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< 異変の始まり > 夜中トイレに起きた。どうも右足の様子がおかしい。前夜祭の会場から帰る時に踏み外した足がやはりねん挫している感じ。最近は肩も腰も痛んでいた。これ以上故障個所が増えたら、スタートラインに立つのさえ困難になる。それでも酔いも手伝って再び眠った。次に目覚めたのは2時15分。トイレと洗顔を済ませ、避難誘導灯の明かりでレースの準備を始めた。 先ずは両ひざにテーピング。次いで右足のガングリオンにテープ。そしてその上から右足全体にテーピング。果たして何10km走れるかは分からないが、これはせめてもの手当だ。乳房にはバンドエードを張り、セミロングのタイツを穿く。上は「宮城UMC」の半袖Tシャツ。前夜確かめた天気予報によれば朝は11度ほど。ポシェットには手袋もある。 そのうちに仲間達も起き出した。部屋の照明を点灯し、ゴール行きの荷物の選別など、本格的な準備にかかる。それが済むと朝食。これも結構な量があった。満腹状態でいつもの薬を服用。さらに腹が膨れる。もう一度トイレに行き、上着を着て外へ出た。空には満天の星。スバルがキラキラ光り、地平線近くには細い月も。冷え込んではいるが寒くはない。 4時前、旅館のマイクロバスで会場へ。出走手続きを済ませた後は、仲間と離れて椅子に座っていた。何人かの走友と挨拶。暫くしてM井さんがわざわざ写真を撮りに来てくれた。4時40分。ゴール行きの黒いビニール袋をトラックに預け、そのままスタート地点に向かった。両膝や足首、両肩などを軽く動かし、ストレッチ体操も。 完走予想タイム毎のプラカードが見える。「12時間台~13時間」の所に並ぶ。今回で10回完走の「クリスタルランナー」がかかっているKさんもこの場所へ。一番後ろからスタートするのが彼女の流儀。実力があるからそれくらいでちょうど良いのだろう。「今年はどんなドラマがありますかね」。Y田さんが話しかけて来た。 「去年は記録なしの完走でドラマもあったけど、今年は何もないよ」。そう言って「出来るだけ前へ並んだら」との彼の助言を無視した。水戸黄門の仮装はHockeさん。悪代官の仮装をしたランナーも有名人だ。彼らは実力者でスピードがまるで違うため、前へ行った。手袋を嵌め、時計をセットする。 場内のスピーカーが一際賑やかになった。スタート前の雰囲気を盛り上げようと、興奮気味のマイク。だが、私の心は全然浮かれていない。これからの前途にどんな困難が待ち構えているのか。カウントダウンもないまま、いきなり空に花火が上がった。5時のスタートだ。慌てて時計のボタンを押したが、数秒は遅れたはず。 ゆっくりゆっくりゲートへ向かう。ロスタイムは1分ほどか。下り坂のうえ気合も入っているせいで、スピードが次第に早くなる。市街地へ出ると、早朝から市民が精一杯の応援をしてくれる。ふざけて「戻って来るからね~♪」と言うが、このコースは鷹巣までのワンウエー。再び戻ることはないのだ。 薄暗い武家屋敷前を大勢のランナーが黙々と進む。クランク状態の道を進むと城山の麓。そこから右折し、やがて緩い坂道を登る。急に胸が苦しくなる。どうやらこのスピードには耐えられない感じ。口で呼吸をし続けたせいで喉も渇いて痛い。仕方なく体に楽なペースまで落とす。スタート直後は神経痛が出るためゆっくりしか走れないと言っていたS木さんの背中が、みるみる遠ざかった。仲間は全員私の前に行き、レース中にその姿を観ることはなかった。 左右は黄色く色づいた田圃。まだ稲刈りは済んでないようだ。涼しくて気持ちが良い朝。ランナーの足音だけが空に響く。その空も徐々に明るくなり、電車の音が聞こえて来た。今日のコースとほぼ並行して走っている「秋田内陸鉄道」鷹巣行きの一番列車のようだ。右手を観ると、たった1両だけの可愛い電車が、カタコト音を立てて走り去った。<続く>< 9月のラン&ウォーク > ラン回数:11回(うちレース1回) ラン距離:140km ウォーク距離:104km 月間合計:244km 年間累計:2739km うちラン距離:1396km これまでの累計:77419km
2011.09.30
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< 走る仲間との前夜祭 > コンビニに寄った後、集合場所へ。仲間達が徐々に集まって来る。Y田さん、M井さん、Kさんは同じ走友会に所属し、K野さんと運転手のF田さんはウルトラ仲間。S目さんは急にお葬式が入って参加出来なくなったみたい。私を入れた6人がF田さんの車で「秋田内陸」のスタート地点である角館(合併後は仙北市)へ向かう。この他にも大勢の走友が別途「秋田」へ向かうようだ。 走友会の仲間達がこの夏以降に猛練習していたことは知っていた。二口温泉での合宿、山形県坊平高原での合宿、そして奥松島でのマラニックなどだ。気になっていた来月の「伊南川マラニック遠足」だが、EちゃんやYちゃんは参加しない由。あれだけ熱心に練習したのは、「秋田」や「伊南川」へ参加するためでなかったのが不思議に思えた。 制限16時間の「伊南川」は、今の私にとって完走出来るかも知れない唯一のレース。昨年も参加した彼女達の後を追いかけて、何とか厳しいコースを駆け抜けようとしたのだが。途中何度か休憩を取り、角館には午後1時半ごろに到着。早速受付会場へ向かうと、スタッフの人がバナナの房を手渡してくれた。これは想定外の歓迎だ。 受付を済ませ、ゼッケンナンバーや参加賞入りの袋とバナナを車まで運び、開会式が始まるまでスポーツショップの出店を眺めていた。そのうち続々と仲間が集まって来た。秋田へ単身赴任中のS氏、ご夫婦で参加するS田さん達、S木さんは応援の奥様連れ。エベレストマラソンに挑戦したM仙人、午前中は秋田の山へ登ったと言う強者S村さん。 「佐渡島一周」で200km余を見事完走したK藤さんは、その一週間後にも50km走るとは凄い鉄女。「立山登山マラニック」を完走した翌日に剣岳に登山した勇者S木さんの姿もあった。F士さん、G島さん、H景さんら明走会のメンバー。古川グループの元気な顔顔顔。そのほかたくさんの走友とも会えたが、皆さん素晴らしい表情だった。 前夜祭では新たに「クリスタルランナー」の仲間入りをしたランナーの紹介があり、その中にはS氏の姿もあった。乾杯の音頭は外のテントで聞いた。テーブルに集まった仲間達とビールを傾ける。そして酔っ払って来ると、「頑張れ鉄人達」のラベルが張られた日本酒を堪能。全国から集まったランナーには嬉しい秋田の酒だった。だが、車へ戻る時にアクシデント。不整地でよろめき、右足を軽くねん挫した感じ。 早めに前夜祭会場を後にし旅館へ。そして荷物を大広間に置き、夕食会場へ。夕食のボリュームが凄い。それでも脂っこい天ぷらだけ残し、後は全て平らげた。ビールも飲んだ。あまり酔っ払って不整脈の薬を飲むのを忘れてしまった。大広間で寝たのは12名の男。私は風呂に入り、8時過ぎに部屋へ戻ったが、既に他のメンバーは眠っていた。さあ、明日の起床は早いぞ。<続く>
2011.09.29
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< 「秋田」を前に > 「生活できるだけの足は残しとかないとな」。集合場所へ向かいながら、私はそう考えていた。これで9回目の「秋田内陸」だが、今回ほど燃えないのは珍しい。1月の「勝田」、2月の「いわきサンシャイン」までは良かった。問題は「いわきサンシャイン」から間もなく、右足に厳しい痛みが出たのが最初だった。 スポーツ整形外科へ行くと腱鞘炎との診断。かなり以前に疲労骨折したことのある邪魔な「種子骨」が一段と巨大化し、それが腱鞘炎を引き起こしたようだ。患部に注射してもらうと、痛みは嘘のように治まった。3月11日。例の東日本大震災発生で、ランニング生活はほとんど破たんした。停電、断水、ガスの供給停止が重なる。ネットも使えなくなり、ブログどころの騒ぎではなかった。 4月から徐々にランニングを開始したが、再び右足が痛み出す。今度は足底筋の筋膜炎との診断。偏平足で完全にアーチが落ちた上に、巨大化した種子骨の影響もあって筋膜が炎症を起こしたようだ。患部への注射1本で奇跡的に痛みは消えたが、ドクターからは底の堅いシューズと、インソールの装着を勧められた。 さほど痛みも感じずに走れるようになった5月末のある日、私の心臓に異変が起きた。その時は感じなかったのだが、いつもの内科での診察時に不整脈の指摘。そしてドクターから大至急循環器内科で診察を受け直すよう勧告された。そのままだと凝固した血液が血栓となり、脳梗塞の恐れがある由。 あれから4ケ月間循環器内科に通い続け、薬を服用している。この夏は猛暑に加え、心臓の調子が悪いこともあって疲労が著しく、とても長距離を走れるような状態ではなかった。9月に入ってボチボチ走り出した頃、三たび私の右足に異変が生じた。1つは膝関節の中で砕かれたガラスが暴れ出すような痛み。短時間でふっと痛みが無くなるのが救いか。 2つ目が足首に出来たガングリオン。初めは軟らかい脂肪腫のような感じだったのが、次第に大きく堅くなり、同時に痛みを伴うようになって来た。ちょうど屈曲する部分で、シューズの紐を縛る場所のため、走ればさらに痛みが増す。こんな体調で100kmを走り通すのは無理なのだ。まして「秋田内陸」の制限は13時間。練習を積んで臨んだ昨年でさえ、30秒ほどオーバーしてリタイヤ扱いになった経緯がある。 レース前にも関わらずファイトが沸かない理由はそんな体調のせいだった。ドクターによれば心臓は正常のものの8割しか機能してない由。多分1割は心室へ逆流し、1割は心房内に停留したままなのだろう。運動していない状態でも気分が悪くなることもあり、薬のせいで胃の調子も良くなかった。まあ昨年の状態を100%だとすれば、今年はせいぜい50%程度のパフォーマンスか。 こんな体調でレースに臨み無理をすれば体を傷め、これから先健康に過ごすことが不可能になる。ランニングは私にとって大きな存在ではあるが、老後を犠牲にするまでのものではない。老犬の今後を見守りたいし、何よりも妻との生活を第一に考えたい。そのためにも心臓や足をこれ以上壊すわけには行かないのだ。<続く>
2011.09.28
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< ドクターの言葉 > 「どうだった?」。レースから帰宅するなり妻が聞いた。こんなことは初めて。きっと彼女なりに心配していたのだろう。「坂道が苦しくて45kmまでしか走れなかったよ。これからはゆっくり走るしかないね」。私はそう答えた。洗濯ものや荷物の片づけが終わると、私は病院に向かった。不整脈の薬などが今日で無くなるため、何としても診察を受ける必要があったのだ。 休診日と連休が重なったこともあり、病院はとても混んでいた。血圧を測ると最低の値がとても高い。これも前日のレースの影響だろうか。順番が来て最初に血液のサラサラ度を検査。次にドクターの診察。初めの緩い坂道でほんの少しスピードを上げたら胸が苦しくなり、そこからキロ8分ペースに落ち、45km地点でリタイアしたことを話した。 ドクターは言った。「カテーテルでの手術も可能ですが、Aさんの場合は慢性化しているので効果があるかは分かりません」。「いや結構です」とは言ったが、本当にそれで良かったかどうか。心臓関係の薬を飲み出してから胃がモタモタすることを告げると、「そのうちカメラを飲みましょう。既にがん年齢になってますから」。 こちらも今回は丁重に断り、胃の薬だけ処方してもらった。ついでに右足の「こぶ」を見せると、「ガングリオンですね。神経が通っているところなので、手術も難しいと思います」とドクター。これは最近の1ケ月間に急成長し、かなりの痛みを伴っている。47年前には左手首のガングリオンを摘出したが、外科で3時間近くかかる大手術だった。 もし心臓の手術やガングリオンの摘出をすれば何日か仕事を休むことになるが、それは不可能で多分仕事を辞めるしかない。「これからはゆっくり走れるレースを選ばれたらどうですか。Aさんは今まで相当頑張って来られたようですから。45kmだって普通の人には走れませんよ」。その言葉は静かに私の胸に沁みた。 帰宅して妻に病院のことを話した。黙って聞いていた彼女が言った。「これからは料理の塩分にも気をつけないといけないね。お年寄りの料理を作っているとつい濃い味付けになって。それにお父さんもずいぶん長いこと胃の写真を撮ってないから、撮った方が良いよ」と。どれもこれも承知の上のこと。体もかなり草臥れて来たし、そろそろ仕事の辞め時かも知れない。 話は変わるが、立派なブログの中には更新されないままのものがある。理由は不明だがそれは自分にとっても同じで、日記が書けなくなる危機は常にあるのだ。ランニングもまた然り。走れなくなったらもうランナーとは言えないと思うのだが、今回のレースで一体私に何が残ったのだろう。<続く>
2011.09.27
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昨日「秋田内陸」を走って来ました。結果は現在の体調を端的に表わし、45km地点でのリタイヤでした。覚悟はしていましたが、実際に走ってみると自分が置かれた状況が良く分かります。何せ7時間30分も走って、わずか45kmしか進まないんですから。リタイヤ記は明日から書く予定です。留守中にご訪問いただいた皆さまには、心から感謝申し上げます。
2011.09.26
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昨日の大相撲は両関脇が頑張りましたね。先ず琴奨菊が先場所に続いて白鵬を下したことにビックリ。これで大関取りが一歩前進した感があります。一方の白鵬は一体どうしたのでしょう。どこか体を傷めているようにも感じます。もう1人の関脇、稀勢の里も3敗を守りました。後2日間の戦いがどうなるか見ものですね。残念ながら私は2日間の取り組みは観られないと思います。毎年ちょうど「千秋楽」がレースになるからです。 プロ野球ですが、楽天はいけませんね。3位のオリックスまで5ゲーム差。残された試合数を考えると、3位に食い込むのは無理な感じです。特に岩隈の覇気が無いのが残念。エースたるものが6勝で停滞しているようでは、上位には行けません。今日は田中マー君が先発予定。良い投球をして、彼自身の新記録である16勝目をもぎ取って欲しいものです。 大リーグのイチローの200本安打達成は無理な気配になりました。彼のことですから、最後の最後まで努力を惜しまないと思います。これまで達成した記録だって素晴らしいもの。決してくさる必要はないですね。 さて、23日から24日にかけて落下すると言われていた人工衛星はどうなったのでしょう。人間に当たる可能性が2600分の1との話も驚きでした。何故そのような確率になるのか不思議です。きっと海に落ちる確率の方が高いはずです。落下する人工衛星を追いかけて観測している日本人がいることも知りました。岡山の方です。私達の上空では、落下する恐れのある大小様々の人工衛星があるそうです。不気味ですね。 今朝は明日走る予定の「秋田内陸」へ向かいます。13時間以内にゴールすることは到底無理な状態で、走れても50~60kmの間だと思います。それでも今の私には十分な距離なのです。大いに頑張り、大いに楽しみたいと思っています。留守中は皆さまのところに伺うことも、コメントに返事することも出来ません。どうぞご了承くださいね。ではでは、お元気で。行って来ま~す。
2011.09.23
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台風15号は県内に大きな爪跡を残して去った。大震災の津波で破壊された堤防から再び浸水させ、牡鹿半島の道路を崩して集落を孤立させ、仙台では水路を点検に行った市の職員2人が流されて亡くなった。今朝は朝食後直ぐに働き始めた。先ずは大量の濡れ落ち葉の掃き掃除。太陽が出て乾燥したため、割合簡単にきれいになった。 次が倒れたモロッコインゲンの始末だ。幸い支柱が柵にもたれているため、空間が出来て作業がし易い。支柱の紐とインゲンの蔓を1本ずつ鋏で切りながら片づける。もちろん生っているインゲンはザルに入れる。これが結構残っていた。蔓や葉の陰になっていて見つけにくいのだ。紐の残骸はバケツに入れ、抜いた支柱は決めた場所に移動。 2時間ほどかかって作業を終了。結局インゲンは70本以上の収穫。恐らく累計は300本以上になったと思う。切ったビニール紐を袋に詰め、支柱は材料と長さ毎に区分して片づけた。次に畑に残った葉っぱと雑草を抜き、邪魔なセージを切った。その後、大根と白菜の間引き。大根はきれいに育っていたが、白菜の方は虫に食われて悲惨な状態。果たしてこのまま成長するかは疑問。間引き菜は泥を落として台所へ。これも粗末にせず食べる積り。 次に延びていた梅とユズの枝を剪定。お向いさんが使い易い枝切り鋏と脚立を貸してくれたため、とても作業が楽だった。梅の木には鳥が可愛い巣を作っていた。ユズは10個ほど実をつけており、少し大きくなっていた。お向いさんにはお礼に採れたてのインゲンを上げた。ベランダに布団を干してから墓参りの準備。 天気が良くて気温が高いため、半袖Tシャツでも気持ち良くペダルを踏める。往復25kmほどの自転車の旅は、トレーニングにちょうど良かった。これで妻の実家と我が家の墓参り完了。霊園は大勢の人で混みあっていた。帰宅後、昼食に焼きそばを作り、食後は布団と洗濯ものを取り込む。 それからいよいよ「秋田」の準備開始だ。着替え類、洗面具、レース中の必需品、薬品類、ゼッケンナンバー引き換え券、シューズなどを手際よく揃える。これまでに何度もやって来たことなのでほとんど迷わず、手抜かりもないはず。全ての準備を終え、楽天対ソフトバンク戦を観ながらブログの原稿書き。 昨日の大相撲では白鵬が破れて1敗となり、大関取りがかかった琴奨菊は勝って2敗を守った。今日の結びの一番で両者が激突するが、果たしてどんな相撲になるか。それにしても稀勢の海の横綱キラーぶりは大したもの。今年に入って白鵬に3勝とは見上げたものだ。琴奨菊と2人、日本人大関の誕生が実現すると嬉しいのだが。 プロ野球界では日ハムの梨田監督に続き、中日の落合監督が今季で退くことになった。梨田は4年、落合は8年監督を務め、どちらも好成績を残した功労者だが、チームは「心機一転」を選んだのだろう。明日は朝から「秋田」へ向かう。そして帰宅は26日(月)の夕方になるはず。それまで留守になりますがよろしくね~。
2011.09.23
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台風15号の猛威に、慌てて2人の息子にメールするよう妻に言った。名古屋の100万人規模での避難勧告や首都圏の交通機関の全面的な運転見合わせなどに驚いたからだ。浜松周辺に上陸した台風は関東地方を突っ走り、栃木県の宇都宮から原発事故で苦しむ福島県の太平洋岸へ抜けた。仙台でも猛烈な風雨だったが、いつ台風が仙台湾を通過したのかは分からなかった。 昨夜は10時半ごろまで台風情報を聞いて床に就いた。その数分後にグラリと家が揺れた。東日本地震の余震がこんな夜にもやって来る。震源地は宮城県沖で、震度3の小さなもの。暫く起きていたが、そのうちに眠ったようだ。翌朝の起床は4時半。ニュースでは台風は北海道へと進路を取り、宮城県内では大小の河川が大雨で増水し、危険水域に達していることを告げていた。 玄関の扉を開けると雨は止んでいた。勢い良く庭へ飛び出す愛犬。前日の午後2時から15時間ほど彼は玄関でうずくまっていたのだが、きっとオシッコを我慢していたのだろう。畑のモロッコインゲンが倒れている。前夜の激しい風雨で揺すぶられ、支柱が持たなくなったようだ。近所の小川はかなり水の勢いが衰えていた。 この日は太陽が顔を覗かせると言うのが前日の天気予報。それを信じて洗濯を始めた妻。息子へのメールの返事は、三重の長男は雨で仕事にならず、東京の次男は山手線が動いたためようやくアパートへ帰れたそうだ。妻からモロッコインゲンの支柱を2人で起こそうとの提案。だが、支柱は一部折れたのもあり、苗が雨を吸ってとても重いため無理と返事。帰宅後、私が片づけるしかないだろう。それに飛んで来た大量の葉っぱも掃除する必要がある。 第1現場では着替えの前に屋上の「水抜き」をした。前夜の雨で、桝の中に大量の水が溜まっていた。それを巡回中に処理すると時間がかかるからだ。立哨中に前日とは別の若者がビルを訪ねて来た。彼も来週の月曜日は私の代わりに早番の予定になっている由。名前が同じWさんなので、係長が間違えたか連絡ミスをしたのだろう。係長に電話で確認するよう依頼。 立哨を終えて戻ると、今度は1階の男子トイレが水浸しだ。管理会社の方に連絡する一方、お掃除の小母さんに排水を依頼。どうやら原因はウォシュレットの不具合のようだ。第2現場では通常業務のほかに、竹箒で公園の大掃除をした。今日も物凄い汚れ方。特にタバコの吸い殻の量が半端じゃない。雨の公園へタバコを吸いに来るのはどんな人なのだろう。 帰宅すると、ベランダの洗濯ものが濡れっ放し。どうやら妻は仕事へ行ってるようだ。慌てて室内へ取り込み干し直す。手すりへ干したバスタオルはびしょ濡れだった。結局午後も雨が降り続き、掃き掃除とモロッコインゲンの片づけは出来なかった。夕方早めの散歩。雨の中で咲いている彼岸花を見つけた。今年もそんな季節になったようだ。 野分去って 雨中に赤き曼珠沙華 *「のわき」は台風、「まんじゅしゃげ」は彼岸花のこと
2011.09.22
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今日の仙台は朝から雨。それも強い降りだった。ここ数日はずっと雨の中の散歩で、愛犬はその都度濡れた。今朝は近所の小川が物凄い濁流。いつも見かけるカルガモもどこかへ行ったみたい。散歩から帰るとズボンがびしょ濡れで寒い。それでも我慢をして穿いていた。出勤時は宮城UMCのウインドブレーカーを上着代わりに羽織る。これだと濡れずに暖かい。 勤務先の第1現場で、私は人を待っていた。来週の月曜日に休暇を取るのだが、代わりに早番を務めてくれる若者に仕事を教えるためだった。だが約束の時間になっても彼は来ない。仕方なくいつもの時間通り、ビル内の巡回に向かう。屋上に出ると強い雨。そしてトイレの窓から、雨が吹き込んでいた個所が幾つかあった。 管理室の前を通ると、中に若者の姿。「何時に来たの?」と聞くと、申し訳なさそうに「7時半過ぎです」との返事。仕方なく巡回の途中から一緒に廻り、終了後は再び巡回の最初から教えた。熱心にメモを取り、覚えようと努力する彼。次いで「引き継ぎノート」、「警備日報」、「鍵の管理簿」などの記入方法を教え、最後に立哨の方法を教えた。 業務を終えて管理室に戻ると体が冷えている。冷房を切ってもらい、換気だけにする。室温は14度ほどなのに冷房は不要だろう。管理会社の方の話だと、いつも通勤で使う仙山線は動いてない由。ネットで調べたら、仙台付近の在来線はすべて運休したみたいだ。風はさほどでもないので、運休の原因は雨か。降り続く雨で線路が危険な状態なのだろうか。 第2現場では、雨の中公園の清掃をした。傘を差すため箒は使えない。「塵取り」とゴミをつまむ金具があれば大きいゴミは拾える。雨で人影はないが、公園内は大量のゴミで汚れていた。3日間休みが続いたので汚れているはずと思ったのだが、やはり判断が正しかったようだ。いつもは4、5本の缶やビンが20本。それらは付近のコンビニへ持って行って処理した。そこで買ったビールやコーヒーなのだ。 植え込みの陰に捨てられたタバコの吸い殻や食べた後の袋などを、金具で丹念に取り出す。今日は寒くて楽だが、これが暑い日でモップ作業の後だと作業服がびしょ濡れになり、猛烈に汗臭くなる。勤務後バスで帰宅。内科の薬が残り少なくなったが、病院には行けそうもない。週末は連休で休診日が続く上、「秋田内陸」へ向かう予定。「秋田」から帰宅した日に診察を受けるしかなさそうだ。 帰宅後にニュースを観ると台風関係ばかり。東北新幹線、東海道新幹線もストップし、飛行機の便も相当数運休したようだ。その後台風は浜松付近に上陸し、各地で大きな被害が出た模様。この台風は大東島付近で一周するなど、かなりノロノロだった。そのため各地で大雨が降り続き、名古屋で100万人以上に避難勧告が出されるなどの異常事態になった。 このままだと台風は関東から東北を直進しそう。近畿などでもがけ崩れの被害が出て心配だが、大震災の被害地でさらなる被害が出そう。今日は夕方の散歩を早め、愛犬を玄関に入れた。もちろん全てのシャッターを閉めて、台風の通過に備える積り。ブログを書いているが、窓の外の風雨の音が凄い。宮城県内でも洪水の恐れが出始めた。 今週の月曜日は横浜で行われたトライアスロンの国際レースをテレビで観ていた。横浜は天気が良く、上空からの景色も良かった。山下公園や海の色がとてもきれいで、シドニーオリンピックのトライアスロン競技を思い出したほど。日本人の選手も最高10位に入ったりの活躍だった。あのレースの数日後には猛烈な台風の襲来とは、信じられない思いだ。 現在は信じられないほどの荒れ模様なのに、明日は晴れとの予報が不思議なくらい。連休中の「佐渡島一周」は宮城UMCの女性代表K藤さんが見事完走したようで嬉しい。また新潟の銀のねこさんのブログにも、やっと「佐渡島」の完走記が登場した。彼女もこれで3回目の完走みたいだ。さて、私の「秋田」はどうなるか?
2011.09.21
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< 「本物」の凄さ > 日曜日は夕方から大忙しだった。何せ「テンペスト」を観た後には「宇宙の渚」を観、さらに「トンイ」を観る必要があったからだ。実はこの間に「江」も少しだけ観た。「宇宙の渚」はNHK総合とBSを繋いでの放送だったし、トイレに行く暇も無くテレビに釘付けになっていた。 散々けなした「テンペスト」だが、良い個所もある。それは服装などの時代考証がしっかりしていることだ。だから琉球王朝時代の雰囲気を本当に良く感じることが出来た。それは「トンイ」も同様だ。韓国の歴史ドラマである「トンイ」は、李氏朝鮮時代の実在の人。番組紹介によれば、彼女は朝鮮王朝第19代王粛宗(スクチョン)の側室で、第21代英祖(ヨンジョ)の母とある。また新王妃の禧嬪(ヒビン)が朝鮮の三大悪女とは驚いた。 実話なのは「チャングム」も一緒。それらのドラマで、朝鮮王国時代の王宮や庶民の暮らしぶり、官位と服装、身分制度、社会の規律などを窺うことが出来てなかなか面白い。ただし、ものの本によれば、当時の王宮内では儒教、中でも朱子学が幅をきかせ、しゃくし定規な考え方がはびこっていたとか。 そのような観点で眺めると、粛宗王が奴婢のトンイに恋愛感情を抱くのが不思議。同じことをチャングムでも感じた。それでも「テンペスト」のような明らかな作為は感じられず、観ていて楽しくてためになる歴史ドラマだと思う。慌ただしく「江」も観たが、この日最大の山場だった関ヶ原の戦いが終わっていたのが残念だった。 さて、「宇宙の渚」は圧巻だった。これは地上400kmの上空にある国際宇宙ステーションから初めて宇宙の様子を放送するもので、日本の古川宇宙飛行士が担当。撮影にはNHKと宇宙航空研究開発機構(JAXA)が協力している。この日、私が観たのは、大気光、メキシコの夜景、日本の夜景(仙台も写った)、日没と日の出、雷光とスプライト、オーロラ、夜光雲、真珠母雲など。 特に雷が宇宙に放電する「スプライト」は、今回初めて撮影に成功したようで、スタジオに居た研究者が驚いていたのが新鮮に感じた。テレビの前の私達も、実際に宇宙ステーションから眺めたような錯覚に陥った。ともあれ「本物」は凄い。フィクションでも驚くことはあるが、本物の迫力にはとても敵わない。 1961年からアメリカの有人月面着陸計画が開始されているが、1969年7月アポロ11号の乗組員が月面に着陸し、その際に撮影した写真が反響を呼んだ。その一面、1)大気が無いのに旗がなびいている。2)光源が複数ある。3)スロー撮影で動感を演出した。などの疑惑からトリック写真と疑われた。 だがつい最近、当時の足跡や機材の跡が月面に残っていることが確認された。当時25歳の私は大いに感激し、月面着陸の本を購入したのだが、やはりあの写真は本物だったのだ。歴史は事実でも、それがドラマになればフィクションも加わる。だが宇宙には神秘こそあれ、虚構はない。まさに「事実は小説より奇なり」を実感した夜だった。
2011.09.20
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< 歴史小説と真実味 > あれほど寝苦しかったのが、朝になったら急に涼しくなっていた。この急激な温度変化は何なのだろう。楽天は昨日も破れた。最近の6試合中、4試合がサヨナラ負けと言う事実を、ファンはどう捉えるべきか。星野監督の来季継続が三木谷オーナーから確約されて以来、楽天はほとんど勝っていない。そして大リーグのスカウトが日本の球場に現れて以来、岩隈が勝てなくなったのは何故? 昨夕は「テンペスト」の最終回を観た。原作者の池上永一氏は沖縄生まれの小説家で、本名は又吉真也と言うらしい。ドラマの元になった小説は雑誌「野性時代」に掲載され、かなり人気の高い作品とのこと。私がテレビ化されたドラマを観始めたのは、第3回くらいだと思うが、その不自然なストーリーには当初から疑問を感じていた。 もちろん小説だから何を書いても自由だが、歴史を扱うとなれば嘘の連続でも困るのだ。特にNHKが取り上げると影響が大きい。つまり沖縄の歴史を知らない人が観ると、あれが真実だと思われるのが怖い。20年以上も前の大河ドラマ「琉球の風」もかなりインチキな話だったし、ストーリーが面白いだけで取り上げるのは、歴史観を歪めることにつながると思うのだが。 以下、私が変だと感じた点を列挙したい。1)琉球王朝には宦官がいないはず。2)第1琉球王朝の子孫が王朝を奪回すると言う話がおかしい。第1王朝(1406年~1469年)は7代で滅び、一種のクーデターで第2王朝(1470年~1879年)が誕生した。テンペストの舞台は幕末から明治なので、第1王朝が滅んで400年近く経っての再興はあり得ない話。 3)第1王朝の子孫が中国に渡り、その子孫がかなり後に琉球に戻るなど無理。4)中国の宦官として孫姓を名乗ること、琉球王朝に仕えることはあり得ない。琉球王国では中国姓を名乗るのは使節として中国に渡るか、中国からの使者を迎える時だけ。5)もし第1王朝の子孫ならば、姓は「仲井真」(なかいま)になるはず。これは中山(ちゅうざん)王の「なかやま」から変化したもので、一族の墓所は旧玉城村仲井真集落にある。 6)主人公が宦官(男)になったり、側室(女)になって御内原(大奥のような所)に入るなどあり得ない。7)琉球では貴族や武士は必ず「名乗り頭」を持つが、父の名乗り頭が「嗣」で、その子が「寧」はあり得ない話。これが貴族の場合は「朝」で、日本の古代の職制である「朝臣」に由来するとか。つまり沖縄では一族の男は名前の最初の一字が同じ漢字になるのが約束事で、今でもかなり守られている。 8)琉球王朝時代の高官には必ず知行地の地名が姓になるとのルールがあり、従って「孫親方」はあり得ない。9)国王の姉である聞得大君(きこえおおぎみ=宗教界の最高権力者)が尾類(じゅり=女郎)となることはあり得ない。10)主人公が幼少時代に、当時琉球で布教していたベッテルハイムから13ヶ国語を習ったとされるが、彼は8年間の滞在中はほとんど監視体制下にあったため、まだ子供だった主人公が短期間で十以上の外国語を学ぶのはあり得ない話。11)また琉球王と薩摩藩の武士の双方を愛するなど到底無理。 琉球大学の高良倉吉教授の名前が「時代考証」担当として上げられていたが、これは「琉球の風」でも同様だ。権威者の名前を借りればそれで「良し」とするのか。高良教授は「琉球史」をダイナミックに捉える人ではあるが、沖縄の歴史観を歪めかねないドラマの片棒を担ぐのはいかがなものだろう。それともフィクションにまでとやかく言う私が間違いで、「漫画」と理解すれば良いのか。<続く>
2011.09.19
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昨夜の仙台、9時前の気温が26度、湿度は85%だったみたい。夕方の6時過ぎにナイター情報を観たら、既に楽天の試合は終わってたんだよね。所沢での試合がデーゲームだったことにも驚いたが、ガッカリしたのがその結果。何とこの日の先発田中マー君でも2対4で西武に負けていたのだ。 グヤジー!!ガッカリだ~!!なぜ田中でも勝てないんだ~!!これで3位のオリックスとは3ゲーム差に開いたし、5位西武が1ゲーム差まで肉薄して来た。う~む、ちくしょー。今が踏ん張りどころだぞ~楽天!!それとも元々の実力がこんなものだったのか~。走友会のK野副会長は、わざわざ所沢まで応援に行ったんだよね。きっと負けて悔しかっただろうなあ。 ところで2回目の綱取りに挑戦していた日馬富士が完全に不調。小兵力士が一旦調子を崩すとあんな風になるんだろうね、きっと。でも大関取りがかかった関脇の琴奨菊が7連勝で頑張っているし、同じ関脇の稀勢の里も負けじと7連勝。さすが横綱の白鵬は堂々の7連勝だもんね。 日中23kmを走って疲れたのか、記念大会だった「世界ふしぎ発見!」は途中で居眠りをしてしまったよ。そして今朝の目覚めは5時前。今日は朝から走ろうと気合を入れていたもんね。直ぐに着替えて裏道へ。妻も愛犬も起こさずに済んだ。坂の前まで歩き、軽く体操してから走り出したのさ。 朝に走るなんて久しぶり。いつもは愛犬との散歩があるからね。日中に比べればかなり涼しいけど、それでも走っているうちに汗をかくんだよね。最初はお月さまや星も見えたのに、次第に明るくなるとそれらは消え、空が赤く染まって来る。中年のご夫婦が坂道に腰をかけ、日の出が昇るのを眺めていたけど、あれは素敵な風景だったよ。 坂道を登ったり下ったりの5往復しているうちに、散歩の人が次第に増えて来る。犬を連れた人も多いけど、健康が目的で散歩する人が最近は増えたみたい。交通量が少なくて安全な歩道があるこの道は、きっと散歩に適しているのかも。1時間半ほど走って帰宅。前日の土曜日も20km以上走ったけど、何の影響もなかったのが嬉しいね。 水シャワーの後は着替えて愛犬と散歩。朝食を摂った後辺りから、気温がどんどん上がった感じ。何せ居間の室温が32度だもんねえ。そのうち苦しくなって吠え出す愛犬を玄関に入れ、首には凍った保冷剤を巻き付けてやったよ。前の日に「よしず」を片づけてしまったけど、まさか翌日32度になるとはなあ。 妻が作った「おはぎ」を持って、午前中に墓参り。義兄の車に同乗させてもらったので助かったけど、まあ大変な暑さだね。お寺の周辺で津波が来なかった所は黄色い稲穂が揺れ、津波の被害に遭ったところは雑草しか生えてない。あれだけ明暗がはっきりした風景は、ほかにはないだろうな。 帰宅後、妻は自転車に乗って「おはぎ」を姉宅まで届けに行ったよ。暑い日がずいぶん続いたけど、明日からは急に涼しくなるみたいだね。25日(日)の秋田内陸部の天気は曇りで最低が15度、最高が24度の予報。さてどんなレースになるんだろうね。涼しくて走り易いと助かるけど、台風の速度と進路が問題かな?
2011.09.18
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昨夜の仙台は夜の9時前で気温が25度、湿度が90%の蒸し暑さだった。その不快さを一層強めたのが楽天の試合。何と最近の4試合で3度目のサヨナラ負け。0対5と西武に5点リードされた9回表に同点に追い付き、これは延長戦突入かと思われた9回裏に、頼みの小山が打たれてしまったのだ。 こんなことがあって良いものか。信じられない結末に、昨夜もガックリ来て床に就いた。一体何度悪夢の再現を見たら済むのだろう。まあファンも落ち込んでいるが、選手自身が落ち込んでいるのかも知れない。借金が4つになったが、何とか頑張ればまた減る可能性がある。それに今日、土曜日の先発はマー君。彼なら悪い流れを止めてくれるはず。 8時間眠って目覚めると、妻の姿はなかった。元気者の妻は、今朝も近所の坂へ走りに行ったようだ。早速着替えて愛犬と散歩。空は曇っているものの雨が降る気配はなさそう。それに案外涼しくて助かる。帰宅すると間もなく妻も帰って来た。「最近歩いてばかりいたら足の筋肉が落ちて来たので、今日は走ってみた」と妻。 最近は実姉からの電話も少なくなり、良く眠れるようになったようだ。早朝から「今すぐ死にたい」との電話が来て、対応に困っていた妻。そこで本当の気持ちを伝えたのだ。その結果、現在通っている心療内科ではなく、精神科に入院する手続きを取ってるみたい。そもそも彼女の心配の元である「眩暈」の原因を追及するためにも、耳鼻科のある総合病院が良いのだ。 ここ数ヶ月間、仕事の合間を見て姉の家に通い、相談に乗ったり料理を作っていた妻。その姿を見て、義兄もようやく妻と向き合う姿勢を見せ始めたようだ。夫婦の間に会話が戻り、信頼関係が戻ってから、姉の様子が落ち着いて来たと妻。私は「それが普通の姿だよ」と言った。一番身近にいる家族が心配しないと、心の病を救うことは出来ないと思うのだ。 朝食後直ぐ、私は仕事に取りかかかった。仙台は明日から秋の長雨が始まり、気温もぐっと低くなるとの予報。今日こそ夏の間お世話になった「よしず」を片づけるのだ。手順や道具、しまう場所などは前から考えていた。よしずは麻ひもでしばり、予めガレージの天井から吊り下げた針金の輪に入れて固定する。汗びしょになったが、作業は順調に終わった。 妻は病院に連絡。来月人間ドックに行くのだが、どんな検査を受けるのか予め確認したのだ。半日コースのため普通の健康診断に毛の生えたような内容だったが、それでも新しい項目はある。私は1日入院コースなら受けても良いが、多分それは会社を辞めてからじゃないと無理。簡単に休暇が取れないためだ。 今の私にとって最大の準備は練習。いよいよ「秋田内陸」が来週末に迫った。去年はずいぶん長距離の練習をしたが、今年は体調が悪く距離の短い帰宅ランしか出来なかった。来週は雨模様みたいだし、せめて今日くらいは20kmを走っておこう。シューズは「秋田」で走る予定の新しいものにした。この曇り空なら帽子は不要のはず。 いざ走り出すと足がやけに重く、スピードが全く出ない。ただ登り坂は苦しいが、下りは結構心地良いのが救いか。山を下ると黄金色の田圃。稲刈りが終わった田圃からは、稲藁の良い香りが漂って来る。ちょうど稲刈り中の田圃もあった。嬉しいことにわが宮城県の稲からは放射能が検出されなかったみたい。 太陽が出て暑い川岸でへばる脚。やはりスタミナが落ちている。この調子だと「秋田」は50km突破がせいぜいで、60km過ぎの「北緯40度のゲート」通過が出来るかどうか。それでも自分にとっては参加する意味があるし、10月の100kmレースの練習にもなるはず。汗びしょで帰宅し、長い間水シャワーを浴びた。 妻は私がなかなか風呂から上がって来ないため心配していた。いつもは麺類の昼食も摂らず、果物と菓子パンで簡単に済ませた。食欲が落ちない私には珍しいことだ。それにしても暑い日が続く。ブログを書いている私の胸や首に、大粒の汗が流れている。夕方、自分の洗濯ものをタンスにしまい、本日2度目の散歩に向かう。
2011.09.17
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寝苦しい夜だった。それに夢見も良くなかった。昨夜のオリックス対楽天戦だが、この夜も楽天は延長でのサヨナラ負けだった。今季オリックスのサヨナラ勝ち3つは全て楽天戦。それもヒットを打ったのが全て赤田と言うおまけ付き。今はCS進出の権利がある3位をオリックスと楽天が競っている。その大事な時に、同一カードでサヨナラ負けを2つ食らうとは。 目下パリーグの優勝を争っている日ハムの梨田監督が、今季で監督を辞任することを自ら明かした。2、3日前からスポーツニュースでそれに関する記事が出ていたが、球団側は慰留に努めていた由。楽天ファンとして思い出すのが一昨年の秋。CSで優勝を戦っている最中に、球団側が野村監督の解任を発表したことだ。 あの時は驚きもしたし、球団に対する怒りと不信をどうしても抑えることが出来ず、ファンクラブを脱退した。確かに契約の最終年だったが野村監督は確実に楽天を強くしたし、優勝するチャンスも無くはなかった。今回は監督自身の判断。別に不成績の責任を取る訳ではない。それだけに梨田監督の人柄が伺える。今どき何と爽やかな決断が出来る人なのだろう。 いつものように愛犬と朝の散歩に向かう。その前に彼に言った。「マックス、13歳の誕生日おめでとう」と。人間の歳に直せば68歳。とうとう私より年上になったマックス。最近では目も耳も衰えたのが分かる。私や妻が近づいても誰だか分からないこともあるほど。それでも名前が聞こえ、匂いが分かる位置まで行けば、喜んで尻尾を振ってくれる。 散歩時に匂いを嗅ぐ行為だけは以前より強くなったかも知れない。視覚や聴覚は衰えても、犬にとって大切なのが嗅覚であることを示すような行動だ。誕生日とは言え特段餌を増やす訳でもないが、頭を撫でる回数はいつもよりも多かった。 帰宅後起き出した妻に、今日がマックスの誕生日であることを教えると、彼女は「あっ!」と小さな声を上げた。どうやら長女に誕生祝いを送るのを忘れていたようだ。長女は8月生まれ。もう1カ月ほど前のことだ。40近い娘にまだ小遣いを送る気持ちが男の私には分からないのだが、それでも娘にとっては有難いもののようだ。 今日も暑かった。9月中旬の仙台が31度とはビックリで、残暑の域を通り越している。仕事から帰宅し、庭でモロッコインゲンを採った。妻が「始末しようか」と言ってから、既に130本ほどの収穫。やはり残しておくべきとの私の判断は間違ってなかったようだ。昼食は漬け麺。まだ冷たい麺が美味しい。麺と一緒に茹でて刻んだアシタバを薬味にした。 そして午後から暫く昼寝。今週は通勤バスの中でも良く寝たし、第2現場では10時の休みにコーヒーを飲んだ後も良く眠った。それほど激しい疲労感があったのは暑さと体調のせいだと思う。だがブログを書くために昼寝は出来なかったのだ。週末の今日は2つの現場から汗臭い洗濯ものを全て持ち帰った。 まだ夏のような暑さが残っているが、愛犬が夕方の散歩を待っている。彼は蔵王連峰へ登ったこともあるし、広瀬川の濁流に飛び込んだこともある。笊川の上流を2日掛かりで探検し、川の中を歩いたのも良い思い出だ。今年は大震災で、彼が受けたショックも相当だったはず。 2年間の単身生活中、そして200km以上の「佐渡島一周」のレース中、何度彼の名前を呼んで慰められたことか。今でも妻の夢は見ないが、愛犬の名前は一日に何度も呼ぶ。後何年、彼とこんな平和な日々を過ごせるのだろう。まだまだ元気なマックスだが、彼の老後はしっかり見てやりたいと思っている。
2011.09.16
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昨夜の9時過ぎ、書留が届いた。前日留守中に郵便屋さんが来、再配達を依頼していたものだ。妻は何が届いたのだろうと期待していたようだが、中から出て来たのは10月から有効の2人分の新しい保険証だった。 「私はあと20年は生きるよ」と妻。「ええっ?」と内心驚く。あと20年と言えば彼女は85歳。「へえ~っ、85歳まで生きる気でいるんだ」と感心しきり。確かに朝は30分以上も体操をしているし、ゆっくりだが時々走ってもいる。栄養には人一倍気づかい、適当な運動もしている。 それに彼女は健康に敏感で、市で行っている健康診断の色んな検査も受けている。それでも飽き足らず、生命保険会社のポイントを使って近く人間ドックを受ける予定だ。彼女が待っていた郵便物は、その生保からの資料だったのだ。妻の健康に対する意識は、87歳まで生きた父親譲りのように思う。義父も早朝から体操を欠かさない人だった。 だが、彼女の母親は67歳で人生を全うした。今の私と同じ年齢だ。リウマチを患いながら、無理して65歳まで働き、最後は糖尿病が悪化して亡くなった。タバコが好きな人でもあった。偶然だが、私の上司2人も67歳で亡くなっている。2人とも2つ目の職場の上司で、とてもお世話になった人。彼らはタバコと酒が好きで、そのうち1人はコーヒーにも目がなかった。 上司2人の死因は喉頭がん。放射線治療も受けたようだが、がん細胞が死滅するまでには至らなかったようだ。こうしてみるとタバコがいかに健康を害するかが分かる。私はタバコを止めて既に25年になるが、あの悪弊から逃れられたことがとても嬉しい。自分の健康だけでなく、他人に迷惑をかけずに済んだからだ。 九州の弟から葉書が届いた。少しにやけた弟と傍に寄りそう新妻が写っている葉書には、「9月に入籍しました。2人だと何かと安心です」と書かれている。弟が彼女を連れ立って仙台へ来たのは、8月の暑い盛りだった。前妻を亡くして5年。この度その改葬を終えて、ようやく入籍することにしたようだ。住所も新しいマンションに変わっていた。 悪口を言うようだが、亡くなった前の妻は自分の考えを変えない人で、ある種の偏見を持っていた。義兄の私に対して快く思っていないことが、電話を通じても強く感じられた。弟の新しい嫁は2人の子の母親だが、前夫亡き後一念発起して看護師になった人。8月に我が家に寄った時も、車のリアウインドーからいつまでも手を振っている可愛い人だった。 妻に葉書を見せると、「美人だねえ」と一言。彼女はまだ40代で、弟とは16歳が離れている。前妻をがんで亡くした夫と、まだ若いころ前夫を亡くした妻。この義妹と生きて会えるのはせいぜい1度か2度くらいだと思うが、暖かい九州の地で、第2の人生を共に健康で過ごして欲しい。 さて、平成22年度の熟年離婚は6700組以上になるそうだ。35年以上夫婦であった人の離婚が6700組以上と言う数が多いのか少ないのかは分からない。財産の分割、年金の分割、子供達への影響、老後の生活と不安。解決すべき「負のエネルギー」は大変なものだと思うが、それでも離婚に踏み切るにはよくよくの事情があったのだろう。熟年離婚は「夫婦道」とは何か、人生とは何かを考えさせられる問題だ。
2011.09.15
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「海に行きたいんです」。突然玄関ホールに入って来た女性が私に言った。美人が目の前を横切ったのを見たばかり。まさかその人が戻ってビルへ飛び込んで来るとは。「ええっ、海ですか?」。何のことやらさっぱり分からず、私はただただ驚いた。女性の目からみるみる溢れる涙。それを必死に堪えながら、「亘理(わたり)へ行きたいのですが」と彼女は言った。 ビルの外へ出て駅の方向を示しながら、私は亘理は仙台駅から常磐線に乗って行けること。海は亘理駅からは少し遠いことを教えた。彼女が何故亘理の海を観たかったのかは分からないが、あそこも町の半分は津波にやられている。親しい友人が亡くなったのか。それとも同町出身の恋人でもいたのだろうか。これは今朝あった話。 9月11日(日)の午後2時46分。街中のミュージシャンが一斉に演奏を中断し、それぞれの楽器で「ラ♪」の音を出した。この日はジャズフェスティバルの2日目で、東日本大震災が起きてからちょうど半年の時間だった。死者、行方不明者併せて1万人以上の大災害が起きたあの日から数えて6か月。鎮魂の調べは天国まで届いただろうか。 同じ日、石巻市ではクミコさんの小さなリサイタルがあった。会場はさる小学校で、集まった聴衆は300人と聞いた。3月11日金曜日。クミコさんはやはり石巻市に居た。お母さん方の招きでリサイタルを開いたようだ。だが午後2時46分、物凄い地震が東北を襲い、その数十分後には巨大な津波が各地の海岸を襲った。 リサイタル中だったクミコさんも必死に山へ逃げた。あの辺で山と言えば、標高60mほどの日和山しかない。彼女は雪の降る中、ほとんど眠れずに山上で一夜を過ごしたそうだ。気になったものの、彼女は何とか東京へ帰った。だが石巻のことがどうしても気がかりだったと言う。 あの日の津波で、同市内の楽器店「さるこや」も大きな被害を受けた。色んな種類の楽器が破損し、30台のピアノも流された由。中には車の下敷きになっていたのもあるそうだ。店主の井上さんはそのうちの1台を必死で修復した。ピアノには大量の泥が詰まり、金属は海水で錆びついていたそうだ。それを丁寧に洗い、錆びを落とし、部品を交換してようやくピアノらしい姿に戻した。 その事を知ったクミコさんは、「復活ピアノ」を伴奏に使ってもう一度石巻市でリサイタルを開こうと決意したそうだ。昨年の暮れ、彼女は初めて「紅白歌合戦」に出場したみたい。私もその顔と声に覚えがある。56歳の歌姫の美声は大被害を受けた町に再び響き渡り、聴衆の心を癒したはず。 震災後半年のあの日。県内の各地で慰霊の催しが開かれた。ある海辺の町では花火大会をやったそうだ。ある町では7色のハンカチ18436枚で、子供達が「虹の架け橋」を作ったそうだ。また大勢の児童が亡くなったある小学校では、校門前の祭壇に花とお菓子を供えたそうだ。文部科学省によれば、今回被害を受けた公立学校については、今後高台への移転を予算化する計画があるそうだ。 福島第一原発の被害で住民に大きな迷惑をかけた東京電力は、衆議院科学技術イノベーション推進特別委員会の求めに対し、50行中48行を黒く塗りつぶした「操作手順書」を提出して委員から顰蹙を買った。東電の言い分が奮っている。「あれは社内資料のため、国会に報告する義務はない」のだそうだ。レ・ミゼラブル。
2011.09.14
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福島県では天然物のキノコから高濃度の放射能が検出されたそうだ。養殖物ならそんな心配は無いのだが、土壌にそのまま生える天然物にはどうしても汚染物質が蓄積され易いのだと思う。また猪の肉からもかなりの放射性物質が検出された由。猪の主食の一つがキノコのため、体内でさらに濃度が上がるのだろう。これはチェルノブイリの原発事故でも全く同様の事態が生じたそうだ。 その福島県に視察に行った某大臣が、「あそこは死の街だった」と言ったとか。それをマスコミが問題視して大騒ぎになった。きっとその大臣は自分が感じたままを話したのだと思う。「またマスコミの「言葉狩り」が始まったな」と言うのが私の率直な感想だった。確かに大臣の発言としては配慮に欠けてはいるが、どうも最近は何かと騒ぎ過ぎるのではないか。 事態はその後急変した。某大臣がある記者に対して、放射能をなすりつけるようなしぐさをしたのだとか。多分悪ふざけの積りだったのだろう。だが、それは単なるジョークでは治まらず、常識の無さを露見させたに過ぎなかった。それも大臣としてではなく、一個の人間としてだ。 民主党は結党後まだ日も浅く、当選回数が5、6回でも立派な大臣候補となる。初めて大臣に就任した彼も、きっと有頂天だったのだろう。彼が卒業した北海道大学農学部は、あの「少年よ大志を抱け」の言葉で有名なクラーク博士が居た札幌農学校の後身で、開拓精神に富んだ素晴らしい歴史を持っている。きっと彼には、その認識と誇りが欠けていたのだと思う。 ゴルフの石川遼選手が日本プロゴルフ機構から処分されることになった。2年連続して同じ大会を欠場したことに対してで、罰則として200万円を支払う義務があるそうだ。彼は国内ツアーだけにとどまらず、広く世界で活躍している選手。その疲れが出て、たまたま2年連続の欠場になったのは気の毒だった。 彼は今シーズン、獲得した賞金は全て東日本大震災の被害者に提供することを宣言している。そして現時点での賞金獲得額は6832万円。もちろん国内トップの金額だ。わずか20歳の若者が自分の全精神力をかけてプレーし、それを全て寄付すると言う見上げた行為を、先日大臣を辞任した某代議士はどう考えているのだろう。 大震災発生後6か月に当たる日、米国アーカンソン選手権では宮里藍選手が1打差の3位に入賞した。彼女は沖縄出身だが東北高校を卒業し、宮城県を第2の故郷と考えているようだ。そして大震災からの一早い復興を心から願っていると聞いた。ありがとうね藍ちゃん。 今回ロンドンオリンピック出場を決めた「なでしこジャパン」のメンバーにも仙台市の常盤木学園出身者が3人もいる。中国戦で決勝弾を放った田中明日菜、鮫島彩、熊谷紗だ。また右ひざに全治6カ月の怪我を負った丸山と鮫島は、東京電力女子サッカーチームのメンバーでもあり、被災した東北を気遣っていた。また澤キャプテンの言葉の端々にも、震災を受けた地方への労わりがひしひしと感じられた。 震災後6か月のあの日、Kスタでは楽天と日ハムの試合があった。楽天は仙台が地元だし、日ハムは東北高校卒業のダルビッシュが先発で、両チームともどうしても勝ちたいゲームだったと思う。ダルビッシュは中3.5日だったにも関わらず、自ら先発を希望したようだ。それだけ震災に苦しむ東北に希望を与えたかったのだと思う。 あの日はダルビッシュが降板した後、4番バッターの山崎が奮起して楽天が逆転勝ちを収め、3位に浮上した。ダルビッシュのみならず、西武の岸(東北学院大学卒)、中日の和田、阪神の金本(東北福祉大学卒)、ヤクルトの由規(仙台育英卒)などプロ野球選手の中にも東北の関係者が多く、きっと彼らも大震災を心配しているはず。 アホな行為で大臣の椅子から転げ落ちた政治家。方や体を張って戦い、国内外で活躍しているアスリート達。どちらが被災地のことをより心配しているかは、その行動を見れば明明白白。アスリート達があれだけ頑張っているのだから、政治家には自分がやるべき仕事をしっかりやって欲しいと思うのだが。
2011.09.13
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< 健康の秘訣とは? > かなり盛り上がって来た頃、皆が一言ずつ挨拶することを幹事に提案した。一瞬戸惑ったようだが、一番奥のテーブルから一人ずつ近況報告が始まった。手打ち蕎麦とスキーに熱中している友、将棋の研究に勤しんでいる白髪が美しい友。健康を意識し10kg以上痩せた友、畑で野菜を作っている友。 浦安に住んでる級友は、震災時の液状化現象で驚いた由。高校時代ラグビー部だった友と2人、脳梗塞で入院していた友を見舞ったようだ。元気な様子でクラス会にも出席したかったのだが、家族に止められたとか。見舞いのお礼に、昼間から酒を飲まされたそうだ。山形に住む友は、ボランティア活動に従事している由。彼はほとんど毎回クラス会に出席している。 数年前に医者から「後8時間の命」と宣告されたのは千葉に住む友。奇跡的に健康を取り戻した後は、毎年靖国神社に参拝してるそうだ。健康のため毎日歩いているという友もいた。中には100km歩くと言う強者も。私はウルトラマラソンと登山の話。32年間で47都道府県の全てを走り、もう数年で地球2周に達すること。最近は不整脈に苦しんでいることを話した。 心筋梗塞で手術をしたり、血液をサラサラに保つワーファリンと言う薬を服用している級友も多かった。それに対してM和尚曰く。「自分は一切運動はしない。その方がむしろ健康に良い」と。彼はタバコも吸うし、酒も人一倍飲む方だ。ただ雑念を払い、腹式呼吸でお経を読むのが健康維持に役立っているのだろう。そしてさらに言う。「最後は自分が残って、クラスメート全員の冥福を祈る」と。 この場に来れなかった中には、もう15年間も人工透析を受けている友もいるようだし、津波で自社を失った友、翌日の地方選挙で忙しい友もいたようだ。一番最後に恩師が話した。大震災の日は新幹線で東京に向かっていた由。ご家族と台湾へ旅行する途中だったようだ。ところが地震発生のため車中に18時間ほど閉じ込められ、翌日から数日間は福島の避難所に収容されたのだとか。 大震災発生後半年を迎えるが、あの震災で亡くなった友が居なかったことは幸いだった。2年後には古稀(70歳)になる私達だが、それまで無事で過ごし、次回のクラス会を元気で迎えられることを祈って散会した。外へ出ると雨になっていた。級友を見舞って日中から酒を飲んだSはかなり酔っていた。彼に肩を貸し、駅まで送って行った。彼の家は千葉の浦安市。無事帰宅出来たか心配だった。 こうしてクラス会は無事終わった。高齢の恩師は今年81歳。やはり心筋梗塞で手術を受けたようだが、一番健康に留意している印象を受けた。何故なら血圧のコントロールに影響するため酒は一切飲まず、グレープフルーツは口にしない由。さらに血液を凝固させる働きが強いビタミンKを多く含む納豆は食べないとのこと。 そこまで徹底しないと長生きが出来ないのかも知れないが、私はこれからもゆっくり走りたいし、山にも登る積り。そしてバランスの良い食事を摂るように心掛け、多少はアルコールを楽しみたい。ただ長く生きるだけが人生ではなく、与えられた時間の中で何をするか、どんな充実感と達成感を得るかが大事だと思うからだ。人生は様々で良い。それが一番面白いんじゃないかな?
2011.09.12
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< 懐かしい顔 > バスを降りると音楽が聞こえて来た。それは外資系のホテルが入っている高層ビルの方向だ。ビルの前には人だかり。テーブルではビールを飲む人も。そして仮設ステージでは男女のギタリストが外国の曲を弾いていた。今日はジャズフェスティバル。街中の至る所でミュージシャン達が代わる代わる演奏している。 時間が気になったが、椅子に座って音楽を聴いた。若い男女が、馴染みのあるビバルディーの曲や、どこか物悲しいルーマニアの民謡を弾いている。クラシックギターだが、マイクで拾われた音は意外と高い。ギターの音に混じって、傍を通る車の音や風の音も時々聞こえて来る。そして強い風が悪戯して、ギタリスト達の譜面をめくる。 豊かな気持ちになってそこから離れた。横断歩道を渡り、向かい側のビルへ急ぐ。ホテルのロビーでクラス会の会場を確認すると3階の部屋だった。受付に何人かの級友がいる。挨拶をして先ずトイレを済ます。室内には3つの丸テーブルがあり、それぞれ6席ずつ設けられていた。そして真ん中のテーブルには恩師の笑顔が待っていた。 恩師、親しかった級友に挨拶し、自分の席に落ち着く。席順は無く、早く来た順番に座るようだ。右手は長年県庁に勤務した級友で、左手はさるお寺の住職。彼とはKスタで一度会ったことがある。今日もわざわざ応援して来たとか。田中マー君と日ハム斉藤の元高校球児対決は、楽天が4対1で勝った由。5年目の田中が、新人に負ける訳がない。 その彼が1枚の写真を私に見せた。仙台出身のお笑い芸人、サンドイッチマンが写っている。先日お寺に彼らが来た時のものらしい。顔と名前は知っていたが、まさかそれが級友の息子とは知らなかった。Dはお殿様の子孫で、地元銀行の支店長を務めた堅物。その息子が金色に髪を染めたあのお笑い芸人だったとは。 司会のAはクラス会の万年幹事役で、彼も地元銀行の支店長を務め、今でも仕事を続けているようだ。優しい人柄は幹事役にうってつけ。この日もちゃんとクラス名簿の最新版を用意してくれていた。先ず記念撮影。亡くなった級友の冥福を祈って黙祷した後、恩師の挨拶。担当は国語だったが、恩師が威張ったり怒った姿を見たことがない。この日も穏やかな口ぶりで、招待されたお礼を述べた。 乾杯の音頭を取ったのは、有名デパートに勤務していたI。彼は来月開催される同学年会の幹事で、実に真面目な男。私達の学年は、学年会とクラス会を隔年ごとに交互に開くほど熱心で結束が固い。2年前のクラス会は近郊の温泉に一泊してのものだったが、あれからわずか2年しか経ってないとは思えない。もう3、4年前の遠い思い出のような気がしていた。 飲み放題の安い店とは異なり、出される料理は良かった。部屋の大きさもマイクの調子も、何よりクラスの雰囲気がとても良かった。飲むほどに酔い、昔話や今の話に花が咲いた。幹事からは参加出来なかった級友からのメッセージが紹介された。 奥さんが亡くなった級友、津波で自宅が全壊した級友、病気で入院中の級友。この2年の間に級友達の身には色んなことが起きたようだ。その紹介を聞きながら、1人1人の顔を思い出していた。転勤のため31年もの間仙台を離れていた私の脳裏に浮かぶのは、まだ17、8の高校生だったころの若々しい顔だ。<続く>
2011.09.11
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今朝目が覚めたら7時前だった。8時間ほど眠ったようだが、よほど疲れていたのだろう。パートタイマーの肉体労働者。67歳。最近は故障がちでウルトラマラソンの完走も覚束ない。週末の疲れ。前日早番と遅番を兼務した疲れ。なでしこを応援した疲れ。不整脈のため血液が上手く体内を巡り難いための疲れ。原因は何だか良く分からないが、恐らくはそれらの要素が絡み合ってるのだと思う。 こんな時間まで、愛犬はじっと待っていてくれた。いつもより2時間も遅い朝の散歩だ。もう日は高く、気温も上がっている。帰宅途中バス停に寄り、土曜日の運行ダイヤを確認する。今日は夕方から、街中のホテルで高校時代のクラス会がある。帰宅後、愛犬に餌と新しい水を与える。次いでガレージと玄関の掃き掃除。 植木鉢に水遣り。今庭に咲いているのはノボタン、セージ、バラ、ムクゲ、ヤブラン、シュウメイギクくらいか。畝にも散水。先日蒔いた秋野菜の種から小さな芽が出ている。唯一始末しなかったモロッコインゲンだが、「もう駄目じゃないか」と妻は言う。私は「まだ慌てることはない」と言って、そのままにしていた。まだ葉は青く、たくさんの花が咲いていたからだ。 確かに真夏ほどの勢いは無くなったが、ゆっくり見守れば収穫出来るはず。それは長年家庭菜園を手掛けて来た私の直感。今朝は久しぶりにインゲンを探して見た。あまり太くはないが、柔らかそうな莢が幾つか実っていた。採ったのは全部で20本ほどか。妻はまだ眠っている。きっと仕事とうつ病の姉への対応で、疲れているのだろう。 インゲンはお浸しにした。ワカメと豆腐の味噌汁を作り、ご飯やおかずをチンする。いつもながらの健康食。食後には自家製のカスピ海ヨーグルトとグレープフルーツを食べる。そして薬を服用。その頃になってようやく起きて来た妻。早速自分の布団と妻の布団を2階のベランダに干す。その間、妻は洗濯の準備と朝食。 妻が朝食を摂る間に、リサイクルゴミをビニール紐で縛って始末。これは子供会の収益になる。洗濯機が停まると、今度は洗濯ものを籠に入れて2階へ。妻が洗濯ものを干す間に、薬缶でお湯を沸かし、ポットに入れておく。そしてそれらが一段落すると、物置から古いバスタオルや敷物を取り出す。臭気が酷い愛犬のシャンプーの準備だ。 雰囲気を察知して逃げようとする愛犬。それを後から抱えて、風呂場まで連行する私。中で待ち構えている妻に愛犬を渡し、私は自室でパソコンを開く。要領の良い妻は、手早くかつ丁寧に愛犬を洗う。よほど気持ち良いのか、その間愛犬は抵抗をしないのだとか。これが私だったら、そうは行かないだろう。 さて、今夜のクラス会では級友からどんな話が聞けるか。そして私はどんな話をしようか。限界に近づきつつあるマラソンの話。大した被害はなかったけど春先の震災の話。マラソンの費用を稼ぐため、いまだに続けている仕事の話。もう一頃のような元気はないが、それでも何とか充実した暮らしの日々。人生にも秋の予感が漂いつつあるこの頃だ。
2011.09.10
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まあこれだけ長い時間、サッカーの試合を観たのは初めてだ。先ず夕方の4時過ぎから、なでしこと北朝鮮の試合を観た。北朝鮮は若手主体のようだったし、薬物違反で5人の選手が出場禁止措置を受けたとも聞いていた。だから、あっさりとこの試合でオリンピック出場を決めるだろう。私はそんな風に信じていた。 だが、試合が始まるとそんな雰囲気はどこかへ消えた。北朝鮮の怒涛のような攻撃。これに対して受身で着いて行くのが必死のなでしこジャパン。まるで立場が逆転したような試合内容だった。北朝鮮はこの予選直前に監督が変わったとか。出場停止の選手も多く、きっと大幅な入れ替えがあったはず。この短期間で良くここまで統制の取れたチームが作れたものと感心した。 積極的に動き回る北朝鮮の若い選手達。1回ファールの宣告を受けると、直ちに選手を入れ替える場面も見られた。なでしこの苦戦の原因は疲労。「ワールドカップ」で優勝して以来、帰国後まもなく「なでしこリーグ」が始まると言う過密日程。その中で「国民栄誉賞」の授賞式もあり、11日間で5試合をこなす今回の予選と、休みなしだった。 それでも後半、何とかオウンゴールで先制点を挙げ、これでロンドン出場は確実と思われたロスタイムに、味方のクリヤーミスから1点を失った。運動量が落ち、攻め込まれてもクリヤーが小さ過ぎてしばしば危ないと感じていた矢先の同点ゴールだった。結局1対1のドロー。この試合でのオリンピック出場は決められなかった。 こうなったら8時からの試合を観よう。そう心に決めた。目下3位の中国がオーストラリアに負けるかドローの場合は日本の2位以上が決まる。それでオリンピック出場は確定だ。今度はオーストラリアを必死になって応援したが、やはり中国の動きの方が素早く感じた。オーストラリアのサッカーは強い印象があったが、あれは男子だけか。 それでもオーストラリアが次第に力を発揮し、後半虎の子の1点をもぎ取った。中国も最後まで死力を尽くしたがノーサイド。結局1対0でオーストラリアが勝ち、中国が2位に上がる可能性が消失した。これでなでしこのオリンピック出場が決まった。併せて3時間以上サッカーの試合を見続け、とても疲れた夜だった。 その間、ラジオでは楽天対オリックス戦を聞いていた。前日までオリックスには2連敗で2ゲーム差をつけられていた。この日破れたらCSのチャンスは一気に遠のいてしまう。先発の塩見が途中まで頑張り、9回裏まで4対4の同点。ここで楽天はノーアウト満塁のビッグチャンス。Kスタ内に「チャンステーマ」が鳴り響いた。 目には見えないものの、きっとサヨナラ勝ちを信じて、白いジェット風船を持ったファンが勝利の瞬間を待ち望んでいたと思う。それが1アウト、2アウトとなり、最後はピンチヒッターの岩村が為す術なく終わった。ラジオとテレビでのダブル応援は、きっと異常に神経を疲労させたはず。こうして昨夜は栄光と悲嘆を同時に味わう結果になった。 今日は同僚が研修の日。このため早番と遅番をこなす必要がある。ブログ更新後は愛犬を散歩させ、夕方の勤務に向かう予定。そして今夜からは対日ハム戦が始まる。相手も不調なので何とか勝利したい。明日の先発は田中マー君と「持ってる男」斉藤の登板。既に前売り券は完売のようだ。間違ってもマー君が新人に負けることはないと思うのだが。
2011.09.09
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「ポイントの有効期限が9月で切れます」。生保のセールスレディーにそう言われたと妻。急いで会社に電話し、色々聞いたが分からなかったようだ。そこで私が電話を代わり、会社のアドレスを聞き出した。8年前にカードを受け取った際、パスワードを登録したことになっているようだが、全く覚えがない。第一8ケタの数字のパスワードを忘れずにいるのが無理と言うもの。 これだけ手続きが面倒なのは、「個人情報の保護」もあるのだろう。つい最近、ある銀行の名を語った偽メールで、複数の利用者が預金を引き出される事件が起きたばかり。少し前には埼玉県の20代の主婦が、架空請求で4900万円もの被害を受ける事件が起きた。何故そんな高額を騙されて支払うのか、そもそもそんな高額を20代の主婦が自由に使えることが理解出来ない。 インターネットを利用するなど悪質な犯罪が後を絶たない。私もこれまで色んな「事件」に遭遇しているが、今日はその一端をご紹介する。自宅を実際に訪問して口説く商売がある。ある会社の若い女性が、「今光ケーブルに入ると将来優先的に料金の割引を受けられます」と言って来た。そこで加入したが、接続会社に聞いたらそんな事実はないとのことだった。 浄化装置を取りつけた後、暫くして業者が部品の交換に来た。丁寧に使用したためまだ交換する必要がなかったのだが、「これは使い方が悪い」と暴力団のような捨て台詞を残して帰った。ソーラー設備の売り込みに来た業者がいた。「地球に優しいシステムです」の一点張りのため、価格は幾らまで安くなるのか聞いたら、「兄貴分を呼ぶけど良いのか」と凄む。「ああ良いですよ、呼んで下さい」と言ったら、二度と現れなくなった。 鍵を持たずに外出中、妻に鍵をかけられ呆然としていた所に現れた業者。「スペアキーを作る業者を呼べますよ」と一言。断ったら「縁の下に虫が入らない金具はどうですか」と変更。これも断ったが、他日妻がこの甘言に乗って金具を装着してもらった。5千円かかったと妻。建築業者が点検に来てその金具を見つけ、「あれは何の役にも立ちませんよ」と一言。それで妻もようやくインチキと気づいたようだ。 パソコンを開き何気なくクリックした時に、「これで契約が成立しました。何日以内に会費を支払って下さい」の文字が出てビックリ。後刻丁寧に請求メールも届いた。無視していたら「脅し文句」がどんどんエスカレートして来た。それでも無視していたら、ある時パッタリ来なくなった。「敵」は当方のメールアドレスを察知しても、どこの誰かまでは分からないのだ。 ある団体から商品の請求に関して「訴訟」の申し出があるとの葉書が届いた。でも官庁の公用文とは表現が異なり、団体の名前も聞いたことが無かった。県の消費者センターに連絡し、無視することに。宛名の傍には小さな数字。それで思い当たったのが高校の卒業年度。「敵」は入手した同窓会名簿から、カモになりそうな相手を探したと推察した。 ある時東京の次男から「携帯をトイレに流して使えなくなった」と連絡があった。声の調子も次男にそっくりで私は本当に信じていた。翌日「彼」から再度電話。取ったのは妻。その声と用件を聞いて、直ちに「これはオレオレ詐欺」だと見破った。やはり母親だけあって、微妙な雰囲気を察知したのだと思う。 幸いにして貧乏な我が家では、まだ高額の詐欺に遭遇したことがないが、用心に越したことはない。特に高齢のお年寄りは騙されないように注意しないとね。どうぞ皆さまも、この手の犯罪には十分ご注意くださいね~。
2011.09.08
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席の位置は申し分なかった。何せファーストが目の前なのだ。だが、それなのに気分は優れなかった。昨夜、私はKスタへ行った。タダ券が手に入ったのだ。いつもなら楽天の3塁側なのに、1塁側になったのはもらったのがオリックス関係企業だったため。でも周囲はほとんど楽天ファンばかり。安心して観ていられるはずが、そうも行かないのはピッチャーのせいだ。 この日のパリーグは期せずして1位と2位、3位と4位、5位と6位の対戦だった。目下CSの出場権のある3位を巡って、我が楽天とオリックスは過酷な戦いを繰り広げている。勝率はほんのわずかの差で楽天が3位。勝てば借金返済だが負ければ4位転落の微妙さ。先発は岩隈と金子。きっと投手戦の厳しい戦いになるはず。私はそう考えていた。 ところが終わってみれば楽天のヒット3本に対して、オリックスは12本の猛打爆発。楽天のヒット3本のうち2本は、松井が1回と9回に放ったものだから文字通り散発でしかなかった。悪かったのが岩隈の出来。3位を死守すると言う気迫も感じなければ、球のキレもない。一方の金子は球のキレが凄く、連続6三振などの好投を見せた。 結果は0対4の完封負け。オリックスは10年ぶりの8連勝を飾り、見事3位に浮上した。立役者の金子はこれで対楽天戦は10連勝とのこと。ここ3年以上楽天に負けていないと言うから「勝負あった」の感も。なお、この日勝った西武は5位となり、破れたロッテは最下位に転落した。セリーグも混沌としており、各チームのラストスパートが見ものだ。 帰宅して風呂に入ったが眠れない。そのまま起きて男子サッカーの対ウズベキスタン戦を観た。前半17分ごろだったか相手の強烈なシュートが、日本のゴールネットを揺らした。アウェーで先取点を取られたのは何とも痛い。その後が気になったが、翌朝早いため床に着いた。夢の中でも、負け試合が何度か出た。それだけ気がかりだったのだと思う。 ウズベキスタンで知ってるのは街の名。首都のタシケントもサマルカンドも、昔はシルクロードのオアシスだったはず。サッカーコートはかなり荒れていたようだ。最近は男女ともサッカーの国際試合が続いている。中国までなでしこの応援に行った人が、次はウズベキスタンまで行くとテレビで話していたが、きっと貴重な資金と夏休みをすべて好きなサッカーに注ぎ込んでいるのだと思う。 今朝ニュースを観たら、結果は1対1のドローだった。夢の中で観たのは、果たして何だったのか。明日はなでしこが北朝鮮と戦う。それで勝てばロンドンオリンピックへの出場が約束される。男子の方はこれからもホーム&アウェーの厳しい戦いが続く。こちらも何とか勝ち点を積み重ねて出場を決めて欲しい。 さて、かつての職場から案内状が届いた。千島、樺太、北海道アイヌ関係の特別展を開く由。展示品はドイツのコレクションが主らしい。その職場を離れて14年。その後どんな風に変化したか、自分の目で確かめたい気もする。ただし遥かに遠い関西の地。夜行バスでも10時間ほどかかるのではないか。サッカーの応援は無理だが、これなら何とかなりそうな気もするのだが。
2011.09.07
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仙台明走会のAさん。8月は「モンブラントレイルマラソン」へ参加すると言ってたけど、結果はどうだったんだろうか。とても気になるところ。でも彼はずっと山道を走って鍛えていたから、きっと完走出来たはず。それにしても名峰モンブランを眺めながら山道を走るなんて、気持ちが良いだろうな。 山道と言えば、住吉台走友会のS木さんも凄いね。距離65km、高低差3003mの「立山登山マラニック」を完走しただけでなく、翌日はあの「剣岳」にも登った由。朝5時にスタートし、下山するまでに12時間もかかったようだ。あの日剣岳では滑落事故があって、1人が亡くなり、2人が負傷したニュースを聞いた。空には救助用のヘリコプターが飛んでいて、彼もビビったとか。 「立山登山マラニック」には古川のSさんも参加したようだ。K彦さんなのか、それともC一さんだったのか。「安達太良登山マラソン」にも仲間が参加したようだ。S田さんご夫妻のうち、ご主人のMさんは「長谷川カップ」の練習を兼ねていた由。皆頑張ってますね。そう言えば8月に月山に登った時、同じコースを走って登っていた若者が居た。「トレイルラン?」って聞いたら笑っていたけど、あっと言う間に下山して来たのには驚きましたね。 沖縄のらんふぉさんは練習の名人。沖縄本島の色んなところを写真を撮りながら走っています。自宅から走って出ることもあるけど、景色の良い所まで車で行って、そこから走り出すことが多いみたい。だから彼のブログには美しい景色や、不思議な風景がたくさん写っているんですよね。沖縄が好きな私は彼の写真を毎日眺めて、とても癒されています。 千葉の亀仙人さんは、またまた外国旅行に行ったようです。今回の訪問先はイースター島。もちろんお目当ては「モアイ像」になるのでしょうね。彼はこれまでインカ文明の「マチュピチュ遺跡」を2回訪れています。例の高い山の上にある不思議な遺跡ですね。2回目は確か「エンゼルフォール」も見たように記憶しています。落差が千メートルもある世界一の滝です。 私にはそんなことは出来ません。体力の問題、お金、休暇が取れないことなど理由はたくさんあります。でも自分なりの楽しみ方があるので、それほど羨ましくはないんですよね。例えば山ですが、10月に女房と安達太良山に登る予定。これは登山のツアーで、温泉での入浴付きなんですよ。紅葉が楽しみですね。 山を走るのは10月の「伊南川ウルトラ遠足」で実現出来そうです。もっとも心臓の調子が良くない私には、きっと厳しいコースだと思いますがね。そして沖縄にも行くんですよ。11月早々の連休に、沖縄本島の本部半島50kmを走破する積り。これで4年がかりの「沖縄本島一周単独走破」が叶います。総合計は414kmになりますかね。 今回は今帰仁城、備瀬のフクギ並木、海洋博公園などを見ながらのランになりそうです。海沿いですからきっと瀬底島や伊江島も見られることでしょう。名護湾を反対方向から眺められるなんて最高かな。私は1枚の写真も撮らないけど、きっと頭の中には、素晴らしい景色がしっかりと焼きつけられるはず。そして海外旅行ですが、そのうち女房とアジアの国々にでも行って見ようと思っています。
2011.09.06
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「夜中に物凄い雨が降ったの知ってた?」。今朝起きるなり妻が聞いた。「いいや」。私は全く気づいてなかった。妻は呆れたようだが、畑仕事の後で走ったせいもあって、昨夜は疲れたのだと思う。ノロノロ台風12号は長い間居座った影響で各地に大雨を降らせ、大被害をもたらした。亡くなられたり行方不明の方も多く、心から冥福を祈りたい。 世界陸上は昨日で終わった。100m決勝ではフライングでまさかの一発退場になったボルト。200m決勝では優勝こそしたものの、100mでのフライングが頭にあったのか、スタートが遅れた。100mx4リレーでは軽い肉離れのまま臨み、負担を避けるため最終走者になった。ボルトのラストスパートはさすがで、ジャマイカチームは見事世界新記録を作った。 日本のプロ野球も残り試合が40を切り、壮絶な戦いになって来た。一時は2位に10ゲーム以上の差をつけていたヤクルトも、当時の勢いは無くなった。最後は選手層が厚いチームが有利と観ていたが、その通りの展開になって来た。現在2位の巨人から5位の広島まではわずか2ゲーム差。阪神は雨で流れたため残り試合が多く、これから苦労しそうな気配だ。 一方パリーグは相変わらずソフトバンクと日ハムが頑張っているが、3位以下が混とんとしている。我が東北楽天はこのところ好調で、5カード連続での勝ち越しを決めた。特にロッテとの3連戦では負け知らず。とうとう借金1まで減らせた。土曜日の田中マー君は悠々と14勝目を飾ったし、中継ぎ、抑えもしっかり機能している。 ただオリックスがゲーム差無しで、ぴったり後を追いかけているのが不気味。わずか1厘差では、有利も不利もない。そのオリックスとは明日からKスタで3連戦が始まる。明日の先発は岩隈と金子辺りか。いずれにしても当分の間は死闘を繰り返すことになるだろう。仙台では明日から天候も回復する。空模様同様、熱戦を期待したいものだ。 さて、女子サッカーのなでしこは、今日がオーストラリア戦。日程が混んでいるだけに、選手達の疲労は相当なものだろう。だが、その苦しみを乗り越えないと勝利はない。何とか勝ち点3をゲットし、アジア代表を確実なものにして欲しい。結局なでしこは1対0での勝利。またまた勝ち点3を加えて勝ち点9のトップ。次の北朝鮮戦も頑張ってね~!!
2011.09.05
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「お父さん、走らないの?」。心配した妻が言った。土曜日の午後のことだ。「気が向いたら走るよ」。そうは答えたものの、結局私は走らなかった。夕方の愛犬との散歩も妻が行ったため、この日歩いた距離も朝の散歩の1kmだけ。座椅子に座っての読書三昧で、最後にはクッションが汗でビショ濡れになるほどだった。 「なでしこ」は若い韓国チームに2対1の辛勝だった。それでも勝ち点3を取れたのが大きいと佐々木監督。動きが悪かった原因は、国内でのリーグ戦が直前まであったことで疲労が溜まっていたためのようだ。100m決勝で失格になったボルトは200mで優勝し、雪辱した。「どうしてもファンに謝りたかった」と、ボルトは語っていたようだ。 深夜、トイレに起きた。掛け時計の秒針の音が心臓の鼓動と同期してるように感じたが、そのまま朝まで眠った。日曜日の朝。前日体を動かさなかったので、今日は是非とも体を動かそう。そう思いながら散歩に出かけた。食事は早めに摂った。台風12号のことが気がかりだったため、ニュースも見た。氾濫の恐れがある岡山では前夜20万人近い人が避難したと聞いたが、どうだったのだろう。 ノロノロ台風の影響で各地で大雨に見舞われたようだが、朝の段階ではさほど大きな被害が出たとの報道はなかった。町内会の草取りに出かけようとしたら、役員から今日は中止するとの連絡。そのまま庭と畑の整備にかかる。最初の仕事はゴーヤの始末。ビニール紐を切り、苗と蔓を分断し、支柱を外し、最後にネットを巻く。この夏もたくさんの実をつけてくれたゴーヤに感謝だ。 次にトマト、ミニトマト、パプリカの苗を抜き、支柱を全て外す。それらにはまだ小さな実が残っているが、秋野菜の準備のため止むなく処理するのだ。切ったビニール紐のうち使えるものは束ねて物置へ。ゴミはゴミ袋に収容。支柱は材料と長さ毎に縛って移動。ネットは巻いて物置へ。苗を抜いた畝と、庭の雑草を鎌で刈る。苗は雑草と一緒に裏庭に積み重ねる。これがちょっとした小山。 畝を耕し、肥料と石灰を撒き、鍬で均す。その後に種蒔き。蒔いたのは大根と早生の白菜。これらは第2弾だが、春菊とチヂミ菜は初めて。夏野菜で残ったのはモロッコインゲンだが、これはまだ花が咲いているので実が採れる。それにこの跡に植える玉ネギは苗が出回るのが10月なので十分間に合う。 4時間かかって庭仕事と農作業は終わった。直ちに男子マラソンを観戦。日本は堀端(旭化成)の7位が最高だったが、上位3名のタイムで争われる団体では、ケニアに次いで銀メダルを取った。市民ランナーの川内は18位。この日もゴール後に倒れ込む激走だった。前日の男子50km競歩でも森岡が6位に入賞しており、日本の男子も良く頑張ったと思う。 マラソンの結果を確認し、そのまま走りに行った。今日は朝からM仙人が走っている所に出遭った。日曜日の朝に走る会へ出るのに往復走る仙人。彼は体が強いだけでなく、大変な努力家でもある。あの姿を見たら、少しでも走っておきたかったのだ。台風の影響を感じる曇り空と南風。わずか11kmだけのノロノロランだが、それでも走れたことに満足している。
2011.09.04
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台風12号の襲来を恐れて参加しなかった「磐梯高原猪苗代湖マラソン」。風は朝から生ぬるく、時々強くも吹いた。多分この空模様だと、レースは実施されたと思う。それを気にしながら、一日空想の世界を楽しむことにした。「世界陸上」の男子競歩50kmレースを眺めつつ、本を読むと言う芸当だ。 読んだのは司馬遼太郎の「沖縄・先島への道」。街道をゆくシリーズの第6巻だ。司馬が沖縄を訪れたのは昭和50年(1975年)ごろだから、日本復帰の3年後だ。訪れたのは沖縄本島、石垣島、竹富島、そして与那国島の4つ。私は10ほどの島を訪ねたが石垣島までで、その西側の島々は行ったことがない。 前にも書いたが司馬の関心はとても広く、沖縄に関しても歴史や文化はもとより、宗教、言語、民俗、経済など多岐にわたっている。この本にも私の知らないことがたくさん書かれていた。その一方で彼が知らなかったか、一部しか知らなかったこともあった。多分、そのことにも気づいてなかったのだと思う。 司馬は良く「歴史もの」をテーマにする。作家が本を書く時は、前もって色んなことを調べるのが普通だと思う。いわゆる取材だ。彼も取材は怠らなかったと思う。だが、紀行文などは自分の感性に従って書くことが多いのか、中には間違いや誤解もある。研究書ではないのだから自由な発想で書けば良いのだし、事実文章を読んでいても自由闊達さが感じられる。 たとえば明らかな間違いは「星砂」をヒトデの死骸と勘違いしていたことだ。確かに星砂は小さなヒトデの形をしているが、あれは有孔虫の死骸。これは可愛らしい間違いだ。次の例は彼が知らなかったこと。波照間(はてるま)は「果て」の「うるま」が原義で、つまり沖縄の最果てだ。鳩間(はとま)島も「果て」の「うるま」の変形で、漢字に惑わされないことが肝要だ。 石垣島の御嶽(うたき:聖なる場所)は通常「オン」と呼ぶこと。宮良殿内(どんち)の当主である宮良家の名乗り頭が「當」であること。琉球王朝時代に西表島を開拓しようとしたことがあるが、移住者は全てマラリアで全滅したこと。西表島の石炭を、第2次世界大戦中に朝鮮人労働者などを使って掘り出したこと。琉球王朝時代、鉄は鉄?(鉄の延べ板)として中国から輸入していたこと。 鷹の仲間であるサシバは、数十年前までは宮古島では重要な食料として捕まえていたこと。与那国島では人頭税を少なくするため、妊婦に「クブラバリ」と言う岩の裂け目を飛ばせて堕胎したと言う伝説があること。折角これに近い内容を取り上げているのだから、もしそれらのことを彼に教える人がいたら、著書の内容もかなり変わったのではないだろうか。それでもこの本で新たに得た知識は多く、より一層沖縄の良さが再認識できた。 私は地図が好きだ。沖縄で暮らした3年間でも良く地図を見たし、今でも時々沖縄の地図を見る。だからまだ行ったことのない離島の位置や形が頭に入っており、これまで読んだ本や見た映像で島の姿を思い描くことも可能だ。今日は古本屋で買った1冊の本が、時空を超えて私に夢を見させてくれた。未探訪の南の島々を実際に見られるのは、果たしていつのことだろう。
2011.09.03
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後半から宮間を投入したことで日本のリズムが急に良くなった。昨夜の女子サッカーロンドンオリンピック予選でのことだ。相手は格下のタイ。だが強行スケジュールに耐えるには、主力選手を休ませる必要があると監督が判断したのだ。前半はタイの堅い守りに攻撃のリズムが作れなかった。初戦であること、これまで出場機会が少なかった若手だったことも、動きが鈍かった原因だと思う。 前半とは日本の動きがまるで変わった後半。相手を撹乱し、スペースも徐々に出来た。やはり宮間の力量は抜きん出ており、3得点の全てに彼女がからんでいた。勝ち点3のゲット。少なくても3得点すること。佐々木監督が望んだ2つのことを、なでしこは初戦で実行することが出来た。選手も素晴らしいが、そこまで育て上げた監督の実力と判断力が凄いと思う。 さて、明日参加する予定だった「磐梯高原猪苗代湖マラソン」へは結局行かないことにした。台風の進路がどうなるか、大雨の影響が今後どう出るかを自分なりに判断してのことだ。いくら素泊まりとは言え、もし宿泊しないのなら少なくても前日に連絡すべき。私はそうも思っていた。 ようやくつながった電話は留守番電話だった。きっと民宿組合と大会本部との間で、台風対策などを協議していたのだと思う。「行かない」と決めた後も、果たしてその判断が正しかったのかと悩んだ。私個人は大雨の中で走るのも厭わないけれど、交通が遮断されて帰宅出来ない状況になると困るのだ。これで今年参加する予定でいたEさん主催のレースは2回とも不参加。悲しいけれども「縁」が無かったと諦めよう。 もう一つ迷っていた本だが、司馬遼太郎の「街道をゆくシリーズ・沖縄先島への道」を読むことにした。「項羽と劉邦」もそうだが、彼は小説やエッセイを書くに当たって、その舞台を実際に訪れることが多い。だから読者がより真実味を感じるのだと思う。それに彼の関心はとても広く、そのことが深みのある作品を育てたと言えるのではないか。 私は沖縄に3年間住み、島の方々を実際に訪ねた。また色んな分野の沖縄の本を300冊近く読んだ。だから司馬の本を読むと頷けることが多い。だが、彼が書かなかった事実が幾つかあったのには驚いた。資料で知ることも大事だが、現場を訪れて何かを感じ、考えることも大事な作業なのだ。 野田内閣が組閣された。識者によれば新鮮味がないと言う評価が専らだ。それに自民党が行って来た「派閥人事」と同じとの酷評もある。でも党分裂の危機を、この人事で救ったのは確実。問題はこれからで、より迅速で適切な対処をしてくれたら良いし、折角誕生した「どぜう内閣」を、少しは余裕を持って見守っても良いのではないか。地味で大人しい野田さんだが、その判断が正しかったのか評価されるのはこれからだと思うのだが。
2011.09.02
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昨夜、妻の姉が泊りに来た。うつ病で苦しんでいる姉を見かねて、妻が招いたようだ。震える手、痩せて青い顔、そして生気のない表情。不安のためあまり睡眠も取っておらず、時々「死にたい」と漏らすこともあるようだ。本当はお人好しで人情味溢れた人柄だったのに、いつからこんな風に性格が変わったのだろう。 それでも我が家では良く食べ、夜中まで妻と話していた義姉。今日は胃カメラを飲む予定とのこと。妻も一緒に付き添うようだ。午前中の勤務を終えて帰宅する頃、ちょうど病院へ出かけるところだった。妻は「我が家で引き取りたい」と言っていたが、彼女にも家族がある。それに一日中顔を突き合わせていたら、きっと妻だって気詰まりになると思うのだが。 司馬遼太郎著「項羽と劉邦」全3巻を読了した。中国全土を制覇した秦も始皇帝の崩御で国内が乱れる。その後継者として名乗りを挙げたのが、楚の項羽と漢の劉邦だった。彼の歴史小説はこの1年近く読んで来た宮城谷昌光の小説とはまた一味違う。人物の捉え方、歴史の観方、中国各地の風土と文化。そのどれもが深い洞察に満ちている。 話に出て来る何人かの名前に見覚えがあった。宮城谷の小説で見たのは確かだが、それにしてはストーリーが全然違う。宮城谷も司馬の小説は読んでいるはずなので、別の視点から書いたのかと思った。調べたら宮城谷の小説でこのテーマに近いのは「香乱記」全4巻だった。同じ時代で項羽と劉邦も出て来るのだが、彼が主人公として取り上げたのは、山東半島を本拠地とする、斉の田氏一族だった。 司馬の小説では、項羽と劉邦の人物像が際立っていた。いわゆる楚漢戦争では、ほとんど劉邦が勝ったことがなかった。だが最後の最後に劉邦が劇的な勝利を収めたのは良き武将に恵まれたからだ。もう一度「香乱記」を読み直すか、司馬の他の作品を読むか、宮城谷の他の作品を読むか迷っているが、今回のことで作者と作品を比べながら読むのも面白いと思った。 さて今日は「愛媛マラソン」のエントリー開始日。昼食後からパソコンに向かって手続きを開始したのだが、その時点で30分待ちで1万数千人が待たされていた。いよいよ手続きに入り、第1ステップまでは記入出来たのだが、そこから全く進まない。1時間以上かかって結局は登録を諦めた。愛媛マラソンは松山勤務の時に3回出た思い出深いレース。当時は制限3時間36分のエリート大会だったが、現在は6時間に延長されている。 元住んでいた町がコース沿いにあるし、3月の大震災でもかつての職場や走友達から色んな支援を受けた。是非とも参加してお礼を言いたかったのだが、最近のマラソンブームはそんな個人的感傷すら許してくれないようだ。さて、来年2月の予定は「東京」と「愛媛」だったが、まず「愛媛」が没。残る「東京」はどうなるか。 明日は勤務後、直接職場からレースに赴く。「磐梯高原猪苗代マラソン」だ。100kmの部のコースが変更されたようだが、どこを走るのかの連絡がない。少々心配だが、猪苗代湖周辺であることは間違いない。それはともかく、台風12号の進路と影響が大問題。これまではノロノロだったが、どうやら日本列島へ上陸するのは間違いないようだ。 会場付近では、今年も大雨で被害が出ている。もし大雨となれば交通機関の乱れが心配だし、第一大会の運営そのものに支障が出る恐れがある。一応会場へ向かう予定で準備はしたが、果たしてどうなるかは全くの不明。まさに「クオ・ヴァディス」だ。
2011.09.01
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