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大川小学校ルポ
(ここで娘を亡くし、息子は九死に一生をえた父の思いとは)
(伝承館に置いてあった冊子です。ここに裁判を含む詳細が記されています。
読んでみてとても参考になりました。同じものがネットにありましたので、
ぜひ目を通してみて下さい。)
小さな命の意味を考える
(大川小学校に設置された説明板に記載されたものを書き写してきました。)
●学校の地理的状況
北上川河口から直線で 約 3.7 ㎞
北上川の右岸堤防から約200m
海抜 1.12 m ( 昭和50年た石碑に記載 )
●学校周辺の被災状況
津波は、家や車や土砂、そして長面海岸の数万本の松の木を巻き込み、黒い壁となって
北上川を遡りました。やがて堤防から溢れ出た津波は町を学校をのみ込んだのです。
全長566mの新北上大橋は、左岸側155mが津波により落橋し上流へ押し流され
間垣の河川堤防は、約 1100
mに渡って決壊しました。
●地震発生から津波到達まで
14:46 地震発生
14:49 校庭に遊難開始
14:52 防災行政無線による大津波警報の広報 スクールバスは学校前に待機
15 : 30頃 児童を迎えに来た保護者への引き渡し
体育館が地震・津波時の避雛所に指定されていたため地域住民が避難
してくるが落下物等の危険があると判断し避難所とはならなかった。
山への避難を呼びかける声があった
15:25~30 石巻市河北総合支所の広報車が、北上川河口付近の松林を津波が
越えてきたことを告げながら高台避難を呼びかけ学校前を通過
15:36 自転車小屋脇の狭い通路から三角地帯へ向けて避難開始
15:37 避難途中.川側からの津波に遭遇する 学校へ津波到達
●被災状況
全校児童 108
名中、欠席と引き渡しなどで下校した児童を除き。学校管理下にあった
78
名のうち 74
名が津波の犠牲となりました。そのうちの4名は今も見つかっていま
せん (2021
年 6
月末現在 )
。その場にいた教職員も 11
名中 10
名が犠牲となりました。
犠牲になられた子供たちや教職員へ心からの哀悼の意をささげました
教室から体育館への渡り廊下
白い看板のあるところの高さまで津波が来ました。
多くの人のなぜ裏山にと言われる、裏山の登り口。子供でも楽に登れます。
この緩やかな坂を登るとコンクリート敷設の高台に出ます。
ここから学校全景と北上川がよく見えます。我々以外に登る人はいませんでしたが、大川小学校に来たらここにぜひ来てほしいです。子供たちの遊んでいる姿を思い浮かべながら昼食しました。
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