仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.09.03
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カテゴリ: 仙台
明治15年(1882年)の宮城県のコレラの大流行は亘理郡荒浜から発生し、仙台で920人を超す患者を出し、410人が死亡した。医学が進歩していない当時は、各地で大混乱が起きた。

村落の入口では不寝番を置いて通行者を尋問し、患者が発生した地域からの者は追い返した。小鶴の街道脇では、番所小屋に人が鳶口や刺股を持って構えていたため、通れない人は田んぼの中を迂回したという記録もある。

死亡者は、人里離れた山中で火葬された。水の森4丁目のスケート場脇の火葬場では、267人が火葬され、叢塚(くさむらづか)が建てられた。

コレラの流行は、明治11年、18年、28年にもあった。台原や薬師堂附近に急ごしらえの隔離病棟が建てられ患者は急いで収容されたが、流行が止むと建物は焼却処分された。明治28年の流行の際には榴ヶ岡と新寺小路の中間に避病院が建てられ、以後は法定伝染病患者の収容施設となって、長年にわたり伝染病防疫に役割を果たした。昭和55年に建物は撤去された。

(以上、田村昭『仙台の珍談奇談』宝文堂、1984年 から)

この避病院の位置だが、現在の仙台サンプラザの場所である。

孝勝寺裏の伊達家の土地に病院が建設され、最初は仙台避病院と称したが、市立伝染病院と改め、さらに市立榴岡病院と改称して、昭和55年に仙台市立病院に統合される形で廃止されるまで、伝染病患者の収容施設として続いた。( 当時の地図 (せんだいメディアテーク))





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最終更新日  2010.09.03 00:51:04
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