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小生の記行随筆 ”天山山脈 北部の旅”前後編17章が終わった。 ブログ【観天喜地】に記載、 引き続き ”天山山脈 南部歴史ロマンの旅”の記載を開始する それにしても、 当ブログもそうだが、 手元に資料がないのが 口惜しい。 記憶のみで 歴史的な関連事象を書きすすめるのに そうであったかな と ジレンマ 疑心で指が止まる、そして 改行・・・ぼかし表現 何を記載しても 自己満足 と考えるつつも アクセスして頂く淑女・諸兄に申し訳ない とも 考える そして 前の一文・一行 の修正削除 結局 写真記載で お茶を濁す 日記といえども 嘘・偽りできぬ と 再び パソコン検索 そして 追記・追伸で 文脈迷走 淑女・諸兄の 愛想ずかし に ひじ鉄砲 食らわぬ為には ちぃっと 小生 才が足りぬ。
2010/12/30
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漢族は旧暦の2月上旬 ウイグル族は11月のタリバン祭り 蒙古族は新暦 と 新年への風習が異なる。 よって 小生 正月を 年に三度迎えることになる。漢族の新年幕開けは うるさくてしょうがない 爆竹が昼夜かまわず 炸裂狂乱 はた迷惑も 構わない ウイグル族は敬謙にして 純朴 内に何かを秘めている モンゴル族は 愛らしい 男も女も 酒をくらいて 餃子をほうばる 憎めない除夜の鐘 初詣 お屠蘇に おせち料理と年賀状 日本の元旦 思い出せば 誠に 穏やかいとおしい
2010/12/29
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今日も 曇天だ やや 暖かい 試験が近づいてきた。 中間考査だ。 国家試験の12月ある。
2010/12/28
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朝から霧で 視界悪し、明日は霧氷を楽しめる。 この様子だと 霧氷は消えぬ。 師走のこの時期、ぼんやりと霧氷の心配をする。 天下泰平。 しかし 日本はどうして 不倫だ 有名人の喧嘩だ 傷害事件だ 児童虐待だ こんな くだらぬネタしか ないのかね 上が政策なき 党利党略の目先しか見えぬなら 下は 他人の下半身の兇状しか興味を示さない のだろうか どこかの国は 私利私欲が公然だから、すっきりしている。判りやすい。 善悪は別にして
2010/12/27
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クリスマスを忘れて 久しい。 ジングル・ベルの騒音を耳にしない せいかも知れぬ。 新疆では全く 無関心と言ってもいい。 こぎれいなブティックや百貨店などで飾りつけはするも そのデスプレーが3月末まであるから こちらが 面食らう。 無理はない、 共産主義は無神論が建前。 漢族は儒教 ウイグル族は回教 蒙古族はラマ教 キルギス等も回教である。 よって クリスマス・カードを貰ったのは ただ一度だけである。 従って クリスマス商戦はない。 小生がクリスマスは 子供たちが大きくなるに従い、プレゼントとは縁が薄れるも 酒は慎め(忘年会での)との警告であった。 また、 年の暮への多忙さを迎える 契機でもあった。無論 キリスト教徒の降誕祭であること、サンタ・クロスはごく近年お風習であることも、知っている。 造られた風習であることも バレンタイン・デーも作られた風習であることも知っている。 それは にほんで造られたという。 この日本製風習が世界に広がり 中国の若者たちにも知れ渡り、この時期 当地でも菓子店にチョコレートがお目見えする。 が、 面白い事実がある。 中国は中華思想。 他国の文化を容易に受け入れない。 よし 日本の文化の逆を行こう と 男性が女性にチョコレートを送り、愛を告白する。 当地でもこの風習が定着しつっある。 宗派党派に関係無しに・・・
2010/12/26
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気分がいいのは 朝一番の楽しみは 窓を開け、 霧氷に挨拶することだ が、マイナス10度の日々 日が登り 明るさが増せば 彼女は 消える 恥かしさの ゆえか 乙女のように それとも 醜い路上は人の世を 観るなと神に言われたか
2010/12/23
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風邪を引いたようだ 重くは無い 昨夜 薬を飲み 昼過ぎに元に戻ったようだ。 気がつと 外気はマイナス3度 ここに三日マイナス5度の日が続いている。 これが 風邪を誘発したのであろう。 やはり 寒ければ寒いで それが日々続くのが体調にいい様だ。
2010/12/20
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パソコンの抗議インターネットが?がらない、
2010/12/15
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ふと 思い出した 早 4年になろうか。内蒙古は内蒙古大学に席を置きゴビ砂漠を彷徨っていたのは・・・2月の冬季休みを利用して 満州地区に放浪の足を向けた。寒かった。マイナス30度は越していたであろう。瀋陽・長春・ハルピン・満州里と歩けばキュキュと凍りつく雪が鳴った。楽しかった。 しかし 雪原にぽっんとあるラマ寺の前にある旧日本帝国の塹壕・トーチカ また ハルピン郊外は松花江に残されている鉄橋を見るのは悲しかった。・・・・ この地に”渤海王国”が起りました。渤海国は日本海を渡って出雲・舞鶴経由で奈良と?がっていた。9世紀に忽然と日本の歴史からその姿を消してしまった。(司馬遼太郎さんの作品に渤海湾を漂流した日本の若者を作品があった、筋は忘れたが)この渤海王国を滅ぼしたのが耶律阿保機(ヤリツアボキ)です。 彼は凱旋途上で死んだと思いますが 耶律一族は覇権を南に向けて漢中を侵食して行きます。”遼帝国”が耶律一族の王国です。 されど 満州西方の興安山脈が牙城の蒙古系民族に覇権を奪われ 耶律一族は”金帝国”に臣下の礼を取るのです。 が、皇弟・耶律大石はゴビ砂漠の北辺へ200名弱の部下と共に逃亡するのです。大石は草原の道を西に走り、アルタイ山脈北麓のコブトから新疆・伊吾に入り瞬く間にシルクロードの中央部を制圧します。これがカラ・キタイ(西遼)帝国です。時は下り 金帝国はジンギスカーンに滅ぼされます。ジンギスカーンは金帝国の有能な若者の名を耳にします。 その若者が耶律楚材です。(司馬遼太郎さんの作品に”耶律楚材”がありますゆえ ご一読を)ジンギスカーンの政治顧問として大蒙古帝国の礎を築いた人物です。ジンギスカーンが死の枕に彼を呼び 息子たちに不足があらばお前がハーン(帝王)に成れと言ったそうですが この話(司馬先生も書いています)は三国志の劉備が諸葛亮孔明に言ったのと全く同じですね・・・・・・ これはこれとして 地球規模で繰り広げられる一族の興亡。 耶律大石が歩いたであろう瀋陽・長春と阿?泰(アルタイ)・カルマイの自然を肌で味わえる喜びは 放浪者の法悦であろう。
2010/12/14
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仙台からバト君が来た。前にも記載した快男児である。そう 東北大学を卒業したバト君である。 兄は新疆師範大学教授で蒙古族。黒海の北 ドン河の大草原にあったジンギスカンが長兄ジュチの”黄金のオルド”帝国の崩壊に伴うロシアの侵略と その協力者カザフ族に追われ(50万人有余が十数万になった過酷な逃避行の後 新疆に安住の地を得るのだが)た指導者の末裔である。今月2日に帰省し、昨日まで故郷 ジュンガール盆地西部は鳥蘇市の牧場で英気を養っていたのである。聞けば マイナス20度とのこと。*昨年 小生が訪れたときはマイナス25度程度であったが* 本日のウルムチ市はマイナス15度であるにも関わらず、暖かいですねと握手を求めてこられると、当方の勘が狂う。 早速 蒙古族の友人*酒が飲めるやから*を呼び集める。無論 女子学生も呼ぶのだがウイグル族は酒席には呼ばないことにしている 今日は大いに飲める。 バト君の話を聞けば、留学生の支援団体でアルバイトをしているとのこと 卒業後の職場をいったん離れると再就職が大変ですと快活に笑う。 不況の日本 まして 地方都市ではさもありなん と 酒を勧める。 女子学生たちは羨望の眼差しで話を追う。 そして 話はまじかに迫った国家試験の話題になる。 今年の大学院受験者は256万人で席は80万。公務員試験受験者は更に絶望的だと言う。 北京をはじめ 中央でも就職率は実質30%前後。地方はもっと厳しいが故に 学卒者は何処のかの大学院に入り、時を稼ぐしか手はないと男子学生は酒を煽る。 しかしですよ と バト君は話す。毎年学卒浪人は増加していくでしょう。二三年後には300万人ぐらいの浪人が出て、状況は不利に成るばかりですよ。学士課程・博士課程に活路を求めてもめぐり合えるチャンスは非常に少ない。自分で起業するしか無いのでは・・・・ウルムチは古来より東西交易の要の町。日本でその可能性を探っている そして 話を続けた。私はどうしても 父祖が辿った道を歩きたい。逃避行の道程を探りたい。NHKの知人が興味を示しプレゼンテーションを出したが その彼 昨年タイに転勤で話は中断、今回 資料を集めて来たから 日本で他の協賛者を見つけるつもりだ。 と いよいよ 怪気炎。 女子学生の口がポカーンと開き、目が笑っていた。 小生 同行を約束した。 そして この冬 アルタイ山脈を歩きに行く話をした。 友 遠方から来たり 嬉しからずや 酒はよきものぞ ウイグルの友よ
2010/12/12
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曇天の日が続く 昨日 両換えに行った。 その折の写真が前日記載のものだ。中国銀行南門本店前の風景だが、昼12時前なのに空はどんよりと 泣きそうである。 右の写真の様な明快にして 突き抜ける開放感はウルムチの冬には望めない。いやな季節である。 銀行入り口に屯する闇両替商 寒そうに背を丸めて の中にいる顔見知りに声をかけると髭に覆われた顔が笑った。76.5(千円)とメモを見ながら交換レートを示す。昨年の平均レートに比べれば 17パーセント程度上がっている。即座に両替をした。 当分この水準が続くであろうが、北朝鮮問題の動向いかんで大きく変動するであろう。
2010/12/11
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中国は今 移住ブームだという。第一次は1960年代 開放経済前の時 多くの人々が移住した。12億の人口を擁する中国、多いと言えば100万数余の規模になる。当時 トウ小平("登”にコザト偏 四川省出身の客家*海外華商の中心的母体*一族、二度の失脚の後復権 開放経済を推進し今日の繁栄を齎すも 文化大革命で長男を紅衛兵に下半身不随の身障者にされる)が追放されている中、多くの民衆が よりよい生活を求めて海を渡った。借金をし、蛇頭を頼り、陸路・海路で国を離れた。向うは欧州・タイ・オーストラリア・アメリカであり 客家の組織であった。 第二次ブームは天安門事件(1976年4月)を機に発生した。多くの知識層が自国の束縛から逃走した。そして、第三次ブームが現在進行しているらしい。日本在住の中国人の学者(帰化済みの日中関係研究家)が述べている。彼は詳細なデーターを基に論じている。近年の5年間に54万人程の有資産者層がアメリカ・カナダに移住し、その持ち出した資産は国家予算の数十パーセントを凌駕すると また 4・5年内に100万人が海を渡るであろうと明言している。今日 ノーベル平和賞が授与される。現在の移住者は中国のあり方への批判者である。昨日 面白い記事を読んだ。”足で契約する”話である。過日の漢人は口約束で十分であった。革命以降 書類万能で署名が契約の裏付けとなった。今日 署名を避けて、逃亡が履行の証明になっていると揶揄する話である。ノーベル賞問題の”踏み絵”は移住と言う行動で祖国に契約書を送っているのであろう。 愚考するに 今日の中国問題を考える時 開放経済が成功したのは海外華商の支援があったが故であり、香港・シンガポール・タイにて銀行シンジケートを構築保持するのも客家の一家族である事例が示すようにアメリカやヨーロッパに基盤を置く在外中国人の動向を考慮しなければノーベル賞問題等の本質を誤審するのではないでしょうか
2010/12/10
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師走かな 時が早く過ぎると思う。2010年がラストスパート。一日が短い。何時も忙中暇あり いや 暇の中に忙しさを創造するのが放浪者かなぁ。 とは言え、これでも、暇の暇な時間に師範大学の学生にひとくさり、教師のまね事。 ”師走”の語源で煙に巻く。 子供のころ 家は豊かでなかった。日本全体がそうであった様に。中流の中の平均の中程だったと思う。兄弟は家の手伝いをした。食パンを買いに行くのが私の仕事だった。兄は風呂の火守だ。長兄は甚六だった。 パン屋は隣の町内で半時を要したと思う。何時も嬉しかった。店に近づくと西洋の香りがしていると思っていたから。パンにバターは日曜日の特別メニューだった。 毎朝 ナンを食べている。早朝運動の帰りに買って帰る。3枚買う。一日に一枚を食べる。残る二枚は真空パック容器に入れて保存する。 ナンの店に近づくと香ばしい麦を焼く臭いが漂ってくる。子供のころの臭いが漂ってくる。三日目のナンもパックを開けると この香りが部屋を満たしてくれる。時折、お前は要領がよすぎると叱った父を思い出す。これも、食パンを買いに行った時に覚えた臭いの記憶が そをさせるのである。 ちなみに、小麦中心の食文化はウイグル族の文化だ。麺もパンも餃子も、油で揚げる菓子類もウイグル族の伝統文化で ウイグルの女性たちは見事な手打ちでラフメンを作ってくれる。 モンゴル族のおせち料理は餃子である。色々な餃子と肉の塊とお酒で正月を祝う。餃子を教えたのはウイグル人だ。ついでに 彼等は蒙古族に文字も教えた。蒙古族は漢人を見習いウイグル文字を縦書きにした。これがモンゴル文字だ。 漢人世界は米の文化だ。ウイグル族が麺の文化を持ち込んだ。イタリヤ料理のパスタ・マカロニ・スパゲッティーはウイグル料理そのものだ。欧州はジャガイモ文化圏なのだからウイグル文化が浸透していったと愚考する。
2010/12/09
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正式な名前なのだろうか"青年の樹” 15年以上も前に15・6cmの鉢植えを買い。 大きくなり地植えにした。 繁殖力が強く、幹部を切り、植えると簡単に成長 また大きくなる。 花は咲かない観葉植物だ。 部屋の窓際にトランクに忍ばせて持ち込んだ棒が成長し 今 四鉢ある。 年々増える。 今春 二鉢を家主に進呈したが、 魚鱗状の幹からニョキと緑の葉が束になって伸びてくる。 そうだ 写真を撮ろう この 小さな と言っても80cmはあろうか、見ていて ふと思い出した。 唐突にロイ・ジェームスの名が 唐突ではないかも知れぬ。 ブログ”歓天喜地”に書いたソグド人に関係するからだが、彼の家族はロシア革命後日本に亡命した白系ロシアである。 彼は日本で生まれる。 父親が上野の回教寺院建立に関わり 明大?卒業後 当回教寺院の教導師を務めたらしい。 真実ならかなりの地位と信望だ。 柔道とボクシングで名を馳せたと言うから面白い。 E.H.エリック氏の紹介で芸能界に入り、CM・映画・デスクジョッキー等で活躍した。 外国人タレントの草分けだ。 ご存知の方は多いでしょう。 過日 彼の略歴をある本で読んだ記憶が蘇ったのである。 手元にその本が無いのが残念だが、 東西交易・文化交流を担ったソグドの民は四散した。 その 一家族が日本で安住の地を手に入れた。 その時空と空間は大変なもので想像を絶する。 この実話にロマンを感じさせるも歴史の過酷さをぼんやりと考えた。 そう 写真の窓の外も夜霧が街灯をオレンジ色に染め、視界もぼんやりしている。 明日は霧氷の花が咲くだろうか・・・・・・
2010/12/07
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マイナス15度 9時でも 太陽は顔を出さない夜明け前だ。 公用が北京時間で 生活時間とは二時間強の時差。 よって、 ご来光が九時過ぎと相成る。 北京時間の7時過ぎに目覚めると なんだか得をしたような気分になる。 習慣で8時以降に目覚めることは無い。 よって、毎朝 得をしている。 どんな 目覚めて 窓を開ければ寒気がいっ気に流れ込む、今朝はマイナス15度のそれだ。 一気に身が引き締まる。 見下ろせば処女雪の銀世界。 今朝はまばらで老婆であったが。 いよいよ 霧氷の花が咲く。 この美しさ 値千金。 太陽が東は12階建てのビルの上部に色さすまではパソコンのキーを撫で、コーヒー片手に拙文を打ち出す。 メールを確認する。 そして ニュースを読む。 最近は 絵筆を握ることを忘れている。 ブログのせいだ。 とくに この楽天野郎は”日記”としょうして催促のメールを送ってくる。 たまれば、糞詰まりのようで気分が悪い。 また 愛妻からのメールが少なくなったが、ブログに時折コメントを寄越す。 小生が無事かどうか また 思考が健全か をチェックしているのであろうから 楽天野郎を粗末な扱いで 放置するわけにも行かぬ。 さぁ 夜が明けた。 そう言えば、 島崎藤村の”夜明け前”はいい小説だった。 オヤジが岐阜県の出身で高校時代に小説の舞台を旅行したっけ。 これ 全くかんけいないね・・・・・・・・ 【航空写真に”万里の長城”をプロット 巨大ですね 西端から東端まで旅しよう 何日かかる】
2010/12/05
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雪が溶けた されど マイナス3度。 溶けたのでは無い、歩道の雪が無くなったのだ。 車道は除雪車が取り除く。雪が降れば除雪する。また 各店舗の前は各自が除雪する。 絶対降雨量の少ないこの地ゆえ、歩道が根雪で氷化するには1月からだ。当分は 街路樹帯に除雪の雪が積み込まれる。そして 一月末には1.0mをも越える高さに積み込まれる。幅3.0mで。 この雪はあわれだ。車道と歩道の汚れた雪の養老院。さらには 煤煙野郎が闇にまぎれて降下する。もって 白き素肌は黒き醜態と化しかない。されど いてつく朝の夜明け方 霧氷の花が華美に競い、人知れず舞い降りし処女雪の白きが醜態を覆う。ウルムチの冬の早朝は美しい。
2010/12/03
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【 霧の朝 】 昨日 窓からの風景を スケッチした。先ほど停電があった。ローソクを灯すまでもなく回復。 やれやれだ。日本での先月末は 中越地方かな 地震に中国メヂアは驚いた模様。 なぜ日本人はこの規模の地震に冷静でいられるのかと言う。 地震大国(これも不思議なことば)である島国 日本の日常の備えと知恵を知らぬゆえ、と優越感に浸っても もとない話。 で、苦言を一言 中国の為政者よ 自国の足元を直視すべきではなかろうか 今 地震よりも恐ろしい人為災害がひたひたと 一人っ子政策の矛盾・経済地域格差・党員エリートの傲慢・自由の抑制・等々 あぁ きりがない。 足元に迫っている。 先月から一千人を導入して全国住民調査が行われている。 小生宅にも調査員が来た。 統計結果は集計されるであろうが この資料を如何に活用するか が 足元を見る行為であろう。 党員以外のブレインを導入し、明日への指針にすべきであろう。 中国のポテンシャルな巨大になった。 もはや 一国の問題は地域の問題ではない。地球規模で酌量すべき問題を中国は抱えている。 写真の霧の下に美しき未来世界があるのか 不安におののく苦界があるのか 私たちは発言しなければならない。モンロー主義は過去の遺物。 ”万機公論に決すべし”でありたいものだ。
2010/12/01
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