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NHKホール 18:00〜 3階右手 J.シュトラウスII世:ポルカ「クラップフェンの森で」op.336 ショスタコーヴィチ:舞台管弦楽の為の組曲第1番 交響曲第13番 変ロ短調 op.113 「バビ・ヤール」 バス:アレクセイ・ティホミーロフ オルフェイ・ドレンガル男声合唱団 NHK交響楽団 指揮:井上道義 今更記事。まだギリギリ先月の話...... この日は新国でエフゲニ・オネーギンを観た後の公演。久々ダブルヘッダー。オネーギンはあんまり楽しくはなかったので、予想外の口直しに......本当は、間に合わなきゃ前半はもういいや、と思ってたくらいだったんですけどもね。 ダブルヘッダーでも買っといたのは、井上道義が振るのと、メインがバビ・ヤールなので。井上道義、今年一杯で辞めると言っているけれど、N響はもう一回くらいあるのかしらね。今シーズンはもう無いから、来シーズン秋にでもやるのかな。 前半はJ.シュトラウス2世のポルカ。この曲、クラップフェンの森で、となっているけれど、実は元はロシア楽旅時にパヴロフスクで「パヴロフスクの森で」という題だったそうで。そういう繋がりだそうです。まぁ、ショスタコーヴィチの組曲も含めて、前座みたいなもんだな、と思って、なので元は聞けなくてもいいと思ってたくらいなのですが、これが意外とそれなりに面白かった。演奏が良かった、と言えばいいのか。締まった感じで良かったです。どうこう言うほどの話ではないですけれども。 で、後半はバビ・ヤール。バビ・ヤールは元はキエフ近郊の土地で、ここでナチスドイツが独ソ戦時にユダヤ人を虐殺した、という話に材を採った、反ユダヤ主義を糾弾する詩などに音楽をつけたもの。ん?じゃぁ歌曲?いやまぁ交響曲です。マーラーの大地の歌みたいなものでしょうか。14番よりはよほど交響曲。正直、これまで生で聞いたことあったかなと。多分初めてじゃないか。録音は何度も聞いてるんですけれどもね。 まぁ、正直言って、12月の千人交響曲なんかよりよっぽど良かった。演奏の密度が濃いというのか。正直、ロシア語は分かりませんし、逐語的に追っかけて聞いているわけではないけれど、独唱も合唱も「あ、ここが聞かせたいのだろうな」というのが感じられる。なんかね、千人も、オネーギンとかもそうだったのだけれど、何言いたいのか、言いたいことがあるのか、そういうのがピンと来ない歌だったなと思うんですよね。そういうのとは違う。 バスのティホミーロフはロシア人ですがタタールスタンのカザン出身だそうで。合唱のオルフェイ・ドレンガルはスウェーデンのウプサラの合唱団だそう。いわばマージナルな人達。井上道義には格別の政治的な思惑はないのかも知れませんが、バビ・ヤールは実はロシアがウクライナに侵攻し、キエフをミサイル攻撃して破壊したテレビ塔が立っていた場所なのだそうです。今では近郊というより市内なのでしょう。確かロシア侵攻時の報道の中で、ウクライナの大統領がテレビ塔が攻撃されたのを聞いて「奴らはバビ・ヤールをまた攻撃したのか」と言っていたのを覚えています。 バビ・ヤールの詩が反ユダヤ主義を糾弾する詩であるのは、単にナチスドイツの蛮行を暴いているからだけではなく、それが戦後もソビエト政府によって表沙汰にされなかったから、と言われています。似たような話はポーランドのカチンの森での虐殺事件というのもあって、これも戦後親ソビエト政権によって隠蔽されたという歴史がありまして。今の政治状況を見ると、反ユダヤ主義を糾弾する、というのもちょっとそうだそうだと言いたくならない状況ではあるのですが、結局のところ常に弱者を抑圧する者は居るし、弱者も自分の都合に合えば強者の振る舞いを拒絶しないというものなのでしょう。 そういう意味では複雑な作品ではありますが、考えてみれば、ショスタコーヴィチは定義的には立派に現代作曲家ということも出来るのだろうし、そういう意味では恐ろしく政治的で社会的な現代音楽をかくも高いレベルで制作した稀有な人、ということなのでしょう。それもまぁいずれ陳腐化するのだとは思うのですけれども。私はまだショスタコーヴィチが死ぬ前に生まれたような世代ですし、ヴォルコフの証言とかも読んだことあるけれど、そういうのもひっくるめて遠からず歴史の挿話レベルの存在になってしまうのでしょうし。 まぁそんなこんなでのバビ・ヤールですが、これも良かった。正直、オネーギンの口直しとしては上出来以上のものでした。本当、これ聞かないで帰るのとではえらい違いです。なんというか、音楽的に満足して帰ってきたのでした。 井上道義、本当にやめちゃうんですかね。格別好きな指揮者ではないけれど、ちょっと勿体無い気はします。どこかのオケとショスタコーヴィチ全集とか録音してもいいんじゃないかしら。もう全集は一応出した筈だけど。
2024年03月29日
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新国立劇場 14:00〜 4階左手 前回はこちら。 「整ったいい演奏」と言いつつ、不満たらたらの先週に引き続き、トリスタン2回目です。 正直言うと、前回観てから、というより聞いてから、どうもCDで改めて聞きたいと思ってしまいまして。結局聞いてないんですけどね。クライバー盤、いや、バーンスタイン盤かな......みたいなね。 基本的に私は予習復習みたいなのは耳が汚れるというか疲れるからやらない主義です。予習は余程のことがないと避けるし、復習みたいなのも、よっぽどヘボい演奏でない限り、聞かない。今回は、じゃぁヘボいのか?というと、そうではないんだけれど、どうにも食い足りない感が強くてですね。色気がない、っていう話はここに繋がってる訳ですが。 で、そうこうするうちに2度目です。今回全部で6公演、前回がそのうち2公演目で、今回は4公演目になります。 まぁ、多少は練れてきたとは思います。なんか休憩時にマニアの人が全部見てるけど段々良くなってる、とか言ってるのが聞こえましたが、正直、練れてはきたけど基本変わんないと思います。 歌唱陣は、トリスタンはブーイングは出てませんでしたが、基本は変わらない。声は細身。一応最後まで歌って、多少良くなってる気はしなくはないけれど、というところですね。クルヴェナールは割と良くなっていたかも。イゾルデは、どうかなぁ......やっぱり大して変わらないかなと。 オケは、例によって整ってます。多少、愛の死とか、少しは出力アップしている気はするけれど..... 結局、基本的に、目指してるのは「整ったトリスタン」なのだと思います。やっぱり。爆発はしない。破綻してもいい、歌手置いてきぼりでもいいからはっちゃけてやろう、爆発してやろう!という感じではないですね。それはそれで正しいんだけどもさ。そういうものを聞きたくてオペラ見に来ているわけではないんだけれども........否定はしないけど........ 整ってる演奏を聞きたければ、家でCD聞くよ。要はそういうことです。 演出は、まぁ、やっぱり、あの若衆は要らないよね、に尽きるかな。
2024年03月24日
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https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240324/k10014400811000.htmlそうかぁ…ポリーニがねぇ…享年82歳と。おかしくはない歳だけど、ちょっと早い気もする…気が付けば何度も聞いたなぁ…南無阿弥陀仏…
2024年03月24日
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サントリーホール 19:15〜 1階後方 ドヴォルザーク:チェロ協奏曲 ロ短調 op.104 交響曲第9番 ホ短調 op.95 「新世界より」 <アンコール> ドヴォルザーク:スラブ舞曲集 第15番 op.72 チェロ:岡本侑也 プラハ交響楽団 指揮:トマーシュ・ブラウネル まだ書いてないのが結構ある....... プラハ響。普段大体行かないんですよね、来日しても。なんで行ったのかというと、去年11月のチェコ・フィルを聞きに行った時、会場で売ってたんですよね。会場での特別割引とかで、S席とA席だったのだけど、A席が割引率がそれなりでね.........新世界より、か.......チェロ協奏曲もあるのか.........で、ぐらついてしまったと。シンプルにドヴォルザーク・プロですしね。 大体こういう時は、カテゴリーの中でもあまりいい席はアサインされないものだけれど、それなりにいい席。うん。気分がいいぞ、こういう時は。 前半、いきなりチェロ協奏曲。独奏の岡本侑也、多分初めて聞きます。達者な演奏。ドヴォルザークの協奏曲は結構な大曲で、鳴りが命だと思うのですが、いい演奏です。ただ、もう少し歌ってくれても良かったかなと。その辺は、まぁ、まだ若い人のようですからね。オケは独奏をよくサポートして、いい感じ。 後半は新世界。やはりプラハ響、予想通り弦がいい。チェコ・フィルとどっちがどう、ということではないですが、ベタな感想で申し訳ないけれど、やっぱりチェコの人達の弦は鳴りと響きがいいなぁと思います。このへんは、ベルリン・フィルやウィーン・フィルでも勝てない、というか、独特のものがあると思います。これで新世界よりの第二楽章とか、やはり素晴らしい響きを聞かせてくれます。あとは、第四楽章。ここも実は弦が頑張るところなのだけれども、ここでの鳴りも素晴らしい。やっぱりいい弦を聞きに来てるところはあるので、大満足。 しかし、実は、一番目立ってたのは、ティンパニではないかと。これがまぁ元気一杯、実に楽しそうに叩く叩く。第三楽章から第四楽章は大活躍。なにより、なんとも楽しそうに叩くのですね。腕まくりして。こんな楽しそうに叩いてるティンパニ、初めて見ました。勿論それも含めていい演奏。 アンコールはスラブ舞曲。良かったけど、なくてもまぁよかったかな。本編がそれだけ良かったということですが。 サントリーの一階後ろ、被っているところではありますが、確かに久々にこの辺で聞くと、なるほどね、という音ではあります。ただ、まぁ、これなら、2階席の後ろの方でもいいかな、という感じですかね。ま、負け惜しみではありますが。
2024年03月22日
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新国立劇場 14:00〜 4階正面 トリスタン:ゾルターン・ニャリ イゾルデ:リエネ・キンチャ クルヴェナール:エギルス・シリンス ブランゲーネ:藤村実穂子 マルケ王:ヴィルヘルム・シュヴィングハマー メロート:秋谷直之 新国立劇場合唱団 東京都交響楽団 指揮:大野和士 演出:デイヴィッド・マクヴィカー 14年振りの再演です。トリスタンって、人気あるけど演るの大変なんでしょう。二期会筆頭にアマチュアが無謀にもやらかすのを除けば、来日公演ばかり。ま、あとは新国と藤原しかないしね。じゃぁ海外行けば観られるかと言うとそうでもない。やってないわけじゃないけど、ひょいと旅行に行ってうまく当たるというのはなかなか。 ただ、記録としても、記憶としても、新日の定演でアルミンクが振ったことはあったし、東フィルでもチョン・ミュンフンが振ったのはある。ただ、まぁ、なんというか....... 流石に満席です。トリスタンだからね。みんな大好きトリスタン。 結論から言っておくと、取り敢えず「いい演奏」ではあったでしょう。色々条件付きではあるけれど。 そもそも、歌手について言えば、トリスタンもイゾルデも今回代役なんですよね。トリスタンなんて2月に代役立ててるという。新国のサイトでは大野和士のコメントとして「今脂の乗ったヘルデンテノール」とか書いてますが、まぁ、経歴的には、ワーグナー歌いとは言わないでしょう。そもそもトリスタンはヘルデンテノール役なのか?というよりヘルデンテノールって何よ?とか、まぁツッコミどころ満載ですが、そういう歌手なのだから、そりゃまぁそういうものと思って聞くしかないわね。終演後にトリスタンにブーイングが出てましたが、まぁ、はっきり言って、それは野暮天というか下衆というか、多分ブーイングのしどころ間違ってますよ。 言ってしまえば、今、そもそもワーグナーなんか上演するのは無謀なことだと思います。テノールで言えば、ルネ・コロ以降ワーグナーを歌うテノールなんて、皆ワンランクダウンくらいのイメージでしょう。勿論それはワーグナーに限らず、テノールに限らず、なのだけれども、たとえばここ10年くらいで割と聞く名前を挙げるにしても、ステファン・グールドとか、今回キャンセルになったトルステン・ケールとか、そういう人達が、ルネ・コロやそれ以前の人達に比肩するのかと言われると.......そりゃ私はバイロイト毎年綿密にチェックするようなことしないから、詳しい人に言わせりゃ色々あるのでしょうけれど、あまり変わり映えしない気はします。無謀というのは、そういうこと。だからやるなとは言わないんだけれども。 正直言うと、今回の公演で相対的に一番良かったのは、マルケ王ではなかったかなーと。いや、うまくやってましたよ。ただ、マルケ王がいいからいい公演になるかと言われると......ブランゲーネだってたかが知れてるし。最近頓にそう言う傾向にあるのだけれど、個人的には歌手がどうとかこうとか言う気があまり起きないんですよね。正直グルベローヴァが薨去されてからもうどうでもいいかな、と思ってるきらいはあります。それもどうかと思うけどね。 確かにトリスタンはかなりへろってました。へろってたけど、一応死ぬまでやってたし、そこまで悪様に言わんでも、と言う気はします。トルステン・ケールだって、そんなには変わらないと思うよ。多分。 イゾルデも、ちょっとね。下手じゃないけど、安定感を欠くというか、限界だったというか。まぁ、しょうがないといえばしょうがない。 個人的には、しかし、一番気になったのはオケ。冒頭に書きましたが、「いい演奏」なんだと思います。よく整った演奏。でもさぁ、言うけどね。「整ったトリスタン」って面白いのかね。 歌手が力量不足で、安定感にも難ありという感じなので、オケが暴走すると歌手がついていけないのはわかります。その意味で、この「整った演奏」は間違いではない。ただ、正直言えば、そんなものを聞きたくて来てる訳ではないのよ。 一言で言うと「色気がない」。これに尽きます。整ってますよ。でも、月並みな言い方だけれど、官能性という点では随一のポテンシャルを持つこのオペラの音楽で、綺麗に整った演奏で通されても、ちっとも面白くないのですよ。それは単に官能的かどうかだけでなく、例えば第3幕冒頭の導入部。ここでの低弦の重苦しく、絶望的な響きは、これもある種の官能性なのだと思うけれども、まぁサラリとしたものですよ。そのサラリとしたままに、最後の「愛の死」まで言ってしまう。爆発しない。カタルシスのかけらもない。予定調和の終わり。そんなものを聞く為に5時間も座ってる訳じゃないんだよ。CD聞いてるみたい。しかもうっかりするとCDの方がより官能的かも知れん、という....... オケの限界なのか。指揮者が悪いのか。歌手をサポートするとこうなってしまうのか。ただ、愛の死くらい、歌手いじめて、置いてけぼりにして爆発したっていいと思いますよ。破綻する?もう破綻してますよ、オペラとして。だったらやってみろ、と思うんだけど、ね。本意かどうかは知らず、久々に「公務員の音」を聞きましたよ。昔から都響(N響もそうだったけど)は公務員の音がする、なんて悪口言ってましたけど、今回は本当にそんな感じ。無難に、安全運転で、波風立てず。そんなオペラじゃないだろうよ、トリスタンっていうのはさ...... もう嫌味にしか響かないと思いますが、整ったいい演奏、ではありますよ。でも、ねぇ。 チョン・ミュンフンが振った東フィルのは、聞きに行ってるのではあるけれど、印象として記憶にあるのは、アルミンクが新日振った定期演奏会での演奏会形式のなのですが、まぁ、破綻してましたよ、確か。力不足。でも力不足なりに、破綻してるけど、もうちょっと音に色気はあったなぁ。 演出は14年前のもの。当時とあまり印象は変わりません。無駄に出てくる若衆は鼻につくだけで品がないし、思わせぶりに象徴的なものをそれっぽく見せてみたりとか、でも結局意味なくて、読替えとか余計なこともしないけど、別に何か新しい発見があったりもしないし、物語を際立たせるでもないし、という。一言で言うと凡庸、というのが変わらぬ感想。まぁ、変なことするよりゃいいとは言えるけどもね。 でもなぁ。いい演奏だと思って、かつこんなにある意味ガッカリ感があるのも珍しいというか...... もう一度行く予定があるんだよ......どうするんだ.........せめて色気を出して、最後ははっちゃけるくらいがいいと思うんだけどなぁ.........
2024年03月19日
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東京オペラシティコンサートホール 19:00〜 3階左手 3/10に同じ というわけで、カルミナ・ブラーナとレスピーギ、また聞いてきました。サントリー定期のピット席を持っているので、定期会員券価格で買えるので.......すみませんねぇ、いっつもやっすいとこばっかりで..... いい演奏なのは分かってるので、今更。いや、密度の濃いいい演奏だと思います。オペラシティは風呂場みたいな響き過ぎホールなので嫌いではあるけれど、レスピーギの方はそういう特性が確かにうまく効果を発揮することもある。この曲の場合、かなり弦楽合奏に近い編成とオーケストレーションで、しかも3曲目など特にそうなのだけれど、開放弦で全奏で強奏、みたいなのが続出するのだけれど、こういうところをなかなか気持ちよく聞かせてくれる。こういうところはこのホールだと映えます。大事なのは、テンションがかかりすぎてない音だということ。それだとそれなりに気持ちいいのよ.... レスピーギだけでなく、カルミナ・ブラーナも含めて、オケは今回全般にいい音を出していて、それは日曜も今日も変わらない。この辺はよく練ったのだろうと思います。まだ錬成出来る点もあるだろうとは思うけれど、取り敢えずよく出来てると思います。この辺はバッティストーニがいいのか、東フィルがいいのか、まぁなんともですが、特筆すべきは今回バッティストー二がかなり緻密に練り上げてるなと特に感じるところ。大童そのまんまの感じの指揮、というのはいつも言う事で、それが楽しくていつも来ているのではあるけれど、勿論それだけの人ではないのではあります。とはいうものの、今回の指揮ぶりを見ていると、慎重にコントロールしているな、と感じる部分があります。むしろ、勢いに任せて一気に、みたいなことはとても出来ない、という、ある種の緊張感すら感じさせます。こういうのもこれはこれで面白い。 合唱は......ねぇ..........日曜日のオーチャードよりはよくなってる気はしましたが........ 真面目に数えてないのではありますし、合唱が2階席のオルガンピットから舞台すぐ上の両サイドに展開しているので、左側の女声合唱は見えてないし直接聞こえていないのではありますが、男声合唱は少し人数絞ってるかも、くらいの人数かなと。まぁ、ホールが小さいので音圧はあります。でも、ねぇ.......日曜よりはまだしも発語しているのは分からなくはないけれど........やっぱり.........対訳見てても何歌ってるのか、ん?と思うことは少なくなく。今日の配置は、オルガン直下には児童合唱が一列に並んでいて、なので、確かに児童合唱が一番聞きやすい位置にいたのではありますが、正直言って、児童合唱の方が発語がはっきりしていて、綺麗に歌っていたと思います。大人合唱は籠るような声で、発語がはっきりしない。無論児童合唱だってそんなにクリアではないにせよ、ちゃんと発語しようとしているのは分かる。そりゃ、こっちだってラテン語なんてそんなに分かるもんじゃないんですけどね。 今日聞きながら思ったんですけれど、多分、日本でオペラとかこういうのとか聞いてる人達って、殆ど何歌ってるか聞いてない、というか聞こえてなくて、そのことを気にしてないんじゃないですかね。いや、私も昔からそうで、今だってそうなんだけれど、ただ、ちゃんと発語してないのは歌としておかしいし、音楽的じゃないとは思うんですよ。で、日本でコンサートやオペラに来てる人達は、もうそういうのって聞こえないものだと思ってるんじゃないかしらん。その一因に、サントリーホールとそれ以降の響き過ぎホールが影響してるんじゃないかしら、と。響くと、発語とかいい加減でも、それっぽく聞こえちゃいますしね。聞く方も、演る方も、そこらへんいい加減になってるんじゃないかしらん。それは合唱とかだけじゃなくて、オケでも似たことが言えるとは思うんですけれどもね。 まぁ、その辺の話を措くならば、いい演奏で楽しんで帰ってきました。無理して行った甲斐があったというもの。金曜日は......流石にそこまでサボれないしなぁ.......やめとくか..........チケット代も高くなるし.........行ってもいいんだけどね........
2024年03月14日
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オーチャードホール 11:15〜 (公開リハーサル) / 15:00〜 (本公演) 1階後方 / 3階正面 レスピーギ:リュートの為の古風な舞曲とアリア 第2組曲 オルフ:カルミナ・ブラーナ ソプラノ:ヴィットリアーナ・デ・アミーチス カウンターテナー:彌勒忠史 (+白鳥) バリトン:ミケーレ・パッティ 新国立劇場合唱団 世田谷ジュニア合唱団 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アンドレア・バッティストーニ いい演奏ではあったんですけどね........一点も曇り無しとは言えず、しかもその曇りがね......まぁ、ともあれ。 バッティストーニ週間です。今日は今回本命の定期演奏会、カルミナ・ブラーナ。今回は東フィルの寄付者や定期会員向け企画で、公演前のリハーサルを公開するというもの。前にもあったのですが、行けずじまいで.....今回はバッティストーニだし、行けるし、行くぞ!ということで、朝から行って来ました。 リハーサルは、1階席の中盤より後ろと2階席で自由に座るというもの。開場後かなり経ってから入ったので、1階席の後ろの方に陣取りまして。プログラムとは逆に、先にカルミナ・ブラーナ、配置換えして後でレスピーギ。リハ終わりは13時過ぎで、14時には開場、15時開演ですから、理に適ってます。 公開リハーサルと言ってますが、実態としてはいわゆるゲネプロ相当なのでしょうか。実のところ、オケに関しては殆ど指示や修正はなくて、後半のレスピーギは確か途中で止めることなくやり切ってしまいました。一回くらい何処か直してたか、あとは全部やってから幾つか指摘するくらいで。当たり前ですが、バッティストーニ、というか指揮者は、客席に背を向けてやってますので、英語だったと思いますが、1階席後方では何を話しているのかほぼ聞き取れず。通訳は、カルミナ・ブラーナで児童合唱に指示を出す時だけ入ってましたが、あとはダイレクトにやってました。公開リハはいいんだけど、人によるでしょうが、本音を言えばPA入れて何を指示しているのか聞かせて欲しくはありましたかね。まぁ、色々難しいのでしょうけれども。 で、前半のカルミナ・ブラーナの方は、殆ど合唱に対する指示に終止していた感じなのですが.......児童合唱への指示は、まぁ、いいんですよ。最初に指示したのは、「もっと自信持って思い切って歌って!」というのと、技術的には、ちょっと難しいフレージングのところくらいで。実際、本番でもよくやっていたと思います。問題は、大人の合唱なんですが...... 最初から、ほぼ指示が出ていたのは、どちらかというとディクテーションなんですよね。いや、それはどうなの....... 児童合唱をどう捉えるかはいろいろあると思いますが、私は、「プロじゃない」と思っています。勿論一生懸命やってると思いますよ。でも、そういうことじゃなくて、児童合唱はやっぱりプロの仕事、というのとはいろんな意味で違いますから。だから、そこは多少ムラがあってもいいし、仕上がりが不十分でも仕方ない面はあると思う。でも、大人の方はさ、これは、一応皆プロのつもりなんだよね?で、公演4時間前の時点で、ディクテーションを直されるというのはさ.......まさか本番4時間前に初めて合わせたわけでもあるまい?いや、仮に万が一そうだとしても、ですよ。プロの合唱としてやってる以上、しかもこれはラテン語歌唱なんだからさ、ディクテーションは仕上げておかなくちゃダメでしょ。しかも、どちらかというと、「ラテン語でこう書かれている場合の読み方」に近い話から指摘されてるようなのですよ。これは、やはり指導者の問題だと思います。ディクテーションくらいちゃんとやってさ、恐らくこの前に最低一度くらいは合わせてるんだろうから、そこで微調整で済むように仕上げておくのが合唱指導者の仕事なんじゃないの?指摘事項としては、むしろ児童合唱に対するそれの方がアーティスティックな指示だったように思うのですけれどもね。恥ずかしいと思いますよ。 まぁ、たまさか見せてもらった公開リハーサル、あまりケチつけるのもどうかとは思うのではありますが、オケは良かったのでね。いいかなと。 リハーサルが終わると指揮者がご挨拶....という話だったのですが、客席に降りてきたバッティストーニ、挨拶というより楽曲解説でほぼ15分。これはなかなか面白かったです。これはプログラムでも触れられているけれど、オルフもレスピーギも、時のファシスト政権との関係から、特に戦後なかなかに厳しい評価を受けたけれど、特にオルフなどはむしろナチスに目の敵にされておかしくないような内容の音楽で、にも関わらず人気があったので見逃されて利用された、といった話や、カルミナ・ブラーナの第一曲のバスのオスティナートは、モンテヴェルディの時代のラメントの音型をなぞっていて、あれはつまり嘆きの歌でもあり、というような。なるほど..... で、本編。 前半はレスピーギ。第2組曲って聞いたことあったかな、という勢い。 面白かったです。まぁ、第3組曲とかは聞いてますしね。テイストはあんな感じ。弦が命の曲ですが、その弦がなかなかいい響きをさせてました。リハーサルでは1階で聞いていたのですが、本公演はいつもの3階席。聞こえ方がやはり違うかな....1階席、やっぱり聞こえ方はいいように思うし.......と思ったのですが、いつもの席で聞くとむしろ低弦がよく響いてきて、これは、リハと本番とで加減の違いもあるとは思いますが、やっぱり少なくともオーチャードの場合3階席はいいなと改めて思いましたですね。いや、まぁ、負け惜しみだとは思いますが...... とはいえ、ここはバッティストーニも抑え気味。大人しい。まぁ、後半だよね...... で、カルミナ・ブラーナですが。これはお見事と言う他ない。まさにバッティストーニの本領発揮といったところ。ただ、全般に、バッティストーニの指揮が大人しいというか........ あのですね。私はバッティストーニの文字通り大童でバタバタというか全身で全力で指揮する感じが面白くて好きなのですが、今回の公演は、なんというか、理性的というか......情熱はあるんですよ。でもそれ以上に統制の取れた指揮っぷりで、ちょっと意外というか......バッティストーニが巨匠然としてるなぁ、というか.......ちょっと失礼ですかね.........でも、そんな感じだったのはちょっと意外。そこには、或いは、前説であったような、オルフのこの曲を表面的な音楽表現だけでなく、緻密に過去の音楽を研究しながら取り入れた成果として捉える、と言う視点が周到に織り込まれているが故なのかも知れません。 独唱陣は、まぁあまり活躍しない曲ではありますが、これもよございました。一曲しか歌わないのかな?カウンターテナーの彌勒忠史は黒い包みを持って登場したのだけれど、歌う際に取り出した包みの中身は....白鳥。まぁぬいぐるみですが。彼が歌うのは丸焼きにされる白鳥の嘆き、というわけでこの仕儀と相成ったようですが、うん、まぁ、ねぇ...........白鳥、カワイソス...... 児童合唱は既述の通り、本公演では綺麗な歌を聞かせていました。 問題は、合唱。なんかねぇ、絶賛される方もおられるようですが..............やれやれ................. 音圧は確かにありました。終曲に向けてのそれは確かに凄かった。そういう点では立派なのでしょう。でも、ねぇ。リハの話で書いた通り、ディクテーションを指摘される通りで、正直、何歌ってるか分からないのですよ。対訳追っていてもね。発音というか、発語に問題があるのではないかと。そりゃまぁこれはラテン語なので、日常的な話し言葉ではないというのは分からないではないけれど、しかし、ラテン語っていうのは、読みはまだしも発音的にはかなりカタカナに近くて、その意味ではフランス語やドイツ語どころかイタリア語より発音、発語は難しくないかも知れないのだけれど、どうして綺麗に出てこないんだろう、という.......音圧はあって、その意味ではよしとしますが、結局歌としては落第なのではないかと。それは、ディクテーションで、ラテン語の一連のフレーズをどう歌うかを指示されてしまっている時点でさもありなんだと思います。歌なんでね。無意味に発語させてるわけでは無い筈なのですよ。まして、元の中世の歌集にわざわざ歌を付けたオルフは、決して出鱈目に響きだけで音を付けたわけでは無いだろうし、リズムだって言葉に合わせてる筈。そういう意味で、言葉が分かって歌ってるのか?とは思います。 まぁね、実のところ、そういうこと分からずに「音圧すげー」で大絶賛になってしまう人が多いのでしょうけれども、それはちょっと違うと思うですよ。まして素人合唱ならともかく、一応プロを標榜してるんだからさぁ......まぁ、新国立劇場合唱団の相変わらずの安定の低クオリティ、ということかなぁと。 オケはお見事。抑え気味できたのを一気に弾けさせたといったところなのでしょうか。 合唱が残念な以外は良かったので、もう一度聞きたいなと思ってはいますが、行けるかなぁ。そのくらいにはいいと思ってるんですけどね。
2024年03月11日
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文京シビックホール 15:00〜 1階後方 ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番 ニ短調 op.30 <独奏アンコール> リスト:ハンガリー狂詩曲 第11番 イ短調 S.244/11 ラヴェル:道化師の朝の歌 ラフマニノフ:ヴォカリーズ (14の歌 op.34 第14曲) ラヴェル:ボレロ ピアノ:阪田知樹 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:アンドレア・バッティストーニ 今週はバッティストーニ回です。明日から定期演奏会ですが、今日はその前に、文京シビックホールでの響きの森シリーズに登場するので買ってみました。 文京シビックホールは随分前に一度来て、あまりいい印象はなかったのですが、改めて聞いてみたらそれほど悪くなかったような。以前聞いた時の印象は、例によってよくある風呂場か蓋をした風呂桶の中か、という感じだったのですが、落ち着いて来たのか、或いは席が悪いのがよかったのか、それほど響き過ぎとは思われず。実際には結構スペースのあるホールなので、悪くないかも知れないですね。来シーズンのシリーズ券買ってしまおうかとも思ったのですが、結構売れているようで。1年後にまたバッティストー二が来るらしいので、買ってもよかったんですけれどもね..... いや、負け惜しみですけど、安い席の方が響きが程々なのでむしろ個人的にはそっちの方が好き........ハイ負け惜しみですもう言いません。 それはそれとして、公演の方。 前半はラフマニノフのp協奏曲3番。独奏は阪田知樹。1月に聞いた彼です。いや、別に追っ掛けてないんですけどね。前回は、正月休みで安いチケットが出てるから行ってみようか、というノリで、今回はそれ以前にバッティストーニ目当てで買ってあったので、偶然なんですけどね。 ラフマニノフの3番。いい演奏でした。個人的には、でも、正直言うと、この曲はそれほど面白いとは思っていないので、どうせならもうちょっと古典の方に振った曲がいいなぁと思ったり。モーツァルトとか、ブラームスあたりの方がいいんじゃないかなと思うんですけどね。勿論ベートーヴェンでもいいんだけど。ラフマニノフか.....まぁ、この辺が盛んに演奏されるようになってるのも、時代というものなんですかね。それか、いっそラヴェルやバルトークあたりに振った方が面白いと思うんだけども。多分そっちの方がこの人には合うような気はしますが。 アンコールはリストのハンガリー狂詩曲から。ピアノで聞くことは多くないんだけれども、ピアノで聞くとこうなるのね..... バッティストーニは、終始控え目。その感じは後半もあまり変わりません。道化師の朝の歌は、まぁ、悪くないけれど、ちょっとオケがあまりスッキリしない感じでしたか。ヴォカリーズは、まぁ、こんな感じかなと。これも悪くないですけどね。ただ、なんというか、盛り上がらないというか..... で、ボレロ。これはさすがですね。ただ、ここでもバッティストー二は比較的大人しい指揮。うーん。そういうの求めてないんだけど.......悪くないですけどね........演奏はいいんですよ。ただ、まぁ、正月のニューイヤーで三ツ橋敬子が振った時の弾けっぷりからすると、むしろ丁寧でタイトな感じ。悪くないけど、どうしたんだ、アンディ........ お客さんはボレロで盛り上がった感じ。いいんですけどね.......悪くないんだけど、仕方ないんだけど、後半の前2曲はそう言っちゃなんですが、まぁ皆さん冷たい冷たい。なんというか、今日のお客さんは、ピアニスト目当てがある程度いて、シリーズで買ってるお客さんがそこそこいて、という感じだと思うのですが、なんというか、うーん......もうちょっとさぁ............しょうがないんですけど......... 名曲コンサートみたいなノリなんでしょうかね。道化師の朝の歌とか、ヴォカリーズとか、結構知られてる曲だとは思いますが、盛り上がりにくいのかも知れないですね。そういう感じのコンサートだったかなと。ちょっと残念な感じ。悪くないんですけどね。最初に書いたシリーズ券を買うのやめた理由は、それもあります。バッティストーニ聞きたさに他に4公演買うにあたり、ちょっと躊躇してしまったのは確か。 ボレロは、トロンボーンがよかったですね。普段あんまりボレロで「あれがいい」みたいな聞き方してはいないし、特にトロンボーン聞こうと思っていた訳ではないけれど、一聴して「おっ」と思った、そういう音でした。 うん、演奏は悪くないと思うんですけどね。そんな感じでした。まぁ、明日は定期だからな。期待しよう!
2024年03月09日
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新国立劇場中劇場 14:00〜 2階 プーランク:カルメル会修道女の対話 ド・ラ・フォルス侯爵:佐藤克彦 ブランシュ:冨永春菜 騎士ド・ラ・フォルス:城宏憲 マダム・ド・クロワシー:前島眞奈美 マダム・リドワーヌ:大高レナ マリー修道女長:大城みなみ コンスタンス修道女:渡邉美沙季 ジャンヌ修道女:小林紗季子 マチルド修道女:一條翠葉 司祭:永尾渓一郎 第一の人民委員:水野優 第二の人民委員/ティエリー:松浦宗梧 ジャヴリノ/看守:中尾奎五 役人:長冨将士 アンヌ修道女:河田まりか ジェラール修道女:斎藤真歩 他合唱 東京フィルハーモニー交響楽団 指揮:ジョナサン・ストックハマー 演出:シュテファン・グレーグラー 基本、オペラ研修所の修了公演はアマチュアだと思うので(一応プロの音楽家としての第一歩...みたいなことをプログラムに書いてましたが、まぁ、アマチュアだと思います)、あまり論評するものではないなとは思っているのですが、一応そこそこのチケット代を取っていますのでね。書いてもいいかなと思って。というより、これは個人的に書いておかなきゃと思ったので。 このオペラ、かなりマイナーなものという気はしますが、昔から知っている作品ではあります。ドナルド・キーンが昔書いていた音楽に関するエッセイの中でこの作品の話が出てくるのを読んで以来聞きたいと思っていて、初演したデルヴォー指揮の録音くらいしかなかったので、それを聞いていたものです。その後ケント・ナガノが振ったのが出て、映像もそれで見られるようにはなり。1990年くらいには日本でも上演されたらしいですが、自分が観たのは2010年の藤原の公演。生で見たのは初めてでしたが、まぁ、良し悪しのある公演ではありました。問題だったのは、やはり演出で、藤原のそれは映像を使ったもので、正直いいとは思いませんでした。ケント・ナガノの舞台も決して納得感のあるものではなし。 まぁ、正直言うと、あまり舞台として納得したことはなかったんですよね。 今回の公演ですが、まず最初に指摘したいのが、実は、字幕です。何がどうなのか。私は原語のリブレットに当たったわけではないのですが、非常に印象的な言葉が出てきます。「小ウサギ」。最初は第1幕。騎士である兄が、群衆に馬車を囲まれて這々の体で帰ってきた - 実際この舞台ではそういう感じではなかったにせよ - ブランシュを「私の小ウサギ」というような表現で呼ぶ。その後、第2幕で、亡くなった修道院長に代わってリドワーヌ新修道院長が、長々とやや退屈で卑俗な就任の弁を述べる場で、いわば小さき者、弱き者にはそれに相応しいものを、というような文脈で、「小ウサギに香草は相応しくない」というようなことを述べる。そして、そのすぐ後 - この公演では休憩が間に挟まるのですが - 兄がブランシュに面会に来る。ブランシュに修道院を出るようにと連れ出しに来たのだが、ブランシュはここに残ると拒絶する。その時に再び兄が「小ウサギ」と呼ぶ。それをブランシュは拒絶する。 いや、原語でどう言っているのか、同じ言葉なのか、ニュアンスはどうか、とか、いろいろあるんですけれどもね。でも、この言葉、私は今まで気付いていませんでした。 フランス語は分かりませんが、調べると、「小ウサギ」という表現は、親しい、というより、か弱い女性、或いは恋人に対して使われる、そういうニュアンスらしいです。 率直に言うと、私は、割と長くこのオペラには付き合って来たけれど、このオペラの最後には必ずしも完全に腑に落ちていたわけではないのです。ストーリーを見る限り、ブランシュは最終的に「殉教」を選ぶのですね。それがどうしてそうなるのか、藤原で見た時は、これを召命と理解してはいたのだけれど、ただ、多分何処かで腑に落ち切っていなかった。 今回見ていて、あ、と思ったことがあります。それは、このオペラは、1950年代半ばに初演されたオペラで、元々は映画用に書かれた台本を基に作曲したそうで。その映画のスコープには、やはり第二次大戦の全体主義への批評があったらしいのですが、ここで大事なのは、確かにモチーフとしてそういうものはあるだろうけれど、同時に、これは1950年代の作品だということ。今回の公演プログラムでこのオペラを評して「20世紀を代表するオペラ」という表現がありますが、私はそれは間違っていると思います。20世紀は、どう考えても、特にオペラやクラシック音楽に関する限り、第一次大戦と第二次大戦という二つの大戦で区切られている。だから、代表しているかどうかは分からないけれども、少なくとも「戦後を代表するオペラ」なのだと思います。 それはどういうことか。このオペラは確かにカルメル会修道女の物語であり、描かれているのは最終的に「殉教」する修道女たちなのだけれども、決してそれだけの単純な話ではないのだろうということ。それは、そもそも、最も宗教的には過激であろうマリー修道女長が生き延びてしまうということ自体にも表れていますが、それ以上に、ブランシュの物語は、宗教的な物語ではないのではないか。 ブランシュはフランス革命期の貴族に生まれた娘ですが、このオペラは1950年代に書かれた物語です。ブランシュは「恐怖からの解放」というモチーフを持ってはいますが、実は恐怖というのは抑圧のことではないのか、と考えていいのではないか。実は、兄のブランシュに対する第1幕の接し方は、あからさまではないものの、何処か性的なものを感じないでもないものであり、そこは深読みし過ぎかもしれないけれど、それ以上に明らかに庇護するもの・されるものという感じなのですね。そして、庇護というのは、実は支配ということでもある。「小ウサギ」というのはこの庇護される者 / 支配される者の象徴でもあるのでは。とすれば、第2幕で兄が連れ出そうとするのを、つまりは自らの支配下に再び収めようとするのを拒絶するのは、支配への拒絶とも言えると思うのです。そう考えていくと、終幕前にブランシュがかつての自邸を占拠した「市民」に女中として使われ、支配されている状況、それに甘んじる姿は、その後の「殉教」のシーンとの対比で繋がります。つまり、あれは或いはブランシュにとっては、殉教である以上に、自らを支配しようとする軛からの解放ではないのか。修道院に入ることで兄という支配からの解放を得られたブランシュは、最終的に解放される為に殉教を選んだとも言えるのではないかなと。 知らんけど。 これが正しいのかどうかは分かりませんし、恐らくは実は複雑なテーマを秘めた作品の一側面を針小棒大に取り上げているのかもしれない。ただ、そのように読める舞台ではあったし、そのきっかけになったのがあの字幕の「小ウサギ」ではありました。 こんなこと、フランス語わかってりゃなんてことない話なのかもしれないですけどね。 で、公演それ自体の話をすると、まずもってこんな風に登場人物の機微を、情景を読み込もうとしてしまえる程度に整った舞台でした。その意味で、演者も、演出も、よく出来ていた。 演出についていうと、演出スタイルはいわば具象と象徴とを上手い具合にバランスさせたといったところ。中劇場なので大掛かりな舞台転換は難しいし、そもそも予算もなかったでしょう。そこで、廻り舞台を最大限活用して、というよりあれはもう使い倒して、場面転換や情景の動きを上手く表現してみせた。 舞台装置は、中央の廻り舞台に、幾つかの構造物を組み合わせて、それを回転させる、つまり方向を変えることと、小道具や布などの「中道具」を上手く使い回し、一方で上から吊った、格子にも見える3本ほどの、金属的な質感の棒を上げ下げすることで、舞台上を上手く見せていました。勿論、それで舞台上に展開される情景は、どうしても「見立てでこうですよ」ということになるけれど、その見立てがそれほど無理のあるものになっていないのは、演出や舞台美術の工夫の勝利でしょう。それと、個人的に大きかったのは、安易に映像に頼らなかったこと。これはとても大事だと思います。無論かなり積極的に証明を使ってはいたけれど、映像で見せることはしなかった。礼拝堂だって、修道院長の部屋だって、牢獄だって、映像で作ろうと思えば割と簡単に作れてしまうけれど、そういう安易な方法に頼らずに、制約のある中で現実の現物である舞台とその上の装置を使って架空の情景を見せることが出来ていました。 演者については、まぁ、歌手個々の出来がどうこういう作品ではないと思います。その意味で、演技も含めて全体によく出来ていたと思います。決してお世辞ではなく、それぞれの役柄にフィットしていたと思います。まぁ、発音とかは、フランス語はわからないのでね........それにしても。 とはいえ、声量とかそういうことを言うと、やはり中劇場だから十分、という面はあるとは思います。このまま大劇場に持っていくのは難しいかも知れないですね。でも、言い換えれば、演出も含めて中劇場にフィットした舞台であると思います。また、このオペラは、むしろこうした大きくない劇場でやるのが合うのかも知れません。 これに限らず、新国立劇場はもっと中劇場をうまく活用してほしいと思うんですけれどもね。演目に限らず、どういう演目であっても、中劇場でこそ出来ることとかあると思うんですよね。 オケは東フィル。安定の東フィル。こちらも比較的タイトな編成でよく出来ていました。これらを取りまとめた指揮も良し。 修了公演がー、とかそういうことでなく、ごく個人的に非常にいい機会になったと思います。
2024年03月06日
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というわけで、先週木曜日に先行抽選発売の当落の連絡が来たわけですが...... まー見事に外れまくりましたですねー。小ホール公演は打率1割と言ったところ。殆ど外れてもう行くのやめようかなくらいの勢いでやさぐれつつ、今日土曜日の朝から先行先着発売だったわけですが、まぁまぁこっちでリカバリー効いた感じですかね。正直、G409は殆ど全滅状態。やはりルイサダはすぐ売り切れてしまうようで。ただ、他は、頑張れば幾つかは取れた感じですね。 それと、やはりLFJ特設系とぴあ系は在庫の扱いが若干違うようで、ぴあのpoco会員先行の方は、LFJ特設サイト売り切れでも残ってるケースがあったようです。ただ、poco先行は特設サイトに比較すると1枚あたり550円余計に手数料が掛かるので......ちょっとね....... ホールCやAはまだまだ十分取れるんじゃないですかね。 感覚的には、去年よりはかなり戻って来てるんじゃないかという感じはあります。ただ、実際には蓋開けてみないとわからんですよね。ホールAの埋まり具合でしょうね、最後は。
2024年03月02日
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