2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全5件 (5件中 1-5件目)
1

<華泰茶荘と遊茶の開店>どんなに情報が流通しても、身近なところにお茶を購入・味わえる場所が無ければ広まりません。ちょうど出版ラッシュが起こる前後に、品質の高い中国茶を扱う新しいスタイルのお店のオープンが続きました。身近で中国茶に触れられ、良質な茶葉を入手できるお店が増えた、ということもブームの一翼を担っています。新しいお店がオープンすれば、雑誌などでも採りあげられ、またブームが広まる・・・という良いスパイラルが生まれていたようです。まず、1996年、東京の芝大門に華泰茶荘がオープン。品質の良い台湾茶が手軽に買えるようになりました。2000年には茶館も併設した渋谷店を開業します。そもそも、ここの本家である林華泰茶行は、卸売り主体の問屋然としたお店で、原則台湾茶のみ。それも比較的リーズナブルなお茶が得意分野です。 が、この日本店は、当時の書籍で紹介されていたような日本での中国茶の飲まれ方に合わせています。さまざまな種類の中国茶を取り揃えたり、珍しい台湾茶や高級茶を揃えたり。台湾の店とはある意味、正反対・真逆のコンセプトです。当然、そのノウハウは無かったはずなので、日本オープン後に猛勉強と仕入れルートの開発をしていたわけです。日本に進出したものの撤退するケースが多い中、今日まで続いているのは、このような現地化の努力があったからだと思います。見逃されがちですが、ここはもう少し評価されても良いのかな、と思います。続いて、1998年には遊茶の表参道ショップが開店します。このお店は、「中国茶は本当は美味しいのに!」というお茶好きさんたちの沸々とした思いからオープンしたお店です。バックボーンの無いところからのお店づくり。しかも黎明期ですから、立ち上げは本当に大変だったのではないかと思います。このお店は、表参道という場所柄もあり、中国茶のイメージがガラリと変わるお店だったのではないかと思います。東京に上記2軒が開店したインパクトは、すこぶる大きかったのだろうと思います。オープン後も、現地の茶業機関(中国茶葉協会、中国茶葉流通協会等)との交流を続け、かなり正確に現地事情をキャッチし続けています。これは簡単にできることではありません。この他にも、東京では茶農家直接買い付けにこだわる今古茶藉さん(1998年)、阿里山の茶農家さん直営ともいえる三宝園さん(2000年)など。大阪では、無茶空茶さんが教室を始められていたり、名古屋のL'O-Vuさんも2000年スタート。広島の姫茶伝さんは1998年に営業開始です。こんなふうに今に続く、有力なお店の多くはこの時期に集中して開業しています。こうしたお店のオーナーさんたちは、元々は茶業界とは縁の無かった、お茶好きの人たちが多かったように思います。分からない世界ではあるけれども、”中国茶の魅力を伝えたい”という使命感を持ち、オープンされたわけです。立ち上げから何まで、それこそ無我夢中で取り組まれた結果が今日の礎を築いたのだと思います。一方、老舗の部類に入る横浜中華街の悟空さんも、喫茶を併設した新機軸の店舗、悟空茶荘を2001年にオープンされています。このへんはさすがですね。<品質の良いお茶を知識や情報とともに>これらの”セカンドウェーブ”ともいうべきお店の傾向として、「良質な茶葉を扱う」「多くの種類を取り揃える(多品種少量輸入)」「お茶の効能推しをしない」「お茶にまつわる知識や淹れ方を伝達する」という特徴があります。良いお茶は当時でも、それなりの値段がしたものです。とりわけ、多品種少量輸入となると、どうしても輸入にかかる1gあたりのコストは重くなります。お茶を1トン輸入するのも5kgを輸入するのも、通関手続きは一緒ですし、検査費用も変わりませんので。#スーツケースに放り込んで持ち込めば、このようなコストはかかりませんが、それを販売するのは食品衛生法違反です。結果、それまで流通していたお茶(500gで1000円のような特売感覚のお茶)とは、だいぶ値段が違うものになります。そもそもの茶葉の価格が全然違うので、50gで数千円という値段のものも棚に並ぶわけです。初めて見た人は大体カルチャーショックを起こします(←私もそうでした)。日本では、こうした高級なお茶を買い求めるという習慣は、ごく一部の方を除いてはありませんでした(そして、今もありません)。お茶があまりにも身近にありすぎるために、本来よりも価値が低く見られがちなんですよね。お店に入れば無料でお茶出てくるし、スーパーの緑茶は100gで500円を切ってるし。もっとも、これは消費者側だけの問題で無く、従来の流通側でも「日常茶飯」という言葉を、どうも過剰に解釈してしまうケースがあるようです。結果、「日常的に飲むものなのだから、お茶の値段は安くないとダメだ」とか「高いお茶を売るなんて、けしからん」とまで言うお茶屋さんも結構いました(今でもいます)。良いものをつくる作り手さんや流通の担い手さんにとって、こうした旧態依然とした考え方は、実に頭の痛い問題です。こんな状況でしたから、手頃なお茶を仕入れる努力をするのはもちろんですが、飲み手の方のお茶への認識を変えることにも、こうしたお店は取り組む必要がありました。「あまり馴染みの無い、良質なお茶をどうやって飲んでもらうか?」と考えた結論。それが「知識や情報を熱意を持って伝え、お茶の良さ・魅力を理解してくれる人を育てていく」というスタイルでした。はじめは、購入してもらったお茶の本来の美味しさをしっかり味わってもらうための淹れ方。そんなベーシックなところから始まり、お茶の歴史や文化、製法や産地の様子、気分に合わせた楽しみ方など。お茶にまつわる様々なお話を丁寧に伝えていくことで、お茶の魅力に気づいてもらうわけです。これはお茶の価値を高め、理解してもらう活動とも言えるかもしれません。従来のお茶の販売店から見たら、極めて非効率なやり方に見えます。よほど同業者組合でも組織して、そこからスポンサーフィーでも払い、「このお茶は○○に効く!」とマスコミに採りあげてもらった方が、手っ取り早く売上は上がったでしょう。その方が、お店側の苦労は遙かに小さくてすみます。しかし、「それでは一過性で終わる」というのは、これまでの中国茶の歴史が証明していました。実際、2003年には伝説的なテレビ番組『あるある大事典』で「凍頂烏龍茶が花粉症に効く!という話が採りあげられ、一時的に凍頂烏龍茶ブームにもなったのです。が、案の定、そのブームは長続きしませんでしたし、「これが凍頂烏龍茶?」というような紛い物のお茶が流通するようになりました。品質の良いものを扱っている人にとっては、迷惑以外の何者でもありません。効能を煽れば、一時の売上は上がるかもしれませんが、本当の意味でのファンを増やすことには繋がらないのです。そんなわけで、”単なるお茶の販売店”というよりは、”茶文化を伝えるお店”の奮闘が、この時期から日本各地で始まったのです。続く。にほんブログ村パイオニアには苦労があります
2015.11.13
コメント(0)
<『中国茶の魅力』の発刊>1970~80年代、中国茶について語れること・商品PRといえば、ほとんどの場合において「効能」でした。これではお茶を選ぶのにも、メーカーの主張する「一級茶葉」とか「福建省」というキーワードを信用するぐらいしかありません。ワインやコーヒーなどを見てもそうですが、そこに語れる何か(製法だったり、歴史だったり)が無いと、嗜好品としての魅力は生まれてきません。そんな中、1990年につぼ市製茶舗の故・谷本陽蔵先生の手による『中国茶の魅力』が刊行されます。これは中国のお茶の概略について、歴史や種類、生産方法、飲み方に至るまで、こと細かに記した本です。当時の日中間の往来や中国茶業界の状況を考えると、驚異的な情報量が詰め込まれた一冊だったのではないかと思います。茶業関係者が書いた本、という意味でも貴重なものでした。この本がある意味、日本における中国茶のバイブルのような存在になります。日本において、中国茶の専門的な情報を形作った一冊といっても良いかもしれません。1997年には改訂版も出版され、長らく読まれた本となりました。翌1981年には、故・布目潮フウ先生の『中国 名茶紀行』が発刊されます。現地の旅行記の体裁をとった中国茶の本で、龍井茶や烏龍茶などについての言及も時には細かく行われています。このように立て続けに良書が出てくることで、一部の愛好家にとって中国茶は、もはやただの健康茶では無くなっていきます。この他にも松下 智 先生がやや専門的な本も出版されていました。こうした書籍が日本における中国茶知識の下地となり、1996年頃からの中国茶本の発刊ラッシュに繋がります。※書籍以外の面でも、高橋忠彦先生とラサ企画の亀岡さんが1985年から続けてこられた、東京中国茶文化研究会や茶館銀芽の地道な活動があったことも、ここで触れておきたいと思います。<中国茶関連本の発刊ラッシュ>1997年、香港が中国に返還されました。1999年には、マカオも返還されます。その数年ぐらい前から、香港・マカオや中国に対しての関心が一時的に高まった時期があります。返還ブームというやつです。この時期を目がけての出版業界の戦略?だったのだろうと思いますが、1996年頃から中国茶の本がたくさん出版されるようになります。書名をいくつか年毎に挙げていきます。#簡単な内容紹介は中国茶情報局の中国茶の本棚でご覧下さい。<1996年>『岩茶-究極のウーロン茶「大紅袍の世界」』 左能 典代 著『中国茶と茶館の旅』 平野 久美子・布目 潮フウ 著『中国茶 雑学ノート―「清香(チンシャン)」世界へのいざない』 成田 重行・工藤 佳治 著『中国茶読本』 島尾 伸三 著<1998年>『香り高き中国茶を楽しむ-中国茶入門』 菊地 和男 著<1999年>『中国茶の楽しみ 雑学ノート』 成田 重行・工藤 佳治・兪 向紅 著『中国茶・アジアの誘惑』 平野 久美子 著<2000年>『香りを楽しむ中国茶の事典』 成美堂出版『中国茶図鑑』 工藤 佳治・兪 向紅・丸山 洋平 著『中国名茶館』 左能 典代 著『満里奈の旅ぶくれ―たわわ台湾』 渡辺 満里奈 著<2002年>『はじめての中国茶』 工藤 佳治 監修『中国茶の本―選び方・いれ方・楽しみ方入門』 平田 公一 監修『中国茶めぐりの旅』 工藤 佳治 著『中国茶・五感の世界―その歴史と文化』 孔 令敬 著<2003年>『中国茶で楽しむ十二か月』 黄 安希 著『おいしい中国茶。』 林 聖泰 著『中国茶 風雅の裏側―スーパーブランドのからくり』 平野 久美子 著『中国茶文化』 棚橋 篁峰 著これらの本ですが、多くが出版関係の方によって書かれたものであり、いずれも本としての完成度が高かった印象があります。たとえば左能先生や工藤先生、平野先生は元々、出版社勤務。編集者としての実力もある人たちが書いた本ですから、それは完成度が高くなります。”いわゆるお茶の専門家が本を書いた”のではなく、”本を書く力のある人がお茶の本を書いた”というのがこの時期の中国茶関連書籍が売れ、またハイペースで出版が続いた理由ではないかと思います。こうした完成度の高い書籍が次々に書店の棚に並べば、手に取って見る方も多くなります。さらに、女性誌などでの特集も多く組まれていました。2001年には、脇屋シェフが出演し「NHK趣味悠々」でも中国茶が採りあげられるなど、完全にブームの様相を呈します。<この時期の本の特徴>この時期に発刊された本は、これまでの健康一辺倒の中国茶では無く、むしろ中国茶の種類の豊富さ、バリエーションの魅力を伝えたものが、ほとんどでした。単なる「ウーロン茶」ではなく、安渓鉄観音や大紅袍のような細かな銘柄が出てきたほか、気分に合わせてお茶を選ぶ、という感覚を打ち出したものが多いように思います。さらに多くの本では、お茶の謂われやその歴史といった点も紹介されていることが多いです。そこで紹介される話の中には、俗説に類するものも多かったのですが、当時はそれも1つの新鮮な切り口でした。本の中では、最初に六大分類の紹介がされ、その後、中国各地の数十種類のお茶が複数ページにわたって掲載。さらに淹れ方や茶器の紹介とお店のリストが載っている、というのが定番のつくりです。↑この本がある意味、この時代の完成形かもなかでも工藤先生が書かれた各種の本は、完成度がとりわけ高かったように思います。『中国茶図鑑』などはコンパクトな新書形態をとっていたこともあり、これを辞書のように引きながらお茶を飲む、といった姿も多かったです。『はじめての中国茶』などは、中国や台湾でも訳書が出ているほどです。そもそも、全国各地からお茶を取り寄せて飲む、という習慣は、中国や台湾ではありませんでした(台湾に大陸のお茶は入ってきませんし、その逆もありませんでしたから)。これ、中国の長い歴史の中でも王侯貴族か特権階級ぐらいしかできなかった、贅沢な行為なんですよね。それを庶民レベルでやってしまおう、というのを本を通じて、分かりやすく魅力的に提案していたわけです。これは、いわば日本発の中国茶の楽しみ方です。グルメな方はあちこちからのお取り寄せは、普通にやることかもしれません。が、地産地消になりがちなお茶でこれをやったことは、画期的というほかありません。これこそ工藤先生の最大の功績ではないかと私は思います。<インターネットで情報の流れが加速>また、これまで一部の人たちの間でやり取りされていた情報は、インターネットの時代になって様変わりしていきます。パソコン通信の閉じられた世界の中で情報発信をしていた方々がWebサイト(当時風に言えばホームページ)を作り、情報を発信したり、掲示板などを使って、情報の交流を行うようになります。これまで地道に情報を蓄積してこられた、お茶に詳しい一般の愛好家が有する情報が、外に出始めてきたのです。こうした中でも、積極的に情報を発信していた平田公一さんは、その後All About 中国茶のガイドに就任されます。当時、斬新な情報サイトとして、かなりの存在感を見せていたAll Aboutで、多くの情報を精力的に発信されていました。それを毎週のように楽しみにし、バックナンバーを片っ端から見たりして、中国茶を入門していった人も多いと思います。#私もその一人です。このほか、大手の検索サイトであるExciteでも時々、旅に絡めた中国茶情報が掲載されていたり、あちこちに中国茶関連のコラムや紹介記事なども流れていました。また、ネットショップの時代もスタートしはじめており、老地方茶坊さんのように、詳しい情報を掲載するお店も出てきました。インターネットの普及によって、お茶に関する情報の入手性が飛躍的に高まったことも、ブームを後押ししていたと言えると思います。<情報が手に入りやすかったことが第2次ブームを生んだ>香港返還をきっかけに、多くの優れた書籍が出版されたことやインターネットが一般的になったこと。これらによって、中国茶の情報の入手性は飛躍的に高まりました。これが中国茶の第二次ブームを起こしたとも思えます。しかし、ブームはこうした情報だけでは起こりません。これまでよりも遙かに品質の高いお茶を提供・販売する新世代のお店が、この時期に一斉にオープンしていたのです。続く。にほんブログ村香港返還は、きっかけとして大きかったと思います
2015.11.11
コメント(4)
![]()
<輸入されるお茶の品質は低値安定>健康の切り口メインで中国茶が導入された日本の市場ですが、ブームは長く続きませんでした。炭酸飲料から無糖飲料の伸びに助けられた飲料業界は、じわじわと販売量を拡大していきましたが、リーフのお茶の売れ行きは芳しくありません。健康目的で飲む方は、簡便さとコスパ命なので、お徳用のティーバッグになってしまいますし。結局、お茶を大口で購入してくれる先は、中国料理店ぐらいになってしまいます。悪いことに日本では「レストランで出てくるお茶はタダ」という感覚が蔓延しています。そのため、お店が購入するお茶は、基本的に無料サービスで提供するお茶。なので、品質の良さよりは価格が優先されてしまいがちです。結果、日本に入ってくる中国茶の多くは、品質的にはあまり見るべきものがなかったと思われます。もちろん、品質の高いお茶を輸出できるほど作っていなかった、ということもあります。が、そもそも日本国内に買う人がいないんですから、そういう商品しか入ってきませんよね。何でもそうですが「需要」が無ければ「供給」は無いのです。<現地で美味しいお茶に出会う人々>その一方で、仕事や旅行で現地に出かけた際に、美味しい中国茶に出会う方も出てきました。中国本土に入るのは、未だになかなか難しい時代ではありました。が、英語の通じる香港であったり、凍頂烏龍茶などが出てきていた台湾などで、美味しいお茶に出会う人が出てきます。当時の日本で流通していた烏龍茶は火入れが強くて、渋みやザラツキがあり、お世辞にも美味しいとは言えないものでした。味が濃いというかキツいというか、とげとげしいというか。淹れ方にも問題があったのかもしれませんけど、とにかく「美味しくない」のです。※上記は個人の感想です。私が初めて台湾烏龍茶を飲んだのは1986年。1990年頃に日本に帰国し、当時流通していた烏龍茶を飲んだときは、少なくとも上記のような印象でした。が、台湾などできちんとした烏龍茶を飲むと「全然違う!」ということになります。香港であれば、プーアル茶だったり鉄観音だったりするかもしれません。1990年前後には、こうした方々がパソコン通信のニフティーサーブを使って積極的に情報交換をするようになります。「本当は中国茶って美味しいんだよ」という事実を知る人たちが、徐々に増えてきていたのです。ここで情報交換をしているうちに、そのやりとりが情報として集積していきます。特に”茶の文化フォーラム”というところには、日本茶、紅茶、中国茶に関しての豊富な情報が集まるようになりました。こうしたオンライン上で積極的に活動していた方々の間で、次の世代の中国茶ムーブメントが作られていきます。<本格的な茶館の草分け・岩茶房のオープン>時計の針を少し戻し、1988年。東京の目黒に、本格的な武夷岩茶を飲ませるお店・岩茶房がオープンします。オーナーの左能さんが中国で出会った岩茶。この岩茶をどうしても日本で紹介したい、という一念でオープンしたお店です。このへんの経緯は、小説『青にまみえる』に詳しいので、こちらを読んでいただくのがベストかと。【楽天ブックスならいつでも送料無料】青にまみえる [ 左能典代 ]これまでの量産品烏龍茶とは一線を画した、クオリティーの高いお茶が日本でも紹介され、かつ飲めるようになったことというのは、本当に大きな進歩だったのだと思います。もっとも、当時はまだまだ中国茶=健康茶イメージの強かった時代。しかも、お金を払ってお茶を飲むという感覚も希薄だった時代です。続けていく上では、お茶そのものの良さを伝えるだけでは難しく、効能や伝説推しもやむを得なかったのかな、と思います。岩茶房は、ファーストウェーブとセカンドウェーブのちょうど中間。1.5世代ぐらいに位置づけられるお茶屋さんでしょうか。草分け的存在ゆえ多くの苦労があったことと思いますが、超の付く保守的な街である武夷山から岩茶を日本にもたらしたという貢献は、本当に大きいと思います。続く。にほんブログ村この時期は停滞期のように見えて、次の時代へ向けての準備期間だったのではないかと
2015.11.10
コメント(0)
![]()
ブログ10周年企画として、日本における中国茶の歴史を振り返ってみたいと思います。「日本における中国茶の歴史」といっても、留学した修行僧が茶の種を持ち帰り・・・なんてところからやると、きりがありません。そこで、ここは日中国交正常化以降(1970年代以降)の流れのみに絞りたいと思います。一部、私が生きていない時代やよく知らないところも多くありますので、そこは伝聞&事実からの推測になります。私、生き字引ではありませんので、そのあたりの不正確さはご容赦下さい。<まとめてみようと思った理由>歴史を振り返るというのは、身に余る大きなテーマなのですが、これを扱ってみようと思ったのは以下のような理由からです。1.新しい方が増えてきている先日のエコ茶会でも、最近、中国茶に関心を持ち始めた、という方が沢山いらっしゃいました。そうした方たちの目から見ると、今の中国茶の状況というのは、ちょっと不透明感があると思うんですよね。歴史を紐解くことで、そのあたりを少し解消できれば良いな、と。2.前に進むため中国茶の世界、長らく停滞気味と言われております。が、停滞するのにはそれなりの理由がありますし、かつて良かった頃にもそれなりの理由があるのです。そうしたものが整理できていれば、これからどう進むべきなのか?が見えてくるのではないか、と思っています。前に進むためには、過去の歴史を整理し、そこから学ぶことも必要です。3.これまでの功績を明らかにする先日、エコ茶会に関わって下さる方を”ドリームチーム”と呼称しました。が、それぞれの方が中国茶の世界においてどういう活動をされ、それがどういう影響があったのかを知らないと、ドリームチームと言われてもピンと来ないと思うんです。その評価は、個人的な好みではなく、歴史の流れで捉えたときにどう評価されるのか?でないと意味が無いと思います。・・・前置きはこのくらいにして本編へ。<国交正常化後の中国ブーム>1972年9月に日本と中華人民共和国の間で日中共同声明が発表され、国交が回復しました。当時の中国、まだまだバリバリの社会主義国家でした。冷戦ムードが強い中ですし、社会体制の全く違う国ではありますが、元来、数千年もの間、交流のある国です。当時の情勢としては、中国に対しての歓迎ムードがあったように感じます。#近現代史における負い目が歓迎ムードをより高めていた感もあったと思います。たとえば、ジャイアントパンダ「カンカン」と「ランラン」の初来日。大フィーバーでした。テレビコマーシャルでは、明星「中華三昧」、ハウス「マダムヤン」などがバンバン流れていました。いずれも未知の国・中国に、なんとなく好意的なイメージだったように思います。中国といえば、漢方の母国であったり、不老長寿の国?という印象からか、なんとなく健康に良いものが多いイメージもありました。さまざまな中国発の健康食品。時代が下っては痩せると評判だった海藻せっけんなど、健康モノは特に多かったように思います。当時のステレオタイプな中国のイメージといえば、人民服と自転車。それから歴史と健康、そして美食だったんじゃないかと思います。<烏龍茶から始まった>そんな流れの中で、中国茶も紹介されていきました。当時の中国も緑茶の国だったのですが、緑茶や紅茶では日本国内での差別化が難しかったのかもしれません。茶業界や大手のメーカーが着目したのは、中国独特の烏龍茶でした。1979年には伊藤園が、日本で初めてのウーロン茶の輸入代理店契約を結びます。その2年後の1981年には、世界初の缶入りのウーロン茶を発売し始めます。缶入りのお茶は、緑茶ではなくウーロン茶から始まっているのは、ペットボトル世代的には見逃せない点です。上述のような、中国の健康イメージもあって、烏龍茶は身体に良いというイメージで販売されていきました。烏龍茶でお酒を割ると悪酔いしませんとか、痩せます、とか。味というよりは、健康イメージを押した販売戦略だったように思います。ウーロン茶の輸入は、サントリーなどの大手も追随したほか、中華食材を手がける商社なども参入しました。続いて痩せるお茶としてプーアル茶が持ち込まれたり、ジャスミン茶などは中華料理屋さんで飲むお茶の代表格。さらには茶外茶ではありますが、杜仲茶などもブームになりました。「中国茶」=「健康茶」のイメージは、このころに決定的に根付いたのではないかと思います。当時、中国のものを売り込むための最高のセールストークが「健康」だったんでしょうね。<輸入の主役は大手と食材問屋>国交が回復したとはいえ、中国は、なにしろ社会体制の違う国です。人の往来も厳しい制限があり、そんな状況ですから、輸入をするのも相当苦労があっただろうと思います。中国から何かを輸入するとなれば、相手は思いっきり官僚体質を引きずる国営企業。その交渉は並大抵では無かったと思います。国営企業の仕事といえば、規格化した商品を大量生産することでしたから、輸入されるお茶の品質的にはそこそこと言うレベルだったと思います。新中国になってからは文革などもあり、茶業がかなり遅れていましたから、日本側の求める品質水準を維持するのも、輸入業者を悩ませたことでしょう。それを大量輸入できる会社でないと、相手にはなりませんでした。そのため、お茶の輸入業者のメインプレイヤーは伊藤園やサントリーといった大手の会社。あるいは、中国に独自のコネクションを持つ華僑系の中華食材輸入商社に限られていたように思います。日本人に馴染みの無いお茶なので、安定的に消費をするのは、大手の飲料メーカーか中国料理店などの業務店が主軸です。このような顔ぶれになるのも、納得がいきます。一般の消費者が中国茶を入手するにしても、スーパーで並ぶお徳用の烏龍茶ティーバッグを買うか、缶飲料。リーフにこだわる方は、中華街の中華食材屋さんかお茶専門店で買うしかなかったと思います。※横浜中華街では、悟空1号店が1981年開業、天仁茗茶が1985年開業です。ちなみに1983年当時の人民元レートは、1元が120円前後。当時の中国の物価事情も含めて考えると、中国茶というのは非常に割安な茶葉であったのだろうと思います。ゆえにお茶の扱いは、あまり厳密なものでは無かったようです。今でも中華街などで見かける、透明なビニールのパックにお茶を詰め、直射日光が当たるワゴンに展示というスタイルは、その当時を偲ばせるものといえそうです。茶業者では無い人がお茶を扱っていたということもあるでしょうね。<ブームはすぐに下火に>これが、国交正常化以後のいわば”ファーストウェーブ”のような中国茶の広がりでした。1980年代は日中関係も良好だったので、比較的良い時代だったのだろうと思います。が、何でもそうですが「健康」がキーワードのブームというのは、あまり長くは続きません。通関統計から見ると、烏龍茶に限って言えば、1979年、80年の第1次ブームはすぐに廃れて、1982年には輸入量が半減。しかし、その2年後には、またブームが再燃と浮き沈みの激しさが見えます。このように、一過性のブームに振り回されるお茶であり、日本に定着したといえるかどうか?な部分がありました。そんな中でも、サントリーは看板商品の「烏龍茶」を徹底して改良を続け、今でも定番の茶飲料に育てています。テレビコマーシャルなどでも、一貫して中国へのポジティブなイメージが流れ続けています。このへんの企業姿勢は、さすがと言うべきでしょう。【楽天ブックスならいつでも送料無料】烏龍歌集 [チャイ チャイ] サントリーウーロン茶 ソング...続くにほんブログ村ファーストウェーブは健康茶でしたね
2015.11.09
コメント(0)

エコ茶会などがあり、うっかりしていました。このブログ、今年の10月で10周年でした。いつもご愛読、ありがとうございますm(_ _)mエコ茶会で、某ブロガーさんと、「今まさに勉強中の時のブログは、更新も多くて面白いんだけど、ある程度、回りきちゃうと更新も少なくなるよね」という話をしていました。・・・うーん、まさに私のブログ、そんな状態ですねwこんなことではいけないので、これを機に、もう一度リスタートしたいと思います。なにしろ、ネタは沢山あるんです。#今年、2回の台湾旅行記も書いてないですし福寿山農場の裏側・華崗から翠巒・翠峰、紅香温泉方面を望む とりあえず、今月から10周年記念企画を一本やりたいと思います。テーマはズバリ、日本における、ここ20年ぐらいの中国茶の歴史を振り返ってみようかと。十年一昔と言いますから、10年やっていれば、多少語っても良いかと思いまして(^^;)まだペーペーで語る資格は無いかもと思うのですが、「歴史に学ぶ」とも言いますし、一度、まとめてみたいな、と。これまでの経緯ってのは、結構大事ですからね。というわけで今月は更新のペースを少しあげていきたいと思います。11年目を迎えたブログですが、今後ともどうぞよろしくお願いします!にほんブログ村ご愛読ありがとうございます♪
2015.11.02
コメント(6)
全5件 (5件中 1-5件目)
1