仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.03.25
XML
カテゴリ: 仙台
先日記して気になっていた。かつて根白石と仙台城下を結ぶ唯一の道であった中山道とは、実際にはどのルートだったのか。青葉区中山団地のバス通りなのだろうか。
■関連する過去の記事  中山道のむかし (09年3月23日)

中山小学校の公式サイトに 「中山道(旧根白石街道)」 がマップで出ている。とても親切。

そして、その街道のルートだが、中山商店街通り(バス通り)ではなく、やや西側になるようだ。

我が家にある昭和50年代の仙台市の地図を開いてみる。まだ北環状道も全通せず、仙台市域(泉市や宮城町と合併前)分は中山、西勝山(第三勝山団地)、川平、などと町名が付けられて道路網ができている。市域の外には、中山吉成団地、伊勢吉成団地が造成され、それぞれバス路線が書かれている他は、中山ゴルフ場を含めてまだまだ未開発だ。
北山駅(まだ地図にはないが)あたりから、中山二丁目を経て、同三丁目と四丁目の境目あたりを北上して、尚絅女学院や電力研究所の西側を経て、中山吉成団地とゴルフ場の間を抜けていく道が、旧街道なのだろう。東北自動車道をクロスしたあたりから、もう点線になっている。往時は相当に寂しい山道だったのだろう。

ところで、中山ニュータウン小史を。仙台都市総合研究機構の2002年 レポート から。
----------
昭和39 年にはじまった中山ニュータウン開発は仙台の郊外住宅団地の草分け的存在の一つ。
宅地造成が始まった当時は、梅田川の源流に祭られた中山鳥滝不動尊への参道と、道すがらに多少民家がある程度の閑散とした里山の風情を有する丘陵地域。昭和40 年代中葉までに中山本通りを中心に商店街が形成され、公務員住宅、東北電力社宅等の給与住宅を含めた一大住宅団地が形成された。

元々丘陵の尾根沿いを走る中山本通り沿いに商店街が形成され、東北電力総合研究所等の若干の事業所が点在する他は本通りを中心に東西に広がる。住宅は分譲の戸建住宅が中心であるが、国家公務員住宅、公団住宅及び東北電力他一般企業の社宅を含めた給与住宅も多い。昭和42 年に尚絅女学院短期大学が中山四丁目本通り沿いに移転してくると、学生向けの賃貸の集合住宅(アパート)も目立つようになった。

元来、中山地区は丘陵の東南斜面を造成したために勾配がきつく、中山本通りを含め南北に走る2~3の幹線道路を除き道路幅は狭い。市内でも初期の住宅団地で、開発後40 年近く経ており、鶴ヶ谷ほどではないものの戸建住宅居住者を中心に高齢化が着実に進行し、第二世代以降への世代交替は必ずしも進んでいない。近年は戸建住宅が相続等で売りに出ることも多く見られるようになり、更地となって月極の駐車場や資材置き場になっている所も目立ってきた。

平成元年に尚絅女学院短大が名取市ゆりが丘に移転すると、賃貸アパートは空室が目立つようになり、中山地区のここ10 年の人口動態の推移を見ると若年層の減少と高齢者層の増加が目立ち、地域全体の人口も若干減少傾向にあった。しかし近年、尚絅女学院短大跡地に大型の分譲マンションが建設され、比較的若い世代の住民が入居してきたことで、そうした傾向に歯止めがかかってきている。
----------





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2009.03.25 05:55:53
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re:仙台「6時ジャスコ前」の今むかし(11/14) 仙台フォーラスは来月3月から長期休業。再…
クルック@ Re:黒石寺蘇民祭を考える(02/18) ん~とても担い手不足には見えませんけどネ…
おだずまジャーナル @ Re:小僧街道踏切(大崎市岩出山)(12/11) 1月15日のOH!バンデスで、不動水神社の小…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: