.     47歳今まで中途半端に生きてきたけど,この歳になって「今から医者になる」と決意しました

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2007年11月01日
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帯広の北あたりの生まれのようです。

私自身は、岐阜県生まれですので、

北海道は未知の土地でした。

初めて北海道へ行ったのは、20歳の頃です。

3月の後半・・・春の彼岸を過ぎた頃に北へ向かいました。



アルバイト先の給料振込をアテにして

給料日の1週間ちょっと前に出発したので、3月22日・・・かな?


手持ちのお金は、1万円ほどでした。

当然、これでは「まともな方法」では 内地 から脱出できません。

   ※※※北海道の人は、「本州」の事を「内地」と呼ぶようです。

      祖父も、父も、魂は「道産子」のようで、

      ず~っと、 本州のド真ん中 に住みながらも、

      「内地」「内地」と言ってました。

22日の深夜に、 意を決して

大垣発東京行きの夜行列車( 現「ムーンライトながら」 に乗りました。

「意を決した」のは、

   東京まで行きたいが、

   予算が無いので、愛知県の刈谷駅までしか切符を買っていません。

   でも、東京まで行きたい。

という事です。



・・・・・・元来、小心者の私は乗車した時点で




の文字が頭の中を飛び交って、今にも心臓が飛び出しそうなのです。




どれほど時間が経ったでしょうか。

あと少しで、刈谷駅です。

「男一匹、夢の為には“きせる”ぐらいやるぜ!

と度胸を、決めました。

「まもなくドアが閉まります。・・・・」



次の瞬間、慌てて電車から降りたのは言うまでも有りません。




真夜中の12時頃です。


止むを得ず国道まで歩きました。

作戦を早めに実行します。

本当なら、東京まで「豊橋行キップ」で行きたかったのですが・・・

ヒッチハイク開始



素人の私は、いきなり

「北海道」とマジックで書いた段ボールの切れ端を掲げたのです。

車は通るのですが、全く反応がありません。


3時間後、ようやく1台の軽トラが止まりました。

「・・・いきなり“北海道”は無理やで、兄ちゃん」

何とか隣の「安城」まで乗せてもらいました。



東京方面 」と改訂した段ボール紙に変えてからは、

少しずつ、乗せてくれる車が増えてきました。

それでも、夜が明けてからは、ほとんど無理でした。

通勤時間を過ぎて、昼を過ぎて、夕方になってもダメです。

この間、止まった車は「タクシー」だけです。

  (「バカ野郎、紛らわしい事するな!」と言われました。


学習した私は次第に進化します。

昼間は、公園で眠り、夕方から活動開始。

少しずつ要領を掴みながら、ようやく東京を越えるまで6日かかりました。

静岡~神奈川あたりまでは、もう桜がちらほら咲き始めて

夜も、それほど寒くはありません。

持参の寝袋で十分に眠れました。


給料日(3月末日)まであと3日ぐらいです。


このペースでは、いつ北海道に着けるか見当も付きません。

当初の予定では、31日に「国鉄青森駅」で

もう一人のチャレンジャーと落ち合う予定なのです。

当時は、携帯電話など有りませんので、

お互いに相手を信じて、ただひたすら「31日青森駅」

を目指すしかありません。

(彼も、同じバイト仲間でしたし、貧乏人でしたので

 同じような条件でした。出発は、私より1日後でしたが・・・)


3月27日深夜

国道6号線沿い

腹が減ってフラフラ歩いていた所へ、

後ろからトラックが来て、運転席から運転手が降りてきました。

「六国(ろっこく:たしか茨城県の人は国道6号線の事をこう呼んでいたような・・・)

 で、日立までなら乗せてやる」



この人は、途中でメシも奢ってくれるし、

「どうせカネもないんだろ」と

パンや、お菓子をごっそりと持たせてくれました。



その後も、日立から仙台へ向かう仲間の車を紹介してくれて

何の苦労も無く、一気に仙台まで行きました。


29日には、どうにか「花巻」に到着。

30日には、「弘前」まで来ました。

いよいよ31日。

確実に、電車を使って遂に「国鉄青森駅」に着きました。

その時点で、所持金は900円ほどでした。

苦節8日、長い長い行程でした。

朝9時になるのを待って銀行へ行き

待望の「給料」を引き出しました。

それでもアルバイトの給料は、せいぜい8万円程度です。



当時は、コンビニも有りません。

近くの定食屋を探して、朝飯を食っていると

後ろの方で

「ねえちゃん、おかわりぃ」と言う聞き覚えのある関西弁。

そうです。ヤツも腹を減らしてここでメシを食っていたのです。


ここで、感動の再会シーンでも有れば良いのですが、

お互いにメシを口一杯に詰め込みながら

ご飯の茶碗を高くあげて、お互いを確認し、

後は、ひたすら・・・食う 食う 食う

ようやく腹を満たしてから、駅前の一番暖かそうな所に陣取り

ここまでのお互いの行程を報告し、

ようやく本来の目的地である北海道を目の前にした感慨にふけりました。


ヤツも同じようにヒッチハイクと野宿を繰り返しながら

ようやくたどり着いたようでした。

暖かな静岡あたりで、防寒具を捨ててしまい、

悲惨な状態で鼻みず垂らしてました。

地下道で寝ていたら、増水で、溺れかかったり

トラックの荷台に忍び込んで移動したり、

ハードな毎日を送ってきたようです。



し・か・も・・・

ヤツは、今の定食代を払った時点で、所持金ゼロ

(本当に、最後の数百数十円をピッタリ使ってメシを食ったようです。

 「“ガッチリ買いましょう”に出たら買ってるで!」とぬかしてました。)


更に、

「頼みが有るんやて」と言う。



私たちのアルバイト代は、当時「現金手渡し」でした。

私は、店長に頼んで銀行口座に振り込んで貰う手配をして来ましたが

ヤツは、それをしてなかったのです。

今頃は、受け取り手のない「現金入りの給料袋」が事務所に置いてある。

それを、今朝、銀行に現金を引き出しに行って初めて気がついたのです。

アルバイト先に電話をしたら

「店長は明日まで休み。本人以外に給料は渡せないし、

店長以外のモノが貴方の給料を勝手に振り込む事も無理」

との事です。ごもっともな対応です。




ヤツの頼みというのは、

店長が休みを終えて出勤し、給料を振り込んでくれるまで

おゼゼ(お金)を貸してくれ!」

と言う事です。




「おまえなぁ・・・貸すのはええけど

 万が一、途中でギブアップして、

 俺がここに来なかったら、どないするつもりやったん?」

と聞くと、ヤツはそれまでの事を思い出したのか

泣きべそをかきながら

「だって、北海道行きたいんやもん・・・

 ここで待ってれば絶対来るハズやん・・・

 地下道で溺れて死ぬかと思ったし

 約束したから、途中で帰れんし・・・」

あとは、言葉になりません。



私も、半分泣きそうになりながら

「ここまで来て、北海道に渡らずには帰れぇへんしなぁ

 行けるとこまで、言ってみるかぁ。

 死にはせんやろ。」

・・・と言葉を詰まらせながらヤツに声をかけると




「そやな」




ウソ泣きしてやがった。

しかも、逆に私に向かって

「こうして揃ったんやから、泣くな!

 北海道は、目の前やんか。」

と激励してくれました。

そう言えば、そういうヤツでした。

何だか、立場が逆転してしまいました。



かくして、約束の地で再会し、

北海道を目の前にして、決意を新たにした

二人の運命や いかに 
              どどど~~んん


・・・すみません。北海道の事を綴るつもりが、

   前置きが長くなりすぎました。   

   続きは、明日のお楽しみに・・・という事で。



   次回予告編

   「北海道へ渡った二人に襲い掛かる巨大怪獣!!

    運命の糸に導かれて、正義の為に戦う二人のヒーロー

    だが、その頃、火星では謎の爆発が・・・」

    (睡眠不足で少々“ハイ”になってます。)

~~CM~~

  おりこうにグリコ

   ↑ ↑ 文中に「ガッチリ買いましょう」を引用しましたので・・・




 つづく ⇒ 「青函連絡船」





2007/11/02 02:10:27





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最終更新日  2009年07月02日 01時31分23秒
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