仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.11.25
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カテゴリ: 東北
秋田県南部の海岸側の中心地である本荘と、内陸の横手を結ぶ横断鉄道の構想が、大正4年に横手本荘間72.8kmの免許が下りたことで動き出した。この時は本荘街道(国道107号)をルートと想定したが、同年12月に沼舘、大森などの市街地を経由するように一部変更。翌大正5年には横荘鉄道株式会社設立。

大正7年(1918年)には横手沼舘間15.3kmが開業。軌間1067mmで蒸気機関車。沼舘の先は、大正8年に舘合、大正9年に羽後大森に延長。

一方海側(西線)は大正11年に羽後本荘と前郷の間11.7kmが開業。横手側の東線は路線延長が進み、昭和3年に二井山、昭和5年には老方まで開業し、東線は38.2kmに。東西両線の結合まであと23kmとなったが、老方と前郷の間は無人の山間に近く、採算の面から工事は中止された。

西線は1937年に国有化され、矢島街道(国道108号)に沿って奥羽本線院内に延伸を計画したが、38年羽後矢島まで開業して力尽きた。この路線は1985年から由利高原鉄道鳥海山ろく線となった。

東線は羽後交通横荘線として残ったが、老方側から段階的に廃止、1971年(昭和46年)に横手沼舘間の廃止で全廃となった。

■参考文献:寺田裕一『私鉄の廃線跡を歩くI北海道・東北編 この50年間に廃止された全私鉄の現役時代と廃線跡を訪ねて』JTBパブリッシング(キャンブックス) 2007年
978-4-533-06847-8 C2026

秋田の地図を開くとわかる。内陸との関係では、国道105(大曲経由角館街道)、107号(本荘街道、平和街道・北上、大船渡)、108号(矢島街道、鬼首街道・古川、仙台)が集結する拠点都市だ。横手と結ぶ横断鉄道の熱意は高かったと思う。しかし歴史を見ると、直線に近いルートになっていない。ルート選定と決定にも難があったように思える。

秋田県南部の交通の歴史、横断鉄道構想などについて、深く調べてみたい。

■関連する過去の日記
山形の鉄道建設熱を考える(続) (07年1月3日)
山形の鉄道建設熱を考える (07年1月2日)





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最終更新日  2007.11.25 09:02:51
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