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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 第一次世界大戦で劣勢に立たされたドイツが、戦局を挽回しようと潜水艦で魚雷を所構わずブッ放す真似をし始めるが逆にアメリカ合衆国がブチ切れて敵に周る一因となってしまう(1917年=無制限潜水艦作戦)。☆ 国中の労働者を挙げて一日中休もうとしたら、決行前日に御壕端におられる最高権力者に呼び出され無理矢理中止させられる(1947年=二・一ゼネストの中止を指令/マッカーサー元帥)。☆ 巨人・大鵬・卵焼きでおなじみの大鵬に国民栄誉賞授与(2013年)。巨人は2度も受賞しているし、残すは卵焼きなんだが…、イギリスが欧州連合 (EU) から離脱(2020年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月31日】ロシア軍のあまりの無能さは「驚き」であり「謎」... 米専門家が語る戦争の現状と教訓= NewsWeek_Column_2023年1月28日(土) ラビ・アグラワル(フォーリン・ポリシー誌編集長)/「将軍は常に過去の戦争を戦う」という格言がある。だが目を向けるべきは、これからの在り方だ。ウクライナ戦争は、世界秩序をどんな形で再編成しているのか──。イラク・アフガニスタン駐留米軍司令官を務めたデービッド・ペトレアス元CIA長官と、ニューアメリカ財団CEOで元米国務省政策企画本部長のアンマリー・スローターに、フォーリン・ポリシー誌のラビ・アグラワル編集長が話を聞いた。 ◇ ◇ ◇――アメリカ史上、最長レベルの戦争で軍事戦略を指揮した将軍として、ウクライナ戦争に意外な点はあるか。ペトレアス : 意外だったことは多い。ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領が、これほど(第2次大戦当時の英首相ウィンストン・)チャーチル的な人物であるのには感心し、少しばかり驚いた。戦略的リーダーは目的を正しく把握し、効果的に伝え、その遂行を監督し、どう改善するかを決定しなければならない。さらに、このプロセスを繰り返す必要がある。(ゼレンスキーは)見事にそれを実行している。一方、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領はもちろん、そうではない。完全に失敗している。ロシア軍の無能さには本当に驚かされた。欠陥があるのは分かっていたが、(ウクライナ侵攻前の)演習期間に何もしていなかったらしいという事実は意外だった。普通なら、ただ戦車を送り込むようなことはしない。戦車の前方に歩兵隊を配置し、対戦車ミサイルの攻撃を防ぐ。迫撃砲などで援護し、防空体制を敷き、電子戦で相手の通信を妨害する。進軍中に障害物や爆発物に遭遇する可能性に備えて、工兵隊や爆発物処理隊も派遣する。だがロシア軍は絶望的なほどお粗末だ。対ウクライナ国境地帯での演習期間に何をしていたのか、謎だ。私だったら、研ぎ澄まされた状態で侵攻に臨めるよう、訓練していただろう。それだけではない。作戦計画が極めて不適切だった。指揮統制が構造的に混乱していて、現代化も衝撃的なまでに進んでいなかった。ロシア軍の作戦行動は、予測していたよりひどい。準備期間があれほどあったことを考えると、本当に驚きだ。――アンマリー、あなたにとって意外だったことは?スローター : 最大の驚きは、特にインド、ブラジルや南アフリカの反応だ。ジョー・バイデン米大統領が掲げる「民主主義国と独裁国の戦い」という新たな構図の下、アメリカはこれらの国に積極的に接近してきた。太平洋地域で中国と向き合うなか、インドに対しては、クアッド(日米豪印戦略対話)などの数多くの話し合いに引き込む努力を傾けてきた。それでもインドは立場を明確にすることをあからさまに拒絶し、今もロシア産石油を輸入し、ロシアから武器を購入する用意もある。欧米の大半のアナリストの評価よりも、はるかに大きな変化が世界秩序に起きていることを示すシグナルだ。20世紀の非同盟運動とは事情が異なる。インド、ブラジル、南アフリカ、ASEAN諸国という重要国の一団が「これはもう私たちの戦争ではない。私たちが本当に懸念しているのは、私たち自身の地域内紛争だ」と主張している。――軍事面の話に戻るが、世界各国はウクライナ戦争からどんな教訓を学んでいるのか。ペトレアス : 重要なのは、これは未来の戦争ではないと認識することだ。むしろ、冷戦の最盛期に逆戻りしたような戦いだ。私が旧東西ドイツ国境地帯に駐留する米軍旅団の少佐だった当時、戦争が勃発していたら、こんなふうだったのではないか。未来型の戦争の要素はあるが、非常に限定的だ。例えば、アメリカがウクライナに供与した高機動ロケット砲システム(HIMARS)は80キロ先の食卓を標的にできる。これは大きな変革だ。ロケット砲の射撃目標を観測するのは、今やドローン(無人機)だ。とはいえ、これはインド太平洋地域で紛争が発生した際、想定される国際的な情報・監視・偵察活動の在り方とは異なる。これから起きる劇的な変化として考えられるのは、無人システムの利用の激増だ。そうしたシステムは遠隔操作型に、それどころかアルゴリズムで管理されるものになるかもしれない。そうなれば(攻撃や殺害の)最終的判断は、マシンに状況判断や決断を行う能力を与えるアルゴリズムの設計者が下すことになる。「見えるなら攻撃可能で、攻撃できるなら殺害可能だ」という冷戦時代の格言がある。では、全てが可視化されたら? 地上や上空、海上だけでなく、海中や宇宙空間も無人システムでカバーできる未来を想像してほしい。見えるものは攻撃できるし、全てが見えるようになる。その意味については、ごく慎重になるべきだろう。現実に待ち受けている未来は、今とは全く違うもののはずだから。――ウクライナ戦争に対する中国の見方はどうか。中国はどんな教訓を得ているのか。スローター : 中国の習近平(シー・チンピン)国家主席は「友人にこんなことをされるなら、敵だとどうなるか」と思っているのではないか。現状はほぼ確実に、わずか1年ほど前、北京冬季五輪開催に合わせて訪中したプーチンと会談し、無制限のパートナーシップを約束し合ったときに習が思い描いたものとは懸け離れているからだ。ロシアの行動のせいで、中国は極めて難しい立場に置かれている。今や(中ロは)とても居心地の悪い関係だ。この点で、米政府の「民主主義国対独裁国」という戦略には疑問を感じる。アメリカは中国をロシアの側に押しやっているからだ。だが実際には、欧州各国が気付いているように、中国がコストに目覚める確かなチャンスがある。親ロ路線が経済制裁の面や、ロシアの行動を後押ししているイメージがもたらすコストだ。アメリカはより微妙な戦略を採り、中国と接触を図る方法を探るべきだ。台湾に関しては、中国の思惑を予測すべきではない。台湾を(防空ミサイルで)「ハリネズミ化」して、少なくとも攻撃した際の中国のコストを上げることは可能だ。非常に効果的な兵器を島全体に擁することで、台湾は中国と中国軍、中国社会にとってのコストを引き上げられる。さらに、極めて効果的な制裁計画があれば、習が(台湾侵攻を)先延ばしする理由になるだろう。From Foreign Policy Magazine 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/31
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 弓道の腕比べのための聖地、京都・三十三間堂が落慶(1165年)。 おぉ慶賀落涙、なれど 武道の華を示さんとする赤穂からやって来た47名の不逞浪人が吉良上野介の屋敷に押し入ってリンチ殺人(1703年=赤穂事件)を起こす。☆ マハトマ・ガンディーが、やって来た刺客に対し非暴力を貫いて死亡(1948年)するも、平和ボケの豊国では長電話の好きな女性を追放するために、公衆電話で10円でかけられる市内通話を3分に制限(1970年)。 ☆ 世界的に権威ある科学雑誌『Nature』に、小保方晴子と笹井芳樹のSTAP細胞をネタとした作文が掲載(2014年)、結果的に同誌がただの週刊誌並みのマスゴミであることが暴露されることに。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月30日】中国の人口減少 日本メディアの報道ほど単純ではない =終節== WEDGE REPORT 《チャイナ・ウォッチャーの視点》 2023年1月25日 樋泉克夫 (愛知県立大学名誉教授)/ところで一人っ子政策が行われていた時期の2008年、湖南省と重慶の農村を歩いた際の経験だが、湖南省で目にしたのは農家の真っ白の大きな壁に墨痕鮮やかに記された「厳禁溺死」の大きな4文字だった。重慶郊外では、道路沿いの農家の塀に「子供は国の宝。女の子でも大切に育てよう」とのスローガンが延々と書き連ねられていた。 「溺死」とは間引きである。男の子は大きくなって家を継ぎ両親の老後を見守るが、女の子は他家に嫁いでしまう。伝統的に男の子が尊ばれていたゆえに、生まれた赤ん坊が女子であったなら、水に浸けるなどの間引きが行われていた。 かねてから清朝末期の社会風俗に興味を持っていた筆者は「溺死」など清朝末期の特殊な社会環境での止むにやまれぬ〝庶民の知恵〟だと思い込んでいただけに、08年の「厳禁溺死」の4文字は衝撃だった。一人っ子政策にも拘わらず、女の子は相変わらず不幸な運命を背負って生を享けざるを得ないわけだ。 であればこそ、「女の子でも大切に育てよう」となるわけだろう。だが、最近でも中国の地方紙からは女の子とその子を産んだ母親の悲劇を読み取ることができる。 中国庶民の生き方として知られる「上に政策あれば、下に対策あり」だが、一人っ子政策が励行されていた当時、農村では第2子以降は政府に届けなかった。「黒孩子」と呼ばれた戸籍のない子供が社会問題化しメディアで取り上げられたことがあるが、今回の中国国家統計局が示す統計の中には、かつて話題となった「黒孩子」はカウントされているのだろうか。 〝おひとりさま男子〟の数を日中で比較し、「中国は日本の7倍に達するほどの異常な人口構成」と危機感を煽る声も聞かれるが、人口比で中国は日本の13~14倍である。単純に計算しても、社会全体に占める〝おひとりさま男子〟の比率は日本の方が高い。つまり将来の出産の可能性は、日本の方が低いことになる。いわば、この種のタメにする見解が日本人の中国に対する見方の妨げになっていると言わざるを得ないのである。複雑怪奇な事象を習近平はどう解くか 1970年代末にトウ(登⁺阝)小平主導が導いた対外開放政策のカラクリを考えるに、共産党政権は海外から豊富なカネ(外資)とモノ(工場・技術)を呼び寄せ、これに内陸農村部に滞留していた膨大なヒト(余剰人口=労働力)を格安な人件費で供給した。 このようにカネ・モノ・ヒトの合体が現在につながる空前の経済発展を導いたと考えるが、毛沢東の「人口資本論」に基づき人口抑制を実施しなかったことが、中国大陸に予め膨大な労働力を備蓄しておくことができた大きな要因だろう。ならば皮肉にも、経済発展は毛沢東が〝後世に遺した遺産〟であったのかもしれない。 改めて1月17日の中国国家統計局による発表に接して、その背景は日本のメディアが伝えるほどに単純ではないと強く思う。共産党の統治体質、家系を軸とする伝統的な男子尊重の家族制度、そして経済発展が必然的にもたらす若者の家族観の変化――。これら質的に異なる要素を、はたして「中華民族の偉大な復興」に統合して取り組めるのか。 どうやら3期目に入った習近平政権を待ち構えていたのは、中国の社会経済発展と人口、中国人と家族という旧くて新しい大難題だったようだ。中国企業、ロシアの「ワグネル」を支援か 米政府が制裁対象に=BBC News_Column 2023年1月27日アメリカ政府は26日、ロシアの雇い兵組織「ワグネル・グループ」にウクライナの人工衛星画像を提供していたとして、中国企業に制裁を科したと発表した。この中国企業は、長沙天儀空間科技研究院(スペースティー・チャイナ)。米政府は同社のほかにも15社を制裁の対象とした。米財務省の外国資産管理局によると、スペースティー・チャイナはロシアのテクノロジー企業「テラ・テック」に、合成開口レーダー(SAR)を使ったウクライナの衛星画像を供給していた。「これらの画像はワグネルのウクライナにおける戦闘作戦を可能にするために集められた」と、同局は説明。スペースティー・チャイナのルクセンブルクにある子会社も制裁の対象としたと述べた。スペースティー・チャイナはこうした措置について、まだコメントしていない。今回の制裁では、アメリカから対象企業への資産の移動や支払い、輸出などができなくなる。米ホワイトハウスは、ワグネルがロシアのウクライナ侵攻に約5万人の戦闘員を送り込んでいるとみている。ワグネルは侵攻で大きな役割を果たしており、東部バフムートでの戦闘にも深く関わった。中国はロシアと近しい関係にあるが、ウクライナ侵攻については中立の立場を取ろうとしてきた。一方で、侵攻を非難するのを拒否しているとして、アメリカをはじめとする西側諸国に批判されている。アメリカは26日、ワグネルを国際犯罪組織に指定した。米財務省はスペースティー・チャイナなど16社に加え、個人8人と飛行機4機を、ワグネルを支援する世界的ネットワークの一部だとして、制裁対象とした。多くはロシアを拠点としている。アフリカ中部に本拠を置くセワ・セキュリティー・サーヴィシズや、アラブ首長国連邦(UAE)のクラトル・アヴィエーションも含まれている。後者は、アフリカ中部やリビア、マリなどで人員や物資の輸送に当たっていたとされる。ジャネット・イエレン財務長官は、「今回のワグネルに対する制裁の拡大と、ロシアの軍事複合体制を可能にしている関係者や企業への新たな制裁によって、プーチンが自らの戦争マシンを武装するのをさらに阻害することになる」と述べた。(英語記事 US sanctions Chinese firm helping Russia's Wagner) 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/30
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ Hyde!!?の誕生日。だが、依然としてhydeの身長は156cm。 ハハハー お判りかな、16歳の少女が、フルメタル・ジャケットのジョーカー宜しく銃を乱射(1979年)。ホント 月曜日は憂鬱だぜ! フゥハハハーハァー!! ☆ インスブルックオリンピック開幕(1964年)。そして四年後 ノンポリな東大医学部の学生が無期限ストに突入(1968年=東大紛争)。バリケードを築いて、インテリの行動とは思えぬ景色が・・・・ ☆ 金正日が、サダム・フセインやアリー・ハーメネイーと並んで悪の組織のボスに認定される(2002年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月29日】中国の人口減少 日本メディアの報道ほど単純ではない =中節== WEDGE REPORT 《チャイナ・ウォッチャーの視点》 2023年1月25日 樋泉克夫 (愛知県立大学名誉教授)/書き連ねられるアジテーション だが考えて見れば、不思議でも何でもない。具体的方策を突き詰めれば、やはり共産党独裁の是非という大問題に突き当たってしまう。だが、そのアンタッチャブルな領域には足を踏み入れるわけにはいかない。 そこで、その代わりだろうか。研究書としては場違いと思えるアジテーション――やや皮肉を込めて表現するなら、「中華民族の偉大な復興」への応援歌、いや「拍馬屁(ヨイショ)」――が書き連ねられている。「産児制限政策を完全に撤廃せよ。なぜ躊躇しているのだ」「わが国の計画出産という公共政策を『人を本とする』本来の姿に立ち還らせ、人民に出産選択の権利を与えよ」「中国の人口の長期にわたる均衡ある発展を保障することで、人口と社会経済、資源と環境の調和のとれた持続的発展が保証できる。こうしてこそ、21世紀が真の中国の世紀となりうる。世界の強国に伍し、長きに亘って成長し衰えることのない立場に立てる。中国の人口政策を徹底して解放せよ。いまや多産を奨励する時に立ち至った」 そして「可及的速やかに現行産児政策を転換しないかぎり、中国は将来、子供の数が最も早い速度で減少する国家の1つになってしまう」と危機感を前面に押し出した後、「中国人は多く生まれているわけではない。いや、むしろ少なすぎる。中国人は多く産むことができる! もっと、もっと、より多く生まれるべきだ!」権力闘争にもなった人口施策 1949年10月の建国後、本格的に産児制限を主張したのは北京大学学長の馬寅初(1882~1982年)だった。1907年に米国に留学した彼はマルサスの人口論を中国に持ち帰り、社会経済発展にとっては人口抑制が必要であることを説いた。 57年7月3日、第1回全国人民代表大会(第4次会議)に「わが国の人口増加の速度は速すぎるから人口を抑制すべき」との主張を書面で提出した。7月15日になると『人民日報』に、(1)人口政策を国策の重要課題に組み入れ、(2)晩婚少子の利点を宣伝・教育し、(3)国民の生活に干渉し、出産の権利を制限し、(4)徴税方式によって多産に制限を加える――などを骨子とする「新人口論」を発表した。 当時、反右派闘争の吹き荒れていた時期であり、加えて「新人口論」は毛沢東の説く「人口資本説」に反することから、馬の主張は毛沢東を批判する「新マルサス人口論」と糾弾される。その結果、北京大学学長を解任され、遠く故郷の浙江省紹興に事実上幽閉された。もちろん文革に際しては、紅衛兵から激しく糾弾されることになる。 口を消費、手を生産力に喩える毛沢東は、「1人増えれば、口は1つだが手は2本増える。1人増えれば生産力は2倍になる。だから人口増は生産力増強の武器だ」と捉え、人口の増加は産業の発展を促し、経済力増強に寄与するとの「人口資本説」に基づいて人口抑制を戒め、多産を奨励した。 馬寅初の主張が否定されて以後、共産党政権は「人口資本説」に従った人口政策を79年まで継続することになるのだが、出版時期から判断して、『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』は習近平政権発足を見越しての、毛沢東の「人口資本説」の焼き直しバージョンと位置づけてもよさそうだ。 その後、経済発展と共に人々の生活レベルが向上し、一人っ子政策の見直しが始まり、2015年から21年までは「1組の夫婦で子供2人まで出産可」となり、21年8月になると「1組の夫婦で3人目の子供の出産可」となるなど、習近平政権は多産の方向に大きく舵を切った。だが、現に伝えられる限りの中国社会を取り巻く環境から判断して、少子化と高齢化の動きを逆転させる妙案は、素人目で見ても見当たりそうにない。 どうやら2期10年の習近平政権で航空母艦を建造し、月の裏側を探査する技術力は備わったものの、子供を増やす環境を整えることは容易ではなさそうだ。もっとも少子高齢化問題に関しては、「異次元」の口先介入に止まりかねないわが国であればこそ、余り発言権はなさそうではあるが。「溺死」に「黒孩子」、数字には表れない側面 それにしても興味深いのが、同じ米国留学組でも馬寅初と『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』の2人の著者の違いである。前者は貧しく混乱した時代に米国で学び、中国社会の貧困と混乱の原因を多産に求めた。言い換えるなら外国列強に侵され(半殖民地)、大多数の農民が地主に支配され(半封建)た結果、「東亜病夫」とまで蔑まれた「弱い中国」を「マトモな国」に作り変えるには人口の抑制が急務であることを、敢えて絶対権力者の毛沢東に逆らってまで説いた。 一方、「富強の中国」のトバ口に立った時代に米国留学を果たした2人の若き人口学者は、習近平政権成立直前、「中華民族の偉大な復興」のためには多産が急務であることを力説した。 馬寅初と2人の若き人口学者の米国での研究者生活の間には、1世紀ほどの時間的な開きがある。この間の、米国と中国の紆余曲折の関係を考えた時、米国の中国に与える影響の大きさを改めて痛感させられる。 ところで一人っ子政策が行われていた時期の2008年、湖南省と重慶の農村を歩いた際の経験だが、湖南省で目にしたのは農家の真っ白の大きな壁に墨痕鮮やかに記された「厳禁溺死」の大きな4文字だった。重慶郊外では、道路沿いの農家の塀に「子供は国の宝。女の子でも大切に育てよう」とのスローガンが延々と書き連ねられていた。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/29
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 京都から土佐へと公務で赴任中の紀貫之、女を装って日記を書き始め(934年)世界最初のネカマとなる。曰く、『土佐日記』の旅へ・・・・・☆ 東京・銀座で一洋菓子店が風船を配っていたところ、中に入れる水素が漏れて死者が出るほどの爆破パフォーマンスに(1953年)。☆ こちらの史実は流石にUSA/宇佐八幡宮。 勇んで乗り込んだ宇宙飛行士三名のペースシャトル・チャレンジャー号が打上げ花火になる。結構きれいだったって(1986年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月28日】中国の人口減少 日本メディアの報道ほど単純ではない =前節== WEDGE REPORT 《チャイナ・ウォッチャーの視点》 2023年1月25日 樋泉克夫 (愛知県立大学名誉教授)/1月17日、中国国家統計局が世界一の人口大国である中国で人口が減少に転じたことを明らかにするや、早速、わが国メディアからも喧々囂々とさまざまな議論が聞かれるようになった。 ――「世界の工場の維持は危ない」「世界第2位の経済大国からの転落は不可避だ」「人口でそうであるように、経済規模でも程なくインドに追い抜かれる」「膨大な〝おひとりさま男子〟を抱えるイビツいな社会は目前だ」「結婚への経済的ハードルが高すぎるから、若者が結婚を避けるのだ」「超高齢化社会に突入し、2050年には1億人の独居老人を抱えることになる」など―― 確かにそうだろう。このまま人口減少に歯止めが掛からず、少子高齢社会化が加速するなら、習近平政権が突き進んできた富強・大国化路線は、いずれ頓挫の憂き目を見るかもしれない。最悪の場合には、1950年代末に毛沢東が遮二無二突き進んだ大躍進路線と同じような悲惨な結末を招き寄せてしまうことだって想定される。 だが立ち止まって考えてもらいたい。相手は、わが国にとって最も脅威であると大多数の日本人が感じている中国である。その国の国力の基盤でもある人口がピークを過ぎ、軍事力や経済力を背景とした総合国力が衰退に向かことになり、現在の軍事強国化路線に陰りが見え始め、中長期的に弱体化する。いわば「弱い中国」への道を緩やかに歩み出すことになるのなら、むしろ黙ってやり過ごした方が得策だと思う。 だから、中国の人口減少を、われわれ日本人が敢えて深刻ぶって論じることなど要らぬお節介というもの。相手の将来を慮って心優しく対応する必要も余裕も、今の日本は持ち合わせていないはずだ。 万有引力の法則に従うなら、上がったものは必ず落ちる。拡大も限界点を超えれば収縮に転ずる。であればこそ、この問題は中長期的視点に立って冷静に受け止めるべきではないか。習近平政権発足前に出された〝提言書〟 1979年に始められた一人っ子政策(~2014年)の末期に近く、第1期習近平政権が発足する半年ほど前の2012年4月、ハードカバーで200頁超の研究書『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』(北京・社会科学文献出版社)が出版されている。「中国人太多了嗎?(中国人は多すぎるのか?)」との書名は刺激的に過ぎるが、一面では2年後の一人っ子政策廃止を示唆していたと捉えることもできるだろう。 第1次習近平政権発足を前にした2、3年ほどの間、中国では「大国化」、「中国の夢」、「中国崛起」、「中国復興の核心価値」など来るべき習近平政権の内外姿勢を事前に宣伝・教育するような勇ましい内容の書籍が続々と出版された。この『中国人太多了嗎? TOO MANY PEOPLE IN CHINA?』も、その種の政治的キャンペーンの一環であったようにも思える。 著者の1人である梁建章は米国のスタンフォード大学在籍時、「偶然にも中国の若者人口が急速に萎縮している状況を発見したことから、中国の人口問題と政策に興味を抱いた」ことで人口問題に関心を移し、この研究書を執筆したとのこと。 毛沢東が最大の政敵である劉少奇を倒し、文革の勝利を高らかに宣言した第9回共産党大会が行われた1969年に上海で生まれた梁建章は、対外開放の波に乗って米国留学を果たし、米企業のOracle中国支社勤務を経て99年にIT企業を立ち上げている。その後、スタンフォード大学で博士号(人口経済学)を取得。本書出版時は北京大学国家発展研究院客座研究員であった。 もう1人の執筆者の李建新は社会学人類学研究所教授。新疆ウイグル自治区の伊寧市に生まれ、新疆大学、北京大学、ムンバイ国際人口研究院(インド)、北京大学などで数学と人口学を専攻し、日本留学(東京都立大学)を経て米国に渡り、ミシガン大学で人口学の研究を続けた人口学法学博士である。 この研究経歴から推測するに、どうやら2人の若き研究者は対外開放政策の恩恵を全身に受けた〝勝ち組〟と言ってもいいだろう。 外国で最新研究を身につけて帰国した2人の若手研究者は日本を人口政策失敗の典型と捉え、このまま一人っ子政策を続ければ中国でも若者人口は激減し、科学技術は後退を余儀なくされ、活力なき社会の出現は避け難い。中国の成長は頓挫し、日本のように停滞一途の道を転がることになる。「中華民族の偉大な復興」なんぞ夢のまた夢。幻に終わりかねない、と危機感を煽る。そして日本のようになりたくなかったら、ともかくも「産めよ、増やせよ!」と熱く、饒舌に語り続けた。 一人っ子政策さえ廃止したら、食糧から環境・新エネルギー開発まで、中国の将来を左右する根本問題は解決する。「中国の夢」は正夢となるとの見立てだが、論拠薄弱な議論が先行し、首を傾げざるを得ない。 たとえば「民族関係と貧富の差に起因する社会の不公平問題さえ処理すれば、中国社会の安定は保てる。ならば今後の10~20年の経済成長によって、中国人の平均年収は2万米ドル超となり、高等教育普及率は50%を超え、中国の政治体制の安定と改革のリスクは大幅に低減する」と自信満々に示す。 かくて、その先に「中華民族の偉大な復興」が実現するという青写真となるのだが、ここで疑問が湧く。「民族関係と貧富の差に起因する社会の不公平問題」をどうやって「処理」するのか、「政治体制の安定」はどう担保されるのか、どのようにして「改革のリスク」を回避しようとするのか――。これら肝心な点に関する具体的方策が見られないのが不思議だ。 だが考えて見れば、不思議でも何でもない。具体的方策を突き詰めれば、やはり共産党独裁の是非という大問題に突き当たってしまう。だが、そのアンタッチャブルな領域には足を踏み入れるわけにはいかない。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/28
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 我がまま言ったオペラ歌手のために、帝国ホテルのグリルのシェフがタマネギでカサ増しした軟らかいステーキを出す(1936年)。 ☆ 名古屋城のてっぺんまで登って金のシャチホコからウロコをちょろまかしてきた不届き者が御用に(1937年)。☆ アポロ1号が打上げもしないうちから火だるまに、搭乗していた3人の宇宙飛行士はロケットに飛ばされることなくお星様となった(1967年)。 “火だるま”といわば、ロッキード事件丸紅ルート初公判で田中角栄が出廷(1977年)火だるまに。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月27日】中国Z世代に広がる「寝そべり族」とは? ポストコロナにらむ習近平政権に難題 =後節== NewsWeek_Column_2023年1月23日(月) Casey Hal記者、Josh Horwitz記者、Yew Lun Tian記者)難しい政策対応習氏は年頭の演説で、若者の将来を改善することが不可欠だと認め「若者が豊かにならない限り、国家は繁栄しない」と言い切ったが、具体的な政策対応には言及していない。何よりも社会の安定を専一に思っている共産党が、Z世代により大きな政治活動の余地を提供するとは考えられない。その代わりに当局は、若者のために高給の仕事を創出し、彼らが親世代と同じように経済的に繁栄する道筋を確保しなければならない、と専門家は話す。とはいえ、経済成長が鈍化する状況でその実現は難しくなる一方だ。しかも、政治アナリストやエコノミストによると、若者の生活水準を引き上げるための幾つかの政策は、過去20年間にわたって中国経済を15倍に拡大させる原動力となったエンジンを維持する、という別の優先項目とは相いれない。例えば、Z世代に賃金が上がると期待させると、中国の輸出競争力は低下する。住宅価格をより手ごろな水準に下げれば、近年は経済活動全体の25%を占めてきた住宅セクターが崩壊しかねない。習氏が2期目にハイテクや他の民間セクターに対する締め付けを強化したことも、若者の失業や就職機会の減少を招いた。カリフォルニア大学バークレー校の都市社会学者、ファン・シュー氏は、中国政府がいくら「共同富裕」を唱えてもZ世代のために格差を解消するのは、事実上不可能だと言い切る。シュー氏によると、彼らの親は住宅市場や起業を通じてばく大な富を築くことができたが、そうした面での資産形成は再現されそうにないと強調。格差をなくすとは不動産価格を押し下げて若者が住宅を購入できるようにするという意味で、これは上の世代に大打撃を与えると述べた。国外に希望こうした中で一部の若者は、中国国外に夢や希望を追い求めつつある。大学生のデンさん(19)はロイターに、もう国内で豊かさを手に入れる余地はほとんどないと語り「中国で暮らし続ければ選択肢は2つ。上海で平均的な事務仕事に就くか、親の言うことを聞いて故郷に戻って公務員試験を受け、向上心もなく無為に過ごすかだ」と明かした。彼女はどちらの道も嫌って移住する計画だ。バイドゥ(百度)のデータによると、上海で2500万人の市民が2カ月間ロックダウンを強いられた昨年の海外留学の検索数は2021年平均の5倍に達した。11月のゼロコロナ抗議騒動の期間も、同じように検索数が跳ね上がった。アレックスさんは「中国の体制を受け入れるか、いやなら出ていくしかない。当局の力はあまりにも強く、体制を変えることはできない」と達観している。 (Casey Hal記者、Josh Horwitz記者、Yew Lun Tian記者)日本の少子化、「社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際」 岸田首相が施政方針演説=BBC News_Column 2023/01/24 岸田文雄首相は23日、衆参両院の本会議で施政方針演説を行い、少子化により社会機能を維持できるかどうかの「瀬戸際と呼ぶべき状況に置かれている」と語った。岸田首相は、「急速に進展する少子化により、昨年の出生数は80万人を割り込むと見込まれ、我が国は、社会機能を維持できるかどうかの瀬戸際と呼ぶべき状況に置かれている」と述べ、こども・子育て政策への対応は「待ったなしの先送りの許されない課題」だとした。また、4月に発足するこども家庭庁の下で「今の社会において、必要とされるこども・子育て政策を体系的に取りまとめつつ、6月の骨太方針までに、将来的なこども・子育て予算倍増に向けた大枠を提示する」と付け加えた。日本政府は以前にも同様の戦略の推進を試みたが、うまくいかなかった。人口約1億2500万人の日本の昨年の出生数は、統計開始以来初めて80万人を割り込む見通し。1970年代の年間出生数は200万人以上だった。出生率は日本の近隣諸国など多くの国で低下しているが、特に日本で深刻な問題になっている。ここ数十年で平均寿命が延びている日本では、高齢者人口が増える一方で高齢者を支える労働者数は減少している。世界銀行のデータによると、日本の65歳以上の高齢者の割合は約28%と、小国モナコに次いで世界で2番目に高い。2020年には複数の研究者が、日本の人口が2017年の1億2800万人をピークに減少し、今世紀末には5300万人を下回ると予測した。公式データによると、現在の人口は1億2500万人弱となっている。日本では限定的な緩和のほかは、厳しい移民法を維持してきた。高齢化社会に対応するためには、こうした規則をさらに緩和すべきだと指摘する専門家もいる。出生率の低下は、生活費の上昇、教育や仕事に従事する女性の増加、避妊具を入手しやすくなったことなど、さまざまな要因によって引き起こされている。このため女性は、かつてほど多くの子供を産まない選択をしている。先週には中国が、60年ぶりに人口が減少に転じたと発表した。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/27
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 本日は文化財防火デーなりと疑問の余地はない。しかしながら、帝国銀行椎名町支店で推理小説の様な難事件を某氏が実行。容疑者はタイーホ・服役に至るも真相は未だ藪の中(1948年=帝銀事件)。☆ 三菱銀行北畠支店でマルキ・ド・サドの向こうを張った酒池肉林ショーを梅川昭美が開始するも、42時間目で銃弾によって強制的に幕となる(1979年=三菱銀行人質事件)。曰く、本日は金融機関の特異日。☆ 日本一のヤクザ組織の内紛からそこのドンがイワされ(1985年)、日本全土を巻き込む大喧嘩に発展。そう言えば、東京都でショバ代を払うことを引き換えとして路上駐車が認められた(1959年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月26日】中国Z世代に広がる「寝そべり族」とは? ポストコロナにらむ習近平政権に難題 =前節== NewsWeek_Column_2023年1月23日(月) Casey Hal記者、Josh Horwitz記者、Yew Lun Tian記者)中国で新型コロナウイルスの感染を徹底的に封じ込める「ゼロコロナ」政策が解除されてから迎えた最初の週末。上海のある小さなライブハウスで開催されたヘビーメタルバンドのコンサートでは、薄暗い中で数十人に上る観客の若者がひしめき合い、汗や強い酒のにおいが漂っていた。これこそが、昨年11月終盤に中国全土へと波及したゼロコロナに対する抗議行動で若者たちが求めていた自由の一端だ。抗議行動はまたたく間に拡大し、習近平国家主席が権力を掌握して以降、10年間で国民の怒りが最も大規模に表面化する事態になった。中国で1995年から2010年までに生まれた2億8000万人の「Z世代」は、3年にわたるロックダウン(都市封鎖)や検査、経済的苦境、孤立といった試練を経て、新しい政治的な意見の表明方法を発見し、共産党のお先棒をかついでネットに愛国主義的な書き込みするか、そうでなければ政治的には無関心、という従来のレッテルを貼られることを否定しつつある。一方、指導者として異例の3期目に入ったばかりの習氏は、過去最悪に近い失業率と約50年ぶりの低成長に直面するZ世代を安心させる必要があるものの、それは難しい課題となっている。なぜなら、若者の生活水準を改善することと、これまで中国を発展させてきた輸出主導型の経済モデルを維持することは、社会の安定を最優先とする共産党と政府に対し、本来的な矛盾を突き付けるからだ。各種調査によると、Z世代は中国におけるどの年齢層よりも将来に対して悲観的になっている。そして、何人かの専門家は、抗議行動を通じてゼロコロナの解除早期化に成功したとはいえ、若者が自分たちの生活水準改善を実現する上でのハードルは今後高くなっていく、と警告する。精華大学元講師で今は独立系の評論家として活動しているウー・キアン氏は「若者がこれから進める道はどんどん狭く、険しくなっているので、彼らの将来への希望は消えてしまっている」と指摘。若者はもはや、中国の指導者に対する「盲目的な信頼と称賛の気持ち」を持ち合わせていないと付け加えた。実際、ロイターの取材に応じた若者の間からは、不満の声が聞こえてくる。先の上海のコンサートにやってきたアレックスと名乗った26歳の女性は「もし指導部が(ゼロコロナ)政策を変更しなければ、より多くの人民が抗議に動いただろう。だから、結局は軌道修正するしかなかった。若者が中国で悪いことなど絶対に起きないという考えに戻ることはないと思う」と述べた。Z世代に広がる寝そべり族特に都市部の若者が抗議活動の先頭に立つのは、世界的な傾向と言える。中国でも1989年の天安門事件につながった最大の民主化運動を指導したのは学生たちだ。ただ、複数の専門家は、中国のZ世代が習氏にジレンマを与えるような特徴を備えていると分析する。近年では、中国のソーシャルメディアを利用している若者が、ゼロコロナを含めた同国の政策に批判的な意見に激しくかみつく様子が国際社会の注目を集めてきた。彼らは、愛国主義的なウェブサイトの背景色にちなんで「小粉紅(little pinks)」と呼ばれるようになり、中国政府が展開する「戦狼外交」や、毛沢東時代に文化大革命の推進役となった紅衛兵に比すべき存在とみなされている。ところが、パンデミック発生以降、各種規制の下で経済が減速するとともに、そうした猛烈な姿勢のアンチテーゼ的な動きが出現した。ただし、それは西側諸国のようにナショナリズムの台頭に反対するリベラル派とは異なる。多くの中国の若者が選択しているのは「躺平(何もしないで寝そべること)」で、「社畜」としてあくせく働くことを否定し、手に入る物で満足するという生き方だ。本当のところ、こうした生き方に傾いている若者が、どれくらい存在するのかを示すデータは見当たらない。しかし、ゼロコロナへの抗議の前に水面下で醸成されていた要素はただ1つ。つまり彼らが予想する経済的な将来に対する納得いかない気持ちだ。コンサルティング会社のオリバー・ワイマンが昨年10月に実施し、12月に公表した中国の4000人を対象に行った調査に基づくと、Z世代はどの年齢層にも増して中国経済の先行きを悲観している。彼らの62%は雇用に不安を抱え、56%は生活が良くならないのではないかと考えている。これに対して10月に公表されたマッキンゼーの調査を見ると、米国のZ世代は25歳―34歳を除く他のどの世代よりも、将来の経済的機会に明るい展望を持っていることが分かる。中国でも習政権の始まりのころは、若者の見通しはもっと楽観的だった。2015年のピュー・リサーチ・センターによる調査では、1980年代終盤に生まれた人の7割は経済環境に肯定的な見方をしており、96%が親世代よりも生活水準が上がったと回答していた。中国の若者のトレンドを調査している企業の創設者、ザク・ディヒトワルド氏はZ世代について「学習による悲観論だ。これは彼らが目にしてきた事実や現実を根拠にしている」と解説。ゼロコロナに対する抗議は10年前なら起こらなかっただろうが、今の若者たちは上の世代が行使しなかった手法で、自らの声を届ける必要があると信じていると述べた。ディヒトワルド氏は、近いうちにさらなる社会的騒乱が発生する公算は乏しいとしつつも、共産党は今年3月の全国人民代表大会(全人代)で若者に「何らかの希望と方向」を提示することを迫られていると主張。そうした解決策を打ち出せないと、長期的には抗議の動きが再び活発化する可能性があるとみている。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/26
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 余りの寒さから旭川市で焼酎が凍ってしまうほどに(1902年=日本の観測史上最低気温-41℃を観測)。流石にこの程度でウォッカは凍らないが・・・・・参加者210名中199名が死亡するという八甲田雪中行軍遭難事件(1902年)が発生。 ☆ 資本家と労働者の激突がエスカレートして、三井三池炭鉱が全山挙げての操業停止(1960年=三井鉱山が三井三池炭鉱をロックアウト)。以後10か月近くも大騒ぎして3年後の大爆発の端緒を作る。☆ この年の正月にボクシングのチャンピオンを防衛したばかりの大場政夫が、高速道路上で大型トラックにKOされる(1973年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月25日】「21世紀末には人口は約半分」── 中国共産党に落とされる人口減という「大爆弾」= NewsWeek_Column_2023年1月24日(火) 王豊(ワン・フォン、カリフォルニア大学アーバイン校社会学教授)/中国社会が縮んでいる。有史以来、人口においては世界一の座を(ほぼ)維持してきた中国に、重大な転機がやって来た。中国政府が1月17日に発表した人口統計によると、2022年は死亡者数が出生数を上回り、約60年ぶりに総人口が減少に転じた。これにより世界最大の人口国という地位は、今年中にインドに譲ることになるという。かなり以前から予想されてきたこととはいえ、中国の人口動態を研究してきた学者として、これが些細なニュースでないことは、筆者にもよく分かる。前回、中国の総人口が前年を下回ったのは1961年のこと。工業と農業の飛躍的発展を図った大躍進政策が失敗して、推定3000万人が餓死したのが原因だ。これは右肩上がりの人口増が止まった異例の年だったが、2022年は違う。右肩下がりの人口減という長期的なトレンドの始まりになることが、ほぼ確実なのだ。国連によると、21世紀末には中国の人口は現在よりも約45%減るという。だがそれは、現在の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産む子供の数)約1.3を維持すればの話。少子化がもっと進めば、人口減はより大きくなる。それは中国の人口統計学者が、かねてから懸念してきたもう1つのトレンド、すなわち社会の急速な高齢化に拍車をかけるだろう。中国では、2040年までに65歳以上の高齢者が総人口の約22%を占めるようになるとみられているのだ。つまり、現在の中国では地殻変動的な大転換が起きており、それは3つの重要領域で、象徴的な意味でも、現実的な意味でも、巨大なインパクトを与えるだろう。第1の重要領域は経済だ。中国経済はこの40年で、農業中心から製造業とサービス業を中心とする経済へと画期的な転換を成し遂げてきた。それにより人々の生活水準と所得水準も著しく上昇した。だが、労働集約型の成長モデルは、いずれ維持できなくなると、中国政府はかなり前から気付いていた。中国の製造業を支えてきた安い労働力は、ロボットなどの技術革新で不要になったり、ベトナムなど労働力がもっと安い国との競争に勝てないからだ。一人っ子政策のツケ人口動態における歴史的な転換は、中国政府にとって、ポスト製造業あるいはポスト工業経済の成長モデルへの移行を一段と急ぐべき理由となっている。少子高齢化社会では、労働集約型の成長モデルを維持できないからだ。これは中国政府にとって、短期的にも、長期的にも難題となるだろう。なにしろ今後、経済を動かし、さらなる成長を刺激するために必要な若者は減る一方で、仕事を引退する高齢者と、彼らを支えるコストは増え続けるからだ。恐らく、中国にとって2022年が人口動態の転機となったと同時に、経済成長が1976年以来で最悪の水準となったのは、偶然ではないのだろう。人口動態の変化は、中国社会にも大きな影響を与えるだろう。1979年から約35年間続いた産児抑制策「一人っ子政策」により、多くの高齢者には子供が1人しかいない。あまりに多くの高齢者を少ない子供たちが支えていくことは、経済的にも社会的にも大きな負担となるだろう。しかも長寿化により、こうした支援が必要な期間は長くなる。当然、その子供たちが直接的に担う重荷は大きくなる。働き盛りの夫婦は仕事をこなすと同時に、子供たちを育てて、高齢の親の支援もしなくてはいけないのだ。その負担を軽減するためには、政府が高齢者に適切な医療や年金を給付することが不可欠だ。しかし、長い年月をかけて社会のセーフティーネットを整備してきた欧米諸国とは異なり、中国政府は人口動態と経済状況の変化についていくので精いっぱいだった。異次元のインパクトが2000年以降の経済成長を受け、中国政府は学校や病院の拡充に莫大な投資をしてきた。だが人口動態のシフトはあまりにも急で、セーフティーネットの整備はそれに追い付いていない。中国の医療システムは依然として極めて非効率で、不平等で、拡大するニーズに対応できていない。また、中国の年金制度は地方や企業などによって複雑に細分化されており、加入者にとっては不公平感も強い。中国の人口が減少に転じたことは、政治面でも大きな影響を与えるだろう。人々の期待に沿う対策を講じることができなければ、中国共産党の支配を揺るがす事態にもなりかねない。一党独裁の正当性は、人々の暮らしを豊かにすることと引き換えに認められてきたからだ。それだけに、人口減少が経済の衰退につながれば、党には大打撃となるに違いない。少子高齢化社会をサポートする仕組みを党がきちんと整備できるかどうかも、人々は厳しい目で見ている。現時点では、中国政府の対応は後手に回ってきたという印象が否めない。出生率があまりにも低いため、現在の人口を維持できないことは、1990年代から分かっていたのに、政府が全ての夫婦に2人目の出産を認めたのは2016年、3人目を認めたのはようやく21年のことだ。人口増を刺激する(少なくとも人口減少のペースを落とす)ために取られたこの政策転換は、遅きに失した。そして中国は間もなく人口で世界一の国という地位を失おうとしている。だが、人口減少が中国の経済と政治に与えるインパクトはそれとはまた別次元のものになるだろう。Feng Wang, Professor of Sociology, University of California, Irvine 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/25
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ カリフォルニア州で金の粒が見つかったぞ!で、アメリカ中が一攫千金を狙う採掘者がカリフォルニア州に殺到大騒ぎ(1848年)。黄金狂時代の幕開けである。☆ CIAからの援助によって日本社会党から脱けた連中が政権与党の別動隊を結成(1960年=民主社会党結成)。 &so “恥ずかしながら”と現れた日本兵の横井庄一を救出(1972年)。☆ Appleから高級ゴミ箱Macintrashが発表される(1984年)。スティーブ・ジョブズの陣頭指揮のもとに開発され、ジョブズの思想や夢、感性が設計思想に盛り込また。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月23日】コラム:止まらぬ日本の物価上昇、日銀次期体制に重い宿題= REUTERS_Column 2023年1月20日 田巻一彦 /[東京 20日 ロイター] - 昨年から上がり続ける日本の物価は、20日発表の2022年12月の全国消費者物価指数が前年比4.0%上昇(生鮮食品を除くコアCPI)と41年ぶりの高い伸びとなった。今後も日銀想定より上振れして高止まりすれば、黒田東彦総裁を引き継ぐ次期体制はイールドカーブ・コントロール(YCC)の枠組み撤廃だけでなく、緩和政策をいつまで継続するのかという問題に直面しかねない。今年は物価上昇が金融政策を左右する大きな要素として浮上しそうだ。19─20日に金融政策決定会合で、日銀が政策維持を決めた大きな理由は、物価目標の2%達成を安定的・持続的に見通せないということが大きなポイントだった。23年度のコアCPI上昇率は1.6%で据え置かれ、24年度は1.8%と2%を下回った。もし、この大前提に大きな変化があると「金融緩和で日本経済を下支えする」という構図にひびが入ることになる。<CPIに高止まりリスク、4つの要因>筆者は、日銀の1.6%という想定は結果的に上振れする可能性が高いとみている。理由は、以下の4つ。1つ目は、国内企業物価指数がCPIよりも相当に高く、企業の中に「値上げのマグマ」が蓄積されていることだ。昨年12月の国内企業物価指数は前年比10.2%とコアCPIの4%とは6%ポイントの開きがある。物価上昇ペースが鈍化してきた米国では、12月の生産者物価指数が前年比6.2%上昇、CPI(総合)が同6.5%上昇とほぼ同じ水準に収れんしてきている。日本の場合、川上である国内企業物価指数の水位が大幅に高く、CPIへの波及が進むのは相当先になりそうだ。2つ目の理由は、企業の値上げに対する抵抗感の大幅な低下だ。帝国データバンクによると、2023年1─4月に値上げ予定の食料品は7390品目と前年同期比58%増となっている。同業他社の値上げに追随するケースも多く、今年4月から一部地域で予定されている電気料金の大幅引き上げを受けて、年後半に一段の価格見直しが実施される可能性もある。複数の国内メディアは、東京電力ホールディングスが近く家庭向け規制料金を3割程度引き上げ申請する方針を固めたと伝えている。3つ目の理由は、大企業を中心に今年の春闘で大幅な賃上げが予定されていることだ。政府や経団連が企業にベースアップの実施を求めているが、企業の本音は人手不足を背景にした優秀な人材の奪い合いで負けたくないというところにありそうだ。日銀の黒田東彦総裁は20日の会見で、賃上げペースが高まりそうな背景として、人手不足の実態を指摘していた。人件費のアップは、製品価格の引き上げにつながりやすく、デフレ下では経験してこなかった賃上げと値上げの連動が起きそうな情勢であると指摘したい。4つ目は、国際通貨基金(IMF)や世界銀行などの世界景気減速予想が外れる可能性が出てきた点だ。その大きな要因として中国のゼロコロナ政策の大転換がある。中国は新たに集団免疫の獲得を目指し「フルコロナ政策」とも呼べる規制緩和策を実施し、落ち込んでいる経済がV字回復する可能性が出てきた。すでに銅先物などは中国需要の急増を見越して反転しており、23年のどこかで原油や国際商品市況の急上昇が確認され、日本にとっても足元で急減している対中輸出が急回復する可能性がある。また、中国からの観光客による「爆買い」の復活で、国内における様々な需給が急速に引き締まるシナリオも現実味を帯びてくるとみている。<緩和政策修正の要件は何か>このような物価押し上げ効果が相次いで顕在化してくると、政府による電気代などの支援策でCPIが最大で1.2%ポイント押し下げられても、2%台ないし3%台で推移する展開があり得ると予想する。この情勢の下では、YCCを維持した上での長期金利の上限引き上げや、マイナス金利の撤廃(短期誘導目標のゼロ%への引き上げ)などに対する市場の期待感が強まるのは間違いないだろう。問題は、2%を上回るCPIの推移が長期化しそうな兆候が出てきた場合、緩和的な金融政策を修正することになるのかどうか、という点だ。日銀は黒田総裁がいわゆる「出口戦略」の検討に対し、繰り返し「時期尚早」と説明して2%の目標達成まで緩和政策を継続するとの方針を強調してきた。したがって2%を上回る物価の長期化の可能性に関しては、「安定的・持続的」というのはどの程度の期間なのかということも含め、市場に対して具体的な情報発信をしてきていない。民間エコノミストも含めて、2%を上回る物価上昇が継続すると予想している向きは少数派で、どのような物価情勢になると緩和政策を修正ていくことになるのか、というシナリオ提示もほとんど見られていない。だが、今月26日発表の1月東京都区部CPIは、コアの市場予想中央値が前年比4.2%上昇で、物価上昇圧力が一段と高まっていることをうかがわせている。ちょうど1年前の22年1月27日、米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は「物価上昇は一時的」とのスタンスを微妙に修正しようと「FOMC(連邦公開市場委員会)は利上げは間近との見方で一致」と発言していた。しかし、その段階でFRBがその後、大幅な連続利上げに踏み切ると予想していた市場参加者はほとんどいなかったのではないか。「周回遅れ」の日本の物価上昇の勢いを過小評価すると、後にやけどするのではないかと指摘しておきたい。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/24
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 八甲田山にて日露戦争の予行演習をしたら1個部隊が丸ごとエクストリーム・遭難となり、戦端を開くはるか以前に大日本帝国陸軍が打撃を受ける。(1902年=日本陸軍歩兵第5連隊が八甲田山で遭難) ☆ 偉大なる将軍様の指導によって、アメリカ合衆国のぴーが乗っていた船ごと一網打尽に(1968年=情報収集艦プエブロが北朝鮮に拿捕された)。☆ 大阪民国の東部に住む職人たちが宇宙空間に鉄くずを放棄する(2009年=温室効果ガス観測技術衛星「いぶき」など人工衛星計8基搭載したH-IIAロケット打ち上げ成功)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月22日】中国農村部に襲い掛かるコロナの大波 =後節== CNN_World News / Opinion 2023.01.20新型コロナについて言えば、年齢は重要だ。人口の高齢化は非伝染性の疾患の発症と高度な相関関係を有する。これには糖尿病、がん、心血管系の疾患が含まれる。15年の研究によれば、農村に住む高齢者の最大83.4%が基礎疾患を持っており、新型コロナに対して極めて脆弱(ぜいじゃく)な状態にある。農村部医療の実態残念ながら政府が09年に立ち上げた医療改革は、農村部の医療システムの能力を著しく増強するには至らず、現地では主要な疾患の拡大に対応できていない。農村部での人口1000人当たりの病床数は4.95、医療専門家の数は同5.18人だ。都市では病床数8.18、医療専門家11.46人となる。草の根の医療従事者の大半は、農村の場合医療の訓練をほとんど受けていない。大学の学位を持っているのは全体の1%に過ぎない。さらに悪いことに、改革を行っても医療提供者らの利潤を追い求める振る舞いは変わらなかった。ハイテクを用いた検査機器の過剰使用や正当と認められていない手術の実施といった無駄なサービスは、依然として農村部に共通する問題だ。医療の質とコストにまつわる懸念は、農村に住む患者がしばしば地域の診療所を避ける理由の説明になるかもしれない。彼らは県の病院や、都市部の医療施設で直接診察してもらおうとする。医療格差広げた「ゼロコロナ」政策追い打ちをかけるように、過去3年のゼロコロナ政策の実施が農村部における医療システムの能力格差を広げることになった。政府が解熱剤や咳(せき)止め薬の購入に規制をかけた結果、そうした医薬品の供給は不足した(考えられる理由の一つは、政府による規制のため、メーカーが製造能力を縮小したことだ)。農村部の診療所は、発熱した患者の受け入れを禁じられた。これにより一部の村の医療従事者は診療所を閉鎖して別の職に就くのを余儀なくされた。19~21年、村の診療所の数は61万6000から59万9000に減少。また村の医療従事者の数も145万人から136万人に落ち込んだ。ゼロコロナ政策の実施に固執する中で、農村部では感染拡大に備える余地がほとんど与えられなかった。23年1月初めまで、酸素ボンベや患者の酸素レベルを測定するオキシメーターを設置した病院はごくわずかだった。国営メディアの報道によると、北東部にある県レベルの病院には、人工呼吸器の動かし方を知らない医師もいたという。ワクチン接種キャンペーンも失速ゼロコロナ政策は、ワクチンのブースター(追加接種)を高齢人口の間で促す上でも強い動機付けにはならなかった。22年8月と11月の間の3カ月、高齢者の接種率にはほとんど増加がみられなかった。その結果、不活化ワクチンによって引き起こされる抗体が極めて低い水準に落ち込んだ状態で、中国はゼロコロナ政策を転換することになった。12月1日、政府は高齢者のワクチン接種を進めるキャンペーンを立ち上げたものの、取り組みはすぐに勢いを失った。新型コロナの感染件数並びに医療従事者、高齢者の感染が爆発的に増えたためだ(これでワクチン接種への関心は低下した)。当然ながら政府が規制を撤廃し、新型コロナへの歯止めを解くと、村落の診療所では解熱剤の在庫があっという間に底を突き、抗原検査キットや有効な抗ウイルス薬も不足した。こうした理由から、多くの村落の診療所や町の医療施設で優先的に処方されるのは、抗生物質やビタミン剤、ホルモン剤、ブドウ糖になっていると考えられる。北京や上海のような大都市の住民であれば「ニルマトレルビル」のような抗ウイルス薬を入手できるが、農村では伝統的な漢方薬に頼るほかない。重症化した患者は県の病院へ差し向けてもらえるものの、そこの集中治療室(ICU)には治療に必要な設備が備わっていない。ピークはこれから?14日、高位の医療当局者が発表したところによると、発熱外来と新型コロナの入院件数は農村部でさえも既にピークを迎えた。政府のデータでは12日の時点で5000を超える県レベルの病院が1万5800人の重症患者を受け入れているが、これは全国の総数のうちの15.1%に過ぎない。それらは全て、次のことを示唆しているように見える。つまり12月8日から1月12日にかけて公式に報告された6万人近いコロナ死者のうち、農村部で発生したのはごく低い割合でしかない。県レベルの病院が治療した重症患者がこの時期1病院当たり4人に満たない計算になるのを考慮すれば、公式統計は農村の重症例と死亡例を極めて低く見積もっている可能性がある。今後数週間、家族や友人が集まって春節を祝う中、農村地域には重症者と死者の新たなピークが訪れるかもしれない。とは言え、新型コロナの猛威が農村の医療システムの崩壊を引き起こす、または中国農村部の社会の安定に大きな脅威をもたらす公算は小さい。感染に負い目を感じる風潮のせいで、村の住民の間ではコロナについての議論がほとんど交わされていないように見える。地域によっては、新型コロナは依然として村民たちから「あの病気」と呼ばれている。もしくは単に重い風邪として扱われ、騒ぎになることもない。重症化した人でさえも、進んで都会の病院に出かけて診察してもらおうとはしなかった。治療費の支払いで、子どもたちの貯金を使い果たすのではないかとの恐れからだ。検査キットが入手できない、あるいはそもそも検査を受ける気がないため、自宅で亡くなるこうした農村の患者が公式データに組み入れられることはない。悲しくもあり逆説的でもあるが、そのような運命論者的手法によって医療システムは「強靱(きょうじん)さ」を獲得し、中国農村部における新型コロナの大波に耐えている。※ ファン・ヤンチョン氏は外交問題評議会(CFR)のグローバルヘルス担当シニアフェローで、米シートンホール大学外交国際関係大学院の教授を務める。専攻はアジア地域。中国の環境衛生危機に関する著作がある。記事の内容は同氏個人の見解です。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/23
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ イギリスに60年以上も君臨していたお婆さんが亡くなり、バッキンガムで肩身の狭い思いをしていた愛煙家が狂喜乱舞(1901年=ヴィクトリア女王崩御、エドワード7世即位)。 他方、平和裏に請願行進の労働者に余りの寒さに思考を凍結した軍隊が発砲、ロシア革命のきっかけとなった(1905年=血の日曜日事件)。 ☆ 浜田国松と寺内寿一が、前日からの腹を割った口論の果てに時の総理大臣を内閣ごと血祭りに挙げる最期を遂げる(1937年=腹切り問答)。☆ 8人もの女性をアーン♥♥して血祭りに挙げた画家のコスプレしたおっさんが13階段を上って彼女たちの許へお詫び行脚に出かける(1976年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月21日】習近平は豹変する =後節== NewsWeek_Column_2023年01月18日、 中国経済事情 丸川知雄 /経済成長のエンジンこのように、今回の決定を見る限り、2020年11月のアント・フィナンシャルの株式上場延期あたりから始まった民間企業に対する統制強化の流れが一変する可能性が高い。実際、中央経済工作会議の直後の12月18日には浙江省政府の幹部がアリババを訪問して激励している。なぜこのような転換が起きたのだろうか。それは現下の経済情勢の厳しさと関係があろう。2022年はGDP成長率が3.0%となって目標の5.5%を大幅に下回り、特に不動産市場の不況は深刻である。2023年も5%以上の成長を目指すことになりそうだが、すでに地方政府がかなりの債務を負っているため、財政支出を拡大して成長を刺激する策は取りにくい。そこで、ここ数年抑えていた民間企業の活力を解放することで、経済成長のエンジンを点火しようという狙いなのであろう。ただ、果たして中国の民間企業家たちがこうした期待に応えて投資や事業を活発化させるかどうかは未知数である。今回何の前触れもなく突然方針が変わったので、民間企業家たちは果たしてこの転換をどれだけ真に受けていいものか戸惑っていることであろう。そもそも共産党の決議文の語調を変えるだけで即座に民間企業の活力が高まるわけもない。今後も規制緩和を続けるとともに、政府のサービスを向上し、創業環境を整備することが重要である。このたびの二つの大きな方針転換の政治的背景には昨年10月の党大会後に確立した習近平の独裁体制の強化があるのだと思われる。昨年11月の本コラムでも論じたように、党大会での習近平演説では「強国」や「安全」という言葉を連呼し、国家による経済や社会に対する統制を強化するニュアンスを醸し出していた。柯隆氏などは「習近平報告のキーワードをAIに調べさせた(ところ)、『改革』『開放』という言葉が入っておらず、ショックだった」と言っている(『国際貿易』2022年12月25日・2023年1月5日合併号)。もっとも、私がWordで普通に検索したところ、習近平演説のなかで「改革」は51回、「開放」は29回出てくるので、どうも氏のAIは数え方が雑なようである。 それはともかくとして、習近平演説では改革や開放という言葉は使っているものの、何を改革するのか、何を開放するのか、という具体的な方針が見えてこなかったのは事実である。習近平演説を読んで、表面上はともかく、改革開放が実質的には止まってしまうのではないかという感想を私も持った。 そして党大会後の人事が習近平の全面的勝利に終わった以上、中国は国家統制や国有企業の強化、民間企業の規制という方向へ突っ走り、ゼロコロナ政策にもこだわっていくのだろうと予想された。 ところが、そうした予想を覆して、昨年12月に二つの大きな転換が行われた。ということは、習近平はもともとゼロコロナ政策に反対、民間企業振興の立場であったのだろうか。おそらくそうではないだろう。コロナ対策にしても民間企業に対する方針にしても、専門家や党幹部の間にはもともと複数の異なる意見が存在していたはずである。 党内の勢力がある程度拮抗している段階では、そうした意見の違いが政争の種となり、政治家はそれぞれの意見に固執して争う。ところが、指導部が習近平のイエスマンばかりで固められた状況下では、政策方針を大きく転換しても、過去の政策の失敗の責任を問う声はどこからも上がらないので、習近平は政策を自分が思ったように転換するフリーハンドを得た。そのことがこのたびの政策の大転換に現れたのだと思われる。つまり、今回の大転換からわかったことは、習近平は豹変するということである。中国農村部に襲い掛かるコロナの大波 =前節== CNN_World News / Opinion 2023.01.20(CNN) 筆者は幼い子ども時代を中国の農村部で過ごした。最も幸福を感じた瞬間の一つが、上海から来た船を降りてくる父親の姿を見る時だった。父親は春節のために買い込んだ品々をどっさり持って帰ってきた。当時、父親は上海郊外にある縫製工場で働いており、家へ帰ってくるのは春節が近づく時期だけだった。結局のところ春節は、約4000年の歴史を持つ中国において、最も重要な祝祭に他ならない。中国全土にいる数億人の出稼ぎ労働者にとって、2023年の春節に当たる1月22日は、ひときわ特別な意味を持つ祝日になるだろう。多くの人々は、地方で暮らす子どもや両親から3年にわたって引き離されている。政府による厳格な新型コロナウイルス感染対策が原因だ。ところがここへ来て中国は「ゼロコロナ」政策を破棄し、国内移動の規制を撤廃した。政府は春節ラッシュ期間(1月7日から2月15日まで)の旅行者の数について、昨年の2倍に当たる21億人弱と試算する。年単位で世界最大となる規模の人の移動が起これば、新型コロナの感染拡大にも拍車がかかると予想される。早くも昨年12月半ばには、農村部の多くで感染件数の増大が見られた。中部河南省のある村で医療従事者が確認したところによると、同月17日から24日までの発熱患者の数は、前年の通年分を上回ったという。中国の科学者らが実施した調査では、農村地域が23年1月中旬から下旬にかけて感染拡大の波に見舞われると予測している。ただこの調査は拡大の速度と規模について過小評価しているように思われる。出稼ぎ労働者の主要な供給地である河南省は、今月7日の時点で人口のほぼ9割に相当する8800万人が感染したと報じられた。農村人口の高齢化中国農村部の医療システムは、跳ね上がる新型コロナの感染件数に耐えられるか? 最近まで、政府の答えは明確に「ノー」だった。実際のところ、政府は自分たちのゼロコロナ政策を正当化するに当たり、人口の大部分を高齢者が占めている点、医療資源が限られている点を引き合いに出した。どちらの問題も、如実に表れるのは広大な農村部においてだ。そうした地域の人口は、都市部よりも速く高齢化する。20年の国勢調査によると、農村部に住む60歳以上の人口は1億2000万人超と全体の23.8%を占めるのに対し、都市部では15.8%となっている。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/22
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 若くして結婚、子作りの方法を知らぬ国王/ルイ16世・王妃/マリー・アントワネットは、義兄の仕儀で子供を授かるも断頭台で処刑(1793年)され、1793年10月16日 マリー・アントワネットもギロチン処刑。王子は悲惨な障害を・・・・☆ オサマ・ビン・ラディンがアメリカに向かう飛行機を火の玉にしてしまうパフォーマンスを1995年のこの日にやろうとするも、パフォーマーが相次いでお縄になったためニューヨークの摩天楼などを舞台とするカミカゼに変更することに。☆ のど自慢で腕を鳴らす一少女が世に生を享け(1980年)、成長して声優ヲタクファンから崇めたてられ紅白歌合戦に出場するまでになる。死後もコンピューター技術でテレビ界に現れる。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月21日】習近平は豹変する =前節== NewsWeek_Column_2023年01月18日、 中国経済事情 丸川知雄 /昨年12月から今年1月にかけて、世界は中国の変化に驚かされた。第一の変化は、言うまでもなく「ゼロコロナ政策」の転換である。「感染が拡大したら医療体制が崩壊して大変なことになる」として、感染地域のロックダウンを繰り返し、PCR検査を徹底して行っていたのが、昨年12月になって突然「オミクロン株は感染しても軽症で済む」からと行動制限を撤廃した。1月16日に北京大学が発表したところによると、2023年1月11日までの累計で9億人が新型コロナに感染したと推計されるという。ゼロコロナ政策の転換以後、驚くべきペースで感染爆発が起きているようである。また、国家衛生健康委員会が1月14日に発表したところによると、2022年12月8日〜2023年1月12日の期間に全国の医療機関で新型コロナの感染者が5万9938人死亡した。その9割以上は血液系や呼吸器系、あるいはがんなどの基礎疾患があった。新型コロナも流行が始まってから丸3年となり、当初は致死率が高く恐ろしいウイルスだったのが、ワクチンや治療薬の開発もあって、その脅威はだいぶ低下してきた。他方で、2020年に武漢で新型コロナが広まった時は、ロックダウンとPCR検査の徹底によってウイルスを完全に封じ込めることができたが、オミクロン株は感染力が強くて、2020年のような方法で封じ込めることができなくなった。世界で浮いた中国こうした状況の変化に対応して、新型コロナ対策もウイルスの封じ込めからウイルスとの共存へどこかのタイミングで舵を切らなければならない。日本では2020年4月に最初の緊急事態宣言を出して外出制限を行ったが、2023年1月現在の感染者数や死者数は当時よりも圧倒的に多いものの、ロックダウンを求める声はほとんどないようである。それは、ウイルスの致死率や感染力の変化などに合わせて対策を変える必要があることについて専門家と国民との間でおおむねコンセンサスができているからであろう。そうしたなかで、中国のみがオミクロン株に対してもウイルスの完全封じ込めを目指す対策を採り続けたため、2022年後半には世界のなかで浮いてしまった。2022年9月以降、私はベトナム、台湾、チリに出張したが、日本や台湾はまだ警戒が強い方で、その他の国ではもうすっかり元通りの日常を取り戻していた。ベトナムは「コロナと生きるLiving with Corona」政策を採るんだといって、感染拡大に対して完全に開き直っていたように見えたし、チリでも街を歩く人のうちマスクをしていたのは1割以下だった。中国だけが強い行動制限を続けていることに対して市民の間で不満が高まり、2022年11月には各地でデモが起きた。12月の政策転換は世界の流れや国民感情を考えればしょうがなかった。ただ、政策転換後に予想外に感染が急拡大し、死者も急増したので、転換前に中国政府が言っていた懸念もあながち誇張ではなかったことを逆に証明する結果となった。昨年12月の第二の大きな変化、それは12月に開催された中央経済工作会議である。こちらの方に注目した日本のマスコミはなかったが、私は注目すべき変化があったと思う。中国共産党の最高幹部たちは毎年12月に中央経済工作会議を開催して翌年の経済政策の基調を決める。昨年12月15~16日に開催された同会議では、成長と雇用と物価の安定を重視するというコロナ禍以来の経済政策の基調を2023年も維持することを決めた。2022年は厳しいゼロコロナ政策を採ったことによりGDP成長率が3%と低迷したが、それでも成長の回復を焦ることはせず、安定重視で行こうということである。この点では昨年までの方針を踏襲するものであるが、同会議で示された経済体制に関する方針は前年(2021年)までの中央経済工作会議とは大きく様変わりした。一言でいうと、これまでの民間企業統制の流れから一転して民間企業を重視する姿勢を鮮明にしたのである。統制から民間活力へ過去2年の中央経済工作会議では国有企業の役割を重視する一方、大手民間企業を抑えつける方針が示されていた。2020年12月の中央経済工作会議の決定では「反独占を強化し、資本の無秩序な拡張を防止しなくてはならない」として、特にプラットフォーム企業の独占に対する取り締まりを強めることがうたわれていた。実際、2021年4月にはアリババに対して独禁法違反で3000億円にも上る巨額の罰金が科され、6月には配車大手の滴滴がアメリカで株式上場したら、その直後に国家安全を脅かすとして調査が入り、アプリの配布停止を命じられ、後に高額の罰金が科された。2021年12月の中央経済工作会議の決定は「資本に対して信号機を設けて(何をやってよいか、いけないかを示し)、資本に対する有効な監督を強化し、資本の野蛮な成長を防止しなければならない」と、さらなる規制強化を示唆していた。2022年10月の第20回党大会における習近平の演説では、ベンチャー育成のスローガンとして2014年から李克強首相がたびたび口にしていた「大衆創業、万衆創新( 大 衆 の 起 業 、万 人 の 革 新 )」には言及しなかった。そのため、党大会後に国有企業重視、民間企業統制の方針がさらに強まるように思えた。ところが、昨年12月の中央経済工作会議ではそれは誤解だと明言している。もともと習近平は2013年から「二つの『ブレることなく』」というスローガンを打ち出し、国有企業も民間企業もどちらも重視すると言っていた。今回の会議の決定では「我々が二つの『ブレることなく』を続けるのかどうかに関して不正確な議論が横行しているようだが、これからも続けるとここではっきり言っておきたい。国有企業と民間企業を制度と法律において平等に扱うという原則をしっかり実現し、政策の上でも世論においても民間企業の発展を奨励していくべきである」と述べている。国有企業も民間企業も大事なんだという2019年までの両論併記の路線に戻っただけでなく、さらに踏み込んで、党・政府の幹部は民間企業の困難に耳を傾けるなど、フレンドリーになるべきだと強調している。また、プラットフォーム企業が発展をリードし、雇用を創出し、国際競争の中で力を発揮することを支持する、とも言っており、アリババ、テンセント、滴滴などに対する規制を強めてきた過去2年の流れから転換しそうである。さらに、李克強が党政治局常務委員から引退するのと共に消えるかと思われた「大衆創業、万衆創新」のスローガンも復活し、それをさらに推進すると言っている。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/21
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 自分とこの商品を勝手に廃棄したと清朝に言い掛かりをつけたイギリスが、香港に乗り込み(1841年)以後158年にわたって居座り続ける。☆ 国鉄の小荷物や郵便小包・日本通運に対して、黒猫が家から家へ小荷物をお届けするサービスが新規参入(1976年)。40年以上経って最早先発を凌駕するに至ったものの、今度はAmazonなどがその地盤を堀崩そうと手薬練引いていたりする。☆ バーモント州でピーナッツ農場やってるおっさんがホワイトハウスの主となり、以後4年間で素人に政治を任せるとどれだけ危ういかをアメリカ人が学習することに(1979年)。しかしその学習効果は長続きせず、2017年には性懲りも無く不動産屋のボンボンを大統領に当選させてしまった。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月20日】習近平・プーチン会談に見る中露の「正義」の欠如= WEDGE Infinity 《世界潮流を読む》 岡崎研究所論評集 : 2023/01/18 岡崎研究所 / 2022年12月31日付の英フィナンシャル・タイムズ紙に、同紙モスクワ支局長のマックス・セドンと同紙中国テクノロジーリポーターのライアン・マクモロウが、「プーチンと習近平が2国家関係を深化させることを誓う」との記事を書いている。 プーチンと習近平は12月30日のビデオ会談でプーチンが「歴史上もっとも偉大である」とした両国関係を深化させると誓った。 9月の中露の対面会談では、中国は、ロシアによるウクライナ侵攻を非難せず、戦争の責めをウクライナに対する西側支援に帰した。 中国は値引き価格でロシアの石油を買い、西側制裁の効果を弱めている。習近平はウクライナ戦争を交渉で解決するとのロシアの意思を評価すると述べ、中国として危機を解決するのを助ける用意があると述べた。習近平は「和平の見通しはいつでもある。中国は客観的で公正な立場を引き続き堅持し、国際社会を団結させ、平和的にウクライナ危機を解決する建設的な役割を果たす」と述べた。和平交渉は、4月にロシア軍が占領した町で民間人に対する残虐行為があったとの告発の後、崩壊した。 最近、プーチンは、ウクライナが交渉を拒否していると責任を負わせ、ロシアは戦争を終わらせる用意があると主張している。ただ、ロシアは、ウクライナが南部と東部の州のロシア支配を認める場合のみ交渉を始めると述べ、全ての領土の奪還を交渉の前提条件とするウクライナにはこれは受け入れられない条件である。 台湾をめぐる習の主張についての西側と中国との戦略的対立関係、技術産業への米国の制裁は、中国がロシアとの関係を切ることを躊躇させている。 プーチンは中露のパートナーシップは地政学的緊張の高まりの中で安定化要因として益々意義深くなっていると述べ、習は双方は「国際情勢で緊密に調整し協力し、一方的な政策に反対すべきであり、制裁や干渉は失敗する運命にある」と米国を非難して述べた。 習は2012年に中国共産党総書記になって以来、年一度の首脳の相互訪問を続け、春にはロシアでプーチンに会うと期待されている。プーチンは2022年2月初め、ウクライナ侵攻の2週間前に北京に習を訪問した。プーチンは2022年12月、習へのメッセージを託してメドベージェフ前大統領を北京に派遣した。 12月30日、プーチンと習近平はビデオ会談をしたが、この記事はその模様を報じているものである。 米欧日にも、中国がロシアにウクライナ戦争をやめるように圧力をかけることを望んでいる人がいるが、この記事を読む限り、中国にはそのようなことをする気はないと判断してよいと思われる。 習近平は、一方的な外交政策に反対であり、制裁や干渉は失敗する運命にあると言ったと言うが、何もしないのに制裁が発動されたのではなく、ロシアが戦争を始めたから制裁が発動されたのである。これを一方的というのは公平でも公正でもない。ウクライナへの侵攻こそが一方的な行為である。 さらにウクライナ戦争が熾烈を極めている時に、平和的にウクライナ危機を解決する建設的な役割を果たすという習近平発言は何を意味しているのか、理解に苦しむ発言である。国際法や正義の尊重の姿勢を持たない中露 要するに、制裁で困っているロシアの足元を見て、石油・ガスを安価に入手し、中国と米国との関係が悪化する中で、ロシアとの関係を良好に維持することを狙い、中国の国益を最大化しようとしているだけである。国際情勢の健全化や国際関係の公正・公平化には言葉の上では言及しているが、そこに重点を置く姿勢は一向にないといってよいと思われる。 中露はともに猜疑心の強い国である。今の状況では、両国ともお互いに良好な関係を維持することが得策であると考えていると判断してよい。 中露両国には国際法や正義の尊重の姿勢はなく、状況対応主義以外の原則はないのではないかと思われる。この中露が国連の平和機能の中心である安全保障理事会で拒否権を持つ常任理事国であることは、大きな問題である。 両国が状況対応主義で国際法や正義の尊重の姿勢を持たないならば、ロシアと中国には、力を重視した対応以外にうまく対応するやり方はないと考えられる。言い換えると、両国に力による現状変更を思いとどまらせるためには、当方も力を重視していく以外に手はないように思われる。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/20
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 大河ドラマで仇役にされる平清盛を厚遇する後白河天皇が制圧に成功する平治の乱勃発(1159年)。 &so NHKが、素人のヘタウマな歌を公共の電波に乗せる暴挙を始める(1946年)。☆ 日本社会党が都合75日間にわたる大喧嘩(1950年)。 以降、右と左のイデオロギー対立とのゴウバラは収まら儘に、離合集散。 挙句の果てに凋落していく様は・・・・・。☆ 日本社会党がすったもんだとするのを幸いに、アメリカを訪問中の岸信介とその悪ガキ団が新安保条約に調印(1960年)、邦国が熱い時代の幕を開ける。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月19日】研究所にしかないはずの愛媛の高級かんきつ、 中国が勝手に生産 日本への視察団が堂々と盗んでいた =4/4節== NewsWeek_Column_xxxx mmdd 2023年1月13日(金) 窪田 新之助(農業ジャーナリスト)、山口亮子(ジャーナリスト) *PRESIDENT Onlineからの転載/中国でのシャインマスカットの栽培面積は日本の約29倍この問題が厄介なのは、日本の優良な種苗のうち無断で流出したのはかんきつだけではないからだ。農研機構が育成したブドウ「シャインマスカット」や、静岡県が育成したイチゴ「紅ほっぺ」の種苗が中韓で無断で販売されているなど、その例を挙げればきりがない。社団法人や研究機関などで構成する「植物品種等海外流出防止対策コンソーシアム」は2020年9月、「中国、韓国のインターネットサイトで、日本で開発された品種と同名またはその品種の別名と思われる品種名称を用いた種苗が多数販売されている事例が明らかとなった」と発表した。イチゴ、サツマイモ、かんきつ、リンゴ、ブドウ、ナシ、カキ、モモなどで36品種が確認されたという。ただ、現実には、無断流出は36品種などという数字には到底収まらない。そう言い切れるのは、日本のイチゴ農家から次のような話を聞いたからだ。中国・上海にある公的研究機関を訪ねた際、日本で育成された名の知られたイチゴの品種がほぼすべてそろっていたという。流出した品種の日中韓における生産量を比べたのが図表1だ。この表では、たとえば種なしで皮ごと食べられるブドウ「シャインマスカット」については、中国における栽培面積が日本の約29倍に達すると推計されている。シャインマスカットの損失額は推計で100億円以上「シャインマスカット」といえば、「農研機構果樹研究所ブドウ・カキ研究拠点」が、高温多湿の条件でも果実が割れにくい品種と認めて育成したうちの一つ。大粒で香りの良いヨーロッパブドウと、病気に強いアメリカブドウをかけ合わせることで、両方の良さを兼ね備えているブドウとして、2006年に品種登録を済ませている。その大産地は、いまや日本ではなく中国である。農水省は、中国への無断流出による損失額を推計。2022年7月、年間100億円以上に達していると発表した。品種の育成者である農研機構に本来支払われるべき許諾料(ロイヤリティ)を、出荷額の3%として計算すると、この額になるという。韓国にも無断で流出し、中韓で栽培が広がり、タイや香港などに果実が輸出されている。したがって、農水省が試算していない、輸出機会の喪失に伴う損失額も相当あるとみるのが自然だ。中韓から許諾料を取るにはもう遅い。農研機構が青果物の輸出を想定しておらず、海外での品種登録を怠っていたからだ。海外で品種登録できる期限は、自国内で譲渡を始めてから6年以内。「シャインマスカット」はこれをすでに過ぎているので、海外での栽培はいまや合法であり、農研機構は許諾料の支払いを求めようがない。中韓で産地化されていることは、農研機構とそれを所管する農水省の手落ちだ。国や地方自治体が税金を投じて育種をしながら、無断流出によって図らずも海外の農業を振興し、日本農業の足を引っ張る。日本の農政はこれまで、そんな悪循環を生み続けてしまった。中国「世界最大の移動」春節の感染拡大 100万人以上死亡の懸念= NewsWeek_Column_2023年1月17日(火) 青葉やまと/ゼロコロナ政策を撤廃した中国で、新型コロナウイルスの感染者が急増している。中国政府は大規模な検査および日別の感染者数発表を取りやめており、現状の正確な把握は困難となった。だが、国外のメディアは各省や関係者らによる情報をもとに、厳しい状況を指摘する。米ワシントン・ポスト紙は1月11日、「中部河南省は、月曜(9日)までに約8900万人の住民が感染したとの予測を示した。各病院の処理能力を上回っているとも述べた」と報じた。英BBCは省の保健当局による発表をもとに、感染者数を8850万人としている。記事は中国で3番目に人口が多い同省において「住民の9割近く」が感染した計算だと指摘する。【動画】 China reports huge rise in COVID-related deaths https://youtu.be/hC4F7ljcVhk 同省の農村で活動する医師の息子は、英ガーディアン紙に対し、「朝から晩まで忙しい」「村には発熱者が非常にたくさんおり、いくつもの家庭に広がっているが、解熱剤の入手は困難だ」と語った。河南省は古くから交通の要衝であり、鉄道幹線が交差する鄭州駅および鄭州新鄭国際空港が立地するほか、議論を呼んでいる三門峡ダムの所在地としても知られる。一方、南西部重慶市などの一部自治体は独自に、「(感染のピークを)過ぎたとみられる」と発表している。これに対しワシントン・ポスト紙は、客観的なデータがほとんど提示されていないと述べ、「提示されている根拠は乏しい」と指摘している。コロナ薬は20倍超の95万円に値上がり 北京では病院職員1000人感染も医療体制は逼迫している。米CNBCは1月12日、研究機関を併設する大規模病院の北京中医医院において、職員2000人のうちおよそ半数が新型コロナウイルスに感染していると報じた。病院長は記者団に対し、「労働者たちは皆、伝統的な漢方薬を服用し快復した」と説明している。医薬品も不足している。ワシントン・ポスト紙は中国国営メディアによる報道をもとに、グレーマーケットでの医薬品の取引が活発化していると報じている。ファイザーが製造する経口抗ウイルス薬のパキロビッドパックは、通常1箱約340ドル(約4万3900円)のところ、北京では20倍を超える7400ドル(約95万6000円)で販売されているという。パキロビッドパックはファイザーとの契約更新が難航したことで、品不足が続いていた。1月9日になって同社は、現地企業に製造ライセンスを供与したと発表している。「世界最大の移動」が起きる春節 100万人以上死亡の懸念中国では1月23日から、春節(旧正月)の大型連休を迎える。連休中の大移動で感染が広がれば、状況はさらに悪化するおそれがある。最悪のケースでは、100万人以上が死亡するとのシナリオが報じられている。春節の期間には、世界最大規模の移動が起こるとされている。BBCは中国当局による予測をもとに、延べ20億人以上が旅行を行う見込みだと報じている。また、ナショナル・ジオグラフィック誌のイギリス版は、春節は「世界最大の民族大移動」を引き起こしていると指摘している。都市部では感染が落ち着きを見せ始めた自治体がある一方、高齢者の多い農村部では、旧正月の大移動でウイルスが持ち込まれる懸念がある。中国ではワクチンに関するスキャンダルが相次いだことから不信感が根強く、高齢者のブースター接種率は6〜7割程度と伸び悩んでいる。また、国産の不活化ワクチンにこれまでこだわってきたことから、有効率は欧米のワクチンに劣ると指摘されてきた。ガーディアン紙によると中国当局は、地方にいる高齢者の家族がまだ感染していない場合、帰省を控えるよう呼びかけている。国務院流行予防班のグオ・ジャンウェン博士は「愛情を示す方にはさまざまなものがあります。必ずしも彼らの家にウイルスを持ち込む必要はありません」と呼びかけ、帰省の取りやめを求めている。英エコノミスト紙は、データの透明性がない中国では死者数の予測が難しいとしながらも、最悪のシナリオでは150万人が死亡すると述べている。死者の90%は60歳以上の高齢者が占めるという。【動画】 Study Warns of One Million China Covid Deaths https://youtu.be/ZgO5fuNN3-U 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/19
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 優雅絢爛、白薔薇と赤薔薇に分かれた戦争ごっこ/百年戦争終戦後に続く敗戦責任の押し付け合いがイングランド王朝の執権争いへと発展したイギリスで薔薇戦争が終結(1486年)。☆ プロイセンの王様/ヴィルヘルム1世が敵地のヴェルサイユ宮殿に土足で上がり込んだ挙句ドイツの皇帝になると内外に宣言(1871年=ドイツ帝国が成立)。 尚、170年前のプロイセン王国成立(1701年)と同日である。☆ 熊沢天皇が昭和天皇を簒奪者として非難、自分が真の天皇だと名乗りを上げるが、衆目の目線は(以下略)(1946年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月18日】研究所にしかないはずの愛媛の高級かんきつ、 中国が勝手に生産 日本への視察団が堂々と盗んでいた =3/4節== NewsWeek_Column_xxxx mmdd 2023年1月13日(金) 窪田 新之助(農業ジャーナリスト)、山口亮子(ジャーナリスト) *PRESIDENT Onlineからの転載/農産物の流出は死活問題愛媛県にとって、農産物のなかでもかんきつは特別である。同県の農業産出額は1226億円(2020年)。このうちかんきつは367億円と全品目のなかで1位で、全体の30%を占める。ただし、このかんきつの産出額には「紅まどんな」や「甘平」のような比較的新しい品種が入っておらず、これらも含めると、その農業産出額はもっと高いはずだ。かんきつの生産量(21万トン)と産出額は和歌山県を抑えて、ともに日本一を誇る。とくに強みを持つのが、温州みかんの収穫が終わった1~5月ごろに出回る「中晩柑(ちゅうばんかん)」だ。愛媛県を代表する中晩柑といえば「いよかん」。最近の品種でいえば「紅まどんな」や「甘平」がそうだ。ここ30年間ほど(1990~2020年)の愛媛県の生産量を見ると、かんきつ全体は4割近く減る一方、「紅まどんな」や「甘平」を筆頭に中晩柑の生産量は急速に伸びている。生産されている中晩柑は40種類あり、ライバルである和歌山県の29種類、熊本県の24種類に比べて抜きんでて多い。そして、問題の「愛媛38号」も中晩柑の一つだ。同県内の農家が高付加価値の中晩柑に生産を切り替えたことで、かんきつの産出額は横ばいである。ただし、国民1人当たりの消費量は減少基調にあるうえ、人口減少で国内市場の縮小が続くと予想されている。そこで、同県は香港や東南アジア、台湾などへの輸出を後押ししている。愛媛県産のかんきつの輸出量は、2010年度に15.7トンだったのが、2021年度には107.2トンと、約7倍に増えた。なお、この数量には県が把握しない分もあるので、実際の輸出量はさらに多いとみられる。それだけに、愛媛県にとって自県が育成したかんきつが海外、とくに中国で産地を形成しては困る。なぜなら、中国でもかんきつは国内向けが飽和状態になりつつあり、ここ数年は毎年100万トン前後を海外に輸出しているからだ。その延長線として、日本へ逆輸入される可能性は否定できない。日本は知的財産の保護に無関心だったこれは杞憂(きゆう)ではない。過去には山形県が開発したサクランボ「紅秀峰(べにしゅうほう)」の事例がある。同県内の農家から枝を譲り受けたオーストラリア人が現地で大規模に栽培し、日本に逆輸入しようとしたことが2005年に発覚したのだ。同県がオーストラリア人を種苗法違反で刑事告訴し、品種登録期間の終了後3年は日本に果実を輸出しないことで和解している。愛媛県が開発し中国に無断流出しているのは「愛媛38号」だけではない。「紅まどんな」「甘平」「媛小春(ひめこはる)」の種苗も、中韓の販売サイトで出回っている可能性がある。理解に苦しむのは、なぜ「愛媛38号」の無断流出に愛媛県が気づかなかったのかということだ。中国で広範囲に産地が形成され、ネットに情報があふれているにもかかわらず、取材を受けるまで流出を把握していなかった。1998年とされる中国への持ち出しから20年以上知らないままだったというのは、自らの知的財産を保護することに関心がなかった現れである。それは、次のような話からも見て取れる。「中国人の視察団が帰ると枝が切り取られていた」愛媛県はこれまで、育種や栽培技術の開発を担う「果樹研究センター」や「みかん研究所」において、中韓から数多くの視察団を受け入れてきた。ただ、種苗がこれだけ無断流出しているというのに、視察団の受け入れ体制は隙だらけだったようだ。県によると、一団体当たりの視察者は10~20人であることが多い。一方で、対応する職員は通常1人に過ぎない。職員は、県が開発したかんきつを植えている園地に案内する。園地は広く、枝葉が茂っているため、職員の目が行き届かないところがある。そんなときに盗みが起きる。「愛媛県の職員の話では、中国人の視察団が帰った後、枝が切り取られているのに気づいたということでした」こう証言するのは愛媛県のかんきつ農家。中韓の視察団が愛媛県内の農家を視察して、そこでも無断で枝を折って、持ち帰ったという話も聞いている。持ち帰った枝を自分の産地で接ぎ木をすれば、簡単に増殖できる。この農家自身も「苗を人に譲り渡したいから売ってくれないかという連絡が来たことはある。連絡をしてきた人も、譲り渡す先が県外ということまでしか知らず、どこの誰なのか把握していなかった。もちろん、断った」と話す。なお、愛媛県は知的財産の流出を防ぐ観点から、10年ほど前から原則として海外の農家や農業団体の視察を受け入れていない。種苗の持ち出しを手がけるブローカーの存在も指摘されていて、その情報は農水省にも届いている。外国人と思われる人物が種苗の販売業者に連絡をして、たどたどしい日本語で、種苗について細かな問い合わせをしてくることがあるという。中国は国家的に種苗の流出に加担しているこうした流出には、往々にして海外の現地行政が関与しているから厄介だ。農水省系の学術研究団体である「公益社団法人 農林水産・食品産業技術振興協会(JATAFF)」の調査報告は、韓国におけるそうした実態を伝えている。日本のかんきつの導入とブランド化が進んでいる済州島を2014年に調査した際、現地で育種を手がける公的機関が、「今までは品種保護の法律がなかったので、日本から持ってきて接ぎ木して増やした」と認めた(「平成25年度東アジア包括的育成者権侵害対策強化委託事業かんきつ調査報告」)。中国で広まった「愛媛38号」でも、その普及に現地の行政がかかわっていた。百度百科は、丹棱県以外の産地にいかに普及したかも紹介している。2017年には「中国農業科学院」の「かんきつ研究所」が福建省で導入し、目覚ましい成果を上げたという。中国農業科学院というのは、国直属の農学分野の研究機関。つまり、産地化には国の意向が反映されていたことになる。本書では後に詳述するが、中国は国家的に、種苗の知的財産権の侵害を放置しているどころか、侵害に加担している事実が散見される。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/18
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ ある・カポネが独占的に勢力を拡大する様に、業を煮やして禁酒法施行(1920年)。 アルコール依存症をホウレン草で治し、筋肉モリモリに変身した水兵のオッサンがデビュー(1929年)。☆ スペイン沖で水爆登載のB-52が給油機のカミカゼ攻撃で撃墜されるが、流石にヒロシマの再現とはならなかった模様(1966年=パロマレス米軍機墜落事故)。☆ サダム・フセインが不法占拠していたクウェートを取り戻そうと父ブッシュが旗を振った多国籍軍がビデオゲーム戦争を本格的に仕掛ける(1991年=多国籍軍がイラク・クウェートの空爆を開始)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月17日】研究所にしかないはずの愛媛の高級かんきつ、 中国画勝手に生産 日本への視察団が堂々と盗んでいた =2/4節== NewsWeek_Column_xxxx mmdd 2023年1月13日(金) 窪田 新之助(農業ジャーナリスト)、山口亮子(ジャーナリスト) *PRESIDENT Onlineからの転載/日本で商業栽培すらされていない「愛媛38号」がなぜ中国に渡ったのか「愛媛38号」、正式名称「愛媛果試第38号」はというと、品種登録はされておらず、残念ながら2022年9月時点では日本では商業的に栽培されていない。ただ、皮肉なことに無断で流出した先の中国では商業栽培され、さらに愛称「果凍橙(ゼリーオレンジ)」や略称「愛媛橙(愛媛オレンジ)」などいくつかの名前で呼ばれるほど親しまれている。県の研究所内だけで細々と栽培が続いているはずのかんきつが違法性の疑われる形で流出している可能性があることに衝撃を受けた。厄介なことに、中国で「愛媛38号」が普及しているのは四川省だけに収まらない。中国版「ウィキペディア」である「百度(バイドゥ)百科」によれば、湖北省、湖南省、浙江省、福建省でも産地化されている。つまり、上海のすぐ隣の沿海部からチベット自治区に近い内陸部まで、東西およそ2000キロ、南北数百キロにわたって産地が点在する。直線距離だけでいえば、北海道の最北端から九州の最南端までが約1900キロだから、それよりも長い。もちろん、一つの品種や系統がこれだけの範囲で広がっている事例は日本ではない。「愛媛38号」は、中国ではしばしば"フルーツのトップスター"として持ち上げられてきた。そもそも中国全土のかんきつ生産量は5000万トンを超えており、世界で1位である。1980年には100万トン程度だったのが、経済発展とともにすさまじい勢いで生産を伸ばし、リンゴを抜いてフルーツの中で1位になった。そんな「かんきつ帝国」中国のネット通販で頭角を現したのが「愛媛38号」なのだ。1998年に「研究団」と称して30以上の品種を持ち帰る中国・四川省発のニュース記事によると、このかんきつを丹棱県にもたらしたのは、現地で活躍する果物の専門家である譚後根氏だという。譚氏は、同県の農業局副局長を務め、県政府によって「丹棱かんきつの父」とたたえられている。人気のあるかんきつ「不知火(しらぬひ)」の普及でも知られる。これは、日本では「デコポン」として名が通っている。農水省所管の研究機関である「国立研究開発法人 農業・食品産業技術総合研究機構(以下、農研機構)」が開発し、「熊本県果実農業協同組合連合会(JA熊本果実連)」がその商標の登録を済ませ、人気に火が付いた品種だ。譚氏は、1998年に研究団を引き連れて日本から30以上の"新品種"を持ち帰り、適性を試した。そのなかに含まれていた「愛媛38号」では現地で接ぎ木をして、果実を実らせることに成功した。その特徴は、皮が薄く、果汁が多いこと。ただ、知名度がなく安値のわりに、生産費がかかるとして、現地の農家には歓迎されなかった。果汁の滴る瑞々しさというこのかんきつの付加価値が理解されるには、中国人の経済力がもう少し上がるのを待たねばならなかった。「愛媛38号」は後年になって、「果凍橙」なる愛称が付けられたことで、ネット上で注目を集めるようになる。「果凍」はゼリーの意味で、それだけ瑞々しいことを表す。果実を半分に切って握り潰し、果汁を勢いよく飛び散らせる。あるいは、果実に直接ストローを突き立て、そのまま果汁を吸えるとアピールする。こうした宣伝動画が話題を呼び、2020年時点の現地価格はかつての10倍の500グラム10元(当時の為替レートで155円)まで上がったという。なお、譚氏は長年にわたるかんきつの生産振興の功績により、中国の最高行政機関である「国務院」から終生の生活手当を受けている。中国の「愛媛38号」が別物である可能性はほぼゼロ「中国で別のかんきつに愛媛38号の名前を勝手につけて、流通している可能性もあるとは思います......」先ほどの取材で、愛媛県の農業担当者は、そうであってほしいと祈るような口調でこう付け加えていた。同県にとって、育成したかんきつの種苗が中国に無断で流出することは、脅威である。すでに述べたように、安価な中国産の「愛媛38号」が輸出されて人気を博せば、同県産のかんきつの輸出機会を損ないかねない。だから、信じたくない気持ちは分からなくはない。とはいえ、別物である可能性は限りなくゼロである。そう言い切る理由は二つある。一つ目は、もし別物であれば、愛媛県のごく一部の関係者以外は誰も知らない「愛媛38号」と名付ける意味がないからである。ブランドとして価値がない系統名を付けて、普及することに積極的な理由は見出せない。二つ目は、普及した譚氏が愛媛から持ち帰ったと認めているのだ。これは、なによりも確かな証拠である。おそらく、愛媛県の農業担当者も、それは十分に承知なのだ。それでも認めたくない胸の内を推察するに、無断流出という本来あってはならない現実が起きていれば、責任問題に発展しかねないし、場合によっては身内の関与まで疑う事態になりかねないからではないか。行政職員のOBが海外の産地から営農指導のコンサルタントとして招かれ、ついでに自県の種苗を無断で持ち出したという噂は、ときどき流れてくる。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/17
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 地獄の鬼も罪人への責め苦を止める藪入りの日。ちなみにちょうど半年後の日もそうだったりする。 イヤイヤ 雪が乱舞する酷寒地でイワン雷帝が戴冠なさった(1547年)。 極地と言えば、白瀬矗らが南極大陸に到着(1912年)。 ☆ 日中戦争の戦況が上々だったことに気をよくした近衛文麿が、爾後国民政府を対手とせずと調子こいた発言をやらかし、戦況は泥沼化。後の敗戦に至る道筋を作ってしまう(1938年)。 ☆ 新種の大会であるエクストリーム・朝青龍殴られ、開催される(2010年)。ただし事前告知の無い、未明のゲリラ開催のため参加者は1名。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月16日】「何をふざけている」プーチンがカメラ前で閣僚を叱責... 国民が見守る中、苛立ち露わに= NewsWeek_Column_2023年1月13日(金) イザベル・ファン・ブリューゲン/ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がビデオ会議の中で、航空機の調達が遅れているとして、担当の副首相を厳しく叱責する一幕があった。1月11日に国営テレビで放送された政府当局者とのオンライン会議の中で、プーチンはデニス・マントゥロフ産業貿易相を批判。2023年分の民間および軍用の航空機の発注作業を「1カ月以内に」終わらせるよう命じた。ロイター通信によれば、マントゥロフは国営航空会社アエロフロートとの1750億ルーブル(25億6000万ドル)相当の契約作業を担当している。プーチンは会議の中で、これらの航空機の契約が一つも準備できていないと指摘した。プーチンからもっと迅速に発注作業を進めるよう指示されたマントゥロフ(航空その他のハイテク産業を担当)は、発注状況について弁解を試みたものの、プーチンは「時間がかかりすぎている! 頼むから迅速に作業を進めてくれ」と一蹴した。さらにプーチンは、各企業が人材を雇い、生産能力を維持・拡大できるようにするためには、政府の計画や発注内容を知っている必要があると指摘。「企業側は、軍が何機を発注するのか、民間航空機の発注が何機になるのかを知っている必要がある。だが一部の企業は2023年分の契約さえまだ結んでいない」と述べた。「1カ月以内に終わらせろ」マントゥロフが、民間機と軍用機の両方について発注書を作成しているところだと説明しようとすると、プーチンはその発言を遮ってこう述べた。「マントゥロフ、君は全て準備できていると言うが、契約がまったくできていない。そこが問題なんだ。この件については会議の後に話そう。ここで細かいことをくどくど言っても意味がない」プーチンはさらにこう続けた。「企業側との契約が一つもまとまっていないことは知っている。企業側からそう聞いた。何をふざけているのか? いつ契約は結ばれるんだ? 企業側は私に、まだ一切契約がまとまっていないと言ってきているのに、君は私に準備は万端だと言っている」そしてプーチンはマントゥロフに、できる限り迅速に契約を結ぶよう要求した。「全ての作業を1カ月以内にやるように。この状況が分かっていないのか? 1カ月以内に作業を終わらせろ。分かったな?」マントゥロフが同僚たちと共に「最善を尽くします」と言うと、プーチンは彼にこう告げた。「最善を尽くすのでは駄目だ。1カ月以内に終わらせろ。1カ月以内、それ以上かけてはならない。いいな?」プーチンは苛立ちを露わにしながら、さらにこう続けた。「なぜ私がこう言ったか分かるか? 君の言い方が気になったからだ。君は『すぐにやります』と言ったが、『すぐに』とはどういう意味だ? もっと明確で分かりやすい時間枠を提示すべきだ。私は根拠もなく言っている訳ではない。企業側が私に、契約が一つもまとまっていないと言ってきているんだ」ロシア国営タス通信によれば、ロシア政府のドミトリー・ペスコフ報道官は後に、プーチンは「マントゥロフの仕事に深刻な不満があった訳ではない」と述べ、「これは通常の仕事の流れだ」と説明した。2022年2月にプーチンがウクライナへの軍事侵攻を開始して以降、欧州連合(EU)、イギリスやアメリカがロシアの航空業界に制裁を導入。制裁内容には、航空機や関連部品、スペアパーツの供給禁止が含まれた。【動画】 https://youtu.be/jDhz7gdMAYs 研究所にしかないはずの愛媛の高級かんきつ、 中国が勝手に生産 日本への視察団が堂々と盗んでいた =1/4節== NewsWeek_Column_xxxx mmdd 2023年1月13日(金) 窪田 新之助(農業ジャーナリスト)、山口亮子(ジャーナリスト) *PRESIDENT Onlineからの転載/市場に流通していないはずのかんきつが中国に流出「えっ......本当ですか」電話の相手は、疑問とも感嘆ともとれる口調で声を絞り出してから、黙り込んだ。ひりひりした空気が流れる。どうやら寝耳に水の情報を伝えてしまったようだ。問い合わせた相手は、愛媛県の農業担当者。内容は、同県から無断で中国に流出しているのではないかと疑いを持った「愛媛38号」についてである。このかんきつを事前に中国の検索エンジンで調べると、苗の販売や栽培に関する情報がいくらでも見つかったのだ。一連のサイトに載っている情報が確かに「愛媛38号」についてであるなら、育成者である愛媛県のあずかり知らぬところで、その産地が形成されているのではないか。やがて農業担当者から返ってきたのは、意外な答えだった。「愛媛38号は、市場にはデビューしていません。県の研究所内にしかないはずなんですよ」ふつう、都道府県は種苗を育成したら、その都道府県名を冠した「系統名」を付ける。愛媛県なら「愛媛○号」、あるいは「愛媛果試○号」という感じだ。その系統が収量や品質で優れていると判断して、市場に送り出す場合には、農水省の品種登録制度に基づいて「品種登録」をするのが一般的である。たとえば「愛媛34号」という系統は「甘平(かんぺい)」として品種登録されている。品種登録に至る系統は1万に1つ品種登録をするのは、種苗法に則って育成者の権利が保護されるからだ。保護されるとは、種苗や収穫物、一部の加工品を商業目的において独占的に利用できるという意味である。系統のうち品種登録に至るのはごくわずかだ。愛媛県によれば、かんきつでは1万に一つ、二つとのこと。それ以外の系統は日の目を見ないまま、遺伝資源として保存されることになる。ただ、そうして眠っているなかにも、消費者の嗜好(しこう)や気候の変化を受けて、時間をおいてから突如として世に引っ張り出される系統もある。ある系統を品種登録する場合、研究所から持ち出して農家に栽培させ、狙った通りの性質が保たれているか試すことになる。品種が登録され、市場に受け入れられれば、地域の内外に広がっていく。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/16
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 各地の休閑地で火炎が立つ左義長が実施されるかされないかに関わらず小正月。小豆粥を食するは平安時代からと言う。☆ ボストンでシロップの洪水が起き、糖蜜の波が推定で時速56キロメートルの速さで街路を襲い、そのクドいくらいの甘さに21人が溺れる。(1919年=巨大な貯槽が破裂したボストン糖蜜災害)。☆ ロスアンゼルスで黒いダリアと自称していたエリザベス・ショート/女優志望の売女がぴー死んでいるのが見つかる(1947年)。 &so 閉山相次ぐ常磐炭鉱にハワイのパチモンがオープン(1966年)。職を失った坑夫の妻や娘がフラダンスを踊って大好評に。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月15日】中国「戦狼外交」の象徴、外務省報道官が異動 国境担当へ =BBC News_Column 2023年1月11日中国外務省の趙立堅報道官が国境海洋事務局に異動し、副局長に就任したことが、同省ホームーページで9日発表された。趙氏は中国の攻撃的な外交アプローチ「戦狼(せんろう)外交」を象徴する人物で、その発言がたびたび物議を醸してきた。趙氏はこれまでよりも目立たない役職に就き、中国の海上と陸上の境界管理を担うこととなった。実際の就任日は不明。趙氏は外務省のメディア・ブリーフィングを開くなど、外務省報道官として注目されてきた。その趙氏が突然異動となった理由は分かっていない。「狼の戦士」趙氏は、対立的かつ好戦的な「狼の戦士」による外交アプローチを率いた。以前の抑制的な中国外交とは対照的だった。この名称は、中国の特殊部隊の兵士の冒険を描いた、非常に人気の高い、好戦的かつ愛国主義な映画シリーズにちなんだもの。趙氏は外務省報道官を務めたこの3年間、ツイートでしばしば物議を醸してきた。2020年には、新型コロナウイルスの感染について、米軍がウイルスをつくり、中国に持ち込んだのかもしれないなどとツイート。米ツイッターはこの投稿にファクトチェック(事実確認)の警告ラベルを付けた。同年11月には、オーストラリアの兵士がアフガニスタンの子どもを殺しているように見えるフェイクの写真をツイッターに投稿し、外交問題に発展した。バラク・オバマ米政権で大統領補佐官(安全保障担当)を務めたスーザン・ライス氏は2019年、アメリカの人種間関係について挑発的なツイートを連発した趙氏を「恥知らずの人種差別主義者」と呼んだ。異動の理由は趙氏の配置転換は、前駐米大使の秦剛氏が新外相に就任したのと時を同じくして行われた。しかし、一部観測筋は、趙氏の異動を中国が好戦的な外交から脱却しつつあることを示すものだとする見方に警鐘を鳴らしている。アメリカ人ジャーナリストのビル・ビショップ氏は自身のブログで、好戦的なアプローチは習近平国家主席の外交スタイルの「基本的考え方」であり、趙氏は「より粗雑な代弁者の1人」だが、より広範な転換を示す証拠はいまのところないと述べた。一部のインターネットユーザーの間では、趙氏の妻のソーシャルメディアへの投稿が、同氏の降格と関係があるのではないかとの憶測が出ている。趙氏の妻のアカウントには、中国が世界で最も厳しい新型ウイルス対策の規制に直面していた時期に、妻がマスクをつけずに北京での公的イベントに参加していたとみられる写真が複数投稿されていた。さらに、海外への渡航制限が敷かれていた時期に妻がドイツを旅行していたことがわかる写真もあったとされる。外務省報道官は、さらなる昇進のステップとなる重要な役職と考えられている。秦新外相は報道官を務めた後に省内で昇進。名誉ある駐米大使の地位を得た。一方、趙氏の元同僚で2012年から報道官を務めていた華春瑩氏は2021年に外務次官補に昇格している。 (英語記事 China reassigns combative ‘Wolf Warrior’ diplomat)中国はなぜ趙立堅を表舞台から引っ込めたのか= NewsWeek_Column_2023年1月12日(木)ジェームズ・パーマー(フォーリン・ポリシー誌副編集長)/中国の強硬な「戦狼外交」の顔として知られてきた趙立堅が、中国外務省の副報道局長から、隣国との国境画定や海洋問題の管理を行う国境海洋事務局に異動したことが明らかになった。新部署でも報道官時代と同じ副局長のポストに就くことになるが、表舞台からは姿を消すことになる。彼の姿勢は2017年までには、ツイッター上での反米姿勢が趙のより大きな特徴となり、その強硬な外交スタイルから「戦狼」外交官と呼ばれるようになった。彼のツイートの多くは、新疆ウイグル自治区での中国政府の残虐行為についての否定や反論で、これが評価されて2019年には名誉ある報道官のポストに昇進した。彼に触発されて、その外交スタイルを真似る者も多くいた。オーストラリアをフェイク写真でディスる2009年〜2013年にかけて米ワシントンに赴任していた頃の趙と仕事をしたアメリカの外交官たちは、当時の趙は控えめな若手外交官だったと記憶している。趙はその後の数年間で大きな変化を遂げたことになる。その好戦的な外交姿勢がピークに達したのが、2020年11月。新型コロナウイルスのパンデミックの起源をめぐってオーストラリアと中国の対立が激化していたとき、趙はオーストラリアの兵士がアフガニスタンの子どもを殺しているように見える合成写真をツイッターに投稿。国際社会の怒りを買ったが、中国国内では支持を集めた。中国では2020年に入ってから、新型コロナのパンデミックの原因は、米メリーランド州にある米陸軍の医学研究施設「フォート・デトリック」の実験室から流出したとする陰謀説が広まったが、趙はこの陰謀説を先頭に立って拡散した。彼の好戦的かつ被害妄想的な外交スタイルは、国際社会からの孤立を深める中国の姿勢に合致しているようだった。例えば中国政府は2021年3月、新疆ウイグル自治区での人権侵害を理由に西側諸国が中国当局者に制裁を科したのに対抗して、EUの政治家などに報復制裁を導入し、これが原因で中国とEUの貿易協定の批准が凍結されている。趙はナショナリストからの支持を得ていた一方で、中国のインターネット上では厳しく批判されていた。彼がお高くとまっていると不満を抱いていた者もおり、新型コロナウイルスの感染拡大により多くの国民が外出を厳しく制限されていた頃に、趙の妻が(中国版ツイッターとされる)微博にマスクをしていない自身の写真を投稿した時には大きな騒ぎになった。また最近では中国の指導部の中に、「戦狼外交」が中国の国際的なイメージに悪影響を及ぼしていると考える者が出てきているようだ。中国が態度を改めようとしているのだと関係各国(とりわけアメリカ)に確信させるための取り組みも行われている。その一因は、アメリカが本気で(米中の経済を引き離す)デカップリングを仕掛けたことによる衝撃と、ゼロコロナ政策が中国経済にもたらした打撃にある。それを踏まえると、中国は今後、比較的穏健な人物を次期駐米大使に任命する可能性が高いだろう。しかしながら、この外交的なシフトだけが原因で、趙が外務省報道官の座を追われたのかどうかは分かっていない。国外追放されたジャーナリストの王志安が先月指摘したように、趙は2022年11月にゼロコロナ政策に反対する抗議デモについての記者会見の中で言葉に詰まり、資料の紙をせわしなくめくり、しどろもどろの答えをした失態もあった。欧州は騙せてもアメリカは無理中国による強硬な外交スタイルの軌道修正が、実際の政策の変化のあらわれなのかどうかも不明だ。たとえば中国はウクライナ問題について、戦闘に否定的な考えを示唆しつつも、戦闘が始まった当初から基本的にロシア寄りの姿勢を変えていない。中国が再び優れたビジネスパートナーとして戻ってきたと、それを切実に望んでいるヨーロッパ諸国を納得させることは簡単かもしれない。だがアメリカは中国を戦略上の大きな敵と考えているため、納得させるのは難しいだろう。それに中国の国内メディアは、反米姿勢を貫いている。中国の当局者たちは、アメリカの当局者が容易に中国のテレビを視聴し、中国の新聞を読むことができるのを忘れているようだ。 From Foreign Policy Magazine中国「戦狼外交」の代表・趙立堅報道官が異動 https://youtu.be/-MIJK3LZLRE 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/15
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 正月の飾りをぴーとして焼却処理する序でに、その炎で餅でも焼いて小腹を満たす日。 小腹が落ち着けば、“尖閣諸島開拓の日”である本日がテーゼを熟考せねばなるまい。☆ アメリカ大統領とイギリス首相が、戦争の真っ最中にもかかわらずカサブランカでバカンスを楽しむ(1943年)。 この休暇中、ルーズベルトとチャーチルは日独伊に対して無条件降伏を要求する方針を確認。☆ 残酷にも南極に置き去られたタロとジロの兄弟が生還(1959年)。 &so 文学座の左巻きな面々に辟易とした芥川比呂志や岸田今日子らが、雲となって福田恆存の許へ往還(1963年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月14日】中国はコロナ危機ではない、「政治体制」危機に瀕しているのだ= NewsWeek_Column_2023年1月11日(水) ハワード・フレンチ(コロンビア大学ジャーナリズム大学院教授)/新型コロナウイルスの封じ込めに成功しているかに思えた中国が一転して最悪の状況に陥っていることは、分別がある人ならうなずけるはずだ。厳格な隔離・検査を実施してきた政府が突然そうした規制を緩和した結果、特に富裕な大都市でも医療体制が逼迫。呼吸困難など症状のある患者は緊急処置を必要としている。だが、こうした危機的状況の結末はほとんど誰も予想しなかったものになりそうだ。中国のコロナ危機は主に公衆衛生をめぐるものではない。実は公衆衛生の観点からすれば、現在の危機的状況でも、中国のパンデミックによる死者数は飛び抜けて多いわけではなく、かなりうまく対処していると言えるだろう。本当に危機に瀕しているのは、かつては自信にあふれ、揺るぎないように見えていた中国の政治体制なのだ。3年前のパンデミック発生当初、中国は大都市圏を含む異例のロックダウン(都市封鎖)を実施。世界、特に個人の自由を重視する富裕国には粗野で野蛮な印象も与えた。そうした初期対応に続いて補完的に実施したのが大規模な検査を義務付ける「ゼロコロナ」政策で、次第に執拗さと介入の度合いを増していった。明らかにこれではパンデミックを打開することはできなかった。ロックダウンと検査および追跡アプリの義務付けという長期に及ぶ実験は、より致死性の低い新株(大方の見方ではオミクロン株とその亜種)が主流になるまでの時間稼ぎだったと言っていい。指導者たちの面目のため、というより彼らが絶えず国民に吹き込んできた根深く愚かなナショナリズムのために、中国は外国製のmRNAワクチンを導入せず、国産ワクチンによる打開を模索した。その後も同じ過ちを繰り返し、パクスロビドなど有効な抗ウイルス薬が登場しても「欧米製」だという理由であまり輸入も製造もされず、出回ることもなかった。他国ではとうに解決済みの問題に対してさえ、中国指導部は「国産」の解決法にこだわりがちだ。現状は共産党の「自業自得」中国が隔離と検査で稼いだ時間を、高齢者のワクチン接種率引き上げにも抗ウイルス薬や通常の解熱剤の備蓄にも取り組まずに無駄にした理由については、あれこれ取り沙汰されてきた。とはいえ、全国民へのワクチン接種を実現するには現実的な壁もあった。中国は過去3年間、パンデミックを露骨なプロパガンダに利用してきた。端的に言えば、世界中で感染が拡大するなかで中国は例外でいた。特に欧米は深刻な長期コロナ感染症(後遺症)に悩まされた。その結果、中国の人々は中国の体制のほうが優れていて、中国共産党が人民の幸福の最良の擁護者だというメッセージを直接的・間接的に受け取った。過去3年間のほとんどで感染者がごくまれにしかいない状況でワクチンの接種と追加接種のために人々を列に並ばせるのは至難の業だった。こうした無関心に加え、多くの中国人が国産ワクチンに懐疑的だ。中国産ワクチンの質が劣る点については国外でも過剰なくらい取り沙汰されてきた。欧米のワクチン、特にmRNA技術を使ったワクチンのほうが中国の旧式のワクチンより有効なのは間違いない。こうした有効性の違いは、欧米のメディアが強調し、恐らく自国のシステムを信頼していない中国市民も認めているようだが、それでも実際にはかなり誇張されている。中国産ワクチンは効果は劣るものの、中国社会は現在まで追加接種で持ちこたえてきたし、入院・死亡という新型コロナ感染の最悪の事態はかなり防止できている。このことからは、中国の今の惨状の本質がうかがえる。現在の状況は、中国を支える基盤であると同時に立ちはだかる壁でもある共産党にとって、いわば「自業自得」──つまり信頼の問題だ。政府の見え透いた嘘で塗り固めた歴史の中でも、首都北京における新型コロナによる死者数は前例がない。感染が野火のように広がるなか、政府は逆の状況を示す事例を前にしても感染拡大による死者はゼロだと言い張った。だがこれは氷山の一角にすぎない。方針転換直前まで国民はゼロコロナ政策や絶え間ないPCR検査や家庭への介入の必要性を吹き込まれてきた。プロパガンダの達人たちは突然の方針転換の理由をうまく説明できず、まして最高指導部の重大なミスを認める声明は発表できていない。中産階級の台頭で威信失墜息の詰まる検閲と隔離のおかげで、不都合な事実や不利な話をプロパガンダで一蹴できた時代もあった。1989年の天安門事件後、共産党はまったくの作り話で事実を隠蔽した。当時の最高実力者であるトウ小平は数百から数千ともいわれる人々の虐殺について、首都に吹き荒れた暴乱は「刑期を終えて釈放されたが思想改造がうまくいっていない一握りの人間や一部の政治的チンピラ、四人組の残党その他の社会のクズ」の所業であり「外国の敵対的勢力」が扇動したという話をでっち上げた。だがそんな時代は過ぎ去った。今回の危機は全く新しい時代がようやく到来することを告げている。といっても、つい最近まで多くの人々に恐れられていた統治体制の崩壊を予言しているわけではない。露呈した深刻な根本的欠陥は、絶対的支配をほしいままにしてきた国でさえそれを失いかねないことを再認識させる。筆者は通算20年余り中国で暮らし、中国各地を旅し、中国関連の仕事をしてきたが、中国の信用とプロパガンダがここまで低下したのは初めてだ。天安門事件など過去の危機との違いは、中国社会で中産階級が拡大を続け優勢になっている点だ。彼らは従来よりはるかに高度な教育を受け、政府の余念のない情報統制にもかかわらず、国内外のありとあらゆる情報源からはるかに多くの情報を入手する。中国の現在の政治体制が大規模な改革なしに持ちこたえられるか、大いに疑問だ。共産党が支配力を維持するには、有能な人材の大量流出と中産階級の経済成長の鈍化という犠牲を払うしかないのだろうか。注視すべき点は3つ。中国がどこまで真実を受け入れるか。過ちを認められるか。そして、愛国者が大部分を占める中国市民からの批判をどこまで許容できるかだ。国家は全知にして無謬で独立思考を認めないという「神話」が、かつてないほど揺らいでいるのは間違いない。 From Foreign Policy Magazine 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/14
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ エミール・ゾラがフランス大統領に公開の弾劾状を送ったところ、逆に国中の右翼から弾劾される破目に(1898年=『我弾劾す』)。このためイギリスに亡命するが、翌年帰国彼の別荘には多くの文学者が集まった。☆ 前年暮れの地震の打撃から立ち直っていないうちに、中部地方が地震に襲われる。だが、国策により当局は誰も気にしない(1945年=三河地震、終戦前後にかけて4年連続で1,000人を超える死者)。☆ 美空ひばりが、浅草で観客に塩酸で歓迎される椿事(1957年=神戸芸能社の看板を掲る山口組三代目・田岡一雄が美空ひばりを専属=同年4月契約=にする陽動作戦)が起こる。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月13日】【解説】 イギリス王室の「予備」として……いつまでも続く苦悩= BBC News 2023年1月10日_Column_ショーン・コクラン、BBC王室担当編集委員/「素晴らしい。これで君は私に後継者とスペアを与えてくれた。私の役目はこれで終わりだ」。第2子の自分が生まれた時、父チャールズ皇太子(当時)はダイアナ妃に、冗談でそう告げたのだという。英王室のハリー王子は、回顧録でそう書いている。10日出版の回顧録のタイトルは、予備を意味する「スペア」。ハリー王子は、自分は家族によくそう呼ばれていたと書いている。「うちの家族は特に善悪の判断なく、僕をそう呼んだ。あけすけに。僕は影、脇役、プランBだった」「ウィリーに万一何かあった場合のために、僕はこの世に生を受けた」と、ハリー王子は書く。王子は兄ウィリアムを「ウィリー」と呼ぶ。兄は弟を「ハロルド」と呼んでいたという。正式な出版に先立ち、公表されたスペイン語版をBBCは入手している。「後継ぎと予備」という言い方は、貴族階級の間でしばしば使われてきた。称号や所領の継承には後継ぎが必要で、長子が自分の子供を持つ前に万が一のことがあった場合には、代理としての弟妹が必要だからだ。「予備」と呼ばれることに、ハリー王子はいらだったに違いない。だからこそ自著のタイトルに使ったのだろう。さらに、王家の代役候補という不安定な立場の難しさ、財力と特権はあってもこれといった使命や目的のないまま存在することの難しさを、この言葉は表している。「立場があるようでないに等しい」。ロンドン大学ロイヤル・ホロウェイ校の現代王室研究センターに所属する王室専門家、ポーリーン・マクララン教授はこう言う。「大勢と握手して、にこやかにする以外、明確な役割がない」のだと、教授は話す。あてのないぜいたくな暮らしにも、それなりの退廃的な魅力はあるのかもしれない。しかし、そこには満たされない思いや、とりとめのない方向性のなさという深刻なリスクも伴う。だからこそ、現代のスリム化した王室は、こうした「予備」の役割をもっと明確に定義するか、あるいは継承順位が低ければ王族としての役割を果たすことを期待するのをやめた方がいいと、マクララン教授は言う。各国の王室史に詳しいエド・オーウェンズ氏によると、そうして王室を「ダウンサイズ」して縮小した好例が、スウェーデンやデンマークだという。両国の王室では、継承順位の低い「スペア」は、「王族としての責務に妨げられず」に一個人としての生活を送れるのだという。オーウェンズ氏は、いかに第2子が重圧にさらされるかの典型が、故エリザベス女王の妹マーガレット王女だったと話す。2002年に亡くなったマーガレット王女は、マスコミに私生活を「ばらばらにされた」と、オーウェンズ氏は言う。君主本人や直接の跡継ぎならば、マスコミもそこまでのことはしないだろうというほどに、マーガレット王女は取り上げられたと。おとなしく「二番手」として控える以上の役割を期待されていない第2子は、君主や直接の継承権者と異なり、大衆紙などのからかいの対象となり、「ふざけた見出し」をつけられ、マスコミの詮索(せんさく)からも君主ほどには守られないと、オーウェンズ氏は指摘する。「王位から遠い王族は、どう扱ってもいいとマスコミに思われている。直接の継承権を持つ王族の尊厳は認められても、若い王族は軽くあしらわれてしまう」「スペア」は「予備で、気晴らしで、気を紛らすもの」に過ぎないのだと、ハリー王子も書いている。アンドリュー王子も、役割探しがあまりうまくいかなかった王族の1人だ。本人が否定する性的暴行疑惑が公になる以前から、しきりに海外に出かけることから「エアマイル・アンディー」というあだながつけられていた。その一方で、成功例もある。恥ずかしがりで、決して王位を望んでいなかった国王ジョージ6世は、エドワード8世の弟だったが、子供のない兄が退位した後に即位し、第2次世界大戦中の指導者としてその役割を果たした。その父ジョージ5世も、第2子だった。1892年に兄王子が28歳でインフルエンザで死去したため、弟が即位することになったのだった。「スペア」を二番手に置く継承の原理とは別に、家族の関係性という視点から見るのがいいと、マクララン教授は言う。いわゆる「2番目シンドローム」で、自分より地位が上で責任も多く与えられている長男や長女に、下の子は反発しがちなのかもしれないと。王族でなくても、これは兄弟姉妹の間にあつれきを生みかねないと、教授は話す。年長の子供は、年下の子供に責任感が不足しているといらだつようになりがちだという。これは、継承の仕組みだけでなく、心理面でも火種になりやすい。若い王族が年長者の権威を脅かす、不見識で素行不良なライバルとして否定的に描かれるのは、歴史的にも前例がたくさんある。たとえば、1973年のディズニー映画「ロビン・フッド」は、12世紀の兄弟間の権力闘争を、悪いジョン王と良いリチャード王の争いとして描いた。しかし21世紀になった今、もはや「スペア」王族を制約する必要も、否定的になる必要もないのだと、歴史家のサー・アントニー・セルドンは言う。ハリー王子とメガン妃は今後、数々の善行を行うことができるはずだとサー・アンソニーは言い、「賢い思いやりを優先させるなら」、今後ただその力を消耗させるのではなく、王室にとっても「素晴らしい未来」の原動力になり得ると話す。「誰かが、大人らしく振舞わなくてはならない。兄と弟がそれぞれ深い傷を負っているのは、とても理解できる。このままいけば、これは果てしなく続き、深刻な害をもたらすようになる」「まだ回復可能だが、兄弟はお互いを認めあって譲り合わなくては。今のこの争いに、勝者はいない」と、サー・アントニーは警告する。(英語記事 The enduring anguish of being the royal 'spare') 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/13
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 桜島が出るものを出し過ぎた挙句、島ですらなくなることに(1914年=桜島の大正大噴火)。 oHH!! 今日はスキーの日。オーストリア陸軍のレルヒ少佐による、日本初のスキー指導(1911年)があったと言う。☆ 日経平均株価が上がりもせず下がりもせず前日比そのまんまだった世にも珍しい日(1989年)。 この特異な現象は、日本医師会が前年(1988年)に今日、生態の臓器移植を認めると資本主義に屈服したことで起きるであろうと噂されていた。☆ アメリカ合衆国はイリノイ州にてHAL 9000が完成するも、人命に関わる重大なバグが見過ごされてえらいことに(1997年)。お判りかなお立合い・・・・。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月12日】海外に出稼ぎする日本の若者たち どうなる?日本 =後節== WEDGE REPORT 《世界潮流を読む》 2023年01月09日 宮下洋一 (ジャーナリスト) /「それぞれの事情はありますが、主に二つの傾向が挙げられます。ひとつは、仕事ができても環境が体質に合わず、長続きしない人。もうひとつは、完璧主義の人はストレスを抱えやすいため、難しいということです」 中には、高収入目当てで海外就職を目指したのではない人もいる。宮川優毅さん(33歳)は、日本の地方銀行に就職したものの、面白みに欠けたことと、業界の先行きに不安を感じ、1年半で退職した。 24歳にしてベトナムの日系企業に就職。エンジニアリングの営業部門を担当したが、給料は日本より低かったという。しかし、彼にとっての海外キャリアは、別の重要な意味を持っていた。 「日本にいるとルールが決まっていて、小さいパイの取り合い。ベトナムでは、案件が山ほどある中で、価格交渉などの決定権もあって、自由にやらせてもらえました。若いうちに海外に出て、市場の開拓をし、将来のキャリアにつなげることができました」 給与面については、初任で1500ドル(約19万7000円)だった。彼が渡航した2013年時の為替レートでは、約14万6000円でしかなく、「出稼ぎ」という目的でなかったことが窺える。 宮川さんは、それ以上の経験を得たと感じている。5年間の海外就労を終え、現在は、ベトナム人女性と結婚し、日本に復帰。現地で学んだ経験を生かし、ベトナムに進出する法人や省庁に、法律面でのサポートを行うなど、今の仕事に満足している。そう思えるのも、目先の利益だけで海外に行ったわけではないからからだ。 「外国に出られるなら、どんどん出たほうがいいと思います。だからと言って、飲食店で働いて、大金を稼ぐのもいいけれど、ずっと皿洗いを続けることもどうかと思います。最終的な自分のキャリアについて、しっかり考えて海外で働くことが大事だと思うのです」スペインで起きた「頭脳の流出」 海外に出稼ぎに行く日本人は、今後も増え続けることが予想される。実際に出稼ぎに行った日本人の数は不明だが、外務省によると、海外在留邦人数は、パンデミック前の19年に史上最多の141万人に達したようだ。 日本国外で就職したり、短期労働したりすることは、生活の安定にはつながる可能性はある。加えて、日本という国を知る上でも、貴重な体験になるはずだ。もちろん、滞在許可や就労ビザの取得は、想像以上に時間を要し、簡単ではないだろう。 現地の言葉を覚えたり、他文化に触れたりすることで、異なる生き方や価値観を身につけることもできるだろう。精神面での苦労こそあれ、学びが多いことは間違いない。だが、別の見方をすれば、このままでは日本が衰弱するという危機感が芽生えてくる。 しかし、都内の商社に勤務する男性(42歳)は、「海外に出ている人は、実際にはそこまで多くないのでは」と首を傾げながら、こうも語った。 「スポーツ選手やユーチューバーのように、海外でも稼げるのであれば、それもひとつの生き方だと思います。今は昔と違って、国外でも働ける時代になった。生活が苦しい人にとっては、日本経済がどうこうという話ではない。外国で収入が増えて安定するならば、それを優先すればいいのではないでしょうか」 実は、現在の日本と似たような状況が、リーマン・ショック前年の07年から17年まで、スペインやイタリアで起きていた。史上稀に見る南欧の経済危機で、スペインでは若年層失業率が55%台まで上昇した。当時、国外への「頭脳の流出」が社会問題となっていた。 大学や大学院を卒業したスペイン人約8万7000人、同イタリア人約13万3000人が、賃金の高いドイツの首都ベルリンや英国の首都ロンドンへ出稼ぎに行った。大手自動車メーカーBMWやメルセデスベンツに勤務できた即戦力もいれば、学んだ分野とは無関係なウェイターやベビーシッターとして働く大卒者も溢れていた。 経済危機は、14年に去った。後に、スペインに戻った出稼ぎ労働者は、何を感じたのか。運送会社に勤務するフェルナンド・カサノバさん(41歳)は、ロンドンでの出稼ぎを経験し、一度は母国に戻った。しかし、変わらぬ賃金の低さと社風に愕然とし、再び英国に向かった。 「私の経験上、会社の上司たちの待遇が良く、人として丁寧に扱ってくれる。評価と昇進のスピードも早く、賃金上昇率もスペインでは考えられない高さだった」 この状況は、日本の将来を映し出す鏡にも見える。デフレ経済から抜け出せず、賃金が一向に上がらなかった20年間のツケが回ってきた。日本人は、当時のスペイン人のように、より良い給料と環境を求め、国外に出る。 しかし、彼らが日本に戻ってくる時、生活水準や賃金レベルは改善されているのだろうか。労働者にとって、魅力のある国にならなければ、人々は国外に留まり、そこに永住する選択肢を取るだろう。それを防ぐためにも、日本はまず、賃金アップを最優先課題にするべきだ。さもなければ、日本経済の未来に発展はないかもしれない。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/12
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 昨年の暮れに伸し餅で味わった苦痛を、再度鏡餅で味わう日=鏡開き=。 労苦の後のお汁粉は格別。☆ ノーパンツデー。パンツじゃないから恥ずかしくないもん!という意思を身を以て示す日。 2002年に米国ニューヨークでわずか7人で始まり、以来 “パンツを穿かずに地下鉄に乗ろうよ運動”が毎年5月の最初の金曜日に文明世界を席巻。☆ ソビエト連邦が宇宙空間での人工衛星の3Pに成功(1978年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月11日】海外に出稼ぎする日本の若者たち どうなる?日本 =前節== WEDGE REPORT 《世界潮流を読む》 2023年01月09日 宮下洋一 (ジャーナリスト) /年間平均給与461万円から433万円へ——。これは、国税庁の「民間給与実態統計調査」で、2000年から2021年までの20年間に日本が辿った平均年収の動きだ。一見、大きな変化もなく、デフレが続いてきた日本だけあってか、国内だけで生活する分には問題がないかもしれない。しかし、世界規模で眺めてみると、この国は、いつしか「安い国」へと変貌したのだ。そんな中、未来の日本に希望を持てず、海外へ出稼ぎに行く日本人が増えている。彼らの多くは、「このままでは生きていけない」という危機感を抱いている。これから日本を出る男女を始め、すでに欧米やアジア諸国で働いている若者たちの今を取材した。出稼ぎ大国から出稼ぎに行く日本人 多くの外国人にとっての「出稼ぎ大国」だった日本国内から、労働者が流出する時代が訪れるとは、誰が予想できただろうか。1980年代初頭からバブル経済に突入していた頃、日本はフィリピンや中国からの外国人労働者の受け入れを始めていた。 当時は、経済大国の日本が労働力確保のため、アジア諸国から人材を集め、彼らがより良い収入を得られる環境を提供した。同時に、日本の高い技術を学ばせ、いずれは帰国させるという一時的な日本滞在許可を推進してきた。 世界第2位の経済力を堅持していた日本だが、バブル崩壊による景気低迷に加え、就職氷河期や少子高齢化といった構図が経済活動に打撃を与えていく。しかし一方の欧米諸国は、2000年代にインフラの傾向が進み、経済危機に直面しながらも徐々に平均賃金を上げていった。 日本が同じ20年間で平均年収を減らす中、西欧の国々では100万〜150万円、米国では250万円近くも所得を上げてきた。そして気がつけば、日本は中国や韓国に追い越され、人手不足に陥るばかりか、国外との競争力に雲泥の差が生まれていたのだ。 日本を訪れる外国人観光客の多くは、「ニッポンは安い」と口にする。米国の空港で働くシカゴ出身のエミリーさん(19歳)は、羽田空港でこう言った。 「私の時給は、17ドル(約2270円)です。1日10時間を週3日間働いて、月にだいたい2000ドル(約26万7000円)です。日本は全体的に米国より安く、金銭面での苦労を感じませんでした」 岸田文雄首相は、「成長と分配の好循環」を声高に主張するが、一部の日本人は、国内で働くことに強い期待を抱いていないのが現状だ。海外の市場に目を向け、日本を出た人々の本音とは、どのようなものなのか。若いうちに海外で市場開拓 大手企業で経理を務めていた山田隆則さん(仮名=39歳)は、9年前に日本を出た。シンガポール、フィリピン、タイで同業の職を得て、今後も帰国する計画はないという。 「日系企業に勤めていますが、(東南アジアでは)働き方がドライで、残業もありません。意見が通りやすく、トップとの距離も近い感じがします。もし私が日本にいたら、年収はおそらく今の半分だと思います」 2010年9月から海外就職・転職の支援会社「GJJ」の事業に携わり、現在は同社2代目代表の田村貴志氏は、主に東南アジア諸国を中心に、これまでに1000人の日本人を送り出してきた。その背景と特徴について、このように語っている。 「現地に日本人駐在員を置くとなるとコストがかかります。とはいえ、日本の人材を必要としている会社が非常に多い。いつか海外を目指したい日本人の大半は、25歳から35歳くらいです。日本にいたら年功序列があり、駐在員の倍率も高い。海外で経験を積むという夢は、なかなか叶わない問題があります」 海外転職の結果、年収も毎年15%増も普通とのこと。海外での経験を基に、日本の大手企業に再就職する人たちも少なくないという。ただ、うまくいかない人たちも、当然いるようだ。 「それぞれの事情はありますが、主に二つの傾向が挙げられます。ひとつは、仕事ができても環境が体質に合わず、長続きしない人。もうひとつは、完璧主義の人はストレスを抱えやすいため、難しいということです」 中には、高収入目当てで海外就職を目指したのではない人もいる。宮川優毅さん(33歳)は、日本の地方銀行に就職したものの、面白みに欠けたことと、業界の先行きに不安を感じ、1年半で退職した。 24歳にしてベトナムの日系企業に就職。エンジニアリングの営業部門を担当したが、給料は日本より低かったという。しかし、彼にとっての海外キャリアは、別の重要な意味を持っていた。 「日本にいるとルールが決まっていて、小さいパイの取り合い。ベトナムでは、案件が山ほどある中で、価格交渉などの決定権もあって、自由にやらせてもらえました。若いうちに海外に出て、市場の開拓をし、将来のキャリアにつなげることができました」・・・・・・明日に続く日本人が海外に出稼ぎに行く時代の到来 政府はこの事情をもっと重く認識する必要があるように思います https://youtu.be/hD-PrtRf3_4 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/11
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 世界で最初のワルプルギスの夜「魔女の夜」(1833年)。 本邦では十日戎。 &so 「賽は投げられた」(alea iacta est)と部隊に檄を飛ばしてユリウス・カエサルがルビコン川を渡りイタリアに侵入(紀元前50年)ことはあまりにも有名である。☆ 武士のみならず町人・農民の別無く、一定期間兵士となることを義務付けられる(1873年=明治政府が徴兵令公布)。無論、その支払いは戦場での血と生命だったりするが・・・・・・。☆ 不審な商品に「どくいり きけん」と親切なことをしてくれるキツネ目の男が、キツネ目萌えもしくはキツネ萌えの対象になるかどうかの議論が巻起こり収拾がつかなくなる(1985年=グリコ・森永事件)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月10日】相撲がなぜ日本の「国技」なのか =後節== WEDGE REPORT 《スポーツ名著から読む現代史》 2023年1月6日 中島章隆 (元毎日新聞運動部長・論説委員)_『相撲、国技となる』(風見明著)/敷地の面積は1500坪(約5000平方メートル)。協会は払い下げを受けた。ここにドーム型の屋根を持つ約1000坪の円形の鉄骨組の建物を建設する。 設計者は東京駅や日本銀行本店などの建築で名高い辰野金吾博士。当時としては東洋一の巨大建築物だった。観客席は1階が17段からなるひな壇式桟敷席で、2階から4階までは蓆を敷いた座敷席で、総定員は1万3000人。これは回向院の掛け小屋時代の4倍に上った。難航した名称の決定 1907(明治40)年8月に基礎工事が始まり、2年後の1909年5月に完成したが、最後の最後まで決まらなかったのが常設館の名称だった。東京相撲の支援者で、常設館建設委員会の委員長を務めた板垣退助伯爵は常設館の開館式を4日後に控えた同年5月29日、委員会を開き、「角觝 (すもう)尚武館」を提唱し た。しかし、委員からは「相撲には必ずショウブ(勝負)があるのだから、いまさらショウブカン(尚武館)と呼ばなくてもいいだろう」という発言が出て、板垣案は却下された。 委員会では「東京大角力尚武館」「相撲館」などさまざまな案が検討されたが、結論は持ち越しになり、協会に一任されることになった。協会は早速役員会を開いて協議。席上、尾車文五郎検査役が「国技館」はどうかと声を上げた。 この館名は初興行披露状の中にある「角力(すもう)は日本の国技」からヒントを得たものだった。披露状を書いたのは好角家の小説家、江見水蔭。 披露状の一節はこうだ。<「抑(そもそ)も角力は日本の国技、歴代の朝廷之を奨励せられ、相撲節会の盛事は、尚武の気を養い来たり」(略)。国技館なる館名は一同の賛同が得られた。>(100~101頁) 板垣委員長は了承したものの、内心は不満だったようだ。6月2日の開館式の式辞後、新聞社の取材に、こんなコメントをした。「国技館なんて云い悪(にく)い、六(むつ)かしい名をつけたのは、誠に拙者の不行き届きで今更詮なけれど、じつは式辞言句中にある武育館とすれば、常設館の性質や目的も判明し、且、俚耳にも入り易いのに惜しい事をした」(東京朝日新聞、明治42年6月4日) 板垣伯爵には不評だったが、一般の受けは良く、国民の間に定着していった。最初の本場所となった1909(明治42)年夏場所は連日大入り満員、空前の大盛況となった。新聞各紙が伝えた目算の入場者数は定員の1万3000人を超える1万7000人余りに達した。 「国技館」はやがて全国に広まっていく。<明治45年2月開館の浅草国技館を皮切りに、京都国技館(明治45年6月開館)、名古屋国技館(大正3年2月開館)、大阪国技館(大正8年9月開館)等、国技館の名が付いた相撲場が次々誕生したが、これは国技館の名称が好評だったことを裏付けるものである。>(102頁) 興味深いのは、国技=相撲のイメージが広がったことだ。同書によると、「国技」という言葉が初めて使われたのは、江戸時代の化政期に、隆盛した囲碁についてだったという。各地に国技館が開館するに及び、「相撲は国技」の認識が出始め、これを一歩進めた「相撲が唯一の国技」の認識も出てきたと指摘する。(103頁)「国技」と「武道」の分離 さらに面白いのは「国技・相撲」と「武道」の分離だ。1934(昭和9)年、皇居内にある皇宮警察の武術鍛錬場「済寧館」で皇太子誕生を祝う「天覧武道大会」が開かれた。行われたのは剣道と柔道の試合だった。明治時代は武道の範疇に入っていた相撲が武道から外されたのである。 時代はだいぶ下るが、相撲と同じように、剣道と柔道の殿堂を作りたいと考えた国会議員剣道連盟と同柔道連盟の働きかけで、1964(昭和39)年、皇居に隣接する北の丸公園にできたのが「日本武道館」だった。 1909(明治42)年に開館した国技館は、1917(大正6)年の火災や、1923(大正12)年の関東大震災などで再三、大修理を経験した。さらに1945(昭和20)年3月の東京大空襲で炎上、大きな被害を受けた。 終戦後、連合軍に接収され、メモリアルホールと改名、大相撲は1950(昭和25)年から蔵前の仮設国技館に舞台を移した。1985(昭和60)年に3代目となる「国技館」が両国に完成、大相撲の殿堂として現在まで相撲人気を支えている。 オリンピックの正式種目となった柔道や、世界選手権も開かれている剣道をいまさら「国技」と認定せよ、という主張は聞こえてこない。「国技館」で開かれているから「相撲は国技」。明治の相撲人たちに一本取られたということにしておこう。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/10
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 内村鑑三が教育勅語のバカらしさに呆れて型通りの礼をしたところ、礼の角度が足りない!とブーイングの嵐を浴びる(1891年=内村鑑三不敬事件)。☆ 時計代わりに発破をやったら、雪崩で村一つが消えて無くなったでござる(1918年)。☆ 百合な女子校生のカップルが三原山からエクストリーム・自殺、これを切っ掛けに三原山でのエクストリーム・自殺が大流行(1933年)。 大流行を飛び越えた携帯品/Appleのスティーブ・ジョブズ、初代iPhoneを発表(2007年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月09日】相撲がなぜ日本の「国技」なのか =前節== WEDGE REPORT 《スポーツ名著から読む現代史》 2023年1月6日 中島章隆 (元毎日新聞運動部長・論説委員)_『相撲、国技となる』(風見明著)/2023年の大相撲初場所が8日、初日を迎える。横綱、大関がともに1人だけしかいないのは125年ぶり。昨年は6場所すべて違う力士が優勝した。しかも名古屋場所以降の3場所は平幕が連続優勝を飾った。これは1909(明治42)年に優勝制度が確立して以来、初めてのことだ。 「主役不在」の印象が強い大相撲。今年は新たなスター力士が誕生する世代交代の年になるのだろうか。国民的関心の高い大相撲だが、相撲を日本の「国技」と規定した法律などがあるわけではない。では、なぜ「国技」と考える人が多いのか。 その謎にこたえてくれるのが今回紹介する『相撲、国技となる』(2002年大修館書店)だ。著者の風見明氏は大手電器メーカーで半導体開発に従事した理系の技術者だが、大相撲の歴史に詳しく大相撲に関する他の著作もある。なぜ、多くの日本人が「相撲は国技」と考えるようになったのか、貴重な一冊を通じて考えてみたい。「裸体禁止令」下の相撲 結論から先に書くと、大相撲が「国技」と考えられるようになったきっかけは、1909(明治42)年に完成した東京場所の「常設館」の名前を「国技館」としたことが、その直接的な原因となったと著者は指摘した。では、どんな時代背景の下で「国技館」と命名されたのか、同書から当時の状況を読み解いてみよう。 神事としての古い歴史を持つ相撲だが、興行として庶民から人気を博するようになったのは江戸時代からだ。明治時代に入っても、江戸から改名した東京や大阪など大都市を中心に、「東京相撲」や「大阪相撲」など各地に都市名や地域名をつけた相撲が行われていた。そんな中、東京相撲に危機が訪れる。 1871(明治4)年11月29日、東京府の大久保一翁知事が「裸体禁止令」を出した。<裸体は外国人に見られた時みっともなく、国の体面を汚す、というのが裸体禁止の布達を出した理由だった。当時の外国人といえば外交官や技術者であり、東京に集中していた。彼等の日本観を念頭に置いて布達だったのである。>(同書4頁) 「裸体禁止令」がやがて「相撲禁止論」へとエスカレートしていく。その理由を著者はこう分析する。 <鎖国していたため近代化に乗り遅れた日本は、明治維新後、西洋を手本として近代化を図ろうとして、西洋の制度や技術等を模倣した。(略)西洋のものはすべて良くて、正しく、文明的であり、日本に前からあるものは悪く、不正で、野蛮であり、否定すべきものだとする見方が広まった。西洋にない相撲はこうして槍玉に挙がったと考えられよう。>(同書11頁) こうした逆風下、東京相撲は消防活動という社会奉仕に名乗りを上げることで存在意義をアピールし、危機脱出の機運を作り上げていった。関係者の努力が効を奏し、1878(明治11)年に東京警視庁は府税を払うことを条件に興行を認める鑑札制度をスタートさせ、相撲興行が正式に認められるようになった。「晴天十日」の興行 東京相撲の地位を不動のものにしたのが1884(明治17)年、浜離宮延遼館で開催された天覧相撲だった。明治天皇のほか、皇族や政府高官、外国公使らが相撲を観戦した。その模様を新聞各紙は錦絵入りで紹介し、相撲の地位は格段に向上した。 当時の東京相撲の興行は、本所回向院の境内で年2回、本場所が行われた。回向院は1657(明暦3)年の「明暦の大火」で焼死した多くの無縁仏を供養するため、隅田川の東岸に建立された寺院だ。無縁仏供養の寄付を募るため、勧進相撲が行われるようになったのが相撲興行の始まりという。 本場所は「晴天十日」の開催だった。露天の興行なので、雨の日は中止になる。翌朝、雨が上がると触れ太鼓が東京の市中を回るが、相撲が行われるのは触れ太鼓の翌日になるので最低2日は興行ができない。 雨天中止になっても、興行主は力士や行司ら関係者に炊き出しによる食事を用意しなければならず、経費が掛かる。明治以降、雨の中断なしで1月の春場所を10日間で終わったのは、わずか3回しかなかったというから、毎年不順な天候に泣かされてきた。 そんな事情もあって、相撲関係者が待望したのが天候に関係なく10日間で興行ができる「屋内施設」だった。常設館建設の機運 1906(明治39)年になると、「角力常設館国庫補助建議案」が衆議院に提出され、可決された。貴族院には送付されなかったため、国庫補助は実現しなかったものの、常設館建設の機運は高まった。同年3月、候補地とされた江東小学校跡地を管理する本所区は臨時区会を開き、協会から出ていた跡地の払い下げ請願を賛成多数で決議し、常設館建設が具体的に動き出した。 敷地の面積は1500坪(約5000平方メートル)。協会は払い下げを受けた。ここにドーム型の屋根を持つ約1000坪の円形の鉄骨組の建物を建設する。 設計者は東京駅や日本銀行本店などの建築で名高い辰野金吾博士。当時としては東洋一の巨大建築物だった。観客席は1階が17段からなるひな壇式桟敷席で、2階から4階までは蓆を敷いた座敷席で、総定員は1万3000人。これは回向院の掛け小屋時代の4倍に上った。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/09
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 本日になっても正月な気分でいる貴方は、日常に復ることを自覚すべき。 なに、平成に改元(1989年)。 &so ドサクサ紛れに唐を脱け出して西域・インドを徘徊していた玄奘三蔵が、16年ぶりに数多くのお経をお土産に戻って来る(645年)。☆ シャルル・ド・ゴールが7年間限定ながらフランスの絶対君主となり(1959年)、その後10年に亘ってフランスに君臨した。☆ 北の将軍様、どこかで生まれる (1984年)。 そんなことより、「韓人愛国団」の李奉昌が恐れ多くも昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件である桜田門事件(1932年)発生。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月08日】中国の感染爆発、死者は「1日1万1000人」と英医師会誌 「4月末までに170万人が死亡」 =後節== NewsWeek_Column_2023年01月04日 欧州インサイドReport ・ 木村正人「海外メディアが予約でいっぱいの葬儀場を訪れ、中国のネット上でシェアされている動画で、患者で超満員の病院の廊下が映し出されても、12月20~23日のコロナ死者は中国全土でゼロと当局から発表されている」(BMJ)「中国では薬局の棚から風邪やインフルエンザの薬がほとんどなくなり、抗炎症・鎮痛・解熱剤のイブプロフェン錠も当局の命令により1人6錠までという制限付きで販売されている。ソーシャルメディアに登場する医師は一部の病院では医療スタッフの感染率が80%に達していることを打ち明けている」(同)中国製ワクチン接種者はmRNAワクチンより3倍重症化しやすい香港では昨年初め、コロナ変異株のオミクロン株が流行し、約9000人が死亡。これを単純に中国の人口に当てはめると死者は200万人以上に膨らむ。香港で80歳以上のワクチン接種率は43%で、中国本土の80歳以上の接種率と同レベルだ。しかし香港では米欧製のmRNAワクチンが接種されたものの、中国本土で接種されたのは中国の国産ワクチンだけ。中国シノバック製ワクチンを接種した人はmRNAワクチンを接種した人より3倍も重症化しやすいという研究データがある。英エジンバラ大学のマーク・ウールハウス教授(疫学)は「オミクロン株は病原性がそれ以前の株に比べ弱いと考えられているが、香港のように入院や死亡を大量に引き起こす恐れは依然としてある。ワクチンの接種率が向上しても(封じ込めから解除に転換した)オーストラリアやニュージーランドで起きたより、はるかに深刻な感染の波や死者が発生する恐れがある」とBMJに語る。中国は最後のゼロコロナ政策として残っていた入国時の隔離義務を1月8日に終了すると発表した。感染症の分類についてコロナを最も厳格な甲類(ペストやコレラを含む)並みの管理から乙類に1段階引き下げる。変異によりコロナの病原性が弱まり、普通の呼吸器感染症になっていく見通しだからというのが中国当局の公式見解だ。ハイブリッド免疫は少なくとも数年間、重症化を予防するこれを受けて、米国や英国、オーストラリア、フランス、インド、イスラエル、イタリア、モロッコ、スペインは中国からの渡航者にコロナ検査を義務付けた。しかし中国で流行している変異株は他の国々でも流行しており、ワクチン接種と自然感染によるハイブリッド免疫が獲得されているため「中国に対する新たな渡航制限を支持する疫学者はほとんどいない」(BMJ)という。コロナの場合、ワクチン接種や自然感染による免疫は時間とともに低下する。英イースト・アングリア大学医学部のポール・ハンター教授(感染症)によると、ワクチン接種後の免疫(50%以上の人)はおそらく1年程度だが、自然感染はやや長くなり、ハイブリッド免疫ではさらに長くなる。 ハイブリッド免疫は少なくとも数年間、重症化を予防する。中国はゼロコロナ政策に固執してきたため、自然感染が広がらず、個々人にも社会全体にもハイブリッド免疫は形成されなかった。さらに国産ワクチンにこだわったため重症化に対する予防効果は低く、昨年2月ごろからワクチン接種をほとんど行っていない。このため「感染に対する防御はほとんど失われている」(ハンター教授)という。「ゼロコロナ政策を撤廃したから感染爆発が起きたのではない。撤廃する前から都市部で無症状者によるステルス感染が広がっており、ゼロコロナ政策を維持するのは無意味との結論に習近平国家主席が達したのだろう」とハンター教授は分析する。3年近く続いたゼロコロナ政策で目立つシャッター街3年近く続いたゼロコロナ政策で中国の企業は潰れ、店を畳んだシャッター街には「求人」ではなく「売店」の貼り紙が目立つという。ゼロコロナ政策の撤廃で回復が期待された経済は入院患者と死者の大量発生でさらなるカオス(混乱)に陥っている。中国共産党系機関紙「人民日報」傘下の「環球時報」英語版は「国は感染防止から重症化予防に重点を移すようになった」と地域病院でコロナ治療に取り組む様子を伝えている。習氏がいかにゼロコロナ政策撤廃の「現実」を覆い隠そうとしても、ソーシャルメディアで拡散していく国民すべての目を塞ぐことはできない。環球時報は「12月8日と9日は多くの医療スタッフが感染したため、当直の医師1人が2日間で1400人ほどの患者を受け持った。ピークは12月26日、27日まで続いた」という地域病院の医師の言葉を紹介している。国家衛生健康委員会も多くの都市で感染爆発が起き、12月上旬に感染者数が急増したことを認めている。英大衆紙デーリー・メールは「中国当局者がコロナによる死者数が"膨大"であることを認める。上海市の住民2500万人の70%が感染」と報じている。ウクライナ戦争がウラジーミル・プーチン露大統領の命取りになる可能性が大きいのと同様に、コロナ対策の失敗が習氏の致命傷になる可能性が出てきた。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/08
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 正月の御馳走で胃腸が究極のグルメに走ってしまうのを戒めるため、野菜に加えて雑草が入ったお粥の摂取を全国で強要される日。曰く、人日(七草の節句)であり、クリスマス(東方正教会など)。☆ 明治政府の消滅によって日本武尊と共にお払い箱となった千円札が、聖徳太子によって復活する(1950年)。&so ポル・ポトによるカンボジア零年が隣国の強制執行によって結末を迎える(1979年=ポル・ポト政権崩壊し、カンボジア・ベトナム戦争終結)。 ☆ リー・アイアコッカが、美国政府に自分の会社の尻拭いをさせることに成功する(1980年=クライスラー会長として小型車へ舵を切る)。 &so 天皇裕仁のXデー(1989年=昭和天皇崩御、昭和天皇祭)。朝早く流れたチャイム以降、数日もの間報道特別番組があのテレビ東京も含めて流れることに。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月07日】中国で新年早々「大騒ぎ」 花火禁止を巡り若者が暴徒化、パトカー破壊しひっくり返す= NewsWeek_Column_2023年1月5日 ジョン・フェン/ゼロコロナ政策が緩和された中国では、新年を祝う若者の一部が暴徒化。禁止されている花火の使用を巡って警察と衝突する事件が発生した。市民がパトカーを襲う様子などが動画におさめられ、中国版TikTokのDouyin上で注目を集めた。Douyinの検閲により、動画は削除された。だがある種の「デジタルアーカイブ」として機能するTwitter上には、いくつかの動画が残されている。ある動画では、若者たちがパトカーに群がっており、背景には花火が見える。別の動画では、若い男がパトカーの上に立ち、群衆を盛り上げている。このパトカーは後にひっくり返されたようだ。事件は1月2日の午後11時頃、河南省・周口市の主要な大通りに面した公共広場で起こった。地元警察は、騒動を挑発した疑いのある8人のうち6人を逮捕したと発表。「数人が道端に駐車していたパトカーを故意に破壊し、見物人を集めた。その結果、現場は大混乱に陥り、悪影響を及ぼした」という。同警察は残りの容疑者に自首を促しており、「寛大な処置」を約束している。秩序はすでに回復しており、負傷者はでなかったという。同警察の発表は、2021年7月に出された花火と爆竹の禁止令には言及していない。この禁止令は中央政府の方針に沿ったもの。中国では旧正月などの祝日に、厄払いのために大音量の爆竹を鳴らすという風習がある。そのため2018年以降、数百の都市が花火の使用を禁止、または制限した。北京では2022年、花火を禁止とする範囲を繁華街から市全体へと拡大。結果として、PM2.5の観測を開始した2013年以来、最もきれいな空気を記録することができたという。中国の感染爆発、死者は「1日1万1000人」と英医師会誌 「4月末までに170万人が死亡」 =前節== NewsWeek_Column_2023年01月04日 欧州インサイドReport ・ 木村正人昨年12月、ゼロコロナ政策を撤廃した後の中国の感染爆発について、英国医師会雑誌ブリティッシュ・メディカル・ジャーナル(BMJ)は3日、英医療系調査会社エアフィニティのモデリングに基づき、「コロナによる12月初めからの累積死者は11万人に達し、1日に1万1000人が死亡している」との推計を明らかにした。エアフィニティのモデリングは、中国保健当局がまだ米欧諸国の基準と同じように、陽性反応から一定期間内の死亡や死因がコロナに起因していたケースをすべて計上していた当時の中国各省のデータと、厳格なコロナ対策で感染爆発を封じ込めていた香港や日本で規制が解除された後の感染者増加率に基づいている。それによると、1月13日に北京や広東省を中心に最初のピークが訪れ、1日に370万人の新規感染者が発生。地方の農村部で感染爆発が起きる第2のピークは3月3日で、1日当たりの新規感染者数は420万人に達する。4月末までに中国全土で170万人が死亡するとみられるという。別の香港大学研究者グループの査読前論文によると、ゼロコロナ政策の撤廃により、1月末までに100万人当たり684人の死亡が予測されている。これは96万4000人の死者に相当する。SNSに出回る動画では「病院の廊下は患者で超満員」中国は集団検査を止め、無症状の感染者を報告しなくなった。コロナ死者も陽性反応後に呼吸不全または肺炎で死亡した場合にのみ記録する方式に変更し、事実上、患者数と死者数のカウントを停止した。中国のソーシャルメディアに出回った国家衛生健康委員会の議事録によると、12月20日の新規感染者数は3700万人にのぼり、同月1~20日までの累積感染者数は2億4800万人に達したという。同月1~22日の累積感染者数は約28万4700人とする公式発表とは大きな食い違いがある。同委員会は12月24日以降、公式発表を取り止めている。公式発表では12月7日にゼロコロナ政策が緩和されて以来、コロナ死者は6人しか増えていない。全期間を通しても死者は5241人にとどまる。・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/07
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 本日“世界の戦争孤児の日”であり、孤児ではないが親方への不満で鬱屈していた幕内力士の大多数が、初場所を前にストライキを起こす(1932年)。結局リーダーが断髪させられたためことは収まり、その後の大相撲の体質は変わらず現在に至る。☆ 中国で国民党と共産党がドンパチやっているのを、国連が高みの見物を決め込むことで決定(1949年)。1年後のこの日にはイギリス(1950年=イギリスが中華人民共和国を承認)が早々と大陸の殆どを掌握した共産党と手を結び、国民党と縁切りしてしまったんだとか。 ☆ 救難飛行艇US-2をめぐる一件で政治生命が終わった富士重工業の創業家三代目が、人間としての生命も自ら終了させる(2001年)。近隣が極東の一隅、朝鮮民主主義人民共和国が水素爆弾による核実験に成功と宣言(2016年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月06日】ペレにまつわる偉大な論争 =後節== CNN_World News / Opinion_2023.01.02 Mon エイミー・バス氏/Rodney Bedsole /GOATとはメダルや勲章を最も多く獲得した選手だろうか? 最も長くランキング1位に君臨した選手だろうか? 成績や各種のデータに関わる話だろうか? 華やかさ? 創造性? 長期にわたって獲得したタイトルの数? 年間のタイトル数? 1日のタイトル数? 最高額の年俸? スポンサー収入の多さ?当然ながら、どんな種類であれ現実的にして明白、否定しようのない評価基準でもって史上最高を決定することなどできない。そんな基準は存在しないし、スポーツはそもそもそういったやり方で動いているものではない。とりわけペレのような人物を対象とする場合はそうだ。ペレのもたらす文化的、社会的影響はサッカーにとどまらず、世界全体に及ぶ。ただ史上最高を具体的に説明する特定の方法はないとしても、「誰がGOATか?」と問う会話自体は、馬鹿げているのと同じくらい欠くことのできないものかもしれない。なぜならそうした会話によって、自分たちが何者で、何を気にかけているのかが分かるからだ。ペレを「史上最高の選手の一人」とするいかなる言及も「失礼に当たる」と、サッカー記者のフェルナンド・カラス氏は12月29日にツイートした。「彼をGOATと言いたくないなら、ひたすらその死を悲しみ、その偉業についていろいろと語っていればいい。しかし彼の死を利用して、GOATたるその地位に疑問を差しはさんではならない」なるほど。数多くの国々の現首脳や元首脳、著名人やファンがそれぞれの投稿で、悲しみに暮れつつレジェンドへの敬意を表明する中にあって、ネイマールの言葉はペレのGOATの地位がなぜ永遠かつ不変なのかを最も的確に要約している。おそらくペレの後継者となるブラジル人選手の筆頭と思われるネイマールはインスタグラムに「ペレが登場する以前、『背番号10』はただの数字だった。サッカーはただのスポーツだった」と書き込んだ。「彼はサッカーを芸術に変えた。エンターテインメントに変えた。彼は貧しい人たち、黒人たちに声を与えた。特にブラジルの知名度を高めた。彼は亡くなったが、その魔法は残る。ペレは永遠だ!」おそらく、GOATを宣言する上でこれ以上のものはないだろう。現役を退いて以降はもちろん、本人の命が終わってもなお生き続ける存在。ただ覚えておかなくてはならないが、ペレは決してGOATだった「だけ」ではない。過去と同様にこれからも、彼は常に「王様」であり続けるはずだ。◇ エイミー・バス氏は米マンハッタンビル大学のスポーツ学教授。スポーツの観点から米国内の人種問題を描いた複数の著作がある。記事の内容は同氏個人の見解です。ミャンマー、スー・チーの裁判が結審 禁固刑合計33年で政治生命絶つ狙いか= NewsWeek_Column_ 2022年12月30日(金) 大塚智彦(フリージャーナリスト)ミャンマーで軍事政権の強い影響下にある首都ネピドーの裁判所は12月30日、2021年2月1日の軍によるクーデターが起きるまで民主政府の実質的指導者だったアウン・サン・スー・チー氏に対し汚職などの容疑5件について禁固7年の実刑判決を言い渡した。これでスー・チー氏の裁判は19件すべての審理が結審したことになり、言い渡された禁固刑の合計は33年となった。ミン・アウン・フライン国軍司令官率いる軍事政権は2023年8月までに「民主的選挙」を実施することを発表しており、年内にスー・チー氏の裁判をすべて終えて、2023年からは選挙実施に専念したいとの軍政の意向が12月30日の「全ての裁判で結審、判決」に反映したとみられている。クーデター発生当日にネピドーの自宅で身柄を拘束されて以来、スー・チー氏は自宅軟禁下に置かれ、その後ネピドー郊外の刑務所に収監となり、19件の容疑で訴追され被告の身となっていた。この間1度だけ法廷でのスー・チー氏の写真が公開されたものの、消息や動向は弁護士を通じて伝えられるだけだった。そして刑務所収監後は刑務所内の特別法廷で裁判が続き、独房での様子が断片的に漏れてくるだけだった。健康問題には変化ないものの、自宅軟禁時に一緒だった馴染みのお手伝いさんや愛犬の「同行」は許されず、孤独な日々を送っていたという。また裁判所が弁護団に対して「法廷での被告の様子を海外メディアなどの部外者に公表することを禁ずる」と命じたため、スー・チー氏の健康状態を含めた状況はほとんど外部に伝えられることはなくなってしまった。弁護団は以前、スー・チー氏は訴追されたすべての裁判で「事実無根である」として容疑を全面的に否定していることを明らかにしていた。このため公判でスー・チー氏は無罪を主張したものの、軍政の意向を反映して公平、公正な裁判とはかけ離れた審理が進められた。その結果スー・チー氏は訴追されたすべての裁判で有罪となり禁固刑という実刑判決を受けた。軍政は2023年に「民主的選挙」を計画しているが、スー・チー氏や民主政府の与党でスー・チー氏が率いていた「国民民主連盟(NLD)」関係者らの参加を阻止し、スー・チー氏の政治生命を完全に絶ち、民主派勢力の動きを封じ込めたい考えだ。今回の禁固刑の判決もこうした軍政の意向が色濃く反映された結果になったといえる。抵抗勢力との戦闘激化軍によるクーデター発生から間もなく2年を迎えるミャンマーだが、国内の治安は依然として不安定は状態が続いている。これは国境周辺を拠点とする少数民族武装勢力やクーデター発生後に民主派が組織した反軍政組織「国民統一政府(NUG)」が組織した武装市民勢力「国民防衛軍(PDF)」が各地で軍と戦闘を続けていることが主な要因だ。軍政は力による抵抗勢力掃討に力を入れるあまり、無実、非武装、無抵抗の一般市民が多数戦闘に巻き込まれ、暴行、拷問、虐殺といった人権侵害が多数発生する事態になっている。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/06
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 本日“世界の戦争孤児の日”であり、孤児ではないが親方への不満で鬱屈していた幕内力士の大多数が、初場所を前にストライキを起こす(1932年)。結局リーダーが断髪させられたためことは収まり、その後の大相撲の体質は変わらず現在に至る。☆ 中国で国民党と共産党がドンパチやっているのを、国連が高みの見物を決め込むことで決定(1949年)。1年後のこの日にはイギリス(1950年=イギリスが中華人民共和国を承認)が早々と大陸の殆どを掌握した共産党と手を結び、国民党と縁切りしてしまったんだとか。 ☆ 救難飛行艇US-2をめぐる一件で政治生命が終わった富士重工業の創業家三代目が、人間としての生命も自ら終了させる(2001年)。近隣が極東の一隅、朝鮮民主主義人民共和国が水素爆弾による核実験に成功と宣言(2016年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月05日】ペレにまつわる偉大な論争 =前節== CNN_World News / Opinion_2023.01.02 Mon エイミー・バス氏/Rodney Bedsole /(CNN) ペレについて語る言葉のどれもが、使い古された決まり文句の寄せ集めだとしたら残念なことだ。そうした言葉で比類なき生涯、前代未聞のキャリアを要約しようとするのはいかにももったいない。しかし、ペレが82歳で死去したとのニュースが世界中に拡散し始めた時、これまで書かれなかった、あるいは語られなかった内容は皆無のように思われた。ペレ(本名エドソン・アランテス・ド・ナシメント)に関して紹介が必要だったことはこれまで一度としてなく、今も説明は不要だ。サッカー選手を超えたアスリートでありながらサッカー界の主張を鮮明に打ち出し、母国ブラジルを超えた存在でありながらそこから離れることは決してなかった。サンパウロ州バウルの貧しい環境で育ったペレは、父親からサッカーを習った。詰め物をした靴下やグレープフルーツをボール代わりに練習していたという。1958年、わずか17歳の時にその才能が国際試合のピッチで炸裂(さくれつ)する。ブラジル代表としてワールドカップ(W杯)の史上最年少ゴールを決め、チームも開催国のスウェーデンを決勝で破って優勝。サッカーにおけるブラジルの存在を世界に知らしめた。国際的なアイコン(象徴)の誕生だ。確かにペレは「国の枠を超え、汎アフリカ的成功のイメージを体現した」。歴史家のブレンダ・エルシー氏は南米サッカーに関する論文でそう指摘する。特に所属するサントスFCの選手たちが60年代にナイジェリアとモザンビークへ遠征した際にはそれが顕著だった。「ブラジルのサッカーチームの主力選手たちがやはり貧困地区の出身であり、困難な状況で育っていたことは、グローバルサウス(訳注:主に南半球に偏在している開発途上国)全域の選手たちの間に連帯を生み出した」(エルシー氏)ブラジルのサントスに在籍した約19年間で、ペレは659試合に出場し、643ゴールを記録した(パリ・サンジェルマン、レアル・マドリードといった強豪クラブから魅力的なオファーがあったにもかかわらず、サントスにとどまった。一時はインテルへの加入が実現しかけたが、国内のファンの抗議に遭い頓挫した)。自国とチームに貢献する一方で、個人でも史上最高の選手としての存在感を発揮。3度のW杯制覇(58年、62年、70年)という空前の記録を打ち立てたほか、ギネス・ワールド・レコーズによれば1363試合に出場し1279ゴールを挙げている(ただ親善試合やエキシビション・マッチを含めたペレの通算ゴール数は常に議論の的だ)。サントスと代表でのキャリアに終止符を打った後も完全には引退せず、その才能を米ニューヨークに持ち込む。ニューヨーク・コスモスでプレーした75~77年、自身の知名度によって新たなファンを獲得し、北米サッカーリーグ(NASL)の試合には大勢の観客が詰めかけた。リーグは最終的に打ち切られたが、ペレが米国文化に与えた衝撃はコスモス在籍時前後に強化された。この間ペレはペプシのコマーシャルに出演し、ホワイトハウスも訪問。テレビ司会者のジョニー・カーソンにサッカーを教えたほか、81年の映画「勝利への脱出」では、シルベスター・スタローンと共演している。これらを含めたあまりに多くの理由から、ペレを史上最高の選手(GOAT)と命名するのに異論が唱えられることはない。そうした状況は、現在の米国男子代表の選手たちが生きてきた年月よりずっと長く続いている(それこそ何年も上回る)。とはいえこの数週間、歴史上最も素晴らしいサッカーの試合の一つ(のみならず、あらゆるスポーツ大会の決勝戦で最高の部類)と考えて間違いない試合の決着を受け、一部の批評家やファンはそろってリオネル・メッシにサッカー界の最終的なGOATの称号を与えた。これによりクリスティアーノ・ロナルドやディエゴ・マラドーナといった選手たち、そしてもちろんペレも、いくらか後方へと退いた形になる。ペレの死去は、そうした権威の移行に歯止めをかけた。少なくとも現時点で、我々にはサッカー界の国際的なスーパースターの元祖に思いをはせる時間が与えられている。そしてその名が競技と同義になるような、稀有(けう)な象徴的アスリートを思い出すだけでなく、最も偉大な存在となることが何を意味するのかについて考える機会にもなっている。ある時のスポーツ界では、いわゆる「goat」になりたい選手など一人もいなかった。その語が意味するのはキャッチミスをしたりタッチアップを忘れたり、最悪の場面で落球する選手のことだった。今、全て堂々たる大文字で記される栄光のGOATは、現時点で存在する最高の選手というだけでなく、格段に重要な意味で過去のどの選手をも上回る選手を指す。GOATを巡る激しい論争には、様々な競技と様々な時代で活躍した面々が登場する。ウェイン・グレツキー、ベーブ・ルース、レブロン・ジェームズ、マリアノ・リベラ、アビー・ワンバック、マイケル・ジョーダン、セリーナ・ウィリアムズ、タイガー・ウッズ、ロジャー・フェデラー、アリソン・フェリックス、マイケル・フェルプス、ベーブ・ディドリクソン、ジャック・ニクラウス、ビリー・ジーン・キング、アル・オーター、マーガレット・コート、モハメド・アリ、シモーネ・バイルズなどなど、枚挙にいとまがない。一時期、自身に文字通り「グレーテスト」というニックネームを付けたアリは、「G.O.A.T Inc.」への権利を有していた。これは妻のロニーが92年に設立した法人で、アリはその権利を2006年に、5000万ドル余りでエンターテインメント会社のCKXに売却。同社はアリの名前と肖像権で得る利益の80%を購入した。ただ、GOATの基準は良く言っても不明瞭だ。最高が何を意味するのかについての検討や議論が、見事な勝利や引退、そしてもちろん本人の死去の後で浮上してくる。GOATとはメダルや勲章を最も多く獲得した選手だろうか? 最も長くランキング1位に君臨した選手だろうか? 成績や各種のデータに関わる話だろうか? 華やかさ? 創造性? 長期にわたって獲得したタイトルの数? 年間のタイトル数? 1日のタイトル数? 最高額の年俸? スポンサー収入の多さ?・・・・・・明日に続く 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/05
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 天声人語の第1回が大阪の朝日新聞で掲載され(1904年)、試験のネタ作りに悩まされていた先生などから好評を得ることに。☆ ドイツ・ミュンヘンでオカルティストたちが団体を作るが(1919年=共産主義団体のスパルタクス団が蜂起、一方でドイツ労働者党/ドイツ労働者党)、15年くらい経ってドイツを支配する独裁政党と化した。☆ ふつか韓国で34年ぶりに夜遊びが公認され、家庭を守る主婦に午前様を待つ負担が増える(1982年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月04日】ゼレンスキー「必要なのは弾薬であり乗り物ではない」に世界がしびれた= NewsWeek_Column_2023年12月22日、 CIAが視る世界 グレン・カール /2022年2月24日、世界第2位の規模を誇るロシア軍が、ウクライナ侵攻を開始した。だが、ウォロディミル・ゼレンスキー大統領はひるまなかった。「ロシアに屈しない」と国民を結束させ、世界を鼓舞した。それは、毅然としたリーダーが1人いれば、歴史は変えられることを世界に示した瞬間でもある。ゼレンスキーのおかげで、ウクライナは国家として、民族として、存続できた。そんなゼレンスキーの決断が、2023年も世界を形作り、揺るがすだろう。ウクライナ戦争は世界の食料価格と、数百万人の空腹と生死、そして政治社会の動向に影響を与えるはずだ。わずか3年前までは、ほとんどの人が気にもかけなかった国の、愉快で謙虚な元俳優の肩に、世界の運命が懸かっている事実は驚嘆に値する。ゼレンスキーは、偉大なリーダーに必要な資質を兼ね備えている。第1に、たとえ困難な状況にあっても、自分の満足より理念を優先する道徳観と決断力を持ち合わせている。ロシアの侵攻当初、首都キーフ(キエフ)陥落は時間の問題だと、多くの専門家は思っていた。だが、ゼレンスキーは国外退避を勧める米政府の申し入れをきっぱり断った。「私がいま必要としているのは弾薬であり(退避のための)乗り物ではない」という答えに世界がしびれた。偉大なリーダーは、人民の熱意に共感し、それを政策に反映させる。また、往々にして漠然とした人々の信念を説得力のある形で表現して、大衆を鼓舞する。確信と誠実な思いと目的を伝えて、困難な中でも人々が希望に手を伸ばすよう促す。ゼレンスキーのこうした資質が、2023年もウクライナと世界を動かすカギになることは間違いない。(編集部注:ゼレンスキーは12月21日、ワシントンを訪れ、バイデン米大統領と会談。ロシアの侵攻後初めての外国訪問を果たし、支援の継続を訴えた)【参考動画】 Ukraine's Zelenskyy visits Washington https://youtu.be/nFnKGRYpNdo【参考動画】 Watch Zelensky address joint meeting of Congress https://youtu.be/MIsx7VQyVVIプーチン氏は皆さんを滅ぼしている……ゼレンスキー氏がロシア国民に=BBC News_Column 2023年1月1日ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は12月31日、ロシア国民に向かって、ウラジーミル・プーチン大統領はロシアを破壊しているとロシア語で呼びかけた。一方でウクライナ国民に向かっては、新年に勝利を願うと語りかけた。大みそかにプーチン大統領は、軍服姿の大勢の前に立ち、新年に向けたあいさつをした。これを受けてゼレンスキー大統領は、ロシアの大統領が自軍を率いるのではなく、兵の後ろに隠れていると非難した。12月31日から1月1日にかけて、ウクライナは首都キーウをはじめ各地でロシアによる砲撃を受けた。少なくとも1人が死亡し、数十人が負傷した。ウクライナ軍のヴァレリー・ザルジニー総司令官は、ロシアが31日に打ち込んだ巡航ミサイル20発のうち、ウクライナ軍は12発を撃墜したと述べた。こうした状況でゼレンスキー大統領は通信アプリ「テレグラム」で、31日の攻撃の実行者は非人間的だとウクライナ語で非難。続いてロシア語に切り替えると、「あなた方のリーダーは、自分が前線で指揮していて、軍は自分の後ろに従っていると、皆さんに見せようとしている。しかし実際には、彼は隠れている。軍の後ろに隠れ、ミサイルの後ろに隠れ、邸宅や宮殿の壁の後ろに隠れている」のだと語りかけた。「(プーチン氏は)皆さんの後ろに隠れている。そして皆さんの国と未来を、燃やしている。ロシアによるテロについて、誰もあなたたちを許さない。世界のだれも、あなたたちを許しはしない。ウクライナは許さない」と、ゼレンスキー大統領はロシア語で重ねた。ゼレンスキー氏はのちにこれとは別に、ウクライナ国民へ新年のあいさつを発表。ロシアの侵攻を跳ね返してきた国民の「とてつもない」取り組みに感謝した。「ウクライナの皆さん、皆さんはものすごい。これまで達成してきたこと、いままさに成し遂げていることを見てください。『世界2位』と言われていた軍を、我が軍の兵士たちが初日から撃破してきた、そのすごさを見てください」「大戦争において小事などありません。無用なことなどありません。私たち一人一人が戦士で、一人一人が前線です。一人一人が防衛の基礎を担っています。私たちはひとつのチームとして戦っている。国全体が、すべての州が。皆さん全員を尊敬します。ウクライナのあらゆる不屈の地域に感謝したい」と大統領は述べた。さらにゼレンスキー氏は、「新年が来るまで残り数分です。全員に祈りたいことはひとつ、勝利です。それが一番のことで、すべてのウクライナ人に共通する願いです。新年は帰還の年になりますように。国民が帰還し、兵士は家族の元に戻り、捕虜は自宅に戻り、移民はウクライナに戻ってくるように。私たちから盗まれたものが戻ってくるように。子供たちには子供時代が、私たちの親には穏やかな老年期が」と語りかけた。 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/04
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 竹槍でドンと突き刺す2分5厘(1878年=地租改正/伊勢暴動をはじめとした大規模な暴動で地租を100分の3から100分の2.5に減額)。☆ 明治天皇が大日本帝国の軍人に、「忠節を尽くせ」「礼儀を守れ」など西周が作った5か条の作文を読み上げる(1882年)が、何時の間にやら忘れ去られてしまう。☆ 竹中平蔵の陰謀によってUFJ銀行が東京三菱銀行に凌辱されることに(2006年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月03日】 明けましておめでとうございます 旧年中はお世話になりました 本年もよろしくお願いいたします 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/03
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ 徳川慶喜の政権投げ出しにブチ切れた明治天皇が、王政復古の大号令で俺様自身でやりたい様に統治すると宣言(1868年)。☆ 泥酔して赤くなったフィデル・カストロにアメリカがブチ切れて縁切りを宣言(1961年)、翌年にはローマ教皇からも破門される目に。☆ 唐十郎のアングラ劇団が公園にテントを張って劇を上演したところ、現行犯でお縄になる(1969年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月02日】 明けましておめでとうございます 旧年中はお世話になりました 本年もよろしくお願いいたします 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/02
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★忘備忘却録/きょうの過去帳・狂★☆ この日を迎えるたび必ず新しい年になってしまう、なんだか不思議な日。 &so 昭和天皇の人間宣言(1946年)。☆ 新年早々に弥彦神社で初詣の参拝者に福餅を撒いた筈が、厄災を撒き散らす縁起でもないことに(1956年)。☆ 手塚治虫の原作による日本初のテレビアニメ『鉄腕アトム』が放送開始(1963年)。その4年前(1959年)に放送された実写版は黒歴史である。&so タンカー・ナホトカから臭い物が流出して、裏日本では正月早々臭いものを柄杓と桶で汲み取る大変な目に(1997年)。【彷徨癖者/如水の愛犬 “ハクとココ”が悲嘆・感嘆 / 令和4年01月01日】 明けましておめでとうございます 旧年中はお世話になりました 本年もよろしくお願いいたします 古都 老翁がいた。 翁は愛犬を愛で朝夕の散歩に伴う。 翁は大壺を持ち、夕刻 酒を片手に壺に躍り入る。 くぐもる声で語る傾国の世辞は反響し、翁の安息を妨げ、翁はなす術も無く自笑。 眠りに落ちた。 ---------下記の姉妹ブログ 一度 ご訪問下さい-------------- 【壺公夢想;如水ホームページ http://thubokou.wordpress.com/】【閑仁耕筆;冒険譜・歴史譜 http://blog.goo.ne.jp/bothukemon】・・・・・ クリック 宜しく・・・・・・ 再会を期して, 涯 如水 ・・・・・
2023/01/01
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