ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン& オペラとクラシックコンサート通いのblog

PR

サイド自由欄

QLOOKアクセス解析

キーワードサーチ

▼キーワード検索

プロフィール

Verdiさん

Verdiさん

カレンダー

コメント新着

Verdiさん @ Re[1]:9/14 N響定期公演 (2024年9月 Aプロ1日目)(09/14) Maybe.さんへ >隣の席のテーブルマナ…
Maybe.@ Re:9/14 N響定期公演 (2024年9月 Aプロ1日目)(09/14) 誰がどうであれ、感動したなら構わないけ…
Verdiさん @ Re[1]:3/30 東京春祭トリスタン(04/01) emigmaさんへ ああ、ヤノフスキですね。ま…
emigma@ Re:3/30 東京春祭トリスタン(04/01) ひぇっ!ヤンソンスがN響ふったんですか!…
Verdiさん @ Re:12/3 N響定期公演 (第1971回 2022年12月Aプロ1日目(12/04) NHKで録画が放送されたのを観てみました。…

フリーページ

2011年01月28日
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
 音楽の友2011年2月号、久々に買ったのですが、2010年のクラシック界を振り返る、的な座談会がありまして。まぁ、読んで貰えば分かるんですが、音楽評論家2名と新聞記者1名という鼎談で。
 で、まぁ、突っ込み所満載の内容なんですが、例によってコンサート不況だとか、文化だとか、そういう話になってまして、これがまたまるで具体的な問題解決に繋がらない、相変わらずの内容で.........
 そりゃぁ、クラシック音楽界が不況に喘ぐ訳だろうよ、と。

 で、よせばいいのに、2年前の橋下大阪府知事の発言をわざわざ引いて来て曰く
「どこかの知事が、大衆に根付いてなければ文化と言えない、なんてことを言ったんですけど、やっぱりそれは文化のはき違えだと思うんですよね。」
 そりゃぁ、日本に文化が根付かない訳ですよ。

 この発言、大阪センチュリー交響楽団の予算削減に関してのもので、今でも、ネットで検索すれば、当時の橋下知事がこれに類する言葉を発しているのを見る事が出来ます。
 文脈としては、音楽とか美術とかインテリぶってるけれど、府民に根付いているのか。根付いていると言えばお笑いの方がよほど根付いている。府民に根付くような努力を死に物狂いでやらなくてはいけないのではないか、と。

 まぁ、今更ながらですが、この文脈がどんなもんだろうとは思うし、別に橋下知事を支持する気もないのですが、ただ、「大衆に根付いていなければ文化とは言えない」という趣旨として認識しているならば、まぁ実際にこの言葉通り発言しているかどうかはともかく、これは明らかに一つの見識とすべきなのです。

 文化とは何か、ということを定義付けするのは確かに難しい。けれど、文化を「大衆に根付いていなければならないもの」とする考え方は、決して間違いとは言えない。何故なら、「大衆に根付いているか」という問いは、クラシック音楽というものが某かの文化的成果であるとするならば、その文化的成果の拠って立つ所は何であるか、つまりは文化的出自が問われているということだからです。
 そして、この場合何故この問いが発せられるかと言えば、大阪府という地方自治体の税金が投入されているからです。現代日本の大阪府という地域(別に関西でもいいんだけど)に於いて存在するべき必然性があるかどうかは観念的には幾らでも言えるけれど、具体的に公金が出ている以上、その公金を投入すべきかどうかは、公共性の有無、公金を支出してまで支えるべき価値があるかどうか、に掛かっているからです。執行機関としての大阪府の長である知事が、だから、この観点に則ってこの問いを発するのは極めて妥当な話。
 橋下知事は、何もはき違えてはいません。公金を支出すべきものなのか?という、職務上極めて妥当な問い掛けを、非常に分かりやすい形で出している。この問い掛けに、業界の側は真摯に応えて来たのか?ということです。
 「大衆に根付いている」ということの判断は、言葉の上では定性的にならざるを得ません。けれど、例えば、この当時の対話の中で、これまた極めて妥当な言葉を橋下知事は発しているのです。曰く、「10万人の署名が集まったそうだけれど、その一人一人が千円とか出してくれないんですか」と。
 正直に言って、私もそう思います。そこまで大事と言うなら、その一人一人が千円出すくらいなら、それは「大衆に根付いている」と言えなくもないのではないだろうか、と。

 現実に、センチュリー響は、昨年秋の段階では、来年度から補助金が無くなるのに、協賛企業は1社、100万円分しか取れていないと聞きます。この辺、色々な事情や思惑もあるのかも知れないけれど(関西のオーケストラ合併論とかあった筈)、「根付いていない」とはこういうことではないのかと。センチュリー響に恨みはないけれど、これがこの業界が「文化」であり続ける努力を怠って来たツケなのではないかと。
 少なくとも、「大衆に根付いてなければ文化とは言えない」というのを「文化のはき違えだ」とまで言うのなら、では一体文化とはなんなのか、我々、2011年の日本に暮らす人々にとってどんなものが文化で、それは苦しい中公金を支出してまで支えるべきもので、クラシック音楽は、もっと言えばあるプロオケ一つを維持することは、その公金を支出するに足ることなのだ、ということをきちんと説明すべきです。それが、まがりなりにも、音楽雑誌で、音楽評論家という態で、こういうことを発言するならば、丁寧に取り組むべきでしょう。

 もう一つ言いたいことがあるので、それは明日。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2011年01月29日 00時12分31秒
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Create a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: