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最初に長崎に来たとき、まっさきに行ったのがグラバー園だった。その近くのオランダ坂もセットで見ようと思っていたのだが、グラバー園が思いのほか面白く、時間を食ってしまったので、オランダ坂は次の機会にと取っておいた。
「オランダ坂はタダの坂」という人もいる。確かにそうかもしれない。
だが、非常にきれいな坂だ。「坂」には不思議な磁力がある。興味のない人には、どこもここもタダの坂かもしれない。だが、Mizumizuは坂の作り出す風景が大好きだ。
大都会東京にも小さな坂があちこちに潜んでいる。谷中、湯島、本郷、あるいは三田などにも。そうした坂を歩くと、そこはかとない物語性を感じるのだ。長崎のオランダ坂は東京に散らばっているMizumizuの好む坂たちに比べるとずいぶんと巨大だ。そして手入れが行き届いていて美しい。
坂は自然の地形の上にできるが、坂道を作り上げるのは人間で、その景観を守っていこうとするのは坂の美に魅せられた人の愛情だ。タダの坂をただならぬものにするのは、人智と自然のアンサンブル。長崎のオランダ坂は間違いなく、その最高傑作の1つだ。
ここでは坂のもつ物語性が人に憑依する。観光客というのは、被写体としては一番「味」がない。だがここオランダ坂に来ると、タダの観光客が何ごとかを心に抱えた旅人に見える。あるいは現地の生活人に溶け込む。そんな魔力さえ、オランダ坂はもっている。
ところで、さだまさしの名曲に「無縁坂」がある。無縁坂そのものは東京の台東区にあるが、あの歌は、さだまさしが長崎出身でなく、オランダ坂を知らなかったら、決して生まれなかったのではないか。
あの曲を聴いたとき、現実の無縁坂は知っているが、オランダ坂は知らなかったMizumizuは、「無縁坂って車で通るようなところで、下は不忍池(しのばずの池)だし、老いたお母さんの手をひいて『いつも』のぼるような場所にある道ではないのに・・・」と首を傾げたのだ。母の手をひいてのぼるというなら、急勾配だが、坂の距離は短く、上にのぼれば長崎の街が少し見下ろせるオランダ坂のほうがふさわしい。少なくとも物語性を感じさせるという意味では、オランダ坂が創り出す風景のほうが、強くイマジネーションを刺激する。
具体的にオランダ坂ではないにせよ、さだまさしが故郷のどこかの坂で見た日常のひとこまから想像した物語、そこに不忍池からかつてあった無縁寺に続く坂の、インパクトの強い名前のイメージが重なって、あの歌詞が生まれたのではないか・・・そんな気がした。
とはいえ、観光ルートとしてのオランダ坂を考えると、たいていはグラバー園の次に来ることになり、そうなると同じような洋館をまた見ることになるので、飽きしてしまうかもしれない。
その意味では、グラバー園の記憶が薄れた2度目の長崎にとっておいてよかった。
オランダ坂の下にある道で見かけた洋館。実はオランダ坂近辺で、これが一番心惹かれた洋館だった。瓦屋根に白とブルーで塗り分けた和洋折衷の洒落た外観、ピンクの花がこぼれ、手入れの行き届いた(と壁の外からもわかる)庭の植物。フリル(もしくはトリムかもしれない)付きセンタークロスのレースのカーテン。
一般人の住居だとしたら、この良好な保存状態を保つには尋常ではない努力が必要だろう。
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