全4件 (4件中 1-4件目)
1
ミューザ川崎シンフォニーホール 14:00〜 2階左側 ラウタヴァーラ:カントゥス・アルクティクス op.61 サーリアホ:サーリコスキ歌曲集 シベリウス:交響詩「ルオンノタル」op.70 ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 op.88 ソプラノ:アヌ・コムシ 東京交響楽団 指揮:サカリ・オラモ 東京交響楽団......ねぇ........昔、一時定期会員になっていたこともありましたが、今はそういうのはやっておりません。時々気が向いたら聞くくらい。やっぱりね、言うほどうまいと思わないのと、企画ものでの客筋があまり宜しくなくてね........じゃぁ、なんで聞きに行くのさ、というと、まぁ定点観測みたいなものです。加えて、時々やすいチケットが出たりするので。今回もそのパターン。実は4月は元々買ってなかった上に、忙しかったり風邪引いたりで、これが当月初コンサート。 安チケットが出るのも当たり前で、行ってみたら3階はガラガラと言いたくなる状態。例によってピット席というか、舞台裏席は埋まっているのだけれど、これだと3階4階はどれほど入っているものやら。というか、これ、一応定期公演という名目なんですが、これ買ってる会員が、特に安いとこ買ってる会員がどれだけいるのかと.......そういや、プログラムに書いてあったけれど、2026年を以てジョナサン・ノットがついに退任すると。驚いたのは、ノットが12シーズンやってるんだそうで、え、そんなに?という。スダーンが退いてもうそんなになるのか.....とはいえ、率直に言うと、そう感じる一端は、その間東響が何してるのかよく分からない、というのはあります。確かにノットはあれやこれや企画ものはしたのだろうけれど、別にオーケストラとしてどうともなっていないというかね......スダーンが始めたモーツァルトマチネも、やるのはいいけどそれが何に繋がってるのか、時々聞く限りではよくわかんないし..... フィンランド出身のサカリ・オラモということで、フィンランドの作曲家の作品とドヴォルザークというプロ。前半はラウタヴァーラから。カントゥス・アルクティクス、副題としては「鳥とオーケストラのための協奏曲」なんだそうですが、まぁ、一言で言うと、感心しない。気に入らない、と言った方がいいかなと。 これ、作曲者自身が録音したフィンランドの湿地帯での鳥の声を音源としているらしいのですが、それをあるがままでなくて、編集して「演奏」しているのだそうで。いや、いいよ?でも、それって、「鳥」じゃなくて「鳥の声を人間が録音して編集したもの」だよね。それって、所詮人間の手になるもの、だよね。自然じゃないよね。 なんかこういうのって、自然と対峙してみました的なペラい感じしかしないんですよね。別に録音したって構わないけど、それならそれで、あるがままの自然音と対峙するべきじゃないだろうか。ちょっとエキセントリックに過ぎると言われるかも知れないけれど、でも、そういう対峙をさせたいなら、人間に都合のいい音に改変するべきではないと思うのですよ。所詮自然をちょいと借りて純然たる人工物じゃないですよってフリをしてるだけだろうと。意識的にやってるなら底が浅いし無意識的にやってるなら考えが足りない。ペラいというのはそういうこと。 いや、まぁ、作っちゃうのは仕方ないけど、取り上げるなよ、恥ずかしい、というね。 というわけでこれは演奏がいい悪い以前の問題。まぁ、東響の悪いところが出たというか。東響、現代音楽を積極的に取り上げるのは悪くないと思うんですが、取り上げる方も聞いてる方も考えが浅いというか......私の大嫌いな「意義深い」系がわんさか出てくるんですよね。新しくてもダメなものはダメなの。まぁ、これは1970年代の作品らしいので、もう50年前ということで、大して新しくはないし、それなりに受け入れられているのかも知れないけれど、これで自然とかちゃんちゃらおかしいや、ってなもんでね。 正直、これで、かなりガッカリ感が増したのは事実です。 続いてはサーリアホのサーリコスキ歌曲集。へー。(ハナクソホジホジ) なんとも言いようがないですね。2020年の作品だそうで、正直フィン語もわからないので、なんとも言いようがなく。独唱のアヌ・コムシという人は知らない人ですが、歌い方がどうといっても、そもそも結構特殊な音楽になってしまっているので、はぁ、そうですか.......としか言いようがない。ええ、はっきり言えば私にはよく分かりませんでした。独特の歌い方なのはよく分かるし、でも、それが導いているものが結局なんなのか、と言われると.......よく分かりませんでした。 それに比べると、後半最初のシベリウスのルオンノタルは、まだしも歌曲らしい歌曲といいましょうか。歌曲?ええ、交響詩となっていますが、これはどちらかと言えば管弦楽伴奏歌曲。1900年頃の作品ですが、マーラーやレーガーやベルクの歌曲を知ってしまっている身としては、格別珍しくはない。珍しくはないけれど、これも、やっぱりよくわからない.......サーリアホのわからないとはちょっと違って、どういう音楽か、まぁ、わからなくはないのだけれど、なんでそんなに落ち込んでるのよ......何が言いたいんだよ........というような、ですね。そもそも元になってるテクスト自体がカレワラ由来なので、つまりは神話みたいなものですからね。加えてこの曲シベリウスがいわば「暗黒期」に書かれたものだとかなんとか。まぁ、なんというか、よくわからないというか.......ちょっと覗き込んじゃいけないところを覗いてしまったみたいなもんなんでしょうかね....... 最後は、形としてはメインのドヴォルザークの8番。これがねぇ...... まぁ、正直、ここまでこんな感じですからね。かなり落ちてるんですよ。こっちも。 で、冒頭。低弦の合奏で始まる。これがとても良かった。締まった音で、でも、決して硬くない。問題は、これが数秒しか続かない。何故か。ヴァイオリンがね、ガッチガチなんですよ.......もう、これが全て。後がそれほど酷いわけではないですよ。でも、あのガチガチのヴァイオリン聞かされると、もうゲンナリしちゃってねぇ...................なんか、途中、オラモがメチャクチャスピード上げて演奏してたのは、あれは、もともと皆リタルダントするところ、そのままのテンポで突入したのかな?覚えてるのはそれくらい。悪くないんだろうけど、そういうヴァイオリン聞きたいわけじゃないんだよ、というね......... まぁ、そんな感じでした。全体に悪いとは言わないのだろうけれど、やっぱり東響は、無理して聞かなくてもいいな。
2024年04月22日
コメント(0)
ルーテル市ヶ谷ホール 19:00〜 バッハ:ゴールドベルク変奏曲 BWV988 ショパン:ノクターン第9番 ロ長調 op32-1 / 第10番 変イ長調 op.32-2 ピアノ・ソナタ第3番 ロ短調 op.58 <アンコール> プロコフィエフ:ロミオとジュリエット 〜 モンターギュ家とキャピュレット家 エル=バシャ:カンツォネッタ ピアノ:アブデル=ラーマン・エル=バシャ そもそも行くつもりは当日の午後までなかったんですけrどもね。 前日はどうしようもない東京春祭のトリスタンで、こりゃひどいと思っての日曜日は、予定があったのだけれども、その予定が早く終わって夕方から身体が空いたので、何かあるかと思って調べたところ、これがあったので急遽行くことに。エル=バシャはLFJの常連ですが、まぁ正直国際フォーラムで聞くよりは一応ホールで聞けるし、値段的にも悪くないし、今年は買ってないし......でもなにより演目がゴールドベルクなので。 ルーテル市ヶ谷ホール、初めて入りますが、そもそもはルター派教会併設のホール。礼拝堂のような趣でもある場所ですが、一応ホールではあります。まぁ、ルター派の場合十字架台とか無いですしね。200〜300人くらい入りそうな感じですが、多過ぎず少な過ぎずという感じ。 前半はゴールドベルク。 エル=バシャを聞くのは割と久し振りですが、バッハをちゃんと聞くのは初めてかと思いますけれど、よく合ってると思います。質実剛健、とまではいかないけれど、端正で、ある種幾何学的な美を感じさせる演奏。まぁ、そういう曲だから、ということはあると思いますけれど、とはいえこういうバッハも実は多くない気はします。 最近は、録音のみならずリサイタルでもゴールドベルクは弾かれることはそれほど珍しくはなくなったと思うけれども、ついつい情感がこもってしまう - こもってしまうというのも言い方としてどうなのと思わなくもないけれど - 演奏が少なくないと思うのですね。でも、バッハの場合、情感に流れるのではやはりダメで、幾何学的な美というものがやっぱりあって、エル=バシャはそういうものをきちんと表現出来ている、そういう演奏だったかと。無機的というのとは違って、情に溺れない。 こういうのは意外と少ないと思います。ピアニストは、どうしてもピアノを弾く、ということに傾きがちな演奏になるし、そうでなければピアノであることを殊更に無視していたり。ピアノ演奏であるけれど、ピアノであることに過度に向かわない。エル=バシャのは、そういうものだと思います。 後半はショパン。 これはなかなか........ LFJの常連としてのエル=バシャって、どういうイメージなんでしょうね。私はそれほど一生懸命聞いていないから、うっかりするとちゃんと聞いたのはこれが初めてみたいなものかも知れないけれど、もうちょっとフワッとしたイメージがあったのですけれども、このショパンは........どうなんだろう。多分、ショパンとしては、あまりいい演奏と言われないんじゃないかしらん。 なんというか、悪くないのですが、ちょっと水墨画のような、いや、むしろ、書みたいなものでしょうかね。それも、最近のやたらと表現に傾きがちなものではなく、楷書とは言わずとも隷書か何かで書かれたような。色彩感がないといえばない。モノクロームに近い。そう言ってしまうとショパンとしてはダメだろう、と言われそうですが、そうではない。 多分、エル=バシャのスタイルが元々こうなのだと思います。エル=バシャ自身は、最近ではプロコフィエフのソナタを録音していたり、ショパンもレパートリーにしていたり、ということなのですが、どうも改めて聞くと、バッハのイメージが強過ぎるのかも知れないですが、華やかさ、というよりは、もっと落ち着いた美なのではないかと。それと、構成美というのは間違いなくあると思います。その意味では、ショパンといえどもこの選曲はやはり合っていると思います。加えて、ソナタの3番は構成感を感じさせる曲であり、演奏もそれに見合ったものかなと。 アンコールは、プロコフィエフの「あれ」と、自作のカンツォネッタ。まぁ、この辺はアンコールらしい演奏かなと。 エル=バシャは、バッハはもちろん、ベートーヴェンとかモーツァルトとか、そういうのがもっと合うような気はします。 演奏会としては、とても良かったと思います。いい口直しになりました。
2024年04月03日
コメント(0)
ブログ書いたら飛んだので、悪口だけざっくり書いておこう。 土曜日に行きました。予定が出来てそもそも観られても2幕までだったのだけれども、1幕だけ聞いてダメだこりゃと思って早々に帰りました。 N響とヤンソンスは全く色気なし。最初っから色気なし。新国の都響の比じゃないパサつき加減。音楽的には密度が高いとか立派とかいうのかも知れませんが、そんな色気のないトリスタンねーよと。 外題役は声はでかいかもだけれど声が喉の奥に引っ込んでるので聞きづらいことこの上ないし、あれじゃ途中で破綻しそう。イゾルデはまぁどうでもいい出来。 よく言えば迫力があって大音量で圧倒、というのかも知れないけれど、こんなパサパサなの付き合ってらんない。 更に隣のおっさんがズピーズピーと鼻息というか蓄膿症というかうるさいことこの上なくて、こりゃ2幕まで聞く意味ないと思ってさっさと撤退しました。 なんかさぁ、客筋も良くなくてねぇ。お前もいたんだろと言われればその通りですが、新国の時も思ったけれど、最近スノビズムが服着て歩いてるような俗物が増えたよね、日本のオペラ公演って。特にワーグナーは、かな、うん。 N響でヤンソンスだから絶賛なんでしょうね。ネットとかもううざくて見てないけれど、容易に想像は出来ます。新国のだっていいとは思わなかったけれど、それ以上にダメよ、これ。音でかいだけでね。それに、演奏会形式とはいえ、歌手がいるんだから、調整すればいいのに、調整しないし。それでもいい演奏ならいいけど、こんな色気のないオケ聞いてもしょうがないって。吹奏楽コンクールじゃないんだから。まぁでも、日本の標準的な「いい音楽」って、吹奏楽コンクールなのかもね。 まぁ、そんな感じ。よし、本件は終わり!明日気が向いたら本編を書こう。
2024年04月01日
コメント(2)
折角書いたのにまた飛びやがった...... 楽天ブログってこれがあるから本当ダメよね。ブロ活とかくだらないことする前にそういうことなんとかしろってーの。
2024年04月01日
コメント(0)
全4件 (4件中 1-4件目)
1