[Stockholm syndrome]...be no-w-here

2022.04.11
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カテゴリ: 呟く残骸
参道の途中に、裏山に掲げた旗がよく見える場所があり、数人の僧侶が旗の方を見上げて何やら議論している。

「風があるから旗が動いたのだ。旗があるから風が動いたのではない」

「いや、いや、あそこで実際に動いているのは旗ではないか。それに旗が動かなければ風のある事も証明されぬ」

「何を言う。風があっての旗の動きではないか。動いたのは風だ」

互いに言い争っているものだから、他の僧侶達も集まって来てだんだん騒ぎになった。

中には「風が動いたか旗が動いたかなど、どちらでも良い話ではないか。坊さん達も暇なものだ」と興味本位で眺めている者もある。

そこへ一人の男が来て、彼らに向かってこう言った。

「風が動いたのでもなければ、旗が動いたのでもない。
 あなた達の心が動いたのだ」

「風が動いた」と見るのも人の「心」ならば、「旗が動いた」と見るのも人の「心」である。

「風だ」「旗だ」と論じるのは、我々の一つ心が動いたからに他ならない。

その同じ一つ心の動きを、どんなに二つに分けて論じ合っても、本質を捉えていなければ、そこに意味など無いのである。

― 形山睡峰 著『「無心」という生き方』より参照 ―





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Last updated  2022.04.14 21:46:20


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