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2021年03月18日
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カテゴリ: オペラ
新国立劇場  16:30〜
 4階左手

 ジークムント:第一幕 村上敏明 第二幕 秋谷直之
 フンディング:長谷川顕
 ジークリンデ:小林厚子
 ヴォータン:ミヒャエル・クプファー=ラデツキー
 ブリュンヒルデ:池田香織
 フリッカ:藤村実穂子
 東京交響楽団
 指揮:大野和士
 演出:ゲッツ・フリードリヒ

 結局行って来ましたよ.....あれだけ書いたしね.......予定はしてたし、これで行かないのもなんだろうなと思ってね........

 で。
 前評判が何故だか大絶賛らしいので、久々に本気出して観て来ました。普段本気出してないのかって?そりゃそうですよ。こっちは楽しみで聞きに行ってるんだから。毎々本気出して観てたら疲れちゃうでしょ?

 では、どうだったか?
 まず、さらりと普段並みの感覚で言うと、こんな感じでしょうね。
 ほぼほぼいつもの新国立劇場の定常運行、って感じですかね。色々あるけど。ただ、やっぱりジークムントは、特に第1幕がヘロヘロで、そもそも第1幕と2幕で別の人でやるのは問題。なので、やっぱりやるべきじゃなかったんじゃないか。

 以上。

 まぁ、実際こんな感じだと思いますよ。あんまりわぁわぁ言わなければ。

 で。本気出して観て来たので、というか率直に言うと、あんまり色々大絶賛のようなので、本気でちょっと色々言ってみようかと。一応断っておくと、3/17の話で、正直かなり悪い席で観ていたというのはあります。あくまで個人の感想です。

 ではどうだったか?

 演出自体は「ゲッツ・リング」の2度目ということになります。前回は2016年。ブログでは書いてないですが、観てますね、私。但し、ゲッツ・フリードリヒ自身は2000年に亡くなってますので、この演出はフィンランドで出した舞台を持って来たもの。なので、この演出が果たして演出家自身の意向をどこまで体現しているかはちょっと分からない部分はあると思います。

 で、まず、問題のジークムントですが、第1幕の村上敏明は、はっきり言って保ちませんでした。最初から若干声が足りない感じだったけれど、後半はヘロヘロ。はっきりひっくり返ったりしてましたし。音楽的芸術的に云々という話ですが、はっきり言ってその観点ではこれじゃお話にならないです。
 第2幕の秋谷直之は、そこへいくとまだ声は出ていたと思います。一応最後まで声出してました。はい。あれは歌ってたと言っていいのか.....元々第2幕のジークムントはあまり歌ってないけれど、それにしても、もうちょっと丁寧に歌おうよ。声は大きいけれど大きけりゃいいってもんじゃない。なにより、そもそもそれなら最初から、つまり1幕からやりゃいいじゃん。その時点でやっぱり失格なんですよ。
 で、大抵の人は、やっぱり気にしないんですかね。でもやっぱり観ていて違和感は否めません。第一に、声質が全然違う。で、第二に、そもそも見た目が違う。細かい話ですけど、たとえば、髭。村上敏明は髭を伸ばしてるのに、秋谷直之は伸ばしてない。そんなこと?と思うかも知れないけれど、どうしてもダブルでやりたいのなら、せめてそうしたところは合わせないと。それで気にならないというのは、やっぱり、芝居に興味ないんじゃないですかね.....

 他のキャストはどうだったか。
 まず、ジークリンデとヴォータン。一応及第点をあげられるとすると、この二人くらいかと。この両名は、一応歌になっていたと思います。ジークリンデはちょっと叫んでる感じでしたけれどね。ただ、声的には一番出ていて、しかもそれがただ叫ぶのではなくて、一応歌になっているような感じではあったかなと。ヴォータンの方は、そこそこ歌えてはいるので、まぁ一応安心して聞いてはいられます。ただ、特に第3幕、舞台後方に入って歌うと、全然聞こえてこないのは、まぁ、むしろ演出の問題というべきなのか。
 ブリュンヒルデの池田香織は、ちょっとね...... なんか知らんけど、この人、二期会のスターなんですって?だから言うわけじゃないけれど、声はそれなりに出てるとは思うけれど......オペラになってないというか...........まぁ、大根?
 芝居としてのオペラとして考えると、ブリュンヒルデは実は難しい役なんですよ。ヴォータンは、そもそも苦悩するヴォータン、というのが2幕のフリッカとのやり取り以降はデフォルトなんですよね。だから、実はそれほど複雑ではない。ところが、ブリュンヒルデは、ヴォータンの代理人的な立場でありながら、ヴォータンの葛藤を受けてジークムントと対峙し、遂にはヴォータンの指示に背いて我が道を行かんとする。その意味では、このオペラの中で最もドラマを内在しているのがブリュンヒルデなんですね。それが、残念ながら、芝居として出来ていない。正直言うと、あまりに不用意だと思います。これは、演出、正確には再演演出の問題ではあるのだけれど、それにしても、そういうブリュンヒルデの葛藤というか成長というか、が、ブリュンヒルデ自体からは殆ど伝わって来なかったと思います。そういう表現が見受けられない。
 もう一つの問題は、これとも関連するのだけれど、全体に不用意なんですね。ブリュンヒルデというのはそういう役柄なので、付けられてる音楽もそこそこ複雑で、かつ、結構出ずっぱりなので、演技だけでなくて音楽的にも取り取りの綾を表現することが求められる筈なのだけれど、観ていてどうにも.....
 そこが率直に言ってヴォータンやジークリンデとの違い。ヴォータンは、それがやはり出来ている。葛藤がそれなりに見える。ジークリンデは、ある意味、そうした綾がそれほど多くないので、まぁ、ね。藤村実穂子のフリッカは、そういう意味では、まぁ、それほどの役ではないのでね。ただ、全般に、やはり芝居としてはどうにも、という感じではありました。
 率直に言うと、演出自体、あまりいい出来とは言えない気はします。名演出家の舞台、と言うことになっているし、あまり考えずに見る分にはいいと思うけれど、本気で観ると、特にヴォータンとブリュンヒルデの各々の葛藤が、はっきり言って弱い。だから、ドラマが際立って来ない。

 不用意というのは、オケも同じで、まずもって例によって金管がヘロヘロ。よくしくじってるし。ただ、その辺の失敗はある意味お約束なので、問題は、オーケストラ、だけでなく演奏者全般に、「何故ここでこうなのか?」ということについての詰めが、やはり甘い。ジークムントがそもそもそれ以前レベルでダメだということなので、高みを求めても仕方ないのだけれど、音をなぞるので精一杯、という感じの演奏が少なくなかった。でも、やっぱりそれじゃダメなんですよ。特にワーグナーは。
 私がワーグナーについて語るのもおかしな話だけれど、ワーグナーが、特に指環が大変だ、というのは、長いとか、声量・音量が求められるとかあるけれど、本当は、演奏者に集中力が求められるからだと思うんですね。それも、全編に渡って途切れずに集中力が求められる。言ってしまえばどんな音楽でもそれはそうなんですよ。ただ、特に指環の場合、ライトモチーフという趣向も相まって、極端に気の抜けない音楽になってると思うんですね。特にオケの場合は尚更。その辺がやはり不用意なんですよ。だから、「どうしてそこでそういう音になるのか」という意味で時々意味なく音を出してるところがあったり、ですね。
 外すのは、まぁ、ホルンとか、そういうものだから、というのはある程度あるんですよ。でも、音に意味がないのは、やっぱりダメ。

 他のキャストは、まぁ、どうでもいいや。ワルキューレは、相当ずっこけましたけどね。

 他人が何をどう評価しようと構わないんですけれどね。ただ、この公演絶賛している人が少なくないので、やはりこれは一言言っておきたい。
 自分が、極々個人的な体験として、その音楽が素晴らしいと思う、ということは、それはそれでいいことだと思うんです。でも、それを自分以外の誰かに向けて発信するならば、そしてそれが「私は個人的に良かった」ではなくて、客観的にいい演奏だったと言いたいのならば、何故そうなのか、どうしてそうなのか、基準と評価を明示すべきだし、それが個人的でなくてある程度普遍性、いや普遍と言わずとも客観性があると言いたいならば、それがわかるように示すべきだと思います。私は、私個人の感じ方ではあるけれど、この公演では、やはり一定のレベル以上で求められるであろう音楽的な説得力とか、表現といったものが不十分で、なにより二人一役にすることでオペラの舞台としての具現化に於いて、最低限の約束事を破っているだろう、と思うので、低評価なのですけれどね。
 要するに何が言いたいかというと、安直に「バイロイトに匹敵する」とか言うんじゃない、ってことですね。

 なんでこんなこと言うかというと、要は、こんな風にして甘やかして来た結果が、今回の二人一役に見られるような話だと思うからです。そこまでしてこのレベルか、という意味で、相当失望してます。本気だからね。やるべきじゃない。それでも強行した割には、雑なんですよ。出来が。これだったらやっぱりやるべきじゃなかったと私は思いますし、それでも決行されたこの公演を美談みたいなものにしちゃダメだと思うのです。

 まぁ、結局この公演は「素晴らしかった」ものになるんでしょうけれどね.........





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最終更新日  2021年03月18日 01時39分41秒
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