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デジカメを落としました。壊れました。買ったカメラ屋さんに持っていきました。力が加わって壊れたことがわかるので、保証書は役に立たないとのこと。自然に壊れた時以外は対象にならないのだそうです。修理代は? 1万円以上。期間は? 1か月以上。お話になりませんので、買替えることにしました。1万円以下で。もったいない気もしますが、修理するより買ったほうが安くつくのですから、仕方ありません。それに、1か月も待っていたらその間写真が全く撮れなくなります。壊れたデジカメは、気が向いたらいつでも修理できるように、持って帰りました。今度買ったデジカメが壊れる前に修理しておけば、スペアとして使えますから。
2011.02.28
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「客人来たりぬ」三木 卓今日で世界が亡ぶやも知れぬある日つまり ありふれたひるさがりぼくの妻の股の間に小さな火柱がたつと見るやたちまち彼女は母親になり その夫は父親になったサイレン鳴らず 一天俄かにかき曇らずただ母親は涕をちょっぴり流して眠り父親はその脇でちらし寿司の上をとってビールを飲んだとうとうやってきた やってきた!アミーバからおさかなやにわとりの時代を通ってこうのとりを何匹も乗り潰すほどの遠路はるばる ごくろうさま!ようこそ!えりにえって こんなまずしい夫婦のところへほんとうに有難う…だが心配性の父親は どうも心配になりひきつづき聞いてみずにはいられない――あなた…空気はうまく吸いこめますか?――耳に穴があいているだろうね?指が六本なら十二進法、四本なら八進法が得意になってしまうそそっかしいぼくの妻はきっとどこかでへまをしでかしているだろうああ だがほんとうだ 人間というものは読んだ本に書いてある通りに 生まれ育っていくのだ娘も中学生もばばあもおまわりもかたつむりやかわうそや青大将うちの裏庭(といっても家主のだが)のにれの木などと変わりはないそうしてぼくも父親になったがその時現在 世界一新品のおやじは運びこむべき巨大なミルク缶の重量を想像しながら実はするどく 耳をおっ立てているのだふいに未来と思っていたようなものは裂けそのむこうに 現実の街並がせりだしてくるかつて そのなかから暗い空をよぎってひびいた叫びごえはこれからはぼくの喉のものになり 生れたての娘のものになるそれが証拠に 父親になったぼくに町の連中が投げる親愛のこもった眼差しをみるがいいそれが かれらの乳香と没薬だ だからそのこめられた意味を知ることでいまぼくは<希望>を語ることが必要な男になったのだ-----------先日紹介した三木卓さんの代表的な詩です。饒舌の中にこめられたユーモアが魅力です。言葉を文字通り受けとめる方は、六本やら四本やらそそっかしいやらへまやらの語句に眉をひそめるかもしれませんが、わが子の指が五本でなかったからといって喜ぶ親はまず、いないでしょう。蛇足ながら、乳香や没薬は、キリスト生誕の日、東方の学者たちが幼子に贈ったものです。
2011.02.27
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ジュダ・ベン・ハーはユダヤの有力者でした。今はローマの司令官となったメッサラとは、幼なじみ。しかしメッサラはジュダに密告者になるように迫ります。無論ジュダは断りました。I am against you.決定的なひとことでした。メッサラとの長年の友情もこれまで。ジュダはガレー船に送り込まれます。そこでローマの高官アリウスを助けた彼はやがてアリウス2世として故郷に帰ります。しかし家族はもういませんでした。復讐の鬼になったジュダは、競馬大会でメッサラに瀕死の重傷を負わせました。(この大競馬のシーンは大変すばらしい映像です) 死の床で、メッサラは言いました。「まだ決着はついていない。お前の母と妹は業病(現在のハンセン氏病)の谷にいる」あらすじの紹介はこれくらいにしましょう。これは実はベン・ハーの物語ではないのです。イエス・キリストを讃える作品なのです。冒頭はベツレヘムへ向かうヨゼフとマリア。三人の学者たちと羊飼いたち。馬小屋で生まれた赤ん坊。26歳になり、ガレー船にいくジュダに水を与えるイエス。山上の垂訓のイエス。十字架を背負って歩くイエス。ジュダの水を受けるイエス。磔にされるイエス。要所要所で「彼」は登場します。映画のなかで、「彼」はおもに後姿で現れ、決して顔を見せません。まるで偶像崇拝を拒否するかのように。ただ、一度だけイエスの顔が垣間見れた場面がありました。ローマからユダヤへ戻るジュダが、道中休んでいるときの顔が、イエスによく似ていたのです。不具もそう思いましたし、映画の中の登場人物、バルタザールもそう思いました。また、アリウス2世となったにもかかわらず、ユダヤ人の味方をすると宣言するジュダにピラトが言う言葉「おまえは危険分子だ」ああ、イエスもそう思われて処刑されたのでした。イエスが光なら、ジュダは影。イエスが愛なら、ジュダは復讐。ジュダ…発音がユダに似ていますね。「汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ」他の人が言ったとしたら、何寝言ぬかすんだ、という話になるでしょう。ほかならぬイエスの言葉だから、重みがあるのです。ピラトは図らずも真実を語っていました。危険分子=罪びと=心の中の神を殺す者。メッサラも危険分子として死に、ジュダもまたそうなりかけました。しかしイエスの最期を目の当たりにして、救われたのでした。彼だけでなく母も、妹も。映画はキリストを讃えるように、賛美歌で幕を閉じます。ハレルヤ!ベン・ハー 特別版
2011.02.26
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「養護学校?施設といっしょじゃろうもん」ははよ。あなたに悪意がないことは息子の不具が保証する。だがそれこそが鉤の刃なのだ、ははよ。身体がおおよその成長を終えるころひとがここを巣立っていくのは ただのしきたり なのだろうか。ももの花のさく季節にむすこやむすめの年ごろの生徒たちがこころもおおきく育ったようにみえるのは ただのまぼろし なのだろうか、ははよ。身体の不自由なあなたの息子がつかれたようにみえるのは生徒がたいへんだから ではない。 むすこかわいい。 むすめかわいい。そういうおもいに いまだじゅうぶん応えていないわが身の丈をいたいほど よくわかっているからなのだ。――ははよ。
2011.02.25
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主人公は大学入試に落ちた18歳の三木少年。水先案内人は知的障碍者の山形さん。行先は…昭和18年の満州。滅びた国の旅、って滅びた国の民、と発音が似ています。いかにも詩人らしい語呂合わせです。本当は、ほろびた国への旅、というのが内容的に正しい日本語ですからね。三木さんはポリオで小児麻痺だと聞いたことがあります。そのせいか本書は社会的弱者へのいたわりと優しさに満ちています。<五族協和>といいながら、日本人は特権的長兄。朝鮮人も満州人も蒙古人も漢人も弟分でしかないという現実。なるほどそうだろうな…と思いました。滅びた国は満州国。滅びた国は大日本帝国。砂上の楼閣。挫折した国。挫折した少年。知的障碍者の山形さんは、明治の山縣さんを意識した言葉遊びでしょうか。…でもね。今の中華人民共和国は、朝鮮族と満州族と内蒙古族と漢民族と…協和状態でしょうか?少数民族にとっては、支配者が変わっただけではないでしょうか?当時、日本は遅れてきた列強でした。外国がやった植民地政策を、欧米に追い付き追い越せとしゃかりきになってやったにすぎません。これは、中国や韓国の人には言いにくいことです。けれども、日本のしたことは(利権の関係で列強からケチをつけられましたが)当時の世界情勢からしてそんなに大それたことではなかったのです。こう考えてみましょう。沖縄の人にとって、かつての琉球王国のように、独立して生きることができるなら、それが一番素晴らしい。けれども、日本と中国と、どちらかの属国にならざるをえなくなったとしたら、どうするか。…そういうことです。当時も今も、中国に生きる少数民族にとって、状況はあまり変わりません。彼らにとっては、日本軍か漢軍かの違いしかないでしょう。暮らし向きがよくなったのは、漢民族の一部だけ。では歴史的に中国大陸で漢民族がずっと支配者だったかというとそうではないのが、元とか清とかいう王朝からも明らかです。もちろん、漢民族だけでも解放されたことはいいことなのですが、かつての大日本帝国を否定するなら、現在の中華人民共和国のあり方も否定しなければ嘘だ、と不具は思います。【送料無料】ほろびた国の旅
2011.02.24
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結局、面倒くさくなってその後すぐインストールしました。便利で快適です。お金を出してセキュリティソフトを買う意味が分からなくなりました。興味のあられる方はインターネットで検索してみてください。
2011.02.23
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「命」岡崎 清一郎己は此の世に命(イノチ)を受け蝶を見た。花を見た。人を見た。蝶は花は人はああうつくしかッた。ああつまらなかッた。と書いたらたれだッたかこんな詩はけッして善い詩編ではない。へんに気取ッてやがッてはくしょんとくしゃみをもよおせられる悪詩であると或る雑誌で評をのせてた。四十年も前の出来事である。あの時私は自殺する気でおッたのである。-------------------いわゆる詩人の詩は、やはりおしゃれです。いわゆる障碍者の詩は、大体においてあまりおしゃれではありません。詩人の作品と比べると、当たり前のことですが、見劣りがします。ではそういう詩は書かれる価値がないのか、読まれる価値がないのか、というと、芸術的なコードではなく社会的なコードというところで存在意義があるわけです。芸術は長し、命は短し。されど芸術は、特定の人にしか創れないからこそ芸術なのです。平凡に光あれ。
2011.02.22
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「校歌」荒川 洋治ぼくの詩はよいもので十年へたをして一冬も越さないが鳥の声 風の音をころして出来上がった校歌はどうか二十六歳の作曲家は きょう雨の日にピアノをつまみながら うたいそめる。これですよとその人はいわないだがそれは十一年 いや百年は生きるかもしれないものなのだぼくは羽をつけて飛びたつめずらかな歌をみつめた。遠い冬の日にさえ生きてわがむくろへと吹きつける惨酷な 意味の歌を。 *福井県立ろう学校校歌。作曲は久木山直。----------------荒川洋治さんの足元にも及ばないモグラ詩人の不具ですが、この気持ちはよくわかるなあと思いました。校歌はいわばポスターに似ています。どちらもメッセージ性が強いものです。これに対して、詩は、言葉でかいた絵画です。ポスターに絵画性がない、詩にメッセージ性がないとはいいませんが、どちらもその本質からすれば第二義的なものにすぎません。なお、この詩を読めばわかるように、冒頭の三行は作者一流の諧謔です。
2011.02.21
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みんなにやさしく 声をかけいたずらしない ずるしないゴミを出さない 汗を出すやせてすっきり ダイエットそんなあなたが カッコいいとある生徒に送った詩形式の「送る言葉」です。当然、「あなた」ではなく固有名詞が入るのですが、ここには書けません。また三行目は全部削除しましたが、その内容はご想像にお任せします。基本的なテクニックとしては、生徒が口ずさみやすいように七五調。「ない」「ない」「ない」と畳み掛けるようなリズム。「い」「ず」「だ」の音にも気を遣いました。こういう種明かしをしたところで下手な作品が上手にみえるわけではないのですが、こちら側の思いが、少しでも生徒のこころにに引っかかってくれれば、これに勝る幸いはありません。
2011.02.20
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終わりから始まる映画はたいてい文学的です。ご多分に漏れず、本作品もバイク事故で死んだロレンスの葬式から始まります。彼のために銅像まで建てられて。ロレンスとはそもそも何者だったのか? 参列者に記者が聞きます。その答えは? 映画を観てください、と言いたいところですが…ロレンスは、一言で言えば英国人の坂本龍馬でした。違うのは、同胞たる英国人のためではなく、アラブのために尽くしたことです。ばらばらだったアラブの部族をともかくも束ねたのは彼の功績でした。そういう意味では、龍馬よりスケールが大きかったかもしれません。数ヶ国語を話し、芸術や音楽に造詣が深く、博識でした。彼は戦略家ではあっても、戦士ではありませんでした。無理をして人を殺し続けたために、ロレンスの精神はだんだん壊れていきます。敗走する英兵を皆殺しにしたのは、彼のなかの英国人を殺そうとしてのことでした。しかしその後、アラブのために占領したダマスカスの水一つでない病院で、負傷したトルコ兵に「このアラブ人め」とやられてから、彼は本当に腑抜け同然になってしまいました。織田信長や坂本龍馬は発達障害者だった、という見方があります。真偽はともかく、彼らが人の見えないものを見、予見し、その実現のために力を尽くし、志半ばで倒れたことは周知の通りです。その伝でいくと、ロレンスもその仲間だったのかもしれないな、と学生時代に一度観たはずの映画をもう一度観て、思いました。なお、他の映画とのからみで言うと、まず連想したのは黒澤明の『デルス・ウザーラ』でした。共通点は「男同士の友情」です。【49%OFF!】アラビアのロレンス 完全版 デラックス・コレクターズ・エディション 【ベストコレクション マスターピース】(DVD)
2011.02.19
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が来ました。所得税が全額還付されていました。とりあえず第一関門突破です。
2011.02.18
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給料をもらいます。(なかにはおもちゃのお金が入っています)金額を数えます。給料をつかい道(貯金、携帯電話代、親に渡す食費と光熱費、おこづかい)ごとに仕分けします。親に渡すお金(食費・光熱費)以外は銀行に預けます。新規申込書に記入します。窓口に行きます。お金を預けます。支払伝票(本物)に記入し、おこづかいをおろします。チラシを見ます。おこづかいの範囲内で買えるものを選び、計算します。お店で買い物をします。こんな授業を何回かに分けてしました。国語・数学にわけない授業をしているので、授業が分断されずに行える強みがあります。普通預金、申込書、支払伝票などの概念理解や、窓口でのコミュニケーションは国語力。金額の記入や計算、仕分けなどは数学(算数)力。通知表の上ではそうなりますが、実際の生活上で、これは国語だ、これは数学だなどとわけて考えているわけではありませんからね。ただいろいろ工夫しても、わかる子はわかるけれども、わからない子はなかなかわからない。知的障害児の指導・支援は本当に難しいと思います。*銀行に行って実際に口座を作ったほうがいいのですが、それだと時間的な問題やお金の管理の問題などいろいろややこしくなるので、すべて教室で行う「ごっこ」です。
2011.02.17
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じぶん銀行に5000円預けたら、500円の入金がありました。ソニー銀行に1000円預けたら、1000円の入金がありました。いずれもキャンペーンを活用しての裏技です。ちなみに、新生銀行には、今のところ同種のキャンペーンはないようです。
2011.02.16
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「芝生」 谷川俊太郎 そして私はいつかどこかから来て不意にこの芝生の上に立っていたなすべきことはすべて私の細胞が記憶していただから私は人間の形をし幸せについて語りさえしたのだ---------------------谷川俊太郎さんから1篇を選ぶのは大変難しい作業です。おそらく誰がやってもあれも、これもとなるでしょう。個人アンソロジーだけでも軽く100篇は超えそうです。そのなかから、今回は短い詩を選んでみました。谷川さんはよくその相貌から「宇宙人」にたとえられますが、そこまでいかなくても、詩人には、どこか浮世離れしたイメージがあります。谷川さん自身の詩集の題名を借りれば『世間知ラズ』とでもいうのでしょうか。不具は自称アスペルガーです。未診断なので医者がなんというかはわかりませんが、自閉的傾向があるのは間違いありません。社会的なコードより自分のコードで物を考えてしまう癖がなかなか抜けないため、いろいろ苦労しています。失礼と語弊を承知で言えば、谷川さんの詩を読むと、『ことばあそびうた』のような詩集は別にしても、たいてい社会の現実と自己の認識との齟齬や乖離があり、それを言葉による知的な遊戯で埋めようとしているような、綱渡り的な危うさのなかに詩的言語が成立しているような、そういう印象を受けます。勿論「社会と自己とのへだたり」は多かれ少なかれだれもが抱えている問題であり、程度の差異といえばそのとおりでしょう。だから、そういう日常の生活にストレスを感じている全ての人にとって、谷川俊太郎の詩はよき友、よき癒やし手となってくれるに違いありません。【送料無料】谷川俊太郎詩選集(1)【中古】afb【古本】世間知ラズ/谷川俊太郎
2011.02.15
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昭和30年刊行。古い本です。著者は社会を構成する集団を伝統志向、内的志向、他人志向の3グループに分けます。しかし半世紀以上前のアメリカ社会について分析したものをそのまま紹介しても面白くありませんので、現代日本の諸相にあてはめて考えると、次のようになるでしょうか。伝統志向―保守主義―大相撲、神社仏閣、伝統芸能等の世界内的志向―個人主義―『プロテスタンティズムと資本主義の精神』的な自営業、また学者、医者、弁護士等知的職業の世界他人志向―世間主義―サラリーマン、マスコミ、運動家、NPO法人等の世界さらにこれを最近の国際情勢にあてはめるなら、エジプトはイスラムの伝統志向の社会でしたが、21世紀のマス・コミュニケーション・ツールであるインターネットによって他人志向が強まり、民主主義社会の下で内的志向を実現したいという気運が強まって、今回の事態に立ち至った、ということになるでしょうか。なお、上記の3類型はあくまでグループの分け方ですので、個人個人の諸相としてはそれぞれのグループ内で適応型、不適応型、自主型の3つに分けられる、と著者は言います。つまり、3×3で合計9つの、社会全体における個人の類型が考えられるわけです。社会がグローバル化すればするほど社会も国も地域も他人志向的に傾いていきます。と同時に反動もあるわけで、最近の日本の論議で言えば、死刑制度廃止やTPP参加の是非などがそうでしょう。現代日本はどちらかというと他人志向の強いお国柄ですが、半世紀以上前のアメリカ人が出した結論は、やはりアメリカ的でした。「孤独なる群集がつるんでも、その孤独は癒されないということに、個人個人が気づくべきである」。自主性と独立性を重んじる国だからこそ、このような本が生まれたのでしょう。処方箋として個人個人の存立基盤の拠り所である趣味嗜好の世界を大事にせよ、と著者は説きます。オタクであってもいいわけです。ただ社会性とコミュニケーション力を失わなければ。
2011.02.14
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といっても携帯電話ではなく、パソコンのインターネット接続の話です。発端はNTTからのお知らせでした。要約すれば「今のままではNTTのセキュリティ対策ツールの更新やNTTからのお知らせなどが届かなくなります(今年度末で廃止)ので、CTUから直接つなぐ設定に変えてください」ということで今朝から携帯電話で連絡を取りつつ、パソコンと悪戦苦闘の一日でした。先方の言うとおりCTUに直接つなぐようにしたら、今度はヤフーBBのルーターが作動しません。ソフトバンクさんに電話すると、CTUに直接つなぐとインターネットに接続できないと言われます。ほとんど一日がかりで担当者が三人も代わってすったもんだの挙句、今もっているパソコンでは、NTTのCTUとヤフーBBのルーターとは今後両立できなくなることが判明しました。そうじゃないかなあと思っていたのです、実はうすうす。この問題を解決するには、NTTさんのセキュリティツールをアンインストールして、別のセキュリティソフトに換えるのが一番簡単です。よっぽどそうしようかとも考えたのですが、電話口に出られた担当の方の対応が丁寧でしたので、もっとめんどくさい方法を当面の間とることにしました。つまり、セキュリティソフトのアップデートのときだけ、有線で直接CTUにつなぐのです。でも、面倒になったら本当にアンインストールします。無料更新のセキュリティソフトは、他にも「マイクロソフトセキュリティエッセンシャルズ」とか探せばいろいろありますから、ね。
2011.02.13
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【カイロ=大内清】エジプトのスレイマン副大統領は11日テレビ演説を行い、同国を約30年にわたって統治してきたムバラク大統領が辞任したと発表した。これに伴い、軍の最高幹部会議が全権を掌握する。発表に先立ち、AP通信など複数のメディアは、ムバラク大統領が首都のカイロを出て、東部シナイ半島の保養地、シャルムエルシェイクに滞在していると報じた。チュニジアで1月に起きた民衆蜂起による政変がエジプトにも飛び火、同月25日から各地でムバラク氏の退陣を求める大規模な反政府デモが続いていた。ムバラク氏は次の大統領選への不出馬を表明する一方、即時退陣は拒否していたが、辞任圧力に抗しきれなかった格好だ。 移行体制は軍部やスレイマン副大統領を中心に協議が行われる見通し。地域大国エジプトの政権崩壊は他のアラブ諸国にも大きな影響を与えそうだ。 政府当局は1月28日以降、カイロなど主要都市に夜間外出禁止令を出し、インターネットなどを一時遮断してデモを押さえ込もうとしたが、階層や世代を超えて団結した「反ムバラク」のうねりは止まることなく拡大していった。 28日には各地で金曜礼拝後の大規模デモが発生。ムバラク氏は翌29日のテレビ演説で全閣僚更迭とスレイマン総合情報庁長官の副大統領任命を発表したが、2月1日に全土で100万人規模のデモが起きたのを受け、今期限りでの退任を表明した。 しかしデモ隊側は4日を「追放の金曜日」として、改めて即時退陣を要求。「盟友関係」の米国もムバラク氏退陣を視野に「秩序だった移行」を支持する姿勢を打ち出していた。 ムバラク大統領は10日深夜のテレビ演説で、スレイマン副大統領に大統領権限を移譲する考えを示す一方、即時辞任を改めて否定していた。デモ隊の要求に一定の理解を示しつつも、自身に向けられた批判には「心が痛む」と語り、「死んで埋葬されるまでこの国にとどまる」と国外に出る考えがないことを強調していた。 治安維持を担っている軍部は11日、声明を発表し、権限移譲などムバラク大統領の民主化努力を支持し、憲法改正後の自由で公正な大統領選挙実施を保証すると述べた。 ムバラク氏の即時辞任を求めるデモ隊は10日の演説に反発をいっそう強め、「挑戦の金曜日」と銘打った11日のデモは全土で約100万人が参加、スレイマン副大統領の発表を受けてカイロのタハリール広場は地響きのような歓声に包まれた。----------------これで中東情勢の重石がとれました。アメリカ経済も復調基調にあります。一方日本の政局は混迷。となれば当面は円安基調でしょう。あとは、北朝鮮でもエジプトと同じことが起これば嬉しいのですが、東アジアの場合中国が後ろに控えているので、中国が民主化されない限り、難しいかもしれません。
2011.02.12
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テンペスト、といえばシェークスピア、と思っていました。しかし同じ題名の本が日本にもありました。読んでみるとなかなかの本です。しかしこれは何に分類したものでしょう?時代小説?歴史小説?大河小説?最後のカテゴリーが、一番ふさわしいように思います。時代小説というには、舞台は琉球。お侍さんのチャンバラ小説ではありません。歴史小説というには、設定が荒唐無稽。大河小説とするのが、無難でしょう。舞台は幕末ならぬ琉球(琉は龍に通じます)王朝末期。主人公は、真鶴。またの名を孫寧温。男名です。真鶴のお父さんは、真鶴が兄より漢籍に詳しくても、無視していました。女では、官吏になれないからです。しかし真鶴の才能は、誰の眼にも明らかでした。意を決した真鶴は、女であることを捨て、「宦官」孫寧温として王宮に入ることになります。そこで彼女はさまざまな政敵に出会い、打ち負かし、挫折し、復活し…荒唐無稽な設定ですが、男性のふりをして難事を解決する女性はシェークスピアの作品にも出てきます。『ヴェニスの商人』のポーシャです。ただ『ヴェニスの商人』は喜劇でしたが、本書は違います。女性でありながら、男性以上の能力を持つ女性。日本の紫式部もそうでした。代表作『源氏物語』が伝奇小説であり歌物語であったように、『テンペスト』もまた和歌の代わりに琉歌を採りいれた、かの大河小説の末裔であると言えましょう。孫寧温が八重山に流され、また王宮に戻されるまでのくだりは、光源氏が須磨に流されながら許されて朝廷に返り咲いた挿話を彷彿とさせます。朝薫(薫の君!)はさしずめ頭の中将というところでしょうか。真牛こと聞得大君は弘貴殿の女御と六条御安所を足し、さらに卑弥呼がのり移ったような存在にして真鶴の影の分身。式部と同じように、この物語の作者も、主人公を自分と異なる性を持つ人物に設定し、ほとんど全能とも思える能力を与えました。皮肉なことに、その後も光源氏は恋に生き、孫寧温は政治の世界に身を置くのですけれども。本書は上下二巻に分かれています。上巻は「若夏」。女に生まれた真鶴が孫寧温として生きることを決意し、流刑になるまでの男の世界の話。下巻「花風」の前半は女を取り戻した真鶴が王の側室として生きる女の世界、後半は真鶴と孫寧温を行ったり来たりする一人二役の世界で、ここまでくるとなんだか笑えます。しかしそんな二重生活に転機が訪れます。真鶴の妊娠でした。みなまで語ると、これから読もうとする方の妨げになるので、これくらいにします。ただ、あまりに沖縄の歴史や風俗に詳しいので、もしやと思って調べてみると、やはり作者は沖縄出身。なるほど、当時の英国人、米国人、薩摩人、いずれもよく描けている国際感覚はそこから来たものか、と妙に納得してしまいました。今日は建国記念の日。思えば、琉球は王を失って日本領になりました。しかしかつての琉球王朝が、清国と薩摩の両方に仕えながらペリー提督との頭脳戦において勝利したように、現在の日本にも米中露の大国の思惑の間で、かつてない厳しい戦いを勝ち抜く知恵が求められているのですが…。男と女の間で揺れながら、それでも自分を全うした孫寧温、いや真鶴のように、日本もまた逞しく優しく生き抜いてくれることを、今日のよき日に願ってやみません。【送料無料】テンペスト 上(若夏(うりずん)の巻)価格:1,680円(税込、送料別)【送料無料】テンペスト 下(花風の巻)価格:1,680円(税込、送料別)
2011.02.11
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Singin' in the rainの歌声が耳に懐かしいミュージカル。無声映画のスター、ドンは絶頂期。新聞記者を前にして、dignity,dignityを連発します。しかし語られる内容は、威厳とはおよそ関係ないことばかり。それもそのはず、ドンは芸人出身でスタントマン上がりの苦労人だったのでした。のっけから暴露される、この「言ってること」と「やってること」のズレが本作品のモチーフであり、エスプリにもなっています。スターは夢を提供する、言い換えればファンのために嘘をつく。それが定番です。しかし映画の楽屋裏をテーマにするとき、そこで語られるのは真実、つまり喜劇です。序盤、ドンの相棒がスタジオで陽気に繰り広げるタップダンスや、ドンとリナが口喧嘩しながら役を演じている無声映画ならではのシーンもまた、それを暗示しているといえましょう。本人たちは真剣でも、はたから観ている第三者にとっては喜劇、それが人生の真実。ドンは無声映画のスターでしたが、世はトーキーに傾いていました。無声映画は明らかに斜陽。現在撮影中のフィルムもトーキーに変更しなければならぬ。御意。ただひとつだけ問題がありました。主演女優のリナが、アヒル声の大根役者だったのです。リナは「言ってること」と「やってること」が一致しない人生の象徴です。本来なら悲劇になるところを、強烈なキャラクターで喜劇にしてしまう力業。もしも彼女が憎まれ役でなかったら、この映画は明らかに失敗作だったでしょう。大根役者を演じるのも大変です。第三者たる観客はそれですみますが、作品世界の内部の人間にとって事態は深刻です。試写会は大失敗、最悪のコメディ。ミュージカルに変更しようにも、主演女優が歌もだめ、踊りもだめ、声もだめではどうしようもありません。一計を案じたドンと相棒と社長たちは、駆け出しのショーガール、キャシーに台詞の吹き替えを依頼することにしました。見事自分に与えられた役をこなしたキャシーでしたが、公開直前にリナに一部始終がばれてしまいます。ドンとリナとキャシーの三角関係(?)もあって、事態は収まりません。憤ったリナは、契約を盾に、半永久的にキャシーが自分の声の吹き替えをするよう要求するのでした。むこうが法律でくるなら、正攻法はとれません。訴えたくても大衆の前に出てこれないように赤っ恥をかかせるより他にもう手立てはありません。そこでドンたちが採った解決策は…この映画は今でも鑑賞に値します。しかし皮肉なことに、作中で起死回生の必殺技だったミュージカル映画への転身は、現在ではすっかり廃れた手法になってしまいました。 【中古】DVD 雨に唄えば
2011.02.10
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「このひと」大槻 鉄男全身痙攣症の男が行くかれは絶えず頭をさげ 頭をそらすがかれに答へてあいさつを送るなこの男はきみにあいさつしてゐるのではない抑へがたい衝動で身をふるはせているのだそのからだは建造中のビルの鉄骨のやうに空洞がたくさんあつて――腕にくろい楽器をだいてゐるやむことのないけいれんが笹笛のやうに楽器をかきならしてゐるかれに答へてあいさつを送るなこの男の孤独はきみのふとつた肉体とえんがない-----------同じ「生」をモチーフにしていても、女性の詩は優しく、男性の詩は厳しいものが多いです。個人的には身障者やうちの学校のある生徒の姿を連想してしまいますが、作者が言いたいのはもっと精神的なことでしょう。最後の一行を読めばそれが明らかです。『爪長のかうもり』(1962年刊)より。旧かなづかいが効いています。
2011.02.09
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なんてのが来ました。車検は今まで何度かしてたのに、こんなことは初めてです。ぜひうちに、ということなのでしょう。今までは期限をよく忘れて、過ぎてからお願いしたことが多かったので、ありがたいと言えばありがたいサービスです。これも時代の流れでしょうか。今度の車検工場の性格でしょうか。それとも今の仕事に就いたからでしょうか。
2011.02.08
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というのがあるそうです。実を言うと不具も知らなかったのですが、先日結婚した従兄弟からの内祝いが今日届いたのです。カタログギフトでした。シャディ株式会社アズユーライク。なかなか洒落た名前です。何にしようかな、と分厚いカタログをめくっているうちに見つけたのが件の「おぎゃー献金」でした。そもそもは、 鹿児島県大口市で産婦人科を開業している遠矢善栄博士(元・日本母性保護医協会 鹿児島県支部長)が、近くに住む重症心身障害児の三姉妹をみて、何とか救済してあげたいものと色々手をつくされましたが、当時一部の軽症者を除いては、重症心身障害児収容の道は固く閉ざされていることを知りました。 そこでこれらの子供たちに少しでも幸福を分け与えたいと考え、健康な赤ちゃんをお産されたお母さん方と、それに立ち合った医師や看護婦さんたちが愛の献金をと発案されたのがこの運動の発端となりました。時に昭和38年暮のことでした。 遠矢博士の提案により、当時の日本母性保護医協会(日母)鹿児島県支部ではこれを『おぎゃ一献金』と名付け、早速昭和39年1月から県内でこの運動を開始しましたが、さらに全国的にひろめたいと、日母本部に提案致しました。そこで昭和39年3月開催の日母定例代議員会にはかったところ、満場一致で可決され、その後実行に移すための具体策を検討し、同年7月1日、東大分院講堂において『おぎゃ一献金全国運動発足の集い』を開催しました。このとき、高島忠夫氏夫人寿美花代さんが第1号の献金をして下さいました。ということだそうです。不具も早速「注文」しました。なお、ホームページをここに載せておきます。皆様もどうか一度御訪問ください。
2011.02.07
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ミュージカル映画の傑作。この分野の金字塔はいうまでもなく『マイ・フェア・レディ』ですが、本作もなかなかイケてます。冒頭。観客はニューヨークを真上から鳥瞰します。やがて鷹が獲物を見つけたかのようにカメラの眼が舞い降りると、そこには雁の群が…じゃなく、ガンつけしそうな見るからに「不良」な青少年が、リズミカルに指を鳴らしながら登場します。はじめは碌に口をききません。ジェスチャーですべてが通じます。「仲間」ですから。不良たちがはじめて人間らしく口をきくのは、仲間以外のグループと接するシーンです。アイルランド系のおまわり。対立するプエルトリコ系の不良グループ。そういう彼らも、地元とはいえ、スペイン系なのですが。いわば新旧の移民の対立の図式があるわけです。「不良」たちの動きは全編を通して舞踊的で、音楽的で、演劇的です。喧嘩のシーンでさえ様式美に溢れています。日本で言えば時代劇の殺陣の場面でしょうか。それを観るだけでも価値のある映画ですが、もちろん、それだけではありません。ニューヨークはアメリカの東側なのに、なぜ「西側物語」なのか。基準点は、ヴェローナにありました。そう、『ロミオとジュリエット』です。二人は舞踏会で劇的な出会いをします。まさに A boy meet a girl.の世界、映像がまたすばらしい。 しかしアントン(トニー)はスペイン系「ジェット団」の元リーダー、マリアはプエルトリコ系「シャーク団」のリーダーの妹。二人の逢瀬はどれもこれも名場面なのですが、嗚呼、大西洋の西側でも悲劇はやはり悲劇でした。ただ現代のジュリエットは死なず、喪に服する事が暗示されてエンドマークとなるのですけれども。少し先走りすぎたようです。この映画の魅力として様式美と悲劇性を挙げましたが、同時に本作は愛と反体制の物語でもあります。ジェット、すなわち飛行機は空の雄、シャーク、すなわち鮫は海の雄。対立するふたつの「軍団」の名称としてはなかなか洒落ています。しかし時代性(1961年)を考えると、これは間違いなく米ソの冷戦の縮図でしょう。大人が喧嘩しているのに、子供に喧嘩はやめろという。大人代表として映画に出てくるのは警察官ですが、彼らに感情移入する観客はまず、いない。むしろ不良たちに共感するでしょう。いわば彼らは映画のなかで体制同士の対立構造そのものを演じていると同時に、その体制を作った「警察」国家に対する反体制としての役割も担っているのです。さて、この根深い憎しみを解消できるのは神の愛しかありません。マリアはトニーの恋人であると同時に、「生みの親」でもありました。なぜなら、彼女によってトニーは感化され、喧嘩をとめようとし、それが元で悲劇が始まるからです。思い出してください。その昔、マリアはイエス・キリストの母でした。「誰がイエスを殺したか?」そう、あのラストシーンこそ、現代のピエタではないでしょうか。ウエストサイド物語 ウエストサイドストーリー / ベストクラシック100 100: : ウエストサイド・ストーリー オリジナル・ブロードウェイ・キャスト他 【CD】
2011.02.06
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ですが、セキュリティが一番厳しいのは先日紹介した新生銀行です。申し込むときの本人確認書類の厳しさもさることながら、キャッシュカードと暗証番号とセキュリティカードをそれぞれ別に送付するという念の入れよう。さすが外資。他にも日本のネット銀行口座をもっている不具ですが、これほど厳しくはありません。扱っている商品の品揃えを見ても、さながら日本版シティバンクといった感じです。月間預金残高で金利に差をつけるあたりも、もろ外資。性格としては、日本の一般の銀行と証券会社の中間に位置する投資銀行というところでしょうか。うーん。口座を開設したものの、今後どのようにお付き合いしていこうか、考えあぐねているところです。
2011.02.05
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終了(暫)。なぜ終了かというと、ネットで済ませたから。なぜ(暫)かというと、医療費の明細をいちいち打ち込むのが面倒で、結局表計算ソフトでプリントアウトして税務署に提出しなければならないから。それでも、提出書類は大幅に減った(保存は必要だけれど)。計算上は、所得税0円である。なぜそういうことが可能か。毎月の給与明細を、表計算ソフトに移しておくのだ。(これは、経理が杜撰だった前の会社にいた頃からの習慣である。時給の世界だから、間違いはこちらが指摘しなければならなかった)明細書を見れば、毎月所得税がどれだけ取られるかがわかる。12月の明細書で、年末調整を含めて1年間の所得税がいくらになるか見当がつく。所得税を課税所得金額の5%と計算して、所得税のおおよそ20倍の控除があれば、県から税金は取られないのである。勿論、不具の場合、前提として基礎控除のほかに障害者控除、扶養控除があるのだが、それでも何もしなければ、差し引き約100万円の所得があることになるから、所得税5%、住民税10%で、合計約15万円の税金を払わなければならない。税金だけではない。医療費も違ってくるのである。主たる生計者、つまり不具の払う所得税の金額によって、入院費が増減する。所得税が0円になれば、月1万2千円は安くなる。年間にして約15万円。つまり、30万円「近く」節約できるのだ(住民税はまた所得の計算が違うのだが、所得税がベースになっているので、所得税を節税すれば間接的に住民税も節税できる。とはいえ住民税を0円にするのは至難の業である)ただし。月給生活者にできる節税は、あまり多くない。それでも、家族の医療費が年間10万+30万以上=40万以上かかったので、これで所得税5万円のうち、約1万5千円は医療費控除で節約できる。残り3万5千円の所得税を払わずに済ませるには、70万円のお金を、公的な機関または法人に寄付し、寄付金控除をねらえばよい。これが不具の出した結論である。30万円の節約のために70万円も払うなんて馬鹿らしい?かもしれない。ただ実際は年末調整で55万程度の寄付で済んだのだけれど、それでも25万円オーバー。しかも住民税も0円になるとした上での計算。還付金が入ってくるとしても20万以上オーバー。それでも、もったいない、とは思わなかった。寄付した先はわが母校である。金額を積み上げていけば、それなりの特典がある。県や市町村に税金を払っても、目先のところ何の恩恵もない。勿論、他にもここに書けない理由があるのだけれど(苦笑)。さてさて。還付金はいつ入るだろう。税務署はなんて言うだろう。住民税はどうなるだろう。今から楽しみである。
2011.02.04
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「サントリーのびん」会田 千衣子冷蔵庫の上に飾ってあるサントリーのびんそれを眺めながら眠りましたこの空のびんを永遠に祭りなさい死にながらそう思ったことですそういえばいとこも若く死んだしあの俳優も――命ははかないのです街路樹の柳がさらさらとゆっくりカフェでコーヒーを飲みました日曜日は弟の見合いの小さいパーティを開きますリンゴ酢とハチミツがとろり溶けて――あしたも一生懸命働きましょう------------------死ばかり扱っていると暗くなるので、少し前向きな詩を。人生というお酒を飲み干してしまったとき、あの世からお迎えが来るのかもしれませんね。皆さんのお酒は甘いですか?苦いですか?ビールの苦さも慣れれば乙なもの。明日も一生懸命働きましょう。
2011.02.03
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「友」井上 靖どうしてこんな解りきつたことがいままで思いつかなかつたらう。敗戦の祖国へ君にはほかにどんな帰り方もなかつたのだ。――海峡の底を歩いて帰る以外。---------------------------「富士」よりも優れているわけではありませんが、好きなのはこちらのほうです。不具はセンチメンタリストなのかもしれません。詩集『北国』より。【送料無料】井上靖の詩の世界改訂版価格:2,310円(税込、送料別)
2011.02.02
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「富士」金子光晴重箱のやうに狭つくるしいこの日本。すみからすみまでみみつちく俺達は数へあげられてゐるのだ。そして、失礼千万にも俺達を召集しやがるんだ。戸籍簿よ。早く焼けてしまへ。誰も。俺の息子をおぼえてるな。息子よ。この手のひらにもみこまれてゐろ。帽子のうらへ一時、消えてゐろ。父と母とは、裾野の宿で一晩ぢゆう、そのことを話した。裾野の枯林をぬらして小枝をピシピシ折るやうな音を立てて夜どほし、雨がふつてゐた。息子よ。づぶぬれになつたお前が重たい銃を曳きずりながら、喘ぎながら自失したやうにあるいてゐる。それはどこだ?どこだかわからない。が、そのお前を父と母とがあてどなくさがしに出るそんな夢ばかりのいやな一夜が長い、不安な夜がやつと明ける。雨はやんでゐる。息子のゐないうつろな空になんだ。糞面白くもないあらひざらした浴衣のやうな富士。------------------光晴でただ一篇だけ選べ、と言われたら不具は迷わずこれを選びます。保守派の不具ですが、「君死にたまふこと忽れ」同様、肉親の普遍的な愛情に心打たれるからです。なお光晴は、第一次世界大戦で「戦争」を書いた晶子や、「根付の国」から「十二月八日」へと<転向>した光太郎と違い、根っからのボヘミアン的態度を生涯貫いた詩人でありました。
2011.02.01
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