマン、タマネギ)で構成される。伝統的に、ガンボ・スープは、米にかける形で供される。ガンボは、ルイジアナ州のクレオールの人々の間で一般的であるのを始め、テキサス州南東部、ミシシッピ州南部、アラバマ州、サウスカロライナ州のチャールストン周辺のロウカントリー、ジョージア州ブランズウィックなどの地域で食されている。一年を通じて食されるが、通常は寒い時期の料理として知られている。昨日の夕食は、NHK料理ビギナーズ6月号から「カレーもやし丼」、長男の調理したシーフード・ガンボ、もやしの味噌汁となりました。ニューオリンズ付近のメキシコ湾岸には、エビ、ワタリガニ、カキ(牡蠣)が豊富ですが、このシーフード・ガンボには本場には見られないホタテが入っていましたので、オクラのとろみと良くマッチして美味でした。
2009.06.26
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昨日、ダスキンで書棚の上を拭いていましたら、古い米国コインセットが落ちて来ました。見ますとUS Mint Set(1966)となっていて、プラスチックケースに入っていますが、別にプルーフコインでは無いらしいのです。1980年当時、米国ヒューストン市に住んでいた時に、Gessner Rd.にあるMemorial Shopping Centerのコインショップで薦められて購入したものらしいのですが、何故1966年セットだったのか良く分かりません。上に見えるアイゼンハワー大統領の1ドルコインは1971年から鍛造開始でして、1966年ではプラスチックケースに入っているUS Mint Setがコインの全てですので、店員さんに記念購入を勧められたのかも知れません。
2009.05.06
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ヨセミテ国立公園には25年程前、20年程前と2回訪問しましたが、この油絵は写生したものを油彩にしたものでは無く、その際購入したガイドブックにあった写真から書き写したものです。長い間、亡き父の部屋に飾って貰っていたもので、昨年秋、何と言うことは無く、携帯のフォトモードで写したものです。実兄宅も代替わりとなり、そのまま実兄が飾って貰うのが良いとは思うのですが、不要となれば引き取って来ようかとも考えています。三段のヨセミテ滝(Yosemite Falls)、上段(Upper Yosemite Fall)と下段(Lower Yosemite Fall)その間のカスケード(Cascade)からなり、上段の落差は436m、下段の落差は97m、カスケードは206mで、合計落差739m(2425ft)は北半球第一位、世界でも5番目に高い滝です。ヨセミテの滝は6月の頃一番水量が多く豪快と言われていますが、7月でも十分迫力があります。駐車場からも良く見えますが、5分程歩けば滝壺に行けるアクセスの良さも魅力です。
2009.04.17
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アメリカ合衆国でアフリカ系アメリカ人出身のオバマ氏が大統領に就任し、米国に限らず世界の期待を一身に集めていますが、メキシコ連邦共和国では150年前に先住民出身のメキシコ大統領が選出されていたのです。メキシコ近代の歴史は敗戦と苦難の繰り返しでもありました。1821年スペインから独立、1824年にメキシコ連邦共和国となったのですが、1836年テキサス共和国が独立宣言、1845年にアメリカがテキサス共和国を併合、1846年米墨戦争に完敗、テキサスのみならずカリフォルニアなどリオ・ブラーボ以北の領土(所謂メキシコ割譲地)をアメリカに割譲し、実に国土の半分を喪失した。このメキシコ割譲地無しには、今日のアメリカ隆盛は無かったのです!そんな中登場したのが、先住民出身のフアレス大統領で、対外債務不履行を宣言して改革(レフォルマ)を推進したのですが、海外諸国からの干渉も激しく、志半ばで急死してしまったのでした。彼の名を冠したシウダー・フアレス (Ciudad Juárez)、エルパソとの一体都市です 1821年スペインから独立、1824年にはメキシコ連邦共和国となったが、スペイン人からこの地で生まれた支配層に権力が移行したに過ぎず、下層で喘ぐ人々にとって大きな変化はなかった。国土半分を所有する旧体制と自由主義者の闘争が始まり、1861年最高裁長官であったベニート・フアレスが史上唯一の先住民出身大統領に選出されることとなった。共和国政府では自由主義者が主導権を握ることになったが、自由主義者の中にも文民と軍人の二つのグループが存在した。フアレスに代表される文民は、フアレスを除いて概ね高等教育を受けた白人で理想主義的な傾向を有していたが、ディアス将軍に代表される軍人は概ね高い教育を受けていないメスティーソであり、現実主義的な傾向が強かった。どちらも自由主義者達であり、メキシコの近代化=西欧化を図る点では同じであったが、この差異は近代化政策を実行する際の手段の差になって顕在することになった。フアレス大統領は自由主義者としてレフォルマ(改革)を推進するのだが、1872年7月に急死したために文民派は劣勢となり、1876年にはディアス派が反乱を起こし首都を攻略。1877年に選挙を行い、ディアスは大統領に就任した。
2009.01.23
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ウェッジウッド(Wedgwood)は動物の骨を入れて白色を鮮やかにして焼き上げたボーンチャイナ(Bone China)磁器類で知られ、色々な図柄の高級コーヒーカップ・ソーサ等に人気が高い様で、遠い昔米国ヒューストン市の宝飾店「スウィーニー(Sweeney)」で購入した記憶があります。その中でジャスパーウェア(Jasper Ware)は、釉薬を施さない磁器で、顔料を素地に混ぜることにより種々の色を発色させ、ギリシャ神話や花をモチーフにしたカメオ細工のようなレリーフ装飾を張り付けるのが特徴となっています。これはジャスパーウェアの角型小物入れ、地色はピンクに見えますが、ライラックの藤色と思われます。表面には、ややくすんだ白を使ったギリシャ神話と思われるモチーフにしたレリーフ装飾が施されています。ゆったりとしたローブを纏い、長い髪を結い上げた女神が奏でる竪琴の音楽に男女が聞き惚れる構図で、ミューズは古代ギリシア・ローマの文芸・音楽・天文などの知的な活動を司る9人の女神のことですから、その内の一人かも知れません。ウェッジウッドを代表する有名なシリーズ。創業者のジョサイア・ウェッジウッドが宝石のような焼き物をつくろうと、5年の歳月を経て完成した釉薬のかかっていないストーンウエア(石の様に固い器)です。素地そのものに上品な色合いを含ませ、ギリシャ神話などをモチーフにした図柄をレリーフ風にあしらった独特のデザインは、ジョサイアがイギリス陶磁器界に残した最大の功績ともいわれています。
2008.11.07
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コールポート(Coalport)は由緒あるイギリス陶磁器の窯元(メーカー)でしたが、合併で名前だけが残るだけになった様です。このC/Sを購入したのは1980年、テキサス州ヒューストン市の食器専門店で店員さんに薦められて購入しました。ウェッジウッド(Wedgwood)の色柄物に比べて安価でしたし、清楚なBone Chinaが結構好きになり、このC/Sセットの他、やはり白磁ディナープレートも揃えて購入したのです。その頃はウェッジウッド傘下でしたが、未だ窯元もあったことが推測され、真正のコールポート磁器だと思われます。コールポート(Coalport)は、1750年に創設された歴史のある窯元だが、1925年コールドン社に買収され、1967年英国磁器メーカの雄ウェッジウッド(Wedgwood)に再買収され、1986年ウォーターフォード(Waterford)・ウェッジウッドの合併により更に縮小され、ボーンチャイナ食器製造の一部はウェッジウッドに移され、残りは製造中止となった。コールポートの花の磁器(Floral Studies)は1972年カナダのバンフ国立公園内のバンフ・スリングス・ホテル内の売店で購入したものです。未だ1972年の頃は、「花の磁器」絶好な土産物として良く知られ、コールポートは元気だったのでしょうし、名前だけになってしまったのは残念です。
2008.10.26
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一昨日、釣り好きの隣人が道具類を整理しつつ、綺麗に掃除をしていました。何種類かのリールを見ていましたら、我が家にもあるスウェーデン製のメーカ製ABUのスピンニング・リール品もありましたので、聞いてみますと「10年以上も前のこと、ABUリールが気に入ったのですが5万円と高く手が出せなかったのだが、ヨーロッパ出張に際して、帰途スウェーデンに寄って2万円で購入しました」とのことでした。我が家には、そんな高価なリールはありませんが、複数個のABUリールがあります。久し振りに物置をごそごそと探して、2個ほど出してきました。近頃は興味の対象から外れ、10年以上も釣りには行っていませんので、埃だらけとなっていました。埃を払って名板を確かめてみますと「Garcia Cardinal 154-ABU Sweden」となっていました。これは、25年前に米国駐在を終えて帰国する際、米国GE社の人達が記念にとロッド共々贈ってくれたリールですので、きちんと動作するのか否かは定かではありません。インターネットで調べてみますと、次の様な記載も見受けられました。ABU SWEDEN:ABUのヨーロッパ向けバージョンGarcia:ABUのアメリカ向けバージョンABU Garcia:ABUとGARCIAの併合後のバージョン1980年の初頭、米国ではGarciaブランドのリールが多く販売されていたのですが、倒産してABUに吸収合併された様ですから、純正のスウェーデン製品では無いのかも知れません。メキシコ湾に面するガルベストン島は絶好の釣り場で、結構頻繁に通ったものですその頃、釣り好きなアメリカ人は、ABUでもなく、Daiwaでもなく、日本Shimano製のリールを欲しがっていました。1982年での工場立会テストにBechtelエンジニアを日本に連れて来た時は、出張での立会時間を調整しつつShimano製リールを探しに行き、複数個購入して帰ったのでした。Shimanoはベアリングの良さから耐久性が抜群で評判が高かったのですが、米国に輸出される数が少なく、ドル円レートは当時200円/ドルと相当に円安でしたので、日本で安く購入出来たのでしょう。今は昔、懐かしく思い出しました。
2008.10.15
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日本の観光地では殆ど見ることはありませんが、海外を訪れますと、何処の都市でも又どの観光地でも飾って置くことを目的としたスーベニアスプーン(お土産スプーン)が売られています。それ程負担にもなりませんし、かさばる物でもありませんので持ち運びに不便とはなりません。値段はクロムメッキ(Chromium Plated)製が500円、ピューター(Pewter)製のものも同程度、銀メッキ(Silver Plated)製のものが1000円、金メッキ(Gold Plated)のものは高価で3000円程度となります。室内に飾って置いて、時々眺めることで、色々な思い出が直ぐに蘇って来ることになります。しかし長く放置しておきますと、クロムメッキ製はメッキが剥げて錆が出て来ますし、銀製は黒ずんで来ますので銀磨きで綺麗にする必要がありますが、ピューター製は一切錆も発生せず、長年世話をする必要が無いのが利点です。ノイシュヴァンシュタイン城、パリのものもありますが、殆どが1980年代の米国家族旅行で購入したもので、劣化が見えません。自宅の居間の壁に掛けてあるスーベニアスプーンスプーン・ラックは昔駐在した時に揃えたものと、その後米国出張した時に買ってきたものが混在しています。スーベニアスプーンの数も100本を越えましたので、飾り棚に陳列出来ないクロムメッキで古くなった物は机の引き出しに保管してあります。
2008.06.23
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箪笥の引出しから懐かしいものが出て来ました。この「太陽の石レプリカ」キーホルダーは、メキシコ駐在員の方から25年も前にお土産に頂いたものですが、真鍮版に極彩色のエナメルで塗装された状態は未だ劣化も見受けられず、綺麗なものです。この太陽の石が完成しましたのは1479年で、アステカ王国がスペインからの侵略者コルテスによって滅ぼされる僅か42年前のことだった様です。アステカ族は、宇宙が過去4度創造され、現在5度目だと信じていたようです。宇宙は何時か滅亡するものだが、現存の秩序を少しでも永らえさせる為には生贄が捧げる祭礼が欠かせないと考えていたようです。アステカ王国はメキシコ中央高原に現れた古代メキシコ最強の王国で、1519年に初めてテノチティトランの都を見たスペイン人は神殿、宮殿の壮麗さに驚嘆したとのことです。中心に位置するのが太陽神で、出している舌は黒曜石のナイフで人間の血と心臓を必要としていることを示しています。周囲の4つの矩形は過去の4回の創造時代、ジャガー、風、雨、水の時代です。第4の時代では世界は洪水で破壊され、人類は魚になったと言われているのが、旧約聖書のノアの洪水伝説と符合するのも不思議です。
2008.02.22
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撮影する時間が適当でなかったのか、窓際の壁に掛けたままで撮ったのが不適切だったのか、左下の雲母摺にハレーションが起きてしまいました。本来ならば、画面全体が白雲母の色調で上品なのですが・・この版画は25年ほど前、テキサス州ヒューストン市で開催された「Offshore Technology Conference」と言う国際学会・展示会の会社ブース装飾品として日本から持ち込まれた複数枚セットの一枚でした。商品ではありませんので「会議終了後日本へ持ち帰る」と言う条件で、保税措置扱いだったのでしたが、会議終了後、展示責任者から「小品ですので保税監査には問題になりません。世話になったことでもあり、折角だから駐在員の方々で分けて下さい」との申し入れがあったのです。私が頂いたのはその内の一枚、喜多川歌麿「ビードロを吹く女」、複製とは言えしっかりとした雲母摺を背景に「大首絵」の手法で女性の上半身を描いた質の高い浮世絵でした。歌麿は、婦人相学十品のシリーズで、その身なりや風俗形式によって製作を進めたが行き詰まってしまった。そこで身分高下の風俗分類よりも、人相を深く探求するには、どうしても心身両面から「ことを運ばなければならない」と言うので、後半から“婦人相学十躰”と改めたのではないかとされている。娘島田に髪を結い上げ、派手な市松模様の振袖に幅広く帯を締めた娘の姿は、所謂深窓に育てられた箱入り娘であろうが、そうした清純さを感じさせる以上に女性としての魅力を感じさせる。しかしポッピン(ビードロ)と呼ばれたガラス製の笛で遊ぶ姿は、まだ彼女が年若いことを示している。本来なら「不正輸出製品」なのかも知れませんでしたが、それで商売をして利益を上げようとする意図も無いことから、我田引水的に納得して展示責任者から頂戴した訳ですが、25年の間2回引っ越しもあった中、いつも壁を飾ってくれました。しかしながら、版画は染料で刷り上げますので、今では大分色褪せてしまった様です。
2008.01.30
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メキシコシティで購入したメキシコ製(?)タペストリ、我が家の壁に20年以上飾られていますが、どの店・どのような経緯で買ったのか、記憶が薄れて判然としなくなりました。アメリカ駐在中、1980~81年にメキシコ事務所とタイアップしPEMEX(メキシコ石油公社)、CFE(メキシコ電力庁)にガスタービン売り込み活動を頻繁に実施、PEMEX案件では一時は技術評価トップを獲得したのですが、最終発注先は米国GE社に逆転決定され、一敗地にまみれることとなりました。その後、PEMEX案件が無くなり、CFEおよび民間電力会社(CLF)への売り込みが中心となりましたが、メキシコ出張は頻度が減らして米国市場での受注活動に注力、カリフォルニア州で1982年に発電用ガスタービンを受注したのでした。このタペストリは、多分1982年頃メキシコ出張が減って来たこともあり、メキシコ駐在員にレフォルマ大通り近くの信用ある店を紹介して頂き、メキシコ土産にと、アステカ暦と共に購入したものだと思われます。このタペストリ模様は具象的には動物と思われ、兎とも蛙とも見えるのですが、若しかしたらマヤ・アステカ文明想像上の生物なのかも知れず、定かではありません。上下の房も至って簡単な土産用商品で、高価な製品では無いのですが、昔の企業戦士活動記念として、埃まみれになりながらも、玄関通路壁に鎮座ましましております。「太陽の石-アステカの暦」紹介ブログはこちらです
2008.01.07
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これはアパラチアン・トレイルの道路標示、トレイルの最高峰Clingmans Dome(2024m)の山頂にありました。季節は初夏、霧が濃く、見通しの悪い時期でしたので、山頂にあったコンクリート製の展望台には登っていません。昨日NHKハイビジョン特集で「人生のロングトレイル~アメリカ3500kmの道のり」が放映されていました。北米大陸東部のアパラチア山脈に全長3500kmのアパラチアン・トレイルが続く。近年、この全行程を6ヶ月かけて歩く過酷な旅に挑むアメリカ人が増えている。失業や離婚、戦争からの帰還等の人生の転機に際し、自分自身の生き方を見つめ直し、新たな目標をつかもうとする人々だ。アメリカは競争激烈な格差社会ですから、小さなミスで落伍すると其処から這い上がるのは至難の技で、つい最近までビジネス・エリートであった人達が、些細とも見えることから職を失い、欝病を患い人生の意義を問うケースが多い様です。自然に癒されつつ静かに自分と対話し、他人・家族にも相談することなく、数ヶ月の間に漸く自分の本心と生きる意義を見つけて行く姿を、幾つかの事例で紹介していたのは秀逸でした。ジョージア州からメイ-ン州まで東海岸14の州を2160マイル(3475km)続く、アメリカで最も人気のあるロングトレイル。 毎年、約2000人がスルーハイク(全踏破)を試みる。 トレイルに沿った標高はニューヨーク州のハドソンリバーの海面から、最も高いグレート・スモーキー・マウンテン(Great Smoky Mountain)国立公園の6642フィート(2024m)にまで達する。トレイル自体はよくマークされていて、スルーハイカーは地図を必要としない。アパラチアン・トレイル(Appalachian Trail])は雨も多く、急峻な場所も多いのだが、パシフィック・クレスト・トレイル(PCT)やコンティネンタル・ディバイド・トレイル (CDT)のような厳しい環境条件は殆ど無い。Yahooスライドショーはこちらです
2007.09.12
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日本ではクリスタルグラスと言うと、フランスのバカラ(Baccarat)、チェコのボヘミヤ(Bohemia)の人気が高く、英国のウォーターフォード(Waterford)はそれ程愛用されてはいません。アメリカでは、クリスタルグラス(Crystal Glass)と言うと先ずウォーターフォードを挙げる人が多く、販売店も多かった様に記憶しています。美しさよりも、その堅牢さが、好まれているのだと思っています。英国のウォーターフォードと言っても、実はアイルランド共和国にあるメーカーですが、細かい幾何学模様のカッティングと美しい輝きで世界中に知られ、現在はウォーターフォード・ウェッジウッド(Waterford Wedgewood)社となって、合併されている様です。上記の小さな一輪差しの花瓶(?)、アメリカのヒューストン(Houston)から帰国する時に、多分近くのデパート(Foley’s)で買って来て頂いたものを頂戴したものですが、使い勝手が悪く、食器棚の中に仕舞われたままになっています。
2007.07.16
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1980年末に、ニューオーリンズのBourbon Streetにある、ジャズで有名なPreservation Hallに行ってディキシーランドジャズを楽しみました。ホールとは言えない程の小さな家で客席は無く、聴衆は皆、硬い板の間に直に座って少しでも身を縮めてスペースを空け、もっと人が座れる様にするのが礼儀だったと思います。演奏舞台も無いので、何処かの家の居間風に、打ち解けた雰囲気でジャズを満喫できるのも魅力でした。其処ではレコードを2枚購入、1枚はルイ・アームストロング、他の1枚はその晩演奏するバンドのものとしました。その時のPreservation Jazz BandはSweet Emmaが率いるジャズバンドでしたので、購入したアナログレコードのジャケットに、演奏終了後サインを貰いました。今では自宅でアナログレコードが聴けるオーディオ装置はありませんので、15年以上は聴いたことが無く、どんな演奏だったか記憶の彼方になりました。日付は1980年12月30日となっていますから、27年も前のこととなりました。彼女自身(Sweet Emma)のサインがあるか否かは定かではありませんが、旅の思い出として懐かしいものとなりました。
2007.07.12
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この石製ブックスタンドは、昔々メキシコ駐在員が高地休暇でヒューストンに来た時に頂いたものです。重いものをハンドキャリーしてくれたのですから、有り難いことでした。石の種類を確認したことはありませんが、荒削りした雰囲気は、古代メキシコの巨石文化のレプリカとも見えないこともありません。メキシコシティ市は、標高2400mに位置していますので空気が薄く、生活環境を保つため、各企業は駐在員を半年から1年毎に1週間程の高地休暇を与え、低地療養させることにしていました。メキシコ国内のアカプルコの海岸に行く例もあった様ですが、メキシコシティ市からテキサス州ヒューストン市迄は飛行機で2時間ですから、海外旅行として家族旅行を楽しむ例も多く見受けられました。「低地で就寝すると快適に睡眠がとれる」とことでしたが、矢張り高地では酸素が薄くて睡眠が浅く、段々と体に変調を来すのだと言っていましたのは印象的でした。昔々は、私も毎月と言って良いほどヒューストンからメキシコ事務所に出張していまして、駐在員家庭にもお邪魔していましたので、彼らがヒューストン来訪の時は我が家に良く来て貰ったものでした。石のブックスタンドを撮影していましたら、高齢化現象で、又々、大昔の記憶話となってしまいました。メキシコ旅行の日記はこちらです
2007.07.05
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写真アルバムを見ていましたら出て来た写真ですが、25年も経過していますので、色が飛んでしまってモノクロよりも状態は悪くなっています。当時はテキサス州ヒューストンに駐在していたのですが、東京から「出張者を応援してくれ」との要請があって、ロサンゼルスに出張したのでした。客先に近いニューポートビーチのホテル(Marriott Newport Beach)にチェックインしたのですが、日曜日でもあったので翌日からの激務に備えて、ハリウッド北にあるユニバーサルスタジオに連れて行きリラックスして貰うつもりでした。インターステート5号線を使うのが便利なのですが、途中の海岸線景色を楽しんで貰う様にハイウェイ1号線を通ることにしたのです。途中のロングビーチで車を降りて、出張者が撮影してくれたのがこの写真です。季節は春で海浜には人もまばらでした。もっともこの辺は冷たい寒流が常にありますので、夏真っ盛りでも海水浴には適さないとされています。ロングビーチは、ロサンゼルスの南約30kmに位置し、全米で最も人種の多様性に富んだ都市である。ロングビーチ港はアメリカ合衆国と環太平洋地域を結ぶ重要な港湾である。貨物取扱量はロングビーチ港のみでも全米第2、隣接するロサンゼルス港を合わせると全米一となる。
2007.07.01
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この金鉱石袋は、デンバー空港での乗り換え時間待ち中、お店を覗いていた時にコロラド土産として購入したものですが、何時のことだったか定かではありません。でも、袋に印字された文字が掠れていますので、10~15年前であることは確かな様です。アメリカでの最初の家族旅行は今から27年前1980年、コロラド州デンバーからロッキー山脈国立公園でしたが、その時もどこかの河川で金採掘体験をしたのですが、とても簡単には見つかるものではありませんでした。その時に記憶があって、偶々土産として買ったのだと思います。黄色の解説札裏には価格5.5ドルシールが貼り付けてありますので、自然金が入っている確率は殆どありません。黄色の解説札には次の様に書かれています。この袋は近郊の金山の金鉱石を詰めたもので、有名な南アフリカ金鉱山より2倍程の含有率があります。実際、アメリカでの数多くのゴールドラッシュ地域と比べても格段に含有率が高いのです。最初は1828年ジョージア州で発見、1849年カリフォルニア州に飛び火し、1859年コロラド州、1874年サウスダコタ州、1898年アラスカ州、1902年ネバダ州とゴールドラッシュが続いて行きました。アリゾナ州の特定地域では600年以上に亘って金の採掘が行われています。人類が発見した、自然金の一番大きな金塊はコロラド州からだったと記憶しています。
2007.06.17
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近頃テレビで「ルート66(Route 66)」の道中記が盛んに放映されています。一度は廃線とされたのですが、長い歴史を懐かしんで復活して来たことから、小さな人懐こい町を訪問して古き良きアメリカを堪能しようとの企画の様です。66号線は1926年に創設された国道、ルート66(Route 66)と呼ばれ、全長は3,755km(2,347マイル)。イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンタモニカを結び、沿道の発展を促した重要な道路でした。1960年から1964年にかけてCBS系列で放送された「ルート66」、シボレー・コルベットに乗った2人の若者が冒険を求めてハイウェイを走っていく番組は大変な人気ドラマでした。その主題歌もドラマ主演のジョージ・マハリス歌唱版に加え、大物歌手のナット・コールが歌うに及んで大ヒットともなりました。1985年にインターステート高速道路の発達によりその役目を終えて廃線となったのですが、1990年頃から「歴史的道路」として復活の動きが盛んとなっている。「ルート66」沿いにはオクラホマ州の大都市タルサ(Tulsa)がありますが、20年前にはタルサ市にあるメーカに加工外注していましたので、製造状況監査(Audit)の為、2~3回訪問していました。ホテルは何時もエンバシースイート(Embassy Suite)、全室ゆったりしたスイート形式で宿泊料に「ビュッフェスタイルの朝食込み」が売りのホテルでした。バートルスビル市は「ルート66」沿いにはありませんが、縁の深い町でもあります。ガソリンに「フィリップス66(Phillips 66)」と言うブランドがありますが、1920年代後半にガソリン新ブランドテストに「ルート66」が使われた際、検査員が速度計を見て「車は時速66マイルで走っている」と言ったことから、車速度と道路番号をかけて、新製品は「フィリップス66」と名付けられたとの由来がある様です。オクラホマ州バートルスビル市を訪問したのは10年前、石油会社フィリップス(Phillips)への技術説明が、出張の目的でした。タルサ(Tulsa)からレンタカーして行ったのですが、将にフィリップス66の町で、宿泊したのもフィリップス社推奨の林の中にある小さなホテルでした。この10年の間に、Phillips社はConoco Phillips社に、Embassy SuiteはHilton系列となりました。我が身世に古る眺めせし間に、世の中は目まぐるしく変わっています。
2007.06.02
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この前の日曜日、訪問された方に写真アルバムでも見せようとしていました時に、偶然にこの写真を発見しました。1980年代後半、フェニックス市で開催されたASME国際ガスタービン会議中に、空き時間を利用してドライブした時の記念写真、荒野に佇むアリゾナ州特有の大きなサボテンに寄り添ってのもので、後ろには奇妙な景観の山が見えますが、これが迷信山(Superstition Mt.)、アパッチ属インディアン伝説の山と考えられます。サワロ・カクタス(Saguaro Cactus)は、地面から真上に成長する巨大なサボテンでソノラ砂漠の象徴とも言える植物です。その形状は、中心となる1本の柱と、その柱から枝分かれした何本かの柱からなるもので、砂漠に立つその姿は、王者の風格が漂う。このサボテンは、日本では「ハシラサボテン」に分類されています。右端に立つ私も未だ40才代半ば、企業戦士としてアメリカでの輸出案件応札業務に「やる気満々」の時代でした。関連情報、その他の写真は次の日記に掲載しました。アパッチ街道から迷信山-Apache Trail to Superstition Mt.
2007.05.30
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大きな画像をみてください、群がる見物客に比べて、何と大きな樹木でしょう!朝の冷気に包まれた森の中で、すっくと立ち続ける姿は、将に偉容です。住友林業の「すてきな家族」見本小冊子が今朝宅急便で送られて来ました。送付案内状には次の様に記載されていました。先般、お借りしました「シャーマン将軍」写真を掲載した住友林業の「すてきな家族」と言う冊子が出来上がりましたので、見本誌をお送り致します。写真には撮影者名も掲載させて頂きました。些少ではございますが、お礼を同封させて頂きます。このたびは、本当にありがとうございました。インターネット公開しているコンテンツが少しでも注目されて、画像が使用されると言うのは嬉しいことでした。しかし何気なく公開していますと無断転載されることが多いのではと思いますが、厳密には著作権法で保護されていますので、借用使用には許諾が欠かせない条件となることを思い知らされました。このブログでも、「花の解説」にはインターネット検索して、インターネットでの掲載記事と断わり書きを付け、フォント色を変えて分かりやすい様に借用しています。今回の案内状紹介でも、その様にしています。しかしながら、今回の出版社の対応を見て、本当は一片の記事でもその都度許諾が必要で原典を明らかにしなければならないのだと、再認識した次第です。出版社から写真提供依頼された時のブログです
2007.05.23
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観光客、特に日本人が多いワイキキの浜は、一寸泳いで海底を足で探って見ますと、珊瑚の死骸もあるのですが、自然のもので無い様で、何処からか運ばれて来たのではないかと思ってしまいます。ワイキキの浜は100%人工の海浜で、今でも砂を大量に補充しないと、無くなってしまうとされています。昔はワイキキの浜付近は沼地であって、埋立によって海浜に改造されたのですから、自然に砂を供給する機能も無いので当然とも言えましょう。その点、少し離れてダイヤモンドヘッド近くにあるハナウマ湾(Hanauma Bay)は砂地と珊瑚礁が入り交じった美しい自然海浜です。水中ゴーグルとシュノーケルを付けて、泳ぎ出しますと、色とりどりの熱帯魚が目の前を泳ぎ過ぎて行きます。ハワイ海浜自然の本当の姿を満喫するには、ワイキキの浜では無く、ハナウマ湾に行ってみる必要があります。20年前に行きました時は、休憩施設もありませんでしたので、車の中で水着に着替えて坂を下りて海岸に行き、泳ぎ終わりましてもシャワーも無いので、海水でベタベタしたままで衣服に着替えてホテルのあるワイキキに戻るより、仕方がありませんでした。
2007.04.04
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アリゾナ州フェニックス市街地の東端にあるアパッチ接続点からアパッチ街道(Apache Trail)が始まります。この辺りからは町中でも、サボテンの代表格とされるサワロ・カクタス(Saguaro Cactus)がよく見られ、そのまま景色の良いポイントが多いドライブ・ルートとなります。しばらく行きますと、奇妙な景観の山が見えますが、これが迷信山(Superstition Mt.)、アパッチ属インディアンの伝説の山なのかも知れません。迷信山(Superstition Mountain)を背景に、Cactusサボテン原野を撮った写真が散失して見つかりませんでしたので、上記の写真はインターネットでダウンロードしたものです。ルートを登り切ると、キャニオン湖が眼下に見える眺望ポイントに到着します。この写真は20年前、フェニックス市で開催されたASME国際ガスタービン会議中に、空き時間を利用してドライブした時の写真です。月日の経つのは速いもので、故人となられた方も、この時は元気でした。アパッチ街道はアリゾナで良く知られた、景色観賞ドライブの1つで、アパッチ・インディアンの通行路とされて来た歴史的なルートである。その47マイルの道路は、フェニックス市街のアパッチ接続点から始まり、3つの湖の眺望、Tontoの国有林、崖住居および他の多くのポイントを通って迷信山を仰ぎ見る。 Teddy Roosevelt大統領はアパッチ街道の開発、そして保存の役割を担った。サワロ・カクタス(Saguaro Cactus)は、地面から真上に成長する巨大なサボテンであり、ソノラン砂漠の象徴とも言える植物です。その形状は、中心となる1本の柱と、その柱から枝分かれした何本かの柱からなるもので、砂漠に立つその姿は、王者の風格が漂う。このサボテンは、日本では「ハシラサボテン」に分類され、「弁慶柱」等の鑑賞名が付されています。最もアリゾナらしいサボテンとも言える。
2007.03.18
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この画像は壁紙をあるWebサイトからダウンロードしたもので私の写真ではありませんが、Texas Oak 樹間にTexas Bluebonnet/Indian Paint Brushの群落が咲き乱れる様子を、多分4月初旬にテキサス州南部で撮影したもので、野生の自然再現が美しく、昔を懐かしく思い出します。英語のoak(オーク)には、常緑性のカシと、落葉性のナラの区別が無いらしい。ヨーロッパにおける常緑性のカシ類の分布は南ヨーロッパに限られており、イギリスをはじめとする中欧・北欧に分布するoakは、日本語ではナラと呼ぶのが正しいと思われる。Oak Treeと言うと通常「樫の木」と翻訳されていますが、英語の母国イギリスには「樫(カシ)の木」は存在せず、「楢(ナラ)の木」が本来のOak Treeであるらしい。しかし、テキサス州の乾燥した荒野に自生するTexas Oakは常緑樹で、従来通りの「樫(カシ)の木」を充てるが正しい様です。ブルーボンネットは、ルピナスのテキサス固有の矮性種Lupinus texensisで、日当たりの良い乾燥した荒野に自生している野の花です。橙色に見えるのは、やはり野の花「インディアン絵筆(ペイント・ブラシ):Indian Paint Brush」で、これが混じっていると色の対比が際立ってきます。Texas Live Oak is an evergreen or nearly evergreen oak tree, native to the southern United States. This live oak in the white oak section is distinguished from Southern live oak most easily by the acorns, which are slightly larger and with a more pointed apex. It is also a smaller tree, not exceeding 1m in trunk diameter (to 2.5m diameter in Southern live oak), with more erect branching and a less wide crown.Texas live oak is typically found on dry sites, unlike Southern live oak which prefers moister conditions.Texas Bluebonnet - Lupinus texensisAdopted as the "State Flower of Texas", this is the most commonly seen variety along roadsides and in uncultivated pastures throughout the state. Flowers are densely arranged on a spike with a characteristic ice white terminal tip. Bluebonnets cannot tolerate poorly drained, clay based soils. This prefers a sloped area in light to gravelly, well-drained soil and requires full sun.やはり、野の木、野の花はスケールの大きさでは、園芸の巧みさを凌駕する様です。又、何時の日か、平原を見渡す限りに咲いているTexas Bluebonnetを見たいものだと思っています。
2007.03.07
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先日、年賀はがき保存箱を整理していましたら、懐かしい絵葉書が出て来ました。モントリオール中心街に位置するホテルChateau Champlainの写真葉書で、ドミニオン広場と解説されています。往時は航空会社CP Air系列の豪華ホテルだったのですが、今はMarriott系列に替わっている様でした。此処はモントリオール中心街ですから、今では高層ビルが建ち並び、此の36階のホテルもその中に埋没してしまっているのですが、Google Earthでチェックしてみると、未だ確かに存在しています。進化の著しいGoogle Earth、Montrealはカナダ有数の大都会なのですが、未だビルディングの3D表示はされていません。商業の大都市Torontoでは3D表示されていますのに残念なことです。建設完成は多分1975年、その年の12月ビジネスの為、泊まった時は零下30℃の強烈な寒さでしたが、部屋の絨毯はふかふかで暖かかった記憶があります。家族旅行で再訪し宿泊したのは、8年後の1983年8月ですから24年前のこととなり、現在改装して営業を続けているのか確かではありませんが、残っていることは嬉しいことです。30年前にはランドマーク的ビルだったのですが、今は目立たないその他大勢の古いビルに変貌してしている様です。一昔十年と言われますが、既に二昔以上の前のこととなり、1975年ビジネス旅行しました仲間の一人は逝去していることなどを思い出して、忘却の歴史を少し紐解いて、懐かしんでいます。32年前、ホテルの窓から見たマリア聖堂
2007.02.15
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この油絵は25年前の写真をベースにボードに描いたもので、20年程玄関に飾ってあります。時は夏、日は朝(あした)9時頃の風景で、朝日に照らされた轟音水しぶきの白さが印象的でした。2日前の日記と同じように、壁紙Webサイトにて“Sunwapta”で検索してみますと、種々の壁紙が出て来ました。壁紙Webサイトはこちらにあり、殆どが無料ダウンロード出来ますので利用してみて下さい下記の壁紙画像は2004年となっていますので、上記の油絵から23年経っているのですが、殆ど変わらない風景でした。滝の側に見えた、手前の針葉樹が枯れて仕舞っている感じもしますが・・広葉樹林ですと23年も経てば樹木が育って、風景が一変して仕舞うのですが針葉樹林帯では成長が遅いと言うことかも知れません。サンワプタ(Sunwapta)滝はコロンビア大氷原からアイスフィールドパークウェイに沿って流れるサンワプタ川がここで急に流れの向きを変えて渓谷に流れ込み、アサバスカ川に合流する地点にあります。中州を両側から巻き込むように流れた川が滝に続いて行きます。その他の油絵はこちらで見ることが出来ますListボタンで展開し、特定の絵をクリックすれば大きさも変えられます!
2006.10.08
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この素焼きの土笛はメキシコ人土産売りから買ったもので、特別に価値のあるものではありません。一応吹けば音は出るのですが、少し音程が狂っている様な気がします。しかし、鄙びたお土産品とは言え、ラッパ底部には古代メキシコ人の顔が飾りとして付いているので、何とは無しに気に入っています。ティオティワカンのピラミッドを見に行きましたのは、およそ30年前のこととなりました。未だ円ドルレートが250円/ドルでもあり、海外観光ブームも来ていませんでしたので、今では世界遺産となっているティオティワカン遺跡でも空いていました。高さ65mの「太陽のピラミッド」にはゆっくり登ったのですが、やはり2500mの高地ですので息が切れました。頂上から見る景色は、世界にも稀な壮大なピラミッド通りであることが良く分かりました。そして降りてきますと、この笛を持った土産物売りが寄って来て、買ってくれと言うのです。幾らだったかは覚えていませんが、その頃は11円/ペソでしたので結構な値段だった様な記憶があります。ティオティワカン遺跡(Teotihuacan)は1987年にユネスコ世界遺産となっていますが、未だに発掘が続けられており、進み具合は全体の10%程度にしか達していないと言う情報もあります。25年前のティオティワカン訪問記はこちらです
2006.10.07
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このジグソーパズルはアメリカ在住の時、トイザラスで買って来て苦労しながら25年も前に完成させたものです。他にも数点ジグソーパズルを残してありますが2500ピースは我が家ではこれだけです。色も褪せ埃も被っていますので見栄えはしませんが、好きな景色ですので未だに部屋の壁を飾っています。カナデイアンロッキーでの5大氷河湖の一つとされるボー湖は、観光道路であるアイスフィールドパークウエイに面していて、バンフ観光のメッカであるルイーズ湖(Lake Louise)からコロンビア大氷原を目指して北上して行きますと、程なく道路から左側にあって直ぐ見える処に位置しています。ボー湖畔からそびえ立つクローフット山(標高3050m)も見事で、周囲に人工物が無いので、観光客も疎らで大自然の静寂が楽しめます。尤も、近頃は湖畔に宿泊ロッジが出来ているそうですが、影響はあまり無いのでは推測するだけですが・・先日パソコン用の壁紙をダウンロードしていましたら、ボー湖が見つかりました。25年経過しているのですが、湖畔の雰囲気、針葉樹の様子も変わりは無い様でした。この絵は、20年程前に我が家にあった数枚の写真から、ペンティング・ナイフで油絵としたものですが、上記壁紙の雰囲気はそのままかと思っています。ボー湖からはじまるボー川は、観光地バンフの辺りでは氷河が削った横谷を横切り荒瀬となる景色も良く知られ、マリリン・モンロー主演の「帰らざる河」のロケ地ともなりました。
2006.10.06
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パソコン壁紙を提供するアメリカWebサイトを検索していましたら、メキシコ編があり「Xel-Ha」が見つかりました。シェルハ(Xel-Ha)に立ち寄ったのは23年以上も昔のこととなりましたが、今までチェルハーと発音するのだと思っていました。実は米国在住中、仕事で関係のあったアメリカ人から是非行ってみると良い処と言われた時に「チェルハー(Xel-Ha)」と聴いたと記憶したのです。シェルハ(Xel-Ha)とはマヤの言葉で「水の生まれるところ」という意味。シェルハには水の湧き出るところがあり、その川がラグーン(浅い入江)に入り込んでいる。ラグーンには、マングローブが生え白い石灰岩と合い、美しい景色を演出している。遺跡とカリブ海の綺麗な海で知られるマヤ文明遺跡トゥルム(Tulum)訪問の帰途立ち寄ってみました。トゥルム(Tulum)紹介日記はこちらです「透明な入り江で熱帯魚が陸から見える」とアメリカ人の言う通り、将に美しい入り江で水の透明度は抜群、上からも見えますが水中眼鏡を使って泳いでいる人もいました。古い家族旅行写真ですがご覧下さい。ここは砂浜で無く、入り組んだ磯なので水の透明度もあり、魚の住処となる場所も多い様です。昔は海岸線には店・休憩所も無い処だと記憶していましたが、2004年写真には大きな休憩所も見え、シェルハ(Xel-Ha)も驚く程観光地化が進みました。
2006.09.16
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ヨセミテ国立公園の白眉とされるハーフドーム直下にあるミラーレイク、湖と言うより小さな池の様ですが、その名前の通り、湖面に周りの景色が美しく映っています。ヨセミテ国立公園の整備状況は素晴らしく、これも創立者John Muirの精神が継承されているのでしょう。ビジターセンターにはレンタサイクルがありますので、それを利用して行くのが良い様で、大した起伏も無くハーフドーム真下まで自転車で行きますと、其処がミラーレイクで、岩、水、緑が絶妙です。 この写真は23年前の今頃、7月中旬に撮影したもので、Photoshopを使って合成してあります。ハーフドームは逆光で上手く撮影出来ていないのが残念です。これは後年、それらの写真を見ながら油絵にしたものです。正面左側にはMt. Watkinsが姿良く見えています。
2006.07.16
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Yahooフォトスライドショーを直ぐに見られます様にURLを貼り付けてあったのですが、変更となったらしくアクセス不能になっていました。Yahoo Webサイトで確認してみますと次の様に紹介されています。スライドショーがリニューアルされました。テーマと音楽を選ぶだけで、思い出を楽しく演出します。選べるテーマは9種類で、30種類のアニメーションパターンから構成されており、写真をステキに演出します。ご利用いただくには、プレーヤーソフトウエアのMacromedia Flash Player 7.0以上(無料)が必要です。見えないのでは致し方ありませんので、仕方なくテーマを選択して所定のURLを再度貼り付けることにしましたが、100例以上ありましたので大変な作業となりました。何とか修正致しましたので、その一例「Texas Bluebonnet」を基本設定の「ひだまり」と言うメロディーをBGMにしてご覧下さい! 全画面表示も出来る様ですのでそれも試してみてください。 毎年、春になるとブルーボンネットを探しに出掛けました。友人からも情報を得て、車を知らない場所に向かって運転させることも春の楽しみでした。ブルーボンネットは「青い婦人帽」と訳せば良いのでしょうか、文字通り高さが10cm程度の小さくて可愛い草花で、青い花弁の先に白い班があるのが特徴です。開花時期は日本の桜と同じく4月初旬で、幾つかの亜種もあるようですが、全ての種類をテキサスブルーボンネット(Texas bluebonnet)としてテキサス州は公式な州花として指定しています。正式な学術名はルピナス・テキセンシス(Lupinus texensis)となっていて、ルピナス属の原種の一つである様です。通常のルピナスより矮小な種類で花の色は青色だけ、稀には突然変異で色が抜けた白い種類もある様ですが、先ず見つけることは出来ず、私も見たことはありません。 ブルーボンネットは痩せた土地にでもルピナス以上に群生して咲きますし、開花した時は平原は青い花の絨毯と化し、綺麗な湖水が突然現れた感じもします。ヒューストン市から州都であるオースティンに至る地域がブルーボンネットの群落が良く見られるとして知られています。その途中のブレナム市は“ブルーボンネットの町”と名付けられています。
2006.04.10
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テレビ朝日系列の長寿番組「世界の車窓から」で、大陸横断鉄道カナディアン号が漸く一昨日観光地ジャスパー(Jasper)に到着、昨日はジャスパーの町が紹介されました。ジャスパー国立公園の入口スポットとは言え、観光客で溢れかえるバンフ(Banff)とは異なり土産物店も無く、駅前にはホテルも無い相変わらず静かなダウンタウンの様子で、懐かしく見てしまいました。私達家族旅行で、カナダ国有鉄道(CNR: Canadian National Railway)を利用したのは25年も前、1981年8月初旬でした。バンクーバーから20時間掛かる夜行列車で、ジャスパー駅到着は午後3時となっていました。この辺は緯度が高く午後10時頃まで暗くは成りませんので、レンタカーにてジャスパー国立公園の白眉マリーン湖(Maligne Lake)に迄出掛けました。その帰途、夕暮れと共に冷えて来て、半袖ではいられない程気温が下がって来ました。宿泊するロッジ(Tekkara Lodge)に帰って来た時は、夜の帳がすっかり降りていましたが驚く程寒くなり暖炉に火を入れた覚えがあります。大陸の真ん中で緯度も高いと夜の寒さ対策様に暖炉用の薪は一年中常に装備されていたのです。
2006.01.29
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テレビ朝日系列の長寿番組「世界の車窓から」で、つい先日から初秋のカナダ横断編が始まりました。僅か5分番組ですので車窓内外の様子を見せながら、これから2ヶ月間の放映で西端バンクーバーからトロント、ケベックを経て東端ハドソン湾の小さな町チャーチルまでを旅するとのことです。テレビ朝日の番組案内には次の様に紹介されています。1月9日から3月19日放送まで放映予定:豊かな大自然の宝庫、多様な人種と文化が融合する国、カナダの旅。大陸横断鉄道カナディアン号は、西の玄関口・バンクーバーを起点に東へ走ります。カナディアン・ロッキーを越え、内陸の平原を抜け、カナダ最大の都市トロントまで3泊4日の行程です。さらにはフランス文化色濃い世界遺産の町ケベック・シティを目指し、秋のメープル街道を走ります。ローレンシャン高原では一面に広がる美しい紅葉と出合いました。内陸の拠点ウィニペグからハドソン・ベイ号で永久凍土の町チャーチルへ。ユーモラスな白クマや神秘的なオーロラが目を楽しませてくれました。カナダの初秋を彩るバラエティー豊かな車窓をお楽しみください。この大陸横断鉄道カナディアン号は24両連結と、とてつも無く長い列車で、席まで持って来てくれるドリンク・軽食サービスの他、食堂車から展望車も連結されていて、乗客が楽しめる様に工夫されている様子です。私達家族旅行で、カナダ国有鉄道(CNR)を利用したのは25年も前のこととなりました。大陸横断でなく、バンクーバーから観光地ジャスパーへ20時間掛かる夜行列車でしたが、懐かしく写真を取り出して見ています。この列車、24両あったか否か定かではありませんが、やはり相当長い連結だったか様に記憶しています。客室はコンパートメントで、日本の寝台車ぬ比べてゆったりとしていた覚えがあります。この所、日本では新幹線網が発達して夜行列車が殆ど無くなって来てしまっていて、ゆったりとした汽車の旅が満喫出来なくなっているのが残念です。
2006.01.20
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ルイジアナ州とミシシッピ州との州境に上陸したハリケーン「カトリーナ」は死者数千人に達するのではないかと言われ、金額的にも3兆円を越え場合によると10兆円以上ともなる被害規模で史上最悪になるのではと報じられています。上陸前にニューオーリンズ市長が全市民に避難指令を発動したのですが、車等の移動手段を持たない貧困層数万人は、仕方なくスーパードームと言われるフットボール会場に逃げ込みました。しかし、強風で屋根の一部が崩落し、電気設備も故障して内部で過ごすことが出来ない状態となってしまいました。ニューオーリンズ市周辺は湿地帯も多く、温度40℃、湿度80%と言う高温多湿地域ですので夜は何らかの涼み工夫がなければ眠れません。私も22年前ヒューストン市に居てハリケーンによる被害で1週間避難した覚えがありますそこで、避難した人々を安全でライフラインのある所へ再避難させることが漸く実行される様になりましたが、対応遅れで不満爆発一歩手前の状態となっている様です。そんな中、ヒューストン市南部郊外にあるアストロドーム(Astrodome)が、ニューオーリンズ市のハリケーン被害者の避難所となったと言うニュースが報じられています。ハリケーン「カトリーナ」の被害が広がる米南部では9月2日、当局がルイジアナ州ニューオーリンズ市(人口約50万人)に取り残された数万人の市民の救出を進めた。米メディアによると、これまで沿岸警備隊は住宅が水没などした地域から約3000人を救助した。 冠水した市街地では主な避難施設に約5~6万人が残っていた模様だが、バスの不足だけでなく、隣接州にある移送先の避難所の一部はすでに満杯となるなど、被災者たちの移送は難航している。テキサス州ヒューストン市の野球場アストロドームは9月1日夜、1万1千人で受け入れを停止。被災者はさらに遠方の同州サンアントニオ市などに移送されている。アストロドームは屋根付き完全冷暖房完備の球場として1965年完成、野球場、フットボール会場、その他大きな催し物会場として使用されて来ましたが、老朽化が激しくなり野球・フットボール用の会場としては1999年その指名を終えたのです。しかし、3000~5000台とも言われる全米一大きな駐車スペースを持っていますので、解体されること無く大きな催し物会場としては未だに利用されていた様で、今回の避難場所に使用されると言う久しぶりの大役を担うことになったのは感慨深いものがあります。避難された方々が其処で少しでも過ごしやすく、以前の生活に戻ることの出来る意欲を少しでも早く回復されることを祈っております。
2005.09.03
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モレーン湖はバンフ国立公園に隣接するヨッホー国立公園の中にあり、カナディアン・ロッキーの中で一番美しい湖だと思っています。「カナディアン・ロッキーの宝石」と呼ばれるバンフ国立公園の白眉とされるルイーズ湖と較べても遜色無く、湖畔にはバンガローらしい宿泊設備はありますが、大きなホテルが無いこともあって、夕刻の雑踏が比較的少なく、静寂が保たれている様に思われます。モレーン湖の絶景ポイントは湖畔にある岩に登った所で、殆どの紹介写真はここから撮影されています。見上げれば湖を囲む「テン・ピークス(Ten Peaks)」と呼ばれる氷河を抱いた10の山々が連なり、見下ろせば湖はエメラルドグリーンで、山肌と湖のコントラストが素晴らしい絶景を醸し出している様です。撮影時刻は、どうも午前中にベストの様ですが、私の写真は夕刻で日没が迫っている時刻、又、季節は8月初旬で氷河が少し溶けて、小さく見える頃でした絶景ポイントに登って撮影したのですが、上手く撮影するには広角レンズが必要の様ですので、仕方なく角度を変えて2枚の写真を撮影しました。 左側の写真は夕日が湖畔の岩壁に映えて綺麗に撮れていますが、右側の写真は夕日がハレーションを起こして少し色が飛んでしまっています。これはフォトレタッチの「Photoshop」と言うソフトで合成した写真です。湖面の色が中央で変わってしまい、あまり上出来とは言えませんが自分なりに許される出来と思っています。
2005.07.10
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カリフォルニア州のセコイア国立公園には世界一の容積の大きな樹木「シャーマン将軍の木」があります。見物客が小さく見えますので、その大きさが分かります。それは杉科属ジャイアント・セコイアと言う種類の木で、根元直径12m、樹高84mは何れも世界一ではありませんが、樹木容積1490m3が世界一とされています。推定樹齢2700年は、最長樹齢のブリッスルコーンパインの4000年には及ばないものの、大したものです。一時、屋久島の縄文杉が樹齢7000年と言われ世界一長寿命と騒がれましたが、近頃は2700年程度に修正されたそうですので似たような永い樹齢です。ジャイアント・セコイアは樹皮が厚く火災には強いそうですが、内部の木質が柔らかすぎて建材とはなりません。19世紀後半に乱伐されたのですが、建材にならないことが判明しますとそのまま放置されました。その後、その特異な樹形と生態が注目され、1890年に全面的な保護政策がとられ守られてきたと言うことです。-50cm近くもある厚くて柔らかい樹皮を持って、火事から身を守っている。-根は大きいが極めて浅く、精々2m程度の深さしかありません。セコイアの巨樹は過去10~30年に一度は必ず山火事を体験して生き延びて来たらしいのです。更にその種子は火事の熱に逢わないと落下せず、灰の中でしか発芽しないそうです。又根が浅いのも問題で、下草が繁茂してしまうと栄養分が吸い取られてしまいますので、山火事で定期的に除草されないと樹勢が弱ってしまいます。こうして山火事の重要性が解ってからは山火事も被害が拡大しない限りは人為的に消火せず、自然に任せるようになったとされています。ジャイアント・セコイアの大木は、公園内のそこ此処に見ることが出来ますが、確かに樹皮が黒こげになった木も多く見受けられます。
2005.07.08
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Finepix F10の試し撮りをして見ました。フィルム感度ISO1600・手振れ補正ありと言うことなので三脚無しとし、カーテン越し室内で油絵を630万画素ノーマルモードでオート撮影しました。オートですのでフィルム感度がどの程度だったのかチェックしていませんが、まあまあの出来だと思います。従来のFinepix 6800ZではISO400ですので、三脚で固定して撮影しないと手振れで失敗が多かったのと較べますと格段に撮影し易くなりました。原画像は1.3MBありますので、84kBに圧縮してアップすることにしました。この絵は筆を一切使わず、ペイティングナイフ・パレットナイフだけで描いたもの、光線の配慮が足りず一部絵の具の盛り上がった所にハレーションが見られますが荒いタッチが良く再現されています。この絵のポイントとなったボー湖はジャスパー国立公園から南下し、バンフ国立公園に入った所にある美しい湖で、訪問客の多いコロンビア大氷河は正面に見えるMountain Peakの向こう側にあります。喧噪の激しいコロンビア大氷河と違い、静寂を楽しむことの出来る素晴らしい湖です。少し大きい画像はこちらです!
2005.04.17
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私が過去30年間に訪問しましたアメリカ各地を案内しているWebページです。Webページではクリッカブルリンクを使っていますので、片仮名・漢字で記載された所にカーソルを近づけますと、カーソルの「矢印」が「手」に変化します。そこでクリックしますとリンクした各地区案内Webページが出て来る様にしてあります。アメリカはバラエティに富む広大な土地と合衆国と言う州の独立性が確保されていることから、独自の文化を守りながら発展している地域が多いのです。地政学的にはミシシッピー川を境にしている様に思います。アメリカ東部は「アメリカ文化の中心地」と題して、8地区を紹介しますアメリカ南部は「開拓者の夢の跡」と題して、7地区ですアメリカ中央部は「穀倉地帯と工業地帯の混在する地域」として紹介しますが、4地区しかありませんテキサス州は「広大な独立共和国」として、10地区、住んでいたので多くなりましたアメリカ山岳部は「美しい自然の宝庫」と題して、8地区を紹介 アメリカ西海岸は「活気の溢れる州群」と題して、7地区ですが、人気観光地サンフランシスコ、ロサンゼルスは此処には入れていません合計40余の地区ですが、旅の備忘録のつもりで作成しましたので訪問時期が昔である所も多いことから、一部情報が古いのはご容赦頂きます。
2005.02.16
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米国ルイジアナ州ニューオルリーンズ近郊のポンチャトレイン湖の浅瀬に掛かるポンチャトレイン湖高速道路橋(Lake Ponchatrain Causeway)は、アメリカでは珍しく有料道路となっています。最も、有料とは言え通行料が1ドル程度なので高くはありませんし、負担にも感じられません。ポンチャトレイン湖とは言え、海岸の浅瀬に位置する入江湖ですから海水で満たされていますので、低い橋脚を使った沿岸道路と言っても良いと思います。この橋の長さが24 Miles(40 km)あり、有名なフロリダ州キーウェスト橋を抜いて、世界一長い橋となっています。ポンチャトレイン湖は水深がそれ程ありませんので、湖の真ん中を対岸まで突っ切る様に建設されています。40 kmの水上道路橋は世界一の長さで、片側2レーン毎に独立橋となっています。湖の真ん中 8 Miles 区域は両岸を見ることは出来ません。この橋は長すぎますので、途中3個所にUターン出来る様に独立橋が連結されていますし、途中2個所に船を通過させる様に高架橋が装備されています。この写真は今から22年前の1983年1月に家族旅行でLake Ponchatrain Causewayに行った時のものです。終点の対岸近くのUターンする場所で撮影し、渡りきらずにニューオルリンーズの方へ戻りました。Arctic Frontがメキシコ湾まで南下した寒い日でした。建設はプレファブを利用した大量生産方式の橋桁を使って1956年に僅か14ヶ月の工期と総工費 51 MM$(当時の換算で約190億円)で完成を見ました。地下岩盤と水深、耐震構造、海底トンネル併設の違いがあるにせよ、東京湾アクアラインが10余kmで、数年の工期と1兆円を超える総工費と較べると彼我の差があります。やはり日本の公共事業は費用を掛け過ぎていることは間違いありません。東京湾アクアラインの通行料が安くなったとは言え、3000円もすることは産業にも観光にも高過ぎ支障を来している様に思います。本四架橋もそうですが道路橋を通過するのに、数千円が必要となることは社会基盤の条件としては異常であること認識しなければいけません。
2005.02.12
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ペンサコーラ(Pensacola)ビーチはアメリカで一番美しい海浜かも知れません。アメリカ最南部を東西に走るインターステート10号線から出て南に走り中心街を通ってペンサコーラ湾橋を渡ったサンタ・ローザ島のメキシコ湾海浜がそれです。メキシコ湾の海岸は遠浅で海水浴に適している場所が多いのですが、土と砂が混在した様に赤茶けている細かい砂の海浜が殆どで、テキサス州南北パードレ・アイランド、ガルベストン・アイランドからルイジアナ州、ミシシッピー州、アラバマ州に至る迄、白砂青松の海岸とは行きません。別に汚れている訳では無いのですが、遠浅であることから非常に細かい砂が波に巻き込まれて海岸付近は褐色に見えてしまうのです。しかし、フロリダ州に入って見ますと情勢は一変します。質の高いビーチが多いことで知られ。真っ白な砂とエメラルド色の海が、多くの観光客の目を楽しませ、多くのビーチがレクリエーション地域に指定されています。この地域の海岸線は、純度99%の石英白砂に覆われ、自然のそのままの形が残っており、数百種の野鳥や動植物を観察出来る様です。フロリダ州北西端の街、ペンサコーラは米国内でも歴史の古い町で、アメリカ海軍用航空基地として知られ、アクロバット飛行で有名なブルー・エンジェルスの本拠地としても知られています。この画像はインターネットでダウンロードしたもので、私の撮影ではありません。1982年1月、家族でのマイアミ旅行の帰り道ペンサコーラに泊まりましたので、翌朝半島状になっているPensacolaビーチに行ってみました。マイアミと違って非常に肌寒く感じましたが、海岸の白砂がまばゆいばかりでした。ホワイトサンドはその清浄さから「鳴き砂」だと言われ、又透明さから別名シュガーサンドとも呼ばれるそうですが、将に白粗目糖の様に綺麗でした。少し袋に入れて家まで持ち帰り、帰国まで庭にありました。
2005.02.06
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ビロキシ(Biloxi)はメキシコ湾岸の海岸リゾートとして知られていますので、遠い昔家族で出掛けたルイジアナ州ニューオルリーンズ訪問後、足を延ばしてミシシッピー州まで行ってみることにしたのです。アメリカの雨季は11月から3月迄、1月初旬、到着した夜には冷たい雨が降っていました。翌朝には上がっていたのですが、時期は冬、不幸にもアークティック・フロントがメキシコ湾に下って来ていて、海岸は寒くて散歩出来ませんでした。アパラチア山系に防護されるフロリダ州と違って、テキサス、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマには北極からの寒冷前線がメキシコ湾まで下がって来るのです。1983年1月、誰もいない海岸で防寒服を着ていても寒かったのです。22年経過した現在息子達は家を出ましたので、懐かしい写真となりました。ビロキシ(Biloxi)はインディアン語で「最初の人達」と言う意味で、1719年から1723年迄、フランス領ルイジアナ地区の首都だった様です。その後首都はニューオルリーンズに移され、ビロキシの所領はヨーロッパ各国の争奪の地となり、フランス、イギリス、スペインの統治下に入り、西フロリダ共和国から最終的に米国連邦政府所属となりました。そんな歴史から、各国の文化が混在しているとされています。ルイジアナ・ミシシッピーの両州は賭博ビジネスが許される州ですので(テキサス州は禁止で賭博場、競馬場等はありませんので、ギャンブル好きな人は州境を越えて行って楽しみます)、現在はカジノも設けられ海岸リゾートとして益々発展している様です。しかし、今でも漁港として海老、牡蛎の荷揚げが多いそうです。インターネットで見つけ、スキャンした写真です。冬以外はやはり快適だと思います。砂州の突端に見えるビル群がカジノホテル群、22年前は無かったと思います。
2005.01.18
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カナダ東部の冬はとてつもなく寒いとの印象があります。遠い昔の1975年12月中旬、初めてモントリオールを訪れた日は雪が降っていてそれ程寒くはなかったのですが、夜には降り止んでいました。翌日快晴となったのですが、夜来の放射冷却の為か朝日に照らされても温度は全く上がらず、昼を過ぎても氷点下15℃、夕刻には零下28℃に下がってしまいました。この写真は快晴となった朝、ホテル30階の部屋からドチェスタ-広場を撮影した写真類の一枚です。車道には塩を撒きますので、自動車の通った後は零下の気温でも溶けていますが極寒の日でした。640x480ドットの大きな画像でしたので、Yahoo無料HPサイト(http://www.geocities.jp/)を使ってアップしました。この教会は世界の女王マリア聖堂(Cathedrale Marie Reine du Monde: Mary Queen of the World Cathedral)として知られ、ノートルダム寺院と共にモントリオールの名所となっています。1886年ロ-マのサンピエトロ寺院に模して建てられた教会で1/4レプリカだとのことです。又ドチェスタ-広場(Dorchester Square)は観光案内所や観光バスの発着所となっている様でしたが、その時は凍った路上を数分も歩くと足の感覚が無くなる程冷え、空気を吸い込むと肺炎になりそうで、殆どホテルに缶詰状態となりました。8年後の1983年8月家族旅行で再訪した時は、美しい緑に囲まれていました。やはりカナダは夏行くに限ると思います。
2004.12.16
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ナバホインディアンはアメリカ原住民の中で最大の部族で、居住地域はアリゾナ、ユタ、ニューメキシコ州に亘っており、有名なモニュメント・バレーはその中心に位置し聖地とされています。 地質は軟らかいサンドストーンで 何万年もかかって風化され創られた景観で、西部劇の舞台でも有名となりました。ナバホの砂絵(サウンドペインティング)は、昔から病気、治療のための助けの儀式の為に製作が行われていた様です。この絵の裏側には次の様に書かれています。「Ghoii Askidii」(意味不明です)「この砂絵はナバホ宗教の一部であり、この絵は全て自然色で作られています」「James C. Joe Shiprock New Mexico」この他にも、アリゾナ州フェニックスで買いました宗教的色彩の無い「静物:壺」の砂絵があったのですが、他人に差し上げてしまったのか、見当たりません。砂絵の他、「ナバホラグ」が知られていて、数年がかりで作られる複雑で美しいラグは高価なもので、コレクターが多くいることでも有名です。アメリカ原住民はオリエントに属する文化の民だったのです。"砂絵"and"ナバホ"で、インターネット検索しますと或るWebサイトには次のような記載がありました。ナバホの人々の文化的な洗練は注目に値する。彼らの創りだす砂絵は、現代の美術シーンにとって強い示唆に富むばかりでなく、美術の領域を超えて、人間の芸術的行為の総合的なあり方のひとつのモデルを提供する。一連の砂絵の制作の過程は、チベットの砂絵マンダラと同じように砂絵を壊して完成する。非保存性の一期一会の宗教的行為である。したがって、この本に至る経緯は特異なのである。一般的に、宗教的伝統行為な美術は製作や図像の約束事を特徴としている。アメリカ南部に居住するアラバマ・コアサティ部族のインディアン居留地訪問記はこちらをご覧ください!
2004.11.09
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観光土地の土産物的色彩の強いスーベニアスプーンは通常はクロムメッキのものが多く値段は5~600円程度だと思いましたが、何時の頃からか銀メッキのものが目に付くようになりました。1000円内外の値段だったと思います。その後、ピューター(Pewter)のスプーンも多くなって来た様でした。ピューターは錫にアンチモン、銅を入れた合金で、何時までも白い金属色の光沢が失われないので良いのですが、柔らかいが玉に瑕で落としたりしますと枝が曲がってしまったりしてしまいます。金メッキのスーベニアスプーンを見ましたのは、1995年チェコ/プラハでの市内散策見物をしていた時でした。値段は3000円程度もして高いものだと思いましたが、銀メッキと違って磨いたりする手間も必要ないと思って購入して見ました。翌年はローマで、1998年はコペンハーゲンで目について思わず買ってしまいました。スプーンラックから外して、テーブルに並べて撮影したものですがスプーンの中にもホーロー質の絵が描かれていて、高い値段であったこともあって、一寸豪華な気もして来ます。我が家にありますスーベニアスプーン(Souvenir Spoon)は100本を越えましたので、ラックに入らず、古くて錆が出て来たものから順に抽出の中に入れてしまっています。104本スーベニアスプーンを収納した三つのラックの画像については、こちらの昨年4月の日記をご覧下さい!インターネット検索しますと、米国では主婦の趣味としてのスーベニアスプーン倶楽部等もある様で、レアもの・スプーンラック販売Webサイトも結構な数見受けられました。一例としてAmerican Spoon Clubs and CollectorsのWebサイトです。日本では、観光地でスーベニアスプーンも売ってはいませんし、この趣味は未だ限られている様に思います。
2004.10.29
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米国ワシントン州のヤキマ市にはセント・ヘレンズ山噴火前に二回程訪問したことがありましたが、既に24年以上も経過して記憶の彼方になっていました。ヤキマ市は米国最大の林檎の生産地で、日本の青森県板柳町とは姉妹都市関係にもあった様でした。1980年当時、ヤキマ川の水を高台丘陵迄揚水し灌漑設備を整備する林檎生産地拡大を計画中で、ガスタービン駆動の大型ポンプ導入の話があって米国GE社の人達と共に技術説明に行ったのです。しかし、セント・ヘレンズ山噴火による降灰で林檎畑は壊滅に近い被害に見舞われてその復旧が急務となり、灌漑設備計画は中止となってしまったのです。残念ながらビジネスが再開することも無く、訪問した写真もありませんでしたので、記憶も薄れていたのですが、今回のセント・ヘレンズ山水蒸気爆発ニュースで懐かしく思い出しました。インターネットニュースでは以下の様に報じられています。米西海岸ワシントン州の火山セント・ヘレンズ(Mt. St. Helens:2549m)で10月1日、水蒸気爆発が起き、AP通信によると噴煙は一時、高度5000m近くに達した。けが人など人的被害は出ていない。米地質調査所は2日、近く再噴火する恐れが高まってきたと発表、火口から約8km離れたビジターセンターにいた観光客ら数百人を退避させた。約1週間前から続いていた地震は1日の小噴火でいったん沈静化したが、その後再び増加。2日には、少量の水蒸気の放出に続き、地下のマグマの動きを示すとみられる低周波の微動も観測された。セント・ヘレンズは1980年に起きた大噴火で山頂が約400m崩壊し、57人が死亡、家屋200棟以上が損壊し、被害面積は数百平方kmに及んだ。又、オクラホマ州まで降灰が観測された。同調査所は米メディアに対し「今回再噴火が起きても、1980年の噴火より規模ははるかに小さいと見られる」と話している。セント・ヘレンズ山でインターネット検索して見ますと次の様に説明されています。セント・ヘレンズ山は、1980年5月8日に大噴火を起こした。大規模な水蒸気爆発が起こり北側崩壊、以前は富士山のような円錐型だったが、崩壊により山頂部分400mが飛ばされてしまい、磐梯山のような馬蹄形となった。火口周辺や川沿い地域は火砕流や泥流に覆われ、北に広がる地域は爆風により木々がなぎ倒され枯れてしまい地肌が露出した。しかし、周辺は国定公園である為、環境の人為的な回復は避けられている。1980年秋には、その火山灰をガラスに封じ込めたペーパーウェイト等が販売されましたので、奇妙な色合いに魅力を感じて購入、その後のメキシコ訪問時、土産物として持参しメキシコ事務所の方に差し上げたことなども懐かしく思い出しました。
2004.10.05
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メキシコにはメキシコシティを中心に1970年代後半から1980年代前半に掛けて20回程度訪問しているのですが、メキシコ石油公社、電力庁、電力会社へのビジネス出張が殆どでしたので、メキシコシティの写真が全くありません。特に1980年代は駐在地のテキサス州ヒューストンからの毎月とも思えた短期出張が多くなり、ヒューストン通関では係官から「何故頻繁に出入国するのか?」等と聞かれたこともあり、現在でしたら要注意人物でしょうが、当時は今と違って通関も鷹揚でした。又スペイン語が話せませんでしたのでメキシコ事務所の方に四六時中ビジネスも観光もお世話になり、実際は大学都市等の市内観光、アラメダ公園のマリアッチ演奏、郊外ツーラ市にも出掛けているのですが、自力で訪問していないことで写真撮影する気があまりしなかったのだと思います。自宅にあるアルバムを調べましても、事務所の運転手に連れて行って貰いました遺跡見学の写真だけしか見つかりません。 アルバムにはカンクーンへの旅行写真だけが20数枚程度残っていますが、帰国直前にメキシコ事務所の方に薦めらた家族旅行だったからでした。太陽の石-アステカの暦メキシコシティのレフォルマ大通り近くの日本人経営のお店で買いましたアステカの暦の紹介です。テオティワカン遺跡テオティワカン遺跡はメキシコの首都メキシコシティの北東50kmの高原にあります。 トゥルム遺跡-マヤ文明カンクーンはユカタン半島の北東部、カリブ海に面した“日本の天の橋立”を数倍大きくした様な砂州に開発された、メキシコが誇るリゾート地です。エルパソ/シウダー・フアレス-国境の町シウダー・フアレスはメキシコで“初めての現地人大統領”フアレスに因んだ町名です。
2004.09.26
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今年の日本も台風の来襲・上陸が多いのですが、アメリカでもハリケーンが猛威を振るっています。日本近海も、カリブ海も例年以上に海水温が高く、台風・ハリケーンの発生が多い様です。これが今年だけですと未だ良いのですが、近年の地球温暖化が深刻に影響し、今後も続く傾向では無いかと危惧しています。カリブ海で生まれたハリケーン「アイバン」はジャマイカ、キューバを通過する際には、カテゴリー5(風速69メートル以上)以上の最大級のものと言われましたが、南部アラバマ州に上陸に際してはカテゴリー4(風速60メートル以上)にスケールダウンした様です。それでも、広い範囲で洪水や停電の被害が出て、200万世帯以上が避難、特に直撃を免れたルイジアナ州ニューオルリーンズでは勧告を受けて住民150万人の内120万人が避難した様で、この逃げ方も異常です。被災現場では、ハリケーンの影響による竜巻の直撃を受けて橋が流され、冠水で道路が陥没するなど大きな被害を残した。強風による停電は計150万世帯、17日現在も一部で停電が続いているとの報道です。ハリケーン「アイバン」は16日夜から勢力を弱めていますが、被害額は30億ドルから100億ドルに達する見込みと言うことです。アメリカ政府は先週ハリケーン「フランシス」に襲われたフロリダ州と共に、ルイジアナ、ミシシッピー、アラバマ州を緊急事態発生地域に指定しました。それにつけても、私達家族も20年以上も前になりますが、ハリケーンに巻き込まれて困ったことを思い出します。4年住んでいる中で唯一の経験でした。1983年8月15日、ルイジアナ沖で発生したハリケーン「アリシア」は急激に勢力を拡大し、18日夜にはヒューストン南部のガルベストン島を直撃しました。カテゴリー3ですから中規模だったのですが、最大風速42m/sで瞬間最大57m/sもありました。一晩中強風が吹き荒れ、送電線が各所で切れて停電となってしまいました。ヒューストン市中心部にあるシェラトン・ホテルでは竜巻に襲われたのでしょうか、窓ガラスが多数割れてしまい、宿泊者は全てロビーに集められる事態となりました。友人が丁度オハイオ州から訪問中だったのですが、一睡も出来なかったと言っていたのです。実際、23もの竜巻が発生したと報告されています。19日にはヒューストン北部のタイラーに至って熱帯低気圧となったのですが、それからが大変でした。私達家族が住むタウンハウス・コンプレックスは1週間以上も電力が復旧しなかったのです。8月のヒューストンは毎日40℃、朝の気温も30℃にしか下がりませんし、湿度も80%もあって、蒸し暑くてエアコン無しでは睡眠を取ることが出来ません。数日ホテルに泊まって、自宅に帰って来て見ますと電力供給が無く、仕方なく施錠を再度しっかりして、他のホテルを探して泊まり歩くことが数回に上りました。電気の無い生活を1週間以上もしましたのは、後にも先にもこの時を除いてありません。家族保護の為、会社にも連絡して欠勤を続けたのも初めてでした。しかし今では、懐かしい思い出となりました。
2004.09.18
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楽天日記も掲載回数600日を越えますと、昔掲載したものが分かりにくくなって来ました。まして1年以上前ですと「全日記」をクリックしてもなかなか探し出せません。そこで旅行紀行を整理して置くことにしました。トップページのモレーン湖(バンフ国立公園)写真をクリックすると過去の日記にリンク出来る様に致しました。ついでにリヨン・ノートルダム寺院写真でフランス・ベネルクス旅行を、ニュルンベルク保存地区写真でドイツ旅行の過去掲載日記にリンクさせる様にしました。私のWebサイトの写真は全て何処かにリンクされる様になっています。オタワでカナダ国会議事堂に入るモントリオールでノートルダム寺院を訪れるトロントでCNタワーに登るオフシーズンのバンフ国立公園グラウス山-バンクーバー夏に訪れたバンクーバースタンレー公園、ジャスパー、バンフ、ヨッホー国立公園は別ページの北米家族旅行をご覧下さい。中央に位置する豊かな穀倉地帯サスカッチワン州では州都のレジャイナに宿泊して会社人達と三人連れで1号線沿いの小さな町Herbert迄、天然ガスパイプラインの圧送ステーション調査にも行き、スーベニア・スプーンも残っているのですが写真は散失してありませんのが残念です。あれば紹介出来たのですが・・
2004.09.03
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