仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.10.27
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カテゴリ: 東北
秋から冬にかけて日本上空を強い偏西風が吹く。太平洋の上空8千メートルから1万2千メートルの亜成層圏に、最大秒速70メートルのジェット気流が北米大陸に向けて流れていく。

大戦中の1944年秋から日本軍はアメリカ本土に向けて風船爆弾を放った。敗色強まる日本が、米国を撹乱する秘密兵器として、気球に爆弾をつり下げてジェット気流で運んだものである。約9000個が放流され300個前後が米本土に着いたとされる。

この極秘の「ふ号作戦」を実行した風船放流地の一つが、いわき市勿来関麓だという。他には千葉県一の宮海岸と北茨城市大津町五浦(いづら)。

勿来関にほど近い五浦には、大本営直属の風船爆弾の作戦部隊が置かれていた。丘に挟まれ現在は田圃に復元されている沢に、兵舎、倉庫、水素タンクなどが設置された。海岸沿いには放流地跡の碑文がある。

精密な電気装置で爆弾と焼夷弾を投下した後、直径10メートルの気球部は自動的に燃焼する仕掛けであった。球皮は、こうぞの和紙をコンニャク糊で5層重ねて貼り合わせたもので、手間が掛かり、女子学生や女子挺身隊が動員された。

気球を遠くに飛ばすには、夜をどう乗り切るかが課題。夜は上空の気温が低下し気球が縮み水素も漏れていく。そこで、風船爆弾には浮力が下がると自動的におもりを落とし、高度を維持する装置が付けられた。気圧計で変化を検知すると歯車一個分づつ回転盤が回り、一定以上の高度が下がる(気圧が上がる)と電気スイッチで砂のおもり(バラスト砂)のひもを焼き切って落とす仕組みだった。

爆弾は50時間程度で米国に着く。米国側の被害は僅少だが、山火事を起こしたほか送電線を故障させて原子爆弾製造を3日間遅らせたとされる。オレゴン州では森にピクニックに出かけた牧師夫人と日曜学校の子ども達の計6人が、不発弾に触り爆発のため死亡。このことはずいぶん年数が経ってから日本に伝わった。戦時中に作業をしていた元女子学生たちが心を痛めて慰霊に渡米したという。ワシントンの博物館には不発の風船1個が展示されている。

アメリカが最も恐れたのは伝染性の細菌などの生物兵器。そのため、報道管制を徹底する一方で、バラスト砂を分析し、砂の採取地を日本の5か所に絞り込んだ。偵察機でついに放流地を探り当て、このため末期には風船爆弾はほとんどが上昇中に米戦闘機に撃ち落とされた。

下記文献を参考にした。
■左巻健男『面白くて眠れなくなる地学』PHPエディターズ・グループ、2012年

風船爆弾の話は知っていたが、東北に隣接する北茨城市が秘密基地で、勿来からも放流していたとは、知らなかった。

ネットで見てみると、勿来駅から内陸側の南東方向に伸びる専用引き込み線が建設され、倉庫や兵舎、砲台や防空壕などが配置された。また、数カ所の放球台が設けられ、今なお跡も残っているという。また、勿来関文学歴史館で風船爆弾の展示をしていたこともあったという。





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最終更新日  2013.10.27 12:04:14
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