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コーヒー派? それとも、紅茶派?tak-shonai さんがこういうタイトルで書いている私も「英国人と紅茶」について、今までに三回書いてきたtak-shonai さんのこのブログに入れた私のコメントをコピーしておきます ―――― ◇ ――――私が日常的に飲んでいるのは、スーパーが提供している海洋深層水と純水をミックスした水です食事の時や、薬を服用するときや、のどが渇いた時レストランなどで洋食を食した後はコーヒーです日本料理屋で食事の後は日本茶です中華調理の後は中国茶です(鉄観音が一番うまい)外出中やゴルフでのどが渇いた時は、日本茶かスポーツ飲料です甘い缶コーヒーは飲みません喫茶店に入って何か飲まなければならない時は、ふつうはブレンドコーヒー(濃いめ)(味には結構こだわりがあるかな)暑い季節はコーラかアイスコーヒー自宅でときどき、ミルクティーを自分で入れて飲みます商社員時代、インドやインドネシアで給仕が出してくれたチャイというミルクを煮出した濃い紅茶で、本当はすごく甘ったるいのですが、私は砂糖無しにします要するに私は「○○党」と言うような飲み手?ではありません日常的には水を飲んでいると言うことになりますあえて、金を払ってまで中毒的に(笑)コーヒーを飲むことはしませんロンドン支店にいた頃は秘書が一日何回かのティータイムにミルクティーを入れてくれましたミルクティーは私のチョイスただし現代の英国人はコーヒー党の方が多い(私の知見)客先では秘書が「コーヒーかティーか」「ミルクまたはクリーム入りか否か」を尋ねてくれます砂糖はポットで出してきます米国では大きなコーヒーメーカーに入っているアメリカンを大型マグで自分で飲むことになっていました米国人で紅茶党はほとんどいない第一、オフィスに紅茶メーカーは置いていない中東で客先を訪問すると、ミントのお茶をおちょこのようなカップで出してくれましたおかわりはいくらでも入れてくれるので、お変わりを断る場合は、カップの上に人差し指を渡して「もう結構です」と言う意思表示をします
2008.10.31
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tak-shonai さんがこういう事を書いている「庶民感覚とマーケティング感覚」 ―――― ◇ ――――私のコメントである(内容はちょっと追加していますが)・・・・・・・・麻生総理のホテルのバー通いを「あまりにも庶民の金銭感覚と離れている」と食い下がった北海道新聞の女性記者ある人が調べたら北海道新聞の給与は結構高給だそうです北海道新聞の記者さんはホテルのバーで飲まないのでしょうか?新聞記者なんか、社用や人の金で飲み放題なのを私は知っていますが女性記者と同じようなことをコメントしている社民党の女性党首福島瑞穂氏この人っていつも「青年の主張」みたいな稚拙な左翼的なことしかしゃべれない人ですね彼女がマイクに向かってしゃべる前に、私は彼女のコメントをおおよそ予想できますそれにこの民社党の女性議員「庶民の代表」らしいこの議員はカップラーメンが常食なんでしょうかね?「私は(庶民的な)居酒屋で飲む」なんて、嫌らしいことを言う小沢党首は、知る人ぞ知る「疑惑」の不動産富豪ですよねどういう方法で蓄財したんでしょうか?・・・・・・・・コメントは以上で終わりだがとにかく私が言いたいのは『私は庶民』なんて、全く免罪符じゃないという事金持ちは金持ちでいいじゃない日本人は、なんでも『悪平等』に人を引きずり込もうとするつまり『嫉妬』かな?韓国人ほどは強くないけれどしかし、みなさん、カップ麺の値段にこだわっているね~私なんか、どうでもいいけれど食べるのは、ほんの、たまに・・・、だからそれにしてもみなさん、カップ麺を「庶民感覚」で毎度食べているのかな~?こんなもの、栄養バランスの悪いスナックでしょ?庶民の食生活の基準にすべきものでもない私は、もっと、まともなものを食べたいと思う
2008.10.29
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20世紀に英語で書かれた小説、ベスト100篇 【復刻日記】昨日紹介した「コンラッド ロード・ジム」が含まれている「20世紀に英語で書かれた小説、ベスト100篇」ついでだから、これも、、【復刻日記】とした今日の【復刻日記】は、過去ログを寄せられたコメントごと、そのままリンクすることにしたというのも、いただいた数多くのコメントで、その作品の邦題がわかったり、内容を説明いただいたり、それに私自身も映画化された作品についてかなり書き込んでいるそういうコメントが主文以上に豊かになった日記だから、私としては、コメントを切り離すわけには行かないからである20世紀に英語で書かれた小説、ベスト100篇 【復刻日記】
2008.10.28
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「ロード・ジム」 コンラッド 【復刻日記】昨日の日記は、【復刻日記】20世紀に英語で書かれた小説、ベスト100篇 だったイヴリン・ウォーの作品が数点も入っているのが、意外だった兄のアレックスの作品は無いコンラッドは最も多いかな?コンラッドはポーランド人なのに、英語で世界の名作と言われる作品を書くとは偉い!>085 Lord Jim, Joseph Conrad (1900) ロード・ジム(映画化されている)(ジョセフ・コンラッド)今日、偶然に地方局テレビでこの映画を観たもっと思想性があるだろうと思っていたのに、完全な活劇映画だったピーター・オトゥール主演若い頃のピーター・オトゥールって、今まで気がつかなかったけれど、ちょっとゲイリー・クーパーに似たところがある年を取るにつれ、だんだん怪優?になってゆくけれど ―――― ◇ ――――この映画を二重音声の英語の方で聴いていたら、面白いセリフがあったあるギャングの親分が子分にこう言う■ We have to eliminate one person.オレたちはヨ~ あるヤツを消さなきゃいけね~部下が答える■ You mean murder.つまり「殺せ!」とおっしゃるのでやんすね?親分が答える■ Justice! いや 「正義!」って~のを、やるだけよ ―――― ◇ ――――なるほど~アフガニスタンやイラクでの米軍を思わせるねただし、justice に the がつくと、「神の裁き」 The Justice = Justice of Heaven となるいう事になるらしいだから、天上にもまた「親分」がいるらしい
2008.10.26
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先ほどの『情報ライブ ミヤネ屋』というバラエティー風情報番組で、またまた、麻生総理のホテルのバーでの、いわゆる『豪遊』をとりあげていたさすがに司会の宮根氏は・麻生総理はもともと大金持ち・それに自費で飲んでいるのだから問題ではない・総理が毎日(人とも会わずに)まっすく自宅に帰ってくれても困るなどと、当然のことを発言しているしかし、この番組の女子アナが、キャアキャア、声をうわずらしながらこんなことを言うのだ「しかし、毎日、100円でも安くと(買い物)をしている人間から見れば、この豪遊はいかがなものか・・・」こんなことを、足踏みしながら、わめくのだ嫉妬心混じりなのだろうバカモノめ~~!! (笑)テメーがそんなに貧乏?なのは、テメーとテメーのトーチャンに甲斐性が無いだけの話だ!それに、私でも、スーパーで買い物をするときには、品質との兼ね合いだが、基本的には少しでも安いものを買うあたりまえだしかしそれは「100円に困っている生活をしている」という事ではないだろう?別の話だろう?それをごちゃ混ぜにするな!それとも、一国の総理大臣が酒屋のカウンターで、ピーナッツをつまみに、コップ酒を飲んで居れば、アンタは満足かい? ―――― ◇ ――――私は「基本的に」貧乏だと言うことは恥ずかしいことだと思っている基本的にと言うのは、「自分が貧乏なのは」・・・ということだテレビで見る本当に貧乏な人は実に気の毒だということは、自分の経験からちゃんと感じている以前にも一度書いたことがあるが、私は商社を早期退社して、米国で不動産事業をはじめたその事業は破産こそしなかったが長い間、利益が出なかったそのうちに見切りをつけて欧州に転居したが、そこではもっと苦労をした実情を話すのも恥ずかしい屈辱の生活であった友達にも合わす顔がなかったから会わなかったそれでも何とか生き抜いて、自分は外食もしなくても倹約して娘には何とか仕送りを続けたそのことも娘には最近になって打ち明けただけだしかし私は金持ちを嫉妬した事は無い羨ましいとは思ったが、嫉妬した事は無い私の貧乏は自業自得だと思っていた能力と運に恵まれなかった結果だと納得していた最悪、野垂れ死にしてもしょうがないと覚悟していたそのうちに長い間利益のでなかった事業が好転して、人並みの経済状態に回復したが、この貧乏時代に、貧乏とは恥ずかしいことだとつくづく実感した本当に貧乏な人は、そのことを人に言えるものでは無い ―――― ◇ ――――私からすれば、毎日、1円でも安くと買い物をしているなんていうのは、他人に転嫁することでも無かろうと思うそんなことはあたりまえであって、少なくとも、人に言い立てることでは無かろう古今亭志ん生ではあるまいし「貧乏自慢」にもならない毎日カツカツの生活をしている、または失業している「本当に」気の毒なワーキングプアの人々なら別だが、多少経済状態が悪くても、それが「人並み」のレベルなら、『情けないことを言うな!』と言いたい「武士は食わねど高楊枝」の心意気で生きたいそれに、『他人に嫉妬するな!』である共に、卑しいことである世の中、たいていのことは自己責任である
2008.10.24
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麻生総理の金銭感覚?連日連夜ホテルや高級料亭で豪遊と書かれた麻生総理が、昨日のテレビで(フジテレビだったかな?)『ホテルのバーって安いのをみなさんご存じない?』とか反論していたが、その画面が終わったところで、局の女性アナが『ホテルのバーを安いという総理の金銭感覚が今後、問われそうです』と切り捨て御免コメント私は、この女子アナに『あんたはホテルのバーでデートの待ち合わせをしたことがないの?』と聞いてみたいまったく ―――― ◇ ――――以下は私の意見だが○ 一国の総理がどこで何を食べようといいじゃないのお金持ちだから自腹でしょうし○ こういう記事を書いた毎日新聞は『小沢民主党党首は居酒屋 豆腐が好物』とも書いたというきわめて恣意的な記事だな~小沢の好物が豆腐だろうと、芋の煮転がしだろうとかまわないが、次期総理候補?が居酒屋で会合を開いていればいいって言うの?毎日新聞は?そもそも、だいたい、毎日新聞は、英文毎日であの国辱的な記事をオーストラリア人の反日記者に何年間も書かせて放置していた上層部はそれに気がつかなかったとかだれがそんな事を信じる?廃刊すべきだと思うがいまだに廃刊しないね私は少なくとも毎日新聞は決して駅売りでも買わないし、購読もしない早く不買運動が広まってくれればいいと思っている○ この女子アナは『ホテルのバーを安いという総理の金銭感覚が今後、問われそうです』などとばかげたことをコメントしているが、これは自分自身のコメントか?または局で用意したコメントかな?だいたい、新聞記者やテレビ局の人間って高給取りの上に豪遊は首相以上じゃない?私は彼らが高給取りだからどうこう言うつもりはないそれは自分達の能力だからいいまして『私は庶民・・・』なんてつまらない、いじけたことは言わないしかし、自分たちも社用で豪遊しているだろうし、一国の首相にどこで飲め、どこで食えというのだ?自分たちの昼飯はコンビニ弁当か?帰宅前の夜食は吉野屋か?ふざけた記事を書くな!○ 『ホテルのバーは高いものでは無い』というのは、麻生総理がまったく正しいなにしろ『女』がつかないのだから、高いはずがないキャバクラ(私は行った事が無いが)などに行く『庶民』の方がよほど高い金を払っているだろうちょっとしたスナックでも5千円ぐらいはすく行くだろうホテルのバーと何ら変わらない本物のアル中(笑)が通う酒屋のカウンターなどは別格に安いが(笑)、ふつうの居酒屋だってホテルのバーと金額的には変わらない自分たちはよく知っているのに、ホテルのバーは庶民の手の届かない高級な場所・・・などという与太を書くな!麻生総理が、民主小沢のように庶民のふりのお芝居をしながら貧乏くさく、居酒屋で飲んだら、私は失望する第一、そんなところで重要な話もできないし、するべきでもないだろう○ 昨日書いたように、英国の政治家は、自分の属している高級な会員制の『クラブ』なるプライバシーのある場所で人と話をするここでおおよそのことが事実上、決められると言われている日本では以前は赤坂の料亭だったが、このごろはあまり聞かないそれが、ホテルのバーというのも、私は、本当は、感心しない麻生総理ほどの超金持ちならしかるべきクラブもお持ちだろうが、あえてホテルにとどめているのかも知れない○ 食事にしても同様である『高級料亭』と書かれた『馬尻』と言うところは、高級な店ではないというこれも感心しないプライバシーの保てる、しかる場所で食事・会合をして欲しい内容がすべて政治がらみでなくてもいい一国の総理の会話は国家機密であって、国益に直結する外国のスパイが野放しである日本情報管理に金を惜しんではいけないまして、私費なら言うことではないだろう○ 麻生総理が連夜飲み歩いているというが、公務が終わったら自宅に直行という総理でも困るだろう政治というのはコミュニケーションなのだから、連日連夜、大いに会合を重ねて欲しい一般庶民?のサラリーマンだって、閑さえあれば一杯飲んで同僚・上司とのコミュニケーションを図る客先の人間を懐柔して(笑)人間性を探るよくは知らないが福田元首相など、自宅直行型に見えるだから『私はあなたとちがうんです』などという言葉を吐くまあ、ああいう人間と飲んでも面白く無いが(笑)○ 庶民レベル以上の贅沢をしていること自体、なんら非難されるべき事では無いはずだできるものならだれだって、そうしたいことだ支払い能力があればそれでいいことだただ、本当は庶民以上の贅沢をしているのに、『庶民派ぶる奴』には反吐が出るということだよく年収数十億という有名タレント(みのもんた・島田紳助など)がテレビで庶民ずらして『私たち庶民は、こんな贅沢はできない・・・』などと言うのを聞いた時が、そんな例のひとつだが ―――― ◇ ――――蛇足だが私は経済的な格差が有ってはならないとは思わない資本主義社会とは格差を生むものである意欲とか能力とか運不運とが格差を生むしかし、「ホームレスの人たちに冬の衣類を」でも書いたように、人間が人間らしい尊厳を保てる最低限のレベルの生活は国家として保証しなければならないと思うそれは憲法にも保障されているはずであるし、第一、人間としての同じ人間への友情と義務だろう
2008.10.23
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コーヒーハウスは、新聞社の始まり 【復刻日記】コーヒーハウス、つまり喫茶店・コーヒー店は、実は西アジア起源だという´アラビア語で、コーヒー店のことを「マクハーmaqh」というのだと言う語源はカフワqahwaこれもコーヒー店の意味だというルーマニア語は東欧の中の唯一ラテン系の言語だが、kafea(カフェ ア)というらしいポーランド語では、kawa(カヴァ)フィンランド語:kahvi(カービィ) □□□□□□□□あるサイトでは、こんなことが書いてあ・・・・・・・・イギリスのカフェ(コーヒーハウス)は、1650年ユダヤ人ジェーコブズがオックスフォードに開いたのが最初らしい早くもローヤル・ソサエティ設立の場のひとつとなった、というから結構モダンな、おしゃれな高級なところだったんでしょう イギリスのコーヒー・ハウスは18世紀初頭にピークを迎えるロンドンだけで2000~3000軒あったというから驚き当時の人口を考えると大変な数だ同時代のパリでも、300軒前後、18世紀末のフランス革命の頃合いでも700軒程度だったらしいから、今のコンビニ状態イギリスの場合、コーヒーハウスは、暇つぶしの場所ではなかった文化・政治・経済にわたって情報を交換し、世論を形成する場所だったのだ新聞はもちろん、ジャーナリズム、文芸批評、証券・商品取引なんかはコーヒーハウスでやったパリでもロンドンでも、初期の新聞って、人が喫茶店で読み上げるのを、みんなで聞くものだった新聞は初め聞くものだったそれで、「新読」ではなくて「新聞」だったわけだただ、喫茶店は反体制派のたまり場でもあった1675年には、営業時間や内部での談論内容を規制した【コーヒー・ハウス禁止令】なんかが出されたんだけど、わずか11日で撤回でも、隆盛を極めたイギリスのコーヒー・ハウスも、18世紀中ごろから衰退してしまいます上流階級のクラブと都市下層民のパブにとって代わられてしまったコーヒーに代わって紅茶が国民的飲料となり、おまけに、紅茶が家庭内で飲まれるようになった大地主による支配体制が確立して社会の階層秩序が固定化しちゃったことも関係しているらしいつまり、階層別に、飲みに行く場所が分かれるようになった上流階級はクラブ下層階級はパブおかげで19世紀になると、コーヒーハウスはロンドンからほとんど姿を消してしまいます・・・・・・・・コピペはここまでで、以下は私(alex99)のコメント・解説?英国の地位ある紳士は、自分の「クラブ」という特別な場所に行くので、下賤な(笑)パブなんかには入らないそれに、本当は「クラブ」と「パブ」の昼間に、中産階級が飲みに行く【サルーン】というものが、少し前まではあったのである高級なパブと言うところかなサルーンといっても、パブと同じ棟で営業しているものも多かった中には、入り口は別々だが、中にはいると同じというものもあったらしい(銭湯の、「男湯」と「女湯」も、ぜにこの方式にして欲しい)現在は、このサルーンというのはほとんど姿を消しているから、中産階級もパブに行くようになった英国の階級制でも少々崩壊しかけているのかもしれない上に述べた『クラブ』というものを説明しておこうこれは会員制でロンドンの中心街にある立派な建物の中にある上流階級の紳士達(歴代の首相もかならずどこかのクラブの会員である)が集まって、飲んだり煙草を喫ったり、新聞を読んだり、スチームバスに入ったり、プールで泳いだり、スクォッシュをしたり、ゴルフをしたりして、おまけにこれらの設備がちゃんとそろったところだ中にクリーニング店や郵便局もあるクラブもある要するに上流階級の紳士がうるさい奥さん達から逃れる隠れ家であり、階級社会である英国の上流階級の紳士達が、中流や下流の人間とつきあわなくてもいい場所であり、彼等の情報交換の場でもある英国の政治は、主にここで行われているという実態もある実は私もある事情で、英国最大のRoyal Automobile Club と言うクラブの会員だったことがあるこれは日本の JAF のようなものから発展した『クラブ』である自動車の歴史の初期の自動車のオーナーはお金持ちだから、クラブの中でも最大のものになったただし、クラブの中での地位はそこそこもっと特権階級だけのクラブがあるロンドンで、この各クラブを写真入りで詳しく紹介した大型本を買ったのだが、どこにいったかな?私はもう、英国に行くことも無くなったので会費を納めるのももったいないようで数年前退会してしまったそのクラブの中の様子は、一度日記にしてみようと思う □□□□□□□□知の巨人、松岡正剛氏が「千夜千冊」で、「コーヒー・ハウス」(小林章夫著)という本を紹介しているコピペのまたコピペをしてみよう ―――― ◇ ―――― コーヒーハウスは、まず、1)イギリスの都市の構造と風土が生んだクラブ文化であるすでにトルコに「コファ・ハウス」というものがあったが、そのどろどろの飲み物を薄め、2階建ての2階にのみ客を入れた女は出入り禁止、すなわち(2)「紳士」をつくった場所でもあった またコーヒーハウスは、(3)ジャーナルの発生の場であって、(4)広告が誕生していった場であった実はジョナサン・スウィフトやダニエル・デフォーが常連で「タトラー」「スペクテイター」「エグザミナー」などのパンフレット・ジャーナルをしょっちゅう書いていたのだから、コーヒーハウスは小説誕生の場とも言いたいが、小説にはいろいろな出自があるので(説教僧とか歴史語りとか)、そこまでは自慢できないただし、小説が「ノヴェル」という「新奇なもの」という意味をもつという点でいえば、コーヒーハウスはまさに"ニュースな場所"だっただから広告も生まれたペスト予防薬や赤面恐怖症特効薬や探検隊募集の広告は、みんなコーヒーハウス育ちである それからコーヒーハウスからは、(5)政党が生まれ、(6)会社が生まれた 政党はまさにコーヒーハウスごとに党派が結成されたといってよく、その代表がトーリー党のオズィング・コーヒーハウスとホイッグ党のセントジェームズ・コーヒーハウスだった会社という形態はロイズ・コーヒーハウスが先駆者で、ロイズ保険はここが溜り場である まだ、あるコーヒーハウスは(7)犯罪の巣窟で、喫煙所で、ギャンブルの発生装置でもあったフリーメーソンのような秘密結社もここから派生したといっていいつまり、これが最も重要なところだろうが、コーヒーハウスはようするに、(8)クラブ社会をつくったのだった クラブについてはここで紹介するとキリがないので詳しくは本書などを見てもらうことにするが、たとえばウォルター・ローリーの「マーメイド・クラブ」、ベン・ジョンソンの「アポロ・クラブ」、ジョナサン・スウィフトやアレキサンダー・ポープが屯した「スクリブリラス・クラブ」などは超有名で、そのほか太っちょが慰めあう「肥満クラブ」から怪しげな「骸骨クラブ」まで、まあ、ありとあらゆるクラブがコーヒーハウスを巣窟としてつくられた ―――― ◇ ―――― □□□□□□□□某サイトのコピペは以上で終わりただし、本当は、コーヒーハウスは、トルコからフランスへ直接渡ったものでは無いという立場の説もある1683年、当時の欧州の中心であるウィーンは、オスマントルコによって包囲され、陥落寸前だったが、神聖ローマ皇帝レオポルト1世の求めに応じて、ポーランド王、ヤン・ソビエスキが軍隊を率いてかけつけ、トルコ軍を粉砕、全ヨーロッパのキリスト教世界を救った ―――― ◇ ――――ただし、ヨーロッパの危機は、歴史上にもう一度あるイベリア半島を支配していたムーア人(マグレブのアラブ人)がピレネー山脈を越えて、フランスに攻め入った時だあるサイトではこう説明されている・・・・・・・・■7~8世紀 サラセン人と闇の時代(Sarasins et Periode d'ombre)ローマ帝国の支配が弱まってきた頃、イベリア半島からサラセン人(SARRASINS)が地中海沿岸全域に侵攻して、フランス全土を1世紀に渡り占領していました「サラセン人」とは、これ以降18世紀まで、アラブ人(ARABES)、ベルベル人(BERBERES)、ムーア人(MAURES)、トルコ人(TURCS)といった、フランス国土を侵略したイスラム教徒の総称として使われるようになりました711年、イベリア半島の西ゴート王国を征服したイスラム帝国(ウマイア朝)がピレネー山脈を超え、フランク国内に侵入732年、トゥール・ポワティエ間の戦いでフランク宮宰シャルル・マーテル(CHARLE-MARTEL,688?~741)がこれを撃破しますこの敗戦によりサラセン人はフランス南東部まで撤退サントロペ(St Tropez)近郊の山に立てこもり、周辺のプロヴァンスを侵略しましたそのため土地の者たちは、エズ(EZE)やヴァンス(VENCE)といった、攻めにくく守りやすい山岳部頂上付近に、いわゆる「鷹の巣 村(VILLAGES PERCHES)」をつくり、堅固な塀で囲んで要塞化しました・・・・・・・・このポワティエはガリア・ローマ時代の時代からパリとボルドーを結ぶ都市として栄えた古都であって、732年にフランク国王カール・マルテル(シャルル・マルテル)がイスラム教徒を破った『トゥール・ポワティエの戦い』の舞台として、また百年戦争の最中の『ポワティエの戦い』の舞台として歴史にその名を刻んでいる■トゥール・ポワティエ間の戦い出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』今となっては旧聞の話になってしまったが、フランスが、日本製のビデオデッキの輸入禁止を試みたことがあるしかし表だっての「禁止」ではないフランス人らしいいやらしい(失礼)やり方である日本製ビデオデッキの輸入通関を、上に述べたポワティエという町の小さな税関での通関に限ったのである輸入通関というものは、海港か空港か、または国境の税関でやるものだが、内陸部のそれも少人数の税関職員しかいないポワティエでの通関に限るなど、いやらしさがすごいさすがにフランス人であるしかし、内陸部の都市はいくらでもあるのに、なぜポワティエを指定したのか?日本人をサラセンというイスラム教徒の「野蛮人」(とフランス人は考えたようだが、当時の文化度はサラセン人の方がずっと上である)に例えて、東洋からの「野蛮人」の攻勢を食い止めようというフランス人の人種偏見がもろに見えるやり方であるさすがにフランス人である(笑) □□□□□□□□この二つの戦いでキリスト教・ヨーロッパ勢が敗北していたなら、今頃ヨーロッパは、イスラムの領土になっていたのだろうと私は想像するとすれば、今の世界はイスラム化してしまっていたかも知れない □□□□□□□□で、最後は、「コーヒー」で話を締めなければいけないウィーンを包囲していたオスマントルコ軍を打ち破ったポーランド軍そのポーランド軍の一兵士が、トルコ兵が残していったコーヒー豆を使って、欧州で最初の「コーヒーハウス」を開いたというそれに、ウィーンのパン屋が、戦勝記念にと、憎っくき「トルコ」の国旗の「三日月」をかたどったパンを焼いたのが、「クロワッサン」の始まりだとか
2008.10.21
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ホームレスの人へ冬の衣類を・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・つい先日、『物欲』おおび『モノ地獄』の事について書いたばかりだが、私はかなりの衣装持ちであったその原因だが、ひとつは私は、商社マン時代、酷暑の中東から厳寒の東欧まで海外出張や駐在で動き回ったので、酷暑用から厳寒用まで衣類の幅、というかバラエティーがある欧州での服装は、ふつう、ロンドンのアクアスキュータムで既製品を買ったが、それだけではない酷暑用のサファリ・スーツや、砂漠の地方の気候や土・砂の色に合う明るい色のスーツ、それにサンダル類など厳寒用の羊の毛皮のコートから、革製のトレンチコート、同じく革製のステンカラーのコート、手袋、マフラーなどなど2つ目の原因私は日本人としては大柄である私の若い頃には洋服や靴のサイズにあまり巾が無くて、私など私のサイズの服や靴を買うのに結構苦労をしたそれがトラウマになっていて、衣類や靴をやたらに買い込む悪癖があって、なおさら衣類が多くなったのである ―――― ◇ ――――しかし、私はもう会社勤めをしていないから、これらの衣類を着用することもほとんど無いたまの冠婚葬祭や、妹夫婦がアメリカから来日した時ぐらいに恥ずかしくない服装をひとそろいもっていればいいそれで、大半は処分したホームレスの人々へ贈ったのであるアクアスキュータムやバーバリーのセーター・ブレザーやコート、それに靴なども贈った私のサイズだから、少々大きすぎたかも知れない大阪に愛隣地区という労働者街がある旧地名は有名な釜ヶ崎であるじゃりんこチエちゃんの地元であるここにはホームレスの労働者諸君が多く住んでいるホームレスなのに「住んでいる」と書くのは矛盾しているが、「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊設備や、段ボールで構築した豪邸(笑)や野宿であるこういうホームレスの人たちは、冬の野宿で凍死する人が少なくない私は数年前から、冬になるとこの人たちに私の衣類や靴、それに使用しなくなった古い寝袋、毛布などを贈ってきたおかげで私も『モノ地獄』からかなり解放された私はこういうことを海外でもやっていた東欧で麻薬中毒になった人々を支援している団体があった空き家になった住宅にそういう人たちを収容して面倒を見ている団体であるその団体の事務所に何度か衣類を贈った印象的だったのは、たまたま私が大工道具類を持って行ったら、その元麻薬中毒者たちが「こういうものが一番ありがたい」と言っていたことである彼らは空き家に住んでいるのだが、その空き家は空き家だけにボロボロで修繕しなければいけないしかし、修繕する大工道具が無くて困っていたというのであるもうすぐまた、冬が来るみなさんも、モノ地獄に陥っているのなら余ったものを贈ってあげて下さい凍死者も一枚の毛布や寝袋で救われるペットにブランドものの服を着せるなどの愚行がざらな現代だが、人間なのに凍死とはあんまりではないか?せめて『人間』には、最低の尊厳を与えてあげて欲しい ―――― ◇ ――――ホームレスへの寄付先ですが大阪での例を書きます大阪なら、この二つのオプションがあります1) NPO 釜ヶ崎支援機構http://www.npokama.org/住所や電話番号はこのHPを見て下さい釜ヶ崎は旧地名で、現在は愛隣地区と改名されています東京の山谷とおなじような地区ですこの団体はホームレスを支援している団体です2) 大阪府警西成署愛隣地区は西成区にあり、西成署でも受け付けているそうです私はNPOの方に送っています同志と思われてか?会報が送られてきます(笑)
2008.10.19
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□ ダブルタイマー 長時間タイマー・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・アフェリエイトではないが、今日は買い物の話である□ ダブルタイマー 長時間タイマー私は時間に敏感である敏感だから、予定があると気にかかるイライラするそんなときに役立つのがタイマーである私は通販で買ったのだが、こ~ゆ~ものを買うのは私ぐらいかも知れない以前から私はタイマーというものに興味があった目覚まし時計もタイマーの一種だが、こ~ゆ~ものを日常、持ち運ぶ訳にもゆかないできればタイマー付きの、それも複数のタイマーがついている腕時計が欲しい以前から私は通販雑誌などでタイマー付き腕時計をさがしていたタイマー付きと言えば、ディジタル腕時計、特にダイバーズ・ウォッチには必ずついているのだが、ディジタルのタイマーのセットはややこしくて、必要以上に面倒である実用レベルではないやはりデジタルな、目覚まし時計のようなアナログで、針を回せばOKというのがいい ―――― ◇ ――――同じようにディジタルでは面倒なものに、スケジュール表があるパソコンでスケジュール管理をしてみたがとても使いにくい設定が面倒なのであるスケジュール管理はやはりアナログの手帳にかぎるのであるこれはみなさんも経験済みだろうと思う予定をペンでさっと書き込めば、それで終わりそれに一覧性もいいペラッとページをめくればいいだけであるそれに手帳はポケットに入れておけばいつでも見る事ができるどこでも見る事ができるパソコンのある場所でしか一覧できないと言う不便さが無いまた、重いパソコンを持ち運ぶ必要も無いやっぱり紙が一番である ―――― ◇ ――――ケータイのタイマー機能は日時分を設定するものだが、今から10分後という設定はできないこれも実用ではないタイマーと予定管理はアナログに限るのである一度、アナログタイマー腕時計でいいものを見つけたことがあるしかしそれは、歴代の米大統領が愛用したという米国製のもので、非常に高価だったのであきらめた数年前、タイメックスのタイマー付きの腕時計を買った一万円ぐらいの安い値段だし、第一これはアナログだった針を回せばセットできる喜んで使っていたがすぐ故障した ―――― ◇ ――――今回買った「ダブル・タイマー」と「ロングタイマー」薄い電卓のような形である○ ダブルタイマーの方はダブルというだけあって、二つの時間が設定できるしかも一般的なタイマーより設定がめっちゃ簡単であるなぜなら 10分単位のキー 一分単位のキーがあるからである例えば、35分後に鳴らしたかったら、10分単位のキーを三回1分単位のキーを五回押せばいい一分単位のキーを三十五回押すタイマーとは雲泥の差である○ ロングタイマーは、100時間先の時刻までセットできる正確に言えば99時間59分59秒先であるつまり四日以上先の時刻までセットできるというのはすごいこれらのタイマーをどういう状況で使うのか?もちろん、キッチンタイマーとしても使えるしかし、便利なのは旅行において、である出発時にタクシーが迎えに来る時間のちょっと前、つまり自宅を出る時間のさらにちょっと前にセットしておくリムジンバスに乗ったら、空港への到着10分前にセットしておくこれで安心して眠れるチェックインしたら搭乗時間の少し前にセットするこれで安心して免税店で買い物ができるただし、免税店で高価な化粧品や腕時計などを見ている女性はタイマーが鳴っても動かない(涙)搭乗したら飛行時間から20分引いた時間を長時間タイマーでセットするこれで安心して眠れるホテルに着いたら目覚まし時計かロングタイマーをセットするこれで安心して眠れるツアー旅行の場合にダブルタイマーが役立つツアーではいろんな場所を見学したり、買い物したりと忙しいバスから降りて見学のあと集合の時間をおぼえていなければならないその時、集合時間をセットしておけば安心して眠る事ができるいや、眠ってはいけない見学や買い物をするこの集合時間というのはついつい忘れてしまいがちであるだから心配であるセットしておけば安心であるテレビの見たい番組だが録画する予定の無いも、または同時性を重視して録画ではダメで放映画面を見たい番組(重要なスポーツ番組)などはロングタイマーをセットするこれで安心である以前、欧州で避暑地からの帰りの夜行列車で到着時間に併せてタイマーをかけたが、間違った駅で降りてしまって困った事があった欧州では大都市の駅というのが一つだけではない場合が多い例えばパリなら東駅をはじめいろいろロンドンでも同様であるユーストン駅・キングズクロス駅・ウォーターロー駅・ヴィクトリア駅・セント・パンクラス・インターナショナル駅・パディントン駅・チャリングクロス駅・ロンドンブリッジ駅とある日本人なら一つの駅に統一すればと思うだろうが、もともとはちがった路線だったのだから、駅がちがうのは当然なのである ―――― ◇ ――――こ~ゆ~風にタイマーは実に役立つのであるキーワードは『安心』だろうと思う私は時間を気にするのがだいきらいなのであるセットしておけば時間を気にしなくてもいい忘れることができる安心することができる
2008.10.18
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金融業というものは嫌われているようである一連のサブプライム問題で大証券会社・大銀行が揺らいでいるが同情の声は少ないまあ、はっきり言ってしまえば「無い!」と言ってもいいただ、自分たちの実体経済への悪影響を懸念するばかりで、「日頃、右から左へ金を動かすだけで巨額の浮利」を稼ぐ奴らだから、ざまを見ろ・・・というムードであるやはり農業だとか工業だとか、「額に汗する」産業が評価される特に、その性、質朴な日本人には心情的にはわかるんだけれど ―――― ◇ ――――江戸時代の日本では商業階級の商人が卑しめられて士農工商の最下層江戸時代の経済観では商業の機能が理解されていなかったしかし、大名たちもまさか自給自足だけで事足りると思っていた訳ではないちょっと気の利いた大名・藩は交易に有利な名産品を育成したり、秘かに荷抜け(外国との密貿易)したりして藩の財政を守った密貿易はかなりの藩がやっていたようだが、中でも長州藩・薩摩藩・浜田藩などが有名である加賀藩では銭屋五兵衛が有名であるが、彼が本当に外国と密貿易を行っていたかどうかは確かではない ―――― ◇ ――――しかし実は私の父方の祖父の家もそれに似たことをしていたらしい父方の祖母は加賀藩の藩士の娘だが父方の祖父は平民であるただし、昔は相当の地主で、塩田も持ち、屋号もあり、平素は他人の土地を踏んでて歩くことはなかったほどだったのだと父はいうまた北前船の船隊の持ち主でもあり、日本海交易を行っていたという外国との密貿易をしていたかどうかまでは語っていない北前船交易の名残で、家にはアイヌ民族の衣装などが置いてあったというから北海道までも交易範囲だったのだろうただし、ある時、暴風雨が日本海沿海を襲い、北前船艦隊が沈没して一家の没落が始まったのだというどこかで聞いたような話だ「ベニスの商人」かな?それに日本海沿岸は海岸への海の浸食が激しく、旧家跡は今ははるか日本海の海中に没しているという「○○家(父方の祖父の家である)の人間は、もとはと言えばこの土地の人間ではなかった 源氏の落ち武者が先祖だ われわれの顔はあの土地の人間の顔ではない」父はときおり、こういう事(言い伝え?)を言っていた平家の落ち武者というのはよく聞く話だが、源氏の落ち武者とは寡聞にして聞かないしかし、源平共に相争った訳だから、合戦の結果で源氏の落ち武者がいても不思議では無いただし、『平家の落ち武者』という話も、みな「自称」だからどこまで信用できる話かわからないしかしそういえば、祖父の家系は全員、面長で鼻が高く、顔色も青白いほどで、削ぎ立ったような彫りの深い顔立ちをしているとても田舎者には見えない立ち振る舞いも優雅、沈着冷静で、なりわいも大学教授や学者が多い家紋も源氏の家紋である笹竜胆(ささりんどう)であるもしかすると、源氏の落ち武者というのも本当かも知れない(いつか話があったが tak-shonai さんの家紋も笹竜胆であるという)私の外国を渡り歩くという異常性格(笑)も、このような先祖のDNAなのかも知れないいつかもっと調べてみたいと思う平家の落ち武者部落と言い伝えられる部落は全国にいろいろあるが、有名なところでは九州、宮崎県の椎葉村である椎葉村出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』稗つき節に唄われる那須大八郎と鶴富姫伝説が有名である戦後すぐにここで上椎葉ダムが電力不足を補うために作られたが、その工事に携わった技術者に話を聞いたことがある椎葉村は今でも秘境と表現されるが、その当時はまさに秘境も秘境、人がこのような土地に入ってくれるものかと思ったほどだったという逆に言えば、落人伝説が本当であれば、そのような土地だからこそ源氏の追っ手から逃げ延びることができたのだろう ―――― ◇ ――――いつものことだが、書いている内に、商業・商人の話がいつのまにか落人部落の話になった話をすすめてみよう欧州では土地の保有を禁じられたユダヤ人が当時はいわばニッチ産業だった金融に活路を求めた金を貸す代わりに担保を取ったり、金利をとったりしたしかしやはり卑しめられたシェークスピアの「ベニスの商人」にその差別と軽蔑が生々しく描かれているまた、ポーランドの巨匠、アンジェイ・ワイダ(ポーランド語ではヴァイダ)監督の映画「約束の土地」でも、貧しく実直なポーランドの農夫と対比されているのは、ドイツの植民資本家とユダヤ人の金融業者である特にユダヤ人は意識的にか?金銭に任せて享楽に溺れる醜い姿に描写されている共産党体制に対して、芸術の分野で果敢に反抗したワイダにして、やはりこのような視点があるのである ―――― ◇ ――――以前にも書いたがロマ(以前はジプシー)と呼ばれる流浪の人々は、その出自をたどればインドのある村だというロマの人がその村を訪問して、おのおのの言葉で会話をしてみたら、驚いたことに70%が相互に通じたという彼らがその村を出て、すでに千年以上経っているものと思われるが、彼らは幾多の国や民族と接触しながらも、その母語をほとんど失っていなかったのだところで、このロマの人々の生業も、いろいろある鍋釜の修理や、ジプシーヴァイオリンの音楽家や、スペインのアンダルシアのフラメンコ集団この当時のまともな庶民とは第一次産業、つまり農業の従事者だったり、家内工業の労働者しかし、定住も土地の保有も認められない荷馬車に乗って流浪するロマの人々には、こんな職業しか残されていなかったのである ―――― ◇ ――――現代日本でもちょっと前には、商社が悪者視されたこれは我が身だから(笑)よく覚えている「買い占め」がけしからんと言う理屈であるしかし、商社は売買差で生きている努力して寡少な物品を買い集め、その時の市場価格で売って何が悪い?というのが商社が私の言い分である商売というのは利益が上がるばかりの商売ではない慈善事業でもないし・・・以前の商社というのは基本的に貿易の売買差やメーカーの輸出の協力口銭で生きていたこれがどうも楽な商売に見えるらしい(笑)私の経験からすれば、総合商社と言えばスケール的には大会社の範疇に入るのだが、実にどの方面に対しても、四方八方に『腰を低くして』生きて行かなければならない悲惨な(笑)生業である国内のメーカーはもとより、外国のバイヤーに対しても「ご機嫌を損じないように」対応しなければならないモノを生産していない引け目なのかも知れない(笑)が、「どうせサービスを売る卑しい(笑)業種だから・・・」と言う目で見られていたのであるう 特に私のビジネスであるプラント輸出などの分野ではメーカーというのが「財閥系重工メーカー」という「お偉いさん」だから威張られ放題であるそれに昔は、商社の輸出部門の新入社員の仕事と言えば、通産省の窓口で「輸出承認証 EXPORT LICENCE」を提出して許可をもらうことだったこの通産省の窓口が「これはカースト制ではないか?」と疑問を持つほど、上下関係の激しいところだった私たちは文字通り『腰を低くして』ペコペコしまくってようやくライセンスをもらうのである商社マンと言えば、かっこよくて、給料が高くて、外国に行けて楽な商売だと思う人が多いだろうが、現実はこんなものである (>_
2008.10.17
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北朝鮮「テロ支援国」指定解除・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・この【テロ支援国】という形容はおかしいと思う北朝鮮のテロのほとんどは、将軍様、金正日の直接の指令によって行われたことである下記3件に限っても明白である○ 北朝鮮による日本人拉致問題出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』○ ラングーン事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)○ 大韓航空機爆破事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』であれば「テロ支援国」などではなく、「国家ごとのテロ実行国」または「テロ主犯国」であるはずである ―――― ◇ ――――まあ、言葉尻をとらえることはこれぐらいにして、これでいよいよ「米国の正体見たり」というところである日米安保の実効性・信頼性に大きな疑問が生まれた日本が核ミサイルの脅威にさらされるのを米国は甘受したのである「日米安保もいつまでもあると思うな」・・・とは、今までも私がここで書いてきたことだが ―――― ◇ ――――米国のアフガンやイラクへの侵略は自国の利益確保の目的があってのことである具体的に言えば石油資源の確保とドル防衛である米国から石油を取り上げれば、そこにはただ大きな国があるだけであるもちろん、現代文明の中でどの国であろうと、石油が無ければ半身不随になる半身不随のままですめばいいが、実際には寝たきりになり、やがては廃人同様になるだろう石油は現代社会の血液だからであるしかし、米国の石油依存は特にひどいもともと石油資源から大国へのし上がった国であるせきガソリンで動く自動車による自動車社会をいち早く実現した国である米国で住んだ経験から言うと、米国人は車無しでは生きていけない日本のような鉄道網が発達しているわけではない私は日本では車を持ったことがないが、米国ではそうは行かない通勤通学・買い物までもすべて車であるそんな国が石油資源確保に血眼になるのも当然である国家とは国民の安全確保が第一の機能だからである国際平和だとか、国家間の信義とか、そんなものはクソ食らえである ―――― ◇ ――――ついでに言えば、これからの世界は、生き残りのための血みどろの世界になる人口の限界的な増加によって、「有限」なる資源がついにその「有限性」を露わにしたからである人口が爆発的に増加する一方で、資源は有限となれば、争奪戦になる石油にとどまらず、水資源、エネルギー資源、鉱物資源、食糧資源、水産物資源・・・汚染されないきれいな空気それでさえ資源になるこれらのものの国境を越えた争奪戦、具体的には戦争になるこれは確実であるいくら市民団体や平和主義者さんたちが平和をさけぼうとも、人口の爆発が止まらない限り、資源の手当が付かない限り、戦争は不可避である第一、あなたがただって、あなたと家族が餓死寸前なら食べ物を盗みもするだろうし、人とケンカしてまで食料や水を奪い合うだろう私自身は残念ながら多分そうせざるを得ないだろうと思う現状、人を殺すかどうかまでは思いが至らないが過去の日本の(日本に限らないが)飢餓においては、子供を売り、肉親をも食べたという例がいくらでもある ―――― ◇ ――――日米安保に話を戻すが、今回、テロ指定の解除の見返りに核開発が停止されても(ぞの検証も玉虫色で、とても信用できるような代物では無いが)、ハッキリしていることは北朝鮮のすでに製造されたと見られる核兵器が手つかずで残されたままということである地下に隠されている長距離ミサイル基地も手つかずである未調査の核施設の検査に対して北朝鮮は拒否権を持っているからこれも手つかずであるそもそテロ指定は大韓航空機撃墜事件の翌年に発令されたものであるこの事件に対して北朝鮮はリビアのように謝罪し賠償したか?ただ、否定したままであるしかし米国は制裁を解除したこのままミサイルの改良がさらにすすめば、日本は北朝鮮の核攻撃の脅威にさらされるそれは単に時間の問題であるそれを否定する人はいまいなにより米国自体がこの状況を熟知している米国は今回の処置で、北朝鮮を事実上、「核保有国」として承認したことになる ―――― ◇ ――――もし、核保有国と米国にも承認された北朝鮮の核ミサイルによって、日本の東京をはじめとする大都市が攻撃されれば、世界経済は壊滅に近い被害を受ける米国もそのことはわかっているしかし、それでもブッシュ政権は解除したイスラム諸国との対立をはじめ、歴史上、これ以上の外交上の失政を犯した最悪政権は考えられないと思うこの頃のブッシュの顔をテレビで観て、悪魔に似てきたという印象を持つ人は多いだろう耳が大きいだけではない ―――― ◇ ――――金正日が病床にいるというさらには本人はとっくに死亡していて、ときどき現れる金正日は二・三人いる影武者であるというもしそうなら、今回は影武者が倒れたということになるもう、影武者のスペアは無いのだろうか?(笑)もし金正日がすでに死亡しているとすれば、北朝鮮は事実上、これまで集団指導性で来たことになるしかしこの状況で暴走する危険性があるという軍部がこれからも自己コントロールできるのだろうか? ―――― ◇ ――――現状は日本にとって、『国家存亡の危機』なのであるそれをどれぐらいの日本人が理解しているだろうか? ―――― ◇ ――――ブッシュはそれを重々承知の上で、解除に走った米国史上最低の大統領との評価を少しでも上げたいというあせりであるしかし、これ以上何をしようと「最低・最悪」との評価は変わりようがないのだが日米安保の根幹である『日本の安全』は無視されたのである米国もアフガン・イラクで手一杯なことは事実だが、やはり日本の安全は切り捨てられたと見ていい ―――― ◇ ――――>テレビ朝日の番組で、共産党の小池晃政策委員長は「朝鮮半島の非核化が前進することを強く期待する」と表明。>また、同党は志位和夫委員長談話を発表し、「(核問題の進展は)拉致問題の進展も促す新しい条件となり得る」との認識を示した。相変わらず共産党は売国奴である朝鮮半島の非核化とは反対方向に進んだ今回の解除をこう評価するのである蟹工船などに惑わされて入党してはいけない拉致問題を「あり得ないこと」と否定し、北朝鮮共産党の「友党」だった社民党はどう思っているのだろうか?赤飯でも炊いているのだろうか? ―――― ◇ ――――北朝鮮の巧みな戦術は参考になる日本もいつまでも日米安保に安住していられないことがはっきりした日本単独での防衛体制を構築しなければならない核装備も視野に入れなければいけない中国・韓国・北朝鮮・台湾これらの国はすべて日本にとっての『仮想敵国』である向こう側(中国・韓国・北朝鮮・台湾)もそういう設定をしている中国・北朝鮮に至っては現在においてもミサイルの照準を日本にセットしているこれは軍事関係者ならだれでも知っている事実である例えこの近隣諸国との紛争が私の杞憂であったとしても、私が上記で書いたように、近未来ではかならず世界的な資源戦争に突入する歴史というものは、過去に習い、人間性に習い、巨視的に見なければ「必然的な流れ」が見えない
2008.10.14
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北朝鮮のテロ支援国指定解除・・・・・・・・・・・・・・・このテロ支援国という形容はおかしいと思う北朝鮮のテロのほとんどは、金正日の直接の指令によって行われたことである下記3件に限っても明白である○ 北朝鮮による日本人拉致問題出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』○ ラングーン事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』○ 大韓航空機爆破事件出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』だから「テロ支援国」などではなく、「テロ実行国」「テロ主犯国」なのである ―――― ◇ ――――まあ、言葉尻をとらえることはこれぐらいにして、これでいよいよ「米国の正体見たり」というところである日米安保の実効性・信頼性に大きな疑問が生まれた(「日米安保もいつまでもあると思うな」・・・とは、今までも私がここで書いてきたことだが)注 : いつまでもあると思うな親と金・・・というのも真実である (涙)米国のアフガンやイラクへの侵略は自国の利益確保の目的があってのことである具体的に言えば石油資源の確保とドル防衛である米国から石油を取り上げれば、そこにはただ脆弱な大きな国があるだけであるもちろん、現代文明の中でどの国であろうと、石油が無ければ半身不随になる半身不随のままですめばいいが、実際には寝たきりになり、やがては廃人同様になるだろう石油は現代社会の血液だからであるしかし、米国の石油依存は特にひどいもともと石油資源から大国へのし上がった国であるせきガソリンで動く自動車による自動車社会をいち早く実現した国である米国で住んだ経験から言うと、米国人は車無しでは生きていけない日本のような鉄道網が発達しているわけではない私は日本では車を持ったことがないが、米国ではそうは行かない通勤通学・買い物までもすべて車であるそんな国が石油資源確保に血眼になるのも当然である国家とは国民の安全確保が第一の機能だからである国際平和だとか、国家間の信義とか、そんなものはクソ食らえであるついでに言えば、これからの社会は生き残りのための血みどろの世界になる人口の限界的な増加によって、「有限」なる資源がついにその「有限性」を露わにしたからである人うが口は爆発的に増加する一方、資源は有限となれば、争奪戦になる石油にとどまらず、水資源、エネルギー資源、鉱物資源、食糧資源、水産物資源・・・汚染されないきれいな空気それでさえ資源になるこれらのものの国境を越えた争奪戦、具体的には戦争になるこれは確実であるだから、いくら市民団体や平和主義者さんたちが平和をさけぼうとも、人口の爆発が止まらない限り、資源の手当が付かない限り、戦争は不可避である第一、あなただって、あなたと家族が餓死寸前なら食べ物を盗みもするだろうし、人とケンカしてまで食料や水を奪い合うだろう私はそうするだろうと思う現状、人を殺すかどうかまでは思いが至らないが過去の日本の(日本に限らないが)飢餓においては肉親をも食べたという例がいくらでもある ―――― ◇ ――――日米安保に話を戻すが、今回、テロ指定の解除の見返りに核開発が停止されても(検証も玉虫色でとても信用できないが)、北朝鮮のすでに製造されたと見られる核兵器は手つかずで残されたままである地下基地のミサイルも手つかずであるこのままミサイルの改良がさらにすすめば、日本は北朝鮮の核攻撃の脅威にさらされるそれは単に時間の問題であるそれを否定する人はいまいなにより米国自体がこの状況を熟知している米国は今回の処置で、北朝鮮を事実上、「核保有国」として承認したことになる ―――― ◇ ――――金正日が病床にいるというさらには本人はとっくに死亡していて、ときどき現れる金正日は二・三人いる影武者であるというもしそうなら、今回は影武者が倒れたということになるとすれば北朝鮮は事実上、集団指導性でいままで来たことになるしかしこの状況で暴走する危険性があるという軍部をコントロールできるのだろうか? ―――― ◇ ――――現状は日本にとって、国家存亡の危機なのであるそれをどれぐらいの日本人が理解しているだろうか?ブッシュはそれを重々承知の上で、解除に走った米国史上最低の大統領との評価を少しでも上げたいというあせりであるしかし、これ以上何をしようと「最低・最悪」との評価は変わりようがないのだが日米安保の根幹である「日本の安全」は無視されたのである米国もアフガン・イラクで手一杯なことは事実だが、やはり日本の安全は切り捨てられたと見ていい ―――― ◇ ――――>テレビ朝日の番組で、共産党の小池晃政策委員長は「朝鮮半島の非核化が前進することを強く期待する」と表明。>また、同党は志位和夫委員長談話を発表し、「(核問題の進展は)拉致問題の進展も促す新しい条件となり得る」との認識を示した。相変わらず共産党は売国奴である蟹工船などに惑わされて入党してはいけない拉致問題をあり得ないことと否定し、北朝鮮共産党の友党だった社民党はどう思っているのだろうか?赤飯でも炊いているのだろうか? ―――― ◇ ――――日本もいつまでも日米安保に安住していられないことがはっきりした日本単独での防衛体制を構築しなければならない核装備も視野に入れなければいけない何しろ、隣国の中国・北朝鮮が核とミサイルの保有国なのである核保有国倶楽部に首尾よく入会した北朝鮮の巧みな戦術は参考になる中国・韓国・北朝鮮・台湾これらの国はすべて日本にとっての仮想敵国である向こう側もそういう設定をしている中国・北朝鮮に至っては現在においてもミサイルの照準を日本にセットしているこれは軍事関係者ならだれでも知っている事実であるさらに、私が上記で書いたように、近未来ではかならず資源戦争に突入する好き嫌いの問題ではなく、新型インフルエンザ対策と同様、準備が必須である
2008.10.13
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『ベトナム ベトナム戦争の想い出』カテゴリー新設・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・今まで気がつかなかったのだが(ふつう気がつかないと思うが)、日記を仕分けするカテゴリーが「50」まで増やすことができるようになっているのを発見したカテゴリーの数が少なくて不便だな~と思って、念のために調べてみたら、そうなっていたのだ以前はたしか10カテゴリーしか設定できなかったので、ずいぶん無理をして限定されたカテゴリーに日記を押し込めてきた特に、私が一番思い入れのある『ベトナム ベトナム戦争の想い出』シリーズも今まで(心ならずも)「外国での想い出」と言うカテゴリーの中に入れていたしかし、カテゴリーは50まで設定可能なら話は違ってくるさっそく、ベトナム・シリーズを新設の『ベトナム ベトナム戦争の想い出』と言う新カテゴリーに入れた物好きな方は、この日記の右の「サイド」にある『カテゴリー』欄から、『ベトナム ベトナム戦争の想い出』カテゴリーをクリックして読んでいただければ、私としてはこれ以上、うれしいことはないなお、このカテゴリーに、新しくどうしても追加しなければならない事があるそのうちに決心して書いてみようまた「イギリス 英国 英語」カテゴリーや、「東欧 東欧の想い出」、それに「中東 中東の想い出」「映画 洋画 邦画 女優」カテゴリーを新設したが、まだ以前のカテゴリーからの引っ越しを開始していないそのうちに・・・と思っている
2008.10.13
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私のカメラ歴・・・・・・・・私の趣味のひとつにカメラがある特に若い会社員時代には海外出張にカメラを二台も持参したほど撮影する事が面白かった第一、海外の珍しい情景・風景は絶好の被写体でもあった結局、カメラはコンパクトカメラも含めれば十数台ほど、一眼レフカメラ用のレンズもおおよそ、それぐらいの数を持っていたと思うそのほとんどは今私の手元には無い散逸の理由はいろいろである人にあげたのが多い父に1台(NIKON EM)義弟に3台(NIKON F3、NIKON EL、NIKON F2 )親戚のおじさんに1台(NIKON EL)ガールフレンドに1台(NIKON F2)私は人にモノをあげるのが好きなのであるそれから旅行先で人に預けたら(2台持っているのなら重いだろう 私が1台持って帰ってやると無理に持って行った NIKON F2)インドの税関で役人に盗られたという(本当か?と今でも腹が立つ)のが1台銀座の東京堂で買って、そのあと東京堂に売ったのが1台(オリンパスペンF)どこに行ったのか?行方不明なもの(PENTAX AUTO 110、MINOLTAのコンパクトカメラ、KODAK 110、POLAROID )行方不明のカメラも、これはコンパクトカメラが主だが、多い今残っているカメラはPENTAX AUTO 110、NIKON EM、MINOX 35・・・だけであるただし、NIKONのレンズはかなり残っているそれに世界最小の一眼レフ PENTAX AUTO 110 とレンズ群とアクセサリーがあるこれらは、そのうち中古カメラとして売却しようと思う残念ながら、老眼でもうMF(手動合焦)のカメラは使いづらいから売るのであるそれに老眼だけならAF(自動焦点)のレンズを使えばいいのだが、フィルムカメラの時代はもう終わっていてフィルムの購入・現像が不自由になっているとにかく、たくさんのカメラを持っていたものだと、自分で思うその発端となったのはアメリカ人のガールフレンドである日本での私の最初のガールフレンドだと思う(多分) ~~続く~~
2008.10.13
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なぜ余はこのように重装備派になってしまったのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・昨日の日記にもらったコメントは、みんな身軽・軽装備派の人からのものである小さなトランクひとつで出発するという、実に「軽率」な、「人生をなめきった」としか思えない!!人たちであるいったい、こ~ゆ~人たちに「想像力」とか「危険予知能力」と言うものがそなわっているのであろうか?万が一、何かが起こったら、それに対処可能な装備を持っているのであろうか?そ~ゆ~非常事態になると人に頼る事になるこ~ゆ~人たちはキット、依存心の強い人たちである同時に責任感の薄い人たちである基本的に人間としての資格をそなえているのだろうか?(オイオイ そこまで言うか?) ―――― ◇ ――――私が重装備派・自宅環境持参派になった(なってしまった)(涙)理由などを考えてみたい昨日書いたように、少年時代の私は昔流行した「無銭旅行」というものにあこがれていた無銭旅行というのは、所持金をほとんど持たずに無謀に旅をすることであるやはり人生をなめきったものの考え方である底流に他人の善意というものを期待しているずるがしこい人間の思考である人間というものが生きて行くには、衣食住が必須である特に無銭で旅行をすると言う偉業なのだから、旅先で買い物・調達したりできないのだから、なおさら、装備の大切さが浮かび上がる旅に出る人は、自宅を出発する時点ですでに、この衣食住のうちの「住」を捨てているのであるしかしながら自宅に代わる「雨露をしのぐ」ものが必要となるそこで、本来なら、ふつうのケースでは旅館・ホテルなどに宿泊するのであるが、財政不如意な身の上だからそれもかなわず、野宿したり、駅のベンチで寝たりする訳である野宿となれば、最低限、寝袋ぐらいは用意しなければならない直接地面に寝るのも不適切なのでマットレスも用意したい野宿と言ってもやはりテントぐらいは必要である蚊や虫類にくわれるといやだから、殺虫剤や蚊取り線香も用意したい「衣」も大切である旅の途上で風邪などひいてはいけないから、防寒衣が必要である晴天ばかりではないから、雨具も必要である下着の予備も欲しい「食」も大切である腹一杯食べないと、第一、力が入らない力が入らないと、歩けない歩けないと旅行にならないだから、相当量の食料を用意しなければならない炊事もしなければならないので、石油やガソリンのストーブ・バーナーも必要である食器やナイフ・フォーク・スプーンそれに箸箸置き缶オープナーナプキンのどが渇くから水筒川の水などを汲むから水質も心配であるそこで浄水器も持参する事になる山で熊に出会う事もあるから大型ナイフが必要であるナイフでは立ち向かえないなら、死んだまねをしなければならないが、これだけは装備はいらない夜、一人で野宿していると寂しいから、ラジオや雑誌を用意したい夜読むのであれば、ランプも必要になる旅先で病気になる事も当然、考慮に入れておかなければいけない持病というものがまだ無い年令だから、逆にあらゆる病気の可能性を考えなければいけないとなると、色々の薬を持参しておかなければならない食べ過ぎという事は無銭旅行だから無いとは思うが、好意でごちそうしてくれる人もいるかも知れないから、その時は思い切り食べるつもりだから、胃腸薬も必要である虫さされの薬や傷薬や包帯も必要である野宿といえども身だしなみも大切である最低限、整髪料、歯磨きクリーム、目薬、リップクリーム、オーデコロンも持っていないと人にいやがられるつまり、無銭旅行という都合のいい旅行でも、私はこれだけのもの(実はこれより多いのだが)をリストアップしていたのであるやどかりの旅行のようなもので、なるほど私が放浪旅行に出なかったはずであるこれだけならいいのだが、私は高校時代、山岳部に入った登山というのは中学生時代からのあこがれで、ひとりで近くの箕面の山や六甲山などに登っていたのだがさて山岳部に入ると大変である登山というものは装備が大切なのである十分な装備があってこそ、快適で安全な登山が可能となるのであるそうなると私は、また私の得意技である本から入ったのであるいろんな登山入門書を読みあさって、必要な装備を揃えだしたのである買わなかったのは高校では冬山登山が禁止されていたので、冬山装備ぐらいのものである登山の入門書では、遭難の危険性が説かれている遭難を防ぐには、やはり十分な装備と食料が必要であるそこでまた、詳細な登山装備のリストアップがはじまったさらに・・・である商社に入ってしょっちゅう海外出張となった商談の事情で、極端な場合、急に明日出発ということもあったそういう状況ではパッキングが大変であるそういう事が度重なって私はパソコンでデータベースを作成した私の持ち物のほとんどのものをデータベース化したのであるもちろん海外出張には絶対に持参しない、持参できないものもあるそういうものは省いたが、持参の可能性のあるものはすべてデータベースに投入した例えば、衣類をはじめ文房具・システム手帳・カメラ・テレコなどである衣類も季節別に分けた晩年の(笑)私は酷暑の気候の中東出張がメインだったが、欧州のコンサルタントやメーカーともコンタクトがあったから、寒い欧州向けの衣類も必要になるこの衣類は夏・春秋・冬に分けてあって、それをみれば衣類もすぐに揃える事が可能だった私のこの「万が一」を想定する能力??は意外なところで役に立った私のメイン・ビジネスである中東産油国へのプラント輸出である中東産油国のプラント商談はスケールが大きい数十億円ぐらいから数千億円にもなるプラントそのものも発電所や化学プラント、石油精製プラント、海水淡水化プラントなど膨大な設備になるこういうプラントの入札では通常、重工メーカーや大手のエンジニアリング会社が技術を担当するわれわれ商社は客先やその代理人である英米のコンサルタント会社との折衝を受け持つそれより重要な機能は、各方面からの情報収集と秘密工作であるこの機能についてはあまり詳しい事は書けないのだが、この部分で私の心配性な性格が役立ったあらゆる可能性(いや危険性)を考えていろいろ手を打つのである入札でのライバル企業の入札値段やスペックを探って当方の入札を競争力のあるものにするのであるこういう事もあった通常、中東の大型案件では上に述べた重工メーカーや大手エンジニアリングがプライム、つまり入札・契約の代表者となるしかし、サウジアラビアでの私のいくつかの中東プロジェクト受注で私の商社がある米国の大手コンサルタント会社が実施した入札審査にパスして、プライムとして入札参加する事ができるようになったのであるこれは画期的な事だった今では商社の金融機能が大きく評価されて、商社自身がプライムになる事が多いようだが当時はちがった商社は重工メーカーやエンジニアリング会社の下で、営業活動や「秘密」営業活動ばかりを任せられていたのであるしかし、プライムの資格を得て、あるプラント・プロジェクトの入札に参加することになり、今度は私がメーカーを選ぶ立場になった私はあるメーカー(A社とする)とコンタクトして応札作業をはじめたしかし、そのうち私はどうもそのメーカーが客先の入札スペックに要求されたある製品を生産できないように感じたサウジアラビアの客先は政府であり何しろ産油国だから資金は潤沢である計画された興業コンビナートも巨大である私たちに要求されたスペックも前代未聞の大型なもので、しかも海水に耐えるように特殊な高価な金属での製作を求めているそこで、そのメーカーのライバルであるある企業(B社とする)にコンタクトして、その社にも応札を承知させたそのB社は幸い、客先の要求するスペックの製品を間違いなく製作可能だったただし、そのB社も「客先のあるスペックは過剰スペックで通常、そのような製品は製作しないから、一般的なスペックで応札したいと言い出したしかし、私は妥協しなかったこちらの判断は判断として、客先のスペックを尊重するのが大切だと思った一般的なスペックとB社が過剰スペックというものと、両方の案をオファーすることを要求した結局、われわれがその契約を受注する事になったスペックも過剰スペックと思われたものがやはり採用され、それがわれわれの勝因だったどうも、旅行の装備とは関係ない話になってしまったそれに例の自慢話にもなってしまったこれはいつもの私のクセである阪神が逆転されて、巨人が優勝したので腹が立っているのもあるかな?
2008.10.10
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モノ地獄・・・・・・・このところ朱鷺子さんの「病室隅っこの生活 」を発端として、tak-shonai さんの「モノ地獄からの脱出」と続く、『物欲を排した簡素な』生活論が続けて語られている物欲の強い私は非常に居心地の悪い思いをしている(笑)加えて、私自身も昨日、「遊牧の哲学」 私の遊牧民度 【復刻日記】 で、『もの」を持たない遊牧民の生活態度』を論じたばかりである要するに『もの モノ』をどの程度持つべきか? が問題なのであるhttp://plaza.rakuten.co.jp/tokiko6565/diary/200810060000/http://tak-shonai.cocolog-nifty.com/crack/2008/10/post-b44b.htmlhttp://plaza.rakuten.co.jp/alex99/diary/200810060000/ ―――― ◇ ――――そのtak-shonai さんのブログの「モノ地獄からの脱出」実は、このtak-shonai さんの文章をイントロにして、私の物欲の「現状と対策」を書こうと思ったのだが、tak-shonai さんの文章を読んでいて気が変わった今日はtak-shonai さんの文章に私なりのコメント(いちゃもん?)(笑)をつけるということにしたいでは、はじめよう ―――― ◇ ――――tak-shonai さんのブログはこ~ゆ~文章で始まっている・・・・・・・・朱鷺子さんが 「病室隅っこの生活」 という記事を書いておられる。以前、ご主人が入院されたとき、20日間ほど病室に泊まり込んだときの経験だ。私は若い頃にしょっちゅう、背中にバックパックを背負ってあちこち放浪したり山登りをしたりしていたので、本当に 「モノは少ない方がいい」 と思っている。・・・・・・・・ちょっと待った! (笑)私とtak-shonai さんは出身大学がおなじであるところを始め、よく似ているのだが、それでも(当たり前だが)ちょっとちがう・・・という箇所がある私も学生時代は高校・大学と山関係のクラブに属していた人間であるこれも似ているしかし、私は「モノは少ない方がいい」とまでは割り切れないいや、できるだけあれもこれもと携行したい人間であるtak-shonai さんは放浪や登山をしても、おそらく山岳部には属していなかっただろうと思うこの山岳部というのが「モノは少ない方がいい」という tak-shonai さんと空港で見かける旅行者で荷物が非常に少ない人がいる国際線のチェックインなのに小型トランク一つという人が多い私にはまねのできない事である少なくとも私は旅行などでは非常に荷物が多い人間である海外出張ではスーツケースは2個以上だった中にはカメラが2台に交換レンズ多数、それに本が10冊などそれに衣類も多い受託荷物が重量超過するのもいつものことだった自慢ではないが(やはり自慢なのだが)、私は単独で中東の支店の無い国に出張して、プロジェクトハンティングと入札参加をこなし、発電所や海水淡水化工場など、数十億円から数千億円の大型プラントを受注することが多かっただから、この超過料金も会社が払ってくれたと言う特殊条件があったのだが、それにしても荷物が多い人間であるこの「荷物が多い」ということは、自分の自宅での環境を旅先にも求めるという事だと思う旅先にいても自宅環境なのである本当の放浪とはそういうものでは無いだろうと思う山のような荷物を持った放浪というのも想像できない(笑)やはりミニマムな荷物、またはほとんど何も持たずに、目的地も持たず動く事である川の流れに任せるような、漂泊であるtak-shonai さんは「私は若い頃にしょっちゅう、背中にバックパックを背負ってあちこち放浪したり山登りをしたりしていた」と語っている私は山には登ったが放浪した事はないつまり私は上下移動はしたが、水平移動はしなかった(笑)登山は山頂を極めれば下山であるしかし放浪にはそ~ゆ~けじめがない出発はあるが帰着の予定は立っていない「椰子の実」という有名な歌があるこの歌は柳田國男が「海上の道」という最後の著作で日本文化南方論を唱えている事を思い出させる柳田國男が伊良湖岬に遊んだ時、浜辺に漂着した椰子の実の話を島崎藤村に話した藤村はそれを詩にして、椰子の実という曲が生まれた・・・・・・・・「椰子の実」島崎藤村作詞・大中寅二作曲名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つ故郷(ふるさと)の岸を 離れて汝はそも 波に幾月旧(もと)の木は 生いや茂れる枝はなお 影をやなせるわれもまた 渚を枕孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ実をとりて 胸にあつれば新なり 流離の憂海の日の 沈むを見れば激(たぎ)り落つ 異郷の涙思いやる 八重の汐々いずれの日にか 国に帰らん・・・・・・・・いい詩である放浪という感じである私は私自身の昨日の日記「遊牧の哲学」 私の遊牧民度」の中で、「若い頃は『みんなは農耕民族タイプだが、私は遊牧民タイプだ』と豪語していた事を書いたしかし、ここでいろいろ書いているように tak-shonai さんの文章を読んで、本当に私は遊牧民族タイプなにか?という疑問を感じた私は中学生時代から、当時流行っていた「無銭旅行」というものに憧れて、頭の中でさんざん空想の無銭旅行をしたものである夜は米軍の放出品だった寝袋で自宅の庭で寝てみて、無銭旅行のシミュレーションをやったりもしたしかし、私は良家の子弟だから(大ウソ)実際に放浪はしたことがないいや、そういう勇気がなかったということだろうtak-shonai さんの方が本当の放浪者、遊牧民なんだろう・・・・・・・・放浪者は英辞郎によるとこうである< >の内部は私のコメント○放浪者 bindle stiff〈俗〉bohemian〔時にBohemian〕 <ロマ(ジプシー)はボーヘミア地方を経由して欧州に入ったのでボヘミアンとも呼ばれる>dingerdosserdrifterfugitive 逃亡者gipsy ジプシー(同じ場所に長く居たがらない)gypsy ジプシー(同じ場所に長く居たがらない)knight of the road〈英俗〉 <かっこいい俗語だな~>knockaboutnomadoverlander〈豪〉pilgrim <巡礼者という意味だと思う>ranger roamer〔【動】roam〕roguerover <英国のジープでランドローバーというのがある>scatstrollersundownertrampvagabondage〈集合的〉vagabondism〈集合的〉vagabond〔赤塚不二夫の漫画「天才バカボン」の語源〕 <おいらバガボンドというシャンソンがあった>vagrantwanderer <ドナ・サマーの歌で 「The wonderer」 というのがあった>放浪者風の旅 vagabond-style trip〔事前に十分な計画を立てないでするような旅〕・・・・・・・・tak-shonai さんはvagabond-style tripをしたわけだうらやましい
2008.10.09
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荷物の量と放浪・・・・・・・このところ朱鷺子さんの「病室隅っこの生活 」を発端として、tak-shonai さんの「モノ地獄からの脱出」と続く、『物欲を排した簡素な』生活論が続けて語られている物欲の強い私は非常に居心地の悪い思いをしている(笑)加えて、私自身も昨日、「遊牧の哲学」 私の遊牧民度 【復刻日記】 で、『もの」を持たない遊牧民の生活態度』を論じたばかりである要するに『もの モノ』をどの程度持つべきか? が問題なのである ―――― ◇ ――――そのtak-shonai さんのブログの「モノ地獄からの脱出」実は、このtak-shonai さんの文章をイントロにして、私の物欲の「現状と対策」を書こうと思ったのだが、tak-shonai さんの文章を読んでいて気が変わった今日はtak-shonai さんの文章に私なりのコメント(いちゃもん?)(笑)をつけるということにしたいでは、はじめよう ―――― ◇ ――――tak-shonai さんのブログはこ~ゆ~文章で始まっている・・・・・・・・朱鷺子さんが 「病室隅っこの生活」 という記事を書いておられる。以前、ご主人が入院されたとき、20日間ほど病室に泊まり込んだときの経験だ。私は若い頃にしょっちゅう、背中にバックパックを背負ってあちこち放浪したり山登りをしたりしていたので、本当に 「モノは少ない方がいい」 と思っている。・・・・・・・・ちょっと待った! (笑)私とtak-shonai さんは出身大学がおなじであるところを始め、よく似ているのだが、それでも(当たり前だが)ちょっとちがう・・・という箇所がある私も学生時代は高校・大学と山関係のクラブに属していた人間であるこれも似ているしかし、私は「モノは少ない方がいい」とまでは割り切れないいや、できるだけあれもこれもと携行したい人間であるtak-shonai さんは放浪や登山をしても、おそらく山岳部には属していなかっただろうと思うこの山岳部というのが「モノは少ない方がいい」という tak-shonai さんと空港で見かける旅行者で荷物が非常に少ない人がいる国際線のチェックインなのに小型トランク一つという人が多い私にはまねのできない事である少なくとも私は旅行などでは非常に荷物が多い人間である海外出張ではスーツケースは2個以上だった中にはカメラが2台に交換レンズ多数、それに本が10冊などそれに衣類も多い受託荷物が重量超過するのもいつものことだった自慢ではないが(やはり自慢なのだが)、私は単独で中東の支店の無い国に出張して、プロジェクトハンティングと入札参加をこなし、発電所や海水淡水化工場など、数十億円から数千億円の大型プラントを受注することが多かっただから、この超過料金も会社が払ってくれたと言う特殊条件があったのだが、それにしても荷物が多い人間であるこの「荷物が多い」ということは、自分の自宅での環境を旅先にも求めるという事だと思う旅先にいても自宅環境なのである本当の放浪とはそういうものでは無いだろうと思う山のような荷物を持った放浪というのも想像できない(笑)やはりミニマムな荷物、またはほとんど何も持たずに、目的地も持たず動く事である川の流れに任せるような、漂泊であるtak-shonai さんは「私は若い頃にしょっちゅう、背中にバックパックを背負ってあちこち放浪したり山登りをしたりしていた」と語っている私は山には登ったが放浪した事はないつまり私は上下移動はしたが、水平移動はしなかった(笑)登山は山頂を極めれば下山であるしかし放浪にはそ~ゆ~けじめがない出発はあるが帰着の予定は立っていない「椰子の実」という有名な歌があるこの歌は柳田國男が「海上の道」という最後の著作で日本文化南方論を唱えている事を思い出させる柳田國男が伊良湖岬に遊んだ時、浜辺に漂着した椰子の実の話を島崎藤村に話した藤村はそれを詩にして、椰子の実という曲が生まれた・・・・・・・・「椰子の実」島崎藤村作詞・大中寅二作曲名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つ故郷(ふるさと)の岸を 離れて汝はそも 波に幾月旧(もと)の木は 生いや茂れる枝はなお 影をやなせるわれもまた 渚を枕孤身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ実をとりて 胸にあつれば新なり 流離の憂海の日の 沈むを見れば激(たぎ)り落つ 異郷の涙思いやる 八重の汐々いずれの日にか 国に帰らん・・・・・・・・いい詩である放浪という感じである私は私自身の昨日の日記「遊牧の哲学」 私の遊牧民度」の中で、「若い頃は『みんなは農耕民族タイプだが、私は遊牧民タイプだ』と豪語していた事を書いたしかし、ここでいろいろ書いているように tak-shonai さんの文章を読んで、本当に私は遊牧民族タイプなにか?という疑問を感じた私は中学生時代から、当時流行っていた「無銭旅行」というものに憧れて、頭の中でさんざん空想の無銭旅行をしたものである夜は米軍の放出品だった寝袋で自宅の庭で寝てみて、無銭旅行のシミュレーションをやったりもしたしかし、私は良家の子弟だから(大ウソ)実際に放浪はしたことがないいや、そういう勇気がなかったということだろうtak-shonai さんの方が本当の放浪者、遊牧民なんだろう・・・・・・・・放浪者は英辞郎によるとこうである< >の内部は私のコメント○放浪者 bindle stiff〈俗〉bohemian〔時にBohemian〕 <ロマ(ジプシー)はボーヘミア地方を経由して欧州に入ったのでボヘミアンとも呼ばれる>dingerdosserdrifterfugitive 逃亡者gipsy ジプシー(同じ場所に長く居たがらない)gypsy ジプシー(同じ場所に長く居たがらない)knight of the road〈英俗〉 <かっこいい俗語だな~>knockaboutnomadoverlander〈豪〉pilgrim <巡礼者という意味だと思う>ranger roamer〔【動】roam〕roguerover <英国のジープでランドローバーというのがある>scatstrollersundownertrampvagabondage〈集合的〉vagabondism〈集合的〉vagabond〔赤塚不二夫の漫画「天才バカボン」の語源〕 <おいらバガボンドというシャンソンがあった>vagrantwanderer <ドナ・サマーの歌で 「The wonderer」 というのがあった>放浪者風の旅 vagabond-style trip〔事前に十分な計画を立てないでするような旅〕・・・・・・・・tak-shonai さんはvagabond-style tripをしたわけだうらやましい
2008.10.09
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「遊牧の哲学」 私の遊牧民度 【復刻日記】朱鷺子さんがブログで『病室隅っこの生活』という事を書いている『病室隅っこの生活』とは、うまいタイトルだな~しかし、なぜ『病室隅っこの生活』なのか?それは、その前の日記でこう説明されている『入院している夫のベッドと窓の間にできた1畳に満たない狭い空間の床の上に20日間、無理を言って泊まらせてもらった時のこと』いわゆる「付き添い」状態である・・・・・・・・病院の生活に慣れてくると、この巣のような私の場所は、使い勝手がなかなかよい布団は、病院から借りたゴザと、たためば座布団ほどの塊になるようなせんべい布団すいっと起きれば、手の届く処に洗面台がある洗濯したものは、窓下の暖房温風の吹き出口においておくと、10分もしないうちにカラカラに乾く愛用の綿入りズボンまで洗って、置いておいたらたった1時間で乾いた着替えなんか何にもいらない洗うそばから、あっという間に乾いちゃう孫が来た時の為に買っておいた小ちゃい洗面器一個で、顔も洗えば頭も洗い足も洗い洗濯もし、レタスも洗うだはは…20日間、他のお道具など、何にもいらなかった人間たった一畳にも満たないこの場所で何んにも無くて生きられたあの、我が家の大量なガラクタ!あれはいったい何なのでしょうか?・・・・・・・・これを読んで、森鴎外がドイツに留学していた時、下宿の部屋の洗面器で顔を洗い、身体を濡れた手ぬぐい(日本手ぬぐいだったろうと思う)で拭き、風呂に入る代わりにしていたという逸話を思い出したまた、これを読んで、私は私自身が以前書いたあるブログ記事を思い出したついでだからそれを復刻する(な~~んだ また【復刻日記】を書くいいわけか・・・と言われそう)(笑) ―――― ◇ ――――「遊牧の哲学」 私の遊牧民度 【復刻日記】日経の対談記事に次のようなものがあった ~~「遊牧の哲学」片倉もとこさんに聞く 持たない勇気に品格~~ 片倉もとこ (国際日本文化研究センター所長) (国立民族学博物館名誉教授)この人の著書「アラビア・ノート」は読んだ事がある片倉さんはこの対談でいろんなことを話しているのだが、その中で私が興味を持った部分を抜粋引用してみる ―――― ◇ ――――片倉さんは「遊牧民から学ぶべきことがいろいろある」と説く・・・・・・・・「動くことが人間の証だといいますつまり旅をすると発見がある学ぶこともある移動するには余計なものはない方がいい『もったいない』が流行りだしていますが、余計な物を『持たない』という哲学も語りかけてくる物がありますでもこれがなかなか難しい持たない、を実行するには勇気もいるのですねえ人はついつい持ちすぎてしまいます物にも人にもこだわりすぎない遊牧の哲学には、生き方の品格が感じられます西行、芭蕉、山頭火・・・ ・・移動してやまない『漂流の哲学』の系譜は日本人にも連綿として受け継がれている定住することは退廃であるとする遊牧民独特の考え方や行動パターンをつぶさに観察して、何か日本的なものも感じて、それにも驚きました・・・・・・・・私はこの箇所には共感したしかし実際には『必ずしもそうでもないでしょう』と引っかかる個所もあるのである例えば○ 動くことが人間の証だといいます○ つまり旅をすると発見がある○ 学ぶこともあるこれらには、特に異存はない私も移動型の、旅人型の人間であり、そんな自負もあった会社員時代には、気のあった同タイプの友人たちと『俺たちは、他の農民型の定住民型の人間じゃないよな~! 遊牧民タイプだからね~!』などと、気炎を上げていたものである雨の中でじっとしているのより、バイクや自転車(欧米では自転車をバイクと言うが)で移動するのでは、どちらが多く雨に濡れるか?バイクや自転車である同じように、移動すれば定住しているより「より多く」の発見・学習・体験をするこれはアインシュタインの相対性の原理からも証明されている(ウソです)それに、より好奇心の強い人間が移動を選択するのだと思う好奇心こそ人間の価値というか、知性の源泉だとも思う旅人・移動する人・漂泊する人間は、すべからく「何か」を求めているのである例えそれほど深くなくても、なんらかの「憧れ」というようなものを心中深くいだいているのである定住者の代表は農民だろう江戸時代以前の農民というか、常民というか、そう言う人達は原則的に、一生、自分の村以外に出ることが無かったらしい伊勢参りのようなことは例外である農耕生活を始めたという事は人類史上、最大の出来事だという定住して、定住するからこそ農業が出来て、農業暦にしたがって『粛々と』農作業をこなしてゆくそれでも、気象条件に対する対応を要求されるという変数部分はあるが、ほぼ同じような生活が続く外部の情報には疎いたまに訪れるアウトカーストの旅芸人や徳川家の先祖と言われる願人坊主(乞食坊主)やいろいろな旅人から得る情報と、その他にも少し伝わる地元の情報などがすべてだったのだろうか?しかし、遊牧で多くの情報を得ても、その得た情報の『蓄積』という側面では、遊牧民はそれほど有利でも無いのではないだろうか?その情報はせいぜい家族内のタテの世代間で継承されるものだが、中規模以上の集団生活をしていない故に、拡散発展するようなものでは無いのではないかゲルやパオの中限定の文化ではないだろうか?ただし、遊牧民から発展した「騎馬民族」、例えば「元」などは、ちょっと違うだろうこの世界最大の帝国を打ち立てた騎馬民族は、「駅」や騎馬道路のネットワークを構築して、度量衡の単位を統一し、通貨を統一して、あらゆる民族の文化を吸収し、拡散する交易の民になったのだから ~~~~~○ 物にも人にもこだわりすぎない遊牧の哲学には、生き方の品格が感じられます○ 移動するには余計なものはない方がいい○ 『もったいない』が流行りだしていますが、余計な物を『持たない』という哲学も語りかけてくる物があります○ でもこれがなかなか難しい○ 持たない、を実行するには勇気もいるのですねえ○ 人はついつい持ちすぎてしまいますこれらについても突っ込んでおこう○ 余計な物を『持たない』という哲学も語りかけてくる物がありますこれは当たり前であるただこれは蒙古高原や中東の遊牧民にとって当たり前のことでも、定住民とは条件が違うのだ定住民にとって、物資は蓄積し再生産され、増加するものであるそれが富であり、力である『移動』という制限条件が無いと『余計なもの』の定義も変わるのである家だって、富を得ればサイズの制限無しに大きな住居に住めるたまにしか使用しない道具でも、置いておく納屋のようなスペースさえあれば、捨てることはない採集農業・遊牧・狩猟・漁業・放牧などは移動経済であるが、農業・工業はいわば定置・定住経済であって、簡単に言えば「工場」である富の蓄積が自然になされる人間は、単純で簡素なものに惹かれるところもあるが、所詮は豊穣な豪華なものに「より」「もっと」惹かれるものであるクレタ島でヴァカンスを過ごしたとき、クノッソス宮殿やマリア宮殿の遺跡の中で目につくものは、数多くの大きな甕(かめ)だった小麦や農産物を貯蔵するものである蓄積である人類の歴史に於いて、富の集中・蓄積を可能とした農業が生まれてから人間の世界に『富裕層』『権力者』が生まれ、集落・集団生活が生まれ、戦争が発生した特に権力者の住む宮殿は、特に物資を集中蓄積する場所である遊牧民の世界とは対照的である ~~~~~確かに、『清貧』とか『簡素』とか言う言葉の持つ、ストイックな響きは美しいそれに質の悪い、品のない『物量』の保持は、気恥ずかしいものである殊に地球規模の汚染が問題になる時代に、人間の『所有欲』『強欲』の醜い側面には、人は嫉妬心半分で反感を持つただ、現代に於いて、蓄積すべきモノは、単に『物資財』だけでなく、『知財』が中心になりつつある『知財』は、整理さえ可能なら、いくら多くてもいいものであるハードディスクの中に放り込めば、検索技術があれば、多ければ多いほどいいものである ~~~~~○ 物にも人にもこだわりすぎない遊牧の哲学には、生き方の品格が感じられますうう~~ん確かにこういう言い方をすると『カッコイイ!』しかし、これは遊牧という、生活様式が強いている生き方であって、品格から出発するものでは無いように思う地球環境やエントロビーを考えれば、こういうオープン型ではない、クローズ・閉鎖型の経済が望ましいとは思うが ~~~~~○ 西行、芭蕉、山頭火・・・ ・・・○ 移動してやまない『漂流の哲学』の系譜は日本人にも連綿として受け継がれている○ 定住することは退廃であるとする遊牧民独特の考え方や行動パターンをつぶさに観察して、何か日本的なものも感じて、それにも驚きましたクエートなどの砂漠と街の境目のあたりに無人の住宅街がある政府が砂漠の遊牧民のために建設した住宅街である遊牧民に定住してもらおうという目的のために建設したものであるしかし、遊牧民は砂漠の砂の上で暮らすのを好むもう遊牧民では無いはずの私のビジネス先も、突然休暇を取って、砂漠に帰って行くことがあった長い間、砂の上で眠らないと砂が恋しくなる・・・のだそうだ『積年の澱(おり)』という言葉がある長い間住んだ場所からは、引っ越しや持ち主の死亡などの際、ゴミや不要品や、その他のものが大量に出る転じて、人事などでも使われる同じ知事が何期も十数年も勤めると、その組織が腐って、汚職が発生することが通例であるただ、一部の日本人の『漂泊』と遊牧民の『遊牧』は、同じ移動だが、必ずしも同じものではない『サンカ』などの特殊な人びとは別にして、この例に引用されている西行、芭蕉、山頭火などの移動は、魂の彷徨であって、生活が要求する移動ではないこういう異なったものを一緒くたにするなど、学者としては、ちょっと『いかがなものか?』と思うところである
2008.10.06
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日本人と中国人のちがい 欧風庭園と日本の名庭【復刻日記】NHKラジオで、孔子の子孫だという孔さんの談話があったその中で日本人と中国人との対比をされていて興味深かった ―――― ◇ ――――孔さんによると○日本人は・・・・・・・・不安定さを好む 奇数をこのむ いびつさをこのむ 変化を好む 重複が嫌い 新しい自動車のモデルが好きで、しょっちゅう新型がでる侘び・寂びが好き 緑が好き 水が好き 山が多い 涼しさが好き 豊富な自然環境を持つ 清浄の感覚=水=禊ぎ=わびさび ごてごては嫌い 簡素が好き 中国の胡弓のひとつである楽器・二胡を聴いてわびさびを感じる 絵などでは余白そのものを好む 小さい急須など小振りなものが好き 茶道を「心構え」と心得る○一方、中国人は・・・・・・・・・・・・・・・・偶数を好む 安定を好む 中国の画にも余白はあるが、そこには詩歌を書き入れる明晰な表明を好む 具体的な事柄を好む 中国の茶道は「茶芸 ちゃげい」と言い、作法ではなく、純粋に味覚・香りを楽しむもの 香りや色で、心が浄められると思う ―――― ◇ ――――その民族の「思考」「心象」が如実に表れるのが「庭園」だと私は思う私はフランスの「ロワーヌ河の古城めぐり」というツアーで数日にわたってロワーヌ河畔の古城の庭園を見て廻ったことがあるその時、城に付属した庭園を見たが、西欧の庭園は皆シンメトリー(左右均等)で、人工的なただただ幾何学な模様である樹木をクリアカットに刈り上げて幾何学的模様を作り上げているだけである自然を模したものでもなければ、樹木に対する盆栽的な愛着も感じられない私はこういう庭園群に魅力を感じなかった私には日本庭園のたたずまいが濃く擦り込まれているらしい欧州の他の国で見た庭園も基本的には、フランス式庭園と同じだった例外は、英国の庭園で、かなり自然で人工的な幾何学的な特徴は少なかったと言っても、日本の有名な庭園のような自然を模した、ミニチュアのような、象徴性に満ちた、多彩な芸術的な、哲学的なものでは無いただ、素朴な自然がそこにあるというようなものである中国の昔の庭園とはどんなものなのか?テレビで留園などの庭園を見るが日本の庭園にかなり似ているが、日本の庭園ほど簡素で凝縮したものでは無いしかし、間違いなく日本庭園の手本となったものだろう ―――― ◇ ―――― あるサイトから、中国の四大古典庭園というものを引用する 中国の四大古典庭園 ・・・・・・・・・ 中国の四大古典庭園はすべて世界遺産に登録されています。中国の庭園は大きく分けて、皇帝所有の大規模自然庭園と、貴族、官僚、豪商などの私邸庭園の別があります。四大庭園のうち、庭園の町・蘇州にある二つは後者ですが、残りの二つ(北京と承徳にある)が前者にあたります。 1 頤和園頤和園(いわえん)は、北京の西北部に位置する庭園公園。1750年に離宮として整備されたが、1860年のアヘン戦争で英仏連合軍によって焼き払われました。 1750年建設開始、1886年には西太后に... 2 拙政園拙政園(せっせいえん)。蘇州四大名園の一つで中国四大名園の一つにもなっています。拙政園は世界遺産としての「蘇州古典園林」の主格です。中国庭園のモデルとして事実上中国No.1の庭園と言えましょう。 ... 3 避暑山荘承徳避暑山荘と外八廟(しょうとくひしょさんそうとがいはちびょう)は、中国河北省承徳市にある離宮です。 避暑山荘は清の皇帝が沈陽に抜ける際、立ち寄る場所として87年にわたり整備された離宮です。この... 4 留園蘇州四大名園の一つである留園は、拙政園と並ぶ蘇州庭園の最高傑作です。留園は拙政園より小さいですが、構成が緻密で景観が変化に富んでいます。さまざまな要素の間にバランスよく取れており、気品も高いと非常に高... ・・・・・・・・各項ともに途中で途切れているが、オリジナルがしてそうなのでしかたがない>中国の四大古典庭園はすべて世界遺産に登録されています。日本の有名庭園で世界遺産に登録されているものはあるのだろうか?調べてみないとわからないが、どうも無いように思えるやはり中国の方が欧州の感覚に近いからかも知れない日本の庭園の哲学的な思想、盆栽に通じる小世界が理解されにくいかも知れない ―――― ◇ ――――>日本人は>不安定さを好む >奇数をこのむ >いびつさをこのむ >変化を好む これらがよく現れているのが、日本の食器などだと思う以前の日記にも書いたことだが、西欧の食器は、ディナーセットと決まっていて、その形は定型である例えば、ウエッジウッドとか、そんなに高級食器でなくても、セットで売っている日本にも対抗できるノリタケ・チャイナという世界的ブランドはある大きなスープ皿に大皿・小皿、コーヒーカップなどで構成されているのが定型のセットであるそこへゆくと、日本の食器は、決まったセットなど無く、無制限に融通無碍(ゆうずうむげ)であるまるで宇宙のようなものである形状もそうだが、色も絵付けもノー・ルールである素人がお遊びで窯で焼いても立派に食器になる旅先の沿道の土産夜で買った食器も実用に付されるまた、日本食そのものが、もう伝来の和食からスピンアウトしてしまっていて、世界各国の料理をどん欲に鯨飲・馬食?風にかたっぱしから取り込んでしまって、日々に変化・拡大?してしまっている例えばカレーや中華料理やほとんどの西洋料理は、もうすっかり日本料理になりきってしまっている動物学で言えば、擬態のようなものであるその全世界の料理を取り込んだ現代の「超日本食」に対応しなければならないのだから、日本食器も大変?であるますます無秩序に、楽しく、肥大・拡大・膨張を続けているのが和食器である中でも、織部焼きの絵付けなど、宇宙人が描いたものとしか思えないような発想であるそれに織部の中には中東で見た古い陶器の絵付けと似たものがある織部という武将、人物は日本の美意識からスピンアウトした偉大な芸術家だと思う
2008.10.03
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海外のオイスター(牡蠣)・バー 【復刻日記】更新しようと思うのだが、なぜか忙しくてまとまった時間が取れないそこでまた【復刻日記】に逃げる事にする私が楽天ブログを始めた頃のものである ―――― ◇ ――――私は住む場所としてのアメリカは、なんだかもうひとつ情緒というか?濃い文化が無いような気がして(ぜいたくですが)今までそれほど評価していなかったのですが、やはり最新の文化・情報とニューヨークのミュージカルやビデオショップの魅力には抗しきれません。米国東海岸に一時的に滞在している時には、ブロードウェイのミュージカル観劇とビデオあさりが楽しみでした。ビデオを販売している店(レンタルではない)のビデオの品揃えが日本と比較にならないほどですし(タイムズ・スクエァのヴァージン・メガショップなどはすごい)通販のアマゾンとちがって、現地で自分で買って持ち帰れば、アマゾンより安いし、第一送料も要りません。みなさんもぜひ行かれてみてはどうですか?ニューヨークと言えば摩天楼ですが(表現が古いかな?)、デボラ・カーとケイリー・グラント主演の名画「めぐり逢い」のすれちがい現場検証を兼ねて、あの9.11の世界同時テロで崩壊したWTC(ワールド・トレード・センター)ビルに代わって今やNYでクライスラービルなどと並んで一番高い建物の一つに復帰したエンパイヤー・ステート・ビルに登ってみました。ちょうど休日にあたったため切符売り場やエレベーターの待ち時間の合計実に45分。やっと到着した頂上付近の展望台から見下ろすマンハッタンの風景は、あの「ウェストサイド・ストーリー」の冒頭のマンハッタンの俯瞰図そのものでした。ただし展望台の売店で売っているのは残念ながら「キングコング」の玩具だけでした。ワールド・トレード・センター)にも通勤していたことがありますが、よもやあの巨大なビルが、しかも二つとも倒壊して、ガレキの山になるとはおもいませんでした。しかしともかくエンパイヤー・ステイト・ビルディングはまた昔の世界一高い建物、「天に一番近い場所」になりました。(これはたしか「めぐり逢い」の中のセリフです) ーーーー ◇ ーーーーグランド・セントラル駅もいろんな映画の舞台になっていますが地下に有名なオイスターバーがあります。米国のメニューでは牡蠣は品種別になっていて値段もちがいます。米国にはブルーポイントという名前の牡蠣があり、最もポピュラーです。それにクマモトという名前の小振りな牡蠣もあります。このクマモトは戦後、アメリカの牡蠣がバクテリアに冒され絶滅寸前になったときマッカーサー元帥の命令で熊本からとりよせた大量の牡蠣が繁殖したものとのこと。本来なら牡蠣と言えば広島ですが、当時の広島は原爆被爆の直後でとても牡蠣の輸出などの話では無かったのです。フランスのパリでも秋以降はレストランの前で大きな皿に大盛りの氷と生牡蠣を積み上げていて食欲をそそります。実はフランスの牡蠣も一時絶滅寸前になり、同じように日本の牡蠣(マガキ)が危機を救い現在のフランスの牡蠣の90%は日本の牡蠣の子孫とのことです。ロンドンの王室御用達の店が並ぶジャーミンストリートにも牡蠣で有名なレストランがあって18世紀後半の創業だそうです。一階はバーになっていてカウンターで飲みながら味わう、二階はレストランです。どうもわけありのカップルが来る雰囲気です。数十年前に?私がガールフレンドとあそこで食事したときに、あそこで牡蠣の味付けに出てきたのはトマトケチャップとレモンでしたが、普通はレモンにタバスコとか、ホースラディッシュですね。(私はホースラディッシュが大好きです)最高級百貨店ハロッズのオイスターバーも有名です。故ダイアナ妃とハロッズ・デパートのオーナー(サウジ・アラビアの武器商人、アドナン・カシオギの兄弟にしてエジプト人です)のドラ息子!!の情事の果ての、暗殺?事件についてはまた別に書いてみたいと思います。ベルリンの高級百貨店KaDeWeは最上階の食料品売り場が豪華で有名ですが、そこにもオイスターバーがあって、目の前でコックが牡蠣をガキッと、開いてくれて皿にのせて出してくれると海水が溢れます。それをドイツの白ワインをのどに流し込みながら食べると・・・。越の寒梅は正月のお屠蘇として飲んでしまったし、ドイツのモーゼルワインもそれだけではそれほどでは無いし・・・。 ―――― ◇ ――――追記【復刻日記】ばかりではなんだから近くに料理屋というか、居酒屋というか、微妙なところの店があるその店では寿司から焼き物、鍋物、割烹まで守備範囲が広いネタも新鮮でいいものを揃えているので鄙には希な・・・というところだろう欠点は女将さんが気が利かないところである愛想がよくてテキパキ・シャンシャンという女将や女の子がいる店はそれだけで美味しい気がする私の町ではヴィエトナム美人のようなスタイルで都会的で愛想のいいママのいる和風焼肉屋があるスタイルがよくて美人と言えばしゃぶしゃぶ屋さんのママもいるこの人は愛想がいいと言うより、いつも自分の悩みを打ち明ける正直で苦労性の女性である感じがよくて愛想がいいと言えば洒落た和風料理のママもそうだただし和服なので美人ではあるがスタイルは不明であるいずれにしても我が町は案外、美人ママの多い町であるこの気の利かない女将がいる(笑)店では生牡蠣や岩牡蠣もいいのだが、栄螺(さざえ)が大きくておいしい私がこの長い人生で見た事もないほど大きな栄螺であるゲンコツの大きさほどもあるだろうか?この栄螺を塩焼きにせずに刺身で食べるとうまい私はアワビも好きで、いいものがあると食べるのだが、この大型栄螺はアワビにも負けない(やはり多少は負けるかな)それでいて、値段は数分の一であるしかしアワビのお粥というのもおいしいものである「アワビは非常に身体にいいのよ」アワビのお粥を食べている時、ある女性にこう言われたその女性に「アワビはいつもたくさん食べているから身体で証明しようか」と言ったら断られたアワビの片想い・・・
2008.10.03
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スーパー・ピアノ・レッスン トルコ行進曲 【復刻日記】深夜、NHK教育テレビを見ていたら、こんな番組があった。《スーパーピアノレッスン》モーツァルト (6)【講師】フィリップ・アントルモン【生徒】ル・ユイ・チー「ピアノ・ソナタ イ長調 K.331“トルコ行進曲付き”第3楽章」~ウィーン・旧ベヒシュタイン家サロンで録画~ ~~~~~~~~そうか。「ピアノ・ソナタ イ長調 K.331」の第三楽章だけが「トルコ行進曲」と呼ばれるのだ。またひとつ賢くなってしまった。??最初に生徒(ヴィエトナム人らしい小柄な若い男性)が通して弾く。その演奏のテンポが恐ろしく走る! まるで坂道を走るブレーキのこわれた車のように、ひたすらにリズムが前のめり(先乗り)になってしまって、どんどん走って、メリハリも何もあったものではない。指は、恐ろしく動くのだが・・・。この生徒は何を考えながら、弾いているのか?一体、何を表現したいのだろう?これでは行進では無いではないか。そう思ってあきれていたら、通しての演奏が終わったところで、アントルモン先生(老齢)が、「君! このマーチ(行進曲)は、一体何のマーチだと思っているのかね? イタリアの軍隊の行進じゃないんだよ! トルコの行進曲だよ!」と、厳しい一言。本当だよ! ~~~~~~~~「トルコふうロンド Rondo alla turca (Turkish March)」作曲者モーツァルトの指定テンポは「アレグレット」だという。アレグロは知っているが、アレグレットとはなんだ?Cigar に対する cigarette の様な「指小辞」かな?言葉の後ろにつけて「小さい」という意味を表す「指小辞」には-ette-let-etなどがあるらしい。cigar 葉巻→ cigarette 紙巻き煙草cabin 船室 丸太小屋 → cabinet 収納箱book 本→ booklet 小冊子case 箱→ cassette 小さな箱 この他に、シガリロ Cigarillo という、紙巻き煙草サイズの細い葉巻もあるけれど。 ~~~~~~~~検索をしてみた。アレグレット 【アレグレット】 allegretto 〔伊〕【速度を表す標語】やや快速に。アレグロよりやや遅く。モデラートよりやや速く。アレグロもモデラートも、メトロノームで言えばどんな数字なのだろう? ~~~~~~~~この曲は、テンポがひんぱんに変わる。テンポが変わると言えば、テンポ・ルバートが有名だ。【テンポ・ルバート】 tempo rubatoあるフレーズ内のテンポを自由に加減しながら奏すること。機械的な正確さでなく、感情を自由に自然に表現できることが特徴で、ショパンにより有名になった。ショパンの曲のルバートは、ポーランドの民族舞踊のテンポから来ている。ポロネーズ・マズルカ・ポルカなどはみなポーランドの民族舞踊なのだが、ポーランドの民族舞踊は、テンポがどんどん変わって行く。ポーランドの民族舞踏から題材を取って作曲することが多かったショパンの曲にルバートがあることも当然なのだ。トルコ 行進曲には、ベートーベン 作曲( 1810年 )のものもある。もともとは バレー音楽「アテネの廃虚」( Die Ruinen von Athen) op.113 の曲だという。 ~~~~~~~~さて、この生徒はアントルモン先生にガツンと言われ、それからは途中で、time to time 先生が止めながら細かな指導をする。その指導を受けながらも、この生徒はまだ、どんどんテンポが走ってしまう。テンポに対する感受性がないのかな~?行進曲だと言うことを頭に入れていたら、こんな弾き方は出来ないはずだ。達者に高速で弾いて「どうだ!」と言うようなのだ。 ~~~~~~~~トルコ行進曲とはいかなるものか?私ははじめ、トルコ騎兵の行進を描写した音楽だと思っていた。凛とした姿勢の騎兵が馬に乗って行進する。スペインやオーストリアには有名な乗馬学校があるが、そこで訓練された馬は、独特の歩き方をする。競馬馬の様な自然な歩き方はしない。脚を高く上げて気取った行進用の歩き方をする。ところが、調べてみるとそれはどうも違うらしい。トルコ軍楽隊の行進を表したもののようだ。こういう情報がある。 ~~~~~~~~勇猛果敢で知られたオスマン軍の主力はイエニチェリと呼ばれたオスマン帝国内から集められた白人兵。彼らの多くは異教徒出身者だったが、運動能力を試す試験にパスすると、スルタンの親衛隊に引き立てらた。名もない農民の子供がエリート軍人に、果ては宰相に昇格する道が開かれていた。オスマン軍の行進はオーストリアの人々を震え上がらせました。とりわけ先頭をゆくイェニチェリの軍楽隊が打ち鳴らす勇壮なリズムとメロディは、人々を恐怖と絶望のどん底につき落としました。泣く子も黙る「恐ろしいトルコ人」のイメージはこうしてヨーロッパ中に流布されたようです。 何世紀か後、モーツァルトやベートーベンが「トルコ行進曲」を書きました。人々の記憶から恐怖感が薄れ、曲の持つ優れた音楽性だけが強く印象に残るようになったからではないでしょうか。 さて、トルコの伝統的な軍楽・メヘテルハーネの起源がいつなのかは明らかではありませんが、紀元前に中央アジアで暮らしていた時代にまで遡れると推定されています。7、8世紀には兵士が演奏した楽器の名前が記録に残っています。当時の軍楽隊の編成は、9管編成を基本としていました。当時のトルコ人の間では9という数字が好まれたのです。この伝統はオスマン・トルコまで伝承されました。かのマルコ・ポーロも「東方見聞録」のなかで、ラッパや太鼓の軍楽が軍隊を統率する様について記しています。1453年のビザンチン陥落以来、軍楽隊は発展を遂げます。17世紀にはスルタン、大臣、高官、将軍らがいろいろな規模の軍楽隊を持ち、楽団員は200人を越えました。なかでもスルタンのものは12管編成と決まっていたようです。軍楽隊は戦争時(英国軍のバグパイプ舞台もそうだと思う)はもちろん、通過する都市への進入時や、平和時にも演奏しました。イスラムの夕べの祈りに際しても演奏をしました。また、夜に火事になったときには、ダウルやケス(ともに太鼓)を打ち鳴らしたといいます。 軍楽隊は、占領した土地の捕虜を兵隊に編入し、組織化する上で大きな効果をもたらしました。そこで、他の民族もこれを取り入れるようになり、西洋におけるブラスバンドの基礎となりました。イェニチェリとは イェニチェリとは、オスマン帝国領内に住むキリスト教徒の中から、容姿・知力・体力が優れた若者を選び、イスラム教に改宗させて特別教育を施し、皇帝(スルタン)の親衛隊となった人々のことです。 彼らは皇帝に信頼され、宮殿内で一大勢力となりました。軍楽隊も正式には“エミイール・アレム”という位の高い役人で、宮廷やスルタン専属の公的組織でした。 一番有名な曲は イェニチェリ軍楽隊の演奏で、一番日本でなじみがある!と独断で思うのは「ジェッティン・デデ」という曲だと思います。確か「デデ叔父さん」という意味だったと思う。 昔NHKで放映されていた、向田邦子さん原作のドラマ「阿修羅のごとく」のテーマ曲として使用され、少し哀愁を帯びたその曲が、私はとても印象に残っていました。 先日(2000年6月)3日に渡ってNHK衛星第2放送でトルコの特集があり、その中で紹介されたイェニチェリ軍楽隊の演奏も「ジェッティン・デデ」でした。自分たちの父祖に対する敬意やトルコ民族の誇り、敵への呪いも入っている歌詞を、その時初めて知りました。 ~~~~~~~~私も、向田邦子さんの「阿修羅のごとく」と言うテレビドラマは見ていて、その強烈にエキゾティックな、それでいて奇妙な音楽は印象に残っている。そうして、私もNHKBS2でイェニチェリ軍楽隊の「ジェッティン・デデ」の演奏を見て聴いた。イェニチェリ軍楽隊は全員厳粛きわまる表情で、とても軍楽とは思われないような奇妙な、しかし迫力のある音楽を奏でる。この軍楽隊は西洋のブラスバンドや軍楽隊の元になったと言うが、音楽的にはまさしく東洋的。いずれにしても軍楽隊の行進は、とても気取った、アクセントの強い、メリハリがハッキリした、威風堂々とした歩き方をしている。一歩ごとに歌舞伎の見得を切るような仕草もある。アレグレットであり、テンポ・ルバートであり、誇張に近いまでに、十分にためのあるテンポなのだ。それなのに、この生徒のように水が渓流を激しく流れるように、どんどんスピードを増して暴走してしまってはダメではないか?この生徒は指は動いても、音楽を理解する能力に基本的に欠けていると思った。 ~~~~~~~~それでは、モーツアルトは、イェニチェリ軍楽隊そのものを見たのか?いや、そうではないと思おう。しかし、トルコの軍隊と軍楽隊は欧州に強いインパクトを、恐怖感を与えた存在だった。それは、下記のような歴史があるからだ。 ~~~~~~~~第一次ウィーン包囲出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』第一次ウィーン包囲 : Erste Wiener Türkenbelagerung)とは、1529年、スレイマン1世率いるオスマン帝国軍が、2ヶ月近くに渡って神聖ローマ帝国皇帝にしてハプスブルグ家の当主、オーストリア大公であるカール5世の本拠地ウィーンを取り囲んだ包囲戦。オーストリア軍が何とか踏ん張ってウィーンの陥落だけは避けられた。第二次ウィーン包囲出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』第二次ウィーン包囲は、1683年に行われたオスマン帝国による最後の大規模なヨーロッパ進撃作戦である。オスマン軍はオーストリアの首都にして神聖ローマ帝国の居城であるウィーンを大軍をもって攻撃したが拙速な作戦により包囲は長期化し、最後は反オスマン帝国を掲げて結集した中央ヨーロッパ諸国の連合軍によって打ち破られる惨憺たる敗北に終わった。 ~~~~~~~~この中央ヨーロッパ連合軍の主力はポーランド軍であるそのポーランド兵の一人がオスマン軍が残していった緑色の豆を使ってコーヒー店を始めたそれが、ウィーンナーコーヒーの起源になったまたウィーンでは戦勝の記念に憎きトルコの国旗の三日月をかたどったパンを焼くことが許され、このパンが「クロワッサン」(三日月という意味)になったことは数日前の日記に書いたばかりだ。 ~~~~~~~~最後にアントルモン先生が模範演奏をしたが、自分が指導した手前上か? テンポの取り方が極端な、クセの強い弾き方であった。ちょっとミスタッチもあった。
2008.10.01
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