仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2009.07.17
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カテゴリ: 仙台
ずーっと気になっていた。同年代以上の人たちに多いように思う。人にも寄るが、ごく自然に「河北新聞」と言う人が、結構多い。

今のところの私の推論は次の通り。

例えば岩手日報や福島民報の場合は、通称として「日報」「民報」が定着している。何かのイベントについても、「日報○○大会」などと呼ぶのだと思う。岩手県で生まれた私だが、祖父は岩手日報をたしか「日報」と呼んでいたと思う。家で購読しているのは、日報のほかに、エリア紙もあったが、一応呼び分ける意味もあったのだろう。ちなみに、全国紙を購読している家は近所には少なく、たまに河北新報をとっている家があったが、「河北」と通称していたと思う。

また、福島の場合は、県レベルの新聞に「民報」「民友」があるから、明示的に両者を呼び分ける事情があると思われる。

仙台・宮城における河北新報の場合を考えると、例えば私などは自然に「河北」と呼ぶ。そして前提意識としては、全国紙とともに県内で購読されている一般紙を通称で呼び分ける一環として、「朝日」「日経」などと呼ぶのと同様に、「河北」と通呼する。実際に、学生時代は全国紙を読んでいたし、社会人になってからもしばらくは全国紙と併読していたものだ。

だが、生まれながら河北新報が家の唯一の「新聞」という環境にあった仙台・宮城の人としては、新聞といえば河北、という意識が定着しているのではないか。つまり、新聞の一種としての「河北」ではなく、父親が日本中に何千万人といるのに「お父さん」とは間違いなく自分の父を指すというような感覚で、相対視することもない。

自然な意識としては、あっ、あれね、「新聞」ね、という感覚なのだ。だが、あの「新聞」にあんな記事があったね、などと人に話すときには、さすがに相対視しなければならないから、「河北」と頭に付ける、ということになる。

イベントや関連会社の呼び方も、「河北○○」とするのが一般的だ。「新報○○」とは決してやらない。先の岩手日報や福島両紙との対比で言えば、「日報」と呼び習わしているのなら、まさかそれを「新聞」とは呼び変えない。「河北」と呼び習わしているから、自然に、「新聞」とつなげることができる。

以上が推論だ。どうでも良いことなのだが。





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最終更新日  2009.07.17 06:36:45
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