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7歳の娘。最近は朝ご飯に桜でんぶをのっけて食べるのが好きなようだ。今朝は、でんぶの袋をみつめながら、「賞味期限が切れてる」とつぶやく。なに、大丈夫だ、早く食え、とお父さん。「違うよ」と娘。よく見ると、袋の上の方にある「賞味期限」の欄が、袋を開けたときに切れて見えなくなっている。本当だ。かなり切れているぞ。
2007.11.30
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朝一番の仕事で移動中に車中のラジオニュースを聞いてブッタマげました。ブラジルのサルバドルで、国内リーグの試合が終わった直後にのサッカースタジアムで、コンクリート製の観客席の床のうち、横1列分の床が抜け落ちた。観客が15メートル下の地面に落下して7人が死亡、数十人がけが。この日は6万人の観客で、事故当時は試合結果に喜んだ大勢のファンが、観客席で飛んだり跳ねたりしていたそうだ。このスタジアムは、建設から50年以上が経過しており大規模な改修工事は行われていない。ブラジルは、2014年に開かれるサッカー・ワールドカップの開催国だが、多くのスタジアムで老朽化が進んでいるほか、避難路やバリアフリーの設備が基準に達していないということで、スタジアムの安全性の確保が課題... ということ。(NHKニュースから要約)え~~ そんな事があるのか。確かに海外でビルの崩落などのニュース映像を見るけれど、スタジアム客席がストンと落ちるなんて。うろ覚えだが、20年ほど前に石巻市の市営野球場の外野フェンスが、観客の重みで倒れた事故があったように思う。そう言えば、土曜日の鹿島と浦和の熱戦でもサポーターは終始ジャンプしていたが、日本のスタジアムはさすがに大丈夫なのだろうか。仙台スタジアムはどうか。野球だって、日本ハムの稲葉ジャンプが行われるが。イーグルスだとリックの応援の時だ。冗談はともかくとして、ブラジルの施設老朽化は真剣に対応して欲しい。いや、とにかくブッタマげた。
2007.11.27
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カレンダーでは3連休。編集長は体調を崩し入院静養(2階寝室でゴロ寝)が続いています。外に出たのは、昨日やむを得ず行ったタイヤ交換の2時間ほどだけ。今日は仕事ですが、静養の成果どころか逆にひどくなったかも。極度の医者嫌いなので、薬とミカンと気力で直そうとしたのですが、失敗。天気の良いのが幸いです。タイヤ交換も妻の分1台だけで自分のは後回し。今日は降らんでしょうから。
2007.11.25
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寒いですね。まだタイヤを交換していないので夜9時台の帰途は少々怖いドライブだった。明日は道も凍るだろう。仕事は休めるだろうから、一日部屋にこもりたい気分。布団にくるまって、今読んでいる片倉小十郎の本を読破したい。一応、願望です。
2007.11.22
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昨日(20日)さいたま地裁で初公判があり、ふじみ野市の教育委員会職員2名の被告が過失を認めたという。昨年7月に、市営大井プールでボルト固定されていない吸水口に、7歳の女児が吸い込まれて死亡した事故。埼玉県警は市職員3人、業者3人の計6人を業務上過失致死容疑で書類送検。さいたま地検は今年6月に、開業や維持管理責任は市教委体育課にあるとして、2被告を起訴し、業者については不備のある施設の管理を任されたに過ぎないとして起訴猶予としたもの。犯罪論の中でも過失論は難しいが、特に監督過失は理論的に最も難しい。作為か不作為か、そもそも義務とは何なのか(安全体制確立義務、進言義務?)、実行行為は何か、予見可能性の程度はどうか。ホテル火災の場合などが例に挙げられるが、民間委託や指定管理者制度などの進んでいる公営施設についても、施設設置者と管理者との関係で、極めて難しい問題をはらんでいると思う。詳細を知らないから論評できないのだが、市教委側のみの刑責を取り上げたことは、ちょっと意外だった。なぜなら、直接の「気づき」は管理(点検)を任された業者に期待されていると思うからである。もっとも慢性的構造的な「見て見ぬふり」となっていた以上、施設を有し業者を監督する側こそ、改善と安全を保証する立場だったとみることもできそうだ。いずれにしても、私はこの事故は、気づくべきもの、気づいていたはずの事故。つまり完全に防げた事故だ、と信じている。刑事責任の帰趨は裁判でしっかり決着して欲しいが、ともかくも尊い命の犠牲の前に、施設に関わる者は「見て見ぬふり」「誰かがやるだろう」を絶対にやめて欲しい。ご両親のコメントに「自分の子どもや孫がプールを利用するとしたら、針金で留めたプールでも修繕せず開放したでしょうか」とある(毎日新聞記事)。涙が止まらない。■関連する過去の日記 地下鉄のエスカレーター点検(07年8月15日) 再びプール事故を考える(2006年8月11日) ふじみ野市プール死亡事故を考える(06年8月3日)
2007.11.21
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築11年目の我が家に見張り番が登場。家庭用火災報知器の「けむタンちゃん10」です。はい、よろしく。義務化を受けて妻が4台購入したもの。4つで16,000円だったそうだ。日曜大工、ではなかった土曜大工で取り付けを命じられた編集長がさきほど作業終了。高所なので首が疲れました。一番大変だったのは階段を上りきった2階のホールの天井。胸の高さまでの壁の上から覗くと、回り込む方式の階段を下った1階の床が見えて、この壁(というより手摺り)の上で天井に取り付ける作業をしたので、高所に弱い編集長は緊張しました。義務に従って、この階段に1つ、2回の寝室2カ所に各1つ。それと義務ではないそうですが、台所に1つ。これは煙感知式ではなく熱式。商品名も「ねつタンちゃん」だそうです。この合計4台です。さっそく試験的に鳴らしたら結構大きな音。子どもたちは耳が痛~い、と。電池も10年もち、電池切れもアラームで知らせてくれるなど、結構スグレもののようです(商品の説明)。火の元は用心が一番です。タバコも吸わないし、家もオール電化なのですが、火災がないとは言い切れません。家族の安全は絶対条件だし、家も失いたくないので、設置義務化されたというだけでなくて心がけもしっかりとしていきましょう。けむタンちゃんたちは、見張り番をよろしくお願いします。
2007.11.17
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昨夜帰宅したらテーブルにお弁当。夕食はこれか。めずらしいな、と思ってよく見ると、これ子どもが作った折り紙のお弁当でした。ジャーン。上手なものですね。
2007.11.17
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NHKの番組サイエンスZERO「日本人の起源に迫る」(11月3日)を見た。曖昧模糊とした縄文人と弥生人の関係を解き明かしてくれるか、蝦夷とは何かの説明もあるか、などの期待をもって、ノートを取りながら見た。放送大学を受講するような気分で。しかし結局は人類の起源やグレートジャーニーの説明、日本人がどこから来たかの説明などがあったが、縄文人と弥生人の関係などに細かな説明はなかった。ゲストとして解説されたのは、国立科学博物館の篠田謙一さん。科学番組であり、分子生物学の最先端とその面白さを伝えることがメインなのだろう。それでも折角の勉強なので、以下に整理する。1 手法と分布状況 ミトコンドリアDNAは、16500個の塩基配列によってグループ分けされる。そして、人の姿や形を決める核DNAが両親から受け継ぐのと異なり、母親からしか伝わらない。兄弟は同一。父は異なる。母の母も同一だから、母方はずっと同一のDNAである。 日本人の場合は16のグループに分けられる。16人の母にさかのぼるということもできる。 もっとも16のグループ(16人の母)も更にもともとは共通の母のはず。数百世代に1回の割合で突然変異が生じるからである。世界では約80のグループに分類されている。 そして、地域によりグループの分布に偏りがあることから、どのように人が移動してきたかがわかるのである。2 日本人の場合 16のグループのうち、日本人の約3分の1を占め、最も多いのがD4グループ。世界では中国北部や朝鮮半島に多い。中国北部がおそらく故郷で、半島を経て日本へ。 Fグループは東南アジアから日本へ。 M7aグループは世界でも日本にしか居ない。沖縄九州など南に多い。このグループと兄弟のような関係にあるM7bとM7cは、24000年前にMグループから分かれた集団である。これら3グループが重なり合う所は東シナ海である。現在は海だが当時は氷河期で海面が低く陸続きだったろう。 B4グループは日本人で2番目に多い。中国南部、台湾など南から来た。アジアに人類が入ったかなり早い時期に来たグループ。3 世界のグループを見ると 世界の人類の約80のグループには、何個かの「母の中の母」とみなされるグループがある。ここから枝のように他のグループが派生しているのだ。N、L3、R、Mなどがそれで、これらも更にさかのぼればアフリカの共通の祖先に立ち返る。 現在では、人類の動きがかなり明確にわかっている。すなわち、約20万年前に新人と呼ばれる人類がアフリカに出現。6~7万年前に紅海を渡り(氷河期で陸続きか)、R、N、Mなどのグループに分かれた。東南アジアには約5万年前に入り、やがて日本にも渡来する。さらに一部はヨーロッパへ。また北上してバイカル湖方面に向かったグループもあった。これがやがて北から日本にも入ってくるのである。人類の旅はさらに進み、陸続きのベーリング海峡を渡ってアメリカ大陸へ。南アメリカ大陸の先端までは約1000年という早さで到達した。また、2~3千年前には太平洋にも進出し、約1500年前に、壮大なグレートジャーニーは終わる。4 縄文人と弥生人 1万数千年前から狩猟と採集の縄文人。2800年前に稲作文化の弥生人が大陸からやって来た。 ミトコンドリアDNAでみると、現代では世界で日本人だけのM7aグループは縄文人にもみられる。しかしN9aなどはみられない。弥生人(渡来系)では、逆にM7aはないがN9aがみられる。 縄文人と弥生人の後に大量の流入はないから、現代日本人のミトコンドリアDNAグループは、これら縄文人と弥生人を材料として形成されている。■関連する過去の記事 縄文人と弥生人(07年6月5日)
2007.11.04
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守屋前次官は塩釜(塩竃というべき)の出身で、塩釜市長を父に持つ御仁だそうだ。知らなかった。今日初めて知った。4年も事務次官を務めたのも異例だが、省昇格の頃も何かと話題になっていた大物「天皇」できな臭さは漂っていただろうに、堰を切ったように祭り上げる(血祭り、の方の祭りデス)政界とマスコミの節操のなさもいつも通り。一躍時の人、ということで。とにかく国会の威厳を持って証言の矛盾などしっかり糺して欲しい。それだけ書いて、何も続かない。塩竃の人たちはどう見ているだろうか。さて、学力テスト問題、神奈川の着席教員問題について大論文!をものしようとしているが、明日にご期待(誰が?)下さい。
2007.10.30
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昨日(土曜日)のこと。雨の中、図書館や電器店を回りました。電器店は、懸案のバックアップ用の外付けHDと、15年目にしてインバータが故障したダイニングの照明を買い換えるため。夕方の帰途で、お菓子を買うことを約束させられて、帰宅の後に、とあるコンビニに。子どもたち2人で5百円という約束を、電器店で飽きてきた子どもたちに、妻がしたらしい。私ならだいたいは1人150円マデ、というのだが...仕方なく子どもたちと店に入るが、いつになく高額のショッピングができるとあってなかなか決まらない。1人250円だから、コレ買うと引き算して残り何円?、と7歳の娘が盛んに聞いてくる。だいたいピッタリ500円なり250円に収まる可能性も少ないだろうが、1円でもムダにしないようにと、子どもたちは一生懸命だ。いい加減呆れてきて、早くしろ、と催促。30分もいただろうか。500円を超えたらお小遣いその分減らすよ、と言いながら、結局子どもたち2人がレジに持ち込んだ合計を見て、あれビックリ。2人は共謀していないのだが、ピッタリ500円になった。妹の方が250円をオーバーしたが姉がかばった、という実に美しい形。わが子どもたち、往年の名番組 ズバリ買いましょう(ガッチリ買いましょう、だったか、ズバリ当てましょう、なのか良く思い出せない)に出ればもう敵なしでしょう。500円コースがあれば、ですが。
2007.10.28
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先日某カード会社のカードが郵送されてきた。そして予定通り、すぐ電話して退会(解約)した。事情はこうだ。今月の上旬に最寄りのガソリンスタンドのチラシが入っていて、改装してセルフにするのでキャンペーン中。122円と格安だし、プレゼントもあるというので早速下の子どもを乗せて給油しに行った。すると、122円で給油するには、会員になってクレジットカードを作るのが前提という。ちょっと考えたが、どうせ入会金も年会費も無料。キャンペーン期間の今だけ使って、あとは解約すれば良いのだからと、アルバイト学生のお姉さんともその点では意気投合したりして、早速手続。お姉さんにもらった仮カードで給油、スロット画面の絵柄が揃って更に1円引き(たぶん全員そうなのだろうが)。妻に了解得られるかが関門だったが、安さで理解を得られた。仮カードでは1万5千円まで入れられるが、今日使った6千円くらいを含めて1万円までということにして、1万円を引き落とし口座に早速入金した(この辺は妻も合理的)。その1週間ほど後に別の車にも仮カードで給油。使った額は8千8百円くらいになった。そして正式にカードが郵送されてきたのだ。早速解約したいが、こういうのは解約手続はハッキリと案内していないものだ。住所変更などは用紙が入っているのに。持っていればいつかは使う可能性がある、イヤイヤその手には乗りません。忘れないうちに退会させていただきます。約款を読んで退会手続が定められていることを確認して、連絡先を探すが、コールセンターはフリーダイヤルではない。せっかくガソリン代を浮かしたのに、電話代がかかるのは悔しいが、仕方がない。受付のお姉さんからは、誠に残念ですがご解約の手続の方をとらせていただきます、ご利用の分は来月の引き落としになります、などとマニュアル通りながら丁寧なお言葉。言わなくて良いのに、あ、こちらこそスミマセン、すぐ解約して、などとしゃべってしまう、こちらは情けない小市民。ついでに、引き落としは8千円ほどで間違いないですか、などと余計な会話までしてしまう、小市民ぶり。最近では、泉ヶ岳スキー場で作った日専連カードの解約も同じパターン。3年くらい前に上の娘と行ったときにレンタルが随分安くなったので入会した。今年の2月に金利変更か何かの通知が来たので、作っていたのを思い出して早速解約した。わざわざ141ビルのカウンターまで赴いて。信念持って早速退会しているのは良いが、本当にカードを毛嫌いするなら、作らなければいいのだ、とは思うけれど。安さの誘惑にもこれまた弱い、小市民です。
2007.10.24
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上の子が書いた秋のメニューがリビングに置いてあった。小さい頃から注文取り(たぶんウエイトレスのマネ)が好きで、よくやっているのだが、10歳になると内容も少々大人になったようだ。四つ葉屋さんと称するらしいが、気になるのは、どこで覚えたかステーキの松阪牛。東北人なら、米沢とか前沢とか、書いてくれ~! と心の中で叫ぶ東北人オヤジでした、ハイ。食べさせない親の方が悪いのか...
2007.10.09
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7歳の娘。アラスカ(風味かまぼこ)を1個指でつまみ上げ、回りの赤い部分を指でめくって剥がすと、全体が白くなります。口の前に持ってきて、食べるのかと思いきや、そこで一言。「白毛のアン」自分で考えたそうです。なぜか笑ってしまう朝食でした。
2007.10.05
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10月1日の仙台の朝は、快晴の秋空。町を歩いて気が付いた。民営化した郵政会社JPのスタートだ。画像は、ある公共的施設の1階にある真新しいJPのエントランス。まばゆいオレンジのシンボルカラーに、手前の赤いポスト君。ところで、JP、か。前島密以来の郵政事業を引き受けて、今後長く愛される名称になるのだろうか。いうまでもなく、JR、JT、などの先発組にあやかる命名法だろうが、ところで「J(X)」なるネーミングは、たぶんJRが嚆矢だろう。それまでは、アルファベットなら3文字が相場だったように思う。JAL、KDD、NKK、TKB(なぜか思い出すが太陽神戸銀行)などのごとし。3文字だと落ち着く感覚もあろう。国鉄だってJNRで長らく親しまれた。これを2年前の民営化の先輩NTTに倣うことなく、敢えて2文字にすることに、1つの画期を託したのだろうか。新鮮な違和感のようなものを感じたものだが、あの独特の絵文字とともに、今ではすっかり定着した。それでは、今回のJPも倣ったこの「J(X)」命名法。ほかに何があるだろうか。Jに続くアルファベットをAから順にサーチして何があるか並べてみた。----------JA 農協グループの略称で、これも定着した感。92年からの使用というから、意外と新しい。JB 東北ではあまり知られていないが、本州四国連絡高速道路株式会社(2005年設立)を「JB本四高速」と略称するようだ。Japan Bridge の意味か。JC 青年会議所JF 漁協だが、農協よりは知名度が低いだろう。内陸の人は結構JAというが、石巻や気仙沼の人はやっぱり漁協と呼んでいるのではないだろうか。想像。JG (NHK山形放送局総合テレビのコールサイン)JH 日本道路公団。そして分割民営化後の各会社。JI 昔、稲垣純一が J.I. という名のアルバムを出していた。JJ 私にはあまり縁のない雑誌。JO ジュニア・オリンピック(娘の水泳の参考記録で出てくる略記法)JS これも知名度低かろうが、日本下水道事業団(03年設立)。私にはむしろジャストシステム。JT 日本たばこ産業。JTの略称は89年から。JU 日本中古自動車販売協会連合会。JV 共同事業(体)JY 全国焼肉協会が称しているようだ。----------ちょっと疲れた(関係ないものまで拾う方が悪い)。企業や組織の略称としては、やっぱり公的組織あるいは民営化した組織が主に名乗っている。やっぱりJRにあやかっているのだろうか。JPも頑張って下さい。
2007.10.02
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しばらく前から調子の悪かったウォッシュレットを交換しました。部品交換でも対応できたのですが、3万5千掛かって、しかも他の部品も水漏れの影響で危なく、部品保存の10年の期限も切れるので、などと言われて思い切って買い換えました。コストをケチって、量販店から買い、自分で取り付けたので、実は心配です。配管も自分ですから。水漏れしないかどうか。画像は家の裏に打ち捨てられた先代のウォッシュレット君。11年間ありがとう。ところで、最近家の電化製品が足並みをそろえたように、みんな調子を崩している。ちょうど時期なのだろうか。1 食器洗い機 どういう訳かフタを閉めても作動しない。これまで2回ほどサービスマンに来てもらいました。2日前に来てもらって、しばらくはこのままで良いと言われたが...2 食堂の照明 半年ほど前から点いたり消えたり。インバータの不具合のようだ。3 夫婦仲 ここ14年になるが、相当前からヒビが入っているので、逆に長持ちしそう。
2007.09.27
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我が家の居間の壁にクイズが貼り出された。写真で問題文が読めるでしょうか。上の娘が出した問題で、この隣にはメモ帳がピンで留められており、10月4日までにクイズの答えを書いて応募すると、優秀者の成績発表があるのだそうです。他人に聞くズルは禁止で、小学生だけは(妹のこと)大人に聞いてもいいとのこと。早速応募しましょう!それにしても第4問は難問。論理クイズで昔は得意だったけれど、どうするんだったか。ちなみに問題文の「小父山」はオジサンと読むようです。ところでこのクイズ、10歳の娘の「仕返し」です。何日か前に娘に挑戦状と題して3問のクイズを出してやったからです。スッキリ答えられなかったようで、こんな形で反応が来ました。それでも、7歳の妹も考えられる問題を織り交ぜたのは、さすがにお姉さんです。(親バカ ← クイズで娘とコミュニケーションの淋しいオジサン)
2007.09.24
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夜来の雨が弱くなったが、さめざめと降り続いている。こういうのを蕭々たる雨というのか。かえって週明けの朝の空しさをかき立てる。気晴らしに歩いたり自転車で行ったりするのも一法なのだが、雨100%だから、それもできない。関係ないが下の娘も重苦しい感じで、起きるのがイヤだ、とバタバタしていた。1階に下りてきたのに、ソファーで横になって粘っている。
2007.09.18
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退陣表明した首相のことを、「安部」と書くケースが結構散見されます。ニフティのページで注目ワードもそうだ。「安倍」ですね。正しくは。ところで、安倍総理の父君の晋太郎氏は、例の青森の津軽古代文明に関連した偽作事件に関連して、安倍一族の由緒ある神社を訪れたこともあるという。そして、今回の辞任表明。前九年の戦いで活躍した宗任、貞任らはどう見ているのか。
2007.09.13
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蕎麦めぐり山形路、山形路を行く、などのように「○○じ」という言い方がある。「家路」もそうだ。もともと日本では道のことを「ち」と言ったそうだ。巷(ちまた)も道の股の意味。一音節の「ち」に接頭辞の「み」をつけてできたのが「みち」である。佐佐木隆『日本の神話・伝説を読む 声から文字へ』岩波書店、2007年
2007.09.10
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我が家に標語が出ました。温暖化について調べた娘の作のようです。風呂を2日に1回にする、という大胆な提案。朝シャンなんて誰もやっていないけど。
2007.09.07
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今朝の日記にも情けない私の事情を書いたが、今夜はさらに情けない失態だった。台風迫る仙台は国分町で会合。9時前に解散して電車に乗ったは良いが、乗り過ごした。それも、座席に座ったのではない、吊革につかまったまま乗り過ごすという情けなさ。乗り過ごしたのが2駅分だったのが不幸中の幸い。歩いて戻ろうかと思いつつ、台風直前のなま暖かい風を嫌ってホームに座っていた。ところがなかなか反対行きの電車が来ない。とうとう10時台まで待って、何とか。帰宅は10時半。思い切り疲れた。それにしても、立ったまま寝てしまって乗り過ごすなんて、オジサンの鏡のような行動が自分もできるとは、誇らしいやら情けないやら。2駅で済んだだけラッキーと思おう。
2007.09.06
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昨夜は台風接近の雨。バラバラと降ったかと思うとピタリと止む。変な天候だが、自転車を置いてバスで帰った。今朝のこと家の裏を見たら、アレアレ自転車がある。誰かが持ってきてくれたのか。そうではない、昨日は朝車で行ったのだった。そんなことも忘れている。情けない。
2007.09.06
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いつしかアクセス7万をいただきました。訪問頂いた皆様に感謝申し上げます。ブログも2年ほど続いています。仙台・宮城・東北について記事のメモ、データの整理、考えのまとめ、などのノート代わりにやっていますが、皆さんに読んでもらえるというのもブログの良さです。無理が来ればそこでストップしますが、それまでよろしければまたご訪問下さい。9月2日朝 おだずまジャーナル編集長 小田島 樹成 Odazuma Journal
2007.09.02
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下の娘が小さい足の指の付け根に、これまた小さいウオノメができている。祖母が家にある絆創膏(スピール膏というやつだろう)を付けてくれたが、最後の1枚だったので、子供と一緒に薬局に出かけて液体のウオノメコロリを買った。ウオノメと書いたが、イボかも知れない。店頭にはイボコロリも陳列されていた。いずれもサリチル酸で、早速家で娘の足にガラス棒で塗ってやりながら、懐かしいニオイに昔を思い出した。私は中学の頃からイボが多くなり、高校から大学にかけてが「最盛期」だった。普通は手足の甲の部分に出るのだそうだが、手のひらや手足の指先にまで発生して、本のページをめくるにも苦労するほどだった。指先のヤツは角質化して感覚もないから、風呂上がりに自分で爪切りでスパスパ切ってやったりした。高校の頃に何度か病院にも行った。そのうち大人になると消えるんだろう、治そうとするとインターフェロンでもダメだね、と言われながらも、塗り薬や貼り薬をもらった。でも増殖は止まらなかった。皮膚科の通院に付き合ってくれた女の同級生に、これ子供に遺伝するの、と聞かれたときは我ながら情けなかった。仙台に来てからは、もう諦めていたけど、仕事をし出してからある時一念発起して大学病院に通い、液体窒素で「焼く」療法をやったり、イボの根っこに何やら薬品を注射したりもした。数が多いので実験台に好適だったようだ。窒素もサービスだよと言われて、先生に箇所か分量を少なく書いてもらったこともある。サービスが過ぎたのか、健全な皮膚まで焼かれたこともあった。薬品の注射は、足の指の付け根辺りに甲の側から針を刺すので、骨に当たるような気がして、耐え難く痛かった。イボの「ふもと」から斜め方向に根っこに向けて射し込むのだが、針が弾けて飛んだこともあった。液体窒素や注射の後は、歩くのも苦しいほどだった。それからハトムギを飲みなさいと言われて、買って飲んだし、イボ取り地蔵さんにもお参りした。イボコロリの話に戻るが、高校生の頃に自分でよく塗っていた。当時は水色っぽい小さな紙の箱に入っていたような気がする。今のは、ウオノメコロリもイボコロリも、オレンジ色の美しいパッケージだ。かれこれ30カ所くらいはあったイボだが、25歳くらいだったろうか、ある時を境に増殖を止めて、あとは1年くらいで綺麗になくなった。関係はないと思うが、その頃から以前飲めなかったコーヒーが飲めるようになり、またいくら食べても太らなかったのが、徐々に体重が増えだした。一時は俺の体はどうなるのだろうと心配もして、こんな異物がサッパリなくなったらどんなにか楽だろう、と夢見たのだが、イザ夢が真実になってしまうと、その有り難さを感じる力もすぐに衰えてしまった。本当に、人間とは「有り難さ」を忘れる動物だ。我が子の足にウオノメコロリを塗ってやりながら、この子が無駄な悩みを持つようにならねば良いが、と思いつつ、こんなことを思い出している。
2007.08.23
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昨日(14日)のニュースだが、13日に浜松市の国道1号バイパスで大型バイクを運転していたツーリング中の50代の会社員が中央分離帯に接触、右足をひざ下から切断したが、気付かず約2キロ走行していたという。これを聞いて思いだした。たぶん高校の頃だが、ある人が車を運転中右腕を窓から車外に出して運転していたら、対向車か中央分離帯か何かに腕をもぎ取られた。しかし気付かずに運転を続け、しばらくして腕の先が無いことに気付いてビックリした、という話。ニュースなのか創作なのか定かではない。今で言う都市伝説の類だったのだろうか。高速で風を切って運転していると、意外と気が付かない者かな、と変に納得してしまう話だった。ちょうど岩手県にも高速道路が開通した頃で、この話が高速道路と関係があるかどうか知らないが、私の記憶には何となく高速道路とセットになったイメージで残っている。ところで、今朝のTVで高木美保さんが同様の事を、小さい頃に聞かされた話として語っていた。一瞬にもぎ取られると血管の切り口も引き締まって血も出ないのだ、と随分リアルな解説もあった。だから車から手を出してはダメだよと親に言われた、とか。おそらく基となったニュースは同じなのだろう。高木さんは私と同年代。(今調べたら、実は僕よりお姉さんですね。)高木さんが親に聞いた時点がニュースとしてタイムリーだったとすれば、私がこの話を聞いたのはやや遅れて何年か後だったのだろう。実は私もこのような話を聞いたためか、腕を窓の外に垂らして運転はしないようにしてきた。もっとも窓を開けることも少ないが。逆に腕を出していた鮮明な記憶もある。小学生の頃、親戚の人が東京に帰るときに、祖父と一緒に乗せてもらった。車はブルーバード、途中お昼を食べた大田原の店の構造やメニューを覚えている。子供ながらにも、貴重な体験だから忘れられないのだ。我が家にトラックはあっても乗用車はなかった。後部座席の左側に座って、ひとり満悦していたのだろう。外に腕を出して外から手のひらでパンパンとボディーを叩いた記憶がある。栃木県内で工事かなにかで随分遅くなってしまい、行け行け、という感じで叩いたのだと思う。こんな事を思い出した。きょうは仙台で観測以来最高の37.2度だそうだ。プール合宿で真っ黒のシャネルズ状態の上の娘と、仙台市宮城野図書館に行ったが、冷房された図書館の中がとても快適に感じられた。行く途中の車内は、地球温暖化を心配する娘の提案でエアコンを切った。さらに実験的に窓を閉めたものだから5分もすると汗ダラダラ。窓を開けると、体温より高い外気も涼しく感じられた。
2007.08.15
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今日の仙台は最高気温が34度の予想。毎日こう暑いと、元々硬い頭脳が、今度は溶解しそうで、何も考えられなくなる。1週間くらい前に読んだ記事で、なぜか溶けそうな頭の片隅に引っ掛かっていることがある。地球の大きさは直径4万キロメートル。200年前にフランス人が6年をかけて子午線を三角測量した。北極からパリを経由して赤道までの距離を測量し、その千万分の1をもって1メートルと決めた。ご苦労さんでした。さて現在ではメートルの単位は、「光が真空中を299,792,458分の1秒の間に進む距離」とされているのだそうだ。子供の頃は「メートル原器」という写真を見た記憶があるが、今は違うようだ。ところで、その約3億分の1秒だが、なぜこんな「切れの良い数字」なのだろうか、と気になっているのだ。地球の円周が4万キロメートル、というのはフランス人がそう決めたから、自ずとわかる。正確にはちょっと違うのだが、それはどうでも良い。光が1メートルを進む距離が、秒で表現すると、ほぼ3億秒とピッタリ出るのは、なぜなのか。つまり、光は1秒間にほぼ3億メートル(30万キロメートル)進むということなのだ。ちなみに1秒の定義は、昔は地球の自転速度から割り求めたが、現在ではセシウム133原子の何とか、というやたら難しい定義だそうだ。現在のメートルの定義に表れる「3億秒分の1」の「切れの良さ」は、単なる偶然ということでいいのだろうか。考えようにも、わからない。外では蝉が鳴き出した。
2007.08.14
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今日も蒸し暑い仙台。仕事で市内を回る。タフな交渉ごとで、本当にウンザリなのだが、事前に思い切りウンザリしておいた成果だろうか、2件とも意外とスンナリ友好的に一歩進んだように感じている。冷房の効いた屋内から外に出ると、メガネは曇って、蝉の声が体を包み込んでくる。世間話で、今日も暑いですね、蝉の声がすごくて、などと言ったら、あら仙台も蝉が鳴くなんて良いところが残っているのですね、と言われた。そういう見方もあるか。この方は先週アフリカを用事で訪問されたそうで、外は仙台ぐらい(!)蒸し暑いが、マラリア予防のため18度以下に空調された室内にいたのだそうだ。ところで、蝉の鳴く中、僕は移動のために、普段は滅多に乗らないタクシーのお世話になった。助手席シートの後ろ側に後部座席から読めるように運転手さんのプロフィールが書いてある。出身、趣味、生年月日、など。生年月日は、僕の父親と4日違いだ。生年は同じだから、つまりは同い年の運転手さんだった。そのことを思わず口にしそうになったが、自制してこう言った。「育英は勝っていますか」。すると運転手さん、ラジオのスイッチに左手を伸ばしながら、2対0で勝ってるよ、でも今日はエラーが多いね、などと説明してくれる。なんだ、ついさっきまで聴いていたようだ。僕の父親も野球が好きだった。この季節なら高校野球を見聴きしているはずだ。今はもう会えない父親のことを思い出していた。次の信号待ちで、運転手さんが左手を伸ばして今度は携帯を手にする。何か連絡でもしているのかと思ったら、携帯を開いて僕の方に見せてくれる。テレビの野球中継を見せてくれたのだ。何もそこまで良いですよ、と思ったが、父親の有り難さだから、見せてもらった。ちょうど仙台育英の佐藤投手が153キロの速球で三振を取った場面を見た。七夕は忙しかったですか、と聞くと、200万人は出たようだがあまり関係ないね。観光客はあちこち移動しないし、バス客も多い。仙台駅前に入って30分40分待つより流しの方が着実だし、などと言われる。駅前タクシープールに入るのは、月三千円で自由に入れるのだそうだが、まず行かないそうだ。駅前に付けるのは勤勉でないタクシー。運転手さんは一日300キロ走るのだそうだ。基準が判らないが、随分長い距離ですねと話した。七夕飾りの話。暑さの話。正味10分も乗っていないと思うが、何か楽に世間話をさせてもらった気分だった。69歳の元気な運転手さんだった。今日の仙台、暑かったが最高気温は31.6度(仙台管区気象台アメダス)。思ったより気温は低かった。
2007.08.09
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暑さを吹き飛ばそうと?躍起になって今日三度目の日記。先日の日記(07年7月24日)に掲げた近くの空きロット。今日見たら、なぜか売約済みのシールがなかった。単にはがれたのか、実は解約になったのか。
2007.08.04
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今朝は通常選挙の投票率の分析をしようと思っていた。宮城の選挙の投票率の低さは構造的だが、やや持ち直したようだ。今回は青森が低かった。しかし最近の疲れのせいか早起きできず。そこで、つまらない話題を。小学校の時に先生が板書して説明した。馬から落ちて落馬した。これは重複していますから変な表現ですね。みんなで考える。右に右折する。学校に登校する。これらも同類。今の私は、ワザとこれをやることがある。子供達と言葉遊び、また仕事で部下職員を叱る(大それたことですが!)時も場を和らげる意味で使いますが、効果はどうか。そんなのは考え方が360度違うだろうそんなことは問題外の外なのだまったくあんたは非人非人だねという具合です。やっぱり逆効果ですかね。この用語法ですが、おそらく歴史的にも由緒があるのでしょう。「けしからん」とか。
2007.07.31
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最近にしては珍しいのですが、電車の駅を乗り過ごして、タクシーで相当のお金を払って帰宅しました。こういう時って本当に反省の気持ちがいっぱい。でも本人としては、仕方がないですね。気が付いたら、いつもより4つも先のM駅なのですから。は~。たしか2年ぶりですね、こういうことは。タクシーの運転手さんの乾いた声に身も縮む思いで家まで5千円で帰りました。ハイ。というわけで、今日の朝は早起きの自信がありません。いつもの4時起きは無理か。皆さんお休みなさい。(頑張って起きるぞ!!)さて、少し冷静になって考えてみますと、私、仙台から本来の自分の駅で降りずに乗り過ごしたことは30回以上はあります。反対ホームの電車で戻るか、歩いて戻ったことが、多いのですが、最長記録としてはわざわざ乗り換えまでしたらしく、ローカル線のW駅まで行ってタクシーで1万円以上かけて帰ったことがあります。今夜のM駅は5回目くらいですが、さすがに歩いては戻れないので、タクシーです。当然ながら、反対の電車もない時間なので。仙台駅から本来の駅まで10分足らず。寝ないで頑張っていれば良いだけのことなのですが、疲れているとダメなのですね。情けないですが。さて、遅いついでに確認したら、わがイーグルスは快勝。今日も渡直がホームラン。良いですね。小山が初セーブ。昨日は本当にコメントできないような試合でしたが、今日は何とか持ち直した。この勢いで頑張れ、イーグルス!
2007.07.26
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ついに売れたようです。我が家がこの山?に庵を結んで早11年。近くの角地の区画はずーっと残っていました。子供達と蝶々や虫を捕まえた場所も、ついに売約済みに。日曜の夕方に係員と思われるオジサンが「済」のシールをペッタンと貼っていました。我が家にとっても、何かの部分が「済」にされたような感覚。移ってくる新しい家族のためです。そもそも我が家も先に来ただけでお互い様。
2007.07.24
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広告書きが好きな娘たち。メモ用紙のウラにせっせと書いている。私も子供の頃は、折り込み広告のウラを利用してよく書いたモノだ。それにしても、どうしてミズムシナオールなのだろうか。
2007.07.02
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上の娘はH9生まれで、九星では三碧木星になるそうだ。お父さんが仕事場で保険の外交の人からもらうパンフの「占い」を読んで、大いに騒いでいる。えっ、何コレ! 当たってる。何で! すごい!なんて書いてあるんだ、と聞くと、仕事の先延ばしは後で痛い目に。少しでもできることを片付けるように。アナタの信用を試される時です。なるほど、いつも親に言われていますな。
2007.06.26
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なぜか思い出すのだが、3年ほど前のこと。当時2年生の上の娘と初秋の蔵王で親子キャンプに参加した。2日目の山歩きはあいにくの雨模様。でも子供の忍耐力は意外とすばらしい。一度始めると最後まで完歩しようとする姿勢には、ひそかに感心した。日ごろのグータラは親の鏡か。時折の野外活動も必要だ。 さて、その時のこと、雨で足下の悪い斜面を降りてくる途中、建物の入口階段に腰を下ろして休む。冬はゲレンデのレストハウスになる建物だ。しばしの休息の後また歩き出す。指導者の先生が子供たちに声をかける。 「お~い、みんな~。降りれ~。」 あれ、降りろ、ではなく、降りれ、ですか。なんだか新鮮でもあり懐かしくもある響きだ。ずーっと昔子供の頃に、食べれ、降りれ、の命令形を誰かが話していたような気がする。岩手の私の育った地域で普通に話す用法ではないのだが、耳に残っているのも確かだ。どの辺りの言葉なのだろうか。何十年ぶりに聞くコトバ、この先生はどこの出身なのか、などと一人考えていた。 食べる、降りる、の標準的な活用における命令形は、食べろ、降りろ、だ。上(下)一段活用の動詞だから。これをワザと五段活用的に命令形を作ってみると、食べれ、降りれ、となる。昔の日本語と関係しているかも知れない。 さて、この用法で行くと、こうなるはず。 (上一段活用)降りれ、起きれ、落ちれ、着れ、浴びれ、閉じれ(下一段活用)食べれ、捨てれ、寝れ、受けれ、見せれ、出れ それでは我が家の日常の会話を、食べれ降りれ用法で表現してみよう。 (朝)コラ早く起きれ。階段降りれ、ご飯食べれ、早く家を出れ!(夜)オイ学校のプリント見せれ。部屋のゴミ捨てれ。パジャマ着れ。サッサと寝れ! 子供たちはコトバの感受性と順応性が高いから、もし親がこんな会話していれば、子供たちは確実に食べれ用法の言葉の伝承者になったろう。
2007.06.20
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つまらないブログですが6万アクセスをいただきました。もともと自分の勉強や考え整理のノートですから、読んでもつまらないし、テーマも地味ですね。それでも、訪問して読んで下さる方には大感謝です。感謝の気持ちとして、今回特別に当ジャーナル編集局のあるビルを堂々と写真でご紹介!! 編集長のオフィスはココ......というのは真っ赤なウソでして、このビルは、仙台駅からフルスタに向かう宮城野通り(ITアベニュー)で、仙台駅から歩くと森ビルを過ぎた交差点のあたりにあります。イーグルスファンならご存じの方多いでしょう。単なる名前の類似で、このビルと当ジャーナルは残念ながら縁がありません。オダシマビル関係者の方、すみませんでした。
2007.06.18
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朝の掃除でこども部屋を覗いたら、標語が貼ってありました。姉妹で相談して書いたのだそうです。タンスに登るな、お父さんのハサミ使ったら返せ、などなど、いつも親に口うるさく言われては聞き流しているようでしたが、心にはチャンと残っていたのか、と感慨(涙)。確かに部屋が整頓されていました。やれば出来る。もう10歳と7歳ですから。最後に親の欲を1つ。あれも自主的に標語にしてもらえれば良いのですが...トイレの後は水を流しましょう!
2007.06.16
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私は滅多に衝動買いはしない。貧乏性が身に付いているから、迷った場合には必ずカネの掛からない方を選ぶことになっている。しかし今日は買ってしまった。帰りの書店で立ち読みしていたら、閉店の音楽が流れて、あわてて買ってしまった。長嶺超輝『裁判官の爆笑お言葉集』幻冬舎新書031、幻冬舎、2007年タイトルは営業コピー風だと思うが、中身はすばらしい。決して発言の表面的面白さを追ったものではない。裁判官が被告の更正を願って、あるいは社会への警告を込めて、または自身が判決を導くに至った苦しさを示して、判決理由中で、あるいは判決後の説諭で、また閉廷後に語りかけたりした発言を集めたものだ。特に刑事事件では裁判官はいかに被告に納得してもらえるかに、心を砕くのだそうだ。国家が合法的に自由を奪う行為ではあるが、ものすごいストレスなのだと聞いたこともある。法の適用それ自体はデジタルの行為だ。そうでなければならない。しかし個別の事件の解決においては、被告を納得させ、また被害者をも理解させ、社会に一般予防の効果をもたらすような配慮が求められる。そんな困難な仕事に日々格闘する裁判官に、敬意を抱かざるを得ない。著者は裁判傍聴マニアというプロフィールだが、丹念に資料を集めて記しているのだろう。事件に対する裁判官の姿勢を理解しようとし、また社会に向けたまなざしも感じる。心がある。そして、ちょっと視点が違うことなのだが、この本の書き方が面白い。まず発言を紹介し、解説は必ず1ページで済ます。読みやすいが、それだけでない。発言の中には、上記のような更正を願う裁判官の言葉だけではなく、コラムネタ風の意外な裁判官のホンネ、これはいただけない偏見の発露、など玉石混淆である。こうしたバラバラのものを、「裁判官の言葉」という一点で横に並べ、しかも解説1ページの体裁にこだわる、という「美学」が素晴らしい。形式は単一座標、悪平等的、なのに、中身はまさに色も重さも違う。うまく表現できないが、俳句やソネットの定型がむしろ無限の広がりを感じさせるようなもの、とでも言うか。くどくど書かないが、これら玉石の言葉を1ページずつにあえて簡潔に解説した、その集大成が、裁判官の人間性のみならず、現在の日本の世の中を、普段は感得しえない角度から、なのに何故かしら実感をもって感じることが出来る。珠玉の著書だ。
2007.06.15
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小2の娘から標語が届けられました。読んでみます。イカらないおこらないうでをくまないん~と痛いゲンコツはしないこれからのお約束 これからはちゃんとイカお君を守りましょう!!!!というものです。ちょっと親として補足しますと、「腕を組まない」とは、子供に対する怒りのポーズをしないでくれ、という意味でしょう。イカ男くん、というのは学校の防犯標語「いかのおすし」の(06年4月22日の日記)パクリでしょう。「く」と「ん」はチョイト苦しいですが、よく考えたものです。
2007.06.09
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私は血液型もA型、一重まぶた、のっぺり顔。耳垢も乾いていて、酒に弱いので、弥生人(新モンゴロイド)の系統でないかと思われマス。日本人の原型は、アジア全体に住み着いた新人(古モンゴロイド)が、大陸と陸続きの氷河時代から、日本に住み着いたものと言われる(縄文人)。縄文人の耳垢が湿っているのは、熱帯の密林で耳に虫が入るのを防ぐためだという。南方系の形質を受け継いだものだ。顔の彫りが深いことから、弥生人の支配層が縄文人を「鬼」に見立てたという説明がよくなされる。その後、2千数百年前から朝鮮半島経由で西日本に新しい種族が渡来し、稲作や金属器を持ち込んだ(弥生人)。この種族は氷河時代のシベリア大陸に3万年前から住み着いて寒冷気候に耐えうるように進化した種族。これが東アジアに移動して日本も移住した。熱の発散防ぐために顔の凹凸が少なく(のっぺり)、身長も低め、まぶたの脂肪を厚くしたので一重まぶた、ということだそうだ。弥生人の形質は、現代日本人の中でも畿内を中心に、東北・関東から九州に強く見られるが、北海道(アイヌ)や沖縄方面には、より強く縄文人の形質が残っている。
2007.06.05
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朝6時頃、妻に命じられて氷を買いに出た。コンビニまで歩いて3分くらい。起きていた下の娘と一緒の散歩。家に戻ったら、上の娘も起き出してきたが、パジャマを裏返しに着ている。指摘して笑っていたが、笑っている場合ではなかった。私もTシャツを前後ろ反対に着ていた。妻の指摘で発覚。胸の小さなポケットが背中にあった。この格好で店に入って、たまたま居合わせた隣家の人、それに近所の人、2人それぞれに元気に挨拶したのだった。ああ情けない。昨日の酒でまだ頭が痛いのだが、さらに重くなった。
2007.05.26
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この画像ではハッキリわからないのだが、昨日朝に路上で見た白いバン。営業用なのだろう、車体に社名が入っている。それが、一瞬読めない。.OC ECIVRES ***** とアルファベット大文字で書いている。ちょっと考えて、理解した。つまり右側から書いているのだ。何とかサービス産業なる会社なのだろう。確かに、社用車やトラックなどに社名を書き込むとき、車体の左側なら問題ないが、右側にペイントするときは、車の進行方向を考慮してだろうが、右側から文字を書く事が多い。しかし、英語やローマ字の場合は、いかがなものか。こんなの初めて見た。大体いきなりドットから始まるから、面食らう。ちなみに、宮城交通のバスは、車体右側でも「宮城交通」と記していた。
2007.05.24
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いつものように朝4時頃から起きていた。さわやかな初夏の朝で、本当に一番良い季節だと思う。しかし、だ。なぜかボーっとしてもう2時間以上。一応パソコンの電源を入れたが、それだけ。体もだるい。月曜日のせいか。
2007.05.14
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よくあることだ。収集場のゴミ袋をカラスがつついて散らかしている。我が家に近い場所にあり、当然我が家も利用するのだが、誰か夜中にでも出しているのだろうか。それも無造作に置いて、カラスよけの網をかけることもしない。出した人はその後の状況を考えもしないのだろうか。近所の人ではないのに、朝の通勤の途中なのか堂々と車を停車させてゴミ袋を置いていく人を見たこともある。自分の出す収集場は決まっているのに。もっと困るのは、行楽客や公園に来た人が、この収集場に置いて帰ることもあるそうだ。袋にも入れず。本当に困ったものだ。我が家は近いから、片づけを行うことが多い。今朝も今から、だ。カラス君は全然悪くない。悪いのは人間様。
2007.05.11
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実はずっと気になっていた。先月に家族で東京ディズニーリゾートに行きました。2日間かけてランドもシーも存分に楽しんで、子ども達大満足。さて、初日TDLのワールドバザールの中で音楽隊が登場して見事なディズニーのメロディーを聴かせます。少人数なのにパンチのある演奏、さすがです。写真はその演奏なのですが、ソプラノサックスがストレートではなく、アルトのようにカーブしている。よくテーパー管の吹き込みの所だけが曲がった格好いいソプラノは見るが(一般にはそれを指してカーブドと呼ぶのかも知れない)、タツノオトシゴのようにかわいく曲がったソプラノはあまり見ない。ストレートの場合、どうしても管を支える指が体(腹)から離れてしまうから、この方が随分演奏しやすいように想像する。多少音色は変わるだろうが。妻と子ども達が買い物している間、私はこの演奏を聴きながら、ある事を悩み始めてしまい、どうしても気になってしまった。それは、ラベルがボレロで使ったのはテナーとソプラノ(ラベルの指定はソプラニーノだったかも知れない)だが、ひょっとしたら現在のBbではなくて、C調のものだったのだろうか。まあ、そういう小さい悩みは良いとして、ボレロの独奏楽器の順番はどうだったろうか。テナーサクソフォーンは2巡目のB主題だから、7番目で間違いない。最初のA主題はフルート、次はBbクラリネット、B主題の最初がファゴット、次がEsクラリネット。ここまでは多分間違いない。5番目がA主題に戻って、伸びやかに典雅に演奏する楽器。オーボエなのだが、イングリッシュ・ホーンかなにか、とにかくラベルのことだから普通じゃないヤツだったな。やっと今調べましたら、オーボエ・ダモーレでした。調性はA調。オーボエとイングリッシュ・ホーンの中間に位置する。その名も、愛のオーボエですね。素晴らしい。ラベルはオーボエ・ダモーレの他に、イングリッシュ・ホーンもオーボエ2席のうち1席の持ち替えとして指定したようだ。ちなみに、オーボエの1オクターブ下のバス・オーボエは、ホルストの組曲惑星の「土星」にソロで出てくる。これは知っていました。ホルストもバス・フルートやユーフォニウムを用いたり、オーケストレーションに凝ったようですね。さて、ボレロの順番の話にもどるが、6番目はフルートとトランペットのユニゾン。普通にはあり得ないが、管楽器を音のパレットとして使っている感覚か。その次にいよいよテナー・サクソフォーン。私は初めて聴いた中学生の頃はアルトだと思いこんでいた。楽器の音色は音の移り目に現れると言うが、従来の管楽器にない、明るいのに奥深くて淡麗で豊かな音色。ラベルの卓見ですね。そして次の8番目は、B主題をソプラノが伸びやかに歌う。想像だが、ラベルの本来の指定は、7番目はテナー単独だが、8番目はB主題の前半8小節はソプラニーノで、B主題後半は下がってくるフレーズなのでソプラノを使う(テナー奏者が持ち替え)という意図なのではないか。楽器の最も美しい音色が出る音域にこだわったのではないか。B主題はおそらくBb(実音)から始まると思うのだが(楽譜を確かめていない)、ソプラノよりはソプラニーノの方が、通常の倍音域で安定した音を出せる。しかし、主題の最後の方は2オクターブくらい下がるから、ソプラニーノ(Eb)では音域を越えてしまい、ソプラノに橋渡しする、と言う風にラベルは考えたのかも知れない。3巡目の第9番目以降は、ラベル独特の管楽器の組み合わせで、もうわからない。唯一ソロで見せ場があるのがトロンボーンだが。おそらくディズニーリゾート広しといえども、ボレロのソロの順番を思い出しているヤツは、絶対に他にいなかっただろう。ついでに、こんな夜中にさんざん悩んだボレロの順番を確かめて、やっと安心して眠りに就こうというオヤジも全国に私だけでしょう。ちょっと自慢して、寝ます。(TDSは5周年でした)
2007.05.02
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うちの子ども達は9時に就寝と決めつけているのだが、上の子は5年生になって体力もついてきたのか、10時頃まで寝ないでいることがある。そもそも帰宅が7時か8時だから、9時就寝も大変だ。もっとも、9時に電気消して寝ろとまでは厳しく言わないようにしている。どうせ眠れないのだろうから。上の子は赤ん坊の頃から寝付きが良くないので。それでもテレビは厳禁にしている。小学生のうちは決めつけたルールで厳しくしようかと思っているので。さて、そんな時間を何しているかというと、読書のようだ。と言っても、図書館から借りた本も早々に読んでしまうし、仕方なしに、3年生や4年生の時の教科書を引っ張り出して読んでいるようだ。今朝は起こしに行くと、枕元に3年生の「どうとく」の教科書があった。ちょっと自分のことを思い出す。田舎の貧しい家だったので家に本など少なかった。小学校の図書室から借りた本を、祖父が読んでいたのを思い出す。私も、祖父の部屋から本を借りて読んだが、議会ウン十年史とかいう大人でも面白くないものを読んだり、家の光(懐かしい)を読んだり。家の光の別冊みたいな位置づけで家庭用法律百科とかいう冊子があったが、目次を覚えるくらい読み込んだ。立ちションしたら何の犯罪、とかつまらない話なのだが。一度だけ親に本を買ってもらった記憶がある。ちょうど5年生くらいだったか。2千円くらいする本で、当時としてはビッグプレゼントだ。当然暗唱するくらいに読んだ。もちろん読書好きというのではない。本が少ないから、本がありがたかったのだ。2年前の教科書を読む我が家の5年生をみて、そんな自分を思い出して、かわいそうな気もするし、また折角読書しようとしている時期に読書の環境を作ってやるのが親の努めかと思ったりする。自分の希望をハッキリ口にするのを遠慮するところが見えてきた我が子は(私の子どもの頃と似ている)、本買ってやろうか、と尋ねても、要らない、という。でも読みたいはずだ。推理ものやファンタジーものが好きなようだ。インターネットの時代だが、じっくり活字を読むことの大切さは変わらない。
2007.04.21
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先月のことだが、上の子がピアノの検定を受検した。ヤマハ音楽能力検定のピアノ演奏グレード9級というのが正式な呼び方だそうだ。まだ結果は来ていない。昨年から水泳のチームに加入して、ほぼ毎日夕方はプールに行っており、水泳は自分の意思で続いているのは一応立派だと感心しているが、その前から続けているピアノがおそろかになりがちだった。先生には学年の数くらい毎日練習しなさい(4年生なら40分)と言われているが、どうも身が入らない。先生から薦められてグレード検定を受けることになったが、このとおり練習も形だけの日が多かった。検定は、課題曲2つのほか、自由曲は2つのうちから当日1つを指定され、連弾、初見演奏などの内容で、1人当たり15分程度のようだ。家で練習するのを聞いていても、どうも合格は怪しいだろうな、と家族は秘かに思っていた。不合格という紙を眼前にすれば、本人も奮起するキッカケになるかも知れないから、あまりガミガミ言わないで置くか、と「達観」すらしていた。さて、当日。終わって出てきた我が子に様子を聞くと、そんなにひどくもなかったという。ポイントは、自由曲で超苦手な曲でない方の曲が指定されたから。簡単な講評があるようだが、特に悪い指摘はされなかった、という。もちろん、だから合格とは即断出来ないが、意外と合格通知がくるかも知れない。ピアノの先生も気にしておられるだろう。本人は、達成感、というのともちょっと違うのだけど、1つの課題(義務?)をやり過ごした開放感みたいなものに包まれてウキウキしている。でも、実は検定を受けた後、あろうことかピアノに主体的に向かうようになった。エ~ッという感じなのだが、どうも検定を受けたことが何かの力になったのだろうか。最近は、朝食後登校前の時間を使ってピアノに向かっている。そろそろ通知が来るだろう。開けてみたら、姿勢が逆戻り、なんてことはないでしょうね。
2007.04.11
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最近下の子が将棋をしようと言い出す。将棋といっても「まわり将棋」だが。放課後の児童保育で先生や友達とやっているからのようだ。私はもう30年くらいやっていないから、ルールは忘れた。もともと、これは地域や家族によって相当ルールが違うのだろう。子どもの頃も、イトコの家ではルールが違っていた記憶がある。例えば、金の駒の表が4つ揃うと、カドを4つ飛んで盤を1周近く進めるのが私の知っているやり方だが、どうも一般的ではないようだ。他にも、自分の駒が王将にまで上がったら1周して勝ちとするか、ピッタリ自分の位置で止まらないとあがりにならない、とするか。などなど、いろんな流派がありそうだ。ところで、わが親子の対決は、何度やっても子が勝つ。どういう訳かわからないが、子どもには勝てない。
2007.04.10
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以前から気になっていたニュース。医療法人からの申請に対して、熊本市は4月5日付けで医療法上の許可を行った。法人の言い方は、あくまで赤ちゃんの生命を守るための緊急避難だ、とする。市長コメントでは、安易な遺棄が増えることのないように出来る限りの対応や連絡体制整備に努める、などとしている。助かる命が救われない、という状況をなくす、という赤ちゃんの人命保護にだけ着目すれば、たしかに医療法人の言うとおりなのかも知れない。しかし、多くの人が割り切れない感じを抱くと思う。それは、親が子を置き去りにすることを是認するのではないか、と思うからだ。ちょっと整理して考える。まず、熊本市が許可した姿勢自体は非難できないだろう。医療法上の行政監督事務の一項目に過ぎない事項に対して、倫理を盛り込んで行政庁が判断上の視野を膨らますことは正しくない。これに国が介入するとすれば、自治体の自主性と国の関係という問題もはらむ。熊本市が倫理問題にまで風呂敷を広げずに判断したのは正しいと思う。むしろ、懸念される問題には配慮を示しており(保健所長の許可に連動して市長名で留意事項を付した)、これは、一方では医療法上の一事務は淡々と処理しながら、他方で市民国民の懸念には自治体の長として見解を示し申請者にも伝えた、という意味で適切だったと思う。次に、法的問題が取り沙汰されているが、これらは、割り切れない思いを、明確な非難に変えて主張するときに、なんらかの法律違反だと言えると歯切れが良いからだ。この中で私が最も気になるのは、やはり刑法上の保護責任者遺棄罪だ。刑法の問題を思い出すと、「母親Aが病院の玄関に乳児を置いて立ち去ったが、直後に病院職員が拾い上げた。Aはこれを物陰から確かめていた。」という場合にAに(保護責任者)遺棄罪が成立するか。倫理や社会風俗を強調して行為者の非倫理性に着目すれば、非難もしたくなるだろうが、あくまで遺棄罪の保護法益は生命や身体の安全だから、客観的に乳児が安全だった以上、いかに母親Aが主観的に考えたとしても(こんな子死んでもいい)、処罰は出来ないだろう。ただ、おそらく法理論的には問題は残っていて、職員が拾い上げることが客観的に確実に予測される状況でなければ、乳児の生命に対する危険は客観的に発生するから、いかに物陰で確認したとしても遺棄になるという見方も出来るだろう(抽象的危険説)。いずれにしても、熊本の赤ちゃんポストは、アラームが鳴って直ちに職員が飛んでくるというから、客観的な危険は(抽象的にすら)発生せず、やっぱり刑法上の遺棄罪は構成しないということになる。そうなれば病院側に幇助罪の余地もない。刑法以外の問題は調べていないが、おそらく決定的な問題はないのだろう。あとは、倫理の問題と、子育てできない問題に社会的にどう対応するかの問題だろう。それにしても、ポストに置き去る行為は、いかに貧困などの事情があるとしても許せるものではない。一時的に養育を断念して、後に名乗り出て養育を再開する、などのケースもありうるというが、それなら親として自分のコトバで親戚や行政に赴いて語って欲しい。匿名でポストに入れるという行為は、想像すらしたくない。これを非難するディクションとして、「子を産むからには責任を持つべき」とも言われる。安倍総理もそう発言したそうだ。細かいことだが、私なら、子を産むからには、ではなくて「親である以上は」と言いたい。いや、親でなくても、子でもそうだが、家族としてつながりを持った以上は、産もうと思ったかどうかは関係なしに、家族として繋がっているのだ。それが人間だ。社会以前に人間だ。もっと言えば隣人でも他人でもそうだ。アカの他人だって倒れていれば最寄りのどこかに連れて行くか、せめて通報はしてやるだろう。それは法が義務や刑罰で強制するかどうか以前の話だ。そして、アカの他人を警察に連れて行って、もし聞かれれば、匿名の美徳を演じるかどうかは別として、仙台の某です、と名乗りますよ、当然。今回の赤ちゃんポストで疑問を感じる核心部分は、おそらく多数の方もそうだと思うが、この「匿名性」でないか。問題行動をするのに、秘かに人知れず実行する、その場をわざわざ作ってあげる。問題は、そのような行動も致し方ない、とする風潮にある。社会の格差や困窮の問題に名を借りて、人間として当然のあり方を曲げることまで許すような風潮がありはしないか。もちろん私も生活保護や多重債務支援などの社会システムは必要だと思う。しかし、赤ちゃんポストは根本的に違う。人が名乗りもせず秘かに子を置き去ることなんて、人間としての行為ではない。古い言い方なら、人倫の本質じゃないか。ポストを作った病院自体は非難したくない。問題は人間だ。人間として生きなさい、ということじゃないか。世の中がこうだとかどうだとかではない。いかに自分が不幸な境遇であっても、人として繋がっている以上、名を隠して繋がりを断ち切ろうとすることは、人の道ではないのだ。割り切れない思いは残る。
2007.04.08
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もうこうなると黙っていた方がいいのか大騒ぎして良いのかわかりません。ホセと山崎の満塁弾連発のような凄さです。昨日(1日)のフルスタの試合から帰宅したら、NTTのフレッツのプレゼントが当たったとのこと。今回は近くに住む義母が当たったそうで、父母の分を取り分けた以外は箱ごと小さい子のいる我が家が頂いた、というわけです。もちろん母も我が家の当選ラッシュをききつけてハガキを書いたのですが。てな訳で、我が一族は本当にNTTさんのお世話になっています。上の子は春合宿中なので、早速下の子が食べていました。3つの味のフロム蔵王です。■関連する過去の記事 ありがたやプレゼント当選(07年3月8日) 我が子がデビュー?(07年1月6日) 大当たり!(06年12月01日)
2007.04.02
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突然ですが、私は「けん玉」が得意です。と言っても、実は大したことはありません。名人のような「技」ができるわけではなく、ただ単に、タマを棒に突き刺すのが結構できるというだけのことです。確率的には、30~50%くらいでしょうか。あれ、大したことない? そうですね。若い頃はなぜか精神集中のために、夜中に黙々とやっていたこともあります。暗いですね。あのころは鳴子でおみやげに自分で買ってきたのがありました。引っ越しを繰り返しているうちに、今はもうありません。1つ思い出があります。山寺駅の近くのおみやげ屋さんで、並べてあったけん玉を何気なく取り上げて、ヒョイと玉を棒に乗っけました。当然1回で成功。脇で見ていた小学生が、呆気にとられて見つめていた。私は涼しい顔でしたが、自分が優越感に浸れた、人生で数少ない場面でありました。1ヶ月前くらいから、家に小さなけん玉が登場。7歳の子が祖母に買ってもらったそうです。子どもは腕を一緒に動かしてしまうので、なかなか乗りません。でも一生懸命にやっています。単純だけに、楽しく、はまってしまうのでしょう。いい遊びです。ところで、けん玉の「けん」とは何だろう。今から出かけるので、あとで調べてみます。
2007.03.31
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