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前回の映画の題名当てよりはやさしいと思いましたが、やはり予想通りとは行きませんでした。スピーチの方は、37年前の為替レートが240円で、ハワイのホテル代が日本円で1泊6万円だったと話したら驚いていました。ホテルの朝食も$15で3600円ほどでした。NYではトヨタのカローラが1万ドルで、日本円で240万円と驚くような価格でした。会社の車はキャデラックでしたが、バッテリーの性能が悪く、感謝祭でNJに行く時にエンストしました。レモンでしたね。難しい単語を使わずにゆっくりと話したつもりですが、どの程度理解してもらえたかは?です。外国人も日本人に話すとどのくらい理解しているのか不安だそうですが、まさにそんな感じです。会社でも、米国人コンサルタントにどのくらい理解しているのかきかれたことがあります。答えは、「だいたいわかっている」ですね。クイズの方は、前回から参加の飛び入りさんが、フランスが一番とこちらが振る前に答えてくれました。全員にあてるように心がけましたが、彼の声が大きかったです。彼は前々回の参加者で、タイにチキン加工場を持っているがコロナで行けず暇なので参加したとのことです。観光客の受入れが多い国としては、フランスやUSAはみんなの予想通りだったようです。スペインの2位や中国の4位、トルコの6位には驚いていました。オーストラリアも多いと予想する人が多かったですが、9.5百万人40位の答えに驚いていました。イギリスがUnited Kingdomというのを知らない人もいましたが、ロシア(Russian Federation)やオランダ(Netherland)、UAE(United Arab Emirates)なども難しいかもしれません。訪問したことがある人からは、観光名所の名前もあがりました。参加者から海外の治安状況の話がでたのが意外でした。イタリアでスリにあった話や、東欧でニセ警官に騙されそうになった話が披露されました。私は、ミラノのジョリーホテルのフロントでアタッシュケースを盗まれた話を披露しました。足元に置いてあったのですが、気づいたらやられていました。客先へのお土産の紙袋は無事でした。盗まれたアタッシュケースは、翌日ホテル内で発見され、こじ開けられてカメラだけが抜かれていました。私にとっては、契約書などのビジネス関係の書類が戻ってきて事なきを得ました。内部犯行と見ました。現地の商社の人が予約してくれたホテルで、恐縮していました。
2020.10.23
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今回のお題は、世界観光旅行ランキングです。国連の関係機関 World Tourism Organization、略称:UNWTO が発表しているWorld Tourism Barometerのデータから、国際観光客到着数のランキングを当ててもらうクイズです。足元はコロナの影響でどこも大幅減ですが、その数字はまだ発表されていません。2019年の結果です。単位:million1.France ― 84.9(2018年)2.Spain 83.73.United States 79.34.China 65.75.Italy 64.56.Turkey 51.27.Mexico 45.08.Thailand 39.89.Germany 39.610.United Kingdom 39.611.Japan 32.212.Austria 31.913.Greece 31.314.Malaysia 26.115.Portugal 24.616.Russian Fedration 24.417.Hong Kong 23.818.Canada 22.119.Poland 21.220.Netherlands 20.2*50位まで発表されています。トップテンでは、7位までは前年と同じですが、タイが10位から8位とランクアップです。日本政府の目標は、2020年までに4000万人、2030年までに6000万人です。イタリアに次ぐ6位ねらいでしょうか。行ったことがない国は、ギリシアとロシア(モスクワは乗り継ぎのみ)、ポーランドです。とりあえずトップテンまで答えてもらい、主要な観光地やもしくは行きたい都市をたずねてみようかと思います。もし必要ならば、ヒントは、国名なので最初の一文字でよいでしょう。21位以下でアジアの国は、21.Macao22.Vietnam23.India24.Korea27.United Arab Emirates28.Indonesia29.Singapore32.Saudi Arabia35.Taiwan44.Philippines47.Iran48.Kyrgystan49.Uzbekistan50.CambodiaAustraliaは、9.5million で40位です。https://www.e-unwto.org/doi/epdf/10.18111/wtobarometereng.2020.18.1.5
2020.10.21
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前回のスピーチから1か月たってまた順番が回ってきました。お題は自由で何を話してもよいのですが、やはりメンバーのことを考えてしまいます。前回の映画タイトルクイズは意外と難しかったようです。最近のお題はとんちクイズや性格判定テスト、2020年米国人の人気お名前でした。後者はクイズ形式で難しかったですね。正答率は3割ほどでした。正答は1位から順に、女性は、Olivia,Emma,Ava,Isabella,Mia、男性はNoah,Liam,Elijah,Oliver,Jamesでした。ちょっとキラキラネームっぽいですが、やはりキリスト教に関連したものが多いですね。オリビアで浮かぶのは、このふたりです。今回は、海外旅行を取り上げてみようかと思います。私が初めて海外旅行に行ったのはハネムーンで、ハワイに行きました。7泊9日で、オアフ島とガーデンアイランドのカウアイ島です。当時は為替が、1ドル240円くらいでした。カハラヒルトンホテルは代金が1泊250ドル、日本円で6万円です。一生に一回?なので、張りこみました。愛方の方は、それまでにグアムやロンドン・パリに行っていました。初めての家族旅行は、タイに行きました。バンコクとパタヤです。30年以上前で、当時はシンガポール以外の東南アジアは汚い国というイメージでした。愛方は子どもを連れて行くのを嫌がりましたが、強行しました。行ってみたら、料理はおいしく海も楽しめて、お買い物もできてタイ満足、いえ大満足でした。その後、マレーシア、シンガポール、、フィリピン、インドネシア、オーストラリアなどに出かけました。1週間程度ですから、時差の小さい近間です。中学生になると休めなくなるので、子どもが小学生のころまでですね。初めての海外出張は、台湾でした。支度金として会社から10万円が支給されました。いい時代でしたね。中国や北米やヨーロッパにも出かけました。メキシコには2回行きましたが、残念ながら仕事でもプライベートでも南米やアフリカに行く機会はありませんでした。子どもが大きくなると夫婦で出かけることが可能になりました。愛方の希望で、行き先の大半はヨーロッパです。夫婦でヨーロッパ、フランスやドイツ、イタリア、スイス、ベルギー、オランダなどです。勤続30年の記念に会社がお金と休暇を支給してくれて、ポルトガルに行ってきました。日本となじみ深い国で、料理もおいしく歴史的な建物や美しい景色が見られてとてもいい旅行でした。愛方の希望はスペインでしたが、いい国ですが私は2度行ったことがありますので気が進みませんでした。やはり、せっかくですから行ったことがない国、なかなか行けない国がいいです。それに当時はまだ働いていたので10日間しか休めず、コンパクトに回れるポルトガルにしました。続きます。
2020.10.20
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インドの次はインド洋の真珠スリランカです。島なのでインドよりも南ですが、風もあって過ごしやすかったです。キャンディのように高地もあります。このツアーは、これまでいろいろなところに行って、スリランカという人が多かったですね。元学校の先生で今は選挙管理委員をしているご婦人は、パック旅行自慢でした。フランスに行った、ニューヨークに行った・・・とよく話していましたが、良かったところや悪かったところをたずねるとさっぱりです。航空券と搭乗券の区別もつかないありさまでした。夫婦で公務員だったので年金もたっぷりと語っていました。福岡を経由するツアーで、伊丹市に勤めている方は帰りに辛子明太子をなどを買っていました。職場には九州に行ったことになっているそうです。こちらも公務員、職場に気をつかうのでしょう。海外旅行は届け出制なんていう企業もありました。日本留学経験がある現地ガイドの計らいで、キャンディでは私たちのツアーだけ仏歯を見ることができました。無許可だったのか、あとで警備員に小言を言われていたようです。1日100kmほどの移動で、楽なツアーでした。カレーもそんなに辛くなかったです。大阪ヒルトンがオープンした時、スリランカ料理店ができて食べに行ったら、インドとは違うと言われました。香辛料が違う?新宿中村屋のレトルトカレーにも、スリランカカレーというのがあります。パックツアー最後はトルコです。日本から添乗員がつき、現地のガイドが同行しました。機上から見るイスタンブールはきれいな街ですね。到着したら、すぐ市内のレストランでランチでした。できるだけ気が合いそうな人と思って席に着きましたが、青梅から来た親族グループが隣りになりました。小瓶の水か大びんかでもめてにぎやかでした。おまけにレストランに忘れたと言って取りに戻る始末です。3分の一は若者グループで、早稲田大学のゼミの学生さんでゼミ旅行ですね。グループでかたまり、バスも広報を占め彼らはとは接触ゼロでした。見た感じおとなしかったですね。今回のツアー客はお酒を飲む人が少なく、バイキングなどは30分ほどでそそくさと食べて退散という人がほとんどでした。絨毯屋、トルコ石の宝飾店、革製品のお店の三つが、トルコツアーのお土産物屋まわりの定番です。どれもけっこうなお値段ですが、どこでも何人かがお買い上げでした。誰も何も買わないと、気まずい雰囲気になるものですが、よかったです。思い過ごしかもしれませんが、何も買わないと出してもらえない、そんな感じのところもありました。ヨーロッパブランドの革製品はトルコで作っているというのが、きいたのかもしれません。トルコで作って仕上げはメイドインイタリーです。ガイドさんはクルド人でした。大卒ですがトルコでは2等国民、それ故にガイドをせざるを得ないのかもしれません。そんなガイドさんが旅の終わりにイスタンブールに向かう道すがら、聴かせてくれたのが江利チエミのウスクダラでした。飛んでイスタンブール 庄野真代https://www.youtube.com/watch?v=sWNmaua0nDYモンテカルロで乾杯 庄野真代https://www.youtube.com/watch?v=RHCOGHA17Zsイスタンブールもモンテカルロも夢のまた夢の時代でした。いい加減な歌詞の昭和の歌謡曲です。以上ですが、まだスーツケースを引っ張って旅に出られるので、当分パック旅行のお世話にならなくても大丈夫なようです。PS:こうしてブログを書いていると、次々と思い出すものですね。
2020.08.07
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周遊型パックツアーは参加メンバーも旅の良しあしに影響しますね。豪華パンフレットのヨーロッパ旅行なんかは、お金持ちの初老の夫婦が参加するというイメージです。逆に紙切れ一枚のツアーは、価格重視の人や若者が参加しそうです。客層と人数は、空港に到着してから判明ですね。それでもどんな素性の人かはまだ不明です。一週間や10日同じバスに揺られて、くさい飯?を食べてだんだんわかってくるというのがパックツアーの面白いところですね。添乗員やガイドの良しあしも大切ですね。母と行った中国旅行は、高齢者ツアーでした。50歳代の母が一番若く、70歳代のご夫婦もいました。当時30歳代の私から見れば、みんな無事に帰ってこれるのかと思ったくらいです。伊丹から行ったので参加者は西日本の人たちばかりでした。総勢10人ちょっとでしたでしょうか。さいわいこてこての大阪人はいなかったので助かりました。北京から西安までの列車で席が一緒になった、鳥取の元農業高校の先生は車窓の農作物の解説を熱心にしてくれて興味深かったです。普段の生活圏では会う事のない人との交流もパックツアーの楽しみです。日本人の添乗員と上海から中国人のガイド、さらに西安などでは現地のガイドがつきました。上海のガイドは風采があがらない頼りなさそうな人でしたが、添乗員が日本から持参したマールボロひと箱で車掌を買収して発車時間を遅らせたり、食堂車を開かせたりです。食後は、食堂スタッフと日中歌合戦で、最後はみんなで「北国の春」を歌いました。両国国民が歌える唯一の歌でした。いまなら「昴」?後年企業グループのミッションで上海を訪れた時、通訳を雇ったら彼でした。市場経済を、「いちばけいざい」と訳したのはご愛敬でしたが。ガイドは中国国際旅行社の社員で公務員みたいなものでしたが、「お金の持ち」の外国人相手で、両替(1元20円の公定レートの時代です)や土産物屋からのバックマージンで役得があるみたいです。たいていの日本人は現金をたくさん持って行きますから。上海のガイドと西安のガイドが、両替をめぐって口論になる場面もありました。西安に着いた時には、みんな両替済みで西安のガイドの出る幕がなかった、すなわち上海のガイドが先んじて儲けを独占していたと言う事でしょう。ツアー客の中には、ガイドがバックマージンを受け取るところを見て憤慨するご婦人もいました。お年を召している割には、世間知らずですね。たしか、元高校教師の奥様だったと記憶しています。ひとりで参加の紳士もいました。スキンヘッドでがっしりした体つきです。彼の旅の目的は、成都で兵馬俑の実物大のレプリカを買う事でした。何でも奈良で美術館を開くのでその目玉にすると言う事です。件の西安の美人ガイドを通訳としてホテルに呼んで、夜遅くまで売買交渉をしていました。一体10数万円?昼間に制作現場をちらりとのぞきましたが、失敗作がごろごろしていました。偽物作りの工房?ですね。兵馬俑はともかく、当時はみんな骨董や書画の類をお土産に買って帰りました。中には本物の唐三彩だと言われて、高値で買った人も。うちの母も父が馬年生まれと言う事で馬の掛け軸を買っていました。鑑定団なら1000円くらいでしょうか。街角では、梅の絵を即興で描いて売るというのもありました。モンマルトルの似顔絵同様、旅心をくすぐられます。続きます。なんでユーミン?このビデオを聴きながらブログを書いていました。内容とは無関係です。軽井沢は、会社の若手社員の旅行や街のテニスクラブJSS西荻の合宿でこのころ何度か行きました。コロナですいているかと思ったら、軽井沢銀座はにぎわっていますね。この夏は、母が買ったミカドのアイスコーヒーをいただいています。ネスカフェのアイスコーヒーとあまり変わらないように思いますが、とてもおいしいと言っていただいています。ここはソフトクリームが名物で、行列が出来ていますね。
2020.08.04
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前回は家族旅行のブログでしたが、もちろんひとり旅にも出かけました。ただ、勤め人ですから出勤予定日までには帰国して、ちゃんと出勤しなければなりません。不安定なアフリカとか南米とかなどは無理ですね。その点パックは帰国日保証?ですから、いいですね。ヨーロッパへはひとりでもあまり問題ないです。ゲーテ街道をメインにドイツ・チェコ・オーストリアアルハンブラ宮殿を見に行ったスペインに行きました。やはり、出張で行くのとは大違いですね。パックツアーで行ったのは、インド デリー、アグラ、ジャイプールのゴールデントライアングルですね。スリランカ 北部は内戦中でしたが、バスで一周です。 トルコ フェリーに乗ったり高速道路を利用した大型のバスツアーでした。中国 これは母といっしょで、日本人の添乗員が同行する大名ツアーでした。 飛行機と列車、そしてバスでした。です。いずれも発展途上国で、公共交通機関の利用は言葉の問題もあって大変なところです。観光地を効率的に回るにはよかったです。インドはエアコン付きバスでしたが、連日40度以上でエアコンはきかず、汗をかいたら適宜窓を開けて気化熱で「冷房」です。スリランカは、インドより南ですが島で高地もありそこそこ快適でした。トルコに行ったのは11月。大型バスで乗員は半分くらいで、2席ひとりでもまだ余裕がありました。旅行会社はタビックスジャパン。私のツアーとHISとJTBが同じコース、同じホテルで回ります。ホテルのチェックインは競争状態?お客さんが多いバスは大変そうでした。中国は、まだ友誼飯店や商店があった時代で列車、飛行機を利用しましたが、とにかく遅れが目立ちました。通信手段が未発達な時代で、目的地で待つ方も忍耐です。北京から洛陽へは定刻通り出発したのですが半日遅れでした。この中国旅行については、以前ブログアップしました。順調にいかないときは、添乗員や現地ガイドが奮闘していました。少しのトラブル=猫ブルは印象深く旅の思い出です。こうしたパックツアーは、全食事付きというのが多いです。衛生面もあるのかホテルのレストランで食べることが多いです。 インドは、カレーのオンパレードでしたね。内陸なので肉中心です。スリランカもそれに近かったです。日本に留学した人がガイドでしたが、日本に行って肉や魚の素材の味がわかったと語っていたのが印象的でした。肉のカレー、魚のカレー、野菜のカレーとそれぞれ違うのですが、基本はカレー味です。トルコは、ベリーダンスショーの食事がひどかったですが、後はおおむねよかったです。夏場にはヨーロッパからの観光客が大挙してくるので、それなりに洗練されていました。何てったって世界4大料理、かつての世界帝国でしたから。中国は、グルメツアーとうたっていない限りは、フカひれやツバメの巣などの高級食材にはありつけません。最初に行った時はまだ貧しくそんなものはありません。海鮮もなく肉類だけでした。上海の国際ホテルでメニューを見たら、大皿で100~200円ほどでした。Fさんのブログのヨーロッパ旅行の食事を見せていただきましたが、確かにがっかりなメニューでしたね。食事がまずいのはドイツとオランダですが、それにしてもという感じでした。旅行社の人によれば、やはり全食事付きでないとお客からクレームが来るそうです。旅行社もやむなしと言う事なのでしょうか。うちは愛方が肉がNGなので、全食事付きツアーはNGです。毎日豪華フルコースでは、財布もさることながら、胃腸が持ちません。スーツケースにはたいてい一人2個カップ麺を入れて出かけます。デリカテッセンで総菜を見つくろって、ワインを買ってホテルでというのもいいです。フィレンツェのエクセルシオールでは、メインだけ名物のTボーンステーキをルームサービスで注文し、前菜やワインは街で調達しました。ホテルのコンシェルジェに聞けば適当なお店を紹介してくれるし、予約もしてくれます。そういえば、最初の頃は各主要都市にJCBデスクというのがあって、JCBのスペシャルメニューなんてのもありました。パックツアーの場合は、たいてい自分たちのツアー客でかたまったり、別室で食事をすることが多いです。現地やほかの国からの観光客とのふれあいはあまりないですね。外国に旅行に来ているけれども、日本人村です。お酒が入れば、外人さんとの垣根が低くなる。ドイツリューデスハイムのつぐみ横丁で、近くのテーブルのドイツ人夫婦との語らいはとても楽しかったです。向こうも日本人には親近感を感じるようです。同じ侵略戦争を行い敗戦国だからでしょうか。清潔な国で愛方が気に入っている国でもあります。
2020.08.03
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海外への家族旅行はやはり子どもたちが小学生くらいまでですね。中学に入るとクラブ活動や受験勉強で行けません。バンコク・パタヤの大家族旅行のあとは、フィリピン・プエルトアズールシンガポール・ペナンバリ島バンコク・パタヤバンコク・ホアヒン香港・マカオ香港・深圳などに出かけました。海辺のリゾート地が多いですね。1990年代に入るとJALやANAでもマイレージを始めてパックツアーから無料航空券+ネットなどでのホテル予約に変わって行きました。最後にみんなで行ったのは、娘たちが高校に入る前のシドニー旅行でした。その時の彼女たちの決め台詞は、「やっとアジア脱出」でした。単身赴任だったので私は大阪から大韓航空でソウル経由、家族は東京からJALの直行便でシドニー現地集合・現地解散でした。それもあって、大学入学時にはロンドン・パリ旅行(航空券+ホテルの自由旅行)をプレゼントしました。卒業時には、「手切れ金」として100万円渡しましたが、各々イタリアへの卒業旅行やマルタ島での語学旅行に消えたようです。愛方はお土産を期待していたようですが、そんなものはありませんでした。社会人になる前の幸せなひと時ですね。パックツアーの市内旅行では、うちの家族だけでミニバンで回るというケースが多く現地のガイドさんやドライバーが子どもたちの面倒を見てくれるなんてのもありました。子どもが大きくなると公共交通機関も利用できるので、パックでなくても大丈夫です。ホテルで現地のツアーにも参加しました。こちらへもローカル電車で行きました。シドニー郊外のFOXスタジオに行った時は、息子がホテルの部屋で過ごしたいと言い張り、やむなく4人で出かけました。「ホームアローン」みたいです。お掃除の人が来た時は、隠れていたと言っていましたが真相は不明です。
2020.08.02
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1965年18歳の時のNYでの録音です。YuTubeにこんなコメントが載っていました。この曲は1965年にミコちゃん(当時18歳)が日本人で最初にニューポートジャズフェスティバルに出演参加したその時、彼女が1ヶ月くらい滞在したNewYorkで録音されて1966年に発売されたLPアルバム「ミューヨークのミコ」に収録されている曲です。私はこのLPを聴いてこの曲や「I wish I know」等を聴いて、あ!天才がここに居る! と、瞬間的にファンに成ってしまった一人です。当時高校生だった私は、主にクラシックを聴くだけでしたが、JAZZがこんなに素晴らしいことを初めて教えてくれました。それから50年近く、ずーとミコファンです。 確か、SUNNYはミコさんが世界で初めて録音発表することになった曲ですよね。 ミコさんの述懐では新幹線で偶然米国の音楽関係の方とお会いしてそれからニューポートジャズフェスティバルに出演参加に進展されたとか、彼女の実力分かる人は分かるんですね。 更にこの時エラフィッツ・ジェラルドさんが本気でミコちゃんを養女に欲しいって云ったそうです。ミコちゃんの才能をご自分で更に磨き上げたかったのでしょうね。 この参加がきっかけで、日本の優れたJAZZ Men達が評価されて、日野皓正さんや渡辺貞夫さんが出演されるようになったのです。ミコさん、本当は国民栄誉賞その時に貰っても良いくらいですよね。本題に戻ると、NYのパック旅行も利用しました。私でなく愛方姉妹です。当時NYに長期出張中でしたので、クリスマス休暇の時に来てもらいました。安いパックツアーを探したら、国際ロータリーのパックが目にとまりました。当時就航したばかりのANA便でワシントン経由です。ホテルは、ヒルトンミッドタウン。全米の駐在員などを集めたパーティーで利用していましたね。私は、GE本社近くのホテルビバリー。キッチン付きのジュニアスィートでした。国際ロータリーで申し込んだのですが、ツアーはなんと全日空ハローツアーでした。たぶん自社では売り切れなくて、他社を通じて集客したのでしょうね。おかげさまで、ハローツアーよりは5万円ほど安かったです。NY観光がついていて一通り観光名所を回ったそうです。愛方によれば、不倫と思われるカップルも参加していて20人くらいの集合写真におさまっています。新婚カップルよりも目立っていました。しかも証拠写真におさまるなんて。平日は仕事だったので、ナイトライフをセッティングして楽しみました。オペラはやめて、メトロポリタン劇場で「くるみ割り人形」、ミュージカルは「42th Street」。今はない貿易センタービル最上階のレストラン「ウィンドー・オブ・ザ・ワールド」にも行きました。休日はメトロポリタン美術館でブランチしたり、セントラルパークを散策したりと楽しかったですが、自由の女神へはフェリーがでなくて行けませんでした。クリスマス明けはバーゲンセールなのでお買い物にもお付き合いです。子どもたちへのお土産に、国連ビルの売店でスェーデン製の木工玩具を買いました。ここの売店は穴場で、女子社員にはお土産にガラスの鳩(ペーパーウェイト?)を買いました。1都市滞在型のパックツアーは、割安ですね。ホテルを選べるものもありますが、航空会社は出発近くにならないと決まらないようです。安いツアーは意外なところを経由しますね。イスタンブールに行った時は、成田→関空→タシュケント→イスタンブールでした。ウズベキスタン航空便で、ホカホカ弁当のような容器ひとつの機内食と不思議な味の赤ワインが印象的でした。イスタンブール空港で疲れた様子の老人にお会いしましたが、彼は近ツリのツアーでロシアのアエロフロートで帰国すると言っていました。モスクワ経由ですね。アエロフロートといえば、ソ連時代は搭乗すると直後に毛布の争奪戦が始まると言われていましたが、今はサービスが向上したのでしょうか。あっと驚く航空会社というのも、パックツアーの醍醐味なのかもしれません。Fさんのヨーロッパの旅はルフトハンザ航空でしたね。パックではないですが、シドニーに行った時、関空から大韓航空を利用しました。移転時期で、行きは金浦空港、帰りは仁川空港経由です。機内食でキムチやコリアンバーベキューを出すので、ここはいつもにおいます。なぜか韓国にも旅したような気分になりました。いろいろな航空会社を利用しましたが、それはまた別の機会にブログアップしたいと思います。
2020.08.01
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海外旅行は乗り気ではなかったのですが、ハワイで味をしめて翌年はグアムに行きました。当時は財テクばやりで会社がワラント債を発行し、従業員も希望すれば買えました。株価に変動する金融商品ですからリスクがあります。1口50万円くらいだったでしょうか。数か月して愛方が社宅に住む財務部の家は売ったと教えてくれたので、さっそく売りました。当時はまだアナログの時代で、株価を手軽に知ることは難しかったです。出入りの証券マンが社内のお客(部課長クラス)に株価を書いた紙を配っていました。15万円ほどもうかったので、グアム旅行です。もちろんパックツアーひとり分で、残りは夏のボーナスからです。当時はヒルトンが一番いいホテルでしたが1週間の滞在で20万円以上でした。15万円のパックでは無理で、第一ホテルに泊まりました。ココス島へのツアーがついていました。私は初めてでしたが、愛方は修学旅行で訪れたことがありました。泊りはリーフホテル。英語の研修旅行で、ビジネスクラス(チャーター便なのでせきだけです。)だったそうです。その後のバブルの頃は、欧州旅行にグレードアップです。ハワイに比べるとやはり雲泥の差でした。海はきれいでしたが、場末の観光地といったところでした。赤や黄色のペンキで書かれた日本語の看板に興ざめです。もちろん観光客は日本人だけで、プールサイドでは関西弁や名古屋弁が飛び交ってげんなりでした。グアムへはその後、マイレージ消化でもう一度行きました。日本人殺人事件の前あたりですね。パックでなくてネットでホテルを予約しました。韓国系の安いホテルとニッコーホテルに泊まりました。レンタカーを借りて島内ドライブです。恋人岬もきれいに整備されていました。軍事基地もありますね。ランチでウェスティンホテルに立ち寄ったら、旦那が基地勤めと思われるご婦人方がいらっしゃいました。いずこも同じですね。その後娘たちが生まれて、しばらく海外旅行はNGでした。2歳になる前に、双方の母親を誘ってタイに出かけました。バンコク・パタヤへグッドラックツアーで出かけました。キャセイパシフィック航空の系列で往復香港経由です。往復香港で乗り換えですが、子どもがカイタック空港で遊べてよかったです。街の上をすれすれに飛ぶ危険な着陸もなつかしいですね。2歳未満だと正規航空券の1割でひとり2.7万円払いました。大人はパック料金でした。20数万円?シンガポール行きを希望する愛方を説得してのタイ行きです。この頃、東南アジアは不衛生とのイメジーがありました。バンコクはオープンしたばかりのロイヤルオーキッドシェラトン、パタヤはメルリンでした。水上マーケットツアーや市内観光がついていました。オプショナルツアーは、母たち二人でタイダンスショーです。子どもの面倒を見てくれたのでお礼です。このころタイへの家族旅行は珍しく、観光地で見かけるのは農協や東急観光の買春ツアーの面々ばかりでした。おじさんツアーですね。やるパックなんて揶揄されていた時代です。パック旅行の市内観光につきものなのがお土産物屋まわりです。愛方は数万円のブルーサファイアの指輪を買いましたが、???です。まあ、授業料でしたね。タイといえばシルクですが、ジムトンプソンには絶対に連れて行ってくれませんでした。ただ、なんでも安いのでお買い物天国ではあります。買い物は女性の旅の目的ですから、いちおうは尊重しないと後が大変です。その後も何度かパックツアーで土産物屋まわりをしましたが、無料休憩所と心得てサービスのジュースやお茶などをありがたくいただいています。バンコクへは出張で何度も行きましたが、家族でも2度ほど行ったでしょうか。*パタヤのロイヤルクリフリゾートです。近年は、タイで仕事をした娘が、帰国後休暇を取って愛方姉妹を連れて行ってくれました。私はお留守番でしたが、バンコク女子旅というタイトルでブログアップしました。
2020.07.31
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私が最初に行った外国は、ハワイでした。ハネムーンです。私は近間の伊豆あたりでと思っていたのですが、愛方に強く反対され海外ハネムーンとなりました。勤務していた会社の結婚休暇は5日で、1週間休むのが大変な時代でした。よくデートしていた数寄屋橋の朝日ツアーでバリューツアーのパック旅行を見つけました。ホテルと日程が選べるツアーでした。エアラインがパンナムというのも決め手でした。飛行機に乗り込んだ時からアメリカですね。エコノミー席でしたが、後ろの二人掛けの席を用意してくれました。ワイキキ到着後ハワイアン航空でカウアイ島に向かいココパームスホテルで3泊した後、オワフ島のカハラヒルトンに2泊、最後はお土産を買うのに便利なようにワイキキのハイアットリージェンシーに2泊しました。リムジンで回る半日観光がついて、後は現地のホテルでツアーを申し込みました。シダの洞窟とワイメア渓谷とか、シーライフパークとハナウマ湾、サンセットディナークルーズとかですね。現地の旅行社主催の英語ツアーで、余計なマージンを取られなくて安上がりでした。1ドルが240円の時代でしたから、250ドルのホテル代が6万円です。ハワイの旅でよかったのはやはりゆっくり過ごせたことですね。特にカウアイ島のココパームスはゆっくり時間が流れていました。お客さんはほとんどが中高年の外人さんで、リゾートをエンジョイしているという感じでした。ご主人が定年退職したFさんのハワイの旅ブログは、休みなしのスケジュールでちょっとせわしないかなという印象を受けました。でも、ダイヤモンドヘッドに上ったり、ハワイ島では溶岩流を見たりしてハワイをエンジョイされたようですね。ココパームス:カウアイ島を有名にした、島でもっとも知られるホテルhttps://www.kauai100.com/see/coco-palms-hotel/ 当時カハラヒルトンを予約できるツアーは、バリューツアーだけで海側は確約されませんでしたが、運よく中層階のオーシャンビューの部屋を用意していただきました。山側は青木が優勝したハワイアンオープンのゴルフ場で、こちらも自然あふれるきれいな眺めでした。宿泊者はメンバーでなくともプレーできます。広いテラスがついていて、朝食はここでとっていました。https://jp.kahalaresort.com/Our-Resort/resort-history ツインタワーのホテルは、当時のワイキキのランドマークです。ハネムーンだったので、高めのパックツアーを利用しました。食事は、到着した夜だけツアーの現地担当者がホテルのレストラン「シーシェル」を予約してくれていました。日本人は私たちだけで、まさに外国に来たという感じでした。ゆったりしたつくりで、トレーダービックののような雰囲気と記憶しています。食事のあとダンスを誘いましたが、・・・。お金はかかりましたが、最高の旅でした。ワイキキでなかったのが良かったかもしれません。パックツアーでの曲者は、オプショナルツアーですね。NYに出張していた時、日曜日にナイアガラ日帰り観光に行きました。JTBのNY支店で申し込みましたが、140ドル、2万円くらいだったと思います。空港で渡された航空券には、110ドルとあり、残り30ドルがバッファローからナイアガラまでのミニバス代とミノルタタワーでのサーモンステーキの昼食代プラス利益ですね。バッファロー空港で、他の方たちと合流しました。日本からの新婚さんもいました。JTBなのでお客は日本人ばかりですが、代金はバラバラでした。一番高い人は、日本で申し込んだ方で私の倍くらいでした。随分差があるものだと驚いたものです。後年、旅行代理店の人が書いた「自分で行くオプショナルツアー」?という本を買いました。公共交通機関を利用して安く行くガイド本です。今は、比較サイトでしょうか。https://www.tour.ne.jp/w_optional/list/?kwd=%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%83%A9%E3%81%AE%E6%BB%9Dハワイのショーといえばこの人でした。Danny Kaleikini Live at the Kahala Hilton Hotel - Side 1https://www.youtube.com/watch?v=50yRXoByTUw Danny Kaleikini Live at the Kahala Hilton Hotel Side 2https://www.youtube.com/watch?v=7DowdWZ4cag&t=18s
2020.07.30
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世界は日の出を待っているパックツアーに求めるものは何でしょうか。旅行会社まかせでお手軽。なんにもしなくてよい。エアーとホテルがパックになっていて割安。観光施設も団体割引。旅行会社が日程を保証してくれるし、安全も保証してくれる。日本語が話せるガイドがいる。バスで見所を効率的に回れる。毎回食事がついているので、何を食べるか考える必要がない。旅仲間がいる。お土産の心配がいらない。といったところでしょうか。一回行ってもう嫌、中には海外旅行そのものがNGになる人もいます。逆に、はまる人もいます。勤務していた会社の一階が保険会社のショールームで、よく旅行社がプレゼンをやっていました。二三回冷やかしで参加したことがあります。参加者は中高年が多かったですね。旅という形のない商品、夢を売るようなものですから、紹介ビデオは良くできていますね。これを見たらわざわざ数十万円も払って行く必要はないのではと思ってしまいます。でもいつも晴れの良いお天気とは限らないし、食事が口に合うとも限りません。そして、中高年にきつい時差もあります。ヨーロッパはまだしも北米や中南米はきついですね。世界一周の出張を3回やったことがありますが、日本→米国→ヨーロッパはきつかったですね。月に3回もNYに出張した上司の顔色は、どす黒かったです。続きます。
2020.07.29
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昨日は大雨警報が出ましたが、少し強めの雨といった程度でした。村上から山形にかけてかなり降ったようで、今朝は最上川氾濫のニュースがトップでした。それでも一日中降っていたので外出せず、ネットサーフィンなどをしながら過ごしました。コロナのせいで旅、特に海外旅行のブログは少ないです。そんな中、次の方の旅ブログを読ませていただきました。良かったら、読んで見て下さいね。~2005.7.27 グアム https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/200507270000/2013.8.4~11 フランス https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201308050000/ 2015.8.1~8 ドイツ・スイス https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201508010000/ 2017.11.19~24 カンボジア・ベトナム https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201711200000/ 2017.1.2~7 ハワイ https://plaza.rakuten.co.jp/friendly0205/diary/201701020001/ 私のコメントとリプライです。 ご紹介ありがとうございました。 この二日ほどで読ませていただきました。 モンサンミッシェルやロマンチック街道、そしてハワイ島など訪れたことがないところも興味深く読ませていただきました。 すべてパック旅行とは少し意外でした。 ヨーロッパは遅くホテルに着いて朝早く出発、おまけに全食事付きで大変だったでしょう。 食事も口に合わなかったようで、確かにひどいと思って読ませていただきました。 でもまあ、ご主人と仲良く、同行者もよい人たちだったようで良かったですね。 女性には珍しく買い物好きでないのもいいです。 旅に求めるものは人それぞれなので、いい悪いはいちがいに言えませんが、うちは愛方が肉が食べれないのでパックツアーは難しいですね。 移動が面倒な、中国、インド、トルコ、スリランカは、パック旅行でしたが、中国以外はひとりで参加しました。 動画も入っていてよかったですが、同じ記事が繰り返されていて閉口しました。 早くスペインに行けるとよいですね。 maki5417さんへ 読んでいただきありがとうございました。 二人共英語など語学が苦手で、あまり海外に慣れていないので、添乗員付きパックツアーが主ですww テーマ別にブログを分けてるので、同じ記事が繰り返されてしまい、申し訳ありませんでした。 maki5417さんは、いろんなところに行かれてて、お一人でも旅行されるのはいいですね。夫は旅行好きなのですが、ひとり旅は行かないのです。 うちは私達より子どもたちの方が海外に行ってますね。次女は旦那とバックパッカー世界旅行に1年半ほど行ってました。 お互いまた海外旅行に行ける日が来るといいですね。まずは国内旅行したいですがww
2020.07.29
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カオサン通りです。確かに、若者向けの衣料品が多いですが、原宿とは違いますね。カワイイはありません。両側は、ホテルです。黄色い紙の飾りは国王の誕生日のお祝いだそうです。お昼ごはんです。このお店は、けっこう混み合っていました。60バーツでこの味なら納得です。こちらは、刺青屋さんですね。欧米の人はこの辺で入れるのでしょうか。こちらは、各種証明書作成のお店です。もちろん偽物でしょうが、堂々と店開きです。撮影禁止のマークも見えます。今問題の中国人のニセ国際運転免許証はフィリピンですが、ここも似たようなものがありそうですね。偽造パスポートにならないように、紛失盗難注意です。後ろのボードはサンプルですが、日本のものもいくつかありました。会員証や市民カードもあり、笑ってしまいます。手前は、ジュース屋さんです。生絞りで25バーツ。アンケートを頼まれたので応じたら、これが分量が多く炎天下で大変でした。ひと通り見て、水上ボートで終点まで乗って、オリエンタルまで戻ります。リバーシティに建つロイヤルオーキッドシェラトンホテルです。初めてバンコクに来た時、家族で泊まった思い出のホテルです。できたばかりのホテルでした。オリエンタルホテルに到着です。午後4時にチェックアウトし、まだ時間があるのでホテル近くで足マッサージです。300バーツ。バンコク発 22:25、羽田着翌朝6時のJL034便で帰国です。機内販売でロクシタンの限定セットがあったので、お土産に買い求めました。3つ買って12000円でした。アンコールワットとバンコク11日間(機内2泊)の費用は、15万円ほどでした。無料航空券利用でしたが、3万円ほどのオイルサーチャージはちゃんと徴収されました。バンコクは、この後クリスマス休暇で欧米人が押し寄せることでしょう。そのあとは、年末休暇ですね。軍政で連日タクシン、反タクシンが日本のテレビで報じられていた頃でしたからバンコクは人気のない観光地で、ねらい目でした。おしまいです。
2018.07.02
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船着場からカオサン通りまでの地図です。寄り道しなければ10分ぐらいです。バックパッカー向けのレストランやホテルです。欧米人が目につきます。ハッピーハウスなんて、日本じゃこんな名前はつけない?スマイルホテルなんてのもありますから、どっこいどっこいですね。扇風機だけです。ワット・チャナソンクラームというお寺をのぞいてみました。タイでは有名な寺院の中の一つで年末年始には大勢が参拝に訪れるそうです。チャナ「勝つ」、ソンクラーム「戦争」という意味であり『戦勝寺』といいます。「どのような困難も勝つ」とされ、勝負事を行う際にお参りに訪れると勝利を掴めるといわれています。アユタヤ時代からある歴史のあるお寺です。やせた仏さまは、日本では見ないタイプです。ふっくらとしたのが多いですね。日本の場合は、葬式仏教ですから、葬式法事と坊主に酒は欠かせません。結果、だいたい丸まる太っています。こちらにも、エメラルド仏がありました。このお寺を出たところが、カオサン通りです。
2018.07.02
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12月22日(日)バンコク観光3日目。今夜の深夜便で帰国します。サンドイッチ、ヨーグルト、ジュースは、朝散歩がてらコンビニで買い求めました。マンゴーは在庫処分、コーヒーはホテルのインスタントです。安上がりな朝食です。今日は、カオサンの散策です。昔はバックパッカーの聖地、安宿街でしたが、最近はバンコクの原宿なんて言われているそうです。水上バスで行きます。まずは、オリエンタルホテルへ行き、そこから乗船です。ホテルをのぞくと、立派なクリスマスツリーです。何と、蘭の花でおおわれています。タイですね。オリエンタルの対岸にそびえるのは、ペニンシュラです。遅れてのバンコク進出で、新しいです。しばしのチャオプラヤー川クルーズです。ラーマ8世橋です。 チャオプラヤー・ボート、N13プラ・アーティット(Phra Arthit)埠頭に到着です。船を降りると近くに公園があります。1999年にラーマ9世(プミポン国王)の72歳(6周期)を記念して作られたサンティチャイプラカーン公園です。プラスメン砦は、18世紀、ラーマ1世の時代にビルマの攻撃に備えて建造された 砦の一つです。カンボジアVSベトナム、タイVSビルマ、地続きで互いに戦争を繰り返していたのですね。傾いているわけではありません。念のため。橋の上に見える人波は、タクシン派の反政府デモです。日本では衝突などの映像が流され、家内はずいぶん心配したそうです。カオサンが終点で、みんなデモを楽しんでいるような感じで危険度はゼロでした。それにしても、いまだに軍政です。治安が良くなったとの声もあるようですが、露天が撤去されたりして変わりつつあるようです。
2018.07.01
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続きです。1kmくらい歩いてパッポンに到着です。ベトナム戦争の際に、アメリカ軍兵士が休暇を楽しむために始まったことを起源とする。現在でも外国人観光客や外国人駐在員を主な対象とした、半裸の女性が踊っているゴーゴーバーが密集することでも名高い。夜には路面一面に衣服や装飾品を販売する屋台が並び、海外から多数の観光客が集まっている。隣接するタニヤ通りには日本人駐在員が多く利用する邦人向け高級クラブが立ち並び、ほとんどの店で日本語がある程度は通じる。(ウィキ)こちらは、タニヤのサンタさんです。サンタがいれば、僧侶も。リアルです。でも、誰が買うのでしょう。でもやっぱりパッポンのメインは、これですね。世界中に広がる日本のキャラクターです。偽物もゴーゴーバーも興味ありません。お目当てはこちらです。バンコクで古くからやっているというミズキッチンという洋食屋さんです。ベトナム戦争時には世界各地からやってくるジャーナリストのたまり場だったというお店です。注文したのは、名物のサリカステーキとハイネッケンです。醤油がほしいです。先客の外人さんがレアー、私はミディアムを注文しましたが、店員が間違えてお叱りを受けていました。お代は、385バーツ。スーパーでお土産のチョコレートを買って、マッサージ店によってホテルに戻りました。
2018.07.01
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ノボテルフェニックスホテルは、中級のホテルですがプールとフィットネス施設があります。小さなプールですね。泳いでみましたが、12月なのでプールからあがると寒いです。軽く泳いで退散です。台北あたりだと温水プールですが、バンコクではそれはありません。(画像はHPより)ひと休みして、夕方シーロム通りをパッポン、タニヤに向けてお散歩です。古くからあるショッピング街のディスプレーです。路地を入ると市場があります。こちらは果物屋さん。マンゴーがおいしくて、安いです。シーロム通りに戻り進むと、タイらしいモニュメントがありました。何度も来ていますが、この辺は歩いたことがないので一度も見たことがありません。続きます。
2018.06.30
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わがままな欧米カップルのせいで出発が遅れたので、帰りはノンストップかと思いましたが、トイレ休憩で一か所立ち寄りました。そこは、象さんがいっぱいです。かなりリアルです。アフリカ象でしょうか。こちらは切り株を利用しています。少し気味が悪いかな。象だけでなくライオンもありました。これだけあるということは、買う人がいるということなのでしょうね。とりあえず写真に撮って、早々にバスに戻りました。渋滞に巻き込まれず、明るいうちにホテルに戻ることができました。
2018.06.30
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陸上の施設は広いですが、買いたいものはありません。現地の人向けでしょうか。たこ焼きみたいな?器具でつくっていました。タイでは甘いお茶が売れるそうでが、こちらの甘さはどのくらいでしょう。お昼ごはんに、ボート・ヌードルをひとついただきました。あっさりしたスープで、50バーツです。おお、やっていますね。蛇は冷たくて気持ちがよいと言われても、けっこうです。ポリケースが何とも言えません。簡単に脱走したりして。水10バーツ、コーラ20バーツ、コーヒー40バーツ、ビール50バーツ、・・・。時間を見て集合場所であるバスの駐車場に向かいましたが、ここで事件です。集合時間に戻らなかった欧米人のカップル発生です。ツアー会社の人が市場の中を探し回りましたが、見つからずです。その間、他の客はバスで待機させられ、40分ほど遅れて出発しました。リタイアするなら、ひと言いえばいいものを迷惑な客です。まさか事故ということはないでしょう。夕方のラッシュにかからないか心配です。それなりに面白かったですが、以前に比べて日本人は少なくなったというよりほとんど見かけませんでした。最近は、夕方出かけてホタルを見るツアーもあるそうです。
2018.06.29
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ダムヌンサドゥアク水上マーケットは、ラマ4世時代に造られた運河で毎朝開催されている歴史ある市場です。こちらは、手漕ぎボートですね。家族でお越しのようです。こちらの船には、マンゴスチン、マンゴー、ライチ、ドリアンなどが積まれています。手前は、ココナツジュースですね、やはり食べ物が多いですね。マンゴーを買ってみました。70バーツです。ここで陸上にあがって、1時間ほど自由見学です。この間各自で昼食をとります。こちらは普通のお土産屋さんです。こちらは、タイお得意の品物が堂々と売られていました。あまり感心しませんね。やはり偽物は買わないことでしょう。こちらは、伝統的な商売です。見るだけで十分です。真ん中の船では、バナナを焼いています。続きます。
2018.06.29
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水上マーケットツアーの続きです。バナナやヤシの木と、南国ですね。清流とは言い難いですが、臭くないです。こちらは観光用でなく、地元の人のボートですね。川べりからやさいいお顔の大仏様が見えます。日本と違ってカラフルです。時折、住居が見えます。こちらのお宅はお花がいっぱいです。このあたりから、すれ違うボートが多くなります。サングラスが似合いますね。人が乗っていないと、舳先が大きく上がります。こちらは日本人?このボートは、太めの外人さんにはきついようです。お店が見えてきてそろそろ、到着です。続きます。
2018.06.28
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12月21日(土)バンコク3日目です。今日は、水上マーケットツアーに参加です。前日ホテルのツアーデスクで申し込みました。お代は1200バーツ、4200円ほどです。バンコクからのツアーだとアユタヤ観光や戦場にかける橋のカンチャナブリ観光などがあります。昔はローズガーデンという象のテーマパークみたいなのがありましたが、クローズです。水上マーケットは、最初に訪問した時に行きました。ロイヤルオーキッドシェラトンホテルからボートで行ったミニツアーです。当時は、大小何か所かありましたが、今は観光地に特化した ダムヌン・サドゥアク くらいです。8時半ごろホテルにピックアップの車が来て、ワールドツアー社の事務所に連れて行かれます。そこから、ツアーごとに出発です。日本人も何人かいましたが、ほとんどよその国の個人客です。6割くらいの乗車率で、所要時間は2時間くらいです。途中で、休憩です。蘭が栽培されていました。こちらはやし畑です。点心?砂糖を作っているところです。こんなものも売っていました。お子様向けですが、こちらはどうでしょう。とどめはこちらですが、通関、検疫は大丈夫?よその団体さんには、こんなサービスも。いくらかは聞きませんでした。20分ほどして出発です。マーケット手前の殺風景な船着場から乗船です。怪しいおじさん?いえ写真サービスの人ですね。破れた日傘がなんとも。水上マーケットに向けて出発です。続きます。
2018.06.28
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ワットアルンの続きです。大塔の中腹まで登れますが、かなり急です。この時は、先代の国王が存命でした。王宮付近は、高いビルがありません。小塔が、傾いているように見えます。大仏塔の周りにある4基の小塔も、大仏塔のミニチュアで同じ造りです。色とりどりの飾りの正体は、砕いて嵌め込まれた陶器です。右手の金のドームがのっているビルが、家内たちが4月に泊まったホテルルブアです。舟で戻ると4時をまわっていたので、散策はここで終了です。タクシーを拾いますが、なかなかメーターではOKしません。300バーツとふっかけてきます。結局3台目で150バーツの車に乗ることにしました。運転手になぜ高いのかと聞くとトラフィックジャムと答えます。途中3か所ほど混雑していましたが、おおむね順調でした。一言「ノー トラフィックジャム」と言って、下車しました。ホテルに着いたら4時半になっていました。翌日の水上マーケットツアーを申し込んで、部屋に戻ってシャワー&ビールでひと休みです。ホテル前のマッサージ屋さんでオイルマッサージ(900バーツ)を受けて、ローカルの庶民的な食堂で夕食をとりました。お代は64バーツでした。そこそこ歩いたので、ぐっすり眠れました。
2018.06.27
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ワットポーのマッサージはNGだったので、その時間を対岸のワットアルン見学に当てました。船着場から渡し船で向かいます。渡し船の上からです。アルンとは「暁」という意味で、三島由紀夫の小説「暁の寺」に描かれた寺院です。アユタヤ時代に建立され、当時はワット・マコークという小さな寺院でしたが、1779年、トンブリ王朝のタクシン王がエメラルド仏を祀りワット・アルンと名付け、第一級王室寺院としました。トンブリ王朝からチャクリー王朝となってからはワット・プラ・ケオが第一級王室寺院となり、エメラルド仏も移されました。大仏塔の右にある本堂はラーマ2世の建立で、台座には王の遺骨が納められています。*中段まで登れます。5基の仏塔のうち、大仏塔の高さは75メートル、台座の周りは234メートルです。他のタイ仏教寺院とは趣を異にしたつくりですが、ヒンドゥー教の聖地カイサーラ山をイメージして造られたものだそうです。最初に訪れた時は一番上まで登れましたが、今は危険なので途中までです。それでもかなり急です。上から見るとこんな感じです。塔の中腹で記念撮影です。続きます。おまけ:最近では、ライトアップされた暁の寺院を見ながらのディナーもあります。バンコク女子旅から。
2018.06.27
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ワットポー(涅槃寺院)、ワットプラケオ(王宮・エメラルド寺院)、ワットアルン(暁の寺院)はタイの三大寺院ですが、そのうちのひとつワットポーを訪れました。ラーマ3世によって造立された涅槃仏は、全長46m、高さ15mと大きなものです。目を開いて横たわっている場合は、最後の説法をしている様子目を閉じて横たわっている場合は、全てを終えて入滅する様子だそうです。こちらは前者ですね。 足の裏には仏教の世界観を現した108の図が、美しい螺鈿細工によって描かれています。頭の後ろ側です。こちらはお背中です。建屋も大きく、多くの人が訪れていました。涅槃仏以外にも仏さまがいっぱいです。東洋医学に基づくタイマッサージの総本山となっており、敷地内ではタイ古式マッサージを受けることができますが、40分待ちと言われてあきらめました。料金:タイマッサージ30分 260バーツ タイマッサージ1時間 420バーツ 足マッサージ30分 280バーツ 足マッサージ1時間 420バーツ以前に比べるとずいぶんお高いです。しかし、街のマッサージ屋さんに比べれば、お安いです。入場券の半券で、ボトルの水をくれるサービスがありました。
2018.06.26
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王宮見学のあとはランチです。何の像かは不明です。日本でもほとんどが日本語表示ですから、外国人は何だろうと思って見るのでしょう。公園があったのでのぞいてみると、その一角は青空ジムでした。マシンもあってなかなか本格的です。こちらは中国風の建物です。カフェのようです。川沿いには観光バスがたくさん駐車していました。この辺が駐車場になっているようです。路上販売です。ガイドブックに載っていた食堂ガオラオ・サーモンムーに行きましたが午後2時を過ぎていたのでクローズしていました。豚の脳みそスープのお店です。http://www.街かどタイ料理.com/article/ガオラオ・サモーンムー.html開いている他の店でビーフカレーを食べましました。庶民的なお店で、一度こんなところで食べてみたかったのです。お代は60バーツでした。ピッグ・メモリアルです。食肉豚の慰霊碑かと思ったら、1913年に建てられた豚年生まれの王妃50歳の記念碑です。日本なら、干支は豚ではなく猪ですね。食後、ワット・ラーチャポピットを訪れました。 1869年にラマ5世によって建設された由緒ある寺院です。 いくつも門をくぐります。人も少なく静かなお寺で、4名の若者が僧となる儀式を受けていました。この辺りは役所に近いのか、警備が厳重でした。
2018.06.26
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エメラルド寺院などのワット・プラケオ見学のあとは、となりの王宮見学です。チャクリー・マハ・プラサート宮殿。屋根はタイの伝統的な建築様式、建物のデザインにはビクトリア様式です。西洋風の庭園と相まって、壮麗で上品な雰囲気を漂わせる白亜の宮殿です。あちこちに衛兵が立っています。象さんとのコラボです。このおばさんは、ちゃっかり記念撮影です。扉の兵隊さんは、とても強そうに見えません。ユーモラスな感じです。こちらは、中国風です。見学できますが、中は撮影禁止です。チャックリー宮殿の隣にあるのがドゥシット・マハ・プラサート宮殿です。タイの伝統的な様式の屋根が幾重にも連なり、優し気な曲線美を持つ宮殿です。歴代王の戴冠式に使われました。反対方向からです。服飾と貨幣の博物館も見たので、随分時間を費やしました。王宮の方まで見たのは初めてです。十分元を取りました。道路をはさんだ向かい側の建物は、国防省 MINISTAY OF DEFENCE です。黄色というのが、なんとも言えません。
2018.06.25
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ワット・プラケオの中には、こんなものも数日前に見たばかりのアンコールワットです。このワット・プラケオを建造した時代の王であるラマ4世がアンコールワットを訪れた時に感動して模型を造らせたものです。何とも不思議な感じです。出入り口には、ラーマキエンというタイの民族叙事詩ともいうべき物語を描いた回廊絵があります。シーター妃というお姫様を巡ってラーマ王子と羅刹王トッサカンが争う物語です。すべて上演すると700時間以上という大作 ですが、回廊絵は170枚とのことです。こんな風に切れ目なく続きます。以下悪役キャラを中心に目についたものをアップします。鮮やかな色彩でいろどられた一大絵巻でした。ラーマキエンあらすじ:ヴィシュヌ神の生まれ変わりであるアユタヤー国のラーマ王子とシータ王妃は、お家騒動で国を追われてしまい、仕方なく森で隠棲生活をしているときに、シータ王妃がランカー国の羅刹王トッサカンに誘拐されてしまいました。シータ王妃を救いだすために、ラーマ王子は弟のラック王子や風神の息子猿のハヌマーンと猿軍の協力の下ランカー国に向い、見事トッサカンを破ったラーマ王子はアユタヤー国に帰り王位に就きます。その後シータ王妃の貞節を疑う事件がおき、ラーマ王はシータ王妃を追放してしまいました。森の仙人の下に身を寄せたシータ王妃はやがてラーマ王の子供を産みます。その子が成長して事件を起し、遂にラーマ王とラーマ王の子は闘うことになりましたが、そのとき、ラーマ王はふたりが親子である事を確信しました。前非を悔いたラーマ王はシータ王妃を迎えに行きますが、シータ王妃は王宮に帰る事を頑なに拒否しました。そこでラーマ王は一計を案じ、シータ王妃を王宮に呼び寄せようとしましたが、それが却ってシータ王妃の怒りをかい、シータ王妃は地の底の竜神王国に身を隠してしまいました。その後ラーマ王は善行を積み、シヴァ神の仲裁でシータ王妃と仲直りをし、子供達とも幸せに暮らしたということです。めでたし。めでたし。(タイ徒然紀行から)
2018.06.24
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こちらは、生身の兵隊さんですが、王宮にも守護神がいっぱいあふれています。狛犬でしょうか?修学旅行生ですね。こちらは、鳥がモチーフですね。金箔と色ガラスで絢爛豪華です。神話に登場する半魚人の黄金の仏像です。キンリーは、胸の前で両手を合わせた天女で、歌や踊りを得意とする半魚人です。タイの神話「ラーマキエン」は、古代インドの叙事詩「ラーマ―ヤナ」がもとになっています。男性は、ギンナリーだそうです。きらびやかな衣装が目を引く鬼神たちです。こちらは大きな守護神?です。続きます。
2018.06.23
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バンコク観光の定番王宮&ワット・プラケオを訪れました。20年近く前に行って今回が3回目です。パックツアーではエメラルド寺院を見るくらいですが、今回はひとりなのでじっくりと見ました。暑いので小さな子どもを連れていると長居はできません。警備は厳重です?衛兵の交代でしょうか。凛々しいですね。短パンはダメなので、男性もパジャマのようなダブダブのズボンをはかされていました。服装チェックが終わると入場です。料金は500バーツ。直に払ったのは初めてです。高いですね。バンコクで一番高い入場料です。ちゃんと元を取らないといけません。約240年前ラーマ1世がバンコクでチャックリー王朝(タイの現王朝)を開き、初代王が1782年に居城として築いたのが王宮です。敷地の中の王室専用寺院が集まっているエリアが、ワット・プラケオです。いつ来ても美しい景色です。最初は祖母二人と6人で、次は家族5人で、写真におさまりました。今日はこちらの方々が記念撮影でした。日本の高校生のようですが、修学旅行?野球チーム?若いうちに海外を経験するのはいいですね。ネットで知った気になっているネット右翼とは、無縁でしょう。3つの仏塔が横一列に並んでいます。前から「黄金の仏塔」(仏陀の遺骨を納める塔)、「経堂」(金の法典を納める塔)、「御堂」(歴代のタイ国王の像を安置する塔)です。ワット・プラケオの中で最も重要な建物が本堂です。エメラルドの仏さまがまつられているので、“エメラルド寺院”と呼ばれています。う~ん。デジカメではこんなものですが、売店にご本尊のお写真が売られていました。夏、雨期、冬と、3回お着換えです。盆栽?と黄金塔はるばる来たぜバンコク、でしょうか。六つしか映っていませんが、ワット・プラケオの敷地を守るように整然と並ぶ姿が美しい「8つの仏塔」です。続きます。
2018.06.23
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12月20日(金) 晴れ6時30分起床。8時40分ホテル発。タクシーにて街歩きの拠点のロイヤルホテルに行きました。9時15分ホテル着です。メーターで行ってくれて、95バーツでした。但し、2台待ちました。かっての名門ホテルです。日本でいえば帝国ホテルといったところですでしょうか。タイの田舎から出てくる人が良く泊まるそうです。うちの親も上京した時、帝国ホテルを希望して泊ったので、似ていますね。ホテル近くのプラ・メー・トラニ像です。大地の女神(地母神)の髪から絞り出される水は、大地に豊かな実りをもたらすといわれ深い信仰の対象になっています。ここから出ている水で清めれば、無病息災と信じられているそうです。路上で何か売っています。のぞくと、・・・。朝からお盛んなようです。お寺のような建物に近づくと。お供え物を売っていました。どことなくそっくりでした。建物の中に入ると、金色の柱がありました。ラック・ムアン 市の柱 です。タイでは街を新しく作る時その中心となる場所に祠を建てる決まりです。街の礎石で、ここがバンコクの起点ということです。仏像にはお供えの金箔が貼られています。次は、王宮に行きます。タイらしいロータリーです。
2018.06.22
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カンボジアの後、バンコクに3泊しました。しばらく行ってなかったので、街歩きしたかったからです。12月19日(木) 曇り15:30バンコク到着。バスゲートに行く途中睡魔におそわれて、とても長く感じられました。入国手続きは割合スマートで助かりました。改善した?すいている時間だったのでしょう。最初に家族連れで来た時、優先して手続きしてくれたことが忘れられません。幼児や老人にやさしい国だと思ったものです。荷物が出てこないので心配しましたが、すでにレーンから降ろされていました。両替を済ませ、タクシーでホテルへ向かいます。(375バーツ)ノボテル・フェニックスは小じんまりしたモダンなホテルです。4つ星ですが、部屋はシャワーのみでバスタブはありません。朝食なしで1200バーツ=4400円です。テレビは固定です。勢いがよいので、気を付けないと水びたしになります。高速道路が見えますが、室内は静かです。ひと休みした後、6時半に街歩きに出かけました。シーロム通りを歩いていると、竹亭という日本料理屋があったので入りましたが、大失敗でした。さば定食 175バーツです。ご飯も焼き鯖もNGです。今どきバンコクにこんな店があるなんて信じられませんでした。日本人の店主が口直しにアイスでもとすすめてきましたが、早々に退散しました。*竹停は事情により閉店し、今は奥さんの実家のタイ南部で営業しています。 ブログもお引っ越ししました。不景気なのかタニヤは道路に女の子があふれていました。ここでUターンです。9時半にホテルに戻って就寝です。シムリアプからバンコクに来ると、大都会に来たという感じです。
2018.06.21
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上記はホテルのHPからの画像です。館内にはカンボシアらしい装飾や女神像であふれていました。廊下を飾る女神たちです。プールサイドにも女神が。ホテル代は、朝食付きでUS$90でした。
2018.06.15
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760mに及ぶ回廊はヒンドゥー神話をメインに8つの異なる物語が彫り刻まれています。クローマーマガジンおすすめのレリーフです。1.「マハーバーラタ」インド叙事詩。神が味方する5人の王子(バーンダヴァ軍)と従兄弟100人(カウラヴァ軍)の兵士達が国王の座をめぐって争っている。2.「創建者スーリヤバルマン2世の行軍」複数の傘の下、当時の国王、スーリヤバルマン2世が王座に座る姿で描かれている。王の姿はここでしか登場しない。 3.「天国と地獄」串刺しの刑、火あぶりの刑など人々が地獄で苦しむ姿が生々しく彫刻されており、中央には裁判を行うヤマ(閻魔大王)の姿も描かれている。 4.「乳海攪拌」神々と阿修羅たちが不老不死の薬アムリタを作り出すために、大蛇を綱代わりにして海をかき混ぜる。ヒンドゥー教の天地創造の物語。 5.「ヴィシュヌ神の隊列と阿修羅軍の決闘」左側がヴィシュヌ神率いる軍隊、右側が阿修羅軍だ。未完成だった壁画は16世紀に再び彫刻されたという。 6.「鬼神バーナを攻撃するクリシュナ神」ヴィシュヌ神の化身であるクリシュナ達がガルーダに乗りバーナを攻撃している。24本腕で登場する鬼神がバーナだ。 7.「神々と阿修羅のアムリタをめぐる戦い」乳海攪拌より誕生した不老不死の薬・アムリタを巡り争う。ヒンドゥーの神々が其々の乗り物に乗り登場している。 8.「ガルーダに乗ったヴィシュヌ神」「アナンタ(蛇)の上に横たわり瞑想するヴィシュヌ神」のほか、月神や太陽神なども描かれている。9.「ラーマーヤナ物語」インドの二大叙事詩のひとつ。さらわれたシータ姫を取り戻すための、ラーマ王子兄弟と猿の軍団VS魔王ラーヴァナの率いる悪魔軍との戦い。以下は、私が興味を持って適当に撮影したレリーフです。遺跡巡りは歴史や文化、エピソードを知っているほうがいいですが、それを機会に勉強するのもいいかもしれません。不老不死の薬・アムリタ吉祥寺にアムリタ食堂というタイ料理のお店がありますが、名前の由来はこれからでしょうか。たくさんのレリーフがあるので、自分のお気に入りを探すのもいいかもしれません。
2018.06.15
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カンボジア最終日です。12月19日(木) 晴れ4時30分起床。熱い風呂に入って、7時朝食です。今日のテラス席は韓国人だらけです。団体さんは韓国のり持参です。これがないとだめなのでしょうか。8時終了。出発の11時までまだ3時間もあるので、部屋で昨日博物館で買った絵葉書を2枚書きました。11時チェックアウト。良いホテルでしたが、増築中でうるさかったです。シティビューの部屋を見たら、隣のホテルの壁がせまっていました。朝食はしょぼかったですが、熱い風呂に入れてよかったです。トゥクトゥクを呼ぶと昨日のNo.7の運ちゃんが俺の客だといってしゃしゃり出てきました。専属にした覚えはないですが、空港までUS$5です。空港に着くと長蛇の列です。プレミア&ウェッブのカウンターがすいていたので、ダメもとでならんだらOKでした。出国係官が何か言った。ようですがわかりませんでした。2度目で、日本語でこんにちはと言っているようだとわかりました。出国税のUS$25は徴収されなかったです。発券時の費用に含まれていたのですでしょう。空港内でマンゴーが売っていたので、買って食べてみました。US$1.5で5切れ、冷たくておいしかったです。12:45搭乗。9割くらい座席が埋まっていました。あわただしく昼食を食べて、15:30バンコク到着です。通常のパックツアーだと滞在は2~3日でしょう。その倍過ごして十分堪能しました。最近はイオンの名を冠した博物館ができました。発掘や補修がすすみ今後ますます発展してゆくことでしょう。それにともなってひとびとの暮らしがよくなることを、願ってやみません。プールサイドの花々です。
2018.06.14
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カンボジア5日目です。12月18日(水) 曇り2時に目が覚め、30分ほどTVを見て2度寝です。4時30分に起きて風呂に入りますが、お湯が出るまで時間がかかり何とバスタブ1杯分が無駄になってしまいました。今朝は雲が多いです。6時50分朝食。内容はサエムホテルと似たりよったりですが、やや落ちます。オムレツ、コーヒーは論外です。フルーツもバナナ、パイナップル、ドラゴンフルーツの3種類だけで少し期待外れでした。韓国人を意識してかキムチが置いてありました。人が多かったのですいているテラス席に座りましたが、風が吹くと寒いです。今日は博物館に行きます。アンコール国立博物館まで往復US$8と言ってきたのでUS$7に値切って、9時20分ホテル出発です。チケットを持っていないと言うと、Easy Travelという旅行代理店によってチケットを買わされました。並ばなくて済むからとのことでしたが、すいていたので杞憂に終わりました。バックマージンねらいでしょうか。館内は中国人が多く、説明ビデオは中国語が選択されていました。日本語の説明を聞きましたがわかりやすかったです。ガイドもこのくらい説明してくれたらよいのにと思いました。見学に2時間とりましたが少ないくらいでした。途中でスーパーによって、ビールやおつまみを買ってホテルに戻りました。マッサージの予約をするといっぱいで、18時からです。13時から泳ぎましたが、プールからあがると日差しはありますが肌寒いです。部屋に戻って仮眠です。7時のNHKニュースによれば、東京は今夜雪になり今年一番の寒さで明朝は3°Cになるとのこと。帰国したら風邪をひくかもしれないと心配になります。朝から泳いでいる人もいます。午後6時 スパにてオイルボディーマッサージ+リフレクソロジー+ジャグジー。最初にやや太めのおばさんが足を洗ってくれます。次にマッサージ嬢?に個室に案内されて小ささな黒いパンツに履き替えて、マッサージ開始です。もみ始めて痛くないかと聞かれたので、大丈夫と答えるとやや強めになります。気持ち良いですが、もう少しなめらかなもみをお願いしたいですです。リフレクソロジ―は痛かったです。特に親指は噛まれているような感じでした。後で見るとオカリナのような木の器具があったのでこれで押されたのでしょう。サロメチールが入っているクリームでふくらはぎを揉まれて、これは気持ち良かったです。最後は頭のマッサージでしたがこれもかなり強い力でした。時刻はここで8時。ジャグジ―は、ぬるめの花風呂で、レモンの香りがしました。10分ほど浸かって、シャワーを浴びて終了です。3時間コースですが、2時間30分くらいで終了です。女性なら化粧の時間もみて3時間くらいかかるのでしょう。料金はUS$55です。日本の半値以下ですが・・・。部屋に戻り10時就寝です。クリスマスの飾りです。前庭に出ると。ディズニーも真っ青です。明日はバンコクです。
2018.06.14
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3時20分、少し早いが待ち合わせ場所に行くと、ほどなく迎えがやってきました。帰りにキリングフィールド博物館に寄ってくれて、骸骨を積み上げたガラス張りの建物を見ることができました。マッサージを勧められましたが、怪しそうだったので断ってホテルに戻りました。被害者の遺骨が納められた塔です。ローマのカタコンベみたいですが、重みが違います。ダルマスクールとあります。日本のお寺や企業が支援している学校のようです。こういうところはひとりで訪れるのがいいです。犠牲者の冥福を祈って、少し思い気持ちでホテルに戻りました。こうしてアンコールワット観光ができるのも、平和だからですね。どこのホテルのロビーにもこうしたものがあります。16時、部屋にはマンゴーとドラゴンフルーツが用意されていました。ナシゴレン(US$6)19時からバーでフィリピンバンドが演奏するとのことです。しかし、疲れたのでルームサービスで夕食をとりました。ビールもやめて今日は休肝日です。9時過ぎには瞼が重くなり就寝しました。
2018.06.13
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今日はひとりで見学です。前日案内されなかったところも行ってみました。建物には猿も数匹いて、近寄って写真を撮ろうとしたら小便をし始めました。土産物屋も人が少なくてひまそうです。定番の観光路から外れたところはひっそりとしています。中央の塔に行くと、今日はクローズです。それで、人が少ないと得心しました。その分すいていて静かで良かったです。3時をすぎると、団体客が目立ちました。暑いのでホテルで休憩していたのでしょう。日本人の団体も2組見かけました。老人ばかりのツアーでした。十字回廊にある墨書です。江戸時代に「祇園精舎」と勘違いして訪れた森本右近太夫の記した書をはじめ、周辺に日本人による14の落書きが残ります。壁には所々、朱色が残っていることから、当時は漆塗りの上に、金箔がかぶせられていたと推測されています。 往時は、水がためられていたそうです。再現してほしいですね。ずいぶん厚着のふたりです。どこから来たのでしょう。こちらはコリアの団体さんですね。残念ながら今日は塔に登れません。マハーバラータから始まりラーマヤナ物語まで、第一回廊の760メートルにわたるレリーフを見て回り、十分観光しました。足元にはこんなものも。仏足石?写真撮影には今ひとつの空模様でしたが、涼しくて見学にはよかったです。
2018.06.13
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12時にミラクルホテルに到着です。想像していたよりも立派なホテルで、ロビーが広いです。大柄なちょっと恐そうな顔のホテルマンが対応してくれて、部屋に案内されました。6階建ての4階の部屋では明るく紫色のクッションが印象的です。4つ星から5つ星ホテルにランクアップです。プールもふたまわりくらい大きいですが、向かいにレンガむき出しの建設中のホテルが見えて興をそがれます。洗面所はシャワーブース付きで、熱いお湯が出たのでさっそく風呂に入りました。昼はパンとオレンジ&コーヒーで軽くすませました。ひと休みして、涼しかったのでアンコールワット観光に再び出かけることにしました。3日間有効のチケットは今日までです。先ほどのホテルマンがトゥクトゥクを手配してくれました。往復でUS$10です。運転手は人のよさそうなおじさんです。いつものメイン道路ではなくて埃っぽい脇道を通って行きます。近道なのでしょう。途中で振り返って話しかけてくるので少し怖いです。バルーン乗り場の横を通り過ぎて、20分ほどで到着しました。時刻は13時20分、2時間後の15時30分にピックアップするとのことで、市内に戻って行きました。厚い雲ですが涼しいです。上智大学の補修プロジェクトの説明版です。昨日に比べてすいていて、涼しく随分楽です。気の向くまま寺院に向かって歩いていると、乞食の少年につかまってしまって、しつこく付きまとわれてしまいます。個人客はねらい目なのでしょう。最初の子に飴をあげたのを見られたのか、「ワンダラー、・・・」としつこくつきまとわれ少し気味が悪かったです。無視し続けるといつの間にか消えてしまいました。それにしてもしつこかったです。前庭北経蔵です。日本の支援プロジェクトです。昨日は気付かなかったのですが、ココナッツジュース売りや、パイナップル売りがいました。それに記念撮影用の馬もです。チャイナさんが買い求めていました。あのジャンプ写真の場所です。こちらは境内のお土産物屋さんです。お店の裏の空き地では、こどもたちが遊んでいました。続きます。
2018.06.13
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ロリュオス遺跡群の最後の見学場所です。3.バコン通路に紫の花が咲き、まわりに堀がある広い遺跡です。あとで造った塔が印象的で、登ってみました。ここでも説明はおざなりで、遷都の理由を尋ねても要を得ません。遺跡のテラスで休んでいる時、彼が政治の話をしてきました。30年間の長期政権にうんざりしており、遅れたアンボジアを変えたいが、無力感を感じている模様です。カンボジアは米が十分とれてなんとか食べていけることが、穏やかな国民性をつくっているのだと感じました。ハリハラーラヤ王都の中心寺院で、アンコール時代初のピラミッド型寺院です。 大きさは東西900m、南北700m程です。設当時、中央祠堂はレンガ造りでしたが、12世紀に入り、砂岩で造り直されました。中央祠堂からの眺めです。ここで、ガイドさんと話しました。政治への不満を聞かされるとは思ってもいませんでした。お客がひとりだけだったからでしょうか。10時30分 観光終了です。トトントガイなど他に3か所ほどありますが、こちらは廃墟度がひどくマニア向け?です。帰りの車内でうとうとしてしまいました。途中で市内最大のマーケットの前を通ると、人でにぎわっていました。オールドマーケットは、観光用?11時 ホテル着。予定より早かったので、プールサイドで時間をつぶし、40分にチェックアウトしました。次のホテルはミラクルと告げると、いいホテルだといわれ少し期待しました。トゥクトゥクを手配してもらい、移動です。US$2。今回のランドパックは、「はじめてのカンボジア3泊4日」(スーペリアホテル)で、ひとりで利用してUS$240でした。食事も付いていたので、使ったお金はビール代くらいでした。アンコール遺跡パスは、3日間US$40を購入しました。
2018.06.12
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旅行4日目、ランドパック観光3日目です。 2月17日(火) 曇り 5時30分に起床しました。為替相場は103円で、やや円安。 朝からお教が聞こえます。近所の法事とかで、昨日ホテルからお詫びのレターが配布されていました。6時朝食です。今日は麺を食べですました。美味しいですが量が少ない分は、おかゆで充足です。3日目なのでそろそろ飽きてきました。7時40分ロビーに下ります。風が冷たくて、長袖を着てきて正解です。7時50分ピックアップが遅いと予定表を見ると、8時45分となっています。なんとまだ出発まで1時間もあります。とんだねこブルです。部屋でに戻ってNHK「ファミリーヒストリー 天童よしみ」を見ました。祖母は福島県只見の出身。貧しかった当時の日本が、今のカンボジアと重なってしまいました。最後まで見たかったのですが時間なので、ロビーに下りました。今日のガイドはヴィーさん。昨日の石田さんに比べると、暗い印象のガイドさんです。今日のツアーは私ひとりなのでトヨタの乗用車でした。革張りで座り心地が良いです。国道6号線を東(プノンペン方向)へ進み、20分ほどでロリュオス遺跡群の最初の見学場所であるロレイに到着しました。ロリュオス遺跡群 アンコール地域から約15km地点にあるこの遺跡群は、8世紀末から9世紀にかけて栄えていた王都ハリハラーラヤである。 クーレン山で独立を宣言したジャヤバルマン2世が場所を決定し、インドラバルマン1世が都を拡大したとされるが、ロレイ建造後に治水問題で現在のアンコール地方へと遷都した。(クローマーマガジンから)1.ロレイ韓国人の団体客で、結構混んでいました。ガイドの説明はおざなりで、やる気が感じられません。遺跡は傷みが激しく、5分程度で次へ移動です。古い遺跡なので傷みが激しく、修復中でした。ちょっと太めのデバターですね。4つの祠堂中央の中央にあるリンガを、なでるコリアさんたちです。2.プリア・コーロリュオス最古の遺跡です。聖なる牛という意味だそうですが、その名の通り3匹の牛の像がありました。観光客目当ての子供が何人かいました。小さな公園のような感じの場所でした。しばらくしたら近ツリの団体客が来ましたが、老人ばかりです。10分くらい見て次へ移動です。シヴァ神の乗り物とされるナンディン牛の像は、祠堂正面に三体並び、神が堂から出て来るのを待っています。同じかなと思ったら微妙に異なります。金剛力士象ですね。3人のうちふたりは裸足です。寺院はレンガ造りで、中央伽藍の六基の祠堂を三重の周壁が囲みます。 王が両親に捧げるために造った菩提寺といわれて、創建時は漆喰で覆われ白い寺院だったそうです。
2018.06.12
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5.プノン・バケンプノン・バケンは、アンコール三聖山プノン・ボック、プノン・バケン、プノン・クロムのひとつです。9世紀末ヤショーヴァルマン一世が建立しました。自然の急勾配を利用した参道を登ると広場があり、奥にピラミッド式の遺跡があります。夕日が見られるかどうか微妙な天気でしたが、とりあえず山を登ります。20分くらいで階段前に到着し、10分くらい待たされた後山頂への階段を登ることができました。アンコールワットをはじめとして360度のパノラマを見ることができました。補修中ですね。雲がありますが、なんとか夕日が見れそうです。ベストポジションは早く来た先客に占められていました。17時10分くらいから空が赤く染まり、同40分には日が沈みました。それほどでもなかったですが、見ることができて良かったです。サングラスを忘れたことと、夕焼けの撮影中にカメラのバッテリー切れが悔やまれます。 日が落ちると真っ暗になるとのことで、少し早目に下山しました。18時に登山口の像のタクシー乗り場が集合場所です。真っ暗な中、蝉のうるさいくらいの鳴き声を聞きながら下山しました。150人くらいはいたでしょうか。6.影絵芝居とアプサラダンスのディナーショー会場はレストラン「バイヨン」です。予想以上に大きくて立派なシアターレストランでした。通常は$12ですがツアーなら$7とのことです。それで昨日$7返金を受けました。NECのお兄ちゃんも予定を変更して参加したので、3対3の合コン?となりました。みんなビールを注文です。久しぶりの大ビンは飲みごたえがありました。 1階のセンターフロアーは欧米人の団体が占め、我々は2階席の中央でした。6時30分からの料理はバイキングで結構種類があり、寿司もあったのには驚きました。7時30分からの影絵芝居はストーリー不明でいまいちでした。ダンスは最初が農民の踊りで、次がアプサラダンスでまあまあといったところでした。8時30分終了で、9時ホテル着。風呂に入って就寝しました。今日は良く歩いた1日で、右足のふくらはぎが痛いです。トリップアドバイザーに記事が載っています。https://www.tripadvisor.jp/Restaurant_Review-g297390-d1644473-Reviews-Bayon_Restaurant-Siem_Reap_Siem_Reap_Province.html
2018.06.10
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寺院の壁面には王宮の舞姫を模したという多くの女神が彫られています。変色しているのは、参拝者の触れた痕ですね。本来なら、美術館に移すのでしょうが、そこまでの余裕はないようです。高いところにあるものは無事?です。回廊にはレリーフが彫られています。ガイドさんが熱心に説明してくれますが、気になったのは韓国人のツアー客に対しては韓国人のガイドが説明していました。本来は、カンボジア人の国家資格を持ったガイドのはずですが、韓国人ツアー客の急増で養成が間に合わなくOKだそうです。ソウル-シムリアプは直行便が運航され韓国からは便利です。何か所か説明を聞いて、静かな南側の回廊を散策します。この辺は、本当に静かで遺跡を独り占めしているような気分でいい感じです。そろそろ出口に向かいます。この時間でもまだ入ってくる人がいます。ひと通り見た感じでしたが、まだ物足りません。また、来ましょう。
2018.06.10
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<アンコール3大遺跡> アンコールワット 王の墳墓として建立。左右対称の巨大な寺院はクメール建築の最高傑作と称され、壁画の緻密さと美しさに圧倒されます。 神々が宿ると言われる第三回廊が見どころです。アンコールトム 「大きな街」という意味の大型の城塞都市。中央には「カンボジアの微笑み」と称される四面仏バイヨンがあります。タ・プローム 仏教寺院として建立。成長した榕樹が寺院に絡み付くのは「生きている遺跡」。旅行会社の案内です。アンコールワットの歴史(ウィキから)を簡単に。12世紀前半、アンコール王朝のスーリヤヴァルマン2世によって、ヒンドゥー教の寺院として30年を超える歳月を費やし建立されました。16世紀に、仏教寺院に改築されました。1860年、寺院を訪れたフランス人のアンリ・ムーオ(英語版)の紹介によって西欧と世界に広く知らされました。私が小学校3年の時に読んだ本には、「フランス人がジャングルで発見」とありましたが、現地の人はもちろん、16世紀にはポルトガル人が、17世紀には日本人が参詣しています。1887年、カンボジアが仏領インドシナとされ、1907年にシャムからアンコール付近の領土を奪回すると、フランス極東学院が寺院の保存修復を行いました。カンボジア内戦でポルポトのクメールルージュに破壊されましたが、1992年にはアンコール遺跡として世界遺産に登録され、今日に至っています。伽藍は周壁は東西1,030メートル、南北840メートルでラテライトにより築かれている。前庭を越えると三重の回廊に囲まれ5つの祠堂がそびえる。第一回廊は東西200メートル、南北180メートルで、多くの彫刻が施されている。第二回廊は東西115メートル、南北100メートルで、17段の石段を登り入る。彫刻などは無く何体かの仏像が祀られている。そこを抜けると石畳の中庭に入り、第三回廊と祠堂を見上げることとなる。第三回廊は一辺60メートルで第二回廊より13メートル高く、急勾配の石段を登って入る。四隅と中央には須弥山を模した祠堂がそびえ、本堂となる中央の祠堂は65メートルの高さを持つ。(ウィキ)かつては雨水がためられていた第三回廊の中庭です。座禅を組んでいますね。我々は先を急ぎます。かつて本堂にはヴィシュヌ神が祀られていたそうですが、今は壁で埋められ四体の仏像が祀られています。急?こちらはかなり急でした。しかも混み合っています。もちろん一方通行です。上の見学時間は15分でしたが、みんな時間オーバーでした。とりあえず頂点を極めて?ガイドツアーは続きます。
2018.06.10
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本来は昼食後ホテルでひと休みするらしいのですが、みんなホテルがばらばらで、夕日鑑賞の時間を確実に取りたいとのことで、アンコールワットに向けて出発しました。私以外は、若者のなので問題ないでしょう。メンバーを見て決めた?時間がタイトといいながら、もう1軒土産物屋に寄りました。バックマージン稼ぎですね。シルク製品や小物が置いてありましたが、いずれもぱっとしないデザインのものばかりでした。ネクタイもありましたが、初めてタイに行った時のジムトンプソンのようでした。 4.アンコール・ワット本旅行のハイライトです。到着すると雨が降りそうとのことで、傘をもって出発です。結局、雨は小雨で大して降ですりませんでした。日の出スポットや堀をまわって、寺院内部へ。本日は塔に登れるとのことで、登りますが15分ではしんどかったです。とりあえず写真を撮って急いで降りました。回廊見学も一部のみで、所要時間は1時間40分です。パックツアーのアンコールワット見学は、こんなものでしょうか。今日は朝からバイヨンなどをまわったので、この程度でちょうど良かったです。 橋のたもとで蛇がお出迎えです。周囲は広大なお濠がめぐらされいます。外周、東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅190メートルの環濠です。西が正門になっているので、午後の方がよい写真が撮れるそうです。アンコールワット内部に続く道です。補修のBefore-Afterですね。フランスから日本、最近は中国が支援しています。長さ239メートル、幅12メートルです。渡り切ったところです。門をくぐります。門をくぐると寺院が見えてきます。聖なる池に映っています。写真だとよく撮れます。ここで観光客が行う儀式です。記念撮影ですが...。ワン、ツー、、スリーでジャンプです。いや~、若さあふれますね。私ももちろんやらせていただきまして。テイクワンでOKです。ピサの斜塔、ウユニ塩湖など、世界の観光地の定番撮影スポットのひとつですね。寺院のテラスからです。記念撮影の池が見えます。空から見ると、こんな感じですね。続きます。
2018.06.10
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象のテラスのあと車で移動です。途中森の中でトイレ休憩をして、東門で降ります。3.タ・プローム長い間ほっておかれたのでしょう、東門は半分崩れかかっています。ここから自由にジャングルを通って寺院を経由して西門まで歩きます。ジャングルが遺跡を飲み込んだようで、いたるところで大きな根を張っています。ここはまた、アンジェリーナ・ジョリーの出世作「トゥー・ムレイダー」のロケ地としても有名です。大きな蟻塚です。足元は、砂地です。こちらはチャイナさんでしょうか。しばらく歩くと到着です。タ・プロームは、12世紀末に仏教寺院として建立され、後にヒンドゥー教寺院に改修されたと考えられている遺跡です。創建したのは、クメール人の王朝、アンコール朝の王ジャヤーヴァルマン7世です。(ウィキ)ガジュマルが伸び放題で、建物をおおっています。ガジュマルと建物が混然一体になっているところが、魅力かもしれません。取り除いたら壊れてしまうからでしょうか、鉄枠で補強されていました。ここで午前中の観光は終了です。市内に戻りますが、昼食の前に「アンコール・クッキー」という土産物屋に立ち寄りました。日本人経営のお店で、店内は日本人客でにぎわっていました。クッキーの試食と蓮茶を試飲し、マンゴーアイス($1)を食べました。本日の昼食は森森(もりもり)という日本人経営(なので安心とはガイドの弁)のレストランで焼き飯定食です。ビール(キングダム)($2.5)を注文したのは私だけでした。最近の若者は酒を飲まないというのは本当でした。客はほとんど日本人です。テラスでしたが、食事の途中からハエがやってきて少しげんなりです。たくさん?歩いたので、ビールがおいしいです。なんとなく自己紹介タイムになり、みなさんの素性が明らかになりました。
2018.06.09
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南大門は、鉄枠で内側が補強されていました。2.バイヨン・象のテラスふたつ目の見学ポイントです。故京唄子さんに似た観世音菩薩で写真を撮ったりして、40分ほど歩いて見学しました。観光客が多く、撮影ポイントで写真を撮るのが少し大変でした。そのあと歩いて象のテラスへ。反対側にはクリアンが見えます。王宮は見学せず、ガイドさんが車を呼びますがなかなか来ません。さすが世界遺産、いろいろな国の観光客が押し寄せています。戦いに向かう隊列でしょうか。東洋のヴィーナスですね。ガイドの石田さんは、スマホの映像を示しながら説明です。こちらは、有名な京唄子さんですね。他の国の人には、何と説明しているのか気になります。バイヨンの四面像で、クメールの微笑みと呼ばれています。像はたくさんあり、観世音菩薩を模したものとも。現地のお子様も観光です。カンボジアが世界に誇る遺産です。日本はどこでしょう?やっぱり、富士山でしょうか。2018-6-8の富士山です。日々雪が減って行きます。バイヨン(Bayon)は、カンボジアのアンコール遺跡を形成するヒンドゥー・仏教混交の寺院跡です。アンコール・トムの中央付近にあですります。バは「美しい」、ヨンは「塔」の意味です。12世紀末ごろから造成がはじめられました。(ウィキ)3層構造の中心の中央祠堂は、高さ43メートルです。女医の卵のお嬢さん、はしゃいでいますね。象のテラスです。高さ3メートル長さ300メートルの石段は、王の謁見場です。テラスからの眺めですが、往時はここに凱旋した軍隊が並んだことでしょう。クリアンと呼ばれるヒンズー教の遺跡ですが、どんな施設かはいまだ未解明です。迎えの車が来る間、ひとりたたずみかつてのクメール王国の栄華を想像です。
2018.06.09
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3日目の旅日記です。12月16日(月) 雨のち晴れ曇りなんと目が覚めると、12時45分。4時間弱の眠りで目覚めた原因は、豪雨でした。かなり激しいスコールで雷も鳴りました。2度目の目覚めは5時45分。ウェイクアップコールも今朝はちゃんと6時に鳴りました。入浴して6時10分朝食をとります。先客は3組、香港人の女子3人組もいます。今朝はポンジーをメインに、前日食べて美味しくなかったチキンソーセージはパスです。果物はメロンがパパイヤに変っていました。まだ暗かったですが、テラスで食べている人もいました。雨も上がって7時45分ピックアップです。今日のガイドは、ヴィツューさん。自称ノンスタイルの石田さんに似ているというので、石田で通していました。したがって相方のドライバーは井上です。といっても、その時私はノンスタイルを知りませんでした。農村出身でゲストハウスにて2年働き日本語を習得。その後試験を受けてガイドになって4年目の27歳です。30%中国系というのが自己紹介でした。今日のツアー客は自分を含めて6名。内訳は、和歌山医大の女子学生2名(中国南方航空で広州経由で入国)、25歳の転職OL(東京から)、34歳のNEC長期休暇制度利用の男性社員(京都出身)、不動産会社をに3年勤務しクローマートラベル(月給8万円)に転職してきた新人男性。みんなツーリストクラスのホテル(3つ星)に泊っていました。アンコールワットはメインなのでやはり多いです。ガイドは、昨日のヤ―さんより格段に日本語が上手く、軽いノリで駄じゃれを連発して気分を和ませてくれます。予定していたバルーンツアーは天候不順で中止となり、まずはバイヨンに向かいました。1.南大門ガイドさんから簡単なカンボジアの歴史、隣国のベトナムやタイとの関係の説明を聞きました。カンボジア王国がいかに広大であったかということを強調していました。ベトナム南部は本来カンボジア領でいまだに返還されていないとの主張です。彼のホーチミンの評価(約束を守っていない)は?です。橋のたもとのお店です。門は狭いので渋滞です。我々は、車を降りて散策です。こわい?いや、ちょっとユーモラスなお顔です。南大門を徒歩で抜けると、再びバスに乗り、林の中を数分走ります。
2018.06.08
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トンレサップ湖をあとにして市内に戻ります。5.オールドマーケット前日夜にひとりで来たところですが、こちらは遅い時間でしたので閉まっていました。カンボジアオレンジを買いました。3個で$1です。スパイス類です。干物のようですが、何かわかりません。ちょっと気持ちが悪いです。土産物屋には日本人の店員もいました。中に入って説明を受けましたが、ここのお店の価格は比較的高めとのことです。フェアートレードの店も案内され井草でできたティッシュカバーを買いました。$6、なかなか鮮やかな色合いで旅の良い思い出になりました。今も愛用しています。もうひとりのツアー同行者はここでリタイヤし、帰りは私ひとりです。もともとは夕食付きでしたが、レストランがダブるとのことで中止となり、$7返金してくれました。$7とは安いと思いました。戻ってさっそく風呂にはいりましたが、外出するのが億劫になり、ホテルのレストランをのぞくとお客さんはゼロさんです。う~ん。ルームサービスでクラブサンドイッチ($6.05)を食べて、9時に就寝しました。お客二人、ガイド、運転手の少人数のツアーで少し疲れましたが、充実した1日でした。明日はいよいよ本命のツアーです。
2018.06.08
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5.トンレサップ湖 我々3人で1隻チャーターです。船長は相当な歳のおばあさんで、孫のような男の子が助手です。雨季の8月は風が強く、乾季の終わりの3-4月は水深が2-3mと浅くなって水が汚いとのことで、今(12月)が湖巡りのベストシーズンとのことでした。大小様々なボートが運航されて、中ほどの展望台付きのはしけまで約1時間かけて往復します。こちらはたくさん乗っています。2階建ての船ですね。展望台や売店がある観光用のはしけです。囲いの中はこれです。この湖の住人なのでしょうね。ワニの剥製も展示されていました。少年が近寄ってきて、おねだりです。さすがに首にまくのはだめなので、並んで写真撮影です。マングローブの林が広がっています。続きます。
2018.06.07
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