撮影日記 0
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EF5861牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」「サロンエクスプレスそよかぜ」は、逗子~軽井沢を結んでいた臨時特急です。客車にサロンエクスプレス東京を使用した全車グリーンの豪華特急列車で、その昔運転されていた臨時急行「軽井沢グリーン」を髣髴させるものでした。高崎~中軽井沢間はEF62が牽引していたと考えられますが、逗子~高崎間はEF62ではない機関車が牽引していました。これは、おそらく横須賀線区間にEF62が入線していなかったため、訓練を省く目的があったのではないかと思われます。過去ログ『EF651108牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」』でPF牽引の列車をご紹介しておりますが、結果的に最終運転となった昭和63年度では、折からのEF58最終ブームもあって、お召機EF5861が牽引し、ヘッドマーク付も相俟って注目を集めました。昭和63年5月4日 上尾~宮原間にて 「サロンエクスプレスそよかぜ」お召機である61号機が牽引し、話題沸騰となりました。もちろんヘッドマークを掲出していますので、注目度は凄かったですね。こちらはちゃんと撮影記録が残されており、やはりWikipediaでは昭和62年8月までとなっておりますが、こちらも明らかに記述が間違っております。昭和63年5月5日 北本~桶川間にて 「サロンエクスプレスそよかぜ」テールマークは通常の「サロンエクスプレス東京」が掲出されていたと記憶しており、特に面白みも無かったので後部は撮っていませんでした。下りの特急「あさま」とカブってしまい残念な結果となりましたが、当時はまだこんな時代背景だったという意味では良い記録であることも間違いありません。同列車の記録はここで途切れており、この年度が最後の運転となったようです。
2024.05.04
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583系:臨時特急「ひたち51・52号」※本記事は、2015-06-27に投稿したもので、当時の表現になっています。平成27年6月27日、常磐線に583系を使用した団体列車「ひたち」が運転されました。残念ながら撮影に行けませんでしたが、情報によりますといわき方にイラストマーク、上野方に文字マークがステッカー式により掲出されたようです。現在は情報社会ですから、『過去に臨時「ひたち」で583系が使用されたことがあるようです』『ヘッドマークは臨時だった』というような話題が、当時を知らない若い世代と思われる方から聞かれます。ということで、ここはベテランの出番と自覚し、過去のアーカイブをご紹介しようと思いましたら、数年前に「詳細をご紹介します」と言いながら放置していたことを今改めて知り、資料を探し出しました。全貌まではご紹介できませんが、判明した範囲でまとめたいと思います。臨時特急 「ひたち51号」 上野 11:20 → 日立 13:15臨時特急 「ひたち52号」 日立 14:03 → 上野 16:05運転日 昭和54年3月24・25・31日、4月1・29・30日、5月3・5・6日使用車両 583系 盛アオ 13連日暮里駅にて 「ひたち51号」上野駅にて 「ひたち52号」583系臨時特急「ひたち」は、昭和54年の春休み及びGWに設定されていたようです。春休み期間中の土日及びGW中の土休祝日に設定されています。GWが飛び飛びになっているのは、当時5月4日は国民の祝日になっていませんでしたので、通常の年は飛び石連休となることが多かったという時代背景にあります。撮影日は定かではありませんが、1枚目が常磐線内下りであり、2枚目がお土産等の荷物をたくさん持って下車している様子から、それぞれの号数と想定できます。自身はこの2日間しか撮影していませんので、その他の運転日についての情報は分かりませんが、ほぼ「臨時」マークで営業した模様です。青森車の運用範囲内で使用される583系のヘッドーマークは網羅していましたが、「ひたち」への運用は想定されていませんので、当時としては已む無しの措置と言えるでしょう。追記TOSSYさんから情報提供があり、翌年の同時期にも設定されたそうです。その際、5月5日の上りのみ「ひたち」の手書き張り紙がされたそうです。
2024.05.03
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185系B6編成:臨時特急「あしかが大藤まつり」前記事、令和4年設定の臨時特急「あしかが大藤まつり」に続き、翌令和5年度に設定された同列車をご紹介したいと思います。※撮影は、令和5年4月22日です。185系 B6 特急「あしかが大藤まつり」全然マークしていませんでしたが、185系の設定であることを直前で知りました。しかも1往復のみの設定となっていました。詳しい運転時刻が分からないので調べて見ると、何処にも時間が載っていない。JRが時刻表から落ちてしまったのかと思ったら、今までに無い設定に驚きました。なんと、横浜~浦和間が全通過となっているため、時刻表を見ても道理で分からない訳です。相変わらずヘッドマークのない残念な体裁。いつ運用が終るかも分からない車両なので、この先もサプライズは見込め無さそうです。185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.05.01
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E257系5500番台:臨時特急「あしかが大藤まつり」毎年GWに近くなると運転されるあしかがフラワーパーク臨で、2021年(令和3年)までの運転は快速となっていましたが、2022年(令和4年)からは特急列車に格上げされての設定となりました。先日アップいたしました令和6年度も特急列車としての設定は変わりありませんが、発方向が4か所に分散され、さらに運転日や使用車両もバラバラ感のあるものとなり、従来の上野方向からの2往復体制とは大きく異なる設定となっています。この間も特急格上げとなりながら運転形態が変わらなかったため、個別にはアーカイブしていませんでしたが、今後の運転形態が不透明であるため、過去2年分もこの機会にアーカイブしておこうと思います。今回は、特急格上げ時の設定となった令和4年のご紹介です。※撮影は、令和4年4月24日です。E257系 特急「あしかが大藤まつり1号」E257系 特急「あしかが大藤まつり3号」例年どおり2往復が設定され、いずれもE257系5500番台での運用となりました。せっかくヘッドマークの機能がありながらも使用されない点では、他の臨時列車も同様で、記録以外の面白みがない点で残念です。185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.04.30
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185系C1編成:臨時特急「あしかが大藤新宿号」史上最速でサクラが開花すると予測されたにもかかわらず、その後の気温低下で例年よりも開花が遅れて桜まつりがてんてこ舞いとなってしまった令和6年。あしかがフラワーパークの大藤まつりも例年より1週間早く臨時列車が設定されたようですが、こちらはどのような具合でしょうか?令和6年もあしかがフラワーパーク臨が設定されましたが、例年は上野~足利に1往復又は2往復だったもの(上野東京ライン開業により大船~に延長)が大船以外にも吉川美南や高尾、新宿と言った4方向にも及ぶ多彩な設定となりました。特にこのうちの新宿発着については185系での運転が当初から公表されており、しかもあまり走ってくれないC1編成が充当されました。※撮影は、令和6年4月26日です。185系 C1編成 9524M 特急「あしかが大藤新宿号」特急「あしかが大藤新宿号」は、4月19日及び26日のいずれも金曜日のみの設定であるため、撮ることは諦めていました。しかし、この日の午前中に防災に関する取材が入ってしまったため会社を休まざる得ず、結果としては偶然にも撮影が可能となった次第。もっとも、昼寝してしまって危なく撮り逃してしまうところでした。逆光になるため曇りがちは歓迎だったのですが、思いのほか雲が分厚く、ISO2500まで上げ、シャッタースピードも1/640まで落とさなけれがならないほど暗くて参りました。さらに、定刻になっても一向に現れず。久し振りにお会いした方から白岡辺りで緊急停車し遅れが出ていると情報をいただきました。まあなんとかブレずに撮ることができましたし、貴重なC1編成を捕獲できましたので良かったです。来年はどうなるでしょうか?E257系500番台:臨時快速「あしかが大藤まつり」185系OM車:臨時快速「あしかが大藤まつり」183系OM車:臨時快速「足利藤まつり」
2024.04.27
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373系:特急「東海」「東海」と言えば、東海道の優等列車の中でも由緒ある名称であり、東海道新幹線の開業後も地域の補完優等列車として長らく活躍し、80系から153系急行車両へ、そして165系へと変化していきました。しかし、老朽化に伴う急行形車両の引退を機に、平成3年3月、JR東海の373系を使用した特急列車に格上げとなっています。平成19年1月7日 品川駅にて 373系 特急「東海」運転当時は新型車両に全く興味が無く、特急「東海」の写真を撮ることはありませんでした。しかし、利用客の低迷からとうとう廃止のアナウンスがあり、ついでではありますが撮影したものです。まだデジカメに慣れず、どうにも構図の良くない写真となってしまいましたが、同列車を撮影したのは最初で最後となってしまいました。そして平成19年3月、50年にも及ぶ運転の歴史に幕を下ろすことになりました。153系:急行「東海」(サハ164・サロ163)
2024.04.22
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EF651000番台牽引:寝台特急「さくら」東京~長崎・佐世保を結んでいた寝台特急「さくら」それまで東海道ブルトレを牽く絶対的エースであった500番台P形も酷使により急速に老朽化が始まりました。昭和53年頃、長距離運用による定格アップを目的とした後期PF形が導入され、これを東海道ブルトレに充てるようになりました。今回は、置き換えの始まった頃からのEF651000番台PFが牽引する「さくら」をご紹介いたします。昭和53年8月5日 真鶴~根府川間にて EF651107牽引 2レ東海道形のPFに置換えが始まった頃。来る列車によって500Pだったり1000PFだったりしました。 一方、14系B寝台客車はまだ3段式であり、新幹線博多開業と相次ぐ料金の値上げなどにより、利用に翳りが見え始めたころだったと思います。昭和54年3月 東京駅にて EF651109牽引 1レこの時点では完全にPFに置き換わっています。当時のブルトレは12・13番線発着。9・10番線は横須賀線ホームとなっており、113系の横須賀線も懐かしい。昭和55年 品川駅にて EF651105品川駅で展示会があった様子。何のイベントだったかよく覚えていません。昭和58年12月1日 根府川~早川間にて EF651099牽引 2レ 14系B寝台の2段化改造が行われており、カマの次位は不足するスハネフ電源を確保するために連結された座席車スハフに変更されることもあった。この後、東京発着の24系25型客車を使用するブルトレにロビーカーが連結されることになり、「さくら」もそのあおりを受けてEF66が牽引することになります。EF65500番台牽引:寝台特急「さくら」
2024.04.07
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EF65500番台牽引:寝台特急「さくら」ブルートレインとしては老舗となる寝台特急「さくら」。東京~長崎・佐世保を結んでおり、牽引機は他のブルトレと同様に、EF58→EF60500番台→EF61→EF65500番台→EF651000番台→EF66となっています。非電化区間にあっては、SLやDD51、九州電化区間ではED72・73・75300番台なども活躍していました。今回は、中学生の頃に撮っていたEF65500番台牽引の「さくら」をご紹介いたします。昭和51年 東京駅にて EF65512牽引 1レ昭和52年 田町駅にて EF65530牽引 1レ昭和52年3月30日 名古屋駅にて EF65540牽引 2レ昭和53年 東京駅にて EF65530牽引 1レ昭和53年 田町駅付近にて EF65538牽引 2レ撮り始めの頃は白い花びらにピンク背景ばかりだったので、これが正規のヘッドマークとばかり思っていたのですが、P形最後の頃に撮った写真は2枚ともサクラの花びらと周りの色使いが逆転したヘッドマークになっており、フィルムスキャンするまで30年もの間、まったく気が付きませんでした。最後の頃は、何故かフィルムの真ん中のピントが合わない事象が発生。スキャンした時の悩みの種となっています。貴重な写真なのに・・・。平成20年5月24日 EF65535 JRおおみや鉄道ふれあいフェア2008にて平成22年11月6日 EF65535 隅田川駅構内にて平成26年11月15日 尾久車両センターにて平成27年11月14日 尾久車両センターにてオマケ写真です。P型牽引の時代と言うのは中学2年生くらいまででしたので、あまり良い写真は残っていません。イベントでこのようにきれいな写真が撮れるようになったのはうれしいですが、なんとも複雑な気持ちになります。
2024.03.30
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485系:特急「雷鳥」(貫通型)特急「雷鳥」は、昭和39年10月の改正において、東海道新幹線の開通とともに誕生した特急列車です。特急列車としては初となる、交直両用型の481系が使用された、当時としても画期的な列車でした。ここでの成功は、東北本線への電車特急の誕生、山陽から九州への乗り入れの速達化に貢献しました。登場当初からしばらくは481系初期車が使用されましたが、485系の誕生とともにシフトされ、金沢運転所の特急車両配置とともに489系も使用されるようになります。今回は、485系(489系)から貫通編成のご紹介です。昭和57年8月8日 富山駅にて平成20年4月22日 南今庄駅にて クハ481-228 「雷鳥16号」オリジナルタイプの貫通型です。昭和57年撮影のものは、もしかしたらクハ489かもしれないことはご了承ください。平成20年4月22日 南今庄駅にて クハ481-801 「雷鳥9号」平成20年4月22日 福井駅にて クハ481-801 「雷鳥30号」平成20年4月22日 金沢駅にて クハ481-801 「雷鳥41号」JR化後は、京都車や新潟車、そして金沢車とバラエティに富んだ車両、塗装車が使用されました。写真はそのうちでも異色だった簡易貫通型の車両で、元は「くろしお」電化の際に誕生した改造車です。4連というミニ編成を2編成併結する際、貫通路の連結を簡易にするためにこのようなスタイルとなりました。485系ボンネット型:特急「雷鳥」485系クロ481ー2000番台:特急「雷鳥」485系 クロ481ー2300番台:特急「雷鳥」485系:特急「雷鳥」(非貫通型)581系・583系:特急「雷鳥」
2024.03.26
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489系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正後)特急「はくたか」は、昭和40年10月ダイヤ改正において、それまで大阪~上野を結んでいた気動車特急「白鳥」を分離する形で誕生しました。運転経路は「白鳥」と同様に信越本線経由となり、使用車両もキハ82系のままとしています。昭和44年10月の改正において、「はくたか」は電車化により経路が上越線と変わり、信越本線経由の列車は489系の登場により「白山」となっています。昭和53年10月改正まで向町運転所の485系が使用されていましたが、同改正より金沢運転所の489系が使用されることになり、信越本線経由の「白山」と共通運用が組まれるようになります。今回は、昭和53年10月改正後の写真をご紹介いたします。昭和56年頃 クハ489-300番台 非貫通型53・10から特急ヘッドマークがイラスト化されたのですが、ボンネット型の多かった「はくたか」はイラストマークを見る機会が少なかったように思います。この昭和56年頃には既にボンネット車にもイラストマークが導入されていましたので、そういう意味では見慣れてきた頃と思います。金沢運転所の489系に運用が変り「白山」と共通運用でもあったために、非貫通型の遭遇率も高かったような気がします。昭和56年10月 クハ489-704 非貫通型上り「はくたか」で、何故か流し撮りしています。ボンネット型じゃなかったので、どうでも良かったのでしょうか・・・。ピントもバリバリ合っているので、伸ばしても細部までキッチリ見ることが出来る、珍しくもクリーンヒットな作品。昭和57年5月 クハ489-500番台こちらは、EF63連結側の500番台ボンネット車。状況的にはカブりなんですけど(笑)。でも、こんな時代もあったんですな・・・。と思わせる1枚となりました。昭和57年11月6日 上野駅にて クハ489-500番台廃止を1週間後に控えて最期の活躍をする「はくたか」。このショッカーの本部に付いていたようなマークともお別れ。この1週間は、上野口の最期となる列車の写真撮影に翻弄されていました。赤スカート車との衝撃的な出逢いから10年。毎日身近で見ていた筈なのに、意外と撮影枚数が少なかったですね。途中でイラストマーク化されたことにも原因があると思いますが、下りの「はくたか」の時間に上りが通勤の普通列車ばかりという、撮影に非効率的な時間帯に走っていたことも不運だったような気がします。金沢運転所のボンネット車はヘッドマークのイラスト化が早かったため、489系の文字マークの写真がありませんでした。特に連結器むき出しの500番台は特徴があったので、この点の記録が出来ていなかったのは残念です。その後、ほくほく線の開業により、まさかの復活を果たした「はくたか」でしたが、北陸新幹線の金沢延伸開業で2度目の廃止となっています。そして、その名は新幹線の名称として引き継がれました。『485系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正前)』『681系・683系:特急「はくたか」』
2024.03.24
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481系・485系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正前)特急「はくたか」は、昭和40年10月ダイヤ改正において、それまで大阪~上野を結んでいた気動車特急「白鳥」を分離する形で誕生しました。運転経路は「白鳥」と同様に信越本線経由となり、使用車両もキハ82系のままとしています。昭和44年10月の改正において、「はくたか」は電車化により経路が上越線と変わり、信越本線経由の列車は489系の登場により「白山」となっています。電車化に当たっては、60Hz交流電化の北陸本線を経由することから、向日町運転所の481系・485系が使用されることになりました。電車化当初はまだ489系は誕生しておらず、金沢運転所には485系も配置されていませんでした。このことから、特急「はくたか」に使用される481系は関東で見ることができた唯一の例であり、その運用は関東~九州に及ぶスケールの非常に大きい運用となっていました。今回は、昭和53年10月改正前の写真をご紹介いたします。昭和48年頃 西川口~蕨間にて 481系 赤スカート車昭和53年10月改正まで、「はくたか」は向日町運転所の481系が使用されていたため、このように赤スカート車が上京する機会がありました。上野口で見られる唯一の関西仕様の車両です。ヘッドマークを注視すると、ロール式のようですね。私が撮影できた唯一の例でもありました。それまで583系やキハ181系の憧れが強かったですが、この写真を撮って以来、赤スカート車が非常に好きになりました。昭和51年頃 上野駅にて クハ481ボンネット車 この頃の「はくたか」はボンネット車が圧倒的に多かったような気がします。ですので、それなりに写真に撮る機会も多かったような。まだ向日町運転所の481系時代が続きます。昭和51年頃 赤羽駅にて クハ481ボンネット車高架化前の赤羽駅での写真。リコーオートハーフでの撮影のため、ブレてしまっています。今までアルバムに入ることすらなかった写真でしたが、今となっては懐かしい風景です。昭和52年頃 大宮駅にて クハ481300番台 非貫通型何度かは目にしたことのあった非貫通型の写真。しかし、殆どボンネットが多かったような気がします。基本的には文字マーク時代の特急列車が好きな私ですが、何故かこの非貫通型の「はくたか」文字マークがしっくり来ないんですね。イマイチ格好良くない。それでも遭遇率が低かっただけに、文字マーク時代としては唯一の非貫通型の写真です。昭和53年3月 西川口~蕨間にて クハ481ボンネット車後追いで撮影した下り「はくたか」。こちらが上野方なので、自連むき出しになっていないところからクハ481であることが判ります。昭和53年10月改正からは、使用車両が金沢運転所の489系に変更され、「白山」と共通運用になりました。また、貫通型・非貫通型はヘッドマークがイラスト化されています。『489系:特急「はくたか」(昭和53年10月改正後)』『681系・683系:特急「はくたか」』
2024.03.23
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781系:特急「ライラック」特急「ライラック」は、昭和55年10月1日の改正で誕生した北海道では2番目の電車特急です。それまで運転されていた函館本線札幌~旭川間の「いしかり」を引き継ぎ、さらに千歳線経由の電化で運転が可能となった札幌~室蘭間を直通する特急列車として設定されました。ただし、末端区間の東室蘭~室蘭間は普通列車となっています。※設定にあたっては、気動車急行「ちとせ」を格上げした形としています。車両は北海道用に開発された781系電車が使用されました。昭和56年3月11日 函館本線 白石~厚別間にて雪煙を巻き上げて驀進する781系。加速性能・最高速に優れた電車特急781系は、711系急行列車にもディーゼル特急にも勝り、都市間の速達輸送に貢献した。昭和56年3月??日 滝川駅?にて俊足を誇った「ライラック」。各主要駅に停車しながら北進した。昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて昭和56年3月19日 千歳線 恵庭~島松間にて「ライラック」は、それまでの旭川~札幌間の都市間輸送に、さらに千歳線電化により室蘭への輸送も担うようになりました。支線である東室蘭~室蘭は、普通列車として支線へ乗り入れるようになりました。昭和56年3月??日 札幌駅にて 高架化される前の札幌駅に停車中の「ライラック」。旭川~室蘭の直通運転では、札幌で折り返し運転が必要となっています。平成2年9月6日 豊幌~上幌向間にて昭和61年11月1日の改正により、それまで6両編成を通してきた781系は、速達型の「スーパーホワイトアロー」ととも4両編成化された。平成4年7月1日、新千歳空港駅開業に合わせた改正が実施されました。この時点において、「ライラック」は元「いしかり」の運転区間であった札幌~旭川間のみとなり、札幌~室蘭間は「すずらん」と名称が変わってしまいました。この時点において、JR北海道は本州からの連絡は鉄道ではなく、航空機からであることをセオリーとして完全に吹っ切れたようです。民営化されたので、「鉄道一体」という考えから脱却を図ったのでしょう。そして平成19年9月30日、最新型の特急型電車789系の導入による「スーパーカムイ」が誕生、ここに781系電車特急「ライラック」も同時に幕を閉じることとなりました。
2024.03.20
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キハ181系:特急「やくも」(その1)伯備線及び山陰本線の一部が電化し、新幹線岡山開業以来、陰陽連絡の大役を担うことになった特急「やくも」が381系化されることになり、「つばさ」以来のキハ181系ファンであった私は一大決心の末、友人を引き連れて山陰へと旅立ちました。旅費を節約するため、当時165系の「大垣夜行」から普通列車の「山陰」を乗り継ぎ、初めて山陰本線へとやってまいりました。今回は、一連の行程で撮影した特急「やくも」のうち、止まっている写真をご紹介したいと思います。※撮影は、昭和55年8月です。松江駅にて 「やくも10号」駅間撮影が終わった移動中に途中の松江駅で交換したようです。当時、松江駅は既に高架化されていたようですが、ちらっと写るホームを見ても、まだ完成直後のように見えます。旧客の窓から撮った「やくも」。今となっては貴重なシーンです。乗っている列車は、福知山発浜田行の543レのようです。出雲市駅にて 「やくも12号」カラーとモノクロで撮影されておりますが、いずれも同一列車のようです。この列車だけは益田発となっており、電化により出雲市~益田間は廃止されました。出雲市駅にて「やくも5号」列車は5号ですが、今ほど本数のない時代ですので、時刻は17時ちょうどになっています。時刻表によると当時は6往復が設定されていました。グリーン車1両を含む9両編成で、食堂車まで連結された堂々たる編成でした。
2024.03.16
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255系:特急「わかしお」特急「わかしお」は、昭和47年、東京地下駅の開業と同時に「さざなみ」と共に運転が開始されました。老朽化・陳腐化による車両の更新を行うため、当初から使用されて来た183系0番台の一部を新製255系に置き換えることになりました。平成5年7月のことです。255系導入に当たっては、名称を「ビューさざなみ」「ビューわかしお」とし、差別化を図りました。なお、平成17年12月ダイヤ改正において、「ビューわかしお」は「わかしお」に変更されています。「ビューわかしお」のデビューから30年、予てから噂はありましたが、255系がとうとう全面撤退となるそうです。ただ、京葉線の通勤時間帯における快速の廃止で地元自治体と大揉めに揉めた経緯があり、どうも6月くらいまでは255系が暫定的に延長して使用されるようですけど。平成19年8月26日 葛西臨海公園駅にて平成21年10月24日 潮見駅にていずれも京葉線の201系や205系量産先行車の撮影をしていたときに偶然に撮っていたもので、いずれも東京着上り「わかしお」の折り返し入庫回送列車のようです。ヘッドマークがありませんから、まあどうでも良いところ。元々房総特急は乗車率が昔から良くなくて、183系0番台の9連では完全に過剰供給でした。国鉄時代末期から短編成化を実施した中で、鳴り物入りで誕生した255系は再び9連の貫禄ある編成で活躍してきましたが、道路の発達には太刀打ちできなかったようです。いよいよ令和6年3月の改正で全面撤退となり、このまま廃車となってしまう可能性が高いようです。一時代を築いたというにはあまりにも地味な存在だったように思います。183系0番台:特急「わかしお」183・189系:臨時特急「新宿わかしお」189系M51編成:臨時特急「わかしお82号」10-1870 255系 9両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1870 255系 9両セット
2024.03.15
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255系:特急「しおさい」「しおさい」は、昭和50年3月10日のダイヤ改正で、総武本線の全線電化により誕生した特急列車です。それまで、総武本線の優等列車は急行「犬吠」が気動車で運転されており、特急「しおさい」の誕生とともに電車化(153系・165系)されています。特急化から183系0番台(のちに189系が混入)で運転されてきましたが、E257系500番台の誕生により、平成17年からは255系も運用に入るようになりました。平成27年3月のダイヤ改正において、内房・外房で輸送力を持て余していた255系による運用が主体となり、E257系すら撤退してしまったと思っていたのですが、朝の1本のみ残存していたようです。平成20年5月3日 物井~佐倉間にて 特急「しおさい14号」撮影会でいわゆるモノサクに行き、終焉間近の113系を撮っていました。暗くなってきての撤退途中、偶然にやってきた255系「しおさい」撮っておいたもので、あまり撮影機会のない中、やっと1枚だけ撮っていたという状況。255系メインの列車となった「しおさい」ですが、令和6年3月ダイヤ改正で255系が全面撤退となり、1往復を除いてE259系による運用になってしまうようです。あの塗装では、なんか「しおさい」らしくないですね。183系:特急「しおさい」
2024.03.14
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683系:特急「しらさぎ」平成15年、485系から683系に変わって以来、12年にわたって北陸を走り続けた特急「しらさぎ」ですが、北陸新幹線が開業する平成27年3月改正をもって、681系に車種変更されるという概要が発表されました。あわせて、運転区間も名古屋・米原~金沢間に変更されることになりました。683系登場以来、北陸へ撮影に行ったのは2度のみであり、記録としてはあまりありませんが、683系「しらさぎ」の画像を集めてみました。平成20年4月22日 今庄~南今庄間にて 「しらさぎ4号」平成20年4月22日 南今庄駅にて 「しらさぎ1号」平成20年4月22日 南今庄駅にて EF510-6牽引貨物列車&「しらさぎ3号」平成20年4月22日 敦賀~新疋田間にて 「しらさぎ58号」平成21年8月23日 柏原~近江長岡間にて 「しらさぎ3号」平成21年8月23日 近江長岡~柏原間にて 「しらさぎ4号」 平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 「しらさぎ7号」平成27年1月23日 金沢駅にて 「しらさぎ57号」平成27年1月23日 金沢駅にて 「しらさぎ64号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 「しらさぎ17号」「サンダーバード」と「はくたか」は同じ編成構成となっているのに対し、「しらさぎ」は基本編成が5連であるため、5連又は3連増結の8連と、統一性を欠いていました。さらに、「サンダーバード」と「はくたか」のブルーラインは統一されていましたが、「しらさぎ」はJR東海のコーポレートカラーであるオレンジラインが追加されているため、「サンダーバード」と共通運用されることもありませんでした。「しらさぎ」は681系化され、運転区間も北陸新幹線と併行する区間廃止されました。さらに、北陸新幹線が敦賀まで開業すると、北陸本線の走行区間はほんのわずかになってしまうことになります。平成27年1月23日 特急「しらさぎ14号」 倶利伽羅駅にて
2024.03.09
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EF66牽引:寝台特急「みずほ」東京口におけるブルートレインの利用低迷を打開する策として、25系にロビーカーを組み込むことになりました。その際、勾配区間におけるPFの定格がやや低く、ダイヤの定時確保が困難になることから、貨物用の大出力機であるEF66に白羽の矢が立ちます。本来であれば、ロビーカーを持たない14系編成の「さくら」「みずほ」には影響の無かった話ですが、運用の共通化ということでそのまま移行されたようです。『EF65500番台牽引:寝台特急「みずほ」』『EF651000番台牽引:寝台特急「みずほ」』今回も枚数は少しだけですが、EF66化後の寝台特急「みずほ」の写真をご紹介いたします。昭和62年2月14日 三島~函南間にて EF6650牽引一連の撮影で初めて富士山バックの撮影に挑んだものですが、なかなか富士山は現れてくれませんでした。「みずほ」のヘッドマークは全体的に白っぽいので、強い日差しが当たると飛んでしまうのが難点でした。昭和62年2月15日 真鶴~根府川間にて俯瞰による鉄道風景写真を好んで撮るようになった頃です。結果的にヘッドマークすら良く見えない写真になってしまいまいた。対九州の寝台列車の利用率低下に歯止めがかからず、誕生から終始脇役的な列車として存在してきた「みずほ」でしたが、平成6年12月の改正をもって東京発のブルトレとしてはいち早く廃止されてしまいました。
2024.03.07
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789系:特急「白鳥」前記事で789系「スーパー白鳥」をご紹介いたしましたが、今回はスーパーではない789系「白鳥」のご紹介です。「はつかり」から「白鳥」への切替当時より、速達タイプはJR北海道789系による「スーパー白鳥」、停車駅が多いものをJR東日本485系3000番台による「白鳥」としていましたが、運用の調整等により「白鳥」に789系が使用されることがありました。ただ、それほど頻繁には行われていなかったようで、現地においてもこの運用を注目するファンが居たようです。私も現地に行ったときに線路端で知り合った高校生に情報を聞き、偶然に捉えることが出来ました。※撮影は、平成24年3月13日です。789系 「白鳥28号」 油川~青森間にて貨物列車を撮影するために青森車両センター付近うろついていました。ここで1人だけ撮影者と出会い、聞くところによると地元の高校生で、スーパーではない789系「白鳥」が来るという情報を得ました。しかも定期列車への運用変更のようです。この情報を聞かなければ、撮らずに立ち去っていたかもしれませんでした。789系 「白鳥23号」 青森駅にてバスに乗って青森駅に戻ってみると、偶然にも折り返しとなるスーパーではない789系「白鳥」が停まっており、じっくりと撮ることが出来ました。ヘッドマークをアップにしてみると、デザインは「スーパー白鳥」とまったく同じようですが、「super」の文字が表現されておらず、「白鳥」専用のものとなっています。平成24年3月13日 青森駅にて モハ789-200中間に簡易運転台が付いた車両です。いつもこうしたシーンを逃してしまうので気を付けていました。青函トンネルを通過する在来線定期旅客列車は消滅し、こうして青森駅でJR北海道の車両を見ることもなくなってしまうのでしょう。そして、特急「白鳥」は2度目の消滅となってしまいました。
2024.03.05
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キハ82系:特急「北斗」特急「北斗」は、函館~札幌を結ぶ、北海道では「おおぞら」「おおとり」に続く第3の特急列車です。登場から永らくキハ82系が使用され、臨時列車を含めると、最後までキハ82系が使用された列車としても有名です。使用車両はグレードアップが進められ、現在も都市間を結ぶ特急列車として重要な地位にあります。今回はキハ82系時代をご紹介いたします。昭和56年3月 札幌駅にて北海道へは前年の3月同時期にも訪れていますが、「北斗」の写真は函館駅で撮ったものくらいしか見当たりませんでした。本数も道内で一番ありましたので、逆にあまり撮っていなかったようです。その反動か、2回目に訪れた時は、結構駅撮りもしていたようで、特に地平時代の札幌駅で撮った写真は多かったようです。昭和56年3月 札幌駅にてこちらも同じく札幌駅にて。時計があって、17時を回ったところですが、かなり明るいですね。低いホームと相まって、直ぐに線路に降りられるくらい高く根雪が積もっています。昭和56年3月20日 森~東森間にて北海道からの帰途、友人とウマが合わずに別れ、一人でさっさと帰ろうとしたものの何だか惜しくなってしまい、早朝に着いた函館から引き返して走行写真を撮りました。そこそこ長い時間いましたが、通ったのは「北斗」「おおぞら」と貨物列車の3本だけだったみたいです。昭和56年3月20日 函館駅構内にて函館駅の外れに掛かっている跨線橋から、青函連絡船乗り継ぎの合間に撮影していました。札幌駅は氷の中と言った情景でしたが、道南はやはり気温が高いのでしょうか、日陰に雪の残骸がある程度しか見当たりません。上の写真はキハ82の初期型で、運転席直後のクーラーを増設したタイプ。そして、下の写真は後期型で、初めからクーラーが増設されているタイプです。上から見ると、2番目のクーラーとの距離の違いが判ると思います。写真からでは見づらいですが、初期型の行先札はトイレ窓直上に設置され、後期型はドアの直ぐ横上にあるので、サイドから見るとより違いが判ります。そのようなアングルの写真も撮っておけば良かったのですが、この頃はそんな違いがあることさえ知りませんでした。昭和58年9月7日 函館本線 赤井川駅構内にて大沼駅~大沼公園~赤井川と徒歩で踏破した際、赤井川駅に着いて普通列車を待つ間に撮影した写真です。本来であれば駅から外れたポイントで撮りたいところですが、何故かこの安全側線と本線の坂道の雰囲気が非常に気に入って、敢えてこのアングルを選んで撮りました。とにかく、このときは東京を出てから家に帰るまで雨が一切止むことは無かったという悲惨な撮影行でした。晴天だったら、もっと違うさわやかな雰囲気で撮ることが出来たのでしょうが、如何にもローカルなひなびたシーンになってしまいました。当時からでも本数が多く設定されていた「北斗」でしたが、室蘭本線などでの駅間撮影をしなかったこともあり、キハ82系の写真は意外と少なかったです。その分、後の撮影では道南から室蘭本線に掛けて立ち寄ったことが多かったため、キハ183系の「北斗」は随分と撮っています。まあ、高校生レベルで行っただけで興奮モノの北海道でしたから、全体の中でこれだけ撮れていれば仕方なかったと思います。キハ183系:特急「北斗」
2024.03.04
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183系:特急「しおさい」「しおさい」は、昭和50年3月10日のダイヤ改正で、総武本線の全線電化により誕生した特急列車です。それまで、総武本線の優等列車は急行「犬吠」が気動車で運転されており、特急「しおさい」の誕生とともに電車化(153系・165系)されています。誕生当初は東京~銚子間を結んでおり、5往復の設定となっていました。昭和57年11月のダイヤ改正からは、ペア設定されていた急行「犬吠」が廃止となり、増発及び両国発着・新宿発着の列車が発生しています。昭和52年頃 錦糸町駅にて総武本線地下線用のATCを搭載した特急型としてデビュー。スピードは急行列車時代とあまり変わらず、料金値上げだけのような不満が起こりました。53・10改正前の文字マーク時代、撮っていたのはこの1枚だけでした。昭和54年頃 錦糸町駅にて53・10改正からは房総特急もイラストマーク化されました。昭和55年5月5日 佐倉~南酒々井間にて昭和55年冬頃 佐倉駅にて佐倉駅もすっかりキレイになってしまい、この頃とはかなり印象が変わってしまいました。昭和57年8月23日 佐倉~南酒々井間にてマミヤ645を買って写真を撮りに行きました。間もなく急行が全廃になるということで、急行「犬吠」を撮りに行ったときに撮影したものです。この場所は、比較的に南酒々井駅から近いところだと思いました。昭和57年8月23日 佐倉~南酒々井間にて同じ日に撮影したもので、かなり佐倉駅寄りまで歩いたところ。こちらは平らな田園地帯です。少し離れたところには、佐倉駅で分岐した成田線も見えた記憶があります。民営化されてからは房総地区への興味もなくなり、全く撮りに行きませんでした。平成17年12月、183系の撤退により、255系又はE257系での運転が継続されていますが、255系は令和6年3月ダイヤ改正により撤退すると発表されています。
2024.02.26
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183系OM車:特急「新雪」(幕回し)川越センターで撮影したOM車の幕回しですが、臨時特急「新雪」をご紹介いたします。この列車も小学生の頃から知っていましたが、冬場のみの運転で上野駅発が早朝のため、撮影することがままならない列車でした。高校生の頃、ASA400のフィルムも手頃になり、低速撮影のテクニックも身についたので、朝でも夜でも撮影は十分にできた筈ですが、53・10改正以降、イラスト化されたヘッドマークに興味がなく、あまり特急列車の撮影もしなくなってしまいました。まして、当時は「いい大人が駅撮りなんて」という風潮もありましたし。そんな時代背景もあり、183系や185系による臨時特急「新雪」は未撮影となっていました。※撮影は、平成23年10月22日 OM101 川越車セにて。企画列車で運転されたような記憶もあるのですが、おそらくその頃はリバイバル運転に興味がなかったころだと思います。文字マークは新鮮で、実際に走っていた時代を思い起こさせます。181系が撤退した昭和52年初冬以降、翌昭和53年の秋にはイラスト化されている筈ですので、実際には長くても2シーズンしか運転されなかったものと思われます。こちらはイラスト化されて以降のマークになります。昭和54年以降の使用で、昭和62年まで運転されたようです。しかし、昭和57年以降は185系も登場しており、この間も183系0番台や485系・489系などの応援で設定されたことも多くあるため、183系1000番台が使用された日数はそれほど多くなかったかもしれません。この写真を撮った時代に企画列車としての「新雪」が設定されれば間違いなく撮影に行っただろうと思いますが、OM183系はそんな機会もないまま廃車となってしまいました。10-1910 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) C編成 3両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》送料無料◆10-1910 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1910 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)C編成 3両セット送料無料◆10-1909 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1909 近鉄10100系〈新ビスタカー〉(改装形) A編成+B編成 6両セット[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1909 近鉄10100系「新ビスタカー」(改装形)A編成+B編成 6両セット送料無料◆セット販売 10-1909/10-1910 KATO 近鉄10100系 (新ビスタカー) (改装形) A編成+B編成 6両セット+C編成 3両セット Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】送料無料◆10-1911 KATO カトー 近鉄10100系 (新ビスタカー) 三重連 9両セット (特別企画品) Nゲージ 鉄道模型 【6月予約】10-1911 近鉄10100系〈新ビスタカー〉 三重連 9両セット 特別企画品[KATO]【送料無料】《06月予約》[鉄道模型]カトー (Nゲージ) 10-1911 近鉄10100系「新ビスタカー」 三重連 9両セット
2024.02.18
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789系:特急「スーパー白鳥」平成14年12月1日、東北新幹線八戸開業に当たり、アクセス特急「はつかり」を引き継ぐ形で誕生した特急「白鳥」。JR東日本485系3000番台の「白鳥」及びJR北海道789系の「スーパー白鳥」の2形態で運転が開始され、東北新幹線新青森開業後も同様の運行形態で推移しました。平成28年3月21日、北海道新幹線の開業に当たり、切替工事の関係で早めの廃止となってしまいました。「はつかり」から「白鳥」への移行後、まったく北海道に渡ったことが無く、さらに青森の地でさえ足を踏み入れたことがありませんでしたので、「日本海」の最後を見届けに行った際に出会った789系が最初でした。平成24年3月11日 青森駅にて 789系 「スーパー白鳥25号」平成24年3月11日 青森駅にて 789系 「スーパー白鳥31号」平成24年3月12日 青森~油川間にて 789系 「スーパー白鳥25号」平成24年3月12日 青森~油川間にて 789系 号数不明青森をうろついている間に何本もの「スーパー白鳥」を見ましたが、駅撮りを何本しても同じなのでこれしか撮っていません。また、青森駅内に長い時間滞在していた訳ではないので、485系「白鳥」は1回も逢えませんでしたし、785系300番台は目撃したものの、他の列車を優先したために見送り、翌日からは増結が解除されて結局は撮影することができませんでした。その後も訪れる機会があるかと思っていましたが、月日があっという間に経過してしまい、この時の撮影が最初で最後となってしまいました。青森駅に到着した際、1分差で発車した新青森までの「スーパー白鳥」に思わず飛び乗り、1駅だけでも乗ることが出来たのがせめてもの救いでした。
2024.02.15
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EF5861牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」随分前に『EF5868牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』にてEF58が牽引する臨時特急「踊り子」をご紹介いたしました。数年後、再度運転の機会を捉え、東海道ブルトレを撮りがてら、撮影に出掛ける機会がありました。既に『EF651116牽引 14系客車:臨時特急「踊り子」』でご紹介した写真の翌日、伊豆急線内で挑戦した写真があります。結果的に14系客車による臨時「踊り子」を撮影した最後の写真となりました。※撮影は、昭和62年2月14日、撮影場所不詳。EF5861牽引 14系客車 「踊り子55号」前回のEF65牽引「踊り子」の翌日でした。こちらの日は、確か事前にEF5861牽引の情報が公表してあったように記憶しています。やっと来た!という感じでした。今のようにブログでご紹介することが分かっていれば、もっとアップで撮っておけば良かったと思いますが、当時はSLを含む景色重視の写真に拘っていた時代であったため、こんな写真しか撮っていませんでした。今だったら終着まで追い掛けて、これでもかっていうほど記録を残していたことでしょう。
2024.02.14
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681系・683系:特急「はくたか」昭和40年10月ダイヤ改正において誕生した特急「はくたか」は、その姿、経路を変えながら東京と北陸を結んできました。上越新幹線の開業で一旦は姿を消しましたが、北越急行線の開業をもって北陸への新しいアプローチと再び登場し、在来線では異例の狭軌160km/h運転を行うスーパー特急として走り続けてきました。平成27年3月、北陸新幹線の金沢開業に伴い、その役割を終えることになりました。それまであまり遭遇したことは無かったのですが、廃止を目前に多くを記録することができました。平成20年4月22日 金沢駅にて 683系 「はくたか」新性能化されて初めての北陸でしたが、この時は金沢以西に行ってしまったため、「はくたか」はこの1枚だけでした。平成23年5月4日 直江津駅にて583系「きたぐに」を撮影するために信越本線内に行った際、帰路に立ち寄った直江津駅。駐車場で「妙高」の写真を撮っていると、ちょうど上り「はくたか」が到着しました。混結編成に驚いたものですが、日常的に「当たり前」であることは知りませんでした。平成27年1月23日 越後湯沢駅にて 681系 「はくたか4号」北陸新幹線開業前最後の姿を撮るため、初めてほくほく線経由で「はくたか」に乗車しました。乗った車両は自由席車、クモハ681-2501でした。平成27年1月23日 黒部~生地間にて 「はくたか9号」平成27年1月23日 倶利伽羅~津幡間にて 「はくたか10号」平成27年1月23日 倶利伽羅~津幡間にて 「はくたか19号」平成27年1月23日 金沢駅にて 「はくたか23号」平成27年1月24日 小杉~呉羽間にて 681系 「はくたか13号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 681系 「はくたか17号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 681系 「はくたか10号」 平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「はくたか12号」今回の撮影ではかなり枚数を撮りましたが、残念ながら統一された編成では運用されていなかったようで、最後の1枚だけ683系のホール赤でした。しかし、アングルの関係から全編成が構図にされていないので、ちょっと残念でした。平成27年1月25日 越後湯沢駅にて 681系 「はくたか15号」一連の撮影で最後に乗って帰ってきたのがクハ681-6を先頭とする編成。長年親しまれてきた「はくたか」の名称は、北陸新幹線の各停タイプとして引き継がれることになりました。在来線「はくたか」の廃止とともに、高規格線路で「はくたか」の俊足を支えてきたほくほく線が、ローカル然とした鉄道になってしったことを非常に勿体無く思います。
2024.02.10
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189系:幻の特急「あさま銀嶺」昭和46年12月から冬期に設定された「あさま銀嶺」は、昭和50年2月頃までに運用を終えていたため、未だ小学生だった私の中には、まったく記憶の隅にも存在していません。181系のほか、489系が使用されたこともあるような記述がありますが、もちろん181系などボンネット型も含め、専用ヘッドマークが用意された事実はありません。しかし、何故か189系には「あさま銀嶺」の字幕がセットされていました。全て昭和52年から53年くらいに掛けて上野駅で撮影したものです。1番目の写真だけは雪の塊が車体に付き、また、線路へ落ちているため、さも実在したかのように写っているのが笑えます。その他の写真は、季節感すらなく、もしかしたら夏休みとかに撮影しているかもしれません(笑)。1番目の写真は、幕送りではなく、確か、このままのマークで停車していたと記憶しています。サボを起動した担当者が、ダイヤルを間違えてセットしてしまったんでしょうね。下の2枚は回転中だったと思います。字幕を「回送」や「そよかぜ」に送るとき、運が良いとこのような場面に出くわすことがありました。189系:臨時特急「あずさ銀嶺」
2024.01.30
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681系・683系:特急「サンダーバード」(富山~金沢間)485系特急「雷鳥」に変わる新形式として登場した681系。平成4年落成から試行錯誤の名称により臨時列車として運転され、平成9年、晴れて「サンダーバード」として定期列車となりました。「スーパー雷鳥」の後進となります。運転区間は大阪~金沢を基本とし、北陸本線では富山まで、さらに、分岐して和倉温泉や富山地鉄への乗り入れも行っていましたが、北陸新幹線の開業に伴い、平成27年3月の改正をもって金沢~富山・魚津間の運転が取り止めとなりましした。改正の直前、「サンダーバード」運転開始以来、初めて金沢~富山間で撮影することができました。平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 683系 「サンダーバード21号」平成27年1月23日 津幡~倶利伽羅間にて 683系 「サンダーバード34号」平成27年1月23日 金沢駅にて 681系 「サンダーバード27号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード15号」?平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード30号」平成27年1月24日 越中大門~小杉間にて 683系 「サンダーバード38号」かなりコマ数は撮ったような気がしたのですが、「しらさぎ」「はくたか」も走っていますので、思ったより少なかったようです。また、意外と681系が少なく、「スーパー雷鳥」置換えのために誕生した683系ばかりで、特徴のある顔の681系がまったくありませんでした。平成27年3月改正以降、金沢発着以外の「サンダーバード」は和倉温泉発着の1往復のみとなり、津幡より北では乗り入れの臨時を運転する可能性もなくなり、有名な倶利伽羅峠を走る姿も見納めとなってしまいました。
2024.01.29
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185系OM車:臨時特急「草津」平成26年3月15日のダイヤ改正で651系化された特急「草津」でしたが、平成28年初めの冬臨において、久し振りに185系による臨時特急「草津」が設定されました。さらに、翌年にも同様に設定されており、こちらの方を撮影していました。平成29年1月28日 185系OM03編成 「草津83号」平成29年2月18日 185系OM03編成 「草津83号」基本の設定は651系でしたが、一部は車両の回しが利かなかったのか、185系が使用されました。平成29年2月20日 185系OM03編成 「草津93号」このシーズンは平日もほぼ毎日設定され、時間の違いにより列車番号が区別されています。いずれも大宮総合車両センターのOM03編成が使用され、既に廃車が進んでしまっていたため、グリーン車なしの6両編成とグレードダウンとなっていました。その後も185系は細々と運用が残っていたため、運用される機会を期待していましたが、残念ながらこの年度が最期となってしまったようです。それまで、元田町センターのB編成が充てられたこともありましたが、まだ///が登場する前でしたので、「草津」の///はこの時しか見られなかったのではないかと思われます。【参考】JR東日本高崎支社 臨時列車のお知らせより※草津 83 号 1/28 2/4.11.18 は、185 系 6 両で運転致します。※草津 84 号 1/29 2/5.12.19 は、185 系 6 両で運転致します。※草津 93・94 号 2/13-17.20-24 は、185 系 6 両で運転致します
2024.01.27
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キハ82系:特急「にちりん」昭和50年代、日豊本線の特急列車は481系又は485系が主たる使用車両でしたが、南宮崎~鹿児島間が非電化であったため、特急「にちりん」8往復のうち1往復のみがキハ82系で博多~西鹿児島のフル区間を結んでいました。博多から肥薩線・吉都線を経由して宮崎を結んでいた特急「おおよど」と共通運用を組んでいたのも有名な話です。昭和54年3月24日 東別府~西大分間にて 下り「にちりん」この年代にしては珍しくわざわざ駅間での撮影をしています。相当気合が入っていたのでしょうかね。ただし、1枚目のリバーサルで撮った写真がブレてしまっているのが残念です。国道を走るクルマも時代を感じさせます。昭和54年3月24日 別府駅にて 上り「にちりん」この日は別府の温泉宿に泊まったのですが、19時過ぎに西鹿児島から来る上りの「にちりん」を撮るため、再び別府駅に舞い戻って撮影しています。かなり気合が入っていたんですね。この年、昭和54年10月に日豊本線の全線電化営業を開始した際、気動車特急「にちりん」は辛うじて残存したのですが、翌年の昭和55年10月改正において583系「彗星」の間合い使用による「にちりん」が誕生することになり、キハ82系「にちりん」は廃止となっています。また、共通運用で使用されていた気動車特急「おおよど」も、キハ82系の廃車により使用車両がなくなったとして運命を共にしています。485系(国鉄時代):特急「にちりん」
2024.01.20
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カニ24510:寝台特急「北斗星トマムスキー」既に廃止になって久しい寝台特急(ブルートレイン)。寝台特急需要の衰退が顕著になってきた昭和50年代後半。そこに再びブルトレブームを復活させたのが青函トンネルの開業、そして寝台特急「北斗星」の誕生でした。寝台特急「北斗星」に関してはいずれとして・・・ここに1枚のレア写真があります。平成5年11月28日 大宮工場(大宮総合車両センター)にて カニ24510同日、なんの展示だったか忘れましたが、工場の一般公開があったんですよね。そのとき撮った写真のうちの1枚。当時は「北斗星」が3往復に、「エルム」又は臨時の「北斗星」など都合4往復のスジが設定されていましたので、むしろ珍しくないシチュエーションではあったのですが・・・。「北斗星トマムスキー」は平成元年1月に初めて設定された石勝線トマム行の「北斗星」で、当初は上野発着、後に横浜延長や平成3年から夢空間を連結するなど、豪華列車へと発展していったようです。しかし、この「北斗星」が隆盛を極めた時代、ほとんど写真を撮ったことがありません。その時代、各地に復活したSL中心に撮影していましたので、一般の列車はあまり撮っていなかったのです。その後、結婚して写真を撮りに行く機会も激減し、板橋に住んだため「地元での撮影」すらなくなってしまいました。そんなこともあって、実際に走っていたこの時代のブルトレも殆ど記録がなく、特に「北斗星」のなかでもEF65PFが牽引していた同列車を撮影できなかったのは非常に残念です。ちなみにこのカニ24510と言う車両。なかなかの曲者のようで、別に記事にしたいと思います。
2024.01.19
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E653系:特急「フレッシュひたち」本記事は、2013-03-12に投稿したもので、当時の表現になっています。E653系は、常磐線特急「ひたち」に使用されていた485系の老朽化を受け、これを置き換えるために平成9年に誕生した線内線用の特急車両です。「フレッシュひたち」への導入に当たっては、利用の少ないグリーン車は製造されず、485系活躍末期の流れを受け、モノクラス7両編成を基本としました。これに付属4連の併結や、朝夕のラッシュ帯には基本×2の14連も存在します。誕生からまだ20年は経っていませんが、平成25年3月の改正をもって常磐線から引退し、E657系にバトンタッチすることとなりました。新しい物好きではない私として、やはりあまり写真を撮ったことが無く、それも意外なほど撮っていませんでした。平成19年1月1日 藤代~取手間にてデジカメを買って間もない頃、初めて「フレッシュひたち」を撮りました。登場から既に10年が経過しています。平成20年8月9日 佐和~東海 「フレッシュひたち17号」 平成20年8月9日 東海駅にて 「フレッシュひたち36号」常磐線を中心とした撮影会。日焼け、汗、暴風と砂で酷い目に遭いました。平成21年4月25日 勝田駅にて最終電車も近い時間。ホーム脇に静かに横たわる651系とE653系。あまりにも撮影していなかったこともあり、交代直前である3月10日、約5年振りの常磐線撮影会に行きました。平成25年3月10日 日暮里駅付近にて 「フレッシュひたち2号」平成25年3月10日 佐貫駅にて 「フレッシュひたち12号」土休の午前唯一となる14連。改正後はまず見られなくなります。平成25年3月10日 佐貫駅にて足元にあった11号車以降の案内も、臨時列車を除いては不要に。平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち24号」 平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち17号」平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち21号」平成25年3月10日 赤塚~内原間にて 「フレッシュひたち32号」平成25年3月10日 (臨)偕楽園駅にて 「フレッシュひたち29号」この日は気温が高く、3月としては珍しく夏日を記録するほどでした。風はありましたが、上着を着ていては汗ばむほどの陽気。しかし、突然の暴風&砂嵐に襲われ、さらに風向きが変わると一転、気温がぐんぐんと落ち始めます。生まれては初めて偕楽園にも行きましたが、既に遅い時間になってしまいました。風は強く冷たく、そして予報には無かった雨も降り出す始末。梅はまだ4~5分咲きくらい?あまり感動もありませんでした。満開だったら確かにすごかったのでしょうけど・・・ダイヤ改正の日は待ってくれません。E653系自体は常磐線に派動用として残るようで、今年のGWにも臨時「フレッシュひたち」として運転されることが既に発表されています。特急「いなほ」に転用されるようですが、おそらくは半室グリーン車化の改造が行われるでしょうから、今年の秋か、或いは平成26年春のダイヤ改正辺りで、またその活躍を見ることが出来るようになることでしょう。
2024.01.16
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EF651000番台:寝台特急「出雲」昭和47年に急行列車から格上げされ寝台特急となった「出雲」。今回はEF651000番台の姿をご紹介したいと思います。昭和55年8月 東京駅にて EF651113牽引 「出雲1号」品川客車区から到着した「出雲1号」の回送列車。入換のため、既に機関車のテールランプが入換標識となっています。前後にヘッドマークを備える運用は、寝台特急として運用を始めてから変わらないスタイルでした。一番手前は、まだ総武快速とスルー運転を開始する前の113系横須賀線。13番線にはオハネフ25を最後尾として出発を待つ「富士」。そして、大きな車体を横たえているのが0系新幹線です。えっ、これだけ?平成24年11月11日 尾久車両センターにて EF651115平成25年5月25日 大宮総合車両センターにて EF651115平成28年5月28日 大宮総合車両センターにて EF651115運転時間が厳しい設定であり、走行写真を撮るのが難しい列車でしたので、駅撮りをやめていた年代でもあり、殆ど記録は残っていませんでした。EF65500番台牽引:寝台特急「出雲」14系寝台客車:寝台特急「出雲」24系24形・25形寝台客車:寝台特急「出雲」14系寝台客車:寝台特急「いなば」
2024.01.13
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キハ82系:特急「おおとり」「おおとり」は、昭和39年10月1日、「おおぞら」に続く北海道2番目の特急列車として誕生、函館~網走を石北本線経由で結んでいました。※確か登場当初は釧路行きと併結され、一部が池北本線(後の池北線)経由で網走まで達していたと記憶していますが、文献が見つかりません。1日1往復のみの体制は営業当初から廃止になるまで堅持され、「おおぞら」や「北斗」のように増発、編成増強されることなく、食堂車を含む7両編成と、比較的地味に、しかし、北海道最後の長距離ランナーとして地道に活躍していました。昭和56年3月11日 白石~厚別間にて昭和56年3月15日 大麻~厚別間にて昭和56年3月18日 石北本線 遠軽駅付近にて昭和58年9月7日 函館本線 大沼駅にて誕生から20年以上にわたってキハ80系が使用され、昭和61年10月末にキハ183系に置き換わるまで、最後の食堂車連結気動車特急でもありました。キハ183系:特急「おおとり」
2024.01.06
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183系(大宮・新前橋車):臨時特急「水上」「水上」は、上野~水上を結ぶ特急列車で、そのルーツは同区間に運転されていた急行「ゆけむり」~新特急「谷川」の流れをくみます。定期列車や臨時列車は基本的に185系が専用となりますが、極わずかながら183系1000番台により運転されたことがあります。平成17年3月9日 初めて撮った183系1000番台使用の臨時「水上」です。デジカメもまだ導入する前で、こんな写真を撮るにも645を引っ張り出していた時代です。今は便利で気軽に撮れるようになりました。この編成、良く見るとOM編成と違うので調べてみたら、まだ新前橋電車区所属時代で、OMに配転する直前に中間車が幕張センターのものと差し替えられたらしく、写真は差し替え間近の貴重なシーンとして記録出来ました。この区間の架線柱の交換過渡期で、写真的にはうっとうしいですが、交換前は今のように撮りやすいことはなく、この事案によって地元での撮影を再開したきっかけとなりました。平成20年1月1日 「水上98号」上の写真から3年経ち、後のOM編成となっています。旧架線柱も撤去済みで、完全に交換が終了しています。平成20年2月21日 大宮駅にて 「水上99号」珍しく大宮まで出掛けて撮った写真。この日は大宮駅でいろんな写真を撮っていた時だったかもしれません。下りは逆光のダイヤなので厳しいですね。平成22年3月22日 「水上98号」その間も何度か充当されていたようですが、2年振りの撮影だったんですね。それなりに写っていますが、実は掟破りのトリミングアップです。臨時列車として注目の183系「水上」でしたが、定期列車の185系「水上」ですら平成23年3月の改正で臨時化されてしまいました。651系:臨時特急「水上」185系:新特急「谷川」
2024.01.03
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EF65500番台牽引:寝台特急「富士」「富士」は日本初の特急列車で、明治の終わりに東京~下関を結ぶ客車特急として誕生しています。その後運転区間が長崎・博多など変遷がありましたが、太平洋戦争の激化により運行休止となりました。戦後すぐには「富士」の名は復活せず、昭和36年に東京~神戸・宇野間を結ぶ181系電車特急として再び東海道・山陽を走ることになります。一方、九州方面には特急「みずほ」が不定期列車(実際にはほぼ定期で運転されていたようです)として誕生し、東京~熊本を結んでいました。その後、20系化されると同時に、付属編成を大分行きとして併結するようになっています。そして、昭和39年に大分編成を独立し誕生したのがブルートレインの「富士」でした。後に運転区間が西鹿児島まで延長され、日本一長い距離を走る特急列車として有名になりました。登場当初からはしばらく20系が使用されていましたが、昭和50年3月の改正から関西で余剰となった24系24型を使用するようになり、さらに約1年半後には、新製による24系25型にグレードアップされています。昭和50年? 東京駅にて EF65530牽引 7レ 「富士」ポケットカメラですので画像が悪くてスミマセン。昭和50年後半の時期くらいかと思われます。今は無き東京駅13番線で出発を待つ下り特急「富士」。初めて東京駅に撮影に行ったときにはまだ20系だったはずですが、当時は小学生でお金がなく、フィルム消費の限界が早く、記録を残せなかったのが非常に残念です。オハネフ24 「富士」50・3改正は過ぎており、客車は既に24系24形化されています。まだブルトレブームより少し前くらいの頃でしょうか。写りが悪くて残念ですが、この後わずか1年半で25形化されてしまいました。昭和52年頃 田町駅にて EF65506牽引 8レ 「富士」見てお判りのとおり、客車は24系25形に変わっています。特急「富士」のヘッドマークは長らく円型のものが使用されていました。その後、ロビーカーが連結されることになり、牽引定数の関係でEF66が牽引することになった際に、山型の特製ヘッドマークに変わっています。個人的には、この円型のヘッドマークの方が好きでしたね。山型のヘッドマークは、500番台には似合わないかなぁ・・・?満を持して登場したブルトレ用500番台P形でしたが、片道1000kmの運用はP形にしても過酷過ぎたようで、昭和53年くらいに、さらに性能を向上したEF651000番台後期形(PF形)にバトンタッチすることになり、東海道のエースから降板となります。平成22年5月22日 大宮車両所にて「おおみや鉄道ふれあいフェア2010」では、EF65535に「富士」のヘッドマークが掲げられました。平成27年11月14日 尾久車両センターにて「ふれあい鉄道フェスティバル2015」で展示された、「富士」のヘッドマーク取り付けのEF65501。ブルトレのスター牽引機P形にはやはり丸いヘッドマークが似合います。
2024.01.01
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185系:特急「水上」上野~水上間の優等列車の歴史を見ると、それまで準急であった「奥利根」が昭和41年に急行列車に格上げ、昭和43年に急行「ゆけむり」に名称が変更されています。昭和57年11月、上越新幹線が大宮暫定開業となり、185系を使用した列車が新特急「谷川」として運転を始め、急行「ゆけむり」は上越新幹線上野開業となる昭和60年3月に全て新特急「谷川」に吸収されます。JR化後もしばらくはこのまま推移しますが、平成9年、上越新幹線に「たにがわ」として名称を譲ることになり、新特急「水上」という愛称が誕生することになります。さらに平成14年、新特急の種別廃止により、特急「水上」となりました。平成20年8月22日 水上駅構内にて 特急「水上5号」こうした列車はそれまで殆ど撮ったことがなかったですが、デジカメを購入したことで撮る機会が増えました。平成22年1月16日 特急「水上1号」「水上」は、臨時を除き全て「草津」と併結運転となっており、上野口の特急列車としてはもっとも長い14連での運転となっていました。※以前は単独の編成があった模様。平成22年1月23日 特急「水上25号」・「草津5号」この頃からスカートの形状が変更された車両が登場します。あまり興味を持っていませんでしたが、旧スカート形状としては最後に撮影した「水上」です。この時期の時刻表がないので曖昧ですが、単独の「草津5号」に季節併結の「水上」が設定されていて、号数が変な数字になっていたようです。この1時間前に単独「水上5号」が設定されていたようなのですが、もしかしたらダイヤ改正で「水上5号」・「草津5号」になっていたかもしれません。平成22年9月26日 特急「水上2号」・「草津2号」185系に湘南色の塗装変更車が誕生し、「水上」にも充当されるようになります。この頃になると、旧スカート装備車は姿を消したようです。平成22年10月3日 特急「水上4号」・「草津4号」こちらも湘南色を含んだ編成です。次のダイヤ改正で「水上」の臨時化が発表されたため、結構撮りに行っていたようです。平成22年12月11日 特急「水上1号」・「草津1号」平成22年12月改正において、乗車率が良くないことを理由として、土休のみ運転する臨時列車に格下げされました。しかし、ここ地元では運行形態は全く同じで、土休のみ「水上」が表示され、平日は「草津」を表示して新前橋まで併結される14連は変わりませんでした。平成23年2月6日 特急「水上3号」・「草津3号」OMの185系は、冬場になると連結器にカバーがかけられるのが特徴です。平成24年2月、その利用の悪さから土休運転もなくなり、多客期のみの運転となります。これに合わせて「草津」との併結運転も解消され、14連の姿を見ることも出来なくなってしまいました。651系:臨時特急「水上」185系:新特急「谷川」
2023.12.29
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キハ82901:特急「おおぞら」先般アップいたしました『キハ82系:特急「おおぞら」(その1)』で、キロ80形を先頭車化改造したキハ82900番台が連結されている写真をご紹介いたしましたので、やや詳細にご紹介したいと思います。キハ81系「はつかり」として誕生した初期80系のうち、グリーン車(1等車)のキロ81-1と-5をそれぞれキハ82-901と-902としています。ドアの無い側の車体を切り落とし、キハ82と同様の運転室及び発電エンジン用機械室を切り継いで改造されましたが、客室側はグリーン車のままの窓割りで存置したため、他のキハ82とは違い、小窓がズラリと並んでいるのが最大の特徴です。さらに、改造後先頭寄りとなるAU12クーラー2機分を撤去し、このスペースに無理矢理収まる1機を載せたため、半切れ状態のような中途半端な形状のAU12が搭載されています。また、細かい点ですが、行き先サボ受けがトイレ窓上にある初期型タイプのままとなっている点も他のキハ82には無い特徴です。(2次型以降は、客ドアの直ぐ上横にあります。)クーラーの設置方法やサボ受けの位置については、キハ82の初期車に形態が酷似していると言えます。昭和56年3月11日 大麻~厚別間にて 上り函館行き特急「おおぞら」2回目に訪問した北海道。1回目の時は殆ど走行写真を撮ることが出来なかったのですが、それを教訓にして、2度目の渡道では駅間撮影を行うことが出来ました。偶然にも900番台(キハ82901)を撮影できたもので、非常に喜びました。このような改造900番台というのは非常に希少種で、滅多に逢えるもんではありませんでしたから。残念なことといえば、ネガフィルムがあまりシャープになってくれていないので、番号までは判読できないことですね。鉄道ピクトリアルの解説では、『先頭車化、普通車化して「まつかぜ」などに充てる』とされていますが、他の雑誌等で写真をみてみますと、私が小学生だった昭和46年頃、気動車特急時代の「いなほ」に充当されていたようでした。改造が昭和43年と45年ですから、「いなほ」が電車化されるまでは中間車として使用されていたのではないかと思います。キハ80系の中の珍車は、このほかにも中間車の格下車キハ80とキサシ80のキシ化によるそれぞれ900番台が存在していましたが、先頭車であるキハ82900番台は2両とも晩年を札幌運転所で過ごしており、この写真を撮った翌年の7月には廃車となって、その一生を最北の地で終えることになりました。親ブログでご紹介した際、サボ位置の関係から901号ではないか?というご指摘をいただきまして、確認することができました。KATO キハ82900 & 改造キハ82902キハ82系:特急「おおぞら」(その1)キハ82系:特急「おおぞら」(その2)キハ183系:特急「おおぞら」キハ183系900番台:特急「おおぞら」試作車誕生~試用運転【カトー KATO】カトー 1-613 HO キハ82 900キハ82 900【KATO・1-613】「鉄道模型 HOゲージ カトー」【中古】KATO◆ホビーその他/6061-3/キハ82【ホビー】
2023.12.22
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189系:特急「あさま」「あさま」は、上野~長野・直江津を結んでいた特急列車。181系によって運転を開始しましたが、碓氷峠を通過するに当たり8両までという編成両数の制限がネックとなっていました。これを解消するため、165系電車によるEF63との協調運転の試験が実施され、その成果からまずは489系が落成、金沢行きの「白山」が誕生するとともに「あさま」にも使用されるようなりました。さらに、181系の老朽・置き換えを目的とした耐寒型の183系1000番代が誕生し、強調運転が可能な189系も順次投入され、特急「あさま」用の車両として活躍を始めます。昭和51年 上野駅にてもうちょっと早く写真を写真を撮り始めていれば、181系も記録に残っていた筈なんですけども。実は1枚だけ181系「あさま」の写真がありましたが、ネガも写真も紛失です。もっとも、小さ過ぎて判らないような写真でした。昭和52年 蕨~西川口間にて昭和53年10月改正までは文字マークで運転されていました。昭和53年8月 上野駅にて上野駅で181系「とき」と並ぶ189系「あさま」。日中は「あさま」が34分発、「とき」が38分発でしたので、このような並び風景は1日に何度も見ることが出来ました。昭和54年 南浦和~蕨間にて53・10改正の少し前辺りから、ヘッドマークはイラスト化されています。この頃から特急列車の写真を撮る意欲が失われてきました。昭和56年 蕨~西川口間にて昭和56年8月 蕨~南浦和昭和57年 上野駅にて昭和60年5月 北浦和~浦和間にて昭和57年11月改正からは489系が定期運用が撤退し、189系しか見られなくなります。国鉄色は堅持されていましたが、面白みのまったく無い列車でした。国鉄色で12両編成。面白みが無いなんて、現状からすると贅沢な話ですね。昭和60年11月4日 岡部~深谷間にて赤字による合理化策として、直流型特急電車の2パンタ→1パンタ化が実施されました。昭和62年4月5日民営化によりJRになった直後。写真では判りづらいですが、先頭車側面に{JR」マークが入りました。昭和63年12月23日 西川口~蕨間にて平成元年11月4日 軽井沢~横川間にて国鉄色時代に1度だけ訪れた碓氷峠。ろくな写真を撮っていませんでした。平成8年11月2日 御代田~追分間にて189系がグレードアップしてからは碓氷峠が廃止になる頃まで殆ど撮ったことがありませんでした。SL撮影の合間の写真で、偶然に撮っていました。
2023.12.08
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EF65500番台牽引:寝台特急「出雲」昭和47年に急行列車から格上げされ寝台特急となった「出雲」。今回はEF65500番台の姿をご紹介したいと思います。昭和50年頃 東京駅にて 発車を待つEF65527牽引「出雲」ポケットカメラでの撮影なので、構図・画像とも大荒れでスミマセン。多分、鉄道写真を始めて最初に見た「出雲」です。他では白や青を基調としたヘッドマークデザインが多い中で、鮮やかな赤をベースとしたヘッドマークが非常にカッコよく感じられました。昭和52年頃 東京機関区にて 夕方までお昼寝中のEF65507「出雲」東海道線か横須賀線電車の車内から覗いて撮った写真です。この位置にヘッドマーク付きの機関車が停まっていることは珍しかったと思います。しかも、早朝着夜間発の「出雲」は子供の頃にはGETし難い列車でしたので、非常にラッキーでした。昭和53年? 田町駅にて EF65507牽引 「出雲」「出雲」は18時過ぎに東京駅を発車しますので、夕方の走行写真を撮れるのは相当陽が高い時期限られます。したがって、おそらく夏休みに入って直ぐくらいだったのではないかと思います。当時、望遠レンズは持っていなかった筈なので、標準レンズに中古の3倍テレプラスなんかを付けて撮っていたような気がします。撮り慣れていないので、ピントが合っていませんね。東京駅では比較的早い時間に到着する「出雲」で、それほどではないにしても、蕨に住む私からしてみれば、撮るのは難しい列車でした。走行写真はこれだけではないかと思われます。「出雲」だけは、東京~京都~東京と即時で折り返してくる運用だったため、常に前後にヘッドマークを付けていました。よって、本運用でも回送でも普通に撮影できた唯一の特急でした。昭和53年9月 東京駅にて EF65512「出雲」東京駅に到着し、品川客車区へ回送のために機回し中のEF65512。平成21年5月23日 大宮総合車両センターにて昔からこんなにきれいに撮ることができればねぇ・・・14系寝台客車:寝台特急「出雲」24系24形・25形寝台客車:寝台特急「出雲」14系寝台客車:寝台特急「いなば」
2023.12.01
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485系(T18編成):特急「あいづ」特急「あいづ」運転上野口から特急「あいづ」が消滅してから久しく、突然、2009年夏に夏臨が設定されました。折しも国鉄型電車がブームになっており、ほぼイベントのような設定となっており、新潟のT18編成をわざわざ持ってくるという力の入れようでした。平成21年7月4日 西川口~蕨間にて平成21年7月5日 土呂~大宮間にて平成21年7月4日下りと同月5日上りの片道設定です。新潟のT18編成が使用され、1500番台の「あいづ」を見ることもできました。現役時代には1500番台の「あいづ」を見たことはなかったのですが、秋田運転所へ移管された後、同運転所へ1500番台が配置されたこともあったため、稀に運用に入って上野へ顔を題していたことがあったようです。私にとっては貴重なシチュエーションだったのですが、逆向き体勢であったりカブられたりと、結果を残すことができなかったのが残念です。
2023.11.16
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583系:特急「はつかり」その2『583系:特急「はつかり」その1』の続きで、今回は昭和53年10月改正後、ヘッドマークがイラスト化されて以降、撮りためてあったものをご紹介いたします。昭和54年 尾久駅にて高校生になった頃でしょうか。昭和53年10月改正後、ヘッドマークがイラスト化されました。SL牽引時代にヘッドマークがありましたが、夕焼けのカラーが入ったため、印象はかなり異なります。当時の尾久駅は、階段の部分くらいしか屋根はなく、大宮方はこのように空いっぱいに見えるホームでした。一部は玉砂利敷きで、雨の日は歩きづらかった思い出があります。昭和56年1月5日 白坂~豊原間にて田舎に行く際、寄り道途中下車して写真を撮ってきました。雪景色を行く「はつかり」を撮る機会は殆どありませんでした。昭和57年1月4日 白坂~豊原間にて1年後、田舎の母方のおばあちゃんが亡くなり、田舎に行く機会もなくなってしまいました。国鉄への就職を目前に、休みには遠出する機会も多くなった頃です。この時は1日中冷たい雨で、駅間踏破も結構つらいものがありましたが、その辺りはまだ10代の若さがみなぎっており、あまり苦には感じていなかったかもしれません。昭和57年?月 上野駅にて東北新幹線開業を目前に控え、遠出しないまでも学校に近い上野駅で記念写真を撮ることが多くなりました。昭和57年2月 上野駅にて15番線に停車中の「はつかり」。まだ通勤車の100%冷房化は程遠い時代で、デカ目の115系も懐かしい。昭和57年6月 大宮駅にて東北新幹線大宮暫定開業直前、右側には現在と同じ位置に新幹線駅がそびえ立つ。在来線ホームはリニューアルされておらず、屋根は延長されていない。ホームもガタガタのまま。右側には貨物列車の通過線と、非電化のままの川越線も残っています。昭和57年6月22日 金谷川構内にて昭和57年6月22日 福島駅にて東北新幹線開業前日、最終の「やまびこ」を撮影するために福島へと遠征しました。まだED71牽引の客車列車や貨物列車も若干残っており、客車列車はすべて旧型でした。2枚目のショットは普通列車の最後部から撮影したもの。昭和57年10月頃 上野駅にて 583系「はつかり」&185系「新幹線リレー号」新幹線開業後、「やまびこ」は全廃となったが、大宮暫定でアクセスが不便になったことから、本格的なダイヤ改正を実施する昭和57年11月の上越新幹線開業まで、「はつかり」は4往復が残りました。そのため、東北新幹線暫定開業から上越新幹線暫定開業までの約5か月間、写真のように185系「新幹線リレー号」との顔合わせが日常的に行われていました。昭和57年11月14日 上野駅にて新幹線開業前日、既に国鉄で働いていましたが、休みだったか非番で時間があったため、日中から夜にかけて上野駅、両国駅などをレポしていました。どの列車も最後となることから大混雑であり、撮影はままなりません。記念になる具材は、誰も撮らないこんなところにもありました。もう、明日から上野に来ることはありません。昭和62年12月12日 盛岡駅にて昭和60年3月、東北・上越新幹線は晴れて上野駅への乗り入れを達成しました。北海道へ撮影に行く際、往路は新幹線+「はつかり」の組み合わせが定番となりました。写真の583系は、左に見える485系定期「はつかり」の後発となる臨時の「はつかり」で、編成の長い583系編成は供給過剰でガラガラ状態だった。その後、583系は老朽化により撤退し、東北地方で初めての昼夜両用特急である583系「はつかり」は、青函トンネルを潜ることなく廃止されました。[鉄道模型]カトー 【再生産】(Nゲージ) 10-1239 583系 3両増結セット[◆]JR東日本 583系 国鉄特急色 (JR東日本N1・N2編成)【ICカード・定期入れパスケース:ts1324pb-ups01】鉄道 電車 鉄道ファン グッズミスターダイマー Mr.DIMER【トミーテック TOMIX】トミーテック 98810 583系電車 きたぐに 増結セット 4両送料無料◆98772 TOMIX トミックス 国鉄 583系 特急電車 増結セットA(4両) Nゲージ 鉄道模型(ZN90145)【トミーテック TOMIX】TOMIX 98770 583系特急電車 クハネ581 基本セット 6両送料無料◆98806 TOMIX トミックス JR 583系特急電車 (青森運転所) 基本セット(6両) Nゲージ 鉄道模型 【5月予約】
2023.11.11
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189系彩野編成:東武鉄道直通特急「日光」前記事で485系の東武直通特急「日光」をご紹介いたしましたが、今回は189系彩野編成による臨時特急「日光」をご紹介したいと思います。東武鉄道との直通運転に関しては、東武鉄道側が100系スペーシアを3編成用意し、JR東日本は485系1編成のみとなっています。検査時における肩代わりは東武鉄道側が主に負うこととなりますが、繁忙期による臨時増発にも対応することとなるため、189系彩野編成を東武直通用に改造し、臨時列車及び検査時の代走に充てることになりました。485系と違い、189系彩野編成はヘッドマークが用意され、さらには懐かしい国鉄時代風の文字マークでしたので、個人的には非常に好きでした。平成19年5月5日 臨時特急「日光83号」横浜乗り入れ開始だかで、記念ステッカーみたいなのを付けてました。平成20年5月5日 臨時特急「日光83号」平成21年7月26日 臨時特急「日光81号」平成21年9月5日 臨時特急「日光81号」平成21年9月20日 臨時特急「日光83号」平成22年10月16日 臨時特急「日光81号」「日光」の臨時は、地元の撮影で「北斗星」と競合するダイヤのため、あまり撮っていなかったようです。まして、当時は臨時列車の設定が多くありましたので、189系彩野編成と言えどもあまり希少感がありませんでした。結局、終わってみればまともな写真が残っていなかったです。
2023.11.10
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485系:東武鉄道直通特急「日光」それまで熾烈な争いであった日光争奪戦争。結果としては東武圧勝となり、国鉄の日光線直通列車は繁忙期の臨時列車を除き、消えていきました。しかし、平成18年、それまでの歴史が大きく動きます。なんと、JR~栗橋~東武鉄道という、貨物列車以外では想定の出来なかった乗り入れが実施されることになりました。東武鉄道100系スペーシアがJR線、しかも地元を通るなんて、想像を絶するものでした。JR東日本では、直流区間のみの走行にも拘わらず、485系を改造することによって車両を用意しました。改造前には磐越西線「あいづ」として1年ほど使用していた編成であり、この辺りもかなりのサプライズでした。直通編成は1編成しかなかったため、予備車として189系彩野が用意されました。平成19年5月4日 東大宮~蓮田間にて 「日光1号」 直通1周年のヘッドマークが飾られました。平成19年9月29日 「日光1号」バックに映る209系や211系も懐かしい。平成20年5月18日 「日光1号」送込み回送平成21年7月26日 「日光1号」送込み回送平成22年3月20日 「日光1号」送込み回送平成23年3月6日 「日光1号」送込み回送485系を使用した「日光」は早朝の1本と夜着となり、さらに1号は逆光になってしまう関係もありましたので、送り込み回送の写真が殆どでした。これは、撮影時間帯が寝台特急「あけぼの」~快速「フェアーウェイ」という流れの途中にあったのも大きな要因でした。平成23年春のダイヤ改正後、同年4月16日に後進253系1000番代に置き換わる予定でしたが、東日本大震災の影響により、6月3日まで同編成が使用されることになります。
2023.11.09
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キハ181系:特急「おき」(その2)特急「おき」は、山口線小郡駅(現新山口駅)~米子・鳥取を結ぶ列車で、昭和50年3月、新幹線博多開業の際にアクセス特急として誕生しています。過去ログ『キハ181系:特急「おき」(その1)』で夏の風景を中心にご紹介いたしましたので、2回目は秋の風景をご紹介いたします。昭和57年10月 宮野~仁保間にてまだマークがイラスト化されていません。確か、初めて山口線のSLを撮りに行ったときだったと思います。もちろん、キハ181系「おき」とも初対面。昭和57年10月 宮野~仁保間にて同じ列車の後部でしょうかね。まだこの時代はグリーン車込みの6両編成なんていうのがありました。昭和57年11月28日 小郡駅にて2度目に訪問した山口線。キハ181がダブルで連結しており、それまでの181系史にはまず見られなかったシーンでした。昭和57年11月28日 篠目~仁保間にて昭和57年11月28日 篠目~仁保間にてこのときも2回目の訪問で、撮影地の選択は別にしても、構図のとり方が良く分かっていませんでしたね。昭和61年11月22日 仁保~篠目間にてせっかく秋らしい良い写真だと思うんですが、3両編成になってしまった「おき」に失望してしまったときでもありました。キハ181系で3両編成なんて、全盛を知っている世代としては有り得ない姿なんですよね。勾配が厳しい区間なので、さすがの強馬力気動車も喘ぎながら坂を登ってきます。昭和61年11月22日 長門峡~渡川間にてこれもSL追っかけ篇のついでですね。杉林ばかりなので鮮やかさは全くありませんが、青空を取り込んだ数少ない「おき」の写真です。写真では判りづらいですが、このころの「おき」は、既にイラストマーク化されています。昭和61年11月22日 仁保~篠目間にて同じ日ですが、同区間の峠の反対側、篠目駅寄りになります。列車によっては、1両増結された4両編成も走っていました。写真では判りづらいですが、日の当たる田んぼの方には篠目駅の有名な給水塔があり、その傍らではSL「やまぐち」号が特急「おき」の通過を待っています。記録によると、山口線の撮影はどうもこの回が最後だったようで、そのあとはD51・C62・C58と言った関東・北方面でのSLが復活運転されるようになり、また、変な12系塗装(茶色に白帯)になって気力が落ちてしまって、行く気になれなかったようです。
2023.10.21
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24系夢空間客車:臨時特急「さよなら『夢空間・北斗星』号」『EF8180牽引:臨時寝台特急「夢空間北斗星82号」』『展示車:臨時寝台特急「夢空間わくら」』をご紹介いたしましたが、今回は一般客が乗車できた最後の夢空間として設定された夢空間:臨時特急 「さよなら『夢空間・北斗星』号」をご紹介いたします。撮影は、平成20年3月1日、西川口~蕨間にて。 EF8192牽引 「さよなら『夢空間・北斗星』号」シャッタースピードは1/25を表示しており、仕方なく流し撮り。なんとかナンバーが判読できる程度に写し込むことができました。「カシオペア」のスジで運転されましたが、この時期に性能が古いコンデジでは限界を超えています。ヘッドマークは「北斗星」を期待していたのですが、夢空間専用のヘッドマークでした。もっとも、このマークを付けた動く列車は撮ったことがありませんので、自分的には貴重なシーンとなりました。この後、団体列車のさよなら列車でラストランを迎えることになります。92792 JR 24系25形特急寝台客車(夢空間北斗星)セット(再販)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》
2023.10.12
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24系夢空間客車:臨時寝台特急「夢空間わくら」(展示)臨時寝台特急「夢空間わくら」は、24系寝台車「夢空間」を連結し、上野~和倉温泉を結んだ寝台列車。上野から北陸を結ぶ臨時の寝台特急は異例の設定ですが、時はバブル、それなりに贅沢さが当たり前の時代を反映していたように思えます。設定は平成3年度のみだったようで、久し振りにそんな列車があったことを思い出しましたが、その頃は特に興味もなく、実列車はリアルに見ていません。平成5年11月28日 大宮工場にて オシ25901大宮工場の公開に際して展示されたものです。当時は結婚したばかりで、鉄道写真の撮影機会も少なかったため、なかなか夢空間を見る機会もありませんでした。そんな中、イベントで訪れた際に夢空間を見ることができました。しかし、ただの夢空間の写真だとばかり思っており、テールマークに「わくら」の小さな表示を発見したのはブログへの投稿を始めてからでした。あまりにも小さい文字なので、主催者の意図も私には伝わっていなかったようですね。(笑)92792 JR 24系25形特急寝台客車(夢空間北斗星)セット(再販)[TOMIX]【送料無料】《発売済・在庫品》
2023.10.11
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583系:特急「みちのく」常磐線の急行列車として設定されていた「みちのく」は、昭和47年3月15日のダイヤ改正により特急列車に格上げ、晴れて特急「みちのく」となりました。実際には「十和田」の格上げという位置づけになっています。使用車両は、当初から青森運転所の583系が使用されており、常磐線経由としては唯一の青森直通特急です。※登場時の「はつかり」は、東北本線経由になるまで「みちのく」と同一の区間を走行していました。昭和52年頃 上野駅にて文字マーク時代の「みちのく」です。583系独特の夜行列車に似合いそうな蛍光色っぽいヘッドマークが大好きでした。昭和51年頃 上野駅にて昭和51年 上野駅にて クハネ583-29?「みちのく」上野駅20番線に停車中の「みちのく」です。じいさんのカメラを借りて撮ったモノクロ写真で、完全マニュアル露出計なしのカメラでした。この一連の撮影の中でも、こんなにキレイに写っているものは他にありませんでした。そんな奇跡の写真です。空が青々している様子が伝わってくるので、秋頃に撮った写真ではないでしょうか?上野駅でも場所によってはこんなに空が見えたんですね。昭和52年 上野駅にて クハネ583-29?「みちのく」こちらはその翌年、中古の一眼レフを買って間もない頃、雪がギッシリ付いているので、昭和52年の2月頃ではないかと思われます。常磐線内ではそんなに雪が降ることはありませんから、陸奥の国から持ち帰ってきたものでしょう。昭和51年頃から52年くらいにかけて、西日本から転属してきた暖地装備のクハネ583-29・30が青森運転所にやってきました。東北スジでは唯一の開放型タイフォンを持ち、異色の存在でした。実際に走っていたのは1年強くらいだったと思いますが、いつの間にかシャッター式に改造され、区別が出来なくなってしまいました。当時の583系の運用にまんべんなく入っていたと思いますが、時間帯が良かったせいか、1往復しかない割にはこの「みちのく」での目撃例が多かったように思います。昭和55年頃 常磐線 日暮里~三河島間にて 下り「みちのく」「みちのく」も53・10ダイヤ改正でイラストマークに変わってしまいました。何か、オリジナルのヘッドマークでないと、583系が引き立たないようで残念でした。雑誌掲載のための協力ということで、無理矢理走行写真を仕立てたのですが、残念ながらボツになった写真。結構カッコ良く撮れたと思うんですが・・・。昭和56年頃 上野駅にて東北新幹線開業を目前に、上野駅が特急列車で一番賑わっていた頃。私が高校3年生のときで、飯田線・身延線・大糸線の旧型国電にハマっていた頃でもありますが、東北新幹線の開業でほとんどの特急がなくなることは勿論想像がついていましたので、学校へはカメラ持参で通学し、帰りは上野駅で写真を撮るといった生活が日々行われていました。昭和57年10月12日 荒川沖~土浦間にて昭和57年6月に開業した東北新幹線ですが、開業の遅れた上越新幹線のお陰で大規模な改正は57年11月にズレ込むことになり、約半年間長生きすることができた「みちのく」。急行「ときわ」を吸収する形で大増発が予定される「ひたち」の発展を尻目に、1ヵ月後に迫る廃止を目前にして最後の活躍をみせる「みちのく」でした。昭和57年11月14日 常磐線 日立駅にて 最終日上り「みちのく」常磐線経由で孤軍奮闘・活躍してきた583系「みちのく」でしたが、上越新幹線の開業・ダイヤ改正を明日に控え、最終日を迎えることとなりました。私はこの時点では既に国鉄に就職していたのですが、たまたま休みの日だったので、指定券を取って最終の「みちのく」に乗ることにしました。そして、できるだけ北限まで行けるところということで、この日立駅から乗車することになりました。最終日に乗車した時の特急券記念のために硬券発売駅である西川口駅で購入しました。その後の平成キ〇ガイ鉄が出現する前の時代でもあり、最終日最終便でありながらも、空席が目立つような平穏な車内でした。昭和57年11月14日 上野駅にて 下り最終「みちのく」 最後の旅立ち私の乗車した「みちのく」は、途中遅れることも無く無事にその使命を果たし、上野駅に到着。尾久客車区に引き上げていきました。下り「みちのく」は上り「みちのく」の到着後に上野駅を発車しますが、折返しではなく、別の運用となっていました。そして、本当の最終となる下り「みちのく」を見送るため、ホームで待ちました。最終日でもある関係で、鉄道少年たちで大変な事態になっています。しかしそれは、東北特急としては地味ながらも、583系という人気車両でひたすら働き続けてきた彼への心、想いの表れと言えるでしょう。そして、発車のベルが鳴り終わり、遠く先頭車両の方からタイフォンの音が聞こえると、列車は静かに動き出し、永遠の陸奥(みちのく)路へと旅立っていきました。
2023.10.08
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251系:臨時特急「ビュー谷川」上越線の昼行特急といえば「水上」でしたが、臨時列車に格下げされ今では年末年始のみ。吾妻線乗り入れの「草津」以外の定期特急列車がなくなってしまうという事態になってしまいました。「水上」になる前は新特急「谷川」として185系で運転されていた水上特急ですが、上越新幹線開業後においても、一時期はそれらしい臨時列車が季節ごとに設定されていたように思います。そんな中、ちょっと珍しいシチュエーションであったのが、普段は伊豆方面にしか走ることにない251系を使用した臨時特急「ビュー谷川」でした。平成8年9月29日 津久田~岩本間にて 臨時特急「ビュー谷川」まだ娘も生まれていないときで、女房を連れ、他の鉄道仲間とSL撮影に興じてしていた頃です。この年は「サロンエクスプレス東京」の引退にあたり、様々なさよならイベントのような団体列車が組まれましたが、D51498が「サロンエクスプレス東京」を牽引するということでかなり盛り上がりを見せていました。そんな中、「ビュー谷川」という臨時列車が仕立てられ、上野~水上間を走っています。高崎発が10:30となっており、先に発車したD51+「サロンエクスプレス東京」を途中の渋川で追い抜いてきたようですね。当時はそれほどこうした臨時列車に興味があったわけではないので、カメラのセッティングが終わった後に来たちょうど良いピント列車として撮影したように記憶しています。ただのついでで撮った写真ですが、その後はあまり上越線に入線していないと思いますので、今となっては貴重な記録となっています。さらに、この251系の旧塗装時代の写真というのも「踊り子」では全く撮っていませんでしたので、今となっては貴重な資料写真となってしまいました。ちなみにですが、当時のDJによりますと、平成8年9月の21~23日と28・29日に運転されたようです。写真は最終日だったわけですね。なお、同年8月には、やはり251系を使用した「ビュー草津」も運転されています。
2023.09.29
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189系:特急「そよかぜ」特急「そよかぜ」は、上野~中軽井沢を結ぶ季節列車として長らく設定されていた特急列車です。登場当初は181系でしたが、ほんの一時期に157系を使用したことがあります。また、その後は183系0番台(幕張車)や、189系(長野車)、489系(金沢車)、185系(新前橋車)と、実に多彩な車両が使用されました。季節列車でもあり、また運転区間も短距離でもあったため、絵にしづらい列車でしたが、そのさわやかなネーミングが大好きでした。横軽(碓氷峠)も廃止されてしまったことですし、軽井沢行きの新幹線の設定というのも考えづらいので、特急列車としての「そよかぜ」のネーミングはおそらく復活することは無いのでしょう。今回は、189系を使用した「そよかぜ」をご紹介いたします。いずれも昭和52年~53年頃 上野駅にて53・10改正前で文字マーク時代であり、年代的には幕張区の183系0番台が運用されていた同時期のものとなります。房総地区の夏ダイヤでは183系0番台が繁忙となるためか、日によって、或いは季節によって幕張区の車両と使い分けされていたのではないかと思います。昭和54年8月 上野駅にて 189系 「そよかぜ」こちらはイラストマーク化された後のものとなります。53・10ダイヤ改正以降は、幕張区の183系0番台がイラストマークでは運転された情報を見たことがありませんので、もっぱら長野区の189系か、金沢区の489系で設定されていたようです。189系や489系は横軽の協調運転が可能なため、最大の12両編成で運転することが出来ました。車種的にはこの189系が一番多用されていたように思います。「そよかぜ」のダイヤは上野~中軽井沢間で臨時「あさま」と同スジで引かれていたので、長野区189系運用が基本であったと思われます。また、185系200番台登場後は「そよかぜ」に使用された実績もあったようですが、残念ながらこちらは記録できませんでした。183系幕張車:特急「そよかぜ」489系 :特急「そよかぜ」 EF651108牽引:臨時特急「サロンエクスプレスそよかぜ」185系(157系色):臨時特急「そよかぜ」(その1)
2023.09.25
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ED75700番台牽引:寝台特急「あけぼの」古くの時代から上野~秋田・青森を結んでいた寝台特急「あけぼの」。東北本線は福島まで電化されていましたが、奥羽本線内では一部区間が非電化となっており、DD51が牽引した時代もありました。奥羽本線が全線電化されると、それまで牽引に活躍していたDD51に代わり、ED75700番台が増備されます。寝台特急「あけぼの」も、福米間のEF71+ED78からのバトンを受けると、あとはED75700番台が青森まで牽引する運用となっていました。昭和61年9月9日 鷹ノ巣~前山間?にて ED75777牽引運転免許を取って初めての遠距離ドライブ。ED75牽引の「あけぼの」を見るのも初めてでした。油断して手ブレ。勿体無いです。牽引機はスリーセブン、777号機。これを撮ったときはまだ700番台が全て健在な時代でしたから、特に希少感はありませんでした。殆どのED75が廃車になった後もその番号から生き永らえた777号機でしたが、令和5年9月、とうとう廃車になってしまったようです。平成4年8月18日 八郎潟~鯉川間にて ED75712牽引逆光でコントラストが強く、ヘッドマークすら全然見えませんね。この時代、奥羽本線の秋田以北はEF81の進出が無く、特急ブルトレを始め、客車普通列車も全てED75の天下でした。ただ、700番代しかないと言う点では面白みに欠けました。なんとかヘッドマークが見えないかとフィルムから直接スキャンを試みましたが、色調があまりにも変でどうにもなりません。せっかく遠征しているにも拘わらず、良い写真が残っていないのが残念です。
2023.09.24
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EF651000番台牽引:寝台特急「みずほ」ブルートレイン化され、EF58~EF65500番台の牽引と進化してきた東海道の寝台特急でしたが、1000kmを超える過酷な連続運用は、新性能のP形をもってしても対応が難しかったようで、連続運転の定格を確保するため、EF65PFの後期形へと置き換えられることになりました。『EF65500番台牽引:寝台特急「みずほ」』からPF化された後の写真を少ないですがご紹介いたします。昭和54年3月 東京駅にて EF651112牽引今はなき東京駅12番線から今まさに発車しようとしているシーンです。この頃の東海道ブルトレは、特急「出雲・紀伊」と急行「銀河」を除き、EF651000番台が台頭していました。当時の9・10番線は横須賀線が主に使用していたため、特に12番線から発車するブルトレは、夕方のラッシュを迎える横須賀線との組み合わせが多く見られました。昭和55年頃 品川駅にて EF651114牽引いつもは入線することのないホームで撮影していることから、遅延で品川駅打ち切りになったものと思われます。ブルートレインのテールマークイラスト化は電車特急への施行から1年ほど遅れており、イラスト化されたのは昭和54年秋ごろとなりました。社会人になってからは駅撮りをしなくなってしまったため、「みずほ」のイラストマークを捉えたのはこの時のみとなってしまいました。昭和58年12月1日 根府川~早川間にて逆光に輝く海岸線を見ながら(と言うより思いっきりトンじゃってますが)東京へのラストスパートをかける上り「みずほ」。編成を見ると、機関車の次位(14号車)は屋根にクーラーが載っており、スハフ14であることがわかります。陳腐化した3段式寝台を2段式に改造する過程において、不足する電源車の不足からどうせ脳を有するスハフ14を運用に充てているシーンを良く見掛けました。すれ違う下り普通列車には、サロ181-1001やサハ165から改造されたレアなグリーン車が連結されており、変化に富んだ時代を物語るシーンとなっています。この後、東京口のブルトレ(一部)にロビーカーが増結されるようになり、重量増に伴う定格をさらに確保するため、ロビーカーを連結しない「みずほ」もEF66が牽引するようになります。
2023.09.21
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