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※株式投資のことを中心にブログを書いてますので、それ以外のことについては注意を払っておりません。震災が起こったときに不謹慎なことを考えてそれをブログにアップするなんて、と、もし言われてしまったら、ブログの趣旨と違うから、としか言えません。ご了承くださいませ。
ただならぬ地震だと思って、早速ネットで調べると、震度が高いところが仙台のようです。
すーっと先物が下がっていきます。ALサービスなども売ろうかとも思うのですが、
板が薄いので
なかなか売れません。500株くらい売りましたが、5%以上下がってしまったので、こんなに下がるなら売らないぞと、止めてしまいました。
そんなこんなで、七十七銀行の空売りを何千株かやったころには3時が過ぎてしまいます。
やっぱり先物をやってたほうがよかったかな?ヘッジできたし。なんてそんな風に考えてました。
このときはまだ津波のことなんて知りません。
職場から歩いて自宅に帰ることになり、私の奥さんは深夜1時頃なんとか電車で帰宅しました。
で、家でテレビを見ていると、悲惨な光景が次々に流れます。ようやく事態が理解できました。
最初に感じたのは無力感でした。
繰り返し流れる映像に気持ちが揺れて、涙が流れます。
「動揺」をはじめて味わいました。脳に限界のあるただの人なのです。
そして、1号機の水蒸気爆発。ここで私の頭の中のコップの水がついにあふれてしまいます。
「もう、日本は終わりだ。少なくとも、株式市場は全滅だ。放射性物質が飛び散ったら東京でビジネスどころではなくなるから。」
放射性物質の拡散がどの程度か、アメリカ政府が80キロは危ないよ、と冷静な判断をしてましたが、私は福島の海岸と東京の距離感がいまいちよくわかってません。たとえわかっていたとしても、株式市場ってのはパニックになったらヤバイというのは美人投票の逆的な判断なので、暴落は決定的でした。
また、偶然なのですが、家族の結婚式が14日の月曜日に京都で予定されてました。
そこで、京都に前日入りします。日曜日の夜に
「売れるものは全部売って、信用2億近くあるのを5千万円まで落とす」
と決めます。もし落とさなかったとしたらギリギリ追証にかからなかったのですが、これは私の投資法ではしょうがない方法で、
ショックが来たら追証回避を行って損が確定してしまうのです。
家族が用意してくれたホテルに泊まってふと気づきます。
「このホテル、パソコンないやんけ。。。」
100円で10分動くちょっと古めのパソコン を発見します。この京都のホテル、パソコン環境のあるものが周囲には本当にありません。10時には迎えに来るとか言ってました。銘柄が多すぎて発注できないかも。いやな汗が出てきます。
「ほんまにやばいかも。」
とりあえず、7時半くらいにはとにかく、その1台しかないパソコンに座って、ほかの観光客には一切使わせない鬼気迫るオーラを放ち続けてました。
(続く)
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