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先週のこと、新しい国語辞典が欲しいと小学生の娘が言う。明日学校に持って行くからすぐ買ってくれ、と。家にあるやつで良いじゃないか、言葉なんてそんなに変わらないし、と30年くらい昔の辞書を持たせてやることになった。ただし、今回は納得してもらったが週末に新しい辞書を買う約束になった。地球温暖化が載ってないじゃないか、という娘の鋭い意見が勝ったのだ。 さて土曜日の夜に、駅前の丸善で真新しい国語辞典を買ってやった。どれがいいと聞かれたが、何種類か並べて開いてみて娘自身に選ばせた。念願かなって新品を手にした我が子だが、しかし、明日からは開かずに本棚におさまるだけだろう、そう思うと、また親のケチ根性が湧き上がってくる。今が大事だ。辞書を開かせなければならない。 日曜は私もヒマがあったので、珍しく朝から社会の勉強している娘に向かって、人名はどこまで辞書にあるのかな、徳川家康はあるだろうけど伊達政宗は出ているかい、と水を向けると喜んで辞書を開く。載っていない、でも、独眼竜のところで伊達政宗のことと書いてあったよ、と反応。よしよし、卑弥呼や小野妹子はあるか。娘もどんどん読み始める。夕方にテレビで出てきた意味のわからない単語も、いつもどおり親に聞いて来るので、ヨシ来た、それは辞書を開いてみろ、と。娘さっそく手を伸ばす。その後は、辞書ゲームやるぞ、と我が子が目をつぶって開いた任意のページで指をあてた語句の意味を、親が答えてみる。当然辞書どおりには答えられず、はずれると子は喜ぶのだが、実は言葉の意味を解説しようとする作業は実は難しくもあり、また面白くもあるものだ。そんなことの一片でも伝われば良いのだが。 私は高校生の頃、古語、漢和辞典と英語辞書(LDCE)は自分のものを買った。英和は兄のものを活用したし、国語辞典は家にもなかったと思う。ほかにさほど書物もなかったので、暇に任せて辞書の解説欄を読みふけって文法や歴史や発音を我流で理解したり、似たような言葉を比較したり集めたり、また、たまに誤植を見つけて喜んだりして、そんなことがある程度は言葉の豊かさや歴史文化の悠久さに目を開くことになったのではないかとも感じている。 ことばの世界に我が子はどう向き合っていくのだろうか。自分なりで何でも良いから、おもしろさを見いだして欲しい。親は何をどうやって助けてあげられるのだろうか。 ともかく今は、本屋に払った3千円のモトをとらなければ。一日二日なら真新しい辞書を手元に置くだろうが、明日にも辞書は娘から離れるかも知れない。ああもったいない。明日もまた、ケチ親父の本領発揮だ。
2011.11.07
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先週末、思い立って久々に近鉄のDVDを観た。今回は念入りに。北川の代打ホームラン、球団最終試合中村のフルスイング、そして10.19では第2試合問題の2塁タッチアウト、などなど夜更けに見入ってしまったが、中でもコマ送りや逆送りしながらじっくり見たのが「平野執念のバックホーム」だ。昭和54年のリーグ前期優勝をかけた阪急戦。引き分けでも優勝を決められるが、同点8回裏で阪急のチャンス。走者2塁で打者はベテラン阪本。村田辰美のボールはセンター前に抜ける。普通なら2送が生還して阪急勝ち越し、のはずだ。画像を戻して何度みても、その構図だ。しかし、敢然とダッシュするセンター平野が渾身のバックホームを見せる。ビデオを停めてみると、(古い映像と我が家のビデオの性能のためだろうが)本当に送球が白い矢となって突き進む。キャッチャー梨田は、ブロックのためホームから随分三塁寄りに出ているが、おそらくセーフになる覚悟で進路を塞ぎミットを構えている。そして、何とそのミットに白い矢が見事につきささる。それがランナーが梨田めがけて突進するそのタイミングにピッタリ間に合っている。ちょっとでも球筋がそれていれば、もう梨田はタッチできない。奇跡のタッチアウト成功だ。良く言われることだが、平野は前日母を亡くし一睡もせずに臨んだ試合だった。すべてを懸けて挑んだ魂の返球が、運命をひっくり返して相手勝越し点を阻止し、そして秋には球団初のリーグ優勝をもたらしたのだ。私は、昭和63年の10.19第一試合の鈴木貴久の生還シーンとも比較してみた。引退を決めている梨田の執念が生んだヒットを受け、激送する鈴木がロッテ捕手袴田のタッチをかいくぐって追加点をあげる。タイミングは本当に微妙だが、鈴木の走りがまさった。引き分けでも潰える優勝の可能性。何としても欲しい勝越し点を見事にもぎ取った気迫のプレーだった。そして二塁上の梨田は、最初で最後のガッツポーズを見せる。いまの言い方でいえば、野球の底力を存分に示してくれる素晴らしいシーンだ。
2011.10.29
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こどもたちの自転車を粗大ゴミに出しました。初代は既に無いのですが黄色い自転車で、上の子が4歳くらいの頃。補助輪を付けて練習したものです。画像の青いのが、それに次ぐ2代目。そして、オレンジが3代目。当然ながら、順次下の子にお下がりとなりました。今では、上の子には2年ほど前から白い自転車(ほとんど乗らないですが)。そして、下の子は、この3代目オレンジ号を卒業して、晴れて自分だけの(お下がりでない)新車を先日買ってもらったので、我が家の自転車には現在、子ども達のと大人用1台の合計3台体制です。そんな訳で、この2台は涙ながらに我が家を去っていくのでした。
2011.09.28
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先週後半から急に涼しい夏になりました。気温にして10度ほど突然下がると、体調を崩す人も出るでしょう。我が家も子ども1人が不調です。天候のせいよりも夏休みボケで、学校の始業に適応できないためかも知れません。しきりに眠さを訴えます。さて、私は夏バテ気味から少し回復して、文物を読む気力も甦りつつあります。これは良いことでしょう。暑いと何にも考える気がしないものですから。やはり東北人は、猛暑には弱いです。といいながら、冬になると東北人なのに寒いのは苦手という。天気や環境のせいにする、怠け者のカバネヤミであります。しかしながら、イーグルスの復調の兆しが出てきましたし、今週は気持ちを切り替えて頑張ってみます。
2011.08.22
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藤村氏や旧石器遺跡の関係者とされた岡村氏の著作を読んだ。■岡村道雄『旧石器遺跡捏造事件』山川出版社、2010年学者として、あの重大事件や藤村氏のことを振り返り総括するのは苦しさが伴ったと思うが、まずは真摯に当時を語り、出来るだけ全容を明らかにしようとする姿勢が感じられると思う。著者ひとりが考古学界の再生の責めを負うものではないし、被害者であるのに言われない中傷も浴びた著者が、10年後の時点で、事件の経緯や背景を説き起こし、藤村氏に再会するなどして社会的責任を果たそうとするものだと思う。そのことには敬服するし、また、素人の私が学者と同じレベルで批評はできないが、しかし一般人としてどうしても当時から持っていた疑問は、やはり自分には残っている。25年間も捏造が繰り返され、しかも天文学的な確率の発見とさえ言われたセンセーションまであったのに、何故に疑いの目で検証する姿勢が学界そのものになかったのか。藤村の巧妙な手口、マスコミの扇動、まさか捏造はないだろうという関係者の気質や当時の科学分析の限界など、著作に示されているように、見逃した事情はたしかにあったのだろう。しかし、それでもしかし、だ。素朴な疑問がわき上がる部分を象徴的に取り上げれば、学問を知らない藤村が、学問的所見の痒いところに手が届くように石器を掘り出して見せる能力があるはずがない、だから捏造などは思い至らなかった、という弁についてだ。藤村が来ると翌日に石器が出る、欲しいものがどんどん出てくる、数年間で何十万年も歴史が遡る、考えられないような石器の接合が発見される、そんなアカデミズムの地道さを乗り越えたような「業績」を、当のアカデミズムの側がみずから冷静に受け止めることが、どうして無かったのだろうか。科学者としての根本的な意識にかかわる問題なのではないのか。本の中に、東日流外三郡誌の和田喜八郎の事件との共通点が言及されている。現在では偽書と断定されたと言って良いのだろう。しかし、当時には、五流の詐欺師程度の人に偽書が作れるはずがない、との思いこみがあったという。奇想天外で子供じみた和田文書は、疑いの目を持って観察すれば容易に矛盾や不自然さに気が付いたはずだ、というのだが、町役場がお墨付きを与えてしまい、多くの人が騙された。嘘は大きいほど騙されやすい、そんな大嘘つきがいると常識人には想像できない、という面があるという。(この部分は、著者が斉藤光政『偽書「東日流外三郡誌」事件』新人物往来社、2006年を引用しておられる。)本当は、捏造の張本人が真実を語るべきものだ。刑事責任に問われないとしても、あるいは一介の愛好者に過ぎないとしても、長年にわたって歴史を書き換えさせてきた社会的責任は極めて重い。藤村氏本人の健康や人権ももちろん尊重されるべきだが、覚えていないの一点張りでは、許されないのだ。私は、藤村氏が仮病を語っていると言っているわけではない。岡村氏も、2009年に会ったとき、覚えていないという藤村氏が嘘を言っているようには思えなかった、と記している。本当に記憶がないのかも知れない。しかし、仮病でなくて真の病気なら許される、そんな問題ではない、と言いたいのだ。行為者個人レベルで言えば、発覚前は当然意識して行動していたはずだ。最低限の倫理さえ踏み外して多くの仲間を裏切った行為者の責任がもちろん一番だ。しかし、発明やスポーツとは違って、個人プレーとして世の中が受け止めてきたのではない。学問の成果として受け止められてきたのだ。それを結果的に助長した学界として、発覚前になぜに冷静に批評にさらすことがなかったのか、そのことなのだ。■関連する過去の記事 旧石器捏造 学界はどう見ていたのか(09年12月12日) 旧石器捏造事件を考える(09年12月11日) 壮大なニセ歴史ロマン(07年5月27日)(旧石器捏造事件関係)
2011.08.15
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ふと思い出した。子供の頃、テレビやラジカセなどの電化製品のスイッチ類には、必ず英語の大文字で意味が付されていた。VOLUME、PLAY、STOPなどなど、である。そういうものなのだと思っていた固定観念を破られたのは、高校生の頃だろうか。家庭用ビデオの登場である。我が家にはもちろんなかったが、どこかで見たのだろう。極めて「新鮮に」感じたのは、パネルのスイッチ類説明が日本語であることだ。電源、再生、一時停止、などなど。エポックとはこのことかと思ったくらいに、私には衝撃だった。考えてみれば、これが極めて自然で、当たり前のことだ。なぜ昭和40年代?は無理して英語だったのだろうか。アミューズメントやオーディオ系の電化製品は、一つの憧れであり、そこで得られるコンテンツも時流の文化。生活の質が年々実感を持って向上していた当時、これらはこれまでの月並みな日常から、チョイと次元を引き上げた先進世界に連れて行ってくれる、そんな道具だった。表記も、次元の違う言語である必要があった、ということだろうか。ところが、ビデオのように機能や操作が複雑になってくると、もうそんなこと言っていられない。実用に迫られて、どうしても日本語が必要になる。昭和40年代だって、洗濯機や冷蔵庫などは日本語で表記していたと思う。脱水、すすぎなどに該当する英語を目にした記憶がないから。やはり実用性を重視していた。というより、日本で暮らしている以上、それが全く自然なことだ。今や昔の話となった。テレビを買って満悦だったお父さん、また、ウォークマンを持って自慢した若者など、あの時代にあって、日常の先を行こうとしていた。そんな「前がかり」な共有意識も、今では懐かしい。
2011.08.04
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午前午後の仕事を済ませて先ほど帰宅。一日が長く感じられるのは、結構皆さんそうだと思うが、朝のTVでなでしこを応援したため。それにしても、素晴らしい優勝。絶対にあきらめないという姿勢が、私たちに勇気を与えてくれた。試合開始早々から矢のような攻撃を浴びる。なんとか凌いでくれれば勝機もあろうか、とわずかな望みにすがりつつ、なんとか後半へ。選手交代で反転攻勢と思いきや、あっさりカウンターで先制を許す。だが、やっぱりか...とは思わせなかった。程なく同点にする。私は、先制を許してから睡魔と戦っていたが、同点で飛び跳ねてしまった。目が冴えて起きていた延長戦で、こんどはすごいヘッドの勝ち越し点を食らう。しかししかし、またしても、やっぱりか、の悪い予感は見事にも粉砕された。澤の同点ヘッドは、浅い角度からの技あり弾だった。この人が決めたことがまた、素晴らしかった。もう何もプレッシャーのない安心して見られたPK戦も、そして勝利後のスタジアムの様子も、結局7時過ぎまでTVを眺めてしまった。それでもちょっと眠ってしまい訪問してきた知人にちょうど起こしてもらったような形になった。そんな訳で、眠いし腹も減っているのだが、心は満たされた気分だ。日本も、やるじゃないか。さあ、この調子でイーグルスも3位浮上を、と思ってみてみると、現在3位のロッテが1-0で先行している。4回裏。オリックス頑張れ、もう連敗しなくていいのだよ。カラバイヨ、頑張らいよ(あっ三振だ)。T-岡田、なんで出ないの。
2011.07.18
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いったん帰宅しておりますが、このあと午後の用事があるので間もなく出かけます。さきほどある人に今日も暑くなりますよと言われて、そう言えば今日で暑さのヤマが越えるという予報を思い出しました。本当は家でゆっくりしたいところ。ソウメンでもすすって、午後はイーグルスをTVで応援、なんてできれば最高ですが。市内は今日も祭で混雑でしょう。それでは私も出かけます。
2011.07.17
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小学生の子のプリントで出ていた。結構面白い。口 → 日水 → 氷代 → 伐幻 → 幼刊 → 刑などという具合だ。どうしても一つだけ思い浮かばないものがあった。それは、「舌」だ。答えは、「乱」のようだ。なるほど、確かにプラス一画だ。ちなみに、これは、我が子も解らなかったようだ。アルファベットの二十数文字ではなく、字形豊かに多彩な表意キャラクターを持つ漢字文化圏に育った我々で良かった、などとふと思った。
2011.06.30
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昨日は医療機関について書いたが、薬局にも同じような検索システムがある(ミヤギ薬局けんさく)。面白いもので、薬局の場合は人名由来は少なく、地名由来も意外と多くない。動物の名や、明朗や健康をイメージさせる抽象語句を冠するものが多い。そんなわけで、タダの薬局 高い薬局 安い薬局などはありませんでした。それにしても、たとえば動物名で、宮城の薬局さんにあるもの、ないもの、などクイズを企画すれば、結構面白いような気がする。暇なときに企画してみます。
2011.06.27
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子どもの話。タダのお医者さんあるんだよ! はいはい、どうせ「只野」先生とか「安井」先生の診療所というオチだろう。ところで、「やぶ」さんが診療所を開いたら大変なことになる、と勝手に心配した。そこで、県内全ての医療機関をデータベースにしている公的な情報案内システム(宮城県医療機能情報提供システム)で調べてみたが、心配した医療機関名はなかった。良かった。ところで、誰に似たかダジャレ好きの我が子が喜びそうなのを、挙げてみる。先生には大変失礼ですが。ただ歯科クリニックさん (泉区)やすい眼科さん (利府町)そう言えば「ただ歯科クリニック」さんは、バスの車内広告で見たことがあるような気がする。医療機能情報提供の制度は医療法に基づくもので、全国の都道府県が実施している(厚生労働省の案内ページ)。ヒマであればこれで全国の医療機関の名称を確認しても良いのだが、考えてみればこのようなシステムこそ国が一元的にやるべきだろう。もちろん、心配する名称を探す便宜のためではなく、県境付近の人や転勤族のためにも、統一のフォーマットにすればいいだけのこと。国法を改正し地方に義務化させたことで役割は果たしたと誇っている、霞ヶ関の論理がここにも見える。国に飲み込まれるのは悔しいので、ヒマではないが、東京都のシステム(ひまわり)と東北各県を見たが、さすがに「やぶ医者」さんは無かった。矢吹さんが数軒おられるようだ。
2011.06.26
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今時の携帯電話の番号は、それこそ番号情報だが、固定電話の市外や市内の局番は、地域性を伴うアナログな情報も含んでいたと思う。例えば、私が学生時代のころの感覚では(当時は2桁市内局番)、市内局番29だと八木山あたり、4で始まると西多賀あたり、8や9で始まると駅から東の方面、2で始まるのは正統派の市中心部、3で始まるのは小松島や北部の方面、などというイメージを抱いていたのだったと思う。また、泉市の市外局番だった02237には、何とも言えないハイセンスを放出するような響きがあった。ほかにも、02238だと宮城町あたり、02236は塩竈や多賀城だったと思うが、それぞれに勝手な主観的イメージを結びつけていたと思う。あの頃は、市外4桁-市内2桁というのが、仙台(0222)の他には、石巻と気仙沼くらいだったのではなかったか。順次、市外4桁化が進んで、たしか志津川町あたりが最後まで市外6桁だったと思う。塩竈や泉市が5桁だったというのは今の若者には信じられないのかも知れない。そして、大都市地域のステータスとも言える市内局番3桁に移行したのは、昭和62年頃だったろうか。仙台圏域が市外局番を統一して022とする報道が河北新報の一面に載ったときは、小躍りするようなうれしさを感じたものだ。今ではどの県でも県庁所在都市近辺などが市内局番3桁のようだが。最近は、市内局番と地域の関係も厳格さがなくなっているのかも知れない。昔は電話帳のどこかのページに、電話局の管轄エリアと市内局番一覧があったものだ。仙台の市内局番に7で始まるのが登場しているし、自分だけがそうなのかも知れないが、地域性を表現していた昔日のアナログ情報の時代からすると、よくわからなくなっていると感じる。オレもアナログ人間だ。
2011.06.24
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和声法では、4度や5度の間隔を保ったまま2声が推移する並進行は、忌避されているものだろう。小学生のとき、暇に任せて図書室の本を濫読したので、こんな門前の小僧のような知識が頭に残ってしまった。児童向けの本などではない。おそらく公民館のお下がりか何かで、旧字体が混じったような大人向けの書物だった。これを思い出したのは、あの緊急地震速報のチャイムだ。3月以来、何度も何度も聞いた。幸か不幸か慣れてしまい、驚くことは無くなったが、恐怖や当惑よりも、嫌悪や憎悪の気持ちを想起させてしまうようになってしまった。仙台では、3月11日の地震と対比して、大きな余震、2度目のヤツ(人によっては、3回目のヤツとも)などとして話題に上っているのが、4月7日の地震だ。3月11日の揺れと津波は本当に筆舌に尽くしがたいが、揺れだけを取り上げれば、私自身は4月7日の方が激しいと感じた。その時、私は車を運転していて赤信号の交差点にいた。車のラジオから緊急地震速報のチャイムが響いたが、この頃は毎日聞いていたから、またかの感が強かった。しかし、車体は大きく揺すぶられ、空に青白い閃光が走って信号は消えた。ただ事ではないと思い、慎重に車を進めたが、暗闇の中でライトに照らされる道路は、陥没や亀裂の連続だった。この速報は、数音が上方に滑奏されるグリッサンドのような構成だが、耳には後に残る部分、つまり上部の2声が残るように私には感じられる。それは、最上の声部が Eb-E で、第2声が Bb-B のようだ。つまり、耳に残る音はこの2声が4度を保って並進行するように聞こえる。並進行が楽典上タブーなのは、なにか教会音楽の世界の理由があるのかもしれない。かの小学校の書物では、ほかにも、三位一体の立場から美しいとされる形式などが説明されていたと思う。教義上の理屈はともかくとしても、おそらく、足がかりがはっきりしない和声進行は、移り気で不安感や緊張感を誘発するから好まれないという側面はあるだろう。とすれば、逆に、緊急地震速報のチャイムにこれを採用したのは、まさに相応しい所以となるわけだ。即座に対応を促すのだから、ほかにはない特徴的なジングルでなければならない。短いながらも、全声部が(4音が5音で構成されている)並行して半音上がる進行は、大地がうごめくような、足元が浮き立つような、えも言われぬ落ち着かない感覚を咄嗟に呼び起こしてくれる。かといって、いたずらに不快感を残し、またトラウマとならないように、音素は美しいチャイム音を採用するなど、苦心の作品なのだろう。考えてみると、制作者がこのチャイムに注いだ信念と労力は称賛されるべきものだろう。そして、その努力が、幾千の命を救ったのだった。
2011.05.22
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疲れていると突然異次元世界?の発想が現れる。バスに揺られているとき、英文で最も頻用されるはずのeを一切使わないで長文小説を書き上げたという誰かの話を、なぜか思いだし、次のバス停までの間に考えてみた。Hi, Nancy! How is it going? Did you visit Odazuma Journal? That's so much good. Mr.Odazuma said that Tohoku district is main and important part of Japan, with kind and industrious inhabitants. His diary instructs us much in cultural, historical and industrial informations and shows us kind of critical works on various affairs about Tohoku with what he calls odazuma spirit. Allow his poor words. Don't mind your p's and q's, anyway.最後は思いつく単語を並べただけ。
2011.05.21
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なぜか右肩が痛いほど重い。年のせいかとは思うが、いちおう画面の見過ぎだろう、と仕事のせいにしておく。うつ伏せになったところに、誰かに背中から右肩のあたりを足で踏み込んで欲しい気分だ。ハワイのロミロミが、そんな感じだったと思う。震災から2か月以上が過ぎて緊張感が薄れたからだろうか。昼間に眠気が襲ってくる。風邪の前兆のような気分がする。文章を読んでも集中力が続かない。交流戦に入るイーグルスに、スカーッと勝利してもらえば、この体もかなり回復するような気がする。岩隈がビシッと抑えて、コーチ陣入れ替えの打線も奮発、15対0くらいでジャイアンツを蹴散らしてくれると、いいのですが。
2011.05.16
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震災後の地域にどう関わるかで、政治家の真の度量が表出するのではないか、と最近思うことがある。私は政治家とは無縁だが、震災の後の仕事柄、意外と政治家の方々と接することが多い。例えば、ボランティアとして地域に分け入り、自ら率先して各方面と連絡をとり、混迷の中でも一定の道筋を開いている人。政治家としての立場を前面に出すことが、関係者の必然的な配慮を招くことをよく知っているので、自己抑制をして、災害現場に振り向けられるべき資源が政治家としての自分に無駄に向くことのないように配慮している。そんな人もいる。かたや、どこに行けば良いか調べろ、誰に連絡すればいいか、何を用意すればいいか教えろ、などと要求の多い政治家。挙げ句の果てには、何で自分のやりたい「善行」が通らないのか、などと筋違いの難題をぶつけてくる。これは、本当に困りものの政治屋だ。被災地や地域を考えているのではなく、自身の政治的得点などを優先しているのだろう。人に迷惑を掛けている事実、そして結果的に被災地の復興に支障となっていることに、悲しいかな思いが及ばないのだろう。マスコミ関係者にも、そういう手合いがいる。普段から自立した仕事が出来ていない証拠なのだが、このような人と出会ってしまうと、本当に困る。忙しい中で、無駄な時間を費やすことになるからだ。誰かが言っていたが、現在の国政与党に連なる政治家ほど、後者の例が多い、と。一概に決めつけては失礼だが、そう思うことも、実は多い。大震災を契機に、胸のすくような素晴らしい政治家に接することもある。しかし、別のタイプの政治家に当たってしまうと、本当に不幸だ。明日は出会わないことを、祈るしかない。
2011.05.10
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いったい地球はどうなったのか。地震で地軸が曲がったとか、自転が早くなったとか。昨日は春の陽気かと思えば、一転して今日は雪だ。県内は桜の季節に入った4月19日というのに。雪と言えば、あの3月11日も揺れた後に夕方にかけて雪が降った。仙台で最も遅い(最晩)降雪の記録は、5月3日だそうだ(1991年)。■関連する過去の記事 四月の雪を考える(2010年4月17日)
2011.04.19
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おだずまジャーナル編集局の片づけ作業に、やっと今日から取りかかりました。7日の余震の方が被害がひどくて、棚から落ちた本やCDや何やかんやで文字通り足の踏み場がない状態でした。夕方にやっと床が開けた状態に。なんだかスッキリと見えます。今やっているのは、いったん別室に避けて積んでいる書類を、棚に戻す作業です。当然ながら、明日に持ち越しになるでしょう。我が家の3階、いや正確には、2年前に簡単に床を張って物を置けるようにした屋根裏スペースなのですが、今日の昼間に上がってみたところ、意外にも問題はありませんでした。スプール材を木ネジやL字金具で固定していたのですが、一部に余った材をそのまま重ね置いていたりしたので、ちょっと心配でしたが、無事でした。子ども達の思い出の工作やノートなど、年ごとに図袋にまとめて、手提げ式の紙バッグに入れて並べているのですが、ズレ落ちて2階の天井板に落ちることもありませんでした。編集室の机やパソコンは、まだずれたままです。夜に動かしたくないので、やはりこの後の作業は明日の朝にします。地震の後、本格的に休んだのは今日が初めてです。もちろん電話やちょっとした調査などはありますが、仕事場には出ずに大方は家にいました。子ども達ともいつになく長い時間一緒にいたような気がします。スパイヤーの見事なリリーフもTVで見ることが出来て、良かった。何かよくわかりませんが、何かをリセットできれば、いいと思います。
2011.04.16
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木曜夜の余震は強かった。交差点に停車していたら、空に青白い閃光が走り、信号機が消える。道路には起伏や段差が生じていた。家の書斎兼パソコン室は、ふたたび書類の海に。棚の上のものも落ちてしまい、前回より大変です。何とか海を飛び越えてパソコンまでたどり着いてみたが、前回落ちていたパソコン君は生きていた。ただし、固定電話が使えない。ネットワークの問題でないかと思ったが、モデムなどは大丈夫だ。電話機自体の問題か。
2011.04.10
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商店やバスなど、町を歩くとあちこちに励ましのメッセージ。仙台の街にいると大震災を感じないようにも思われるが、メッセージを見て、やっぱり夢ではなかったと気づく。もちろん、忘れているはずもない。現実なのだと気づいたフリをする、というのが近いかも知れない。しかし、意外と街中でもマンションのタイルが剥がれたり、歩道にズレやクラックがあったり。やっぱり激烈だった。忘れるわけには行かない。おだずまジャーナルは、仙台・宮城・東北を考えてまいりました。これからも考え続けます。「がんばろう仙台・宮城・東北 おだずまジャーナル2011」
2011.04.02
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被害の大きい沿岸部の新聞をネットで読んでいる(東北情報ソース)。三陸新報(気仙沼)、石巻日日新聞など。いまだに信じられない規模の被害だが、目を背けるわけにはいかない。真摯に伝えようとする人たちがいる。三陸河北新報(石巻)、東海新報(大船渡)のサイトは3/11の日付で停まったままだ。このことも事態の重大さを物語る。報道に関わる方々にとって、newsを提供できないことは、何よりも無念だろう。また、仙北郷土タイムスは印刷業者の被災と紙の調達不能で休刊だという。ライフラインも情報もずたずたにされた震災だった。でも、一つ一つ。皆さんの力で、立て直しましょう。進みましょう。変わり果てた町にも、明日は朝日が昇ります。がんばろう東北。私もジャーナリズムに関わる者として、人をつなぎ、まちを興すために、役に立ちたいと思います。大それた事などかないませんが、まずは日々の仕事をしっかりと。それが東北の復興にかならずつながるので。
2011.03.28
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震災からもう2週間が過ぎた。今は自宅にいる。夜中に戻ったことはあったが、こんな早い時間に机に向かうのは、かなり久しぶりだ。この間、何もものを考えていなかったわけではないから、震災のことや、それ以外にも何かと書き連ねたいことはあるにはある。しかし、文章にしようとする意欲が、やっぱり減衰しているようだ。これは震災そのものと、その後の疲れによるものなのだろう、か。とにかくベッドで横になりたいと思う。そう言えばさきほども余震があった。もう震度4でも5でも全く動じないのだが、実際の地震に動じないのは良いが、地震がないときでもこっちが揺れている感覚が治らない。沿岸部の壊滅的な光景。頭を離れることがない。青松の海岸、海沿いの街並み、美しいリアスの村々。人も町も、なぜ流されなければならないのか。誇らしいわが宮城の県土に、なぜ爪跡を刻むのか。東京の石原慎太郎知事は天罰だと言って撤回した。撤回は正しいと思うのだが、無神論の立場で、人も物も関係なし、地球活動の所作の結果、というのより、何らかの意思や導きで引き起こされた災厄だと言われる方が、まだ心の整理がつくのではなかろうか、とさえ感じる。それだけ、巨大な出来事だということだろう。通常ペースのブログ再開はもう少々後にさせていただきます。
2011.03.26
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家族は無事で、自宅の被害も少なかったのですが、パソコンが転倒し、また停電の影響などもあり、度々帰宅できなかったことなども重なって、やっと今ほどネット復旧しました。震災のことをいろいろ記したいところですが、体を休めたいです。毎日のように余震に揺られています。実際に揺れていなくても、眠りにつくと、体が揺すられる感覚に襲われます。とにかく、前に、一歩。
2011.03.16
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最近パソコンが極端に重苦しくなっていて、「シャマして」います。家人がいろいろインストールしたことが関係しているらしいのですが、大変困っています。次に、この楽天ブログ管理画面に出会えるのは、いつの日か。さてもう出勤です。涙
2011.01.27
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今年頂いた年賀はがきは、当選が4等の切手シートで4枚でした。確率的にはもう少しあっても良いはずですが、まあ良いでしょう。ところで、未だに我が子ども達は、こうした単純な当たりはずれを楽しむのが好きなようで、今年も皆で盛り上がりました。子ども達がもらった賀状は、すべて外れたようです。2年ほど前には、数枚しかもらっていなかった下の子が、3等を当てたり、などしたのですが。これで、僅かに残っていた新年気分?もすっかり抜けました。今年も仕事に家庭に、いよいよ頑張りましょう。
2011.01.24
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皆様本年もよろしくお願い致します。意外と穏やかな天気の正月。チョイと初売りに足を伸ばしたあと、昨日(大晦日)受け取ったおせちを開きました。午後は下の子と散歩しましたが、やっぱり風は冷たかったです。画像は、そのおせち料理と、子どもが見つけた近くの建築現場のゲートの正月飾り。正月の光景です。
2011.01.01
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完全に仕事もナシ。家人の命を受けて一っ走り行ってきました。市内の某ホテル。正月料理を予約していたので、取りに行ったというわけです。酒とカレンダーが付いてきました。大荒れの年越しと言われていますが、今のところ天気は悪くない。陽ざしも出ています。市内はなぜか県外ナンバーの車が多かった。水戸、八戸、岩手、福島、などなど。愛媛ナンバーも見かけた。この入れ物の中にはさぞかし素晴らしい料理がつまって居るのでしょう。貧しい農家だった我が少年時代には取り立てて正月料理の記憶とか、家庭ならではの味とか、思い当たることはあまりありません。餅だけは随分出たように思いますが。明日の元日に開けてみれば、テレビや雑誌で見聞きするような、色とりどりの料理があるのでしょう。ありがたいことです。ついでに新年の福もつまっているか。皆さん、本年もつまらぬ我がジャーナルをお読み頂いて、ありがとうございました。編集長 小田島樹成 敬白
2010.12.31
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というと荒井由実の詞だが、東北人としてはNSP風に、冬だから雨は似合わないと感じる。もちろん東北でも冬の雨はあるけれど、あんなに真夏のような雷鳴と横殴りの雨は、めずらしい。昨日は、仕事で出かけていたのだが、一番町アーケードを歩いていてさえ、歯が抜けたようなビルの間から降り注ぐ雨に濡れてしまう。タクシーに飛び乗るその瞬間だけでも、十分濡れまくってしまうのだった。河北新報の今朝の見出しが言い表している。「暴風烈雨、冬至襲う/仙台で12月最多42ミリ/東北」と。仙台では時間雨量42ミリは12月として最多だという。降り始めからの雨量128.5ミリも、平年の5か月分の降水量だというから、すごい。加えて強風だ。風は今日も強く、朝に自転車で出かけてきたら、向かい風で漕いでも進まないほどだった。今は家に戻って、陽ざしも出てきた窓の外を眺めている。雨も風も自然の営為で、さらされる立場こそ人間の自然の姿だが、とは言え、家の中にいるのが、良い。夕方にまた、たぶん自転車で出かけるのだが。
2010.12.23
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なぜか帰宅する頃になって急に右肩が重くなった。回した左腕で揉んでみたりしたが、逆に違和感を増したような気もする。とにかく、辛い。原因としては、いや関係ないかも知れないが、最近朝晩寒いのでコートのポケットに手を突っこんで上半身を前に倒したようにして、銀杏の葉っぱなどを踏みながらスタスタ歩いている。(昔友人Fはサザエさん歩きと命名した。)このとき、勢い肩も丸めてしまうのではないだろうか。どうでも良いのだが、まずは背筋を伸ばして早めに寝ることとしよう。
2010.11.18
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家に帰ったら机に置いてありました。まだまだ幼いですね。そう言えば今年行ったときは、ハニーハントでたしか1時間半以上並んだのでした。夕方になっても暑い夏の日でした。それでも、やっぱり子どもにとっては夢の世界なのでしょう。
2010.11.08
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気温6度で、湿っぽい朝。冷気にサワーッと包まれます。寒いですね。冷え冷えして、もう冬という感じ。子ども達もやっと起きました。私はもう出かけます。全然関係がないのですが、画像は、市内のとある店の入り口の看板。外国料理の店ですが、「...までです」の意味でしょう。大変美味しい評判の店だそうです。
2010.10.29
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寒かったですね。今日(27日)は朝慌ててコートを着て出かけました。そして、今も寒いです。外は気温4度でした。帰宅したとたん、安心したのか、単なる体の変調か、胃が痛み出しました。さまざま調べなければならないことがあるのですが、間もなく寝ます。今晩も、こどたちに毛布をかけ直してやりました。さて、ところで。星野新監督。仙台空港にやってきて、早速市内で記者会見。東北を熱くするのが仕事、と言い切っておられました。寒い一日、この東北を熱く熱く燃え上がらせる、そんな爽快な一言。大いに期待いたします。いいぞ仙一。そういえば、TVで、国分町のホルモン「仙一」が紹介されていました。新監督にちなんだ新メニューはあるのか、などとくだらないインタビューをしていましたが、それにしてもズバリの店名で、繁昌しそうです。
2010.10.28
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昨日(26日)青森市では平年より12日早い初雪。10月の初雪は6年ぶりだそうです。ニュースでは、札幌市内の吹雪の模様を放映していました。確かに、かなり寒いです。子ども達に毛布をかけてやりました。仙台の初雪は平年が11月22日だそうで。さすがにまだ雪はないでしょうが、朝は5度まで下がるということで、かなり冷えそうです。さて、今日(27日)は星野監督の記者会見が仙台で行われる予定。寒い秋空を、熱く燃やして欲しいですね。
2010.10.27
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このニュースで、NHKの報道の仕方が気になった。耳かき店従業員と祖母の殺害事件だが、検察が死刑を求刑、弁護側はそれは「重すぎる」と主張、裁判員たちは判決に向けて「重い」判断を迫られる、とアナウンサーは語る。(カギ括弧は当ジャーナルで付した。)まず表面的な言葉の問題だが、これではまるで裁判員が死刑を決定すべしと応援していると受け取られかねない。NHKは誘導する意図などないのだろうけれど、せめて「重い判断を迫られる」は避けて欲しい。「極刑にすべきかどうか判断するという重要な立場に直面した裁判員たち」と報じたいつもりなのだろうが、そもそも、何故にそこまでして裁判員をクローズアップしなければならないのか。もちろんNHKだけではない。もともと殺人事件の解明という大衆の好奇心を誘うテーマである以上に、裁判員制度がスタートして、いつあなたも我が身ですよ、というシチュエーションが一般受けするに違いないと、報道側にとっては魅力的なのだろうか。裁判員にいちいちインタビューすることは明らかに行き過ぎだと思う。裁判員の心理的負担や制度そのものの課題などを解説したいのならば、個別の事件とは一歩も二歩も引いて、客観的に報道すべきだ。なのに、そんな報道をあまり聞かない。魅力的な報道なら同時性が大切なのだろう。それと、例によって被害者遺族による被告人に極刑を、というコメントを付け加える。これは本当に再考すべきだと思う。大衆心理をかき立て国民的意見を誘導しかねないことで、結果的に公正な裁判を歪めることになりかねない。いや、事実をそのまま報道しているじゃないか、とマスコミは言うかも知れないが、それなら加害者の事情も報道すべきが公正なはずだ。むしろ、公正を期することができないのだから、判決直前に遺族の感情をクローズアップするようなことは自制すべきでないのか。かつては新聞はもとより、テレビ報道もそんなにイエローでなかったと思うのだが、うがって言えば、裁判員制度という大衆への架け橋を手に入れて、大衆迎合的なマスコミの本性が解き放たれてしまい、理性を見失ったのだろう、とも思える。同じ状況が、臓器移植法改正後の、臓器を追いかけるパパラッチだと思う。TVマスコミにとっては、臓器を提供する側の家族の声がどうしても欲しい。悩みや決断など、主語となる像を見せたいのだ。しかし、そんなことは移植医療にとって全く本質でない。もちろん、医療側はドナーに対して敬意を払い丁寧な対応を行っているはずだが、臓器移植はレシピエントをどう救っていくかの医療であり、そのための法改正であったのだ。ドナー家族の悩み、制度や体制の不備など、それはそれで当然報道して欲しい。大事なことだ。しかし、それは「主語」を抜いてこそ客観的で価値のある報道になるはずなのだが、どうしてそうならないのだろうか。裁判員裁判、死刑制度の当否、臓器移植、さらにこれらを巡る報道のあり方などについて、少しく意見はあるのだけれども、整理する時間がない。
2010.10.26
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こんな時間に帰宅したことを記しますが、実に久しぶりです。仙台市内からタクシーで直接自宅まで帰ってきたのは。3千円台というのは意外に安いという感覚です。ほとんど寝ていたと思うのですが、運転手の女性の方が気を遣ってくれたのでしょうか。何にしても、本当に久しぶりでした。普段は、電車で帰ろうとして乗り過ごして、2時間も3時間も歩いて帰ることを考えれば、本当に合理的でした。何とも、恥ずかしいですが、これが普通なのでしょう。いずれにしても、無事帰宅できて、運転手さんの言うように、これから熟睡です。
2010.10.21
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きのう(19日)は冷え込みました。盛岡で初霜を観測し、岩手県内34観測地点すべてで今季最低気温。盛岡は、1.7度。そして、薮川で氷点下3.8度など、10地点で氷点下を記録した、とのことです。仙台は朝は10度くらいでした。それでもかなり寒く感じましたね。カゼが流行り出しそうです。アメダスで仙台は現在(午前0時)14.4度。薮川も、まだ(?)4.1度です。東北の観測地点で最低は八幡平(秋田県)の2.3度のようです。いつの間にか、10月も下旬ですね。秋も深まります。■関連する過去の記事(薮川など) 薮川が寒い理由(10年2月7日) 薮川で氷点下(08年9月29日) マイナス10度の朝を迎えられるか(06年1月9日)
2010.10.20
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子どもと何気なくTV見ていたら、懐かしい場面をやっていた。リーグ優勝した1989年の近鉄。ブライアントの西武球場の3連発だ。あの日、僕は西武球場に行くかどうか本当に真剣に悩んだのだけれど、結局行かなかった。10月12日のダブルヘッダー。たぶんTVで見たのだろうか、敗色濃厚で近鉄のVは遠のいた、と思いながら所沢に向かった電車から引き返したように思う。アレ球場に行ったんじゃなかったのかという友人達に教えてもらったのだと思うが、何とブライアントの3連発で見事に試合をひっくり返した。3発目は、語り継がれている渡辺久信の痛恨の1球を打ち返した特大弾。すごい試合だった。前年の10.19ダブルヘッダーも伝説だが、89年も稀に見る混戦のリーグ最終盤だった。あんな強烈な助っ人。来季のルイーズには秘かに期待しているのだが。
2010.10.07
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下の娘は10歳。何かと奔放でおもしろい子どもなのだが、最近、へんな方言もどきの言葉使いをするときがある。~~してケロッシャ。何か頼みにくい時に使うようだ。例えば、自分で持ってくるのが面倒なので、「コップに水でも持ってきてケロッシャ」など。~してケロ、は立派な東北弁だが、~シャ、というのはたぶん仙台近辺の言葉で、比較的丁寧な言葉遣いだろう。例えば、「あのっしゃ、この商品はナンボ(何円)なのっしゃ」など。子どもながらに、下手に出て頼んでいるという感覚があるのだろう。それが面白い。ところで、この「シャ」だが、たしかに昔は時折聞いていたことばだ。しかし社会人になってからほとんど聞かなかった。ところが、だ。由緒ある仙台商人を先祖に持つ仙台人が日常使っていて、私も深層の記憶を思い出したという感じで、この仙台人の方にとってはまさしく自然な言葉なのだろう。我が子は、どこから「シャ」を覚えたのか、不明だ。
2010.09.17
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昨日9月1日も暑かった。東北でも各地で真夏日を記録。福島35.5度、八戸35.4度など。56地点で9月の史上最高を観測。仙台は32.4度で、年間真夏日数は42にまで達し、最多記録を更新中。ちなみに年間熱帯夜日数も仙台9日、福島18日、酒田13日など、記録更新中。残暑は今月上旬まで続くという。今後1週間の予報はすべて真夏日。もうウンザリ。
2010.09.02
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最近朝6時台にCSでプロ野球ニュースを観る。子ども達が楽しみにしている。私は、最後の「今日のホームラン」の音楽がBGMが懐かしい。昨夜はヤクルトの由規が日本人最速の161キロを出したとのことで、何度も流していた。猛暑の今、混迷の政界。なんだかスーっとしますね。いいぞ由規。
2010.08.27
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上の子はここ数日宿題も手に付かず、グッタリ。腹痛や頭痛を訴えて横になり食欲もない。病院に行って何と点滴を受けてきたそうで、今朝も起き出したら鼻血を出してひと騒ぎ。何ともかわいそうだが、暑さが胃腸を弱らせたのでしょうか。もうすぐ復調するでしょう。私自身も、昨日は仕事の後、急に倦怠感に襲われてガックリ疲れてしまった。夜は、イーグルスが追加点を許した7回裏くらいに、ラジオを聴きながら風呂に浸かり風呂洗いを済ませたのですが、すぐ寝てしまった。9時前でしょう。今朝は比較的?涼しい感じがします。私は体調も幾分戻りました。願いとしては、イーグルスに連敗を脱するスカッと爽やかな勝ちを! と思います。
2010.08.18
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夜が更けても暑いですね。外気は28度で、湿度が85%くらいです。蒸し暑い。子ども達も大変なので、これまで我慢していたエアコンを入れました。家内の湿度はすぐ下がりました。こんな暑い夜。夜の8時過ぎに、ヒヤリ体験。仕事帰りの私は、片側2車線の道路どおしの十字路交差点で信号を待っていました。青になって、先頭の私はいざ発信。その瞬間です。あろうことか、前方から私の直前をこちらに向かい、私の左方向に斜めに動く車のヘッドライト。つまり、この車は、対向車線から、私を先頭に直進しようとする車列にお構いなしに、堂々とご自分は右折したのです。よく、青信号になるや否や、対向車線の直進のタイミングより数段早く急発進で右折する車がありますが、そんなテンポではないのです。急いで右折してしまおうという気配もなく、まるで対向車線の車が向かっていることに無関心のようなのです。ブレーキをかけた私の、おそらく3メートル手前を悠然とクロスしていったその車。まっすぐ前を見据えていた運転者は、中年の女性のようでした。何とも怖い体験です。ブレーキを踏んで良かった。ぶつかっていれば、こちらが悪くなくても、あるいは互いにけがが無くても、面倒な処理が待っていたところです。こんな運転するような貴婦人様ならば、なおさら面倒だっただろう。ああ、良かった。いいぞ、オレ。その瞬間をすぎて、2秒くらいしてから、背中が寒くなりました。後ろの車も追突しなくて良かったな、などいろいろ考えながら。条件反射で制動を利かせた瞬間は何も考えていないのだと思いますが、冷静になって振り返ると、本当に怖い出来事でした。教訓。涼をとるなら、ヒヤリ体験より、エアコンがいいでしょう。それにしても暑い日でしたね。仕事の途中で、昼休みには涼しい銀行のロビーで高校野球を観ていました。福島の聖光学院。すばらしい勝利でしたね。ベスト8以降の戦いが楽しみ。
2010.08.16
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いつのまにか30万アクセスをいただきました。皆さん訪問ありがとうございます。今後も、こんなつまらぬ内容ですが、可能であれば毎日書き続けます。よろしくお願いいたします。
2010.08.12
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夕方のNHK全国ニュースでは、今日の日本列島は真夏の日ざしが照りつけ、「北日本でも各地で気温が35度を超える猛烈な暑さとなり...」と語っている。今日の最高気温は、鳥取市38.4度、山形市37.2、北見市37.1、福島市36.5など。東京都心は33.6だという。そして、「北海道や東北でも各地で猛烈な暑さとなり、北海道北見市などで、統計を取り始めてから最も高い気温になりました」と。そう言えば、昼のニュースでも、東北地方でも猛暑と言っていた。NHKのニュースライターにもの申したい。東北の夏は寒いとでも思っているのか。忘れたか、つい最近まで日本最高気温記録は堂々山形が持っていたのだぞ。東北でも暑い、そんな言い方はないだろう。東北を知らずして、軽く見てはいけないぞ。佐治敬三の熊襲発言事件じゃないが、陳謝してもらおうか。サントリー不買キャンペーンならぬ、NHK無視聴運動でも。それはともかく、それにしても暑いです。TBCラジオのイーグルス中継では、午後6時で札幌が31度、仙台が28度と言っていた。札幌の方が暑いのだ。ちなみに、東京は30度。沖縄の那覇は29度だ。北海道も、暑いのだ。北日本を軽視するなよ。おだずなNHK(しつこい)。その、暑い暑い北海道対東北の対決だが、現在、4-1でイーグルスが日ハムをリードしています。いいぞイーグルス。先取点ルイーズいいぞ。20試合連続安打で2点追加の聖沢も立派。ダルビッシュを打ち負かして、スカッと勝ちましょう。(東北・北海道軽視を糾弾しながら、今度は北海道を攻撃している編集長。夏バテでおかしくなっています。)
2010.08.06
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朝の5時ですが気温が24度くらい。窓を開けて寝ていると、やや湿気が高いせいもあるのか、肌に冷気が触れてきて、寒いと思うくらい。下の子には毛布をかけてやりました。体に感じる気温は相対的なものです。昨日の夕食の頃、子ども達が随分涼しいと言っていました。気温は28度程度あったのですが、連日の酷暑が多少和らいだせいか、昨日は確かにかなり「涼しい」感じ。子ども達の提案で水風呂に入ったのも、体が涼んだ一因かもしれません。今日の仙台は、最高30度の予想。その程度ですか。まあまあ、ですな。
2010.07.26
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アメダスでは午前1時で仙台が27.2度。東北で最高です。ちなみに東京都心は30.0だそうで、それに比べればまだマシではあります。午前2時の気温が、25.7度と、やや下がりました。ただ、湿度は上がって81%です。我が家の2階は随分と暑いです。だまっていると汗が出そうで、寝苦しい。子どもたちには扇風機をあててやっております。一応エアコンはあるのですが、なぜか稼働させることが少ない。別に使わないというポリシーでもないのですが。たまにはギンギンに家中を冷やしてみたいとは思うのですが。昨日(21日)は、一関市で新幹線レールの温度が上昇したため、運転を見合わせたそうです。福島県では、福島市や伊達市で36度台。35度を超えると猛暑日と呼ぶそうですが、夏本番です。そうこうしているうちに、今2時30分ですが、やや涼しくなったような気もします。明日、いや今日は32度の予報。みなさん、暑さを乗り切りましょう。
2010.07.22
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昨日は仙台で33.7度だったようです。今季最高気温。今日も33度の予報です。昨日は福島市で34.2度など、他県も暑かった。夏だから仕方がないが、皆さん何とか切り抜けましょう。
2010.07.20
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昨日8日の宮城県内は各地で30度を超える暑さとなった。大衡村32.5度、丸森町32度など。仙台市も30.6度でこの夏一番の暑さ。不安定な大気が続いている。青森や岩手で雷雨やひょうがあった。黒石市ではリンゴの実や葉に被害が生じ、岩泉町などでは住宅や車の窓ガラスを割ったそうだ。奥州市水沢区では、30ミリ程度の局地豪雨が発生。仙台では午後にすこし雨があった程度だった。今日は下り坂。午後や夜は雷雨もあるそうだ。夜の仕事もあるので、カサを持たねばならない。最高気温26度の予報だが、明日は曇りのち晴れ、また30度になるそうだ。夏だから、仕方がない。いよいよやって来るか、本格的な雷さんが。
2010.07.09
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北国生まれの私は夏に弱い。ちなみに、冬は北国生まれなのに寒さに弱いと言っている。やはり宮澤賢治の足元にも及ばないのだが、ところで最近は、食欲もなく夏バテ症状だ。若い頃は、夏と言えば、連日、ざるそばやそうめん、うーめんを食っていた。自慢ではないが、つけだれがなくても白石うーめんを食べられる特技を持つ。そんな食生活から元気が湧き出るはずもなく、惰性で盛夏をやり過ごすような態度でいた年もあったと思う。イーグルスが3連勝したから気分的には良好なものの、何となく気怠い感じが毎日続いて、体はスッキリしない。睡眠が大事だと思うのだが、珍しく、明け方に目が覚めてしまう。やっぱり、暑さで体のリズムも狂っているのだろう。子供達も、突然熱を出したり、疲れたと言い出したり、やっぱり変調を来しているようだ。下の子は、さっき寝る前に鼻血を出していた。
2010.07.08
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小学生の頃、野球のルールについて本を読んでいて、ボークの場合に出てくる「安全進塁権」に戸惑った。何もランナーが先の塁に進める、と言えばいいのに、わざわざ堅いコトバを使わなくても、と思ったものだ。実は、その後もよく分かっていなくて、理解できたのはかなり後になってから。たぶん高校の頃ではないだろうか。安全進塁権の概念は、ボールインプレーとボールデッドの区別という野球のルールの基本と関係している。つまり、インプレーの状態にある際には、ランナーがアウトを覚悟で先の塁を狙うことは自由である。盗塁を試みる場合や、打者のゴロで進塁する場合、あるいは打者のフライが捕球された際にリタッチ義務を果たして進塁する場合、など走者がアウトを賭して進塁しているわけである。このように、インプレー状態では、アウトを賭しての進塁が原則だが、「安全進塁権」はその例外として、走者が「アウトにされる恐れなく進塁」できるのである。フォアボールの場合も打者と走者に、それぞれ1個の安全進塁権が与えられると理解すればいい。四球はあくまでインプレーだから、更に次の塁を、アウトを賭して狙うことも構わない。死球の場合も、打者に安全進塁権が与えられるが、この場合は自動的に(球審のタイム宣告が無くても)ボールデッドになるから、球審のプレイ宣告によりインプレー状態に復帰するまで、アウトを賭した進塁を試みることができないことになる。野球のルールとは、実に複雑なものだ。安全進塁権について言えば、他にもエンタイトルツーベースの場合には2個、野手がグラブを故意に打球に投げつけた場合に3個、などなど。ボールインプレーとボールデッドの意味、そして、どのような場合に自動的にボールデッドになるか、は大事だ。そう言えば、TV中継を見ても、ファウルボールがスタンドに入った後などには、球審はいちいち、プレイ再開を宣告している。そんなことを知ったのは、たぶん社会人になってからだ。
2010.07.02
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