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8月25日(月) 午後花壇づくりも調子が出てきた。 「太陽」「三日月」「ハート」の形に盛った土の周りに大小様々の瓦や石を置く。 津波で壊され運ばれてきたものなのかもしれない、少し探せばいくらでもある。 基礎の部分だけが残された住居跡のそばに、生活を偲ばせる茶碗や箸などの生活用品が並べられている。 みんなでわいわい言いながら花壇を作っていく。徐々に形ができあがっていくのが嬉しい。 そこに花壇の手入れをして抜いた花等を植えていく。 それぞれ瓦や石にメッセージを書いて花壇の周りや中において完成! みんなでできあがった花壇、そして日和山も背景に入れて記念写真。 さらに名取市復興支援協会のプレハブで小さな紙にまた別のメッセージを書いて閖上を後にした。 2014.8.25 完成した花壇!
2014.08.31
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8月25日。 日和山の近くの草がいっぱいの場所、でもそこに誰かが住んでいた場所。 名取復興支援協会のプレハブの近くでの作業。 そこの手伝いをしている方の指示で動き出す。 その人は広島で定年を迎え、今しかないと家族にも話してこの地に単身で部屋を借り生活している。 ボランティアを通してこんな方々にたくさん出会ってきた。 誰にもできることではない、やっぱり敬服する。 女性の4人はプレハブの前の花壇の手入れ。 僕らは花壇作り。 まずは草取り。12人もいるのでみんなが動くとみるみるうちにきれいになる。慣れたもので必要な道具も分かっていて借りてくる。ますますスピードアップ、1時間もしないうちにほぼきれいになった。 僕らの住む丹後の天橋立をイメージした花畑にしようということだったが、最終的には「太陽」「月(三日月)」「ハート」の形をした花壇を3つ。 途中、初めてここを訪れた参加者は「閖上の記憶」というこれまたプレハブの施設に見学に行ってもらった。 「3.11」の津波の様子を空からの映像で見せてくれる、しかも大画面で。 見てる僕らからは津波が徐々に押し寄せて来るのが分かるのだが、渋滞の車の人々や少し離れた町の中にいる人には見えない。早く逃げなきゃと思うのだが、映像の中の人には見えない、届かない。 そんなビデオを今回も見せてもらったかどうか聞いてないが、他にもいろんな資料が展示されていたり、今回はなかったが語り部さんの話も聞ける、そういう場所。 昼は新しくできた冷房の効いたハウスで注文した弁当を食べた。 NHKで放映された閖上を取り上げたビデオを見せてもらった。 きちんと避難することがいかに難しいか、よく分かった。 2014.8.25 花壇作り まずは草取りから 後ろの白いバスが僕らの乗ってきたバス。 左側の小高い丘が日和山。 ※丹後ウルトラマラソンまであと2週間。 走り込みが足らないことは分かっている。 今日は30km走った。20km過ぎてからがやっぱりきつい。 100km走らなきゃならないんだけどなあ・・・
2014.08.30
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8月25日(月) この日はみんなで名取市閖上地区で活動する。 名取市復興支援協会の川崎さんと何回か連絡を取りながら内容を確認してきた。 10時くらいからでいいです、と言われていたのでゆっくり目の仙台別院スタート。 少し早めに着いたので、閖上中学校を訪れた。 3月は震災ガイドさんの説明を受けながら手を合わせた。 初めての参加者に説明できればいいのだが、正確なことが伝えられない。 覚えていることをとぎれとぎれに話す。 中学校につながる道路の両側のガードレールがひしゃげたままになっている。 そう言えば、津波が単に水だけでなく流されてきた建物や車などがぶつかってこうなったんだと聞いた。 何人かの中学生が亡くなり、その生徒の名前を刻んだ慰霊碑やメッセージを書いた机がある。 関係者なんだろうか女の人が水を汲んで雑巾で拭いている。 忘れてはいけないという思いを持続するためにも大事で必要なことなんだと思う。 日和山にも上った。参加者の一人が宮司さんにお願いして、日和山の上に立ち周りを見ながら「3.11」の生々しい話をして下さった。 あの川の向こうを盛り土して、建物を建てるんだそうだ。 盛り土はしない海に近い場所は水産加工施設等が建つことになる。 若い人たちは帰れないから帰らなくて、今年の閖上小学校の1年生はわずか4人、来年は2人しかいないそうだ。 そういう閖上の将来を考えると暗澹たる気持ちになる。 10時頃、名取市復興支援協会の代表の方と、そこで中心となっている人に指示してもらい動き始めた。 2014.8.25 仙台城から見た朝の仙台市内
2014.08.29
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8月24日。 前の日は母の三回忌。夜は村の行事の愛宕山のお参り。 バタバタして起きられるか心配だったが4時半起床。 5時半過ぎには京丹後市役所に着いた。 みんなが続々集まってくる。 網野が最初バスが出る所、そこで乗った人3人を乗せてバスがやってきた。 今回は長靴がなくてもいいので比較的身軽。ばら寿司を作る材料や道具、現地で見てもらうためのコンロや鍋も積み込んである。使わないかもしれない僕の「科学教室グッズ」も乗せたがまだ余裕がある。 みんなが乗り込み峰山を出発。 途中、大宮、宮津、そして安国寺で参加者を乗せて仙台へ向かった。 毎回そうだが初めて顔を合わせる人もいてやや緊張気味。 みんな揃ったところで、参加者の名簿を配り自己紹介。 この4日間の日程や諸連絡等を済ませて、後はそれぞれの思いで動いてもらう。 休憩や食事を一緒にとることで少しずつお互いの距離が縮まっていく。 小浜から敦賀まで高速がつながってから僕には初めての舞鶴若狭道。北陸道から磐越道に入り郡山ジャンクションで東北道に入る。何回も通ったがやっぱり東北は遠い。 いったん高速道を下りて、支援物資を渡すという田中さんを福島駅でおろし、再び高速道に入る。 結局夕方6時からのミーティングには間に合わず、手続きを経た後、この日はみんなでよく行くレストランに食べに行った。 いよいよ次の日から活動開始! 2014.8.25 朝のジョグで仙台城跡まで走った。 そこから見た仙台市内。
2014.08.28
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8月27日(水)午前6時15分頃、お世話になった仙台別院を出発した。 昨晩急速に親しくなった大学生4人が見送ってくれた。 それから何度か休憩したり、昼食をとったりしてわがボランティア便にしては珍しく明るい内に帰ってきた。 丹後を出たのは8月24日(日)朝6時頃。 行くときは福島に寄ってから仙台に行ったので13時間ぐらいかかったが、帰りは12時間(すいすい走ったようだったがやっぱり12時間)かかって無事着いた。 行くときの硬い表情とはうってかわって帰りは和気あいあいのいい感じ。 敦賀を過ぎた頃から恒例の一言感想を話してもらって、締めくくりとした。 今回もまた心に残る4日間になった! ※じっとしていてもバスに揺れている感じが残る。 明日から仕事の人もいる。 最年少の小学生(5年生)の男の子は明日は2学期始業式。 またそれぞれの日常が始まる。
2014.08.27
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母の3回忌。 10時に和尚さんが来るので、間に合うように親戚や子どもたちが次々やって来る。 心配された雨もなくバタバタしながらではあったが法要が始まった。 配られた冊子を見ながら唱える。 30分ぐらいの読経。 その後、墓参り。 塔婆を持ち、花・線香・水を持って墓へ。 歩いて行けない距離ではないのだが、車ですぐそばまで行き歩く。 お経をあげそのお経を聞きながら線香を立てた。 それからお寺に行きもう一度お経を上げてもらって「3回忌」が終わった。 場所を変えて食事。 一応戸主でもあるのであいさつ。 改まった挨拶に孫が「おじいちゃん、何してんの?」と不思議そう。 ・・・・・・ 明日から東北! 今までになくばたばたした出発前の日々! 帰ったらまた報告します。
2014.08.23
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寝苦しい夜が続いて熟睡できてない。 昨日なんかひどくて、夜中に目が覚めてしばらく我慢して眠ろうとしたがダメ、仕方なく起き出してパソコンで8月便の日程を改めて書きこんで確かめたりした。 2階はムッとして、クーラーをかけるのだがあまりなじめず、上がる気がしなくなった。結局1階で敷き布団なし、タオルケット1枚でいつのまにか寝てしまってた。 それでも5時過ぎには目が覚めて、新聞を読んだり本を読んだり、7時になったらゴミを捨てに行き、畑のネギを抜きみそ汁作り・・・・ 9時頃眠くなり、10分ぐらい横になるつもりが気がつくと10時。 明日は母の3回忌、墓の回りの木を切ったり草を刈ったりして明日に備える。 2年前の8月22日、僕らは病院に詰めて母を見守っていた。 あれから2年、それぞれ2つ年をとった。 仏壇の遺影は変わらない顔で僕らを見てる。 僕らは、2年前の僕らから比べて少しは成長しただろうか。 雨でぐっと涼しくなった。 今日は眠れるかな。
2014.08.22
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今日も広島の土砂災害についてのニュースが流れ続けている。 朝の新聞の見出しは“広島土砂災害 36人死亡”。 夜のニュースでは死者は39人、行方不明者が27人とさらに増えている。 親戚が被害にあったという「ゆるボラ」メンバーの家に電話をかけてみた。 まだ帰っていなかった。向こうに親戚がたくさんいるらしく、その親戚を訪ねてから帰るんだそうだ。 でっかい岩がごろごろ転がる現場を見ていると、素人の出番はなさそうな現状だが、泥を掻き出している住民の方を見てるとそれでも何かできそうな気がする。 ※先日借りてきた本『石を抱くエイリアン』(濱野京子 偕成社)を今日、一気に読んだ。 帯にこんなふうに書かれていて、手に取った本。課題図書にもなっていた。 わたしの辞書に「希望」なんかない。 1995年に生まれ、2011年3月に卒業式を むかえた15歳たちの1年間。 そうなのだ、1995年と言えば阪神淡路大震災の起きた年。 そして2011年3月は「3.11」が起きた。 今どきの中学生の姿がリアルに描かれ(たぶん)、いきなり主人公の 女の子とそれきりになってしまう、いわき市の親戚に行った男の子。 「原発」も取り上げられている。ひりひりするような「青春群像」・・・!? ニュースで広島の土砂災害で亡くなった11歳の男の子の友だちがマイクを向けられて声を詰まらせていた映像が流れた。突然関係を断ち切られる酷さにどう直面していくのか、東日本大震災から3年以上経った今も割り切れない思いを抱いておられる人はいっぱいいる。 本を読みながらいろんなことを思った。
2014.08.21
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福知山や丹波、そして高山の被害が大きく報道されたばかりなのに、今日は広島の大規模な土砂災害のニュースが一日中流れていた。 僕が大学時代を過ごした広島の山側の住宅地が凄まじい土石流に襲われた。 テレビでは巨大な岩がごろごろしていた。 ゆるボラのメンバーの親戚がまさにその被害にあって所に住んでいて、住宅が全壊、ケガもされたらしい。 今から広島に向かうと連絡があった。 高知や徳島の豪雨災害から立て続けにあちこちで災害が起きている。 たまたま被害が少なかっただけで、いつ我が身が被害を受けるか分からないこのところの災害だ。 ※明日は市から福知山へのボランティアバスが出る。 行きたいのはやまやまだが、以前からの区の予定が入っていてそれを 放っていくわけにはいかない。土曜日には2回目のボランティアバス が出るが母の三回忌でこれもどうしようもない。 東北ボランティアから帰ったら、必要とされる所にまた行こうと思う。
2014.08.20
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今日は隣の町で地域公民館主催の「おもしろ科学遊び」があった。 午前低学年、午後高学年。それぞれ1時間半を目安としてやってみた。 やや準備不足もあって、もたもたしたところもあったがやっぱり子どもと過ごす時間は楽しい。 もちろんそこに「ネタ」や「グッズ」があればこその楽しさではあるのだが・・・ 午前中は1年生から3年生までの16人。 「とばしてあそぼう」というテーマで「紙とんぼ」をメインに、質問・実験を繰り返し、飛ばして遊んでもらったり実際に作ったりして楽しんだ。 家でやったときにはスーッときれいな軌跡で飛んでいた「種のグライダー」や「ふわふわつばめ」が望むような飛び方をしなかったのは残念だったが子どもたちの意見や笑顔がたくさん見られて嬉しかった。 午後は「ころばしてあそぼう」。4年生と5年生の8人に一緒に来ていた妹の3年生も参加して9人、そして公民館長さんも一緒に考え手を挙げ、子どもと同じように意見を出してくださって大いに盛り上がった。さすが高学年、しっっかり自分の意見を出し、問題が続くうちに速いか遅いかを決めるものが何かをきちんとつかんでいった。 「ぴこぴこカプセル」作りも集中して取り組んだ。うーんと考える姿がよかったし、「また来る」と即答した男の子もいて楽しかった。 どちらも最後に僕の持つグッズを手にとって遊んでもらった。 子どもとの距離がさらに近くなる時間でもある。 楽しかった!
2014.08.19
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昨晩ブログを書いた後、やっぱり明日行こうと決めた。 何人かに連絡をした。都合のつく4人で行くことに決めた。 8時半福知山社協で受付開始とあったので、7時過ぎに家を出て、呼びかけた人たちと途中合流して福知山に向かった。 与謝峠を下りると由良川。今回由良川の決壊はなかったが流れ込む支流の両側が泥をかぶっていた。 さらに市街地に入ると、道の両側の店からいろんなものが道路際に出されている。信号の近くに、動かなくなった車が残されたままになっている。泥水の跡が窓の辺りまで付いていて、こんな所まで水があったんだと驚かされる。 社協で受付をする。たくさんのボランティアが集まっていると思っていたが、僕らが受付第1号。 まだボランティアセンターが開設されたことが広まっていないのかもしれない。 新聞社の人が何人かいて、取材を受けた。 僕ら4人と地元福知山や夜久野町等からのボランティアと一緒に石原地区に入った。 自治会長さんに案内されて、作業開始。 僕らは入り込んだ土砂を土嚢に入れる作業と、溝を埋めてしまった土砂を取り除く作業。 まだ水を含んでいて、結構ハードな作業。 休憩を入れながら何とか作業を終えた。 テレビ局の取材もあって、僕は見ていないがその作業の様子が放映されたようだ。 活動中はそんなに思わなかったが、さすがに疲れたなあという感じ。 すぐに寝てしまった。 火曜日は行けないが、別のメンバーが参加する。 僕個人は、今週もう1回行けたら、と思っている。
2014.08.18
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今日の雨は昨日ほどでもなかった。 ところが昨年由良川の氾濫で大変な被害にあった福知山市が大変なことになっていると、ニュースやインターネットで知った。特にインターネットでは、よく知っている福知山駅前や、高速に上がる辺りが水浸しになっている。由良川は決壊していないのにこんな状態!いったいどうなってるんだ、どうしてこんな事態になっているのかさっぱり分からない。 いったん水が引いたとも聞いているが、さっきからまた強い雨が降り出した。 国道や府道もあちこちで通行止めになっているし、福知山線も復旧に数日かかるだろうと報じている。 来週東北ボランティアに行く予定だが、足もとのこの事態に何らかの動きをしなくていいのか、とどうしても思ってしまう。参加者の何人かに相談してみた。 ボランティアの日程に合わせて休みを取り現地を見て何かやれたら、との思いを持って参加する人もいる中、中止するのは難しい。むしろ東北の現状を知ることで、身近な場所に目を向けられることもある。いろいろ考えて、予定通り実施することにした。 今週も何かと予定が入っていて忙しいが、少しでもボランティアとして現地に入れたらと思う。
2014.08.17
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昼を食べてから、孫や子どもたちが車で帰って行った。 大雨警報も出てかなり強い雨も降ったが、そんなに長くは続かなかった。 でもUターンラッシュがピークのこの日、名神や東名高速道路やそれに列車も混んでいる。 加えて京都府北部と違って、中部南部地方は相当な雨風になってるらしく、しきりに土砂災害の危険を知らせるテロップが流れている。 幸い、道路はそんなに混むこともなく無事に着いたと連絡があった。 ほっとする。 またいつもの日々が始まる。 ※東北ボランティアも近づいている。何人かに諸連絡のメールを送った。 明日は残りの人に、直接渡して行く。 ※来週火曜日に予定している科学教室の準備も進めている。
2014.08.16
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8月15日。 今にも雨が降りそうな中を走った。 12時、サイレンが鳴った。 今日は「終戦」記念日。12時のサイレンは「黙祷」の合図。 立ち止まって少しだけ目を閉じた。 再び走り始めた。 1時間と少し走った頃、雨が降り出した。 もう少し走りたかったが、引き返すことにした。 雨の中走った。 以前走っていた鉄道が廃線になりそこが整備されサイクリングロードや散歩道として利用されている、その道を走った。雨はますます激しくなる。もうシャツもズボンも靴もびちゃびちゃ。水たまりを避けずに走る。 何だか気持ちいい。激しい雨の中に、わざと飛び出してはしゃぎ回る子どもの気持ちが分かる気がする。 ほんとはもう少し走って、温泉で汗を流して帰る予定だったが、着替えを持ってきてないことに気がついた。2時間半近く走って、濡れたまま車に乗った。 もう少し走っておきたいなあ・・・
2014.08.15
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母の3回忌を8月23日にした関係で、第14便はいつもと違って少し遅めの8月24日に丹後を出発。 活動日は25日26日の2日間。 今回は日曜日移動、月曜火曜の活動を組んだ。いつもは金曜日出発、土日に活動というパターンがほとんどだった。準備を進めていてはっきりしてきたのは、震災1年目はともかく、ボランティアセンターが閉鎖されたり、月火は休養日だったりするところが多くなっていること。 まずは大丈夫だろうと考えていたので、今になって大あわて。予定していた仮設住宅が他の予定がすでに入って行けなくなったり、活動自体が少なくなっていたりして現地での過ごし方のセッティングが、今回は格段に難しかった。 いつもお世話になっている仙台のボランティアセンターにお願いして何カ所かあたってもらった。 幸い、すでに訪問が決まっていた名取市の仮設住宅の近くに、受け入れてもらえる場所が見つかった。その結果、26日は2ヶ所で丹後のばら寿司を作って持って行けることになった。 25日は閖上地区の日和山近辺の草取りや花植えの作業がある。 その近くの「閖上の記憶」で震災当初の映像や記録を見せてもらうことも、初めて参加の人を中心に計画している。 ともかく、何とか計画が組めた。 決めるのが遅すぎるのだが、参加人数が確定しないと相手に連絡するのも何だか気がひける。 ともあれ、もう少し細かい打ち合わせを何回か重ねる必要がある。
2014.08.14
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『ランスマ』というNHK の番組がある。 先日「サロマ湖100kmマラソン」を完走した番組専属?ランナーの若い女性の奮闘の様子が2週にわたって放映された。 人それぞれの条件もあり、練習方法も多様なんだが彼女の場合、1か月前には40kmのマラニック(マラソン+ピクニックのゆっくりラン)、さらに40kmのペースラン、さらにさらに60kmも経験しての本番を迎えている。 「サロマ湖100kmマラソン」に参加しているランナーがインタビューに答えていたが、月400kmとか500km走った、というから驚き! 彼女も専門のスタッフに助けてもらうながら走り込んでの本番、その彼女の笑顔が消え苦しみながらの完走。常連のランナーの一人は残念ながら脱落、暑い中でのレースは完走率が50%を切る過酷なレース。 1か月後の丹後のウルトラマラソンもどうしてもその暑さへの対処が問題になる。 早い時期にマラニックをやっておきたいんだが・・・ 不安は尽きない・・・
2014.08.13
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盆休みで、孫がやってきている。 8月の始めに3日ほど一緒に過ごしたばかりだが、いろんなことができるようになっていたり、ぐっと背が伸びたりしているようでまた大きくなったなあと感心している。 今日は坂になっている道を歩いてまずお地蔵さんの所に行った。 そこで引き返すかと思ったら、近所のおばちゃんが畑にいて声をかけてもらい、さらに坂を歩いていく。 その歩きっぷりと言ったら見違えるようだ。 8月始め、僕らが孫の所に行った時には、その場に立ち止まり肩を落とし首を曲げくにゃっとして、口では言わないが「抱っこ」を要求した孫の姿を思い出すと笑えて仕方ない。しゃがんで手を差し出すとにやっとして手を広げて体を預けてくる孫に僕はもうメロメロなのである。 家の中で今はまってるのは、「保育所ごっこ」と「アンパンマンの盆踊り」。 もう何度もやらされた。 誰かに見られるとちょっと恥ずかしいが、でも孫のしぐさがかわいくてついつい引っ張り出されてしまう。 もうしばらくは一緒に過ごせる。 明日もいっぱい笑わせてもらおう。
2014.08.12
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8月9日午前5時過ぎ?、市の防災無線で「大雨警報が発令されました」との放送があった。 昼前には「洪水警報」も発令、区長さんから非常時に供えて公民館に顔を出すようにという連絡があった。 幸いそんな危ない感じは全くなかったが、前回の大雨で水に浸かった何軒かの家に土嚢(どのう)を配って回った。 市の方からは「避難所」を公民館に開設ということで、職員が派遣されていた。 職員の方は警報が解除されるまでずうっとここにいなければならない。 夜?には「暴風警報」まで出たが、全然台風らしくない。 役員である僕らもかなりの時間、公民館につめていたが、もっと雨風が強くなってきたらその時点で集まろうということになった。 そして翌日8月10日。 ゆっくりゆっくりのスピードだから朝はまだ四国に上陸していない。 幸い丹後の東側を通過したので、結果として何事もなく終わった。よかった。 ※昨年の大雨の時は山崩れの前兆になるような箇所がないか回って歩いたが、 今回はそんな動きも必要ないほどの雨量、風もそんなにたいしたことなか った。
2014.08.11
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キャンプの間あまり走れてなかった。 一度だけ時間を見つけて1時間ほど走ったが、暑くて暑くてぐったりした。 キャンプ以降も暑い日が続く。 一度夕方にかけて走ろうと思っていた。 5時頃離湖をスタート。 七竜峠までの往復。 暑いのだが、走り出すと意外に気持ちいい。 ゆっくりゆっくり坂道に入る。 おだやかな海。 少しだけ涼しくなったかな、と思う。わずかに吹く風が心地よい。 いつのまにか日が沈み海の色も刻々と変化する。 うっとりするような景色が続く。 これぞ、サンセットジョグ! 2014.7.31 この景色! この海!
2014.08.08
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ふくしま・こどもキャンプが終わって10日近く経つ。 ブログで書いていることもあって、まだつい昨日のことのように思うことがある。 今日の午後、スタッフの一人の方と写真を見ながら話した。 僕らの手元にある写真だけでも700枚くらいある。 その1枚1枚を見ながら、また1コマ1コマに新たな発見もあったりしてまた思い出す。 まとめの冊子を作るのだが、さてどんな写真を採用するか迷ってしまう。 月曜日冊子の編集会議があるので、それまでにはもう少し絞っておきたいものだ。 ※23日には母の三回忌、24日からは東北ボランティア、その前に19日には 午前中低学年、午後高学年対象の「科学教室」、9月15日に迫った丹後ウル トラマラソン・・・等々、ゆっくりする時間もなさそうだ。 台風の進路も気になるなあ・・・ 2014.7.24 キャンプのベース地 宇川加工所 元は保育所だったので、園庭はあるし、子どもたちは 自転車練習もしたりのびのびと過ごすことができた。
2014.08.07
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7月28日。 この日合流し、明日にはいわき市に帰る園長の I先生は、あわただしい日程の中「フクシマの今」を話して下さった。大人がほとんどだったが、中に小学生もいた。たまたまこの日は地元のイベントがあり積極的に声をかけなかったが、たくさんの人に聞いてほしい話だった。 I先生の話は、1枚の写真から始まった。 ある家の「除染作業」で出た「ゴミ」「作業に使った手袋」等が入った黒い袋。 昨年だったか、南相馬市から福島駅に向かう道すがらこの袋がたくさん集められて田んぼに置かれていた。 田んぼの中にたくさんの黒い袋、異様な光景だったが、これをどこで保管するのかまだ決まってないという。 「除染作業」もこの家が終わったら、隣の次の家というふうにはなってないという。屋根の「除染」を行う業者と庭の「除染」をする業者も違うという。せっかく除染をやっても風が吹くと、まだ「除染」をやっていない家から、或いは全く手つかずの山や森から放射線が降り注ぎ、住民の不安は払拭されていない。 この日取材で入っておられた毎日新聞の S記者はこんなふうに書いた。 更に放射能汚染が家族関係を引き裂き、仮設住宅の高齢者の孤独死が増加 していると語った。仮設住宅で一人暮らしのおばあさんは朝、コンビニで弁 当を注文して食べる。「一人きりでご飯を食べたくなく、せめて人がいるコ ンビニで寂しさを紛らわせているのでしょう」と語った。 2014.7.30 毎日新聞 津波でやられた海岸も映し出された。震災前はにぎわった海岸だが、放射能の問題もあるが、瓦礫がまだ底にいっぱいあって海水浴場の体をなしてないのだそうだ。 24日ボランティアで参加した高校生は、この日 I先生の話が聞きたいと参加した。 こういう若い人の参加はほんとに嬉しい。 ここに集まって聞いた人たちそれぞれが「聞いてしまった」責任!?がある。 それぞれがこの話や映像をもう一度思い出して、考え、また近くの人に伝えてほしいと思う。 2014.7.28 ビューランドから見た天橋立!
2014.08.06
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7月28日。 この日の夕食は「手巻き寿司」。 東北ボランティアに Uさんに責任者になってもらい、以前の職場の同僚や知人にも協力を依頼、暑い中「手巻き寿司」を準備してもらった。 初めて食べる子もいて、 Uさんに「こうやって食べるんだよ」と説明してもらい、子どもたちを代表して sちゃんに実際にやってもらう。それからそれぞれ巻いて食べたいものを選んで口に入れる。小さい子も大人たちも美味しそう、楽しそうだ。 今日はキャンプ最後の夜。 朝食を作りにほとんど毎日通ってくれた Mさんたちがやっている読み聞かせグループの方々に来ていただいた。 前日の Mさんとはまたひと味違った語りや大型絵本を楽しんだ。 その後、いろんな方からのプレゼントが渡され、また紹介された。 地元の Yさんも自分たちが作っているハーブの花束をプレゼントしてくれた。 そんな中このキャンプに参加していた地元の子が手紙を用意していた。 短期間だが一緒に泳ぎ遊んだ子、前日の読み聞かせの時にはお話を怖がった幼児を抱っこしてくれた男の子だ。 こんなハプニングにびっくり、そして感激。 最後にみんなでスイカを食べて会を閉じた。 さらに別の部屋の移動して、この日橋立で合流した園長先生の「フクシマの今」の話。 (続く) 2014.7.28 ビューランドにて
2014.08.05
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7月28日(月)。 今日は天橋立観光の日。 地元の Nさんにいろいろとお世話になり、半日一緒に動いてもらった。 9時40分のビューランド行きのケーブルに乗るため、8時過ぎには宇川を出た。 今日も暑い。どっかに「もう明日帰っちゃうんだ」という思いがあって、何だか勝手にしみじみしてしまう。 松並木の向こう側に笠松公園があり、去年はそちらに行った。 今年は橋立駅に近いビューランドに来た。 長いこと生きてきてビューランドに来るのは初めて。スタッフの誰かもそう言ってたような・・・ 見慣れた橋立の松並木の風景が、こちら側から見るととても立体的に見える。 ケーブルに乗った子どもたちや先生方からも歓声が上がる。 ケーブルを下りると「天空回廊」と名付けられた歩道橋?が空にせり出すように作られていて、そこをみんなで歩く。いろんな角度から松並木や両側の海が見られて面白い。そんな場所を歩くこと自体が楽しくて、2回も3回も歩く子がいる。 ビューランドのマスコットでもある2体のぬいぐるみのちょっとしたパレードもあって、みんな興奮気味。握手したり一緒に並んで写真を撮ったりあっという間のビューランド! 帰りは一人リフトに乗って下に降りた。 次は土笛に好きな絵を描いていく体験教室。 歩きながら「僕、そんなんしない」と言ってた男の子がいてどうしようと思っていたが、その子も含めてみんな熱心に筆を運んでいた。お餅とお茶のサービスもしてもらって、今度は買い物。 すぐ側の土産物店でそれぞれに限られた予算の中で手にとって見ていた。 ここで園長先生が合流。 船で対岸に移動。僕らは車を回す。 かもめにえびせんをあげたのが楽しかったようで10分あまりの船だったが満足してもらえたようだ。 いろんな段取りやら便宜を図っていただいた Nさんに感謝! 昼ご飯は去年はそば打ち体験もお世話になったそば屋さん。 暑いさなか、厨房では天ぷらを揚げてそばにのせていただいた。おいしい、おいしいと子どもたち。 帰りは伊根回りで走ったから、今日はぐるっと丹後半島を一周したことになる。 (続く) 2014.7.28 ビューランドの「天空回廊」
2014.08.04
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