仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.01.11
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カテゴリ: 東北
先日岩手県内で岩手日報を読んだのですが、県内では平泉の2008年の世界遺産登録に向けて盛り上がっているようです。その一環としての「世界遺産に向けて 平泉への道」という記事(連載の第1回、1月7日付け紙面)を読みました。筆者は東北歴史博物館(多賀城市)の工藤館長でした。
岩手日報HP
■岩手県の公式HP 「平泉からHIRAIZUMIへ 世界遺産登録をめざして」

 謎が多い東北の古代・中世ですが、12世紀末の平泉・奥州藤原氏の滅亡という一点だけはクリアに東北の一時代の終焉を示しているのであります。しかも、義経の存在と足跡が象徴するように、平家滅亡と頼朝の鎌倉幕府成立という日本史のエポックと、まさに全国規模でつながっています。
 奥州王アテルイを顕彰する動きなどは、本当にここ数年だと思うのですが(高橋克彦さんの著作も大きい)、中央(関西)からの蝦夷征討の視点ではなく(史料の制約があるのでしょうが)、東北地域にドッカと腰を据えて見た場合に、そこにいた人・来た人が、何をしたのか、どう暮らしていたのか、を知りたいと思います。

 日本人は世界にも稀な、歴史を通した一民族一国家だと教えられてきて、それはそれで良いのだけれど、関東以西中心の史観で終わるのはさびしい。セクショナリズムや一過性の優越感(ひがみ根性のウラ返し)ではなくして、私たちの住む地域とは何たるものか、私たちの祖先は何をしてきたのか、を主体的に知りたいという思いです。

 こう考えると平泉の歴史と精神文化的意義は、もっともっと深く見直していくべきなのだと思います。昔々、何やら金持ちが金色堂やミイラを残したとさ、ついでにそこで弁慶が立ち往生したとさ、という程度の話ではないのであります。反省。

 ところで最近気になっているのは、2月20日に誕生する「奥州市」(水沢市・江刺市・胆沢郡から金ヶ崎町を除く)の名前が定着するか、ということ。
■参考(過去の日記 )「北上市」という命名を50年後の今賞賛する (05年11月18日)
 奥六郡を支配するため胆沢城の置かれた(とされる)水沢市が中心なので、奥州を名乗る資格はあるとは言えるのですが、奥州といえば、広義に東北全体、藩政時代で言えば陸奥国を言うと思われるので、ちょっと広すぎか。
 また、「奥州藤原氏」と称される平泉との関係もあります。現在の平泉町の区域は、中世の奥六郡の外にある磐井郡(現在は西磐井郡)の区域内ですが、当時の都市としての平泉は、胆沢郡(衣川村や前沢町)にも及んでいることが徐々にわかってきているのだそうです。上記の岩手日報の工藤館長の連載では、平泉以前の蝦夷は、鎮守府(胆沢城・紫波城)と国府(多賀城)の二元的支配状況にあったのに、あえて両地域にまたがる都市平泉を造成できた藤原(清原)氏の支配力に注目しているのです(編集長の不勉強で読み方が誤っているかも知れませんが、そのような趣旨だと思います)。
 とすれば、いっそのこと、一関市の合併枠組みからはずれた平泉町を、新しい奥州市で取り込んではどうか。一千年前に敢えて胆沢郡との境界にまたがって奥州の中心都市を建造した奥州藤原氏の再現。世界遺産平泉を、東北・奥州の名の下に一体的に堂々とPRもできるというもの。長期的にみれば財政的にもメリット。自治体としての一体感も... 単なるアイデアです。





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最終更新日  2006.01.11 05:24:50
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