仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2022.06.04
XML
カテゴリ: 東北
幅広く日本の民俗信仰を概説した下記著作を読んで、さいきん幾つか記事にしておりました。
ここで、すでに記事にしたほかにも、同著に記された東北関係のものを、当該の行事の意義と合わせて、抜き書きしてみます(項目だてなど当ジャーナルで構成)。

■八木透『日本の民俗信仰を知るための30章』淡交社、2020年(2版)(初版2019年)
■関連する過去の記事(上記著作をもとにした最近の記事です。)
鬼剣舞と念仏踊りを考える (2022年6月2日)
岩木山信仰とモヤ山 (2022年5月30日)
ナマハゲやスネカの起源と神(鬼)の両義性 (2022年5月29日)

○裸踊り
 罪や過ちを悔い改める年末の仏教儀礼が「悔過」(けか)であるが、悔過を目的とした新年の行事もあり、修正会(しゅしょうえ)や修二会(しゅにえ)と称する。中でも特に悔過に相当する儀礼が裸踊りである。京都の日野法界寺の裸踊りが著名。東北の奇祭として知られる奥州市の 黒石寺(こくせきじ)蘇民祭 は護符の入った蘇民袋を奪い合う。他に、岡山県西大寺の会陽、大阪市四天王寺のドヤドヤなど。
 裸は精進潔斎した姿であり、裸で押し合いながら激しく足踏みするのは、修験道の影響を受けた「反閇」(へんばい)の所作で、地中の悪鬼を撃退する意味がある。

○愛宕神社と火の神
 愛宕の名の社は全国1500を超えるといわれるが、総本宮は、大宝年間に修験道開祖の役行者と白山ゆかりの僧泰澄によって開かれたとされる京都の愛宕山の山頂にある愛宕神社。主祭神は伊弉冉尊(いざなみのみこと)と火神である迦遇槌命(かぐつちのみこと)で、火伏せの神と尊崇されている。愛宕山は早くに神仏習合を整えたと考えられ、白雲寺(明治の廃仏毀釈で廃寺)が愛宕山の実権を握ってきた。中世には多くの修験者が愛宕山に住んだことから天狗(愛宕権現太郎坊)と考えられた。また、本地仏の勝軍地蔵が祀られて(廃仏毀釈で大原野金蔵寺に移される)、戦国武将たちに信仰された。
遠野 の某家で失火の際に、大徳院の和尚の懸命の消火で大事に至らずに済んだ。翌日、火元の家の者が大徳院に礼に行ったところ、和尚はじめ誰一人火事を知らない。それで、これは愛宕の神が和尚に化けて鎮火してくれたのだと人々が大いに感謝したという。(柳田国男『遠野物語拾遺』第64話)いつ頃の話かはっきりしないが、遠野では古くから愛宕が火伏せの神として篤く信仰されてきた。また、神が和尚に化けたのも、神仏混淆の時代の愛宕信仰の姿を彷彿とさせるようで興味深い。

○鬼女伝説
 数ある鬼伝説の中で、女人が鬼と化す背景には2パターンがみられる。1つは嫉妬や妬みから鬼と化し、他は自らの過誤による衝撃や後悔、懺悔により人間の精神を保てなくなる例である。
 前者の代表は信州戸隠山の鬼女紅葉。しかし、退治に向かった平維茂と争ったとされる鬼無里村(現長野市)では紅葉は医薬や文芸に秀で施しを行う貴女と伝えられるという。
 また、紀州の安珍・清姫伝説。奥州 白河 より熊野に参詣に来た若い僧安珍(あんちん)が宿を借りた紀伊国真砂の庄屋の娘清姫が、安珍を気に入り夜這いをかけて迫るが、安珍は帰路に立ち寄ると嘘をつき立ち去る。清姫が追跡して安珍に追いつくが、別人だと嘘を重ねて逃げられ、激怒した清姫は蛇身に化けて日高川を渡る。道成寺の梵鐘の中に逃げ込んだ安珍を、鐘に巻き付き火を吹いて鐘ごと焼き尽くし、日高川に入水して果てる。
 第二の例では、 安達ヶ原 の黒塚の伝説。京の公家屋敷の乳母として奉公していた岩手という女性は、5歳になっても口がきけない姫を救う一心で、胎児の生き胆が効くという易者の言葉を信じ、生まれたばかりの自分の娘をおいて旅に出る。奥州安達ヶ原(二本松市)で岩屋を宿とし標的を待つと、長い年月が経って若い夫婦が宿を求めてきた。身重の女が産気づき夫が薬を買いに出た機会に、岩手は出刃包丁で女の腹を割いて胎児の肝を抜き取るが、女の身に着けたお守りから、京を立つ際に残した我が娘と知り、精神に異常をきたし、以来旅人を襲う鬼婆に化すという伝説である。
 鬼とは、必ずしも絶対悪の対象ではなく、常に両義的、可変的な存在である。人間の持つ醜さや弱さが反映しているのではないか。

○節分と鬼
 節分とは、もとは立春、立夏、立秋、立冬の節目だが、最も重視される年頭の立春を意味するようになった。今日の豆まき行事は、平安時代の宮中の「追儺」(ついな)に由来するという。追儺は中国伝来の行事で、「鬼やらい」ともよばれ、大晦日に邪鬼を払うことを目的とした。いまでも大晦日に豆まきを行う地域が残る。
 吉田神社の節分祭は、平安時代宮中で行われたものを再現しており、大舎人が黄金四ツ目の仮面で方相氏(ほうそうし)に扮し、大声を発しながら舞殿をめぐり、最後に殿上人が桃弓で見えない邪気を追い払う。やがて見えない疫鬼の存在が忘れられ、恐ろしい形相で邪気を払う役割の方相氏じたいが鬼とみなされるようになった。
 豆まきでは「福は内、鬼は外」が普通だが、「福は内、鬼は内」と唱える地域の例が、霊峰岩木山麓の 弘前市鬼沢 である。鬼を御神体とする鬼神社が農業の守護神として信仰を集めている。伝説では、岩木山から下りてきた鬼が痩せた荒れ地をせっせと耕し始めた。村人から農業用水の必要を訴えられると、鬼は姿を消したが、翌朝には一筋の水の流れが作られていた。その水はいかなる旱魃でも決して枯れなかったという。
 この鬼は岩木山の山の神だったのか、あるいは、土木技術を持った山の民や石工が、後に鬼に譬えられた可能性もあるだろう。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2022.06.04 11:30:07
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

コメント新着

おだずまジャーナル @ Re:仙台「6時ジャスコ前」の今むかし(11/14) 仙台フォーラスは来月3月から長期休業。再…
クルック@ Re:黒石寺蘇民祭を考える(02/18) ん~とても担い手不足には見えませんけどネ…
おだずまジャーナル @ Re:小僧街道踏切(大崎市岩出山)(12/11) 1月15日のOH!バンデスで、不動水神社の小…

プロフィール

おだずまジャーナル

おだずまジャーナル

サイド自由欄

071001ずっぱり特派員証

画像をクリックして下さい (ずっぱり岩手にリンク!)。

© Rakuten Group, Inc.
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: