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まだまだ時差ぼけが治らず、今朝も4時ぐらいから何度も目が覚めてしまい、とうとう6時には起きてしまいました。 トータルの睡眠時間は十分なのですが、いかんせん、2時間置きぐらいに目が覚めてしまうので、日中はボーとしています。 で、今日は日曜日。 3週間お休みしていた教会に、久しぶりに顔を出しました。皆から、「あれ、久しぶりじゃないの!」と言われ、そのたびに、「いえ、日本に出張しておりまして・・・」と言い訳をするのですが、「お土産」も買ってきていないのでちょっと小声で・・・(笑) ボーっとしながらも頑張って説教を聞いていたのですが、聞いている間、目を閉じているもので、ともすると睡魔が・・・・・。 でも、なんとか持ちこたえました^^: 今日のテーマは、「逃れの町」というテーマだったんですが、これは置いておいて、またまた考えたことのメモ書き。 「信じること」と「伝えること」 そして「子供の教育」についてというメモ書きが残っているんですが、信じることと伝える事、というのは「福音」と「伝道」の話から来ているのでまあわかるんですが、ここでなんで「子供の教育」というのが出てきたんだっけ?と今となってはよく覚えていません^^; 毎年、5千人もの宣教師がアメリカから世界中へ「宣教」と「伝道」のために派遣されているのですが、今はその寄付集めの月間。 これがあるたびに、「福音」=「Good News」=「良い知らせ」と それを「宣教」=「伝える」=「伝道」 のことについて考えさせられるのですが・・・ 人に伝えるには、伝える本人がその「福音」を理解し、信じていることが前提であることは言うまでもありません。 その「福音」というのは当然、「皆救われている」というイエスのメッセージだと思うのですが、そう考えると私には、この伝道とか「宣教」なんて絶対に出来ない、と思ってしまうわけです。 まず、理解していない。 次に、だからこそ、信じている、とも言えない。 そんな状態で人に伝える責任を取りようがない。 自分がそんな状態だから、この「宣教」する人がどうして「理解」出来て「信じる」ことが出来ているのか、そこが不思議になってしまう。 人に説くからには、その人自身は完全に納得しているんでしょうけれど、どうしてそう出来るのか、不思議でならない。 ただ、福音=いい知らせ、と考えて、それを「伝える」いや「伝えなければ」と思う気持ちは理解できる。 もし、私がある「教え」を受けて、自分自身がそれによって「救われた」と感じたら、恐らくそれを自分以外の人にも伝えたくなるでしょう。 その気持ちはわかる。 でも、その反面、この「救われた」⇒「伝える」には、ある程度の「独善性」がついて回る。 つまり、「聴いて、聴いて。 私はこれで救われたんだよ」という「思い込み」だ。ある人にとっては「そう、それは良かったね。でも、その『救い』を、さも真実の教えみたいに、人に押し付けないでね」ということにもなり得るだろうし。 なんてことを考えていたはずなんだが、なんで「子供の教育」というのが出てきたのか・・・・・・・、う~ん、ここまで書いてきてもまだ思い出さない・・・・ やっぱり半分寝ていたのかな?
2011.11.28
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今日、11日間の滞在を終了し、アメリカに帰国。 先ほど、やっとアメリカの自宅に到着しました。 帰りはジェット気流に乗るので飛行時間は短いはずなんですが、日本の実家を出てから24時間かかっちゃいました。 だいたい乗り継ぎが悪い。成田からのJAL便が、シカゴ国際空港に到着が朝の7時。 で、乗り継ぎ便のアトランタ行きが11時半の出発、ということで4時間以上の待ち時間。 なので、また朝食を兼ねて、アメリカン航空のラウンジに入り、朝っぱらからカクテルをもらって(当然無料なんで。笑)ネット三昧。 ところが腕時計は、アメリカ時間と言ってもアメリカ東部時間になっていました。シカゴはそれから一時間遅れ。 例えば、腕時計だと10時でも、実際の時間は9時、というわけです。 で、全然寝ていないせいか、はたまた朝からアルコールなんぞを飲んでしまったせいか、ふと気が付くともう搭乗開始時間はとっくに過ぎていることが発覚!! あせって搭乗ゲートに駆けつけたのですが・・・・・乗せてもらえませんでしたまだ出発時刻前だったので、なんとか乗せろ、と言ったのですが、もう締め切りました、の一点張り。 まあ、確かに出発5分前でしたから・・・^^; これはこちらのミス。仕方がないので、次の便を探すと、はるか離れたゲートから2時間後。 荷物はすでに、乗り遅れた飛行機に載せられてアトランタまで一足先に行ってしまうし、この次の便も乗れなかったら大変、ということで、あわててそのゲートまで行き、搭乗手続きをし、搭乗券を発行してもらって一安心。 またラウンジで飲んだくれていると寝込んじゃう危険性があるので(笑)、そのゲートでまたさらに2時間待つはめに・・・・。 結局、このシカゴで乗り継ぎのため合計6時間も待つことに(泣)皆さ~ん、搭乗口には、出発30分前には必ず行きましょう! しかし、疲れた・・・・・
2011.11.25
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今、アメリカに帰るJAL便を待って、成田空港のJALのラウンジで、いつものとおり、朝からワインを飲んでいます(笑) 日本滞在、11日間、あっと言うまでした。 まあ、親の状態が状態なんで、この10日間のうち4日は、両親の居る老人ホームへ行っていましたし、あとの4日はとうぜん仕事だったので、あまり個人的なことはするヒマもありませんでした。 そうこうしているうちに、日本がTPP論議でゆれている間に、欧州危機がだんだん拡大の様相を呈し、世界経済危機の懸念が高まっています。 すでにギリシャから始まり、イタリア、スペイン、ベルギーが危険水準に近づき、その影響で、フランスなども国債金利が上昇(つまり値下がり)、ドイツまで、募集した国債の6割しか買い手がつかなかった状態となり、もうヨーロッパは総崩れですね。 ここまで行くと、アメリカも対岸の火事ではすまず、株式は暴落、FRBの取った経済立て直し策も効果を上げられず、という悪循環にはまっています。 経済と言うのは、昔は、決定論的な経済理論が主流だった頃は、原因がはっきりわかれば結果は予想できる、という前提に立っていました。 現代物理学がそうであるように、最初の位置と初速がわかれば、どこにいつ落ちるかわかる、という考え方です。 ところが、カオス理論が、このような決定論的な論理が通用しないものがあることを証明し、よく言われるバタフライ効果ということが盛んに言われるようになりました。経済も、カオス理論の延長である複雑系のシステムの最たるものなので、世界のどこかで誰かがくしゃみをしたら、地球の反対側の国の銀行がつぶれる、という世界です。 むずかしく考えることはなく、単に「予測不可能なほど複雑なことはある」というだけです(笑) つまり、経済学者が昔どおりに、これがこうなって、あればああなったから、結果はこうなる、といろいろ予想するんですが、そんな予想は「当たらない」ということです。 複雑系の科学を経済に適用することによって、これを解決できるかのごとく言われた時期もありましたが、それからもう10年以上経っていてもなんの実効的な解決策を提示できていないところから考えると、これも難しいんでしょう。 個人的には、この「複雑系」の中に「個人の思惑」と「人間の欲」がある限り、予想を確定するのは原理的に不可能だ、と思っています。 なぜならば、予想が確定したと思ったら、その裏をかこう、と意図する人間が必ずでるわけですから。 それが「人間」でしょう。 さて、そんな複雑系の世界。 欧州の風邪が重態になったら、日本の健康状態はどこまで影響されるんでしょうか・・・・。
2011.11.24
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今回日本に来て気づいたのだけれども、どうも夜見る「夢」の内容が、アメリカに居る時に見る夢と違うようだ。 「ようだ」と書いたのは、実は夢の内容ははっきりとは覚えていないから・・・だけれども、どうも朝起きた時に、残っている印象というか、感覚が、アメリカに居る時に朝起きたときに感じる感覚と、どうも全く違うような気がする。フロイトとか心理学では「夢」についていろいろ分析はしているけれど、それが自分の過去の体験やトラウマや、性格に基づいたものだったら、なにも太平洋を越えてアメリカから日本へ来たぐらいでは変わらないはずなのに、それが全然違う(ようだ)。 一度、見た夢をしっかり覚えていれば、「あれ!全然違うぞ!!」と言えるのだが、どうも内容の一片も思い出せない。 ただ「感触」が残っているだけ・・ これはどういうことなんだろうか?と考えてみたがやっぱりわからない。 ひょっとすると、「夢」の内容も「時差ぼけ」か?(笑)
2011.11.21
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アメブロでピアノを弾く方のブログをよく見ていたりしますが、ここで紹介するのは、そのうちの一人の方が今日の日記で書いていたこと。 若い女性ですが、読んでいて、すごいなあ、と思えました。 そして、こんな見方ができる、考え方ができる女性が多かったら、確実に「男」も変わるんだろうな、とも。 もちろん、その逆も言えますよね。こんな見方ができる「男」が多かったら、「女」も変わっていくと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・正しい敬語が使えなくてもいい、うまく話せなくてもいい、言葉にできたほうがいいけど、もしもできなくてもいい、人に感謝できる人が好きです。人間だから間違ってもいい、でも自分が悪かったときに、人のせいにしたり嘘をついたりせずに、ちゃんと謝れる人が好きです。気の利いた冗談を言ったり、場を盛り上げるおしゃべりができなくてもいい、自分のことばかりじゃなくて、人の話を聞ける人が好きです。すごい学校を卒業してなくても、出世街道を歩いていなくてもいい、要領が悪くてもいい、いつも良い仕事をしようとする人が好きです。おしゃれじゃなくてもいい、人からダサいと笑われてもいい、誰かのために自分のおしゃれを我慢する人が好きです。ほめる事が上手じゃなくてもいい、照れくさくて大事な言葉を言えなくてもいい、誰かの頑張っていることを心で認められる人が好きです。社交的じゃなくてもいい、友達が少なくてもいい、友達を応援できる人が好きです。勉強ができなくてもいい、世界経済に詳しくなくてもいい、自分より勉強ができない人を馬鹿にせず、成長しようと努力する人が好きです。時には感情のまま怒ってもいい、不機嫌なときがあってもいい、そういうときに弱い人や動物に八つ当たりしない人が好きです。赤ちゃんや幼児のお守りを上手にできなくてもいい、動物の世話やお年寄りの相手をうまくできなくてもいい、誰も見ていないときにも、コツコツと自分にできることをする人が好きです。欠点まみれでもいい、時には人を批判してもいい、誰かのよいところを見つけることができる人が好きです。特別見た目がきれいじゃなくてもいい、かっこよくなくてもいい、笑顔が優しい人が好きです。優しい笑顔を、守りたいのです。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昔、考えた事がある。 強くなくたっていい、優しければいい、と。実際の人生では、たとえ、損する事ばかりであっても・・・・・
2011.11.17
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コリア尺度(K尺度)というのを初めて知りました。日本に帰ってから毎日新聞を読んでいるんですが、いろいろ面白いですね。ネットだと興味があるところだけ観て回る、という形になりますが、新聞だと、興味が有る、無い、の前に「知らない」ことがどんどん目に入ってくる、ということに改めて気が付きました。 でこのコリア尺度。多くの日本人がはまっている(?)韓国ドラマを始めとした「韓流」の度合いを測るものでは、もちろんありません(笑) これって、「メディア依存度」を図る尺度だそうです。 もともと、インターネットや携帯機器などで、メディアに過度に依存する子供が増えて社会問題化している韓国で生まれた尺度らしいんですが、要するに子供(大人も、かな?)が日常生活でどれだけこういった「メディア」に依存しているか、を図る尺度らしい。 一昔前なら子供のTV漬けが問題になって、一日何時間TVを観ているか、などという調査が話題になっていましたが、今はTVが後退して他の「メディア」が圧倒しています。たとえば、ある子供の日常で、「朝起きて、携帯を観て、PCに電源を入れ、iPodで音楽を流しながら、オンラインゲームで遊び、漫画を読む・・・」など、ある休日の一日を追ったら、その80%以上がこういったメディアと繋がっていた、というような状況です。 特徴は、一つのことだけしている、例えば「TV」とか「読書」とか「運動」とか、いうのではなく、「携帯を見ながら、音楽を聴きながら、PCでネットをしながら・・・」という、すべて同時並行でやっていること。 う~ん、うちの娘も同じだなあ、と見て思った。携帯(iPhone)はベッドの中にまで持ち込んでいるんで、テキストメールの音で目が覚め、寝る直前まで携帯とスカイプやフェイスブックなどのPCをやっているし、片時もこのiPhoneを離さないので、ほぼ一日中かな、と。 だいたい学校の授業中もテキストメールが飛び交っているようなので、こうなると「過度の」依存症だろう。 車を運転していても、ほぼ数分置きにメールの着信音が鳴るし、そうでないときはPCに向かっているか、携帯を操作している。もちろん音楽はいつも聴いている。 このK尺度、昔のTV依存症どころじゃないかもしれない。 そして、このK尺度が高い生活をずっと続けたら、人間はいったいどうなるか、という追跡調査はまだそれほど行なわれていない。 つまりは、この子供たちが大人になった時に、こういった環境がどう性格形成や人格形成に影響したか、というのが始めてわかる・・・・・ でも、あまり「いい影響」ではなさそうなことは確かだ。
2011.11.17
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もう日本到着3日目。 いやあ、日本に居ると始終出歩いているのでPCに向かう時間が取れないですねえ・・・・・・ これから少しは時間をとって、日本滞在中に感じた事などを書いて行きたいと思います。まずは、今までの感想。 1.日本到着が日曜日。 なので道路が空いているのかと思いきや、成田から都心、都心から実家の街へ、市街地が大混雑。 交通事情、ますます悪くなっている? 2.久しぶりの日本の風呂。やっぱり、風呂は「バス」じゃなくて、「風呂」が一番。久しぶりに方までお湯に浸かっての日本の風呂を満喫。 (普段はシャワー。笑) 3.日本の街を歩いていると、どうも活気がないような気がする。若者が比較的多い街なのに、なぜかなあ・・・・・・。 数年前からたたずまいが全然変わらないからか? 4・久しぶりに日本のTVを見る。 やはり、選べばいい番組がある。昨日は、TPP関連のニュース・報道番組、そして池田某のソマリアの海賊特集。なかなか面白かった。 5.家に居たら、町内会の回覧板が・・・・。 内容は地域の広報が主。アメリカでは考えられない。 団地のお知らせ、学校、教育委員会、全てEメールで来る。回覧先が留守だったら、ずっとそこに止まっているんだろうか・・・ 6.TVと同じく、久しぶりに「新聞」をじっくり読む。 今日の朝日に、二つ、宗教関連のニュース。ひとつは若者の宗教観の変化について、もうひとつはオーム真理教の裁判状況について。 若者の宗教加入が増えつつあり、宗教に対する意識も変化しているようだ。ただ、どんな「宗教」か、は記事にはなく、ちょっと心配。 オーム真理教の事件の風化とも読み取れる。それにしても、元オーム信者(有罪確定)の人の現時点での心の声を聞くと、愕然。 そんなことを今になって言うなよな。「 自分が信じていた人(松本)はこんな人だったのか・・」「松本死刑囚を『かわいそうな人間だ』と思えるようになった・・・」「最終解脱者なら、誰よりも人の苦しみに敏感なはずなのに、なぜ分からない?」「宗教は、人の心に平和をもたらし、平和なシャキを築く肯定的な作用があるが、その反面、自らの正しさを強調するあまり、独善的・排他的になったりもする」(中川被告) いつも、ここで私が展開している「宗教」論そのもの。20年も経って、あんな事件を起こした50歳にもなる人が、今になってこんなことを言っているところが「宗教」の怖さ。 先の「若者の宗教観の変化」とあいまって、ちょっと不安に思えるのは私だけか? 7.昨日、日本の床屋さんに行った。 やっぱり日本の床屋さんはいい。丁寧、マッサージつき、腕もいい。 ちょっと「安い」とは言えないが、それだけの価値はある。 8.ラーメン! やっぱりおいしい!! 滞在中にあと2、3回は行く予定。 9.介護付老人ホーム。 たまたま良かったのかもしれないが、本当に職員の方々、熱心で、頭が下がる。 こんなところへ入所できたのはラッキーだった。 10.街のお店。 アメリカではウィンドーショッピングなどついぞしない私だが、日本では、いろいろと観て歩くと面白いものが一杯。 画一化に徹したようなアメリカの店に比べたら、本当に観ているだけで面白い! ひとつひとつについて、特に老人ホームについてはもっと書きたいが、まだ先は長いので、この辺で。
2011.11.15
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ここ2、3日、日本の新聞はTPPの記事が多い。確かにTPPは中長期的に見て大きな決断になるから、その重要性はわからないでもない。 でも一方で世界的に見たらイタリアの経済危機は、もうまったなしの状態になっているので、こちらも目を放すわけにはいかない。 とうとうイタリアの10年もの国債の利率は7%を突破し、ほとんど「破綻」水準である。昔のように、世界の他の国に余裕があって、IMFにしてもヨーロッパ中央銀行にしても、破綻しそうな国を救済する余裕があるのだったらいいけれど、今は世界同時不況で、各国とも資金供出に二の足を踏んでいる。 そんな状態でやっとギリシャを救済する目処がつくかつかないかですったもんだしているうちに、規模的にも内容的にもそれを上回るイタリアの危機なんで、こちらは救済する手段が非常に狭まっている気がする。 イタリアの経済危機は、ギリシャ同様、イタリア自身の経済運営の失敗によるところが大きいので、またまた各国がその尻拭いをすることにそれぞれの国民が簡単には納得しないだろうから。 でもイタリアの経済危機と言っても、その国家債務がGDPの120%を超えた!という点で「危機だ、危機だ!」と言われているが、日本の国家債務は国際的に見たらイタリアの比ではなく、ダントツの200%超だ。 なので、単に国家債務のGDP比で言うなら、日本の方がよっぽど「危機的状況」にある、とも言える。 ただ、日本とイタリアの決定的な違いは、なんと言っても日本はこれだけの債務を抱えていながら国際社会の中では純債権国だ、という点だろう。 つまり、日本が破綻しても、その国家の債務のほとんどが日本国民にかぶさってくる、ということだろう。 だから、外国はあまり危機感を覚えない。 だからといって、この国家債務の状況がイタリアよりも悪い、という事実は変わらない。国際社会の中であまり騒がれていないからと言って、日本がこのままでいいはずもなく、結局は日本の国民がその尻拭いをしなければならなくなる。 この「尻拭い」というのがどういう形になるのか、その点ではいろいろな考え方があるだろうけれど、今のまま債務が「国債」という形で増え続け、国内の銀行がそれを買い続ける、という構図は、日本国民の貯蓄をどんどん国に貸し付けている、ということだろうから、その「尻拭い」の内容のひとつは国民のそういった貯蓄に及んでくる、ということは確かだろう。 一方で東日本大震災の復興、もう一方で全世界同時不況の影響による円高とそれによる輸出産業の不振、そして最初にあげた、今議論がされているPTT参加問題・・・ どれをとっても大きな課題であるし、それが「今」同時進行している、という点に難しさがある。今までの歴史上、日本が経験したことがないほど難しい状況と言えるんではないか、と思う。 日本の食糧安保の観点や「自由貿易の行き過ぎ」による弊害を憂慮してPTT参加を見送るか、この世界同時不況の中で少しでも自由貿易締結による経済立て直しを優先すべきなのか・・・・ 一方で日本の経済状況を睨みながら、中・長期的な視点でいったいどういう舵取りが最善なのか、とにかく今は正念場を迎えているような気がする。 多分、正解はない。 あるのは「ベストエフォート」型の対応だけだろう。願わくば、その「ベストエフォート」に私的な利害や、近視眼的な短慮だけは出来るだけ入れないで欲しい、と願うばかりだ。
2011.11.11
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最近よく目にする「クラウドサービス」あるいは「クラウドコンピューティング」。 私自身は3年ぐらい前からよく耳にしたり目にしたりしていたのだが、最近はいよいよ前面に出てきている気がする。「前面に出る」と言っても、このクラウドサービス、言葉は新しいような気がするが、実際は「オンライン上のサービス」を指すのだから、実際はかなり昔からある。例えばWebメールもそうだし、オンラインストレージ、あるいは動画共有サイトであるYouTubeだって、このクラウドサービスの一つだ。だから、「クラウドサービス」とか「クラウドコンピューティング」なんて言葉を今更持ち出さなくても、多くの人が既にそのサービスを使っているわけだ。 でも、それならなぜ今更、こういう新しい言葉を使ってまで騒ぐのか、という気がしていた。「オンラインサービス」でいいじゃないか、ということだ。 でも、最近になって、ようやく「遅ればせながら」このクラウドサービスというものが目指す方向が、今までの「オンラインサービス」とは、やはりちょっと違うなあ、ということが理解出来てきた。 この言葉は1990年代に、Googleの創始者が初めて使ったらしい。普通インターネットを図に書くときに「雲」のように書く。 つまり、インターネット全体を「雲」に見立てて、「クラウド」と読んでいるわけだが、今までのオンラインサービスと、このクラウドサービスの目指す方向というのは、微妙に違う。オンラインサービスは、基本的にアクセスする側、例えばPCとか携帯電話とか、そういった端末側で様々なソフトをインストールして、インターネット上のサービスを利用する、という形が主流だろう。 ところがこの「クラウドサービス」や「クラウドコンピューティング」というのは、そのソフトウェアそのもの、つまりアプリケーションなども含めて、今まで端末側に持っていたソフトも含めてインターネット上に置いておこう、という形になりつつある。 ワードやエクセル、はてはOSなどもこれに含まれるし、今まで「オンラインストレージ」で単にデータを保存していたものが、今度はサーバーそのものをオンライン上に置き、そのサーバーにアクセスすることで、サーバー上にあるデータだけではなくアプリケーションも、すべての端末で共有しよう、ということが出来る。 最近のオンラインサービスを見ると「同期」という言葉がよく出てくる。最初、「同期」ってなんだ?と思ったのだが、なんのことはない、データを共用したり自分自身のデータであっても、どこからアクセスして何時データを更新しても、使う人は最新のデータを見られる、というだけのことらしい。 例えば、家でこの無料家計簿サイトにアクセスして家計簿をつけた。次に買い物しながら携帯電話でまた家計簿をつけた。もしかするとご主人も、自分が使った分を同じアカウントにアップしたかもしれない。そういった場合にいつも「最新の」データが使える、ということで、これだって、すでに皆さんがやっていることだ。 クラウドサービスの利便性は、たぶん、こういった個人としてのデータの「同期」だけでなく、グループ間、あるいは会社内でのデータ共有と同期、そして、社内の各種サーバをもインターネット上に置ける、というところだろう、と思う。 これらはブロードバンドの発展なくしては考えられなかった(というより、考えられてはいても実用にはならなかった)だろうが、今はPCは光接続、携帯はWiMAXやLTEの4Gの世界になりつつあり、この高速通信の実現がこのクラウドサービスをより実用的なものにしている。 つまり、ただの「オンラインサービス」から、このインターネットアクセスのインフラが整備されたからこそ利用できる、ひとつ上のサービスが「クラウドサービス」と言えるのかも知れない。
2011.11.11
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もうずいぶん時間がたった気がするけれど、考えてみたら昨晩でした^^;恒例の火曜日勉強会に参加。 内容はいろいろあったので割愛するとして、その中で、あまりその内容に関係なく、ふと思ったこと。 それは、人生を表す形容詞はいろいろあるけれども、自分だったらどんな人生が一番いい、と言えるだろうか、ということ。 確か前にも同じようなことを考えた事があって、その時は、「死ぬときに、後悔しない人生」だとか「もう一度同じ人生を歩みたい、と言えるような人生」とか、考えたのだが、でも、じゃあ、それって「どんな人生」なのか?ともうひとつ突っ込んで見ると、同じ質問にぶつかる。 「どんな人生が一番いいか」という質問。答えとしては、なんらかの形容詞がつくんだろうけれど。例えば、「充実した」「楽しい」「幸せな」エトセトラ・・・・ 「平凡な」とか、その逆の「波乱万丈の」というのだってアリかもしれない。人によって、その価値観によって違ってくるだろうけれど、では自分ではどんな人生が一番いいと思う?と問い直してみる。 以前は、「生きていることを楽しむ」「全てを喜ぶ」生き方、つまりは、それを通して「幸せ」を感じる生き方、という答えだったかもしれない。 でも、今はちょっと違うかな、と感じている。それと言うのも、この世の中に生まれてきた目的に照らしてみると、喜んでばかり、楽しんでばかり、あるいはすっと「幸せ」なばかりの人生が決して「いい人生」にはならないような気がするから・・・ ここでまた、じゃあ「いい人生」とは?という疑問が出てきて、それに答えなくてはいけなくなる。 さて、あなたにとって「いい人生」とは、どんな人生でしょうか?私ですか? 私は・・・・・・・・・、まだ考え中です^^;
2011.11.10
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「音楽歴」というほどのものではなけれど、一度書いておこうかな、と。 そもそも、生まれたのは平凡なサラリーマン家庭。 でも母親がなぜか昔オルガンを弾いていた(らしい)。でも習ったことはないそうだが、小さいときから、昔の足でペダルを踏みながら弾くオルガンがあった記憶がかすかにある。そんな環境で、上の姉がピアノのレッスンを受けだす。 そして、なぜか私も小学校1年のときに、同じ先生のところへ「行かされる」。つまり当然「いやいや」だったらしい。 で、その先生が結構スパルタ(だったような・・・)。 半年もしないうちに、同じ箇所を何度も弾かされたために切れて、教室を飛び出し、それでジ・エンド(笑) 確か、色音譜の楽譜から、当時「赤いバイエル」「黄色いバイエル」というのがあって、その「赤い・・」にちょっと入りかけたぐらいではなかったか、と思う。 以来、「バイエルは難しい」「バイエルは退屈で面倒」というイメージが固定し、その後50年過ごす事になる。 おまけに、姉はあまり好きではなかったようだが、ピアノを続け、他にとりえがない、という消去法で音大のピアノ科に進学。 おかげで、毎日毎日ピアノを聞かされ、寝ようとする時間まで弾かれてピアノを嫌いになる。 そのまま音楽からは遠ざかるも、高校時代に、この頃の若者の例にもれず友達からビートルズのレコードを借りてきて、聞いたり、そのうち「映画音楽」にはまり、ポールモーリアやらヘンリーマンシーニなどを聞いていた。 で、何を思ったか(きっかけは覚えていない)、大学入試直前の12月に神田の黒沢楽器に行き、クラシックギターを購入。 受験前にもかかわらず、合格して地方で下宿するから、なにか暇つぶしの楽器が欲しい、と決め付けていたらしい。 運よく合格し、運よく、希望どおり東京の親元を離れて地方の大学へ。その下宿やアパートで、自己流でギターをたまに弾いていた。 先生はNHKのギター教室(笑) 毎年、新しいクラスが始まるたびにテキストを買い込み、その初級の途中まで行って挫折、というのを3年ぐらい続ける。 結局、ギターの腕は、ここで頭打ちになる。 仕方なく、フォークソングなどをジャカジャカ弾いて歌ってお茶を濁す。 それから就職し、その間の音楽関係は特に記すようなものはなし。学生時代のフォークソングが唯一の「弾ける」ギターなので、たま~にギターを持ち出してジャカジャカやっていたぐらい。 あ、そう言えば、いとこの結婚式に、その弟がクラシックギターをやっていたので、その結婚式の余興に、二人で、リストの「愛の夢」ギター向き編曲版を演奏したのが唯一のクラシックギター。かくして50歳直前になって日本に「逆単身赴任」するまで相変わらずの状態。 で、この一年間の日本逆単身赴任時に、ヒマなので生まれて初めてギター教室に半年通う。 でも昔のレベルには戻らず・・・・ そしていよいよ、今年、2011年一月。 何を考えたのか、今もよく分からないが、突然ピアノを弾こう!と思い立つ。ギターをやっていたので、ある程度楽譜は読めた。でもト音記号のみ。 ヘ音記号は読めない。で、今年の一月に、まずはヘ音記号が読めなければ始まらないだろう、と最初の一週間でその譜読みを覚える。かくして、「57歳からのピアノ」が始まり始まり・・・・・・さて、どこでギター同様、頭打ちになるんでしょうか・・・・・・・・・・・(笑)
2011.11.09
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ターネックさんの日記を読んで、あらためて「自分のこと」として「老人ホーム」について考えさせられた。 ここでも書いているように、私の父の場合も要介護になったのを機に、本人の意志で昨年の6月に介護付老人ホームへ入所した。 以来、肺炎や骨折など、かれこれ5、6回は病院へ搬送され、そのたびにホームの方々には本当にお世話になっている。 もしこれが実家にそのまま居たとしたら、同じく要支援の母はおろおろするばかりで、迅速な対応も出来なかったに違いない。 もしかしたら、意識を失った事もあるので、応急処置もできず、今頃父はもう生きていなかったかもしれない。 その点、ホームに居ると、即座に応急処置がしてもらえ、救急車の手配から病院への付き添い、病院側との対応の協議などなど、家族が駆けつける前に、ひととおり進めてくれる。 日常的にも、食事は当然のことながら自室で摂れるし、入浴やトイレの都度に介護師さんに付き添っていただける。 今は、入浴は専用バスで横になったまま入浴している。 今の日本、あるいは日本人は、急速な高齢化社会の進展に伴って、老夫婦、あるいは一人になっている独居老人として自宅に居る人が増えているが、やはり家族の支援があてになる場合でもある程度の限界がある。 それだからこそ「介護ビジネス」として、こういった「有料老人ホーム」が増えているのだから、それはそれで需要があるということだろう。 ただし、物事全てがそうであるように、ここでもいろいろな問題が実際に発生している。「終の棲家は老人ホーム」と言った考え方と、それに関係する本はたくさん出ているが、その大半は「だまされない」「後悔しない」「虎の子のお金を無駄にしない」ために、という形で、「良い老人ホームの選び方」という感じの内容だ。ということは、それだけ「だまされ」「後悔し」「お金を無駄にした」人が多いことの裏返しなのだろう。 今後ますます高齢化が進む。 自分の老後も考えなくてはならない。我が家の場合など、おそらく我々夫婦は日本に帰国しても、子供たちは世界中のどこにいるかわからない。 少なくとも子供の世話になる、あるいは介護を当てにできる状況ではないだろう、と思う。 親が実際に経験している「老人ホーム」。今後もいろいろな面で変遷していくだろうが、これだけは自分で研究して、もし入所することになったとしても、少なくとも自分で納得できる形でお世話になりたいものだ。
2011.11.07
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ギリシャが落ち着きそうな雲行きなのに、今度はイタリヤが危なそう・・・・前から、ギリシャ同様、次はイタリヤかスペインか、と言われてはいましたが。そのイタリヤの国債が下落している。国債と言えば、投資の中では普通「安全」な投資先として、当然金利は非常に低いのが普通だが、イタリヤの10年もの国債はとうとう金利6%を突破してしまった! 金利が6%と言えば、破綻したアイルランドの国債と同レベル。 つまり、買っても紙切れ同然になる危険があるよ、というくらいの市場評価だ。 ギリシャはIMFの支援でなんとか世界経済への影響は限定されるかもしれないが、イタリヤは、EU第三位の経済規模、ギリシャの5、6倍なので、もし危機的状況になったら、今回のヨーロッパ危機どころの話じゃない。 今でさえユーロは、日本円だけではなく、アメリカドルに対しても下げているのに、このイタリヤの危機が現実味を増したら、一層の円高は避けられない。 今以上の円高、下手をすると70円台そこそこか、もしかしたら・・・・日本も全然よくない状態なのに、相手が勝手に経済危機に嵌まって、そのとばっちりで円が高騰するんじゃ、なんともやりきれない。 さて、どうなる、イタリヤ! イタリヤよ、お前もか!!になって欲しくないものだ。もし、全然心配していない、という人が居たら、ぜひイタリヤ国債の購入をお奨めします。なにせ、今の世の中で、6.4%なんて投資、なかなかありませんよ。(笑)
2011.11.06
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実は、音楽の話題は専用のブログが他にあり、そちらに毎日アップしております。こちらでは、時々、区切りの時だけ載せるようにしていますので、ご了解ください(笑) ピアノを始めてから10ヶ月も経ち、10ヶ月目にビデオアップの予定がのびのびになっていましたが、今日、思い切ってアップしました。 まだまだノーミスでは弾けず、同じところでつまづくし、指がもつれまくっていますが・・・ これです。 ⇒ 「ブルグミュラー 25の練習曲から」 「おまけ」として、8月と9月に一度アップした「素直」と「アラベスク」も撮り直してみました。こちらは、4番の「子供の集会」と同様、未だにうまく弾けません。 基本練習ができていないので、仕方がないですが、一応、ひとつの区切り(たぶん、今年度中には、これが限界だと思うので)として、アップしてみました。 これらの曲をもう一度弾く機会があるかどうかわかりませんが、出来ればいつか、もう一度挑戦したいと思っています。願わくば、その頃にこのビデオを観て「いやあ~、昔はひどい演奏だったなあ・・・」と言えるようになっていたいものです。 (間違っても、「昔の方が上手だな・・・」にはなりたくない!!笑)
2011.11.06
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先日書いた「翻訳」の仕事。まだ続いています。 今日、二回目の翻訳の納品。 昨日夜から、今日の午後にかけて、ほとんどこれに費やしました。 で、今日は、一度会社の方に来てもらえませんか?と言われたので、出来上がった翻訳を持って訪問してきました。 そこでは案の定、日本人駐在員の人が何名もいて、ほとんど技術系の人なんですが、日本からの書類の英訳に手を焼いていたらしい。 今日、その中のお一人とじっくり話をしましたが、今回の翻訳、私以外にも何名か翻訳を依頼しているらしい。 で、私の訳はどうだったでしょうか、と恐る恐る聞いたら、「いや、やっぱり元々技術系の人なんで、訳が単刀直入ですごくいいです。」とのご返事。 「単刀直入」? う~ん、微妙な表現だな、と思いながら、「いえ、英語がそんなに得意というわけじゃないんで。ただ、読む人が分かりやすければいいかな、っと」と言ったら、「そうなんですよ。 その点では、こうやって訳したい、というのにすごく近い訳なんで、他の人にも頼んでいるんですが、一番いいですよ」とのこと。 続けて、「突然、こんなものをお願いして申し訳なかったんですが、これからも翻訳をお願いできますか?」と言われました! やった!! 「単刀直入な訳」は置いておいて、続けて仕事をもらえるんだったら、そこそこ評価してくれた、ということでしょう。 うん、ブログに日記を書く時間を少し削って、こちらにまわせば済むこと。 背に腹は代えられません(笑) ということで、この「翻訳」、第三の(第四かな?第五かな?)の副業になるかな?
2011.11.05
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ふと人生の「宝物」、つまり「一番大切なもの」ってなんだろう?と考えていました。少なくとも「お金」や「名誉」じゃない。 こんなものは自己満足やその場の幸せには当然結びつくんでしょうけれど、そしてもちろん「ないより、あった方がいいもの」ではありますが、それって「一番大切なもの」か、と言うと、ちょっと違う。 じゃあ、何が「一番大切か」と聞かれたら、皆さんはなんと答えるでしょうか。 ----------- ----------- ----------- ----------- 「家族」ですか? 相方ですか? 子供ですか? それとも「自分」ですか? ---------- ---------- -------- ここは考える時間ですーーーーーーーーーーーー ---------- ---------- 正解なんてありませんよね。 人それぞれでしょう。 ただ少なくとも、たぶん、それは「人生」をどう捉えるか、によって大きく違ってくるとおもいます。 この人生は一回きり。死ねば終わり。と考えている人の「一番大切なもの」 と この人生は、いくつもの転生の一つ。と考えている人の「一番大切なもの」 は当然異なるでしょうから。 私は当然後者です。 なので、お金、名誉、妻、家族、すべて大切ですが、一番大切なもの、と考えると、やはり「自分の魂の成長」になってしまいます。 でも「魂の成長」というのは見えもしなければ、判定しようもありません。なので、間接的に一番大切なのは、その「魂の成長」をもたらす人生体験ではないか、と考えています。 どんな「人生体験」か。 それは「どんな人生体験でも」というのが本当だと思うのですが、その中で敢えて選ぶというか、どんな経験が一番か、と言ったら 「感動」なのかな、と。 喜び、悲しみ、苦しみ、楽しみ、すべて「魂の糧」になります。でも、この「感動」というのは、家族、愛、仲間、仕事、趣味、親子関係、友人関係、音楽、スポーツ・・・・なんにでもありますが、自分が積極的に関われば関わるほど、そして、その関わりかたが真剣であればあるほど、深いものになるんでしょう。 そういう意味では、「深い感動」は「真剣に生きる」ということから始めて得られるもので、けっして安易に、ただ暮らしている、ただ漫然と時間をすごす、なあなあで済ます、という態度からは生まれないものでしょう。 どれだけ「深い」感動を人生の中で味わえるか、それが「魂の成長」にも繋がり、今生の、それこそ「宝物」として、次の「生」に持ち越すことができる唯一のもの、という風に思えます。
2011.11.03
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