仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2011.09.23
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カテゴリ: 東北
どうも困ったことになった。例えば、日進市の花火大会問題。福島県で製造された花火の打ち上げを中止した。もともと被災地支援のための企画だが、放射能を心配する市民感情を考えての苦渋の判断だ、そうだ。

私自身の感想で言えば、このことは馬鹿げた判断で、当初の企画通り推進するべきことであり、無責任で説明能力もない「市民感情」とやらに行政が折れたこと自体が禍根である、と思う。

しかし、だ。例えば福島や東北に転勤したくないという声を、最近身近でも聞くようになった。自分自身は構わないのだが、奥さんが大反対だから仕方ない、というのだ。また、大学の入学辞退も生じており、来春は大学の志願者も減るのかも知れない。

こんな風潮が進むことが適正なことであるのならば、東北に住む我々自身が、まっさきに他に引っ越さねばならないのだろう。だから、私はそんな理由もない風評など相手にすべきでない、という立場だ。

だが、心配する方々は、理由もないと言うが、むしろ絶対安全だということの理由こそないのでしょう、だから心配することが正しいのです、ということなのだろう。となれば、何より科学的な説明が徹底的に求められることになる。

私などは、そもそも「絶対に安全」とまで心証を得る必要はないと思っている。明日に暴走車に出くわすかも知れないし、食中毒やインフルエンザに当たるかも知れない。原子力災害が人災だとしても、誰か責任者に、明日も絶対安心して生きられますよ、と保証してもらえるなんて、もともと思っていない。放射能不安の人たちは、意識の根底に、誰かが自分たちの安全を100%保証すべきだ、などと行き過ぎた被害者意識があるのじゃないか、それは東京中心視点のマスコミが煽ったのだ、とさえ思っている。

どうも、不安重視派と風評反対派とは、議論が摺り合わない。不安重視派は、科学的に絶対安全でないことを重視する。風評反対派は、絶対安全証明可能性を放擲し、風評行動をバッシングする。だから、摺り合わないのだ。

最近では、科学の側の一部からも、安全性は証明されてない、として被災地支援に傾こうとする論調(例えば花火は実行すべきだった)を逆バッシングする論調もあるようだ。

こうなるともう大変だ。もともと、一般の方々には、放射能の不安もあれば、被災地への厚情もあるはずだ。さらには、被災地だけ優遇して増税や不景気など割を食っている、という感情も、少しはあるかも知れない。そうした混迷した心情状況に、火がついたりすると、収拾がつかない。

何とかならないものか。来春の東北が、企業は人材不足、大学は人気激減、などと考えたくはない。





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最終更新日  2011.09.23 22:38:13
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