仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2006.02.24
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カテゴリ: 東北
羽州街道と言えば、福島から山形、尾花沢、新庄を経由して湯沢に至ります。わが宮城県分でも、七ヶ宿(山中七ヶ宿街道)が街道中の重要な宿場です。羽州13大名の参勤交代はもとより、商人や出羽三山参詣者などの宿場として栄えました。

七ヶ宿は資料で読むと、羽州に見られる「通り土間」の形式で町家が形成され(宮城県内では唯一)、また、出羽や伊達郡など領外者との縁組も特に認められたなど、さすがに宿場町だな、と大変興味を覚えます。

実は、私、30歳直前くらいの頃、わらじで歩く真夏のイベントに参加して(仕事ではないです)、大いに「ガオッた」経験がある情けない現代人ですが、確かに歩いてみると宿場町の雰囲気が残っていて、ちょっとした別世界ですね。
近年では山形の帰り道に、金山峠も二井宿峠も通りました(もちろん車で)。国道に野生のサルが出て来るのも結構おもしろいです。

いつか行きたいところとして、小坂峠・上戸沢宿(白石市分)、木地師が移住したという稲子地区(国道399号沿い)などがあります。

七ヶ宿の話はこれまでにして、羽州街道(山形県分)の整備には、秋田藩主の佐竹義宣の功績が大きく、山形県では義宣を讃えているのだそうです。

一体どういうことか。

佐竹義宣は、清和源氏に由来する名門で常陸国の城主、文武両道に秀でる名将だったが、関ヶ原の後に家康から秋田への国替えを命ぜられる(確か俗説で「秋田美人」の由来もコレですね)。

義宣はその際に将来制度化されるであろう参勤交代制度を見据えて、羽州街道特に金山以北の整備を始めたというのである。従来は金山以北は有屋峠を越えて横堀(旧雄勝町。合併後の湯沢市。)に至るのだが(現在より東のルート)、義宣は雄勝峠と主寝坂峠を開削して、おおよそ現在の国道13号線に近いルートとした。また、別箇所だが現在の尾花沢市には「佐竹街道」の名も残っているそうです。

なお、さらに明治維新を迎えて、今度は鬼県令の三島通庸が、道路整備(金山新道)。ちなみに秋田の院内銀山からの輸送路確保という狙いがあったようだが、銀相場の崩壊(金本位制確立)で院内銀山は閉山。
 ■参考  院内銀山について (湯沢市HP)
さらに、金山新道整備の際には、湯沢から鳴子に導くルート(現在の国道108号線)も構想されたが、三島が羽州の沈滞を恐れて金山ルートを推進したという。現在では、新主寝坂トンネルも開通した(2005年11月)。

街道はまさに交流の歴史。こういう話を参考にしながら、地図を見てあれこれ昔を考えるのです。





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最終更新日  2006.02.24 05:58:01
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