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朗読のサークルでごいっしょする70歳のミホコさんは三ヶ月前に階段から落ちた。一時は痛みで首から上しか動かなかったがひにち薬で、次第によくなっていった。整形外科の先生に、もう普通の生活を送ってもいいとお許しを貰って、ああうれし、と動き始めるとひょいとした拍子に、股関節が痛み出す。ええー、これは困ると、医者を変えて腰のレントゲンを取ってみると坐骨が骨折していたのだそうだ。はー、それはたいへんでしたねえ、と隣り合わせに座ってバスのなかで傾聴する。ほんと、医者って変えてみないとだめね、と今度は歯医者の話になる。右の奥歯、何度もレントゲンとって何度も調節して、かぶせものをしたのだけれど家に帰ると、それがどうにも合わず、かみ合わせると歯茎が痛む。またやり直しはうんざりだったのでそのまま反対の左側の歯で咀嚼していた。右側の痛みもあってその咀嚼がうまくいかなかったせいでものが食べられず、体重が5キロも減って、もともと細いひとがずいぶん痩せてしまった。しかも、咀嚼に使わなかった顔の右側の筋肉が動かなくなって、唇がひん曲がってしまった。朗読と合唱もやられているミホコさんにとってその唇では発音がうまくいかなくなってとうとう意を決して歯医者を変え歯も新しくかぶせなおした。と、歯のほうの調子はよくなった。筋肉のほうもおいおい戻るかと思っているのだがなかなかうまくいかないのだという。よくよくミホコさんの顔を見てみるとなるほど右側の上下の唇が緩んで見える。引き上げる筋肉が衰えているのだ。左顎の関節のないわたしにとってその話は他人事ではなかった。片方のかみ合わせだけで食事をし続けるとやはり、そうなるのだなと今更のように思った。それはわたしにとっては怖れだった。左右の筋肉の大きさが違ってくると顔はゆがんでいく。使わない筋肉の側にひんまがっていくのだ。そうならないためには筋肉を鍛えるしかない。片頬で14年を生きてきたわたしはそうならないためになんとしても、笑顔を作ってきた。笑顔をつくるためには顔の中の50を越える筋肉が連動するのだと聞いた。笑いが免疫をあげるということもあるが口角を引き上げて笑うことは実はわたしの顔の筋トレだった。身体の微妙なバランスが少しでも狂うとたりないほうへ曲がっていきその無理なバランスがまた負担になっていく。そうだ。もろもろたりないことはこころのバランスも狂わせる。満ち足りていないことが上昇へのエネルギーになることもあるがそれもまた、たわめた力で突き進む方向に狂いが生じやすい。たりないものを抱えながらそれでも捻じ曲がることなくまっすぐあることは、至難だ。笑顔の話をするとミホコさんは「笑顔ね。いいことをうかがったわ、ありがとう」と言う。痛みに耐えている時間がながく笑顔を忘れていたそうだ。わが身を振り返ってみると片頬になってしまった自分がそれでも笑顔で居られたのはそういうふうにしてくれた人たちがいたからだと気づく。思わず笑顔になるようなおもしろいことをたくさんプレゼントしてもらったのだった。だから、まっすぐ、曲がらないで来られたのだ。そんなことを感謝ととも思い出す、眠れぬ夜。
2009.07.14
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