仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.02.11
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カテゴリ: 仙台
さきほどOH!バンデスで長町のお菓子屋さん「蛸屋」の蛸さんが出演しておられた。お名前も蛸さんである。屋号がそのまま名字になったと話しておられた。

先日も書いたが田村昭さんの文章にも、仙台の蛸さんが出ている。田村さんは直接会って話を聞くなどされているようだが、おそらく、長町の蛸屋さんのことではないだろうか。

■  東北の変わった苗字 (2015年2月9日)

蛸屋さんは「全勝餅」で有名で、TVでも映していた。ただ、お名前やその元となったという屋号が何に由来するかは、知り得なかった(私が画面をチラ見しただけなので前後で説明があったかも)。

長町駅前だと、近くに蛸薬師堂がある。これに関係があるのだろうか。

■関連する過去の記事
蛸薬師(長町4丁目)とイボのこと (2013年2月10日)

奥州街道と笹谷街道の分岐点、長町三丁目の川熊商店前には笹谷道の道標が建っている。ここから100m入って小道を右折し50mのところに、舞台八幡神社と蛸薬師堂が並んで建っている。

八幡神社は天喜年中に源頼義父子が安倍頼時と戦ったときに河内国平岡(東大阪市)から遷祀されたと伝えられている。その後荒廃したのを永禄中、北目城主粟野大膳が再興したという。明治5年、平岡村社となった。

江戸に向かう一番目の宿駅であった旧長町宿は、根岸村の北長町宿と平岡村の南長町宿で一宿をなしていた。根岸村は経ケ峯、大年寺山、越路山などを含む広大な村域で、気候温和で百代の里といわれ、近世より茶園があった。

南長町宿分は藩政時代平岡村に属し、明治7年、根岸村と平岡村が合併し宿名を取って長町村となった。明治11年郡制の編成により名取郡が成立し郡役所を長町村に設置。明治22年市町村制施行で、長町村と郡山村が合併し茂ヶ崎村が成立(長町と郡山は大字に)。村役場は長町南町に置いた。大正4年に茂ヶ崎村は町制施行、改称して長町に。昭和3年仙台市に編入された。

舞台八幡神社の右隣に、蛸薬師といわれる二間四面の堂。由緒不詳だが、伝承では、昔津波によって町裏渕上に漂着した薬師如来像を祀ったもので、渕上薬師瑠璃光如来または蛸薬師と称し、村民から篤く信仰された。

次のような伝説がある。

長町南町で味噌醤油屋を営んでいる川熊の家の裏に池がある。いつの頃か、この辺一帯に洪水があって水が引いたあとを見ると、池の中島に薬師さんの像が蛸に吸い付かれて流れ着いていた。洪水のあったところから池まで、新しく堀ができていた。今もこれを薬師堀といっている。それ以来、中島に生えていた蘆はみな片葉になった。これを煎じて飲ます、またはこの布団の下に片葉の蘆を入れると、子どもの夜泣きは止まるという。その後川村家では薬師を池の西に堂を建てて祀った。これを蛸薬師といった。(仙台民俗誌)

■以上は、木村孝文『太白の散歩手帖』(宝文堂、2001年)から

全国的にも類を見ない蛸薬師は珍しい。味噌醤油醸造の川熊は長町の旧家の一つだが、いつのころからかこの一帯が洪水にあった水がひいたあと、家の裏の池の中の中島に薬師様の像が蛸に吸いついて流れ着いていた。(以下、薬師堀のこと、子ども夜泣きのことなど、上記と同趣旨。)川村家では薬師蔵を屋敷内に安置し祀り、赤飯をはじめ供物を供え、町内の守護神となっている。店頭歩道に秋保街道の道しるべが、人目に触れぬようひっそりと置かれているのが痛ましい。

■以上は、吉岡一男監修『新・仙台の散策』(宝文堂、1990年)から





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最終更新日  2015.02.12 22:39:05
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