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2008.08.22
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カテゴリ: Movie
<きのうから続く>
1959年夏、ジャン・コクトーは映画『オルフェの遺言』の撮影に入ろうとしていた。計画から約2年、資金集めは難航した。映画製作会社は、コクトーに『美女と野獣』のリメイク版を作らせたがった。そのためなら、コクトーが申し出た金額の10倍を出すとまで言った。もちろん、コクトーはきっぱりと拒否した。結局資金を提供したのは、映画『恐るべき子供たち』に深い感銘を受け、『大人は判ってくれない』でカンヌ映画祭監督賞を受賞したフランソワ・トリュフォーだった。トリュフォーは『大人は判ってくれない』の収益を尊敬する詩人に捧げた。そのほかにもアラン・レネ、フランソワ・レイシェンバック、それにコクトーと長く家族のような関係にあるフランシーヌ・ヴェズヴェレールが資本参加した。

いざ映画化が決まると、フランス中の俳優がコクトーの滞在するヴェズヴェレール夫人の別荘、サント・ソスピールに出演を求めて電話をかけてきた。『大人は判ってくれない』でコクトーが演技力を高く評価した子役のジャン・ピエール・レオもその中の1人。コクトーは 、「なんと、ジャン・ピエールが映画に出演したいと言っています。アコーディオンじゃあるまいし、適当に継ぎ足すというわけにはゆきません」 (『ジャン・マレーへの手紙』より)と困惑したが、なんとか小学生の役をつけてほんの 1分ほどの出番 を作った。

コクトーは、マレーには盲目のオイディプス王役を用意していた。マレーが好み、ヨーロッパ中を公演してまわった戯曲『地獄の機械』の一場面でもある。父を殺し、母を妻とした自分の呪われた運命を知ったオイディプスが、母イオカステ(ジョカスト)の黄金のブローチの針で目を突き刺し、娘のアンティゴネーとともに荒野をさすらう――。『地獄の機械』のクライマックスでもある。

『オルフェの遺言』の資金難を知っていたマレーは、無償での出演をコクトーに申し出ている。コクトーは、マレーの撮影を控えて、何度か手紙でこの久々の2人の映画でのコラボレーションの打ち合わせをしている。

「オイディプスの衣装を手に入れ、9月にコート・ダジュールまで持ってきてくれるよう、ジェルメーヌ・モンテロに頼みました。あと、長い白の杖を見つける必要があります。映画では、君がアンティゴネー(オイディプスよりなお盲目の)から、ぼくに渡させるのです」

みずから両眼を突き刺した悲劇の王を導く王女アンティゴネーが、「オイディプスよりなお盲目」というのは、『地獄の機械』のストーリーから、オイディプスの魂を救うべく死の国から戻ってきたイオカステの姿がアンティゴネーには見えないことを言っている。

「衣装のことは心配なく。ペストと、あの眼の悲劇のあとなのです、汚ければ汚いほど美しく見えるでしょう。髭が本当に必要かどうか、迷っています。なにしろ、このオイディプスは君なのです。めしいたぼくが君とすれ違うのです(2人のめしいです)。かつらはいいかもしれません、ムネ・シェリ風の美しい赤いリボンか何か、君に似合うものをつけるのです。それに、盲人用の長い白の杖が必要ですが、そちらはぼくが用意します」

コクトーはマレーへの手紙で、眼から血を流しているオイディプスの顔のイラストをわざわざ2つも描いている。最初のオイディプスの顎には、無精ひげが伸びているが、次の絵からは髭は消えている。完成した『オルフェの遺言』の盲目のオイディプスにも、髭はなかった。

ちなみに、ムネ・シェリは往年の大舞台俳優。コクトーはよく、ジャン・マレーをムネ・シェリやド・マックスといった伝説の舞台俳優と比較し、「彼らを凌ぐ」と絶賛していた。

舞台の仕事がつまっていたマレーがこの撮影のために割けたスケジュールは、わずかに1日。いよいよマレーが南仏のコクトーのもとに来る直前に、コクトーがマレーに書き送った手紙が以下。期待感に満ちている。

「ぼくのジャノ 君が来てくれること、それがぼくの幸せ。ピカソとドミンガンの撮影は、昨日終わりました。ピカソが、君に会えなくてがっかりしていました。君のため、最高に美しい背景を用意しています」 (以上、すべて『ジャン・マレーへの手紙』より)

ジャン・マレーが南仏にやってきたとき、1人の少女がその姿をじっと見ていた。コクトーのパトロンヌだったフランシーヌ・ヴェズヴェレール夫人の1人娘、キャロル・ヴェズヴェレール。ヴェズヴェレール夫人とコクトーは、1949年に夫人の従姉妹のニコル・ステファーヌが主演した『恐るべき子供たち』の撮影現場で会うが、当時7歳だったキャロルも後日、母と一緒に遊びに来て、コクトーと出会う。フランシーヌとコクトーが家族のような付き合いを始めると、大の子供好きのコクトーとキャロルも、実の親子のような親密な関係を築いていく。キャロルは『地獄の機械』『ピグマリオン』『シーザーとクレオパトラ』といったマレーの傑作舞台もフランシーヌとコクトーとともに見に行っており、「シンプルで暖かなハートの持ち主」(キャロル自身の言葉)のマレーを兄のように慕っていた。

『オルフェの遺言』撮影時には、キャロルは17歳。このときのマレーの様子を、キャロルは1996年に出版した 『ムッシュー・コクトー』(花岡敬造訳、東京創元社) で、次のように詳細に書いている。

「ジャン・マレーが到着した。彼はママのベントレーから降り立ち、『オイディプス』あるいは『スフィンクス』という名のシーンを演じる予定だった。なぜか彼は殺気立った様子だったが、ひとたび演技を始めるといつもの微笑を絶やさぬ愛想のいい役者に戻った。粗い毛織の僧衣のようなものを着て、赤く塗った顔に血走った顔つきのマレーは、アンティゴネー役のアーモンド色の服を着た金髪の小娘にもたれて、白い杖をついた。コクトーは歩くとき、ゆっくり唇を動かすようにとマレーに指示を与えた。彼の生気のない目、荒れた顔、よろける足取りは私たちの心を揺さぶった」「観光バスが何台もやってきて、ジャン・マレーを見るためにわざわざ車を停めた」

マレー自身は、『オルフェの遺言』について、「 この映画における私の出演は、わずか1日だけであったが、それでもなお、ジャンがこの作品に持ち込むすべてについて、何度となく私は魅了された」 (新潮社『ジャン・マレー自伝 美しき野獣』石沢秀二訳)と短く記している。

『オルフェの遺言』の撮影は、若いキャロルに決定的な影響を与える。コクトーのこの作品の制作現場を目の当たりにした彼女は、以後、映画の世界以外で生きることは考えられなくなってしまう。

キャロルが見た、撮影にやってきたマレーの「なぜか殺気立った様子」。マレーはこのとき、最愛の「弟」との諍いをかかえていた。そして、2人の別離は、マレーが『オルフェの遺言』の撮影を終えてパリに帰ったあと、決定的なものとなる。

<明日へ続く>





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最終更新日  2008.08.22 11:40:59


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