仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.03.18
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カテゴリ: 東北
福島県の県土が山形・新潟両県の境界に割って入り、長さ約8キロにわたり盲腸のように伸びている。その道幅はせいぜい数メートルしかなく、わずか数歩で3県を跨いで行き来できる摩訶不思議な場所だ。

これは飯豊山神社からその奥宮へ続く参道の領有権を、福島、新潟両県が争った名残である。

事の起こりは明治の福島県の県庁移転問題に帰因するという。県庁が北に偏りすぎたことから県庁移転問題が起こるのだが、当時の内務省は、福島県北西部の東蒲原郡を新潟県に移管することで問題を一応決着させた。そこで東蒲原郡実川村が新潟県に移管編入される。しかし、今度は1886年(明治19)、実川村と一ノ木村による領有権争いが勃発する。実川村は飯豊山神社及び飯豊山を領有し、分水嶺を県境とすべしと主張した。これらは新潟県のものだと宣言したわけだ。

だが、一方の福島県一ノ木村も負けてはいない。境内も道も昔から一ノ木村が領有していると主張し、応戦した。1905年(明治38)に一ノ木村は山麓の登山口から山頂の神社までを境内地に編入することを許可されている。

両者が激しく争ったのは、信仰の山だったから。飯豊山は7世紀に唐の智道和尚と役小角によって開かれ、山岳信仰の聖地として知られていた。16世紀末には会津領主蒲生氏郷によって山頂の飯豊山神社の社殿や登山道の整備がなされ、会津の人々の生活や宗教と密接な関わりをもつ山となっていったのである。

両者の長い争いに終止符が打たれたのは、1907年(明治40)、県の管理官や両村の村長らの立会の下で合同現地査定を実施、さらに藩政資料なども詳しく調査した結果、県境と土地、神社の帰属は福島県の一ノ木村にあると認定された。

こうして山頂部の飯豊山神社と登山道は福島県(現在は喜多方市)の領域となり、盲腸のような県境の形が出来上がった。

■参考 日本博学倶楽部『意外と知らない日本地図の秘密』PHP研究所、2008年 ほか

■関連する過去の記事
飯豊は会津の山 (2007年8月6日)





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最終更新日  2013.03.18 21:42:38
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