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先日、MRIの検査を受けた。これまで何度も受けたが今回はひさしぶりのことで、いささかつらかった。わたしの場合、MRIの画像が輪切りにされるのは頭部なので固定するお面のようなものをかぶせられて頭がドームの中に入る。閉所恐怖症ではないつもりだがそれでも気持ちのいいものではない。生きながら棺の中に入ったような気分になる。「もう慣れているから、大丈夫でしょ?」といわれ、はあ、などとあいまいに答えたが老いてくる身の心臓は穏かではいられないようでこれまでになく動悸が激しかった。きっと血圧もあがっていただろう。そんないつもと違う感じに自分が戸惑ったがいやいや、と思いなおし落ち着かない思いを腹式呼吸で乗り越えて耳傍で鳴るカチカチジージー音にも耐え・・・いつの間にか居眠りしていた。一瞬の夢を見た。美味しそうな和菓子を食べようと口を開けそうになってはっ、動いてはいけなかったんだ、と意識が戻る。しっかりしようとおもっていながらまた眠ってしまう。今度は親しい人が夢に現れた。あっ、と声をかけようとして、いかん!と意識が戻った。・・・まあ、そんなこんなで、MRIは終わって一週間後の今日、検査の結果を聞いた。片方の頬がかけたフィルムを見ながら主治医Hセンセイが言う。「異常なし、ですね。右顎の下のリンパが気になりますが前回から大きくなってなので、大丈夫でしょう」よかった。頬が欠けた顔の輪郭はタイラガイとかソラマメとか腎臓みたいでそれが自分の実態なのだとはっとなったりするがまあ、いろいろ問題はあってもそれでも生きてきたもんね。ありがたい。で、問題のほうをきいてみる。今日も忘れものをしてる身だ。「お脳のほうはどうでしょう?」「いや、MRIはポイントを決めて撮るのでその周辺の画像の精度は高くないですから」「もう、物忘れがひどくて・・・」「ああ、僕もですよ」と主治医のHセンセイは自分が机の上に出しておいた書類を忘れた話をされる。「ふふ、センセイ、こういうのを『老人性集中力』って言ってるひとがいまして目の前のことに集中するから、他のことがふっとんでしまうんだ、とか」「はは、そうかあ、なるほどなあ」ふたりして、苦笑しつつ納得してしまう。こういう会話ができるから、いいな。「わたしの場合は咀嚼の影響じゃないかなと思いますが」「ああ、そういうデータがあるんですよ。奥歯を抜いたラットは、奥歯のあるラットより、お馬鹿になるそうです」「どうしてわかるんですか?」「その二匹を同時に迷路に入れると奥歯のないラットのほうが時間がかかるそうです」「ああ、それ、わかります。試行錯誤に手間取るんです」そうだ、そういう思考が上手くないのだ。人生も迷路もおんなじだ。なかなか正解が見つからなくてふらふらとわき道にばかり踏み込んでいってしまう。そのつど今の自分の位置がわからんようになってしまう。いかんと足を踏み出すもまた一からのやり直しで何度も何度も同じ失敗をするのだ。経験を積み重ねていけないのは、やっぱり阿呆だ。この作文の出口が見つからずどうしたものかと思案してるのもまあ阿呆なことで・・・なにしろ、咀嚼がたらんもんなあ・・・
2009.06.30
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かすみがかったような色彩のその葉書には地下の店に続く細い階段の前で頭を下げるエプロン姿の女店主の写真が映っている。足元のあたりに、こちらはくっきりとした「閉店いたします」の文字。「今年15年目を迎えましたが、七月十九日をもって閉店いたします。永らくお世話になりました。皆様本当に有り難うございました」と言葉が続き、店主と従業員の名前がある。店の名前は「南天」ありかは武蔵野市吉祥寺本町2-10-2この店はかつてこんなふうに書いた。そう、年わかい友人Mさんに連れて行ってもらった店だ。Mさんの思い出がたくさん潜んだ店。そこが閉店する。なくなってしまう。さぞかし残念なことだろう。お誘いを受けて金曜日に出かけた。地下の店の引き戸をあけるとこの前と同じように、さらりと常温で迎えられた。あのときのように従業員のカズさんが注ぐ美味しいお酒と女店主の手になるご馳走をいただいた。万願寺唐辛子とじゃこの煮物卵焼き・鶏肉とたまごの煮物鮭のハラス・ピリ辛の焼きソバ・・・だったかな。目の前に、ガス台に向かう女店主の背中が見える。前かがみになる細いからだ、小さく動く細い腕。無駄のない動線。迷いのない動き、手順。その背中を見つめながら、15年という時間を思う。そして「もてなす」ということを思う。「おいしいものを食べさせてあげたい」そんな声が聞こえてきそうな背中。寄りかかったり媚びたり御愛想したりしない背中。細い腕がすっと差し出すひと椀、ひと皿がおもてなし。そしてカズ君のまっすぐな目線、ほのあたたかな笑みとうなづきもまたこの店のおもてなしなのかもしれない。「これから、どうなさるんですか?」それを訊いてどうなるものでもないのだけれどたった2度しか来ていないのにそれが気がかりだったりする。マイナスのことばかり考えてしまう。「なにしましょうか。まだ、なにも考えてない・・・」それがふたりの答えだった。ふわりとした言葉だった。閉店までの日々はここまできた時間を振り返るふわりとした時間であるのかもしれない。飲むほどに、Mさんとの会話は盛り上がりなんだか幸せだなと思ったりした帰り際でも、この店はもうなくなってしまうのだと思い出し首筋のあたりがひやりとした。「2度しか来てないのですがありがとうございました」というと「ああ、覚えてますよ」と店主が言った。ああ、そういうお店なのだと改めて思いなのに、なのか、だから、なのかわからないがもうすぐ、このお店はなくなってしまう。また、どこかでこの赤い南天の実がなればいいなあ、と思いながら、地上への続く階段を登った。
2009.06.27
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9日は定期健診で主治医のH先生と会った。教授になられてますますお忙しい、というお話を聴く。雑事と言ってしまうと語弊があるがこまごまとした仕事に追いまくられる、とか。今回は、しばらく撮っていなかったMRIの予約をした。その依頼書を書き込みながらH先生が「えー、もう何年になりますかねえ」と発病からの年数を計算した。手術をした平成7年からは14年が経っている。夏が来れば15年目に入る。「もう大丈夫だと思うんですけどね」といいながらも手は動く。こんなに時間がたっても無罪放免にはならないのはわずらった腫瘍の性質の悪さだろうか。いや、もう来なくていいといわれたらそれはそれで心細いことかもしれない。さほど大きくない白い手。すんなりと伸びた細い指。その指の動きを見ながら、「実は下唇が腫れましてね」というとH先生がすばやくこちらを見る。「あの、なぜかなと思ったらカレーうどんを食べて、やけど、してたんです」わたしの下唇の半分は感覚がない。その中に神経が走る顎の骨を取っているからそこの部分は永遠に麻酔がかかっているようなものだ。やけどした箇所は赤く腫れていた。鏡でみて、驚いた。すわ!と思い描くことは、病気のことだった。しかし、ほどなくその腫れはひいた。やけどだったのか、と気づき考え合わせると、カレーうどんしかなかった。カレーうどんは息子2といっしょに食べた。白いシャツを着ていた息子が「これはいかん、飛ぶ」といいながら脱いだ。何事にも無頓着な男だと思っていたがそういうことを気にするようになったか、と思っていた。ごはんの最中に余計なことを考えると、こういうことになる。こんな時、痛みは何のためにあるのか、わかる。より次元の高いものを守るために必要な痛みがあるのだ、と。こころはどうだろう。感じなくてもいいことを感じてしまうこころは何かを守っているのだろうか。それは生き難さと並行しているように思えたりする。「ああ、やけどとかで炎症を起こしていると口が開きにくいことはありますから」それまで互いのメタボのことなどで談笑していた口調とはまるで違うトーンの声がそう告げた。なにかあったら、こんなふうに聞いてもらえる主治医がいる。そんな14年だった。ありがたい。病院を出て、友人のみどりさんのお宅を訪ねた。浴衣地がある、というので、いただきにいった。みどりさんの妹さんのお姑さんの未使用の浴衣地で文袋に使って、とのこと。文袋は幸いだ。お弁当を、と言われてそぼろ弁当を買っていった。彼女がサササっと、蒸し野菜を作ってくれた。自家製のごまダレで食べるとキャベツがことのほか美味しかった。デザートの甘夏はみどりさんが袋をむいてくれた。いつも目の前であたりまえのようにそうしてくれる。こんなこと、ほかのひとにしてもらったことがない。その甘酸っぱい味を噛締めながらわたしが言った。「これまでにいっぱい、いっしょにごはん、食べたよね」「かぞえきれないわ」「アンパン、とかも」「ああ、あのシーンは今もくっきり覚えてる」わたしが病気をしたときのことだ。みどりさんが横浜のうちの部屋に来ていっしょにアンパンを食べている時わたしが「わたし、死ぬのかな」と言ったらしい。「明るい色のカーテンが掛かっていたわ」生憎、こちらはあまりよく覚えていない。それでもたくさんの食事のシーンがうかんでは消える。軽井沢や生麦でみどりさんに作ってもらった食事いろんなレストランでの食事芝生の上で食べたおにぎり映画館の暗がりで食べたパン。みどりさんは食べるのが早くて、わたしはモタモタしていつも「ゆっくり食べてね」といわれる。生来の食いしん坊、食べたい一心でだんだん早く食べられるようになったがそれでも、かみ合わせがひとつしかないわたしの食事は時間がかかる。それをいつも気長に付き合ってくれた。感覚のない唇の端についた食べ物の欠片を何度取ってもらったことだろう。どんなときも、たくさんはなして、たくさんわらって、泣いた。そうやって気がつくと25年が経っている。言葉が途切れても、ただその空気だけで落ち着く。最近、みどりさんは週に一回長男さんのお宅におかずを作って送っている。即日便で送ると大丈夫なのだそうだ。「子供がたいらげてしまいました」そんなお嫁さんからのメールを嬉しそうに告げる。繋がっていくのは味と想いだ。わたしも、うまいごはんを作ろうと思ったりする。
2009.06.10
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