仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.09.08
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カテゴリ: 仙台
昭和40年にはまだ清水沼なる沼が、実在した。沼を中心として、清水沼、清水沼上、清水沼中、清水沼北、清水沼南と地名が並んでいた。既に家はかなり建っていたが、昔ながらの湿地帯。掘ると水が湧き、澄んでいて質も良い。

隣町には水を利用して、キリンビールや稲ノ花酒造も立地していた。住宅地であり、工場地帯でもあるのがこの周辺の特徴であった。

藩政時代から大正初期まで、沼は清水を湛え、その昔は涼(すず)沼とも呼ばれていた。広さ1万5千m2あったとも記録されている。豊臣時代には、伊達政宗がほとりで軍容を整えたこともあったという。

明治10年、西南の役で傷ついた半田長九郎が、帰って沼を整備。鴨が何百羽も浮かび、フナやエビがたくさんとれた。ほとりには料理屋も建って、沼の産物が食膳を飾り、酔客が舟を浮かべた。

戦時中は兵隊のいこいの場。台原演習場への途中だったため、鉄砲を立てて水面を眺める兵隊がみられた。

しかし、住宅が立つと汚水が流れ込みエビもフナも姿を消した。戦後は、すっかり沼はさびれた。昭和40年頃は埋め立てて公園にする工事が着々と進められた。数年後には清水沼公園となった。
(以上は、河北新報出版センター『忘れかけの街・仙台~昭和40年頃、そして今~』2005年 から。)

国道45号の安田病院の角から、緩い坂の道を降りて北に向かうと、梅田川までの地区が現在の町名で清水沼(1~3丁目)とされている。

ここを通過してどこかに向かうと言うことはない。いってみれば連続する市街地の中でも、エアポケットのような一帯だ。実際、私はほとんど足を踏み入れたことがない。仙台に住んでいても、清水沼の名は知っていても、行ったことはないという人は、たぶん少なくはないと思う。

ちょっと不思議な場所だ。





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最終更新日  2010.09.08 00:40:40
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