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イタリア旅行ネタの途中ですが、本日より数日間パリに行くことになりました。パソコンはもっていくので、現地で更新できたらします。お楽しみに!↑と、書いたのが自宅。今はもう成田のカード会社ラウンジです。第一ターミナルのTEIというカード会社専用のラウンジですが。ここはよくないですねぇ。テレビは画面だけで「音声はご利用いただけません」と書いてあるし、(テレビから音でなかったら、つけておく意味ないんじゃないの?)ビバレッジマシンも安っぽいし、コーヒーはプラスティックカップで飲まないといけないし。これなら、羽田空港のほうがマシですね。それとも第一ターミナルだけの話なのか?よくわかりませんが、もうじき出発です。パリってストはどうなってるんだろう?
2009.01.31
モザイクの宝庫、シチリア。ピアッツァ・アルメリーナで発掘されたローマ時代のヴィッラの床モザイクは、当時の風俗や貴族の生活をテーマとしたものだったが、パレルモにあるノルマン王宮に施されたモザイクは、豪華絢爛でエキゾチックなアラブ様式が訪れる人を圧倒する。「ルッジェーロの間」のモザイク。まばゆい黄金を基調として、流麗なアラブ風の装飾模様が壁と天井を覆いつくしている。上段は狩りの風景。下段には植物と猛獣。奥には鳥。どのモチーフも様式化され、左右対称に描かれている。モザイクで表現されたこの世界は、一種の楽園のデザインなのだ。現実をより写実的に描出することに向ったキリスト教徒的な美意識とは対極にある。これぞまさしく、アラブの美。この極めてアラビックな居室の主はノルマン王朝初代シチリア王、ルッジェーロ2世。シチリアという南の島でなぜ「ノルマン人」の王朝が成立したのか、そして初代の王がなぜ「2世」なのか、その物語は、北フランス・ノルマンディー地方のとある小さな村から始まる。ココ↓オートヴィル・ラ・ギシャール――11世紀、ここはノルマンディ公国の一部で、ノルマンディ公に仕える小領主のオートヴィル家の土地だった。オートヴィル家を含めたノルマン人のルーツは北欧にある。北欧、すなわちスカンジナビア半島やユトランド半島出身のバイキングたちが、8世紀末から海賊として、ヨーロッパの沿岸地域を荒らしまわった。その一部がフランス北部に定住し、ノルマンディ公国を作り上げたのだ。11世紀のノルマンディ公国では、人口が急増し、領主の息子といえど土地を相続できない者があふれていた。そんな彼らが向ったのが、イスラム教徒の攻撃を頻繁に受けていた南イタリア。当時の南イタリアには傭兵の需要があった。中には功を立てて出世し、かの地で新しい領主となる同郷人も現れた。そんな風の便りを聞いて、オートヴィル家の兄弟3人がまずは南イタリアに向う。3人の兄弟のうち、長男のギョーム(イタリア語:グリエルモ、ドイツ語:ヴィルヘルム。以後、グリエルモとする)は、勇猛果敢な騎士としてすぐに頭角をあらわす。南イタリアのノルマン人の傭兵隊のリーダーとして活躍し、鉄腕アトム… じゃねぇ、鉄腕グリエルモと呼ばれた。グリエルモは出世を重ね、ついに南イタリアのプーリア地方を治める領主アプーリア公となる。グリエルモの死後は弟が領地を引き継ぐ。オートヴィル家には12人(!)の息子たちがいた。グリエルモから見ると腹違いの弟にあたるロベール(イタリア語:ロベルト、以後ロベルトとする)も兄に続いた。ロベルトは権謀術数に長けた政治家でもあり、優れた軍人でもあった。彼には「狡猾な」を意味する「ギスカルド」というあだ名がつく。そのロベルト・ギスカルドは、長兄の鉄腕グリエルモの築いたプーリアを拠点に、次第に南イタリア全域に勢力を拡大し、3人の兄に続く4番目のアプーリア公となる。ロベルト・ギスカルドと合流して、シチリア征服に乗り出したのが、オートヴィル家の末弟ロジェ(イタリア語:ルッジェーロ、以後ルッジェーロとする)だった。ルッジェーロが故郷のノルマンディを出たのが26歳。長身でイケメンで弁舌さわやかで冷静で温和な青年だったという(たぶん、NHKの大河ドラマ級にそ~と~美化されてるね)。ルッジェーロはシチリア島全域を勢力下におき、シチリア伯となる。名目上は兄ロベルト・ギスカルド(アプーリア公)の家臣だったが、兄の死後は完全に独立し、アプーリア公をはるかにしのぐ南イタリアの強大な君主となっていく。そして、その息子ルッジェーロ2世が初代シチリア王(領地にはナポリ以南の南イタリアも含まれる)として戴冠、ノルマン人による王朝が成立するのだ。日本人に置き換えれば、山田長政が2代がかりでタイに王朝を作ってしまったようなもの。想像を絶するスケールの立身出世物語だ。http://www.medianetjapan.com/10/government/yaschan/sicilia/sicilia_001.htm↑この家系図を見るとわかりやすい。左上の初代シチリア王ルッジェーロ2世が、26歳でノルマンディを出たオートヴィル家の末息子ルッジェーロの息子。初代シチリア王ルッジェーロ2世の死後、ノルマン・シチリア王国はその息子グリエルモ1世、グリエルモ2世、ついで傍系のタンクレディを経てルッジェーロ3世、グリエルモ3世に引き継がれる。この間、王国を陰から支えたのは、イスラム教徒を中心とする有能な官僚組織だった。ノルマン王家は、彼らが北フランスからやってくる前から南イタリアに定住していたアラブ人のもつ知識や技術を利用して、王国の繁栄を築いた。当時、農業技術・自然科学・医学といった分野では、キリスト教圏よりもイスラム教圏のほうが進んでいたのだ。キリスト教徒であるノルマン人の王宮に異教徒的な美意識があふれているのには、こうした背景がある。さて、ノルマン系によるシチリア支配はグリエルモ3世で終わり、その後のシチリア王国は、ドイツ系であるホーエンシュタウフェン家の神聖ローマ皇帝の支配に取ってかわられる。…というのは、男系から見た話であって、実際には、グリエルモ3世のあとにシチリア王となったハインリッヒ6世は、初代シチリア王・ルッジェーロ2世の娘を妻としていた。その跡を引き継いだ息子フェデリコ2世(ドイツ語:フリードリッヒ2世、神聖ローマ皇帝としては「2世」だが、シチリア王としては「フェデリコ1世」)はだから、神聖ローマ帝国皇帝の息子であり、かつノルマン王朝初代シチリア王の孫なのだ。ノルマン王家の血は娘を経由して、神聖ローマ帝国皇帝と融合し、2つの類いまれな血統を引き継ぐフェデリコ2世(1194-1250)が生まれた。そして、フェデリコ2世(シチリア王としてはフェデリコ1世)は、その血筋にたがわぬ異彩を放つ君主としてヨーロッパ中にその名をとどろかす。9ヵ国語を操り、キリスト教的な迷信にとらわれずに先進の科学を学び、合理性と異文化への深い理解を兼ね備えていた王は、交渉によって聖地エルサレムを回復するなど、「世界の驚異」と畏怖された。もともとイタリア生まれ、パレルモ育ちのフェデリコ2世は、神聖ローマ皇帝でありながら、生涯のほとんどを南イタリアで過ごした。彼のもとでシチリア王国の首都、異文化融合の地パレルモは、地中海世界の中心となり、当時のヨーロッパでも屈指の繁栄を誇った。だが、その繁栄もフェデリコ2世治世の後半、イスラム教徒を一転して迫害しはじめたことから陰りを見せ始める。そして、強烈なパーソナリティでシチリア王国を率いたフェデリコ2世がこの世を去ると、異文化共存の時代ははかない夢と消え、南イタリアは再び、さまざまな勢力の思惑に左右される不安定で後進的なヨーロッパ辺境の土地へ押しやられることになるのだ。<シチリアねたは4/22のエントリーに飛んで、続く>
2009.01.30
見所の多いシチリアの州都パレルモだが、まず足を運んだのは、パレルモ州立美術館だった。美術館へ行く途中、多少スラム化したような路地を通った。貧しい身なりの痩せた子供たちが駆け抜けていく。一瞬緊張してバッグを身体に引き寄せる。ナポリもそうだが、南イタリアでは観光客の歩くエリアと犯罪の多発するスラムとが隣接している場合がある。個人旅行者がうっかり治安の悪い地域に足を踏み入れてしまうと、身ぐるみはがされることもある。ナポリやパレルモのような街では、危ない場所をホテルの人にあらかじめ聞いておくのがいい。暗い路地を抜けて、美術館に着いたときはちょっとホッとなった。パレルモ州立美術館で最も見たかった画、それは中世末期15世紀に描かれた、作者不詳の壁画『死の勝利』。ヨーロッパの中世末期には、戦乱や黒死病の広がりによる社会不安を背景として、『死の舞踏』『死の勝利』といった主題の画が多く描かれた。パレルモの『死の勝利』は、あばら骨がむき出しになった馬に骸骨が騎士のようにまたがり、人々を蹂躙していく。この画が名高いのは、もう1つ理由があって、16世紀北方ルネッサンスの巨人、ピーター・ブリューゲルがこのモチーフをみずからの作品に取り入れているからだ。こちらが16世紀半ばに描かれたピーター・ブリューゲルの『死の勝利』。プラド美術館(マドリッド)所蔵。画面中央に、やはり痩せ馬にまたがった骸骨が大きな鎌を振るっている。刃の部分が異様に大きい恐ろしげな道具だ。ブリューゲルはこの画に取り組む前に、イタリアに旅行をしている。ブリューゲルの暮らしたフランドル地方とはまったく違うイタリアの風土や風景に触れ、中世からルネサンスに至る絢爛たる芸術作品に触れたブリューゲルは、故郷に帰ってから、「イタリアで吸い込んだものをすべて吐き出した」と言われ、北イタリアの険しい山を彷彿させるような風景を描いたり、イタリアで見た優れた先達の作品モチーフや絵画手法を取り入れたりしている。痩せ馬にまたがった「死」が、パレルモの『死の勝利』に想を得たのは確かだが、この2つの死の象徴は、描き方がずいぶんと異なっている。パレルモの骸骨は、馬にまたがった騎士の肉体が朽ちたあとのようで、ポーズもかなり人間くさい。馬も現実の馬の躯体を留めており、やや解剖学的だ。現実に腐った馬の死骸を見て描いたのかもしれない。一方、ブリューゲルの描く骸骨は、より細い骨だけの姿になり、馬にまたがったまま両手で鎌を横に握りしめ、振り回している。こんなふうに馬上でこれほど大きな鎌を振り回すなど、生身の人間には不可能だ。馬も木馬のように硬いラインとなり、生気がない。ブリューゲルの描く「馬にまたがった死」は、より観念的で、しかも幻想的なのだ。これはちょうど現在の映画の特殊撮影の進歩に似てはいまいか。パレルモの「死の化身」は生身の人間の姿からそれほど離れていない。ブリューゲルの「死の化身」は、生身の人間からは完全に離れた、細く直線的な骨だけの姿になり、自分の体に対して大きすぎる鎌を簡単に振り回している。重さなど感じないかのように。骸骨に表情はないはずなのに、なにか殺戮を無機的に楽しんでいるようにすら見えるのだ。人間は死ぬと腐る。腐り果てると骨だけになる。骸骨だけならそれは、「死んだ人間の最終的な形」にすぎない。だが、筋肉を失ったただの無力な骨の連結物が、痩せ馬にまたがって現れ、巨大な鎌を馬上で振り回すとき、人間の末路の形は超絶的かつ絶対的な恐怖の存在、すなわち死の化身として再生し、人々の上に君臨するのだ。ブリューゲルの描いた壮大な『死の勝利』自体、今のパニックものの映画のセットのようだ。ブリューゲルは、『イカロスの墜落』『バベルの塔』などの名作で知られるが、『イカロスの墜落』では、海に堕ちるイカロスの悲劇を壮大な風景画の中にあえて非常に小さく描いて、日常を続ける周囲の人々の無関心を強調したり、『バベルの塔』では巨大な建築物が作る途中で崩れ始めているにもかかわらず、さらに上へ上へと作業を続ける人間の愚かな業にさりげなく着目したりと、非常に現代的な批判精神性をもった画家だった。ヨーロッパの北、フランドルからやってきた画家がヨーロッパの南、シチリアで見た先達の作品に強い印象を受け、帰国後にその影響がはっきり見て取れるモチーフを作品に取り入れた。こうやってある表現者の精神は時代と空間を超えて、同じ感性をもつ人に影響を与え、再び生命をもつことになる。ブリューゲルがパレルモの先達の作品にそっくりな痩せ馬にまたがった骸骨を、自身のスペクタクルな作品『死の勝利』の中央に描かなければ、パレルモの作者不詳の『死の勝利』も、これほど人々に注目されることはなかったかもしれない。
2009.01.28
部屋のヒドさを思うと、とても美味しいものを出すとは思えず、ちょっと町をぶらついてみたのだが、歩いてるだけで気がめいりそうなくらいドヨヨ~ンとした町。ギリシア遺跡アリーノ、ローマ遺跡アリーノ、バロックの小道アリーノ、ヨーロッパ屈指の考古学博物館アリーノの重層的文化都市シラクーサから来ると、ほとんど何の刺激も感じられない。仕方なくホテルに戻って、スパゲッティを食べた。このホテル、フロントやレストランといった共同スペースはわりかしきれいにしている。スパゲッティも味はふつうだった。もちろん代金は部屋付けにしてもらう。部屋に戻ってシャワーを浴びようとして、またこの町の貧しさを実感することに。ノズルなんてない、かぶるだけのドロップ式シャワーなのだが、お湯がとってもぬるい。そしてものすごく水量が弱い。水がじゃんじゃん出る、なんてのは日本では当たり前だが、ヨーロッパの安宿では、決して当たり前ではない。水の乏しい地域のホテルでトイレやシャワーを使うと、日本ってなんて水の豊かなありがたい国なんだろうかとわかる。あ~、なんて最悪のホテル。町も死んでるし。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレという世界的に有名な観光名所がありながら、まったくそれを町おこしに活用できていないのだ。みんな観光バスでヴィッラだけ見て行ってしまう。町はつまらないから、誰も寄らない。誰も寄らないからますますさびれる。典型的な悪循環。ホテルも、これで安いならともかく、シラクーサより高いときてる。ここも長くないかもな。町のバス停におりて最初に見た、朽ちかけたホテルの看板を思い出した。1晩だけだと言い聞かせて、じっと我慢の夜が明けた。ピアッツァ・アルメリーナから次の目的地パレルモまでのバスの便は、7:05→9:407:40→9:458:40→10:4513:25→15:5017:25→19:15の1日5便。所要時間の短い7:40のバスで行くことにして、朝早くチェックアウトした。早く出ることは前の晩に言っておいたのだが、翌朝フロントに行くと、昨晩「ここで食え」と言った兄ちゃん、しごく不機嫌で、なんとパジャマのまま(!)出てきた。顔も洗っていないらしく、目ヤニがついている。オイオイ。迷惑そうに、チェックアウトの手続きをする兄ちゃん。そんなに仕事が嫌ですか?バス停が少し遠いから、ポーターがいたら、荷物を運ぶのを手伝ってもらえないか聞いてみたら、にべもなく、「ノー! 誰もいないから手伝えない」むしろ憎々しげに答えるではないか。な、なんなんだ、この態度は。断わるにしても、言い方ってもんがあるだろう。道行く一般人でも、階段の上り下りのときなど、頼まなくても手を貸してくれるのがイタリア男なのに。すっかり気分を害して、請求書を見ると…アレッ!きのうの夕食の代金が入ってない。まだ回ってきてないのか、レストランの担当者が忘れたのか、はたまたこのフロントの兄ちゃんがうっかりしてるのか…もちろん、こんな可愛げのない兄ちゃんに、わざわざ間違いを指摘してあげる気にはならない。部屋代だけの請求書にサインし、荷物を引きずりながらフロントから出ようとしたら、ゆうべレストランでサーブしてくれたウエイターが(正面玄関から入って!)出勤してきた。こいつも、こっちに気づいているはずなのに、目をそらして、なぜか挨拶もしない。イタリア人にはめずらしい閉鎖的な性格だわ。こちらも知らんふりして出て行った。たとえ今からレストランの伝票まわしても、お客は去ったあと。これって、またも…天罰ですね。坂になった道を5分ほど歩いてバス停に。今度のパレルモ行きのプルマン(長距離バス)は、ちゃんと来た。後日、日本で、ヴィッラ・ロマーナで最終バスが来なかった話をイタリア通の友人にしたところ…「最終バスって来ないって聞いたことあるよ」最終バスは来ない?じゃ、なんで時刻表に書いてあるわけよ?そういえば、バーリの友人イタラは、街なかのポストに郵便物を出さない。「街なかのポストは集めに来ないから」と言って、駅や郵便局のポストにわざわざ入れていた。街なかのポストは集めに来ない?じゃ、なんで街角にポストがあるわけよ?もちろん、「未来永劫決して集めに来ない」わけではなく、「なかなか集めに来ない」「いつ集めに来るかわらかない」ぐらいの意味だとは思うけれど。まったく信じられないイタリアの公共サービス。それでもなんとかなってしまうのが、またイタリアなんだけど。ちなみにカード会社からのホテル代の請求には、やはり夕食代は含まれていなかったし、別に請求されることもなかった。カード決済にしたのでレートはよくなって、15万リラ=8,584円だった。アメリカのホテルなんて、すでに払ったミニバーの料金を別に再度請求してきたり(ニューヨークのルネッサンスホテル)、実際に泊まった日のきっかり1ヶ月後に、アメリカになんて行ってもいない、したがって泊まってもいないのに、また同じ金額を請求してきたり(ラスベガスのフラミンゴ・ヒルトン)したことがあるというのに。もちろんカード会社を通じて、間違いだと指摘し、取り消させたことは言うまでもない。
2009.01.27
レンタカー以外で、個人で一番安くヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレに行く方法は、ピアッツァ・アルメリーナに宿を取り、そこから公共バスで往復することだ。タクシーをチャーターするのは、3つ星クラスの中級ホテル1泊代よりずっと高くなる。逆に公共バスは日本に比べるとはるかに安い。シラクーサ7:00→ピアッツァ・アルメリーナ10:30のバス代が1人14,000リラ(840円)。3時間半乗ることを考えれば、格安だといえるだろう。アルメリーナから5キロ郊外のヴィッラまでは、バス代1,200リラ(70円)。効率よく回りたい日本人は、シラクーサ(あるいはタオルミーナ)からアグリジェント(あるいはパレルモ)に抜ける途中にピアッツァ・アルメリーナがあるから、ピアッツァ・アルメリーナで泊まらずにちょっと寄って、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレだけ見に行きたい、と考える。だが、この方法は、21世紀とは思えない非効率的世界であるシチリア中部では思いとどまったほうがいい。ピアッツァ・アルメリーナに公共交通機関で着いても、荷物を預ける場所がない。おまけにアルメリーナからヴィッラまでのバスの便は非常に悪く、1~2時間に1本しかない。荷物をかかえてタクシーをチャーターしたとしても、ヴィッラを見学しているときに荷物をどこに置くかという問題が出てくる。だから、公共バスで行くつもりなら、ピアッツァ・アルメリーナに1泊して余裕をみたほうがいいのだ。だが!ピアッツァ・アルメリーナにはロクなホテルがない!これは本当です。なので、やはり一番いいのは、アグリジェントかカルタジローネを拠点にホテルを取り、大きな荷物はそこに置き、朝早く身軽にバスで来て、多少割高でもタクシーをチャーターする方法だろうと思う。では、ピアッツァ・アルメリーナに1泊して公共バスでヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレに出かけたMizumizuがどんな悲惨な目に遭ったか、つまびらかにしよう。ピアッツァ・アルメリーナのホテルは予約せずに来た。バス停で降りてから、近くのホテルに飛び込めばいいと思ったからだ。朝10時半すぎ。バスを降りると、1~2ブロック先にホテルの看板とおぼしきものが見えた。だが、どうも看板は崩れかけている(苦笑)。遠目にも、やっていなさそうなのがわかる。ちょうどそばで、おっちゃん2人が立ち話をしていた。ソフトケースの荷物を引きずりながら、おっちゃんの1人に、「あそこのホテルはもうやってないの?」と聞いてみた。「あ~、閉まっているよ」答えてくれた50がらみのおっちゃんは、風貌はモロにアラブ人なのだが、目だけはビックリするほど澄んだブルーだった。さすがにシチリア。アラブの血のどこかに、北ヨーロッパのノルマンの血が混ざってる。なんとなく感心しつつも、ホテルを探さないといけない。「この近くにホテルある?」と聞くと、まっすぐのびる道を指して、「ここを5分ぐらい歩いたところにある」とのこと。5分かぁ。ちょっとあるな、と思いつつ、荷物をひきずって歩き出した。すると!なんだか知らないが、このブルーの瞳のアラブ系イタおっちゃん、くっついてくるではないか。「たぶん、わかります」案内してもらうのは悪いから断わったのだが、「どこから来たの?」かなんか言って離れない。「東京から」「あ~、中国ね」ヨーロッパの田舎の一般人の極東に対する認識なんて、こんなものなのだ。「いや、日本」「そうかそうか。日本人はみんなお金持ちなんでしょ」つーか、キミみたいに平日の昼間っからプラプラしてないからね。みんなよく働くし。「でも、南イタリアも以前より裕福になったでしょ。バーリから来たけど、数年でクルマもよくなったし、みんなが着てる服もよくなった気がするけど」「いや、シチリアは貧乏だよ」ど~も嫌な予感がする、この会話。そうこうしてるうちにホテルらしき建物が見えてきた。「あそこがホテルね。わかった。ありがとう」と言ってるのに、まだこのおっちゃんはくっついてくる。とうとうホテルのエントランスをくぐった。宿代を聞くと、ツインで15万リラ(9000円)だと言う。シラクーサよりちょっと高い。でも、他に選択の余地がないので、泊まることにした。おっちゃんはまだぐずぐすしていて、部屋に入ろうとするMizumizuを引き止めて、「オレは家に子供が3人。でも仕事がないんだ」来たッ!「だから、何かもらえるとうれしいんだけど」「何か」というのが、「(おカネを)いくらか」の意味だというのは、モチロン察しがついたが、勝手についてきただけのオヤジにチップを恵んでやる趣味はない。Mizumizu母のソフトケースをあけてもらい、アルベロベッロで現地のイタ男と結婚した日本人妻がいたお土産屋でお義理で買った、おいしくもなさそうなクッキーを取り出した。そして、素知らぬ顔で渡す。「これをあなたのお子さんたちに」ブルーの瞳のアラブ系イタおっちゃんは、ものすごくガッカリした顔で、「ありがとう」と言ってクッキーを受け取って出て行った。さて、ホテルでヴィッラ行きのバスの時刻表をもらった。バスはホテルの前に来るという。おお、それは便利。しかし、便数が少ないなぁ。部屋に荷物をおいて、近くのバールでアランチーノ(ライスコロッケ)でも買い食いするか。しかし、部屋に入って驚いた。恐ろしくボロい。これでシラクーサのホテルより高いのか!? 信じられない。くつろぐ気にもなれず、町へ出てみるが、これまた町がどうにもならないほど、さびれてる。1つ2,500リラ(150円)のアランチーノを売ってるバールを見つけ、オレンジの生ジュース(スプレムータ、こちらは1杯180円)と一緒に食した。バーリでイケメンのアルトゥーロに薦められたアランチーノ。シラクーサの街中でも見つけて食べてみた。店によって美味しかったり、そうでもなかったりするが、基本はチーズ入りライスコロッケ、つまりは典型的B級グルメ。アルメリーナのアランチーノは油っぽくてハズレだった。ちぇっ、食い物までまずいや、この町。いったんホテルの部屋に帰り、恐ろしく便数の少ないバスの来る時間に合わせて、フロントにおりた。すると…!げげっ、またも例の物乞いおっちゃんがいるではないか。しかも、ホテルのバールで何やら飲んでいる。失業中なのに、昼間っからホテルのバールで酒(?)なんか飲むなよ!知らんふりして行こうとしたら、残念ながら見つかってしまい、こっちに近づいてくる。「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレに行くの?」「そう」仕方なく、バスの時刻表を見せた。「行ったことある?」「あるよ」「よかった?」「モザイクはきれいだよ」「有名だよね。楽しみだな」また家庭内事情に話が及ばないよう、必死で観光名所の話を続けるMizumizu。ようやく向こうから小型のバスがやってきた。あれだな、ヴィッラ行き。ところが…!バスの運ちゃんたら、バス停をほとんど見もせず、つまりは停まろうともせずに行こうとするではないか!慌てて手を振るMizumizu。すると、ブルーの瞳のアラブ系物乞いイタおっちゃんが、ものすごいデカい声を出し、駆け出して運ちゃんに合図してくれた。そこでようやくバスに乗ろうとしてる人間がいることに気づいたらしく、運ちゃんがバスを停めた。やれやれ、乗る人あまりいないのかね、この路線…なんにせよ、ブルーの瞳のアラブ系物乞いイタおっちゃんが、ガタイのよさを生かしてゼスチャーしてくれたから助かった。いいとこあるじゃん。なんとかバスに乗り込み、いざヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレへ。http://jp.youtube.com/watch?v=Bc9t-MhVd30↑まさにこんなふうにヴィッラへ入場。しかし、本当に辺鄙な場所だ。世界的に有名な観光地だと思うのだが、みんなだいたい大型バスで来て、そのままアルメリーナの町へは寄らずに行ってしまうというパターンのよう。ヴィッラの中は人でいっぱいなのだが、周囲には商店街もなにもない。入り口近くにパラソルを立ててお土産を売ってる屋台のような出店があるだけ。帰りのバスは午後4時と5時半(最終)だった。行きのバスの便も悪かったから、着いたらもう午後2時半をまわっていて、午後4時のバスには間に合いそうもない。それで、ゆったり見て、午後5時を少し回ったところで、ヴィッラを出た。ところが!バス停で待てども待てどもバスが来ない。午後5時で入場が終わるヴィッラは、だんだんひと気がなくなり、出店もじょじょに店じまいを始め、あっという間に淋しい雰囲気になった。時計を見ると午後5時40分。30分以上待ったのに来ない。10分も遅れるだろうか?不安が募り、バス停とヴィッラの入り口の間をウロウロと歩く。そのMizumizuの不安げな姿を、大型観光バスのそばで、観光客グループの帰りを待っているらしい運転手が心配そうに見ていた。「バスが来ないのよ」視線を受けて話しかけてみた。「何時のバス?」「午後5時半」運転手は時計を見た。「もう45分だよ」「ここってタクシーあるかどうか、知ってる?」「いや、知らないけど、ないだろう」確かになさそうだ。公衆電話もないし、パラソルの下で商売している人たちが帰ってしまったら、周囲には本当に何もなくなる。このままバスが来なかったら? いや、もう15分も来ないのだから、来ない可能性のが高い。「どこまで行くの?」「ピアッツァ・アルメリーナ。ホテルを取ってるから、今日はそこに泊まるの」「このバスはピアッツァ・アルメリーナを通るよ、でも…」乗せてあげたいけど、自分からは乗せてあげるとは言えない、といった雰囲気だ。「誰が責任者? 乗せてもらえるか、聞いてみてもいい?」「彼女」運転手が指した先に引率者のような女性がいた。意を決して、ピアッツァ・アルメリーナまで乗せてもらえないか聞いてみることにした。すると、運転手もついてきてくれて、途中から「ずいぶんバス停で待ってて…」と助け舟を出してくれるではないか!女性はすぐにニッコリ笑って、「もちろん、どうぞ!」と快諾してくれた。あ~、助かった。日本では考えられないことだよね? でもイタリアではアリ。考えてみれば、5キロ先まで観光客を同乗させてあげるなんて、満席でなければなんでもないこと。でも、日本じゃ、「事故ったら責任が…」とか「どこの誰ともわからない人をいきなり乗せるわけには…」なんつって、助けてくれるとは思えない。観光バスを借り切ってやってきたのは、カラーブリアから来たという若者の集団だった。皆が乗り込んだところで、運転手がマイクで、「さ~、みなさん。今日はインターナショナルなゲストが乗ってます」とアナウンス。バスの中はなぜか拍手喝さい。照れ照れのMizumizuと母。公共バスに比べると、貸切の大型バスは天国。快適にピアッツァ・アルメリーナまで帰ってきた。しかも、ホテルもすぐに見つけてくれて、近くでちゃんと降ろしてくれたのだ!感激のMizumizuと母。バスを降りて、「ありがと~!」と出発するバスに手を振った。バスの客も手を振り返して感動的な別れ… かと思いきや、バスのみんなは誰もこっちを見てなかった!あれ~ッそれぞれのおしゃべりに夢中で、降りてしまった我々のことは、即座に忘れたよう(苦笑)。しかし、本当に助かった。地獄で仏とはこのことだ。さて、夜は食事をして早めに寝るだけだわ。このシケた町じゃ他に何もやることがない。ホテルのフロントの背の高い兄さんに、近くにおいしいレストランがあるかと聞いたら、「ない。ここで食べろ」とフロントの横にあるレストランを指差された。<このホテルでは、またひと波乱あり。それは明日のお楽しみ>
2009.01.26
シチリア中部の小さな町、ピアッツァ・アルメリーナ。ここから5キロ郊外にある「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ」は、紀元前3世紀から4世紀に建てられたローマ時代の貴族の邸宅で、素晴らしいモザイク装飾で有名。もちろん世界遺産にも登録されている。日本語ではよく、「カサーレの別荘」と訳されていて、ローマ時代の貴族のカサーレさんの別荘だと誤解している人がいるが、「カサーレCasale」とは人の名前ではない。単語としては平野に点在している村落の意味もあるが、ここでは地名。また「別荘」という訳し方も正しいとはいえない。「ヴィッラvilla」は別荘の場合もあるが、お屋敷という意味でも使われる。実際、ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレはいわゆる別荘ではなく、永久的あるいは少なくとも半永久的に所有者が居住していた「家」であろうと言われている。「ロマーナ」は「古代ローマ時代の」という意味の形容詞。イタリア語では、形容詞は名詞の前にもつくが、後ろにもつく。Romanaはvillaを形容してるので、ヴィッラ・ロマーナで「古代ローマ時代の邸宅」という意味になる。ここにはサウナのような保温機能を備えた浴室があることでも知られているが、圧巻はなんといっても床に施された壮大なモザイク。イタリアでは、ラヴェンナ、モンレアーレ(パレルモ郊外)、アクイレイアなどにも素晴らしいモザイク画が残されているが、ピアッツァ・アルメリーナのヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは、ローマ時代の風俗や風習、貴族の遊びといった世俗的なテーマを扱い、かつ構図が動的で大胆だということが他の街のモザイクにはない魅力になっている。まるで現代の映画のお色気シーンのよう。ふくよかな女性のお尻は永遠のエロチック。ビキニ姿の娘たち。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレでもっとも有名なモザイク。バーベルをもった女性(左上)、ビーチバレーのような運動に興じる女性(右下)。あまりにモダンな姿に、現代人はビックリ。ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレにある膨大な部屋の使用用途はわかっていない。でも、床に果物を描いたこの部屋は、おそらくキッチン?こちらは家族の肖像? ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレは5世紀のバンダル人による侵攻後も邸宅として利用されたよう。完全に放棄されたのは12世紀ごろと言われている。50メートルにもおよぶ大廊下。ここには、アフリカでの狩猟の様子を描いたモザイク画が絵巻のように展開していく。スケールの大きさに驚倒。また、それぞれの動物の描写も緻密。アップで撮ってみたが、見学はわりあい遠くからしかできない。モザイクの上を歩くことも、もちろん不可。床にもホコリがかかっていて、もうちょっと掃いてよ、と思った。修学旅行で来てる子供たちも多い。引率の先生の説明をマジメに聞いているのは少数派。走り回ったり嬌声をあげたり、とても賑やかで小さな子供はどこも同じ。Mizumizuは、シラクーサからパレルモに抜けるルートの途中にピアッツァ・アルメリーナがあるので、ここで1泊したのだが、ハッキリ言って失敗だった。アルメリーナの町はロクなもんじゃなかった(これについては明日)。個人旅行なら、むしろアグリジェントを拠点にして(カルタジローネにも行くというディープな旅人は、カルタジローネ拠点でもいい)、大きな荷物はそこにおき、ピアッツァ・アルメリーナへは日帰り旅行で来たほうがいい。アルメリーナに着いたらタクシーをチャーターして送り迎えしてもらうのがベストだと思う。Mizumizuはアルメリーナから公共バスで行って、大変な目に遭ってしまった。
2009.01.25
ホテルのお兄さんに教えてもらったトラットリア、Quelli della Trattoria (住所:Via Cavour 28, Siracusa)は味は最高だった。パスタを作ってる太ったコックさんの絵の描いてある下がり看板が目印ですぐわかる。しかもパスタ2つに水で42,000リラ(2500円)とお値段も格安。だが、ここカードが使えないので注意。お兄さんオススメのスカンピ(scampi、実際にはアカザエビのことだが、レストランでは手長海老と書いてるところが多い)のクリームソースのフェットチーネ(きしめんのような平べったいパスタ)は、イタリアで食したパスタの中でも3本の指に入るほど。クリームソースといっても重くなく、海老の風味にもまったく泥臭さがない。自家製の麺はモチモチで味わい深い。言うことないパスタだった。本当においしいパスタを出す店はこういうところにある。ミシュランはイタリアでは当てにならないし、有名シェフの店は高すぎる。だがこのトラットリアは、カメリエーレ(ウエイター)がよくなかった。最初に、他の席も空いていたのにわざわざトイレの近くの暗いような末席に座らされたときに、ちょっとアレッと思った(「こっちは?」と別のテーブルをさしたら、「ダメ」と拒否された)のだが、運ばれきたパンを見て、眉をひそめた。パン籠にちょっぴりしか入っていない。しかもバゲットの端だけを切ったような、皮ばっかりのパンだ。別のテーブルを見ると、みんなパンが籠からはみださんばかりに盛られている。実は日本人の「イタリアでのパンのマナー」はひどいのだ。パンは黙っていてもいっぱい籠に入って出てくるが、これは「お持ち帰り用」では決してない。ところが日本人の特にオバさんと来たら、食べもしないのに出されたパンを袋に堂々と入れて全部持って帰ってしまう人がいるのだ。お願いだからやめてください。過去にそんな目にあったのかもしれないな… このときは好意的に解釈した。別になくなったら頼めばいいことだ。キレッ端だけだというのも、たまたまパンがそこで終わったのだろう。おいしいパスタを食べてる間に、ちょっぴりしかなかったパンがなくなった。そこで、「カメリエーレ!」と、叫んで、身長175センチ、体重もそのくらい… のもち肌の20歳ぐらいのウエイター君を呼んだ。すると、「あとで」と言って、別のデーブルになにやらサービスに行き、そのまま無視している。なので、もう一度大きな声で、「カメリエーレ! パンを持ってきて!」と叫んだ。ようやくパン籠を下げに来るウエイター君。籠が再び運ばれてきたので、「ありがとう」と言いながら中を見ると…あれっまた小さなキレッ端が、たった2コしか入っていない。これは、完全にわざとですね。日本人には信じられない話かもしれないが、こういう子供じみたイジワルをするウエイター、ホテルの従業員、売り子はヨーロッパでは全然めずらしくない。何か買おうとして店のキャッシャーに行くとする。無教養と貧困と不幸を顔にはりつけたような「雇われ」店員は、不慣れなアジア人観光客と見ると、わざと仕事仲間とおしゃべりを始めて、えんえんと待たせたりする。ホテルでしつこく声をかけてきた従業員につれなくすると、チェックアウトのときにわざと他の客を先にしてこれまた長々と待たせたり、パスポートを返し忘れたフリをしたりする。日本も格差社会と言われて久しいが、さすがに、不慣れな外国人客にイジワルをして日ごろのうっぷんをはらすほどひねくれた「雇われ」はそうはいないだろう。日本人の職業人は基本的にレベルが高いし、それなりに職務を忠実に果たそうとする。ただ、同じ職場での下の立場の人間に対するイジメは相当のものだと思うが。「どういたしまして」しゃーしゃーと言って、身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は行ってしまった。パンはすぐに食べ終わった(なにせちっちゃいのが1人1個しかないので)。なので、こちらもまたしつこく、「カメリエーレ! パンをお願いします」と大声で言ってやった。キッチンのほうからは、なにかトラブルかと、オーナーらしきシェフ(非常に痩身)が心配そうに顔をのぞかせた。この身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は完全に「雇われ」で、オーナー家族の一員ではないね。周囲のテーブルも東洋人に運ばれるパン籠だけが、ほとんど何も入っていないことに気づき、さりげなくこちらを見ている。ウエイター君はまたパンを持ってきた。「ありがとう」「どういたしまして」相変わらずちょっぴりしか入っていなかったが、もうそれ以上はさすがに必要なかった。味は最高だけど、ウエイターが最低の店だ。そう結論づけて、会計を頼んだ。42,000リラに対して、100,000リラ札しかない。おつりをもってきてもらい、「ありがとう」(←Mizumizu)「どういたしまして」(←身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君)と心のこもらない何度目かのお決まりの挨拶を交わす。おつりをウエストバッグタイプの貴重品入れに入れて店を出た…ところで、気づいた。そうだ、おつりをちゃんと確かめていなかった!つり銭ごまかしもイタリアでは日常茶飯事だ。58,000リラだから紙幣の数も多い。あわてて路上で、確認する。すると…なんと、小さなお札で8,000リラしかないではないか。やられた!あわてて店に戻ると、オーナーらしき人がキッチンから出てきて、ウエイター君となにやら話しているところだった。「ちょっと、あなた、58,000リラをくれなければいけないのに、8000リラしかなかったわよ。5万リラ忘れている」またまた(わざと)狭い店内の客全員に聞えるように言ってやった。ただし、抗議する口調ではなく、あくまで驚いた口調で。「え…」身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は、差し出された札を見た。「本当?」心底驚いたようにこちらの目を覗き込む。ま~、したたかもん! わざとごまかしたくせに。もちろんそんなハラはオクビにも出さず、「本当よ、ホラ」とウエストバッグの中をべろ~んと見せた。身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君は、まだ信じられないといった顔で、オーナーらしきおじさんに何か言っている。店内、し~ん。隅に座らされた東洋人の、明らかに観光客が、さかんに「パン、パン」と言っていたのをみんな聞いている。「今度はおつりごまかしか」そう思いながら成り行きをうかがっているのは明らか。ウエイター君はオーナーらしきおじさんに、まだなにやら話していたが、おじさんのほうが、さっとこちらに50,000リラ札を出した。「ありがとう」とおじさんに言い、「気をつけてね」とウエイター君の肩を叩いて出た。まったく、なんつーウエイターだよ。テーブル差別+パン差別のうえにおつりごまかしかい? あんなの雇っていたら店の評判にかかわるわ。プンプンしながら、帰り道、Mizumizu母と2人で、「レイシスト・ウエイター」の悪口をまくしたてた。ところが!ホテルに帰って、部屋でウエストポーチをよくよく見たら、隅のほうから、別の50,000リラ札が出てきたではないか!「あれ~!」Mizumizu、思わず絶叫。バラバラときたお札をウエストポーチに入れたとき、たまたま50,000リラ札だけ別のところに入ってしまったのか?? それを暗い路地で見たから、気づかなかったのか!?「か、返さなきゃ」しかし、もう時計は23時近くになっている。それに、落ち着いて考えたら、このもう1つの5万リラは、本当に、身長175センチ、体重もそのくらいのウエイター君がもってきたおつりの一部だろうか? それもよくわからない。だいたい、あのあからさまな差別待遇は、許せないよね。よくよく考えると、また腹が立ってきた。わざとトイレ近くの隅の席に座らせ、別のテーブルもあいてるのに、「ダメ」だと拒否し、わざわざパンのキレッ端だけよこし、呼んでも、とりあえず無視し、再度呼んだらやっと仕事、しかもまたパンはキレッ端2個。3度目も断固としてキレッ端2個。気分悪いわ。食事代が42,000リラ。余計にこっちによこした(?)のが50,000リラ。おつりを、もしちゃんと払っていて、さらに5万リラをこっちによこしたとすると、食事代(2500円)をタダにして8千リラ(480円)の慰謝料(苦笑)を払ったということか?つまり、これは、天罰よね。「返しに行かなきゃ」の殊勝な心持ちは、あっという間に霧散した。翌朝、チェックアウトするとき、ホテルのお兄さんが、「Quelli della Trattoria 行った?」と聞いてきた。数々の(?)ウエイターとのトラブルにはまったく触れず、「うん、うん。すごく美味しかった。ありがとう」とだけ答えた。「よかったね」お兄さん自慢げにニッコリ。きっと後日馴染み(であろう)のあの店に行って、「日本人が来たでしょ? すごく美味しかったってさ」ぬぁんて、話しただろう。そのとき店のおじさんは、どんな顔をしたかな。
2009.01.24
シラクーサのホテルは日本から予約せずに来た。イタリアはよっぽどの観光地のハイシーズンでない限り、ホテルが見つからないということはない。シラクーサのように文化遺産テンコ盛りの街は、アクティブに観光して歩きたい。そうなるとタオルミーナのような滞在型の豪華ホテルではなく、経済的でそこそこ便利な場所にあるホテルに泊まったほうがいい。駅で母に荷物を見ていてもらい、近くのホテルを見に行った。さっそく手ごろそうな3つ星ホテルを見つけて飛び込む。フロントには若いイケメンのお兄さん。「今日ともしかしたら明日も、泊まりたいんだけど、ツインの部屋ありますか? できればバスつきの」「バスつきはないよ。シャワーだけ」「あ、じゃシャワーだけでも。いくら?」「86,500リラ(=約5,000円)」やっ、安い!「部屋代? それとも1人の宿泊料金?」「部屋代だよ」「泊まるかどうか決める前に、部屋を見せてもらえる?」「いいよ、もちろん」イタリアでは泊まる前に部屋を見せてもらうのは全然OK。どこでも気軽に見せてくれて、嫌な顔をされたことはない。見せてくれた部屋は、日本のビジネスホテルなら12,000円ぐらいは取りそうなレベル。内装はモダンで、シャワーはドロップ式ではなく、ちゃんとノズルがあった。ベッドのスプリングや水の出方などチェックして問題ないので泊まることに。シラクーサに着いた時間が遅いので、2泊すると告げる。泊まってくれると知ったお兄さんは、より親しげな口調になった。「キミ、日本人? イタリア語うまいね」つーか、ホテルに泊まるかどうか話してるだけなんですが。「イタリアに住んでるの?」来たっ! お決まりの質問。イタリア人は褒められるのも大好きだが、褒めるのがまた輪をかけてうまい。北イタリアの都会ではそんなことはないのだが、南に来ると、必ず「イタリア語うまいね」から始まって、「イタリアに住んでるのか」「イタリア語はどこで勉強したのか」と聞かれる。店でもホテルでも、観光案内所でも(苦笑)。イタリアに住んだことはないし、勉強も日本でしただけだとこれまたお決まりのパターンで答えると、ホテルのイケメンにーちゃん、「うそぉ。信じないよ」とオーバーなリアクション。とっても話しやすい雰囲気なので、ついでにいろいろ聞いてしまった。「あさっての朝、ピアッツァ・アルメリーナにバスで行きたいんだけど、バス停はどこ?」すると、フロントから出てきて、ホールにある市内地図の前にMizumizuを連れて行き、「バスは、ここから(←と街の中心からちょっと離れた場所を指し)出るんだけど、どのバスも、こう通って(←と道をたどり)、ここに来るんだ(←とホテルの近くを指す)」「来るのにどのくらいかかる?」「10分ぐらいじゃない、なんで?」「アルメリーナ行きのバスの時間は調べてきたんだけど、たぶんその時間はこのターミナルから出る時間だと思って」「ああ、そうか。いや、キミ、本当にイタリア語うまいね」つーか、バスの乗り方聞いてるだけなんですが。「アルメリーナ行きも必ずこのバス停に来るのは確か?」「言ったろ、全部のバスがここに来るんだ。間違いない」このイケメンのにーさんは、「雇われ」でないことは確かだ。たぶん家族経営のホテルなんだろう。ヨーロッパの「雇われ」の態度はおおむね悪い。ことに中級程度のホテルやレストラン、それにショップでは。逆に家族経営の店だと、非常に商売熱心。日本のように労働者のレベルが平均的に高い国から行くと、「雇われ」と「オーナー」の仕事ぶりの違いにしばしば驚かされる。街にも詳しそうなので、ついでに美味しい店も聞いちゃおう。「何食べたいの?」「パスタとか、リゾットが好きなんだけど」「パスタなら、絶対Quelli della Trattoriaだよ」「どこにあるの?」「カブール通り。ちょっと待って…」と、フロントに戻り、下から市内地図を出して、ボールペンでマルをした。「このあたりだよ。自家製のパスタの店で、スカンピのクリームソースのフェットチーネが最高」なんともクレバーなお兄さんだ(おまけにイケメン)。イタリアってなぜか美形のほうが感じがよく、親切なのだ。それは女性も同じ。おかげで次の街への行き方もわかったし、夜の食事の場所も決まった。さらにお兄さんは、地図の海岸沿いの道を指して、「ここは、海に沈む夕日がきれいだよ」なんて至れり尽くせりのアドバイス。そりゃどうも。さては、ずいぶんご利用になっていらっしゃるようで。ま、Mizumizuの場合、一緒に行くのは母だがね(笑)。駅で待ってる母を連れて、ホテルの部屋に入り、荷物を置いて市内見物に出発した。ホテルは旧市街からは離れている。バロック建築で有名なドゥオーモ広場に行こうと、タクシーだまりに行くと、ズタボロのイタ車で半分寝たようにダラけているじーさま運転手がタクシー列の一番前にいた。ヨレヨレのチェックのジャケットを着ている。うっ、やる気なさそうなじーさんだ。でも、最前列のタクシードライバーに優先権があるのは、イタリアの掟。しかたなく、あけっぱなしの窓から覗き込み、「ドゥオーモ広場まで行きたいんだけど、いくら?」と聞いた。じーさんはあわてて姿勢を正す。「クインディチ」15,000リラ(約900円)という意味だ。シワだらけの顔だが、人は悪くなさそう。タオルミーナが20,000リラからスタートだったので、さすがにそれより安い。OKしてズタボロ車に乗り込んだ。いざスタートすると運転はうまい… というべきか若いというべきか。とにかくイタ男はハンドル握ると素っ飛ばすもんだと思っているらしい。運転は総じてみな巧みだとは思うのだが、事故も多い気がする。街では、真昼間にしょっちゅう救急車のサイレンの音を聞く。あれは自動車事故がほとんどだろう。勝手に想像してるだけだけど。さらに、このじーさん、やや耳が遠いらしい。ちょっと話しかけると、後ろをぐうッと振り返り、こっちの目をしっかり覗き込んで、「え? 何?」と聞き返す。もちろんその数秒間は前を見てない。で、前を向いてくれたところを見計らって、さらにこちらが何か言うと、また振り返ってしっかり視線を絡めてくる。こ、怖いってばさ。前見てよぉ。も~、会話はなるたけ控えよう。ドゥオーモ広場の近くに着くと、ケータイの電話番号を書いた紙をわたしてくれて、「またタクシーが必要だったら、ここに電話して。市内だったらどこでも15,000リラでいいから」おお、それは便利。呼び出しても同じ値段なら安心だし。けっこう商売うまいじゃないの。これが、シラクーサのもう1つの見所、壮麗なバロック様式のファサードをもつドゥオーモ。ファサードの扉には、貴婦人のかぶるレースのような繊細な装飾が施されていた。旧市街のカブール通りは、まさに「バロックの小道」。石畳にバロック風のバルコニーや装飾をもつ石造りの建物の並んだ昔ながらの狭い通りだ。夜、食事にもう一度来たのだが、柔らかな街灯に照らされた道は、スペイン絶対王政時代の上品な残り香が漂い、ギリシア劇場やローマ劇場といった古代の遺跡を見たあとはなおさら、「ここって一体どこの国だったっけ?」と混乱してしまう。惜しむらくは、路地に活気がないこと。昼間から何をするでもなく、手持ち無沙汰に立ってる土地の人たちが、またうらぶれ感を増幅させていた。夜はさらに閑散として、ひと気がない。こちらは夜のドゥオーモ広場。ムーディなロウソクをテーブルにおいて、白いパラソルをひろげてまだ客を待っているドゥオーモ前のカフェ兼レストラン。でも誰も座っていない(苦笑)。さびし~『ニューシネマパラダイス』『海の上のピアニスト』『みんな元気』で有名なジョゼッペ・トルナトーレ監督の映画『マレーナ』でも、シラクーサの旧市街がロケに使われていた。この広場をモニカ・ベルッチ扮するマレーナが歩いているシーンがあった。さて、タクシーは公衆電話から呼び出すとたいがい来てくれて、非常に助かった。だが、一度だけ、「今ダメだから」と言われて、別のタクシーを使ったのだが、このタクシー、真っ白なピカピカのメルセデスで、グラサン(←死語?)をかけた30代のやる気(ぼる気?)まんまんのガタイのいい兄さんだった。「15,000リラ」と事前交渉して乗ったのに、いざ目的地に着くと、実はメーターを動かしていて、「ほら」とメーターを指し示す。2万リラを超えていた。カッとなったMizumizuは、「15,000リラって言ったじゃない!」と怒鳴った。その勢いに気後れしたのか、一見ヤクザ風(失礼!)のにーちゃん、驚いたように、気弱な声で、「み、見せただけだよぉ」だって!「なんで、メーター使うのよ! 見せただけぇ? 嘘つき! 1万5000リラって言って、それから2万リラって言うつもりだったんでしょ。サイテーね。シチリアのタクシー運転手はみんな親切だけど(←もちろんウソです)、あなたは最低!」と一方的にまくし立てて15,000リラをわたして、とっととタクシーを降りるMizumizu。Mizumizu母も黙ってついてくる。逆ギレされても面倒なので、相手が呆気に取られてるうちにどんどん道をわたって遠ざかった。安全圏内に入った(?)ところで振り返ると、タクシーから離れるわけにもいかず、ドアのそばに立ちつくしたグラサンの顔が、ジト~ンとこちらを睨んでいた。観光を終えた夜遅く、ホテルのそばを歩いていると、なんとじーさんのほうのタクシー運転手が友人とおぼしきおっさんと歩いてるのに出くわした。さっそく、ヤクザ風のにーちゃんに、15,000リラと言っていたのに、それ以上取られそうになった話を路上でするMizumizu。「あなたのほうがずっとよかった」と言うと、いきなり、それまでの話はすっかり頭から飛んでしまった(もともとあまり聞えてなかった?)らしく、「オレのがいいんだ!」何年洗濯してないのかわからないチェックのジャケットの胸をふくらませて、大声でリピートするじーさん。「そうそう、あなたのが優秀」調子を合わせると、ものすごく嬉しそうな顔になり、またこっちの顔を覗き込むようにして、「明日はどこ行くの? 朝迎えに行くよ」お抱え運転手にへんし~ん。明日は朝早くバスでピアッツァ・アルメリーナに行くからと断わると、じーさんはうなずき、「じゃあ、いい旅を。また来てね」と、友人とおぼしきおっさんと夜の(シケた)シラクーサの街へ消えていった。あのあと酒をのみながら、今日東洋人の観光客から気に入られた自慢話をおっさんに語ったのだろう。教訓:シラクーサでタクシーに乗るときは、ピカピカのメルセデスではなく、ズタボロのイタ車を運転してる枯れたじーさんのほうが無難。
2009.01.23
人でも街でも国でも、「もっとも華やかな時代」というものがあり、その輝きを忘れることはできないようだ。他のシチリアの都市と同様、シラクーサも長い歴史の中でさまざまな民族の支配を受けたが、この街が一番輝いたのは、古代ギリシア時代。シチリア最大のポリスとして繁栄し、アテネと勢力を競うほどだった。シラクーサには考古学地区と呼ばれるギリシア・ローマ時代の遺跡の残る地域と、主として17世紀以降に建てられたバロック建築が美しい旧市街地区がある。だが、圧巻はなんと言っても考古学地区に残るギリシア劇場(テアトロ・グレコ、紀元前3世紀ごろ)だろう。普通古代の劇場は石を積み上げて作るのだが、シラクーサのギリシア劇場は石を切り出して作った。規模ではタオルミーナを凌ぐシチリア最大の野外劇場遺跡であり、現在は減っているが、オリジナルの客席の列は67にも及んでいたという。紀元前の時代に、シラクーサではこんな巨大な劇場で人々が演劇という文化を楽しんでいたのだ。同じころの日本劣等列島では、人々はどういう生活をしていただろう? ギリシア劇場からそれほど離れていない場所に、ローマ劇場(テアトロ・ロマーノ、紀元後3~4世紀ごろ)もあるのだが、こちらはローマのコロッセオをミニチュアにして、徹底的に壊したようなお粗末なもの。写真にしてしまうと、スケール感の差が出ないのだが、実際にその場に立ってみると、シチリア最大のギリシア都市だったシラクーサが、ローマに征服されてからは、完全に「辺境の街」に追いやられた歴史の変遷が実感できる。また、シラクーサにはイタリアでも屈指と名高い考古学博物館がある。博物館の入り口に至る前庭には、手入れの行き届いたパームツリーがびっしり並び、強い日差しを受けて、幹と葉の美しい影模様が地面に描き出されている。この入念に演出された前庭の美しさを見ただけで、シラクーサという街がどれほどこの博物館を大切に思い、誇りにしているかがわかろうというもの。この博物館の入場券売り場で、窓口のお婆さんにお札を出したら、上にかざしてしげしげとチェックされた。偽札を疑っているということだ。妙に一生懸命な仕草に苦笑してしまったが、見たこともない外国人から大きなお札を出されたら、一応疑ってかかるのは、当たり前といえば当たり前だろう。こういうことを日本で外国人観光客相手にやったら、すぐ「差別」とか言って非難されそうだが、お札が本物かどうかをしっかり確認するのは、別に差別とは関係ない。そういえば、フランスのどこかの郵便局で硬貨を出したら、何度もひっくり返して見て、「これは受け取りたくない」とかって、窓口のねーちゃんに拒否されたことがあったっけ。別に腹も立てなかったが、70円かそこらの価値しかない硬貨で、しのごの言ってたあっちの態度のほうが失礼だった(さすが、おフランス)。もちろん、その硬貨は別の店で普通に使ってしまったし、そこでは「受け取りたくない」なんて言われもしなかった。さて、シラクーサの考古学博物館だが、展示物も先史時代から、エジプト、ギリシア、ローマに至る文明の遺物が所狭しと陳列され、圧巻の一言だった。立ち寄る価値は十分にあると思う。コレクションで中心を占めるのは、やはり古代ギリシア時代の遺物で、赤絵や黒絵の壺やギリシア神殿の装飾品などの充実ぶりを見ると、ここがイタリアだということを忘れてしまいそうになる。シラクーサには意外な特産品もある。それは「パピルス」。パピルスと聞くと日本人はまずエジプトをイメージするが、シラクーサではパピルスに描かれた――主として――ギリシア風の絵がお土産としてたくさん売られている。古代文明はこんなふうに海を隔てて互いに影響しあい、融合していったということだろう。断片的に頭に入っている「エジプト=パピルス(紙)」「ギリシア=(壺に描かれた)黒絵」が現在のシチリア島の街の土産屋で1つになっているのは、なんだかシュールな光景だった。アレトゥーザの泉には、今もこんなふうにパピルスが茂っている。ちなみにアレトゥーザとは、ギリシア神話に登場するニンフの名前。そして、シラクーサには、世界にその名を轟かせているスーパースターがいる。やはりギリシア時代、紀元前3世紀に活躍した数学者・物理学者にして発明家でもあるアルキメデスだ。アルキメデスはギリシア人、だが生まれたのはシチリア島のここシラクーサなのだ。そして彼は海をわたったアレクサンドリアで学問を修めている。アレクサンドリアから帰ってからはシラクーサ王へロンに厚遇され、数学や物理の研究で成果をあげた。もっとも名高いのが「静水圧の原理」。王の金冠が純金か不純物入りかを見極めるために考案された原理で、お風呂に入ったときに浴槽から水が流れ出すのを見てひらめいたという伝説でよく語られる。また、ローマの侵攻を受けた際には、さまざまな武器を考案して、これを防いだとも伝えられている。アルキメデスが死んだのは、紀元前212年のやはりシラクーサ。街を包囲したローマ軍の攻撃に巻き込まれてのことだったという。シラクーサはアルキメデスを忘れることなく、彼の名を戴いた広場もあり、マユツバだが墓もある。見所の多いシラクーサ。考古学地区でのもう1つの観光ポイントは、「ディオニソスの耳」と呼ばれる古代の石切り場。この名前自体は案外新しい。16世紀の画家カラバッジョの命名で、ディオニソスとは紀元前5世紀から4世紀にかけて実在したシラクーサの僭主。僭主とは卑しい身分からのし上がった国王のことで、ディオニソスはカルタゴとの戦いで功を立て、貧民階級の後援をえて勢力を拡大し、政権を握った。この人工的な洞窟は別名「ロバの耳」とも呼ばれる。入り口の形が似ているからだが、「ディオニソスの耳」という名前には、形のほかにディオニソスにまつわる伝説が絡んでいる。この洞窟は非常に音響効果がいい。そこで、ディオニソス王は自分に歯向かう反乱分子をここに閉じ込め、囚人同士の会話を盗み聞きして、彼らの陰謀や秘密を探ったというのだ。もちろん後世のデッチアゲで、カラバッジョ自身の創作だという説もある。もう1つはさらに悪趣味な伝説で、ここで犯罪者を拷問にかけ、その悲鳴や苦悶の声が増幅されて外に届くのをディオニソスが好んで聞いたというもの。なんにせよ僭主ディオニソスは猜疑心の強い暴君で、最終的な評価は高くなかったということだろう。さてさて、こちらはガラリと雰囲気の違う、モロ「現代」なコンクリート建築、マドンナ・デッレ・ラクリメ教会。ラクリメとは涙、つまり「涙の聖母」教会という意味だ。この教会が完成したのは1990年で、1953年に起こった「奇跡」にちなんでいる。ある市民の家にあった小さな聖母マリアの絵から、突然涙があふれ出たというのだ。調査の結果、マリアの涙は本物(つまり、人間の涙だということ)であることが判明して、そこは聖所とされ、やがて教会が建てられたという次第。悪いが、全然信用する気になれない、いかにもキリスト教的なミラクル・ストーリー。
2009.01.21
タオルミーナからシラクーサに移動する日。午後4時の鉄道に乗るので、その前にタクシーをチャーターしてタオルミーナからさらに山を登ったところにあるカステルモーラという小さな街を訪ねた。タクシーはフィックスレートで7万リラ(4200円)で話がまとまった。南イタリアのタクシーは、荷物をのせると「荷物代」を別に取られることもあるので、乗る前に「荷物代こみかこみでないか」と確認したほうがいい。荷物代取るといっても、単にトランクに乗せるだけで、しかも運ちゃんが手伝ってくれるわけでもない(苦笑)。なんで、あれで荷物代を請求するのか理解できないのだが、イタラもバーリで、運ちゃんに言われて別に払っていた。タオルミーナのホテルからカステルモーラへ行き、そこでいったん降りて昼食を取った後、迎えに来てもらって再度ホテルへ寄り、荷物をピックアップして駅までというルート。山道のつれづれに、タクシーの運ちゃんは、さかんに自分の友達のやっているホテルの宣伝をする。「次に来たときは、ぜひここに泊まって」パンフレットまで手渡す準備のよさ。「星はいくつ?」「3つ星。でもプールもあるし、食事もおいしいよ」タオルミーナにはもう当分来ないだろうなぁ…と話半分に聞いておいた。「タオルミーナのベストシーズンって、やっぱり夏なの?」「泳ぐならそうかな。でも、夏は40度になるから、観光するなら今(5月)が一番じゃないかな」とのこと。さて、カステルモーラに着くと、広場にタクシーを停め、「じゃあ、午後2時に迎えに来るから。そうそう、帰りはマドンナ・デラ・ロッカに寄ってあげるよ」「どこそれ?」「タオルミーナから十字架が見えただろう?」いいえ、気がつきませんでしたが…(恥)「あの十字架があるのがマドンナ・デラ・ロッカの教会だよ。タオルミーナとカステルモーラの間。やっぱり眺めがいいから、写真を撮れるようにちょっとクルマを停めてあげるよ」すこぶる愛想よく言って(でも、目は笑っていない)、お金はまったく取らずに去っていく兄ちゃん。カステルモーラは九十九折の山道をかなり登らないと来ることの出来ない不便な場所だが、広場にはクルマがたくさん停まり、観光客がタオルミーナの景色を楽しんでいる。広場からさらに石段をのぼって、高台へ。高台からの眺め。駐車場になっている広場におりて撮ったのが、こちら。海と空が溶け合っている。眺めのいいレストランを見つけ、2人で31000リラ(1860円)のランチを取った。フランス人がスパゲッティをフォークにのせ、ナイフで切っている姿を目撃した。それじゃ美味しくないでしょうに。話には聞いていたが、ホントにフォークにクルクルッと巻きつけて食べられないヒトがいるんだ。さて、約束の時間に広場に行ったが、なぜか運ちゃんはいない。キョロキョロしていると、もうちょっと若めの兄さんが声をかけてきた。なんと、さっきの運ちゃんは別の客を取ったので、代理で来るように頼まれたんだという。さしずめ「子分」といった風体だ。べ、別の客…あ~、おカネわたさなくてよかった。うっかり半分払ってしまったら、約束ポイされて、またこの不便な街で(場合によっては)下からタクシーを呼ばないといけなくなるところだった。値段を確認して、タクシーに乗り込む。途中でマドンナ・デラ・ロッカのことを思い出して、「寄ってくれるって言われたけど?」と聞くと、「ええっ?」完全に、聞いてないよ、って顔だ。「寄ってくれる?」と畳み掛けるとしぶしぶオーケーする子分クン。実に面倒臭そう。道の途中でタクシーを停め、「あっち」と指差す子分クン。車道をそれてちょっと歩くと小さな教会があった。ナルホド、「岩の聖母(マドンナ・デラ・ロッカ)」教会ってことね。岩というより崖と言ったほうが正しい気がするが。教会は閉まっていて中には入れなかった。その前のちょっとした広場がビューポイントになっている。確かにカステルモーラとタオルミーナの中間ですな。低くなったので、タオルミーナの街は逆によく見える。岬の先端には、ホテル・カーポタオルミーナの円い建物もなんとか確認できた。ここからなら、タオルミーナの街まで歩いて下れそう。実際に道しるべもあるから、歩道(ほとんど階段だろうけど)が街までつながっているようだった。写真を撮ってすぐ戻った。近づいてくるMizumizu母娘に気づくと子分クンはあわてたようにケータイを切った。さしずめ、「マドンナ・デラ・ロッカに寄るなんて言ったの?」なんて、アニキに確認していたのかも。別にい~じゃん、ただ道の途中でちょっとクルマを停めるだけなんだから。ホテルに着いて、またもタクシーを待たせ、フロントに預けた荷物をもってトランクに放り込むと、「じゃ、駅へ」と子分クンに。子分クン、相変わらず口数も少ない。不機嫌…というより、客あしらいに慣れていない感じだ。半島の観光地のタクシードライバーだと、土地の歴史や自慢話を明るく話してくれる楽しいプロフェッショナルもいるのだが、シチリアではどうもそういう運ちゃんに当たらない。駅で7万リラを払って事務的におさらばした。ちなみにタオルミーナから次の目的地シラクーサまでは16:10→18:18の2時間あまりの鉄道の旅。これで2人分の切符代が25,000リラ(カード決済したので、1426円)。2時間乗って1人700円ちょっとですから… ホントにイタリアの鉄道料金は安い(安かった)。
2009.01.20
シチリアに2つ残る古代ギリシア時代の野外劇場「テアトロ・グレコ(ギリシア劇場)」。大きさから言うと、シラクーサに残るものがシチリア最大だが、ここタオルミーナのギリシア劇場は眼下に広がる青い海、遠くにのぞむエトナ山という類いまれな借景を得て、イタリア屈指の絶景の地となっている。あまりにスケールの大きな景観に、ただただ圧倒される。「東京ドームを満杯にしてのコンサート」などと今の東京で言っているが、この巨大な野外劇場も、さしずめ往時はそのような位置づけだったのだろう。いや、「天・地・人」が一体になれる古代ギリシア劇場のほうが、現代の劇場より感動の演出では上かもしれない。庶民の娯楽は古代ギリシア時代からたいして変わっていないし、この時代に書かれた演劇が今でも上演されたりするのだから、虚構のストーリーに感動を求める人間の欲求も、昔も今もさして変わらないということだろう。もう少しレンズを絞るとこんな感じ。ゲーテもシチリアを旅したときに、半分埋もれかけた廃虚のテアトロ・グレコに足を運んでいる。18世紀のタオルミーナは羊飼いの住む素朴な土地だったよう。今では完全に観光の街。シチリアは古代の大ギリシア文化圏に属する歴史をもつが、いわゆる「植民地」と同義だと思うと本質を見誤る。ギリシア人がシチリアに植民してギリシア風の街を築いたのは確かだが、これらはあくまで独立した都市国家であり、ときに本家ギリシアのポリスをしのぐ繁栄を誇った。地中海世界に広がったこうした自治都市が、古代ギリシアの「植民都市」と呼ばれるのは、そうした理由から。柱頭の装飾は――あまり保存状態はよくないが――コリント式のよう。強烈な太陽が、乾いたレンガに陰を作る。真紅の花が、廃虚の壁にやけに鮮やか。遺跡見物の後は、観光客でごった返す街の中心、4月9日広場へ。さすがに世界的に有名なリゾート地だけあって、完全に観光客に占拠されている。華やいだリッチな雰囲気。ひたすら明るく輝く太陽に、からっとした気候も人々を惹きつけてやまない。ただ、こうなると街はもう1種のテーマパークになってしまう。店はお土産屋ばかり。どこもきれいに掃除され、植栽もよく手入れされているが、街角に生活感がない。働いている人もほとんどが一見さんの観光客相手なので、「味」がなくなってしまう。ゲーテの出会った羊飼いの少年は、今もシチリアのどこかにいるのかな。今のタオルミーナには、飲み物を運んだり、手軽なお土産を包んだりするだけの、すれっからしの兄ちゃんばかり。
2009.01.18
タオルミーナでの3泊目は、ギリシア劇場(古代ギリシア時代の野外劇場の遺跡)のすぐ下にある「ホテル・ティメオ」。距離的にはサン・ドメニコと目と鼻の先なのだが、荷物もあるので、またタクシーで移動。フィックス料金で、カーポタオルミーナ→サン・ドメニコのときと同じ20,000リラ(つまり1200円ほど)。カーポタオルミーナではチェックアウトするために荷物の運搬を手伝ってくれるようポーターを呼んだのだが、案の定20分待っても来ず、呆れて自分で荷物をひっぱってフロントまで行った。イタリアではだいたいこんなものなのだが、サン・ドメニコではポーターを呼んでものの10分もしないうちに、若い男性とやや年取った男性の2人が部屋に来てくれた。「さすがサン・ドメニコじゃん」と感動したのだが、よく考えたら、「呼んでもポーターが20分以上来ない」ほうが変なんだよね。でも、イタリアに行くと、来ないほうが当たり前。だんだんそんなものかと慣れてくる自分がコワイ(苦笑)。さて、ホテル・ティメオでは、「Enzo」と名札をつけたイケメン君がうやうやしく部屋まで案内してくれた。エンツォかぁ、映画『グランブルー』でジャン・レノがやった役ね……などと思いつつ部屋について、荷物をほどく前に、窓を見たら、あれっ…このホテルでも「海の見える部屋」を予約したのだが、見るといえば見えるが、視界の半分ぐらいを巨大な糸杉の木がふさいでいる。見たこともないような太く高い糸杉の木だった。さすがにシチリア。トスカーナあたりの細い糸杉とは生育具合が違う……と感心する一方で、ハッキリ言って、邪魔。そこで、フロントに電話する。「海の見える部屋を指定したのだけど、これじゃ、木の見える部屋。別の部屋を見せてもらえますか?」すると、さきほどのエンツォ君がすぐにやってきて、下の階の部屋に連れて行ってくれた。まだメイドが掃除をしてる途中だった。こちらの部屋は木は見えないが、1階低くなるので、海の眺めはそれほどでもない。どうもサン・ドメニコやカーポタオルミーナと比べると、部屋からの海の眺めは落ちるロケーションのよう。こういうことも行ってみないとわからない。部屋の内装も若干違うので、「この部屋とさっきの部屋とどっちが広いの?」とエンツォ君に聞いたら、「えっと……」と口ごもり、メイドの女性を振り返って、「どっち?」メイドの女性は、ベッドメイキングの手を休めないまま、「上のが少し広いと思う」うん、Mizumizuもそう思う。結局、最初の部屋のほうがいいと判断して、手を後ろに組んで直立不動で立ってるエンツォ君に、そう告げる。こういう面倒くさいリクエストにもイヤな顔をせずに付き合ってくれるところが、一流ホテル。簡単にまとめると…部屋の内装はカーポタオルミーナ:ファブリックなどの上質感は落ちるが近代的で使いやすいつくり。部屋も広い。サン・ドメニコ:重厚で歴史を感じさせる内装だが、部屋自体はやや狭く、ベッドも広くはない。ティメオ:豪華で装飾的なつくりになっているが、サン・ドメニコのようなアンティーク感はない。海の眺めはカーポタオルミーナ:目の前がど~んと海で、まさしくオーシャンビュー。サン・ドメニコ:天空から俯瞰するような、広~い海の景色が圧巻。ティメオ:せいせいと海は見えない(ホームページでも部屋からの海の眺めの写真はイマイチ・苦笑)。あくまでMizumizuが泊まった部屋。ティメオももっと条件のいい部屋があるのかもしれないし、カーポタオルミーナやサン・ドメニコももっと条件の落ちる部屋があるかもしれない。だが、ティメオのテラスからの眺めは圧巻だった。エトナ山がもっとも美しく見えたのが、このホテル・ティメオのテラス。こちらも山の中腹にあるから、ナクソス湾を見下ろしつつ裾野の広いエトナ山の全貌が一望のもとに見わたせる。エトナ山もとうとう雲のマフラーを取ってくれた。ブーゲンビリアとエトナ山。姿の美しさでは富士山の勝ちかな(ガッッツ~!)。ヤシの木の姿の美しさでは、サン・ドメニコの中庭に軍配。このヤシの木も相当手入れが行き届いているが、ちょっとずんぐりした姿。「つ」の字にくれたナクソス湾とその向こうのエトナ山を眺めながら、ブーゲンビリアに囲まれたテラスで飲んだスプマンテ(イタリアのシャンパン)は最高だった。こちらは夜のサロン。それなりに豪華な内装なのだが、サン・ドメニコに比べると、やはり新しいし、イタリアにある「本物の上質」とはちょっと違う気がする。アンティークな建物より、綺麗で整った雰囲気を求める人にはいいかもしれない。窓辺におかれた椅子もどこかよそよそしげ。サン・ドメニコと何か違うのかと聞かれると、案外うまく答えられない。「格が違う」「由緒が違う」という抽象的な言い方になってしまう。ただ、華やかではないが、夜景がきれいに見えた。これはほかの2つのホテルにはなかった眺め。夜、門の外に出て撮ってみた。左側の門がタオルミーナ最大の見所、ギリシア劇場への入り口で、夜は門が閉ざされる。右がティメオの入り口。昼間はここに門番が立っていて、入りにくい雰囲気。ただ、何か飲むぐらいなら、宿泊客でなくてもOKではないかと思う。レストランはランチタイムとディナータイムが短いので、ちょっと気軽に立ち寄って食べるのは、時間的に難しいかもしれないが、スプマンテ(シャンパン)やスプレムータ(生ジュース。「アランチャ」つまりオレンジがオススメ)をバールで飲むのはいつでも大丈夫かと。たとえ泊まらなくても、ギリシア劇場を見たあと、門番のお兄さんに聞いてみて、天国のテラスからの眺めを味わってみることを心からお奨めする。素通りするのはもったいない!結論:宿泊するなら、やはりサン・ドメニコが最高。ほんの7-8年前までは、ここが1泊2食つきでたった100万リラ(2人)で泊まれたのだ。100万リラというと、すごい値段のようだが、実際には6万程度。カードで決済したら、もっと安くなって正確には、57,398円(100万リラ+ディナーの飲み物代6,000リラで1,006,000リラ)だった。1人28,699円だから、今から考えると信じられないぐらい安い。いい時代だったなぁ。ユーロ導入直前のイタリア。
2009.01.17
夜、サン・ドメニコのフロントホールから中庭へ続くガラスの扉の脇には、松明の火が点され、中庭を囲むガラスの回廊はライトアップされる。中庭は幻想的な雰囲気に。中庭を囲むガラスの回廊も、昼間より夜のほうが美しい。ディナーもサン・ドメニコで食べた。いわゆる「ハーフボード」という朝・夕セットのブラン。夕食の時間に遅れ気味だったので、慌てて着替え、部屋の中ぐちゃぐちゃのままレストランへ。レストランは物凄い人で、高い天井に宿泊客の話し声がこだましていた。活気があるといえばあるのだが、期待していた優雅な雰囲気とは対極の夕食になった。カメリエーレも数が足りず、慌しく立ち回り、見ていて気の毒なほど。食事の味もたいしたことなし。部屋に戻ると、ベッドメークがされていて、ぐちゃぐちゃだった洋服類や小物類もきちんと片付けておいてくれている。それは一流ホテルの条件としては、当然といえば当然なのだが、どうも気になることが。このころはデジカメをもっていなくて、一眼レフカメラにリバーサルフィルムを持っていっていた。ディナーに行くときうっかりフィルムの入った袋をそこらに出しっぱなしにしていた。で戻ってきてみると、予備のリバーサルフィルムが1本足りないことに気づいた。ディナーの前に数を確認したわけではないので、メイドが犯人とは言い切れないが、ありがちなこと。一流ホテルとはいっても、金目のものは絶対に出しっぱなしにしてはいけない。フィルムは当時日本では比較的安価だったが、イタリアではとても高かった。<明日へ続く>
2009.01.16
タオルミーナ2日目はホテル・カーポタオルミーナからホテル・サン・ドメニコにタクシーで移動した。タクシー代は日本円で1200円ほど。乗ってる時間は10分もない。海辺の崖地から高台の街中に移動するだけ。イタリアのタクシー代は、安くはない。サン・ドメニコの予約も日本から個人でやったのだが、最初メールしたとき、「海の見える部屋はない」と言われた。もともと古い修道院をホテルに改装した建物だから、海の見える部屋は案外少ないのかもしれない。風光明媚なリゾート地では部屋からの眺めを非常に重視するMizumizu、がっかり。変な部屋に押し込められるのはイヤなので、「なら、予約はしません」とメールした。そしたら!その翌日か翌々日かにまたメールが来て、「海の見える部屋に1つキャンセルが出たので、アレンジできます」と言うではないか!あやしーなぁ…(苦笑)。そんなに都合よく、いっぱいだった予約にキャンセルなんか出るのか?というようなココロはオクビにも出さず、「それは、ラッキー。ではすぐ予約します」と返答した。するとご丁寧に、「ちょうど1部屋あいたので、すぐあなたのためにキープしたんですよ」と押し付けがましいメールが…(再苦笑)。出たッ! イタリア人の「褒めてもらいたい病」!もちろん、"Grazie! E' molto gentile!"と書いて返した。さてさて、ホテル・サン・ドメニコだが、結論から言うと、他のホテルとは明らかに、断然格が違うということ。広大な敷地が街中の観光に便利な場所にある、それだけでもう奇跡に近い。それでいて、ホテルの敷地内に一歩入ると、外の世界の喧騒とは無縁の静かな時間が流れている。ホテルといいながら、建物も庭もすべてがすでに文化遺産。由緒ある歴史が醸す重さの意味は、ネットの写真だけではやはりわからない。いや~、予約キャンセルしなくてよかった。たとえばこんなホールの空間の贅沢も、新しい近代的なホテルにはのぞむべくもない。床材の組み合わせ方、溝を刻んだ四角い柱、明かり取りの天窓、黄金のランタン、白い扉の配置、壁際に置かれた古いライティングテーブル…すべてが美的。毛足の長い赤の絨毯を敷いた長いなが~い廊下。まるで過去の世界に迷い込んでいくよう。吊るされたアンティークなランタンと窓にかかるカーテンはイエローゴールドで色調が合わせてある。部屋の内装もイエローゴールドが基調。ベッドはいっそ質素な印象。ベッドカバーのファブリックの質の良さは、ホテル・カーポタオルミーナとは雲泥の差。カーポタオルミーナはしょせん4つ星だなぁと納得。そして、なんといっても最高なのは…部屋から眺めるグランブルーの海。降り注ぐ初夏の陽光さえ可視化されている。沖を行く軍艦が、水面にぽたりと落ちたインクの染みのよう。ホテルマンの対応もきのう泊まった4つ星ホテルとは次元違い。一流ホテルかどうかは、やはりスタッフの教育がどれだけできているかで決まる。さて、部屋から出て広大なホテルを散策。まずは中庭。このヤシの木の手入れのよさには目を見張った。これほどふっくらと幹がふくらみ、葉をバランスよく八方に広げているヤシの木は、ほとんど見たことがない。ホテルのお客にしか見せないというのに。どこにでもある木を、どこにもない美しさをもった木にしてしまう。一朝一夕にはできないことだ。こういうのが本当の贅沢というもの。イタリアの上流階級は真の豪奢をよく知っている。ブーゲンビリアはてんこ盛り状態。この中庭は名高い「ガラスの回廊」に取り囲まれているのだが、その回廊の美しさは夜最高に引き立つ。なので、夜の回廊の情景は明日に譲って、建物の前面に広がる庭に出てみよう。海へそのまま続いているような錯覚をおぼえる道。敷き詰めた丸い小石にまで美意識が感じられる。いやはや、本当にすごいホテル。庭から見た海。左に見える海に突き出た岬の上の円く平べったい建物が、きのう泊まったカーポタオルミーナ。庭から戻ったところで、ちょっとした喫茶コーナーで生レモンジュースを飲んでいる日本人のシニアグループに会った。あまりいい場所ではなくて、外部の人はしいたげられる感があった。宿泊客以外にはあまり来て欲しくないタイプのホテルだということかもしれない。喫茶やレストランにも力を入れて、宿泊客でなくても豪華な気分を味わえるようにしているホテルも多いが、サン・ドメニコは明らかにそのタイプではなく、保守的・閉鎖的な雰囲気。もちろん泊まってる人間にしてみれば、そのほうが落ち着くが。Mizumizuたちが通りかかると、おばちゃんの1人が、「あら、ここにお泊り? いいわねぇ」だって…。何と答えていいのやらわからず、苦笑い。日本人グループはそのあと、庭に出て記念写真など撮っていた。庭だけなら、こうやって喫茶ついでに散策しても文句は言われないよう。<明日は夜のサン・ドメニコをご紹介します>
2009.01.15
シチリア随一の観光地、タオルミーナ。海あり、エトナ山あり、遺跡あり。おまけに気候もよく5月にはもうブーゲンビリアが咲き誇る。タオルミーナには有名なホテルがある。一番は「サン・ドメニコ」。修道院を改築した由緒あるホテルで、格式で言えば間違いなくナンバーワン。いや、イタリア屈指の名ホテルの1つと言ってもいいかもしれない。だが、Mizumizuにはど~しても別に気になるホテルがあった。1つは「カーポタオルミーナ」。ここは新しいリゾートホテルで、タオルミーナの街中からは離れているが、海に突き出した崖の上に立つロケーションが最高で、映画『グランブルー』の撮影にも使われた。『グランブルー』には、「サン・ドメニコ」にある名高い回廊も出てきて、この2つのホテルが1つのホテルのように描かれている。もう1つ気になるホテルは、タオルミーナ最大の見所、ギリシア劇場(といっても建物ではなく、ローマ劇場と同じく野外劇場の遺跡)のそばにある「ティメオ」。ぜ~んぶ、気になる。ぜ~んぶ泊まりたい。しかし、タオルミーナにそうそう何度も来るとは思えない。よし! じゃ、一度に3つホテルをハシゴしようじゃないの!というワケで、タオルミーナ3泊全部違うホテルという、あわただしい日程を組んだ。まずは、メッシーナからバスの乗ると、タオルミーナの街に入る前に通るホテル、「カーポ・タオルミーナ」を日本から個人で予約した。「海の見える部屋」をリクエスト。本当かどうか未確認なのだが、カーポ・タオルミーナには窓のない部屋もあって、そういう部屋を割り当てられると最低らしい。日本人の旅行記で読んだのだが、「部屋を指定する」という習慣のない旅行者(主に日本人)だと、この手の「悪い部屋」に押し込められることはままある。おまけに日本人はおとなしいし、同じ値段でも部屋によってずいぶん格差があるということを知らない人も多いので、いきおい貧乏クジを引かされることになる。メッシーナからバスに乗り、バスの運転手に、「ホテル・カーポタオルミーナに着いたら教えて」と言ったら、「ああ、じゃあジャルディーニで降りるんだね。いいよ」と気軽にオーケーしてくれた。もちろん「運転手は忘れるもの」を前提としているMizumizuは、前のほうの席に座って、時間になったら運ちゃんにガン飛ばそうと思っていたのだが、あいにくあいていなかった。仕方なく後ろに座る。やや寂しいメッシーナの街から出発したバスは海岸線を走る。20分もすると景色は次第に暖かそうな、リゾートっぽい雰囲気になってきた。海のすぐそばまで山が迫り、崖に張り付くように建物が立っている。車窓を眺めながら思ったのは…あ、熱海みたいだ…建物はカラフルなのだが、基本は熱海(苦笑)。と、タオルミーナにバスで入ったときの正直な感想を、後日イタリア好きの友人に話したら、「熱海よりはずっとステキなところでしょ」と一蹴された。時間を見て、そろそろ着くころだと思い、うっかり通り過ぎたら大変と、立ち上がって前のほうへ歩いていった。すると、それを見とがめた運ちゃんに、「座ってろ!」とすごい剣幕で怒鳴られた。「次がジャルディーニでしょ」「まだだよ! 危ないから座ってろ!」あくまで怒鳴る運ちゃん。イタリアの公共バスの運ちゃんは、こんな感じの人が多い。注意するときは躊躇なし、容赦なし。別の旅行のときも、後ろで高校生ぐらいの男の子が煙草を吸ったら、問答無用で怒鳴りつけていた。大人しく座って待っていると、どうやらそれらしいホテルが見えてきた。ホテルの前は広場のようになっていて、万国旗がはためいている。乗り過ごす心配もなく降りてホテルへチェックイン。近代的なホテルで、情緒はそれほどなし。ただ、新しく開発したエリアに建つホテルだけあって、ホールは広々。部屋に案内してくれたのは、ナヨったにーちゃんだったが、こちらの荷物を持つでもなく、知らんぷりしてオシャベリしていた。古いホテルではないので情緒には欠けるが、部屋もそれなりに広く、窓からはグランブルーの海とイーゾラベッラ(美しい島という意味)が見える、最高のロケーション。朝、日の出が見たくて早起きした。早起きは三文の得――いや、それ以上の感動的な景色をベランダから堪能できた。シチリアで見たもっとも美しい朝の色だった。内装は軽やかでモダン。手書き風の模様を入れた壁とレモンをあしらったランプが個性的。だが、カーポ・タオルミーナの最大の魅力は、エトナ山とイーゾラベッラを一望できる広いテラス、それにプライベートビーチにある。こちらが海に向って開かれた広大なテラス。右端にエトナ山が映っているのだが、この山、案外雲がかかっていることが多い。この日は一日中、マフラーのような雲が取れなかった。こちらはもう1つの絶景、グランブルーの海に浮かぶイーゾラベッラ。ブーゲンビリアは日本にもあるが、シチリアのほうが花の色が濃い気がする。この洞窟は?実は、エレベータでホテルのプライベートビーチに向う途中の通路。崖をくりぬいて作ったのだ(呆)。暗い洞窟のような通路をしばらく歩くと…青い海の広がるプライベートビーチ。さらに進むと…ここでは、トップレスで日焼け中の女性とか、半裸で絡み合う完全発情中のカップルとか、やりたい放題のイタリア人客が多くて、カメラのレンズを向けるのは非常に気が引けた。Mizumizu母は、カルチャーショックを受けたらしく、早々に引きあげようとする。もともと海派というより山派のMizumizu母。ヨーロッパのこういう場所ではあまりくつろげないらしい。夕食はホテルで食べた。もともと2食つきで予約したのだが、「今日の水揚げ」という別料金のメインを頼んでみた。氷満載のワゴンに魚がどっさり乗ってやってきて、ついつい雰囲気にのまれて注文してしまったというべきか(苦笑)。Mizumizuは舌平目、母はイセエビ。イセエビはやや茹ですぎの感があるものの、美味しかったよう。舌平目はハズレた、というより、その前のアンティパスト(前菜)とプリモ(第一の皿)でお腹がいっぱいで、セコンド(第二の皿、これがメイン)までたどりつけなかったというのが正解。ただ、この手の魚をチョイスして料理してもらうスタイル、シチリアでは避けたほうが無難かもしれない。値段を聞くと、「100グラムでいくら」としか答えてくれなくて、「これ」と指した魚がどのくらいの重さなのかは相手任せなのだ。タオルミーナの街中に「グロッタ・アズーラ」という有名なレストランがあるが、イタリア在住の友人が、家族を連れてここで食事をし、別テーブルに運ばれていたおいしそうな甲殻類(カニの仲間だったらしい)を見て、思わず「あ、それ食べたい」と頼んだら、あとから日本円換算で1万円(!)も請求されたらしい。ハッキリ言って、完全にぼったくり。でも重さで値段を決めるこの手の料理は、ぼったくりが防げない。イタリアに住んでいてイタリア語を話せる人ですらこんな目に。だいたい日本人も悪いと思う。「こんなの日本で食べたら1万円ぐらいする」などと、お世辞半分で言うから現地のシチリアーノが真に受けて、図に乗るのだ。「へ~、日本てそんなに高いんだ。じゃ、1万円請求しても大丈夫なんだな」。「グロッタ・アズーラ」はMizumizuも行ったのだが、いい印象はない。店の表の看板を見ていたら、店の男の子が寄ってきて、「入れ入れ」と言う。「ウニとかカラスミのパスタある?」と聞いたら、満面の笑みで(でも目は微妙に笑ってない)、「ある」で、メニューで値段を確かめる間もなく、店に連れ込まれ(苦笑)、「ウニのスパゲッティとカラスミのスパゲッティ!」と厨房に怒鳴り、別のおじさんカメリエーレ(ウエイターのこと)が、すかさず、大瓶の水を持ってくる(当然2人じゃ飲みきれない)から、「小さいのは?」と聞いたら、「シチリアにはない」なんて言ってた。ウソつけよ、まったく。ウニとカラスミのパスタだけ食べたのだが、1皿日本円で1700円ほど。今はどうなっているかわからないが、この値段は当時あのレベルのレストランのパスタとしては妙に高いと感じた。味のほうはまあまあ。「1万円取られた」友人の話を先に聞いていたら、ゼッタイに入らなかったのだが、残念ながらその話を聞いたのはシチリア旅行の後だった。タオルミーナに行って、レストラン「Grotta Azzurra」で食事するなら、くれぐれも値段にご注意を。グラムで値段を表示して料理してもらう魚料理は避けたほうが無難。いかにもおいしそうに店先に魚を並べてるから、雰囲気とカメリエーレの調子のよさにのまれないように。<続く>
2009.01.14
また一部で「危険なサイト」という警告が出るようになりました。楽天に問い合わせたのですが、「再現性がなく、原因は不明」とのことでした。なんら危険な情報は含まれておりません。安心して閲覧ください。イタリアの国内旅行は、プルマンと呼ばれる長距離バスの旅が便利で安い。街から街への移動なので、鉄道旅行では味わえない景色が堪能できる。古い街が多いイタリアは、街中に入ると道も細く、入り組んでいるが、郊外に出ると道も広く、緑豊かな草原や畑が広がっている。のびのびとした自然風景と生活感あふれる街の情景を交互に楽しめるのがプルマンの旅の醍醐味。バーリからはシチリアのメッシーナという街に直通のバスが出ている。バーリ8:30→メッシーナ15:00 メッシーナで乗り換えて、目的地のタオルミーナまでは30分ほど、という長旅。もちろん昼食時にはサービスエリアで長めの休憩を取ってくれるし、トイレ休憩的な停車もある。明日はシチリアへ経つという夜、イタラの女友達の息子のアルトゥーロが、わざわざMizumizuたちに挨拶に来てくれた。アルトゥーロは当時22歳で、シチリアにある大学の工学部で学んでいた。とてもイケメンで、かつとても性格がよく、おまけにものすごく親切。以前のプーリア旅行でカステラーナ洞窟(グロッテ・ディ・カステラーナ)という素晴らしい鍾乳洞を見学に行ったときは、愛車のミクラ(日産のマーチ)を出して、連れて行ってくれた。バスの便が非常に不便なところなので、大助かりだった。Mizumizuたちが今度はシチリアへ行くというので、やってきて、「エトナ山(←シチリアの有名な火山)と富士山って似てるよね」とか「富士山って何メートル?」などと軽い会話で楽しんだ(富士山が3776メートルだというと、「高いね~」と感心していた・苦笑)。Mizumizuもこのとき初めて、エトナ山より富士山のほうが高いと知った。アルトゥーロのオススメの食べ物は「アランチーノ」。直訳すると「小さなオレンジ」だが、果物ではなく、実は一種のライスコロッケ。カタチが小さなオレンジに似ていることからこう呼ばれている。シチリア名物で、彼のお気に入りだとか。屋台料理みたいな軽い食べ物で、高級品ではない。「ゼッタイ試すべき」はいはい、アランチーノは食べたいと思っていたから、試しますよ、もちろん。翌朝はイタラのマンションの管理人さんがクルマを出してくれ、バス停まで送ってくれた。ホント、至れり尽くせり。個人のバス旅行は、まずバス停を見つけるのが一苦労。鉄道旅行よりはるかに神経を使う。基本的にバスの中では切符は売らないから(フィレンツェの市内バスのように車内で買えるバスもあるが、基本的にはバスの運ちゃんは切符は売らない。知らずに乗ってしまうとあとから検査官が乗ってきて罰金を取られる)、切符売り場を発見するのも一苦労。長距離バスのターミナルなら立派な切符売り場があることもあるが、大きなバスターミナルがない街だとタバッキ(煙草屋という意味だが、日常雑貨なども置いている)で売るのが普通。停留所で買えないことも多く(というか、ほとんど停留所では買えないと思ったほうがいい)、切符を売ってる店がバス停のそばにないこともしばしば(←日本人には信じられない話でしょうが)。今回のシチリア行きはイタラが事前に切符を買っておいてくれた。バスの切符を買っておいてもらえるだけで大感激できるようになる国、それがイタリア。席は運転席の後ろではない、最前列2つを予約してくれたという。ところが…!バス停に行ってみると、すでにバスは来ていて、乗客も乗っている。しかも、一番前の席にはチャッカリおばちゃん2人連れが座っているではないか。「すいません。ここの席予約したんですけど」イタラが思いっきり高飛車な口調で抗議。ところが、おばちゃん2人はぜんぜんひるまない。「私たちもここを予約したのよ、ホラ」切符を振り回してわめき、「あなたたちは、そっちでしょ」運転席の真後ろの席を指し示す。「え… でも、確か私はここの席のチケットを…」イタラはいきなり弱気な声音になり、手元の切符をしげしげ。席の番号と照らし合わせようとするのだが、肝心の席のどこに番号が書いてあるのかわからない!(←イタリアですもの)運転席の真後ろの席はあいているので、Mizumizuたちはそっちに座り、「ここでいいから」とイタラに伝えた(←基本的に揉め事は避けたい日本人・苦笑)。おばちゃん2人はテコでもどきそうにないしね。定刻どおりバスは出発。なが~いシチリアへのバス旅行の始まり。ところが!しばらくしたところで、30歳ぐらいの女性が1人乗り込んできて、「私、ここの席を予約したんですけど」とMizumizuたちに言うではないか!ハア~?「私たちもここを予約しました」答えながら、上の棚にのせたバッグから切符を取り出して確認しようとしたら、「あ、じゃあ、いいですよ。後ろに座るから」と感じよく女性は後方の席へ。日本人は自分が予約した席に他人が座ってると、いきなりムチャクチャ腹を立てたりするのだが、イタリアでは案外寛容。これは鉄道でもいえることで、予約した人が来るまでは、別に誰が座っててもいいでしょってノリだ。もし自分が予約した席に他人が座っていたら、そう言えばどいてくれる。変にツンツンしないことだ。習慣が違うと思ってください。Mizumizuたちも知らずに予約席に座っていて、男性が、「ここボクの席です」と切符を見せるので、どこうとしたら、「あ、いいですよ。ボクが別の席に座るから」と譲ってもらったこともある。じゃあわざわざ声かけることないじゃん、と思うかもしれないが、ここがイタリア男のミエミエなところ。「本当はボクの席だけど、ボクは親切だから譲ります」と一言言いたいのだ。つまり、褒めてもらいたいワケね。こういうときは、もちろん大げさに、「ありがとう! とっても親切ですね!!」(グラ~ツィエ! エ・モルト・ジェンティーレ!)と満面の笑みで感謝の気持ちを伝えよう。テコでも動きそうにないおばちゃんと違い、若めのイタリア女性は親切だった。後方へ行く彼女へ向って、もちろん、「グラ~ツィエ! エ・モルト・ジェンティーレ!」しかし、いい加減だなぁ。いったいどういう発券の仕方をしてるんじゃ…と思って、再度しげしげ席の番号を探してみると…あっ!おばちゃんたちの座ってる席の番号が、座席の横の下のあたりに書いてあるのが見えた。Mizumizuたちの切符の番号と合っている。なぁんだ、やっぱりイタラが正しかったのネ。おばちゃんたちの切符の席が違っている可能性が高くなったが、もういまさら切符見せてもらって、このテコでもどきそうもないおばちゃんたちにテコをきかせるのもメンドウなので、そのままに。親切な30歳ぐらいのイタリア女性には、悪いことしちゃった。多分彼女の言っていることは正しいんだろう。イタリア半島とシチリア島は狭い海峡で隔てられていて、その名もまさにStretto(ストレット。狭いという意味)というのだが、橋がかけられていない。この不便さは、Mafiaに牛耳られたシチリア島との行き来が、あまりに簡単にならないようにという政治的な配慮があると聞いたが、詳しいことは知らない。バスはフェリーに乗り、海を渡る。やはり時間がかかった。橋がかかれば簡単だろうに。上陸するとすぐにメッシーナの街に着いた。バス停は思った以上に淋しく、バーリ8:30→メッシーナ15:00 メッシーナ15:25→タオルミーナ16:09の乗り換え便がちゃんと来るのか不安に。切符売り場で聞いたら、「すぐに来る」とのこと。がらんとしたバス停で待つ時間は、かなり長く感じた。ユーロ紙幣・硬貨導入の直前のタイミングだったのだが、リラ(当時のイタリア通貨)は大変に安かった。円高だったというべきかもしれないが。メッシーナからタオルミーナまでのバス代は2人で600円ほど。つまり1人300円。バーリからメッシーナまでのバス代も6時間半乗って1人確か3000円ほどだった。その後イタリアは急激なインフレに見舞われたが、バスや鉄道などの公共料金はまだ、かなり安いと思う。
2009.01.13
最初にアルベロベッロを訪れたときに、欲しいと思ったものの、かさばるし、重いし、壊れやすそうなので、買わなかったトゥルッリの置物。今度は意を決して買うことに決めて来た。安価で手ごろな小さいものがお土産屋に売られているのだが、当然こういうものは質が低い。一方で、石職人(実際に屋根の修復を行う職人)が作っているトゥルッリの置物は、実際のトゥルッリに使われる石を使った本格的なミニチュア。どうしても本格的ミニチュアのほうが欲しくて、石職人のアトリエを捜し出した。しかし、実際に見てみると、やっぱり重そうで、壊れやすそう。「日本まで運んでる間に壊れそう」と職人兼売り子のおじいさんに言うと、「大丈夫! 壊れたらのりではりつければいいから! 本物もそうしてるよ」胸を張って、太鼓判を押してきた。そ、そうか。確かに素材は石だし、屋根が崩れたりしたら修復すればいいのネ。というワケで、買ったのがコレ。幅約20センチ、高さ約12センチ。価格8万リラ(約4,800円)。左の屋根の天辺が微妙に左に曲がっているのに気づきましたか? やっぱり壊れたので、修復したのです。まっすぐに直せなかったのは、ひとえに修復の腕の未熟さ。買い物も無事すませ、アルベロベッロを去るMizumizu一行。アントニオはふだんは超おとなしい紳士なのだが、ハンドル握ると人格一変。F1目指してるのかよ? ってなノリでぶっとばす。さすがモータースポーツの本場、イタリア。と感心するより、ハッキリ言ってコワイ。おまけにクルマの後ろに乗っていたら、グネグネした田舎道で酔ってしまった。とうとう耐えられなくなり、「気分が悪いから、ちょっととめて」とクルマを停めてもらい、休憩して、ついでに助手席のイタラと席をかわってもらった。さらに、5月とはいえ、30度を越す気温と強烈な南イタリアの太陽光を浴びて、イタラ邸に帰ってから気分が悪くなった。もともとちょっとした太陽アレルギーがあり、直射日光に長くあたると皮膚に湿疹ができる。家で具合悪そうにしてるMizumizuを見て、イタラが、「どうしたの?」と聞くので、「太陽に当たりすぎて、気分が悪い」と答えたら、「変なの」と怪訝顔。へ、変ですか?イタリアにだって熱中症とか日射病ぐらいあるだろうに。「太陽の国、イタリア」と言うが、5月の太陽ですでに具合が悪くなるヤワな日本人のMizumizuは、南イタリアではとても長くは暮らせない気がする。さて、ここでMizumizuファミリーの本の宣伝。気楽な母娘旅のパートナー、Mizumizu母が1999年に出版した「イタリア・プーリア州2人旅」。すでに市販はされておりませんが、直販は可能ですので、ご希望の方に販売いたします。定価:1500円(消費税・送料込み)。購入ご希望の方は、住所・氏名をお書き添えのうえ、メールにてお申し込みください。今回のMizumizuブログの旅はバーリからシチリアに向かいますが、「イタリア・プーリア州2人旅」は、その前の旅、文字どおりプーリア州をめぐる個人旅行のお話です。イラストもMizumizu母。イタラとの出会いの詳細についても綴られています。意外なイタラの年齢にビックリするかも? また、風光明媚なプーリアの街が写真つきで紹介されています。内容は…プロローグ――アルベロベッロのトゥルッリイタラ・サントルソーラ――ある出会い脚光を浴びる「国の恥辱」――マテーラの洞窟住居トマトつかの間の栄光――カステル・デル・モンテ白い宮殿――グロッテ・デ・カステラーナバロックのまち、レッチェなどです。
2009.01.12
アルベロベッロはプーリア州の小さな街。トゥルッロ(複数形でトゥルッリ)と呼ばれる特異な円錐形の屋根の住居建築で有名だ。まるでおとぎの国に迷い込んだようなファンタジックな景観が広がる。ここに来るのは2度目。最初に訪れたときは、トゥルッリにもまだ日常的な生活感があったが、あっという間にテーマパーク化されてしまった。生活するには、狭くて不自由なトゥルッロ。今ここに実際に住んでいる人はごくわずかだという。屋根に描かれたマークは魔よけだとか。今は、トゥルッリはほとんどがお土産屋になっている。あるお土産屋の女主人が屋根の上に登らせてくれた。木製の狭い梯子を登ると、屋根の上には案外広いスペースがある。屋根の上から見るトゥルッリ群は、なかなか壮観。アルベロベッロに行ったら、是非どこかの店で上に登らせてもらおう。屋根は、石を扁平に砕いて積み重ねる。16世紀には、家屋にかかる税をのがれるため、税の取立人が来ると、石を屋根からはずして、「これは家ではありません。だって屋根がないから」と言い張ったとか。おとぎの国のような風景だが、耕すと石灰岩がゴロコロ出てくる痩せた大地に乾いた気候――ここに住む農民はずっと貧しかったのだ。ところでこのアルベロベッロ小旅行。バーリからイタラのBFのアントニオのクルマで行ったのだが、朝時間通りに迎えに来たアントニオ氏にイタラったら…「なんて時間に正確なの! 正確すぎるわよ!」とどなりつけ(わたしらはまだ支度ができてなかったのだ)、ドアも開けずに外で待たせたのだった。すごいなァ・・・ イタリア女性追記:署名サイトへのご協力ありがとうございます。読者の方からのご指摘が多かった、「提出先」問題ですが、発起人のsindoriさんへ皆様の意見を伝えたところ、「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい!」については、テレ朝の他に、新聞社、JOC、IMG、「国別対抗戦反対」の方は、日本スケート連盟のほかに、新聞社、IMG、Olympusにも送付することが決まりました。詳しくは署名サイトをご覧ください。http://www.shomei.tv/project-603.htmlhttp://www.shomei.tv/project-608.html
2009.01.11
旅行ネタはちょっと中断させてください。フィギュアスケートの試合が終わったにもかかわらず、連日1万件近いアクセスをありがとうございます。フィギュアファンの読者の皆様のご意見を拝借したく、急遽フィギュアネタでのエントリーです。署名サイトにたくさんの署名をありがとうございます。賛同していただく方の人数の多さに、呼びかけたほうもビックリしているような状態です(わずか数日で1000名突破)。が、数名の方から、「テレ朝や日本スケート連盟に署名提出しても、もみ消されるだけでは」というご意見が寄せられています。特にテレ朝に対する視聴者の不信感は高いようですね。署名サイトのコメント欄を拝見しても、そのような意見がありましたね。「実際にテレ朝に抗議したが、まったく蛙のツラにションベン」とおっしゃる方もいます。またファンの方のご意見として、「国際スケート連盟にメールで抗議したいが、英語が書けない」とおっしゃる方も多いようです。実際には、自分の言葉で書くことが大事で、100%正しい英語である必要はないのですが、確かに英語で意見するのは日本人にはハードルが高いかもしれません。「署名プロジェクトの詳細」の立案にかかわったのはMizumizuなのですが、この内容を英訳し、Mizumizuが国際スケート連盟に送り、そのあとで拙ブログにのせ、賛同できる方が、個々人で「私はフィギュアスケートの1ファンとして以下の意見に賛同します」というような内容(これもこちらで英訳します)を文頭につけ、国際スケート連盟のCotact先にメールを送る、というようなことはどうでしょうか。国際スケート連盟のCotact先には名前とメールアドレスを入力して意見を送ることができるようになっています。文面は同じになってしまっても、送っている方が違えば、多くの意見であるということが国際スケート連盟にも伝わるかもしれません。個々人が自分で書いた英語を送るより、多少チェーンメールの匂いがあっても、この方法のほうが「意見を伝える」ということでは、効果があるかもしれません。これについて、皆さんはいかがお考えですか?賛成・反対(特に想定される問題点など)のご意見を募集しますので、メールでお寄せいただけませんでしょうか。「こうした方がもっといいのでは」というような意見でもかまいません。お待ちしております。Mizumizu拝
2009.01.10
21世紀に入ってまもないある年の5月。Mizumizuは母とともにシチリア個人旅行を計画した。旅の計画の立案に協力してくれたのは、イタリアはプーリア州バーリに住む友人のイタラだった。「シチリアに行く前に、絶対にバーリにも寄ってね」の言葉に誘われて、日本からローマに飛んだMizumizu&母は、南へ向うインターシティに乗り込み、バーリに向った。ローマ7:40→バーリ12:31プーリア州は長靴のカタチをしたイタリア半島の東南、カカトからふくらはきぐらいまでの部分にあたる。バーリは州都でアドリア海に面した都会。駅前には整備された新市街。イタラのアパルトマンは、駅から歩いて7-8分の目抜き通りにある。日本風に言えば「都会の一等地に建つ高級マンション」。新市街を抜けると細い路地の入り組んだ旧市街が広がり、観光スポットでもある聖ニコラ教会もこのエリアに。聖ニコラは、サンタクロースの語源になった聖人で、バーリの守護聖人でもある。ニコラ像の周りには花がいっぱい。聖ニコラ祭では、この聖人像がかつがれて街中をねり歩く。こうした聖人祭、日本人には、『ゴッドファーザー』の1シーンというと、イメージがつかめるかも。聖ニコラ教会の裏手では静かな時間が流れていた。鉢の置き方もなんとなく詩的夜はお祭りがあるというので、旧市街へお出かけ。「カメラを取られないように気をつけて」とイタラから厳重注意が。明るく近代的な新市街と朽ちたような建物の並ぶ旧市街では、そこに住む人々の生活レベルの違いがくっきり。新市街は別にフツーの都会の街だし、歩くには旧市街のほうがおもしろいのだが、イタラ曰く、「夜は私だって1人では歩かない」とのこと。イルミネーションの「門」が教会への道を飾る。神戸のルミナリエ? と思うかもしれませんが、場所は南イタリアのバーリです。こちらのイルミネーションのほうが、日本のこの手のイルミネーションよりずっと素朴。こちらもまるっきり東京ミレナリオの縮小版。もちろんイタリアのほうが元祖です。「このイルミネーション、ここでのお祭りが終わったらどうするの?」とイタラに聞いたら、「たぶん、たたんで次の街へ持っていくんでしょ」とのこと。イタリアの元祖ルミナリエ・ミレナリオは巡回方式だったのネ。<明日はバーリの近郊、アルベロベッロを紹介します>追記:引き続き、フィギュアに関する署名を募集しています。内容をよくお読みいただき、ご賛同いただける方は、署名をお願いいたします。署名の集まり方の速さに驚いています。いかにおかしなルールと選手を消耗させる商業主義にファンの怒りが高まっているか、如実に見る思いです。http://www.shomei.tv/project-603.htmlhttp://www.shomei.tv/project-608.html
2009.01.09
「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい」に、たくさんの署名をありがとうございます。1日もたたないうちにすでに350人以上の署名が集まっています。いかに今季の採点に疑問をもっているファンが多いか改めて実感しました。コメント欄に一言、思いを書いていただくのもよいことだと思います。引き続き、署名を募集していますので、ご賛同いただける方は署名をお願いします。http://www.shomei.tv/project-603.html今回のプロジェクトを立ち上げたsindoriさんから、新たな署名募集のメールが届きました。世界選手権の後、オリンピックシーズンに入った4月に行われる国別対抗戦などという無意味なイベントに、日本シングルのトップ選手の派遣を見合わせるよう要請するための活動で、今回の提出先は日本スケート連盟になります。浅田真央人気を当て込んだ商売であることはミエミエですが、私たちファンはこういう無意味なお祭りイベントより、選手のコンディションを何よりも大切に考えているということを伝えることが目的です。そもそも今の日本のフィギュア選手のスケジュールは過密すぎます。グランプリシリーズ、ファイナル、全日本、4大陸、世界選手権、その間にショーが入り、どのイベントでも選手は常に全力で、足を運んでくれるファンに満足してもらおうと頑張ります。だからこそ選手を、人気があるときに金稼ぎをさせる消耗品のように扱ってほしくありません。もう少し休ませてあげないと、ただでさえ短いフィギュアスケート選手の選手生命が、またもっと短くなってしまいます。こちらの署名は、以下からできます。http://www.shomei.tv/project-608.htmlあるいはこちらから。http://www.shomei.tv/→「呼びかけ一覧」→「フィギュアスケート国別対抗戦反対」ご賛同いただける方の署名をお待ちしております。
2009.01.08
読者の方からの呼びかけで、オンライン署名サイトの「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい! 」という署名プロジェクトの立ち上げに協力させていただきました。是非お読みいただき、ご賛同いただけるかたは署名をお願いいたします。今回の提出先は「団体戦」なる無駄な試合を放送する予定のテレビ朝日ですが、スケート連盟への要請としても文章が活用できると思います。諸悪の根源はなんといってもダウングレード判定。これには「回転不足ジャンプなのに認定されたりされなかったりする」という判定への不信感、および「ダウングレードされるとGOEでも減点となるため、失う点が多すぎる」という制度上の問題があります。この制度上の問題はもともとあったものですが、今季から判定が厳密化されたため、本来のジャンプの評価とかけはなれた点が頻出し、採点の正当性をゆがめています。もうひとつはGOEによる加点・減点です。GOEにからめた詳細説明の3のcがちょっとわかりにくいかもしれませんが、ジャンプの加点・減点については、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%B1%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AE%E6%8A%80%E8%A1%93%E3%81%A8%E5%BE%97%E7%82%B9をご覧ください。つまり、トリプルアクセル以外の3回転ジャンプはマイナス3からプラス3まで、GoEジャッジがつけた点がそのまま反映されてしまうため、「異常な加点」と見てる者が思う点数が与えられてしまうのです。一方でトリプルアクセルや4回転は減点が過剰(ジャッジがマイナス1とつけてもマイナス1.4、マイナス1.6というように減点される)なため、難しいジャンプを跳ぶ選手には不利になっています。一方で、2回転ジャンプは加点も減点も過小であるため、大きな影響がないのです。3回転ジャンプの加点・減点もこれ(2回転ジャンプの加点・減点の反映のしかた)にならうべきです。現在のアクセル以外の3回転ジャンプの加点・減点は、客観的であるはずの基礎点を匿名の主観点であるGOE点でないがしろにすることにつながります。それぞれのジャンプの質を評価して点に反映させることに反対はしませんが、程度の問題です。ダブルアクセルは加点のみ3回転ジャンプと同じくジャッジの点がそのまま反映されるのに対し、減点は2回転ジャンプに準じる程度に過小です。ですから、ダブルアクセルをきれいに跳ぶと、それよりはるかに難しいはずのトリプルループの基礎点である5点以上の点が与えられるなど本末転倒な現象が起こっています。こうした例は枚挙にいとまがありません。主観による加点・減点にこれほどの点数を幅を与えるのは、ジャンプの正当な評価という意味においてもきわめて不適当です。もう1つの問題点は、GOEや演技構成点を「誰が何点つけたか」が匿名で、公表されないことです。この不透明性がファンの不信感を招いています(参加したジャッジの名前自体は、技術審判、演技審判とも公開されています)。演技構成点も、匿名で採点が行われるため、特定の選手に対して他のジャッジとあまりにかけはなれた点をつけるジャッジがいるなど、責任をもった審査が行われているのかどうか、ファンは疑いの目を向けています。「誰が誰に高い点をつけ、誰が誰に低い点をつけたのか」を明確にすべきです。署名は実名のみですが、「匿名希望」にチェックしていただければ実名が公表されることはありません。署名サイトは・・・http://www.shomei.tv/の左端のカテゴリーの「その他」→タイトル「おかしなフィギュアスケートの採点をなんとかしたい!」です。あるいは、こちらから直接いけると思います。↓http://www.shomei.tv/project-603.html「そういうことして何になるの?」と思われるかもしれません。しかし、意見を伝えることはそれなりに意義があります。Mizumizuは昨シーズン、エッジ問題で、キム選手のフリップが中立に入るクセがあり、ときにアウトに入っていることもあるのでは、と疑いをもっていました。それを日本スケート連盟と国際スケート連盟にメールで意見しましたが、今季1度だけですが、違反判定がでました。曖昧なので、はっきりwrong edgeだとは言い切れないこともあるのですが、少なくともジャッジが注視するきっかけの一助にはなったかな、と思っています。私たちはできるかぎり客観的で正当だと多くの人が納得できる採点の競技を見たいだけです。今のフィギュアの点の出方は誰が見たって異常です。
2009.01.07
時計というのは、お手ごろな価格の日本製クオーツが一番よく働く。しかし、スイス製のデザイン性の高い時計も捨てがたい魅力がある。というワケで、気がつくといろいろ買っていたりするのだが、Mizumizuが所有した時計で一番の困り者がロンジンの超薄型文字盤のクオーツ時計だった。写真一番左がそれ。まん丸いゴールドの文字盤は厚みがわずか4ミリ。時間を示すインデックスはシンプルな細いライン。クロコの濃紺の革バンドとの組み合わせはとてもエレガント。余計なものをそぎ落としたようなデザインが非常に気に入って買ったのだが、「薄いから電池はわりと早く切れます」と言われたとおり、すぐに止まってしまうのが難点だった。そのうえ、使ってるうちにどんどん電池切れの間隔が短くなる。薄型の特殊な時計ゆえか、電池代も高い(高かった)。ロンジンを扱っているショップに持っていったり、デパートの修理コーナーに行ったりしていたのだが、時間もかかり、預けてから別の日にまた出直さなければならない。そのうちに、電池を交換してからしばらくしまっておくと、使う前にもう止まってるというような異常な状態に。デパートの修理コーナーにいた職人さんに話を聞くと、中の部品を新しくすれば、長持ちする新しい電池が使えるようになると言われた。どうもよくわからない話で、内心、それってつまり、ムーブメント自体に最初から不具合があったってことじゃないの?と思ったのだが、こんなに電池切れが早いんじゃやってられない。数万かけて部品を入れ替えてもらった。で、最近はあまり腕時計をして出かけない。そもそも出かける時間もなく仕事に追われまくっている。たまにでかけても、携帯電話に時計がついているので、腕時計はなくてもいい。気がつくと、家中の腕時計が止まっていた!(笑)写真はそのうちのいくつか。左からロンジン、4℃(アクセサリーブランド)、クルマ屋さんからもらったノベルティグッズ、一番右が連れ合い所有のセイコー。これだけバラバラだと、時計を売ってるショップに持っていっても、「これはできますが、これはお預かりになります」などとメンドウくさい。修理を専門にやってくれるプロの店が近くにないかな~と思っていたら…あるじゃないの!家から徒歩10分の西荻窪の街角に。いつできたんだろう? 最近まで気づかなかった。で、写真一番右の時計は、連れ合いのなのだが、ブレスレット部分のパーツを細いピンで留めてつなげているのが、ピンがはずれやすくなってきたと、これまた困っていた。Mizumizuのいろいろなブランドの時計と、セイコーのブレスレットのピンの修理を一挙に頼んでみたら…「ハイ、すぐできます」と心強い返事がソッコーで返ってきた。しかも…聞いてたまげるほど安い!http://padonavi.padotown.net/detail/pages/1109/00000905000.html↑ここのお店紹介に載ってる料金ほぼそのままで、薄型ロンジンのような特殊なものも、「預かり」ではなくすぐその場でやってくれた。ピンの交換もその場でチョイチョイ。あっという間に直してくれて、古くなってサビの入ったピンを見せてくれ、「こんな感じになっていたので抜けやすくなっていたんだと思います。ピンを1つ1つ押してみて、緩そうなのだけ新しいのと交換しました」と作業の説明もバッチリ。でもって、これまた「そんな値段でいいんですか?」というぐらい安い。工房には3人スタッフがいて、1人はお年のベテラン。あとは30代ぐらいの若手の職人が2人。ルーペを額にくっつけて(作業中は目に移動)、いかにもデキそうな感じ(笑)。ロンジンの薄型時計の電池交換には過去、毎回毎回そーとーなお金を払っていた。あれは何だったんだ。電池交換のあまりの安さと速さに驚いて、「大丈夫なんだろうか、そんなに安くやって」と返って心配してしまったのだが、ここはやっぱり、どちらかというともっと手の込んだマニアックな時計、つまり機械式時計のオーバーホールを請けていきたいんだと思う。店の紹介を見ても、地方発送の準備などしている。オーバーホール以外にないよね、これは。ちょうど連れ合いはブライトリングの機械式時計など持っている。そして、オーバーホール代にビビってあまり使っていない(笑)。オーバーホールの腕前はまだ拝見していないが、頼んでみて後悔することはなさそうだという気がしている。ブライトリングを頼む前に、調子の悪くなってきたレビュートーメンのクリケットのオーバーホールを頼んでみようか、と連れ合いが言っている。店に行ったとき、ちょうど彼が腕にはめていたのだが、「こういうのもできますか? 実はこのごろ…」と、調子の悪いところを説明したら、「あ、それは…」となぜ調子が悪くなっているのか、予想されるムーブメントの機能劣化について軽く説明してくれ、こちらが言う前から、「クリケットなら修理できますから」とモデル名をあっさり言い当てていた。小さな店の中はまさしく時計職人の工房そのもので、余計なものは何もおいていない。「お休みはいつですか?」と聞いたら、「え、あのぉ~」と口ごもって、「決めてないんです。今のところ適当」なんて、正直に言うところが、ゆる~い街・西荻の店らしくて笑ってしまった。西荻は、吉祥寺の一駅隣りだが、ディープでマニアックな店がある反面、とってもゆるい。お昼開店の店に正午に行ってもまだ開いてなかったりと、適当なところは、イタリアそこのけ。この時計修理工房も商売っ気があまりないのが心配だが、ガツガツしなくても、いいモノ・いいサービスを売ればやっていける(儲かってるかどうかは…どうかなぁ。あんまり儲けたがってる人もいない気がする)、つまり目の肥えた地元民が多いのがこのあたりのいいところ。こういう職人の店こそ長く生き残ってほしいもの。どんな時計でもすぐ電池交換してくれるだけでMizumizuとしてはかなりハッピー。心強いパートナーを見つけた気分だ。
2009.01.06
読者の皆様へ:拙ブログはリンク・フリーです。リンクを貼るのにMizumizuの許可などは不要です。どうぞご心配なく。「若者の住みたい街」で1、2位を常に争っている街、吉祥寺。ここで飛び切りの紅茶を飲ませてくれる喫茶店がある。それがGclef。茶葉の販売も手がけているようだが、Mizumizuはもっぱら喫茶店にお世話になっている。中でも最高に気に入っているのが、「アニスのミルクティー」。アニスとはスターアニスのこと。中華風に八角とも言われるが、そう言うと急に「どすこ~い、どすこ~い」のスモウ親方に(苦笑)。一方、「レオナルド・ダ・ビンチに愛された美少年・サライがアニス風味の砂糖菓子を好んだ」と紹介すると、急に禁断のオシャレ味にグレードアップ(レオナルドとサライについてのエピソードについては、拙ブログ2008年2月1日「快楽と苦痛の寓意」のエントリーご参照ください)。禁断のオシャレ味ってのが何なのかはともかく、スターアニスがどこかオリエンタルで、個性的な芳香を漂わせていることは確か。受け付けない人はまったくダメだろうけど、はまるとどうにも離れがたくなる。吉祥寺のGclefは、駅から徒歩5分ほど。第一ホテルの裏の路地にあり、いつも若者で賑わっている表通りとは打って変わって静かな界隈。ひっそりとしたロケーションにもかかわらず、極上の紅茶を求めてお客はひきもきらず。店内は古びたブリティッシュスタイルで雰囲気満点。客席が少ないので、満席で待たされることもしばしば。決して安い喫茶店ではないが、味わえる贅沢感と秤にかければまったく高くはない。だから、人が来る。そして、ここのもう1つの名物が焼きたてのスコーン。スコーンを目当てに来るお客さんも多いらしい。Mizumizuもその1人。スコーンぐらい自分で作ろうと思えば作れるし、実際、以前はよく作っていた。でも、今は仕事も忙しいし、もっぱら食べさせてもらう派に。少し酸味のあるクロテッドクリームに、選りすぐりのプリザーブ(ジャムのこと)をつけていただく。プリザーブはイギリス直輸入で、グレートテイストアウォードというイギリスの権威ある食品コンテストで数々の受賞歴を誇るメーカーのものだとか。種類も豊富でストロベリー、ラズベリー、ブルーベリー、マーマレード、レモンなどの中から選べる。プリザーブに関しては、どうもMizumizuには味の違いがよくわかりません。Gclefは茶葉と同時にプリザーブも販売してるので、やや宣伝くさい気も… もちろん、甘さがくどくなく、果実の食感も残っている美味しいジャムだとは思う。でもじゃ、アオハタとどんだけ違うかと言われると…(苦笑)。亡父がイギリスに住んでいたことがあるので、あの国の食のレベルは身にしみてるが、そこで権威ある食品コンテストと言われてもねぇ、むにゃむにゃ… それにイギリス人は元来非常にケチ、お高いジャムなんて食べないよ。スコーン自体の味は非常にいいと断言できる。さっくりした歯ごたえに、バターの風味も上質でさわやか。スコーンは焼きたてが命なので、毎日焼きたてを出すという店の姿勢には拍手。注文してから少し待たされることもあるが、待つ価値あり。Gclefは高円寺にもショップとカフェを出していて、こちらにお邪魔することもしばしば。高円寺のカフェはイートインに近く、喫茶店の雰囲気を味わうなら断然吉祥寺だが、吉祥寺店は場所自体は辺鄙で、「Gclefを目指して行く」という感じ。高円寺店のほうは商店街の中にあり、買い物ついでにちょっとお茶でも、といった地元の女性客が多い。こちらもいつも混んでいる。店内には紅茶関連の雑誌や書籍がずらり。不況で閉店に追い込まれる飲食店が多いと、今日ニュースでやっていたが、どうもつぶれてる店のオーナーは、「客の単価はXX円ぐらい。コンセプトは○○で。材料調達はこうやってコストを抑えて」と理屈から入って商売しようとしている人がほとんどだった。つまり、自分が売ろうとしているモノに必ずしも思い入れや愛情があるわけではないということ。Gclefは間違いなく、「紅茶が好きで好きでたまらない人が作った」店だと思う。こういう店のほうが、結局は不況にも強い。<追記>高円寺店ですが、隣接するスナックから出た火事のトバッチリにより、2階半焼、1階の店舗も延焼および消火活動にともなう放水などの影響で内装と商品に甚大な被害が出て、2009年1月12日現在、営業再開のメドは立っていないとのことです。
2009.01.05
Mizumizuが起業して4年。それまで個人事業主だった身には無縁だった「法人税」という枷がはめられるようになった。公共性の高い大企業のことは知らないが、個人・家族レベルでやっている会社が決算期に考えることはだいたい次のどちらか。(1)なんとか黒字決算にして、銀行からの融資を打ち切られないようにしないと。→赤字の会社、それも中小となると銀行はお金を貸してくれないのだ。(2)個人レベルでやってるのに、法人税まで払えるか! それでなくても所得税を払っているのに。大赤字はまずいけど、なんとかギリギリ赤字にしたい。これが会社がもっと大きくなり、株式公開したりすると、「粉飾決算しても儲かってるフリして株価をつりあげよう」とどっかの誰かのような発想になる。みんながみんなそうではない(と思う)が。で、Mizumizuのような、連れ合いと外部のフリーランスの仕事仲間とで、ごく小規模にやってる会社の場合は、(2)のような発想になる。仕事は相変わらず忙しい。合間にパソコンに向って「弥生会計」で決算書類の準備をする(会計のコなんか雇える余裕もないし、そもそもそれほどの規模じゃないのだ)。決算月の2-3ヶ月前から、「赤字になるのか黒字になるのか」予想するために、売上と経費をパチパチ入力して、その場でバランスシートをチェックする。今期はどうやら、黒字になりそうだ。黒字だと法人税を払わないといけない。赤字でも「均等割り」とかいう税金がかかってくるが、まあそれは会社ですもの、仕方ない。黒字決算をしたい会社というのは、上にも書いたように銀行からの融資が必要な会社。ウチは融資が必要ない文筆業の人間が作った会社。だから、勢い発想は…黒字になって法人税払うより、経費で何か備品を買おうという健全(←ホントにけんぜんか?)なものになる。ところが!毎日毎日忙しい。注文は次々入ってくる。モノを買いに行く暇もない。せいぜい気晴らしにブログを書くぐらい。非常に忙しいときなど、ボールペンが全部切れてしまい、困った。100円ショップで数本まとまって売っていたボールペンだったのだが、書きにくいのなんの。もう100円ショップでボールペンを買うのはやめようとかたく心に決めた。で、駅前の文具屋まで行けば、もっと高価(??)なボールペンがいくらでもあるのだが、それを買いにいってるヒマさえなかった。日中は時間単位で納期に追われるから、家から一歩も外に出られないこともしばしば。ようやく夜になって仕事が片付くともう店は閉まっている時間。やっと日中に外に出る時間を見つけ、1本170円の高価な(苦笑)ボールペンが買えたときは、感動しちゃったもんね。か、書きやすい!こんな、ボールペンさえ買いに行く時間がないほど、納期に追われまくって必死こいて働いてる小庶民から、まだ法人税を取るのというのかね!といわれのない怒りに震えるMizumizu。もちろん、会社組織だから、自分の給料にかかる所得税はキッチリ払っている。このままムザムザ法人税を払うより、やっぱり何か大きい備品を買おう!しかし、何買えばいいんだろう?業務に必要な消耗品を経費で買う場合、大きな(ってことはないが)落とし穴がある。それは…30万以上だと一括で経費で落とせないのだ!いわゆるひとつの、減価償却というやつね。何も知らない人のために、ごくごく簡単に説明すると、たとえば50万の「何か」を買ったとする。その「何か」には耐用年数が定められていて、たとえばその耐用年数が5年だとすると、その「何か」を経費として落とせる額は、50万を5年で割ったものになる――というような考え方。実際にはもうちょっと複雑で、すっぱり50万÷5年=10万(1年に落とせる経費)にはならないのだが、まあ考え方としてはそういうことだ。だから、儲かったからと言って高い備品を買っても、1年の経費で落とせる金額は案外少なくなってしまうということ。これが30万より少ない額のものなら、一括で経費で落とせる。このまま黒字になりそうだとわかった決算月の数ヶ月前、いろいろ考えてブルーレイのDVDレコーダーを買うことにした。これなら業務に必要だし、30万以下で買える。で、忙しい合間をぬって量販店に見に行き、ちょうど29万ぐらいのを見つけた。スペックも文句ないので、「よっしゃ、これだな」とアタリをつける。さて、決算月に入った。ちょうど30万弱ぐらいの黒字になりそうなので、29万の消耗品を買えば、まさにピッタリ赤字になる。ふふふ、なんてうまくいってるんだろう。やっぱり日ごろの行いがいいせいかしら。とすっかり悦に入って、同じ量販店にいよいよ買いに行ったら…あ…ちょっと前に見た製品より、さらにスペックのいい新製品が出てる。しかも、22万!ちょっと前より7万も安くなってしまった。その上のグレードになると30万を超えてくるし、そこまでのが欲しいとも思わない。ふつうなら安くなってウレシイはずなのに、Mizumizuのアタマをよぎったのは、が~ん、これだと8万の黒字だ。税金だ(←払えよ、そのくらい)。払いたくない!それで、急遽ブルーレイのDVD買ったり、書籍を買い揃えたり始めるMizumizu。しかし、案外8万に届かないのよね、この手の小さなものって。四苦八苦して業務に必要な小備品やこれまで買わずにいた資料などを買い揃え、弥生をパチパチやって、とうとう数千円の赤字になった!やった!そしていよいよ決算。友人兼顧問税理士のI氏に、こちらで入れた決算データを送り、「赤字が数千円と微妙なので、もし入力ミスなどあって黒字になるようだったら、あらかじめ教えて」とメールを書いた。「わかりました」と優等生の返事。ところが!1ヶ月たっても1ヵ月半たっても、正式な決算が終わったという連絡がない。もしかして、忘れてる?不安になったMizumizuはメールで友人兼顧問税理士のI氏にメール。「決算はまだ? そろそろ法人都民税払う期限じゃない?」すると、その翌日か翌々日に、「遅くなりました。決算終わりました」とデータが送られてきた。やっぱり忘れていて、慌ててやったなぁというのがバレバレな対応。しかも、数千円の赤字だと思っていたら、「最終的に35万の赤字でした」って…ええ~!どうやら、こちらの入力にどこかミスがあったらしい。黒字になってしまうよりは、マシ(ましか?)だが、35万もの赤字とは予想外。なんのために、ブルーレイのレコーダーを買ってしまったのだ?サラリーマンが「会社の経費で」何か落とすと言ったら、使った金額を返してもらえるということだが、自分で会社をやってる人間は、単に使った金額が「経費として計上できる」というだけで、サラリーマンのようにお金が返ってくるわけじゃない、当然だけど。「欲しがりません、黒字になるまでは」のよいコのMizumizu、ガッカリ。別に古いレコーダーでもよかったし、無理して今期に買う必要もなかったのに。もうちょっと待てばもっと安くなっただろうに、ブツブツ。会社の利益の調整とはかように、うまくいかないというお話でした。ちゃんちゃん。
2009.01.04
<きのうから続く>浅田選手はグランプリ・ファイナルでは最初の3A+2Tと3Aを「誰も文句つけられないぐらい完璧に回りきって」着氷も決めた。「ちょっと回転不足気味なジャンプ」が認定されたりされなかったりといったグレーゾーンはあるが、ここまでピタッとおりれば、ダウングレードされることはない。「疑惑の判定」はあくまで、足りてないのに認定されたり、スローで見てもわからないくらいなのに認定されなかったりすることだ。で、全日本ではこの2つのトリプルアクセルが「ちょっとだけ回転不足」でダウングレードされた。そうなると実際に点数がどうなってしまうか見てみよう。(グランプリ)3A+2T 基礎点9.5 (GOEプラス2が1人、プラス1が6人、ゼロが2人) 得点10.3点(全日本)3A(<)+2T 基礎点4.8 (GOEでマイナス1が6人、マイナス2が1人) 4点つまりこの1つの連続ジャンプでファイナルのときより6.3点も下がった。(グランプリ)3A 基礎点8.2 (GOEプラス2が3人、プラス1が5人、ゼロが1人) 得点9.6点(全日本)3A(<) 基礎点3.5 (GOEでマイナス1が6人、マイナス2が1人) 2.7点この1つのトリプルアクセルでファイナルのときより6.9点も下がった。合計で13.2点も下がった!つまり、このファイナルのように「もうちょっとだけ回って」完全に回りきっていれば、13.2点上がり、単純にいって130.35点(117.15+13.2)という点が出たのだ。これは後半の3F+3Loのダウングレードはそのままだ。つまり、後半の3Loをダウングレードされても、3Aを2つに、後半の3Fだけを決めてもそのくらいの点が出るということ。しかもこのときはサルコウを失敗している。この計算はファイナルの点にも当てはまる。ファイナルのフリーの点は123.17点だったが、後半の3F+3Loの3Fでコケたため、この部分の点は3F(<)基礎点1.87(←これが2Fの基礎点)、GOEは全員マイナス3で点が0.87点。ここから最後のマイナス1がくるから、マイナス0.13。マイナス点なのだが、まあ、単純にゼロ点として、この微妙にマイナスのゼロ点ジャンプを含んでの点が123.17点。3フリップだけを決めていれば、基礎点の6.05点(フリップの基礎点は5.5点、後半に跳ぶと10%増し)が入る。実際に決めれば加点も入るので、実際はもっと点が出る。単純に基礎点の6.05点を123.17点に加えれば、129.22点。ほら、やっぱり130点近いでしょう?トリプルアクセルを2度決め、後半に単独3フリップだけでも入れれば、国際大会での基準でも130点近くは出るプログラムだということだ。3F+3Loの3Loをダウングレードされたり、失敗して1Fになったりすると、かえって3F単独のジャンプのほうが加点もつきやすいから点数は出たりする。だが、浅田選手はどうしてもここに3Loをつけたいのだ。なぜか?キム選手がセカンドに2度3トゥループを跳ぶからだ。一方、浅田選手がこの後半の3Loを省いてしまうと、結局3回転+3回転のないプログラムになってしまう。基礎点からいったら、5回転半にしかならない3A+2Tより、点数が高いのだ。昨シーズンまではこの3F+3Loは、キム選手の3F+3Tに対抗する連続ジャンプとして使い、成功すれば大きな点数を稼ぐ強い武器だった。昨シーズンの世界選手権でのショートの連続ジャンプを見てみよう。浅田選手 3F+3Lo 基礎点10.5点、ここに加点がついて12.07点(加点1.57点)キム選手 3F+3T 基礎点9.5点、ここに加点がついて11.36点(加点1.86点)わかりますか? キム選手というのは「加点が命」の選手。しかもこの3F+3Tが最大の武器だ。ここで11.5点前後などという破格の点数を稼ぎ出す。だが、その「最大の武器」も、浅田選手に3F+3Loを跳ばれてしまっては、いかに加点を大盤振る舞いでもらっても、絶対に勝てない。キム選手だけではなく、セカンドに3Tを跳ぶ選手は、コストナー選手。それにカナダのロシェット選手もまだ試合では成功していないが、用意している。彼女たちにとっても同じことなのだ。あとはトップ選手とはいえないが、レピスト選手も3トゥループ+3トゥループをもっている。だが、それも浅田選手と安藤選手に3ルッツ/フリップ+3ループを跳ばれてしまっては、手も足もでない。だったらどうするか? 決まったジャンプも決まってないことにすればいいのだ。ループとトゥループを比較した場合、当然ながら簡単なトゥループのほうが完璧におりやすい。ジャンプの難易度は難しいほうからアクセル→ルッツ→フリップ→ループ→サルコウ→トゥループだからだ。セカンドに3ループが跳べる安藤選手と浅田選手は、以前は3トゥループを跳ぶ必要がなかった。より基礎点の高いループを強化すればいい。だから、彼女たちはセカンドのトゥループに力を入れなかったのだ(浅田選手は今季は入れていないが、昨季は入れていた)。浅田選手はトゥループのほうがセカンドにつけると回転不足になりやすかった(去年は)。逆に3F+3Loについては、昨シーズンまでは、「しっかり跳べば認定してもらえる」と浅田選手は思っていたはずだ。ところが今シーズンは、認定されて12点もの点になっていた3F+3Loの3ループがまったく認定してもらえない。今季成功した(そしてダウングレードされた)浅田選手の3F+3Loは、どれも去年認定してもらって加点をもらったものより完成度が高い。リンクサイドのプロ中のプロ、タラソワ・コーチでさえ「クリーンにおりた」と思っているはずだ。だが、セカンドに跳ぶ2ループというのは、肉眼では見えなくても、どうしても小さなキズ――角度をかえてみれば、常にちょっとだけ足りない――がつきまとうのだ。それがスローで再生するとわかってしまうというわけ。オーサーがたった1度認定された安藤選手のセカンドの3ループをスローでコマ送りさせて、「ほら! 足りてない!」と勝ち誇っている映像をご紹介したが、肉眼ではわからない不足が、どうしてスローを再生させる前からオーサーには察しがついていたのだろう? 恐らく彼は知っているのだ。セカンドの3ループというのがスローで見れば、そう見えるジャンプだということを。それを狙って今季厳しくしてきたんだから。彼はキム選手がwrong edge判定されたとき、「お友達を通じて、非公式に抗議する」と言った。そのお友達というのが、カナダ人の例の有力者。思い出してください、今季のNHK杯のショート。浅田選手のセカンドの3ループを、解説の荒川静香が「見てみましょう」と角度をかえたスロー再生を見て、「大丈夫そうですね」と言っている。あれが、昨季までの、普通のプロの感覚だったのだ。それが今季からクレイジーな感覚になった。安藤選手もそう。彼女は3ルッツ+3Loで12点前後の高い点を稼ぐ選手だった。ところがダウングレード判定になると、それがいきなり6点、7点と下がってしまうのだ。今季のグランプリ・ファイナルのショートでのキム選手と浅田選手の連続ジャンプの点を見てみよう。このとき2人とも見た目にはクリーンに連続ジャンプを成功させている。浅田選手 3F+3Lo(<) 基礎点7点、ここから減点されて5.2点(減点1.8点)キム選手 3F+3T 基礎点9.5点、ここに加点がついて11.5点(加点2点)これがショートでの点が僅差でキム選手のほうが上になった、すべてのカラクリといっていい。世界選手権では勝っていた点が、回転不足判定によるダウングレードで、いきなり大負けになる。お互いに成功させた(ように見える)連続ジャンプ、それも自分のほうが難しいジャンプを跳んでいるのに、6.3点もの差をつけられては、「相手が相当失敗してくれない」と太刀打ちできない。そしたら、ショートでキム選手が得意のルッツでスッポ抜けをやったのだ。だから僅差で助かった。このカラクリがわからない素人は、ファイナルのショートで、「明らかにジャンプを1つ大失敗した」キム選手が、「ノーミス(に見える)」浅田選手に僅差で勝ってるのをみて、ビックリする。そこで、わずかな演技構成点までもちだして、「キム選手は、ジャンプの失敗をおぎなえるほど芸術性が高い」などというトンデモな論評がはびこる。あるいは「キム選手は審判を買収して高い点をもらっている」という噂話が広まる。「回転不足はダングレードせず、GOEでの減点のみに留める」というまっとうな方法なら、こんな点差はつかない。つまり回転不足の3回転ジャンプは、「2回転の失敗(まわりすぎた2回転)」ではなく、あくまで「3回転の失敗(足りなかった3回転)と考えるべきなのだ。つーかさー、ふつう誰だってそう考えるでしょ。だから回転「不足」というのだ。ふつうじゃない理屈をつけてダウングレード判定を導入したのは、すでに何度も説明した「4回転を規制するため」だった。まっとうな、「回転不足は3回転の失敗、だからダウングレードはせず、GOEでの減点だけにする」とどうなるか?浅田選手 3F+3Lo 基礎点10.5点、ここからGOEで、たとえば1.5減点されたとしても9点キム選手 3F+3T 基礎点9.5点、ここからGOEで、たとえば1.8点加点されたとしても11.3点これなら2.3点の差。このくらいなら、浅田選手のループには「回転不足がありましたから」といわれれば、見てるファンもそれほど違和感はないはずだ。まさか、同じように決めてるように見える1回の連続ジャンプで、加点・減点も含めると6点も7点も違っているなど、ふつうは想像もしないだろうと思う。その想像もできない減点をしてるのが、今のダウングレード判定なのだ。回転不足というのは、肉眼ではわからなくても悪いジャンプには違いない。だから減点されることは当然といえば当然なのだ。問題はその程度だというのは、このことを言っている。ジャンプが不足気味になりやすい若い選手にも影響は甚大だ。アメリカの長洲未来選手は昨季の世界ジュニア選手権では162.89点を出したのに、今季のNHK杯(全日本で女子のスペシャリストをつとめた天野氏がアシスタントスペシャリストだった)で124.22点!。40点近くも下がってしまったのだ。もはや笑うしかない。ジャン選手もジャンプをあっちこっちダウングレードされるので、のびざかりのはずが、今季はいきなり弱くなった。アメリカというのがまた、有色人種(アジア)系の選手と白人の選手が強いと、必ず白人の選手を「あげ」ようとする。あるいはアジア系の選手を「さげようとする人が多い」というべきか。さんざん「フィギュアは表現力」と言っていたくせに、中国人系のクワン選手のライバルとして若い(ほとんど幼児体形だった)リピンスキー選手が出てくると(それもちょうどプレオリンピックシーズン)、あの回転不足気味の3ループ+3ループを高く評価し、クワン選手はリピンスキー選手に負け続けた。クワン選手は「ミス・パーフェクト」と呼ばれ、3+3はないものの、フリーでは2つのルッツを含めた5種類のジャンプを安定してすべて決めることができ、表現力に高い評価が与えられる選手だった。そこに3+3を跳ぶ若い選手が出てきたら、いきなりそのジャンプをやたらと評価したのだ。フィギュア・スケートの採点というのは、こういう世界で行われているということだ。<フィギュア・ネタはいったんここで終わりにします。明日からは、お気ラク日常ネタ、美味しいものネタ、旅行ネタなどに戻ります。よろしければ、また気晴らしにのぞきに来てください。では、みなさん、4大陸選手権での日本選手のよい演技に期待しましょう。浅田選手には休んで欲しいですが>
2009.01.03
<きのうから続く>グランプリ・ファイナルを見てください。なりふりかまわず判定基準を変えて必死こいて日本女子を「さげ」ようとしてるのに、結局ヨーロッパの選手(何カ国あるんだか、まったく)は1人しか入ってこなかった。判定の厳しさにみんなビビってしまってミスばかりするからだ。日本からは3人も出てる。キム選手のコーチがオーサーが、「日本の選手の点は高すぎるわよッ!」と叫べは、プロトコルを分析できない日本人以外の素人なら真に受けて、「そうなんだ。日本の女子って不正に高い点をもらってるから強いんだ」などという事実とまったく違うイメージが世界に定着してしまうかもしれない。回転不足判定されるとたいていの場合、「回りきっての転倒」より低い点になるなんて、素人は誰も想像していない。そして、それが他国の選手には跳べない「トリプルアクセル」「4回転サルコウ」「セカンドのトリプルループ」にとっていかに大きな壁となって立ちふさがるか、日本のメディアでさえ、まるで示し合わせたように黙っている。ようやく「回転不足判定があり…」ということは、日本の新聞も書くようになった。だが、それがまったく理屈のとおらないひどすぎる減点になることはなぜか誰も追及しない。それどころか、「浅田真央は3回転+3回転を過去の試合ではいずれも失敗」なんて書いている。確かに自爆やフリーでのコケもあったが、「どうみたってきれいに決めたように見えた」NHK杯やグランプリ・ファイナルのショートの3+3Loの3Loを回転不足判定で「2回転の失敗」にされていた、ということまでは書いていない。そして、冴えたるものが今回の全日本のフリー。浅田選手は「ダブルアクセルを2度も失敗し、3フリップにダブルループをつけて失敗する選手」にされてしまったから、ルッツもフリップも跳べない武田選手の技術点とどっこいどっこい。ね? 国際スケート連盟の黒い意思がわかりましたか? つまり、武田選手と同レベルの女子選手なら、ヨーロッパにもいるのだ。彼女たちは、マトモなルールでは浅田選手には絶対に勝てない。だが、難しい、苦手なジャンプを回避してミスなくまとめて(きれいに決めれば加点がつくから、リスクをおかして失敗する可能性のあるジャンプに挑戦する意味はないということ)、ジャッジが浅田選手のトリプルアクセルと3ループを計3つダウングレードしてくれれば、あ~ら、不思議。みんな浅田選手と同じ点が出る!まさにミラクル・ルールのダウングレード判定。特にセカンドの3ループをダウングレードされるのが、浅田選手にとっては致命的ともいえる痛手になるのだ。なぜか?単純に基礎点の問題。トリプルアクセル+ダブルトゥループは基礎点が9.5点。これがダウングレードされると基礎点4.8点。ここからGOEで減点されるから4点前後にしかならない。つまり一挙に5.5点もの点がなくなる。トリプルフリップ+トリプルループは基礎点が10.5点。難度から言えば3A+2Tのが難しいが、単純に3回転+3回転は6回転、3回転半+2回転は5回転半なので、その分点が低い。フリー後半にとぶ3F+3Loは、基礎点が10%増しになるので、5.5点(3フリップ)+5点(3ループ)=10.5点x1.1=11.55点もある。3ループが認定されさえすれば、この点が入るし、たいていの場合加点になる。ところが、3ループが回転不足となると、基礎点が5.5(3フリップ)+1.5(2ループ)=7点x1.1=7.7点に下げられ、そこからGOE減点(2回転ジャンプの「失敗」だから)がくる。今回全日本でGOEジャッジの減点は控えめだったから、浅田選手のフリーのこの連続ジャンプは結局6.5点という点になったが、国際大会のGOEジャッジはもっと辛辣だから、点はさらに下がる。単独の3フリップだって後半に1つ跳べば5.5x1.1=6.05点。ふつう決めればこれに加点がつくから、結局連続ジャンプを入れた意味がないということになる。GOEジャッジの減点のつけ方によっては、単独より悪い点になる。ここでもやはり、11.55点の基礎点に対して約5.5点なくなるということになる。3A+2Tと後半の3F+3Loの2つの連続ジャンプをダウングレード判定されるだけで、一挙に11点以上(以上、というのは、決めればたいてい加点がつくからだ)なくなっているということだ。単独の3Aまでダウングレードされるともっと失う点は多くなる。「3回転ジャンプで回転不足判定されるより、2回転ジャンプをきれいにきめたほうがいい」というのも、たとえば3F+2Loの基礎点が7.7点でも、3Loが回転不足と判定されるとここから減点になるのに対し、もともと2Loにしておいてきれいに決めれば、ここから(たいていの場合)加点されるからだ。その判定が、「肉眼ではきれいにおりているように見えても、スロー再生で見るとちょっとだけ足りない」ジャンプにジャンジャン下されているのだ。誰が考えたってクレイジーでしょ? この採点。スローで見ないとわからないような3回転ジャンプの回転不足まで、「2回転ジャンプの失敗」などと強引なことを言っているんだから。すでに書いたように、もともとはこれは男子の4回転を規制したくて入れた理論だ。男子は、どんどん大技に挑戦する選手が増え、4回転を跳ばないと勝てないような状況になり、それとともにトップ選手が次々悲劇的な怪我で選手生命を絶たれるという事態に陥った。ところが、このダウングレード判定、2季前から、むしろ女子の3回転ジャンプを「さげ」るために利用されるようになり。今季からは、いよいよ「安藤・浅田選手には勝たせない」という黒い意思が、これ以上ないくらい明確になった。安藤選手、浅田選手(そしてジュニアの世界トップになったアメリカのフラット選手)は、セカンドに3ループをつけられる世界で稀有な存在なのだ。2季前に安藤選手が世界女王になったのは、女子では最高難度で、安藤選手しか跳ぶことのできない3ルッツ+3ループをショートでもフリーでも決めたからだ。だが、安藤選手にせよ、浅田選手にせよ、セカンドの3ループというのは、常にちょっとだけ回転不足になる。そこに目をつけた誰かが、手を回したということだ。このルール基準運営の変更が狡猾なのは、オリンピックのプレシーズンである今季にいきなりものすごく厳しくしてきたということだ。これが最初から、それでなくても数年前からであれば、セカンドを3トゥループにかえて強化するなど、対策は十分取れた。だが、もうオリンピックは次のシーズン。いまからセカンドを3トゥループに変えて完成させるのは、非常に難しい。浅田選手はもともと昨シーズン3F+3Tをやっているから、できるかもしれない。だが、それは、彼女にとっての大きな武器を放棄して、わざわざキム選手には質の面の評価で負けるとわかってる技に落とすことを意味する。浅田選手がなんとしても、3F+3Loでこのクレイジーなルールを正面突破したい(つまり3ループを完璧にクリーンにおりること)のは、3F+3Loのほうが3F+3Tより基礎点が高いため、認定さえされれば、キム選手に対して優位に立てるからだ。安藤選手は浅田選手以上に難しい3ルッツ+3ループを武器にしてきた。これで12点以上の点を稼いできたのが、アメリカ大会ではダウングレードにGOE減点で6.5点。基礎点が下がることに加えて、加点と減点の幅もあるから、一挙に6点以上の点を失うのだ。一方のキム選手は、セカンドの3Tが足りなかったのに、認定されて(これも「ジャッジは4分の1回転以下の不足だから認定した」と言われればそれまでなのだ)、加点をもらい3F+3Tで10.7点。さすがに、グランプリ・ファイナルほどの大盤振る舞いの加点ではないが、1回しかないショートでの連続ジャンプで4.2点もの差をつけられてしまうのは非常に痛い、致命的に近い。セカンドに3ループを跳ぶトップ選手が安藤選手と浅田選手。セカンドに3トゥループを跳ぶ、あるいは用意してるトップ選手が、キム選手、コストナー選手、ロシェット選手。で、国際スケート連盟の会長と副会長ってどこの国の人よ?ココミテ↓http://www.isu.org/vsite/vcontent/page/custom/0,8510,4844-161657-178872-20148-73966-custom-item,00.htmlセカンドに3回転が入るか入らないかは点数に大きく影響する。ジャンプの基礎点は単純に足し算されるから、連続ジャンプの2回目に3回転が入れば、3回転ジャンプの数が増えるからだ。ね? どうしてセカンドの3トゥループはときどき回転不足気味でも認定されているか、わかるよね。たとえば、こんなふうに↓氷におりてからエッジが回ってるセカンドのトゥループでも。http://jp.youtube.com/watch?v=c2GuzcjWn5c&feature=related(これをアップした人はキム選手のファーストジャンプのフリップのエッジがアウトに入っているということを言いたいらしい。確かにそうも見えるけど、まあ、村主選手の全日本のルッツのインに入って踏み切ってるのよりははるかに曖昧)。3Tに関しては、お互いさまなのだ。3Tまで3Loのように容赦なくダウングレードしては、「あげ」たい選手まで下がってしまうというワケ。気分が悪くなるほど、あからさまな話だ。<続く>
2009.01.02
明けましておめでとうございます。年末もたくさんのアクセスありがとうございました。本年もよろしくお願いいたします。<きのうから続く>「浅田真央優勝」は華々しく伝えるくせに、「なぜ浅田選手のフリーが村主選手より点が低いのか」については、見事にスルーするフジテレビ。解説のジュンジュンまで一緒になって、「プログラムコンポーネンツ、ダントツですねぇ」なんて、技術点の異常な低さから素早く話をそらせている。村主選手の121.27点などありえないスコアだ。後半の3F+2Tをちゃんと厳しくジャッジし、ダウングレードすれば、それだけで3点以上下がり、エッジをちゃんとE判定にすれば、今回の加点0.2点(!マークだとGOEはジャッジまかせになる。Eだと減点しなければならない)がなくなった上にルッツ2つで平均3点(あの跳び方ではもっと引かれるかもしれない)の減点なので3点以上は下がる。合計6点以上下がるから115点以下。演技構成点の「無理あげ」を引かなくても、結局この程度の点数しか出なかったはずの演技なのだ。この点ならまだ納得だし、後から滑った浅田選手のフリーの点(117.15という信じられない低スコア)の下に来るから、全国民が「はあ~?」と驚くようなことにはならなかったのだ。「ファンなめ」の恥ずかしいジャンプ構成の選手が、世界一レベルの高いハズの日本女子のフリーで1位なんてこともなかったということ。浅田選手の「狙われている」トリプルアクセルとセカンドのトリプルループは異様に厳しい基準でダウングレードしてるのに、明らかな回転不足ジャンプを認定したりするからおかしなことになる。おまけに、全世界に向って、「浅田真央が3Aを2回入れようと、3F+3Loをおりようと、ちょっとでも足りないところをスローで見つけたら、どんどんダウングレードしてください」と自国のジャッジが宣言したようなものだ。何度も言っているが、3Aの回転不足ならなんとかできる。だが、「4分の1以上回転不足の場合」原則などお構いなしでセカンドの3Loをダウングレードされたら、完璧におりるなど針の穴をとおすようなものなのに。逆に村主選手は3サルコウを抜いても、やっぱり後半の3F+2Tの3Fが回りきらなかったということだ。つまり、3回試合をして全滅だったということ。次の試合では、どうにか後半の3Fだけでも回りきってほしい。2Tはつけられなくても、単独3F2つなら、違反減点はたいしたことはない(同じ種類のジャンプを入れるときは必ずどちらかが連続にならなければいけない)。3サルコウ挿入より当然こっちのほうが優先。エッジは負担であってもズルをせず、きちんと直した跳び方で跳ぶことだ。海外で参加した過去2試合では矯正したエッジでちゃんと跳んでいる。そしてちゃんと跳べば、逆に村主選手の3Lz+2Tは必ず加点がもらえる。1度こうやって以前のやり方に戻してしまうと、またクセが出て、それこそ直したエッジで跳んでるつもりでも「!」がつくような曖昧なエッジになってしまうかもしれない。3サルコウより、やはりこちらが優先。みなさんは、次の村主選手の試合では、後半の3フリップ(+2T)のところで、伊藤みどりばりに、「回って~」と叫びましょう(笑)。しかし、全日本女子は、疑わしい採点と意図的な選手選抜が結託した、いやな試合だった。浅田真央で思い切り潤っているくせに、彼女が絶体絶命の縁に立たされても助けようともせず、長いものに巻かれてるだけの連盟。競技大会をショーとしてしか考えていない、歪んだ日本のフィギュア・スケートを取り巻く環境。ダウングレードの不条理には触れもせず、「キム・ヨナとのライバル対決」で煽るメディア。こんなにまで人為的に不利にされたルールのもとで浅田選手は戦っているのだ。韓国でキム選手相手に、堂々と正面突破で勝ったということが、どんなに凄いことか想像できますか?フィギュアの商業化は、もちろんいい面だってある。以前は家族がモノを売ってまで選手の競技生活を支えなければいけなかったフィギュア・スケート。今では選手が稼げるようになった。ところが、それと同時にタレント扱いが始まり、大技でファンの目を惹きたいスポンサーの演出にそって、選手がやたらと大技への挑戦を力強く叫んでいる。大技はすでにエレメンツの1つに過ぎず、それをやれば勝てるものではなくなっているというのに。織田選手が全日本後に、「世界選手権では4回転絶対やる」などと宣言する必要はまったくないのだ。あんなことをいってしまっては、後に引けなくなる。4回転は必要な場合もあるが、不必要な場合もある。本人のジャンプの調子もある。ケースバイケースで判断すべきなのだ。4回転「だけ」決めても、ほかのジャンプを連鎖的にミスしてはまったく意味がなくなる。全日本の大一番で、織田選手は4回転を失敗しても、後半のトリプルアクセルを含めて他のジャンプの失敗がゼロだった。小塚選手はやはり後半のトリプルアクセルを失敗した。4回転を武器にできる選手とできない選手の境界線上に織田選手がいるとすれれば、小塚選手は武器にならない領域にいる選手なのだ。大技を入れるかどうかはそうやって合理的に考えるべきものだ。今季は日本男子が世界王者になるのに、絶好のチャンスがめぐってきている。もっとも世界王者に近いのは、客観的に見て織田選手だ。小塚選手も今季世界で上から4番目の成績をもっている。小塚選手は織田選手よりスピンでレベルを高く取れる選手だ。さらに、減点の少ない素晴らしいプロトコル――ジャンプでも加点、スピンはレベル4がずらりの上に加点、ステップでも加点――こんなに傑出した才能をもった選手は世界でもそうそういないのだ。減点ゲームの今季のルールのもとでは、こうした選手が絶対的に強い。それなのに、小塚選手は「最終グループに入るのが目標」などと自分を過小評価し、「4回転を決めたい」などと誤った目標にとらわれている。日本男子は無茶な大技に挑戦する一方で、自分をひどく過小評価している。控えめな性格もあるが、逆に言えば冷静さと客観性が欠けている証拠だ。小塚選手の最重要課題は4回転ではなく、フリー後半の2度目のトリプルアクセルだ。この最大のヤマ場に向うため、振付では3連続ジャンプとイーグルからの3ループのあと、少しポーズを入れて「お休み」をさせる。そして、息を整えたあと、ニーノ・ロータの切ないメロディーにのってトリプルアクセルへと滑走し、音楽が盛り上がるのとシンクロして高くジャンプし、バーンと決める――つもりの素晴らしい振付。なのだが、これがなかなか決まらない(トホホ)。今のところ1勝3敗。あまりに確率が悪い。実際のところ、この部分の助走の音楽が少し足りないのかもしれない。ニーノ・ロータがもうちょっと音符を書いていてくれたらもっと滑走時間が長くなり、スピードがつくので、決めやすいのかも。ただ、それは音楽との調和なので、もうどうにもならない。ここのクライマックスのジャンプが決まれば、プログラムの感動は一挙に増幅される。小塚選手の次の試合では、みなさん、伊藤みどりになってこの後半のトリプルアクセルで、「跳んで~」と叫びましょう(笑)。3連続と3ループのあと、少し「お休み」が入った直後です。お忘れなく。安藤選手はファイナルで4サルコウを久々に跳んだが、コケもせず、伊藤みどりが「トリプルサルコウ」と言ってしまうほど自然に着氷した。もちろんスローで再生すれば回転不足だったが、他のジャンプも大きなミスなくまとめた。つまり、一応そのレベルまで高めてから試合で使ったのだ。にもかかわらず、今季のルールでは認定されないのだ。これはシーズン前に安藤陣営が立ててきた戦略のミスでもなんでもなく、突然ルール基準が変えられてしまったために起こった悲劇だ。トリプルアクセルより難しい4サルコウとセカンドの3ループを武器として使うつもりだった安藤陣営には予想外の大打撃。今季のルール基準の変更にともなう最大の被害者が安藤選手だというのは、こうした理由だ。拙ブログに寄せられる多くのメールを読むと、むしろ一般のファンのほうが、すでにそのことをよくわかっている。同時に、難しい技にちょっとでもキズがあるとすぐ減点する今季の異常な判定の理不尽さも。この「ふつうの人」の賢さが、やはり日本という国のよさだと心から思う。そして、やはり今季の試合の最大の問題はルール基準の解釈、つまりはジャッジングの不透明さだろう。試合をやればやるほど、いかに判定がバラバラか、wrong edgeといってもその判断が適当か、わかってくる。回転不足にいたっては、ライブで見ていても肉眼ではわからない。テレビで解説者とアナウンサーが、「いいジャンプでした」「これはきれいに決まりましたね」と言ってるジャンプが実はダウングレードで、転倒より低い点になっていたりする。一方で肉眼でもわかる回転不足が認定されていたりする。しかたないので、解説者は、「ジャッジがどう判断するかですからね~」なんて投げてしまうしかない。人数の多いGOEジャッジがそれぞれ回転不足とwrong edgeを判断したら、さぞやメチャクチャになるだろう。それはそれで、いかにフィギュアの採点がテキトーかわかって、おもしろかったりしてね、アハハ(←乾いた笑い)。韓国のあの異常な雰囲気のファイナルを戦ってきた浅田選手は、全日本ではやはり疲労が色濃かった。だが練習ではだいぶジャンプは不安定だったのに、フリーでは3Aを2つおりて、課題だった3F+3Loも入れたのだ。本当にすごい根性。ほぼ2週間に1度の試合を4回なんて、殺人的だ。もうお願いだから真央ちゃんを休ませてあげてください。これでさらに4大陸にも出すのですか? 「セカンドの3ループ認定しないぞ攻撃」に対する対策を立てる暇もない。「4大陸までに直したい」という浅田選手のコメントをそのまま載せて、新聞は「修正可能」と簡単に書いているが、3Aの回転不足は確かに直せる。だが3Loのほうは、ものすごく難しい。確かに「ちょっとだけ足りない」だけだから簡単そうに見える。だが、その「ちょっとだけ」がほとんど宿命的なものだからだ。だって、肉眼ではわからないんですよ。その程度のエッジの動きを複数のカメラで監視し、スローで見てダングレードしてくる(しかも、ほとんど4分の1基準は無視してるとしかおもえない)なんて、シーズン前は想像もしていなかった。4大陸は最初こそ、男子の本田武史のようなトップ選手が派遣されていた(というか、日本男子には他に世界レベルで戦える選手がいなかった)が、その後は世界選手権とは別の選手が行くようになった。再びトップ選手が派遣されるようになったのは、国際スケート連盟からの要請があったということだが、浅田選手が出れば視聴率が稼げるスポンサーの意向とも合致しているように思う。国際スケート連盟が日本のトップ選手を4大陸に出させ「たい」気持ちはよくわかる。ヨーロッパ選手権は伝統のある格式の高い大会。もともと4大陸なんて大会はなかった。そうすると、ヨーロッパの選手がハードなヨーロッパ選手権を戦ったあと、世界選手権を戦うのは、同じグレードの大会のないアメリカ選手や日本選手のトップに対して不利になる。それでヨーロッパ選手権に匹敵する大会を非ヨーロッパ選手向けに作った。それが4大陸。ヨーロッパの思惑としては、非ヨーロッパ選手を試合で疲れさせたいのが一番なのだ。けどねぇ、全米選手権も全日本選手権も、ヨーロッパの国内選手権とは比べ物にならないくらいハードなんですよ。昔は世界一過酷な国内大会は全米選手権で、全米で1位だった選手が世界選手権で2位、全米で2位だった選手が世界選手権で1位、なんとこともあったし、ロシアが強かったころは、前年世界選手権でメダルを獲った選手が翌年代表になれないなんてこともあったが、今は日本が世界一レベルが高い。
2009.01.01
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