[Stockholm syndrome]...be no-w-here

2024.07.10
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★昭和二十年九月初旬(続き)
軽便列車に荷物と一緒に乗せられた我々は広々とした荒野を走り続け、幾つかの集落を通過し丸二昼夜走り続け、三日目の昼頃に広大な農地が広がるソホーズ(国営農場)に着いた。 農場の集落に引き込まれた軽便鉄道の駅?(駅舎などは無い)で我々全員が降ろされた。

だだっ広い農場の真ん中だ。周囲にはみすぼらしい農民の家が十五、六軒点在しているだけだ。丸太を組んだ小さな家ばかり、国内で見る丸太造りのログハウスとは程遠い貧弱な代物なのだ。家と云うより丸太小屋と呼ぶのが正しいのかもしれない。
周囲に申し合わせたように寄せ集めた不ぞろいな板切れで家の周りに柵が作られている。部落全体では三十軒位は在ったと思われる。部落に通じる道は凸凹のうえ地道に水溜りが点在し、水溜りの泥の中でアヒルや鶏が餌をあさっている。放し飼いの豚どもが泥だらけで走り廻っている。これがロシアの典型的な農村の風景なのである。

我々が歩いて部落に入って行くと家々から婦人や子供らが出てきてヤポンスキー、ヤポンスキーと珍しいものでも見るかのように大勢集まってくる。監視のソ連兵の制止も聞かず、お粗末な身なりの婦人連中が黒パンを抱え持ってきて、我々の持ち物と交換してくれとせがむのだ。この国はよほど物資の少ない所だと思われる。
まだその頃はソ連軍から食糧は全く支給されずに手持ちの食糧を倹約しながら食い繋いでいたのだが、次第に食糧も少なくなり心細くなっている頃でもあり、彼らが持ってくる黒パンと軽便列車から抜き取ってきた小麦粉や砂糖と交換して食い繋いだ。

黒パンは日本で食べるフカフカしたパンとはちょっと違い、カステラぐらいの固さと水分が有り酸っぱい味がし初めて食べた時は腐っているのではないかと思ったが、食べ慣れてくるとこの酸っぱい味が結構美味しくなってくる。かなりの重量感があって一食分に半斤もあれば充分腹は満たされた。(半斤とは普通食パンの三山ある一山の半分の事)
満州を出る時の行軍で捨ててきてしまった食糧や缶詰、雑貨などが今になって悔やまれてならないのだが、幸い軽便列車から失敬してきた米や砂糖がここにきて本当に役に立つ事になった。然しこれらもあと残りが少なくなり心細いしだいだ。

部落に着いてから野宿をしながら四、五日が過ぎたが、何をするでもなく部落内なら自由に行動できた。その間ソ連の幹部達は我々の入る宿舎を探している模様だった。
我々は滞在している間は自由行動が許されていたので砂糖を持って民家を訪れたりすると、彼等は心良く家の中へ招き入れて時々ご馳走をしてくれた。
彼らの主食であるじゃが芋を潰して塩と油で味付けをした(カルトゥスカ?)を作って食べさせてくれた。これが結構美味しいのだ。
彼らは白系ロシア人ではなくシベリアに住む無学の原住民なのだ。シベリアには東欧などから流刑されて来ている民族も多い。我々に対しても人種的差別は全く無い。

彼らの平均的な家庭内は六畳敷きぐらいの部屋が二間あり、間仕切りの壁が赤レンガでできたペイチカ(暖炉)になり、暖炉の炊き口が煮炊きをする竈(かまど)になっている。 一部屋が炊事場で煮炊きをする難と板切れを並べたようなテーブルが真ん中にあるだけのお粗末な部屋だ。
もう一つの部屋が寝室になっている。土間の上に空き箱を並べたベッドが作られ薄汚れた毛布?が二、三枚丸めて置かれているだけだ。土間の片隅で子供が毛布にくるまって箱の上で寝ていた。
部屋の中を見回しても家具らしいものは一つも見当たらない。実に貧しい生活をしている。どの家も似たようなものだ。此れが社会主義の国なのだろうか、私はまっぴらご免だ。

一般的な食事は主食のカルトゥスカに黒パンなどを少量食べ、副食に人参、かぼちゃの煮た物が普通の食卓だ。たまに魚の塩漬けでも出れば、ご馳走の部類に入る程貧しい食事だ。
彼らが云うのには肉類の配給は全く無くて自分達で飼っている鶏や豚を年に一、二回潰して口にするぐらいだと語る。我々日本兵も二年近くシベリアに抑留されている間に肉などは一度もお目にかかった事は無かった。
唯、彼らの家の中で仕切に使われている赤レンガのペイチカには感心する。うまく炊事の余熱を壁の中に蓄え、部屋中を暖房していることだ。燃料は石炭を燃しているので長持ちする。

数日後にようやく宿舎が見つかり、中隊で移動することになった。農民部落から十キロぐらい離れた平原の中にポツンと建っている倉庫のような建物に入る事が決まった。
倉庫は十米四方ぐらいの大きさで、床が地面から一米程高い高床作りになっている。元は小麦倉庫に使われた建物で周囲の壁は板張り、屋根も板葺きの古い建物だ。
入り口は一ヶ所だけ、二重窓が前に二ヶ所、左右に一つずつある。室内に柱は一本も無く、広い部屋にはカビ臭い臭いが充満していた。板壁の所々が破れ、薄日がさし込み床板もかなり傷んでいるのが見える。
奥の真ん中に、直径一米程の錆び付いたペイチカが一基置かれているだけの倉庫だった。

★昭和二十年九月十日
シベリアの地図を見てもこの辺りの小さな部落は載っていない。此処はクイブシフカ村と云う村落の郊外だと開く。二百平方米にもみたない倉庫に我々二百人を収容すると云うのだ。とても入りきれない。中隊長がソ連側と交渉して内部改造するための資材を貰い、二段式に改造した。
兵隊の中には大工もいれば左官もいる。資材されあれば改造などお手のもの、全員が手分けをして改造に取り掛かった。

まず内部を六列に割り全員が寝られるように二段式のベッドを作った。
ところがベッドを分隊で割ると分隊当たり畳三枚分の上下二段の計六畳分しかないのだ。十二、三人の分隊では一人当たり畳半分程しか無い。三畳の間に六人が寝起きするのだ。
座っている時はまだよいが、夜寝る時などは寝返りもできない。 夜中に便所に起き、帰ってくると寝ていた場所が無くなっている。仕方が無いから同僚達の寝ている身体の上に乗り、横になっていると何時の間にか元の状態に収まっている。

こうして内部も外部も完成し、共同便所と炊事場もできた。その外周を有刺鉄線で二重の鉄条網で囲い、隅々に見張り櫓が作られ完全なラーゲル (収容所)が出来あがっていた。外柵の出入り口にはソ連兵の衛兵所もでき外部と完全に遮断されてしまった。
此のクイブシフカの収容所で二年近くも暮らす事になるとは誰も想像していなかった。


クイブシフカの捕虜収容所の全景スケッチ





如何だったろうか。
以上が、満州の陣地からシベリアに移動する道程で祖父が体験した事だ。
手記は、ここから本当に過酷な抑留体験が綴られているのだが、それはまた別の機会に。

祖父は「ソ連に騙されて連れて行かれた」と書いているが、基本的には上官の命令に従って行動しており、少なくとも「強制的に連行された」という感じではない。
武器の放棄も上官の命令で行われ、ソ連兵から暴力を受けたという記述も無い。
抵抗さえしなければ、ある程度の自由が与えられていた事が分かる。

それにしても、これは祖父の性格のせいなのか、20歳という若さのせいなのかは分からないが、道中の彼の心境からはあまり悲壮感や絶望が伝わって来ない。
勿論、不安である気持ちに嘘は無いのだが、軽便列車のエピソードや現地民との交流からは、どこか旅行気分すら感じられる(笑)。
社会主義やソ連という国家に対する批判はあれど、ロシア人に対する偏見や差別意識がほとんど無い事も、読み返してみて改めて気付いた。
(かけ算ができないソ連兵を「ド阿保」と書いている箇所は笑ってしまったが…笑)

以前、映画【 ゼイ・シャル・ノット・グロウ・オールド (彼らは生きていた) 】の感想でも彼の手記に触れ、「戦場の過酷さよりも、寧ろその時代を一兵卒として懸命に生きた祖父の青春の記憶という印象が強い」と書いたが、今回もやはり同じ印象を受けた。
それが日常であろうと非日常であろうと、戦争が祖父の人生の一部である事実に違いはない。
しかも、彼は17歳から21歳という血気盛んな青春時代を、御国のために捧げている。

戦後も一貫して「日本は侵略戦争をしていない」と言い続けた祖父には、きっと「祖国のために戦った」という誇りが常にあったのだと思う。
だから、これだけ辛い体験をしても、泣き言や恨み節などの言葉が一切出て来ないのだろう。
彼はただ、確かな情報も無いまま、死の不安と戦いながら、過酷な環境を懸命に生きたのだ。
僕が「戦争そのものと、そこで戦った兵士達の人生を同列に語るべきではない」と考えるようになった理由はここにある。
そんな彼の想いを、生前、自虐史観に染まっていた僕達家族があまり真摯に受け止めてあげられなかったのが悔やまれる。

因みに、手記に載っていた収容所のスケッチは、祖父の自筆なのか、何処かから借用してのかは分からない。
祖父は多趣味で、絵画も習っていたので、自筆の可能性もある。
また、「クイブシフカ」という地名も、手記に添付してあった地図を参考に検索してみたが、同じ地名は見付けられなかった。
位置的にはブラゴヴェシチェンスクと孫呉の間らしく、近い地名として「グリブスコエ」や「Kovrizhka(コヴリジカ?)」があったが確証は無い。

こうした話を、生前にもっと聞いてあげれば良かった。





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Last updated  2024.07.11 19:47:06
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