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2021年11月21日
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カテゴリ: クラシック
オーチャードホール  15:00〜
 3階左手

 シューベルト:ピアノソナタ第19番 ハ短調 D.958
 ベートーヴェン:ピアノソナタ第32番 ハ短調 op.111
 <アンコール>
 バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻第1番 BWV846 〜前奏曲
 シューベルト:即興曲 op.90-3 D.899-3

 ピアノ:小山実稚恵

 小山実稚恵のシリーズ「ベートーヴェン、そして...」の第6回、「異次元へ」と題されたリサイタル。
 2016年から12年に亘ってのリサイタル、その補遺のような2019年からの3年6回のリサイタルシリーズの掉尾を飾る公演、なのですが........あんまりネガティヴなこと書くのもなんなんですが、ね.....

 演奏前に本人の説明というか、MCがあったのですが、うーん。いまいちよくわからなかった.....まぁ、同じハ短調のソナタを揃えたというのはわかるし、シューベルトの休符とベートーヴェンの休符との違い、ベートーヴェンのそれが前に進もうとするものであるのに対して.....という趣旨は、まぁ、わかったんですが......

 なんていうんでしょうね。そういう意味では小山実稚恵ももう長いこと聞き続けていることになるのだけれど、近年、特に今のシリーズに入って思うのだけれど、小山実稚恵の演奏そのものは決して悪くはないと思うのですが、ですね。今回のような、ピアノソナタのような曲での、音楽としての構成が、よく分からないんですよね。
 シューベルト。確かに各々の楽章は、それぞれあれど、それなりにちゃんと演奏はされているとは思うのですね。ただ、全体としてこの曲がどういう音楽として捉えられているのか、見えないんですよね。
 ベートーヴェン。第2楽章の変奏曲。中程の変奏のテンポが、凄く速い。いや、速過ぎて弾けてないということではなく、弾けてはいるのですけれども、そこまで速くてじゃぁそれがどう繋がるかというと、ちょっとどうなのかなと。唐突過ぎるというか。

 シューベルトも、ベートーヴェンのこの辺のソナタもそうなのですが、あまり構成ということを重視されないきらいがあるのですけれども、シューベルトは実の所楽曲形式というものに拘っていた人であるし、ベートーヴェンも構成こそ中期のそれと違ったもので自由なものに見えるけれど、むしろだからこそ前例の無い構成をどう形作るか、というのは重要になるのだと思います。
 もう一つ。変奏という問題。一度提示された主題を様々に変奏していく、というのは、いわば基本的な音楽の展開方法です。ただ、変奏曲という形式になると、ソナタ形式に於ける主題の展開というよりは、変奏し移ろっていくことそのもの、その移ろい方に主眼があったりします。たとえば、バッハのゴールドベルク変奏曲の場合、変奏一つ一つは様々な性格を有していて、目まぐるしく、とは言わないけれど、各々の変奏のヴァリエーションの多彩さにこそ魅力があって、ちょっと端的な言い方をするなら、その分、各々の変奏の連関性はそれほど比重は高くないようにも思います。異論もあるでしょうけれど。翻って、op.111の第2楽章。この楽章は確かに変奏曲ではあるけれど、15分は掛かる長さの割に変奏自体は確か第5変奏くらいまでだった筈。比較的変奏が長い。なので、どうしても変奏の間の関係性を見てしまうのですね。そう考えると、主題から前半の変奏に掛けての、静謐な部分から、リズムが細分化され激しく動く変奏を経て、また静謐な音楽へと戻っていく、といった流れが、この変奏曲自体を構成していると思うのですが、どうも、聞いていると、そうした連関性が感じられないのですね。
 この楽章は Arietta と題されて、 Adagio molto, semplice e cantabile となっています。とてもゆっくりと、飾らずに歌うように、とでもなるでしょうか。そして、それは全編通して基本変わらない。それが、中間のところで、力づくに聞こえてしまうんですね。ちなみに、この部分には確かテンポを変えずにという指示があったと思います。つまり、変奏の形としてはリズムとしては激しく動く(つまり音価が細分化されている)のだけれど、全体としてはとてもゆっくりのペースは変わらないんですね。

 まぁ、ねぇ。私如きが同行いう話ではないのかも知れないけれど......
 ただ、正直言うと、小山実稚恵は、こういう古典派の延長線上にいる、構成感を強く求められる音楽は、苦手なのかも知れないなぁと改めて思ったのでした。
 アンコールに2曲。でも、率直に言うと、アンコールは要らないよ、と思うんですけれどね。そのアンコールは、まぁ、悪くなりようがない2曲と言えば言えるので、いいも悪いもあったもんじゃないのですが、勿論悪くはなかったですよ。
 確かに、前シリーズの場合、ソナタの大曲2曲、というようなプログラムはむしろ少なかったので、その辺が面白みでもあったと思うのですけれど、今回のようなプログラムだとちょっと難しいのかな。

 お客さんがね。やっぱり集中力が薄いんですよね。シューベルトの緩徐楽章でカバンガサガサとか。全体的にも、なんというか、別に音楽そのものどうでもいいだろ、オーチャードホールにコンサート聞きに来ることに意味があるだけだろ、みたいな感じ、というと言い過ぎなのかも知れませんが、でも、前シリーズの頃から、そういう感じの人は少なくなかった気がするんですよね。だからなんだと言われるとアレなんだけれども......でも、お客さんが育てるというのはあると思うんですよね。ダメなものはダメだなという反応は大事だと思うんですけれどもね.......





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最終更新日  2021年11月21日 13時43分30秒
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