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3月31日(月)1975年雨のため10時半で仕事はストップ。スーザンが、「これ知ってる?」と、英語のstory bookを持ってきた。な~んだ桃太郎じゃないか。「もちろん知ってるよ。紙芝居を作ってあげようか?」と、ノートに即興で鬼退治のシーンを描いたら、それを見てケラケラ笑い出した。「Thank you.」と、その絵を持って帰ったのだが、しばらくしてBossが来て、「Youたち、あの紙芝居を全部作ってくれるかね?」と訊かれた。そのくらいは何とかなるだろう。引き受けたのはtetywestなので、紙芝居の材料を買いにEscondidoまでBossに乗せて行ってもらう。ポスターボードを15枚とクレヨンを買った。全部で2$71¢。クレヨンは64色もあって1$24¢と安い。買い物に行っている間に2人は部屋をきれいに掃除してくれていた。「Dadが、『これを使うといい』と言ったよ」と、スーザンが6色セットのサインペンを持ってきたのでギターの弾き方を教えていたら、やがてミセスが夕食だと呼びに来た。「6時から、UCLAとケンタッキーのBasket ball gameがあるから、見に来るといい」と招待されたので、夕食後にBossの家に行く。そのゲームは、全米大学選手権のチャンピオン・ゲームで、ミセスの熱狂ぶりはすごかった。3年分のUCLAの記事をストックしてあるそうだ。UCLAがそんなに強いチームだったとは全然知らなかった。アンクル夫妻と、Wilson夫妻も招待されていた。それにアンクルの娘のサリーも。サリーは可愛い。試合は84対77でUCLAが勝った。今はもう11時15分。今日は全然疲れていないし、free timeが取れるのは嬉しい。Bossのファミリーもとても感じがいいし・・・・やっと3月が終わる。しかし振り返ってみると早かったなというのが実感。
2005年03月31日
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3月30日(日)1975年イースター・サンディ。しかし、それが何なのか今日始めて知った。8時起床。Bossの家へ外出許可をもらいに行ったら、「まあ入りなさい。」と家に招待された。子供たちが庭に卵を隠してあるから、それを見つけろと言う。tetywestは17個発見して、そのうち卵は6個だった。卵はゆで卵で、殻を赤や黄色に塗ってある。「イースター・エッグ」というのだそうだ。あとはチョコレート。その後、バスケットボールをやったり、庭の芝生の上に座ってネーブルを食べたり、ギターを弾いたり、スーザンがフルートを演奏したり、ものすごく賑やかだった。昼はサンドイッチとパンチのlunchをご馳走になった。昼食後、BossにEscondidoへ行きたいと申し出る。外出の口実は、「毎週月曜日の買い物を今日のうちに済ませたい。ちょうどK崎氏の車があるので、彼に連れて行ってもらえばゆっくりと買い物をすることが出来る。帰りはBossに電話をするので迎えに来てください」というものだった。これならBossは「No」とは言えないだろう。しかし、真っ直ぐEscondidoへ行くとは誰も言っていない。w. Lilac road を下ってまず向かったのはOceansideだった。Oceansideは名前の通り太平洋に面している。椰子並木の海岸通りから海に向かって木造の桟橋が突き出ている。桟橋の上には釣りをしている人や女の子もいっぱいいる。一番先端まで歩いて行くと日本に近づいたような気がした。釣りをしているおじさんに話しかける。日本に行ったことがあるのだそうだ。海岸通りのすぐ下は太平洋の波が打ち寄せている。波打ち際に座ってコークを飲んでぼんやりと海を眺めていると、何ともいえない解放感が込み上げてくる。空は雲ひとつない快晴。カリフォルニアの空は本当に青い。フリーウェイの入り口を探すのにちょっとミスコースしたものの、78を通ってEscondidoへ行き、K崎氏の知り合いの家を訪問する。そのファミリーは奥さんが日本人で、娘が2人、Husは白人でricence of driverのofficeに勤めている。娘はハーフとは思えないくらいアメリカンな顔立ちだし、まだ中学生なのに体型が日本人離れしている。初対面なのにとても親切で、再来週の日曜日にバーベキュー・パーティをやるから、ぜひ来なさいと招待を受けた。そのファミリーの家は庭にプールがある。今度はswimming pantsを持ってきなさいと言われた。アメリカへ来てBossのファミリー以外のファミリーを見るのは初めてなので比べてしまうのだが、Boss達よりは子供の躾やライフスタイルが都会的というか、フレキシブルだ。こういうファミリーもGoodだと思う。とにかく、いろいろなことを見て知るのはいいことなのだ。K崎氏は本当によく世話をしてくれる。彼がいなければこんな楽しい一日はとても過ごせなかっただろう。ラモナの実習生は、Bossとの係わりよりは地元に住んでいる日本人との係わりの方が深いようで、このファミリーとのお付き合いも先輩の実習生から引き継いだのだそうだ。Food basketで買い物をして、先週頼んであった「ORANGE SHOW」の写真を受け取る。7$32¢。なかなかよく撮れている。K-マートの店先の公衆電話からBossに電話をかける。しかし何度やっても繋がらない。一体どうすればいいのだろうと途方にくれていたら、K崎氏が、「ここからは市外になるから、直通じゃダメ。ゼロをまわしてオペレーターを呼び出せばいいよ」と教えてくれた。その通りやってみるとオペレーターが出た。番号を言うと、「30¢」と言うので、クォーターとニッケルを入れるとBossに繋がった。やれやれ、ホッ・・・・でも、オペレーターはどうやって30¢だとわかるのだろう?初めての外出はとても素敵だった。なんとなく「これがアメリカなんだ」と、そう思える。そして同時に「tetywestたちは外国人なのだ」ということも・・・明日からはまたしっかり仕事をやらなくては。その辺のけじめは大切なのだ。
2005年03月30日
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3月29日(土)1975年一日中バレンシアranchでつっかえ棒のセットだった。6時までに出来たのは2列だけ。1列が果てしもなく長いのだ。朝10時頃からBossは家族揃ってどこかへ出かけたので、後は3人でやっていた。みんなで仕事をするのはやはり気を遣う。実際の農作業を経験したことがないM森君が一番遅い。しかし、そんなことが気になるようではまだまだ修行が足りないのだ。夜はラモナのK崎氏がやってきて、明日の計画を練った。ディズニーランドは遠すぎてまだ無理という事で、手近のOceansideへ行くことになった。この山の中から出れるのならtetywestはどこでもかまわない。夕食はカレーライスを作った。「半日煮込み法」は大正解だ。夕食を終えても時間がたっぷりあるので、「今から、どこかへ行こう。」ということになった。しかし、外出許可をもらわなくてはならないのにBossは一向に帰ってこない。せっかくのSaturday nightなのに、トランプなんかで時間をつぶすのはもったいないのだ。こんな日は特に外出したいのに・・・・昼にBossのranchの西端にあるニワトリの女の子が馬を連れて歩いていた。この前はミツバチ、今度は馬・・・・彼女は動物の世話が好きなんだろう。M森君と、「高校生が動物の世話をするなんて、日本ではもうほとんどないよな。」「日本じゃ、こういう実際の体験が大事だと思ってないでしょ。」「それに親も、勉強がおろそかになると心配するだろうし。」「でも、やっぱ勉強だけじゃなくて、いろいろ経験させて子供を育てたいね。」という話になった。-------------------------------------------------------------------------2005/03/29開幕5日目の「愛・地球博」に行ってきました。人気のトヨタ館、USA館もばっちり見れました。でも昼からは寒かったです。
2005年03月29日
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3月28日(金)1975年今日はほぼ1日トラクターに乗ってモアの仕事だった。急に気温が下がって、動かない仕事なので寒くて仕方がなくなり、昼からはモモヒキをはいて重装備で仕事をしたらちょうどよかった。1人でトラクターに乗っているのは楽しいものだ。モアの扱いにもようやく慣れて、今日はパイプを1本も折らなかった。しかし、最後に旋回したときBossの家のフェンスにぶつけてしまった。少し傾いたので、あせって直した。夕食はテンプラとお吸い物で純日本風。腹いっぱい食べてしまった。K崎氏から電話だとスティーブが呼びに来て、Bossの家に行く。彼は明日の夜にこっちへ来るそうだ。「K崎氏に、ディズニーランドはまだ無理だと伝えといて」とF島氏に頼んであったのに、K崎氏は明後日はディズニーランドへ行くと思い込んでいる。困ったものだ。今夜はBossもミセスも外出していて、子供たちで留守番をしていた。スティーブの従姉妹が来ていた。スティーブより年上みたいだが、ハッキリ言って美人ではない。カンサスに配属になった徳島のK君から手紙が来た。元気でやっているそうだ。でも、女ッ気が無いのは同様らしい。Bossの家に部屋を与えられて同居生活。食事も一緒に食べている。むこうはBossが白人なので会話は英語ONLYだから、却ってこっちより厳しいだろう。仕事以外では、教会へ行ったり葬式に行ったりしている。農友会の村松氏からも手紙が来た。コピーではなく自筆の手紙だった。仕事とはいえ配属先全部に書くのはご苦労なことだ。「3ヶ月間は農場のことのみに集中しろ」などと書いてある。まあ、無理だろう!!!もっと実習生に手紙を出そう。そうすればいろいろなことがわかるだろうから・・・・1日の経つのは遅いけれど、1週間の経つのは早いものだ。-------------------------------------------------------------------------2005/03/28「国際農業者フォーラム」が名古屋で開催され、tetywestは名古屋へ行きました。この日記に国際農友会のアメリカ駐在員として登場する「本田さん」が、「日本農業の弱点を突く」~アメリカから見た日本農業の弱みとその強化策~という講演をされ、とても有意義なフォーラムでした。
2005年03月28日
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3月27日(木)1975年今、午後8時半なのにあとの2人はもうベッドに入っている。ここはキッチン。みんなの時計が揃って1週間に5分くらいずつ遅れるのはどういう訳だ?昼からずっとモアを使っての仕事だったので楽だった。でも、スプリンクラーのパイプを1本折ったし、立ち上がりのフォーセットバルブを1本曲げてしまった。最初だから仕方がないか・・・モアはトラクターで牽引しながら、トラクターの動力で大きな刃を回転させて草を刈る機械だ。草だけではなく、レモンの枝も粉々になる。しかし、傾斜のきついところでの作業は恐いし、アスファルトにベタベタとタイヤの跡がつくのも気分が悪い。Bossは「教えるより慣れろ」の方針で我々に仕事をさせているようだ。でも、後半は傾斜の急なところはBossがやってくれた。今日はEscondidoへ来て1ヶ月目なので、何か記念になるようなことをやろうと思ったのだが、みんな疲れて寝てしまったので止めにした。Bossとの夜の会話もいつの間にか日本語になり、Englishの勉強もまた1歩遠のいた感がある。腹の調子がよくない。羅府新報によれば、ミツワ石鹸が倒産したらしい。3月25日にサウジアラビアのファイサル国王が甥のムサーイド王子に暗殺された。これからのoilはどうなるのだろうとBossも心配している。本日はこんなところかな・・・今日は昼から3人が別々の仕事だった。3人一緒のときより、1人1人別れた方が気分がらくだ。なぜなら、他の人の仕事の進み具合などを気にせずにマイペースでやれるから。10時間の仕事にももう慣れて、これが当然と思えるようになった。今からExtension Serviceから送ってきた資料を訳そう・・・
2005年03月27日
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3月26日(水)1975年ついにレモンのtoppingが終わった。37エーカー(14.8ha)のレモンranchにまるまる1ヵ月かかった・・・昼休みにExtension ServiceからRoot stockの資料が届いた。メッセージが同封されていて、We are pleased to send you the enclosed information. This service, and other educational services, are available to the people of San Diego County through the cooperation of San Diego County with the University of California and United States Department of Agriculture. Should this information not meet your needs, please communicate with us.dear Sirs: I am sorry, but there are no lists of publications available. They will be in stock around May, as they are being revised. If you need any more information, please feel free to contact us again.Sincerely,C. D. Gustafson Farm Advisor今後も遠慮なく使ってくれという意味なので気分が良かった。夜、BossにRoot stockについて質問に行ったら親切に教えてくれた。それから、ORANGE SHOWの帰り道で話題になった防腐剤は「bipyenyl」だった。話題がアメリカの政治のことになったら、Bossは結構勢い込んで話し始めた。「アメリカはバカなところへいっぱいお金を使ってるのね。何故インドを助ける?that is no use.」「一番バカなのはwelfareよ」「welfareって何です?」「全然働かない人にお金をやったりするでしょ。そしたら、その人たちはもっと働かないよ。」「ああ、福祉ですね。」「それで、自分の首を絞めて赤字になっているのよ。」Bossは働き者なのでtaxを納めるのは国民の義務だと思っているし、自分が払ったtaxを州政府がどのように使うべきかについてもちゃんとした意見を持っている。特に福祉政策にはかなりの不満があるようだ。アメリカと日本の文化の違いについて、Bossは、「日本ではいいお皿をお客さんに出すでしょ。but、アメリカはそうじゃないのね。」と言っていた。昨日ラモナの実習生が卵を90個も持ってきてくれたので、Bossに半分あげたらキウリのピクルスをくれた。Bossやミセスと話していると楽しくて時間が経つのが早い。実習生ハウスへ帰ってきたのは11時を過ぎていて、今は11時半だ。Bossが柑橘のdeseaseの本(カラー写真入り)があると貸してくれたので、これも勉強しよう。何でも吸収するのだ!!
2005年03月26日
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3月25日(火)1975年朝、「雨が降りそうだなぁ」と思っていると、すぐ降ってきた。1時間半我慢してレモンのtoppingをやったのだが、ずぶ濡れになって止めた。休憩していると1時間で雨が止んだので仕事を再開すると、40分でザーと来た。引き上げてくるとまた止む。Bossもこの天気には困ったようで、「shedへ行って、この前運んだドリップパイプにフィルターをつなぐ仕事をやるといいね」と、仕事を変更した。shedへ行っていざ作業を始めようとしたのだが、ドリップパイプの先端の形状が違っていて、長いのと短いのがある。どっちにつないだらいいのかわからないのでBossに訊こうと探し回ったのだが、どこにもいない。結局Mr. Wilsonの家の向こうの小屋まで行って、ようやくBossを見つけた。昼休みに、「夕食はシチューにしよう」と、冷凍肉をノコギリで挽いて、ニンジン、タマネギ、ジャガイモと一緒に深鍋にぶち込んで、水を一杯入れグツグツと煮ておく。電気コンロは火事の心配がないので、長時間煮込むのにはとても便利だ。昼からも雨は降ったり止んだり。レモンのtoppingをした枝をモアをかけるために園内道の中央に集めていたら、またドサッと来て嫌になった。結局、またフィルターをつなぐ作業に逆戻り。6時までで、ちょうどフィルターがなくなった。その間にも雨は降ったり止んだり。仕事が終わって実習生ハウスへ戻ると、シチューはとても美味しそうに出来上がっていた。あとは「ハウス・クリームシチューの素」を入れればOKなのだが、入れなくても十分食べられそうな感じだ。食事を準備する時間はほとんどゼロで、その上美味いのだからかなりhappyだ。午後の仕事中にラモナの実習生が来て卵を置いてあったけど、顔は合わさなかった。ミセスが頼んであった米を買ってきてくれた。「カリフォルニア・ROSE米」というジャポニカ種で、日本の米よりずっと美味い。しかし、今月の予算はとっくにオーバーしてしまったので、これから先が思いやられる。今日は雨に翻ろうされて、一体何をやったのか良くわからない一日だった。仕事の疲れもあまりひどくない。Bossは日本語の「羅府新報」を読んでいて、1日か2日遅れで実習生ハウスへ持ってきてくれる。「羅府」は「ロスアンゼルス」のことで、われわれが入手できる日本の情報は唯一この新聞だけだ。今日読んだ記事によれば、日本では大相撲で貴乃花が優勝した。初優勝だ。
2005年03月25日
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3月24日(月)1975年昨夜F島氏が来て、カレーライスを食べて帰った。みんなが夜更かしをしたので、朝起きたら何と6時20分だった。あせって昨日のカレーをパンに塗りたくって、ミルクと一緒に喉に流し込み、何とかBossが来るより先に車庫の前に整列した。午前中はremoveing stays of lemon。 その後また鎌を使ったweeding。かなり疲れる。でも、これから先は鎌を使ったweedingはあまりやらないのだそうだ。午後はレモンのtopping。午前中の仕事の疲れを癒しながら作業をした。最近みんな疲れが溜まっているようで、少々ボケている。tetywestは昨日も今日も食事中にミルクをこぼすし、今日はweedingの仕事中に穴に落ちて、どこかへ頭をぶつけて痛かった。車から降りるときにも足をぶつけて痛い思いをした。M森君はトースターを落として半分壊してしまった。ちょっとドジが多すぎる。夜、Food Basketへ買出しに行ったときフィルムの現像を頼んだ。今月買い物に使った金はほぼ230$。最初だからいろいろ必要なものがあったにしても、アメリカの物価はどんどん上がっている感じがする。Bossがイチゴを持ってきてくれた。ranchから取ってきたアボカドを棚の上に置いてあったのがいい感じに柔らかくなっていたので一緒に食べた。アボカドはとても美味しかった。これは癖になりそうな味だ。韓国のKim氏から手紙が来た。オレゴンは寒いそうだ。ホスト・ファーマーはとても親切みたい。農友会から「農友会だより」が来て、ようやく在留届の用紙も送られてきた。それに必要事項を記入して提出する準備をする。Bossの子供たちは、普段は質素な服を着ている。スーザンは平気で膝の破れたGパンをはいている。
2005年03月24日
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3月23日(日)1975年今週もSunday workで、w. lilac roadのむこうのアボカドranchの草刈りを8時から昼までやった。アメリカの農業は何でも機械化していると思ったら大間違いで、草刈りには鎌を使う。ただし、日本の鎌とはだいぶ形が違っている。幅8センチ直径50センチくらいの半円形で、てっぺんに50センチくらいの柄がついている。ちょうど馬の鐙(あぶみ)を大きくしたような形、もしくは弓を下向きにして柄をつけた格好をしていて、その弦の部分が刃になっている。日本の鎌は前後に動かして草を刈るが、アメリカの鎌はゴルフスイングをするように左右に振って草を刈る。南カリフォルニアでは冬が雨季で、日本より高温なので3月でも草丈はかなり大きくなっている。しかし、アメリカまで来て鎌で草刈りをするとは夢にも思わなかった。午後はOFF。3人でホットドッグと野菜炒めとミルクの昼食を準備して、テーブルと椅子を実習生ハウスの外へ運び出して野外で食事をする。南カリフォルニアの空は青く、そよ風が心地よく頬をなでる。アメリカへ来て1ヶ月が過ぎたのだ。食事風景を記念にカメラに収める。食後のデザートは、すぐ隣のranchにあるネーブルを取ってきて食べる。「野外の食事」というたったそれだけの非日常的な行為なのだが、とても優雅な気分だ。食後にギターを弾いて歌い、2時から5時まで全員で昼寝をする。サンドラとその友達が5人も来て起こされるまで・・・子供たちに遊んでくれとせがまれて少々閉口した。夕食はカレーライスに挑戦する。深鍋で肉と野菜を炒めて、それに水を入れて煮込むこと2時間半。牛肉はとろけてコンビーフのようになっている。ジャガイモも形がない。そこにルーを入れて、う~ん美味そうなにおい・・・・さあ食べようとしたその時、肝心のご飯を炊いてないことに気がついた。さんざん待ちくたびれて食べたカレーが美味しかったのは今更言うまでもない。Sundayはとても嬉しい。これだけ忙しいと、自由な時間は本当に貴重なのだ。しかし、何をするのか決めかねているうちにどんどん時間が過ぎていく。ウォーリーのbirthday present、プロジェクト、資料集め、Extension Serviceから届いた資料の翻訳、etc.・・・もっともっと自由時間が欲しい・・・と考えているうちに、もう8時を過ぎてしまった。今日はとてものんびりとした一日だった。そして1ヶ月が無事に過ぎたことに感謝している。人生なんて、こんな毎日、毎月の積み重ね・・・・そんなものだろう。最近、Bossにあだ名をつけた。忍者部隊「月光」の「月光」。仕事中に音もなく現れ、消えるから・・・・※忍者部隊「月光」主題歌 空を飛び 風を切り 進み行く忍者 正義の味方 姿は見せずに 現れ消える 弾丸の中もなんのその おお 命を賭け 行くぞ 月光 月光 忍者部隊
2005年03月23日
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3月22日(土)1975年朝起きたら雨が降っていた。仕事がないのは嬉しい。Bossが来て、「youたち、朝のうちにavocadoの講演があるけど聞きたいかね?」「もちろん、行きたいです」Mr. WilsonとBossと実習生3人の5人で出かけたのはFallbrookのPotter Junior High schoolだった。アボカドの講演会は、Agricultural ExtensionとUniversity of CaliforniaとSan Diego Countyの共催で8時半から12時まで行われる。1. WATER USE BY AVOCADO TREES UNDER DRIP IRRIGATION Dr. Albert W. Marsh, Extension Irrigaion & Soil Specialist, UCR2. THE AVOCADO INDUSTRY --- TODAY AND THE FUTURE EXPANSION Dr. Robert C. Rock, Extension Marketing Economist, UCRBREAK3. AVOCADO ECONOMICS AND TAXES James O. Hewitt, Attorney, C.P.A., and Avocado Grower; Hewitt and Shaw Law Offices, San Diego4. AVOCADO ROOT ROT RESERCH PROGRAM 1975 REPORT Dr. George Zentmyer, Plant Pathology, Citrus Research Center, UCR ドリップ灌漑のアボガド木による水使用●ドリップ灌漑の方がずっと経済的である。夏季の潅水では、4年生の樹でスプリンクラーが15ガロン、ドリップが10ガロン。●ドリップ潅漑設備の種類(スライド)●年間使用水量でもドリップ潅水の方が少なくて済む。1970年7月植えのアボカド園で、 1970年 0.9 (エーカーインチ/エーカー/年) 1971年 4.0 1972年 8.2 1973年 14.5 1974年 17.7●1樹当たり第3四半期(7月~9月)の水使用は 1971年 2.9 (ガロン/樹) 36%(年間水量に占める割合) 1972年 8.4 50% 1973年 12.4 42% 1974年 16.0 47%アボガド産業の今日と将来の発展●カリフォルニアのアボカド産業 1965年に収益性が出るようになった。 55年~65年は若干減少~イーブンで推移した。 65年から以後はずっと新植が続いている。 50年をピークとして45年~60年に1つの山がある。●San Diegoのアボカド産業 カリフォルニアの栽培の中心。特に北部が多い。 栽培品種はFuerteと Hass。昔はHassが少なかった。●全米のアボカド産業 74年の生産量 Fuerte 6000万ポンド(27,000トン) Hass 8000万ポンド(36,000トン) カリフォルニア 10700万ポンド(48,150トン) フロリダ 4000万ポンド(18,000トン) キューバからの輸入 500万ポンド(2,250トン)●農家の収益 約40¢~30¢/ポンド (275円~207円/kg ※1$=310円) 1970年 20¢/ポンド (138円) 1971年 45¢/ポンド (310円) 1972年 25¢/ポンド (172円) 1973年 40¢/ポンド (275円)●カリフォルニアの栽培面積は80年までには30,000エーカー(12,00ha)を軽く越える。 生産量は1億5000万ポンド(67,500トン)。●品種構成と特性 1973年 1977年BACON & ZUTANO 10.3 20.4(百万ポンド)(12月までに収穫・耐寒性強い)FUERTE 43.8 40.0(12~4月収穫) HASS 40.8 76.1(3~10月)その他の品種 12.0 12.7---------------------------------------------------------------------合計 106.9 149.2市場にはHASSが3月から9月に出荷され、後の期間をFUERTEで埋めている。●生産面での問題 収益率を高める 面積当たり生産量を高める 限られた適地とハイコスト 根ぐされ病●需要面での問題 嗜好性 秩序あるマーケティング。国内産と外国産 産業としての宣伝 フロリダや外国との競争 U.S.ビジネスとなりうるか?●農家の収益性 収穫量・価格・荷造り経費・コストが関わる。 エーカー当たり収量は1973年で FUERTE 4000ポンド/エーカー (450kg/10a) HASS 7~8000ポンド/エーカー (787kg~900kg/10a) 損益分岐点は25¢/ポンド 3分の1の農家はエーカー当たり500$以下で赤字 3分の1の農家はエーカー当たり500~2500$でトントン 3分の1の農家はエーカー当たり2500$以上で儲かっているのが現状アボガドの経済性と税金●AVOCADOのcostについての資料あり。●San Diegoでは水代のコストが高い。 45¢/ポンドだと30%の利益がある。エーカー当たりだと1,000$(31万円)。 74年産は所得が減った。アボガドの根腐れ病の研究●台木による根腐れ病の抵抗性(UCRのポット栽培試験) DUKE6 100 DUKE7 100 DUKE PARENT 100 FUERTE/DUKE6 95 G22 90 HASS/DUKE6 80 SCOTT 70 TOPATOPA 20 (healthy%)●FALLBROOK台木による根腐れ病の抵抗性(FALLBROOKの現地栽培試験) DUKE6 100 0 DUKE7 94 0.06 G22 94 0.06 HASS/DUKE6 68 0.58 HASS/TOPATOPA 30 (healthy%) 2.85 (ave. stage desease)●殺菌剤の効果 健全な割合 Terrazole 20ppm 64% Dexon 20ppm 74% 両方の混用 76% 対照区 22% ETHAZOL (terrazole Truban)濃度差による効果 健全な割合 5ppm 80% 15ppm 82%●根腐れ菌と温度との関係 9~21℃(70~80°F)でよく育つ。33℃では死ぬ。 土壌湿度が重要な要因一昨日の「ORANGE SHOW」でも講演していたDr. Robert C. Rockがまた講演したが、この人が一番わかりやすかった。昼からは晴れたので、topping of lemon。今日のところは徒長枝がビュービューと伸びているので疲れた。鋏が切れなくなるし、ついに鋏の刃を止めてあるボルトがねじ切れてしまった。夕方、Extension Serviceから依頼してあった資料が届いた。しかし、frost protection以外はほとんどひどい資料だった。「家庭園芸の接木の方法」だって・・・いい加減にしろ!!夜はBossの家に行って、今日の講演の復習や資料のことを教えてもらう。Bossは昔Experiment Station(試験場)にいたので、そういうことにはとても詳しい。だから、わからないことはBossに聞けばいいのだ。今日はBossの機嫌が良かったのか、ワインとケーキが出た。Bossが、「これは高いワインね」と言っていた。電話がかかってきたとき、電話に出たミセスは大声で楽しそうに笑う。日本ではあんなに大声で笑うと、はしたないと思われるだろう。電話の応対一つとってみても日米の文化の違いを感じる。Bossとの話題もそちらへ進展して、特に農家の相続の違いについての話をした。アメリカでは親が子供に農業を継がせる場合でも、子供が親から農場を買うのだ。親はその金で老後を暮らすので子供の世話にはならない。Bossは長男のスティーブをExperiment Stationへ入れたいみたいだ。11時半に実習生ハウスへ引き上げる。
2005年03月22日
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3月21日(金)1975年今日から10時間も働いた。午前中はトラクターに乗ってモアをかける仕事だったのだが、一日で下着のシャツまで埃だらけになった。午後はpruning of lemon & navel orange。ずっと気分がよいところで、夜はM森君と将棋をして負けた。農友会は一体どうなっているのだろう?Mr. Munemitsuが、「農友会はどうなっているの?」と訊くので、「サンフランシスコではまだ契約書にサインをしていません。」と答えた。IFAは今月と来月の実習生からの納入金を155$にするのだそうだ。通常なら毎月381.15$ずつ納めなければならないはずなのに、何かおかしい。羽田で見送ってくれた同級生のF家君と、大学のゼミのS水先生から手紙が来た。S水先生は、土産話をもって遊びに来いとのこと。日本からの手紙は嬉しいものだ。昨夜洗濯をしたのだが、靴下などはもう汚れが落ちない。明日も10時間の仕事だ。そういえば、今日はドリップパイプの収納で息が上がってしまった。こうして日記を書いていても、今日のことですら半分以上忘れている。毎日が過ぎてゆくのは早いものだということだけは実感できるのだが・・・
2005年03月21日
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3月20日(木)1975年San Bernardinoの「ORANGE SHOW」に連れて行ってもらった。Riversideから少し北にある会場に着くと、入り口で黄色いリボンを渡してくれて、胸にピンで留める。CITRUS GROWER---------------60THNATIONALORANGESHOW---------------SAN BERNARDINOCALIFORNIAMARCH 13-231975と書いてあった。開催期間が長いのになぜ今日なのかというと、今日だけが「CITRUS INSTITUTE DAY」で、いろいろな研究発表が行われるからだ。講演が始まったのは9時からだった。EFFICIENT USE OF FERTILIZERS Dr. W. W. Jones, Horticulturist, UCR(効果的な施肥法)THRIPS CONTROL AND ITS IMPACT Dr. William H. Ewart, Entomologist, UCRON NON-TARGET INSECTS(スリップ防除とその非目標昆虫への影響)CITRUS PEST CONTROL FROM THE Mr. Rusty West, General Manager, RussellPEST CONTROL OPERATOR'S POINT Chemical and James West Co., Pomona OF VIEW(害虫防除・オペレーターの視点から見た柑橘類害虫防除)Coffee, Orange Juice Break(provided by the Orange Show)CITRUS STUBBORN DISEASE Dr. E. C. Calavan, Plant Pathologist, UCR(柑橘のスタボーン病)NEW INSECT PEST THREATS TO Mr. Len Foote, Program Superviser, Control THE CITRUS INDUSTRY and Education, Calif. Dept. of Food and (柑橘産業の新しい昆虫害の脅威) Agriculture, Sacramento THE USE OF FOOD REGULATIONS Mr. R. C. Bruner, President, Industry AND PESTICIDE TOLERANCES AS Committee on Citrus Additives and RESTRICTIVE TRADE BARRIERS Pesticide, Inc., Claremont(食物規則の使用と制限的な貿易障壁としての農薬耐性)FIVE-YEAR PROJECTION OF Dr. R. C. Rock, Extention Economist, ACREAGE AND PRODUCTION IN AES, UCRARIZONA AND CALIFORNIA(アリゾナとカリフォルニアの面積と生産量の5年の予測)昼休みは1時間で、Bossが昼食をおごってくれた。午後の部は1時から始まる。THE CHALLENGE FOR FRAMES Mr. O. W. Fillerup, Executive Vice President, TODAY Council of California Growers, San Mateo(今日的機構のための挑戦)NEW HORIZONS IN CITRUS RESEARCH Dr. Lowell N. Lewis, Associate Dean for(柑橘研究の新しい地平線) Reseach, College of Natural and Agricuktural Scieces, UCRA LOOK AHEAD IN PRODUCE Mr. John Powell, President, Pure Gold, Inc.,MARKETING Redlands(生産物マーケティングの先読み)とても勉強になる講演なのだが、英語の聞き取りがnot goodなので非常に疲れた。スライドを使った説明はずっと意味が理解しやすかった。しかし、みんながどっと笑うときに自分だけ笑えないのは辛いものだ。講演したのは主にUCRの教授だった。Bossが、citrusの研究ではUCRが一番優れていると教えてくれた。講演の中で、「ヘリカップ」という単語が何度も出てくるのでBossに訊いたら「ヘリコプター」のことだった。ORANGE SHOWの会場は広い公園で、メインパビリオンの中には、いろいろな柑橘の展示がある。「NO1 AGURICULTURAL COUNTY FRENO COUNTY」とか「RECREATIONAL RAINBOW LAND ORANGE COUNTY」とか「EVERYTHING'S COOKING IN STANISLAUS COUNTY」などの大きなディスプレイ装置を作り、その上にいかにも美味しそうにたくさんのオレンジ類を並べてある。ネーブル、バレンシア、グレープフルーツ、レモン、ライム、タンジェリン・・・生け花のコーナーもあって、ランやシンビジウムを花瓶に生けてある。背の高い花瓶にいろいろな花を束にして挿してあるだけで、日本的な生け方ではなかった。屋外にはホットドッグの屋台や風船売りの店が並んでいて、お祭り気分を盛り上げている。女子高生のチアリーディング・コンテストが開催されていて、生のブラスバンドの演奏に合わせて30人くらいがミニスカート姿で踊っている。全員がロングヘアーで、踊っている間は笑顔をキープし続けている。これだけ大勢の女性を見たのはアメリカへ来て初めてだったので、みんな魅力的に見えてしまった。会場の中を背丈が4mもある西部劇のガンマンが歩き回っている。「一緒に写真を撮ってもいい?」と頼んだらOK。竹馬のようなものだと思うのだが、手を使わないで乗るのはさぞ難しいだろう。古いエンジン式のノコギリが展示してあって、実際に丸太を挽いている。池や木陰やベンチもあってのんびりとした気分に浸れる。とにかくアメリカはスペースが広い。帰りの車の中でBossが、「日本へorangeを輸出するとき、腐らないようにする薬を紙にしみこませたのを使うのね」と言っていたのはおもしろいと思った。アメリカの農家は政府が価格政策に関与しないことを望んでいるというのも興味深い。Bossのranchはあと5年間interestを払わなければいけないのだそうだ。pesticide(殺虫剤)のことはプロジェクトでやってもいいと思うし、いろいろな意味で有意義な一日だった。帰る途中、BossがSun Cityの395号線の脇にあるカフェでコーヒーをご馳走してくれた。
2005年03月20日
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3月19日(水)1975年仕事の疲れは足にくる。だからソファーに横になっていると楽なのだ。今日もremoveing stays of navel orange & pruning of navel orange.今日はBossの機嫌が少し悪かったようだが、気にしないことにする。「洗濯をちゃんとした方がいいのね。」と言われた。洗濯機がないのでどうしても面倒くさい。いつの時代のことを言っているのか知らないが、「日本では川で洗濯するでしょ。」だって。午後8時15分。ずいぶんゆっくりしている。明日は「ORANGE SHOW」に連れて行ってくれるのでDAY OFF。やっぱりOFFの前日は気分がいい。今夜はみんなで何か話しているとか、やっているのではなく、一人一人が好きなことをやっている。tetywestは今までギターを弾いていたし、A山君はシャワーに最後に入って、今TVのところでギターを触っている。こういう風に自分の時間が持てるのもいいことなのだ。いつの間にか3週間経ってしまったけれど、振り返ればあっという間だった。何事もなく平凡なのはいいことだ。一生懸命やることの充実感は素晴らしい。しかし、やりたいことをやり遂げるためには、よほどしっかりした意志を持っていないと途中で挫折してしまいそうだ。プロジェクトにしても英会話にしても・・・・明日が楽しみだ。
2005年03月19日
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3月18日(火)1975年今日の仕事はレモンのtoppingだけではなく、ネーブルの「つっかえ棒」を外す仕事とネーブルのプルーニングだった。Bossはつっかえ棒のことを「柄(tsuka)」と言う。tsukaは長さ2mの角材で、先端に「S」字型の太い針金がついている。針金に枝を乗せて、果実の重みで枝が折れるのを防ぐのだ。Bossのネーブルranchは日本では考えられないくらいたくさんの果実が成っている。このtsukaを外して、10本ぐらいを抱えてピックアップに積み込む。ピックアップが一杯になったらshed(納屋)まで運んで積み上げる。ネーブルのプルーニングはトラクターが通る邪魔になる枝だけを切る。ネーブルの樹高は5mくらいある。木の下には落果したネーブルがたくさん転がっている。今日はこれ幸いとネーブルやタンジェロを仕事中にいっぱい食べた。3月まで樹に成らしてあるネーブルは本当に美味しかった。ネーブルの皮が手で剥けるのにはビックリした。しかし、食べ過ぎて腹の調子がおかしくなって屁がいっぱい出た。昼からは腹が痛かった。ラモナのF島氏が夕方やってきて、コーラを差し入れてくれたので夕食をご馳走した。F島氏はK崎氏と一緒に住んでいるのだが、早くも二人の対立が始まっているそうだ。実習生の配属は農友会が決めるのだから、お互い気に入った相手同士になるとは限らない。共同生活は難しいものだと覚悟はしているつもりだが、ここでも対立だけはしないように心がけなくてはいけない。負担が1人に集中しないように全員の気配りが必要なのだ。tetywestは最年長(?)だし、その辺をしっかり自覚しなければいけないのだろうが、まだまだ役不足の感は否めない。しかしここで1年間うまくゆけば、人生の大きなプラスになることは間違いないのだ。最近、会う人ごとに、「色が黒くなったなぁ」と言われる。南カリフォルニアの太陽は冬でもきついのだ。ネーブルranchの西の端で、ミツバチの世話をしている年頃の(高校生だろうな・・・)女の子を発見。話しかけたらうまくいった。最後は、「See you soon.」なので、この次からが少々楽しみだ。せっかくアメリカへ来ているのだから、いろんな人と知り合わなくては・・・
2005年03月18日
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3月17日(月)1975年暑い1日だった。相変わらずレモンのtopping。tetywestたちが仕事をしている少し先で、サンキストのパッキングハウスに雇われているメキシカンのグループがレモンを収穫している。大きくなったレモンだけ収穫するので、小さなレモンはtoppingする枝にも残ったままだ。仕事中に直径5.5センチ位のステンレス製のリングを拾った。メキシカンはそのサイズより大きいのを収穫するようだ。メキシカンとはかなり離れているので仕事中に交流することはない。しかし、野グソには参ってしまう。強烈に臭う。それもいたるところにあるのだ。奴らは自分たちが収穫する前へは絶対にしないで、後ろの方へばかり野グソをする。夕方、レモンのranchでお化けみたいな、トカゲみたいな、カメレオンみたいな生き物を発見した。最初レモンの枯れ葉かと思ったのだが、ゴソゴソ動いた。こげ茶色と黒のまだら模様で、10センチくらいの長さで、背筋や頭にトゲトゲがある。まるでウルトラマンに出てくる怪獣みたいだ。動きがゆっくりしているのも不気味だった。毒をもっているヤツは動作が緩慢なのが多いのだ。おそるおそるレモンの枝で木の箱に追い込んで実習生ハウスへ持って帰り、買い物に行くときにBossに見てもらった。「こんなものがいたんですけど、毒をもってますか?」「あ~、それはホーントね。毒は持ってないね。子供がおもちゃにして遊ぶものよ」「これの名前、『本当』???」「ホーントッド。H-O-R-N T-O-A-D。」「それはまだ小さいヤツね。大きくなるとmay be8インチlongぐらいになるね。怒ると頭のhornから血を噴くよ。」鉛筆の先で突いて怒らせたのだが、まだ子供だからか血を噴かなかった。※Horn Toadの写真は下のURLにあります。http://www.senorcafe.com/archives/000018.htmlついでに、Bossに確かめておくことがあった。「ここにはガラガラ蛇がいますか?」Bossはちょっと答えに困ったような顔をして、「ラトルスネイク・・・あまりいないのね。インディオにはたくさんいるよ。」全面否定ではない・・・・ということは・・・いるのだ。「ガラガラ蛇のほかに毒のあるものがいますか?」「may beサソリ、・・・タランチュラ・・・but、毒はそんなに強くないから死なないね。」「ガラガラ蛇は噛まれたら死にますか?」「病院で注射をすれば死なないよ」何だか、恐い生き物がうじゃうじゃいそうで不安になる。Food Basketではレジに例の女の子を発見して、その列に並ぶ。ニッコリ笑って、「ハーイ」と言っていた。今週の買い物は44.82$で、このペースなら何とかなるだろう。しかし、そのうちタバコ代が7.40$もある。昨日、F浪君がノートを持ってきたので、エスコンデッドの3人のノートをBossに頼んでK沢君に郵送してもらった。サンフランシスコで果樹班全員がA4サイズのノートを買って、2週間おきにまわそうと決めたのだ。書く内容は自由なので、今回は農場やBossの家族の紹介を書いた。今日は腰が痛いので少し早めによく眠ろう。今週は始まったばかりなのだ!!
2005年03月17日
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3月16日(日)1975年昨日に引き続きレモンのtopping。昼までやったところで、Riversideの連中がやってきた。F浪君、H林君、そしてもう1人。真っ赤なDUTSUNのpickupに乗って・・・Bossに頼んで半日OFFにしてもらい、お互いの実習生活の情報交換をする。もう1人はブラジルからの実習生で、Mitsu君だった。Mitsu君は日系2世で日本語を話す。リバーサイドは日本とブラジルの実習生が2人ずつ4人の共同生活だった。実習生ハウスは街に近いところにあって、毎晩15歳~20歳までの女の子が日替わりで遊びに来るのだそうだ。何と羨ましい!!!エスコンディッドで今までに見た年頃の女性は、スーパーマーケットのレジの女の子だけだというのに・・・「そっちはどんな仕事をやってる?」「毎日イリゲーションのチェックさ。Bossんちのranchだけじゃないぜ、よそのranchも請け負ってるのさ。」「それで、朝Bossが『Youら、ここへ行くね。』と案内して連れていくら、後は全部おれっちだけで仕事さ。たまに見回りに来るけどな。」「やっぱり、スプリンクラーをチェックするの?」「いいや、リバーサイドは全部dichよ。ミカンの木の間に溝を掘ってあって、そこに直接水を流して行くんだけど、一杯したら次の溝に水を流すのさ。」「へ~、エスコンは全部スプリンクラーだよ。Bossはそれでも水代がもったいないからドリップに変えるって言ってる。dichじゃさぞ水代が高いだろうに・・・」「リバーサイドは水代は安いもんよ。カリフォルニア・ウォーター・プロジェクトの水じゃなくて、近くにダムがあって、そこから水を引いてるのさ。だからカリフォルニアでも有数の柑橘産地になったんだそうだよ。」同じ南カリフォルニアでも、イリゲーションの方法が違うというのは新たな発見だった。「柑橘の品種は?」「バレンシアが一番多いな。それとグレープフルーツだな。最近は果肉の赤いルビーが人気があって増えているそうだけど。ネーブルも少しあるかな。」そのうちに、養鶏の実習生の陣中見舞いに回っていたK崎氏が卵を持ってやって来た。お返しはタンジェロ。メンバーが増えたので話が盛り上がって、「もし2週間後の日曜日がDAY OFFなら、K崎氏の車でディズニーランドへ行こう。そして土曜日の夜から出発してリバーサイドで1泊しよう」ということになった。みんなは4時前に帰っていった。Bossの家族も全員でどこかへ出かけていた。今週は休みが多かった上に今日はこちらの都合で休みをもらったので、4時からA山君とレモンのtoppingをやりに行った。1時間20分で園内道の左側をやってしまった。M森君は本日風邪気味だった。夜8時20分から4チャンネルで「刑事コロンボ」をやっている。こっちで今放送された分は、帰った頃に日本で放送されるはずだ。「その時は筋書きを知っているから周りの人を驚かせることが出来るぞ。」と、TVに集中する。しかしストーリー展開が会話ばっかりで、それも早口なので内容はさっぱりわからない。養鶏の場合は業種が違うからと自分を納得させたのだが、同じ果樹班のリバーサイドが車を持っているのはかなり羨ましかった。しかし他の連中を羨んでもしょうがないのだ。「わが道を行く」なのだ。このところ睡眠時間が4時間、5時間、6時間なので、今日はもう寝よう。
2005年03月16日
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3月15日(土)1975年今日も1日レモンのtopping。K口先輩は午前中にサンフランシスコへ出発したようで、昼休みにはいなくなっていた。ファイナル・トリップは15日間というわけだ。仕事の終わりにBossが、「今週はよく休んだから、maybe、youたち明日は仕事をするかね?」と言うので、サンデー・ワークをすることになった。ところが夜、ラモナのK崎氏が来て、「明日一緒にどこかへ行かない?」とお誘いがあった。残念だが仕方がない!「それなら、今からウィンチェスターへ行くから一緒に行こう」と言うので、Bossに外出許可をもらいにいったらOKが出た。K崎氏にしてみれば、ウィンチェスターへ行くのは今回が初めてなので1人では心細かったのだろう。K崎氏から大まかなコースと目印を聞いて、tetywestが助手席に座ってナビゲーターをやる。実習生ハウスを出発したのは午後9時10分だった。395号線を北上して「Hemet」への標識があるところを右折し、79号線に入る。しばらくすると「Winchester」の標識があり、それを越えてすぐのところで左折。ウインドレスの鶏舎が並んでいる。実習生ハウスから約40マイルの距離だったのだが、ここまで一回もミスコースせずにたどり着いた。「土地勘」はアメリカでも通用するらしい。鶏舎以外ほとんど何もない暗くて寂しいところだ。鶏舎の隣は広場になっていてトレーラーハウスが5~6台並んでいる。ここで最後にK崎氏がミスコースをした。トレーラーハウスのドアをノックして、「Are you Japanese trainee?」と訊いたら、どこの言葉かわからないのが「○×▼#◇□#ж・・・」と返って来た。あわてて、「Oh! I'm sorry.」と、隣のトレーラーハウスをノック。今度は正解だった。T橋氏は狭いトレーラーハウスに1人で住んでいた。明日になればもう少し大きいのに移るのだそうだ。このトレーラーハウスに比べたらtetywestたちの実習生ハウスは「御殿」だ。「このあたりはガラガラ蛇がいっぱいいるんだよ」と聞かされて、なおさらエスコンディッドでよかったと思った。「ガラガラ蛇がなぜガラガラ言うか知ってる?」T橋氏に聞かれたのだが、誰も知らない。「ガラガラ蛇は1年に1回脱皮するのさ。それで、尻尾のところだけその皮が残って、そいつが鈴みたいにガラガラと鳴るわけよ。ガラガラというより実際はズズズズズ・・・という音かな」一同、「へ~」「実物見るかい?」それはもう全員興味津々。しかし、ちょっと恐い。T橋氏は我々をトレーラーの外に案内して、広場を囲ってある柵の上を指差す。「ほら、あれ」「どこ、どこ?」tetywestはてっきり生きている蛇だと思っていたのだが、そこにはガラガラ蛇の尻尾だけがぶら下がっていた。何と鈴が6個もついている。振ってみると確かに「ズズズズズ・・・」という音がした。「こいつは昨日殺したやつ。今までで一番大きかったよ」「・・・・」結局、T橋氏もtetywestたちの実習生ハウスへ来て泊まることになり、11時ちょっと前にウィンチェスターを出発した。K崎氏はコロナ・オートマチック。T橋氏はフォード5000。養鶏の実習生はみんな自由に使える車があるのはうらやましい。うらやましがっても仕方がないのだが・・・ともあれ、初めての夜の外出はとてもおもしろかった。
2005年03月15日
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3月14日(金)1975年10時までは雨が降ったり止んだりしていたのだけれど、その後はずっと晴れだった。今日も1日レモンのtopping。半分眠りながら仕事をした。午後からの後半は特にきつかった。刃は折れなかったものの、今度は刃が切れなくなって、足と腰がとても疲れた。5時ちょっと前にS口先輩とK藤先輩がBossの家に来て、7時頃サンフランシスコへ向かうバスに乗るためにボスがオーシャンサイドへ送っていった。K口先輩だけが残ってBossの子供たちと遊んでいた。夕食後、tetywestたちもBossの家に行って、カードのハートゲームを21回やった。K口先輩とミセスが一番負けて、一番勝ったのはtetywestだった。ゲームの後でカードを使ったマジックを披露したら結構うけたので、やり方を教えてあげたら喜んでいた。K口先輩を見ていると、本当にBossの家庭に溶け込んでいる。1年後にはtetywestもそうなりたいものだ。スーザンが4Hクラブの服のデザインでブルーリボンとパープルリボンと何かのメダルを受賞したので、ミセスは明日もどこかへ連れて行くのだそうだ。そのうちサクラメントへも授賞式に行くのだと言っていた。ウォーリーは夜遅く帰ってきた。クラブ活動をやっていたそうだ。暗くなってからBossの家を訪問したとき、日本の家の居間と雰囲気が全く違っていたことが印象に残っている。その雰囲気の違いとは照明の違いだった。日本では部屋の天井に蛍光灯があって部屋全体を明るくするのだが、Bossの家の居間は暗かった。天井に蛍光灯はなく、居間の3ケ所くらいに、たとえばロッキングチェアーの横とか、写真を飾ってあるサイドボードの上などに電気スタンドが置いてある。だからよっぽど視力に自信がある人でなければ部屋の真ん中で文庫本サイズの活字を読むことは出来なかった。このような照明方法がアメリカの家庭で一般的なのかどうかは知る由もないのだが、部屋が暗い方が夜や闇との一体感が生まれるし、ゆったりとした気分になるのは確かだ。このところ睡眠不足なのだが、明日は土曜日だし何とかなるだろう。
2005年03月14日
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3月13日(木)1975年今、午前1時。外は雨が降っている。ここでは「悲しき雨音」どころではない「嬉しき雨音」なのだ。今日もレモンのtoppingを1日中やった。首が疲れたけど、昨日ほどではなかった。レモンの台木は「Macrophylla」だそうだ。Bossに綴りも教えてもらう。topping作業中に長い柄の先端の鋏の刃が4回も折れた。太い徒長枝がたくさんあるからなのだが、最後にはBossから「よく壊れるね。」と半ば呆れたような口調で言われてしまった。折れたと報告するたびにBossがどこかへピックアップで出かけて買って来る。その間30分以上かかる。M森君が、「何で余分に買ってストックしとかないのかな?買って来る時間を考えたらどっちが無駄が多いかわかりそうなものなのに。」と不思議がっていた。ファイナルトリップ中のK口先輩がやって来た。夕食が済んで、7時からBossの家に出かけて11時半までいた。Bossの家族は先輩を大歓迎して、tetywestたちも刺身をご馳走になった。それからスコッチも。Bossの話ではアメリカのウィスキーはバーボンで、「ワイルドターキー」という銘柄が有名らしい。K口先輩はそれを買って帰ると言っていた。それから、土産に大きな牛の角を買ったので、どうしたら日本に送れるかと訊いていた。半分に切れば郵送できるのだそうだ。実習生ハウスに帰ってK口先輩とギターを弾いたり話をしていたのだが、タバコの吸いすぎか、眠いからか声が出なくなった。K口先輩の出身は静岡県だそうだ。1年間いるといろいろなことがあるらしい。雨が降るのも4月までで、10月までの半年間は全く降らないそうだ。せいぜい今のうちにこの音を聞いておかなくては・・・・
2005年03月13日
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3月12日(水)1975年久しぶりに晴れて、仕事がきつかった。仕事はプルーニングとtopping。toppingはずっと上を向いての作業なので首が疲れる。4時を過ぎた頃から「早く5時にならないものか」と、時計が気になって仕方がなかった。夕食は焼き魚と味噌汁とポテトサラダとベジタブルとご飯と佃煮で非常に美味い。Bossに言わせると、「ポテトサラダはおかしいのね。それはmashed potatoesね。」なのだが・・・・夕食後、ラモナの実習生のK崎氏が卵を差し入れに来てくれたので、アボカドとグレープフルーツとタンジェロとレモンを差し上げた。もちろんBossに内緒でranchへ取りに行った。夜はM森君と長~い将棋を指して、勝った。その後、お互いに問題を出し合ってEnglishの単語を覚える。やっぱり、使わないとかなり忘れている。M森君は千葉大園芸学部3年生で、1年間休学して実習に来ている。農友会が行った2次募集で参加したために、お互いに渡米前研修が初対面だった。tetywestより一つ年下で、初対面の印象は「理屈っぽいヤツ」だった。むこうもtetywestのことをそう思っていたそうだ。同じ農家に配属されると決まるまではあまり話もしたことがなかったのだが、共同生活をするとなるとそういうわけにはいかない。部活はスキーをやっていること、専攻は気象学なのでプロジェクトは「フロスト・プロテクション」をやろうと思っていること、リバーサイドのF浪君とは近所だということ、卒業したら農業をやろうと思っていること、etc. etc. いろいろな話をする。なかなか考え方がしっかりしていると感心させられる。A山君は夏の研修から一緒に行動していたので、だいたいのことはわかっている。年齢はM森君と同じでtetywestより一つ下、農業短大を卒業してミカンを栽培している。M森君と比べると格段に「おとなしい」性格だ。明日もtoppingをやるなら絶対疲れるのを覚悟しておかなければならないだろう。1日もつだろうか・・・本当に仕事疲れの1日だった。これからもこんな生活が続くのだ!!計算してみたら、睡眠に8時間、食事やシャワーや洗濯や仕事の準備などに4時間、仕事が9時間だとフリータイムはたった3時間しか残らないのだ。貴重な時間なのだから、大切にして頑張らなくては・・・・プロジェクトも少しは・・・・
2005年03月12日
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3月11日(火)1975年今日も作業服に着替えたら雨が降り出して、DAY OFF。午前中は資料の整理をして、Extension serviceへ資料を送ってくれるようにletterを書いた。Dear Sir.We are young farm trainees from Japan, studying about citrus industry.We are informed that we can get some printed information materiales from your office.So if you can send us some catalogs about "plant growth regulation and weed control" "frost protection", we are sure we can studying more details.thank you.手紙を書きながらケーキを焼いた。と言っても冷凍パックをオーブンに入れるだけなので簡単。しかし甘すぎる味だった。オーシャンサイドに着いてBossに昼食をご馳走になったときのデザートのケーキも同じように甘かった。アメリカ人は何故こんなに砂糖たっぷりの甘いケーキが好きなんだろう?実習を通して取り組むプロジェクトの課題もある程度決めた。●root stock の種類による柑橘の品質差●除草剤のコストと抑草期間について●ジベレリンと2・4-D●柑橘園開園に関する経済性●プルーニング●流通の仕組み、特にサンキストについて昼から晴れたので仕事をする用意をしていたら、突然雹(ひょう)が降ってきてびっくりした。すぐ止んだのだが、ビー玉くらいの大きさだった。おかしな天気だ。部屋の中に灰色と黒の縞模様の猫がいる。実習生ハウスに昨日から来るようになった。居心地がいいのか、一日中居座っている。ソファーで寝転がっていると一緒に寝ている。夕食はテンプラを作って腹いっぱい食べた。食後の散歩に出かけて、一つ山を越えたむこうのてっぺんの岩山まで歩いて行った。そこからの眺めは雄大なアメリカそのものだった。夕陽がはるかむこうの太平洋へ沈んでいく。夕陽を見ながら「日本では今頃午前10時40分なのか・・・M子は何をしているのかなぁ・・・」などと考えていた。アメリカへ着いてもう2週間が過ぎたなんて信じられないくらい時間が早く過ぎていく。こんな調子で1年が終わるのだろう。明日からは晴れが続くそうだから仕事をしなければ・・・あまりに暇すぎるのも考えものだ。
2005年03月11日
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3月10日(月)1975年朝5時半に起きると外は真っ暗で、7時にようやく薄明くなる。日本の感覚では2時間ずれている。その代わり夜は8時まで明るい。これは「サマータイム」だからなのだが、本当はイースター(春分の日の後の最初の満月の次の日曜日、普通は4月の第1日曜日)からサマータイムが始まる。しかし、1975年はオイルショックの影響をもろに受けてアメリカでは年初めから10ヶ月間ずっと冬も夏も関係なく「サマータイム」をやっているのだ。サマータイムにすると5時に仕事が終わってから夜までずっと明るいのでエネルギーの節約になるのだそうだ。今日も仕事をしたのは1時間半で、後は雨が降ってきたのでOFFだった。昨夜、M森君と2時半頃までいろいろな話をして睡眠不足だったのでちょうどよかった。午前中にBossがやってきて雑談。カメラのことなど・・・しかし仕事の話はしなかった。午後は早めに週一回の買出しに行く。生活用品としてキャメイとラックスの石鹸を10個、マグカップを各自1個ずつ、トイレットペーパーや台所用品なども買ったので、紙袋が6つにもなった。そして待ちくたびれたBossに、「もう少し早く買い物ができないかね」と言われてしまった。来週からはもう少し手早くしなければ・・・今日の出費は53.36$。今月の予算が足りるかどうか心配になってきた。何しろ持参金は105$なのだから・・・夕食はパンと野菜炒めとハンペンのフライみたいなのと、ハム・サラダとミルクだった。この農場は本当に山の中だ。半径1km以内には1軒も隣家がない。窓から見えるのは連続したなだらかな山また山だけ。ちょっと数えてみたら16重に連なっている。どの山もほとんど頂上まで柑橘やアボカドが植わっている。ここへ来た当初は、「アメリカでも傾斜地にミカンを植えているではないか」と不思議に思ったのだが、Bossの話では、傾斜のある方が気流が停滞しないので霜害にあわないのだそうだ。今夜はまた若干風邪気味なので、7時前にベッドに入っている。
2005年03月10日
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3月9日(日)1975年DAY OFF。9時半に起床。洗濯をして食事をしていたらMr. Munemitsuのお父さんがやってきて話をした。Munemitsu氏は一世で、第二次世界大戦より前に高知県からロスアンゼルスへ移住したのだ。当時は日本人だからと土地を持つことを許されず、戦争中は財産を没収されてキャンプに強制収容され、相当苦労をされたのだそうだ。Munemitsu氏の話ではキャンプでの生活はかなり悲惨だったそうだが、そういえばtetywestたちがカレーライスを作って食べているときにBossが、「Youたちカレーライス好きかね。ボクは嫌いね。Becauseその匂いでキャンプを思い出すから。キャンプでは毎日カレーライスだったね。」と話していたのを思い出した。Munemitsu氏は、戦後ガーデングローブで土地を買ってストロベリーを栽培していた。ところが、その土地が宅地開発のために高く売れたのだ。今では事業を全部息子のMr. Munemitsuに譲ってガーデングローブで悠々自適の隠居生活を送っている。Mr. Munemitsuはガーデングローブの土地を売った代わりにサンディエゴに農場を買ったというわけだ。だからこの農場の名前は「Doi Farm」ではなく「Munemitsu Farm」なのだ。Mr. MunemitsuとBossの奥さんは兄妹になる。この農場は実質的にはMr. MunemitsuとBossの共同経営なのだ。一世の話を聞くことは、日本の生活しか知らないtetywestにとってとても新鮮で興味深いものだった。午後はBossのファミリーとバスケットボールをした。tetywestたち3人対Boss、ミセス、スティーブ。バスケットボールゲームはかなりハードで疲れた。それからBossの家でアボカドをもらって食べた。アボカドを食べるのは初めてだったが、わりと美味しかった。何だか「味のない味」だけど・・・・それから、干したデイツ(なつめやし)も食べた。まるでキャンディみたいに甘くて美味しかった。その後カードのハーツで遊んだ。これもやり始めるとおもしろくて、すぐに2時間以上経ってしまった。夕方、Bossたちファミリーは家の周りのweedingをしていたので、tetywestたちも実習生ハウスの周りの草取りをやった。サンドラがやってきて、また少し遊んだ。毎日仕事もせずに遊んでばかりいる感じだ。Bossたちは仕事以外のときは英語で話してくれる。それはtetywestたちにとってとてもusefulなのだ。それだけでも嬉しいのに、アボカドやデイツやコーヒーをご馳走になったりetc. etc. Bossのfamilyは最高!
2005年03月09日
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3月8日(土)1975年朝起きると雨が降っていた。OFFだろうと予想はしたのだが、準備だけは整えて待っているとBossが来て、「今日は休みね。Youたち9時半から子守りしてくれるかね?ランチはスーザンが作るから一緒に食べたらいい。」とのことだった。Gパンでは失礼になるだろうと、スラックスをはいて決めていったのは大きな失敗で、サンドラとシャーリーのお守りだった。2人ともそれはもうはしゃぎまわる。サンドラは傘を見ると喜んで、「外へ連れて行け(Let me go out)」と言うし、ゼスチャーで肩車をしろと言う。シャーリーはシャーリーでもっとかまってくれとしつこいので、くたくたになってしまった。シャーリーとサンドラは双子なのだが、よく喧嘩をする。しかし、どちらも絶対に泣かない。自立心がしっかりしていて、見習わなくてはと思うくらいだ。双子なのに顔も性格もかなり違う。サンドラは少し荒っぽいけど、何でも1人でやろうとするし、細かいところに気がつく。シャーリーは陽気で人付き合いが上手いというか、可愛がられるタイプだ。そのすぐ上のウォーリーは本当なら話し相手には一番おもしろいんじゃないかと思うのだが、人見知りしてあまり話さない。スーザンが何を作ってくれるのだろうと期待したのに、作ってくれた昼食は昨日も食べたメキシコ風春巻きだった。実は昨日の差し入れは3人とも不味いと意見が一致してこっそり捨てたのだが、今日はそうはいかない。アメリカの家庭を見ることは、子供たちの躾の違いだけでも勉強になる。子供たちは、少しくらい怪我をしても卓球やローラースケート、バスケットボール、モーターサイクルなんかで遊ばせるし、親も一緒に楽しんでいる。シャーリーの英語は何となくわかるし、こちらの言っていることもわかってくれる。サンドラは耳が悪いからか、むこうの言っていることもちょっとわかりにくいし、こちらの言葉もうまく聞き取ってくれないみたいだ。2人ともとても雨に濡れたがっていた。考えてみればカリフォルニアの天候では、まだそれほど多くの雨を経験しているわけではないのだ。午後はトランプをしたり、ギターを弾いたりして遊んだ。その頃にはウォーリーも歌に合わせて踊るくらいうちとけていた。久しぶりによく遊んだので気持ちが解放されて、仕事の疲れを忘れてしまう。3時まで子守りをして、その後農場の写真を撮りに行った。明日も日曜でDay offなので、夕食は豪華にステーキ、フィッシュチップス、サラダにワインにスープだった。夜はM森君と将棋と花札をやって、1勝2敗1引き分け。
2005年03月08日
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3月7日(金)1975年一日中レモンのtoppingをやると、肩と腕と指と足がだるくて痛いこと痛いこと。本当に疲れる。しかし午後5時になって仕事から解放されたときの気分はなんともいえない。この解放感は日本ではとても味わえないだろう。それにしても痛い・・・今日は早く寝ることにしよう。明日も明後日もこの仕事がつづくのだろうから。1日9時間労働はきつい。M森君が、「日差しがきつくてお肌が荒れる」と言ってレモンパックをしている。Bossが何かのカードを持ってきて、名前や生年月日を書いた。日本にいたのは、もう遥か昔のような気がする。
2005年03月07日
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3月6日(木)1975年朝から雨が降っていたので、DAY OFFかと思っていたら、昼から晴れた。午後はレモンのtoppingをやっていたら、2時40分頃にまた雨が降り出して、仕事は中止。いつものように5時40分頃起きて、7時前に仕事がないとわかったので、すごく時間があってゆっくりした感じだった。post cardも書いた。午後の休みのとき、Mr. Munemitsuが実習生ハウスへやって来たので、サンキストについて質問する。サンキストはカリフォルニアの一番大きい柑橘出荷組合で、サンキストの他にも出荷組合はある。柑橘農家は組合費を支払って組合員になる。サンキストは地域ごとにパッキング・ハウスを持っていて、それぞれのパッキング・ハウスごとに出荷をしている。BossのところはFallbrookのパッキング・ハウスへ出荷する。オレンジやレモンの収穫はパッキング・ハウスで雇ったメキシカンがやるので、農家は収穫をしない。そのために一軒の農家が大規模な面積を栽培することが出来る。カリフォルニアでは「マーケティング・オーダー」という制度があって、一週間の出荷量はあらかじめ決められている。それで、メキシカンも半日しか収穫しない日もある。メキシカンの収穫賃金は「ピースワーク」制度で時間給は1$程度と安いが、収穫量に応じて賃金に差ができる。いかにも実力主義のアメリカらしい合理的な制度だ。Mr. Munemitsuは、「3人が仲良くやることね」と言って帰っていった。共同生活での食事は当番制にしている。朝、昼、晩をそれぞれローテーションして1人が1日1回は責任を持つ。もちろん手が空いていれば手伝う。後片付けはそれ以外の人がやる。台所には電気コンロが3口とオーブン、電気釜があるので能率よく料理が出来る。夕食はtetywestの当番だった。今夜の食事は、温かいご飯にスープ、ハンバーグステーキにミックスベジタブルに焼き魚。美味しかった。今日は仕事が少しだけだったので、のんびりとした1日だった。
2005年03月06日
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3月5日(水)1975年外は雨が降っている。雨のために仕事は2時までで終わった。後は部屋の片付けをする。本棚の本をパックしてBossのところへ持っていった。老人ホームへ寄付するのだそうだ。それからベッドルームも片付けたので、とてもさっぱりとして住みやすくなった気がする。冷蔵庫の中がたくさんの食べ物で一杯なのは小さな幸せを感じてしまう。今夜のメニューはフライドチキンとフライドポテトとチャーハンとサラダとミルク。こんなにたくさん作って大丈夫かなと思ったのだが、全部食べてしまった。こんなにゆっくりしたのは、アメリカへ来て以来初めてだ。友達に手紙も書いたし・・・プルーニングは昨日までの方法より今日のほうがずっと能率があがるようになった。こっちで雨が降るのはあと何日先なのだろう?毎日が本当にあわただしく過ぎていく。仕事に慣れることに精一杯で、まだ何もゆとりがない。本当はいろいろやりたいこともあるのだが、何から手をつけていいのかを考えるゆとりもない。時々ギターを弾いて歌うくらいだ。もう10時になろうとしている。そろそろ寝ないと・・・A山君はもう寝ている。M森君はガールフレンドに手紙を書いている。TVがEnglishでしゃべっている。外は雨が降っている。
2005年03月05日
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3月4日(火)1975年昨日Bossが、「明日は、mey be 雨が降るね」と言っていたのだが、午前中は曇っていたものの結局降らなかった。今日は、「こっちでも天気予報はなかなか当たらないのね」と言う事だった。昨日は本当に雲ひとつない快晴だったので、Bossの言葉は半信半疑だったのだ。カリフォルニアの天気の変化は日本のように偏西風で西から少しずつ変わっていくのとは違っているのだろう。Bossの栽培しているタンジェロの品種は「ミネオラ」だった。温州ミカンと同じくらいの大きさで種がない。しかし果実の成り方が半端じゃない。日本の温州ミカンの2倍は成っている。果実の重みで枝が幾重にも垂れ下がっている。果実が小さいのでカリフォルニアでの主力栽培品種ではないのだが、結構人気があるのだそうだ。インディオ地区のタンジェロはもっと大きくて、ヘタのところが凸になっていて、木にちらほらとしか成っていないのだそうだ。インディオ地区はここから少し内陸に入ったところにあるのだが、気候がかなり違っていて夏はもっと暑いのだそうだ。タンジェロの果実に小さな害虫がくっついている。Mely(・・・確か・・・)という。アメリカのpuruning(剪定)は徒長枝の処理程度のごく軽いものだということが、今日ネーブルの剪定作業をしてわかった。剪定の目的は園内道路へ枝が垂れ下がってトラクターが通る邪魔になるのを防ぐのと、枝が果実の重みで裂けるのを防ぐためで、木の内部へ光を入れるためではないのだ。果実は樹冠の外側30cmくらいの幅で成るだけで、樹の内部には葉っぱがないので実も成らない。内部は日光が当たらないので枯れ枝でいっぱいなのだが、雨が降らないので黒点病やかいよう病が発生しないのだ。だから日本的な剪定をすると、葉っぱを落としすぎるのでBossから文句を言われることになる。午後は、昨日までやったレモンのtoppingの枝とネーブルの枝を園内道路の真ん中に盛り上げてあるのを、トラクターにモアを繋いで砕く仕事だった。乾燥しているので埃が舞い上がり、体中埃だらけになる。でも、トラクターを運転しているだけなので仕事は楽なのだ。連日の睡眠不足がたたって、少し疲れ気味だ。
2005年03月04日
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3月3日(月)1975年初めて実習生3人だけでスーパーマーケットへ買い出しに行った。と言っても、マーケットの店先まではボスが車で連れて行ってくれる。エスコンディドの町までは、395号線(スリー・ナインティファイヴ)を南下すること17マイル(約27km)の距離で、20分かかる。エスコンディドが農場から一番近い町なのだが、日本に当てはめると仁尾町から丸亀市までの距離なのだ。普通に走っても30分では無理だし、その間に鉄道の駅が4つあるのだ。やっぱりアメリカは広い。スーパーマーケットの名前は「FOOD BASKET」。駐車場がめちゃ広い。店の前にカートがずらっと並んでいて、それを押して店内に入る。店の中も通路が広々としている。陳列の方法は日本のスーパーと同じなので、どこに何があるかを覚えれば買い物にそれほど苦労はしない。カートに次々と食料品を放り込んでいき、最後にレジで金を払うシステムも日本と同じだ。と言うより、日本がアメリカの方式を真似したのだから当然なのだ。最初の買い物でビックリして感激したのは「ミルク」だった。とにかく紙パックの容器が大きい。ハーフ・ガロン(約1.9リットル)入っている。そして何より美味い。アメリカへ来て一番日本と違ったのはミルクの味だった。それで今回は一挙に10本も買い込む。合計お支払い金額は税込みの58$(当時のレート1$=310円で換算すると18,000円)程度だった。まあまあだと思う。共同生活を始めるに当たって3人で決めたことがある。●食費だけはケチらない●食費は3人が公平に負担する。1ヶ月の目安は1人80$。●食費には酒・タバコ代も含むタバコは3人とも吸うので問題ない。銘柄は何にしようかと相談して、日本で人気のある「セブンスター」に一番近い味のアメリカタバコがいいだろうということになった。選んだのは「LARK」だった。酒はtetywestが飲まない。しかし、他の2人が酒を買うときにコーラを買うという条件で折り合いがついた。そのコーラもクォーター・ボトルなのだ。日本で「ホームサイズ」の500mlは大きいと感じていたのに、その倍の量だ。しかし、不思議なことにその1リットル近いコーラがすんなり飲めてしまうのだ。これは帰国してからも日本で何度か試してみたのだが絶対出来なかった。おそらくカリフォルニアの乾燥した気候だったからそんなことが出来たのだろう。仕事は同じくレモンの徒長枝を切りながら(hedging)レモンを収穫(picking)。しかし、今日はBossと一緒に作業をした。すると1列終わる時間は半分になった。日本の剪定しか知らないtetywestたちはBossの2倍刈り込んでいたのだ。Bossにしてみれば、「今年の実習生は仕事が遅い」と、おそらくたまりかねたのだろう。夜、こっそりとタンジェロを取りにいく。しかし、仕事中に食べたときはあんなに美味しかったタンジェロが、夜食べたらそんなにうまくない。喉が渇いていることが最高のソース(Thirsty【Hungry】 is the best sauce)だということを身をもって体験したちょっとした冒険だった。スーパーマーケットで30枚つづりのカリフォルニアの風景写真の絵葉書を1$33¢で買って、餞別をもらった人全員に近況報告を書いた。やっとホッとした感じ。
2005年03月03日
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3月2日(日)1975年今日は日曜日で、初めての休日。しかし昨日の夜、いつの間にか暖房を切られていたために風邪を再発してしまった。定刻の6時に目覚めたものの体がだるくて熱があるので早々にベッドにもぐり込む。起きたのは午後1時だった。Bossの子供たちがやってきて、バスケットや縄跳びをして一緒に遊ぶ。Bossの家の車庫にはバスケットボールのゴールが取り付けてある。その車庫はミセスの専用車のコロナ用で、BossのFord Galaxyともう一台ステーションワゴンは実習生ハウスの車庫に入っている。Bossの仕事用には青いトヨタのピックアップがあり、研修生用にはシボレーの60年型のピックアップをあてがわれている。自動車だけでも5台持っているのだ。まあ、研修生用のピックアップはナンバーもない古い車なので一般公道は走れないのだが・・・ボスの家から200mほど離れた場所に農機具小屋があり、そこにトラクターが3台、トラクターで牽引する除草剤散布機が1台、防除機が1台、モアというロータリー式の草刈り機が1台ある。それから自走式の除草剤散布機が1台。ブルドーザーが1台。ガソリンの給油設備もあるので、研修生のピックアップのガソリンもそこで給油する。日本に比べるとかなりの重装備だ。日本のミカン農家の標準装備は軽トラックと動力噴霧器くらいのものだ。栽培面積が120haというのは大規模農家かと思ったら、アメリカではそうではなかったのにはビックリした。16haから40haの農家は兼業農家なのだそうだ。専業農家はそれ以上の面積を経営しているのだが、大規模農家と呼ばれるのは300ha以上だという。Bossの経営面積では中規模農家になる。この120haを管理するのはtetywestたち実習生3人と、Bossとこの農場のオーナーのMr. Munemitsuの5人だけなのだ。Mr. MunemitsuはBossの奥さんのお兄さんで、ロス・アンゼルスのガーデングローブに住んでいて、毎日1時間半かけて通勤してくる。ミセスは完全な専業主婦で農作業は一切しない。これはtetywestにとって相当のカルチャーショックだった。tetywestたちが子供と遊んでいる間に、ボスは実習生ハウスの下のアボカドの新植園の中にブルドーザーでモトクロスのコースを造っている。Bossの長男はモトクロスが趣味で、自分用にHONDA RX75のバイクを持っている。毎日夕方にはそのバイクでオレンジ園を走り回っているのだ。運転テクニックもたいしたもので、ジャンプもさまになっている。手紙を書いて、タライと洗濯板で洗濯をして、夕食の準備をしてそれを食べたらもう8時前・・・休みの日は何と早く時間が過ぎていくのだろう・・・夜、ラモナの実習生が卵を100個ほど持ってやってきた。これは大変ありがたい。今からリバーサイドへ行くのだと言ってすぐ帰った。彼らはトレーラーハウスのトラブルがあって今日までまだ1日も仕事をしていないのだそうだ。しかし、tetywestの最大の問題は早く風邪を治すことなのだ。
2005年03月02日
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3月1日(土)1975年昨日の経験から朝は6時に起きる。7時に仕事を開始。Bossと一緒にイリゲーション・チェックをやる。場所は「奥の三角」と名づけた場所とバレンシアの左上の園だった。収穫後最初のイリゲーションなので、スプリンクラーの壊れた箇所がいくつもある。修理をしていると作業服がびしょ濡れになってしまった。それでも寒くはないし、空気が乾燥しているのでしばらくすると乾いてしまう。西部劇で服を着たまま川に入っていくシーンを見るたびに、「なんで服を脱がないのだろう?」と不思議に思っていたのだが、ようやくその訳がわかった。イリゲーション・チェックの後は、昨日と同じくレモンの徒長枝を切りながら(hedging)レモンを収穫する(picking)。レモンは6m間隔で並木に植えられているのだが、一列が長い。ゆうに200m以上ある。なかなかむこうの端に到着しない。午後も同じ作業で、4時まででようやく1列が終わりかけた。あと6本を残すだけ・・・今日も暑くて喉が渇く。少し離れた園にタンジェロが成っているのを取ってきては喉を潤す。4時から夕方のイリゲーション・チェックをやり、終わったところで今まで収穫したレモンを大きなトラックに乗せてBossがサンキストの撰果場まで運ぶ。「誰か一緒に行きたいかね?」と訊かれたので、最初に返事をしたM森君が助手席に乗って行くことになった。バレンシアのイリゲーション・チェックをやっておこうと行ってみたら、そちらはBossが止めてあった。夜はボスの家に招待された。せっかくアメリカへ来たのだから全部英語で話をしてみようということになった。半分くらいは理解できたのだが、早口になるとわからない。子供たちは全く日本語を話さないので、子供たちと話をするときは否が応でも英語だけしか使えない。しかしゲームをし始めると、「Oh!」とか「Yes!」程度の感嘆詞を使うだけなのでそれほど苦労はしない。TVでバスケットボールの試合を見る。UCLAとスタンフォード大学の試合だった。ミセスはUCLAの大ファンで、スタンフォードがシュートするたびにTVに向かって、「Mis!!」と叫ぶ。アメリカではバスケットボール・ゲームは非常にポピュラーなのだそうだ。野球のシーズンが終わるとフットボール。フットボールが終わるとバスケットのシーズンになる。高校ではクラブ活動で野球とバスケットを掛持ちしている生徒も多いのだそうだ。この試合は実況中継ではなくどちらが勝ったのかはわかっているのだが、わざとニュースでは結果を聞かないのだそうだ。結果はミセスの期待どおりUCLAの勝利だった。11時過ぎに実習生ハウスへ帰る。
2005年03月01日
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