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まるでストップモーション!北斎の描く大波、正に「The Great Wave」だ!(葛飾北斎「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」)10月6日(金)から11月19日(日)に掛けて、大阪・天王寺にある「あべのハルカス美術館で、<大英博物館 国際共同プロジェクト「北斎―富士を超えてー>という大規模な葛飾北斎展が開催されています。<あべのハルカス美術館HP>https://www.aham.jp/exhibition/future/hokusai/上記HPから、この展覧会の概要を以下に紹介します。「稀代の浮世絵師、北斎。ゴッホやモネに影響を与え、「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」は「The Great Wave」として世界で最も知られる作品の一つです。2019年から使用される新しいパスポートの図柄に「富嶽三十六景」が採用され、今、北斎は日本を象徴する存在になりつつあります。本展では、肉筆画を中心に、還暦以降の30年に焦点を当て、90歳まで描き続けた北斎が追い求めた世界に迫ります」雨続きで、暫く野外散策を見送っていたリュウちゃん、10月22日に「あべのハルカス美術館に行ってみました。葛飾北斎の浮世絵につきましては、以前から断片的に幾つかの作品を観る機会があったのですが、全体像はこれまで掴めていませんでした。この展覧会、北斎の全体像を掴む格好の機会だ!本ブログでは、全てネットから北斎の図をお借りして、北斎の全体像に迫ってみたいと思います。<葛飾北斎年譜>★宝暦10年(1760年=第10代・徳川家治の時代、田沼意次の「田沼時代」)、武蔵国葛飾郡本所割下水にて貧しい百姓の子として誕生、姓は川村、幼名:時太郎(のち鉄蔵)通称:中島八右衛門、★明和元年(1764年=北斎14歳)、幕府御用達鏡磨師の中島伊勢の養子になる。この頃、貸本の絵に興味を持ち、画家を志す。★安永7年(1778年=北斎18歳)浮世絵師・勝川春章の門下となる。狩野派、唐絵、西洋画などあらゆる画法を習得、★安永8年(1779年=北斎19歳)デビュー作「瀬川菊之丞正宗娘おれん」(役者絵=下の画像)でデビュー、★寛政6年(1794年=北斎34歳)、勝川派を破門される。★文化2年(1805年=北斎45歳)、「葛飾北斎」の号を用いる。★文化8年(1812年=北斎52歳)、名古屋に逗留、大阪、伊勢、紀州、吉野などに旅行、★文化11年(1814年=北斎54歳)、「北斎漫画」初版刊行、北斎がヨーロッパで知られるきっかけとなったのは、19世紀の半ばに日本から輸出された陶器の梱包で詰められていた「北斎漫画」を、画家のフェリックス・ブラックモンが目に留めたことからのようです。「北斎漫画」刊行200周年にあたる2014年、パリで史上最大規模の「北斎展がパリで開催され、700余点もの北斎の作品が展示されたようです。(「北斎漫画の一部」)★文政6年(1823年=北斎63歳)、「富嶽三十六景」の製作始まる。天保2年(1831年)に開板(版木作成)開始、天保4年に完結。★天保5年(1834年=北斎74歳)、「画狂老人」「卍」の号を用いる。「富嶽百景」制作開始、★天保13年(1842年=北斎82歳)秋、初めて信濃国高井郡小布施(現:長野県上高井郡小布施町)の高井鴻山邸を訪れる。その時、高井鴻山は自宅に碧漪軒(へきいけん)を建て、北斎の画室として提供、★天保15年(1844年=北斎84歳)、小布施に4年間滞在(北斎:84歳~88歳)、上町祭屋台天井絵「怒涛図」などを描く。★嘉永2年(1849年4月8日浅草聖天町の仮宅で没する(享年:萬89歳6ヶ月)下の絵は、北斎の絶筆とされる「富士越龍図」です。<今回の展示作品>今回の北斎展は、生涯に3万点にのぼる膨大な北斎の作品の中から約220点の作品を6つのコーナー(章)に分けて展示しています。<第1章「画壇への登場から還暦」>最初に展示されているのは、年譜で紹介した19歳の時のデビュー作「瀬川菊之丞正宗娘おれん」です。このコーナーでは、北斎前半期の代表作といえる「二美人図」を紹介致します。(二美人図=40歳の頃の作品)<第2章「富士と大波」>このコーナーが前半のクライマックスです。北斎を代表する「富嶽三十六景」の内24点が展示されています。このブログ冒頭で紹介した「神奈川沖浪裏」(21番)以外でリュウちゃんが印象印象に残った「富嶽三十六景」の図を何点か紹介します。<12番「御厩河岸より両国橋夕陽見」>有名な「北斎ブルー」が実に鮮やかな作品ですね。<21番「神奈川沖浪裏」再掲>誰もが知っている北斎の代表作です。フランス印象派の作曲家、クロ―ド・ドビュッシーはこの絵に触発されて、交響詩「海」を作曲しました。<ドビュッシー:交響詩「海」>https://www.youtube.com/watch?v=hlR9rDJMEiQ<交響詩「海」のスコア表紙><32番「山下白雨」>33番の有名な「赤富士」(凱風快晴)と対をなす作品です。<33番「凱風快晴」(通称:赤富士><37番「東海道金谷ノ不二(とうかいどうかなやのふじ)」>「富嶽三十六景」というのに、37枚目の絵がある???実は当初、36枚で完結する筈だったのですが、好評のため、後で10枚を追加したのだそうです。「富嶽三十六景」は実際は「富嶽四十六景」だったのだ!<45番「甲州石班澤(こうしゅうかじかざわ)」>このコーナーには、北斎の波の絵として「富嶽三十六景」の他に「千絵の海」という10枚のシリーズから2作品が展示されていました。その内の1点を下記に紹介します。<千絵の海「総州銚子」>北斎より27歳年下の浮世絵師「歌川広重(旧称:安藤広重)」は「東海道五十三次」が代表作ですが、北斎に刺激されたであろうと思われる「富士三十六景」というシリーズがあります。ここでは、特に北斎の「神奈川沖浪裏」を彷彿させる1点を紹介いたします。<歌川広重「富士三十六景~駿河薩夕之海上」>北斎は、「富嶽三十六景」に続き、迫力満点の「富嶽百景」という102枚のスケッチ集を残しました。「富嶽百景」はこの展覧会の第5章「想像の世界」で紹介されますが、本ブログではここで紹介させて頂きます。<富嶽百景より「海上の不二」>「富嶽百景」に添えられた跋文(あとがき)の現代語訳(ウィキペディアより抜粋)を以下に紹介致します。「私は6歳より物の形状を写し取る癖があり、50歳の頃から数々の図画を表した。とは言え、70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。(そのような私であるが、)73歳になってさまざまな生き物や草木の生まれと造りをいくらかは知ることができた。ゆえに、86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」以上の跋文、北斎75歳の時の文章です。正に「画狂老人」の面目躍如!75歳はまだ青二才、100歳を超えて自らの達成を予感する、凄い!<第3章「目に見える世界」>(1)「諸国滝廻り」:北斎73歳頃の作品です。落下する水の表情を見事にデフォルメした8作品です。以下に2点紹介させて頂きます。<木曽路ノ奥阿弥陀ケ滝><美濃国養老の滝>(2)「諸国名橋奇観」:北斎74歳頃の作品です。全国の珍しい橋を画材とした11図の名所絵です。以下に2点を紹介させて頂きます。<足利行道山くものかけはし><飛越の堺つりはし>こんな吊り橋、渡れる筈が無い!<第4章「信州小布施の肉筆画と神の領域」>実際の展覧会では<第4章「想像の世界>、<第5章「北斎の周辺」>、<第6章「神の領域」>となっているのですが、本ブログでは、北斎が晩年に4回にわたり長期逗留した長野県の小布施町に残した肉筆画を中心に紹介したいと思います。<信州小布施 東町祭屋台天井絵 「龍図」>中央の「龍」を縁取るのは北斎の「The Great Wave」、北斎80代半ば頃の作品です。<岩松院「八方睨み鳳凰図」下絵>北斎89歳の時の作品です。この絵より約100年前に描かれた伊藤若冲の「群鶏図」を彷彿しますね。<信州小布施 上町祭屋台天井絵「波濤図」の「男波図」「女波図」>北斎85歳から88歳の3年の歳月を費やして完成された作品です。晩年の「The Great Wave」、まるでブラックホールだ!
2017年10月29日
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ラストシーンに滂沱の涙!累計900万部を売り上げた東野圭吾の感動作これは「メビウスの輪」のように過去と現在を繋ぐ「再生」の物語だ!先日、話題の日本映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」を観てきました。<映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」公式サイト>http://namiya-movie.jp/例によりまして何の予備知識も無く映画館に出掛けました。事前に見たのは新聞広告のスチール写真と西田敏行の写真だけ。この映画、「三丁目の夕日」か「男はつらいよ」のようなレトロな映画なのかな?しかし、映画が進むにつれて、物語の異様な構想が段々明らかになってきました。さすが、ミステリーの巨匠、東野圭吾の原作作品、面白い!<映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ができるまで>https://www.youtube.com/watch?v=pimcI9YSqmk&spfreload=1物語は2012年9月12日の深夜、3人の不良青年が強盗を働き、盗んだ車で逃げるシーンから始まります。まもなく車はエンスト、仕方なく不良青年の一人が事前に見つけておいた「ナミヤ雑貨店」という廃屋に日の出まで隠れることにします。<ナミヤ雑貨店>午前2時、鍵の掛かっていない「ナミヤ雑貨店」に侵入すると、まもなくシャッターの郵便物投函口に一通の手紙が投函されます。その手紙は何と、1980年から32年の時空を超えて届いた「悩み相談の手紙」だったのです。廃屋「ナミヤ雑貨店」はタイムカプセルという設定なのだ!3人の青年は最初はこの不思議な「悩み相談の手紙」を無視していましたが、やがて一人の青年が、「この手紙に返事を書く」ことになり、段々3人共、手紙で返事を書くことにハマって行きます。以後、次々と悩み相談の手紙が投函され、その手紙に返事を書くのですが、その中で悩み相談の手紙の投函者が、3人の不良青年と「一つの共通点」があることが分かってきます。そして最後の投函者、彼女の身分が判明することにより、物語は「メビウスの輪」のように発端に回帰し、感動のラストを迎えることになります。この3人の不良青年が物語の「狂言回し」、以下にこの3人を紹介します。◎敦也→3人のリーダー格、最初は「悩み相談」の手紙をニヒルに無視していましたが、段々ハマって行き、「最後の投函者」への返事は彼が中心となって書くという設定です。演じるのは、ジャニーズのグループ「Hey! Say! JUMP(ヘイ! セイ! ジャンプ)」のメンバー、山田涼介です。◎翔太→まだ少年の面影を残す小柄な青年、演じているのは村上虹郎、彼は2014年に川瀬直美監督の映画「2つ目の窓」でいきなり主役に抜擢されたシンデレラボーイです。◎幸平→大柄ですが気の弱い青年、演じているのは「寛一郎(かん・いちろう)」、彼は名優「佐藤浩市」の息子(三国連太郎の孫)で、この映画が「俳優デビュー」作になります。そして、もう一人の「狂言回し」役、かって「ナミヤ雑貨店」の店主であり、悩み相談の発案者であった「波矢雄治」、演じるのは、今年70歳になる西田敏行です。映画では80歳くらいの老人だが、リュウちゃんより1歳若いのだ!この西田敏行、まるで晩年の「寅さん」だ!<最初の悩み相談の投函者~魚屋ミュージシャン「松岡克郎」>実家が小さい魚屋、年老いた父が魚屋を経営している、息子の克郎が跡取りになることを期待しているが、克郎は芽の出ないミュージシャン志望、ミュージシャンをそのまま続けるべきか、親の魚屋を継ぐべきかという「悩み相談」の手紙を「ナミヤ雑貨店」に投函」します。演じているのは、2007年に映画「バッテリー」でいきなり主役として俳優デビューした林 遣都(はやし けんと)です。克郎は或る日、「ナミヤ雑貨店」のシャッターの前で、まだ発表する機会のない自作の曲をハーモニカで吹きます。このメロディ、不良青年3人組にとっては、懐かしく忘れられない曲だったのだ!親の魚屋を継がず、芽の出ないアマチュア・ミュージシャンの克郎は、ある年のクリスマスに、「丸光園」という児童養護施設で慰問ライブをします。そこでエキセントリックな少女・セリに出逢います。セリは克郎が歌うクリスマスソングには全く反応を示しませんでしたが、彼がアンコールとして演奏した曲には異常とも云える反応を示します。この曲こそ、克郎が「ナミヤ雑貨店」のシャッターの前でハーモニカで吹いた曲だったのです!幼い少女「セリ」を演じたのは、今人気絶頂の子役タレント、鈴木 梨央(すずき りお)ちゃんなのです。(鈴木 梨央ちゃん)克郎は慰問の夜、「丸光園」に泊まります。翌朝未明、「丸光園」が火事、克郎は一旦脱出したのですが、「セリ」の弟が園の中に取り残される、弟を助けようとして再び猛火の園内に入っていく克郎、結果、弟は助かりましたが克郎はここで死亡、セリにとって克郎は、「弟の命の恩人」になったのです。後年、セリは克郎が果たせなかったプロ・ミュージシャンの夢を果たします。ヴォーカリストの彼女の一番大切な歌は、「ナミヤ雑貨店」の前でハーモニカで吹いたあのメロディ、セリがクリスマスに初めて聞いたメロディ、「REBORN(リボーンー再生)」だったのです。<成人したセリ(門脇麦)が歌う「再生」>https://www.youtube.com/watch?v=GMUiipgOPVY(門脇麦の演じる歌姫「セリ」)何故、不良青年3人組は「再生」を懐かしく感じたのか?それは3人組が全員「丸光園」の出身者だったからなのです!<2番目の悩み相談者~グリーンリバーこと「川辺ミドリ」>この悩み相談は3人組に来た手紙ではなく、死ぬ直前の波矢雄治に届いたものです。「グリーンリバー」と名乗るは「妊娠したが、相手の男性が妻子持ちなので困っています。子供を産むべきでしょうか?」という相談を投稿します。この相談に対し、波矢雄治は、「大事なことは生まれてくる子供が幸せになれるかどうかだ。貴女に子供を絶対に幸せにするという覚悟があるのなら産みなさい、その覚悟がないのなら産まないほうがいい」と回答します。それから約2年後、新聞に小さな事故の記事が出ます。「川辺ミドリさん、1歳の娘を乗せた軽乗用車で海に転落、川辺さんは死亡、娘は奇蹟的に助かった」この記事を読み、波矢雄治は愕然とします。川=リバー、ミドリ=グリーン、川辺ミドリ=グリーンリバー間違いない、あの時の悩み相談のグリーンリバーさんだ!「俺の返事で彼女は幸せになれなかった、俺の返事は間違っていたのか?」波矢雄治が死ぬ直前、「グリーンリバーの娘」から感謝の手紙が投函されます。<グリーンリバーの娘こと、川辺映子を演じた山下リオ>「私が1歳の時、母親が事故死しました。同乗していた私は奇蹟的に助かり、「丸光園」という児童養護施設に預けられ、ここで成長しました。幼い頃は母のことは全く知らなかったのですが、中学生になった時、ある機会に自分が母親に無理心中させられたことを知りました。<自分はうまれてこないほうが良かった人間なのだ!>、絶望し、自殺を図りましたが未遂に終わり、病院に入院しました。その時に見舞いに来てくれたのが「丸光園」で唯一の友人である「セリ」でした。「セリ」から「丸光園」に保管されていた母の形見の「ナミヤ雑貨店からの返事の手紙」を見せられました。<この手紙を死ぬ間際まで大切に持っていたということは、母は私を幸せにしようと最期まで考えていたのだ、車の転落は無理心中では無かった、仕事に疲れた母が居眠り運転をしてしまった事故だったのだ!>今、私はミュージシャンになった「セリ」:のマネージャーをしています」この手紙、2012年の未来から1980年の波矢雄治に時空を超えて届いた手紙だったのです!<3番目の、そして最後の悩み相談者~迷える子犬こと「田村晴美」>少し「ネタバレ」が過ぎたような感じがしています。この映画は、「迷える子犬」さんこと、「田村晴美」の4通目の手紙で、「メビウスの輪」のように全体の話が有機的に繋がり、「感動のラスト」を迎えます。「田村晴美」を演じたのは、奈良県出身の女優・尾野真千子、15歳の時に河瀬直美監督に見いだされ、河瀬監督の出世作「萌の朱雀」でデビューしました。「ナミヤ雑貨店」の奇蹟」で、尾野真千子は、19歳から51歳までの「田村晴美」を演じました。実はリュウちゃん、この映画を2回観たのですが、2回共、「若い時の田村晴美は尾野真千子とは別の女優が演じている」と思ってしまいました。2回観た後でネットで調べ、初めて尾野真千子が一人で演じ切っていると判った次第です。尾野真千子の演技力、凄い!<「REBORN(再生)>映画の中でミュージシャンになった「セリ」(門脇麦)が歌う「REBORN」は、シンガー・ソングライターの山下達郎の50枚目のシングル盤として2017年9月13日に発売されました。映画ではエンディングで流されます。<山下達郎><山下達郎「REBORN」>https://www.youtube.com/watch?v=HX5St4TS0cAこの映画を2回観たリュウちゃん、既にリュウちゃんの心の中ではネタバレしているので、2回目は涙ウルウルにはならないだろうと思っていたのですが、あにはからんや、2回目のほうが一層涙ウルウル!この映画はリュウちゃんの今年のベスト映画になったのだ!2回映画を観たあとで原作を読みました。原作は5話のオムニバス中編小説集、映画はこのうち、3話を取り上げています。原作も凄く良かったですよ!
2017年10月23日
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明日香村随一の人気スポット「石舞台」おや?お目当ての「白い彼岸花」が咲いていないもう終わったのか? それとも???(前回のブログの続きです)もう午後12時30分、お腹が空いた、先を急ごう!目の前に「万葉文化館」が見えて来ました。で、つい立ち寄り、下の写真は「万葉文化館」の庭に咲く彼岸花です。ここの彼岸花はまだ「見頃」に近い。「万葉文化館」の空、秋の雲は素敵なのだ!飛鳥板蓋宮(いたぶきのみや)付近のキバナコスモスと秋の空、飛鳥の空にはキバナコスモスも顔色無しだ!午後1時ジャスト、「石舞台古墳」に到着、例によりまして、「石舞台」を見下ろす畑の中の小公園(?)で持参した「おにぎり弁当」と缶ビール‘2缶)で少し遅い昼食、プファ~、ビールが旨い!古代から吹いてくる秋風が心地良い!しかし、何がか物足りないのです。それは、「石舞台」の周辺に咲いていた「白い彼岸花」が全く無い!時期が遅く、もう終わってしまったのか?それとも、自然消滅してしまったのか?以下の写真は、一昨年の9月18日に「石舞台」を訪れた時に撮った写真です。この時は「白い彼岸花」は健在でした。リュウちゃんのブログ友であり写真の師匠でもある「Huちゃん」が今年の21日に飛鳥に来られ、「石舞台」にも訪れておられます。Huちゃんのブログから拝借して、その時の「石舞台」の写真を以下に貼り付けます。<9月24日更新「Huちゃん写真日記~秋の飛鳥路散策その1>https://plaza.rakuten.co.jp/husan/diary/201709240000/う~ん、彼岸花の盛りの時期でも、「「白い彼岸花」は無い!やはり消滅してしまったのかな?かなり残念!午後1時30分、昼食を終え、「石舞台」を出発、以下の写真は石舞台」の横手にある公園のススキ(と萩)です。この辺りは屈指のススキと萩の名所なのだ!<橘寺(たちばなでら)>「石舞台」から坂を下りますと、聖徳太子生誕の地であり、太子が建立したとされる「橘寺」があります。「橘寺」の下の棚田も彼岸花の名所ですが、残念ながら殆ど終わっていました。<亀石>「石舞台」と共に明日香村を代表する「謎の石造物」です。亀石の下部に例年、彼岸花が咲くのですが、今年もバッチリ見ることが出来ました。この石造物、「亀」よりも「カエル」に似ている!?<天武・持統陵>「亀石」から100m程、舗装された道路を下りますと、右手に「天武・持統陵」に続く畑道があります。下の写真は、この小道の途上で撮りました。左手に明日香村唯一(?)の蕎麦畑、目の前に満開のコスモス、コスモスの後方に柿畑、ここはリュウちゃんお薦めの明日香村の花の名所だ!下の写真中央の小山が「天武・持統陵」です。もう「稲刈り」が始まっていました。<高松塚古墳>「天武・持統陵」から10分くらい歩きますと、「高松塚古墳」エリアに入ります。この辺りも「白い彼岸花」の名所、「もう終わっているだろうな」と思っていたのですが、ほんの少し「白い彼岸花」が咲き残っていました!「高松塚古墳」の白い彼岸花、観ることが出来て嬉しい!<文武(もんむ)天皇陵>「高松塚古墳」の裏手に、「文武天皇陵」があります。「文武天皇陵」の前の稲田の畔に、少し彼岸花が咲き残っていました。<キトラ古墳>「文武天皇陵」から徒歩約30分で、今日の散策の最終目的地の「キトラ古墳」に到着、下の写真は昨年9月にオープンしたキトラ古墳の天文図や四神図・出土品を展示・管理するために創られた「四神(ししん)の館」です。<「四神の館」HP>http://www.nabunken.go.jp/shijin/昨年、オープン直後に行った時には、館内に入場出来なかったのですが、今年は入場する事が出来ました。(「四神の館」展示室)~館内は撮影禁止ですので、下の写真はネットからお借りしました。しかし、今年の展示物はやや貧弱で、ちょっとガッカリ、「四神の館」を出て、高取町にある近鉄「壺阪山」駅に向かいました。下の写真は近鉄「坪坂山」駅の近くに展示されていた「案山子祭り」の案山子、背後にディズニーの「101匹わんちゃん」の案山子がある!宮崎アニメ「ハウルの動く城」に登場した案山子の「カブ」(実は隣国の美しい王子)、昨年は「となりのトトロ」がテーマだったが、今年は「ハウルの動く城」がテーマなのかな?午後5時前、近鉄「壺阪山」駅到着、午前10時前に近鉄「畝傍御陵前」をスタートしてから、昼食休憩の30分を除き、約6時間30分、歩きっぱなし」の散策旅でした。これだけ歩くと、清々しい!夕方6時過ぎ、法隆寺に到着、ちょっとブレていますが、下の写真はリュウちゃんの上の近くのコスモス畑で撮った写真です。ここのコスモスが今日の散策ではベストだ(苦笑)
2017年10月15日
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本薬師寺(もとやくしじ)跡のホテイアオイ9月末日、いまだ満開!ここのところ、暫く明日香村に行っていませんでした。年に数回、明日香村散策をしないと一年が明けない奈良人リュウちゃん、秋晴れの天候に恵まれた9月30日、久々の明日香村散策を決行しました、予定の散策ルートは以下です。近鉄畝傍御陵前駅~本薬師寺跡~藤原宮跡(以上・橿原市)~(以下・明日香村)甘樫の丘~飛鳥寺~石舞台~橘寺~亀石~天武・持統陵~高松塚古墳~文武天皇陵~キトラ古墳~近鉄壺阪山駅(高取町)本薬師寺跡のホテイアオイ、まだ咲き残っているかな?藤原宮跡のコスモス、咲き始めているかな?明日香村の彼岸花、まだ咲き残っているかな?例によりまして女房殿お手製のおにぎり弁当とリュウちゃんお手製(?)の缶ビール(2缶)をリュックに詰め、AM8時過ぎ、法隆寺を出発、AM9時40分、今回の散策の起点である近鉄畝傍御陵前到着、近鉄畝傍御陵前駅から10分くらい天の香久山(香具山)方向に歩きますと、最初の目的地、本薬師寺跡に到着します。<本(もと)薬師寺跡のホテイアオイと彼岸花>冒頭の写真及び以下の写真のように、ホテイアオイはまだ満開が続いていました。10日程前に開花した彼岸花は早くも「枯れかけ」、ホテイアオイは長寿、彼岸花は短命なのだ。本薬師寺跡の休耕田にホテイアオイが植えられ始めたのは、かれこれ10年程前からなのだそうです。近隣の農家の皆さまが畝傍北小学校の生徒さんと協力して7月初旬に植えつけ、今年は7月4日に約14000株のホテイアオイを植えたのだそうです。ホテイアオイの向こう側に見えるのは、大和三山の一つ、「畝傍山」です。ホテイアオイの近くに咲いているキバナコスモス、キバナコスモスはもう満開なのだ!本薬師寺跡から20分程歩きますと、2番目の目的地である「藤原宮跡」に着きます。この地は正に「国のまほろば」なのだ!<藤原宮跡のコスモス>藤原宮跡の大極殿の南側の約3万平方メートルの敷地に、約300万本のコスモスが植えられています。(コスモス~橿原市公式HP)http://www.city.kashihara.nara.jp/kankou/own_sekaiisan/hanadayori/kosumosu.htmlあれ?コスモスの見頃はまだ少し先のようだ。上記橿原市の公式HPに拠りますと、ここのコスモスの「見頃」は「10月上旬~10月下旬」とのこと、10月上旬より1日早かった(苦笑)しかし、コスモス畑の一角に、開花し始めている場所を発見!開花が始まったばかりのコスモス畑もフレッシュだ!しかし、上の写真では少し寂しいので、昨年10月22日に更新したブログから、満開のコスモスの写真を2枚再掲します。やはり満開のコスモスは素敵なのだ!(昨年10月22日更新の写真再掲(1)~耳成山方向のコスモス)(昨年10月22日更新の写真再掲(2)~天の香久山方向のコスモス)コスモスの咲き始めの藤原宮跡を後にして、明日香村に向かいました(例年なら桜井市の安倍文殊院から「山の辺の道」に行くのがリュウちゃんの定番コースなのですが、今回、初めて藤原宮跡から明日香村に入ったのでした)<春日神社>明日香村に向かう途中に「春日神社」を発見、さすが奈良の春日神社、境内奥に総本山の「春日大社」と同じような神木がある!「春日神社」は奈良市の「春日大社」を総本山とする神社で、全国に1000社以上あるようですが、その内130社余りが奈良県にあるようなのです。「春日神社」の前の畑に咲くコスモス、ここのコスモス、もう満開だ!下の写真は、藤原宮跡から明日香村の「甘樫の丘」に向かう途上の畑で見たキバナコスモスと芙蓉です。キバナコスモスは何処も満開だ!正午ジャスト、「甘樫の丘」(標高148m)の頂上に到着、もう昼食の時間だが、頑張って「石舞台」まで歩いて昼食にしよう。下の写真は「飛鳥寺」の南にある「蘇我入鹿首塚」の横手に咲いていた花です。この花、何という花なのだろう?<飛鳥寺>飛鳥寺は、蘇我馬子によって創建されたと云われる本格的な伽藍を備えた日本最初の仏教寺院です。今、境内には萩と数本の芙蓉が見頃を迎えていました。飛鳥寺の本堂には、日本で最初に造られたとされる「飛鳥大仏」が安置されています。今回リュウちゃんは本堂には入りませんでしたので、以下にネットからお借りした写真を貼り付けます。(飛鳥大仏)もう12時半だ!お腹が空いた、ビールが飲みたい!石舞台へ急いで行こう。飛鳥寺から石舞台に向かう道の途上に、満開のコスモススポットがありました。飛鳥路のコスモス、もう本格的に秋なのだ!(以下、「橿原市・明日香村散策~本薬師寺跡からキトラ古墳へ(下)」に続きます)
2017年10月09日
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一言主神社付近の棚田、ここは葛城古道随一の彼岸花の名所だ!(前回のブログの続きです)午後0時30分、川沿いの桜並木を一言主神社に向かって遡り始めました。下の写真は、桜の木の根元に咲いていた彼岸花です。ここで葛城古道のMAPを貼り付けます(前回のブログで貼り付けた「秋津洲の道」のMAPで、「左側を上下に貫いている道」が「葛城古道」ですと書いてしまいましたが、この道は、「葛城古道」ではなく、「奈良県道30号御所香芝線」です。葛城歩道に沿って金剛・葛城山の麓を貫く、いわば「葛城新道」なのでした。不正確な記述、ここで訂正しておきます)以下は、御所駅から葛城古道にある「一言主神社」に向かう「名も無き(?)古道」の途上で撮った写真です。「名も無き古道」の彼岸花も中々素敵なのだ!途中、コスモスを発見、やはりコスモスは素敵だ!「名も無き古道」から、やっと「県道30号線」に出ました。あれ、「一言主神社」へは、道の左か?それとも右なのか?どちらへ行けばいいのだろう???県道の途上に、ちょっとお洒落な喫茶店はありました。このい喫茶店に立ち寄り、お姉ちゃんに、「一言主神社は何処にあるの?」と聞きましたところ、「今来た道をもう少し進み、左側の古道に入ると、そこが一言主神社ですよ」と、親切に教えて頂きました。なんだ、もう目と鼻の先まで来ていたのだ!午後1時30分、無事、一言主神社の参道に到着、お腹が空いた。ここで遅い昼食だ、参道の駐車場の脇にビニールシートを敷き、待望の昼食、プファ~、ビールが旨い!赤い彼岸花が目に沁みる!昼食を終え、参道の左手にある棚田の彼岸花を撮影しました。どうやら、ここが「葛城古道随一の彼岸花の名所」のようだ。 ここで「懐メロリュウちゃん」、彼岸花に関する歌を幾つか貼り付けます(リュウちゃん、下記の歌は全部歌えます!)<北原白秋作詞、山田耕作作曲、歌曲「曼珠沙華(ひがんばな)」>https://www.youtube.com/watch?v=4dspvUaM9oQ<由利あけみ「長崎物語」>https://www.youtube.com/watch?v=Xj_8h-8PxMo<二葉あき子「恋の曼珠沙華」>https://www.youtube.com/watch?v=kQSKDJIPCg0<森昌子「彼岸花」>https://www.youtube.com/watch?v=SZRfVcq_lAk<山口百恵「曼珠沙華(まんじゅしゃか)」>https://www.youtube.com/watch?v=wh986aTbvtM参道の脇に「蜘蛛塚」があります。この「蜘蛛」とは、古代、この地に住んでいた豪族の首領あるいは一族の「土蜘蛛」のことで、神武天皇がこの地を支配した時、天皇に従わず反乱を起こしたので、神武天皇によって滅ぼされてしまったとの伝説があります。被征服者の悲劇の名残りなのですね。暫く棚田の彼岸花を撮影してから、一言主神社の本殿に上りました。樹齢1200年の「乳銀杏」、いっぱい青葉を付けて健在だ!「乳銀杏」の根元にも彼岸花が咲いていましたよ!<九品寺(くほんじ)>再び県道30号線に入り、来た道を逆行、10分程歩きますと左手に「九品寺」の標識が見えて来ました。このお寺は奈良時代の僧「行基」によって創建されたと云われています。下の写真は裏山から見た本堂の屋根です。秋の鰯雲の下、銀色の甍(いらか)が美しい!裏山を上ったところに、「千体石仏」があります。本堂下の庭園の萩の花の下に彼岸花が咲いていました。<笛吹(ふえふき)神社>また県道に入り、県道を進んで葛城市に入りました。目指すは本日最後の目的地「葛木坐火雷神社(かつらきいますほのいかづちじんじゃ)」(通称:笛吹神社)です。下の写真は笛吹神社の鳥居と拝殿に進む石段及び「神木」です。石段を上った拝殿の前に、日露戦争の時、政府から贈られたロシア製の大砲が置かれています。神社の境内に据え付けられた大砲、ちょっと異様だ!「笛吹」といえば、以前、日本テレビのアナウンサーに「笛吹雅子」さんという方がいました。彼女は奈良市出身、(笛吹雅子さん)彼女の苗字は、「笛吹」と書いて「うすい」と読みます。難読苗字ですね! 「笛吹神社」を後にしたのが午後4時過ぎ、下の写真は「笛吹神社」の近くに咲く彼岸花です。もう黄昏時だ。午後5時ジャスト、近鉄御所駅に到着、朝10時前からスタートした「葛城古道の彼岸花巡り」、昼食休憩をのぞいて、約6時間半、歩きっぱなしの「大遠足」でした。待てよ?「葛城古道の彼岸花」とブログタイトルを付けたが、実際に葛城古道を歩いたのは、一言主神社付近のたった100mだ! これじゃ羊頭狗肉(苦笑)今度、ここに彼岸花観に行く時には、実際の葛城古道を散策するぞ!
2017年10月01日
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