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サロン終了後、同じ階にある部屋で、名取市サポートセンターのスタッフの方の話を伺った。青年海外協力会が運営しているこそ組織、話してくれた内海さんも、2年間エジプトに行ってたという。被災地の変化を見て行きたいと、東京から名取に移り住み、こちらで結婚もされた方。 みなし仮設での「孤立」「コミュニティの喪失」「ばらばら」を何とかしたいとサロンを開いている。 災害公営住宅は少子高齢化が進んでいて、高齢化率は67%だとか。 「復興」に時間がかかり過ぎて、若い世代が別の場所で生活し始めているのが現状なんだそうだ。 具体的なその工夫についても話してもらった。 今回の僕らの活動も、そんなコミュニティ作りに少しは貢献している、役立っているんだと思った。 いやいやそんなの、ひとりよがりだという声も聞こえてきそうだが、僕はそんなふうに思っている。 帰り、仙台城址に立ち寄った。 風が冷たく、みんな早めに車に帰って来た。 ※3月が終わる。 今日は天気がころころ変わった。 明日は新しい元号が発表される。 新年度のスタートでもある。
2019.03.31
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グループでのおしゃべりタイム。僕が進行役だったので、最初のサイコロを振る。出た目は「3」→「私の宝物」。 ちょっと考えて「やっぱり孫かなあ」と言うと、向かいのおばあちゃんが「私もそうかなあ」とすぐに反応。そのおばあちゃん、話し出すと次々に出てくる。 おばあちゃんは閖上出身。 津波で壊されたカマボコ工場に勤めていたという。 日和山の近くに残っていた建物だったと聞いてビックリ。 もう一人のおばあちゃんも津波の事を話し出した。 そのおばあちゃんも閖上地域。貞山堀沿いのお家だったという。 おとなしいもう一人のおばあちゃんは、確か亘理町で津波にあったと言っておられた。 びっくりするほど次々に話が飛び出してくる。 津波の話もごくごく自然に出てくる。 お互い知っている人の新たな一面が分かったという場面もあった。 「3.11」から8年経ったということ、話したい気持ちがいっぱいあるということ、若い人を含め僕らに伝えたい……いろんなことが含まれているんだと思う。 僕らがこの場にいることでそんなあれこれが動き出すことが、ひょっとしてあるかもしれない。 とまあ違うかもしれないが、振り返ってみて思ったこと!
2019.03.30
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ダンスというか体操教室が終わった。僕らに任された時間だ。 今回は話をする、とか、「科学教室」をするとかではない。 メンバーの一人が中心になって作ってくれたプログラムがある。 ねらいは「今の思いを聞かせてもらう」こと。グループに分けて席についてもらう。 グループは誕生月を基本に5グループ。 丹後のメンバーがその中に1人以上入って進行役を担う。 握手し、全体の場では「ゆるボラ」の紹介や丹後のことについての話、メンバー全員の自己紹介。 お寿司を食べながらさっそくいろんな話が飛び交う。 一緒に体操したせいだろうか、楽な雰囲気で話せている。 食事の後、余興でインストラクターの先生とサロンのスタッフ、そして集まって来られた参加者有志、そして僕らのメンバーから高校生も舞台に上がってダンス。「USA」ともう一曲。 キレッキレの先生のダンスや楽しそうな笑顔、高校生も頑張っている。 全体司会のメンバーが大きな声で明確な指示をしてくれる。 各テーブルに手作りのサイコロが準備されている。 サイコロを順番に回して、そのテーマについてみんなが話す。 1 興味や関心を持ってること 2 実は私(こう見えても)○○なんです 3 私の宝物 4 子ども時代の食事や食べ物 5 祭りや行事 6 背伸び 肩もみ その後の流れも用意してあったが、各グループとも大いに盛り上がった。 1回目に振ったサイコロだけで次々に話が出たというグループもあった。 前日の夜、打ち合わせた時「うわっ、苦手」「ええ~っ、大丈夫かな!」と思わず声が出た。 だからどうなることかとドキドキしてた。 2019.3.22 名取市の公民館のホールにて 「USA」を踊ってるみなさん!
2019.03.29
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Tさんの運転で名取駅前をめざす。 公民館というから、我が村の公民館や地域の公民館を想像してたら、なんとなんとまだオープンしてまもないビルの4階にあった。2階3階は図書館で駅からの歩道橋とつながっている。 公民館の4階も広々としていて会議だけでなく、調理室やちょっとしたホールもある。 そのホールで、集まってきた人たちを相手に無理のない動きで健康を維持、増進していこうという体操教室が開かれていた。僕らも中に入れてもらって体を動かした。ちょっと抵抗はあったのだが、インストラクターの軽妙な、でも説得力のある話とキレのある動きに引き込まれて楽しんだ。 何回かこれまでのサロンで見かけた顔にも出会えて、これだけでうんと距離が縮まった気がする! ※ スマホから打ち込んでいる。 明日は家のパソコンで書きこめる‼️
2019.03.28
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仙台別院は正式には「浄土真宗本願寺派仙台別院」。朝7児から30分程度の「お勤め」がある。参加するしないはそれぞれに任されているのだが、この日は9人全員が参加した。我が家のお経とは違うが、経本が用意してあり、だんだんと分かって来て声に出して唱える。お堂の中の空間がまたよく響いて何とも言えないのだ。 その後8時からばら寿司つくり。 今回もまた名取市でのサロンに参加するのだが、集まって来られる人数がつかめない。 多めに準備しようと70食を作ることになった。 米を3升。さばの缶詰を煮詰めたそぼろ、薄焼きにして細く切った卵、さやえんどう、しいたけ、かまぼこ、紅しょうが、そして桜の花びらをのせて何とも春らしい彩りのばら寿司が完成した。 中学生高校生も含めてみんなで協力、だんだんと手際よくなってくる。 毎回のことだが「食と健康」のメンバーが段取りを進めてくれてるのでスムースに進んだ。 そして、いよいよサロンへ出発! 2019.3.22 できあがったばら寿司!
2019.03.26
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朝6時過ぎに丹後を出発。天気予報でも今日は雨と覚悟していた。 雨だけならよかったのだが、北陸道は強い風! 車高の高い車なのであおられてハンドルをとられそうになる。 スピードを控えめにしての走行だから、いつもの東北行きとは違って「なかなか先に進まない感」が強い。風が収まったかなと思ったが、ずうっとは続かない。 磐越道に入ると両側に雪が見えてきた。 量は多くはないし道路に雪はないが、ああ奥羽山脈を横断してるんだと頭の隅にうかんでくる。 予定の夕方5時には間に合いそうにないとあらかじめ仙台別院に連絡した。 ところがメインの運転手をお願いしていた初参加のKさんが、時間を取り戻してくれた。 かといってめちゃくちゃ飛ばして、ということでもない。 あれッという感じで5時少し過ぎたくらいで到着した。 11時間! でもこの11時間で参加者の距離がぐっと縮まる。 ミーティングで明日の行動についての確認をして外に出る。 この日はみんなで一緒に食べに行った。 仙台市内、定禅寺通り、大都会だ。 朝も早かったので早めに布団に入った。 2019.3.21 今回もお世話になった仙台別院
2019.03.25
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3月21日午前6時出発、今日3月24日午後7時過ぎ帰って来ました。 3月21日に仙台からスマホでブログを書いたんだけど、何故かうまく反映されなくて、また忙しくて翌日からは断念。 今日から思い出しながら書こうと思うんだが、さすがに疲れた。 でもまあとにかく無事に帰って来られてホッとしている。 まだ車に乗ってるようなゆらゆら感?がある。 帰りの車の中で一言ずつ話してもらった。 この4日間がそれぞれにとってどんな日々だったか、整理しながら書いてもらおうと「感想文」をお願いした。 今回大きく課題として突きつけられたことがある。 もう少し振り返りながらその課題についても考えていきたい。 僕らの今後の活動にも関わって来るので性急に結論を出さずにじっくり考えていく。 明日から少しずつ書いていくことにしよう。
2019.03.24
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早くから準備しているのだが、やっぱりばたばたしてしまう。 彼岸なので、昨日に続いて今日も墓掃除。 昨日は墓の周り、今日は墓をきれいにした。 少し離れたところにある水道から水を汲んできて墓を洗った。 急いでたのであまり丁寧ではないが、そこはまあ許してもらおう。 用意してもらった供花をさして、線香をあげて手を合わせた。 今回はワゴン車。 荷物を積む場所が狭いだろうな、と思っていたが夕方行ってみると、そうでもない。 ばら寿司作りに使う炊飯器2台に米3升、車の中で飲むお茶やジュースを入れたがスペースは十分ある。 とは言え、長時間乗り続けることになる。 安全第一で元気に帰って来たい。
2019.03.20
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柳美里さんが関わった演劇づくりをテーマにしたNHKの番組がたて続けにあった。彼女は現在、福島・南相馬市に移り住んで本屋と執筆活動を続けている。いずれも原発事故を扱った作品。一つは大人(市民)が演じ、もう一つは高校の演劇部。両方に共通するのは演じる人の体験や実感を引き出しながら脚本づくりや演出をやってること。 『記憶と向き合う~柳美里と福島の高校生』という番組。いっぱいあった。 昨年11月4日に放送されたものの再放送らしい。 見ごたえがあった。 う~んと唸ってしまったり、考え込んでしまったりした場面や言葉がたくさんあった。 記憶の中の風景というのは それを大事にすれば きらめきとか そういうものが 自分の中に残っていく 幼い頃に原発事故にあった子どもたちの多くが 過去の思い出に蓋をし 気持ちを掃きだせないまま生きてきたと感じた 悲しみというのは聞き手がいなければ それは流れない 自分の中にとどまって よどんでしまって けれども聞き手がいれば そこに向かって悲しみを流すことができる それにしか救いがないんじゃないかと思うんですけどね 悲しみを孤立させない 演劇体験のもたらす大切なもの、なんだと思う。 様々な声を聞きながら劇を作っていくのは、もう一つの番組でも同じだ。 『悲しいけれど生きる~帰還したと人々と柳美里の創作劇』 これもまたもう一度見て見たい番組だ。
2019.03.19
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柳美里さんが関わった演劇づくりをテーマにしたNHKの番組がたて続けにあった。彼女は現在、福島・南相馬市に移り住んで本屋と執筆活動を続けている。いずれも原発事故を扱った作品。一つは大人(市民)が演じ、もう一つは高校の演劇部。両方に共通するのは演じる人の体験や実感を引き出しながら脚本づくりや演出をやってること。 『記憶と向き合う~柳美里と福島の高校生』という番組。 昨年11月4日に放送されたものの再放送らしい。 見ごたえがあった。 う~んと唸ってしまったり、考え込んでしまったりした場面や言葉がたくさんあった。 記憶の中の風景というのは それを大事にすれば きらめきとか そういうものが 自分の中に残っていく 幼い頃に原発事故にあった子どもたちの多くが 過去の思い出に蓋をし 気持ちを掃きだせないまま生きてきたと感じた 悲しみというのは聞き手がいなければ それは流れない 自分の中にとどまって よどんでしまって けれども聞き手がいれば そこに向かって悲しみを流すことができる それにしか救いがないんじゃないかと思うんですけどね 悲しみを孤立させない 演劇体験のもたらす大切なもの、なんだと思う。 様々な声を聞きながら劇を作っていくのは、もう一つの番組でも同じだ。 『悲しいけれど生きる~帰還したと人々と柳美里の創作劇』 これもまたもう一度見て見たい番組だ。
2019.03.19
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3月21日から3月24日までの東北ボランティア第32便、もう目の前だ。 今回は参加者9人、嬉しいことに中学生と高校生がそれぞれ1人ずつ含まれている。 その2人を入れて初参加は3人。 8年前とは全く違う現地だが、復興住宅に住む方々との交流もある。 様々な形での震災体験に触れる機会もある。 今日は地元のFM局で社協の方と二人で出向いて地域づくりの話やらボランティア体験を話した。 収録前に局の方といろいろ話していて、たぶんその内容を話してほしかったと思うのだが、いろんなことが思い出されてきて全然別のことを話してしまったりした。 このぐちゃぐちゃをどう編集してもらうのか、いささか不安だが終わってしまえばこちらとしてはもうどうしようもない。 それにしても8年経ったのだ。 毎年録画している今年の「3.11」、昨年の「3.11」、その前の「3.11」・・・の映像を見ると、新たな発見や感慨が浮かんでくる。 昨年もあったが荒浜地区の人々の暮らしを記録した映像。 2005年の荒浜、僕の知らない震災前の緑豊かな松林と貞山堀、たくさんの家を空撮した画面が流れ、そして震災直後の津波痕! 今回のボランティアでもその荒浜を通るはずだ。 震災遺構となっている荒浜小学校に行けるかどうか流動的ではあるが、時間があれば訪れたい。 週間予報ではまずまずの天気、かな? 2014.3 まばらに生えている松の向うが海。 住宅の基礎だけが残っている。 この辺りを含む広大な土地は市が買い上げ(借り上げ?)、ここに 住宅を建てることはできなくなっている。
2019.03.18
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『神様』(1993年)と『神様 2011』の違いをもう少し。 神様(1993年)③遠くに聞こえはじめた水の音がやがて高くなり、わたしたちは川原に到着した。くさんの人が泳いだり釣りをしたりしている。荷物を下ろし、タオルで汗をぬぐった。くまは舌を出して少しあえいでいる。そうやって立っていると、男性二人子供一人の三人連れが、そばに寄ってきた。どれも海水儀をつけている。男の片方はサングラスをかけ、もう片方はシュノーケルを首からぶらさげていた。④部屋に戻って魚を焼き、風呂に入り、眠る前に少し日記を書いた。熊の神とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった。悪くない一日だった。 『神様2011』③遠くに聞こえはじめた水の音がやがて高くなり、わたしたちは川原に到着した。誰もいないかと思っていたが、ふたりの男が水辺にたたずんでいる。「あのこと」の前は、川辺ではいつもいつもたくさんの人が泳いだり釣りをしたりしていたし、家族づれも多かった。今は、この地域には、子供は一人もいない。 荷物を下ろし、タオルで汗をぬぐった。くまは舌を出して少しあえいでいる。そうやって立っていると、男性二人子供一人の三人連れが、そばに寄ってきた。どれも海水儀をつけている。どちらも防護服をつけている。片方はサングラスをかけ、もう片方は長手袋をつけている。④部屋に戻って干し魚をくつ入れの上に飾り魚を焼き、シャワーを浴びて丁寧に体と髪をすすぎ、眠る前に少し日記を書き、最後に、いつものように総被曝線量を計算した。今日の推定外部被曝線量・30μ㏜、内部被曝線量・19μ㏜。年頭から今日までの推定累積外部被曝線量・1780μ㏜。熊の神とはどのようなものか、想像してみたが、見当がつかなかった。悪くない一日だった。 ④は作品の最後の場面。 「悪くない一日だった」その中身の何たる違い。 録画しておいた番組の中に、福島の漁師の闘いがあった。 高濃度の汚染水が海に流れだしたこと、低濃度の汚染水を流すことになった経緯。 試験操業で「安全安心」を取り戻す努力を続けてきた漁民に、再びたまりにたまった汚染水をさらに薄めて海に流そうとする東電。そしてまたしてもその中身に嘘が含まれていたこと。 オリンピック招致の時「福島の事故は完全にコントロールされている」との首相発言の罪深さ! 原発事故の収束は果てしなく遠い。 事故が起きてなくても、使用済み核燃料の保管は大変な年月を要する。 「核の平和利用」という言葉に惑わされてはいけない。
2019.03.17
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「3.11」の翌年、2012年2月24日発行の本『それでも三月は、また』を読んでいる。 その中に川上弘美『神様 2011』が収録されている。 『神様』は1993年に発表されたもの。あの震災で作家は『神様 2011』を世に出した。 前にも読んだと思うのだが、その違いを比べながら読むと原発事故のもたらしたものが何であったかが浮き彫りにされてくる。 少し長いが比べて読んでほしい。 まずは冒頭の文。 神様 (1993年)①くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である。春先に、鴫を見るために、行ったことはあったが、暑い季節にこうして弁当まで持っていくのは初めてである。散歩というよりハイキングと言ったほうがいいかもしれない。 もう一つ。②川原までの道は水田に沿っている。舗装された道で、時おり車が通る。どの車もわたしたちの手前でスピードを落とし、徐行しながら大きくよけていく。すれちがう人影はない。たいへん暑い。田で働く人も見えない。くまの足がアスファルトを踏む、かすかなしゃりしゃりという音だけが規則正しく響く。 この箇所が『神様 2011』ではこんなふうになる。①くまにさそわれて散歩に出る。川原に行くのである。歩いて二十分ほどのところにある川原である。春先に、鴫を見るために、防護服をつけて行ったことはあったが、暑い季節にこうしてふつうの服を着て肌をだし、弁当まで持っていくのは、「あのこと」以来、初めてである。散歩というよりハイキングといったほうがいいかもしれない。②川原までの道は元水田だった地帯に沿っている。土壌の除染のために、ほとんどの水田は掘り返され、つやつやした土がもりあがっている。作業をしている人たちは、この暑いのに防護服に防塵マスク、腰まである長靴に身をかためている。「あのこと」の後は、いっさいの立ち入りができなくて、震災による地割れがいつまでも残っていた水田沿いの道だが、少し前に完全に舗装がほどこされた。「あのこと」のゼロ地点にずいぶん近いこのあたりでも、車は存外走っている。どの車もわたしたちの手前でスピードを落とし、徐行しながら大きくよけていく。すれちがう人影はない。たいへん暑い。田で働く人も見えない。「防護服を着てないから、よけていくのかな」 と言うと、熊はあいまいにうなずいた。「でも、今年前半の被曝量はがんばっておさえたから累計被曝量貯金の残額はあるし、おまけに今日のSPEED1の予想ではこのあたりに風は来ないはずだし」 言い訳のように言うと、くまはまた、あいまいにうなずいた。 くまの足がアスファルトを踏む、かすかなしゃりしゃりという音だけが規則正しく響く。 どうだろうか。 じっくりと読み直してみたいこの変化! 赤字で書かれた部分が書き加えられたものだ。
2019.03.16
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京都シネマで1週間だけ上映されたドキュメンタリー。どうしても見たかった映画。 170分という長さを感じられないほどの14人の切実な証言。 その表情を、そして沈黙をもカメラは誠実に追う。 原発事故がもたらしたものの大きさを、様々な立場や思いを語る映像が明らかにしている。 パンフレットの中にこんな文がある。 100人ほどの証言者の中から選び抜いた14人の現在進行形の«福島の声»を 4年かけて映像作品に仕上げた。日本に住むすべての人に向けて語り継ぐ、珠 玉のドキュメンタリー。 そうなのだ、「現在進行形」なのだ。 「あと1年で」とか、「あと数年で」とかで終わるものじゃないのだ。 パンフレットを読むとあの映像が、一人一人の苦渋に満ちた表情が浮かんでくる。 震災で追われた人びと。 それぞれに違った涙の色が―ー 映画の構成はこうだ。 第一章 「避難」 第二章 「仮設住宅」 第三章 「悲憤」 第四章 「農業」 第五章 「学校」 第六章 「抵抗」 第七章 「喪失」 最終章 「故郷」 なかなか上映の機会がない映画だと思うが、たくさんの人に見てほしいと思う。
2019.03.15
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6時前に学童に迎えに行った。 本を読んでいたが、すぐに出てきた。夕方になってさらに寒くなって来たが、孫はへっちゃら❗ 手をつないで帰った。夕焼けの雲の形が「龍に見える❗」 「横のは日本(列島)に見える」 と言い合いながら帰った。 先日の男性クッキングで教えてもらったメニューを作ってみようとやりだした。 途中、電話で教えを乞いながら挑戦、 孫も喜んで食べてくれた。 風呂に入ってピアノ練習、時間割、宿題の音読や鍵盤ハーモニカの練習。 髪をドライヤーで乾したり・・・これが結構時間がかかってしまってて結局10時過ぎ、でもすぐに寝入ってしまった❗ かわいいもんです。
2019.03.14
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震災関連の番組を片っ端から録画して見ている。様々な事情や一人一人のストーリーがある。 3月便でお世話になる方に連絡した。 植樹後の草取りをさせてもらうのだが・・・ 瓦礫を底に敷き、土を盛り、そこ(小高い丘)にその地域によく育つ広葉樹の苗木を植える。 苗木は互いに競争しながら大きく育っていく。 宮脇方式と言われる植樹の方法で津波の減災を図るという考え方。 松林が根こそぎやられたが松の根っこは浅い、それに比べて広葉樹は深い根をはる。 津波で流された松は凶器ともなって建物や人に襲いかかる。 何年後か何十年後に丘は森となり、津波そのものは防げないがその威力をそいでくれる。 その丘の高さは、あの大震災で助かった高さを想定してあり・・・ 手元に資料がないのでまちがっているかもしれないが、そんな取り組みを継続している方だ。 その方に案内してもらったり、ご自身の震災体験を話してもらう予定だ。 話していると、現地でも行われた「3.11」の取り組みなのだが、特集番組等を見ていてしんどくなったと言う。あの時を思い出してしまって・・・ 3月便には初参加の中学生、高校生がいる。 大事な時間になりそうだ。 2017.3 閖上の慰霊碑 2年前の3月便 今年もここ、閖上に行くつもりだ
2019.03.12
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3.11東日本大震災から8年めの今日。午後2時46分、僕は車で移動中。途中車を停めて、少し遅めの黙祷! 震災関連の番組を録画しながら観ている。 様々な現実があることを改めて確認することになる。 ボランティアに行った大槌町や釜石市、陸前高田市、南相馬市、名取市等々が出てくると身を乗り出して観てしまう。 先日の深夜、大槌町の役場庁舎問題の番組があった。 昨年放映のものだったが、なぜあの場所(庁舎前)での対策会議だったのかも検証が不十分なままの解体に異議ありという感じのする番組だった。 久しぶりのジムで汗を流していた時、テレビでは大槌町で一人で新聞を出している女性が出ていた。 僕も手にしたことのある「大槌新聞」、その女性が庁舎解体が検証が進んでないこと、証言記録が見つからない、廃棄された?とスクープ、大きな話題となっているそうだ。 一方、あの庁舎を見ると悲しくて前に進めない、だから解体でやっと前を向ける、と語る人もいた。 その女性記者が言うように、庁舎の解体 or 存続のみが議議会でも先行し、津波を想定した市民向けの資料を配布しておきながら、何故高台での対策会議にしなかったのか、そこをこそ明らかにすべきだという主張には説得力がある。 個別の問題は山ほどある。 知ろうとしないと知ることはできない。 たくさんの番組や新聞に本、もうしばらくどんどん見よう、読もうと思う。
2019.03.11
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今日、日曜日の方が集まりやすいということで「3.11の集い」を開催。12時前に行って諸準備を始めた。 関係者も続々集まって、会場づくり。 パネル展示や書籍や資料の配置等、段取り良く進むように準備していたつもりだが、バタバタした。 社協から預かっていた写真準備物の中に入れたはずなのに見当たらないなど申し訳ないことも起こってしまった。(その写真をまとめたファイルを別の場所に置いてしまった) 50人くらいの人が集まった。 受付で参加費311円を受け取り、「食と健康」で作ったジャムを手渡す。 よかったらどうぞと預かって来た折り紙も置く。 1時半、オープニングはシワクチャーズの歌。 「東日本大震災を忘れない丹後の会」代表のあいさつ。 続いて『3.11と丹後震災』と題した高校の先生の話。 午後2時46分、震災の起きた時刻に合わせて「黙祷」 休憩。 震災当時の津波映像を流して見てもらったり、防災グッズや震災関連のパネル等をみてもらったり。 リレートークは社協の方、栄養士の方、防災キッズを主宰している方、そして司会をお願いした高校生にも話してもらった。 最後は「食と健康」の代表に挨拶をしてもらって終わりとした。 東北に嫁いだ丹後出身の女性のメッセージも紹介してもらった。 ※いろんな方に手伝ってもらって今年の「3.11の集い」が終わった。 具体的な内容についてはまた報告する。 まずはホッとした。
2019.03.10
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明日はいよいよ「3.11の集い」。 パネルに貼る写真や机に並べる資料や本を確認した。 少し説明を加えようと、文や言葉を考えた。 あまりいい天気だから、気分転換に畑に出た。 少し草取りをするくらいで、準備を続ける予定だったのだがエンドウが育っていて、蔓が伸びかけている。急遽杭を3本打ち込み、棒を建て杭に括りつける。横に棒を渡し網を張り、蔓がのぼれるようにした。苗の間に竹を差し込み、これでひと安心。 少し様子を見て間引くことも必要になって来る。 ちょっとだけのつもりが昼を食べた後もかかってしまった。 隠居の側の山側に井戸があるのだが、そこにワサビが元気に育っている。 以前ワサビを漬けたものを親戚からもらい、作り方を教えてもらい食べたことを思いだした。 あのレシピが思いだせない。 そのそばの白梅が一斉に咲きだした。 午後は初めて半袖で走った。 全然寒くなかった。 コウノトリを見に行くと、これまでなかった「コウノトリが営巣しています」の看板が出ていた。 今年もヒナが見られると思うと嬉しい、楽しみだ。 2019.3.9 隠居の側の梅の木
2019.03.09
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「3.11」関連記事や関連番組にどうしても目が行く。 ネットを見てたらこんな数字が飛び込んできた。 東日本大震災死者 15897人 行方不明者 2533人 その後の記述にドキッとした。 この1年間で2人増えた死者は宮城県で発見された。 行方不明者は生存確認できるなどとしたため6人減った 身元不明の遺体は岩手50体、宮城10体の計60体 DNA鑑定などで4人確認 「行方不明者」が「生存確認」できるとはどういうことか。 そもそも「身元不明の遺体」は死者には入ってないのか。 そして身元不明の遺体というのは損傷が激しくてDNA鑑定でも判別できないというのか。 3年前の「3.11の集い」の資料が出てきた。 そこにはこうある。 死 者 15894人 行方不明者 2533人 こんな数字も出ている。 関 連 死 3407人 避 難 者 174471人 仮設住宅入居者 57677人 前よりも、この数字の意味するものに思いを馳せるようになっている。 2019.3.7 昨日は風の強い日だった。 海もあれていた。屏風岩。 「ふくしま・子どもキャンプ」の取組が始まった
2019.03.08
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昨日も書いたが、東北4紙の大震災翌日の新聞が1年後掲載された。その見出しを書いてみる。その見出しを読んだだけでも伝わるものがある。会社の建物や印刷所が使えなくなり、また道路も寸断され配送にも困難を極めた中、総力を挙げ避難所等に届けた各紙の報道姿勢にただただ敬服する。岩手日報 三陸沖M8.8大津波 死者数百、不明多数 宮城震度7 大船渡6弱 県内 死者57人 不明150人超 300棟倒壊、77万戸停電河北新報 宮城震度7 大津波 M8.8 国内最大 死者・不明者多数 原子力緊急事態を宣言 福島第一 原子炉の水位低下 6000人に避難指示福島民報 巨大地震 県内 45人死亡 370人不明 震度6強、大津波 死者、不明 全国660人強 福島第一原発 原子炉水位低下 国、3㌔以内の避難指示 M8.8国内史上最大福島民友 東日本巨大地震 県内震度6強、浜通りに大津波 M8.8死者・不明多数 第Ⅰ原発 半径3㌔ 避難指示 原子力緊急事態を宣言 まだ混乱が続き、被害の実相がつかめない未曽有の災害だったのだ。※※※※※ 先日の毎日新聞の短歌欄にこんな歌が載った。 震度6強で揺すぶられて8年 胸の廃墟は散らかったまま 福島 三本松 拓 こんな思いを持つ人もきっとたくさんいるんだろうと思う。
2019.03.07
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「3.11の集い」が迫って来た。 パネル展示をどうしていくか、考えている。 これまでは、持っている資料や写真をとにかく並べて、事足れり、としていた。 何のコメントもなく、きちんとした構想もないおざなりの展示。 今年は少しは考えて、説明資料も入れてと準備を始めた。 あまりたくさん準備しても、見てもらえる時間はあまりない。 休憩時間と終わってからもすぐに片付けないで見てもらおうとは考えている。 予定では10枚借りることになっているパネルをどう使うか、 また、パネルの前に置くテーブルにどんな資料を置くか、どんな説明をつけるか、 難題だ! あれもこれもと並べたいのだが、テーマに沿って選ばないと駄目だろうと思う。 テーマ以外の所で参加者の関心や興味を誘うこともあるとは思うのだが、でもやっぱりある程度絞ることは必要だ。 パネル1枚の大きさは120cm×180cmなんだそうだ。 2012年3月、地元4紙が合同で出した「2011.3.12」の1面を取り上げた新聞は是非展示したい。 その新聞の下の欄にこんなことが書いてある。 あの日から一年、いまもう一度、岩手、宮城、福島の「あの日」を日本中のみなさんに 知ってもらうため、私たちは2011年3月12日の紙面を掲載することにしました。あの 日のことは、思い出すのさえつらく、苦しい。でも同時に、多くの人に、忘れずに憶え ておいてもらわなくてはなりません。なぜなら、震災はいつかまたどこかで起こるかも しれないから。この紙面は、3県だけでなく、全国の200万人の手に届けられます。 忘れることは恐ろしく、忘れられることは悲しい。日常が戻っても、震災を、震災から 学んだことを、被災地のことを、忘れずにいてほしい。この紙面がそのきっかけになる ことを願っています。 新聞を読んでいるとあの日に始まるオソロシイ日々が生々しく思い出されてくる。
2019.03.06
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東北ボランティアの準備もあるが、今は今度の日曜日の「3.11の集い」に向けてのことで頭がいっぱい。 今日は会場の建物の3階にある図書館に行った。 関連図書の貸し出しをお願いしていたので、どんな本があるかを確かめた。 当日借りに行くのだが、初めて見る写真集や本がたくさんあった。 少しだけでも見ておこうと何冊か借りてきた。 スタッフの方が「こんなCDもありますよ」と出してきてくれたのが『第二楽章 福島への思い』(朗読 吉永小百合)。 和合亮一、佐藤紫華子、若松丈太郎の3人に加えて、小学生や高校生の詩も入っている。 明日ゆっくり聞いてみよう。 もう一つ。 当日の司会を引き受けてくれた高校生との打ち合わせ。 僕と二人で半分ずつ、と思っていたが話しながらほとんどを任せることにした。 「ふくしま・子どもキャンプ」には毎年参加、東北ボランティアにも2回も行ってくれた彼女にその話もお願いした。月末には東京に行くという彼女。 不安もあるけど楽しみだろうなあ。 旅立ちの季節! 2016.11 宝来館の前に広がる海! この穏やかな海があの日、牙をむいたのだ! 左側に見えるのが大槌町だ。
2019.03.05
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何げなくニュースを見てたら続いて『鶴瓶の家族に乾杯』があった。 今日の舞台は釜石市。 ゲストは五郎丸選手。ワールドカップの会場にもなっている釜石市。 五郎丸さんが話していたが、他の会場はすでにあるラグビー場。 この釜石だけが新設されたんだそうだ。 しかもそこは以前小学校や中学校があった場所。 この辺りは何回も訪れたり通った場所。 何年前だったかはっきり思い出せないが、土砂災害にあった岩泉にボランティアに行ったことがあるが、その帰り道、いつか行きたいと思っていた宝来館に泊まった。 その女将さんたちがラグビー会場の誘致を進めてきたというのも聞いていた。 翌朝には女将さんの震災にまつわる話もしてもらった。 出発するときには大漁旗で見送ってもらった。 その女将さんも番組に登場、大活躍。五郎丸さんをあちこちに案内して終始笑顔で映っていた。 一方鶴瓶さんも仮設住宅で独りで暮らすおばあちゃんのところに押しかけて、震災のことを聞きだしている。 85歳になるおばあちゃん、もうすぐ家を建てるんだとか。 笑うようにしてきたというおばあちゃんの姿に感激した。 また行きたくなった。 釜石や大槌、もう2年くらい行ってないような・・・ 2016.11.27 宝来館の前はすぐ海(宿泊した翌朝は素晴らしい天気だった) 対岸の大槌町の蓬莱島が見える 津波で大槌の方から流された車や遺体が釜石側のトンネルにたくさんあったという 2011年3月11日、あれからもう8年経つのだ
2019.03.04
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丹後出身、もしくは丹後に在住の音楽家たちのコンサート!ずいぶん前から声をかけてもらっていたのだが、会場に足を運ぶことができた。行けてよかった!行ってよかった! 一番聴きたかったのは小学校時代を知っているソプラノ歌手。 このふるさとコンサート(今年第19回)で彼女の歌は何回か聴いているのだが、今回が一番よかった。 彼女を直接担任した友人と一緒に聴いていたのだがその自在な表現に「すごいね」「すごいね」を繰り返すばかりで、圧倒されていた。 よくもまあこんなきれいな声が出せるもんだ、と素人まるだしの感想ではあるが、聞き惚れていた。 オペラの中の「機械人形」役、ゼンマイを巻いて巻いてまた動き出すという軽妙な動きも演じる! 完全に観客をとりこにした舞台だった。 帰る時、ロビーで彼女が出てきた。 ちらっとでも覚えていてくれたろうか「お久しぶりです」と笑顔で声をかけてくれた。 小学校の時の彼女からはとても想像できなかった今の仕事! 夢を諦めず夢を実現させてきた彼女に大きな大きな拍手を送ろう!
2019.03.03
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少しずつ畑仕事!父も通販で畑仕事のグッズを注文してやる気満々! 午後はサークル。 退職して10年になるが、現役の若い人やベテランだけでなく、僕らの大先輩も参加しているという不思議なサークル。 その不思議を訊ねて、宇治市からの参加があった。 隣近所や普段からつきあう人の中でも話せないことが話せる、しかも気負うことなく出せる心地よさなんだろうなあ。 僕はたぶんサークルの中で、中心となっている「仮設実験授業」から一番遠い存在なんだろうと思うのだが、そういう人間でも受け入れてくれるゆるり感がこのサークルにはあるんだと思う。 夜は他地区の公民館の活動でもある防災のイベントに参加。 丹後震災の映像も含めた話、ものすごく説得力のある話だった。 「防災キッズ」の子どもたちの説明や活動も生き生きしていた。 このメンバーの中の2人が東北ボランティア3月便に参加してくれるのも嬉しい!
2019.03.02
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父を病院に連れて行ってから宮津に向かった。「福島原発事故」に関する資料や掲示物を借りた。明日返すことになっている宮津図書館で借りた本を返して、別の本を5冊借りてきた。それからそろそろ病院の診察が終わる頃だと焦りながら引き返した。途中父から電話、待ってもらうのが10分ほどでよかった。 午後京丹後市の図書館にも行くつもりで家を出たが、そうだ今日1日は図書館は整理日で休みだった。 その後久しぶりに八丁浜から七竜峠に向けて走ろうと思っていたが、車を停めてからシューズを忘れたことに気づき、結局家まで帰り、家から走り出した。 走りながらあれこれコースを考える。 速くはないが一定のペースで1時間50分、そんなに疲れなかった。 途中寄り道、コウノトリが巣に座っているのが今日も確かめられた。 ここ数日、左の肩というか腕というかだるいのだが、走っていると気にならない。 どっかの筋を違えたのかもしれない。 お互い年だからねえ、と誰かに言われた。 確かにそうだよなあ。 2018.3.4 去年の3月! この冬、金剛童子山に雪があった日はわずかだった。 地元の山間部のスキー場は今シーズン1回も営業できなかった!
2019.03.01
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