[Stockholm syndrome]...be no-w-here

2024.04.19
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騙されたという事は、不正者による被害を意味するが、しかし騙された者は正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。
騙されたとさえ言えば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

騙されるという事はもちろん知識の不足からも来るが、半分は信念すなわち意志の薄弱から来るのである。
我々は昔から「不明を謝す」という一つの表現を持っている。
これは明らかに知能の不足を罪と認める思想に他ならぬ。
つまり、騙されるという事もまた一つの罪であり、昔から決して威張って良い事とは、されていないのである。

そして騙された者の罪は、ただ単に騙されたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なく騙されるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切を委ねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。
この事は、過去の日本が、外国の力無しには封建制度も鎖国制度も独力で打破する事ができなかった事実、個人の基本的人権さえも自力で掴み得なかった事実と全くその本質を等しくするものである。

そして、この事はまた、同時にあのような専横と圧制を支配者に許した国民の奴隷根性とも密接に繋がるものである。
それは少なくとも個人の尊厳の冒涜、すなわち自我の放棄であり人間性への裏切りである。
また、悪を憤る精神の欠如であり、道徳的無感覚である。

「騙されていた」と言って平気でいられる国民なら、恐らく今後も何度でも騙されるだろう。
いや、現在でも既に別の嘘によって騙され始めているに違いないのである。
一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力が無ければ人間が進歩する訳はない。

この意味から戦犯者の追求という事もむろん重要ではあるが、それ以上に現在の日本に必要な事は、まず国民全体が騙されたという事の意味を本当に理解し、騙されるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始める事である。

ー 伊丹万作【 戦争責任者の問題 】(1946年)より ー




さっさと賢くなれ、日本人!!





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Last updated  2024.04.20 12:37:11
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