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化女沼にオニヤンマがいました。沼にいたのも交尾した場面に遭遇したのも珍しいです。高い木にぶら下がるようにとまりました。2時間に及ぶともいわれています。
2010年08月31日
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サギコロニーのサギの雛も育ちもう餌をやっている姿は見られません。巣立ったようです。羽を痛めて北国に帰れなかった白鳥がいました。川辺にはオオアワダチソウとミソハギの花が咲いています。静かです。暑さのせいでしょうか。ダイサギサギ (1) posted by (C)トンボサギ posted by (C)トンボオオハクチョウサギ (2) posted by (C)トンボミソハギミソハギ posted by (C)トンボ
2010年08月30日
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今年見た赤とんぼです。見分けられるようにトリミングして胸の模様がわかるようにしました。ミヤマアカネマユタテアカネマイコアカネナツアカネアキアカネコノシメトンボノシメトンボ
2010年08月29日
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昨年8月私の住む町の満蒙開拓地を訪ねる中国友好訪問に隣の家のYさんが参加されました。その報告集を、先日帰ったときにもらってきました。Yさんの家は、俳人で名を馳せた梅女の碑や明治天皇が巡幸の際に水を飲むのに立ち寄った碑のある名家で、我が家の祖先もこの家の出です。戦前Yさんの父は村役に就いていました。当時の国策に基づき皆を説得して広大な満州の地に新天地を求めて村人を連れて行きました。分村は黒竜江省五大連池市内です。冬には氷点下30度にもなる極寒の地です。(私の実家のある村は猫の額ほどの田畑で生活をしていた山村です)Yさんは当時4歳です。一昨年、Yさんの亡くなった兄さんからも満州での暮らしを聞きました。今まで口に出来なかったことを、不自由な口で自戒をこめて話していたことが耳に残っています。現地の人の牛を取り上げたり、迷い込んできた少女をなぶったりしたことなど、罪深いことをしたと。訪中の旅で知る旧満州 ハルピン 我が一家8人が分村で暮らした期間は2年5ヶ月。敗戦後まもなく匪賊に分村は占領され、村民は逃げ出す。日本に帰るしかないと、身に持てるだけの姿で逃げ、逃れた者は丸裸。食べ物は無く、トウモロコシ畑の暗闇の中、線路を頼りに進む。生トウモロコシを食べ腹を下すこともあった。どの辺りかで貨物列車に飛び乗りハルピンへ到着、当時の「室町小学校」(現在「ハルピン市兆麟小学校」)に逃げ込む。 聞いた話では、我が父は匪賊に襲われ村民全員が逃げたことを新田分村に報せに当時の満人クウニャンと行き、その帰り途中で撃たれ死亡したとのことであった。そして後日、その同行したクウニャンが馬に乗ってこのことを報せにハルピン小学校迄来て、父の遺品の頭髪と入れ歯を渡してくれたこと。よく我々の居た場所を探して来たかと思うと頭の下がる次第である。そのクウニャンは後でひどく責められたようで大変申し訳なく思います。ハルピンには数ヶ月の滞在で、冬には長春(旧新京)に移動したとの事。我が一家の新京での暮らしは次のようなものでした。長姉と長兄は満人の家に食いブチを稼ぎに出た。どの満人も良くしてくれて、病気になった時などは薬草を飲ましたりツボお押したりで治してくれたの事。次姉は医者のオテコ(手伝い)で患者の世話をしていた様だ。すぐ上の兄と我と弟は、母と共にいた。ロシア兵(ロスケ)に「何か頂戴、頂戴」と身振り手振りで食べ物をネダリ貰うのが上手だったとの事。その内にチブスが大発生し、大勢の死者が出て兄と弟もチブスに罹り死亡する。そしてその他大勢の死者と共に焼かれ埋められたようです。当時、長姉は我々と一緒に満州に行かず名古屋で渡辺製菓に勤めていたが、昭和20年4月頃、名古屋に爆弾が何度も落とされ、怖くなり親のいる満州に意を決して来た。 母の引揚げは我々とは別に長姉の付添で後からとなった。病院船で佐世保港に着いたが、伝染病などでなかなか上陸させてもらえず、そうこうしているうちに体力が衰え病気が再発して亡くなった。長姉は母の遺骨を抱き抱え故郷に帰った。「戦争で残した悲劇」とは言え、約3年半の短期間での我が一家の破滅はあまりにも冷酷であり、無情である。言いようの無い無念の気持ちが頭からなかなか消えない。父は殺され、幼い子供も2人亡くし、母親も日本の土を踏むことなく船の中で亡くなり子供達4人だけが日本の地を踏みました。帰ってきた後も、子供達だけだったので、預けていった田んぼは農地解放を理由に、返してもらえず、兄弟姉妹4人(4歳~)どんなに苦しい生活をしていかなければならなかったかは言うまでもありません。
2010年08月28日
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少し涼しくなって、近くの江合川を散策しました。川沿いには濃黄のアワダチソウが咲いていました。これもセイタカアワダチソウと同じ北米原産の帰化植物ですが、こちらは日本の風景に溶け込んだ感がします。花の周りをモンキアゲハ、モンシロチョウやベニシジミが飛び回っていました。川沿いには、ヒメアカタテハがいっぱい飛び回っていました。ヒメアカタテハ 姫赤タテハオオアワダチソウ 大泡立草 キク科 アキノキリンソウ属オオアワダチソウ posted by (C)トンボオオアワダチソウ posted by (C)トンボオオアワダチソウ posted by (C)トンボ
2010年08月26日
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化女沼にはナツアカネがいました。少し赤くなっています。ミヤマアカネもいました。ナツアカネの赤もミヤマアカネの赤も、それぞれいい色ですね。例年いっぱい咲くシンテッポウユリは、今年はとても少ないです。数本です。ナツアカネ 夏茜 茜属♂ナツアカネ posted by (C)トンボ♀ナツアカネ posted by (C)トンボミヤマアカネ♂ミヤマアカネ posted by (C)トンボ今年はシンテッポウユリの数が例年になく少ないです。シンテッポウユリ posted by (C)トンボキツネノカミソリも、少し色が褪せていました。キツネノカミソリ posted by (C)トンボ
2010年08月25日
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化女沼の干潟状になったところにはコムラサキのほかにはルリシジミがいっぱい来て吸水していました。ルリシジミ 瑠璃蜆いつも迷うのですが、ヤマトシジミとルリシジミの区別が何とか付きそうです。違いです。1 翅の地の色 ルリシジミの方が色が白い ヤマトシジミは褐色気味。2 目の色 ルリシジミは黒色 ヤマトシジミは灰色。3 翅の斑紋 ルリシジミは小さく、ずれている ヤマトシジミはカーブの上。ルリシジミヤマトシジミ庭にいたヤマトシジミ庭にはツバメシシミもいました。(裏技を使って接近して撮影しました。)(追加)羽の表
2010年08月24日
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化女沼の水辺で水を吸っていた蝶がいました。はじめて見る蝶です。翅を翻すとムラサキに輝きます。 YOUTUBE動画 → コムラサキコムラサキ(小紫) タテハチョウ科光を受けると、美しく紫に輝きます。地味に見えたチョウが、翅を翻すと突然青く輝きます。これはモルフォチョウと同じ、鱗粉による構造色で光の受け方によります。オオムラサキの青い色もすてきですが、コムラサキの色の変化もいいです。もちろん輝くのはオスだけです。
2010年08月23日
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暑さで外出を控えていましたが、久しぶりに夕方に化女沼に行きました。林の端の草地の上をトンボの群れが飛び回っていました。昨年始めて確認した盆トンボです。今まではアキアカネのまだ赤くならないものだと思っていましたが、たまたま止まったトンボを見て別なものだと知りました。世界で一番ありふれたトンボです。昨年暮れにはネパールでも見かけました。先日、信州でも北沢美術館を見終わったとき、道路の上を群れになって飛んでいました。今、ここでもいっぱい飛び回っています。なかなか止まってくれません。念のためにこのトンボを捕まえて、丁重に調べさせてもらいました。罰が当たりませんように!ウスバキトンボ(薄羽黄蜻蛉)お盆の頃に多いので「精霊とんぼ」「盆とんぼ」「招来トンボ」「仏トンボ」と呼ばれています。「ご先祖様の霊がトンボに乗って盂蘭盆会に里帰りされた」として、各地で大切にして捕ってはいけないと戒められています。寒さに弱いので日本で冬を越すことが出来ず、春に東南アジアの暖かな地方から九州にたどり着き、世代交替しながら少しずつ北上して北海道までたどり着きます。そして寒さの訪れとともに北の地方から死んでいきます。長所は長時間飛び続けられることと、幼虫から成虫になるのに1ヶ月で、とても早いことです。この温暖化で日本でも冬越しするものが現れるかもしれませんね。
2010年08月22日
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今日は暑いですね。なかなか一気に秋とは行かないようです。これも故郷信州の思い出からです。花と蝶、お互い切っても切れない関係ですが、画像もぴったりおさまります。モンシロチョウモンキチョウ
2010年08月21日
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ふるさと信州の思い出から、庭のチョウたちです。オオミスジは私の始めてみた蝶です。ヤマトシジミ
2010年08月20日
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今日、故郷から帰ってきました。帰る数日はやはり信州も暑かったです。今日は、こちらは涼しいですね。故郷の庭にいつも見られたのは、この赤とんぼです。赤とんぼの赤い色はとても素敵です。ミヤマアカネ (深山茜) トンボ科 アカネ属深山に住む赤トンボの意味ですが、里山に多いそうです。翅に帯があるので、簡単に見分けられます。成熟したオスは真っ赤になります。幼虫は池や水たまりではなく流水を好む清流のトンボです。自然の川原が少なくなり、数が激減しました。
2010年08月19日
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我が家の庭にはクモが糸を張り巡らしています。朝日や夕日の光を受けると虹色に輝きます。ピンク色は百日紅の花です。クモ (2) posted by (C)トンボクモ (1) posted by (C)トンボ
2010年08月18日
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今日はアール・ヌーボー期のガラス工芸のコレクションでは世界有数のものと言われる北澤美術館に行きました。昆虫をデザインしたガラス工芸品が興味深かかったです。東山魁夷「緑のハイデルベルク」などの現代日本画も展示されています。絵画は撮影禁止です。エミール・ガレの作品です。代表作「ひとよ茸ランプ」エミールガレ posted by (C)トンボ北斎の絵を参考にしたもの。エミールガレ posted by (C)トンボエミールガレ posted by (C)トンボエミールガレ posted by (C)トンボエミールガレ posted by (C)トンボエミールガレ posted by (C)トンボエミールガレ posted by (C)トンボ
2010年08月17日
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今日は妹と母と3人で、お墓参りをしました。様々な思いを持ちながら、人生途上ではからずも中断させられた愛しき人、父、同級生や多くの有縁、無縁の人たちの私たちに託された思いに心を巡らせました。(昨年書いた内容を手直ししました。)以前、町の公民館の記事に載っていた小泉八雲の次の言葉に出会いました。日本人の祖先の魂は何時もその辺を漂っていて子孫の生活を見ている。手出しも口出しもせず、ただ見ているだけで見守っているわけではない。 私たちは亡くなりし人たちを祭壇に祀り、冥福を祈りますが、私たちこそ逝きし人々の願いや思いがこめられた生の祭壇に祀られし者なのかも知れません。自分たちはもう走れないから、私たちの代わりに走ってほしいと。私たちはその願いや思いを託された存在なのでしょうか。はたし得ぬ思いを持って私たちの目の前から去っていった私たちの愛し慈しみ人たちの願いや思いに、私たちはどれだけ応られる生き方をするにかかっているのでしょう。久しぶりに雲が晴れ、故郷の山並みが見えました。私は故郷の墓地から見る故郷の山の姿が好きです。山並みは南アルプスの山、流れる川は富士川、川沿いに国道20号、川向は甲斐の国(山梨県)
2010年08月16日
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8月15日 終戦(敗戦)記念日 戦後65年1945年8月15日。今から65年前、日本はポツダム宣言を受け入れ、終戦(敗戦)に至った日です。戦没者は実に310万人を越えています。愛するものを失った悲しみは65年間、1日たりとも消えることのないものであったであろうことを思い、再び同じ過ちを起こさないことを誓いたい。国体の維持にこだわって犠牲を増やした日本、戦後の世界戦略から焦土作戦を実行し罪なき市民を犠牲にしたアメリカ。1人の人間の命は愛するものにとっては地球より重いものだということを認識して欲しいものです。今年の6月、韓国併合100年の記念すべき年に近くて遠い国・韓国に行ってきました。1000年前の古代韓国の都である百済、新羅、加羅、そして発展する現代のソウルを見てきました。歴史的な日韓の共通する文化と交流の深さを肌で感じました。また多くの文化財が秀吉により破壊され、日本統治時代の陰の部分も感じました。人はとかく被害者としては理解しても、加害者としての側面に目を背けてしまいます。過去に犯した過ちを正しく見つめ、再び同じ過ちを繰り返してはならないと思います。水原の華城の帰りは地下鉄を利用してソウルのホテルに帰りました。その地下鉄の中で子どもの頃に日本統治下で学んだというKさんに出会いました。子供の頃の思い出を片言の日本語で懐かしく話してくれました。その話は天皇教育、創氏改名、日本語教育の強制がいかに強力に推し進められたか想像できるものでした。私たち日本人に恨み言を言うようなものではなく、あくまで昔の子どもの頃の出来事を懐かしく思い出しているような話しでした。時に思わず言葉に力が入って大きな声で。ここまでに話せるようになるまでの時の流れに思いを巡らせました。乗り換えのときは、その列車の位置まで道案内して頂き本当にカムサンミダ!最近父の遺品から出征の時の寄せ書きが出てきました。平壌ピョンヤンへです。父は生きている時、戦争のことは一言も口に出しませんでした。口に出せないものだったのでしょう。母もしまい込んだものを広げて懐かしく見られる時間の経過があったんでしょう。
2010年08月15日
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子どもの頃いつも遊んだり仕事の手伝いをしていたふるさとの野山を歩きました。見かけたのはホタルブクロです。子どもの頃は盆花に取ってきたものです。今はここも都会並みに花を買いますが、昔は野山に咲くオミナエシ、キキョウ、ユリ、ホタルブクロの花を取ってきて飾ったものです。これも子どもの仕事でした。しばらくぶりに裏表がある?蝶に出会いました。裏、表があるとは、この蝶のための言葉でしょうか。 裏も覗いてみたいと言う方は ウラこの場所、この時間に偶然で会えた生きものたちとの一期一会の出会いに感謝です。広角しか持ってこなかったので、遠くからのショットです。クジャクチョウ (孔雀蝶) タテハチョウ科 裏は紫がかった黒です。ヤマホタルブクロ ここの地域にあるのは、ほとんどヤマホタルブクロです。 この色合いが、とても自然で、いいです。
2010年08月13日
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台風の影響が、ここにも及んでいるようです。涼しいです。朝から時雨で、霧雨が庭に真珠のネックレスを作り出しています。
2010年08月12日
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アカトンボがもう1種類いました。やはり宮城と信州では庭に来るトンボの種類が違うものですね。このトンボは、私としては初めて確認しました。コノシメトンボ ♂ 小熨斗目蜻蛉 アカネ属 羽がノシメ、赤さはナツアカネと言った感じです。庭のサンショウの木には(ナミ)アゲハの幼虫が2匹いました。
2010年08月11日
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昨日、ふるさとに帰郷しました。こちらはとても涼しいです。立秋を過ぎて涼しくなったのでしょうか。それとも信州が涼しいのでしょうか。エアコンなしで過ごせるのがいいです。家の庭のトンボです。体か赤くなっています。秋の兆しでしょうか。マユタテアカネミヤマアカネ我が家は道路向かいのガソリンスタンドは30数年続いていましたがついに閉鎖です。我が家の土地などので返すそうですが、返されても使い道がないです。庭の花は何事もなかったように、今年もまた黄色い花を一杯に咲かせていました。この黄色い花はヒメヒマワリだそうです。
2010年08月10日
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伊豆沼のハスの周りには小さな白い花がいっぱいでした。アサザを小さくしたような花です。ガガブタ
2010年08月09日
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今朝、伊豆沼に行きました。伊豆沼はハスの花が例年に無くいっぱいで、沼を埋め尽くしていました。白いハスの花が咲いているのに気づきました。ハスは交雑しやすいのだそうです。ハス1 posted by (C)トンボハス posted by (C)トンボハス3 posted by (C)トンボハス2 posted by (C)トンボハス4 posted by (C)トンボ
2010年08月08日
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いこいの森はコブシの実がすこし赤みを帯びています。今年は豊作のようです。トンボはオニヤンマがいっぱい飛び回っていました。蝶はほとんどコミスジです。オニヤンマオニヤンマ posted by (C)トンボオニヤンマ posted by (C)トンボコミスジコミスジ posted by (C)トンボコブシ辛夷 posted by (C)トンボ
2010年08月07日
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今日は立秋です。今日が暑さの頂点になってほしいです。明日から残暑ですね。いこいの森は林道も草で覆われ、入りがたいです。いいような悪いような。オニヤンマがいっぱい飛び回っていました。彼岸花の仲間のキツネノカミソリが咲き始めていました.秋の気配といったところでしょうか。キツネノカミソリ 狐の剃刀(彼岸花科) ワスレグサキツネの変幻するごとく、葉がいつの間にか姿を消し、いきなり花が咲く。 「葉見ず花見ず」 花が終わると姿を消します。有毒です。葉がカミソリに似ているから、この名前です。キツネがつく花の名前は、本来のものより劣るということのようです。キツネノカミソリ posted by (C)トンボキツネノカミソリ posted by (C)トンボ
2010年08月07日
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今日の日を忘れないために、昨年の内容に加筆しました。核兵器の持つ残虐性が希薄になっている今、唯一の被爆国として核兵器廃絶の願いを今日の日に託したい!!広島は65回目の「原爆の日」を迎え、平和記念式典で秋葉市長は日本政府に、米国の「核の傘」からの離脱と非核三原則の法制化、核不拡散条約(NPT)で核兵器禁止条約実現のために、日本が主導的役割を果たすよう訴えました。今年はオバマ大統領の昨年4月のプラハ演説以降、核軍縮の機運が世界的に高まり、原爆を投下した米国の駐日大使、核兵器保有の英仏代表、潘基文国連事務総長が初めて参列しました。核保有国ロシアも含め過去最多の74カ国の代表が参列しました。ヒロシマ被爆65年 ヒロシマの願い 今からちょうど65年前の今日1945年8月6日午前8時15分人類史上初めての原爆がヒロシマに投下されました。そして14万人もの貴い命が失われました。犠牲になられながら名前も定かでない方も多数います。愛するものの命を失われた人にとっては、1日も忘れることの出来なかった65年だったと思います。また今尚多くの人たちが被爆の後遺症に苦しんでいます。 NO MORE HIROSIMA現在世界には核兵器保有国は5大国だけでなく、イスラエル、インド、パキスタン、(北朝鮮?)が持っています。再び核兵器が使われることのないことを強く願います。ヒロシマの平和公園にある峠三吉(享年36歳)の詩です ちちをかえせ ははをかえせ としよりをかえせ こどもをかえせ わたしをかえせ わたしにつながる にんげんをかえせ にんげんの にんげんのよのあるかぎり くずれぬへいわを へいわをかえせ
2010年08月06日
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化女沼には、トンボもすくなくなりました。チョウは、ほとんどジャノメチョウです。この時期、こんなに多いんですね。文字どうりジャノメ科を代表する蝶です。ジャノメチョウ 蛇の目蝶 ジャノメチョウ科黄色い盆の花(仏花)アワダチソウも咲き始めました。セイタカアワダチソウと同じく北アメリカ原産の帰化植物です。性格おとなしいく繁殖力がセイタカアワダチソウのように強くないです。花も似ていますが、こちらの方が一足先に咲きます。オオアワダチソウ(大泡立草) キク科
2010年08月05日
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久しぶりの化女沼は、今年もまたあの黄色い花が生垣のごとくに林の縁に咲いていました。年毎に増えてきているようです。だいぶ除草されていましたが、この花が残っているのは危険な植物だという認識が無いのかもしれません。奥日光、尾瀬や飛騨では大繁殖し毎年駆除作業を行っているそうです。オオハンゴンソウ(大反魂草) キク科環境省「外来生物法」による特定外来生物 に指定されています。(栽培,販売,譲渡などは原則禁止です。)北アメリカの原産で、園芸植物として明治時代に入ってきました。花が大きいハンゴンソウという名前ですが、あまり似ていません。反魂とは死者を蘇らせるという意味です。モンキチョウモンキチョウ posted by (C)トンボジャノメチョウ posted by (C)トンボ
2010年08月04日
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昨夜の江合川の花火大会続きです。 YOU TUBE 動画 花火大会こうしてみるとクラシカルな花火のパターンは少なくなったのでしょうか。撮影はキャノンイオスX3、標準レンズ18-55ミリです。撮影の条件はネットで調べて次のようにセットしました。次の2通りで撮影しました。 ISO 100、400ホワイトバランス 太陽光、白熱球 Mマニュアル F 8、11 1~4秒フォーカス MFで∞ (∞は回しきると少し余裕があるので注意。オートはタイミングが遅れる)*タイムラグがあり、押すタイミングがずれるので早めにシャッターを押す。花火5 posted by (C)トンボ花火1 (5) posted by (C)トンボ花火1 (1) posted by (C)トンボ花火1 (2) posted by (C)トンボ花火1 (3) posted by (C)トンボ花火1 (4) posted by (C)トンボ
2010年08月03日
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今日は近くの江合川の花火大会でした。夕方には雨が降り出しましたが、何とか開始時間には晴れ条件は悪かったですが開催しました。花火 posted by (C)トンボ花火(5) posted by (C)トンボ花火 (4) posted by (C)トンボ花火 (3) posted by (C)トンボ花火 (1) posted by (C)トンボ
2010年08月02日
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相野沼にいたチョウです。春先見かけるチョウと別種かと思うほど色がくすんでいました。この暑さで日焼けしたみたいな色合いです。キタテハ (黄立羽) タテハチョウ科夏と秋の季節型があります。成虫で越冬し、3月には再び姿を現します。秋型は橙色の部分が濃く翅の縁の切れ込みも深い。後翅表の黒い紋には蛇の目模様の様な青白い点があります。夏型秋型 3月6日 化女沼にて
2010年08月02日
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ハスの花が満開の相野沼はヒシが沼を覆い、トンボが少ないように感じました。沼辺でユーモラスな蛾を見つけました。オスグロトモエ ヤガ科 巴紋の模様です。 ハグルマトモエと似ていますが大きさが違います。ハスの花の手前はヒシです。花が咲いていました。
2010年08月01日
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