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昨日に続いて、また、ある事情があって(笑)、私の過去ログから「日本語」「カタカナ」「外来語」関係の日記を【復刻日記】とします。一般のみなさま(笑)退屈でしょうけれど、がまんしてください。それにしても、この私が、これほど、しつこく! これらのテーマの日記を、つたないながらも、書いていたとは、驚きである。(オイオイ!)それに、実に多くのコメントをいただいている。本当に、私のリンクさん達は、「暖かい心」を持った「ケチでない」人びとである。(最近 こればっか) ~~~~~~~~■ 国立国語研究所が提案する「外来語(カタカナ語)」の言い換え提案 ■ 外来語 言い換え語 カタカナ語 漢字■ 外来語の言い換え 他の国では、外来語にどう対処しているのでしょうか?■ 多重言語としての日本語の発達の段階を、私の独断で考えてみた ~~~~~~~~それにしても、われわれ日本人は、外国語の輸入に対して柔軟な言語システム、つまりカタカナを持てて、ラッキーである。まあ、カタカナではしょせん、数多い外国語の複雑微妙な発音をそのまま写し取ることはできない。しかし、中国語などその点、悲劇的なハンディがあるのだから、まあ、よしとしなければならないかも知れない。
2007.11.30
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ある理由があって、今日はとりあえず、下記の【復刻日記】を二つ、アップさせてください。■ 【復刻日記】 【わび】【さび】とはなにか? 2004/11/20■ 【復刻日記】 日本語は最高の言語の一つ 2004/04/07この作業で気がついたのだが、私はブログというものを、この楽天で、2004年の年頭から開始している。念のために、楽天ブログトップを見てみると 開設日 2004/01/04 開設日数 1,425 総アクセス数 452,979 平均アクセス数/日 318 アクセス 日記記入率 69.7 %ということになっている。今日が2007年の11月だから、これで、2004,2005,2006,2007と、なんと四年間も書いてきたことになる。ブログ歴4年ということにもなる。『はるけきも 来たものかな』という感慨である。やはり『継続は力』という実感である。(熱しやすく 冷めやすい私なのに・・・)しかも途中で、かなりの「長欠」を二三度したから、日記記入率が約7割で、平均アクセス数 318/日というのは、かなりいい成績である。総アクセス数 452,979 というのは、初めて知った。もう少しで、500,000 にも近づくではないか?500,000と言えば、1,000,000の半分の数字である。1,000,000 と言えば、『百万』なのである。ゲ~~!!失礼しました。私にとっては、おどろきなのである。まあ、このアクセスも、楽天では、独特のランダムシステムという方式があって、たまたま、私のブログを1回限り、のぞいてみた人が大半だろう。しかし、楽天外部から、秘かに?私のブログを常時(またはそれに近いペースで) 読んでくださる、酔狂な方も、なかにはいるのであろうか?なんだか日頃意識しない、『書く事への責任』などを、柄にも無く感じる今日この頃ですが、とにかく、これもひとえに、『温かく 心優しい』楽天リンクの方々のおかげであると言えよう。大変ありがたいことで、みなさんに、ここに、心よりの謝意を表したいと思います。○| ̄|_ _| ̄|○ ~~~~~~~~私は、楽天日記開始までは、それまでは、他人様の『BBS』という形式の掲示板に『外来』として書き込むという事を(一二年だったと思うが)していたのだが、自分のブログを持つなどという『大それた』『破廉恥』なことをはじめたのが、この 2004/01/04 だったのである。
2007.11.29
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今日は、故あって、時間が無いので?、ショートなブログでお茶をにごさせていただきます。またまただが、tak-shonaiさんのところにコメントしたので、それをリンクする。■ 毛皮市場のタヌキとラクーン (アライグマ)ここで tak-shonaiさんは、タヌキの毛皮の英語名についてエッセイしているのだが、タヌキ自体のイメージも寄与してか?なんだか巧まぬユーモアになっている。タヌキの英語名と言えば、むかし流行った米国の黒人女性歌手、アーサー・キットの「証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子(たぬきばやし)」を思いだして歌詞をひもといてみたが、そこではただ単に「 tanuki 」と言うことになっていて、面白くもない。 ~~~~~~~~Shojoji lyrics in English 『Shojoji no Tanuki Bayashi』Sho sho Shojoji Shojoji no niwa wa Tsu tsu tsukiyo dan minna dete koi-koi-koi Oira no tomodacha pon-poko-pon no pon Makeruna makeruna osho-san ni makerunaKoi koi koi koi-koi-koiMinna dete koi-koi-koiSho sho ShojojiShojoji no hagi wa Tsu tsu tsukiyo ni hana zakari Oira wa ukarete pon-poko-pon no pon ~~~~~~~~この歌を知らない人はいないだろうけれど、念のために、カラオケを用意した。「証城寺の狸囃子」
2007.11.29
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『私の嫌いな10の人びと』 中島 義道 (著) 新潮社発行目次1 笑顔の絶えない人2 常に感謝の気持ちを忘れない人3 みんなの喜ぶ顔が見たい人4 いつも前向きに生きている人5 自分の仕事に「誇り」をもっている人6 「けじめ」を大切にする人7 喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人8 物事をはっきり言わない人9 「おれ、バカだから」と言う人10 「わが人生に悔いはない」と思っている人 ~~~~~~~~今日は第二弾である。第一弾で『1 笑顔の絶えない人』を、見事に撃墜(笑)したので、この勢いにのって次々に狙ってゆこう。・・・と言いながら、実はもう、それほど、攻撃意欲は多くないのだ。しかし、乗りかかった舟・・・という状況なので、強引に、あまり根拠無く、攻撃続行してみよう。 ~~~~~~~~■ 2 常に感謝の気持ちを忘れない人この項にかぎらず、この10ヶ条は、人間として、ほぼ正しいことである。少なくとも、激しく非難されるようなことではない。中には、私の旧友の一人である朱鷺子さんのように、この10ヶ条のすべてに該当するという「救いようが無い」人もいるのである。(笑)しかし、ものごとには『行き過ぎ』というものがある。『そこそこ』ならいいんだが『行き過ぎ』になると、なんともいやみなのである。その気持ちを、フリーメーソンの秘密会員のように、顔に出さず、その人の内面で、秘かにいだいている場合は、いいのである。しかし、例えば『私はいつも、この世のすべて、袖すり合わす全ての人びとにも、感謝しているよ~』というスタンスで、それを全面に出してアピールする人がいる。新興宗教の会員などに多いような気がする。その宗教の教えにドップリ依存している人などに多い気がする。すべてはその宗教の、または教主?のおかげであり、またその宗教のご威光の効力で輝かしく照り光った幸福な世間の、そして信者の皆様方のおかげだ・・・というような発想で、やたらにありがたがり、感謝の意を、常に、強く強く、我々、宗教に無縁な平凡人にも見せつけるのである。言いかえれば、これはその宗教の露骨な宣伝活動の一種、ノルマである会員勧誘の側面がある。この宗教を信じて、「莫大な」お布施・献上金を捧げれば、ホラ!こういう風に、悩みも無い、幸せな人間になるんですよ~」・・・という、見せつけ・説得のジェスチャーである。まあ、私など、そんな種類の、そんな経緯を経た「幸せ」なんか欲しくもないが、世の中には、とにかく不安感を消去したい、なにかに頼りたい、迷いから逃れ出たい、安心できる信仰を得たい・・・という願望・渇望でいっぱいの人が多いもの(らしいの)である。 ~~~~~~~~ところで私は、そんな風に、自分の弱さに安易に負ける人が嫌いである。えらそうに聞こえるかも知れないが、私は本気である。例えば、昔のことだが、私自身にも思いきりつらいことがあったが、「武士は食わねど高楊枝」「やせ我慢」のようなものがあって、少なくとも他人にグチをこぼすことなど無かった。インチキ宗教に救いを求める事も無かった。とは言え、もちろん、心の中では泣いていた。夜、ベッドの中で、不安にもだえたこともある。涙を流したこともある。しかし、問題の種類にもよるが、世の中に、人にグチって解決する問題はほとんど無い。宗教に逃げ込んで悩みが無くなったと思っても、それはハンターに追われたダチョウが、砂の中に頭を突っ込んで安心するようなものではないだろうか?まあ、若い人のいじめ問題などは、周囲が本気で立ち向かえば、解決する可能性が高いだろうけれど、これなどは例外的な問題と言えると思う。 ~~~~~~~~私のケンカ友達であるmsk222さんのブログで「ふれあい、って…」というテーマが取り上げられていて、ちょっとむしゃくしゃしていた私は、彼に八つ当たりしてしまったような気がするが、とにかく、日本の歌の歌詞って、「ふれあい」とか「さびしさ」とか「ぬくもり」などの、安易で、決まった単語の単なる羅列であることが多い。私から言えば、例え、歌の歌詞という短いスペースの中であっても、ある程度のロジックというか、ストーリーが無くては、意味をなさない。私が感銘した歌詞のひとつに尾崎豊の「I LOVE YOU」がある。I LOVE YOU 今だけは 悲しい歌 聞きたくないよI LOVE YOU 逃れ逃れたどりついたこの部屋 何もかも許された恋じゃないから 二人はまるで捨て猫みたい この部屋は落葉に埋もれた 空き箱みたい だから おまえは 小猫のような泣き声で きしむベットの上でやさしさ持ちより きつく体抱きしめあえばそれから また 二人は目を閉じるよ 悲しい歌に愛がこぼれてしまわぬようにこの歌詞は、すごいよね。 ~~~~~~~~ちょうど今日のオダギリチガさんのブログでこの本が論じられていたので、私も次のようなコメントを入れた。 ~~~~~~~~私もこの本を読み、ブログにも書きました。目次を見たら、世間でいい人と言われるタイプを軒並みに「きらいだ」と批判していることになるのですから、私はこの本は、ユーモア一杯の逆説を述べている類の本だろうと予測したのです。しかし読んでみると、この作者はあまりユーモア感覚で書いていないんですね。結構、本気で書いている。私からすれば、このような内容ならユーモア無しで書けるはずがないと思うのですが、ところがほとんどユーモアや皮肉無しに書いている所に違和感がある。だから、その主張は一応うなずけるものの、わざわざ本にするほどのことか?というレベルです。
2007.11.28
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tak-shonai さんが、『最近のブログの傾向』と題して、このように書いている。 ~~~~~~~~■ 私が 「最近ブログの熱気が冷めてきてる」 と思ってしまうのは、単に、毎日楽しみに巡回していたブログの管理人さんが、ちょっと息切れしつつあるのか、更新が希になってきたりしているせいなのだ。とても個人的な印象なのである。 ~~~~~~~~tak-shonai さんと私とは、卒業大学が同じであるせいか? どうも考えることが近似している(と私は勝手に思っている)。『近頃のブログは、衰退しているのではないか?』という命題も、我々が共有しているものである。先日書かれたtak-shonai さんの該当ブログ日記を参照してみよう。 ~~~~~~~~『ブログは踊り場にある?』今頃はハワイで楽しんでおられるはずの alex さんが、日本を発つ直前の今月 2日に、「ブログの衰退と読書」 という記事を書かれた。世間ではブログというメディアは重要性を増す一方と言われているが、そんな中で 「ブログの衰退」 を見抜く眼力は、さすがのものだと思う。確かに、近頃おもしろいブログが減った。もしかしたら、ブログ全体はまだまだ成長過程にあるのかもしれないが、私が毎日巡回したくなるようなブログは、減少傾向にある。少なくとも、alex さんや私のような視点では、ブログは踊り場に来ているのだと思う。一時、ブログ・ブームと言われた頃は、本当に我も我もとブロガーになりたがった。テクノラティなんかのブログ検索でさがすと、一つのトピックでいくらでもおもしろい記事にぶちあたったものだ。ところが、最近では様相が違う。あるトピックでブログ検索をしてみても、ヒットするのは新聞社のサイトの記事をコピペしたようなのばっかりで、ちっともおもしろくない。たまにクールな視点のブログを見つけても、更新頻度がまばらで、いつも読みに行こうという気にならなかったりする。ブログ・ブームと言われたのは大体 3年ぐらい前のことだと思うが、このくらいの時間が経過してしまうと、大方のブロガーは、書きたいことを書き尽くしてしまったんじゃないかとも思われる。かなりおもしろい記事を頻繁に書いていたブロガーが、急に更新しなくなる。更新しても 4~5日に一度だったりする。急に仕事が忙しくなったんだろうか。あるいは、体調でも崩したんではあるまいかと心配するのだが、どうやらそういうことでもないことが多いような気がする。何となく、頻繁に更新する意欲が失せてしまったような案配なのだ。かく言う私なんかも、以前は毎日毎日書きたいことがあふれ出んばかりにあって、それを書かないうちは眠れないというようなことがあったが、最近では、無理矢理引っ張り出さないと書けないというような日もある。それでも、もう日課みたいなもので、何とかかんとか、それらしいことを書いてしまわないと、なんだかやり残したことがあるような気がして、安心して眠れなかったりする。おかげで、こうして 4年近くも掛け値なしの毎日更新を続けている。ところが、ブログスフィア全般を眺めると、書く方の意欲が衰えれば他のブログを巡回する意欲も衰えるようで、私のところも、昨年末まではもう、アクセスが一本調子でどんどん増え続けていたが、近頃では安定期に入ってしまったようで、横ばい状態だ。「書く」 と 「読む」 とは、経済の需要と供給の如くバランスしているようだ。もう、こうなったら、「長く書き続ける」 というのも一つの才能なんだと、自分を褒めてしまおうと思う。踊り場だろうがなんだろうが、私としては、まだまだ書き続けるぞ。 ~~~~~~~~さて、ここから、今日の私の本文であるが・・・ひょっとすると、新興ブログでは事情がちがうのかも知れないが、少なくとも楽天の読書ジャンルでは、最近、私もブログで嘆いたように、書き手の息切れ現象が著しいと思っている。現に私のリンク先も、かなりの人数の方がすでに 『drop out』 または 『fade away』 してしまっている。しかし、それでもまだ『生き残った!』しぶとい人びとは、比較的元気に、ほぼ毎日、またはそれに近い更新をされている。ブログを書いてみたいと思い、事実かなりのレベルでブログを書く能力のある人達も、ある程度、書きたいことを書いてしまうと、息切れしたり、書くべきテーマが見あたらなくなったりしたのであろう。書きたいテーマが、はじめから無限にある人などいるはずがない。そう言う意味では、ブロッガーの『表現意欲と能力』も、ほぼ『一巡した』と言えるのではないだろうか?また、『まだ、書き続ける人』と『もう書かない人』とは、少しの『差』があるのではないだろうかとも思う。私の考えでは多分、こういう『まだ、書き続ける人』方々は、自分の目や耳に入った世の中の出来事・森羅万象を、かたっぱしから『ブログ』にしてしまうという、『ブログ錬金術』に手慣れた、言わば『ブログ世界のマイダス王』なのだろうと思う。(黄金どころか、一銭にもならない錬金術ではあるが)こういう人の場合、『石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ』(昔の盗賊・石川五右衛門の辞世の句とされている)いや、『世にブログの 種は尽きまじ』・・・というところであろうか?(ちょっと、ちがうかな?)目についた新聞記事やテレビ番組などの、ほんの one single piece 一片も、少しひねって、『自分の視点!』で見れば、たちまちそれが『ブログ』に化けるのであろうか。反対に、ほぼ「単一テーマ」の「定点観測」派とも言えるリンクさんもいる。例えば、このごろランチのメニューを、デジカメの映像と共に毎日アップすることが多い、『みさき116さん』などである。(みさきさん 勝手に引用 ご容赦!)そのどちらの方式でもいいのだが、要するに長期間ブログを続けるためには、しっかりした、ありきたりのものでは無い、その人『独自の視点』というものを持っている・・・ということが前提条件・必要条件になると思う。
2007.11.27
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点と線見た人も多かっただろうと思うが、鳴り物入りの宣伝の二夜連続のテレビ朝日系列の開局50周年記念テレビドラマ「点と線」(松本清張原作)を見た。さすがに「開局50周年記念テレビドラマ」というだけに、金をかけた、豪華な出演者をそろえたもので、思わず見入ってしまい、第一話が終わった後は、翌日の第二話が待ち遠しかった。2ちゃんねるでは、主演のビートたけしの演技への批判が多かったが、私はそうは思わなかったし、たけしの存在感は大したものだと思った。執念の捜査ということで、「饑餓海峡」での刑事役、伴淳三郎を思いだした。おどろいたのは若い刑事役の高橋克典だった。経歴をしらべてみると、両親とも音楽家の良家のおぼっちゃん。その育ちの良さがうまく役柄とマッチして、地方の落ちこぼれ刑事のたけしと好対照の、若々しいエリート刑事を好演した。いつもの乱れ髪とことなり、ピッタリなでつけた七・三の髪型にすると、実にハンサムである。私は、キムタクなど爬虫類系の気持ちの悪い顔だと思っていて、こういう容貌こそハンサムというものではないか?私の好みは、オールドファッションかな? ~~~~~~~~キャスト○ 警察関係者鳥飼 重太郎:ビートたけし 鳥飼 つや子:内山理名→池内淳子(特別出演) 小林 安子(重太郎の義姉):樹木希林 田中係長(博多東警察署):小林稔侍 永井課長(博多東警察署):平泉成 刑事:でんでん 監察医:金田明夫 刑事(北海道警):深水三章 笠井係長(警視庁捜査二課):橋爪功 児島刑事(警視庁捜査二課):金児憲史 柳原刑事(警視庁捜査二課):芦川誠 寺崎課長(警視庁捜査二課):名高達男 警察幹部:河西健司 三原 紀一(警視):高橋克典→宇津井健(特別出演) ○ 産業建設省中尾 正(推進課長):本田博太郎 佐々木 喜太郎(事務官):大鶴義丹 石田 芳男(企案局長):竹中直人 原 種臣(大臣):江守徹(特別出演) ○ その他の登場人物安田 辰郎(安田交易社長):柳葉敏郎 安田 亮子(辰郎の妻):夏川結衣 佐山 憲一(産建省課長補佐):大浦龍宇一 桑山 秀子(お時):原沙知絵 桑山 ハツ(お時の母):市原悦子(特別出演) 博多の旅館の番頭:升毅 仲居:星野真里 八百屋の店主:斉藤洋介 とみ子(割烹料亭「小雪」の仲居):筒井真理子 八重子(割烹料亭「小雪」の仲居):あめくみちこ アパートの大家:伊佐山ひろ子 河西:佐戸井けん太 函館駅駅員:半海一晃 車掌:梨本謙次郎 東京駅助役:小野武彦 長谷川(亮子の主治医):坂口良子 ある家の女:かたせ梨乃 ドロップを差し出す女:高橋由美子 喫茶店の給女:滝沢沙織 駅員:山谷初男 2人の死体を発見した漁民:志賀圭二郎 タクシーの運転手:伊藤克信 ナレーション:石坂浩二 ~~~~~~~~その他、印象に残った出演者○ 三原 紀一(警視):高橋克典→宇津井健(特別出演) 宇津井健が高橋克典の50年後・・・とは、容貌的に無理があるな~。ではだれがいい?と聞かれても困るが。○ 鳥飼 つや子:内山理名→池内淳子(特別出演) 池内淳子も、悪いが、老けた。○ 桑山 ハツ(お時の母):市原悦子(特別出演) 秋田の老婆を抜群の演技で演じたが、まあ想定内。○ 駅員:山谷初男 秋田弁がうまい!なんという存在感!(笑)○ 産業建設省 石田 芳男(企案局長):竹中直人 例によって怪演。○ 産業建設省原 種臣(大臣):江守徹(特別出演) 江守とは気がつかなかった。○ 安田 辰郎(安田交易社長):柳葉敏郎他の役者の方がよかったのでは? ○ 安田 亮子(辰郎の妻):夏川結衣 色っぽかったと評判。たけしと対決の場面の目の演技は、確かに。○ 桑山 秀子(お時):原沙知絵 東京駅25番ホームを男と歩いている時の笑顔は、木訥な秋田女には見えなかった。○ 寺崎課長(警視庁捜査二課):名高達男 刑事には、かっこよすぎ。(笑) ~~~~~~~~言い忘れたが、あの東京駅は、JR大阪駅の隣の空き地(現在は)に作ったセットだという。これにはおどろいた!また都電も(行き先が新宿になっていた)は、古い車両を岡山に移送したものだという。岡山では路面電車が現役なのだろう。
2007.11.26
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いきなり余談だが、昨日は、私が、うっかり『私のリンク友達達は、冷たくて、ケチで、なかなかコメントをくれない』と(本当のところを?)書いたばかりに、『冷たくて、ケチなリンクですが~~』とか、『短くて冷たいコメントですが!!』などという、恐ろしい前置きのついたコメントが、ガンガンと数多く入った。(泣)そ~ゆ~、恐ろしい前置きのコメントは、すべて女性リンクからのものである。カチン! と来た部分は見逃さないと言う、女性特有の暗い感性がうかがわれる。(あ、 このコメントも気をつけなきゃ)一方、男性リンクはといえば、そんなことはすっかり、ボ~っと忘れて、ただの素のコメントである。やはり・・・、女性にうかつなことを書いてはいけない!日本国語審議会への私の要望だが、今後、『執念』および『怨念』という漢字は、これから「女へん」付きにして欲しい・・・と、思う所存である。 ~~~~~~~~昨日は、『私のきらいな<いい人>』というテーマで書いた。その中身は、人の悪口である。正直言って、私は人の悪口が好きである。実際の人間関係においては、それほど他人の悪口をいうわけではなかったが、自分ひとりになると自分が気にくわない人間を思い出して、怒りがふつふつと沸き上がるのである(笑)。中世の魔女が、洞窟の中で、毒草をグツグツと煮込むように、他人の悪口を夢想するのである。だから私は、『私の嫌いな人間』というデータベースを持っている。対象は、主にテレビに登場する人びと、芸能人などである。もっとも、データベースと言っても、エクセルで簡単なリストを作っているだけなのだが・・・。さて、今日は、韓国旅行記や『私のきらいな<いいひと>』シリーズを中断して、『饗宴』について書きたい。 ~~~~~~~~閑話休題「饗宴」と言えば、プラトンの著作である。自然に、今回は内容が難しくなる。というのはウソで、私はこの本を買ったものの、読みこなせなくて、この本は哀れ、放置プレー状態である。・ しかし、一応、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』をひいてみる。 ~~~~~~~~■ 饗宴(きょうえん)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』客を招いて酒を飲み交わすこと。 (symposion)古代ギリシアにおいて、もともと一緒にぶどう酒を飲むことを指した。シンポジウムの語源にもなる。 古代ギリシアの哲学者プラトンによる著書。中世イタリアの詩人・政治家ダンテ・アリギエーリによる著作。 ~~~~~~~~ダンテも『饗宴』という本を書いているとは知らなかった。それはともかく、今日は『饗宴』というか『宴会』というか、人びとが集まっての食事などの機会におしゃべりをする状況について語りたいのである。と思って、毎日のぞく、tak-shonai さんのブログをのぞくと、ちょうど『ミシュランガイド 東京版ねえ』というテーマが書かれている。 ~~~~~~~~<そのブログの一部を引用>私は、旨い酒と旨い料理は、楽しい会話、談論風発と切り離しては考えられない。私は、旨い酒と旨い料理は、楽しい会話、談論風発と切り離しては考えられない。 ~~~~~~~~『ミシュランガイド 東京版ねえ』というテーマは、タイヤやミシュランガイド(観光案内書・レストランのランキング付け)で有名なフランスのミシュラン社が、東京のレストランのランキングを本にしたことを言っているのである。Tak-shonai さんのブログの主旨は、高価な料理をかしこまって食べるより、安い店でも気のあった友人と談論風発しての方がいい・・・という意見である。私も賛成で、それに似た意見を書こうとしているのだが、(ちょっと方向がちがうかな?)Tak-shonai さんのブログには、下記のコメントを残した。■ ミシュラン東京ですが、フランス人に日本料理の本当のうまさがわかるかどうか?私は少なからず疑問に思っています。洋食とは味覚の基礎が、全くちがうと思うのです。ちなみに私は洋食の方が好きな男です。 ~~~~~~~~私の個人的意見では、西洋人なんかに、日本料理なんか、てんでわかっていないのである。たらこやイクラをうまそうに食べた後を見計らって『それ何だか知ってる? 魚の卵だよ』と言ってやると、ウッと吐きそうになりながら『それを早く言ってほしかった』と泣くのである。これが『日本料理が大好き』という文化人である。日本料理は今、欧米で知的で健康的でスマートな料理という定評があって、みんなが日本料理をよく食べている・・・ふりをするのである。しかしその実態は・・・、上記ていどなんである。だからミシュランだか、グッドイヤーだか知らないが、日本料理をランク付けしようなんて、チャンチャラおかしい。まあ、欧米人も中華料理ならなんとか評価できるだろうとは思うけれど、日本料理は sphere がちがうとしか言いようがない。 ~~~~~~~~ところで、私も、たまに高級店で、『定評のある料理がどれほどのものか?』という挑戦的なスタンスで食べてみることはある。しかし一方、私は、かなりの『町の定食屋』ファンで、低価格な定食屋の味にはうるさく?、以前、定食屋をテーマに楽天日記を書いたこともある。『ハレとケ』という、日本民俗学的見地からすれば、『ハレ』である高級料亭の味と、『ケ』である家庭の味とは、別のジャンルとして評価していいと思う。しかしまあ、そうは言っても、『食べ物』って、つまるところ(つまると便秘になるが)、身もフタもない言い方をしてみれば、くわしく書くことははばかられるが、「身体に栄養とエネルギーを与える」という「プロセス」の後は、しょせん、体外に排出されるものでしょ?天下の名店・老舗料亭(吉兆など)の超高級料理も、体外に排出された後は、極めて惨めな境遇に激変して、まるで臭くて汚いもののように扱われる。(実際に「臭くて汚い」んだけれど・・・)(私も品格が無いな~)その後と言えば、暗く狭い下水道を走り、下水処理場で処理され、果ては東京湾に散布されて、文字通り『海のもずく』『魚の餌』『プランクトンの・・・』と、消えてゆくのだ。これを、考えを変えてみれば、人間の肉体(人間に限らないかも知れないヶ)は、実に高度な化学工場だと思う。インプットは「食材」でも、アウトプットは「糞尿」である。(私もしつこいかな?)見事な科学的処理プロセスだと思う。(感心ばかりしている場合か?という反省もあるが)思えば、わずか数十年前の日本では、糞尿は、野菜の肥料として重用され、民家の厠からお百姓さんの荷車の肥だめに移され(これを戦後の占領軍が
2007.11.21
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『私の嫌いな10の人びと』 中島 義道 (著) 新潮社発行 と言う本がある。私はこの目次を見て、すぐ(笑)購入した。目次1 笑顔の絶えない人2 常に感謝の気持ちを忘れない人3 みんなの喜ぶ顔が見たい人4 いつも前向きに生きている人5 自分の仕事に「誇り」をもっている人6 「けじめ」を大切にする人7 喧嘩が起こるとすぐ止めようとする人8 物事をはっきり言わない人9 「おれ、バカだから」と言う人10 「わが人生に悔いはない」と思っている人 ~~~~~~~~実は私も、こういう人達がきらいである。かなり・・・きらいである。こういう人達って、『人間の模範』だから、社会から排除されないから、社会から「いいひと」という評価をされるから、当然自己満足して、自己反省もあるはずも無く、パースペクティヴに自分を見つめることも無く、それなりに増殖して行く。その1 笑顔の絶えない人例に出すのは少し気の毒なのだが・・・、それにこの人は「嫌いではない」のだが、例えば、拉致被害者家族会・会長の横田滋さんである。この人は、どんな状況でも(いつもつらい状況だと思うが)、いつでもニコニコ笑顔で、とつとつとしたコメントをする。心の中では、横田恵さんの帰還をねがって、血を吐くほどつらいはずなのに、顔は、本当にニコニコ顔なのだ。なぜ、このニコニコ顔がいけないか? というと、このニコニコ顔がわたくしたちに、一種の不安定な、混乱した感情を与えるからである。自然な感情移入をさまたげるからである。私たちは、横田さんの真情は当然つらくて、泣き顔または怒りの表情が当たり前なはずだと思うのに、インタビューに答えるその顔は,えびす顔である。その正反対さや乖離が、不自然なのである。私たちの顔の表情や目の表情というものは、言葉と同様に、コミュニケーションにおける発信の中心である。その時の、その人の心の状態およびその発信は、それに相応した表情が付帯しないと、私たちをとまどわせる。とまどいだけではすまなくて、多少の不満を覚える。発信が統一されていないのだ。むしろ正反対な発信が出てきては混乱するのだ。以前私は、ある芸能ネタ専門ブログに「横田さんの笑顔には、違和感をおぼえる」とコメントを書き込んだところ、その楽天ブログのオーナーさんから「つまらない書き込みをするな」という事を言われてびっくりした。私は横田さんを責めたのでは無く、その信条と表情との分離・乖離に違和感がある・・・と例に挙げただけなのだが、横田さんにマイナスなことを書いてはいけなかったらしい。しかし、私のコメントの直後に私の知っている楽天会員のひとりがやはり「私も違和感を感じていた」というコメントを入れていた。再三言うが、私は横田滋さんには、なんの悪感情も無いばかりか、大いに応援したいのである。しかし、それとこれとは別で、たまたま典型的な「いつも、どんな状況でも笑顔」という人で想い出す最初の人が横田さんだったというだけである。横田さん夫妻の横田早紀江さんの表情は、その点、その真情そのものをストレートに表現した、知的で、凛としたものである。心情とコメントと表情の付合になんの齟齬もない。だから、私としては、自然に、素直に感情移入ができる。私としても楽である。しかし、考えてみると、こういう「いつも笑顔を絶やさない」人達は、その感情とは別に、顔の筋肉が常時「笑顔筋」になっていて、それが固定されているのだと思う。それを私ごときが、どうのこうの言っても、笑顔固定筋は容易には解除されないだろうと思う。 ~~~~ 続く ~~~~
2007.11.20
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男湯をでてタオルで身体を拭いていると、番台の男性が「alexさん」と私をよぶ。彼が私の名前を知っているわけはないのだが、同行の女性が内線電話を通じて呼び出しを依頼してきたのである。彼の指示に従って、半袖シャツ+半ズボンのサウナスタイルになって、4階に降りる。4階に入ろうとして、ギョッとした。3階が女性用なのは知っていたが、4階も大勢の女性がいるのである。「ここも女性フロアか?!!」これでは、うかつに入ってゆくことはできない。女性のフロアに男性の私が入って行っていったら、大騒ぎになるはずである。痴漢と見なされるかも知れない。のぞき魔とされるかも知れない。おまけに私は韓国人が憎んでも憎み切れない『恨』の対象、『イルボン(日本人)』である!しかも『嫌韓派』であると知れたら、女性達にボコボコにされるかも知れない。考えただけで恐ろしいことである。それにボコボコでは足りなくて、集団レイプされてしまうかも知れない。考えただけで・・・うれしい、いや、恐ろしいことである。と逡巡(しゅんじゅん)していたら、同行の女性が私を見つけて招き入れてくれた。彼女の説明では、この4階のフロアは男女の区別の無いフロアで、風呂上がりの時間を楽しむところだという。よく見ると、少数だが男性もいるのである。「な~~んだ!」これで集団レイプの危険性も無くなった?ので、安心して部屋に進む。この部屋は全面タイル張りである。部屋の中央付近に、直系メートル以上もありそうな大木の幹がド~~ンと二本置いてある。これは背もたれの機能もあるようだ。中二階の部分は、漫画本(らしい)などが収納されている本棚や、ゲーム機やテレビが並んでいる。主に子どもが、これらの施設で遊んでいる。一階にはマッサージ室がある。食糧・飲料のキオスク的な店がある。ここでジュースや氷みぞれやアイスクリームなどを注文する。無料の冷水のタンクがある。さらには食堂まであるのである。それに加えまた、サウナの部屋が数室あるのである。いずれもドア付近に室温がネオンで示されている。ある部屋は、壁や天井が『玉』で埋め尽くされている。『玉』と言われたが、ジェムストーンのようなものだろうか?この『玉』から『気』が出るのだという。韓国人はよく『気』のことを言う。私は現在の科学では説明のつかない『気』なるものをそれほど信用していない。しかし郷にいれば郷に従えである。フンフンと聞いておいた。それに塩を混ぜた泥の壁のサウナもあって、同行の女性はその中に入っていった。私も入ろうと思ったが、その部屋の中は女性でいっぱいである。ここでも集団レイプの危険があるかもしれないので、敬して遠ざけて?遠慮しておいた。この大広間の床は、基本的にタイル張りというか、石張りというか、そういうものである。非常に硬い床である。考えてみたらサウナ室の床にしても、この大広間の床にしても、硬い床である。日本のサウナ室なら、木の簀の子(すのこ)の床になっていることが多い。大広間も板張りの床がふつうである。しかし韓国の床は、このように硬いものである。不思議である。よく見ていると、韓国の人々は、この硬い床に平気で座り込んだり、子どもは嬉々として遊んだりしていて、平気なのである。転んだら大変だと日本人の私はひやひやしたりするのだが。ここにいる人びとはほとんど、母と子である。中には夫婦・カップルもいる。この銭湯というか、スパというか、この施設の入場料は約500円ぽっきりである。風呂・サウナ・水風呂・読書・テレビ・テレビゲーム・飲み物・食堂・マッサージ室まであって、24時間オープンであるという。疑似・極楽といってもいいだろうと思う。これなら、日本のネットカフェ的に、ここに住み込む?人間が出てきても良さそうだと思うがどうだろうか?見たところそういう人種は見受けない。 ~~~~~~~~ついでに韓国の女性も観察してみた。日本の外国旅行番組では韓国ソウルの明洞(ミョンドン)(日本の銀座通りに相当)を歩く女性は、さっそうとした美人ぞろい・・・らしいが、私がこの銭湯で見る限りは、男性同様、「ハッとする」美人は見かけなかった。チェ・ジウのような美人は見かけなかった。チェッ!(つまらないダジャレで失礼)ごくふつうのお母さん・おばさん達である。私は、『ごくふつうのお母さん・おばさん達』は、(ふつうは)相手にしない主義?なので、この大広間で、サウナにのぼせて、ただぼうぜんとしているだけである。ちなみに、私が銭湯に入っているこの場所は、ソウルではなく、朝鮮半島の南端、釜山(プサン)である。釜山という地名はよく聞くが、私にとっては釜山は初訪問である。どうも、釜山であるから、首都でないから、美人がいない、いや、少ないのかもしれない。今回はソウルにも出向く予定なので、『ごくふつうのお母さん・おばさん達』には悪いが、明洞通りの韓国美人に期待しよう。聞くところによると、それに私の身近にも、韓国美人?に惚れて、韓国通いを続ける大和男子が多い(らしい)。それも中高年の大和男子が多い(らしい)。美しさに加え、韓国女性は日本女性に較べて情が濃いという。(私は、情が濃い女性は苦手である)(念のため書くだけで、他意はないのであるが・・・)ただ、この銭湯で観察する限り(裸は観察できなかった)、私が韓国美人目当てに韓国でロングステイする可能性は無さそうである(と思う・・・)(と・・・現在は思う)。
2007.11.19
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これを機会に?銭湯における裸の韓国の男を観察することにした。韓国の男性は日本の男性より、平均して大柄と言える。肉食の騎馬民族だからであろう。いや、「島国の種より大陸の種の体躯が大きい」・・・という動物学の法則がここにも働いているのかも知れない。朝鮮は半島とはいえ、大陸とは陸続きであり、島国ではない。私自身は、日本人としては長身で、韓国人の平均的男性よりも少し背が高い。今回も韓国人によく「日本人なのに大きいね 日本人らしくないね」と言われた。日本人の男は、小柄であるという定評があるらしい。私個人の身体的特徴として、上半身が厚くて円柱形に近いトルソである、お尻はそれほど大きくない。脚は、自分で言うのも何だが、長いほうである。ここで見る限り韓国人の男性は、下半身がたくましく、お尻が大きい。韓国サッカーの身体能力は、このお尻から来ているのだろう。肉食の騎馬民族だからであろうか?(こればっか)ただ脚は特に長いというわけではない。韓国の男性は、兵役があるせいか? サバサバしていて男っぽくて、だれひとりタオルで前をかくすこともしない。だから、私としては、その「前」を思わず観察してしまったのだが、やはりこれは、個人差の世界のようである。(以下自粛)これは意外といえるかもしれないが、顔の彫りが深くないせいか? 眉毛が薄いせいか? 刈上げの髪型のせいか? あまり美形という感じはもなく、色気もない。最近は一度しか行ったことがないが、日本の銭湯の日本の男達は、結構、個性のバラエティーがあって、濃い男や、ハンサムだなーと思う男もいる。そこへいくと、ここ韓国の銭湯の男達には、あまり個性を感じない。見たところでは、ただのおにいちゃん、ただのおっさんショーである。200人以上の男がいるはずなのに、ペ・ヨンジュンや、イ・ビョンホンのようなハンサムは。どこを探してもいないのである。温度が41度のジャグジーには、石製の大きな動物がその口から湯を吐き出している。いつか日記に書いた(クリスマスだが不幸な人達)温泉で湯船のライオンの口に頭をはさまれて取れずに苦闘した女性のエピソードを思いだしたが、これをよくみると大きなガマであった。ガマが湯を吐き出しているのである。しかも、もっとよく観察すると、このガマは尻に子ガマをのせているのである。後ろに回って尻の部分を見たら、なぜか肛門が無いのである。肛門がないばかりではなく、反対に肛門部分が出っ張っているのである。不思議である。このガマは、痔を患っているのかも知れない。または脱腸ぎみなのかもしれない。 ~~~~ 続く ~~~~
2007.11.17
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今回の海外旅行は、海外旅行といえないぐらい近いところである。それはどこでしょう?答えは韓国である。私のような嫌韓派が、わざわざ韓国へ旅行するとは!? と、不思議に思う方も多いかと思う。しかし、とにかく韓国へ行ってしまったのだからしょうがないのだ。(いばることもないが)それにしても、ハワイだけでも恥なのに、次は韓国とは・・・、僻地を単独踏破したストイックな探検家として高名な??私も、堕落したものである。日々に反省の念は強まってはいるのだが・・・。_| ̄|○では、なぜ韓国か?一応答えはあるのだが、その答えはそのうちに示すとして、いきなり!? ハワイを飛び越えて、記憶も新しい韓国での現地報告と行こう。 ~~~~~~~~実は、韓国で、一般人の銭湯へ行くというめずらしい体験をしたのである。これを先ずご報告したいと思う。ふつうの観光客は、ホテルのサウナぐらいには入るだろうけれど、一般の韓国人専用の銭湯にはまず行かないと思う。ただ、銭湯と言っても、日本でも「神田川」のような古典的な銭湯は少なくなっているはずだ。それに銭湯に代わって、いわゆるスパ(SPA)なる保養施設が一般的になっている(と思う)。これは温泉を中心にしたレジャー設備である。それに、昔なつかしい東京駅の東京温泉などのスチームバスも、かなり以前に、マッサージルームがあったり、テレビが見られたり、カプセルホテルが中にあったりで、宿泊設備を兼ねていた。しかし、いわゆる銭湯も、スパをお手本に変身しつつある。現に、私の住んでいる町の銭湯も、すでに「神田川」スタイルではない。小規模ながら、湯船も、ひとつだけでは無く、数個あり、それぞれジャグジーになっていたり、湯の温度が熱いものや、適当にぬるいものや、冷水風呂もあり、スチームバスやサウナもある。では、韓国の現代銭湯はいかなるものか? ~~~~~~~~車であるビルに到着した。このビルの三階ほどが韓国銭湯(SPAと称している)である。エレベーターもSPA目当ての乗客でいっぱいである。3階で降りる。受付で入場料を払う。ひとりの料金は、約500円相当である。この後は、男女別となる。ここで同行の女性とは行き別れとなるのである。残念である。心細くもある。女性は、そのまま3階に入って行き、男は5階に上がる。番台で、靴箱のカギを受け取って、靴箱に靴を入れる。そのカギを再び番台に手渡すと、ロッカーのカギと、支払い済みの半袖シャツ+半ズボンに、シャンプーとリンスと、あかすりタオルを手渡される。この「あかすりタオル」というのが韓国独特である。韓国の「あかすり」は有名だが、銭湯でもいきなり「あかすりタオル」である。日本式のふつうの「手ぬぐい」風のものより薄手である。私はあかすりが好きではない。私はなまけものだから、そうゴシゴシこすってもらいたくないのだ。それに、テレビである医者がいっていたが、『皮膚の表面のあかは、あまりこすって取り去りすぎてもいけない。あかはある程度、皮膚の保護の役目があるからである』というのである。育ちのよい私の皮膚は特にデリケートだから、皮膚の保護は特に必要なのである。番台から進む。左手に喫煙室がある。ベンチがあって灰皿があるだけである。痩せてひげが白い爺さんが、煙草を片手に深い物思いにふけっている。これに並んで理髪店がある。風呂で身体を清めると、さらに頭髪も・・・という欲求・発想には、うなずけるものがある。ヴィエトナム駐在の時に、理髪店へは何度か行ったが、後で聞くと、理髪店の二階の部屋には、若い女性がいて、とてもいけない行為をしてくれたそうである。頭髪を清めると、別な快楽が待っていたらしいのである。そういえば、理髪店には妙に色気のある若い女性がうろうろしていた。そうとは知らない私は、ほんの頭部の快楽だけで満足して帰宅してしまっていたのである。『そういうことは早く言ってくれなくっちゃ!!』これは最近、入院保険のテレビ広告で、私ほどの年配の男性が、好条件の入院保険があるのを知って口走るセリフだが、本当だよ!『そういうことは早く言ってくれなくっちゃ!!』しかし、例え事前にそれを知っていたとしても、散髪+洗髪を先にすますか? なにの方を先にすますか? 順序に悩むところである。せっかく整髪したのに、なにの方で髪が乱れてはいけないではないか。思いが乱れたところで広い室内を見わたすと、右手にはずらっとロッカーがある。そこで服を脱いで、裸になり、ガラスドアを開いて広い風呂場に入る。私が自分のロッカーを締めようとしたら、隣に全身、くりからもんもん、見事な入れ墨の男が来た。韓国では『入れ墨の方は、後入浴をご遠慮ください』という風呂屋のポリシーは無いようなのである。ガラス戸を開けて、風呂場に入る。先ず目にはいるのは、いくつもの湯船である。注意してみると、温度別になっている。一番温度が高いのが、41度のジャグジーである。次に38度のジャグジーである。15度の冷水湯船もある。日本の檜でつくったという屋根のついた小さな湯船がある。なぜか?深さが10センチぐらいという浅い35度の湯船?がある。ひとりの身体の幅のものが3個並列したジャグジーがある。小さなプールのような35度の湯船がある。ここでは、大人に混じって男の子が多数入っていて、バシャバシャと泳いだりして遊んでいる。この湯船の中央には、大きなマッシュルームの形をしたものがあり、その頂点から湯が流れ落ちている。それに天井から、2条の落とし湯が落ちてきていて、それに身体を打たせている男が居る。右手に、シャワーが並んでいて、そこでシャンプーを使って、洗髪したり、石けんで身体を洗う。または、日本の銭湯にあるような低い蛇口が並んでいて、小さな椅子に腰掛けて身体を洗う。この辺は日本と同じである。左手の奥に、いろんな温度のサウナやスチームの部屋がならんでいる。温度は35度から、一番熱いもので95度ぐらいのものまである。この一番熱い部屋に入ったら、石の床がオンドルにもなっていて、この温度がめっちゃ熱いのである。それと知らずにペチャペチャと歩いて入った私は、「熱いトタン屋根の上の猫」状態になって、跳ね飛びながらベンチに座ったのである。こういうだまし討ちは止めてほしい!しかしこういう卑怯な部屋だけではない。入ると天井から、穏やかな温度の、霧雨と言うか、小雨というか、小糠雨(こぬかあめ)というか、のようなものが、優しく降り注ぐ・・・という部屋も、あるのである。「こぬか~ 雨降る~ 御堂~筋~い」と、おもわず欧陽菲菲のヒット曲を口ずさんでしまったほど、快適である。私の記憶が間違っていなければの話だが、一般に日本のサウナ室では、日本のサウナ客は、タオルを頭からかぶって、滝のように流れる汗をものともせず、できるだけ長時間がまんするのを旨とする。断食・木食修行して、土の中の石室に入って、お経を読みながら、生きながらミイラになる修行僧・・・のように、苦行するのである。それで限界に来たときのみ、ガバッとサウナ室を飛び出ることが許されるのである。それが男らしい男の常識である。それなのに韓国の男は!、サウナに入ってきても、ほんの2・3分で、いとも意気地無く?出て行ってしまう。生活のどこにでも「道」を見つけて修行する日本との文化的差異がここに見られるのである! ~~~~~~~~これを機会に?銭湯における裸の韓国の男を観察することにした。 ~~~~ 次に続く ~~~~
2007.11.16
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二度目の旅行記も、またまた延期として、本日は裁判制度に関してである。本日の関西ローカルの報道番組「ムーブ!」の中で、本日付の朝日新聞の記事が紹介された。 ~~~~~~~~● DVDで調書却下 大阪地裁『自白誘導した疑い』殺人未遂罪で起訴された男性被告の取り調べの様子を録画したDVD映像が証拠採用された事件の第4回公判が14日、大阪地裁であり、西田真基裁判長は、「映像から判断すると、検察官が被告の供述を誘導した疑いがぬぐえない」と述べ、検察側による被告の供述調書の証拠申請をを却下した。最高検に夜と、取り調べ映像が法廷で上映された例はこの事件を含め4件あるが、映像をもとに裁判所が供述調書を却下したのは初めて。 ~~~~~~~~このDVD映像の中で、取り調べをうけている被告が「殺そうとは思わんけれど・・・」と殺意を否認するような供述をしているのに、取り調べの検察官が「殺そうと思って刺した事に間違いないね!?」と早口で何度もたずねた?というのだ。これが供述の誘導にあたると裁判所で判断されたというのだが当然だろう。公判を有利に導こうとして提出したDVD映像が逆に検察側に不利に働いたというのも、皮肉というか、検察側の判断のおそまつさというか、とにかく大失態である。それにしても、私としては、DVD映像がすでに公判で証拠採用されていると言う事実におどろいたが、この記事に対する『橋本徹弁護士のコメント』には、もっと驚いた。というより、驚愕したのである。● 橋本弁護士曰く :『司法研修所が、先ほど、供述調書からの証拠や証言は、証拠を採らないと、要は裁判員制度をねらって、法廷の中でしゃべった事だけを証拠にするという重大発表を行いました。これで、今までの裁判のやり方が、一挙に変わります。検察の方は、こんなに部分的に映像化するのではなくて、全部を映像化しなければいけない状況になってきました』 ~~~~~~~~う~~ん!すごい!悪名高い日本の警察・検察の取り調べは、弁護士も同席を許されぬ密室で、非常な長期間、なかば拷問に近い取り調べ?が行われてきて、今まで、冤罪事件の原因ともなってきたのだが、この強制された自白の供述調書が証拠採用されないということになれば、供述調書というものは、その今までの証拠としての意味の大半を失い、全面的なDVD映像が公判以前の取り調べにおける証拠のメインになるということになる。また、そうなれば、この日本の暗黒の中世的な取り調べの形態も、変わって行くだろう。実に画期的な、信じられない・・・と言った方がいいほどの、方針変換である。 ■■■■■■■■、ついでだが、私の海外旅行中に、私の『死刑制度は「廃止」すべきだと思う』というブログ記事にご意見を賜ったようである。関連している部分もあるので、ちょっと この機会に stale だが、ご返事をしようと思う。 ~~~~~~~~● 渚のバラードさん『冤罪は理由にならないと思う』死刑廃止論には色々な論拠がありますが、「冤罪の可能性」は理由にならないと思う。何故なら、「現在の日本の警察の取り調べ制度や、裁判制度の下では、、冤罪を産む可能性が高い」ということは、あながち間違いではないかも知れないが、「冤罪が全て死刑判決に繋がる」とは言えないからである。また、「冤罪事件」は再審請求が繰り返され、差し戻し審で無罪を勝ち取る可能性が高いし、裁判官も慎重になるので「死刑判決」が出る可能性も低いのである。本村氏の主張は当然であり、犯人が死刑になっても完全に「心が晴れる」とは思えないが、死刑判決が出なかったら余計「心が晴れない」と思う。このような稀に見る凶悪犯罪の場合、死刑が解決策にはなり得ないが、逆に被害者家族の感情や社会正義の観点からして、死刑判決が出ないことにはより好ましくない対応だと思う。犯人が絞首刑になるのは当たり前であって、おぞましいと思うのは君を含めた少数派だろう。国民感情として、極めて卑劣な凶悪犯罪に対しては死刑賛成という調査結果が出ており、それが理屈を超えた日本の現実なのだよ。(2007/11/06 11:47:32 PM) ~~~~~~~~>また、「冤罪事件」は再審請求が繰り返され、差し戻し審で無罪を勝ち取る可能性が高いし、裁判官も慎重になるので「死刑判決」が出る可能性も低いのである。・・・と言うが、『冤罪事件」は、はじめから『冤罪」と認識されて裁判が進行するのでは無い。それに冤罪で「死刑判決」が出る可能性が低いというが(その根拠としてあげられている事例に、私は納得が行かないのだが)、それを裏返せば、百歩譲っても、『可能性が低くとも冤罪での死刑判決が出る可能性は、やはり存在している』ということだ。冤罪のまま、無念の思いで国家によって殺される人が、過去にも将来にも存在するという事なのである。可能性が高くても低くても、冤罪での死刑はゆるすべきではないというのが、私の意見だ。多少の冤罪死刑はあってもいいじゃないか・・・という渚のバラードさんの意見は、乱暴で無実の人間の運命への思いやりを欠いた非常冷酷な意見である(と私は思う)。もし、彼自身が冤罪での死刑判決を受けたら、どんな気持ちになるのだろう?、>本村氏の主張は当然であり、、犯人が死刑になっても完全に「心が晴れる」とは思えないが、死刑判決が出なかったら余計「心が晴れない」と思う。このような稀に見る凶悪犯罪の場合、死刑が解決策にはなり得ないが、逆に被害者家族の感情や社会正義の観点からして、死刑判決が出ないことにはより好ましくない対応だと思う。犯人が絞首刑になるのは当たり前であって、おぞましいと思うのは君を含めた少数派だろう。国民感情として、極めて卑劣な凶悪犯罪に対しては死刑賛成という調査結果が出ており、それが理屈を超えた日本の現実なのだよ。ーーーー本筋から離れるが、私は、このような人から『君』『なのだよ』などという言葉遣いをされる筋合いは無いと思う。ふつうは「あなた・貴方」と呼びかけるのがマナーじゃないの?>本村氏の主張は当然でありなぜ『当然』なのか?その根拠が示されていないが、それを求めているのが、この場の意見交換のはずなのだが。>犯人が絞首刑になるのは当たり前であってこれも、なぜ当たり前なのかを、ていねいに説明してもらわなければならない。渚のバラードさんの主張は、統計的に「多数派」ではあるかも知れないが、だからといって、それが「正しい」というわけではないのだ。多数意見が必ず正しいのではない。この場合、数の大小と、『正しさ』とは、本質的に関係が無いのだ。そもそも、こういう類の問題は、これが正しくて、他のすべての意見は間違っているというような、単純明快・絶対的なものではない。人間という存在、生命ということを深く考察しても、まだ結論が出にくい、極めて深い種類の問題だ。渚のバラードさんの意見に対しては、私としては 「It's your opinion」 と言うしかない。英語の言い方なのだが、あなたのご意見はたまわっておくが、それは貴方の意見にとどまるものであって、同様に、他の意見も有ってしかるべきだ・・・という意味である。
2007.11.15
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また明日から、海外旅行に出かけることになった。やはり私には放浪本能があって、その本能もかなり長い間、冬眠していたのだが、ハワイ旅行をきっかけに再発してしまったのだろうと思う。出発前に短く。● 日本シリーズ落合よ!野球ファンの夢を勝手に壊すなよ!野球は中日のためにだけあるんじゃない!テレビを見ると、結構、落合を支持する声も多く、私はますます激怒するのである。あの願人坊主のような顔をもうテレビで見たくない。● 亀田謝罪会見たかがあんな事で、日本国中が謝罪会見を強要するなんて、なんて国なんだ、日本は!マイク・タイソンなんて世界戦でホリフィールドの耳をかみ切った。● 小沢辞任? 大連立?日本人は、いつのまにか二大政党制をよしとするようになったらしいが、二大政党制なんてアングロサクソンである英国・米国以外にない。欧州大陸では、小政党乱立だから連合政権はあたりまえ。閉塞状況にあるのだから、それに自民の左は民主の左より左、民主の右は自民の右より右党ねじれ現象解消のためにも、大連立・ガラガラポンで政界再編が起こればいい。第一、来る衆議院選挙で民主が勝利するという事が言われているが、それにはなんの確約も無いのだから、小沢の懸念も当然。選挙のエキスパートである小沢がここで大連立という妥協を図ったのも、私にはわかる気がする。
2007.11.04
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