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タイ・ラオス旅2020年8月 0
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ボズ・ユイ に一晩泊まる 2,800メール付近から キルギスタンの山 青がまぶしい 中世の町を 歩いているみたいだった このスマートフォン一つで ブログ更新も 写真撮影も スカイプで電話も 出来てしまった 120グラム 軽い 7/1 ウズベキスタンを旅行してきたと言っても、ピンとくる人は少ないと思う。 中央アジアに興味がある人ならば、その昔、シルクロード貿易の中継地とし てもっとも栄えた地域だった程度は知っていても、地図上ですぐに探し当てられる人は少ないのではないだろうか。 今で もオアシス都市が点在し、遺跡・文化的遺産も多く 残っている。今回訪れたヒヴァ・ブハラ・サマルカンドには荘厳な建物が残っていた。 キルギスタンは遺跡はないが、山好きな人には 魅力的な国だ。「中央アジア のスイス」と呼ばれているように、キルギスタンは山国で、原生林があり、美しく魅力的な山々、谷、川、湖がある。 もし、再訪する事があるならば、10~2週間程度トレッキングしてみたい。 二国とも旅人には優しい国なので、安心して旅行出来る。 小さな事では、例えばバス料金や乗合タクシー料金は外国人料金があるが、べらぼうな値段ではない。 ウズベキスタンの平均月給3万円ほど、キルギスタンは2.3万円程度なので、外国人料金があっても目くじらを立てるほどでもない。 両替については、日本円から現地通貨には両替は出来ない。一番はドルを持っていく事だ。国際キャッシュカードやクレジットカードで、ATMから現地通貨とドルが下ろせる。 最後にお尻にやさしいトイレットペーパーを持参する事。高級ホテルに泊まる人には関係ないかもしれないが、安宿に備えられているトイレットペーパーはゴワゴワしていて、切れ痔になってしまうのだ。 今回も、たくさんの方々にブログをご覧頂き有り難うございました。
2014.07.02
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エベレスト 5,200メールのベスキャンプから ジョカン寺から ポタラ宮 6/30 ラサについて、我々が歩いたチベットの街角の至る所にチベット人監視カメラが設置されていた。 更に、すべての僧院の中にも監視カメラが設置されているそうだ。 僧侶やチベット人の暴動発生を恐れるからだろう…。 我々も、ラサからネパールに抜ける間に30回以上のポリスのチックを受けた。パスポートは勿論だが、チベット入域許可証と外国人旅行許可証のコピーを提出した。 中国政府機関は厳重な警備をしている。 私が思い描いたラサは、もう昔のような雑然とした都市ではない。新しい道路(六車線だ)、 新しい住宅、新しい行政施設が建っていて近代化されている。
2014.07.01
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こんなローカルバスにも 乗りました ウズベキスタンもキルギスタンも すべての料理に羊肉 胃がもたれるので 5日に1回は、トマトとキュウリだけの 食事 もちろんビールは飲みました 今回も、ドミトリーに 若者に混じって 泊まりました 安さはもちろん、以外に快適だ 6/29 今回の旅費を計算してみた。 4/25~6/28の65日間、トータルで 38万3,000円。 「チベット・エベレストBC」のツアー代金と滞在費 18万6000円が、今回の旅費の半分を占めている。 5/9~6/28の51日間は一人旅。合計で 19万6000円。1日当たり3,843円。 ホテルに関しては、ウズベキスタンは観光に訪れる人が多いのでホテルは高い。2,000円以下のホテルを探すのは難しかった。それでも、旅人から得た情報で探し当てたB&B(ベッド・朝食付・15ドル)に12泊出来た。 また、地元の人が宿泊するホテルに泊まったり、寝台列車で一泊浮かしたりして、ある程度ホテル代は抑えられた。 キルギスタンのホテルは、贅沢をいわなければ5~600円ほどで泊れる。 食事についてはウズベキスタンもキルギスタンも、朝昼兼で150円、晩飯は600円程度、その他にミネラルウォーターやチャイ(お茶)150円ほど。 ★以下は、大雑把な計算です。 4/25~5/8(14日間) ラサ~エベレストベスキャンプ ツアー代金 84,000円 ホテル・食事・入場料 45,000円 航空券(成田~ラサ) 57,000円 合計 186,000円 5/9~5/19 (11日間) ネパール~インド ホテル 6,600円 食事 5,500円 交通費 4,300円 合計 16,400円 5/20~6/10 (22日間) ウズベキスタン ホテル(朝飯付は12回)31,500円 食事 11,000円 交通費・入場料 9,100円 航空券 39,000円 (インド-タシケント) 合計 90,600円 6/11~6/28 (18日間) キルギスタン ホテル 9,000円 食事 11,000円 交通費 6,000円 航空券 64,000円 (ビシュケク-モスクワ-成田) 合計 90,000円 総合計 383,000円
2014.06.29
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6/28 キ ルギスタンのマナス空港で10時間、モスクワ空港で8時間、合計で18時間乗り継ぎのために待った。 飛行機に乗っている時間は、ビシュケクからモスクワ4.5時間、モスクワから成田9時間、合計で13.5時間。 4万円安い格安航空券で帰ってきた。ちなみに時給計算すると、 40,000円÷18時間=2,222円 なかなか、時給2,200円のバイトはありませんよね。 まぁ、肉体労働の代償みたいなものだ。 モスクワから成田便は JAL、やはり、サービスが違う。65日ぶりに朝日、日経新聞と週刊文春を読む。夕飯は、白身魚のムニエル、ニシンのマリネ、漬物、味噌汁にエビスビール缶2本に白ワインを飲み、久々に日本食を味わった。 夜中もレモン水や水などのサービスもあった。 あと、3回ほどブログ更新する予定だ。 26日の夕食 親子丼 キルギスタンのマナス空港 大きな国に比べると フライトの数は少ない モスクワ空港 27日の昼飯 ビールとサーモン サーモンは三枚 下はパン 1,480円ほど 高い モスクワ空港 免税店 大変な混雑だった
2014.06.28
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6/27 午前11時 ビシュケクから モスクワ空港に到着 6/25 格安航空券は、色々なの事がある。 本日は、ビシュケクのマナス空港に22時頃までに行くつもりだ。 27日の早朝5時フライトなので、ホテルを夜中の2時過ぎには出なければならない。それなら空港で仮眠した方がましだ。 ビシュケク市内から空港まで、タクシーで600ソム(1,200円)、公共のバスを乗り継ぐと約50ソム程で行ける。 市内から空港までの最終バスは21時代のようなので、ホテルを19時頃出るつもりだ。 ビシュケク出発 27日の5時 モスクワ到着 7時30分 モスクワ出発 18時35分 成田到着 28日8時35分 モスクワ空港で11時間待ち、ここの空港でも長い時間を過ごさなければならない。 体力勝負、忍耐強くなければ、バックパッカーは出来ない。 次のブログ更新は日本に帰ってからになる。
2014.06.26
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6/24 娘からのメールで、27日の帰国便が欠航と連絡がある。 大事な事なので、受信メールを確認したが、見つからない。色々調べてみると、旅行会社からのプローモーション(宣伝)に、欠航のお知らせがあった。 普通は、旅行会社の宣伝は見ない。 早速、旅行会社に電話するも全然繋がらない。 スマートフォンに新規メールのランプが点滅したので見てみると、当初の旅程では、ロシア国内で2回乗り継いで、モスクワから成田だった。それが、ビシュケクからエカテリンブルクの便が欠航になり、直接ビシュケクからモスクワに飛び成田になった。待ち時間も、4時間ほど短縮される。 まぁ、要するに結果的には良かったのだ。 晩飯 牛丼 皆さん若い 20~30代 60代はいない 町のあちこちで見かける ジュース屋さん キルギスタンの赤い米、ウズゴン 値段は他のお米よりも断然高い 赤米を炊けば、不思議白い飯になる バザール 大変な混雑だ
2014.06.26
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6/24 サクラ・ゲストハウスは日本人が多いが、ヨーロッパ人もそれなりに宿泊している。 ここのホテルは、タジキスタンやウズベキスタンのビザを申請する長期宿泊者が多い。複数のビザ申請して受取るまで一月はかかる人もいる。 ホテルには、色々な人が宿泊しているので、料理が得意な人もいる。今晩の献立は、鯖の味噌煮と冷やし素麺だった。 日本だったら、ダシや味醂は簡単に手に入るが、材料を揃えるのが大変だ。麺つゆがあれば、何の問題もないのだが。 もちろん、薬味のネギ、生姜を市場で探さなければならない。 サバの味噌煮用に味噌まで調達する徹底ぶりだ。 ビザ待している若者は、金はないが暇はある。それぞれが市場で揃えた材料で作った素麺は、涙が出るほどに本当に美味かった。 朝7時 ホテルの屋上からの 5,000メートル級の山々 サクラ・ゲストハウス ゲストハウスのプール サクラ・ゲストハウスの主人は日本人 子供は、日本語OK 六人部屋の ドミトリー コニャック 寝酒には最高だ ソコソコ美味い 220ソム(440円)
2014.06.25
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6/23 ビシュケクは、札幌と同じ北緯43度に位置する。標高850メートル、町は歴史が浅く、歴史的遺跡はないが、町からは4~5,000メートル級の山々を見ることが出来る。 町を歩けば、見事な樹木が町全体を包み込んでいる。特に公園に入れば、森の中にいるようだ。 日中は30度はあるが、木陰に入れば涼しい。なりよりも、日本のようなムシムシした寝苦しい事は無いので、快適な睡眠をとる事が出来る。 キルギス民族の英雄 マナス王像 アラ・トー広場 地学博物館 オシュ・バザール 中央郵便局
2014.06.24
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6/22 タムガからキルギスタンの首都ビシュケクにミニバスで向かう。 私の隣の蛭子(俳優)に似たイガグリ頭の男が、タムガから一緒に乗込んだ。この男が、乗るやいなや喋り始め、止まらない。 初めは適当に私は返事をしていた。前の席の女性に話しかけたり、結局5時間喋り放しだった。 途中で頭にきたので、私は口元に人差し指で静かにしろといったのだが、2~3分は静かになるが、また、ペラペラと喋りだすので、「うるさい、静かにしろ」と一言言ってやった。乗客は全員後を振り返る。それでも、10分もすると再び喋りだす。前の席の女性は眠ったふり、私は車窓を見て知らんぷり、それでも喋りは止まらない。 ビシュケクに着いてホッとする。 本日のホテルは、日本人が経営する「サクラ・ゲストハウス」だ、ドミトリーで一泊400ソム、4泊する。 カザフタン側の山々 綺麗な花は今が盛り 5~8月にかけて色々な 花が咲く イシク・クル湖と カザフタン側の山々 このイガグリ頭の男 蛭子によく似ている 5時間喋りぱなし 晩ご飯 中華料理 キクラゲのサラダ 麻婆豆腐 ビール 2品とも二人前はある 260ソム(520円)
2014.06.24
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河鹿の市原さん コメントの日付4/28になっていますが、 ずいぶん前にコメント頂いているんだすね。返事遅くてすみませんでした。 昨日からキルギスタンの首都ビシュケクにいます。 今回は、ウルムチで爆発事故があったのでカシュガル、敦煌には入りません。6/28に帰国します。 6/21 朝飯は、一口大のマントゥ(餃子みたい)汁とパンと自家製のサクランボジャムにチャイ(紅茶)、ボリュームがあり満腹になる。 タムガは見所はないが、雪に覆われたテルスケイ・アラ・トー山脈が望める。しかし、残念ながら雲がかかり見る事は出来ない。 髪もだいぶ伸びてきたので散髪屋に行って来た。言葉が通じないので、手振り身振りで説明したつもりだったが、写真の様な坊主頭になったしまった。 でもどうでしょう、髪が長かろうが短ろうがいい男ぶりは隠しようがないね! ホテルの女将さん フローラ 結婚式 町、村を父親が娘をエスコートして 挨拶して回っているところ 天山山脈 今日も雲がかかっている 丸坊主 前科何犯には見えませんよね 日本から持ってきた 最後の食料 ビールがすすみます
2014.06.23
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6/20 朝7時に目が覚め、天山山脈の方向に目をやると山は厚い雲に覆われている。イシク・クル湖の方向は晴れている。ただ、湖の上のカザフタン側の山々もやはり雲がかかっている。 朝飯を食べて、9時半にジェティ・オグズ渓谷沿いに歩きだすが、小雨が降り出す。しばらく様子を見たが、渓谷の奥は暗くなって来た、残念だが引き返す。 温泉保養所に行き、60ソムの入浴券を買い、係の女性に券を渡すと7番のドアに入れと言う。病院の診察室のようだ。入ると脱衣場があり、写真の浴槽がある。いざ、すっぽんぽんで浴槽に入ろうとした瞬間、係りの女性が表れ、私は全裸を見られてしまう。一瞬の事なので隠しようがない。不意をつかれた。 ナトリウム湯は少々ぬるめだ。これなら20~30分は入ってよく温まろうと思っていたら、また、係の女性が来て、上がれと言っている。10分位しか経っていない。無視して湯に浸かっていると、上がれ上がれと急き立てる。私のヌードを見たのだからもう少し入っていてもいいんじゃないのと言いたかったが、我慢して上がる。 治療のための温泉なのかも知れないが、髪も身体も洗えない、 随分と日本の温泉とは勝手が違う。 なりよりも、何人も入浴していると思うと、不潔だ。日本だったら、先ず身体を洗ってから入浴するのが決まりだ。 まだ昼前なので、タムガに行く事にした。乗合タクシーを3回とトラックをヒッチハイクして、2時間30分ほどで辿り着く。 乗合タクシーとの値段交渉も分かってきた。10キロ程度なら20ソム、長距離の場合は1~2時間乗って60~150ソムほどだ。ただ、地元値段なので吹っ掛けてくる。 タムガまで3回乗合タクシーを乗り継いて160ソム、トラックの運ちゃんに20ソムで来れたのは上出来だ。 宿探し、最初に訪ねたホテルは1,700ソム(3,400円)、とても泊まれない。町の雑貨店に聞いた安いホテルに2泊する。庭には食べ頃のサクランボが鈴なりだ。朝飯付で400ソム。早速、サクランボをツマミにビールを飲む。 それにしても、温泉保養所の女性に全裸を見たのは不覚だった! 雨が上がり 天山山脈の山が望めた 岩は心臓が裂けた形をしている 美しい女性に求婚した二人が 流血の決闘をして 二人とも死んだ その時に女性のハートが裂けたのだと いう伝説がある 味気ない浴槽だ 釣をしている子供 40センチ級の魚が釣れるそうだ 本日のホテル サクランボ 見た目は佐藤錦 酸っぱい
2014.06.23
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6/19 昨晩からの雨は朝方には上がった。カラ・コルに来てからスッキリと晴れた日はない。カザフタンの方向には、クンゲイ・アラ・トーの雪を抱いた山並みが見えるはずだが、まだ、拝めていない。 また、真っ白な万年雪、氷河に覆われた天山山脈の7,000メートル級の山々もハッキリとは望めてはいない。 本日は、ジェティ・オグズ渓谷に向かう。真っ赤な雄牛が7頭並んだように見える、赤い岩肌の奇妙な凸凹の山が有名な所だ。更に、渓谷沿いに5キロ進むつもりだ。 例によって、タクシーの運ちゃんの 攻勢が凄まじい。渓谷の入口まで、マルシュルートカ(ミニバス)で行くつもりだが、タクシーしかないと抜かす。値段は700ソム(1,400円)、何言っているんだ、そんなに払えるか! たかだか20キロだ。マルシュルートカなら60ソムとホテルのオーナーに聞いているので、タクシーには絶対に乗るものか。 それでも、色々と周りの人に聞いてみると、12時20分発のマルシュルートカしかない事が分かった。 残された手段はヒッチハイクしかない。 目的の方向を定め歩きだす。ヒッチハイクは町中よりも郊外の方が、経験上拾ってもらえる確率は高い。 それが、郊外に出る前に、後からクラクションを鳴らしてワゴン車が停まった。先ほどの私とタクシーの運ちゃんのやり取りを聞いて、途中まで乗せてくれると言う。何とも親切な有難いことだ。 昨日もそうだが、乗せてもらった人は、皆さん幾らかのお金を渡していたので、私は60ソムを渡した。少ないか多いかは分からない。 カラ・コルは海抜1,700メートル、本日の宿泊場所は海抜2,200メートル。ここから500メートルの登りで、10キロの道程だ。歩くこと30分、またも運がいい事に、タクシーが停まった。乗客が二人、30ソムでほとんど歩かずに本日の目的地到着だ。 早速、宿泊場所に行くが、温泉治療の保養所で、味気がない。更に、一泊1,290ソム(2,600円)だ。 やめた、来る途中にボズ・ユイ(移動式住居)をたくさん見たので、一晩なら泊めてくれる所はあるはずだ。 まぁ、何とかなるもんですね、一晩250ソムでボズ・ユイに泊まる。 午後3時を過ぎると雷が鳴り、激しい雨になる。 珍しい赤い岩肌だ ジェティ・オグズ渓谷の入口 天山山脈は雲だ ボズ・ユイ 今晩の宿 一泊250ソム 羊肉を煮込んでいるところ お母さん、日本人みたいだ 座っている女性が お母さんの三姉妹 立っている女性、孫? 英語は全然通じない
2014.06.22
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6/18 ホテルのシェパードと仲良しになった。 16日の晩飯はビールにパンにトマト、キュウリだけの質素な食事だった。食べているとシェパードのリンダ(雌犬)がじっと私が食べているのを見ているので、キュウリをあげるとペロリ食べて、私の顔を見て舌なめずりする。パンも食べ、トマトまでもペロリだ。 翌日からは、リンダは私の気配を察して、部屋から出ると飛んできて顔から背中、尻尾を私になすりつけてくる。 竹ちゃんリンダに惚れられるでした…。 明日からジェティ・オギュズ渓谷に出掛ける。温泉があるので出来れば二泊する予定だ。wi-fiはつながらない。 本日、イシク・クル湖側まで 出かけてきた 海水浴ならぬ湖水浴 寒そうでした 子供は水遊びが好きなんですね 水は少し塩辛い ここが、湖だとは誰も思いません 具だくさんのショールヴァ 竹ちゃんに惚れたリンダです 年齢は?
2014.06.18
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6/17 カラ・コルはイシク・クル湖から9キロメートル離れた町。テルスケ・アラ・トーと天山山脈の山々への登山基地の町でもある。 ここには、珍しい木造建築のロシア正教の聖三位一体教会がある。私は初めて見る木造の教会、なかなか趣のある建物だ。 ただ、教会の入口に恐喝まがいの物乞いがいて、振り払うのに難儀した。その物乞いの男は、アルコール臭く、私の前に立ち塞がり金をせびるのだ。金をあげてもアルコールに消えるだけだ! ウズベキスタンでは物乞いを見かけなかったが、キルギスタンのほうが国が豊かでないのだろう。 見事な木造建築 美しい教会だ 教会中の撮影禁止 中も素敵でした 天山山脈 7,000メートル級の山々 天山山脈 具だくさんのキルギスタンの ラグマン
2014.06.18
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6/16 本日は、バスで7時間かけてナリンからカラ・コルへ移動。 連日の事だが、2,000~3,000メートルの山中をバスは走るので、渓谷や雪山など車窓は変化に富んでいる。ただ、残念な事にバスの窓ガラスには直射日光を遮断するフィルムが貼られているので写真は撮れない。 沿道には、夏がシーズンの自家製のクムス(馬乳酒)を売るボズ・ユイをたくさん見かける。 バルックチュを過ぎると、道路の脇を流れる川の水は青い。さらに進むと、吸い込まれそうな青く大きいイシク・クル湖が見え始めた。まるで海だ!それもそのはず、琵琶湖の9倍も大きいのだ。 湖中には沈んだ集落があり、今でも湖岸に時々、青銅器や土器が打ち上げられるそうだ。なぜ、集落が湖底に沈んでしまったのか、今持って謎に包まれたままだ。そのミステリー的な謎に興味を持った井上靖が訪れる事を熱望したのも理解できるようだ。 本日から3泊する「ヤク・ツゥル」のオーナーには、特別扱いを受ける。最初に「I cannot speak English」と挨拶 すると、オーナーが「same、 same 」と言ってくれる。 部屋は安いドミトリーでお願いすると、西洋人が3人いるので、あんたの部屋はここだと案内された部屋は、テーブルと暖炉のある広々としたツインの部屋だ。値段を尋ねると、彼はウィンクして300ソムだと言う。 私の推測だが、英語が出来ない日本人一人を西洋人三人の相部屋では気の毒と思ったのではないだろうか。有難いことだ。 素晴らしい眺めだ トイレ休憩の時に撮った 日本でもよく見られる その他にも、黄色、赤、白の高山植物が見られた それにしても、スマートフォンでこれだけの写真を撮れるとは思ってもいなかった イシク・クル湖で捕れた魚 ニシンの燻製みたいだ なかなか洒落た部屋だ これで300ソム(600円) このベッドでぐっすりと眠りました
2014.06.17
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6/15 カザルマンから乗合タクシーでナンリに向かう。 ホンダのオディセイに大人が8人、子供が3人とたくさんの荷物が積込まれている。車は山道に入り右に左にと大きく曲がるので、途中車酔いする女性と子供が、嘔吐し何回も停車する。 今走っている地域ナリン州は、高原と山岳地帯からなり、車窓からは放牧する人たちの生活が垣間見られる。 運ちゃんにクムス(馬乳酒)を飲むかと言われたので、二つ返事だ。ボズ・ユイ(移動式住居)の前で車を停めて、クムスを飲ませてもらった。酸味の強い飲物だ、アルコール分はビールよりも低いそうだ。遠慮のない竹ちゃん三杯頂く。 ついでにボズ・ユイの中に入らせてもらった。中は意外に広い八畳間が二間ありそうだ。整理整頓されていて、壁側に生活必需品が置かれ、真中にテーブルがあり皆で雑談していた。大人も子供も紫外線が強いので日焼けした顔が笑っていた。 子供たちは元気いっぱいだ クムスを飲む 酸味が強い 後から牛乳の味がした ボズ・ユイ(移動式住居) こんな環境で1週間暮らしたいものだ 本日の同乗者
2014.06.17
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wi-fiが繋がるカフェを見つけたので急いでブログ更新。(6/17) 6/14 本日は、オシュからジャララバードまでバスで行き、ナリン行きの乗合タクシーを探すが、途中のカザルマンまでしか行く乗合タクシーしかない。 私が今回通ろうとしているルートは変わり者か、怖いもの知らずしか通らないマイナールートだ。 「地球の歩き方」には、カザルマンなんて地名は出てこない。ようするに、ダートもダートで道が相当に悪いのだ。 案の定、9時50分から延々と待たされ、最後にはカザルマンから買出しに来た車に同乗させてもらった。正直私は、今日が駄目なら明日出発してもいいと思っていた。出発は14時40分、5時間も待った。その間、昼にビールを飲んで1時間以上昼寝した。 それでも、「中央アジアのスイス」といわれているキルギスタンだけあって、町から20分も走ると3,000メートル級の雪山が見え始めた。さらに進むと羊の群れが車をさいぎる、次は牛、そして馬が道路を横切る。山裾は緑の絨毯でとても美しい。草原は放牧地となっていて、沿道に移動式住居ボズ・ユイを張り暮らしている。 本日の宿は、B&B(ベットと朝食付)500ソム(1,000円) 羊が道路を横切る 今が旬 サクランボのジャムを作っているところ 日本の山に似ている 雪山は3,500メートルはある 3,100メートルの峠 寒い 道路は2,000~2,500メートルの高所 車窓からの眺めは最高だ
2014.06.17
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6/13 昨晩は、暑くて寝苦しかった。 そのせいもあって、以前、キルギスタンについて書かれた書籍を読んで記憶に残っている事が思い出された。 それは「誘拐婚」、男が気に入った女性を誘拐してしまう風習。自宅に連れて行き、女性を一家総出で説得して結婚を承諾させるのだ。今でも、その風習は残っているんでしょうかね! 明日は、オシュからジャララバードへさらにナリンを目指す。その先は、「イシク・クル湖」 を一周するつもりだ。湖は長い間立入禁止だった。不凍湖なので、ソ連の軍事研究施設があったためだ。 井上靖氏が、行きと帰りには目隠ししても構わないので、訪れたかったと熱望した「イシク・クル湖」、ぜひ、見てみたいものだ。 また、湖の周りは7,000メートル級の山々が眺められる。楽しみだ。 伝統的なキルギスの男性の帽子(カルパック) ケッタイな形の帽子ですよね 羊の毛で編んだ帽子 実際かぶる人いるのか? と思っていたけれど、かぶっているオジサンがたくさんいた オシュバザールの入口 肉屋さん 羊肉を吊るして、包丁で切取る 日本のアンコウの吊るし切りみたいだ 朝飯を食べた店 年配者が何人か集まり一緒に朝飯 カルパック帽子をかぶった人もいます ゲストハウスの料金表 私が宿泊している所は、四人部屋のドミトリーが3部屋 その他の階にも部屋を持っていて、シングル、ツインもある 私は、350ソム(700円)のドミトリー
2014.06.14
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6/12 オシュはキルギスタン第二の都市。ウズベク系の人が、4割占める。日本人に似た顔の人が多く、何となくホッとする。 物価はウズベキスタンに比べると1~2割程度安いようだ。ホテル代は別として、食事代だ、例えば昨日の夕飯、ビール1リットルとシャシリク(串に刺した牛肉焼き)3本で160ソム(320円)。本日の朝飯は、プロフが70ソム(140円)。昼のビールが1リットルで50ソム(100円)、トータルしても600円くらいなので金の使いようがない。 そうそう、食事には必ずパンが付くので、完食すればお腹いっぱいになる。 ホテルから大通りの様子 朝飯 プロフ 小鉢一杯なのだが量が多い さらに、パンが付く 70ソム(140円) ホテルの様子 ドミトリー 四人部屋 昼に暑くてたまらないので ビールを飲む アルコール8% やはり、5%くらいが一番美味しい 7~9%のビールもあるが、私はあまり好きでない 両替屋さん 残念ながら日本円は両替出来ない それでも、何軒か聞いてみたが 1万円が3850ソム 100ドルは5170ソムなので、バカバカしくて両替する気にならない
2014.06.12
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6/11 本日も乗合タクシーには参った。4人確保するまで1時間20分待たされた。 運ちゃんが、それぞれ客を奪い合うので効率が悪い。 私だったら、元締めになって順番に客をさばくのだが…。そのほうが、運ちゃんにとてもメリットがあり、客も何時間も待たされる事はなくなるはずだ。 またも、タクシーの席で人悶着、何で外国人は後ろの真中と決まっているのか。 私は、二番目に並んでいるのだ。今回は、四番目の女性が真中だと主張した。 結果は私の勝ちだ。 ウズベキスタンの出国手続きで時間がかかると思ったが、肩透かしだった。荷物も何も調べられなかった。 キルギスタンに入国して、すぐに両替を済ませ、300ソムのタクシーを振り切って、10ソム(20円)のローカルバスでオシュ市内に向かう。 バスを降りて「オシュ・ゲストハウス」を探すが、見つからない。何回も行ったり来たりしていたら、通りすがりの男が声をかけてくれたので、ゲストハウスの住所を見せたら、親切にも入口前まで案内してくれた。 通りに面しているとばっかり思っていたのだが、一本裏の道だった。 写真でも分かるように、裏寂れたアパートの五階、一室でゲストハウスを営んでいるのだ。 それでも、部屋の中は小奇麗だ。ドミトリーで一泊350ソム(700円)。 キルギスタンのお金を2倍すれば日本円でなので、計算しやすい。 キルギスタンのイミグレーション オシュゲストハウス 非常に分かりづらかった 日本の公団みたいだ それも40~50年前に建てられた建物のようだ 本日から3泊する ドミトリー350ソム(700円) 町のシンボル スレイマン山 キルギスタン入国祝い 何をおいてもビールだ
2014.06.12
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6/11 -2 コーカンドの現地発音は、「コカン」なので、昨日ホテルまで案内してくれた男性が間違うはずだ。私の宿泊しているホテルの正式名は「ホテル・ハーン」だ。私の発音が悪かったので、間違うのも当然だ。 でも、それが幸いして今宿泊しているホテルをゲット出来たのだ。 ホテルから歩いていて150メートル先に写真の当初宿泊する予定だった「ホテル・コーカンド」があった。 早速、レセプションの女性に値段を聞いたら、写真の値段表を指差して説明してくれる。説明を聞いていて、値段交渉は難しそうだなと判断したので、結果オーライだ。 写真の値段表は、私の読み間違えでなければ、現地値段と外国人値段をハッキリと書いてある。 明日は、キルギスタンの国境まで6時間あれば行けると思うので、ウズベキスタンからキルギスタンに入国するつもりだ。ただ、乗合タクシーを3回乗り継がなければならないので、出たとこ勝負だ。 当初泊まろうとしたホテル バザールでお父さんがウズベキスタンの正装の服を選んでいるところ 私の間違えでなければ 地元値段と外国人では2倍は違う バザールの様子 ウズベキスタンで色々なバザールを見てきたが、コーカンドが1番規模が大きいと思った それにしても、大変な混雑だ 毎日の事なんだろうね? ホテルから3分 モスク 当然このエリアではビールは飲めません 昨晩はここから1キロメートル先で、ビールを飲める店を探しあてる
2014.06.11
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6/11 間違え コカンドと書いていますが 正確には「コーカンド」です。 コーカンドは、1732年に築かれた。ブハラに次ぐイスラームの宗教的中心地となった。しかし、1852年の帝政ロシアとの戦争に敗れて、コーカンド・ハーン国は瓦解してしまう。同時に1万以上の市民が殺され、宗教的建物のほとんどが破壊された。今残るのは、「フダルヤ・ハーン宮殿」くらいしかない。 「ダフマイ・シャーハーン廟」を訪れたら一人の信者が、普段見れないモスクで寝泊まりしている信者の部屋などを見せてくれた、さらに、墓地を案内してくれた。謝礼に5,000スムを差出すと、たいそう喜んでいた。 ロシア的雰囲気(?)が漂ってくる町並みだ フダルヤ・ハーン宮殿 現代は郷土博物館 青いドームが「モダリ・ハーン廟」の 墓地 モダリ・ハーン廟の 1825年当時のタイル 幾人もの墓
2014.06.11
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6/9 本日は、バスと乗合タクシーを乗り継いて、サマルカンドからタシケントを経由してコカンドまで9時間の移動。 サマルカンドからタシケントまでの5時間は例のごとく、蒸し風呂バス。 タシケントでコカンド行きのバス乗り場まで、乗合タクシーで向かった。やはり、降りてから人悶着、一緒に乗った人は3,000スムだ。私も3,000スムを運ちゃんに渡すと、5,000スムだと言う。明らかに外国人値段。私は英語と日本語のチャンポンで文句を言った。運ちゃんは5,000スムを譲らない、4~5分やり合ったが、1,000スム余計に払ってタクシーを降りる。1,000スムは日本円で33円だが、納得いかないものは払う訳にはいかない。 コカンド行きバスはない。乗合タクシーに乗車するしかない。 タクシーの定員は5名、運ちゃんを除くと4名。その4人を確保するのに2時間かかってしまう。4人が揃うまで延々と待つのだ。 4人が揃い出発のさいに席で人悶着だ。私に、後ろの真中に座れというので、首を横に振った。おそらく、3人よりも高い料金を支払わされる事は目に見えている。 そこで私は、自分の歳をいい、3人の歳を尋ねた。写真の左から66歳、70歳、55歳、私が62歳(7月で63歳)なので、55歳の男性に真中に座ったらどうかと提案した。 はじめは嫌がっていたが、長老が55歳の男に、「お前が真中だ」、の一言で一見落着。 当初泊まろうとした「コカンド・ホテル」を探して、レストランの男性に尋ねたら「ホテル・ハーン」を教えてくれた。多分聞き違えたんだと思う。 ホテルのロビーはなかなか立派だ。値段を尋ねると44ドル、とても無理。値段交渉しても25ドル以下にはならないだろう。値段交渉もしないで、当初の「コカンド・ホテル」に行こうと決めた。 ホテルの男性に「コカンド・ホテル」の場所を聞いたら、お前の値段はいくらだ、と聞いてくる。ここで、25ドルとか言ってはいけない。ダメ元で15ドルと答えた。相手は、20ドルで朝飯なし、と返してきた。そこで私は、2泊するので15ドルと言ったら、もう一人の男性と何やら相談している。 待つ事2~3分、「スペシャル プライス15ドル」と言われる。ラッキー! タシケントからコカンドまでの乗合タクシーの同乗者 名前を聞かれたので「タケ」と答えた 呼びやすいのか、タケ、タケと何回も、言われた 4時間乗って20,000スム(660円) サマルカンドからタシケントまでのバス 冷房仕立てのバス 窓は天井に一箇所 停まれば蒸し風呂だ コカンドに向かっているバスから撮影 清里高原みたいで気持ちがいい 本日からから二泊するホテル 設備の整ったビジネスホテル 部屋は狭いが、クーラー、テレビなど備えられている
2014.06.10
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6/7・8 朝早くから、ホテルのご主人を起こしてしまった。すぐに、朝飯を食べさせてもらう。 本日は、13時まで寝てバザールにビールを買いに行く。近場のショップではビール1.5リットルが7,000スム(220円)するが、バザールは4,200スム(130円)で買える。ケチ臭い話だが、暇だから時間つぶしだ。 ホテルのwi-fiの調子が悪く、ネットにつながらない。 このブログは、wi-fiフリーのレストランで書き込んだ。 今回は、2日分一緒に更新する。 明日からは、キルギスの国境を目指すので、wi-fi環境が良くないと思う。 予定では、ウズベキスタン側に3泊して、キルギスのオシュに入国する。 そこから、ソ連時代に外国人は立入禁止でだった「イシク・クル湖」を一周するつもりだ。 周りは万年雪に囲まれた湖。7,000メートル級の山々が眺められる。大変楽しみだ。 早朝のサマルカンド駅 ホテルまでの始発のバスを待つ タクシーなら3ドル バスは500スム(20円ほど) 朝7時40分 扉は閉ざされている 朝早くから、ご主人を起こして申し訳ない さらに、朝飯を食べさせてもらう 二泊する 一泊15ドル ディナー3ドル ホテルの朝飯 ホタルから5分も歩けば、雰囲気の良い眺めだ ホテルの中庭 本当にくつろげます
2014.06.08
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6/6 ヒヴァからウルゲンチ駅まで乗合タクシーで4,000スム(120円)と、ホテルで教わった。 いつもの事だが、何人ものタクシーの運転手が私に群がり、20ドル、15ドルとボッタクリ値段を連呼している。それらを振り切り、正規のタクシーに乗る。 駅に着いてからも大変だ。寝台の指定券売場で、私より一回り大きい男が割り込んできたので、「you next」と一言いってやった。にらまれたが、私もにらみ返して右の肘で相手の男をさいぎって、一歩前に出た。男は何かブツブツ言っているがお構え無しだ。 色々あったが、30分かけて無事指定券を確保。 寝台列車は15時20分定刻にウルゲンチ駅を出発する。 男二人と女性二人の四人部屋で快適だ。三人にいろいろ聞かれるがチンプンカンプンだ。それでも、お茶とお菓子、更に夕飯までご馳走になる。食堂車で食べると言ったら、高いからここで食べろと、持込の材料を見せてくれる。パンとサラミ、チーズ、トマト、キュウリ、ピクルス、ナッツ類を分けてくれた。 四人で食べながら話をしていると、大声で三人は笑っている。理由を聞くと、写真の左の女性が、私のことを好みの男性だと言っていることが分かった。 彼女が、寝しなに私に向かって「I love you 」…。?? 一緒の男は爆笑、私は夜に襲われたらどうしようかと、気が気でない。 まぁ、そんなことは何も無く、早朝5時15分定刻にサマルカンド駅に到着。 ウズベキスタンでは、公共施設の写真は厳禁だ それでも、車掌に了解をとって一枚 それにしても、よく許してくれたものだ 皆さん、お茶を飲むポットなどを持ち歩いている タイミングよく列車が左に曲った これも、ヒヤヒヤしながらシヤッターを切る 列車の進行 左右は砂漠 皆さんに、本当に良くしてもらいました I love youには、答えよがありませんでした 昼に食べた ラグマン、うどん煮込み 美味しくいただきました
2014.06.08
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6/5 本来ならば、バスで40分かけてウルゲンチ駅まで行って、サマルカンド行きの寝台指定券を購入しなければならないのだが、30分歩いた所で指定券を購入出来ると教えられたので行ってみたが、コンピュータの故障で指定券を買えなかった。 明日は、ウルゲンチ駅に早めに行き、寝台指定券を確保する。 ヒヴァの町は、あらかた見学したので、ブラブラと散歩した。 昼は、3日通った店でビール2本と日本でいう「つくね焼き」を食べた。3日も行けば、黙っていてもビールが出てくるのがいい。 バザールで、白菜、キュウリ、にんじんの漬物を見つけた。味見をすると薄い酢漬けの浅漬。手のひら2つ分たのんだら、代金は要らないという。無理やりに4,000スムを出すと、受け取る素振りなし。お母さんは日本人のような顔をしている。 ホテルに帰り、漬物でビールを飲む。これが、何とも言えない味でたちどころにビール2本飲み干す。 日本でもこれだけ美味しい漬物にめぐり会えるのは、滅多にありません キムチも置いてあったので お母さんは韓国の血を引く人かもしれない こちらのお母も負けてはいません 3日も通えばツマミがサービスされる ウズベキスタン美人 歌声がとてセクシーだった 未完成のミナレットとハーンの宮殿
2014.06.06
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モスクの正面 タイルの文様がとても綺麗だ ジュマ・モスク 薄暗い内部 目を凝らせば彫刻された柱が212本 柱の彫刻は一本一本違う 独特な雰囲気だ 最も古い柱は10世紀 ウズベキスタンで初めて魚を見る アムダリヤ川で捕れた魚 マスかシャケみたいな魚 お土産屋 カラフルです
2014.06.05
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6/4 ヒヴァは小さな町だ。アムダリヤ川の水系が変わりここにホレ ズム帝国の首都が移され、内側の城壁に囲まれた内城がイチャン・カラと呼ばれ、中世の町がそのまま残っている。 観光するのには2日もあれば充分だが、それをあえて、時間をかけて回っている。聞こえはいいが、暑いので時間をかけて回っているだけだ。 アタ・ダルヴァザ門 ヒヴァの正門 ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセ 1852年に完成された、中央アジアで最も大きい神学校 現在はホテル クフナ・アルク 17世紀に建てられた宮殿 ここは特別に要塞で囲まれている 執務室 ハーレム、モスクがあり、兵器庫、火薬工場、造幣所もあった カルタ・ミナル 未完成のミナレット 青のタイルで覆われ、文様が美しい モスクの中のレストラン 雰囲気があり 料理も美味しんでしょうね 値段も高い 一回の食事代で、私の晩飯代の4回分だ
2014.06.05
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6/3 中世の町を歩いているようだ バザールの様子 トマト、キュウリ、プラムなどの果物が売られている ジュース屋さん 安い400スム(15円)不衛生だが毎日3杯は飲んだ 昼飯を食べた店の女性たち 日本人が珍しい様子 色々と話しされるが チンプンカンプン
2014.06.03
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6/3 ヒヴァの町は、外敵の侵入を防ぐために外壁と内壁の二重の城壁で守られている。町は、1990年にユネスコの世界遺産に登録された。人影のない所を歩けば、8世紀にタイムスリップしたようだ。 本日は、ヒヴァの町全体を一通り見て回った。 人影のない所を歩けば タイムスリップしたようだ 未完成のミナレットがヒヴァの象徴だ 中世の町 錯覚してしまう グリーンと青のタイルが目にまぶしい ヒヴァの内城は高さ8メートル、厚さ6メートル、長さ2,100メートルの城壁に囲まれている。
2014.06.03
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6/2 本日は、タクシーでヒヴァに向かう。ブハラからヒヴァまでは500キロメートル、7時間の乗車だ。それが、たったの23ドル。それには訳がある、ヒヴァからブハラに客を乗せてきた帰り車だからだ。私一人だけが客で、クーラーは効くし快適だった。 1時間も走ると、キジルクム砂漠の中で道路はどこまでも真っ直ぐだ。 その昔、絹の道を行き交った 人々は、未知なるものへの好奇心もあっただろうし、莫大な富を得るためにローマから西安まで長い過酷な旅をした人もいたはずだ。ただ、目的を果たせずに砂漠に埋れた人も少なくなかった。どこまでも走っても砂漠は続く中、当時の旅人の事を少し考えた。 本日のホテルは、部屋は広くクーラーにバスタブ付きだ。1泊20ドルを、4泊で60ドルにしてもらう。 この車で500キロメートル、7時間 客は私一人 快適だ! 左右は砂漠 道路はどこまでも真っ直ぐだ 砂漠を抜けると緑が広がっていた 川の水が草や木を緑にしている 本日から4泊するホテル バスタブもある
2014.06.03
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6/1 前のブログは20枚近く写真を添付出来たが、楽天ブログは5枚しか添付出来ない。 あと、5枚だけがブハラ市内の様子を見て頂きたい。 色鮮やかな食器 親子三人で自転車に乗って、これから家に帰るところ 帽子屋 旧ソ連の兵隊さんの帽子を2~15ドルで売っている この時期は結婚の多い時なのか 何組ものカップル見ました ホテルで、持ち込みのビールを飲む ツマミにサラダ 無料だった
2014.06.03
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6/1 遺跡見学は、せいぜい4時間が限界だ。朝の内は涼しいが、日中は35度になる。 wi-fiフリーのコーヒー店を見つけたので入ってみた。 30分もすると、中学生くらいの男の子が、wi-fi10分で1,000スム(35円)といいに来た。 ジュースが5,000スムで、wi-fiは無料だろうと言うと、コーヒーを飲んだ客は無料だと言う。 私は頭にきましたね、子供相手に怒るのも何だが、理不尽な事には断固として言い返すしかない。 このガキは、大人がいない時に狙いを定めて、小銭を稼ごうとしたのだ。 この店のオーナーを呼べと言ったら、wi-fiはプレゼントだとぬかす。 店の奥に聞こえるような大声だったので、大人が出てきて、事情を話したら子供はこっぴどく怒られていた。 イスマイール・サーマーニ廟 日干しレンガの模様がとても美しい 世界中の考古学や建築家に注目されている 892年から943年に造られた 中央アジアに現存する最古のイスラーム建築だ 上の写真の拡大です 素晴らしいレンガの積み重ねで綺麗な文様になっている 昔から変わらないタキ 蛸壺みたいだ 町の中心点にあった商店街 タキの中 今も色々な店が並んでいる ミナレットの上部を拡大写真
2014.06.02
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5/31 「地球の歩き方」の説明文を要約する。 ブハラは、イスラーム世界全体の文化的中心地として繁栄した町。黄金期は9世紀に始まり、優秀な宗教者や科学者、神学生、商人が各地からブハラに集まった。 しかし、1220年にはチンギス・ハーンの来襲で壊滅的なダメージをうけ、町は焼失、破壊されれてしまう。 16世紀になってからブハラはよみがえり、シルクロードの面影を色濃く残す。その町並みは、今日までほとんど変化していない。 町を歩くと、あちらこちらに遺跡が保存されていて、昔のブハラの雰囲気が蘇るようだ。 ナディール・ディヴァンベギ・メドレセのアーチ 2羽の鳳凰が白いシカをつかんで、太陽に向かって飛んでいる ビヤホールで知り合った 言葉はわからないが、酒飲みは万国共通だ マゴギ・アッタリ・モスク 創建は10世紀にさかのぼる 土に埋もれていたのを、1936年に掘り出した アルク城 古代ブハラ発祥の地、2000年以上前にさかのぼるといわれている バラハウズ・モスク 1718年にアルク城の対面に建てられた ブハラ・ハーン専用のモスク
2014.06.02
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5/30 両替がするために片道40分ちかく歩く。 銀行でも、闇でも日本円をウズベキスタンのスムに両替出来ない。 闇で、1ドルが3,000スム。銀行で正式なレートで両替すれば、1ドルが2300スムにしかならない。だれも銀行で両替する人はいない。 ウズベキスタンを旅行する人は、ドルを持ち込んだほうが利口だ。 観光客にサービスで、ウズベキスタンの伝統民謡(?)を披露しているところ ラビハウス ブハラの中心点 観光客・市民の憩いの場 ブハラのシンボル 高さ46メートル 18世紀には死刑場となり、袋に詰められた死刑因が上から投げ落とされた カラーン・モスク 広さが1ヘクタール 1万人もの信者が礼拝できた 絨毯屋さん
2014.06.02
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5/29 本日は、サマルカンドからブハラに向かう。 まぁ、そのバスが冷房仕立てのバスで、 窓を開けられない。写真のように天井に小さい窓があるだけで、とても車内の空気の循環にはなっていない。まだ、走っている時は風が入り込むが、停まったら地獄だ。汗だくで、蒸し風呂状態になる。 サマルカンドのホテルで知り合った若者と、ブハラのホテルをシャアすることにした。二人で30ドルで朝食付きだ。 晩飯が7ドル、当然ホテルでは食べません。かならず、地元の居酒屋があるはずだ思い、探しました。執念と言うか、鼻がきくというか、我ながらあきれる。 ホテルにはwifiなし。 ブハラの町並みの 二人で30ドル 35ドルを値切った どうですか、長距離バスなのに立っている人も8人いた 天井の窓一つ それ以外に窓なし 風が入ってこない 気温は35度はある 地獄 サウナ風呂状態 どこにもあるもんだ 地元の居酒屋 市内を歩いていて見つけた名前は知りません
2014.05.30
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5/28 本日の日中は、夏日で30度を越している。 昨日、同宿の二人とライトアップされたレギスタン広場を見に行った。 スマートフォンで撮っ写真なので、写りがいまいちだ。それでも、少しは幻想的な雰囲気が分かってもらえると思う。 私が宿泊しているホテルには、入れ代わり立ち代わり日本の若者(圧倒的に多い)が訪れている。皆さん、ほとんどが長旅だ。世界一周する人、中央アジアとコーカサス地域を中心に旅する人など、話を聞くだけで勉強になるし、楽しくなってくる。 明日は、「ブハラ」向かう。 ブルーにライトアップされたレギスタン広場 赤にライトアップされたレギスタン広場 木の下にビニールを敷き 木の実を落として、それを食べている人達 私にも、粒の大きい実を選んで食べさせてくれた 木の実はモルス 甘い 公園にはバラが盛りだ 公園の噴水の所で、子供たちが水遊びしている
2014.05.28
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5/27 -2 サマルカンドはタシケントに比べると気温が4~5度高い。砂漠が近いからだろうか。 新疆ウイグル自治区の爆発事故から、ニュースを気にかけていたが、やはり、ウルムチやカシュガルには入らないで、帰国するのが妥当と判断して、今朝、キルギスから成田行きの航空券をネットで調べて購入した。 ただ、値段で判断して航空券を購入したので、2回乗換えて、待ち時間12時間ある。 もちろん、3時間の待ち時間で、キルギスからタシケント経由成田が10万円。私の買った航空券は6.2万円。年金生活者には、4万円の差は大きい。 4万円分は、体力と忍耐力てカバーするつもりだ。 ユーラシアもそうだったが、苦行僧・修行僧みたいな旅だ! 成田空港到着は、28日、朝9時予定。 左がティムールの妹を祀った廟 突き当りの廟 右がティムールの妻の廟 最も美しいといわれる廟 天井の装飾 見事です タイル模様の宝庫
2014.05.27
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5/27 -1 サマルカンド随一の聖地、シャーヒズィンダ廟群を見学する。ティムールゆかりの人々の霊廟がほぼ一直線に並ぶ、「死者の通り」で、たくさんの巡礼者が訪れている。装飾の多様さ、美しさで、中央アジアで屈指の名所だ。 正直、私には、ここの廟がサマルカンドで一番見応えがあった。 シャーヒズィンダ廟群の全体 上にはたくさんの墓が見られる 霊廟の入口 ティムールの部下だった将軍の廟 名もなき廟の墓 左右に、名だたるティムールゆかりの人々の廟が並んでいる 観光客と巡礼者が多い
2014.05.27
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5/26 -2 旅に出て、1ヶ月になった。 ラサからエベレストベースキャンプに立ち寄りネパールまでは、ツアーを組んだので20万円ほどかかった。 一人旅になってからは、ネパール~インド18日間で18,000円ほどだ。もちろん、交通費込みだ。 ウズベキスタンに入ってからは1日2,300円ほどで、ホテルが15ドル(朝食付き)、昼食と夕食で500円ほど。サマルカンドのホタルは夕食が3ドルで食べられるので、3日間はホテルで食べている。ビールは持ち込みで、1.5リットルが2ドル。 ウズベキスタンのホテルは安くない。2,000円以下で探すのは、結構大変だ。ただ、食事が安くつくので、トータルで2,500円以内でやっていける。 シェルドル・メドレセのタイル装飾 ライオンが描かれている 本来イスラームの文様では、人や動物は描かれない 非常に珍しい ルハバット廟 14世紀後半の廟 サマルカンド色の輝き ビビハ二ム・モスクのドーム サマルカンド市内の様子 あちこちに公園がある 緑が気持ちいい
2014.05.27
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5/26 -1 本日はおもに「レギスタン広場」を見学する。サマルカンドの商業の中心点であった場所。公共の広場として機能していた。謁見式や閲兵、罪人の処刑なども行われていた。 1時すぎに、通りかかったパン屋で昼食を食べた。釜に生地(玉ねぎ、羊肉)を張り付けて焼く。焼きたてに酢とケチャップ味の液体をかけて食べる。これがなんとも、日本人に合ってとても旨い! 釜で焼いた焼きたてのパンを食べさせてくれた親父さん 釜の中に生地を張り付けて焼く レギスタン広場 美しいミナレット チョルス 往来の交差点に設けられていた商店 ここでは帽子が売られていた
2014.05.27
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5/25 -2 中学校で習った「うるう年」、地球が太陽の回りを一回りするには、365日と6時間少しかかると、記憶していた。 私が最も興味を持ったのは、「ウルグベク天文台跡」で、ウルグベク(1394~1449)が、望遠鏡もない当時に、恒星時1年間を365日6時間10分8秒と推測出来たのか? 今の精密機械で計られた数値と誤差1分に満たないのだから驚きだ! ビビハニム・モスク この景色を見たさにウズベキスタンに来たともいえる ウルグベク像 日がいいのか 何組もの結婚式 六分儀の遺構 かつては、地下11メートル、高さ40メートル、弧長63メートルもの観測所が建っていた 日本から持ってきた「高菜漬け」 ビールとの相性バツグン かつては、このような光景が眺められたのだ
2014.05.26
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5/25 -1 約1400年前に三蔵法師が、中国からインドに進んだ頃も、タシケントやサマルカンドは常にシルクロードの中心都市だった。 中央アジアは東西の交易路、行路の安全と引換に莫大な通行料を徴収した。今に残る壮麗な建築群も築き得たのだ。 特に、ウズベキスタンには、壮大なイスラーム建築群が数多く残っている。 本日は、サマルカンドの建築群を外から眺めて回った。 タシケントもサマルカンドも、街並みはとても綺麗で素敵だ。 治安が良く、皆さんとても親切。バスステーションでも町中でも、まごついていると、すぐに助け舟を出してくれる。団体旅行のイメージがあるが、全然そんな事はなく、個人旅行しやすい国だ。 バザール 日持ちするパン 2年間保存でき 水に浸して焼けば食べられる バザール バナナは高い(輸入品) 少し高い丘からの眺め ハズラティ・ヒルズ・モスク 19世紀のモスク ビビヒニム・モスク かつてイスラーム世界で最大を誇ったモスク
2014.05.26
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5/24 マイクロバスは、定員をオーバーして8時に出発した。途中1回もトイレタイムを取らずに、4時間でサマルカンドに到着。 英語の出来る男が、私に色々と質問してくる。そのやり取りを乗客にウズベキスタン語で話して聞かせる。 私の歳の話になって、63歳と答えると前席の男が、自分よりも1歳若いといいだす。その男は、私から見て70歳を越えた老人だと思った。皆さん、私の顔をマジマジと見て、日本人はどうして歳を取らないんだと聞いてくるが、答えに困ってしまう。それでも、米と魚や野菜を食べるし、日本は自然が豊かだと答えておいた。 サマルカンドの街並には、青のモスクが所々に見え隠れしていて、また、緑が多い町だ。明日からの観光が楽しみだ。 本日から5泊するホテル 朝食付きで15ドル マイクロバスの中 サマルカンド市内の様子 町並みがとても綺麗です また、ひんしゅくをかいそうだ 奥の女性には三人の子供がいる 下の子にお乳をあげるときに、見事なオッパイをちらりと見てしまいました(見るつもりはなかったですが) 綺麗な女性を撮ろうと子供をカモフラージュして撮りました 隣の男は旦那ではありません ホテルの朝食
2014.05.25
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5/23 ー2 チョルスバザールの北側は、土ぼこりが舞う細い道が迷路のように入り組んでいる。目印は「ミナレット」で 、モスクの建物の外側 に建てられている細くて高い塔を目指す。 いつのまにか、バスティ・イマーム広場に出る。周りを青を基調としたタ イルで覆われた荘厳なモスクや宮殿によって囲まれ ている。 ジュマ・モスク 私がジャマ・モスク 土壁 旧市街の通り バラク・ハーン・メドレセ 逆光なのでよく撮れていない カフェリ・シャーシ廟 どうですか この青 青い空とぬける様な青のモスク 美しいですね! 邪魔者がいない 16世紀に開かれたモスク
2014.05.24
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5/23 ー1 サマルカンド行きのバスの発車状況を確認のために地下鉄を二度乗換えてバスステーションに到着するも、右から左からタクシーの運ちゃんに勧誘される。サマルカンドまで100ドル、もう一人は90ドル、すかさず80ドルと言ってくる男がいるが、「俺はバスで行くんだ!」と言っても、しつこい。 明朝の発車時刻は8時と分かれば、長いは無用だ。 ウズベキスタン料理の代表は「プロフ」 玉ねぎと羊肉、ニンジンを多めの油で炒め、水を加えて味を整えて煮込み、コメを入れて弱火で炊く。 出来たてが美味く 時間が経つと鍋の下に油がたまり 美味しくないそうだ ベッドだけの殺風景な部屋 13ドルではしかたないか ホテルの中 小学校の廊下みたいだ 酒屋で ペットボトルのビール それなりに、飲めました 1.25リットルで150円ほど
2014.05.24
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5/22 タシケントの旅行シーズンは、春の5月から6月、秋の9月から10月。今の5月は軽井沢の気候に似ている。日中は26度ほどで、夜は冷え込んで長袖が必要だ。 タシケント市内にはたくさんの公園があり、どこの公園も気持ち良く掃除がされている。緑が濃く、今の季節はバラの赤が目に鮮やかだ。その他にも黄色や白の花が咲き誇っている。まるで、高原の中を散歩しているようだ。 今後の予定は、ウズベキスタンの西の「ヒヴァ」に飛行機か列車で向かうつもりだったが、飛行機は24日、25日とも満席、列車は26日の月曜日しか運行していない。とりあえず、バスで「サマルカンド」に行くつもりだ。 今後の予定を大きく左右されるのが、新疆ウイグル自治区の暴動で、ウルムチ市内の朝市で22日起 きた爆発事件だ、31人が死亡し、94人 が負傷しているようだ。旅行どころでない。 ウズベキスタンからキルギスと旅行して、帰国するしかなさそうだ。 昼飯 偶然入った鳥専門店 ティムール像が建っている公園 タシケント駅 ウズベキスタンでは公共施設の写真は厳禁だ 見つかるとフィルムだったら没収 デリーからタシケントに向うさい機内から山並を撮影したら、削除させられた 今の世の中隠し事などあるんですかね ティムール広場 時計台 窯でパンを焼いている
2014.05.23
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5/21 ネットで調べた格安宿を地下鉄とバスを乗り継ぎ、歩くこと40分、何人もの人に尋ねながらやっとの事で探しあてる。1泊13ドル、シャワーとトイレは共同だ。 wi-fiはつながらない。 ここの受付のおばさん、ウズベキスタン語で早口で一方的にまくし立てるのでチョー怖い。 部屋にザックを置き、「チョルス・バザール」に出かける。中央に体育館みたいな建物があり、肉やチーズ、香辛料、漬物、野菜、ドライフルーツなどがずらりと並べられている。それらの品を買い求める人々であふれている。昔ながらのにぎわいが伝わってくるようだ。 バザールの中を美味しそうな料理を出前している女性がいたので、その後をつけて店に入ってみた。 ピーマンの中にひき肉と米を詰めて煮込んだ料理はとても美味しい。私の感もまんざらではないと、自画自賛してしまう。 本日宿泊しているそばにモスクがある。嫌な予感が的中してしまった。モスクの近くにはアルコーを出す店はないのだ。ビール飲みたさに3キロも歩く。往復で6キロ、帰り道に酔も覚めてしまう。 ウズベキスタンはwi-fiがつながる所はほとんどない。本日一日中歩いてやっと見つけた。 クカルダシュ・メドレセ 16世紀に建てられた神学校 バザール 果物と一緒に衣類あり履物あり 何でも揃っている 日持ちするパン 朝飯にこのパンとお茶だけで済ましている人がたくさんいた 写真上の神学校の内庭 素敵です 昼飯 ピーマンの中にひき肉と米が詰められている 美味しく頂きました
2014.05.22
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5/20 14時定刻に飛行機はウズベキスタン空港に到着。無事に着陸出来たので、乗客から拍手があがる。 入国審査では、パスポートとビザをチェックされ、次に税関申告書に所持金を多少にかかわらず記入し2枚提出した。1枚は自分のもとに戻してもらう。出国する時に、申告した金額より多かった場合は「没収」される事もある。 さらに、スマートフォンと腕時計も所持品として申告した。これも、帰国する際にチェックされ、少ないとあらぬ疑いをかけられる可能性がある。何とか済ませ、空港内で両替所を探すが見つからない。ATMは故障している。私の様子を見ていた男性が両替してくれると言うので、バス代分2ドルを両替してもらう。 何人ものタクシーの運ちゃに、市内まで2ドルと言われるが、バスで行く事にする。(8,000スム 40円ほど) インドの暑さはどこへやら、26度くらいで湿気なく快適だ。 目星をつけたホテル「ハドゥラ」は廃業している。次にチェックしたホテルは地下鉄で行かなければならない。 地下鉄入口には警官がいて、パスポートとザックの中を簡単に調べられる。 キップ売場でまごついていると、写真のカップルの女性が声をかけてきた。目的の駅を言うと、親切に教えてくれ、一緒に電車に乗って目的の駅で降りて、ホテルを探してくれたが、ここのホテルも廃業している。 2人はスマートフォンで調べたホテルに次々と電話して、ようやく4,000円のホテルを見つけてくれた。さすがに、高いので断ろうと思ったが、2人が一生懸命探してくれたホテルなので一泊だけ泊まることにした。 「地球の歩き方」05~06年は古すぎた! 本当に有難うございました 顔が黒くなってきた 生ビール最高です 眉毛が八の字の時は、満足度120パーセントだ! ホテルから出る時、十分なお金を持ったつもりだったが、慣れていないので勘定すると1,000スム(40円ほど)足りなかったが、OKと言ってくれた 勘定は16,400スム(5ドル) 一変に金持になった 40ドルを両替したら札の山 1ドル⇒3,000スム 町を歩く時にどうやって持ち歩くか… さすがに、40ドルするだけあって設備が整っている 生ビール(100円)ウズベキスタンは食事代が安くつきそうだ
2014.05.21
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5/19 朝は、トマトとチーズを挟んだトーストとミルクコーヒー。それと、昨日の屋台のラッシーを飲む。 散歩のつもりでコンノートプレイスまで50分歩く。地図も何もないので、2年前の記憶に頼って歩いてみた。地図を持っていれば30分くらいで着く。 コンノートプレイスは真ん中が公園で、建物群が円状に囲む独特の地形になっている。センスの良い店がズラリ並んでいる。衣類あり靴あり、電化製品、紅茶、食べ物屋あり、デリーの人達の買い物客でごった返す。当然旅行者もお土産を買い求めている。 ただし、詐欺師が多い事でも有名だ。実際に私も歩いていると4人ものうさん臭い男に付きまとわれた。3人は、自分の知っている安い店に連れて行くと、言ってくる。連れて行って買い物させて、マージンを稼ぐのだ。これくらいは可愛いもので、偽物の宝石を高額で売りつける店に連れて込む悪質なヤツもいるようだ。 半ズボンが欲しかったので、いい店があるからと言われて付いて行ったら、宝石・時計・貴金属店だった。要らない、要らない、と言っても、見るだけとしつこい。なんで半ズボンが、宝石店なのか、意味がわからない。 地図も持たずにウロウロしていると、一人の男が、旅行会社の人間だと言って近づいて来る。ノーサンキューと言っても、デリーのマップを差し上げるから、チョット寄ってくれとしつこいので、マップを貰ったらすぐに退散するつもりで立ち寄ったら、5人もの目つきが悪いがいるではないか。奥に入れと言われるが、入口付近から中に入らずに、マップを受け取ると、サンキューと言ってすぐに表に出ると、列車や航空券を手配しろと言っているが、無視して急ぎ足で立ち去る。 街もノンビリと歩けないのがインドだ! 明日は、ウズベキスタンに入る。初めての国なのでワクワクしてはいるが、不安もないわけでない。 ★wifiがつながるか、わからない。毎日ブログを更新出来ないかもしれない。出来る限り更新するつもりです。 ただ今、ウズベキスタン空港に降り立つ。 デリーで一番大きなシク教寺院。 15世紀にイスラム教の影響を受けて 起こったヒンズー教の改革宗教。 インドの人口11億のなかで1,600万人しかいない 白が目に染みてくるようです 綺麗な寺院 町を歩いていて見つけた古い建物 ホテル街を一歩入るとデリーの台所 昼に食べたマトンカレーとガーリックナン ニンニク味のナンは美味しい
2014.05.20
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